#心電図ピーになりまし���
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moko1590m · 11 months ago
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Go臨終
もういくつ寝ると Go臨終
Go臨終にはセンコ上げて 骨を集めて遊びましょ
早く恋恋 Go臨終
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m12gatsu · 21 days ago
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無題
野音でsyrup16g観た。予報通り、ひどい雨。アークテリクスのウインドブレーカーの上からさらに雨合羽羽織ったけど、どっからか浸水して、終わった時には地肌までほとびていた。フード被ってると音が籠ってちょっと勿体無い気がして、時々外してみたけど、一瞬たりとも雨が止むことはなかった。きこえるかいやらなかった。ききたかった。まんじりともせずじっと聴き入っている人もいれば、拳の振り上げ方とか拍手のタイミングが不自然な人がいる。心と体がちぐはぐな、生きるの下手そうな人がたくさんいて安心する。風邪引かなくてよかった。
朝イチの便で九州へ飛んで、家人に会いに行った。臨月に突入して、またいっそう膨らんだ彼女のお腹は丸みを帯びつつ、なんだかとんがっている。へその結び目が引き攣れて、微笑んだ河豚の口元みたいな、生来日焼けを免れていたその肌の周辺が生っ白くて可笑しかった。日本シリーズでソフトバンクが負けたので義両親の機嫌が悪かった。日課の散歩に付き合って、近所を歩き回った。沿線の高架下に、役目を終えた信号機やカーブミラーや街灯や監視カメラが積み上げられている場所を見つけた。廃物にしてはやけに整然として、それぞれに設置されていた場所を明記したシールが貼られていた。
未だに流産の夢を見る。深く恐怖している。心臓の音が聞こえないんだって、と彼女から連絡が来る夢。そういう夢から覚めた朝は慄然とした気持ちがそのまま現実に持ち越されて、停止した心電図の地平がピー音と共にどこまでも延びていくような気がする。無闇に安心できない、と思う。
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fuyuubutu0 · 1 year ago
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CHAOS;CHILD 感想
初エンド日 2023/8/9
・すべては拓留の無自覚の願望が引き起こしたことだった。  ミステリの探偵役が自身の欲望と作品内の立ち位置を自覚するとこんな感じになりそう。  『ドラゴンラージャ』のドラゴンロードの「人間は常に自身に対する理解が難しいようだ」が思い起こされた。
・Ovre sky endでの拓留はどうなったんだろう?  心電図の音がピーとなっていたので死んだ?そして世莉架が外に連れ出した(死体を持ち出した?)結局普通の女の子にはなれなかったということだろうか。
・来栖がとても好きだったので、途中で死んでしまったのが悲しかった。しかも殺したのが世莉架だったから驚いた。  拓留が危険な場所に行くときに決まって「鍵が開いてる」と発言することから、途中から世莉架が真犯人なのでは?と思ってはいたが、まさかこんな展開になるとは。
・香月がキャラとして置物すぎて謎だったので、個別ルートは一番最初に見ようと思う。  エンスー2のつながりで拓巳が出てく��のか?と思いもしたが、全然そうならなかった。
香月華END 2023/8/16
・拓巳がかなりしっかりと絡んできて驚いた。  委員会にマークされてはいるもののエンスー2はしっかりやっているのは拓巳らしい。しかしなぜ?  しかもだいぶレベルが低いようで、エンスーのころの名声は地に落ちたのだろうか。  最強のギガロマニアックスなのに微妙に頼りにならない。 彼が大っぴらに動くわけにはいかないんだろう。 和久井の話だとカオヘのヒロインたちも委員会にあらがっているようだ。
・ゲーマーの香月が妄想を駆使して大活躍するシナリオと思っていたが、予想は少しだけ外れていた。  活躍はしていたがあまり主体的ではなかった。 まぁ香月らしいともいえる。
・和久井が悪役なのは驚いた。  拓留��ちとやり取りしてる間も口調が変わらないのが「狂気が彼らにとっての正気」だということを感じさせて良かった。  和久井あるいは委員会は単純な「破壊の権化」ではなく、世界の秩序を保ったうえで操ろうとしているのかもしれない。
・改めて尾上の純粋すぎる狂気があらわになった。  特に最後のセリフにはぞっとした。  拓留の劣等感や肥大した自意識の代償が大きすぎる。
・来栖いじめがひどい。  一番好きなキャラなので、何度も苦しんで死ぬ場面を見るのはちょっとつらい。拓留に感情移入がしやすいという利点もあるが。
有村雛絵エンド 2023/8/16
・TRUEだと雛絵が幸せにならずに終わりBADだと幸せで終わるので、TRUEとBADが逆な気がする。  TRUEはハッピーエンドだろうと思っていたので「こんなことってあるんだ」と思った。  しかしよく考えてみれば、香月ルートもハッピーエンドとは言えない。  やはり尾上をどうにかしないと拓留は幸せになれないらしい。   雛絵が罪悪感の具現である「兄」や他人の嘘を克服する過程が楽しみだったので割と残念だった。
・拓留と雛絵のデートを根掘り葉掘り聞こうとする来栖が歳相応でとてもかわいかった。  来栖がひどい目に合う場面ばかり見てるので新鮮だ。
・本当の「情報強者」とはニュースや情報を収集しつつも過度に取りざたさず、他人の心に配慮ができる人間だと思う。  そしてそんな人間はほとんどいない。  過度に情報を探ったり「情強だ」と傲慢になれば、結局は情弱と同じで人を傷つけてしまう。
山添うきエンド 2023/8/23
・介護エンド。雛絵ルートとは違った切なさがある。 ・うきの私服と青崎夢がかわいかった。 ・BAD ENDはうきの妄想が半端だったゆえに後味の悪い終わりになったのだろうか。 ・『胡蝶の夢』がモチーフになっていることがわかりやすい。  うきの夢か、拓留の夢か。
来栖乃々エンド 2023/8/28
・一番平和かつ拓留が成長したルート。  本編と香月ルートでの乃々いじめとのバランスを保つかのようないい話だった。  拓留が乃々への恩を思い出す場面はもう少しじっくり描写してほしかった。  各個別EDはビターエンド寄りだったのでハッピーエンドになるとは想像してなかった。
・本編ですでに暴走している尾上だが、今回は乃々に対する強い嫉妬で動いていた。  尾上の存在が消せるなら本編でもこうしてたらよかった気がする。
・暴走してとことん悪手を打つ川原が少し可哀想。
・久野里の「脳に電極ぶっさすぞ」はシュタゲの紅莉栖を思い出させた。  紅莉栖は後輩にも言ってるのかw
TRUE END 2023/9/1
・尾上の正体を知った時から拓留が拓巳のように老化しない理由が気になっていたけど、それがしっかり説明されていてよかった。  ある意味『CHAOS;HEAD』をやってる人だけが気が付ける伏線かもしれない
・今までのルートでは学校自体は普通だと思っていたからとても驚いた。まさに思考のデッドスポット(死角)
・来栖の老婆姿の衝撃が大きかった。  ずっとあの姿だったのか…。想像すらしてなかった。
・TRUEは久野里ルートも少し兼ねてるのかもしれない。  彼女の己の力で道を切り開こうとする気高さは紅莉栖の影響なのかもしれない。  アメリカ時代のエピソードも気にな���ところだ。
・和久井の「被支配者は下位の存在を見下し、支配からの脱却を考えない」は的を射てる。  陰謀論はとても荒唐無稽だけど、芸能人のスキャンダルやネットの炎上に反応するのは安っぽい感情に己を没する行為だ。
・拓留と尾上は互いへの依存と戦い続ける「同志」になったのかもしれない。  二度と会うことはないだろうけど、依存を超えた共存関係になれた。
・来栖(泉里)、うき、香月、雛絵がカオスチャイルド症候群から脱し、各々の悩みから解放されているのがうかがえて、晴れやかな気持ちがした。  来栖以外が各ルートでは救われなかったのは、彼女たちがカオスチャイルド症候群から脱しないといけなかったからか。
・拓留もCHAOS;HEADの拓巳や、STEINS;GATEの岡部のように、  ずっと委員会と戦い続けることになるんだろう。
・今作でのギガロマニアックスの能力的制約を見て、CHAOS;HEADのギガロマニアックスのすごさを感じた。  原種と副次的なものとの違い。
総括
・「徐々に大きな陰謀に巻き込まれていき、それを乗り越える主人���たち」という 科学ADVシリーズの醍醐味をしっかり味わうことができた。
・ずっと「拓留は拓巳や岡部に比べると魅力的に欠ける主人公だ」と思っていたけど、TRUEを見て印象が変わった。  優越感や依存心から脱して尾上を変え、彼女を目の前にしても嘘を貫く姿がかっこよかった。
・来栖ルートと香月ルートが特に面白かった。  香月ルートをやってカオスヘッドのプレイ意欲がわいた。  (まだ個別をすべて見れていない)
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mark311text · 6 years ago
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mark=311
私は宮城県名取市閖上(ゆりあげ)出身です。
今日は2011年から7年。2018年3月11日、午後2時46分から1分間の黙祷を終えたところです。
2011年3月11日
私は中学2年生で、卒業式の予行練習で午前授業だった。お昼過ぎには家に帰って、両親の部屋でテレビを見ていた。高校生だった兄も帰宅していて、家には私と兄と猫の太郎がいた。
こたつに入って横になっていると、突然、「ゴーーーー」というものすごい音がした。長かった。びっくりして固まっていると、次は激しい地震がおこった。体がゆさぶられるような揺れだった。太郎は驚いてこたつの中にとびこんだ。見ていたテレビが倒れ、画面が割れ、ここにいては危ないと思った私は、ベッドの上にあがり、上になにもない部屋のすみに避難した。クローゼットの扉は全開になり、中の荷物が全て床に落ちた。お母さんが使っていた、普段はうごかせないほど重いドレッサーも、揺れに合わせて生き物のようにズ、ズ、と前に動いていた。ガタガタと揺れる音や、ガシャーンと1階の台所からか食器の割れるような音が聞こえ、すごく怖かった。揺れはなかなか収まらず、もしかしてこのままずっと揺れているんじゃないかと怖くなり、耳をふさぎながら「あーあー!」と大きな声で叫んでやりすごした。
しばらくして揺れがおさまったので、自分の部屋に戻ろうとすると、ふた間続きになっている手前の兄の部屋は、タンスの引き出しや勉強机の上にあったものが全て落ち、足の踏み場がなくなっていた。地層みたいだった。物を踏みながら奥の自分の部屋に行くと、そこも同じように物の海になっていた。
兄に「とりあえずお父さんのところに行こう( お父さんは家の近くの公民館職員)。」と言われ、部活で使っていたエナメルバッグに持ち出せそうなものを入れ、ラックの上にひっかかっていた薄手の黒いジャンパーを着た。
もしかしたら役に立つかもしれないとお母さんドレッサーの引き出しに入っていた、カード会社や保険会社からの郵便物もカバンに入れた。無意識だったけど、もう家に戻ってこられないかもしれないと思ったのかもしれない。
兄が「避難所では猫の食べるようなものはもらえないと思う」と言うので太郎のご飯が入ったタッパーも鞄に入れた。太郎が怖がってこたつの中から出てこなかったので、兄に頼んで無理やり引っ張り出してもらった。このとき、兄は膝を悪くしていて、無理をすると膝の皿がずれてしまう状態だった。太郎を無理にだしたので膝が痛んだようで、少し休憩してから家をでた。その間も何回か揺れがきていて、家の壁には亀裂が入っていた。
外にでると、道路はでこぼこになっていて、マンホールからは水が溢れていた。家や電柱は傾いて、いつもの景色がゆがんでいるようだった。私たちと同じように、みんな近くの避難所へ移動しようとしている様子で、公民館に向かった。公民館のグラウンドでは小さい子たちが楽しそうに遊んでいた。状況がよくわかっておらず、興奮しているようだった。
公民館の中で誘導をしていたお父さんに会いに行くと、「津波がくるそうだ。公民館は津波の指定避難所ではないから( 公民館は二階建てで低い建物) 小学校か中学校に誘導するよう連絡がきたから、お前たちもそっちに早く避難しろ。」と言われた。
お父さんに話しかけるまで舞台の上で座っているときに、自分の膝から血が出ていたことに初めて気づいた。どこかにこすったようだったけど、不思議と痛くなかったことを覚えている。
お父さんから、津波がくると言われたけど、いつも津波がきても何センチかで結局大したことなかったので、今回もそんなもんだろうと思っていた。いつだったかのチリ地震の際もそうだったからだ。同じようなことを話している人もたくさんいた。私たちは2キロ先の小学校に向かった。
小学校に向かう途中、生協の前でNちゃんに会った。お兄ちゃんとはぐれたらしく、家に一回戻ると言っていた。私は津波が来るらしいから戻らないほうがいいと言ったが、大丈夫だからとNちゃんは戻ってしまった。
Nちゃんは津波にのまれて死んでしまった。
もっと強く引き止めていればよかった。
消防車が走って避難を呼びかけていた。
いつも何かあると鳴る、町のサイレンはこの日、鳴らなかった。
中学校の前で兄の膝が痛み出したので、予定を変更して中学校に避難することにした。中に入ると誰かが「3階か屋上へ!」と叫んでいた。兄と私は上へと向かった。外階段から中へ入られるドアをガンガン叩く音が聞こえ、見ると女の人が必死にドアを叩いていた。ドアの前に机が置いてあり、開かないようだった。でも、みんな自分の避難に必死で誰もどかそうとはしなかった。兄と机をどかし、ドアを開けた。「津波だ!」と、窓の外を見た。黒い水がじわじわと学校の駐車場に流れてくるのが見え、おじいちゃんが一人、まだ外にいるのを見つけた。「逃げて!」と叫んだけど、そのおじいちゃんが助かったかはわからない。
少し遠くを見ると。ず……、と、景色がそのままゆっくりゆっくりと動いた。町の中に船が見えた。船が家にぶつかり、家はぼろぼろになって崩れていった。あちこちに水の上なのに火が見えた。町全体が濃い灰色だった。兄と三階の教室から、水没したグラウンドを見た。水でいっぱいで、まるで映画を見ているようだった。夜になるにつれてどんどん暗くなり、懐中電灯を教室の真ん中あたりに置き、壁や周りにアルミホイルを貼って反射させて明かりを作った。持ってきたラジオからは、「絶対に水辺には近寄らないでください。被害の状況は­———」というような声が繰り返し聞こえていた。私は湿った教室の床に横になり、太郎を抱いていた。何も食べていないはずなのにお腹は��いていなかったし、眠気も全く来なかった。気づいたら朝になっていた。
朝になると水は引いていた。町を見たくて屋上にいった。それと、太郎がトイレをするかなと思って。屋上から見た景色に、町はもうなかった。グラウンドには車や船や瓦礫のようなものがぐちゃぐちゃになっていた。目の前にあった生協もなかった。今度は町が茶色だった。
あのときのトイレは今でも思い出すと吐きそうになる。人の用を足したものが積み重なり、ひどい臭いだった。吐きそうになりながら用をたした。学校には知ってる人がたくさんいて、Sちゃんに会った。Sちゃんは学校のジャージで、お腹から下は泥まみれだった。津波に少し飲まれたらしい。Sちゃんはお母さんとまだ合流できてない、小学校の方にいるかなあと言っていた。あとから知ったが、Sちゃんのお母さんは津波で死んでしまっていた。
お昼前ぐらいに兄が自宅の様子を見に行くと言って、少しして戻って来た。うちがあった場所には、うちの二階の屋根があっただけだったようだ。まだ実感がなく、そうなんだうちはもうないのか、と冷静に思った。
そのうちに大人の人たちが崩れてしまったお店から、食べ物や飲み物を持ち出してきた。避難した時に食料を持ち出すことのできた人たちから少しだけお裾分けをもらった。でも全員分はもちろんないので、たしか私はベビーチーズのようなものを一口分食べた。太郎にはお水を少しだけもらえたのでそれをあげた。
安全な内陸の避難所に全員移動することになったが、中学校の出入り口やバスが迎えに来てくれるおおきな道路にでるまでの道には、船や車や瓦礫などがたくさんあって、大勢の人が移動できるような状況ではなかった。なので自衛隊が道を作ってくれるまで待機するように言われた。
暗くなる前に作業は終わり、みんなでバスのところまで歩いた。海水のようなにおいと、ものが燃えたこげたにおいとガソリンのようなにおいがした。いたるところに車や船があって、きっと中には人がいたかもしれない。水は引いていたけど泥がすごくて、靴はすぐにぐしゃぐしゃになった。靴にビニールをかぶせていた人もいたけど、結局みんなどろどろになって歩いていた。
私と兄と太郎は、内陸の小学校の体育館に避難することになった。着くとすでに近隣の地域の人も避難していて、人がいっぱいいた。入り口でおにぎり一つと使い捨ておしぼりを一つずつ配られた。どこか寝る場所を確保しようとしたけど全然場所がなくて、体育館の中のゴミ回収のスペースの前が少し空いていたのでそこに落ち着いた。おにぎりを食べて、おしぼりで足を拭いた。毛布やシートも物資で配られたりしたようだったけどわたしたちがついた頃にはもうなかったので、余っている段ボールをもらって、段ボールを床に敷いて横になった。近くから避難してきた人たちは、自分の家から持ってきた毛布や服などであたたかそうで、わたしたちみたいな海から逃げてきた人たちとはギャップを感じた。目も怖かった。太郎も不安なのか、私のジャンパーの中から出てこようとしなかった。でもそのおかげで、すごく寒かったけど、お腹はあったかかった。中学の先生が状況把握のため��呼をとっていて、太郎をお腹に抱えた様子をちょっと笑われた。
