#憤怒vs強欲
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siim-tv · 4 months ago
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【アーティファクトカード】ST-006憤怒vs強欲
目次 ▼【アーティファクトカード】ST-006憤怒vs強欲の基本情報 ▼【アーティファクトカード】ST-006憤怒vs強欲のステータス ▼【アーティファクトカード】ST-006憤怒vs強欲のセット効果 ▼【アーティファクトカード】ST-006憤怒vs強欲の評価 【アーティファクトカード】ST-006憤怒vs強欲の基本情報 カード番号 ST-006 レアリティ C 入手方法 スターターⅡ 【アーティファクトカード】ST-006憤怒vs強欲のステータス 攻撃力+26 防御力+64 HP+297 【アーティファクトカード】ST-006憤怒vs強欲のセット効果 No.13 二人の戦績は? ダメージを受けると、味方のターン開始時に最大HPの1%を回復する。(PvP、殲滅戦を除く) 【アーティファクトカード】ST-006憤怒vs強欲の評価 チャプター2のアーティファクトカ…
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usono-musuko · 11 months ago
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2023年12月31日
「私は18歳くらいの頃から、親からずっと言われていたことがある。「20歳になったら自分を再教育しなさい。親は完全な人間ではなく、ゆがみがある。そのひずみをお前は受け継いでいるかもしれない。また、ここでお前にこうしてやりたい、と思ってもできなかったことがたくさんある。」」
「斎藤由香さんが高校生のときに父親(北杜夫)に連れられて埴谷雄高に会ったとき、埴谷のあまりの博識さおもしろさに圧倒されて高卒で就職するつもりだったのが勉強して大学入ることに決めた、って話が大好きなんですよ。 若い人間にとってまわりにオモロい大人がいることがどれだけ重要か。」
「人間は安定した自己を持つために3つの「自己対象」を持つ必要がある。
・鏡自己対象(自分を褒めて認めてくれる存在) ・理想化自己対象(そのまんま理想となる存在。アドバイスとかを受けたいと思う存在。) ・双子自己対象(同好の士。等身大で話せる相手)」
「当たり前なのだが、上記の3つは基本的には同時に成立しない。同時にすべてを受け入れてくれる人などいない
「自分の憧れの存在が、自分を認めて自分をヨシヨシしてくれて、それでいてなんか気楽に話せる」みたいな欲望がいかにありえないかは考えなくてもわかるはずだ。
これがわからないのであれば、自分がいかに欲張りであるかを全く自覚できていないということである。それ���他人にとってむちゃくちゃ迷惑である。
これらの欲望を抱くこと自体が悪いのではない。
これらの欲望をすべて一人か二人のの人間に受け止めてもらおうとすることが不可能であることを理解しないことが罪深いのだ。」
「「勇気がある」を言い換えると「計算で動いていない」ということではないかと思っていて、ようは「勝てるかどうかわからなくても、戦わなきゃいけないと思ったら戦いはじめる」のが勇者、だから導き手や支え手の余地がある。みたいな…。」
「「誰もそんな細かいとこ見てないから手ェ抜けよ」って自分と 「誰も見てなくても私が見えてんだよ」っていう自分が常に殴り合ってるのが創作」
「オタクが指す意味が人種から文化に変わったよね」
「性癖こそが読者が読みたいものなのでは? と最近のPVやブクマ見て気がついた」
「(スケルトンダブル) よどみくんのぶっ殺してえ衝動は父親の死に対する怒りが発端なんだから ぶつけ先が向こうからサンバを踊って列を成してやってきたような状況だぜ 行っちゃうよ? 行っちゃっていいの?って心持ちだよ」
「学校の休み時間と図書室のラノベの相性が抜群なんだよ…」
「 初めて本格的に触れてのぼせた作品を中心に頭が回る人はいつの世にも」
「先輩にライカのレンズを「自分の意思で」買った事を話したら 「そう、それが超望遠単焦点への入り口だ。ライカのレンズを買い続ける事で国産レンズの値段を安く感じ更に一歩先の領域へ足を進める事が出来る。俺は結婚しその領域には行けなかったがお前なら…」と言われて
めっちゃ複雑な気分になった」
「モチベの軸足。いかに「声をかけられやすい」場所に居座るか。自分でやりたい事探すより「こいつにあれをやらせたい」と誰かから思われ続けること。その体験通じ「自分という人間の巧い使い方」を学び、改めて自分で自分に命令してみること。自分よりも自分を動かすのが巧い人からコマンド学ぶ」
「才ある人間の隣には才能を引き出す才能持つ人間の存在がある。自分独りで自分のフルスペック引き出す方法見つけられる人間はほぼいない。だからまずはあなたよりもあなたを使うのが巧い人に使われたらいい。後々揉める事になろうとまずはそれが加速の第一歩でしょう」
「自分ルールで「ラーメンは一ヶ月に1回まで」と決めているんだが、これはハズレの店を引いてしまった時のダメージが大きくなる。そのため家系チェーンみたいな"約束された80点"を狙いに行ってしまう。
要は何が言いたいかというと、制約というのは試行回数を減らして世界を狭めることに繋がるんだよ?」
「NTRとは女を取られた男の喪失感や怒り悲しみといった負の感情を フィクションという媒体を通して疑似体験する事にあるんだよ 現実では絶対にノゥだけど作り話でならってね ホラーやサスペンスと同じなんだよ」
「日本一周するのは精々20代半ばくらいまでみたいな風潮ってもちろん時間と体力の問題が一番だろうが、それはそれとして日本一周が偉業と思える感性の賞味期限は意外と短いという要素もあることがわかってきた」
「亡くなったオタ友人が3人いるが、いずれも告別式やお別れの会で親御さんが故人の同人誌や所蔵していたオタグッズを配っていた。お一人などはご家族が未発表原稿をかき集めて新刊本を作りコミケにまで出ていた。 親とはそういうものなんだ。そういうものなんだよ。」
「わたくしの茶ヲタ時代に、会社の先輩が「酒ヲタは破産しないが、茶ヲタは破産するので気を付けろ(酒は財が尽きる前に体を壊してしぬが、茶は長生きの薬なので寿命より先に財が尽きる)」と言っていたのを唐突に思い出すなど。」
「暴論なんだろうけど芸術はゲーム音楽と同じって言われて割と納得した いわゆる名シーンで流れた名曲を名シーン知らない人に聞かせても全然名曲って感じないのと一緒だよって」
「チャップリンがライムライトで「人生に意味はない。あるのは情熱だけだ」と言い放ったのを見た時に、私は人生の意味から解放されました。」
「私の恩師は「君たちに無限の可能性などない、君たちには無限の可能性がある!と言った方がカッコイイかもしれないが現実にはない」と言った。親に話したら憤慨してたが私自身は正直な信頼に足る大人だな、と思った。」
「この歳のヲタクになると、30年間ともにリアルタイムで追い続けたコンテンツそれなりにあって、長期間追い続けることによってのみ得られる楽しみがある。
マウントを取りたい話では無く、今の10代20代のヲタク達には是非そういった人生の宝となるコンテンツを見つけて欲しいという祈りに近い。」
「結局どんな手法もできない人にはできないので、これなら才能ない俺でもできそうだな、と感じる時点で才能が発��されている」
「同僚に「今、子供に人気のキャラってどうやったら分かりますか?」と聞かれたので「スーパーのふりかけ売り場に行けばわかる」と伝えた」
「自分以外の誰も彼もが馬鹿にみえてきたら、自分がいろいろやばくなっていると思わないといけないですよ。」
「読解を「見えないものを見出す行為」と思っている人は多い気がしてて、実際のところ「自分の知ってる事を細かく書いていく行為」をするだけで他人はそれを読解や考察と捉えてくれる気がしてる。細かく書けば書くほど「他人の気づいてないこと」を見出す可能性は増えるから。」
「自分が作品の感想や読解をする際「自分の知っていること」「わかっていること」を書き連ねていたら自然と「自分が気づいていなかった、自分自身の読解」に気づく瞬間が一番楽しいです。人と会話してて「え、俺こんな感想持ってたんだ」って驚くこと結構あるもん。」
「何かあると、 「そういう人間行動って、原理的には大昔から同じですよ。Webによって可視化されただけですよ!」と、だから状況変化でも何でもないみたく言いたがる人が多いけど、実際には 「Webによって可視化された」ことによる影響がでかいことが問題の核心なので、状況変化の話なん���よなやはり。」
「>現代オタクの基本装備はユニクロパーカーとかだろうか 俺は格ゲーの民で定期的に色んなタイトルで会議室借りたりゲーセンの一角を時間で借りる大会に参加したりしたんだけど 参加者の半数が全身真っ黒な不審者のようなコーデなの なので全身真っ黒チームvsまともな服着てるチームで紅白戦何度かやった」
「そもそもキリスト教にマリア信仰なんて概念存在しないのに いつの間にか凄い人気出てなんならイエス凌ぐ勢いで信仰集めるようになって教会本気で頭抱えたって歴史案件 「原作にちょっとしか出番ないお母さんキャラがめっちゃ同人描かれるやつやん」 って言われててクソ笑った」
「歴史って「特に有能でもないんだけど英雄のそばにずっといて、その人がいなくなった途端にその英雄の豪運が暴落する」という人がいて面白い。」
「「こんなに馬鹿になってしまって、どうもすみません」と私に謝る母の姿、その切なさを、私は一生、忘れないでありましょう。」
「他人が自分好みの行動してないとイラつく人が本当に多いんだよねネット…」
「ゼロ年代では「俺はまだ本気出してないだけ」がダメなやつの遠吠えでギャグになっていたけど、令和ではシンプルに、本当に本気を出してないということがエンタメになってるんだな…」
「ブルーグラビティは青バラと思えないぐらい育てやすいから結構いいよ ただ香りはあんまない」
「地質学ベースの現代判定やめろ」
「世の中には、あらゆる競争に負けすぎて、 「自分だってせめてこれだけは!」という祈りの一線が、 よくわからないものになってしまっている人々が、みんなが思ってるよりけっこうたくさん意外なぐらい、存在します。」
「御存知の通り、本を読む人は本を読む人の口から自分の好きな本のタイトルがでてくると、途端相手に好感を持つのである。」
「めちゃくちゃ売れてる作品の作者、自分がこれからも躓かずに面白いものをガンガン描き続けるという前提で偉い大人やデカい金が猛スピードで動いてるの怖いだろうな」
「「反物質太郎」ってハンドルネームのフォロワーが文学部生から「たんものしち太郎」だと思われてたって話すき」
以上。
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sportsv · 5 years ago
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未竟的王朝—三少與雷霆的第一個十年,還有一些如果(上)
文/ Dexter
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在奧克拉荷馬於2012年隊史首次打進NBA總冠軍賽後,詹姆斯·哈登(James Harden)說出了他對這支球隊的期許。
「這裡正在建造一個王朝。」他這麼說道。
他的想法也幾乎是大部分人的想法,2010年的雷霆是歷史上最年輕打進總冠軍賽的球隊,而且他們隊中的四個核心杜蘭特、威斯布魯克、哈登和伊巴卡(Serge Ibaka)不僅感情甚篤、打法也互補。
他們在過個兩、三年,甚至更快,就會取��熱火成為聯盟霸主,當時就是這個個趨勢。
這個城市充滿了人才,而以老闆班尼特(Clay Bennett)和總管普雷斯蒂(Sam Presti)為首的管理層又總是能做出明智的決定。王朝,為什麼不呢?
但僅僅在七年後,我們就以一個檢討的方式開始回顧那段歷史。2012年是他們新星燃起的時刻,但也是他們「三少」時代的最後巔峰。當年總冠軍賽後,雷霆球團對哈登開出一個認為是不夠尊重的合約,他選擇拒絕。
十月,哈登被交易到了火箭。如今看來,那改變了一切。
在那之後奧克拉荷馬就不曾再被女神眷顧了。
2013年,季後賽雷霆和火箭命運般的相遇,但結果以悲劇收場,威斯布魯克在第二戰和貝佛利(Patrick Beverley)的一次爭搶球,傷到了半月板。缺少得分點的雷霆,在次輪被灰熊給掃地出門。
2014年,杜蘭特拿到年度MVP,威斯布魯克也成長到了獨當一面的時候,但伊巴卡受傷,讓他們在西區決賽先丟兩場給馬刺,喪失了先機。
2015年,杜蘭特整季報銷,威斯布魯克摘下得分王,但沒進季後賽。
2016年,雷霆在西區決賽3:1領先勇士,但最終被對手連趕三場,杜蘭特季後把他的天賦帶去了奧克蘭。
2017年,雷霆圍繞著威斯布魯克建隊,找來了喬治和安東尼輔佐他,前者成為了聯盟史上第一位能連續3個賽季場均大三元的球員。但果他們連3年止步首輪。
在喬治接受了雷納德(Kawhi Leonard)和包爾默(Steve Ballmer)的邀請後,當天晚上威斯布魯克和哈登通了電話。
6天之後,他被交易到了火箭。
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至此,2012年那支雷霆的所有成員都離開了這支球隊了。奧克拉荷馬放棄了他們的最愛,哈登的諾言沒有完成,事實上連1/3都沒有達到。
2012年時,杜蘭特和威斯布魯克才23歲,哈登和伊巴卡則只有22 歲。奪冠窗口應該要能為他們打開4到5年。
事情應該這樣發展嗎?
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「浪花三兄弟」合體破滅?勇士可能再交易 D’Angelo Russell…
湖人 VS. 快艇誰能勝出?洛杉磯雙雄陣容戰力分析
只是奧城的過客?傳雷霆將尋求交易 Chris Paul
2010年杜蘭特以5年8500萬美元續約,威少在2012年和雷霆以5年8000萬美元續約,這兩份合約都很超值,但是仍然給予了雷霆一定的壓力。
為了對抗西區可怕的禁區,他們選擇開給帕金斯(Kendrick Perkins)4年3480美元,而當時作為球隊防守核心的伊巴卡,也是不可能不留的。
薪資壓力是每支爭冠隊伍都必須遇到的問題,而對於雷霆來說,他們已經享受完了三少的菜鳥紅利,他們必須要花點腦筋才能長久的維持陣容,這就是為什麼他們在面對哈登的合約時如此錙銖必較。
雷霆並沒有忽視哈登的潛力,但在那個當下卻也沒有把他當成一個球星來對待。他們要這一名最佳第六人只用一個小時的時間來決定是否簽約,顯然哈登對此感到很受傷。
那時候聯盟還沒有瘋狂到每一支爭冠球隊都認為自己一定要組成超級球隊,雷霆顯然也並不那麼想。當然,每支球隊都希望自己擁有夢幻隊、像是���2K一樣為所欲為。
但凡事有正面當然也就會有反面。超級球隊的龐大薪資,以及複雜的更衣室關係,還有難以操作、缺乏調整靈活性都是問題。普雷斯蒂並沒有不想留哈登,可是他不想超過自己設下的底線,這和杜蘭特及威少那種「不計一切代價留人」還是有一段差距。
為什麼雷霆有這個底氣不去討好哈登?因為顯然他們的團隊認為威斯布魯克假以時日一定會成為50大球星之一。或著至少,他們相信自己能控制助威少的脾氣,並且讓他在失敗中成長,成為屬於杜蘭特的皮朋。
威少確實完成了一部份的期望,他成為一名現象級的球員,並且從過去幾個賽季來看,他不介意讓出球權讓身邊的球星發揮得更好。
然在杜蘭特離開後的這三年,他除了完全釋放了上帝給他的一切天賦之外,並沒有多從籃球之中學到些什麼,這是他和雷霆最大的問題。
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評論一名超級球星的價值,除了他對於攻防兩端的宰制力外,真正區分他和全明星球員的東西在於他有多了解一場比賽。你能不能了解格蘭特(Jerami Grant)的接球投籃熱區?發現亞當斯(Steven Adams)已經卡好籃板位置,而提早準備快下?利用自己的牽制力為安東尼創造出單打空間(好吧,這有點強人所難)?從喬治每個夜晚的前兩次出手就聰明的知道該如何分配這一場比賽的球權?
