#志磨遼平
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nasaturnona · 8 months ago
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tokyonow · 8 months ago
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(4月11日放送スタート!MBSドラマフィル第一弾『奪われた僕たち』追加キャスト&主題歌解禁!! - Tokyo Nowから)
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jinsei-pika-pika · 9 months ago
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jpopstreaming · 1 year ago
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🆕🎶 「 冬のサナトリウム 」 new single by 乙女の儚夢 NOEL, 志磨遼平 is now available worldwide! 🌐 Listen now and discover new sounds from Japan on our weekly updated playlist 🎧 https://spoti.fi/3lgjH73
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yuni-live · 2 years ago
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写真撮影:二宮ユーキ
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m12gatsu · 1 year ago
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俺、かっこいいものが好きなんです。自分もそれに近づきたいって思わせてくれて、力が湧いてくるから。で、丸橋氏のTumblrは、かっこいいと思います。かっこいい文章をいつもありがとう。
志磨遼平というロックンローラーが、何か迷うことがあったらかっこいい方をえらべ、かっこいいかどうかはロックンロールにきけ、という主旨のことを昔何かのインタビューで述べていました。俺もそう思います。俺の行動原理はかっこいいかどうか。ドレスコーズの『ゴッホ』という曲では、その言葉が以下のように変奏されています。
右か左か 選ぶ時がおとずれたら       めんどうになりそうな方に進め ベイビー
かっこいいことは、めんどうなことなのかしら。考えるのめんどう。ありがとう。
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tuktukcafetips · 4 months ago
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ミュージシャンの坂本美雨が、パレスチナ・ガザ人道支援の義援金を集めるためのオークション企画「Watermelon Seeds Fundraiser」を立ち上げた。
このオークションには、漫画家の浦沢直樹、映画監督の濱口⻯介、俳優の満島ひかり、ミュージシャンのUA、加藤登紀子、小泉今日子、後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)、コムアイ、小室哲哉、さだまさし、志磨遼平(ドレスコーズ)、高木完、森山直太朗らが参加している。オークションは2024年7月29日(月)よりYahoo!オークション内にて開始予定。集められた義援金はJVC(認定NPO法人日本国際ボランティアセンター)などを通し、ガザに送られる。
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wr16 · 2 years ago
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23-4-3
「自分は何をやりたいのだろう」と問いかけてみる。
具体的な答えが直ぐには何も浮かばなかったことにとても戸惑った。「健康になりたい」という願いにしても、それそのものが目的ではない。「詩を書き続けたい」ということは、そうであれたら幸せだと思う、一方で、それだけが目的と化したのであれば、そうして書かれたものに、私は価値を見いだせるのだろうか? それでは、今までどうして詩を書いていたのだろう、そして、どうしてそれをまとめ、詩集をつくり、販売する、等という営みをするのだろう? 「表現者になって有名になりたい? 」あわよくばという欲は無いわけではない、けれど、どうせ実現しないだろうと諦めはついている。
「ゆるがないしあわせが ただ ほしいのです」とくるりの歌詞を引いてみると、しっくりとくるような気がする。
その、揺るがない幸せのなかには、お互いの意思によって一緒にいることを選んだ人と家族になること、一緒に支えあって暮らすこと、詩を書き続けること、美しいものに触れること、この社会においてささやかであったとしても確かな生活から生み出された一個人達の切実な表現に触れること、微力であったとしてもその営みの一員であるという自覚をもつこと、その営みをどうすれば支える・援助することができるのか考えること、実際に行動すること、様々な過去や葛藤、憎しみに近いような感情があったとしても何かあったときには肉親を援助する事、などが含まれていて、そのどれが欠けたとしても、それは私にとっての幸せではないのだろう。
先日、就労移行のスタッフの口から出た「今、無理をすれば働けるかもしれないが、そうしていない、そうできないのは、○さんらしい働き方、生活の仕方をしたいという意志が強いからだと思います」 という、その時にはしっくりと来なかった言葉が、こうして自らの望み、願望を書き出して行った時に少し腑におちたように感じる。
