#山田玲司のヤングサンデー
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『はじめてのラピュタ』山田玲司のヤングサンデー第5回#05(2014.11)
ラピュタの話まで長いーwけどそこも面白い😊
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「葬送のフリーレン」と「ダンジョン飯」の対比と日本と西洋フェミニズムの枠組みのズレみたいなことの粗論
・あまりやる気がないので、できるだけ簡単に書きたい感じだが……。箇条書きにしてみよう。
・ちなみに、「葬送のフリーレン」も「ダンジョン飯」も、個人的にはネットで断片情報に触れた程度で語る。 (だから別に批評ではないし、「こんな感じなのかな?」くらいの印象論)
・なぜ「葬送のフリーレン」と「ダンジョン飯」を並べるかというと、「どちらも女性作家の作品だと思うから」。
・つまり、「葬送のフリーレン」原作の山田鐘人も、作画のアベツカサも女性だと思う(多分、二人を引き合わせた編集者も女性。男性では女性同士の機微みたいなものが分からないと思うので)。「ダンジョン飯」は言うに及ばずが。
・「葬送のフリーレン」について。まず、「葬送のフリーレン」の凄さをちゃんと語れている人がいるのか疑問だ。多分語れるとしたら、ファミコン世代くらいではないか、と思っているが。
・山田鐘人はネームレベルまで描いているみたいな情報も見たので、表現のニュアンスも伝わっているのではないか。
・と考えると、「(ニュアンスレベルで伝わっているはずである)バトルシーンにそこまで力を割いていないのは山田鐘人の作家性であり(最新話近辺ではまた変わってきているらしいが、読者の反応(と、ネットの評判?)を見て展開を変えている部分はあると思った。僧侶アゴヒゲの退場とか。私自身は、過去に過干渉すぎて失敗したこともあるので(大体、いい年したオッサンが何をやっているのやら、だ)、今回は『今後の展開予想』は書かない)、「鬼滅の刃(こちらも女性漫画家作品)」と共通する部分ではあるし、両作品とも、アニメ制作会社が戦闘シーンを盛り盛りにして好評だった(派手なバトルシーンを描くのを得意とする男性アニメ作家と、人間同士の機微を描くのを得意とする女性漫画家という補完関係が成り立っていると思う)。
・ただ、ここまで「女性から見た女性中心の世界観」の大ヒット少年漫画はなかったと思う(高橋留美子作品にしても、「鬼滅の刃」にしても、「鋼の錬金術師」にしても、「少年漫画である以上、少年が読者であろう」という暗黙の了解がここまで破られていない気もする。男性目線でおっぱいおっぱいもある訳だし(「鋼の錬金術師」はそうでもないか?))。女性作家だというだけで、高橋留美子も結構理不尽な思いをしたと思うし。
・この「女性から見た女性中心の世界観」を読み解けていないのが���少なくとも私はその指摘を目にしていない)、逆に変じゃないか、と思うのは、私が年を取ったからだと思った。
・唯一神である女神様は女性だし(ドラクエの精霊ルビスは「おお神よ」と祈っていなかったかな)、最強のエルフの大魔法使いであるゼーリエも女性。(おそらくフリーレンの世界では究極の力であろう)魔法は女性上位の世界観である。基本的に、男性は「女神に仕える」か、「女性を守る騎士役」が大半(甲斐性持ち)。暴力によって、俗世間で世を統べているのは男性なのかも知れない(し、それこそ、女王とかも出てくるかもしれない)。
・物語の重低音として、フリーレンとヒンメルの悲愛(?)がある訳だが、ヒンメルは、もうこの世にはいない。エヴァから引用するならば、
"彼女というのは遥か彼方の女と書く。 女性は向こう岸の存在だよ、我々にとってはね。 男と女の間には、海よりも広くて深い川があるってことさ。 加持リョウジ(新世紀エヴァンゲリオン)"
逆に言えば、女性から見れば、男性は、つまり、"彼氏"は向こう岸の存在とも言える。 実際、彼岸(あの世)にいるわけだが、ヒンメルは。
つまり、読者は、フリーレンの側として、世界を見ている。 で、物語の描き方としては、ヒンメルは「理想の彼氏」であり、ユートピア(どこにもない)みたいなものだ。 その結果としての読者投票一位なのではないか。
・山田鐘人が表に出てこないのも、その辺の事情があると思うが、時代の意識としては、「もうそんなことは問題ではない」ということだと思った。
・若い世代から見れば、週刊少年サンデーはすでに辺境であり、最前線はTikTokとかその辺であり、フリーレンに難癖をつけてくるとしたら、高橋留美子時代くらいからの漫画読みだと思う。というか、子供が読んでいる漫画に難癖付けるのもどうなの?失礼ですが、あなたおいくつですか?みたいな感じか。
・その辺は、世代論として割り切れると思った。ある世代においては「SFかどうか」が問題であり、(その世代で)議論が好きな人は今でもその議論を延々としていると(多分、お亡くなりになるまで)。別の世代においては、「ロック」だったり、「RPG」だったりする。確かに時代の意識は変わってきている、と思った(フリーレンではないが)。
・で、単なる実態として、「今現在の週刊少年サンデーの仮想敵は、月間少年ガンガンというより、ざっくり『ガンガン系』でくくるべきか?この辺はよく分からない。ヤングサンデーの現状なんて全然押さえていない」であり、読者のメイン層がかなりかぶってきているようにも見える(具体的には、女性層。例えば、「薬���のひとりごと」のコミカライズは、「サンデーGX」版と「ビッグガンガン」版がある。そんなことは、編集側も百も承知だと思うが)。
・「名探偵コナン」の女性人気がその方向性を決定づけたかどうかは分からないが、絶頂期は、三大誌として、「週刊少年ジャンプ」「週刊少年マガジン」「週刊少年サンデー」があったわけだが(「チャンピオン」はそれに続く感じ?)、個人的には、16bit時代のゲームマシン戦争を思い出す感じだった。硬派気取りの「マガジン」的なメガドライブや、軟派な(というか、本質的には「柔軟性のあった」というべきかも)PCエンジンは、圧倒的な強者である「ジャンプ」的スーパーファミコンに蹴散らされた。