以及理解如何在���時速60公里控制比賽,讓隊友全都參與進來,幫助他們打出最佳表現,然後在決勝負的某個節點開啟氮氣,冷酷將對手狠狠甩到後頭。
真正的拳擊手永遠不會只用右直拳當作武器,賽揚名投也不會每一個打席都丟出決勝球,多年的頂尖對決經驗,讓他們知道自己沒辦法永遠保持在高峰,你是無法永遠讓自己處在沸騰的狀態中打球的。
作為3屆總冠軍的贏家、2屆MVP得主,庫里(Stephen Curry)理解平衡的藝術,所以在他身邊,湯普森(Klay Thompson)、格林(Draymon Green),甚至是杜蘭特,得以將自身的優勢最大化。而在今年季後賽杜蘭特受傷後,我們也再次用雙眼目睹了14-15賽季的得分表演。他可以隨心所欲的轉換成隊伍需要的贏球要素。
而這個技能,利拉德(Damian Lillard)和雷納德在今年季後賽期間也全部明白了。
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雷霆從來沒有達到外界對他們的期望,那就是:威斯布魯克作為衝鋒機器,利用他永不枯竭的體能作為球隊的進攻能量,為角色球原創造���量的空檔機會;然後杜蘭特扮演殺手,在最後時刻收割比賽。
在雙少時期,這只有短暫發生過,威斯布魯克至多只能在一個系列賽中保持它,更多時候他像《終極殺陣》裡的丹尼爾一樣憑藉著自己的天賦隨心所欲的開車,利用靈感來跨過每一個障礙。
在和喬治搭檔時期,威斯布魯克對自己進行了一次反思,至少他嚴肅地看待了他曾經問過杜蘭特的那句話,「我能為你改變些什麼?」他讓出了一部份的戰術地位,減少了球權使用率。結果是讓喬治打出生涯最佳的表現,當季MVP得票排名前3,入選一陣一防。
但最終雷霆還是在首輪就輸給了只有一名全明星球員的拓荒者。因為威少並沒有了解到無私並不等同於退居二線,他是比喬治更好的球員,他要接掌這支球隊,然後讓所有人打得更好;而不是消極的讓出球權,讓副手變成一哥。
就如前面所說,雷霆和杜威二少都深信只要等到威斯布魯克成熟,他們就會創建屬於自己的時代,然而他們從未等到。
2010年雷霆是NBA歷史上最年輕的季後賽球隊。
2011年的雷霆隊是NBA歷史上第二年輕的季後賽球隊。
2012雷霆隊是這幾十年來最年輕的NBA總冠軍賽球隊。
他們的平均年齡在2011年為22.9,在2011年為23.8。到了2012年,這個數字仍然只有25.7。
2014年杜蘭特拿到了MVP,威斯布魯克和哈登也隨後在2017以及2018年獲得該獎。
自從NBA和ABA合併以來,只有四支球隊在如此年輕的情況下進入了總冠軍賽,他們是:
2012年奧克拉荷馬雷霆隊:25.7
1986年休斯頓火箭隊:25.4
1977波特蘭拓荒者隊:24.2
1977年費城76人隊:25.5
除了雷霆,其他三隊最終都捧起了奧布萊恩金盃。
我們應該再次回顧這一段歷史—
在交易哈登之後,奧克拉荷馬城重新圍繞杜蘭特和威斯布魯克建隊。2016年西部決賽中,這個版本的雷霆曾經以3比1領先於勇士隊。
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隔年,「@easymoneysniper」選擇了最難的路,威斯布魯克成了碩果僅存的一人,他和保羅·喬治及卡梅羅·安東尼搭檔。然後,他們連兩年倒在首輪。
2019年7月,雷霆交易了威斯布魯克,關閉了這個時代。距離他們從西雅圖搬到奧克拉荷馬,差不多是十年的時間。
雷霆在這一時期取得了豐碩成果。在過去的十年裡,只有馬刺隊的例行賽勝率比他們更高。他們4次打進西區決賽,在勇士崛起之前,他們曾經代表了西部。
但他們從來沒有贏過一個冠軍頭銜,如今這個瑕疵再也不可能消除了。
如今站在「雷霆三少」時期完全結束之後,應該要有人來對這一段歷史進行反思,奧城到底哪裡做錯了?2014、2017、2018的三座年度MVP獎告訴我們,這肯定不是球員能力的問題,歷史上兩名以上的MVP(這裡不計時間單位)合體,他們最終必定奪冠。只有兩個組合例外,湖人的「F4」,以及本故事的主人公。
於是我們必須問出幾個尖銳的問題,這無疑會讓雷霆球迷悲傷和憤怒,甚至可說是非常不識時務,但卻是必要的:
(全文未完待續:原網址全文在此)
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afternoonspeaker-2019 · 5 years ago
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------------- 以下全文     前言:   許多朋友曾在私下聊天時,半調侃半認真的問,「時代力量」是什麼意思?它代表什麼?一般政黨都會以所要表彰的價值融入黨名,中國國民黨、民主進步黨、社會民主黨、綠黨、建國黨,都可以很清晰地在自我取名中看見該黨的意識形態,那麼時代力量呢?時代力量四個字本身沒有與任何價值連結,你們的自我定錨究竟是?   殊不知,「時代力量」恰恰精準反映了這個黨的內涵,名實相副。   時代力量,就是在這個「時代(當下)」,有「力量(聲量)」的人,合起來組了一個黨,就叫做時代力量,這正是時代力量的生辰八字,也是一切問題的根源。   -----------   【時代力量的權力結構】     近來時代力量的路線問題再次受到外界激烈的質疑與批判,過去同樣的情形已發生數次,一次比一次激烈,日前我就已對黨公開呼籲過,時代力量過去四年動輒面臨是不是「小綠」、「與柯文哲合作」等質疑,就是因為時代力量沒有路線,即便有,本身也從未被明確定義與說明過,不要說外界,包含時代力量內部都常有人對路線提出疑問,但從未被解決,根本原因在於時代力量的權力結構與組織問題。   過去時代力量屢次流出內部分歧的消息,媒體常以「分裂」、「派系鬥爭」下標解讀,事實上並不正確,因為時力內部從未有真正嚴格意義上的政治鬥爭,頂多「不和」,這代表黨本身沒有堅硬的外部框架,主要成員間缺乏明確的共同利益約束,致使各方都不願花費撕破臉翻桌的成本在內部收攏意見。黨內部無法透過衝突解決問題,導致當核心政治判斷出現分歧時,往往流於議而不決,甚至不議讓問題擱置,或索性各幹各的,多頭馬車。   外人或���覺得殊難想像,但這確實是時代力量一直以來的問題,或至少在勞基法二修,時代力量至凱道前抗議後,路線問題就成為黨內房間中的大象,無人觸碰,或是被認定無法解決,不知從何解決起,只能讓問題靜靜地躺在空氣中擱置,等待時間自然淘洗出結果。   這並不是黨中央同仁或黨主席個人問題,而是整個時代力量要面對的結構困境,時代力量黨中央從未有過凌駕幾位立法委員,特別是三位區域立委的權力,因此無法以中央決策強力主導黨的方向,就算真的想這樣做,恐怕也要面臨如何執行的問題。   檯面上主流政黨的權力結構,國民黨是早年接受俄羅斯共產國際扶植的政黨,黨組織完全繼承共產黨,也就是所謂權力集中的「列寧式政黨」,民進黨在成立時高度參考國民黨的組織架構,而時代力量的黨組織架構再同樣高度參考民進黨黨組織架構,三者殊途同歸。列寧式政黨或許聽來陌生,其實台灣人非常熟悉,因為幾乎每個人所認知的政黨樣貌,就是列寧式政黨,它的特色是類似政府或軍隊的科層化組織,由上而下,中央到地方一條鞭領導 ( Chain of command ),我們以為政黨就是長這樣,其實列寧式政黨是一種特殊模式,在世界上並非常態。   時代力量雖然引進若干網路參與的機制,但本質上仍然是傳統的封閉式政黨,在黨內部產生決策後由上而下,一層一層傳達,這在包括提名程序等各項黨務運作方面都可以很清楚看出來。對缺乏經驗的後進者而言,模仿既有制度是最快速也最低成本的方法,國民黨的全代會、中央委員會、中央委員會常務委員;民進黨的全代會、中執會、中常會;時代力量的黨代表大會、決策委員會,基本上是同一套運作邏輯,當指揮中心無法有效決策時,黨就會陷入癱瘓。   要能夠揮動軍旗、號令部隊,背後當然要有權力支撐,國民黨過去有槍桿子和黨產,無須多說。民進黨則以共同利益為基礎:「給予即是支配」,這分兩個層面,一是民進黨自黨外至今的多年發展中累積了穩固的群眾基礎,在地方公職選舉中,被黨提名即有相當高機率能夠當選,「民主進步黨」這個招牌就是黨紀約束力的來源;另一部分是能夠匯集社會公信與資源的頭人,透過自己的分配管道建立系統,頭人在系統內部亦有相當大的影響力,這後來也發展出民進黨獨特的派系文化。   回到時代力量,時力黨中央的權力基礎呢?時力財務本身相當吃緊,候選人基本上都要自己想辦法募款打仗,而在社會支持方面,時代力量的政黨認同度大約都在10%上下,對於當選門檻和這個數字差不多的縣市議員來說,黨的招牌的確有相當的價值,因此必須尊重黨的決策,但對於當選門檻是過半的單一選區立法委員來說,狀況就不盡然相同,更何況是對2016年時力首戰告捷的三巨頭來說,更是如此。   當年號稱理念型的政黨,除了時代力量之外,還有其他小黨,例如社民黨與綠黨合作的綠社盟。時力與綠社盟在意識形態、政策方向上均差別不大,為何最後時代力量贏下三席區域立委,外加政黨票74萬票,斬獲兩席不分區立委,突破政黨補助款門檻,而綠社盟鎩羽而歸?除了社會的期待,當然也和洪林黃三人當年的社會光環與背景資源脫不了關係。   權力只向它的來源負責,對時代力量這樣原本沒有基礎的政黨來說,是因為有了黨,才有這三名立委;還是有了這三個人,才有後來的時代力量?這是一個很難釐清的問題,但也因此注定了黨組織無法凌駕開國功臣的命運。試想,如果今天黨強制要求區域立委某事而得不到配合,那麼黨有什麼後續手段嗎?黨能夠承擔得起損失這三位立法委員其中一位嗎?有任何一位黨主席擔得起這個政治責任嗎?   這舉例雖然極端,但只要一想就能明白黨的癥結何在,決策參與機制可以擴大,但至今仍未突破這個權力結構的硬傷。與其說黨中央向外下達命令,不如說從進入國會開始,諸侯共治才是它的真實樣貌,顯智主席雖貴為黨主席,但在幾位委員之間權力不會超過民間的調解委員會。   時力雖有剛性政黨的制度設計,但從未備齊運作這套機制所需的權力集中,也不曾透過一次又一次的內部鬥爭,來凝聚黨的路線以及釐清政治責任歸屬。沒有共同利益、也沒有更高的權力作為桶箍,一旦這三人無法互相退讓合作,也不試圖以強制手段逼迫對方妥協,那就注定黨陷入失能的分歧狀態,大家各走各的路,美其名為柔性政黨,其實黨不像黨,這幾年時力各種狀似精神分裂的內部邏輯矛盾,其根本源於此。   ------------------      【立法委員黃國昌與時代力量】     本文目的不在聚焦個人,而是釐清時力作為一個新生政黨,過去四年運作有哪些弊病,然而黃國昌這個名字之於時代力量,連結實在太強,談時代力量如果完全繞過國昌,也就失缺了一部分,因此這個段落必須談黃國昌和時代力量的關係。   *   國昌最近因私菸案,引爆台灣社會對時力定位的強烈質疑,我不認為這是他的刻意操作,今天換作藍營執政他依然會是戰神,廉能和行政墮落間的二元抗戰,本就是他一直來的主軸,但私菸案不是本文重點,這裡就不多談,國昌的路線後面會再提到。   國昌作為政治明星,一言一行最終仍會回到社會如何看待,但對時力來說,目前受到的強烈批判並不是國昌的問題,而是這個黨的問題。   國昌在非常早的時候,幾乎是甫進入國會不久就跟民進黨發生大大小小的衝突,關係很早就已經決裂,他也持續在言談中釋放對與「綠」合作的高度排斥,以一個政治工作者的角度,在執行層面我非常尊敬黃國昌,他是工作狂,對公共事務懷抱高昂鬥志,他的專業知識與揭弊能力不要說在時代力量,在整個立法院都是數一數二。   從黨的角度來說,國昌這幾年的工作成果更是時代力量聲量得以維持不墜的關鍵,他雖然一直自己走自己的路,但既然黨未曾明確定義黨的方向,那麼自然也沒有衝突問題,在工作上,他將他的工作發揮到淋漓盡致,何錯之有?   對黨內來說國昌最大的問題大概是他鮮少談及他對政治的遠程想像,使人無從捕捉他的藍圖,也無從跟隨或討論利弊,這或許是他的謹慎性格使然,然而綜觀他這幾年的路徑,國昌可以說是一個政治上的實證主義者,他不常直接談論純政治的觀點,特別是卸下黨主席的職務毋需代表黨後更是如此,他只在持續的行動中實踐自己的路線,但我們仍可從他累積的行為中,包括他偶而使用的隻字片語,例如「藍綠不過半」等,描繪出一個大致的輪廓,這個路線我在第五段會另外專門討論。   國昌的實證主義性格,也反映在他與黨內的溝通上,國昌不太和黨內同仁爭辯政治路線與對錯層次的問題,除了第一段提及的時代黨內衝突沒有檯面化之外,背後隱含的態度是「說那麼多沒有用,打出個成績再說」。時代力量的民選公職們,面對自己的工作無不戰戰競競、戮力奉公,但對「新政治」「素人參政」「各行各業來從政」來說,本就鮮有人能與中研院研究員出身、早在社會運動征戰多年的國昌的戰力旗鼓相當。   所以,時代力量的問題不在於國昌路線凌駕黨,而是黨在這幾年間並沒有在國昌路線之外另立出黨自己的路線,也沒有透過路線之爭來處理黨內蘊含的兩種本質上截然不同的政治想像,致使國昌個人完全代表也詮釋了這個黨。   年輕的面孔、良好的形象可以得��選民一時的喜愛,但一個黨若要長期發展,一定要有自己清晰的定位,明確的路線來爭取選民長期的信任。試問,如果今天國昌離開了時代力量,那麼這個黨的招牌是什麼?還剩什麼?時力還能夠吸引、抓住諸多對新政治高度期待的中間選民嗎?   請各位同仁嚴肅思考這個問題。   -----------------      【時代力量的小綠魔咒】     時代力量的內部分歧,最大程度體現在對民進黨的態度上,我在第一段中已經說明過這是因為時力內部從未統合的緣故,政治上同陣營不同勢力各執己見時,就都去打,看結果誰的群眾多,這是簡單又實際的方法。但僅限於大家都處在同一個政治框架內時,如果連基本的大方向都各搞各的,那麼黨就會呈現高度精神分裂的詭異狀態,當前的2020大選就是最明顯的例子。   時代力量在選舉中與民進黨的競合關係,不論是以時間軸橫切或縱切,都呈現高度的不一致,以橫切來說,目前時代力量在區域立委的提名,有選區明顯需要和民進黨合作,卻又有選區直接挑戰民進黨現任立委,和民進黨究竟是要合作還是不合作?   以縱向時間來看,更是無比矛盾,各位還記得2015年時代力量中和立委候選人胡博硯老師為何退黨退選嗎?不就是因��在專訪中說了「如果民進黨不協調,不排除不支持蔡英文」,引起輿論譁然後迅速被黨部切割,翌日自己退黨退選為時代力量切割止血?   當時是2015年5月底,如今已是2019年8月,時代力量至今仍對是否支持蔡英文總統連任曖昧不明,在當年蔡英文對國民黨有壓倒性優勢時,時力早早就內部定調支持蔡英文,2019面對韓國瑜與蔡英文,時力這樣高舉理念的政黨,竟遲遲無法在兩人間作出自己的價值判斷?無非是怕被扣上小綠的帽子,但不論如何對外說明,恐怕都很難不給人2016害怕得罪泛綠選民,2020害怕被執政包袱拖累的觀感。   再以新北市第一選區為例,同樣的選區、同樣的呂孫綾、同樣的時代力量,兩次卻有截然不同的策略,上次面對國民黨的資深立委吳育昇,代表時代力量出戰的馮光遠最後和呂孫綾整合,退出選舉。當時黨內為什麼有這麼多人去勸馮老師,甚至因此被他怨懟,埋下日後退黨種子?難道不是因為怕選到底馮呂分票讓國民黨撿了便宜嗎?現在卻又主動再次走回這條路,既然如此,何必當初?   「小綠」這兩個字的陰影是如此壟罩在眾多時力黨人心頭,但究竟什麼是小綠?怎樣才算是小綠?這樣的定義卻從沒有被談清楚過,似乎小綠是一個外界與媒體貼上的標籤,只要一但貼上就要使��把它甩掉,這個黨是不是小綠竟處於被動狀態,小綠成了故事中的惡龍,人人都知道山谷的背後有條惡龍,卻從沒有人真正看過。    這樣的焦慮,來自於時代力量本身和民進黨的關係一直渾沌不明。時代力量成立之初的政黨定位非常單純,就是時代力量吸引中間、理念派選民,整合傳統綠營群眾的支持,來扳倒國民黨連霸選區。在國會裡民進黨加上時代力量區域與不分區的少數關鍵席次突破半數,促成立法院史上第一次政黨輪替,這是2016的主軸。    