なんにしても、生きていく為の生業は必要であって、それでいて生きるために稼ぐことで私の持つ力をすべて使いきってしまうとすればそれは私にとっては生きているとは言えない生活であって。
諸々の金銭的な事や、自らの弱さ、いたらなさを見つめるとき、肩の上に乗っている荷の重さにひしゃげてしまうような感想にいたるが、それは果たして大きすぎる望み、なのだろうか。
この、インターネット上に公開されてある、この日記帳と名づけただけの投稿に、こうして生活のこと、家族のこと、働くこと、病気のこと、諸々を書き連ねてしまうのは、それら全てが創作、詩を書くということと密接に関わっている事であるからだ。書かなくて良いことを書いていてしまうのかも知れないという自覚はある。いつまでモラトリアムを続けているのかと糾弾する声がする。
「無かったことにされたくない」と思っていて、自分なりに書くことをはじめた。それがいつしか、詩と呼ばれるものに近づいて、自らそう呼ぶことになっていった。詩集なのか小説なのかわからなかった冊子を作って、ようやく「詩集です」と差し出すことができるような詩集を作ることができた。尊敬していた絵描きのかたに依頼して表紙を描いて貰った。
the novembersのソングライターでボーカルである小林祐介がベストアルバムのタイミングでそれまでの自らの作品を振り返って書いた文章がとても印象に残っている。その時の切実な叫びが、哲学が、強迫観念が、痛みが、怒りが、欲望が、そのままの形として曲として残っていること、それを書いた主体もそれを受けとるリスナーもその時を追体験できること、そして、「小林祐介」というひとりの個人の考え方、生との向き合いかた、「あなた」との向き合いかた、社会との向き合いかたの変化(成長と言って良いのかも知れない)が、累積していくこと。
藤原基央に、小林祐介に、志磨遼平に、ジョン・レノンに、カートコバーンに、ロックスターに、どうしようもなく憧れながら、僕はそうはなれないだろう事を知っている。けれど、少なくとも僕自身のために、あるいは僕のことを知って、少なからず愛している人のために、こうして残しておく詩が、何かの意味を持つだろう希望に、魔法のような希望を、手放すことはまだできない。
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trntm · 2 years ago
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志磨遼平に歌われるまで死ねない。
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yotchan-blog · 1 month ago
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2024/10/11 15:00:15現在のニュース
紅茶葉価格が急騰 インド異常気象にスリランカ危機余波 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/11 14:57:30) 大山のぶ代さん死去 「ドラえもん」声優を四半世紀 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/11 14:57:30) 能登支援、予備費から509億円支出を閣議決定…衆院選経費は816億円([B!]読売新聞, 2024/10/11 14:57:13) 障がい者に「旅」の喜びを 愛知に「リゾート型ショートステイ」施設 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/10/11 14:54:45) 緩和に走るFRB 株高は誰のため?(重見吉徳) 〈プロの羅針盤〉フィデリティ・インスティテュート マクロストラテジスト - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/11 14:51:48) 山形で低緯度オーロラ観測 北の空、赤く染まる | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/10/11 14:48:21) トランプ氏なら終戦可能 ジョンソン元英首相がデーリー・メール紙寄稿のコラムで見解([B!]産経新聞, 2024/10/11 14:39:21) 資産の引き出し率を決める3つの要素 「4%」が目安 人生100年こわくない・資産活用で笑おう(野尻哲史) - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/11 14:39:18) 新宿伊勢丹で強盗に備え訓練、店員らがさすまたで対峙 警視庁(朝日新聞, 2024/10/11 14:38:55) <コラム 熱風涼風>志磨遼平 自叙伝『ぼくだけはブルー』出版:東京新聞 TOKYO Web([B!]東京新聞, 2024/10/11 14:36:14) 芸術・芸能分野の製作スタッフ、35%が「過労死ライン」相当の拘束時間…全業種平均は6%([B!]読売新聞, 2024/10/11 14:33:24)
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takadat · 1 month ago
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—(略)自分の人生を言語化する苦しみもあったのではないかと思っていて。志磨さんにとって、それはどういう作業でしたか。 志磨:いえ、苦しみはさほどなくて。僕にとっては、人生の言語化というより人生の編集なんですね。 僕の人生から不要な部分を取り除き——不要というのは、嫌な思い出ということではなく。嫌な思い出を隠すということではなくて、よりドラマティックに! ですね。ロックを志した者の人生として、あるべきエピソードだけ残す。 つまり、最低なエピソードと最高のエピソードだけを残し、普通のエピソードを削っていく。僕は普通じゃないって思いたいわけですから。そうやって編集していくと、自分の人生がたい���う面白いものに見えてくる。 これは何て言うのかな、まったくつらい作業ではなく、むしろとても面白い、うん。何だか自分がすごい人に思えてきたぞっていうことなので。なので、とても楽しく、書き上げたという。とんでもない、とんでもないことですけど(笑)。