・にしても、メガドラもエンジンも、スーパーファミのラスボスオンパレードのようなラインナップを相手によく粘ったな、とは思うが。ちなみに、メガドラ→「異世界おじさん」→岡田斗司夫が評する(右派)、エンジン→「ハイスコアガール」→山田玲司が評する(左派)みたいな関係はあるとは思うが、遠目から見れば、大同小異で、「あー、なんか、新しいファミコンみたいなヤツ?」として片付けられていた(と思う)。
・にしても、「ガンガン系」を語る人があまりいない、というのも、ヒエラルキーの一つの現れなのかも知れない(スクエニやアスキーは出版社としては弱者的な?)とは言え、。「ガンガン系と(高橋留美子以降の、(テレビゲーム原作である)ドラクエ4コマから始まった流れでの)女性作家」という文脈で語れるものもあると思うんだが(アニメ化された「月刊少女野崎くん」にしても、「その着せ替え人形は恋をする」にしても、海外でも人気のようだし)。そもそも、批評や評論みたいなニーズが無くなってきているからかもしれない(逆に、忖度するのが当たり前のメディアを参考にしている人はいるのかな?)と思うが。それならば、素人の率直な感想の方が参考になる。
・それはともかく、「週刊少年ジャンプ」はいいとしても、「週刊少年マガジン」は軟派路線に切り替え、「週刊少年サンデー」はターゲットを女性主体に切り替えたように見えたし、フリーレンのヒットもある意味必然なのかもしれない。
・あの山のようにあったヤンキー漫画とはいったい何だったのか?とかは思う。「男塾」もヤンキー漫画に対するバンカラ的な日本男児的な右派のパロディであったが、自分より一回り下の人には、「ああいうイカついのは嫌いだ」と言われた(あー、PCエンジン派だね、君は。と思ったが、ヤンキー漫画はほぼほぼ絶滅し、「マガジン」がギ��ルギャルしくなった訳だから、PCエンジン派の粘り勝ちなのか?……いや、時代は流転するはずだ。今は、ギャルギャルしいのと洋ゲーFPSの実況動画が並立する世界なのだ)。
・男塾の渾身のギャグ。
(魁!!男塾 第3巻 宮下あきら)
・メインキャラクターは大体は髪と特徴で立ち位置が分かる感じ。
→フリーレン:髪の色は、「薄紫」みたいな感じ。髪型はツインテール。クールな綾波クローン感(感情の希薄性)は、ホシノ・ルリ(��宙戦艦ナデシコ)?ただ、宇宙戦艦ナデシコをチェックしているかはちょっと不明(多分、山田鐘人はかなり若く、女性なので)。プレ・ヒロイン(プロトタイプヒロイン)感は、老倉育(物語シリーズ)だと思うが、老倉育はメンヘラなので、性格は真逆。あとオトボケ感は、宮内れんげ(のんのんびより)的。あくまで、フリーレン視点は、重低音であって(デウス・エクス・マキナ的な後出しじゃんけんにも使えるし。いくつか指摘を見たが、いわゆる「なろう」モノ的な万能感にもつながる部分もある)、今の世代が物語の中心だと思う。こういう構造も珍しい(「ドラえもん」の主人公はドラえもんじゃないよ、的な?)。
→ヒンメル:髪が青(水色)的。綾波レイ(エヴァ)的な「(男の)ヒロインその1」。性格的には綾波レイと全然違うナルシストなので、多分、アスカとレイの性格のネガポジを交換してこんな感じになった印象。「泣きボクロ」は赤城リツコ(エヴァ)よろしく悲劇性を表す。
→シュタルク:赤毛。エヴァにおけるアスカ的な?「(男の)ヒロインその2」。こちらも性格のネガポジ交換されてる印象。綾波系に隠れてしまっているが、アスカ系みたいなものもあるが(アスナ(ソードアート・オンライン)とか)。赤毛とか茶髪とかは親近感を表す、ということなのだろう(西住みほ(ガルパン)もそんな印象)。キャラ造詣が「女性から見た少年像」的で、個人的には、うさぎドロップの下の絵を思い出したのだった。
(うさぎドロップ 3巻 宇仁田ゆみ)
→フェルン:髪は紫、ロングヘア。自分的には、主人公格で紫と言えば、草薙素子(攻殻機動隊)だが、その髪型は「前下がりボブ」である。これは「男性から見た/男性基準での/男性が思い描くデキる女性像」なのだろう(実際、「メスゴリラ」呼ばわりされている)。なかなか面白いと思ったのは、ロングヘアの方で、「髪は女の命」ということで女性性を示していると思う(ちなみに、西尾維新の場合は、ロングヘアは、「化物性(彼岸性/あちら側の存在)」を表しているようだが。この辺はフェルンと一致しているかもしれない。だから、西尾維新は主人公の彼女とかになると、ショートヘアになったりする)。多分、この「女性性を否定していない」というのが重要で(面倒くささも含めて)、「お母さん」呼ばわりされているようだが、よりハッキリ言ってしまえば、「(女性から見ると)お母さんは有能ですよ」ということだと思った。個人的に思い出した経験だと、「子育てでは男は役立たずになる。女には絶対かなわない」と言っていた同世代の上司がいたことだ。確かに、マルチタスク性にしても、社会性にしても、女性の方が男性より上だと思う(話しながらプログラムを打っていた女性プログラマも見た)。てっきり、「若い女性の感情移入の委託先」かと思いきや、最近行われた2回目の人気投票では、4位だったようだ(この辺はよく分からない。しかし、現代のネットはすでにかなり社会化(ソーシャライズ)されているな、とは思う)。男性が女性に勝てるのは、「(献身的と言ってもいいほど)何かに打ち込むこと(ハマること/のめりこむこと)」だと思う(ファッションではなく、「カー〇チ」だったり、「ゲー〇チ」だったり、「釣り〇チ」だったりするのが男性)。で、「何らかの第一人者(この場合、ニッチジャンルでも構わない。結局、「開拓者」にならざるをえないというか、「ルールが決まっていないところに突っ込んだ方が結果が出易い気もする」)」になることくらいしか、「弱者男性」の活路はないと思う、個人的には。
・で、フリーレンの画期的な点について(長いよ。なんだよこれ。でもこれでフリーレンの話はおしまい)。
・まず、「一般攻撃魔法(ゾルトラーク)」の概念。「史上初の貫通魔法」とは言うけれども、何をもって「貫通」と定義するのか(例えば、厚さ10mmの鉄板を10枚貫通したとか?人体を十分に貫通できれば貫通?かといって、地面に穴が開いているわけでもない)。何というか、その辺がふわっとしていて、面白いと思った(別に責めているわけではなくて、多分、男性と(多分)女性の感覚の違いは大きいと思った)。
・ゲームだったら、「対象オブジェクトを貫通する(地面等は除く)」ということだと思うが、アクションゲームをイメージしていたんだろうか?(フリーレンの世界観では、魔法はイメージの世界だそうなので)