但這樣的想像迅速在時力成功進入國會後破滅了,因為民進黨單獨取得了過半席次,時力戰略想定中的關鍵少數高地不存在,自此後黨內再無成功凝聚共識去定義時代力量的政黨定位,將詮釋權拱手交出,也就注定了在第九屆國會剩下的時間不斷面臨大綠小綠的困擾。   時代力量在這四年與民進黨關係惡化是一個必然的結果,台灣的選制本身就對小黨極為不利,在時代力量成長為第二大黨之前,永遠在單一選區:總統、縣市首長、立委都必須面對是否支持民進黨和合作與否的問題,也就產生小綠陰影;而堅硬的執政邊界也使時力無法參與治理過程,無從分享執政紅利,白話講就是雖然時力本身也喊要和民進黨一起打倒國民黨,但民進黨做得好那選民自然集中支持民進黨,時力反而必須在民進黨的缺陷中證成自己的價值,制度本身的框架註定了時力與民進黨的衝突。   在國會內,當黨的戰略定位消失,就變成必須單純在戰術層次取勝來鞏固黨存在的意義,也就是沒有定位上的不同,只有誰比較優秀,「更左更獨」是為代表。因此除了國昌個人強力的揭弊表現之外,時力黨團自然走向激進化的道路,在各個重大議題上必須踩得比民進黨更前緣,使民進黨人抨擊時力不務實、加蔥等指控。兩黨難以合作,因為給民進黨比讚就是在掏空自己地基,這都是黨沒有處理路線問題的後遺症。   坦白說,在我的觀點,所謂大綠小綠事實上是史觀的問題,一個黨要建立長期穩固基礎,必須要在歷史中刻劃國家的方向,在這個方向中鑲嵌自己的價值,這樣黨才有核心,才有穩定的方向;對外而言,黨的核心論述必須要能夠回答選民三個問題:   1. 我們從哪裡來 2. 我們該往哪去 3. 所以我們現在要做什麼   這樣的論述給予了人在共同體中、以及台灣在世界地景中的定錨,才有渲染力跟說服力。國民黨的中華民國史觀和民進黨的台灣史觀便是兩黨的群眾來源,即便是黨內最如日中天的政治明星也無法違背這個框架。對時力來說,如果順著國民黨228屠殺台灣人、白色恐怖、黨外運動、民主制度成熟這條歷史���線走,那最終必然導向國民黨不倒、台灣不會好的終點;也就必然面對應該跟民進黨合作共抗國民黨的道德結論。   這是大綠小綠之爭真正的源頭,也是我認為時代力量目前應該和民進黨採取的戰略位置,但倘若時力真正想走出一條長久、穩固、與台灣土地相連的第三條路,那麼應該回頭在既有史料中重新爬梳,尋找並建立一條全新的歷史切入面,在這個軌跡之上闡釋台灣的發展。   我認為長遠來看,這是時力真正應該去發掘的路線,最近也跟一些黨內朋友討論了想來著手進行這個論述工作,可惜不論時間與我的能力皆太不足,未能在時力遭逢當前危機前將這個工作產出一點初步成果,力有未逮,非常、非常遺憾。   -----------------------     【時代力量與柯文哲】     時代力量作為一個高舉價值和理念的政黨,且批判性如此之強,還是一個旗幟鮮明的台獨政黨,理論上理當對柯文哲市長的種種親中言行作出反應,但很奇怪,時代力量遇到柯文哲似乎就變了一個人,要馬避而不談,要馬雙重標準輕聲細語,這實在是一個很奇怪的現象。   舉例:今年三月韓國瑜市長訪香港中聯辦,時力在官方粉專以「主權零分」嚴詞批判,到了七月柯文哲訪問上海與國台辦主任劉結一會面,時力粉專的措辭就變成了「我們支持柯市長所謂的對等公開透明,更希望一旦對等公開透明不被中國接受時,柯市長能夠堅守立場,拿出態度。」一來一往之間,為何轉變如此之大?   事實上也不用答案,路人皆知當然是因為柯市長的支持者,所謂柯粉,與時代力量支持者高度重疊的關係,一旦抨擊柯文哲,便會引來柯粉憤怒的回擊,流失選票。   一個政黨,面對有風險的政治後果不可能完全迴避,就算如此久了也會被人看破手腳,這個道理大家都明白,但真要決策時就有個問題跑出來:誰來負政治責任?   我在第一段說過,時力內部本質上更接近諸侯共治的狀態,因此在2018的選舉採取分區負責的做法,也就是台北主委操盤台北選舉,新北主委操盤新北選舉,大家井水不犯河水,可說是時力裡的西伐利亞原則。   在去年的選舉中,時代力量在台北市提名了包括我在內五位市議員候選人。當時在內部大家對於支持柯文哲與否各有判斷,林昶佐做為台北市主委因不欲強勢主導方向影響大家各自最後選舉結果,於是發表了兩篇文章談論柯文哲,希望從中拉開空間,後果並不成功,而候選人也於選舉末段各自表態,台北在柯文哲這一題於是沒有統一的立場。選舉過後,對黨來說,柯文哲問題就變成誰要來扛政治責任的問題。   許多人批評為何時代的標誌性人物,國昌鮮少談及台北市政或柯文哲?一來是基於對上述原則的尊重,二來,站在國昌的角度,為何他要來為黨扛這個擔子?比起時粉跟柯粉,昌粉與柯粉更是高度重疊,這在各個政治網路社群都能明顯觀察出來這個趨勢。以去年來說,如果說時代力量支持者中有七成支持柯文哲,那麼至少八成支持黃國昌,而在支持者外,兩人的政治路線除了主權方面以外,也有許多重疊之處,例如柯的「藍綠一樣爛」與國昌的「藍綠不過半」。既然台北沒有處理這一題,那麼他何須耗損自己的政治能量來接這個燙手山芋?這是人之常情。   既然時代力量檯面上的政治明星都沒有為黨承擔這個站在理念上理當批判柯文哲的責任,那麼這個問題就變成時代力量這個招牌的集體責任,所有人共同承擔。既然共同承擔,那麼似乎又好像沒有人需要承擔,且黨內凝聚共識成本如此之高,這個問題就被持續拖延到現在。    許多時代力量的成員對民進黨抱持高度敵意,認為時力與民進黨有選票競爭壓力,泛民進黨支持者又常在網路上嘲諷、攻擊時代力量,因此民進黨是時力的最主要競爭者,這一部分來自於上屆政黨票被民進黨招喚流失的陰影,一部分也是前線戰士在戰壕中的視野。   但我認為,柯文哲才是在政治上,時代力量當前的最大競爭者。   道理很簡單,可口可樂與百事可樂才會互相搶業績,而舒跑與可口可樂則否。這是經濟學替代品的概念,時力與柯就是互為替代品,所以柯文哲一直以來也對時力相當客氣,甚至將時力黨主席與時力切割,就是這個原因,因為現階段雙方駁火對彼此的政治發展都不是最理性的選擇。   以台灣社會來看,藍綠各自有其政治軌跡與社會基礎,國民黨以黨國意識形態、侍從分配體系和軍公教打造自己的群眾板塊,民進黨則以台灣主體意識、台灣本土社群、和農、勞工階級為基礎出發,但隨著時間發展和大環境變化,雙方都面臨越來越多群眾傳統網路接不住,例如被經濟成長遺落的小生意、大公司裡的社畜,一但你照顧不到這些人,也無法為他們發聲,人民自然會尋找新的政治代言人,這是第三勢力的群眾來源,這個群體我認為還在持續擴大中。   廣義上來看、時代力量、柯文哲、黃國昌、館長等人都是這個社群中的聲量品牌,彼此間擁有重疊但不完全相同的支持者。第三勢力群眾還沒有明確的意識形態邊界,最大的共通點大概就是素樸的正義感與對傳統體制的不信任、被背棄感。   如同去年我在選舉中對柯的批判,我認為柯文哲市長利用他廉能、親民的形象,吸引了許多對新政治有期待的第三勢力支持者,卻因為自己的政治利益,屢屢用民粹的手段發起鬥爭,破壞民眾對社會體制的信任,甚至弱化台灣與中國之間的政治邊界,倘若有朝一日柯徹底掌握了第三勢力群眾,勢必會對台灣的民主造成巨大的危害。   因此,不只是時代力量自身的存續,這個黨能否成為第三勢力裡的中流砥柱,建構出理性、建設性而非破壞性的第三勢力道路,這是我對時代力量現下最深的期待,也是我之所以還留在這個黨的原因,可惜目前為止看來,選舉太近、理想太遠。   -----------------------     【時代力量總路線檢討】     「國民黨不倒、台灣不會好」這是時代力量在2016標榜的口號,也是這個黨最原始的目標:打倒國民黨。然而,在洪慈庸、林昶佐、黃國昌三人分別拉下楊瓊瓔、林郁方、李慶華後,四年過去,這個目標是失敗的,因為顯然國民黨並沒有被打倒,反而絕地大反攻。而究竟在進入國會後,具體要怎麼實踐打倒國民黨這個目標,政治上的進程如何規劃,黨也沒有藍圖來執行。   這是所有時代力量成員要捫心自問的問題:「到底『打倒國民黨』還是不是我們政治上第一優先的目標?」    是的話,怎麼做?現階段最重要的任務是什麼?    目前,黨內明顯蘊含著兩種截然不同的政治性格,根本的差別就是時代力量與藍綠兩黨間的距離。一種,是認為時力應該與民進黨合作,共同對抗國民黨復辟;第二種,則是在藍綠兩黨間保持等距,就個案與政策監督批判。   這是時代力量真正的路線問題,長久以來被埋在檯面下、隱而不鬥的衝突。   不論是柯文哲的「藍綠一樣爛」,或是國昌在立法院拉出的「清廉 vs 弊端」都是一種在藍綠兩黨之間中立的形式。「藍綠一樣爛」,任何對台灣民主歷史以及政治現實稍有理解的人,都會知道這是一句去脈絡帶風向,與事實違背的話。即便站在最嚴格檢視的立場,馬英九執政與蔡英文執政,何者實現比較多時代力量支持的價值與政策方向,難道我們分不出來?   而以監督對抗權貴結構,創造一個新的政治分野,這樣的路線,或許有機會能夠突破既有的藍綠板塊,讓時力繼續穩定成長,但這個路線本身是由不斷不斷的戰鬥串連起來的,無法預測事件,政治上也沒有明確的遠程方向。我認為,政黨的功能,終究還是要給支持者指引一個方向,告訴大家,我們究竟希望把這個國家開往什麼方向?更何況,以時代力量如此重視台灣獨立這四個字的政黨,主權議題、中國威脅,我們怎麼能夠不視為優先問題?   如果將視角拉出立法院、拉出台灣政府部門之外,拉出台北市、拉出台灣,我們會看到,中國正在殘忍的壓迫周邊民族的生存空間,上個禮拜,香港23個公部門發表聯合聲明,嚴詞批判港府,港人已經幾乎要走到了武裝抗暴的前線。我們能獨善其身嗎?台灣能置身事外嗎?   反紅媒,多少人在雨中走上街頭,不就是因為真切感受到這是正在發生的威脅?國民黨與共產黨勢力結合,加上韓國瑜捲起的民粹風暴,眼看就要對台灣民主構成最強烈的威脅,時代力量這時候難道還要猶豫嗎?還能不採取行動嗎?   諾貝爾和平獎得主 Elie Wiesel 曾說:「我們必須選邊,中立只會幫助壓迫者,而從非受害人。」   在美國與中國之間中立,就是選擇站在威權,在藍綠間中立,我認為同樣亦相去不遠。   赤裸地講,我至今仍打從心底相信「國民黨不倒,台灣不會好」,以我所學習的台灣的歷史發展,以我這幾年在政治圈工作的所見所聞,我依然認為國民黨是阻礙台灣進步,邁向下一階段的最大障礙。   過去國民黨阻擋台灣民主化,民主化後阻擋轉型正義,阻擋各項社會改革,現在要阻擋台灣在美國幫助下真正脫離中國勢力影響,阻擋台灣建構成一個更成熟更穩固的自決共同體,國民黨永遠都為了自己的利益站在危害台灣的那一端,這就是這個1949年來到台灣的殖民政權和台灣本土社會間永恆的衝突。   這樣的政黨,如果時代力量如果不能夠讓時力的支持者們明白:台灣必須先面對這些歷史的沉痾,花費更多時間解決檯面下根深蒂固的結構問題後,才有可能向真正公平、效率的社會更邁向一步,那麼這個黨,我認為有愧於諸多對時代力量推動台灣寄予厚望的人,也辜負了當年時代力量創黨的精神。   如果時代力量怯於小綠的心魔,怯於將國民黨與民進黨之間的差異說出來,怯於指出台灣應該要走的方向,那麼即便時代力量本身成長了,但國民黨執政完換民進黨,民進黨執政完再換國民黨讓它復活,這樣台灣社會會變得更好嗎?容我提醒大家,台灣打從有總統和國會直選以來,歷史上只有一次真正政黨輪替就是2016年,這是一個多麼艱難不容易才走到的下一階段,難道我們要讓它倒退,所有努力都變成白費嗎?   這不是什麼用大局綁架、或是某些人口中嘲諷的芒果乾吃太多,真實處境就是如此,大家知道台灣在世界上其實是相對富裕、安全、穩定的地方,那麼也應該要了解,這樣的狀態有多麼不容易,它需要這個社會付出力氣、付出汗水維護,即便過程發生一些問題,也不該因此中斷。��們現在之所以能夠生活在相對安定的環境裡,就是因為有國家的壁壘幫我們擋下中國的入侵,如果讓國民黨重新上台自毀長城,那麼不知道會有多少勢力因此滲透進台灣。用積木堆起城堡要很久,推倒它只要一瞬間,時代力量在這個關頭還有模糊的空間嗎?   這不是時代力量哪個人,或是黨主席要獨自處理的問題,而是時代力量所有人必須共同面對。   我在��向所有時代力量的夥伴沉重的提問:   時代力量到底有沒有勇��說出:「對,我認為現階段民進黨繼續執政,時代力量作在野黨監督,這才是對台灣有幫助的。」?   時代力量能不能夠和民進黨合作,讓台灣歷史開向我們期待的方向?   自2015年入黨至今,儘管一路上諸多質疑,基於政黨倫理,此前從未公開批判,今天到了這一步,實非我所願。如果時代力量還是無法面對自身的矛盾,還在困於選票計算,迴避應該承擔起的社會責任,那麼我對這個黨的期待、在這個黨的路,或許也走到了盡頭。
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chilidogyt · 6 years ago
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vol.1 堕落さん
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――プロレスを見始めたのはいつからですか。 これが結構謎なの(笑)。初代タイガーマスクのデビュー戦(1981年4月23日/vsダイナマイト・キッド)をリアルタイムで観た記憶があるんだけど、定かではなくて。俺は最初から藤波辰巳(現・辰爾)ファンだったから、それ以前に藤波の試合を観ているはずなんだけど、藤波のジュニア時代はまったく記憶にないの。観ているのかもしれないけど、おぼえてない。藤波の試合でちゃんと記憶に残っているのは、83年の小学校3年のとき。俺、夏に肺炎で入院して、入院患者がくつろぐようなスペースで藤波vs長州(力)の攻防を観たんだ。それは確実に観たおぼえがある。 ――その試合は、ある程度プロレスのルールがわかっている状態で観たんですか。 もちろん。ルールをわかっていて、好きで観た。最初のきっかけは思い出せないんだけど、親父が金曜8時にテレビをつけていたんだと思う。親父はプロレス、あんま好きじゃないんだけどね。ほかに見るものがなかったのかもしれない。 ――どんなところに惹かれましたか。 単純に、藤波辰巳は格好良かった。元祖アイドルレスラーだからかね。女の子がイケメンに惹かれるのと一緒で、男の子も格好いい人に惹かれるじゃん。藤波はスラッとしていて、筋肉質で、動きも早くて。(アントニオ)猪木は結構動きがバタバタしているように感じて。俺は、猪木は運動神経が良くないんじゃないかって思っていて。あの人は、ドタバタが味というか、フックになるんだよ。一方で、全日を観たら(ジャンボ)鶴田、(ジャイアント)馬場、ファンクスとか。同世代だとテリー(・ファンク)からプロレスを好きになった人は多いんだけど、俺は当時、あの外連味がすごく嫌で。プロレスファンとしてキャリアを積んで、プロレスの仕組みやワビサビがわかってから好きになったけどね(笑)。「テリー最高!」って。 ――当時は同級生も金曜8時の『ワールドプロレスリング』を観ていたんですか。 そう。今じゃ信じられないけどね。当時の小学校は土曜が半ド��で、3時間だけ授業がある世代だから、クラスの男子の半分以上がプロレスの話やプロレスごっこをしていたね。実家は神奈川の田舎町なんだけど、1学年に6、7クラスある結構でかい小学校に通ってたの。男子は1クラス20人くらいはいたんだけど、その半分がプロレスに興味を持っていたね。ちょうどキン肉マンもあったから。 ――なるほどなあ、キン肉マンですか。 空前のプロレスブームだったね。猪木、藤波、長州、タイガー、そしてキン肉マン(笑)。当時は、新日が金曜8時。全日は土曜の夕方だったけど、全女は月曜の7時代。クラッシュ(・ギャルズ)全盛で、(長与)千種がダンプ(松本)に坊主にされるシーンがゴールデンタイムで流れてた。 ――テレビは毎週観るのが当たり前でした? 毎週観てた。金曜8時は、俺がチャンネル権をガッツリ確保して。弟と妹がいたけど、まあ勝負にならないから。でも、親父に対してはどうしてたかな。昔ながらの親父で、機嫌悪いとぶん殴られるし。