ロックスター、志磨遼平の孤高に至る物語。自叙伝『ぼくだけはブルー』で何を描いたのか | CINRA
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dailytmusic · 6 months ago
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2024-05-22 wed
ドレスコーズ「襲撃」
https://dresscodes.jp/
ドレスコーズ is 志磨遼平
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wangwill66 · 11 months ago
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讀萬卷書
H:讀萬卷書很無聊,行萬里路很辛苦。看電視的活衣廚,每日看平板找萬卷書,看旅遊節目觀遊世界。廢人世界的新讀書觀,懶人的觀遊世界路。以點引書,以觀代遊。網路世界很遼闊。「欲知天下事,須讀古今書。學了就用處處行,光學不用等於零。不能則學,不知則問;讀書全在自用心,老師不過引路人。」看「他們在島嶼寫作」介紹王文興,以電影文本的形式,紀錄文學大家。其中王文興教授談及「彷彿名人才能寫回憶錄。」因為有人看,普通人寫回憶錄則自我安慰,自娛娛人。有些人隨物換星移而隱去,有些書卻一直流傳。廢宅論不可取,各依所需,天冷在家,觀音唸佛祖,各唸一本家家經。20231217W7
王文興 (作家)
維基百科:
台灣作家 (1939-2023)
王文興(1939年9月24日—2023年9月27日),男,福建福州人,臺灣小說家。 維基百科
電影: 尋找背海的人
配偶: 陳竺筠; (1969年結婚—2023年結束)
王文興從1966年開始寫作《家變》,在1973年出版,發表後造成軒然大波。這是因為《家變》從內容到形式、情節、結構,語言文字,在當時的台灣文壇都是創新的,甚至創新到被某些人認為是「離經叛道」的「異端」,為了這部作品,台灣文學界曾經開��多次座談會,發表過多篇文章來討論。
古人說「人不登高山,不知天之高也;不臨深溪,不知地之厚也。」
蘇軾在《石鐘山記》一文中,記敘了他深入實地考察,揭開了石鐘山得名之謎的故事。
李時珍爲了完成《本草綱目》的著述,不辭辛勞遠出旅行考察,上山採藥和拜訪有實際經驗的人。
陸遊說:「紙上得來終覺淺,絕知此事要躬行。」
杜甫在《奉贈韋左丞丈二十二韻》中這樣的句子:讀書破萬卷,下筆如有神。
明末畫家董其昌的《畫禪室隨筆》卷二○畫訣中:「讀萬卷書,行萬里路,胸中脫去塵濁,自然丘壑內營,立成鄄鄂。」
古人講讀萬卷書,行萬里路,其實就是王陽明老先生講的知行合一。
「讀萬卷書,行萬里路,有耀自他,我得其助」出自清代梁邵王《兩般秋雨庵隨筆》
趙恆《勸學詩》
勸學詩
宋代:趙恆
富家不用買良田,書中自有千鍾粟。
安居不用架高堂,書中自有黃金屋。
出門莫恨無人隨,書中車馬多如簇。
娶妻莫恨無良媒,書中自有顏如玉。
男兒若遂平生志,六經勤向窗前讀。
人生五堂課:讀萬卷書、行萬里路、閱人無數、名師指路、自己開悟
讀萬卷書
書山有路勤爲徑,學海無涯苦作舟;腹有詩書氣自華,讀書破萬卷 下筆如有神黑髮不知勤學早 白首方悔讀書遲與肝膽人共事 無字句處讀書行萬里路千里之行 始於足下不積跬步無以至千里路遙知馬力日久見人心路漫漫其修遠兮 吾將上下而求索紙上得來終覺淺 絕知此事要躬行閱人無數讀人如讀書 閱人宜閱己邪正看鼻眼 功名看氣宇 事業看精神
古今賢文勸學篇
枯木逢春猶再發,人無兩度再少年。不患老而無成,只怕幼兒不學。長江後浪推前浪,世上今人勝古人。若使年華虛度過,到老空留後悔心。有志不在年高,無志空長百歲。少壯不努力,老大徒傷悲。好好學習 ,天天向上。堅持不懈,久煉成鋼。三百六十行,行行出狀元。冰生於水而寒於水,青出於藍而勝於藍。書到用時方恨少,事非經過不知難。
身怕不動,腦怕不用。手越用越巧,腦越用越靈。三天打魚,兩天曬網,三心二意,一事無成。一日練,一日功,一日不練十日空。拳不離手,曲不離口。刀不磨要生銹,人不學要落後。書山有路勤為徑,學海無涯苦作舟。師傅領進門,修行在自身。熟能生巧,業精於勤。
讀書篇
欲知天下事,須讀古今書。
學了就用處處行,光學不用等於零。
不能則學,不知則問;讀書全在自用心,老師不過引路人。
好曲不厭百回唱,好書不厭百回讀。
讀書貴能疑,疑能得教益。
默讀便於思索,朗讀便於記憶。
初讀好書如獲良友;重讀好書如逢故知。
處處留心皆學問,三人同行有我師。
石鐘山記
朝代:宋代
作者:蘇軾
《水經》雲:“彭蠡之口有石鐘山焉。”酈元以爲下臨深潭,微風鼓浪,水石相搏,聲如洪鐘。是說也,人常疑之。今以鐘磬置水中,雖大風浪不能鳴也,而況石乎!至唐李渤始訪其遺蹤,得雙石於潭上,扣而聆之,南聲函胡,北音清越,桴止響騰,餘韻徐歇。自以爲得之矣。然是說也,餘尤疑之。石之鏗然有聲者,所在皆是也,而此獨以鍾名,何哉?
元豐七年六月丁丑,餘自齊安舟行適臨汝,而長子邁將赴饒之德興尉,送之至湖口,因得觀所謂石鍾者。寺僧使小童持斧,於亂石間擇其一二扣之,硿硿焉。餘固笑而不信也。至莫夜月明,獨與邁乘小舟,至絕壁下。大石側立千尺,如猛獸奇鬼,森然欲搏人;而山上棲鶻,聞人聲亦驚起,磔磔雲霄間;又有若老人咳且笑于山谷中者,或曰此鸛鶴也。餘方心動欲還,而大聲發於水上,噌吰如鐘鼓不絕。舟人大恐。徐而察之,則山下皆石穴罅,不知其淺深,微波入焉,涵淡澎湃而爲此也。舟回至兩山間,將入港口,有大石當中流,可坐百人,空中而多竅,與風水相吞吐,有窾坎鏜鞳之聲,與向之噌吰者相應,如樂作焉。因笑謂邁曰:“汝識之乎?噌吰者,周景王之無射也;窾坎鏜鞳者,魏莊子之歌鐘也。古之人不餘欺也!”