・基本的に、「一般攻撃魔法」と言うと、D&Dにおける「マジックミサイル」、ドラクエ1で言ったら「ギラ」だろうが、「詠唱速度を上げて、単位時間の発動量を増やす(フェルンは2Dシューティングゲームの斑鳩の「力の解放」を思い出すくらいに連打していたが)」みたいなマネは多分できないはずだ。BASTARD!!では、召喚した多頭の怪物に呪文を詠唱させていたような……。忘れた。だが、他の「なろう」モノでも、海外の作品でも比較していいと思うが、こういう概念・発想自体新しい。 ・「魔法をテクノロジーとして捉える」という考え方自体、そこまでは新しくないが(ロードス島戦記の滅びた古代魔法王国カストゥールや、ダンジョン飯でも、「黒魔法で一旦、世界が滅びた」みたいな感じだろうし)、ただ、「現在進行形として、魔法というテクノロジーが進化している」とか、各自の創意工夫で、例えば、「一般攻撃魔法」をカスタマイズ出来る、みたいな話は新しいと思う。
・余談としては、個人的に面白いと思ったのは、あまり評価されていない故・佐藤大輔の「エルフと戦車と僕の毎日」で、エルフが(鉄のように固い木製の)戦車にい乗って戦うのだが、マナ・モーターからは、唸りである小鳥のさえずりに似た音が響き、魔素反応の花の香りに似たものがあふれ出す、みたいな描画で、「さすが文才があるなあ」と感心した。まあ、これはどちらかというと、「魔法をベースにした疑似科学」みたいな世界観だが(ちなみに、物語の下敷きとしてイスラエル建国をベースにしたらしい。少しエロいかもしれないので、読む人は注意)。
・だから、「葬送のフリーレンは、テクノロジー称賛派」とも言える(設定的な遊びの余地が非常に大きいというか、漠然としているので、「いつでも手の平を返すことが可能」な作りになっている。よって、読者の反応次第で、初期設定をバンバン変える可能性はあると思った。だから、基本的に自分はもう干渉しない)。つまり、「理系的リバタリアン」な世界観(その割に、「お花畑を(つまり平和を)イメージできる」フリーレンがタイトル(主人公なのかは判断に迷う)なのが面白いと思う。つまり、思想的なバランスは取れている印象)。
・また、「フリーレンの致命的な隙」だが、ああいうのは、例えば、「現実��車の運転」みたいなところからヒントを得ていると思う。つまり、「葬送のフリーレン」は、「(ボンヤリとした)現代っ子の一般教養としてのRPG知識」をベースとしているが、山田鐘人は、物語のリアリティを(ゲームからではなく)現実からかなり引っ張ってきているので、現代の現実感覚というのがかなりあるのだと思う(説得力がある)。
・言い方は悪いかもしれないが、「山田鐘人に(下手に)ゲーム的教養がないからこそ出来た物語」だと思う。ゲーム業界に例えると、「任天堂はコンシューマゲームの王様だからこそ、その文脈に囚われてしまい、ソシャゲーではうまく行かない(ソシャゲーにはソシャゲーの別の新しい文脈があるので)」。ソシャゲーで上手く行っているコナミはコンシューマでは今一つパッとしないし、カプコンはその逆だし、「多芸はあれど、万能は無し」みたいな話が会社(文化)にも通じるのだと思う。
・海外では、MyAnimeListで、1位が「葬送のフリーレン」で、2位が「鋼の錬金術師」なのだが、(多分)女性作家が一位と二位を独占しているというのは面白いと思った。
・「なぜそんなに評価が高いんだろう」としばらく考えていたのだが、おそらく、「(海外での)女性人気が高いから」ではないか、と思った(海外掲示板の翻訳サイトとかでは性別は分からないが。言葉遣いも全員男性的な翻訳のされ方されているのではないかな)。
・特に北米では「(政治的主張の薄い、主にティーンエイジャー向けの)女性向けエンタメ作品」というのが少なかったのではないか、と思う。
・で、一般論だが、特に女性オタクは、「愛のささげ先」を求めている印象はある。「何が嫌いかより何が好きかで自分で語れよ」を地でやっている印象はある(元ネタは、「ONE PIECE」ではなく「ツギハギ漂流作家」という漫画のコラ画像だそうだ。マジか(若者言葉))。生物としての本能を考えるに、その愛は、そもそもは子供を育てるために使われてきたのだろうと思う(だから、「鋼の錬金術師」でも、母親の強さを強調している気もする)。「だから、~だ」みたいな主張は私は持っていないけど。
・したがって、女性オタクは「推し」を全肯定する(弱点や欠点も含めて受け入れているので)。男性オタクにもそういう人はいるだろうが、私個人としては、ガルパンを否定されたところで、(多分、大抵の意見は)そりゃそうだ、的な感じで、あえてこの言葉を使えば、「好き嫌いだけで判断するのは女子供の理屈ではないか」と思うし(これはもちろん、失礼な言葉ですよ。男顔負けで働いている女性がいくらでもいる訳だし)、社会に出れば、合わない人とも一緒に仕事をしなければいけない時もある訳だし、例え自分と合わなくても、相手の能力の優れた点を積極的に見出して行こうとする方針ではある(上手く行かないこともあるが。ただし、女性にとっての合う合わないは男性よりも大変っぽい、私個人の経験論的に)。
・だから、ジャニーズ問題にしても、ファンクラ��に入っていたような女性は「超保守派」しかいないと思う(「現状維持」しか認めない。欠点も含めて受け入れたわけだから)。そういう人たちを相手に話し合いをしても無駄(妥協の余地がないのだから)、ということになる。かくして、「(今回は)無理を通そうとしても無理」ということになる。この点においては、日本が頭の上がらない欧米にも妥協の余地はなく、兵糧攻めをされて散り散りになっていく。
・なんで自分はジャニーズの話をしているんだ��うか。それはともかく、「葬送のフリーレン」も「鋼の錬金術師」も海外の女性が好きになって全肯定してくれた結果、ワンツーフィニッシュを決めた、というのが私の仮説である。
・次は、「ダンジョン飯」だが、もう疲れたので、簡単に触れる。
・作者の九井諒子は、リベラル→人文主義→ヒューマニズム→古典主義という流れで、教養人だと思う。 (別に敵視しているわけではない)
・実際、「RPGを分かっている人が書いた漫画である」という件については大体の人の同意は得られると思う。