小学校の入学式で、全校児童の前でビンタされたこともあったから。母ちゃんの腹の中に妹がいて来られないから代わりにパンチパーマに髭の親父が来たの(笑)。俺がはしゃいでいたら、「うるせえ」って感じで。弟をいじめたらキレられて、往復ビンタを食らって。翌日、学校に行った時も顔面に手の跡が残ったりしてたし。 ――そういう体験があったから、対抗するために強さに憧れたとか? それは関係ないかも。 ――鬱憤晴らしでプロレスごっこなんかも? そう(笑)。プロレスごっこといいながらひどい技かけてた。敷布団と掛布団を四重くらいにして、そのうえにドラゴンスープレックスとか(笑)。 ――ひどい(笑)。 ひどいよね。そりゃあ弟もプロレス嫌いになるよ(笑)。そんな弟が、将来プロ格闘家になるとは思ってもみなかった。一昨年くらいに引退しちゃったけど。リングスにも上がってんだよ。 ――そのあたりも追々伺いますね。初めて生観戦したのはいつですか。 1985年の7月かな。『バーニング・スピリット・イン・サマー』茅ケ崎青果市場大会。ブルーザー・ブロディが初めて新日のシリーズに出場したとき。 ――どういう経緯で観戦することになったのですか。 そのへんも全然記憶にないんだけど、近所のオッサンというか、親父の友だちに連れてってもらったの。チケットは、誕生日が近いからそのへんに絡めてもらったんじゃないかな。自分で買ったとは思えないから。 ――その時のメイン、おぼえてます? 猪木、藤波、ザ・コブラvsブロディ、キングコング・バンディ……あ、キングコング・バンディはセミかな。バッドニュース・アレンかマット・ボーンかな。ネットでもすぐに出てくると思う(注:正しくは、��ルーザー・ブロディ、ブラック・タイガー、マット・ボーン)。 ――会場の規模はどれくらいですか。 バスケットコート2面くらいあるのかな……そんなにないか。青果市場だからね。湘南地区でプロレスっていうとそこだった。鶴見五郎の聖地。国際プロレス、IWA格闘志塾がずっと使ってたとこ。そこで全日も観たし、IWA JAPANの旗揚げシリーズも観た。 ――堕落さんのなかではどんな思い出になっていますか。 そりゃ大きいよ。だって、チェーンを振り回しているブロディに追っかけまわされたんだもん(笑)。俺個人が追っかけられたわけじゃないけど、近くで見たら「でけえ!」「怖ぇ!」って(笑)。 ――テレビ観戦との差異でここに感動したとかは? 音。プロレスは音だよ。「バシーン」ってすごい音がするじゃない。第1試合から「ワー」って……第1試合のカード、なんだったかな。(ドン)荒川さんかな。当時、ドン荒川ってストロングスタイル転向宣言とかしてて、名前変わったのもそれがきっかけなのよ。その1年後くらいにIWGP Jrに唯一挑戦したことがあったの。ザ・コブラ戦。当時はまともな試合をしてたの。俺が唯一観たドン荒川の試合が、まともな試合だったんだよ(笑)。当時は、ジャパンプロレスに行く維新軍団が抜けて、何もなくなっちゃった頃だね。それでブロディを引き抜いて、85年の4月に両国で初めて猪木とシングルをやって、救世主になって。 ――それから会場にはコンスタントに行くようになりましたか。 全然。次に行ったのは91年くらいじゃないかな。なぜかというと、中学で部活に入ったから。 ――部活は何を? バスケ部(笑)。まあ2年でやめちゃったけど。 ――バスケで憧れている選手がいたとか? 全然。単純に運動をやりたいなって思って。 ――プロレスラーを目指して体を鍛えるような感じ? いや、背も伸びてなかったし。なりたかったけど。だって、中学3年で162cmしかなかったからね。中学入学したときに145cmしかなかったから。まだ覚えてるけど、中1の初めての身体検査で145cm、中2で152cmになって。1年間で7cm伸びたから、「おお、やっぱバスケすげえな」って。あ、背を伸ばしたかったのかもしれない。今もそうだけど、当時も太ってて、145cmで45kg。それが中2で7cm伸びたのに3kg減ったから、相当痩せたんだよ。公立だけど県大会で準優勝とか3位とかに入ってたから。俺はユニホームすらもらえなかったけど。 ――バスケ部っていうのはすごく意外です。 隣町に光GENJIのメンバーになった佐藤アツヒロがいて、そこそこ強いバスケ部がある学校に通ってた。俺らの1つ年上だった。 ――部活を一所懸命やっていたから観戦にも行けなかった? だって、中高生ってお金ないじゃん。部活やっている時間に『ワールドプロレスリング』が放送されてて、ビデオに録画して観てたけど。当時は、藤波が長期欠場した頃で。 ――腰ですね。 そう。89年の6月に長野の佐久大会で(ビッグバン・)ベイダー��バックドロップを食らって、そこで腰やっちゃって。猪木の選挙応援に駆けつけて悪化して(笑)。飛龍革命があって、俺的には「やっと藤波の時代が来た!」って感じだったのに。俺、いじめられっ子だったから。 ――それ、想像つかないです(笑)。 いじめられっ子だったし、喘息持ちだったから、一日おきに死ぬことを考えた。俺は性善説の人間だったから、いじめられると「なんでこんなひどいやつらがいるんだろう」って傷ついてた(笑)。むかつくっていうより、悲しいっていう。身体も弱かったし。でも、「藤波が天下を取るまでは死ねねえ!」って(笑)。で、(88年8月8日の横浜文化体育館で)猪木と引き分けて、IWGP王者になった、ついにエースになった、ついに待ち焦がれていた日が来たんだけど、それも長く続かずにあの人は腰をやっちゃって、欠場して。 ――傷ついている人がプロレスラーに自分を重ねるケースは多いと思うんですけど、堕落さんも多少なりともそうだったということですね。 マジで支えだったもん。俺、見た目も性格もオタクっぽいと思うんだけど、俺が漫画やアニメやゲームにいかなかったのは、プロレスがあったから。ウルトラマンよりも、仮面ライダーよりも、戦隊物よりも、プロレスラーがいたから。実在のヒーローとして。〇〇マンよりルチャドールの方がカッコいいじゃん(笑)。 ――週プロとゴング、どっち派でした? 雑誌どころか、小学生3���4年の頃から東スポとレジャーニューズ読んでた。 ――小学生で?(笑) 家族と出かけるとき、駅のホームにいったらキオスクでプロレスの見出しが出てるわけ。「なんだこれ、安いし買っちゃおう」って。東スポはまだいいんだけど、レジャーニューズは完全にプロレスと風俗だけだから(笑)。 ――親に何か言われませんでした? とくに何も言われなかった(笑)。エロ記事は隠れて読んでたしね(笑)。で、雑誌はゴング。初めてプロレスを観に行った人とは違う、家族ぐるみで付き合っている一家がいて、そこの親父がプロレス好きでゴングをたまに買ってて、もらってた。たぶん、小学3年くらいから自分で買い始めたんじゃないかな。当時、喘息の治療をするために、隣の市の病院まで行って注射を打ってたの。減感作療法ってやつ。それが毎週金曜日で、行くついでに買ってた 。当時、ゴングと週プロは木曜発売で、俺はゴング派だった。 ――ゴング派だった理由は? 誌面がきれいだったから。紙質が良かったし、写真もきれいだったし。当時、週プロが250円、ゴングが300円で、週プロの方が50円安かった。ゴングの方が高級感があった。ゴングは創刊したのが週プロより後なんだよね。週プロはまだそんなにアクの強さはなかったんだけど、ちょっとクセはあって、それが小学生には引っかからなかった。俺はもっとプロレスラーの生の声や情報が欲しいし、きれいな写真が見たいって。ゴングは「ルチャリブレ広場」もあったし(笑)。 ――毎週ゴングを購入されて、一字一句漏らさず読むくらいの勢いで。 もちろん。 ――どんどん知識もついていくなかで、プロレスの話ができる友人はいたんですか。 高校までいなかった。 ――じゃあ、さっき話していた91年の観戦はその友人と一緒に? そう。クラスでいつも体育を休んでて、全然しゃべらなくて、お笑いのネタにされているようなやつがいたの。俺もどっちかっていうとからかっていたけど、そいつと話すようになったら、プロレスが好きで、同レベルで話せるくらい結構詳しいの。それで意気投合して。で、ほかにもうひとりプロレスの話ができるやつがいて、翌年の1月4日、新日の後楽園に3人で行って。それが2回目だと思うんだよね。話せる人がいたら、また盛り上がるじゃん。 ――よくわかります。 当時は、チケットを取るのに新日の事務所に普通に電話してた。学校のロビーの赤電話から休み時間にかけたんだけど、神奈川の田舎と東京じゃ距離があるから10円玉もすぐになくなって、何回か通話が切れて、(新日の)事務員の姉ちゃんもキレてた(笑)。特リンを買ったんだけど、すごい悪い席で。前年の秋に藤波が復帰したけど、アニマル浜口にピンフォール負けするくらいの感じで、徐々に復調してて。年末の浜松かな、メインが長州と藤波のIWGP戦。藤波が復活を賭けて長州に挑戦、みたいな。生中継だったけど、お約束でメインの途中で放送が終わった(笑)。同じ日にルー・テーズの最後の試合もあって。テーズが74歳にして……。 ――おぼえてます。バックドロップをやりましたね。 そう。あと、猪木がニック・ボックウィンクルとやるはずだったけど、急遽猪木が欠場して、マサ(斎藤)さんとやって。 ――メインは? メインはなんだったかなあ……。藤波はセミだった。浜松で王者になって、初来日のムッシュ・ランボーっていう、ヨーロッパのCWAを主戦場にしていたでかい選手とやった。で、ツーカーのやつと3月にもうひとつ行ってて。『スターケードin闘強導夢』。藤波vs(リック・)フレアー。藤波がWWEの殿堂入りしたときも、一番のトピックとして扱われてた。フレアーに勝って、IWGPとNWAの2冠王になって。チケットはどうしたのかな。母親に泣きついたけどお金貸してもらえなくて(笑)、友だちに借金したのかな。当時のドーム大会って映像観てもらえるとわかるけど、すげえセットバック組んでアリーナも傾斜になってんの。何だかんだで観えるんだろうなって思ってたけど、一段嵩上げしている程度で全然観れない。だから、後ろ向いてヴィジョン観てた。 ――高校生で藤波さんが好きっていうのは渋好みに思えます。 そんなことないよ。だって、当時の藤波辰爾は38だし。昔のレスラーはちょっと老けてるから。 ――15、16歳のころっていうのは、まだ素直にプロレスを観ていましたか。 いわゆる高橋本(ミスター高橋『流血の魔術 最強の演技 すべてのプロレスはショーである』)以前・以降って話になるけど、���前の人の見方で、「相手の技はちゃんと受け合うけど、最後は力尽きた方が負けるんじゃないか」みたいな。頑なにガチだとは思ってなかったけど、勝敗は決まってないんじゃないかなって。 ――その頃って、将来こうなりたいとかって考え始めるじゃないですか。さっき、プロレスラーになりたかったって話もありましたけど。 無理。今も抱えている持病が高1の頃に発症しちゃって、かなり世捨て人だった。クラス替えで仲良い奴が1人もいなくなり、溶け込めなくなって。高3の頃は孤立してて、学校もちゃんとは行ってなくて。まあ卒業はできたけど。 ――高校卒業後はどんな生活をしていましたか。 2年宅浪して、家で何もしないで、『電気グルーヴのオールナイトニッポン』を録音して、テープが擦り切れるくらいまで聞いてた(笑)。その少し前だけど、92年に藤波のファンクラブに入ったんだよ。藤波が腰痛から復帰したあとにまた欠場して、その復帰戦が異種格闘技戦(vsリチャード・バーン)で、おそろいのTシャツをつくって入場を先導する感じで。よくあるじゃん、昔の(ミル・)マスカラスとかテリーの親衛隊みたいな。ハチマキまいてダッセーやつ(笑)。横浜文化体育館なんだけど、花道の前で待機したりして。そのつながりで、そこでドームのチケットを取ってもらって行くようになったりしてた。その翌年に、藤波がG1で優勝して。 ――決勝で馳(浩)とやったときですね。 そう。それは観に行ってないんだけど、「ついに藤波が完全復活!」みたいな感じでファンは盛り上がってたの。で、渋谷で祝勝会をやるっていって、ファンクラブのメンバーとして行って。そのファンクラブで仲良かった人がいて、コアな人たちと手伝いに行ったりしてたのかな。そんな中で無我をやるって話が出て、大阪までわざわざ夜行バスで旗揚げ戦に行ったりして。95年10月29日。大阪ATCホール。 ――よくおぼえてますね(笑)。 その前の93年にはドームと、WARの東京体育館大会に行った。2月14日、バレンタインだった。それもファンクラブにチケット取ってもらって、おそろいのジャンパー着て。メインは、天龍(源一郎)、石川(敬士)VS藤波、馳。しかも、馳って当時は藤波と組んだことがなかったの。俺は長州派に対して疑心暗鬼だったから、藤波が負けさせられるんじゃないかっていう嫌な予感がしてたの(笑)。それは1カ月後か2カ月後に、藤波、長州VS天龍、石川で石川にフォール負けっていうのがあって。石川、あまり評価してなかったから、こんな屈辱はないと思って。なんで天下の藤波辰爾が石川敬士に負けなきゃいけないんだって。石川は巧いとか言われるけど、全然巧いと思ったことなくてさ。彼はいろいろやるんだけど、器用貧乏の逆。貧乏器用。ヘタなのにいろんなことをするけど、どれもたどたどしい。中堅でやっている分には活きが良くていいけど、藤波に勝��のは……しかも2回勝ったからね。イリミネーションマッチでも藤波からピンフォールとってる。当時、阿修��・原が失踪してSWSに復帰してからそれほど経たないくらいだったし、身体がボロボロで使い物にならなかったから。石川を格上げしなきゃいけないって事情はわかるんだけど、だったら長州が負けろよって思った(笑)。その頃はもうそういう見方をしてたね。東京体育館は、セミが(ジョン・)テンタVS(キング・)ハクだったかな。モッサリした試合で、いっぱい来てた新日ファンからかなり野次られてた。当時、俺たち新日ファンはかなり差別意識をもって(WARを)見ていたからね(苦笑)。 ――本当に藤波さんが好きなんですね。 藤波史観だから(笑)。 ――当時だと、全日とかFMWはいかがでしたか。 大仁田(厚)と(ターザン)後藤の最初の電流爆破のビデオは買ったよ。親に見せて、「こんな思いしてやってんだぞ」ってアピールして(笑)。俺ね、FMWはホセ・ゴンザレスを使った時点でかなり冷めた。ブロディの命日って、俺の誕生日なの。当時、うちは日刊スポーツを取ってて、ブロディが死んだことを知って大ショックを受けて。まだネットがないわけじゃん。朝刊スポーツ紙と夕刊の東スポと週プロ、ゴングが情報源で、突発的なニュースが入ったら編集部に電話してたもん。「〇〇が亡くなったって本当ですか?」って聞いたら「はい、そうです」って沈んだ声で言われたり。 ――僕も試合結果はよく週プロの自動音声を聞いてました。 テレフォンサービス? あれは俺もかけまくったよ。なかなかつながらないこともあったよね。 ――ありました。懐かしいですね。今なら試合結果もすぐにネットで見れますけど。 勝手に客がツイッターとかで「〇〇が勝った」って書いちゃうからね。 ――で、藤波さんがいる新日を中心に観ていた、と。 全体的な流れは追ってたよ。ルチャが好きだったからユニバーサル(・プロレスリング)観てえなって思ったり。話がさかのぼるけど、俺は『世界のプロレス』がアメプロばっかりだったのが不満でしょうがなかったから。ロス・ファンタスティコスの試合とかが流れて。俺は毎週ルチャをやってほしかったけど、やってくれなかったからね。カト・クン・リーのロープ歩きとかがゴールデンタイムで流れることもあった凄い時代だね(笑)。 ――90年代前半からは、いろんなインディー団体が出てきたりもしましたね。 インディーも結構行ってた。