夜、暗い中で何回か余震があって、そのたびに体育館の照明が大きく揺れて、ざわざわした夜だった。
朝になると支援物資が届いた。飲み物はコップがないともらえないと言われて、考えて、ひとり一個もらえるパンの中からサンドイッチ用のパンを選んで、その空き容器で飲み物をもらうことにした。兄はマヨネーズ入りのカロリーの高いロールパンを選んで、とにかく栄養を確保するように2人で食べた。トイレは、プールの水をバケツでくんで流せたので困らなかった。古着も物資で届いたので、パーカーなどの着られそうなものをもらった。わたしたちの隣にいた老夫婦が小さな犬を連れて避難していて、太郎は犬に懐かれていて面白かった。
兄と座っていると、名前を呼ばれた。お母さんとお姉ちゃんが走ってこちらに向かって来ていた。
生きててよかったと抱きしめられた。みんなで号泣した。
お母さんは仕事で内陸にいて、お姉ちゃんもバイトで海からは少し離れたコンビニにいて、津波が来る前に東部道路に避難して助かっていた。2 人は違う小学校で合流できていたようで、わたしたちの地域の人たちが避難している場所を探していてくれたようだった。お母さんが働いていた保育所の休憩室を間借りしていいといわれたらしく、そこに移動することにした。車できたからそれでいこうと外にでると、血の繋がっている方の父がいた( 私の両親は離婚していて、お母さんは再婚して、新しいお父さんがいます)。私は父のことを嫌っていたし、何年も会ってなかったけど、そのときはなぜだかとっても安心して、頭を撫でられて肩を抱かれると泣いてしまった。非常事態だったので、お母さんも連絡をとって食料や布団などをわけてもらったらしい。
車に乗り、保育所に向かう途中、太郎が安心しておしっこをもらした。避難所では粗相をしなかったので、太郎もがんばっていたのだなと思った。
保育所の休憩室は、5畳ないくらいのスペースで小上がりの畳になっていた。畳の上に段ボールを敷いて、布団を敷いて、家族で川の字になって眠った。やっぱり寒くてなかなか寝付けなかったけど、お母さんが抱きしめてくれたおかげで、よく眠れた。
次はお父さんと合流しようと、情報を求めて市役所に向かった。市役所の中に入ると、壁いっぱいに「◯◯に避難しています◯◯みたらここに連絡をください」といったような内容の紙がびっしりと貼られていた。その中には知っている名前も幾つかあって、ああ無事だったのだなと安心したこともあった。お父さんの名前を見つけたけど、けがをしている、というようなことが書いてあったので焦った。とりあえずお父さんがいるという避難所へ向かうと、お父さんは元気そうに出入り口近くの椅子に座っていた。安心したお母さんはへなへなになって笑った。あのときは情報が錯綜していたので、間違ってそう書かれてしまったらしい。すぐに同じ場所にお父さんも移動したかったけど、お父さんは公務員なので被災者の誘導等の仕事があったのですぐには保育所に一緒に戻れなかった。
保育所での生活は体育館にいるときよりずっと過ごしやすかった。狭かったけど、家族がみんないて、人の目を気にしなく���いいのはすごく救われた。電気はまだ復旧していなかったけど、水道が使えて嬉しかった。ごはんも、お母さんの仕事仲間の人が炊き出してくれたりして、あたたかいものを食べられた。ずっとお風呂に入れてなかったので気持ち悪くなって一度、水で頭だけ洗ったけど、寒すぎて凍えた。被災してから一週間たたないくらいに、電気が復旧し始めて、近くの家に住んでいたお母さんの職場の人の好意でお風呂に入らせてもらった。久しぶりのお湯はあったかくてきもちよかった。
お店もすこしずつものを売られるようになって、学校もない私と兄と姉はそれぞれ生活に必要なものを行ける範囲で探し回った。持ち出せたお小遣いをもって、とにかくいろんなお店でなにか買えないか歩き回った。個数制限で、ひとり3個までしかものが買えなかったり、なにも残ってなかったり、3時間以上並んだりした。
あるとき、ひとりでお店の列に並んでいると、知らないおじいちゃんに話しかけられた。どこからきたのかなんでひとりなのか聞かれ、答えると「大変だったね」と自分が買ったバナナを分けてくれた。少し泣いてしまった。いろいろなところで食べ物などを買えてうれしかったけど、そのころは物資不足で窃盗や空き巣が多発していたので、ビクビクしながら保育所に帰る道を早歩きでいつも帰っていた。
銀行でお金をおろせるようになり、保育所も再開するので長くはいられないと、アパートを借りることになった。お父さんががんばって見つけてくれた。引越して、いろんな人の好意で家電や家具をもらって、なんとか避難所生活はひとまず終わった。
アパートで炊飯器をつかって炊いた、炊きたてごはんをたべたときはすごくすごくおいしくて、おかずは缶詰の鯖だったけど、何杯もおかわりをした。あのとき食べたごはん以上に美味しいと感じたものは今もない。
アパートで暮らし始めて少しして、携帯の電話番号を覚えていた友達に電話をかけてみた。その子は飼っていたペットたちは犠牲になってしまったけど無事だった。ただ、その子との電話で「Aちゃん残念だったね。」と言われた。Aちゃんは私のすごく仲良しの女の子で、どういうことなのか理解できなかった。
Aちゃんの妹の名前と避難先の書かれたメモを市役所でみていたので、Aちゃんもきっと無事だろうと思っていた。「新聞の犠牲者の欄に名前が載っていた」そう言われて、後の会話は覚えていない。電話の後に新聞を読み返して犠牲者の欄を探したら、Aちゃんの名前を見つけてしまった。新聞に名前が載っている,という証拠のようなものをつきつけられて、一気に怖くなり、悔しくて信じられなくてまた泣いてしまった。
兄もその欄に仲の良かった友達の名前を見つけてしまったようで、リビングのテーブルに突っ伏して、「なんでだよ」とつぶやきながらテーブルを叩いていた。
4月のある日の夜、また大きな地震が起こった。また津波が来るのではないかと家族全員で車に乗り、指定避難所に急いだ。幸い、なにもなかったが、その日の夜は怖くて車から降りられず、朝まで起きていた。
通っていた中学校から一度学生も職員も集まるよう連絡が来た。当日は市の文化会館に集合し、そこからバスで市内の小学校に移動した。久しぶりに同級生と再会して、今どこに住んでいるのか家族は無事だったのかたくさん喋った。そしてみんなが集まった前で先生が、犠牲になった同級生の名前を読み上げた。Aちゃんの名前も呼ばれた。先生の声は震えていて、最後は泣きながら私たちに向かって話していた。7人の友達が死んでしまった。学校全体では、14人の生徒が犠牲になった。
私はすごく後悔していることがある。遺体安置所に行かなかったことだ。市内のボーリング場が安置所になっていて、そこにAちゃんがいることもわかっていたが、怖気づいていけなかった。私とAちゃんともう一人とで三人で仲良くしていて、そのもうひとりの子は会いに行っていた。顔中があざだらけでむくんでいた、と言っていた。お化粧をしてあげたよと聞いた。私も会いに行けば良かった。
学校は市内の小学校の旧校舎を間借りして再開した。歩いて行ける距離ではなく、駅から毎日臨時のスクールバスが出ていたので、私はそこから毎日学校に通った。文房具や教材は支援物資が届いて、しばらくは制服もなかったので私服登校だった。何週間も字を書いてなかったので、文字が下手くそになっていた。遠くに避難して、転校してしまった子もいたけど毎日家族以外の人とも会えるのは嬉しかった。でも、間借りしていることは肩身が狭かった。間借り先の小学校の子とは話した記憶がない。支援物資や有名人がきた時は「ずるい」、「 そっちばっかり」と言われるようなこともあった。自分は生徒会役員だったため、お礼状や物資管理を手伝っていたけど、千羽鶴や「頑張って!」、「絆」などのメッセージを見るたびに複雑な気持ちになった。無理やり前向きになれと言われているようだった。
学校も落ち着いた頃、同級生の一人のお葬式に参加した。小学校の頃から係活動で仲良くなった子だった。その子はお母さんも亡くなって、その子のお父さんから良かったらきてほしいと連絡があった。とても天気のいい暑い日で、田舎の方の緑がたくさんあるところでお葬式が行われた。久しぶりに会ったKちゃんは小さな箱になっていた。焼かれて骨になって骨壷に入ったKちゃんは、軽くて白かった。お墓にお箸で骨を一つ入れさせてもらった。「ああ、Kちゃんはもういないんだ」と、「こんなに小さくなってるなんて」と、脱力した。
私は夢を見るようになっていた。夢の中で津波から逃げたり、友達と会ったりしていた。その中でも強烈だったのが二つ
ある。一つは、どこかのホテルに友達と泊まりに来ていて、ホテルのベッドで飛び跳ねて遊んでいた。途中までは私も遊んでいたけど、何か変だと感じて、だんだん飛び跳ねている音がうるさくなってきて、「ねえもうやめようよ」と声をかけた。するとその音は「ゴーーーー」という地鳴りの音に変わって、私は耳を塞いでしゃがみこみ、叫んだところで目が覚めた。自分の叫び声で起きた。
もう一つは、なぜか私は小学生で、小学校の帰り道をAちゃんと何人かの友達と歩いていた。夢の中では納得していたけど、不思議なことにみんなでAちゃんのお葬式に行こうとしていた。道の途中で、2本に分かれているけど少し行くとまた繋がる道があり、そこで私はAちゃんをびっくりさせようと「また後でね!」と違う方の道を走って待ち伏せしていた。でも、だんだん不安になって、泣きながらAちゃんを探した。立ち止まっているAちゃんを見つけて、「 行かないで!」と抱きついた、Aちゃんは静かに「なんで私のお葬式があるの?」と、聞いてきた。
そこで目が覚めた。しばらく体は動かず、寝ながら泣いていたようで、頬が涙でカピカピになっていた。
冬になって、12月11日の早朝、お母さんとお姉ちゃんの声で起きた。どうしたのかとリビングに行くと、2人が「お父さん!」と声をかけて、体を揺すっていた。後から聞いた話によると、朝、お姉ちゃんがバイトの支度をしているときに、お父さんから寝息が聞こえず、お母さんに「変じゃない?」と言って、2 人で起こそうとしたようだった。私も声をかけたが起きず、お母さんは「かなこ!( お姉ちゃんの名前) 救急車!」と叫んで、心臓マッサージを始めた。バキバキと骨の折れる音が聞こえた。お父さんの胸はベコベコにされていたが、起きない。私も交代でマッサージをして、救急車を待った。救急車が到着して運ばれる直前、そっとお父さんの足を触った、氷のように冷たくて硬かった。救急車を後ろからお母さんの車で追いかけ、病院についた。ドラマで見たような部屋に運ばれ、看護師に心臓マッサージをされていた。心電図はまっすぐで、「ピー」という音がなっていた。何分間かどれくらい経ったか、マッサージが止まり、瞳孔を見られていた。「すいません」と看護師の方が言い、「ご臨終です」と、初めて聞く言葉を耳にした。病室には「ピー」という音とが響いていた。
みんな無言で家に戻り、お母さんがリビングに座ったところで、「どうして!」と泣き叫んだ。お母さんがそんなに泣いているところを初めて見た。お父さんのことはまだショックでよくわかっていなかったけど、その姿がどうしようもなく悲しくて、お姉ちゃんと抱き合って泣いた。
中学校には、お母さんが色々な手続きで忙しそうだったので、自分で電話をした。担任の先生に繋がり、ほぼ文章になっていなかったけど泣きながら事情を説明した。先生はゆっくり聞いてくれて、学校のことは心配しなくていいよと言ってくれた。
お葬式までの間、斎場でお父さんと過ごした、ドライアイスで冷やされて、冷たかったけど、箱の中にはずっといて、怖くもなかったし、もしかしたら起きるんじゃないかなんて思ったりもした。まあ、当たり前にそんなことはなく、火葬の日がきた。
お父さんが焼かれる場所へ、親族一同で向かった。炉の中へ入れられるとき、もう体さえもなくなってしまうんだと、お父さんに会えなくなるんだと理解した私は一気に悲しくなり、「お父さん」とつぶやいた。涙が止まらなくなり、「行かないでよ」とつぶやいた。お母さんが私の背中をさすった。兄が私の頭に手を添えた。
お父さんは焼かれた。ちゃんとお骨を拾い、壺の中にお父さんは収まった。
お父さんは公民館職員で、そして糖尿病を患っていた。震災の日、公民館は建物が低いので、違う避難場所に誘導している途中で津波が来た。目の前で他の職員が流される��を見たそうだ。公民館にいた人はギリギリ二階に登り助かったものの、船が建物にぶつかって半壊し、もう少しでみんな死んでしまうと��ろだった。でも、避難途中で犠牲になった人の遺族からすれば、いたら助かったじゃないか! とひどく責められていたらしい。
避難場所でも、公務員はずるい優遇されていると同じ被災者なのに責められ、ストレスで体がおかしくなっていた。持病の糖尿病が悪化し、20キロ体重が増えていた。お母さんから後から聞いた話によると、毎晩のように公民館のグラウンドいっぱいに遺体が並び、こっちに来いと呼ばれる夢を見ていたそうだ。死因は無呼吸からの心肺停止だった。
お父さんは震災に殺された。
お父さんの死と、自分の受験のシーズンが重なり、私は少しおかしくなっていた。受験している場合なのかと悩んで、身が入らなくなっていた。トイレで隠れて手首を切るようなこともあった。今思えば、なにも考えたくなかったからそういうことをしてしまったのかもしれない。様子がおかしいと思われたのか、スクールカウンセラーの先生に、週1回、カウンセリングを受けることになった。行きたくなくてサボった日もあるけど、先生は怒らなかった。優しくいろんな話をしてくれた。友達にも支えられて、なんとかいつも通りに過ごせるようになった。
高校受験もおわり、合格発表の日、私は1人で受験した高校に結果を見に来ていた。無事番号を見つけてお母さんに連絡すると、すぐにメールで返事が帰ってきた。メールが2通届いて、確認してみると、もう1通はお父さんの携帯からだった。「合格おめでとう!」と、本当にお父さんからきたかと思って嬉しかった。すぐにお母さんがお父さんの携帯で送ってくれたのだろうと気づいたけどとっても嬉しかった。
高校では美術科に在籍していたため、常にコンペに向けて制作をしていた。一度だけ、Aちゃんを描いたことがあったけど、周りには誰ということはなにも言わずにただ描いた。それっきり震災関連で制作をすることはなかった。
高校生活の中で辛かった授業がある。保健体育の授業だ。心肺蘇生の心臓マッサージを学ぶ授業の時は、お父さんの感触を思い出して辛かった。避難について学ぶ授業では、ふざけた男子生徒が、避難のシミュレーションを発表するときに「津波だー!」とヘラヘラしながら津波のモノマネをしていて腹がたった。そういう授業があった日は、その日1日は震災のことなどで頭がいっぱいになり、帰ってからいつもお母さんやお姉ちゃんに慰めてもらった。
そして何度か震災復興のためのアートプロジェクトに参加した。被災者として何かしなければと義務感に駆られて、割と積極的に参加した。でも、いつも心の隅には、こんなことをしてなにになるのだと皮肉な自分もいた。震災の時のことを公演してくれ、文章にしてくれ、という依頼は全て断った。語ったりはしたくなかった。
高校の卒業制作展で、ゲストを迎えたパネルディスカッションを行った。ゲストは有名な大学の先生で、私は卒展の実行委員長としてトークをした。その中で、「地域復興」の話題を担当し、いろいろなことを話したけど、「私もゆくゆくは自分の地域をなにかしら盛り上げたい」と口にした後は「本当にそう思っているのか?」と、苦しい気持ちになった。立派なことを言わなければ、というプレッシャーがあった。
いつも3月11日は家で家族と過ごすようにしていたけど、2015年のその日は、震災以来初めて閖上にいた。
京都に引っ越す前にみんなに挨拶がしたいと思ったからだ。お花を持って友達と待ち合わせをして、久しぶりに来た日和山は、前はみんなで鬼ごっこをして遊んだ場所だったけど、今は慰霊の場所になっていて、上から街を見渡すと、何にもなかった。まっさらでたまに草が伸びている、そんな景色だった。
中学校に移動して、2時46分を待った。鳩の形の風船が配られて、メッセージを書いた。「行って来ます。」と。そして2時46分、みんなで風船を飛ばした。
でもその瞬間はひどいものだった。多くの人がスマホを構えて、風船を飛ばす瞬間を撮っていた。カメラの音がたくさん聞こえて悲しくなった。なんのためにやっていることなのか、気持ち悪かった。一緒に来ていた友達も怒っていた。イベントじゃないんだ、と叫びたかった。
京造に進学してからは、震災の話題に触れることは少なくなった。し、自分でも避けるようになった。
宮城出身です、というと大体「震災大変だったでしょ?」と言われた。「そうですね」と正直に言うと、気まずそうな申し訳なさそうな対応をされた。それが嫌で、出身は言いづらくなって、「震災大変だったでしょ?」と言われても、「大丈夫でしたよ」と言うようにした。一回生の授業である先生が、どんな内容で言ったのかは忘れてしまったけど、「津波はあっけなく人を殺すからね〜。」と、さらっと言ったことがあった。私はショックで涙がとまらなくなった。俯いて、寝てるふりをした。周りの子にはバレていたかもしれない。その日はずっと気分が上がらず、帰ってからお母さんに電話をした。当時一緒に住んでいたルームメイトに抱きしめてもらった。
二回生の時は、授業中に阪神淡路大震災の映像が流されて、震災の時の記憶がフラッシュバックしたこともあった。イヤホンをつけて目をつぶってやり過ごして、大階段を登ってすぐ横の芝生のベンチで家族に片っ端から電話をかけた。午前中でなかなか繋がらず、体育すわりをしながらずっと待っていた。お姉ちゃんとつながって、落ち着かせてもらって、その日は授業があったけど、一度家に帰った。夜は眠れなかった。
7年経った今でも、津波の映像や写真は見ることができない。彷彿とさせるようなものも苦手だ。3月はいつものように睡眠を取ることもできなくなる。11 日は家族と実家で過ごすようにしている。閖上の方向を向いて必ず黙祷をして、黙祷している時は、悲しい、悔しい、いろんな感情が混ざったように涙が出る。
私はずっと震災に潰されている。それが、とても嫌だ。
——
でも、このまま���いるのはもっと嫌だ!