事不目見耳聞,而臆斷其有無,可乎?酈元之所見聞,殆與餘同,而言之不詳;士大夫終不肯以小舟夜泊絕壁之下,故莫能知;而漁工水師雖知而不能言。此世所以不傳也。而陋者乃以斧斤考擊而求之,自以爲得其實。餘是以記之,蓋嘆酈元之簡,而笑李渤之陋也。
《本草綱目》是一部集中國16世紀以前本草學大成的著作,明代萬曆六年(1578年)定稿,萬曆二十三年(1596年)在南京正式刊行,作者為醫學家、藥學家和博物學家李時珍。此著收錄於《四庫全書》,為子部醫家類。
紙上得來終覺淺,絕知此事要躬行。
出自於陸游的《冬夜读书示子聿》
朝代:宋代
作者:陸游
古人學問無遺力,少壯工夫老始成。
紙上得來終覺淺,絕知此事要躬行。
奉贈韋左丞丈二十二韻
朝代:唐代作者:杜甫
同類型的詩文:社交讀書壯志
原文
紈绔不餓死,儒冠多誤身。丈人試靜聽,賤子請具陳。
甫昔少年日,早充觀國賓。讀書破萬卷,下筆如有神。
賦料揚雄敵,詩看子建親。李邕求識面,王翰愿卜鄰。
自謂頗挺出,立登要路津。致君堯舜上,再使風俗淳。
此意竟蕭條,行歌非隱淪。騎驢十三載,旅食京華春。
朝扣富兒門,暮隨肥馬塵。殘杯與冷炙,到處潛悲辛。
主上頃見征,欻然欲求伸。青冥卻垂翅,蹭蹬無縱鱗。
甚愧丈人厚,甚知丈人真。每于百僚上,猥頌佳句新。
竊效貢公喜,難甘原憲貧。焉能心怏怏,只是走踆踆。
今欲東入海,即將西去秦。尚憐終南山,回首清渭濱。
常擬報一飯,況懷辭大臣。白鷗沒浩蕩,萬里誰能馴?
1 
○記事2 
予在廣陵,見司馬端明畫山水,細巧之極,絕似李成。多宋元人題跋,畫譜俱不載,以此知古人之逃名。3 
今年游白下,見褚遂良西升經,結構遒勁,於黃庭像贊外,別有筆思。以顧虎頭洛神圖易之。主人迫欲朱提,力不能有,遂落賈人手。如美人為沙叱利擁去矣。更償之二百金,竟靳固不出。登舟作數日惡,憶念不置。然筆法尚可摹擬,遂書此論,亦十得二三耳。使西升經便落予手,未必追想若此也。4 
書家以豪逸有氣,能自結撰為極則。西昇雖俊媚,恨其束于法,故米漫士不甚賞心。若兒子輩能學之,亦可適俗。因作小楷書記之。5 
送君者自崖而返,君自此遠。宋子京讀莊子至此,遂欲沾巾。予北上,泊寒山為送別諸君子拈之。6 
鬥鵪鶉,江南有此戲,皆在籠中。近有吳門人,始開籠於屋除中,相鬥彌日。復入籠飲啄,亦太平清事。7 
餘與仲醇,以建子之月,發春申之浦,去家百里。泛宅淹旬,隨風東西,與雲朝暮。集不請之友,乘不系之舟。壺觴對飲,翰墨間作。吳苑酹真娘之墓,荊蠻尋懶瓚之蹤,固以胸吞具區,目瞪雲漢矣。夫老至則衰,倘來若寄,既悟炊梁之夢。可虛秉燭之游,居則一丘一壑,唯求羊是群;出則千峰萬壑,與汗漫為侶。茲予兩人,敦此夙好耳。8 
余游閩中,遇異人談攝生奇訣。在讀黃庭內篇,夜觀五藏神,知其虛實,以為補瀉。蓋道藏所不傳,然須斷葷酒與溫柔鄉,則可受持。至今愧其語也。9 
七夕,王太守禹聲,招飲於其家園。園即文恪所投老。唐子畏,郝元敬諸公為之點綴者。是日,出其先世所藏名畫。有趙千里後赤壁賦一軸,趙文敏落花游魚圖,谿山仙館圖。又老米雲山,倪雲林漁莊秋霽,梅道人漁家樂手卷,李成雲林卷,皆希代寶也。餘持節楚藩歸。曾晚泊祭風臺,即周郎赤壁,在嘉魚縣南七十里。雨過,輒有箭鏃於沙渚間出。里人拾鏃視予,請以試之火,能傷人,是當時毒藥所造耳。子瞻賦赤壁,在黃州,非古赤壁也。壬辰五月10 
元李氏有古紙,長二丈許,光潤細膩,相傳四世。請文敏書,文敏不敢落筆,但題其尾。至文徵仲,止押字一行耳,不知何時乃得書之。11 
餘頃驅車��城,不勝足音之懷。又有火雲之苦,回馭谷水塔上,養痾三月。而仲醇挾所藏木癭爐,王右軍月半帖真跡、吳道子觀音變相圖、宋板華嚴經尊宿語錄示餘。丈室中惟置一床,相對而坐,了不蓄筆研。既雨窗靜間,吳門孫叔達以畫事屬余紀游,遂為寫迂翁筆意。即長安游子,能有此適否?12 
袁尚書賴無𥚛,孫女以餓縊死。尚書善噉,不能饜。每市蜆為晚飧,可竟一斗。有一門生,饋以十金,輒作三封。以一封置袖中,乘月叩窮交之戶。呼輿偕步,以袖中金贈之而別。其貧都由此,然每攜麗伎泛泊,一日不能廢也。13 
楊尚書成,在吳中負物望。其家不貧,而吳中人稱之,不���哀公下。以其淳謹安靜,故令人無可間然耳。尚書過蔡經舊里,曰:「此宋之大賊,乃居此乎?」以為蔡京也,所謂不讀非聖書者耶。14 
張東海題詩金山:「西飛白日忙於我,南去青山冷笑人。」有一名公,見而物色之曰:「此當為海內名士。」東海在當時,以氣節重。其書學懷素,名動四夷。自吳中書家後出,聲價稍減,然行書尤佳。今見者少耳。15 