IWA  JAPAN旗揚げシリーズの茅ケ崎行ったでしょ、NOWの旗揚げシリーズの茅ケ崎も行ったでしょ、あと、オリエンタルプロレス、湘南プロレス、UNW、PWC、WARも後楽園に1回行った。当時、怨霊とかが第1試合で。天龍VS仲野信市がひでえ試合だったよ。「天龍、殺しちまえー」みたいな怒号が飛んでて。本当に殺すんじゃないかって試合で、仲野の顔面を蹴ったらパコーンって音がして、仲野は鼻から一気に大流血で、鼻が折れてたもん。 ――いろいろ観てるんですね。 俺、冬木(弘道)の講演会かなんかも早稲田大学に見に行ってるもん。その時に抽��が当たって特リンのチケットもらったんだけど、後楽園に行ったらダフ屋に捕まって、チケットむしり取られて1000円渡されたっていう(笑)。ダフ屋がそんなに悪徳だとはまだ知らなかったから。 ――プロレスを観ていない時期はなさそうですね。 新日のドームは毎年行ってるけど、2000年以降はあんまり記憶がないかな。週プロ、ゴングを買わなくなったのが2001年くらいか。友だちの家に転がり込んでから金もなかったし。あとはスポナビとか2chを見たりするくらい。棚橋(弘至)、(中邑)真輔の暗黒期とか、空気も暗黒だったし、自分の熱も低かったから。もちろん、彼らがどういうストーリーをたどってきたかはわかってるんだけど、一つひとつが記憶になくて。この前、真輔VSカート・アングルの試合をYouTubeで観たんだけど、「こんな試合だったっけ?」っていうくらいおぼえてなかった。 ――トピックとしては総合もありましたけど。 俺は格闘技も好きで、最盛期は週プロ、ゴング、ファイト、格通、紙プロを買ってた。K-1の1回目が93年、フジテレビの夢工場とかいうゴールデンウィークの企画の中の一つだった。 ――まったく別の競技として観ていた? うん。やっぱリングスが大きかったかな、プロレスと格闘技のハブという意味では。藤波のファンクラブの人がいろいろプロレスのビデオを回してくれて、その中でリングスを観て。正道会館がトーワ杯に出たりさ。藤原組からも高橋義生と石川雄規が出たり。そこで正道会館勢が猛威を振るって。もっと前だと、全日本キックの武道館大会とかをフジテレビが夜中にやってたの。立嶋(篤志)が成り上がってくる頃の試合だった。 ――UWFは? TBSで特番とかやってたね。俺は、新生UWFは何が面白いのかさっぱりわからなかったけど、プロレスに文句を言うやつにはUWFを観ろって言ってた(笑)。でも、これだったら修斗を観た方がいいなって当時から思ってた。UWFが明確に旧来のプロレスと同じだとは思ってなかったんだけど、暗くて緊迫感がねえなって。だったら、旧UWFの方が情念が感じられて特別感があった。 ――当時UWFが世間的に受けていたことをどのように感じていましたか。 文化人とかに支持されるプロレスだなって。 ――糸井重里とか? 糸井重里とか、クマさん(篠原勝之)とか。プロレスの胡散くささを排除して。「プロレスは八百長じゃねえ!」って言ってる人でも、言い切れないことってあるじゃん。馬場さんの十六文とか、「なんでロープに走るの?」とか。でも、UWFはロープに飛ばないし派手な大技がないから。 ――堕落さんもクラスメイトにそういうことを言われましたか。 そういうのと闘ってた。 ――闘ってた(笑)。 当時のプロレス少年は理論武装をしないと駄目だったの。「あんなの八百長だよ」って言うやつは絶対いるから。それは今でもそうだけど。 ――前田日明にカリスマ性は感じた? 時代のスターだとは思った。ルックスも良かったし、デカいし、借り物��もしれないけど言葉も持っているし。やっぱり、週プロとか格通とかが盛り立てたしね。「プロレスっていう言葉が嫌いな人、この指とまれ」とかさ(笑)。前田は突破者だったよ。でも、実際に試合を観ると面白いとは思えなかった。 ――で、K-1とUFCの始まりが93年。すごいものがでてきたっていう衝撃はありました? すごいものっていうより、プロレスラーが負けたじゃん。だから、プロレスの範疇にある異種格闘技戦を抜け出して、明らかにガチ(競技)で、しかも強いと思われていた(ケン・)シャムロックがあっさり負けたことに、呆然とした感じはあった。しかも、シャムロックが90kg台で、ホイス(・グレイシー)が70kg台だったでしょ。(ジェラルド・)ゴルドーもやられたし。噛みつきも金的もやって負けたからね。当時はリン魂(『リングの魂』)と『SRS』っていう番組があって、あとはなぜかNHKでUFCをやったんだよ。たしかBSかな? 当時はアルティメット大会って言ってた。 ――言ってましたね。UFCが始まっても総合オンリーにならず、プロレスはプロレスで楽しんでいた? うん。藤波辰爾とルチャが好きだから、元々ね。 ――2000年には桜庭(和志)がホイスに勝利しますが、ドームには行きました? 行ってる。その前のドームの高田(延彦)vsホイス(・グレイシー)、のちの船木(誠勝)vsヒクソンも観てる。 ――その頃、格闘技の好きな知人にNOAHの話をして「まだそんなの観てんの?」みたいに言われたことをよくおぼえています。 つうか、二極化したじゃん。NOAHと総合を両方好きって人は、たしかにあまりいなかった。俺は両方観てたけど。 ――当時「プロレスはもういいや」ってなった人は多かったと思うんです。そんな中で堕落さんは、プロレス界の流れを把握しつつ、総合の細かい技術面まで理解してチェックしているのが面白いなって。 自分がやりたかった人間だから。プロレスは体が大きくないとできないし、病気もあったから無理だったけど。格闘技に関しては、病気さえ治れば体のサイズ関係なしにできるじゃん。街で教えてくれるから。住んでいた赤羽って、U-FILE CAMPもGRABAKAもあったから。 ――なるほど。 プロレスも総合も、どっちも構造に興味があるんだよ。何をしたらどうなるのか。定型というか、詰め将棋みたいな。プロレスのロジックと格闘技のロジックって対極かもしれないけど、構造はある意味同じじゃないかな。こうしたらこうなる、こうしたらこう返す、みたいなさ。それが相手を組み伏せるものか、試合を構築するためなのかの違いだけであって、定型はあるから。その定型の積み重ねの破れ目みたいなところがプロレスの醍醐味じゃない? いわゆる不穏試合とか、不穏試合じゃないけど思いがけない展開になってすごい盛り上がって素晴らしい試合になるとか。 ――たとえば? 藤波vs天龍の3戦目とか。藤波と天龍って3回試合をしてるんだけど、じつは全部不細工な試合になってんの。2人とも受けのレスラーでしょ? 必ずいい試合をする名勝負製造機って言われる2人��けど、3戦とも不細工。初戦は唯一藤波が勝ったんだけど、天龍が突っ張りをやったときに藤波の歯で手首を切っちゃって、最後救急車で運ばれたの。2戦目は天龍が勝つんだけど、パワーボムをすごい急角度で落としちゃって3カウント。3戦目は、藤波がドラゴンロケット3連発をやって鼻を折って。藤波は負けたし大流血戦だけど、俺はその3戦目が大好きなの。アクシデントで予定とは違う終わり方になった気がするけど。でも、そのまとめ方がすごいテンポが良くて、やっぱり2人も一流だなって思った。天龍は藤波にドラゴンスリーパーをかけられたときに鼻血がドバーッとついたりして、相当嫌だったと思う。最後は天龍のラリアットで唐突に終わるんだけど、流れがすごくいい。唐突に藤波がトップロープからニードロップをやって、天龍は避けたように見えないんだけど当たってない感じになって、藤波が着地したところにラリアットを浴びせかけて、たぶん「これで終わらせよう」みたいな合意がその瞬間にあったんじゃないかな。 ――今、おもに情報ってどこから仕入れていますか? ネットだよ。スポナビとか。あとは昔の情報なら昭和プロレス掲示板ってところがあって、そこは国際プロレスの話をずっとしてたりするので、たまに追って読んじゃう(笑)。雑誌だったら『G-SPIRITS』は毎号買いたいくらい。この前、(Vol.18を)ちょっと立ち読みしたんだけど、石川が藤波のこと呼び捨てにしてるのはカチンときた。お前より先輩だろって(笑)。 ――また藤波さんだ(笑)。個人的には、同じ号の記事で馳が冬木(弘道)を高く評価しているのが面白かったです。 冬木の評価もわかるんだけど……。冬木vs橋本(真也)がすごい嫌いでさ。冬木が意地を見せた試合なんだけど、橋本がDDTをやって冬木が返して、2回目も返して、3回目でフォール負けっていう、俺が一番嫌いなタイプ。それだったら、1回目で返したあと、あと2連発で勝負を決めろよって。爽快感がない。 ――細かく見てますね(笑)。 あれは冬木が意地悪なのか、もともとそういうふうにやるつもりだったのか知らないけど。時々あるんだよ、そういう試合。藤原(喜明)vsダン・スバーンもそうだったんだけど、あれも酷くて。スバーンは水車落としをフィニッシュにしてたんだけど、同じパターン。1回目は返される、もう1回やって返される、3回目でフォール。 ――確かに爽快感はない。 ほかにもよくあるじゃん、カウント3でギリギリで返したように見えてもゴングが鳴って「今のは入ってないだろう」ってアピールするとか、3カウントで負けた後にすぐにスタスタ帰っちゃう武藤(敬司)とか、長州とか(笑)。ああいうプライドを見せつけるのは駄目だよ。その点、藤波は偉いと思うよ。石川にもちゃんとフォールを取られたし(笑)。藤波と対戦した選手で藤波を悪く言う人はまずいないと思う。 ――「無人島に流れ着いたと思ったら仲間がいた」って言った人もいますしね。 あの日(2017年4月20日ドラディション『藤波辰爾デビュー45周年ツアー』後楽園大会)ね、前田に長州と藤波がつっかかったの。最後にみんなのあいさつが終わってリングを降りるとき、藤波が前田を突き飛ばして、「かかってこい」とかやってさ。長州も「やれよ」みたいになって。3人ともニヤニヤ笑ってるんだけど、前田にそんなことできるの、ほかにいないと思うよ。前田はそういうのに本気で怒るタイプだから。 ――そんな藤波さんの社長時代についてもどう思っているか聞きたいんですけど。 俺、赤プリでやった藤波の社長就任記念パーティーに出席したから(笑)。キラー・カーンと堀辺正史とそれぞれ2ショット写真撮ってる(笑)。司会が生島ヒロシで、チェリッシュとかも来てた。2度とこんなところでパーティーに参加することはないと思った。 ――新日の暗黒期は記憶が薄いって言ってましたけど、ほとんど見てなかったですか? テレビを見なくなってたから、ネットばっかりやってて。深夜に30分だし、アルティメット・クラッシュとかやっちゃってるし(笑)。ちょっと冷めてたね。やっぱり藤波史観だから。社長でほとんど試合してなかったし、2000年に引退カウントダウンも始まったし。トップの座から落ちて、年齢的にもトップに返り咲くことはないような。今の棚橋より上、40代後半だったから。今の棚橋だって、トップに返り咲く感じはしないじゃん。1回くらいIWGPを獲ることはあるかもしれないけど、エースとしてではない。 ――そうですね。 暗黒期といえば……藤波が永田(裕志)に1回も勝ててないっていうのが俺は不満だね。永田と3、4戦はやってるんだよ、G1とかで。1度も勝ってない。永田の実力は認めてるけど、なんか腑に落ちねえなって(笑)。安田(忠夫)に負けた時点でもう駄目だと思った。藤波ってさ、凱旋帰国試合で「アイ・ネバー・ギブ・アップ」ってさ、ガキの頃、ずっと信じてた。実際に藤波はギブアップしなかったし、記録にもほとんどなかったし。だけど、実は普通にしてるんだよね。3本勝負の1本をギブアップで取られたり、海外でNWAインタージュニアを1回獲られるんだけど、その時に4の字でギブアップしてるし。最初に明確にしたのは、G1の橋本戦(1994年8月7日の『G1 CLIMAX』 Bリーグ公式戦)なんだよ。形は腹固めなんだけど、当時の公式発表では逆肩固めとかになってた。俺が明確に見たのはそれ。それってUWFとか総合の影響。関節技が極まったら本当は返せるものではないっていうのが世の中に広まったから、プロレスでもギブアップ決着が多くなった。昔はトップレスラーってあんまりギブアップ負けしなかったよ。両者リングアウトがなくなったのと、ギブアップ負けが多くなったのは、UWFと総合の影響だと思う。決着がつくカタルシスが格闘技にはあって、判定がつくじゃん。ドローもあるけど。最初に総合の影響を受けたのは意外にも全日なんだよ。馬場の鶴の一声で両者リングアウトがなくなって。 ――ああ、たしかに。 当時の雰囲気だと……四天王プロレスをガチだと思っちゃう感覚がすげえなって。俺は思ってなかったけど(笑)。人間って、インパクトにやられるんだなって。いや、実際すごかったよ、四天王プロレス。人間の限界に挑戦していたと思うけど、ガチだと勘違いさせるくらい恐ろしいことをやっていた。相手を殺す気がないけどハンマーで頭をぶん殴る(笑)。「あれは殺しにいってるだろう!」「いや、殺しにいくつもりは全然ない、でも本物のハンマーで力を加減して頭を殴ってる」っていう。 ――そのハンマーが、三沢(光晴)vs小橋(建太)の、三沢が小橋にかけた花道から場外へのタイガースープレックスだったり。 小橋vs秋山(準)の、小橋がやったエプロンからのブレーンバスターもそうだしね。 ――「NOAHだけはガチ」って言葉、当時流行りましたね。 ある意味、ガチな結末になっちゃったじゃん。三沢が亡くなって。 ――今日はそのへんの話も伺いたかったんですけど、リング上におけるレスラーの事があったとき、どうやって自分の中で折り合いをつけていますか? 三沢の死は…93年かな、鶴田が欠場したときの三沢vs川田(利明)の頂上対決。三沢が投げっぱなしジャーマン連発で勝った試合。それを観てから、四天王プロレスは嫌いになった。 ――その理由は? 美しくない。さっき言ったように、DDTを3発やるとして1発1発返していったら美しくないでしょ。1発返されたら2発連続でやってダメ押しするみたいにしないとダラダラした印象になる。それと同じで、危険な技を散発的に出すことに理屈が感じられない。 ――フィニッシャーに説得力が感じられない、と。 説得力でいえば、四天王プロレスの技自体にはあったじゃん。でも、首が折れるんじゃないかって技をなんで何発もやるんだっていう。そうなってくるとタフマン・コンテスト、残酷ショーでしょ。「信頼している人間だからこそ危険技を掛けられる」って言うけど、信頼している人間を殺す寸前までやる必要はないだろうって。四天王プロレスのきっかけって、豊橋でやった小橋vs(スティーブ・)ウィリアムスだと思う。ウィリアムスのバックドロップドライバー、殺人バックドロップが最初に出た試合。あれ当時ね、夜中に全日の中継見てて、解説の百田(光雄)と一緒に思わず「うぉー!」って言ったくらい衝撃的な試合だった。あの試合の小橋はすごい好きなの。すごい表現力があって、バックドロップを食らった後、意識を失うんじゃなくて、ガクガクしながらロープに這っていって逃げ惑うの。ウィリアムスはそこにもう1発バックドロップを食らわせてフォールを取るんだけど、それだったら俺は納得がいく。でも、小橋は散々受けてきたのに自分がやる方になって、それがちょっとげんなりしてさ。後に2chとかで“勝ちブックおじさん”っていわれるんだけど、NOAHでの絶対王者時代、小橋自身がブックを書いていたっていう。しかもあんな危ない技で勝ちまくる小橋、みたいなさ。そこに小橋の魅力はないわけ。確かにあの頃の小橋もすごかったし、小橋のことは認めてるんだけど、四天王プロレスは嫌いなの。小橋はミスター・プロレスだと思うし。スタイル自体は違うけど、小橋は藤波とキャラクター的には同系統だと思う。2人とも生粋のベビーフェイスで、ヒールだったことが1度もない。