だから私は向き合うことにした。
制作をはじめると同時にひまわりの種を植えた。ひまわりは、お父さんの1番好きな花だったから。
だけど、ひまわりは咲かずに途中で枯れてしまった。
私にはもう少し、時間が必要なようだ。
もうすぐ、8年目の3月11日がくる。
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aa-labo · 5 years ago
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【これも建築士の仕事】 建築士って何も図面描いて現場行ってっていう仕事だけではありません。 クライアントの代理人というか相談役となって様々な仕事をこなします。 ・ クライアントからは「とにかく青木さんにまず相談すれば良いから本当に心強くて安心です。」と言われることもあれば、「もし青木さんが居なくなったらどうしよう。」と逆に不安になるクライアントも…。 ・ 随分前の話ですがこんな事がありました。 ・ クライアントが購入予定の土地に古い家が建っており、その解体をその土地を扱っていた不動産屋に見積を取って依頼し、解体工事も完了し、しばらく経った頃にクライアントから僕のところに連絡がありました。 ・ 👩🏻‍🦰解体工事の請求書が不動産屋さんから届いたんですけど、請求金額が値引き前の金額になってるみたいで…。 👨そうですか。間違いですから僕の方から不動産屋に連絡しときますよ。 ・ 👨あ、もしもし。社長さんですか? 👤そうですが。 👨先日解体してもらった件ですけど、請求金額が値引き前の古い金額になってましたので、申し訳ないですが請求書を出し直してもらえますか? 🗣(電話の向こうで)おーい、解体の請求書の件どーなとるんだ? 👩🏻‍💼もしもしお電話変わりました。経理担当の者です。こちらにはその金額の見積しかありませんので請求額はその金額になります。 👨いや、その金額から1万円程値引きしてもらった見積があります。えーと、何なら���からFaxでその見積書を送りましょうか? 👩🏻‍💼とりあえず送って下さい。 📠ジー、ピー!(Fax送信) ・ 👨Fax確認してもらいました? 👩🏻‍💼ええ、日付けも新しく、こちらの社印も押してあるので間違いないと思います。 👨(やれやれ、これで一件落着だ) 👩🏻‍💼でももう請求書を発行してしまったので請求額は経理上変えられません。 👨え?そんなのおかしいですよね?こちらはキチンと見積を取って仕事を依頼してるんですからその見積金額以上は払えませんよ。 👩🏻‍💼その金額しか払えないなら請求金額から不足してしまうので永遠に請求書を出す事になりますよ。 👨そんなのどう考えてもおかしいですよね? 👩🏻‍💼そんな事言われても私にはどうにも出来ません。 👨じゃあ話の出来る社長さんに代わって下さい。 👤センセイ、ちょっと細かすぎない?そんなのはした金ですよ。 👨はした金って、例え1万円でもクライアントの大事なお金ですよ! 👤なんだとてめぇ、いちいちうるさいんだよ!金額が違うとか請求書出し直せとか!何様のつもりだった!てめぇ、一回事務所に来い! 👨なんで僕がわざわざ行かなきゃならないんですか。そっちが来て下さい。 👤ふざけんな!(ガチャン!) 👨… ・ 👨という訳なんです。 👩🏻‍🦰でも社長さんてあの怖い人ですよね…。 👨(え?怖い人だったの😱) 👩🏻‍🦰別に1万円くらい払えない訳じゃないですけど、なんか納得いきませんよね…。 👨とりあえず支払わないままにしておいても決して良くはありませんので、とりあえず値引きした見積の金額だけ払っておいて下さい。それでまた不動産屋から請求書が来たら僕が話し合ってみます…。 ・ その後不動産屋からはなんの連絡もなかった。 経理上の理由ってまったくナンセンスな理由ですよね。あの(怖い)社長ならともかく、経理の女性の方までそんな事言い出すなんてねぇ。 ・ 建築士の仕事も時にはこういうやり取りというかバトルが起こる事がたまにあります…。 ・ #建築士の仕事 #理不尽な人々 #過去エピソード https://www.instagram.com/p/B0x92WagSHG/?igshid=1xcno0w9uw70
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bittersweetfootball-blog · 4 years ago
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ICUの夜 -2
夜は長い。体調が悪い夜はなおさら。
私はかなり元気なICU患者
左の同志とWebチーム医療
ICUで一晩過ごす、その夜はただただ長くて、長い時間そのものが辛さになるような一晩だった。
ベッドはふかふかで快適だった。 こんな言い方は何だが、マットレスもどう考えても病棟のベッドよりクッションが良いし、掛け布団も羽毛のフワッフワである。病棟は掛布団は羊毛と思わしきもので快適ではあるがシングル幅よりも狭いしタオルケットも手触りがタフなものだった。あれは清潔に効率よくコストも考慮した良いものだと思うし、退院したら逆に何か懐かしい感じがしてしまうものではあるが。ごわごわのタオルケット逆に良い…。
だけど、眠れないんだ。一つは、両手に都合4、5ケのラインがくっついているからというのがある。手足には定期的に膨らむものも付いている。腕の方は血圧測定用、足の方はエコノミークラス症候群対策のアレである。
頭蓋骨の手術跡は患部が動かない分、痛みは少ないわよ、と女医先生に言われていたように、手術跡の痛みを感じることはなかった。痛くないというよりも、痛みを感じるところまで精神的な余裕がないのと、まぁあとは痛み止めを点滴されてるからと言うのが大きかったんだろうと思う。 インターン先生に「先生、アタマって動かしてもいいんですか」と聞いたら好きにしていいと言う。好きにしていいってどういうこと?��って私の後頭部は開かれた後なんでしょう?と思うのだが、先生からしたらしっかり縫い閉じてるしドレーンも固定しているから気にしなくていいらしい。 でも、気になるよ…。
体にくっついている色んな物と頭の傷が気になってしまって、体位が何となく固定されるべく意識付けされてしまう。そうすると、眠りにくいのだ。寝相を自由に繰り出せないと、寝返りが打てないと、寝続けられないように人間って出来ているらしい。
あとは、始終、自分の枕元や両隣からピー、ピー、ピッピッピッと電子音が聞こえる。私からは血圧計と血中酸素濃度の機械が頻繁に警告音を鳴らしていたようだった。鼻に管を入れられて酸素を供給されているんだけど、たまに口呼吸になって酸素濃度が下がったりしているようで、経口のマスクに変えてみるがそれでも上手く吸えないようだった。呼吸が下手になっている。血圧が上がる。
ピーピーと何らかの警告音が鳴ると、すぐにICU看護師さんが飛んでくる。で、何かをして、そして去っていく。起きちゃいましたか。気にしなくて大丈夫ですよ、と声をかけていってくれる時もある。 でも気になるよ…。
消灯前と同様に、多分「短時間のうつらうつらとした就寝状態」と、何かをきっかけに意識が浮上して「寝てはいないが起きてるかというと微妙な半覚醒状態」を行き来している。熟睡は、まぁ出来るわけがない。看護師さんも、ぐっすりは寝られないと思いますから、寝られなくても気にしなくて大丈夫ですからねと言う。要するにICUというのはそういう場所なのだった。
私の、天井を向いた左側に陣取っている患者さんが、どうやらとても重篤な状態なようだった。とにかく電子警告音が鳴りっぱなしなのだ。あとは頻繁にせき込み、たんの吸入をしている音がする。これは大変そうだなぁ…と、人の心配をしている立場でもないのだが左側にいる同志の安寧を願った。つらそうなのが、とても気の毒だった。同志よ、この夜をともに、何とか乗り切ろう。そういう気持ち。
何度も、浅い眠りと半覚醒を繰り返し、このままずっと夜が明けることなんてないんじゃないかと悲劇的な気分とともに過ごしていたが、どうやら明け方には少し深い眠りに入っていたらしく「も~、いい感じで寝てたのに~」という感想とともに、またICUに煌々とした蛍光灯が灯った。朝になったのだ。生き延びた。つーか何なら割としっかり寝たんじゃないか私。いちいち図々しく図太く健康である。 看護師さんに今何時かを聞いたら7時だと言う。ICUは性質上、外部の光が入らない場所にあるとのことで「時計見ないと全然時間が分かんないんですよね私たちも、あははー」と笑っていた。本当に大変なお仕事である。
朝になり蛍光灯が煌々と明るくなった室内なのだが、まださっきまでの「いい感じの眠り」にしがみついてウトウトとしていた。 そうしたら、左の同志のブロックで、どうやらWeb会議が始まったようだった。つい、聞き耳を立ててしまう。Web会議だと分かったのは、喋ってる登場人物の声が大勢なのに、カーテンの向こうには人間の気配が1,2人ぐらいしかないからだった。 一晩中つらそうだった左の同志は、どうやら当面一番の心配ごととして高熱が去らないようだった。その原因と考えられることも複数あるようで「〇〇科の△△先生、所見はどうですか」と色んな診療科の先生が意見を述べていく。私が仕事でやってたWeb会議なんかの10万倍ぐらい整然とWeb診療会議がてきぱきと進行され当面の看護・治療方針がまとまったようだった。 私は脳外科と血管外科の2科のチーム医療だったが、左の同志は2科どころじゃなさそうで、ますます同志を心配する気持ちが高まる。でも私と左の同志は、一晩、ICUで隣同士になっただけの通りすがりである。通りすがりの同志、今どうしているだろう。名前も何の病気かも、高齢の男性であるということぐらいしか推測できない同志が、今は元気でいるといいなと思う。
一方、私は元気に朝ごはんを食べ、インターン先生に手術の傷の様子チェックとガーゼ交換をしてもらい、昼番に引き継いだICU看護師さんから、色々検査をして問題なければ午後には病棟ICUに移りますよーと言われた。
手術後の頭の中の様子を見るためにCTとMRIを取りに行く。ストレッチャーで寝たまま行く。ストレッチャーに寝たまま撮影の受付をする。2週間ほど前の初診の時にスマホを握りしめて長電話してて怒られた受付だ。何か懐かしい。たった2週間で随分と人生が変わった。
体中にくっついてる管をてきぱきとさばき、ハイ寝てください、ハイ頭はここに置いてください、ハイじっとしててください、とてきぱきと撮影される。ギーガガガガガ、というMRI独特のノイズにもすっかり慣れた。この2週間で笑うほどCTとMRIを撮影している。4回目ぐらいだろうか。
撮影から戻って、またうつらうつらして、お昼ごはんを食べて、またうつらうつらしていたら、大丈夫なので一般病棟に戻りましょう、と言われた。何だかんだで午後も半ばぐらいになっていた。
さようならICU、ありがとう。そして左の同志もどうかお元気であればいいなと願う。
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skf14 · 4 years ago
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12150006
軽快なメロディが音割れしていることにきっと全員気付いているはずなのに、誰も指摘しないまま、彼は毎日狂ったようにそれを吐き出し続けている。
時刻は朝の8時過ぎ。何に強制されたでもなく、大人しく2列に並ぶ現代の奴隷たち。いや、奴隷ども。資本主義に脳髄の奥まで犯されて、やりがいという名のザーメンで素晴らしき労働という子を孕まされた、意志を持たない哀れな生き物。何も食べていないのに胃が痛い。吐きそうだ、と、50円のミネラルウォーターを一口含んで、押し付けが���しい潤いを乾く喉に押し込んだ。
10両目、4番目の扉の右側。
俺がいつも7:30に起きて、そこから10分、8チャンネルのニュースを見て、10分でシャワー、10分で歯磨きとドライヤー、8:04に自宅を出て、8:16に駅に到着。8:20発の無機質な箱に乗る、その最終的な立ち位置。扉の右側の一番前。黄色い線の内側でいい子でお待ちする俺は、今日もぼうっと、メトロが顔を覗かせるホームの端の暗闇を見つめていた。
昨日は名古屋で人が飛び込んだらしい。俺はそのニュースを、職場で開いたYahoo!のトップページで見かけた。群がる野次馬が身近で起きた遠い悲劇に涎を垂らして、リアルタイムで状況を伝える。
『リーマンが飛び込んだ』
『ブルーシートで見えないけど叫び声聞こえた』
『やばい目の前で飛び込んだ、血見えた』
『ハイ1限遅れた最悪なんだけど』
なんと楽しそうなこと。まるで世紀の事件に立ち会った勇敢なジャーナリスト気取り。実際は目の前で人が死ぬっていう非現実に興奮してる変態性欲の持ち主の癖に。全員死ね。お前らが死ね。そう思いながら俺は、肉片になった男の���とを思っていた。
電車に飛び込んで仕舞えば、生存の可能性は著しく低くなる。それが通過列車や、新幹線なら運が"悪く"ない限り、確実に死ぬ。悲惨な形を伴って。肉片がおよそ2〜5キロ圏内にまで吹き飛ぶこともあるらしい。当然、運転手には多大なトラウマを植え付け、鉄道職員は線路内の肉片を掻き集め、乗客は己の目の前で、もしくは己の足の下で、人の肉がミンチになる様を体感する。誰も幸せにならない自殺、とは皮肉めいていてよく表現された言葉だとつくづく思う。当人は、幸せなのだろうか。
あの轟音に、身体を傾け頭から突っ込む時、彼らは何を思うのだろう。走馬灯とやらが頭を駆け巡るのか、やはり動物の本能として恐怖が湧き上がるのか、それとも、解放される幸せでいっぱいなのか。幸福感を呼び起こす快楽物質が脳に溢れる様を夢想して、俺は絶頂にも近い快感を奥歯を噛み締めて堪えた。率直に浮かんだ「羨ましい」はきっと、俺が人として生きていたい限り絶対漏らしてはいけない、しかし限りなく本音に近い、5歳児のような素直な気持ち。
時刻は8:19。スマホの中でバカがネットニュースにしたり顔でコメントを飛ばして、それに応戦する暇な人間たち。わーわーわーわーうるせえな、くだらねえことでテメェの自尊心育ててないで働けゴミが。
時刻は8:20。腑抜けたチャイムの音。気怠そうな駅員のアナウンス。誰に罰されるわけでもないのに、俺の足はいつも黄色い線の内側に収まったまま、暗がりから顔を覗かせる鉄の箱を待ち侘びている。
俺は俯いて、視界に入った己のつま先にグッと力を込めた。無意識にするこの行為は、死への恐怖か。馬鹿らしい。いつだって、この箱の前に飛び込むことが何よりも幸せに近いと知っているはずなのに。
気が付けば山積みの仕事から逃げるように、帰りの電車に乗���ていた。時刻は0:34。車内のアナウンス。この時間でこの場所、ということは終電だろう。二つ離れた椅子に座ったサラリーマンがだらりと頭を下げ、ビニール袋に向けて嘔吐している。饐えた臭いが漂ってきて貰いそうになるが、もう動く気力もない。死ね。クソ野郎が。そう心の中でぼやきながら、俺はただ音楽の音量を上げて外界を遮断する。耳が割れそうなその電子音は、一周回って心地いい。
周りから俺へ向けられる目は冷たく、会社に俺の居場所はない。同期、後輩はどんどん活躍し、華々しい功績を挙げて出世していく。無能な俺はただただ単純で煩雑な事務作業をし続けて、それすらも上手く回せない。ああ、今日はただエクセルの表作りと、資料整理、倉庫の整理に、古いシュレッダーに詰まった紙の掃除。それで金を貰う俺は、社会の寄生虫か?ただ生きるために何かにへばりついて必要な栄養素を啜る、なんて笑える。人が減った。顔を上げると降りる駅に着いていた。慌てて降りる俺を、乗ろうとしていた騒がしい酔っ払いの集団が睨んで、邪魔そうに避けた。何だその顔は。飲み歩いて遊んでた人間が、働いてた俺より偉いって言うのか。クソ。死ね。死んでくれ。社会が良くなるために、酸素の消費をやめてくれ。
コンビニで買うメニューすら、冒険するのをやめたのはいつからだろう。チンすれば食べられる簡単な温かい食事。あぁ、俺は今日も無意識に、これを買った。無意識に、生きることをやめられない。人のサガか、動物としての本能か、しかし本能をコントロールしてこその高等生物である人間が、本能のままに生きている時点で、矛盾しているのではないか。何故人は生きる?生きるとは?NHKは延々とどこか異国の映像を流し続けている。国民へ向けて現実逃避を推奨する国営放送、と思うと笑えてきて、俺は箸を止め、腹を抱えてしこたま笑った。あー、死のう。
そういえば、昔、俺がまだクソガキだった頃、「完全自殺マニュアル」なる代物の存在を知った。当然、本を変える金なんて持ってなかった俺は親の目を盗んで、図書館でそれを取り寄せ借りた。司書の本を渡す際の訝しむ顔がどうにも愉快で、俺は本を抱えてスキップしながら帰ったことを覚えている。
首吊り、失血死、服毒死、凍死、焼死、餓死...発売当時センセーショナルを巻き起こしたその自称「問題作」は、死にたいと思う人間に、いつでも死ねるからとりあえず保険として持っとけ、と言いたいがために書かれたような、そんな本だった。淡々と書かれた致死量、死ぬまでの時間、死に様、遺体の変化。俺は狂ったようにそれを読み、そして、己が死ぬ姿を夢想し��。
農薬は消化器官が爛れ、即死することも出来ない為酷く苦しんで死ぬ地獄のような死に方。硫化水素で死んだ死体は緑に染まる。首吊りは体内に残った排泄物が全て流れ出て、舌や目玉が飛び出る。失血死には根気が必要で、手首をちょっと切ったくらいでは死ねない。市販の薬では致死量が多く未遂に終わることが多いが、バルビツール酸系睡眠薬など、医師から処方されるものであれば死に至ることも可能。など。
当然、俺が手に取った時には情報がかなり古くなっていて、バルビツール酸系の薬は大抵が発売禁止になっていたし、農薬で死ぬ人間など殆どいなくなっていたが、その情報は幼かった俺に、「死」を意識させるには十分な教材だった。道徳の授業よりも宗教の思想よりも、何よりも。