・と言っても、「RPGの文脈から機械的に考えていく」という訳ではなくて、RPGが作られた文化的背景をそれなりに押さえた上で、自分なりの解釈をひねり出しているので(黒魔術の話とか)、その辺のオリジナリティとリアリティが面白い、という人もいると思った。
・だから、作中に現代的な新しい空気がある、というよりも、結構保守的な男性受けも考えているという印象。 (なんというか、マルシルにしても愛嬌がある感じ(「男は度胸、女は愛嬌」みたいな価値観を守っている)。こちらも思想的には別のやり方でバランスは取っているのではないか。もちろん、「本当に怖いのは女」みたいな感じで、人物造形自体、男性はややシンプルな気はする(それは当たり前と言えば当たり前なのかもしれない。女性から見ると「男性作家は女性が描けていない」だろうし)。フリーレンはその辺の空気感が違う)
・「原点に帰れ」みたいな話で(むしろ、「原点に立ち返ったうえで、通念を疑え」で、自分にとって説得力のある世界を作り上げた印象)、これもまた文系的(理系はそうはいかない。ニュートン力学の時代に帰るわけにはいかないわけですよ。まあ、「どこから前提をひっくり返すか」みたいな話にはなりそうだが。「社会科学」を銘打っておきながら、「原点である社会学のテキストに戻る」みたいな考え方は、文系としか言いようがない。経済学にしても、アメリカでは理系の学問だと思うし(タレブは「(アメリカの)大学で教える経済学が古くて現場で使えない」とボヤいていた)、日本では文系の学問な印象(「マルクスに帰れ」とか))。
・で、最後の最後に「日本と西洋フェミニズムの枠組みのズレ」みたいな話。
・三大随筆と言えば、清少納言「枕草子」、鴨長明「方丈記」、兼好法師「徒然草」だが、清少納言のライバルに紫式部がいて、こちらも「源氏物語」と言う作品が有名だ���
・で、文学の場に関して言えば、日本は割と伝統的に女性の入り込む余地はあったのではないか、と思う。で、それが、現代の「葬送のフリーレン」や「鋼の錬金術師」のような日本女性の作家性の発揮、という形で、世界から評価を受けている。現在進行形で、世界的女性作家を生み出している国はほかにはないと思うが。少なくとも、この点に関しては、日本が欧米よりも進んでいる、と言えるのではないか(という仮説)。
・もちろん、逆に、日本が遅れている部分というのはあるだろうし(例えば、あまり男性が料理とか作らないとか)、その辺は総合的なバランスを見ながら追い追いやっていくしかない気もする。「しわ寄せは全部~が引き受ける」みたいな形ではなく、「なるべく全員、それなりに活路を見出して行ける社会」というのが重要な気もする。「長期間労働しながら、イクメンしろ!意識改革!」みたいな話は難しいのではないか。
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岡田斗司夫との付き合いは、「コロナ(covid-19)禍」の期間と同じになった。『コナン』の解説動画きっかけで観始めて、「最悪な平和とまだマシな戦争」発言で実質的に見限り、その後少しして、完全に「卒業」した。それ以降、全く視聴してない。その代わり、というわけでもないが、今は『山田玲司のヤングサンデー』を有料視聴している。
――もう少し詳しく
パンデミックで『キングダム』のアニメ制作がにっちもさっちも行かなくなったNHKが、倉庫の奥から『未来少年コナン』を引っ張り出してきて穴埋め放送したお陰で、数十年ぶりに『コナン』を目にすることになり、(いかにも今どきなことだが)それで、岡田斗司夫の解説動画に引っかかったという流れ。
最初に動画を見たときには、「この人が、数年前に『アオイホノオ』で濱田岳が演じていた『岡田斗司夫です〜♪』本人かあ」というくらいにしか、「全く知らない人」だったのだが、その後の約3年間の有料視聴で「だいたい分かったから、もういいや」となった。
――更に詳しく
岡田斗司夫が面白がる作品を「弁当」に喩えると、「確かにおかずはいろいろで美味いけど、とにかくどれも米が美味くない」というのが、一番ぴったりな表現になると思う。岡田斗司夫は不味い「米」が好きなのではなく、「米」の美味い不味いがよく分からない(気にならない)のだ。
ここでの「おかず」は、「新しい知識」や「物語の世界設定・SF設定」や「表現技法」や「時代背景」や「創作秘話」など。「米」は、「文章の美しさや気持ちよさ」とか「登場人物たちの心の描かれ方の深��や複雑さ」、要するにもっとずっと普遍的な要素。
岡田斗司夫が高く評価する「作品」にいくつか接してみれば、とにかく「米」に相当するものに対する評価が、「素通り」か「凡庸と言っていいほど甘くて幼稚」なことに気づく。だから、例えば、彼が強く推すSF小説などを試しに読んでみても、「設定は面白いが、物語は退屈」という感想になる。「わざわざ拙い小説に仕立てなくても、直に設定資料集で読ませてくれればいいよ」という感想になる。
――「卒業」の決め手になったこと
去年かそこらに岡田斗司夫が「激賞」していた『コーダ あいのうた』を自分でも観たとき、岡田斗司夫のサイコパスがただの「自称」ではなく「本物」であることを確信した。
岡田斗司夫は「安い感動」にしか感動できない人のことをよくバカにしているけど、あの映画を観て、「最後の2分間に訳の分からない感動を覚え」、「今年一番」「歴代二位の高得点」と褒めちぎるような60過ぎのおっさんが、「24時間テレビで安い感動をしている人」をバカにしちゃいけない。
ただし、もしかしたら、岡田斗司夫が体験した「訳の分からない感動」は、本当の感動というより、もう少し「手の込んだ」、或る種の「メタ感動」だった可能性もある。
つまりこうだ。
『コーダ あいのうた』の劇中で、娘(主人公)の歌の発表会に出席した父親(耳が聞こえない)が、自分は娘の歌は全く聞こえないのだけれど、周囲の観客が涙を流したり喜んだりしているのを目にして、自分の娘の歌の価値(娘が歌を歌うことの価値)に気付く場面がある。その場面と、感情移入が得意ではない(輒ちサイコパスな)岡田斗司夫が、映画館で、周りの観客が映画の観て泣いているのを目にして、この映画の価値に気づく状況とが、岡田斗司夫の中で「同じ」になったんじゃないかな? つまり、「劇中で父親に起きたことが、現実の自分の身にも今起きている!」と。それがあって「訳の分からない感動」を覚えたんじゃないのか?