藤波はメキシコでルードになったこともあるんだけど、ものすごく非難をされた時期がないじゃん。で、2人とも生粋のプロレスファン上がりのレスラーじゃん。格闘技の実績があったわけじゃなくて、入団当初期待されていたわけでもなかったのに、練習熱心で身体をつくって、努力で上がっ��と。レスリングのスタイルとしては、藤波から受け取ったのは武藤、棚橋、SANADA。それってじつは、猪木とは違う系統。 ――今言った藤波さんに連なる系譜は同感ですけど、小橋と同系統っていう解釈は新鮮に感じます。 俺は今の新日は面白いと思うんだよな。藤波がすごい棚橋批判をしているらしいんだけど、それは乗れない。いくら生粋の藤波ファンとはいえ。WWEっぽさとかが駄目なようだけど。 ――僕はWWEをちゃんと観ていなんですけど、やっぱり近づいてきてますか? フィニッシャーを大事にするところとかね。フィニッシャーを決めて、そこ���ら逆をたどって試合をかっちりつくってる。さっき言った破れ目が試合に全然ない感じ。アクシデント性、アドリブ性は昔に比べてなくなったなあって。昔はいわゆる基本的なチェーンレスリング、こう来たらこう返すっていう型がいくつもあるんだけど、その組み合わせ自体は完璧に決めないでお互いのアドリブ感覚で試合をつくっていくっていうのがあったっぽいんだけど、今はかなりきっちりつくられている。 ――いつくらいからですかね? 2010年前後? そのくらいじゃないかな。2000年代半ばはちゃんと観てないんだけど、あの頃は「しょっぱいな」って試合が多かったから、移行期だったのか、まだだったのかって感じ。少なくとも2012年には今のスタイルになってた、レインメーカーショックは完全にWWEのスタイルの流れを汲んでいると思う。そうそう、俺、オカダ(・カズチカ)の凱旋試合観て、「アメプロのテレビマッチだな」ってツイートしてるの。いわゆるスカッシュマッチっていうんだけど、見せ場もほとんどなしに終わらせる試合。一応、相手のYOSHI-HASHIの凱旋試合でもあるのに、波もなくあっさり終わったの。勝った方と負けた方で明確に格の差があるのが、向こうの試合っぽいなって当時思った。そうしたら今の流れになったから、あながち間違ってなかったなって。 ――新日が盛り返したのは本当にうれしいです。 ただね、けが人が多すぎる。 ――最近だと、柴田ですね。 まだオカダ戦も観てないんだよね。観れない。別に凄惨な試合じゃないってのはわかってるんだけど。 ――僕はリアルタイムで観ましたが、すごくいい試合でした。 想像はつくんだよね。今の対立軸としても最高のふたりだったし。ものすごくもったいないし惜しいけど、ある意味では最高の終わり方かなって気もする。問題は本人がどう思っているか。ありがちなのは、会社は止めるけど本人がやりたがるとかさ。ただ、彼との試合で過去にひとり亡くなっていることは考えてほしいと思う。あまりいい言い方はではないけど、すごい因果だよね。でも、それはそれでそういうストーリーとして受け止めるしかない。 ――僕自身は、ああいうことが起こるたびに「このまま観ていてもいいのかな」って自問するんですけど、結局、いつも忘れて流されちゃってるんですよね。 俺が最初に通ったリング禍は、プラム麻里子。尾崎魔弓のライガーボムだけど、写真を見る限りはきれいに受け身も取ってる。脳の障害は慢性的なものもあるだろうし、人間の体って紙一重で助かるケースも多いと思うの。とくに脳はね。たとえば、棚の下を掃除してて、棚があることを忘れて頭を上げた瞬間にぶつけるっていう……日常でよくあるドジ。でもそんなことで死んだ人だって世の中にいるから。脳なんて水に豆腐を浮かべてるようなもんだし。ちょっとした角度とか、寝不足だったとか風邪気味だったとかで、人間は死んだり再起不能になったりするんだろうなって。首とか背骨もそうだけど。だから、どうすればいいって言いきれないんだけど、なるべくそのリスクを軽減されていることが平常であるべきだとは思う。だから、「危険技がどうのこうの言ったらプロレス見れねえ」っていうけども、できるはずだから。それでも事故は起きるよ。でも、確率を減らすことはできるはずだから。危険技があれば面白くて感動するものではないってことは、もうわかってるはずだから。だったら、減らすべきだろうし。そういうのを徹底した上で、どうしてもそういう技を入れたいっていう時にやったら、それはそれでインパクトがすごいだろうし、温存することにもなるから。料理にたとえたら、激辛のハラペーニョを500g入れたラーメンとすごく繊細な出汁をとったまろやかなラーメン、どっちが旨い?って話で。(前者は)刺激はあるけど、(後者を取るのが)人間の英知でしょって。それは何だってそうだけど。 ――ケニー(・オメガ)なんかは試合によってそのへんをうまく使い分けているように感じます。 ただね、(2017年の)1.4の雪崩式ドラゴンはやり過ぎだと思う。あれはさすがに……。オカダもよく大丈夫だったと思うもん。ジャーマンだと胴体を持つから相手の可動域も広くて途中で回転しやすいけど。ドラゴンって、本当に勢いつければ支点がてっぺんの方にあるからうまく体が回るはずなんだけど、首は固定されたら何もできない場所だから、中途半端に落ちる可能性がものすごく高い。ジャーマンをかけられた方が途中で切り返すときって、かける方は必ず相手の胸の方をグリップしてる。ドラゴンは首を固定しているから本当に危ないんだよ。 ――堕落さんがこの前ツイートしていたみたいに、藤原、(ザ・グレート・)カブキレベルになれば、リングに立っているだけでいいわけですもんね。 妖気漂う爺さんが隈取をしてね。首が曲がっちゃってて、言い方は悪いけど背虫男みたいになってるけど、逆にそれが不気味さを醸し出してる。藤原も胃がんをやって、体なんかダルダルになっているけど、藤原なわけじゃん。そのふたりが何もせず睨み合っているだけで成立する。ふたりの歴史もあるし。そういうものを使って見せるのがプロレスだと思う。だから、棚橋とオカダは正しいんだよね。レベルが高いし、危険技をほとんど使わずにあれだけテンションを保って、毎回アレンジを加えて名勝負をしているんだから。一昨年(2015年)のドーム、オカダが試合後に泣いた試合、あれは最高のアクセント。危ない技も派手な技も派手な仕掛けもなく、ただ泣いただけ。でも、あのオカダが泣いたから、ストーリーが翌年につながって。 ――オカダに一つだけ注文をつけるとすれば、マイクやバックステージのコメントで「この野郎」って言うのは似合わないからやめ��ほしいなって(笑)。 うん、慇懃無礼かつ愛されキャラでいいと思う。最近、地方では子どもにマイク振ってるみたいだよ。「なぜだかわかる?」って振って、「レベルが違うよ」って言わせてる。それでいいと思う。だって、どう考えても愛されキャラだから。ちょっと悪ぶっている気のいい兄ちゃん。 ――プロレスと言えば、テーマ曲も大切ですよね。好き選手のテーマ曲以外で、この曲を聴くとブチ上がる、みたいなものはありますか? 俺も基本的にオリジナルが欲しくて、一曲のためにアルバムを買うタイプだったから、「IRONMAN」が欲しくてブラック・サバスを買ったり(笑)。あと、ヘルレイザーズが出てきたときは、オジー・オズボーンのアルバムも買ったし。藤原の「ワルキューレの騎行」とか。「スーパーファイターズテーマ集」とか買ったけど、納得いかなくて、藤波の「ライジング」って曲――飛龍革命をやっていたころに使っていた――悲壮感があって、「ドラゴンスープレックスより合っていたと思うけど、オリジナルはビクターレコードから出てて。だけど、キングとビクターって、お互いにオリジナル原盤を持っていない方が必ずカバーを出すの。ほかのレコード会社が出した「ライジング」は、あきらかに音が違うわけ。ちゃんとしたスタッフがいる団体はそれを使わないはずなんだけど、DRAGON GATEに藤波が出た時にはそれが使ってやがって。ビクターから2回出てるんだけど、1回は橋本、蝶野(正洋)、藤波のテーマでミニアルバムが出て。その時に、藤波のテーマのあとにエピローグとして音が入っていたんだけど、表記が「ライジング~エピローグ」で。そうなると、知らないやつが曲名をそれだと思ってて、藤波のテーマ曲が「ライジング~エピローグ」って表記されてたりする。許せない、それは(笑)。あと、(グレート・)ムタのテーマ曲は、プロトタイプバージョンと音源バージョンだと全然違う。 ――知りませんでした(笑)。 会場使用がプロトタイプで、試作品をずっと使ってたのに、商品にする際に新録してるから、「会場でかかっているのと違うな」って思ったら、やっぱり違った。 ――やっぱり細かい(笑)。個人的にこれを聴くとテンションが上がるっていう曲はありますか? スタン・ハンセンの「サンライズ」かなあ。でもね、俺、UWFが嫌いだったのに、田村(潔司)がKOKトーナメントでヘンゾ(・グレイシー)とやったときだけ特別に使った『U.W.F.プロレス・メインテーマ』は良かった! 別に山ちゃん(山崎一夫)が使っててもそんなに気にならないのに(笑)。田村がついにグレイシー狩りに行ったとき、「ヒクソンより強いかもしれない!」と言われていたヘンゾと1回戦であたったんだけど、リングアナが「田村潔司選手の入場です!」って言った後に、数秒の間を置いてあの曲がかかったら、会場が「ウォー」ってなって、実況も「オオー!」とか言って(笑)。「Uを背負ってやる」って姿勢に瞬時に感動したわけだよね。 ――田村も面白い選手ですよね。UWFインターのときのドームに出なかったことも含め。 田村は本当にいいプロレスラーだと思う。自分でストーリーなりフックなりをつくるし。 ――プロレスラーは愛すべき個性を持っている人が多いですけど、いろいろな逸話を楽しんだりするのも好きですか。 嫌いじゃないけど、社会運動にかかわって、いろんなコード(規範)みたいなものをより意識するようになって。それと照らし合わせると、「あり」とは言えないものも多々ある。過去のシゴキの話とかも、昔は笑っていた気がするんだけど、今は「駄目でしょ」って思うし。 ――僕も以前は好きだったんですけど、今だったら駄目だよね、と思うことが増えています。たとえば、以前の新日の巡業でレスラーが女風呂を覗いていたっていうのも、もちろんナシでしょうし。 ホモソーシャルな中で笑い話にはできるかもしれないけど、表向きは絶対できないよね。 ――レスラーの政治志向なんかも気になりませんか? たとえば、ハンセンは(ドナルド・)トランプに投票したんだな、とか。 そうそうそう。でも、それはそうだろうなとしか思わなかったよ。 ――テキサス出身だったらトランプなのかな、とは思いましたけど。 俺も気になって調べた。レスラーとか格闘家って基本的には保守的な連中だと思っているから、その中でリベラルっぽい人をチェックしたの。俺は英語が苦手だから自動翻訳だとわかりにくかったんだけど、ジョシュ(・バーネット)は左派を揶揄してるように見えるツイートをしてた。今も付き合ってるか知らないけれど、白人のジョシュはアフロアメリカンの格闘家の彼女がいたし、リベラルな人なのかなって思ってたんだけど、そうでもなかったのかな。 ――そういう情報まで含めて細かいところまでチェックされて、そこからさらに深く考えてますよね。僕自身は、後楽園とかに行って、半裸の男女がプライドをかけて闘っているのを見るだけで「プロレスいいなー」って思っちゃう単純さだから、余計にそう思います。 いま「半裸」って言葉が出たけど、セックスワーカーの話にもつながるよね。仲の良いゲイの人が過去にウリをやっていて、その時の思ったことを著書(ハスラー・アキラ『売男日記』)につづっていたの。それを読むと、セックスワークにおける充実感とかがつづられていたりするわけ。俺は昔からセックスワーク、セックスワーカーが大嫌いで、蔑んでいたの。自分でも絶対利用したくないって思ってた。けど、いろいろな情報を得たり、そういう人たちと出会って、だいぶ考えが変わって。「あ、これはありだな」って思った。いわゆる売春自体が、人類最古の商売っていわれるくらい根源的なものとしてあるでしょ? あと、なぜ嫌悪するのかっていうところを突き詰めて考えると、性的なプライド、尊厳、肉体的なきつさを金にしていいのかっていうのがあると思うんだけど、いざ、自分が日雇い肉体労働派遣仕事しかできないような状況のときに、病気で体力もないのに現場派遣に行って、40kgあるガラを一輪車に乗せてダンプを駆け上がってっていうのを一晩中やらされて、死にそうになってしゃがみ込んでいたら、俺より明らかに若いアンちゃんに「てめえ、何さぼってんだよ」って言われたときに、肉体的にも死にそうになって、プライドもズタズタにされて、それで一万円も稼げないわけ。その時のことを思い返して考えたの。肉体労働とセックスワークは何が違うのかって。セックスワークは、いいお客さんに当たったら、相手を気持ち良くしてそれなりにお金をもらって、もしかしたら自分も気持ちいいかもしれない。だったら、それは素晴らしいことでしょ? もちろん現実はそんな理想的ではないだろうし、ゲイの人のとヘテロ男性向けの女性のとで事情も違うだろうけど。誰も損しなければね。搾取で行ったら、一般の肉体労働派遣の方が酷いこともあるし。だとしたら、その二つにどんな違いがあるのか、どっちが蔑まれるべきものなのか。そういうことを突き詰めたらね。もちろん、無理やりやらされてたり、酷い扱いをされるとかだったら駄目だけど、その存在自体は否定されるべきではないんじゃないかなっていうことをここ数年で思った。でも、世間的には未だに賤業なわけじゃん。それってプロレスと同じなんだよ。 ――なるほど。 プロレスってこんな熱く何時間も語れてさ、一緒に観に行けば「うわー!」って叫べて、生きる糧にもなってるわけじゃん。でも、やっぱりバカにされる。「いい年したおっさんが裸になって八百長やって何がいいんだ?」って扱いをされるわけじゃん。実際レスラーは身体ボロボロにしながら夢を売ってるのに。 ――今後もずっとプロレスは見ていこうと思っていますか。 ほかに趣味がないんだよね。映画も観ないし、本も読まないし、音楽も全然知らないし。漫画もアニメもゲームも……ゲームはスマホで野球のゲームをやるくらい。最近、ツイッターもプロレスのツイートばっかりしてるもん(笑)。 取材日:2017年4月下旬 取材・文:チリドックYT イラスト:鈴木侑馬
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2018baseballopening · 7 years ago
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【MLB】2018開季10大焦點賽事組合(上)
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文/陳夏天
什麼!Yahoo TV要播大聯盟啦?2018全新賽季MLB美國職棒大聯盟一週有5場精選賽事可以在Yahoo TV上零時差同步收看!其中有哪些賽事是您絕不能錯過、沒看到絕對會怨嘆的精采好戲,就讓我們來報給你知~
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道奇VS巨人 (3/30-4/2、4/28-30、5/16-18、8/14-16、9/29-10-1)
今年大聯盟30支球隊都將在3月30日這天進行球季首戰,所有球隊同日開賽也寫下聯盟半世紀以來第1次;對於球迷而言亦是甜蜜煩惱,在各隊交戰皆有不同看點的情況下實在難以割捨任一場次,但若要選出其中煙硝味最重的對決,肯定當屬國聯世仇道奇與巨人的相互廝殺。!