親戚が死んだ姿を見た時も、祖父がボケた姿を見た時も、同じ人間とは思えなかった俺はきっとどこか欠けてるんだろう。親戚の焼けた骨に、棺桶に入れていたメロンの緑色が張り付いていて、美味しそうだ。と思ったことを不意に思い出して、吹き出しそうになった。俺はいつからイカれてたんだ。
ずっと、後悔していたことがあった。
小学生の頃、精神を病んだ母親が山のように積まれた薬を並べながら、時折楽しそうに父親と電話をしていた。
その父親は、俺が物心ついた、4、5歳の頃に外に女を作って出て行った、DVアル中野郎だった。酒を飲んでは事あるごとに家にあるものを投げ、壊し、料理の入った皿を叩き割り、俺の玩具で母親の顔を殴打した。暗い部屋の中、料理が床に散乱する匂いと、やめてと懇願する母親の細い声と、人が人を殴る骨の鈍い音が、今も脳裏によぎることがある。あぁ、懐かしいな。プレゼントをやる、なんて言われて、酔っ払って帰ってきた父親に、使用済みのコンドームを投げられたこともあったっけ。「お前の弟か妹になり損ねた奴らだよ。」って笑ってたの、今思い返してもいいセンスだと思う。顔に張り付いた青臭いソレの感触、今でも覚えてる。
電話中は決まって俺は外に出され、狭いベランダから、母親の、俺には決して見せない嬉しそうな顔を見てた。母親から女になる母親を見ながら、カーテンのない剥き出しの部屋の明かりに集まる無数の羽虫が口に入らないように手で口を覆って、手足にまとわりつくそれらを地面のコンクリートになすりつけていた。あぁ、そうだ、違う、夏場だけカーテンをわざと開けてたんだ。集まった虫が翌朝死んでベランダを埋め尽くすところが好きで、それを俺に掃除させるのが好きな母親だった。記憶の改変は恐ろしい。
ある日、俺は電話の終わった母親に呼ばれた。隣へ座った俺に正座の母親はニコニコと嬉しそうに笑って、「お父さんが、帰ってきていいって言ってるの。三人で、幸せな家��を作りましょう!貴方がいいって言ってくれるなら、お父さんのところに帰りましょう。」と言った。そう。言った。
俺は、父親が消えてからバランスが崩れて壊れかけた母親の、少女のように無垢なその笑顔が忘れられない。
「幸せな家庭」、家族、テレビで見るような、ドラマの中にあるような、犬を飼い、春には重箱のお弁当を持って花見に行き、夏には中庭に出したビニールプールで水遊びをし、夜には公園で花火をし、秋にはリンゴ狩り、栗拾い、焼き芋をして、落ち葉のベッドにダイブし、冬には雪の中を走り回って遊ぶ、俺はそんな無邪気な子供に焦がれていた。
脳内を数多の理想像が駆け巡って、俺は、母の手を掴み、「帰ろう。帰りたい。パパと一緒に暮らしたい。」そう言って、泣く母の萎びた頬と、唇にキスをした。
とち狂っていたとしか思えない。そもそも帰る、と言う表現が間違っている。思い描く理想だって、叶えられるはずがない。でもその時の馬鹿で愚鈍でイカれた俺は、母の見る視線の先に桃源郷があると信じて疑わなかったし、母と父に愛され、憧れていた家族ごっこが出来ることばかり考えて幸せに満ちていた。愚かで、どうしようもなく、可哀想な生き物だった。そして、二人きりで生きてきた数年間を糧に、母親が、俺を一番に愛し続けると信じていた。
母は、俺が最初で最後に信じた、人間だった。
父親の家は荒れ果てていた。酒に酔った父親が出迎え、母の髪を掴んで家の中に引き摺り込んだ瞬間、俺がただ都合の良い夢を見ていただけだと言うことに漸く、気が付いた。何もかも、遅過ぎた。
仕事も何もかも捨てほぼ無一文で父親の元へ戻った母親が顔を腫らしたまま引越し荷物の荷解きをする姿を見ながら、俺は積み上げた積み木が崩れるように、砂浜の城が波に攫われるように、壊れていく己の何かを感じていた。母は嬉しそうに、腫れた顔の写真を毎度俺に撮らせた。まるでそれが、今まで親にも、俺にも、誰にも与えられなかった唯一無二の愛だと言わんばかりに、母は携帯のレンズを覗き、画面越しに俺に蕩けた目線を送った。
人間は、学習する生き物である。それは人間だけでなく、猿や犬、猫であっても、多少の事は学習できるが、その伸び代に関しては人間が群を抜いている。母親は次第に父親に媚び、家政婦以下の存在に成り下がることによって己の居場所を守った。社会の全てにヘイトを募らせた父親も、そんな便利な道具の機嫌を損ねないよう、いや、違うな、目を覚まさせないように、最低限人間扱いをするようになった。
まあ当然の末路と言えるだろうな。共同戦線を組んだ彼らの矛先は俺に向いた。俺は保てていた人間としての地位を失い、犬に、家畜に成り下がった。名前を呼ばれることは無くなり、代わりについた俺の呼び名は「ゴキブリ」になった。家畜、どころか害虫か。産み落とした以上、世話をするほかないというのが人間の可哀想なところだ。
思い出したくもないのにその記憶を時折呼び起こす俺の出来の悪い脳を何度引き摺り出してやろうかと思ったか分からない。かの夢野久作が書いた「ドグラマグラ」に登場する狂った青年アンポンタン・ポカン氏の如く、脳髄を掴み出し、地面に叩きつけてやりたいと思ったことは数知れない。
父親に奉仕する母は獣のような雄叫びをあげて悦び、俺は夜な夜なその声に起こされた。媚びた、艶やかな、酷く情欲を煽るメスの声。俺は幾度となく吐き、性の全てを嫌悪した。子供じみた理由だと、今なら思う。何度、眠る父親の頭を金属バットで叩き割ろうと思ったか分からない。俺は本を読み漁り、飛び散る脳髄の色と、母の絶望と、断末魔を想像した。そう、この場において、いや、この世界において、俺の味方は誰もいなかった。
いつの間にかテレビ放送は休止されたらしい。画面端の表示は午前2時58分。当然か。騒がしかったテレビの中では、カラーバーがぬるぬると動きながら、耳障りな「ピー」という無慈悲な機械音を垂れ流している。テレビの心停止。は、まるでセンスがねえな死ね俺。
ずっと、後悔していた。誰にも言えず、その後悔すらまともに見ようとはしなかったが、今になって、思う。何度も、あの日の選択を後悔した。
あの日、俺がもし、Yesと言わなかったら。あの日の俺はただ、母親がそう言えば喜ぶと思って、幸せそうな母親の笑顔を壊したくなくて、...いや、違う。あれは、幸せそうな母親の笑顔じゃない、幸せそうな、メスの笑顔だ。それに気付けていたら。
叩かれても蹴られても、死んだフリを何度されても自殺未遂を繰り返されても、見知らぬ土地で置き去りにされても、俺はただ、母親に一番、愛されていたかった。父親がいない空間が永遠に続けばいい、そう今なら思えたのに、あの頃の俺は。
母親は結局、一人で生きていけない女だった。それだけだ。父親が、そして父親の持つ金が欲しかった。それだけだ。なんと醜い、それでいてなんと正しい、人間の姿だろう。俺は毎日、父親を崇めるよう強制された。頭を下げ、全てに礼を言い、「俺の身分ではこんなもの食べられない。貴方のおかげで食事が出来ている」と言ってから、部屋で一人飯を食った。誕生日、クリスマス、事あるごとに媚びさせられ、欲しくもないプレゼントを分け与えられた。そうしなきゃ殴られ蹴られ、罵倒される。穏便に全てを済ませるために、俺は心を捨てた。可哀想な生き物が、自己顕示欲を満たしたくて喚いている。そう思い続けた。
勉強も運動も何も出来なかった。努力する、と言う才能が元から欠けていた、可愛げのない子供だったと自負している俺が、ヒステリーを起こした母親に、「何か一つでもアンタが頑張ったことはないの��?」と激昂されて、震える声で「逆上がり、」と答えたことがあった。何度やっても出来なくて、悔しくて、冬の冷たい鉄棒を握って、豆が出来ても必死に一人で頑張った。結局、1、2回練習で成功しただけで、体育のテストでは出来ずに、クラスメイトに笑われた。体育の成績は1だった。母親は鼻で笑って、「そんなの頑張ったうちに入らないわ。だからアンタは何やっても無理、ダメなのよ。」とビールを煽って、俺の背後で賑やかな音を立てるテレビを見てケタケタと笑った。それ以降、目線が合うことはなかった。
気分が悪い。なぜ今日はこんなにも、過去を回顧しているんだろう。回り出した脳��止められない。不愉快だ。酷く。それでも今日は頑なに、過去を振り返らせたいらしい脳は、目の前の食べかけのコンビニ飯の輪郭をぼやけさせる。
俺が就職した時も、二人は何も言わなかった。ただただ俺は、父親の手口を真似て、母親の心を取り戻そうと、ありとあらゆるブランド物を買って与えた。高いものを与え、食わせ、いい気分にさせた。そうすれば喜ぶことを俺は知っていたから。この目で幾度となく見てきたから。二人で暮らしていた頃の赤貧さを心底憎んでいた母親を見ていたから。
俺は無邪気にもなった。あの頃の、学校の帰りにカマキリを捕まえて遊んだような、近所の犬に給食のコッペパンをあげて戯れていたような、そんな純粋無垢な無邪気さで、子供に戻った。もう右も左も分からない馬鹿なガキじゃない。今の俺で、あの頃をやり直そう。やり直せる。そう思った。
「そんなわけ、ねぇよなぁ。」
時刻は午前4時を回り、止まっていたテレビの心拍が再び脈動を始めた。残飯をビニール袋に入れて、眩しい光源を鬱陶しそうに睨んだ。画面の中では眠気と気怠さを見せないキリリとした顔の女子アナが深刻そうな顔で、巷で流行する感染症についての最新情報を垂れ流している。
結論から言えば、やり直せなかった。あの女の一番は、俺より金を稼いで、俺より肉体も精神も満たせる、あの男から変わることはなかった。理解がし難かった。何度殴られても生きる価値がない死ねと罵られても、それが愛なのか。
神がいるなら問いたい。それは愛なのか。愛とはもっと美しく、汚せない、崇高なものじゃないのか。神は言う。笑わせるな、お前だって分かっていないから、ひたすら媚びて愛を買おうとしたんだろう。ああ、そうだ。俺にはそれしかわからなかった。人がどうすれば喜ぶのか、人をどうすれば愛せるのか、歩み寄り、分り合い、感情をぶつけ合い、絆を作れるのか。人が人たるメカニズムが分からない。
言葉を尽くし、時間を尽くしても、本当の愛の前でそれらは塵と化すのを分かっていた。考えて、かんがえて、突き詰めて、俺は、自分が今人間として生きて、歩いて、食事をして、息をしている実感がまるで無い不思議な生き物になった。誰のせいでもない、最初からそうだっただけだ。
あなたは私の誇りよ、と言った女がいた。そいつは俺が幼い頃、俺じゃなく、俺の従兄弟を出来がいい、可愛い、と可愛がった老婆だった。なんでこんなこと、不意に思い出した?あぁ、そうだ、誕生日に見知らぬ番号からメッセージが来てて、それがあの老婆だと気付いたからだ。気持ちが悪い。俺が人に愛される才能がないように、俺も人を愛する才能がない。
風呂の水には雑菌がうんたらかんたら。学歴を盾に人を威圧するお偉いさんが講釈を垂れているこの番組は、朝4時半から始まる4チャンネルの情報番組。くだらない。クソどうでもいい。好みのぬるめのお湯に目の下あたりまで浸かった俺は、生きている証を確かめるように息を吐いた。ぼご、ぶくぶく、飛び散る乳白色が目に入って痛い。口から出た空気。無意識に鼻から吸う空気。呼吸。あぁ、あれだけ自分の傷抉って自慰しておいて、まだ生きようとしてんのか、この身体。どうしようもねえな。
どうせあと2時間と少ししか眠れない。髪を乾かすのも早々に、俺が唯一守られる場所、布団の中へと潜り込んで、無機質な部屋の白い天井を見上げた。
そういえば、首吊りって吊られなくても死ぬことが出来るんだっけ。そう。今日の朝だって思ったはずだ。黄色い線の外側、1メートル未満のその先に死がある。手を伸ばせばいつでも届く。ハサミもカッターも、ガラスも屋上もガスも、見渡せば俺たちは死に囲まれて、誘惑に飲まれないように、生きているのかもしれない。いや、でも、いつだって全てに勝つのは何だ?恐怖か?確かに突っ込んでくるメトロは怖い。首にヒヤリとかかった縄も怖い。蛙みたく腹の膨れた女をトラックに轢かせて平らにしたいとも思うし、会話の出来ない人間は全員聾唖になって豚の餌にでもなればいいとも思う。苛立ち?分からない。何を感じ、生きるのか。
ああ、そういえば。
父親の頭をミンチの如く叩きのめしてやろうと思って金属バットを手に取った時、そんなくだらないことのためにこれから生きるのかと思うと馬鹿らしくなって、代わりに部屋のガラスを叩き割ってやめた。楽にしてやろうと母親を刺した時、こんなことのために俺は人生を捨てるのか、と我に返って、二度目に振り上げた手は静かに降ろした。
あの時の爽快感を、忘れたことはない。
あぁ、そうか、分かった。
死が隣を歩いていても、俺がそっち側に行かずに生きてる理由。そうだ。自由だ。ご飯が美味しいことを、夜が怖くないことを、寒い思いをせず眠れることを、他人に、人間に脅かされずに存在できることを、俺はこの一人の箱庭を手に入れてから、初めて知った。
誰かがいれば必ず、その誰かに沿った人間を作り上げた。喜ばせ、幸せにさせ、夢中にさせ、一番を欲した。満たされないと知りながら��それもそうだ。一番も、愛も、そんなものはこの世界には存在しない。ようやく分かった俺は、人間界の全てから解き放たれて、自由になった。爽快感。頭皮の毛穴がぞわぞわと爽やかになる感覚。今なら誰にだって何にだって、優しくなれる気がした。
そうか、俺はいつの間にか、人間として生きるのが、上手くなったんだ。異世界から来てごっこ遊びをしている気分だ。死は俺をそうさせてくれた。へらへらと、楽しく自由にゆらゆらふわふわ、人と人の合間を歩いてただ虚に生きて、蟠りは全部、言葉にして吐き出した。
遮光カーテンの隙間から薄明るい光が差す部屋の中、開いたスマホに並んだ無数の言葉の羅列。俺が紡いだ、物語たち。俺の、味方たち。みんなどこか、違うようで俺に似てる。皆合理的で、酷く不器用で、正しくて、可哀想で、幸せだ。皆正しく救われて終わる物語のみを書き続ける俺は、己をハッピーエンド作者だと声高に叫んで憚らない。
「俺、なんで生きてるんだっけ。」
そんなクソみたいな呟きを残して、目を閉じた。スマホはそばの机に放り投げて、目を閉じて、祈るのは明日の朝目が覚めずにそのまま冷たくなる、最上の夢。
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sinnkainotsuki · 4 years ago
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彼岸だから暗い話をさせてほしい
祖母が亡くなった時の話、父方の祖母だった。
私は大学生で、祖母は危篤ってやつで、私たち家族は病院に泊まり込んで一週間くらいをすごした。私はバイトを休んで、ちょうど長期休暇で大学はなかったはず。病室は個室で毎日ゲームしたり本読んだり、簡単な編み物を母に教わって作った小さな布を祖母の枕元にプレゼントしたりしてた。
ある日いよいよってことで、ほとんど意味ないってわかりながらも手押しのポンプ式の呼吸器を一生懸命押しながら祖母にみんなで声をかけていた。
私はポンプを押す手に力が入って、思い切りポンプが空気を祖母の口に吐き出した瞬間に、心電図が平になって「ピー」と音を立てた。父は「そんなに勢いよくするから!!!」と怒りにまかせるように言った後に口を噤んだ。私は大学生にもなっておんおん泣いて、母は私を慰めた。
私はショックだったけど、その言葉について何も言わなかった。誰も何も言わなかった。本当に私のせいだったら、と私はその時は思ったけど、今は何かのせいにしたくなる父の気持ちを想像している。
目の前で心電図が止まるのは結構くるものがあって、年齢の割にはたくさんの人の告別式や通夜にでてきた(当時既に10数人)私でも、初めて、死ぬってこういうことか、と思った。
今となっては日々先行を立てたりもしていないし、遺影をちらっと見る程度で、墓参りの日くらいしか話しかけない。亡くなった後の人の扱いなんて、―――なんてと言っては良くないが―――そんなもんだ。そうじゃなきゃ生きていくのはつらすぎる。
明日は父と母と墓参りに行く日だ。
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WordPressでWebサービスを作る方法
このブログでは何度も触れていますが、3月に フリー写真素材 :: Free.Stocker という無料写真素材サイトをオープンしました。 このサイトは、WordPress というブログ向けの CMS(コンテンツ管理システム)を使って作りました。
このサービスを作った際の手順をケーススタディとして「PHPやWordPressを全く知らない方でも、WordPressでWebサービスを作る方法をやさしく学べる記事を書こう」と思い、書き始めたのがこの記事ですが、「PHPとは」から「WordPressサイトにおける内部SEO」「ソーシャルメディアマーケティング」まで網羅する10ページ構成の特大記事になり、1記事として一度に掲載することが難しくなったので、全10回の連載としてお送りします。
WordPressやPHP初心者の方はぜひ1ページ目からソースコードを書き写しながら、既にWordPressに慣れていらっしゃる方は必要な部分だけ読み進められるようにしていますので、興味ある方はぜひお読み頂けると幸いです。
目次
PHPとは(⇐今ここ)
開発環境の構築
WordPressとは
WordPressの仕組み
WordPressで作られたWebサイトやWebサービス
WordPressでWebサービスを作るために何をしなければならないのか
WordPressテーマの作り方
WordPressの「テーマファイル」とは
WordPressのテーマファイルを作る: Free.Stockerの場合
functions.php とは
loop.php とは
WordPressをWebサービス用のCMSとして使うために
写真のアップロード先
「カスタムフィールド」とは
functions.php とは
loop.php とは
WordPressとSEO
SEOについて
SEOはSEO業者でないとできない?