しらんけど。
――岡田斗司夫ゼミの面白さについて
岡田斗司夫ゼミを視聴する面白さは2つあって、一つは、いわゆるオタク的な情報を聴く面白さ。要するに、今はなき「タモリ倶楽部」で、様々な分野のオタクが出てきて、愚にもつかない知識を喜々として披露しているときのアレ。もう一つは、サイコパス(感情移入が苦手)な岡田斗司夫の「人の心の機微の分からなさ」の面白さ。知能は高いのに、人の心の機微がわからないばっかりに、キャラクター分析や物語展開の理解が「大暴投」になる面白さ。それは、耳の聞こえない人の音楽解説のような面白さ。
例えば、「サイコパスの人生相談」の「独自性=キモ」はまさにこれで、要は、相談者と岡田斗司夫の「スレ違い」。弁当の喩えを使うなら、弁当の米が不味くて困っている相談者に対して、米は食わずにおかずだけ食べればいいでしょと答えてしまうのが岡田斗司夫。米なしでおかずだけを食べる味気なさや物足りなさに全く気づけない人間だけが「じゃあ、おかずだけ食べとけばいいでしょ」と平気で言える。でも、これでは、相談者の相談を答えたことにはなってない。岡田斗司夫当人にそのつもりはなくても、実際には「逸して」いるだけ。つまりは、一休さんの「とんち」と変わらない(だから、サイコパスの人生相談は面白いとも言える)。
――最後に
岡田斗司夫は『ガンダム』で何を学んだのだろう? 何を観ていたのか? サイコパスの「物語(映画・アニメ・小説)鑑賞者」は、耳の聞こえない音楽鑑賞者のようなものなのだということを、岡田斗司夫との3年間で学ばせてもらった。それで言えば、『コーダ・あいのうた』に対する、岡田斗司夫の頓珍漢な高評価が、岡田斗司夫卒業の決定打になったことは、なにやら意味深い。
ありがとう、岡���斗司夫。そして、さようなら。
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"#161【Cバージン第9巻】大点検★マンガ表現の革命史!〜漫画家かつ業界最強の研究家・きたがわ翔先生と語り合う、漫画表現クロニクル!!【山田玲司のヤングサンデー】" を YouTube で見る
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きたがわ先生の話は面白い。
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山田玲司のヤングサンデー漫画大賞(正式名称うろ覚え...確か第三回だったことは覚えている)に寄稿した漫画懐かしい〜...ひさびさに見ると美術予備校の風景が何も見ずに手癖で描いてんのに上手すぎてウケる。
ヤンサンは大学卒業した頃2年間くらい有料メンバーで視聴していた配信番組、主催の山田玲司先生の漫画の二次創作を描いて送る漫画賞をやっていて、その企画に参加したものでした。って説明しても意味わかんないと思うけど...そういう視聴者のクリエイター魂に全てが託される気が狂った企画がたくさんあるおもしろ番組で...
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山田玲司のヤングサンデー ミッドナイトゴスペル&アドベンチャータイム特集用に描いた告知絵です。楽しみ過ぎて勝手に描いたら、YouTube編集版のサムネに公式で使ってもらいました!カートゥーンファンの皆さん、よかったら見て下さいね〜。https://youtu.be/WpIbhekBYBY
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まさか宇多丸さんと品川ヒロシの話がここで出てくるとは!!