餘與程黃門同行江南道上,停驂散步。見陂陁紆復,峰巒孤秀。下瞰平湖,澄碧萬頃,湖之外江光吞天,征帆點點,與鳥俱沒。黃門曰:「此何山也?」餘曰:「齊山也。」黃門曰:「子何以知之?」餘曰:「吾知杜樊川所謂江涵秋影者耳。」詢之舟人,亦不能名。但曰:此上有翠微亭。黃門與餘一笑而出,是日步平堤六七里,皆在南湖中。此堤之勝,西湖僅可北面稱臣耳。俗諺云,九子可望不可登,齊山可登不可望。信然。16 
大林寺,在天池之西,有西竺娑羅樹二株。中宴坐老僧,余訪之,能念阿彌陀佛號而已。白樂天詩云:「人間四月芳菲盡,山寺桃花始盛開。」必此寺也。17 
○記游18 
武彞有大王峰,峰極尊勝。故名武彞。君為魏王子騫,曾會群真於此,奏人間可哀之曲。19 
大田縣有七巖臨水。山下皆平田。秋氣未深,樹彫葉落,衰柳依依。20 
洞天巖,在沙縣之西十裏。其山壁立,多松樟。上有長耳佛像。水旱禱,著靈跡。其巖廣可容三几二榻。高三仞餘,滴水不絕。閩人未之賞也,餘創而深索之。得宋人題字石刻十餘處,皆南渡以後名手。詩歌五章。巖下有流觴曲水,徐令與餘飲竟日,頗盡此山幽致。追寫此景,以當紀游。21 
高郵夜泊,望隔堤大湖月色微晦,以為地也。至詰旦,水也。竺典化城,無乃是耶。22 
子行至滕陽,嶧山在望。火靈煙沙,殆不復有濟勝具。是日宿縣中官舍,乃以意造,為嶧山不必類嶧山也,想當然耳。曾游嶧山者,知餘不欺人。23 
呂梁縣瀑三千仞,石骨出水上。憶予童子時,父老猶道之,今不復爾。東海揚塵,殆非妄語。24 
○評詩25 
大都詩以山川為境,山川亦以詩為境。名山遇賦客,何異士遇知己?一入品題,情貌都盡。後之游者,不待按諸圖經,詢諸樵牧,望而可舉其名矣。嗟嗟,澄江凈如練,齊魯青未了。寥落片言,遂關千古登臨之口,豈獨勿作常語哉?以其取境真也。友人錢象先荊南集,不盡象先才情之變。而餘嘗持節長沙,自洞庭而下,漢陽而上,與象先共之。故其取境之真,特有賞會云。抑餘不能游,然好詩。象先能詩,又好游,是安得象先為東西南北之人?窮夫所謂州有九岳有五者。而皆被以奇音雋響。餘得隱幾而讀之。以吾拙而收象先之巧,以吾目而用象先之足,不大愉快哉?26 
東坡云:「詩人有寫物之工。」桑之未落,其葉沃若。他木不可以當此。林逋梅花詩:「疏影橫斜水清淺,暗香浮動月黃昏」,決非桃李詩。皮日休白蓮詩:「無情有恨何人見,月冷風清欲墮時」,此必非紅蓮詩。裴璘詠白牡丹詩。」長安豪貴惜春殘,爭賞先開紫牡丹。別有玉杯承露冷,無人起就月中看。」27 
餘以丙申秋,奉使長沙。至東林寺,時白蓮盛開。土人云:此晉慧遠所種。自晉至今千餘年,惟存古甃與欄楯,而蓮無復種矣。忽放白毫光三日三夜。此花宰地而出,皆作千葉,不成蓮房。餘徘徊久之。」���此花開,與餘行會。遠公有記云:「花若開,吾再來。」餘故有詩云「泉歸虎谿靜,雲度雁天輕。苔蘚封碑古,優雲應記生。」記此事也。28 
古人詩語之妙,有不可與冊子參者,惟當境方知之。長沙兩岸皆山,餘以牙檣游行其中。望之,地皆作金色。因憶水碧沙明之語。又自岳州順流而下,絕無高山。至九江,則匡廬兀突,出檣帆外。因憶孟襄陽所謂「掛席幾千里,名山都未逢。泊舟潯陽郭,始見香爐峰。」真人���,千載不可復值也。29 
宋人推黃山谷所得,深於子瞻,曰:「山谷真涅槃堂裏禪也。」30 
頃見岱志詩賦六本。讀之既盡,為區檢討用孺言曰:「總不如一句。」檢討請之,曰:「齊魯青未了。」31 
「燈影照無睡,心清聞妙香。」杜少陵宿招提絕調也。予書此於長安僧舍,自後無復敢題詩者。32 
「萬事不如杯在手,一年幾見月當頭。」文徵仲嘗寫此詩意。又樊川翁「南陵水面漫悠悠,風緊雲繁欲變秋。」趙千里亦圖之。此皆詩中畫,故足畫耳。33 
「風靜夜潮滿,城高寒月昏。」「秋色明海縣,寒煙生里閭。」「春盡草木變,雨餘池館青。」「楚國橙橘暗,吳門煙雨愁。」「郭外秋聲急,城邊月色殘。」「眾山遙對酒,孤嶼共題詩。」「氣蒸雲夢澤,波撼岳陽城。」「林花掃更落,徑草踏還生。」「掛席樵風便,開樽琴月孤。」「落日池上酌,清風松下來。」王江寧、孟襄陽,五言詩句。每一詠之,便習習生風。34 
餘見倪雲林自題畫云:十月江南未隕霜,青楓欲赤碧梧黃。停橈坐對寒山晚,新雁題詩小著行。35 
明月照積雪,大江流日夜。客心悲未央,澄江凈如練。玉繩低建章,池塘生春草。秋菊有佳色,俱千古寄語,不必有所附麗,文章妙境,即此瞭然。齊隋以還,神氣都盡矣。36 
李獻吉詩,如「詠月」有云「光添桂魄十分影,寒落江心幾尺潮。」不見集中,自是佳語。唐子畏詩,有曰:「杜曲梨花杯上雪,灞陵芳草夢中煙。」又曰:「秋榜才名標第一,春風脂粉醉千場。」皆學白香山。子畏之才,何須以解首矜��。其亦唐人所謂今朝曠蕩春無涯,不免器小之誚。37 
唐人詩律,與書法頗似,皆以濃麗為主,而古法稍遠矣。餘每謂晉書無門,唐書無態,學唐乃能入晉。晉詩如其書,雖陶元亮之古淡,阮嗣宗之俊爽,在法書中未可當虞褚。以其無門也,因為唐人詩及之。38 