内部SEOと外部SEO
WordPressはSEOに向いている
SEOケーススタディ: フリー写真素材サイトの場合
All in one SEO Packの設定
ソーシャルメディアマーケティング
WordPressの軽量化
おすすめのプラグイン
資料
※最後の方は多少内容が変更になる可能性があります。
この記事のターゲット
HTMLやCSSを使ったコーディング方法は知っているが、PHPやWordPressをあまり使ったことがない方
WordPressでブログを作ったことはあるが、カスタムフィールドを使ったWebサービスを作ったことはない方
検索エンジンを意識したコーディング手法(内部SEO)について知りたい方
お金をかけずにソーシャルメディアマーケティングをしたい方
ちなみに、私はプログラマーではないので、もし間違っている箇所やセキュリティ的に問題のある箇所がありましたらコメントや @Stocker_jp まで教えて頂けると幸いです。
PHPとは何か
WordPressはPHPというサーバサイド・スクリプト言語(プログラミング言語の一種)で出来ているので、WordPressでWebサービスをつくろうとした場合、まずPHPについてある程度知る必要があります。 といっても、PHPについてそれほど深く知らなくてもギャラリーサイト程度は作れるようになると思いますので、ここではPHPの初歩について解説します。
PHPとは、Wikipediaによると
PHP: Hypertext Preprocessor(ピー・エイチ・ピー ハイパーテキスト プリプロセッサー)とは、動的にHTMLデータを生成することによって、動的なウェブページを実現することを主な目的としたプログラミング言語、およびその言語処理系である。
PHPは、HTML埋め込み型のサーバサイド・スクリプト言語として分類される。この言語処理系自体は、C言語で記述されている。
ウェブサーバ上で動作し、ウェブサーバ上の文書が要求されるたびに、この文書に記述されたPHPのプログラムを実行し、その結果をウェブブラウザに対して送信する。
ウェブブラウザに送信されるデータは通常のHTMLであり、PHPのプログラムを含まない。この点でHTML埋め込み型のクライアントサイド・スクリプト言語(JavaScriptなど)と本質的に異なっている。
つまり、PHPはHTMLやCSSなどと一緒にWebサーバに置いておくと、サーバ側でプログラムを処理し、処理結果は(一般的には)HTMLとして吐き出されます。 なので、ブラウザとしては通常のHTMLと同じように表示することができます。 図で書くとこんな感じです。
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PC側は通常のHTMLと同じように表示するだけですので、頭を使いません。 頭を使わないということは、ブラウザやデバイスに依存しない、つまりIE6やガラケー(従来型の携帯電話)向けのWebサービスを作るときにも使えます。
このようなプログラミング言語のことを「サーバサイド・スクリプト言語」といいます。 サーバサイド・スクリプト言語はPHPの他にも、PerlやRubyなどがあります。
PHPは比較的プログラミング初心者にも分かりやすい簡単な言語で、以前C言語を挫折した私でも数週間勉強しただけでちょっとしたWebサービスを作れるようになりました。
PHPで簡単なプログラムを作ってみましょう。 まず、空のHTMLファイルを作り、拡張子を .html ではなく .php で保存します。 次に、bodyの中に下のように書いてみます。 (doctype宣言やheadタグなどは省略しています。)
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<html> <body>   <?php   // Hello World と表示 echo "Hello World";   ?>   </body> </html>
<html> <body> <?php // Hello World と表示 echo "Hello World"; ?> </body> </html>
4行目の<?php は「ここからPHPが始まりますよ」という宣言で、9行目の?>は「PHPはここまでですよ」という宣言ですね。 それ以外の部分は普通のHTMLと一緒です。
6行目は1行コメントといって、PHPでは // から始まる行はコメント扱いされます。 CSSと同じように /* */ を使って複数行のコメントを書くこともできます。
7行目の echo は、後に続く “” の中身を出力するための命令文です。 行の終わりには、セミコロン ; をつけます。
このPHPをFTP等でサーバにアップロードしてからそのファイルのURLにブラウザからアクセスすると、Hello World と表示される���ずです。
ちなみに、PHP内(echo の後の “” 内を除く)では改行や半角スペースはあってもなくても表示結果は一緒なので、上のPHPは
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<html> <body>   <?php echo "Hello World"; ?>   </body> </html>
<html> <body> <?php echo "Hello World"; ?> </body> </html>
と書いても同じ結果になります。(コメント行は省略しました。) 何度も言いますがPHPはHTMLの中に混ぜられるので、
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<html> <body>     今日は<?php echo "いい天気"; ?>ですね。     </body> </html>
<html> <body> 今日は<?php echo "いい天気"; ?>ですね。 </body> </html>
と書けば、ブラウザには 今日はいい天気ですね と表示されます。 もちろん、このPHPだといつも同じ文章しか表示できませんが、どこかのサーバから天気情報を取得し、その情報に基づいて “いい天気” の部分を書き換えればページに天気情報を表示できるわけです。 (PHPを使えば、他のサーバから情報を取ってくることもできます。)
もちろん、PHPは他の言語と同じように if・for・switch・while などの命令文が使えます。 とりあえず覚えておけばすぐ役立ちそうなのは個人的には if 文だと思っていて、例えば
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<html> <body>   <?php   // ランダムに 1 または 2 を生成し、変数 $omikuji に代入 $omikuji = mt_rand(1, 2);   // もし、変数 $omikuji に入っている値が 1 なら if ( $omikuji == 1 ) {   // 大吉です。 と表示 echo "大吉です。";   // 値が1でなければ($omikuji に入っている値が 2 なら) } else {   // 大凶です。 と表示 echo "大凶です。";   }   ?>   </body> </html>
<html> <body> <?php // ランダムに 1 または 2 を生成し、変数 $omikuji に代入 $omikuji = mt_rand(1, 2); // もし、変数 $omikuji に入っている値が 1 なら if ( $omikuji == 1 ) { // 大吉です。 と表示 echo "大吉です。"; // 値が1でなければ($omikuji に入っている値が 2 なら) } else { // 大凶です。 と表示 echo "大凶です。"; } ?> </body> </html>
のようにするとおみくじプログラムになります。 (ただし、大吉か大凶のどちらかしか出ません)
ちょっとややこしくなりましたので、今から噛み砕いて説明します。 まず、if というのは「もしも◯◯だったら」文と考えてください。 if 文を、大ざっぱに枠だけ残すとこんな感じになります。
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<?php   if ( 条件 ) {   } else {   }   ?>
<?php if ( 条件 ) { } else { } ?>
もう少し詳しく書くとこうなります。
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if のあとに続く( ) の中に条件を書くと、その条件に合致する場合は最初の大括弧 { } の内側(青いエリア)が実行されます。 その場合、else 以降の大括弧(赤いエリア)は無視されます。
もし、条件に一致しない場合は最初の大括弧の内側(青いエリア)は無視され、else 以降の大括弧(赤いエリア)のみが実行されます。
次に、if 文の条件の書き方について説明する前に、PHPにおける = と == の違いについて説明します。 PHPに限らず、多くのプログラミング言語では
は「aとbが等しい」という意味ではなく、「bをaに代入する」という意味です。 もう少し噛み砕いて説明すると、「右側にあるものを左側に入れる」という意味です。
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入れるということは、容器が必要です。 一般的に、容器には「変数」が使われます。
Wikipediaによると、変数とは
プログラミングにおいて、変数(へんすう、variable)とは、プログラムのソースコードにおいて、扱われるデータを一定期間記憶し必要なときに利用できるようにするために、データに固有の名前を与えたものである。 一人一人の人間が異なる名前によって区別されるように、一つ一つの変数も名前によって区別される。これにより、複数のデータを容易に識別することができる。
ということで、要するに「変数とは、一時的にデータを入れておく容器のこと」だと思ってください。 PHPでは、半角英数字を使って自由に変数名をつけることができます。 ただし、先頭に $ を付けなければならず、数字から始まってはいけません。 ($count1 という変数名はOKだが $1count はNG)
例えば、
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<?php   $a = "ミサワ";   ?>
<?php $a = "ミサワ"; ?>
というPHPでは、変数 $a の中に ミサワ という値が入っています。 でも、このPHPを実行しても(ブラウザで開いても)何も起きません。 ブラウザに出力するための echo 命令がないからですね。
そこで、echo 命令を付け加えます。
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<?php   $a = "ミサワ";   echo "地獄の"; echo $a;   ?>
<?php $a = "ミサワ"; echo "地獄の"; echo $a; ?>
すると、ブラウザには 地獄のミサワ と表示されるはずです。 (もし、文字化けした場合は ブラウザメニューの「表示>エンコード」から適切な文字コードを選んでください。)
PHP内での改行は出力には関係ないので、”地獄の” と $a(中身は “ミサワ”)が連結されて 地獄のミサワ になったわけです。
また、このPHPはこのように書き換えることもできます。
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<?php   $a = "ミサワ";   echo "地獄の" . $a;   ?>
<?php $a = "ミサワ"; echo "地獄の" . $a; ?>
echo でいくつかの項目を連結するときは、ピリオド . を使えば連結できます。 あるいは、
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<?php   $a = "ミサワ";   ?>   地獄の<?php echo $a; ?>
<?php $a = "ミサワ"; ?> 地獄の<?php echo $a; ?>
でも 地獄のミサワ と表示されます。 5行目でPHPが閉じられていますが、閉じたからといって変数の中身がリセットされたり消去されたりするわけではありません。 同じファイルの中では、変数の値は保持されています。
なので、地獄の は普通にHTMLの一部として表示され、ミサワ はPHPから出力されましたが、ブラウザでは 地獄のミサワ というように1つにつながって見えます。
話がそれましたが、もう1度おみくじプログラムを見てみましょう。 なんとなく分かってきたでしょうか?
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<html> <body>   <?php   // ランダムに 1 または 2 を生成し、変数 $omikuji に代入 $omikuji = mt_rand(1, 2);   // もし、変数 $omikuji に入っている値が 1 なら if ( $omikuji == 1 ) {   // 大吉です。 と表示 echo "大吉です。";   // 値が1でなければ($omikuji に入っている値が 2 なら) } else {   // 大凶です。 と表示 echo "大凶です。";   }   ?>   </body> </html>
<html> <body> <?php // ランダムに 1 または 2 を生成し、変数 $omikuji に代入 $omikuji = mt_rand(1, 2); // もし、変数 $omikuji に入っている値が 1 なら if ( $omikuji == 1 ) { // 大吉です。 と表示 echo "大吉です。"; // 値が1でなければ($omikuji に入っている値が 2 なら) } else { // 大凶です。 と表示 echo "大凶です。"; } ?> </body> </html>
7行目で、mt_rand(1, 2) という “モノ” が、$omikuji という変数に代入されています。
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… mt_rand(1,2) ってなんぞ?
実は mt_rand(1,2) は、6行目のコメントにも書いている通り「ランダムに 1 または 2 を生成」する「関数」です。 関数(function)というのは、IT用語辞典 によると
引数と呼ばれるデータを受け取り、定められた通りの処理を実行して結果を返す一連の命令群。 多くのプログラミング言語では、関数がプログラムを構成する要素となっている。
多くの言語や処理系では、開発者の負担を軽減するため、よく使う機能が関数としてあらかじめ用意されている。
ということです。 mt_rand(1,2) の場合は、mt_rand() が関数で 1,2 が引数ですね。
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この場合、
1,2 という値を mt_rand() 関数が受け取る ↓ mt_rand() は「ランダムに数字を返す」関数 ↓ 1 から 2 の範囲でランダムに数字を返す ↓ 帰ってきた数字が $omikuji に代入される
PHPに��、この他にもWebサービスの制作に役立つ関数がたくさんあります。 例えば、
他のファイル(テキストなど)を読み込む include() 関数
日付や時間を取得する date() 関数
半角・全角文字を統一する mb_convert_kana() 関数(もちろん日本語対応)
画像のサイズを変更する imagecopyresized() 関数
などです。 PHPにどんな関数があるのか詳しく知りたい方は、公式サイトの 関数一覧 や、PHPポケットリファレンス という本などで知ることができます。 ポケットリファレンスは、どこでも持ち運べるサイズなのでちょっとした空き時間にパラパラめくってると今まで知らなかった関数に出会えたりするのでいい感じです。
あと10行目ですが、
10
if ( $omikuji == 1 ) {
if ( $omikuji == 1 ) {
のようになっていますが、PHPでは一般的にイコールは = ではなく ==(半角イコール2つ)と書きます。 つまり、10行目は「もし、変数 $omikuji が 1 だったら」という意味になります。
ちなみに、「もし、変数 $omikuji が 1 でなければ」という場合(先ほどと逆の場合)は、
10
if ( $omikuji != 1 ) {
if ( $omikuji != 1 ) {
というように、== の代わりに否定を表す != にしてあげればOKです。 これで、先程のおみくじプログラムがどのような意味か分かったと思います。
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<html> <body>   <?php   // ランダムに 1 または 2 を生成し、変数 $omikuji に代入 $omikuji = mt_rand(1, 2);   // もし、変数 $omikuji に入っている値が 1 なら if ( $omikuji == 1 ) {   // 大吉です。 と表示 echo "大吉です。";   // 値が1でなければ($omikuji に入っている値が 2 なら) } else {   // 大凶です。 と表示 echo "大凶です。";   }   ?>   </body> </html>
<html> <body> <?php // ランダムに 1 または 2 を生成し、変数 $omikuji に代入 $omikuji = mt_rand(1, 2); // もし、変数 $omikuji に入っている値が 1 なら if ( $omikuji == 1 ) { // 大吉です。 と表示 echo "大吉です。"; // 値が1でなければ($omikuji に入っている値が 2 なら) } else { // 大凶です。 と表示 echo "大凶です。"; } ?> </body> </html>
練習問題 1
ではここで問題です。 PHPを使って、ブラウザに
つれー 昨日実質◯時間しか寝てないからつれーわー 実質◯時間しか寝てないからなー
つれー 昨日実質◯時間しか寝てないからつれーわー 実質◯時間しか寝てないからなー
と表示するプログラムを書きましょう。 ただし、
◯には 1 から 24 の数字がランダムで入らなければならず、2つの◯は同じでなければなりません。
1行目と2行目の間に改行 <br /> が入っていなければなりません
OKな例
つれー 昨日実質1時間しか寝てないからつれーわー 実質1時間しか寝てないからなー
つれー 昨日実質1時間しか寝てないからつれーわー 実質1時間しか寝てないからなー
NGな例(1行目と2行目の時間が違う)
つれー 昨日実質1時間しか寝てないからつれーわー 実質3時間しか寝てないからなー
つれー 昨日実質1時間しか寝てないからつれーわー 実質3時間しか寝てないからなー
解答例はここをクリックしてください。 (もし、文字化けした場合は ブラウザメニューの「表示>エンコード」から Unicode (UTF-8) を選んでください。)
実行結果はここをクリックしてください。 (実行結果を表示してからブラウザの再読込ボタンを押すと、ランダムで内容が変わります。)
練習問題 2
先程のおみくじプログラムを、大吉・中吉・小吉・吉・末吉・凶・小凶・大凶 のいずれかがランダムで出るように改良してください。 ちなみに、このよう��場合
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15
<?php   if ( $omikuji == 1 ) {   echo "大吉";   } else if ( $omikuji == 2 ) {   echo "中吉";   } else if ( $omikuji == 3 ) {   echo "小吉";   } // 以降、else ifが続く…
<?php if ( $omikuji == 1 ) { echo "大吉"; } else if ( $omikuji == 2 ) { echo "中吉"; } else if ( $omikuji == 3 ) { echo "小吉"; } // 以降、else ifが続く…
という書き方もありますが、今回これは NG とします。 分岐がたくさんあるときは else if を連結するのではなく、switch 文を使ってください。
switch 文の使い方はここには書きませんので、Googleで検索するなどして調べてください。
解答例はここをクリックしてください。 (もし、文字化けした場合は ブラウザメニューの「表示>エンコード」から Unicode (UTF-8) を選んでください。)
実行結果はここをクリックしてください。 (実行結果を表示してからブラウザの再読込ボタンを押すと、ランダムで内容が変わります。)
スマートフォン時代のWebデザインスクールを土曜に渋谷で開講します
2019年8月から、「スマートフォン時代のWebデザインスクール」というWebデザイン入門スクールの初回体験レッスンを渋谷で土曜に開講します。 新しいWeb技術、新しいデザイン手法、新しい端末などに対応するため、毎回内容をリニューアルし、Adobe XDによるプロトタイピング、UI/UXなど新しい内容に対応しています。
こちらは、はじめてWebデザインを学ぶ方向け(PCの基本操作はできるが、Photoshop や Illustrator などは使ったことない方向け)です。
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Web制作にご興味ある方はメール登録をどうぞ
渋谷 Stocker.jp / Space では、Web制作を基礎から学べる「スマートフォン時代のWebコーディングスクール」のほか、「1日でわかる JavaScript 入門」「WordPressカスタマイズ講座」などさまざまな講座を予定しております。 ご興味ある方は、下記フォームにPCのメールアドレスをご登録いただければ、次回開講の際お知らせします。
Twitterでは、Web制作に関する最新情報をツイートしています。
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seshika10 · 8 years ago
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旅行記 南ドイチュ(ホ城も)編!
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去年のGWを使ってイタリアとドイツに行ってきました! 主のスペック 初海外 気分は初飛行機(高校の修学旅行は先生についていって記憶無し…) 英語アレルギー(TOEIC 140点/1000点)
6日目(ヴェネツィア→ミュンヘン21:15) ドイツのミュンヘン到着!イタリアで搭乗時間が遅れてることを教えてくれたドイチュのおっちゃん、話しかけてくれたときはチャオ!���てめっちゃチャーミングだったのにドイツ着いたらドイツモードになって私がチャオって言ってもクールでした…恥ずかしい…そりゃそうだ笑 さて今度もタクシーを空港から利用すっぞ!空港の人に案内されてすぐにタクシー乗れました。 メルセデスゥ!しかしタクシーのおっちゃんはドイツ語しか話せないようで、私は英語すらクソなので全然話がかみあわない。 でもめっちゃ話しかけてくる笑 やめてわからへん!笑 イタリアのタクシーは紳士でクールやったぞ!?南ドイツ何があった笑 かろうじて、ドイツがすごく楽しみ、とても好き、日本人というのは伝わったようで、そっからおっちゃんのテンション上がりまくりで 私は何でこんなにこの人楽しそうなんだ全然話わからないのに…!と思っていました。 そしたらおっちゃんが「助手席乗りなよ!」と車を一時停止させてきた!「え、あ。はい」断れない日本人… 隣に座ったらおっちゃんがめっちゃ手繋いでくるし肩叩いてくるしウウアーここに来てはじめて生物学上は女と認識されたのか?! 意外とホテル遠くてソワソワする… やーーっとついたらすぐに開放してくれないおっちゃん… 私がつい会話の中で1人旅、明日は一人、明後日は友人(日本人の上司)が居るって話をしてしまい、 おっちゃんが「明日この電話番号へ19時にかけてくれ、ディナー一緒にしよう。」へー?!www 嫌だ怖いよ~~って思ってもホテルの場所は知られているので待ち伏せされたら絶対に逃げれない…!w 断りきれずに電話番号をゴリ押しされてしまった…教えてはないけど! うあ~~無事ついてよかったしこのままさらわれなくてよかったけどこえ~!ww ドイチュ人野郎に今イタリアのホテルについたよ!って報告して寝ました… あ、ホテルは1日目とちがって広くてゆったりしてて素敵なとこでした。お菓子いっぱい置いてた!
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7日目 今日は1人でミュンヘン散策です! まず朝ごはんはホテルで!パンとハムとチーズの種類が豊富な朝食で目移りしちゃって何にしようかわくわくでした!
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本当においしい!正直朝食はイタリアよりおいしかったです!ホテルの違いだね!wパンは自分でカットできるんですがドイチュ流のサンドイッチにするため2枚切った笑 ふわふわ!かりかり! シリアルも大きなプリッツェルも魅力的だけど また明日以降にしよう! さぁホテルからミュンヘン中央駅に向かいます。 事前に調べていた切符の買い方や値段となんだか違う…?! どれを買えばいいのか分からなくて電車から出てきた人に聞いたら英語があまり離せないそう。 そしたら駅に入ろうとして来たリーマン数人に声をかけてくれて、 中央駅への切符を一緒に選んでくれて、1日乗車券なら楽だって選んでくれました!やさしい~;; ただ、事前情報だと絶対に切符を機械に通さないといけないと思っていたので、サイズ的に機械に通らないからまた焦っていたら それは必要ないって教えてくれました、でも電車内で検査されたりしないの?と不安に思いつつもいいって言うんだし、 とそのまま乗車しました!そんで無事何事もなく マリエン中央駅につきました!ありがとう!
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マリエン広場活気があって楽しい!新市庁舎がすっごい荘厳としてて…!!シャッターが止まらない止まらない… 知らなかったんですが、ちょうど11時と12時にドイツ最古らしい仕掛け時計が見れました!!動画取っといたらよかった…! 噴水の水の青さが綺麗すぎて… ドイツ~~~って感じがしてすっごく楽しかったです。
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寒かったけどお昼をテラス席のカフェで!チキンサラダなるものをいただきます!
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おいしい~!なんてこったい、ドイツは期待してなかったのでこんなにヘルシーだけど以外と重いしおいしいものが食べれるなんて…! マリエン広場周辺を観光します!旧市庁舎のおもちゃミュージアムを見ました!ミニチュアで戦争っぽいのがあるとアアア~~っとテンション上がる私… フラウエン教会はピンクでかわいいなぁと思ってしまった…いやもちろん綺麗でした! そしてミュンヘンで一番素敵な景色が撮れるらしい300段の階段を上る聖ペーター教会…に行きたかったんですが、道に迷う!笑  同じとこ何回も通って迷っていたら パフォーマーの人が1回目どっかの言語、2回目中国語で 3回目日本語で、っていう風に声をかけてきて笑 スルーしましたが流石慣れてますね、アジア人で言語絞ってくるとはw おばあさんに場所を聞いても知らない、とのこと… また暫く同じとこ迷って市場のお姉さんに聞いたら親切に教えてくれた…! なんとかたどりついて登った300段!!きっつ!!!でも景色は本当にマリエン広場を一望できてすごく素敵でした…!