(#263「バック・トゥ・ザ・フューチャー」はなぜあれほどおもしろいのか?〜史上最強の強度を持ったエンタメ脚本完全解説スペシャル!!・山田玲司のヤングサンデー第159回 - YouTubeから)
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#33山田玲司のヤングサンデー第30回 |『ワンパンマンの敗ける日〜世界初登場!天才漫画家ONEの不敵なルサンチマン』
Can’t believe I missed this precious interview in 2015! What an adorable introvert genius he is
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2021年11月9日火曜日
今日勉強したこと アミニズムという言葉を二か所で耳にした。 山田玲司のヤングサンデー-若おかみは小学生 /PASSLABO-日本史を全部解説する 『若おかみは小学生』山田玲司の考察が素晴らしかった。めちゃめちゃ刺激を受けた。 倫理、政治、経済の赤本。税金から死刑制度から法華経まで取り扱っている。友達とは何かについても問題が出されている。大人になるための通過儀礼が無くなってジュブナイルが延長されるようになったなんて問題も出題されていた。 なんとサンデル教授の問題も載っていた。 今使っているHTMLコード。参考になれば。 <em></em>→字下げスペースを入れる。 </p>→段落改行 <br>→普通の改行 <a…

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FF7REMAKE エアリスの新しい設定とは? メタ的考察と妄想
※※ 注意 ※※ この記事は、該当作品の核心に触れる記述が含まれている可能性があります。
フィーラーとニコニコ弾幕
フィーラーは、すっと画面の端をよこぎったり、うじゃうじゃと大量に現れたりする。この動きと反応は、あるものに似ているように思う。それはニコニコ動画に流れる弾幕コメントだ。動画の重要な場面になると現れてきて、その動画の成りゆきを見守るように飛びまわる。運命の番人、フィーラーとは、このニコニコ動画のコメントをメタファーしたものかもしれない。
弾幕: ニコニコ大百科 https://dic.nicovideo.jp/a/弾幕 ネットミーム: wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/インターネット・ミーム
流言、ネットミームをビジュアル的に表現する上でニコニコ動画は、もはやスタンダードな存在であるように思われる。この表現と視聴感覚は、現代の世代の新しいスタンダードであり、これを新しいゲームの物語に組み込むことはクリエイターの思考としては、当然の帰結であるようにも思われてくる。
バルス祭り 2013 Twitter ニコニコ実況 2ch https://www.youtube.com/watch?v=nZLPQJBSDrU ニコニコ弾幕大辞典 https://www.nicovideo.jp/watch/sm2898941
たとえば、なろう系や異世界転生ものなどで、とつぜん空中にプロパティ・ウインドウが現れるのは、ドラクエやMMORPGの感覚を小説や漫画に取り入れたものだろう。これと同じように、ニコニコ動画などの視聴感覚をRPG世界に持ってきたものがフィーラーかもしれない。これによって、ネットミーム=模倣=ジェノバ因子という批評表現を成立させているとも言えるだろう。
エアリスはゲーム実況配信者?
スクエニのインタビューで、リメイクにおいてエアリスには新しい設定が追加されたと語っていた。フィーラーがニコニコ動画のコメントだとすれば、もしかしたらクラウドは一緒に配信を見ている視聴者であって、エアリスは配信主ということになるかもしれない。
そうすると、よく言われる「エアリス2周目説」も、あながち間違っていないようにも思われてくる。エアリスはゲームを楽しく配信することが目的であり、VTuberに近い存在なのかもしれない。フィーラーもクラウドもエアリスの中では大事なフォロワーであって、一緒にFFのゲーム世界を楽しむことを目的としているとも思われてくる。
Aqua Ch. 湊あくあ (VTuber) https://www.youtube.com/channel/UC1opHUrw8rvnsadT-iGp7Cg 10万人のハートを撃墜した星井美希(765プロ)の生配信 https://togetter.com/li/1557561
つまりクリエイターは、リメイクの製作をゲーム実況配信になぞらえることによって「現代に合わせた設定」を試みたのではなかろうか。そう考えてみると、エアリスの英語版声優に実績のあるゲーム実況配信者を起用したことも繋がってくる。エアリスの演技には、配信者特有の心理を微妙かつ的確に表現できなければならないからだ。これが「エアリスの新しい設定」なのかもしれない。
Briana White(Youtube): Strange Rebel Gaming https://www.youtube.com/channel/UCm7oVGkl_IWV6bgv9GY6rjw
RPGは演じるということ
RPGとはロールプレイングゲームの略である。会社などでテレアポの講習をするときに、お客さん役とスタッフ役に別れて、電話での会話シミュレーションを行う。これをロールプレイと言う。つまり、演じることがRPGの根本的な意味だ。
実況配信者やVTuberも、この意味でロールプレイだ。番組としての顛末を考慮しつつ配信を進行させ、有意義なエンターテイメント体験を提供する。また、定められたゲーム世界を出ることはできないながら、実況配信者はコメンテイターのように批評的にも振る舞う。FF7がポリゴンによる人形劇的世界なら、リメイクは受肉バーチャルアイドル配信劇なのかもしれない。
RPGは、もともとテーブルゲームから生まれた。カードやフィギュア、サイコロを使って、物語世界をプレイヤー同士でシミュレーションするゲームだ。ここから進行役のゲームマスターをコンピュータに置き換えることで、コンピュータRPGは生まれる。テーブルトークRPGとは、FF7の世界からすれば古代種のような存在と言えるものかもしれない。少し前に流行ったカードゲームの「人狼」は、この源流の系譜を継ぐものと言っていいだろう。
会話型心理ゲーム 人狼DX https://www.amazon.co.jp/dp/B010ELIFMY/ wikipedia : テーブルトークRPG https://ja.wikipedia.org/wiki/テーブルトークRPG
エアリスは古代種セトラの子孫であるから、このテーブルトークRPGの演技的な要素を、物語において体現する存在であるのかもしれない。テーブルトークRPGのゲームマスターとゲーム実況は、ある意味でよく似ている。どちらも「ゲーム」という場所と時間をプロデュースして提供するものだ。そして、この「演じる」という行為は、ライフストリームの思想とも関係が深い。「人は死んだら星に帰る」というのは言うなれば「人が生きる」ということは「魂が生物を演じているだけ」だとも言えるだろう。
これはクリエイターがよく体験する精神状態で、自分は本当は何者でもなく、いまはただその役割を演じているだけに過ぎないというような思いだ。クリエイターは深い部分で、このような確信を持てるからこそ、人を共感させるようなリアルな表現を生み出すことができるとも言える。
何者でもないからこそ何者にでもなれるのであり、本当に何者にでもなれなければ物語は紡げない。他者の境遇を自分のものとして感じられるからこそ、そこにリアルなドラマを展開させられるのである。ライフストリームというのは、この何者でもなく、そして何者にもなれるもの、あるいは同時にすべての人間、時間と場所��包括しているものだろう。