翰墨之事,良工苦心,未嘗敢以耗氣應也。其尤精者,或以醉,或以夢,或以病。游戲神通,無所不可。何必神怡氣王?造物乃完哉。世傳張旭號草聖,飲酒數斗,以頭濡墨,縱書墻壁上。淒風急雨,觀者歎愕。王子安為文,每磨墨數升,蒙被而臥,熟睡而起。詞不加點,若有鬼神。此皆得之筆墨蹊逕之外者。今觀察王先生,當人日,病不起。據枕作詩二十章,言言皆樂府鼓吹也,乃與彼二子鼎足立矣。39 
東坡讀金陵懷古詞於壁間,知為介甫所作,嘆曰:「老狐精能許,」以羈怨之士,終不能損價於論文。所謂文章天下至公。當其不合,父不能諛子。其論之定者,雖東坡無如荊公何,太白曰:「崔灝題詩在上頭。」東坡題廬山瀑布曰:「不與徐凝洗惡詩。」太白擱筆於崔灝,東坡操戈於徐凝。豈有恩怨哉?
董其昌《評文》
1 
東坡水月之喻,蓋自肇論得之,所謂不遷義也。文人冥搜內典,往往如鑿空,不知乃沙門輩家常飯耳。大藏教若演之有許大文字。東坡突過昌黎歐陽,以其多助。有此一奇也。2 
蘇子瞻表忠觀碑,惟敘蜀漢抗衡不服,而錢氏順命自見。此以賓形主法也。執管者即已遊於其中,自不明了耳。如能了之,則拍拍成令。雖文采不章,而機鋒自契。3 
文章隨題敷衍,開口即涸。須於言盡語竭之時,別行一路。太史公荊軻傳,方敘荊軻刺秦王,至秦王環柱而走,所謂言盡語竭。忽用三個字轉云「而秦法」自此三字以下,又生出多少煙波。4 
凡作文,原是虛架子。如棚中傀儡,抽牽由人,非一定死煞。真有一篇文字,有代當時作者之口,寫他意中事,乃謂注於不涸之源。且如莊子逍遙篇。鷽鳩笑大鵬,須代他說曰:「我決起而飛槍榆枋,���則不至,而控於地而已矣。奚以之九萬里而南為?」此非代乎?若不代,只說鷽鳩笑,亦足矣。又如太史公稱燕將得魯仲連書云:「欲歸燕,已有隙,恐誅;欲降齊,所殺虜,於齊甚眾。恐已降而后見辱,喟然嘆曰:與人辨,我寧自辨。」此非代乎?5 
文有翻意者,翻公案意也。老吏舞文,出入人罪。雖一成之案,能翻駁之。文章家得之,則光景日新。且如馬嵬驛詩,凡萬首,皆刺明皇寵貴妃。只詞有工拙耳。最後一人,乃云:���是聖明天子事,景陽宮井又何人。便翻盡從來巢臼。曹孟德疑塚七十二。古人有詩云:直須發盡疑塚七十二。已自翻矣。後人又云:以操之奸,安知不慮及於是。七十二塚,必無真骨。此又翻也。6 
青鳥家,專重脫卸。所謂急脈緩受,緩脈急受。文章亦然。勢緩處,須急做,不令扯長冷淡。勢急處,須緩做,務令紆徐曲折,勿得埋頭,勿得直腳。7 
杜子美云:擒賊先擒王。凡文章,必有真種子,擒得真種子,則所謂口口咬著。又所謂點點滴滴雨,都落在學士眼裡。8 
文字最忌排行,貴在錯綜其勢。散能合之,合能散之。左氏晉語云:賈誼政事疏,太子之善,在於早諭教與選左右。早諭教,選左右,是兩事。他卻云心未濫而先諭教,則化易成也。此是早諭教。下云若其服習講貫,則左右而已。此是選左右,以二事離作兩段,全不排比。自六朝以後,皆畫段為文,少此氣味矣。9 
作文要得解悟。時文不在學,只在悟。平日須體認一番,才有妙悟,妙悟只在題目腔子里思之。思之思之不已,鬼神將通之。到此將通時,才喚做解悟。了得解時,只用信手拈神,動人心來。頭頭是道,自是文中有竅,理義原悅人心。我合著他,自是合著人心。文要得神氣,且試看死人活人,生花剪花,活雞木雞,若何形狀?若何神氣?識得真,勘得破,可與論文。如閱時義,閱時令,吾毛竦色動,便是他神氣逼人處。閱時似然似不然,欲丟欲不丟,欲讀又不喜讀,便是他神索處。故窗稿不如考卷之神,考卷之神薄,不如墨卷之神厚。魁之神露,不如元之神藏。試之,自有解人處。脫套去陳,乃文家之要訣。是以剖洗磨煉,至精光透��。豈率爾而為之哉?必非初學可到。且定一取舍,取人所未用之辭,舍人所已用之辭;取人所未談之理,捨人所已談之理;取人所未布之格,舍人所已布之格;取其新,舍其舊。不廢辭,卻不用陳辭;不越理,卻不用皮膚理;不異格,卻不用卑瑣格。格得此,思過半矣。10 
文家要養精神,人一身只靠這精神幹事。精神不旺,昏沉到老,只是這個。人須要養起精神,戒浩飲,浩飲傷神;戒貪色,貪色滅神;戒厚味,厚味昏神;戒飽食,飽食悶神;戒多動,多動亂神;戒多言,多言損神;戒多憂,多憂鬱神;戒多思,多思撓神;戒久睡,久睡倦神;戒久讀,久讀苦神。人若調養得精神完固,不怕文字無解悟,無神氣,自是矢口動人。此是舉業最上一乘。11 
多少伶俐漢,只被那卑瑣局曲情態,耽擱一生。若要做個出頭人,直須放開此心。令之至虛,若天空,若海闊;又令之極樂,若曾點游春,若茂叔觀蓬,洒洒落落。一切過去相、見在相、未來相,絕不里念,到大有入處,便是擔當宇宙的人,何論雕蟲末技?12 