去年巨人不支倒地,讓兩軍對峙總少了些甚麼;然而,季後亟欲重振雄風的巨人軍,不惜重本補強,透過交易盤來光芒、海盜不動看板Evan Longoria和Andrew McCutchen,為去年乏力打線注入強心針,並再次成為對頭道奇想要笑傲西區王座的一大威脅,此外,除上述看點,開幕戰兩隊亦分別推派Clayton Kershaw、Madison Bumgarner兩位神獸級王牌交鋒,更讓彼此對戰成了球迷絕不容錯過的經典好戲!
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天使VS運動家 (3/30-4/1)
儘管兩隊實力懸殊,但雙方首次交手卻是萬眾矚目;原因無他,因為各界所引頸期盼的「超級大物」大谷翔平將有機會在此系列賽銜命先發;肇因於季前天使早已宣佈大谷翔平的角色定位為2號輪值投手,因此按照賽程推算、3/31日即有可能就是其初次登板先發身份的日子;即便若是天使最終仍決定將這份期待留給自家主場球迷,那也無妨,3/30日依然有機會可以看見這名同樣兼具打者身份的二刀流少年,拎著棒子用打擊來自我介紹!
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小熊VS釀酒人 (4/6-4/9、4/27-30、6/12-14、9/4-6、9/11-13)
國聯中區雙雄去年爭得難分難解,不僅王位時常互異、兩軍對戰亦同樣是激烈五五波,儘管最後釀酒人仍因經驗上的不足而敗於小熊,但酒鬼軍團並不失志,季末先是灑下重金網羅金手套級外野手Lorenzo Cain 構築堅實外野天險,更在馬林魚分崩離析之際趁勢搶下全方位砲手Christian Yelich,整體打線、防守因此迅即升級,與小熊一拚的決心不言可喻。
然而,由Theo Epstein所掌舵的小熊也絕非省油的燈,不僅簽下洛磯主力先發Tyler Chatwood、更出乎眾人意料大手筆買進日籍強投達比修有組建超豪華輪值,兩隊陣容皆大幅度升級,今年交戰勢必將比去年來的更加精采可期!
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洋基VS紅襪 (4/11-13、5/9-11、6/30-7/2、8/3-6、9/29-10/1)
說到必看賽事怎能忘記棒壇最大世仇洋基與紅襪這組怨偶相較勁,兩軍對峙光是在歷史、文化、球迷上就話題十足,今年亦不約而同替攻擊端添購頂級砲手,洋基補上了國聯全壘打王Giancarlo Stanton、將和隊上美聯全壘打王Aaron Judge組成恐怖雙拳,而紅襪則是買進今年市場最大咖打者J.D. Martinez,彼此在一番補強下,誰能奪下美東王座已沒人說得準,每一次對戰都將牽動著每一位基襪球迷神經! 
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洋基VS馬林魚 (4/16-17)
最終得償所願離開馬林魚的Giancarlo Stanton,對於前東家的怨氣無疑是這組賽事最大焦點;過往Giancarlo Stanton身為魚群領袖累積無數功勳,然卻也因前老闆羅瑞亞樽節開支的經營手法始終未能品嚐季後賽滋味;孰料,換上新老闆Jeter,情況不僅未見改善、整隊甚至得面臨拆解重組命運,這也讓Giancarlo Stanton終於忍無可忍,在季後立馬高喊賣我言論,最終亦如願來到常勝軍洋基;饒是如此,春訓時仍不時可聽見其對於前東家的怨言,而無巧不巧,今年跨聯盟賽事正好有安排洋基對決馬林魚組合,相信這名憤怒力量可��擬浩克的怪力男,早已蓄勢待發在這兩場比賽中狠狠炸裂前東家!
(下篇點這邊)
【燃燒棒球魂!MLB鎖定Yahoo TV!】
2018全新賽季 美國職棒大聯盟
敬請鎖定 MLB直播頻道
3/30 巨人@道奇 上午7:00 準時開戰
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meitukong · 7 years ago
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曾經很恩愛離婚時卻對薄公堂的七對明星,最後一對兩敗俱傷
文 / 一牀情書
12 月 8 日,何潔赫子銘離婚官司引起網友關註,曾有消息稱何潔希望男方淨身出戶,不過何潔立即發文辟謠,稱 ” 孩子我養,從未要求男方淨身出戶。”
據一牀情書了解,何潔和赫子銘 2013 年 8 月領證結婚,先後誕下一子一女,夫妻倆曾多次在公眾場合秀恩愛,錄制某真人秀時赫子銘更一口一個 ” 我媳婦 “,肉麻指數令人羨慕嫉妒恨。
2016 年 12 月,兩人宣告離婚,原因眾說紛紜,隨後因為財產分割和子女撫養問題協議離婚不成而對薄公堂。
娛樂圈有些明星婚內曾人前人後秀恩愛,一旦離婚卻翻臉不認人,更因財產分割或子女撫養等問題對薄公堂,令外界一片嘩然。下面一牀情書便來扒扒曾經很恩愛離婚時卻對薄公堂的七對明星。
孫楠 VS 買紅妹
孫楠和買紅妹曾是娛樂圈的糢範夫妻,婚後買紅妹一度放棄自己的事業相夫教子數年,然而再恩愛的夫妻也難抵聚少離多和第三者插足。
09 年疑因孫楠移情女主播潘蔚導致婚姻破裂,離婚時為了子女撫養權鬧上法庭,買紅妹在錄制某節目時曾哭訴失婚後一度自殺,卻被孫楠指責她博同情 …
賈靜雯 VS 孫志浩
因為愛情,賈靜雯於 2005 年 6 月未婚生下女兒梧桐妹,同年 12 月跟富二代孫志浩在美國正式結婚,婚後兩人曾有過一段甜蜜時光,最終因為沒有太多共同語言,加上婆婆嫌棄刁難,導致 2010 年婚姻破局。
離婚時夫妻倆不顧情面大打口水戰,互揭對方的黑历史,同時為了爭奪女兒梧桐妹的撫養權對薄公堂,最終法院裁定梧桐妹監護權由雙方共同監護。
王寶強 VS 馬蓉
王寶強和馬蓉結婚曾令無數草根羨慕不已,婚後兩人頻頻在公眾場合秀恩愛,尤其是在戛納紅毯上的那深情一吻更是驚艷國際,可惜相愛容易相守難,為了私欲,馬蓉背叛了王寶強。
2016 年 8 月 14 日,王寶強在微博憤怒的宣告馬蓉婚內不忠,跟經紀人宋喆關系不正常,隨後更將馬蓉訴上法庭,要求解除雙方婚姻關系,判令一對子女均由其撫養,目前官司尚未裁決。
趙雅芝 VS 黃漢偉
據一牀情書了解,不老女神趙雅芝也曾經历過一段失敗的婚姻,1975 年,剛剛踏入演藝圈的趙雅芝跟醫生男友黃漢偉結婚,婚後生了兩個兒子。
無奈因為夫妻倆沒什麼共同語言,最終在 1982 年離婚,離婚時為了兩個兒子的撫養權,二人鬧上法庭,該事件當時曾轟動整個香港。
李賽鳳 VS 羅啓仁
李賽鳳曾是紅極一時的女打星,2001 年嫁給香港富商、動作舞台劇之父羅啓仁後淡出演藝圈,之後跟丈夫一起從事舞蹈教育培訓工作。
好景不長,因聚少離多,夫妻感情出現裂痕,李賽鳳更被指移情幹兒子宗天意,羅啓仁為此發布離婚聲明,並將李賽鳳訴上法庭,要求解除婚姻關系。
董潔 VS 潘粵明
董潔和潘粵明是最令人心疼的一對離婚夫妻,曾經的他們是娛樂圈的糢範夫妻,用 ” 金童玉女 ” 形容毫不為過,他們倆因戲結緣,08 年低調結婚,婚後生下兒子。
遺憾的是幸福婚姻在 2012 年畫上句點,董潔方面大肆指責潘粵明的種種不是,甚至揭露其隱私,令外界眼鏡跌碎一地,潘粵明因此形象大跌,事業步入低穀。
迫於壓力,潘粵明將董潔及其經紀人告上法庭,雖然贏得官司,但因媒體先入為主,他的形象和事業均無法逆轉,一度沒戲可拍,直到今年 8 月才因網劇《白夜追蹤》逆襲。
而董潔也因為被拍到與男星王大治的私密照毀掉星路,即便如今已經複出,但是人氣和口碑不及以往。
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akechi-tabun · 7 years ago
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英霊剣豪七番勝負・六番~最終
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続・メモ。 今回は終盤の感想込みなので、シナリオ中のスクショもあります。 ふつうにネタバレ注意で。
今回のストーリー、一言で言うなら、面白かった!
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キャスター・リンボ戦。 サーヴァント戦ではないので、苦労はありませんでしたかね。
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というか、ファラオと騎ん時が強いのであった。 リンボの真名あれこれは、「ええー? ほんとにござるかぁ?」というレベルでしたかね。お前、あの時晴明のこと「やつ」って言ってただろと。 というか、最初姿を見た時、どこのジョーカー様かと。似てない? 似てないか。
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スクショをミスっている……! この日は接続が非常に不安定で、他にもスクショをし損ねました。 しかし、セイバー・エンピレオは途中まで男武蔵だと思っていたのですが……。武蔵vs武蔵見たかったなあ。 というわけで、勝負、七番目。
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宿業両断! カコイイー! 但馬守さんの宝具もめちゃくちゃカッコよかったので、普通に欲しいのですが、後述の事件もあって、現在どこで回せばいいのか大変迷っています。 今回の実装鯖みんな好きなんで、とりあえず桜ちゃんはごめんやで……。
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トリスタン・マーリンサポートで、アタッカーがオリオン・デミヤです。 トリスタンとマーリンが落ちてからダビデもいい仕事してくれました。 但馬守様に差し向けられるほど強くなくてごめんよ、武蔵ちゃん……。
但馬守さんつよかった……。あと宝具かっこよかった……。 良い機会なんで、オリオンのスキルレベルを気持ち程度に上げてあります。 やっぱりすっかり忘れていたのですが、オリオンとデミヤの宝具って相手のNP減らす(確率)んですね! 便利だった!(雑)
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この辺りから、武蔵ちゃんのイケメン度が天元突破するんじゃ……。
 
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抑止力と世界を乱す者。士郎vs四郎。おいおい、抑止力さん仕事しすぎだろ。控えめに言って、とても好き。 ところで、絵のタイプの所為か、天草はあまり士郎のそっくりさんに見えてません。どっちでもいいから……! どっちでもいいから、士郎と天草並べて描いてくれないかなあ……! 閑話休題。
妖術師、森じゃねーのかよ! 天草かよ! 笑うわ! と思いきや、ちっとも笑えねえ!! 復讐者になった天草がルーラー時と比べてあんまりにもガッカリで、ええ~? と思っていたのですが、アヴェンジャーのクラスマークを見て、ああ、違うなと。ルーラーの天草がヤバいんですね、これ。 憤怒の炎を抱いている天草はあんまりにも人間らしい。あれだけの地獄に塗り替えられては、そりゃああれだけ怒り狂うのも当然というものです。それに比べて、ルーラーの天草ァ! 自分たちを滅ぼした人間たちをも含めて「人類救済」を求めるんだから恐ろしい。なにきみ、聖人なの?