模倣であるネットミームも、これと共にある。ただ模倣は硬直的であり、しなやかさが欠けている。熱狂や短絡さによって増殖するミームは、クリエイティブな表現を生み出すことはできない。模倣は演技にはなりえない。それは自分の考えた安全圏に留まろうとする行為だからだ。ライフストリームとジェノバ因子、あるいはクリエイティブと模倣の違いは何かといえば、主体的にリスクを取る「冒険心」ということにもなるだろう。
模倣を越える主体的な体験「約束の地」
テーブルゲームやカードゲームのコンテンツとは、あくまで「楽しむためのツール」なのであって、そのゲームが楽しいものになるかということは、参加者の技能次第というところが大きいと言える。しかしこれがコンピュータゲームになると、主体的に遊ぶということがだんだんと希薄となり、与えられたものがどうかということになっていく。ネットのレビューが気になるということは、自分の中でほとんど主体性をなくしてしまったことを意味するのだ。
ジブリの宮崎駿が、子供に毎日DVDを見せているという母親に対して、不機嫌に苦言を呈したように、クリエイターには模倣というジレンマがある。自分が大切に思っていること、重要だと感じることを作品として表現して評価されたあとには、えてしてその本当に大事なものは見失われて、自分の作品表現の模倣だけが世に広まっていく。それは「売れるシステム」となりビジネスとなり、もうそれを止めることは誰にもできなくなる。
クリエイティブと模倣とは、このように相容れない。同人誌、続編とナンバリングタイトル、作品ジャンル、いいね、バルス祭り、インフルエンサー、バズる、聖典、救世主の復活、生まれ変わり、社会運動と政党。あらゆるものが、この模倣にもとづいている。クラウドがソルジャー・セフィロスに憧れたように、それは依存的で主体性を欠いた感情である。
Twitchにまん延する性的ハラスメントの存在が明らかに https://gigazine.net/news/20200624-twitch-harassment-boycott/ ゲーム業界で女性差別問題が再燃している https://note.com/ktadaki/n/nf5e6546e2e6a コロナ・ショックとBLM、再燃する#METOOなど。海外のゲーム動画配信界隈も揺れているようだ。おそらく、これらがリメイクの続編とフィーラーに影響することは、避けられないかもしれない。
FF7の物語のテーマとは、この模倣に打ち勝つことだろう。元ソルジャー・クラウドは仲間に助けられながら、セフィロスという大きな敵に立ち向かっていく。それは原作プロデューサー坂口博信にとっての、ドラクエの福嶋康博やガンダムの富野由悠季であり、また、リメイクのプロデューサー北瀬佳範にとっての原作スタッフや、名誉会長の福嶋康博かもしれない。坂口や北瀬は��の模倣を自分のこととして描き、そこからもがき挑戦していく過程を表現していく。それは単に物語としてではなく、創作活動の挑戦と二重写しとなるからこそ、人を感動させるのだ。
「約束の地」とは、つまりは模倣を越えた精神のことだろう。それは、ライフストリームという創造力が涌き出す「物語がやってくる場所」と言えるかもしれない。ジェノバは断片になり増殖し、1つになろうとする。模倣とは不完全な状態であり依存的な状態である。自分で自分の中に何も見つけられないために、その飢餓感から貪欲に外部のものを求めようとする。それはときに暴力的となり争いを生み出していく。模倣にとらわれたものはモンスターとなるのだ。
主体性を失ったプレイヤーは貪欲にゲームを求める。それはゲーム市場を生み出し、拡大し増殖する。ドラクエもガンダムも、あるいはFFシリーズも様々な模倣を生み出しながら拡大してきたと言える。それは神羅カンパニーのミッドガルのように、ライフストリームを吸い上げシステムを作り上げたが、その影で星は本来の活力を失う結果となっていった。
システムをどんなに大きくしたところで、それは模倣にもとづいており創造性は枯れていく。人間は、あるいはクリエイターは、この模倣を越えなければ「約束の地」へはたどりつけない。それは、かつて信じたもの、依存したものを乗り越えていく冒険ということでもあるだろう。ゲーム製作で既に確立したパターンに頼ることなく、常に新しい表現や技術を求めることは同時に先輩や英雄を打ち倒すことであるのかもしれない。ドラクエがマリオを、ガンダムが鉄腕アトムを、あるいはシャアが「地球の重力に魂を引かれた人々」を粛正しようとしたように。
たとえばリメイクで追加され印象的な、セフィロスがエアリスやクラウドの肩に触れるシーンは「それなら君、頑張ってみたまえ」というような、会社でよくある上司の行為に見えないだろうか。
誰もがフィーラーを持っている
YoutubeやInstagram、GoogleやFacebookに慣れた私達は、ジェノバ因子を持った存在だと言える。クチコミやレビュー、実況動画やインスタの画像を見ることは、若い世代ほど日常になっている。ソーシャルメディアの普及によって、私達は誰もが配信者や演技者になっているとも言えるだろう。誰もが自分を取り巻くフィーラーを恐れ、そして模倣の中でもがいている。
インスタを履修するようにタピオカを飲み、自分も他者と同じ体験をするためにゲームをする。「結果や結末の分からないことに手を出すのはリスクだ」「コストパフォーマンスが悪い」と感じてしまう。あらゆる声が、自分の中に入り込んできて告発する。「原作改変は許せない」「日本の国体を守れ」「健全な育成に害悪だ」「この設定は差別を助長する」「黒人にも生きる価値がある」エトセトラ……。
誰もが自分のタイムラインにフィーラーを持つ。空虚で陶酔的な熱狂、虚しさの裏返しとしての攻撃���。あるべき未来から引き出され具現化した存在。それは、このちっぽけ自分を守ることからくる恐怖。こうあらねばならぬ未来が失われることの恐怖……。「未来は白紙だよ」というエアリスの言葉は、未来を作るのは「あなた」だという意味でもある。誰も、どんなレビューもどんなYoutuberも、あなたの人生というプレイを決めることはできない。
私達は「この流れてる文字列はなんなの?」とニコニコ動画を見た人に聞かれたら、低い声で「運命の番人という理解が最適だ……」と答えねばならないかもしれない。
参考YouTubeチャンネル(非ゲーム系)
岡田斗司夫ゼミ https://www.youtube.com/channel/UC0FFHRF1mytLDhs6nxqGIQg 山田玲司のヤングサンデー https://www.youtube.com/channel/UC09D3M_DdLaZMJnZp0v4pLQ おまけの夜 https://www.youtube.com/channel/UCyDorohZS_8P4csyytQ3AZg
参考YouTubeチャンネル(ゲーム系)
てつお / ゲーム考察&ストーリー解説 https://www.youtube.com/channel/UCVWwxCSms3O8bryzbxWcaIQ ジハンのゲームちゃんねる https://www.youtube.com/channel/UCBLkQt1wO8aVI6oFhI9uWPA ゲーム夜話 Evening Chat of GAME https://www.youtube.com/channel/UC-HNwUxGklhKSe67EitgqgA KINACHANNEL 2 https://www.youtube.com/channel/UCiBzyegWBSCRtJLoNe3rJRw 中川翔子の「ヲ」 https://www.youtube.com/channel/UCGlWnxRgmii2-InQLp8HmiA
ブログ内関連ポスト
FF7REMAKE セフィロスの目的とは? メタ的考察と妄想 https://tmblr.co/Z8cTmUYVjfIhui00 FF7REMAKE フィーラーは原作ファンか? メタ的考察と妄想 https://tmblr.co/Z8cTmUYUv2QH8m00
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One Punch Man and Mob Psycho 100′s mangaka’s interview.