甚矣,舍法之難也。兩壘相薄,兩雄相持,而俠徒劍客,獨以魚腸匕首,成功於枕席之上,則孫吳不足道矣。此捨法喻也。又喻之於禪,達磨西來,一門超出,而億劫脩持三千相;彈指了之,舌頭坐斷,文家三昧,寧越此哉。然不能盡法,而遽事舍法,則為不及法。何士抑能盡法者也,故其游戲跳躍,無不是法。意象有神,規模絕跡。今而後以此爭長海內,海內益尊士抑矣。13 
吾常謂成弘大家,與王唐諸公輩,假令今日而在,必不為當日之文。第其一種真血脈,如堪輿家所為正龍,有不隨時受變者。其奇取之於機,其正取之於理,其致取之於情,其實取之於事,其藻取之於辭。何謂辭?《文選》是也。何謂事?《左史》是也。何謂情?《詩》《騷》是也。何謂理?《論語》是也。何謂機?《易》是也。《易》闡造化之機,故半明半晦,以無方為神。《論語》著倫常之理,故明白正大,以《易》知為用。如《論語》曰:「無適無莫」,何等本易。《易》則曰:「見群龍無首,下語險絕矣。」此則王唐諸公之材料窟宅也。如能熟讀妙悟,自然出言吐氣,有典有則,而豪少佻舉浮俗之習,淘洗殆盡矣。14 
夫士子以干祿故,不能迂其途,以就先民矩矱是或一說矣。不曰去其太甚乎?小講入題,欲離欲合,一口說盡,難復更端,不可稍加虛融乎。股法所貴,矯健不測。今一股之中,更加復句,轉接之痕盡露。森秀之勢何來?不可稍加裁剪乎?古文只宜暗用,乃得一成語。不問文勢夷險,必委曲納之。或泛而無當,或奇而無偶,不可稍割愛乎。每題目必有提綱,即欲運思於題中。又欲回盼於題外,若復快意直前,為題所縛。圓動之處,了不關心,縱才藻燦然,終成下格,不可另著眼乎?諸如此類,更僕莫數。一隅反之,思過半���。
徐仙真錄序编辑
  天生英才,用之於當時,則能忠君保民,榮膺顯爵。歿則廟祀一方,而其陰功靈貺,猶能闡揚于後世者,實非偶然。蓋天將有意於斯世斯民,而使其至於是也。不然何獨異於人哉。若徐二仙者,槩可見矣。神,海州胸山人也。出偃王之後。其父溫,五代時為吳名將,能建軍功,累遷官至拜相,卒贈齊王,謐忠武。五子皆受王封,曰知證,曰知誇者,即二仙也。天福中,唐主受禪,封知證為江王,知誇為饒王,同鎮金陵。威德兼濟,民庶ㄨ安。率兵入閩,蠻寇迎降,境土寧靜。閩人歸戴;遂立生祠於鰲峰之北,設像以敬事焉。神念其誠,一日,語閩人曰:我明年別汝輩、當默佑玆土。果符前言,於是閩人敬事益虔。而凡旱潦虫蝗之灾,水火寇盜之危,疾病婚葬之請,隨禱隨應,若響若荅。至若摛詞揮翰,雲漢昭回,耀人耳目。自宋以來,累受封號。逮至我朝永樂之間,以神有翊衛聖躬弗豫之功,聿新祠廟,御製碑刻,褒封有加,以昭神貺。由此而觀,則神生為忠臣,歿為明神,其功德有益於國家生民者。如此,豈非天有意於斯世斯民,而使其至於是歟。其祠官方文照,蓋凡神之世系、行實、靈跡、華翰,與夫前代我朝褒封碑刻,恐歲久湮沒失傳,彙成一編,名曰真錄。閩藩總戎盂城孫公,忠義士也,竊嘗觀之,而有感焉,乃捐俸,命工繡梓,以博其傳,命予序引。予謂神聰明正直,其顯跡著于今昔者,皆不出於隱僻怪,誕而至於惑世誣民之患,莫非忠君孝親,仁民愛物之事,蓋士君子之所當為也。其近而耳聞目見者,固-不待是編而知,使遐方僻壤未及見聞者,幸獲一覽,其於為臣為子之道,脩身慎行之方,亦足為一助云耳。是為序。
  正統八年,歲在癸亥秋七月吉日,福建閩縣儒學訓導王用盛序。
補閑集
作者:崔滋
補閑集序編輯
文者蹈道之門,不涉不經之語。然欲鼓氣肆言,竦動時聽,或涉於險怪。況詩之作,本乎比興諷喩,故必寓託奇詭,然後其氣壯,其意深,其辭顯,足以感悟人心,發揚微旨,終歸於正。若剽竊刻畵誇耀靑紅,儒者固不爲也。雖詩家有琢鍊四格,所取者,琢句鍊意而已。今之後進,尙聲律章句,琢字必欲新,故其語生,鍊對必以類,故其意拙。雄傑老成之風,由是喪矣。我本朝以人文化成,賢儁間出,贊揚風化。光宗顯德五年,始闢春闈,擧賢良文學之士,玄鶴來儀。時則王融、趙翼、徐熙、金策,才之雄者也。越景顯數代間,李夢游、柳邦憲以文顯,鄭倍傑、高凝以詞賦進,崔文憲公沖命世興儒,吾道大行。至於文廟時,聲名文物,粲然大備。當時冢宰崔惟善,以王佐之才,著述精妙。平章事李精恭、崔奭,參政文正、李靈幹、鄭惟産,學士金行瓊、盧坦,濟濟比肩,文王以寧。厥後朴寅亮、崔思齊、思諒、李䫨、金亮鑑、魏繼廷、林元通、黃瑩、鄭文、金緣、金商祐、金富軾、權適、高唐愈、金富轍、富佾、洪瓘、印份、崔允儀、劉羲、鄭知常、蔡寶文、朴浩、朴椿齡、林宗庇、芮樂仝、崔諴、金精、文淑公父子、吳先生兄弟、李學士仁老、兪文安公升旦、金貞肅公仁鏡、李文順公奎報、李承制公老、金翰林克己、金���議君綏、李史館允甫、陳補闕澕、劉沖基、李百順、兩司成咸淳、林椿、尹於一、孫得之、安淳之,金石間作,星月交輝。漢文唐詩,於斯爲盛。然而古今諸名賢,編成文集者,唯止數十家,自餘名章秀句,皆湮沒無聞。李學士仁老略集成篇,命曰破閑,晉陽公以其書未廣,命予續補。強拾廢忘之餘,得近體若干聯,或至於浮屠兒女輩,有一二事可以資於談笑者,其詩雖不嘉,幷錄之。共一部分爲三卷,而未暇雕板,今侍中上柱國崔公,追述先志,訪採其書,謹繕寫而進。