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ミ���ンヘンはお土産やブランドもの、色んなものがウインドウショッピングができる都会な印象のある街で、ウロウロするのも楽しかったです! 「武士-SAMURAI COOL HAIR-」ってシャンプ���あった笑えるw そうして色々見て回ってると、OLっぽいドイツンヌがりんごをまるかじりしながらスタスタ歩いている…! これテレビか何かで見たことある…すげぇりんご丸かじりでかっこつくのすげぇ…手べったべたじゃん…! それからレジデンスに入り、ここも資料になりそうなものが多くて本当に楽しかった…!! お部屋がたくさんあって、ベッドだとか机など家具が見れてよかったです。目の前の王宮庭園ももっと写真撮りたかった…時間が… そう、昨日の夜のおじさん…いや~~~どうしよう!! 治安が特に悪い時期だったので18時30分くらいにはホテルへ向かうことに。 電車は往復券を買ってくれたので助かりました、日本と違って駅のホームがイキナリあるので駅内での迷いがほぼ無い!簡単ですね! 帰りの電車は人が多かったのですが、イタリア人のおばちゃん2人がすっげーーしゃべってました。 多分イタリア語…だと思う…笑 めっちゃしゃべってて、声もそれなりなので浮いていました。 この様子は関東の電車に乗っている大阪のおばちゃんや…と思いました笑
ホテルについて、19時の約束でしたが来ない…おじさん19時30分で来ない… あ~~~~なるほどね、わかった、これはからかわれたのだな!!こんなところでドイツの洗礼を受けるとは!! まったく!よかった!!意思疎通できないおじさんと夜ご飯なんて怖くて無理だわ…!からかわれたことより来ないことに安心しました… 気を取り直してホテル内のレストランで晩御飯! ウエイトレスのお姉さんからおばさんまでオクトーバーフェストで見たあのおっぱいの露出がすごい民族衣装です!! ひえ~!!おっぱい!後で写真撮らせてください!って言っておきました。(結果撮れなかった) 鮭のムニエルをいただきました!おいしかったです!無難!
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と、さくさく食べていたら、、、、あのおじさんが!!!席に!!きた!! ウアアアア!!!え?!19:30に来なかったよね!って聞いたら仕事が遅れて…と席に座ってきた!えええ隣に座るな!! おじさんはビール頼んで居座りそうなので、暫くグーグル翻訳先生使って会話することに… とにかくかわいいかわいい、彼女にしたいだとか結婚してくれとか君と永遠に一緒にいたいとか幸せにするとか、 もうヒーヒー(若干笑える)してたら近くの席で食事してるおじいちゃんがガン見してきた!! 助けてくれ!!という私のチラ見の意志はもちろん伝わらず、おじいちゃんガン見!!やめろ!!www見るな!助けろ!www そして止まらないセクハラ!!身体中触ってくるからwwやめろ!www なんとか追い出したくてずっとNineを連呼してたらだんだんおじさんが(´・ω・`)って顔になってきて、 俺はこんなに愛しているのにとか一緒に寝ようとか俺は(ピー)がしてぇんだとかもうヤベェwww エスカレートしてきたけど、なんとかNineと言える日本人を貫いて、もう帰って!っと伝わらないけど伝えました。 連絡先を教えろと五月蠅いので更新してないフェイスブック教えてプロフィール見たら、おじさんはトルコ人! おまえ!!ww親日なだけだろ!!ww日本人と明かしたときからそういえばテンション高かった気がします…w そしておじさんどころかおじいちゃんレベルの年齢でした…笑 親より上て!!!現役元気やな!! お会計は別でしました!!個人的にはセクハラ代として出せやとも思いましたが、変に金絡んで因縁つけられても怖いので自分で払いました…笑 私はそのままこのレストランの上のホテルなので脱兎したかったのですがまたコイツが部屋まで送ってくよとか言い出すww いいから帰ってぇ~~!っと押しながらドアの外に出るのを見届けてから速攻で部屋に…w
は~~~~~あの時のは~~~~はもうは~~~~~~でした… とりあえずその日はすぐ寝て明日のホーエンツォレルン城で癒されよう(?)と思いました…トルコのおっさんは押しがすごい…みんなもNineと言える日本人になるんだぞ!!気軽に質問に答えちゃだめだぞ☆(げっそり)
8日目! 今日も朝食がおいしそう~~!パンもふわふわだし…ハムもチーズもいっぱい…迷いました…
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さて日本人の上司と合流です。ミュンヘン空港に上司が車を置いていて、そのままアッシーになってくれます! 彼はまさかのトルコに出張へ行っていたようですね…笑 空港に行くのに電車を使うのですが、昨日とは逆方向なので切符買うのにドキドキしました。 一応順に沿って画面をタッチしていくとミュンヘン空港行きはわかりやすいボタンだったので買えました…!多分あってる!笑 朝9時に空港のマックと言われましたが若干迷いつつなんとか遅れて到着。上司は先についていました。 昨日トルコ人が~~って会話をしたら、よかったじゃん女と思われて!あと話のネタになったね。 と言われて…確かに!となりました!!そうだよこんなキモオタだけど女認定してもらえたよかったよかった!ありがとう!! そしてホーエンツォレルン城へ出発です!今日もいい天気でアウトバーンもすごく景色が広くて楽しかったです!
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上司の200キロオーバーを体験してヒェ~~~!Gがすごい!!と楽しみました笑 (不謹慎ですが救急車が通るのを見れました、軽い渋滞にも遭遇できました) にしてもこの車窓ガラスきたねぇ!!アウディA3泣いてまっせ! 途中休憩をはさみにサービスエリアへ! そこでのトイレがお金はもちろん払うんですが20¢はクーポンとして返ってくるのでこれ使ってここで買い物してね!みたいなシステムでした! で、そのトイレで私は日本人なのでつい音姫をかけたくなるのですが当然無いので水流して消してたのですが、 流した途端\ウィーーーーン/って便座から音して何かが動こうとしてるけど私が座ってるせいで動けない!みたいになってて「!?!?!」と思ってもう一度立って流したら、便座が回転して洗剤が出てきて洗浄していました! すごーーーい!wwそして壊れなくてよかった…w ちなみにどうでもいいですが、私は初日が女子の日2日目でスタートした悪運だったのですが、もちろんそれ以外にもウォシュレット愛好家の皆さんは海外つらいと思うのですが、おしりセレブはすごく私は助かりましたよ!是非! ちなみにイタリアは普通の便座と別便座ウォシュレットみたいな設備ですごく助かりましたよ!でも最初見たときと使う時笑えて仕方がないよ!! はい、話戻って遠目でホーエンツォレルン城が山のてっぺんにあるのが見えてきました…ハァハァして楽しみすぎてつらい…
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そしてホーエンツォレルン城到着!途中までは車で行けましたが途中からは登山!ひえええ!!俺様式訓練かよ~~!しあわせなり~~!
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しかしきっつい!笑 周りは登山目的でやってきている人もいて、それなりに距離ありました笑 バスのほうが近くまで止めてくれるのかな、私たちは一般車無料組なので割と下の方でした笑  ハァハァ、見えてきたで…!!(息切れ)
はぁ、ついに…!着い…
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ちょっと指邪魔!!!!!!
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ついた~~~~!!!!;;;;ぷーちゃん;;プロイセン君;;; うあ~~~~;;;
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ここプロイセン国境らしいです(涙)(ってパンフレットに書いてた)
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本当にうあ~~~っていう気持ちがうわ~~って溢れました…プロイセン君の痕跡がたどれるなんて幸せすぎる… 興奮とシャッターが止まらない…息切れしてハァハァしてるのかプロイセン君に興奮してるのか… いい天気すぎて空青いし雲ひとつないし太陽さんさん!ただ風があってくっそさぶい!wwさぶい!!w 私は着いただけで元気になったのですが、上司もしんどそうだったので、お城の中にある野外カフェでお昼にします!
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カーリーヴルストとパン、真っ赤な無添加りんごジュースをいただきました! おいしい~!パンふわふわ!かりかり!ヴルストもおいしくて…こんな…天気のいい日に…ぷーちゃんの…とこで 私ごはん食べてる…幸せすぎない…?無理…ハァア また外観の写真撮ったの載せます
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そしていよいよ中へ!
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土足厳禁でスリッパ着用だし写真も撮れないので、後でで見ても分からないゴミのようなスケッチさっくり描いてました!役に立たなかったよ! 城内…ううう…説明が読めないのは悲しいけどすごい…図書室の回廊みたいなとこが大好きです… 本当に素敵な場所…何言っても伝わらないモノマネ選手権になりそうなので、内部の様子は割合します。でも歩いてるときもうずっと無になってた気がします…
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親父!!!!
そしてショップへ!何の本かすら分からないですがくっそ安い本があったのでとりあえず買いました! あとは日本語の城内パンフレット!これで忘れかけた城内の記憶もわかりますね…!日本語があるだけで感動しました、 ホーエンツォレルン城の中に日本語…うっ;;;; あとは小さい大砲や馬のフィギュアやマグネット…そして国旗ではないですがプロイセンフラッグ! その馬や大砲を吟味して選定しているとき、こどもたちとおもちゃBOXみたいなのに一緒に手つっこんであさってたんですが、 子どもたち私をめっちゃ見て来る。なにこいつ…みたいな目で見て来る…ごめんねキモオタで…私も欲しいんだ…あと私はきみたちと目が合っている今も幸せ感じてるからね、いっとくけど
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そして教会…!!2つあって聖ミヒャエル礼拝堂とキリスト礼拝堂(プロテスタント)の教会があります。
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うああああ;;;;本当に綺麗で、厳かで…結婚式にも使われるらしいのですがここにプロイセン君立ってそうすぎて呼吸困難になりそうでした…
聖ミヒャエル礼拝堂は親父の棺が1952年から1991年まで置かれていたらしく…!!うああドキドキする;; パンフレットにはドイツが再統一したのでポツダムに返した、とありました;; 素敵…ほんまに素敵…イタリアの教会はもっときらびやかな場所もあったし広くて豪勢なとこもあったし あそこはあそこでグアアアって感動したんですが、ここはそれとは違う意味というか感情が別で感動しました… 帰りたくない…!!!
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惜しくて帰り何度も振り返ったり写真とてました…うう
プロイセン君ありがとう!!君が居た痕跡へたどり着けて幸せだったよ…!
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次の目的地はギーンゲンのシュタイフ博物館ですが間に合うかな;; サマータイムなので明るすぎるんですがギーンゲンに着いたら時間は18時前で、シュタイフは閉まってました…残念… とりあえず外観だけとって、街を散策しました!それだけでもいろんなとこに来た記念だし楽しい! 街はシュタイフにちなんでか、くまのバルーンがお店についてたりすごくかわいい街並みでした!
帰りはガソスタにも寄ったんですが、ディーゼル以外に3つの油種があって、ディーゼルより主流なんでしょうか。 そして洗車道具や洗剤があって自分でおそうじできるらしい!へー! 日本でも今すぐに鳥からの爆撃(糞)汚れ落としたい!っていう時良いですよね! 晩御飯はサービスエリアでとることに!レジのおばちゃんはドイツ語が通じないので不機嫌になってましたごめんね…
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上司はシュニッツェル、私はシュヴァイネハクセンをいただきました! 肉だ~~!シュニッツェルは確かにカツでしたね!でもすごく軽くてサクサクしてておいしかったです! 上司は褒めすぎじゃない?って冷めてましたけど、もう今私フィルターかかりすぎて何食べてもおいしいのかもしれない… シュヴァイネハクセンは思ったより重くなくて食べるとホロホロとしていて味も染みてて本当においしかったです! でも肉は肉なのでザワークラウト無いとしんどいのはしんどかった笑 普通に食べたらそんなに好きじゃないザワークラウトにはじめて感謝しました…合うやん! the ドイツ料理!みたいなのを食べれて満足です~!自分で調べてないけど案内人がいると便利ですね!(良い笑顔) 帰り道にアリアンツ・アレーナが赤色に発行していてかっこよかったです…! 試合中しか普通は光らないそうですが当日は祝日だったからかな?ラッキーです! 念願のホーエンツォレルン城に行けてよかった…本当によかった…
9日目! 今日の朝食はシリアルにしました!シリアルも3種類があって、ジャムはもっと沢山あって…
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少しずつ3種類のシリアルを入れてジャムも2種類くらい入れて!おいしい~!塩気も欲しいので小さいヴルストも、 欲張ってゴマのカリふわパンも…毎朝お腹いっぱいです笑 まだ食べたいのあるのに!!でっかいプリッツェル! 今日はバードメルゲンハイムのドイツ騎士団博物館に行きます!今日もアウトバーンでグイグイ行くぜ!ありがとう上司! すごく田舎で喉かな街にありました、車で通るのけど細い道です。 途中新仕様のプリウスとすれ違って、マニアックなドイツ人やな~と2人で感心してました笑
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旧ドイツ騎士団の本部とのことで、今までのとこに比べると小さめなスポットですが楽しい… 館内に入っておじいさんからチケットを購入し、中へ! まずはおもちゃやミニチュア、薬屋さん、の展示品が! 歴史のこともすごく書いてました。銃や陶器などたくさんの展示品です! プロイセン君が竹林で描かれていたような頭にかぶるやつもあって興奮しました…!これモノホンや! そして等身大のドイツ騎士団が馬に乗っているディスプレイ…!かっけ~~~迫力やべ~~! 肖像画の貴族の男性が誰かは分からないんですが、みんなあの白い羽織に黒い十字が書かれていて…うう;; 中にある教会はピンクですごいかわいい…! ドイツ騎士団というかローマ教皇の衣装なのかな?もディスプレイされていたり、十字架も沢山あって見応え充分でした! 途中受付のおじいちゃんがちょっとここ立って上見てみ!と言うので赤色で×がされてるとこに経って見上げると 上には太陽が!螺旋階段の中央なのですごく迫力があります!!うお! ここもプロイセン君を感じれてすごく楽しい場所でした…
敷地のすぐ目の前にあるカフェでお昼にします!スープがメニューに並んでいて、ドイツだと食事をスープで済ますことも多いらしく。 私はじゃがいものスープにしました!
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おいしい~! じゃがいものスープは具がごろごろっとしててほくほくのじゃがいもでとろとろしてるのでシチューに近いように感じました。 おいしい…スープを食べるってドイツとかスイスっぽいですよね、ただのハイジの印象ですが。 そしてドイツではデザートに初めてトライします!甘い生クリーム苦手なのでベリータルトにしました。
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すっごいおいしい~!!ベリーのあまずっぱいのとタルトが絶妙…!でかい!! こんなにおいしいならもっと食べればよかった…!
昼からはロマンチック街道の1つ、ローテンブルグです!日本人観光客が多いらしく、入っていきなりオタク向けディスプレイがw 個人的にはせっかくドイツに来てるのに…とおもっちゃいますね!w シュタイフを!!買わねば!!と思ってドイツにきているんですが、 昨日シュタイフ博物館は閉まっていたので、ローテンブルグならあるだろ!と踏んで探します。う~ん、いまいち好みの子がいない… しかし街並みが本当にすてきや~~ ドイツクリスマスミュージアム入りました!オーナメントはもちろん、本当にたくさんのクリスマスグッズが!鳩時計も沢山あって、オーダーメイドもできるみたい!すげぇ~~楽しい~!
さて!!お待たせしました!ここに来た目的の、中世拷問博物館です!!わ~~!ドンドンパチパチ!
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名前インパクトすごすぎてずっと上司に「されたいの?したいの?」っていうクソリプくらってたんですが、 ここは本当に楽しかった!!プロイセンとイギリスの同盟締結印がされた書類とか神聖ローマの命令書のサイン複写やら… うああ;;;これはヘタクラ行くべきです!楽しい! これは歴史最大手の1つですね、歴史グッズですね、いやそんな軽いものじゃないですけど!! 拷問の道具も楽しかったです!これはグロイ(確信)みたいなの沢山有りました!
さて、もう一つの目標のシュタイフのテディを!!!! 上司曰く、「”Designed by GermanyでMade in China”と”Made in Germany”があるからな!」とのことなので、 色々見てると確かに一応区分けはされてましたがこの2種がありました!!w テディベア専門おもちゃ屋さんで!!!出逢いました!!めっちゃ迷ったけど!!
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かわいい!!!すごいかわいい…!!テディは赤ちゃん用レーベルのかな、柔らかいやつです笑 シュタイフのテディっていうと結構ドールに近いというか、ガッシリしていて重みを感じます。 手足は可動式なものがおおく、毛は短くディスプレイを楽しむのがメインなテディが主流っぽいです。 でも私こういうぬいぐるみっぽいもふもふのが…すき… そして!!!アニマルシリーズ!沢山いてかわいい~!! 猫やペンギンもいてめっちゃくちゃ迷ったんですが、ハスキー犬のこの子がギルベルト君やんか~~!ってなったので(妄想) この2人(匹?)にしました!(*´∀`) あ~念願またかなった~~~幸せだ~~ そしてここはお土産にもピッタリなサイズとリーズナブルな値段のかわいいテディグッズいっぱいで便利でした! さて夕飯は!!白いアスパラガス!!!!です!!ゆでただけ!!
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なななんと!この白いアスパラガスはドイツでは旬の4月中旬から5月中旬くらいの期間しか食べてはいけない、 もちろん売ってもいけない法律があるみたいで!ww上司に今しか食べれないから絶対食べときな!って 言われたので食べました!!すごいおいしいです! 日本では水煮の缶詰しか食べたこと無くて、ぶにょっとした印象でしかなかったんですが、 いい湯で具合で、瑞々しいけど触感も残っていておいしかった…! 何本でもいける!!傍にあるのは付け合わせのお肉です!w白アスパラがメインってすげぇ そしてじゃがいものゆで加減も最高じゃ~~ほくほく! ドイツですごくドイツなもの食べれたの楽しすぎました…!最高の最後の夕飯です! 帰りに小さなスーパー寄ってハリボーがずらーっと並んでるのを見ましたw 紅茶やドイチュみやげを少し買ってホテル帰りました! デザートを食べたい、と思ってホテルのレストランで注文…! したら店員さんが「あっちょっとまって、まだあるか確認してくる」え~! ドキドキしてたら「ラスト1だよ!」とのこと!やった~!よかった~!
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そして来たのがこちら!バニラアイスと生クリームにホットベリーソースをかけて食べます! ほんっとうにおいしい!あっついのとつめたいのが合わさってとろける…! あまさ控えめの生クリームはいくらでも食べれそうです! さぁ明日は日本に帰ります!ありがとうドイツ~~!帰りたくない…!