山田玲司のヤングサンデー第30回 |『ワンパンマンの敗ける日〜世界初登場!天才漫画家ONEの不敵なルサンチマン』
One (the guy in the middle in the 1st pic 👇) was born in Niigata and moved to Saitama. His parents bought him a “Crayon Shin-chan” series per year. It’d influenced on his works.




The first glance of ONE in the world.
Talking about how he got started to draw manga. When he was in highscool, a 19 page gag for Jump was the 1st manga he made.




He started his own site but initially, he showed his manga works on ‘Neat-sha’. He started using a PC for drawing.
MP100 is made in ‘comic studio’.
His drawings are not like majority manga art of nowadays, just like Garo magazine old and unique, a 1970’s-80’s very unique drawing style.
(please excuse my english, not my 1st language.)
This interview video source : https://m.youtube.com/watch?v=yGQ7KuSZfb0&feature=share
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ODESSEY 1966〜2005 岡田史子作品集 episode1 ガラス玉 増補新装版 #岡田史子 #漫画 #manga #少女漫画 #shoujomanga 「 山田玲司のヤングサンデー れいとしょう#2」#萩尾望都 特集で紹介されていた岡田史子さん。 名前も知らなかったのだけど、 気になって気になって。 episode2は店舗になかったので ひとまずこちらだけ。 電子版もあるのでそのうち買うかも。 https://www.instagram.com/p/B3n-pg6DPa4/?igshid=1hgz9a08veerz
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ヤングゥサン!デエデエデエ(UMAは音楽でおどるのか)2017年8月10日
仕事の休憩中、イ●ウ先輩と映画の話をし、廣瀬純の『シネマ大義』を借りる。発売前から欲しくて、何度も立ち読みをして買うのを我慢していたので本当に嬉しい。イ●ウ先輩は映画にめちゃくちゃ詳しく、俺の知らない映画をたくさん観ている。しかし観ているものがほとんど同じなんて人はいるはずもなく、俺が観た映画で観ていないものも多分結構あるはず。そう考えるとお互いが観た映画の話よりも片方が観ていない映画の話をしたほうが面白く楽しいものになるのかもしれない。というより、いままでそういう話を多くしてきている気がする。俺は歳上の人から知らないものを教えてもらうことが大好きで、代わりにこちらは面白い話をする。笑 こうやって得た知識もたくさんある。夜にロフトワンプラスウェ��トあった『山田玲司のヤングサンデー』もそうで、中原昌也似の山田玲司大先生と俺の幼馴染と同じあだ名のおっくんが批評(ゲ●ロンよりおもしろい。ユーモアがあるから!)と四方山話(世のヤバ話?)のチャンポンを通じて、たくさんの知識をもらった。スペシャルゲストで京都水族館の館長が来ており(この人がものすごい曲者で、ラッコと闘って負けた男である)、大いに笑う(後ろの地味クソ野郎どもほどではないが。笑)。開演前におっくんに挨拶をし、喫煙所でも色々話す。山田玲司大先生には『CICADA』にサインをもらい、ヤンサン美術部の回で玲司先生の後頭部にずっと俺の毛の油絵がチラチラ揺られていて、もしかしたら当たっていたのではないか、その場合、毛も汚いし油絵も乾いていないというダブルプレーで玲司先生に悪いことしたのではないかと詫びると「ふあっはっは。そうだったのー。ぜーんぜーん大丈夫だったよお。気にしないでえ」といつものあの感じで言ってくださり、ありがたい限り。でも実際ついてたかもなあ。笑 ヤンサンの皆さん俺にことは覚えてくださっていて、あんまり知らない人まで俺のことを知ってくださっていた!「あんなに動画ではハッチャケているのに、実際は物腰の柔らかい方ですね」という動画入りの方から100%言われることをやっぱり言われてしまう。笑 あんなやついたらヤバいでしょ。笑 東京でYさんと共に再び挨拶。みなさんに会う約束をし、帰る。 結局間違えて買ったチケットで母を呼んだが、思いのほか楽しんでくれたようで何より。ちょっとしんどそうだったけれど。今回はピーターパンもしくは時々ピーターパンが喜ぶ番組でしたねえ。 次回のヤンサン美術部では何をしようか考え中。もう一度油絵か、それかアクリルもいいかも。どちらにしろ普通には書かないけど。また毛のような何かを加えて。
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漫画が子どもを救う? 「覚醒コンテンツ」と「麻酔コンテンツ」が教育に寄与すること - ログミー
ログミー
漫画が子どもを救う? 「覚醒コンテンツ」と「麻酔コンテンツ」が教育に寄与すること ログミー ニコニコ生放送の人気番組「山田玲司のヤングサンデー」。今回は9月16日放送の「『覚醒コンテンツと麻酔コンテンツの今を追え! 〜HUNTER×HUNTER休載から考える現代と漫画の関係性&サザエさんの未来、他』山田玲司のニコ論壇時評 1/2」の内容を書き起こしでお届けし ...
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#66山田玲司のヤングサンデー|Cバージン第5巻 『ドラマの基本は、ネコを助けて違う明日!』
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