時甲寅四月日。守太尉崔滋序。
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msbt2 · 1 year ago
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【vs志磨遼平】オリジナリティを追い求めた結果、恐ろしい事態に!? 孤高の男が陥った苦悩とは? 【山田玲司切り抜き】
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c2-cinemaconnection · 2 years ago
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CINEMA CONNECTION エーガね!REPORT▶︎主演の斎藤工さん、共演のMEGUMIさん、ドレスコーズ・志磨遼平(音楽)さん、竹中直人(監督)が登壇!『零落』公開記念舞台挨拶REPORT https://ameblo.jp/mottomovie/entry-12794580368.html #零落 #斎藤工 #MEGUMI #竹中直人 https://www.instagram.com/p/Cp_0LN3vWrc/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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hiramenome · 2 years ago
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せっかくなので映画だけでなく、最近聞いてる音楽も記録しておこうと思う。
Piper at the Gates of Dawn/ピンク・フロイド
ピンク・フロイドのデビューアルバム。フロイドと聞くと思い浮かべる、実験的で神秘的なテイストとは全然違うのが面白い。すごく野生的というか。ドアーズとかと近い感じ。クスリに侵されまくっていたシド・バレットが中心になって作ったせいか、聞くたびに、ラリっちゃうってこういうことなのかな…という気持ちになる。
Wish You Were Here/ピンク・フロイド
ギルモアのギターが泣かせにくる。
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High Hopes/ピンク・フロイド
何度見ても全く意味が分からないMV。でも人智を超えた美しさを感じる。ピンク・フロイドって何者?
In the Court of the Crimson King/キング・クリムゾン
ジャケット含めこのアルバムが大好きなんだけど、これ以外のアルバムを何枚かかいつまんで聞いてみたら、どれもヘボくて幻滅した。ショックがデカすぎて、近々このアルバムも聞けなくなりそう。
I Put a Spell On You/ニーナ・シモン
スタバでシャザムして出会った。ちなみにスタバで流れてたのはFeeling Good。よく店で流れてて良いなと思った音楽をシャザムするんだけど、ヒットした曲が入ってるアルバムを聞いてみるとなんかそうでもないことが多い。でもこのアルバムは総じて最高だった。酒が進みそうだ!(下戸です)
戀愛大全/ドレスコーズ
自分の中で過ぎ去ってしまった季節を慈しむような。志磨遼平ご本人も言ってたけど、ナイトクロールライダーの出だしがマジでフェイ・ウォンの夢中人。あと、二曲目の聖者が大好きなんだけど、これはまんまスミス。
youtube
スミス繋がりで面白かったのがこれ。「もしもレディオヘッドのNo Surprisesがザ・スミスが書いた曲だった��?」というパロディ・パフォーマンス。レディヘverのしっとり感がずいぶん軽やかになっちゃって…。ちなみにスミスはそんなに好きじゃない。
周りにプログレとかジャズが好きな人間がいないのって悲しいな、ということに気づいてしまった2月。好きなものを共有できないってこんなにも寂しいものなのか。
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