10日目 ここからくだらない話が長いのでもし読み切ってくださった人いたら握手してください!!! さぁ朝です!!今日の朝ごはん!ラストドイツ飯!なぜか写真が無い!! え~んやっぱり食べきれない…!シリアルがおいしすぎて昨日試せなかったジャムをかけました、パンも食べてない種類がまだある…! そして、一番食べたくて食べれなかった大きいプリッツェル… 食べたい…そして違うホテルに居る上司が昨日言っていた言葉がよ��がえります… 「持って帰ればいいじゃん」 ま、まじで…しちゃう???しちゃう??飛行機のおやつに持って帰っちゃう…??勇気でる??出る~~!!! というわけで紙ナプキンにプリッツェルを包んで持って帰りました… 食べきれなかったものを持って帰ってるだけなんだけどなんだこの気持ち… そしてフロントでイケメンドイチュ人のチェックアウト!ここのホテルの接客の人は日本人と雰囲気が似てる気がする…笑
上司に空港まで送ってもらってさよならバイバイです! 上司のこと別に好きでもなんでもないのに寂しいと感じるのなんで…ていうか単純に日本に帰るのが寂しい笑 スーツケースは、ドイツンヌに預ける手続きしてたんですが仕事中なのにめっちゃ隣のドイツンヌとしゃべってるけどなんとか預けるのに成功。 さて次はセキュリティチェックです。私はこの日も肩掛けのバッグとボストンバッグの2つ装備でした。(スーツケース除いて) さぁセキュリティゲート通って、次へ!次は免税の手続きです! 上司が免税手続きはセキュリティゲート後だと言った言葉信じて来ましたが… ん?なんだかおかしいな、看板の「→」通り進んでるけどすごく遠くないか…??こんなに歩くのか…でも誰もいないけど… みんな免税しないスタイルなのかな?? …うお~すげぇ歩いてるけど気分いいな~帰ったらお土産やお話いっぱいしたい…! あれ?そういえばこんなに歩いてるのに遠いのもだけど、なんか歩きやすいな…あんなにはバッグかさばってたのに… ………あれ?? (ピタ) あれ?なんか無くない…? ああああああ!?!?!ボストンバッグ無い!!!! あ、あれ?!どこ置いてきた…!??!めっちゃ焦る…!てか笑えるwwwwwちょっとwwwどこwww 直線の道を歩いただけだから戻ればいいけど!!とにかく戻らないと!! 結構歩いたから距離あるぞ!!!!! これ私どっかに置いてきたの!?考えらるのはセキュリティチェック後の出したバッグの中身戻したり身に着けてるベルトや時計を整える場所か…!? でもまずバッグ返ってきてた?!最初から返ってこなかったんじゃないか…!? えっうそうそやばい!どこだ!盗られてるかも…!! うそ~~!!やだ~~~!!ボストンバッグの中身全部お土産なんだけど~~~!!!!wwwww これ無いと私手ぶら帰りじゃん!!いや一部スーツケースにあるけど!!ホーエンツォレルン城で買ったものも、 シュタイフも、ヴェネチアで買ったジャムもお菓子も!!!え~~~んwwwwww笑えるwww と、私は自分のアホさに笑えてきてなんかもう半笑いで走って戻りました…ww とにかく走って戻ってセキュリティチェックのお兄さんに「バッグが預けられてませんか…!」と聞きました! 最初に「これか?」と出されのは真っ黒のバッグ。「違います…!!!お花柄でピンクというか紫というか…!」 「う~ん、だったら無いな……あ、ちょっとまて」「(ワイ心の中で涙目)」 暫くすると「これか?」「あ~~~~!!!それです!!!だんけだんけだんけしぇーーーnN!!;;;」 あ~~よかったあったあった…盗られてたわけじゃなかった…!!! 「ちょっと待て、中身を調べる」「あ、はい(中身シュタイフのぬいぐるみとホ城で買ったおもちゃだから恥ずかしいなww)」 ガサガサ…「これだな…」「え!それはおもちゃです!!」 お兄さんが取り出したのはホーエンツォレルン城で買った大砲のおもちゃでした。めっちゃまじまじ見てる。上に写真貼ってるのでどんなのか確認してね! ワイ「でぃすいず とい!!!」 おもちゃだっって!おもちゃ!!おもちゃだから!なんでこんなにこれに反応してるの??;; もしかしてドイツはおもちゃの大砲にも銃刀法違反が…?!えっまじで!!! ドイツ厳しすぎない?!おもちゃもダメなのか…!!! そしたらおばちゃんもやってきて2人でそれをチェックしだした…!! うそやろ なんでやんねん おもちゃやっちゅーにwww「とい!!!」しか言えないwww 箱から中身出してチェックしてた2人はしばらくすると「OK!」といってにっこりしてバッグを返してくれました;; わ~~ありがとう;;ダンケシェーン!ダンケ!!あ~~~よかった… はぁよかった本当に、手ぶら帰りはマジ勘弁!さぁもっかいあの長い道歩くか…
気を取り直して免税手続きです。しかし歩けば歩くほど不安がつのり、ついに警察官がチェックで立っている扉に来てしまいました。あれ??なんで?? 「何しにこの先に行きたいんだ?」「免税手続きしたいんですがどう行けばいいですか?」 「免税??あ~ここを通って、こういって、そこでここから来た事を言え」 「ありがとうございます!ここを、こういくんですね!」「……あ~わかった、ついてこい」「?!ダンケシェーン…!」 何やら私の英語がクソで伝わらなかったのか、なぜか出国してもないのにパスポートに「出国」スタンプを押されました。 あれ???何か私盛大に道間違ってないか…???ww そしてイケメンポリスのお兄さんについていくと、また扉があり、そこで「入国」を押され、 「あっちに免税手続きがある」と教えてくれたのはセキュリティゲートの前!!w え~!ww上司~~!!ww私調べずに行ったのは悪かったけど、完全にこれ先にすべき手続きやんか!!ww イケメンにお礼を言ってまた若干迷いつつなんとか手続き開始です。 ここまで来るのが長すぎたのでもう本当に1万円くらい欲しい気持ち(勝手) 「はい、8ユーロよ」「あ、はい」 おい…!!!いやな、免税やからな、そうかもしれんし、別に普段金そんなに欲しいわけでもないけどな、 ここまでが長すぎてちょっとびっくりする値段やねんけどまじで…!8ユーロを笑うものは8ユーロに泣くけど、 そこまで困ってないがな!!!それやったらあの長距離1,5往復せえへんがな!!!ww セキュリティチェックまたこれおもちゃの大砲引っかかるんちゃうやろな?! 永遠ループ怖い…と思っていたらなぜか何の問題もなく…え???ww知ってたの?2回目って知ってたの?w なんでスルーなの…ww 安心して飛行機待ちにゲートへ… 早めに来ておいてよかった間に合った…笑
そしてやっとこさついにドイツを出てオランダのアムステルダムで乗り換えです。ここも問題なく、空港の蘭兄さんの空気吸って日本行きの便に乗ります! 席の隣は日本人のおっさん2人組でした。 最初に飲み物はいかが?と言われたので私はジュース、隣の人はビールを頼んでました。 さ~~ついに~~朝食の大きな大きなプリッツェルを頂けると気が来たのか~~~ すごく楽しみにしてました、朝テーブルに並んでいたときのあのツヤツヤとパリパリ感…そしてどっしりしていていい匂い…毎日指くわえてた… やっと会えたね…!とプリッツェル取り出したら……  しっけとる!!!!!! どっひゃ~~^▽^!!ええええしっけとる!触っただけでわかるしっけしけ! これ楽しみにしてたしドイツ感じて帰れるの楽しもうとしてたんですがこの大きいサイズしっけてるのは食べきるのつらいぞ…ww そこで私は考えました。このサイズのしっけしけのプリッツェル食べるのつらすぎるから処理班に手伝ってもらおう。 ワイ「あの…すみません」隣のおっさん「はい」ワイ「このプリッツェルわけっこしませんか?(クズ)」おっさん「?!」その反応は正しい。 「すみません、このプリッツェルしっけてて」「しっけてる」「はい、このサイズ全部食べるのつらいんで手伝ってもらえませんか?」 「え、あ、はい、ありがとうございます」 「わ~すみませんこちらこそありがとうございます~これどうしても食べたくてホテルの朝食から持ってきたんですけど」 「え?!もってきたんですか?!どこから?!」「ドイツ」「ドイツ?!」「本当はもっとパリッパリでおいしいんですよ!(食べたこと無い)」 「そうなんですか」「そうなんです!でもしっけちゃって…でも味は!いいので!(食べたこと無い)」 というわけで3人でわけっこして食べました!!おいしかった~!ほどよいお塩!お隣さんはビールに合うって!! でもやっぱりできたてあつあつパリパリをいただきたかったな… その後おっさん2人と話してると北欧に行っていたようでした。 私もドイツとイタリアの話をしていて、ついさっき起こったセキュリティゲートの出来事をどうしても言いたくて話してました。 「それでね、これが例の大砲なんですよ…ガサガサ」「わざわざ出してくれるんですか」「これです!」「へ~……ってこれ鉛筆削りじゃないですか!」「へ!?」「いやほらこれ裏に刃ついてますよ!」「ファッ!?wwwほんまやwww」
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「気付かなかったんですかww」「今知りました!これ銃刀法違反の銃じゃなくて刀のほうで引っかかったんですね!!www」 おっさんありがとう!!wwwめっちゃ刃ついとるwwそりゃこれで銃判定されたらつらいわ!!そんなわけないわ!!刃の持ち込み禁止やん!! 私アホやん!!きっとチェックしてたドイツ人の人から「コイツ気付いてねーな」ってアホやなって思われてたよ絶対…!! ずっとトイトイ言ってたから…wwwくwwアホ丸出しwwww むしろ刃を許可してくれたことを感謝しろという話なわけですね! ありがとう!!ドイツの空港のセキュリティチェックの人! いや~~~この話にオチがついてよかった…気付いてくれたおっさんありがとう…!!
以上!ドイツイタリア旅行でした!!!!
ここまでお付き合いくださって本当にありがとうございました!
ドイチュ人野郎は左利きで個人的にギルベルトみを感じるヤツで口調そんな感じにしたり写真トレースしてました、書いてて楽しかったです! おしりセレブ��、10個くらいの物干しばさみは便利ですぞ!
それでは!Perfumeでした!ありがとうございました!
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no1-shochu · 7 years ago
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【 肉月灯×魚月灯 】 ( 照国神社 2018.3.24~25 ) ( 店舗配置図 出品料理 ステージイベント スケジュール ) 明日2018年3月24日~25日まで、照国神社にて 肉月灯 × 魚月灯が有ります\(^^)/ 肉♪肉♪肉♪肉♪肉♪肉♪肉♪ 肉月灯~(^^♪ 私の大好きなお肉祭りです\(^o^)/ 今回は、大好きなお肉だけではなく、美味しい新鮮なお魚も有ります(^^♪ 若潮酒造株式会社も美味しい焼酎を準備しております(*≧∀≦*) ( 私も参加致します(#^.^#) ) 食べ物、飲み物だけではなく!! 今年は、なんと!? スペシャルゲストは!? M1王者とろサーモン の 久保田 様と ぽいぽいピー の あやまんJAPAN 様です(*^_^*) 皆さん是非美味しいお肉料理と美味しいお魚料理と、楽しいステージを満喫してくださいね~(^^♪ 肉月灯 × 魚月灯 様情報 スペシャルゲスト = とろサーモン 久保田かずのぶ 様、 あやまんJAPAN 様 日時 = 2018年3月24日(土) 、 25日(日)    11:00 ~ 20:00 場所 = 照国神社 住所 = 〒892-0841 鹿児島県鹿児島市照国町19-35 電話番号 = 099-222-1820 実行委員会 = おにくのくにお 代表取締役社長 川尻強人 様 、  炭火神吉 代表取締役社長 神園貴光 様 私も参加していますので、皆さん是非若潮酒造ブースにも遊びに来て下さいね~~~\(^^)/ 皆様のお越しを心よりお待ちしております(*^_^*) #肉月灯魚月灯 #肉月灯 #魚月灯 #若潮酒造株式会社 #若潮酒造 #肉 #焼酎 #おにくのくにお #川尻強人 #炭火神吉 #芋焼酎 #國酒 #若潮酒造服部明 #照国神社 #M1グランプリ #とろサーモン #とろサーモン久保田 #とろサーモン久保田かずのぶ #久保田かずのぶ #あやまんJAPAN #M1王者 #M1王者とろサーモン #肉 #鹿児島県 #鹿児島市 #照国町 #麦焼酎 #白若潮 #黒若潮 #くろわかパンチ (照国神社)
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yuga201801performance · 6 years ago
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今タンブラーに乗っけてしまったけどすごく新バイ心配
心配
セルちゃんのやつ?これ_?
歩き続けてるだけみたいだけど
なんだ?っ
脇の毛がチクチク
づいう状況だろうその後ろにいる金澤くんは
斜めなめ
斜めだったわぁ斜めだったわぁ?
・?・??何w
何かはわからない
セルちゃんnが止まってるのが
椅子の時のような感じがする
金沢くんがいい感じw
笑っちゃうだろう
セルちゃんが止まってる
なんかこの階段越しにみるのもいい感じだヒョナ「
Jんfwわいmjなんポセイドnチリリり
拍手拍手してたらキーボード打てんじゃろうが
N金沢くんおかえり
セルちゃん色々考えて来たんだなーウェw
Wじ
斜めだったわーw
な、斜めkさ斜めかぁw
ああそういうことか、実際にあったことか
そこにシステムがあるような無いようななん
あ石膏像のお尻に落書きしてある最低
ヒトリエで
ジウbん
ジウべn
Wえ
爆撃の仕方
ずって
斜めに来たから
金沢が面白いw
スン��ェジワるwほんま
プラレールで最後かな?
あまだ二人ぐらいいた
なに消すんかい全消し
何すんだろう
道具使わずですか
うんうん
爆発
何す
おバナナがあるやんけバナナ7本
バナナ7本
食べるのか
食べるのかw
たべる
なんだろう
たべるだけなのかな?
たべるだけなのかな?
みてられるけど
ねた?おやすみ
髪の毛の感じがいい感じですだねた
髪の毛やん描きたいfds
なlきたいおうもわんなんだ
お>?
終わった
なんだったんだろう
丸投げな感じじゃん?
見る側とみられる側の逆転
動物園かー考えてる子をオv
ことは面白いような気がする
観察されてるような感じだったとう思うん凝視しあってるさま
緊張感g
どこtが
mpwwmモグgもぐ
みてるwお
おkじお無いnなんだおお
話す
南ア
それも分かりづらい気がす?
考えてることは面白いよなー
あそく
ゆうのちゃんのTシャツいいな
みんなの中からで
持ってたんでw
おいw笑っちゃうだろw
はいよ
どうする感じ?