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はい、カッコイイー。和風アレンジEMIYAとか卑怯が過ぎる。サウンドプレイヤーにい入ってないんだけど、どゆこと??? まぢかっこょすぎなんだけど???(混乱) これで、杉山さんの声入ってないんだからズルいよなあ。超聞きたいじゃないか。 しかもプレイアブルじゃないっていうね!!!! 楽しみにしてたんだけどなあ!!!! どこでガチャ回せばいいのかなああああ!!!!! 今回結構良い鯖多いけどおおおおおお!!!!!! 大丈夫大丈夫、FGO次元は暗に「なんでも召喚できるよ、おっけー☆」って理解してるから、設定とか気にしない気にしない。サーヴァントに関しては。 だから武田信玄とかどうですかね駄目ですかね信玄公と共に戦いたいです。
閑話休題。何の話をしていたんだっけ? はい、士郎くんかっこいいです。ええ。 村正さん、ほんといいお爺ちゃんだったなあ。言われてみて、「強迫観念に突き動かされて生きている」「頑固」という点が一緒だったんだなと。 若いのに爺呼ばわりくらいしか思いつきませんでした。……ほんと、もっと見たいなあ!
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というわけで、天草討伐メンバー。見事に(宝具が)真っ青。 手抜きですが、いや、天草の宝具に強化解除が付いていたことを忘れていた。 スクショ撮り逃してしまいましたが、ヴラド公で止めを刺しました。apoのうらみー!的な。 化け物という点で、ちょっと意趣返しじみた感じになったので、楽しかったです。
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それでもって、最終戦。
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宿命の対決がラストとは熱い。 ところでこれ、接続があれでこれした関係で、カルデア戦闘服で挑む羽目になったんですよね……。勝てたからいいけどさ……。
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そういうわけで、無事一切完勝。
いやあ、本当に今回は面白かったなあ。シナリオ自体面白かったのですが、かっこよさがあちこちで見られたのも大きいです。 武蔵ちゃん関係なんかは文章上でも画でも良かったので、文句なしです。 シナリオ構成も良かったんじゃないでしょうか? 駆け足気味に感じますが、今回敵サーヴァントが多いので、スピード的にはこれくらいで丁度良いかと。確かに、それぞれ掘り下げ欲しいところではあるのですが、そこは幕間を長々待つのです……。もしくはさっさとイベントに取り上げていただければ。
不満と言えば、主人公の選択肢ですかね。ただの文章の前後で二つに分ける必要なかったんじゃないだろうか。そこにもやもやしました。だったら、一つに統合して欲しかったなあ。
ついでに巌窟王。 もはや彼氏面を通り越して、旦那ではないかと……。思うくらい要所要所で仕事していて……。お前……。 嫌いじゃないわ!!
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hoshi4-blog · 7 years ago
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'病院船'カン・ミンヒョク・ハ・ジウォン・李ソウォン、本格的に三角関係の始め(総合)
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ハ・ジウォンとカン・ミンヒョクの愛が連結されことができるだろうか。 27日午後10時に放送されたMBC'病院船'ではハ・ジウォン、カン・ミンヒョク、李ソウォンの三角関係が深刻化した姿が描かれた。 ソンウンジェ(ハ・ジウォン分)を向けたグヮクヒョン(カン・ミンヒョク分)の心に障害が生じた。金在杰(李ソウォン分)はグヮクヒョン(カン・ミンヒョク分)にソンウンジェ(ハ・ジウォン分)を奪う可能性もあることを警告した。 また、崔瑩は(ワンジウォン分)は"お兄さんが上手だったら死ななかった。ソンウンジェ先生がそんなに考えることと。お兄さんなら愛がいい?母が殺されるのを手助けした医師らして"と釘を刺した。 グヮクヒョン(カン・ミンヒョク分)はソンウンジェに"基、私を追い出そうとする理由は何か。私が先生お母さんを守ることができなくて?"ラ聞き、ソンウンジェは"当たり前じゃないか。郭先生が私なら、恨んではいない自信あるか"、がさつにした。"郭先生が私なら、恨んではいない自信あるか"はソンウンジェの言葉を思い出したグヮクヒョンは苦しんだ。 一方、ソンウンジェ、グヮクヒョン、金在杰は外科、内科、漢方医学の力を合わせて手術を開始した。患者の状態を確認したグヮクヒョンを手術をすることも危険だろうと判断したが、一方、ソンウンジェはどうしても生かす方法があると主張した。 唾液を通じた麻酔専攻だったという金在杰は"患者に被害がないだろう"とし、麻酔方法を自負した。以後、三人は、患者の手術を成功的に終えた。 以降ソンウンジェが鼻血を流すことを発見した金在杰は"まだ一日も休まないなかった。ちょうど15分だけ休みなさいと"てマッサージ機に連れて行った。グヮクヒョンはこれを発見した後、さびしそうな表情を浮かべた。 グヮクヒョンはグヮクソン(チョンインキ方)に"ソンウンジェ先生は私にいつも父を連れて来てくれたんですが,私はその人からオムマル奪ってしまった。それでも放棄がならない。放棄することができない"と話した。これにグヮクソンウン"絶対諦めてはならない。諦める瞬間の意思がない"と伝えた。 グヮクヒョンを好きな崔瑩ははソンウンジェを会って大病院に転職する気持ちがあることを聞いた。崔瑩はは"グヮクヒョンを好きか"と聞き、ソンウンジェは"好きだ。愛に関心がない人なのを幸いと考えなさい"、崔瑩はの提案を拒絶した。家に帰るソンウンジェはニュースを通じ、弟と妹の事故のニュースを接するようになった。
http://m.entertain.naver.com/read?oid=112&aid=0002961170
「病院船」ハ・ジウォン、王サポートに「カン・ミンヒョク好き "告白[総合]
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ハ・ジウォンの恋心はカン・ミンヒョクに向かっていた。 27日に放送されたMBC「病院船」ではチェ作家(王サポート)にグァクヒョン(カン・ミンヒョク)に向けた心を伝えるウンジェ(ハ・ジウォン)の姿が描かれた。 ウンジェはジェジュン(チョ・ソンハ)の借金のために私債業者に苦しんでいる状況。弟に生活費をボテヌンも彼の分け前や分別のないジェジュンは"借金の催促より四姉がより怖い」と露骨に態度を見せた。 結局、ウンジェは眠る間もなく強行軍を続けなけれし、患者を面倒を見中鼻血を割りに至った。 再ホックそんなウンジェを休憩室に導けば、ウンジェはそのまま眠りに入った。再歩いたようなウンジェを素敵な目つきで眺める様子。これを見守るグァクヒョンの口当たりは書いた。 グァクヒョンはヘジョン(チャ・ファヨン)の問題でウンジェに近づくことができない状況。グァクソン(ジョンインギ)を前にしてグァクヒョンは「ソング先生は私に家族をプレゼントくれたが、私はその人から大切な人を奪ってしまいましたね。それでもあきらめていない」と切なる心を吐き出した。 続いてグァクヒョンは、医師であれば、あきらめない、という郭性アドバイスに基づいてウンジェにデートの申請をしたが、ウンジェは重要な先約があると彼をプッシュした。 ウンジェの先約相手はすぐに最作家(王サポート)だ。この席でチェ作家はメジャー病院外科医をお勧めし」号ではない。これやのためにする���です。ああ、ウィンウィンなのか」と暗に述べた。 憤慨するウンジェにチェ作家は「病院船に残りたいのですか、兄の隣にナムゲトダは言わない?答えて見てください。私の兄が好き?」と尋ねた。これウンジェは「そうです。私の愛とことに関心のない人だということを幸いに思います」とグァクヒョンに向けた心を伝えた。
http://m.entertain.naver.com/read?oid=213&aid=0000990462
「病院船」カン・ミンヒョク、ハ・ジウォン向け以西ウォン優しさ」嫉妬」
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「病院船」、カン・ミンヒョクが深い感情演技で視聴者たちの耳目を集中させた。 27日午後放送されたMBC水木ドラマ「病院船」(脚本ユン・ソンジュ、演出パク・ジェボム)は親しいソンウンジェ(ハ・ジウォン)と金在杰(以西ウォン)の姿を見て嫉妬をするグァクヒョン(カン・ミンヒョク)の姿が描かれた。 この日ソング材手術強行軍のために、体力的に疲れた状態だった。これを見た金在杰はソンウンジェを連れてマッサージ椅子に座りヒミョリラックスとした。 桁に座るやいなや眠っソング材姿を優しく見守っていた金在杰。これらの二人を遠くから見グァクヒョンは苦い表情を浮かべて振り返っ足を運んだ。 グァクヒョンは車に乗って移動して、父グァクソン(ジョンインギ)に到着した。塗らソンウンジェに向けた心が放棄がならないと打ち明けた。 この場面でカン・ミンヒョクは深い感情と表情演技で、見る人の切なさを催した。ハ・ジウォン、イウォンの関係を見て嫉妬をするカン・ミンヒョクがどんな歩みを見える毎回疑問が高まっている。
http://www.joongdo.co.kr/main/view.php?key=20170927002254529
「病院船」カン・ミンヒョクvsイウォン... ハ・ジウォン、また家族を失うか(総合)
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「病院船」ハ・ジウォンが、家族を失う危機に置かれた。 27日放送されたMBC水木ドラマ「病院船「17回・18回では、金在杰(イウォン分)がソンウンジェ(ハ・ジウォン)に好きな気持ちを表現する姿が描かれた。 この日金在杰はグァクヒョン(カン・ミンヒョク)に「お前ソンウンジェどのように良いのか。好きなら看守よくやるなあ。私は奪ったくなることもあるから」と宣言した。チャジュンヨウン(キム・インシク)はクァク県金在杰の間で戸惑いを隠せず、「三角関係?ソンウンジェ先生どのように」と尋ねた。 金在杰は「言うことをよくしなさい。ぐる集まっ私に奪われる」と宣戦布告し、グァクヒョンは「ないのに急になぜイロニャ私も理由やちょっと知ろう」と尋ねた。金在杰は「サルシンソンイン。ソング灰私の母の命の恩人でないか。武林で恵みを命に返すもん。だから君ソンウンジェ目で涙が出ると、私の涙で血の涙こんこんと私ソンウンジェ必ず私受け付けない」と警告した。 さらに、チェヨウンウン(王サポート)は、ソング材母オヒェジョン(チャ・ファヨン)を最後に診療した医師がグァクヒョンという事実を知った。チェヨウンウンはグァクヒョンにオヒェジョンを死なせたのでソンウンジェと行われることがないと釘を刺した。 結局グァクヒョンは「このように躍起になって私を押し出す理由ってな。もしかしたら母からです。私は、先生の母親を守らなくて?」と尋ね、ソング材「当たり前だろない?郭先生が私なら恨まない自信があります?」 また、ソング材金在杰が爺と呼ば伴う患者を手術した。爺の体は麻酔を保持することができない状態だったし、金在杰は唾液に麻酔を助けた。幸いなことに、手術は無事終わり、金在杰は「敵いつか必ず返してよ。今ソングセム回です。手間た。金在杰先生おかげで患者を無事入手できました」とソング材の手で自分の頭を撫でる姿勢を取った。これを見たグァクヒョンは嫉妬心を感じた。 以後グァクヒョンはグァクソン(ジョンインギ)を探して行って、「ソンウンジェ先生はいつも私に父を連れてきてくれた。私は、その人から離れて母親を奪ってしまいましたね。でも、あきらめがダメ」と自責した。 特にハンフイスク(バクジュングム)はソンウンジェに布団を買ってくれれなどサルトゥルに手にした。ハンフイスクはソング灰母を思い出すという事実に気づいチェトゴ、「ママ思い出さそうだね。私もその顔知っている。私は鏡で毎日会う顔があれば。一度抱いてみてもだろうか。私も子失われた母とぜひ一度抱きしめたい」と慰めた。 ギムスグォン(庭園の中)も金在杰に「あなたはソンウンジェ先生どう思うのか。私たち家族に作って欲しいのに」と提案し、金在杰は「お父さんと私と意見の一致を見る日もありますね」と感心した。 だけでなく、チェヨウンウンはソウルにある有名大学病院の桁を作ると思い提案した。ソング材すぐ拒否し、チェヨウンウンは「なぜ男うと思い、このじめじめした病院船に。病院船に残りたいと思います。兄の隣に残りたいと思います。私の兄が好き?」と追及した。ソング材「はい。私は生きながら計画表に愛というものを入れるの医師があった場合、その相手は郭先生だったんです」と率直に打ち明けた。 最後の場面では、ソング材父ソンジェジュン(チョ・ソンハ)と弟ソンオジェ(イ・ミンホ)が事故に遭った様子が描かれて劇の緊張感を加えた。
  http://m.entertain.naver.com/read?oid=311&aid=0000779161
[RE:TV]「病院船」ハ・ジウォンXカン・ミンヒョクX人でワンますます歪んだ三角関係
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ハ・ジウォン、カン・ミンヒョク、イウォン三人の関係がますます複雑になる中、ハ・ジウォンは弟の事故のニュースに衝撃を受けた。 27日放送されたMBC水木ドラマ「病院船」でソンウンジェ(ハ・ジウォン)はグァクヒョン(カン・ミンヒョク)の前冷たい態度を見せたが、本音は違った。金在杰(イウォン)は、ソンウンジェに向けた心がますます大きくなった。 グァクヒョンは自分に距離を置くソンウンジェにもしかしたら母の仕事のためそうなのは尋ねた。ソング材「当たり前でしょう。郭先生が私なら恨まない自分のか」と聞き返した。チェウンギョン(王サポート)もグァクヒョンに制やめソンウンジェを放棄し、自分に帰って来るようにお願いした。 ソンウンジェに向けた金在杰の心はますます大きくなった。金在杰はソンウンジェ、郭県とともに病院船に運ばれてき執事祖父手術に成功した。金在杰は母に続いて執事の祖父の命を救ったソンウンジェに感謝した。 金在杰の父ギムスグォン(定員中)もソンウンジェを気に入っていた。ギムスグォンは息子金在杰にソンウンジェを私たち家族に迎えしたい旨を明らかにした夕食の席を作ってみろた。 チェヨウンウンはソンウンジェにソウル病院桁を提案した。郭県ソンウンジェを落とし取るために理由だった。ソング材病院船勤務を無視するようなチェヨウンウンの言葉に怒ってグァクヒョンが好きな自分を心を明らかにした。しかし、今は愛に興味がないと言って先に席を立った。 チェヨウンウンと会ったのソング材携帯電話で弟ウジェが電話をかけた。実際に携帯電話は、事故に遭った弟の保護者を見つけることだった。ソング材鳴り続ける電話のベルを無視して、携帯電話の電源を切ってしまった。一歩遅れて事故のニュースを聞いたソング材急いで病院に向かった弟に見える患者の前に壊滅的なグァクヒョンを見た。 ソンウンジェ母の死に責任を感じるグァクヒョン。真剣にソンウンジェを結婚相手に考えている金在杰。そして、父の登場と弟の事故で心が複雑ソンウンジェ。三人の感情をめぐる複雑な恋愛が本格軌道に乗った。
http://m.entertain.naver.com/read?oid=421&aid=0002968964
'病院船'の李ソウォン、カン・ミンヒョクに"ハ・ジウォン目から涙選べば、私が受付"
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'病院船'の李ソウォンがカン・ミンヒョクにハ・ジウォンに上手だと警告した。 27日に放送されたMBC水木ドラマ'病院船'で金在杰(李ソウォン)が出勤前、グヮクヒョン(カン・ミニョク)に会って"君ソンウンジェどれほど好きか?好きならば看守頑張れよ私が奪っていきたいができるから"と話した。 これを見守ったチャジュンヨン(金寅植)は二人に"三角関係か"と尋ねた。 チャジュンヨンとグヮクヒョンはソンウンジェに急になぜそうなのかと尋ねた。これに金在杰は"殺身成仁、ソンウンジェがうちの母の命の恩人じゃない。だから、チェ作家のためにソンウンジェ目から涙選べば必ず私が受け付ける"と伝えた。
http://m.entertain.naver.com/read?oid=109&aid=0003627872
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