明日も何かするんだろうか
でもこの環境いいよなみんな意見言えるってのがすごくいいな
なんかいい方法が理想だよね
ううえじ時計時穂いい
かんげる
Sぁmアタ、真に集中、伊良子ムラコn頭「ブラジャー
っw
Sかな
金沢はっとハットした時に出てくるよじゅなことg馬が大事なんd遠野胃@おい^すrピーsるすれ
なんf毛bm物覚えがわwr
語り始めた
語り恥mて
奇妙な
でもあいつは物語作るのが好きだもんなそして元演劇部だ
ツイッタ五個ぐらい持ってる衝撃の事実
はい猿tターjs時ダチョウに
あいつ鳥好きだもんな何時何してんだろうな
みし
味仙て
ms
あんなんか違うけど煮詰まってないんだろうけど
雨宮さんの自己紹介の感じに似てる
そうだね
いつもん
団dなん鴨の今日な
おてえ鳥のような動きになって来たじゃかじゃじゃんなんか言ってるがダチョウのようでしたれんし動きにキレが出て来た
なんかみてらられ今までと方向性が違うそんな動きsw
反復するのはいい感じ
ああ今すんごく自分のぱフォーマンスできそうな気分
「yやっぱり自分ンオオオモテる
目の前でなにかがお
Sどこ行く
どこ行くねんじゃんおおn
意外と面白い
あんなんの行動なんで
鳩の動く
なんか
すんごく目みやさんの雨宮さんの自己紹介のやつおいている反復
構成が面白い
こっちの才
おなんだおる
他に
これ最後飛んで言ったら面白いんだろうな?w
飛べないけど
ああ一番文章打てたのあこのむらおこムアろkムラコのやつ
Nどうしたどうしたはあはあはあ
おうt彼様お疲れさん
「なんか話は面白い
に詰まるような気がするjでmぉいい亜kん字だったと思う
公園を考えると何か面白い暗示
ニニに聞こえる
なんっか?じゃ
やっぱり洗練
チャレンジだね
出来がいいの
いいね
これ田中くんおkど
どっからみてればいいんだろう
後ろから見てたr上場表情側kんないしどうして
これうち続けててもいいのかなわかんないんだけど邪魔じゃないかなこれ何かみんな二品ををと与えるような気がする
みんなの目線が集まってルキアがるるわかんないんだけど田中くんどんな行状してるんdろうわかんないな」高戸ただそっ子にいるだけなのかな
邪魔じゃないかな邪魔な邪魔じゃy邪魔んじゃないかなどう状況kぉこのじょう
電気ぞを全部消しえください指示を出す暗くなる食らうない暗くなるどういう表情いてふh疎いた
どうしたニケ
おいキリストに毛の目に多々づんでいるんですけどにけニケ
Nこの図がなかなかに申請に見えたこっち向いたこっち向いたくらい何してるん亜dろう
田中くんnのことだから何か考えがあるはdずはずはずだタンブラーにんけ
こっち見て来たなんだ
K階段越しの田中くんいいな
階段越しの風景いい感じだよななっか空間をかんんじる
南アろう
ニケを見た聞けを見たけど何をしていたのかわからなかった配慮kしな
けは
お配慮しなければいけなかったんfだおうか
人のめって面白いkな
自分もこの文きょ賞を売っている時に目が離せなかった目が離せなかったな
うるさかったかな
ごめんみなさん
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infomaniacworld-blog1 · 7 years ago
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この怖い話wwww
1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2017/09/21(木)13:17:56 ID:Oi4 ばあちゃんが死んだ時にさ、心電図っての? アレがピーと鳴った訳よ。 まぁ、死んだんだから当たり前だけど。 とにかく鳴った訳よ。 「あぁ死んだのか」って思って泣いてたんだけど、じいちゃんは泣かなかった。 最近ボケてたからしょうがないとか思ってたら 「好きな人が死んだのに泣けないなんて可哀相だな」 って親父が言った。 そしたら死んだばあちゃんが口をちゃんと開けて 「もうすぐ〇〇(じいちゃんの名前)も死ぬんだよ」 って言った。 怖かった。 三日後にじいちゃんが自殺した。 本当に怖かった。 こわい 続きを読む Source: 雪崩速報@話題まとめ
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poirebatterista · 7 years ago
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庭と建築の間
以前、フランスの大学から先生と学生が京都に来たので、七代目小川治兵衛 ( 植治 ) が作庭した無鄰菴を案内した。
いい天気だった。京都の庭園は、陰が出ない曇りのほうが美しく見えるものが 多いけれど、無鄰菴は芝生に光が注ぎ込み、青空に東山が映えるのが一番美しい。フランスの先生は、 水が音をたてて豊かに流れる庭園を歩いて、ここはとても静かだね、と話した。ぼくは、予想してい たのと違う言葉に驚かされてしまった。
おかしなことだ。なぜなら無鄰菴は、琵琶湖疎水から引いた水が滝、池、せせらぎとなって、様々な 音をたてて流れているからだ。常に音が聴こえている。桂離宮も、西芳寺、平等院も、これほど水が 勢いをつけ、音をたてていない。大徳寺や東福寺の枯山水庭園は、体の音が聴こえそうなくらい静寂 である。彼も少なからず京都の庭をいくつか体験しているのに、無鄰菴を「静か」だと言うのだ。
無鄰菴の周辺は京都でも有数の観光地で、常に人が耐えない。それに、北側は交通量の多い通りで、 車の走る音もまた耐えない。しかし無鄰菴の戸をくぐると、水の流れは都市の騒音を打ち消してくれ る。ましてや、水を生き物のように操った植治によって、庭を歩くと流れは次々と音色を変え、繊細 な水の変化に耳が奪われる。水だけでない、水遊びに来た鳥がさえずる。木々の葉がこすれる。なんて、 静かなのだろう。外部と縁を切ったシェルターではなく、全てを外に開いている庭園が、「静か」な空 間をつくり出しているのである。
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逆に、シェルターであるはずなのに、全く外より、外を感じる体験をしたことがある。スイスで、ピー ター・メルクリの彫刻の家を訪れたときのことである。
いい天気だった。途中のカフェで借 りた鍵で入り口の重いドアを開けると、少しひんやりした空気に触れる。ハンス・ヨーゼフソンのい くつかの作品があるのだが、少しの間佇んでいると時折、部屋が暗くなる。少しするとまた明るくなる。 さっきまで気が付かなかったけれど、鳥が鳴き続けている。電車や車の音が、耳元を通っているくら いに響く。「静か」ではあるけれど、決して、心地よいものではない。外に出ると、やっぱりいい天気 であるし、鳥の音もかすかには聴こえる。線路は少し向こう側で、車は大きな川を挟んで向こう側に 見えるくらいだ。空にはかすかに、雲が見えるが。
そんな、人の感覚を最大限に澄ましたような空間が、彫刻の家にあった。それを建築というか、ぼく は「庭」と呼びたくなった。
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そもそも「庭」は何か物事を行う場所を示している。神事であったり、行事であったり、農作業をす る場所が「庭」である。無鄰菴や、桂離宮のような「庭園」も、園遊会や茶事を行う「庭」であるし、 町家の正面の店と奥の住居をつなぐ空間で、接客をしたり、おくどさんで調理したりする「トオリニワ」 も「庭」である。「庭」と「建築」は、内外の関係性だけでなく、その枠組みを超えた人の営みのための「空 間」なのである。そして、建築よりもっと自由にそういう場所を獲得した「庭」に、ぼくは憧れをもっ ている。
『庭、巡る』( 2回生美術館課題 ) は、庭がそういう何か物事を行う場所であることから、芸術を受け 入れる器としてだけでなく、常に創造をかき立てる場として考えた。桂離宮のように、回遊しながら いくつかの庭を巡る。庭が「観る」だけでなく、「創る」ための場であり、それがまた庭に還元される。 そして庭、芸術、人が、ひとつの風景として表れる。
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無鄰菴の施主である山縣有朋は、作庭にあたって「然しこう見渡した處で、此庭園の主山といふは、 此前に青く聳ている東山である。面して、この庭園は此山の根の出ばつた處にあるので、瀑布の水も、 此主山から出てきたものとする。ざすれば石の配置、樹木の栽方、皆これから割出して来なければな らんじやないか喃」と述べている。つまり、無鄰菴は、正面に見える東山を中心に、田園風景から東 山に至るまでの風景をつくることをルールにして、流れのデザインや植栽、石の配置が決まっている のである。
さらに、このルールは、主屋から見る視点を起点として、滝に至るまでのストーリーのもとで広げら れている。主屋から庭園を見ると、東山に向かって消失するように植栽が配置、調整されている。園 路を歩き出すと、今度は違う方向で流れが敷地の先に向かって消失している。特異な地割りを2つの 遠近法によって活かし、庭園に奥行きをつくっている。さらに視点を止める先には、捨 石が近景から遠景へ視点を誘導するように配置されている。この捨石が庭園の奥行き感を曖昧にする、 視覚補正を行っている。
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これらは全て、東山を中心とした風景を歩くストーリーの中から割り出され たものである。庭園を歩く中の視覚操作は、狭い敷地に奥行きを、広さを見せ、広いところは空間を 引き締める、景である植栽や捨石は、無造作に配置されるのではなく、全体として東山を中心としたルー ルのもとで、シーンを構成する要素として決定している。
無鄰菴はそうやって、秩序をもって作庭されている。けど、風景として、その秩序がゆっくり崩れる ように、肩の凝らない自由な庭園である。風景として無秩序であるけれど、秩序のある空間、それが『本 を読む風景』( 3回生図書館課題 ) で考えていたことだ。始まりは都市のコンテキストに基づいている けれど、小さな本を読むところや、大きな人の集まる場所をつくるように編集して、秩序を崩していく。 さらに、人が本を探したり、お気に入りの場所を探したりして動き回ると、風景が絶えず変化し、よ り秩序は表面から消されて、自然になる。
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さて、ここまで庭と建築について考えてきたけれど、同時に、「風景」という言葉がついてきている。「庭」 と「風景」、どちらも「Landscape」と言えるように、互いに意味し合っている関係である。「庭」�� 建築をつくる空間の目的であるとすると、「風景」は建築のつくる結果である前に、そのスタート地点 であるように思う。無鄰菴は自然風景を表現しているけれど、例えば大阪の繁華街で、雑居ビルが立 ち並び、夜になるとネオンが輝きだして、飲み歩く人々が行き交うのも、風景である。庭をつくると いうことは、その敷地を取り巻く風景をしつらえて、シームレスな環境をつくることである。つまり、 雑多な都市であっても、それをその場所の風景としてとらえると、それを編集することでその街の雰囲気を継承することができるのではないだろうか。
「幻灯の風景」( 大学院1回生ホール課題 ) では、ボリュームが立ち並び、昼と夜で全く違う様相を見 せる大阪の歓楽街に、同じような箱を置きながら、異なる時間軸を設定することで、まわりと同じよ うであるけれど、少し違う風景が表れることを考えた。つまり、昼と夜では雰囲気が大きく変わるけ ど、一年を通して変化が少ない街に、季節の様相を取り込んで、それがファサードとして表れることで、 周辺の物理的物体に対して虚像としての建築を捉えようとした。
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ぼくが建築をつくる側として、庭に憧れをもっている、というのは、先に書いた通りだ。それは庭園 が作庭者の意図を超えた偶然性を含みもち、時間、時代によって様相だけでなく、その存在や、使い 方に思いもよらない側面があるからである。それは逆に、忘れられない建築を創造するためには、そ の姿形が消えてしまうことをいとわないことが、建築の力強さになるのではないか、と考えている。
西芳寺は、作庭当初は白川砂が引かれた枯山水庭園であったという。それが、少し手入れのされない 時期を経て、周囲に控える山の環境に身をゆだねた結果、現在のような一面が苔の庭園になった。夢 想礎石は、この苔の姿を想像していただろうか。庭は、その土地の地形が大きく影響するが、人工物 の建築とは違い、人の手を離れると、たちまち自然に還っていくのである。
庭園の南には、湘南亭と呼ばれる茶室がある。庭園側に縁がついている開放的な茶室であるが、 雁行形の平面は、庭園に対して斜めの動きを与えている。興味深いのは、その斜めの軸線状の縁の先に、 池の石垣がやはり雁行をつくっている。その向こうは曲線を描いた中島が重なる。建築と庭 園のトポロジーが空間をつくっているのである。調べてみると、石垣の部分は、昔は池に張り出した 建築があったようだ。つまり、茶室からの斜めの軸線は意図されたものであるが、どういった経緯か 石垣だけ残っている姿に、ぼくはとても透明な空間を感じている。
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これを、夢窓疎石が想像していただろうか。庭は、つくられたとき以上に、その後、人、あるいは自 然にゆだねることによって、終わりの無い完成がつづく。そこに設計者の意図が残ることはないかも しれない。偶然性や時代性が大きな影響を含んでいるが、庭とは、そうでありながら生き続けるもの ではないだろうか。庭園の様相そのものが変わってしまうかもしれないし、周辺の風景が変わってし まうかもしれない。しかしながら、西芳寺は夢窓疎石が思い描いたように、今でも浄土世界の思いを 馳せることができるし、無鄰菴は赤松にかつての東山を偲ぶことができるのである。それは、庭園の 主体性が、浄土世界や、東山の風景であって、人はそれを少し借りているだけなのだ。
『下鴨の庭 ( 卒業設計 )』がある敷地は、糺ノ森の中でもそこが神域であることが忘れられたような場 所であった。いや、このまま人の手で破壊されることが繰り返されれば、もう神域ではなくなるだろう。 そこに庭をつくるということは、この場所が神域であることが忘れられないようにするためであった。 つまり、本来ここが神様の場所であるように、神様をが人々を迎えてくれる場所として庭をしつらえる。 人はその庭にお邪魔して使わせてもらうのである。今は機能を決めていないけれど、いつか美術館や、 神主の住居にすることもできるだろう。建築は屋根が無くなるかもしれないけれど、その痕跡が残る。
自然にゆだねた変化や偶然性を人が予想することには限界があるけれど、自然を司る神様からすれば、 当然のおもてなしである。完成することのない庭は自由に時間、空間を漂い、記念碑のような性格をもっ た場所であり続ける。
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「庭のような」体験は、人間の五感が思いもよらない感覚を訴えかけてくるものである。庭と建築が、 それぞれ意識が行き来することで生まれる「庭のような」建築、仮に建築と庭の境界があるならば、 ぎりぎりそのどちらでもないような空間に、今、ぼくは思いを馳せている。そんな建築は、庭を閉じ 込めて語らせるものではないだろう。外に開いた建築が、庭が語り始めるのである。
ある春の日、そんな思いを巡らせながら無鄰菴を歩いていると、芝の中に名前の知らない紫色の小さ な花がたくさん咲いている。流れには、どこからか飛んできたカモが、小石をひっくり返してエサを 探している。音や風、光、匂いが、思いのまま共存している。いい天気だった。流れる音はぼくの言 葉をかき消してくれる。広がる風景を目の前にして、ぼくはやっと言葉から解放され、無意識になれ るのである。
なんて、静かなのだろう。
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webnchi-blog · 7 years ago
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危篤状態のウト「良い人生だった、ありがとうな」義姉(号泣)トメ『こぉの偽善者がぁ!!なにが良い人生じゃあ!こぉのあほんだらがあ!』 → 心電図「ピー!!!」
転載元:http://ok-ch.net/thread/type/baby/seq/63/ 78 : 名無しさん@おーけーちゃんねる 2014-06-01 07:35:55 今��ところこれを越える体験がないというか、これ以上があってたまるかなんだけど、ご臨終寸前だった舅に姑がトドメをさした。死因は違うと思うけど、あれは姑がトドメを刺したわ。 スポンサードリンク _iads.outAd(53); 続きを読む Source: 渡る世間はキチばかり
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kadookanobuhiko · 7 years ago
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父の死 連載第20回 4年と40年の歳月
 屏風のような山々に囲まれた小さな村は、どこにいても風鈴の音が聞こえた。今月初旬に、佐賀県の磁器の里・伊万里の大川内山を訪れた。夏の風物詩「風鈴まつり」で、各窯の軒先に伊万里焼のそれがぶらさがっている。その涼やかな音色は、猛暑で萎えた体と心に潤いをもたらした。
 食器、調理器具、装飾品・・・いろんな伊万里焼を目に焼きつけてきた。現代の伊万里焼は、何百年にわたって伝えられてきた技に、斬新な意匠が加わり、新しい命が吹き込まれている。観光客もまばらな静かな里で、色も形もさまざまな器を眺めながら、ここは桃源郷だなと思った。
 伊万里は磁器の里に加え、梨の産地でもあった。道端の直売所で2キロほど買い求め、実家の母親に送った。翌日、母親から、梨が届いたこと、父親の命日が近づいてきたので仏壇に供えるとの連絡が入った。
 大阪に帰り、ふと梨の送り状を見ると、届け先に私は父親の名前を書いていることに気付いた。自分でも驚いた。無意識に、すでにこの世にいない人物の名を記していたのだ。
 連絡をくれた母親はそのことには触れなかったが、仏壇に供えるという言葉は、父親の名前を見たからなのか、とあとで思った。
 父の死から丸4年が過ぎた。母親はいまだに父親が近所をうろうろしているような気がすると言う。それを聞くたびに私は、いつまで家の周辺を徘徊してんねん、と思う。
 母親は父親が死んだ実感はないと言いながら、月命日には必ず墓に花を供え、住職のお参りを待つ。そしていないはずの父親に話しかける。願望と現実の双方を生きているのだ。
 実家に帰ったとき、就寝前の母親が「お父ちゃん!」と”まぶたの夫”に声をかけているのを何度も聞いた。毎晩呼びかけているのだろう。ちょっと怖かった。
 この4年のあいだに、母親と同年輩の何人かが鬼籍に入った。そのたびに母親は「お父ちゃんより〇歳若い」「〇級(学年)上や」と教えてくれる。闘病の末に亡くなくなったケースでは、「(遺族は死を)覚悟しとったやろうから、まだええわなあ」と嫉妬まじりに言う。大動脈瘤破裂で急死した父親は、あっけなく逝った。かける言葉が永遠に失われたので心残りなのだろう。
 もっとも、長い闘病の末に旅立ったとしても、優しい言葉をかけていたかどうかは疑わしい。少しのしくじりでも「お父ちゃん、何しとんのよー!」と口うるさかったからである。
 母方の祖母は晩年に痴呆症にかかっていたが、母親はおかしなことを言う祖母に、いちいち「それ、違うやろ!」「なんぼ言うたらわかんのん!」と大きな声で注意していた。中学生だった私は、それを聞くのが嫌で、 相手を否定しない 痴呆老人との付き合い方を記した本をコピーして渡したりしたが、効果はなかった。
 長い闘病生活を続けていれば、父親は母親の小言を聞き続けなければならない。やはり父親は、数十秒でこの世を立ち去ることができてよかったのではないか、と私は思うのだ。
 少年から青年にかけての私は、詮無きことを言う母親との折り合いが悪かった。口うるさくあれこれ言われるのが、私には鬱陶しかった。今になってそれは、母親の愛情であったかもしれないと思うのだが、反抗期の10代には”おせっかい”でしかなかった。
 父親が亡くなり、主だった法事を終えると、母親や兄妹、親戚とも会う機会が減った。それでも独り暮らしの母親とだけは、2~3日に1回は、夕方から夜にかけて携帯電話に連絡をとる。
「こんばんわー」
 長い呼び出し音に続き、いつも他人行儀なあいさつが返ってくる。「こんばんわ」と私も返す。そのあとは決まって、その日の天候が話題になる。「きょうは暑かったな~」「雨が降らんな~」「そっちはどうや?」。兵庫(母親)と大阪(私)の違いを確認する。播磨灘と大阪湾では、微妙に空模様が違うのだ。
 ひとしきり天候の話題をしたあと、その日の出来事や近況報告がある。どこで誰々と会った。誰々が来てくれた。どんな会話をした。近所の知り合いの文鳥・ピーちゃんが弱ってきた。誰々が亡くなって、通夜に行って来た。朝からお寺の草むしりに行って汗を流した。秋祭りでおでんを〇人前つくった。余ったから持って帰ってきて食べた。畑で春菊がいっぱい獲れたので要るか? すぐに萎えるので要らん? そうか。大根送ったろか? 大阪でも安く買えるから要らんか。孫から電話があって嬉しかった。塾通いで忙しいらしい。勉強がようできるねんて。弱ってたピーちゃんが死んだ・・・。
 地方紙にも載らない出来事を、元地方紙記者が聞く。最後はきまって「〇〇ちゃん(妻)によろしくな、モモ(飼い犬)にもよろしくな」と言って電話を切る。妻はまだしも、飼い犬によろしくと言われても、なんと伝えたらいいかわからない。後者は無視である。
 母親の携帯電話をメール送信ができるタイプに買い換えたことは、以前にこのブログに書いた(2015年9月)。購入後にメールの送受信の仕方について、私が集中講義をおこなった。双方の努力の甲斐あって、今では1日3回はメール交換している。・・・というのはまったくの嘘で、この2年間で、母親からメールを受け取ったのは、たった1度だけである。「今は連絡できないので後でします」といった内容で、「へえ、ちゃんと送れてるやん」と感心したが、すぐあとに、何かの拍子で例文を誤って送信してきただけだったことがわかり、がっかりした。
 けっきょく、80歳を超えた母親には、メールなど必要ないのだ。太い指で文字を入力する時間があったら、電話をかけたほうが早いということなのだろう。やはり”文字”よりも”声”なのだ。文明の利器を使わないと損、使ったら便利という私の考えは、余計なおせっかいに過ぎなかった。
 父親が亡くなったちょうどその日が、私の50歳の誕生日だったことはすでに書いた。きりのいい”50”で、このブログ���始めたことも。
 あれから4度、季節はめぐり、私は54歳になった。その半分の年齢のころは、54歳と言えば、まるで別世界の人間だった。会社員だと順調にいけば、管理職に就く年齢である。周囲に慕われていればベテラン、そうでなければロートルと呼ばれているはずだ。加齢臭も半端ではない。ああ、オレもとうとうこんな年齢になったんかぁとつくづく思う。
 地方紙記者時代に、父親が60歳で定年を向かえ、自宅で小宴が開かれたことは当ブログでも触れた(2015年11月「酒よ」)。あと6年で、あのときの父親の年齢になると考えると、感慨深いものがある。
 定年後の父親は、畑仕事をしたり、地元の自治会の役員をしたりして20年余りを過ごした。身内が言うのもナニだが、父親は周囲に敵をつくることなく、むしろ慕われ、頼りにされた。悪口を言う人はいない。敵が多い私とは、大違いである。
 父親は長らく工場の脱臭装置の建設に携わり、現場監督を務めていた。叩き上げのエンジニアである。家の中で青焼きの設計図を広げ、仕事の準備・確認をしていた姿をしばしば目にしたことがある。
 国内外に現場があったため、出張が多かった。私が中学生のとき、3者面談で珍しく学校に来てくれたことがあった。何らかの事情で、母親が来れなかったのだろう。
 職場を抜け出してきたらしい父親は、放課後の午後4時ごろに自転車に乗って学校にやってきた。油が染み付いた灰色の作業服を着用し、安全靴を履いていた。お、かっこええな、と私は思った。働く父親の姿がそこにあった。私も大人になったら油にまみれ、身を粉にして働きたいものだと夢想した。
 あれから40年ーー。私はエンジニアではなく、しがない物書きになった。油にもまみれず、身を粉にもせず、のほほんと生きている。(2017・8・14)
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