#大島依提亜
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(7月19日深夜2時『行方不明展』特別番組が放送決定!ヒグチユウコ×大島依提亜 オルタナティブポスターも解禁!! – Tokyo Nowから)
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)4月10日(水曜日)
通巻第8209号 <前日発行>
イエーレン訪中が意味することは何か?
過剰生産の警告は、すなわち『習近平の経済路線は間違いですよ』の暗喩
*************************
ジャネット・イエーレン米財務長官は4月3日にワシントンを立ち、4日に広東省に到着した。何立鋒副首相等と会談し、はやくも中国の過剰生産問題に言及した。世界貿易秩序の波乱要因として懸念を表明した。
ところが中国のメディアは、イエーレンが前回訪中時にビールを飲んで、奇妙なキノコを食べていた写真を配信し、今度は何を食べたか等とへんな記事を配信していた。
訪中前の講演でもイエーレンは「世界の価格と生産パター���を歪め、米国ばかりか世界中の企業と労働者に打撃を与える」と発言している(3月27日、ジョージア州での講演)。
王文濤・商務部長は、三日後にはパリでBYD展示会にのぞみ、イエーレンの主張に対しては、「補助金の所為ではなく、中国のイノベーションの賜物であり、過剰生産と言われるのは市場メカニズムの結果である」と米側の主張に反駁した。
すでに米国は中国製EVに25%の報復関税をかけており、トランプ前大統領は、これを60%とすると唱え、またメキシコ製の中国車には100%関税をかけると訴えている。
ジョシュ・ホーリー上院議員は125%、おなじくマルコ・ルビオ上院議員は「中国車一台あたり2万ドルの追加関税をもとめる法案」をすでに議会に提出した。
この動きに応じたのか、中国のEVメーカーはタイに進出し、値下げと補助金で攻勢をかけ、日本が圧勝してきた市場を蚕食し始めた。
中国EVのタイ進出はBYDに加えて長城汽車、長安汽車、浙江吉利など、低価格帯EVや大幅値引きでタイのシェアを増やしている。
過剰生産への懸念か。なるほどマンションの過剰生産(建てすぎ)は人の住まないマンションが30億人分もある。どう処理するのだろうか?
辺境で乗客のいない新幹線も、高僧道路も造りすぎ、テーマパークもあちこちに建てて、いまはペンペン草が生えている。海外にも過剰生産の付け足しのようにBRIプロジェクトで各地にゴーストタウンを造った。
中国経済の構造的欠陥はGDPに占める個人消費がすくないため(37%、米国は65%、日本は60%)、外需に依存し、さらに海外マーケットを獲得するためにダンピングと補助金をつける歪んだ体質である。これは不公正な慣行だと米国側はみるが、米国に限らずWTO違反は明らか。日本も中国製太陽光パネルなどに100%の関税をかけてしかるべきだろう。
▼それでも「ウィンウィンでいける」と李強首相
「過剰生産」をイエーレンは重大な懸念だと繰り返し述べたが、中国側は聞く耳がなかった。北京では李強首相、劉鶴 ・前副首相らがイエーレンと会談した。中国側は米���対決というタイミングゆえに、むしろ異例の厚遇ぶりを示した。
李強首相は決められた台詞。「敵対関係ではなくパートナーであるべきだ」と歯の浮くような発言を繰り出した。
直前に中国政府は鉄鋼の減産方針を全国に通知し、過剰生産対応のジェスチャーを示したが、鉄鋼、造船、風力発電、太陽光パネル、そしてEVと、その廉価というよりダンピング輸出は世界市場を潰乱させた。
風力発電の世界シェアは中国メーカーがトップ5を独占し、「金風科技(Goldwind)」「遠景能源(Envision Energy)」「明陽智能(MingYang Smart Energy)」「運達股分(Windey)」「三一重能(Sany Heavy Energy)」の順となっている。メーカー乱立で収益は殆どないというのが業界の評判だ。
中国製太陽光パネルはトリナ・ソーラー、カナディアン・ソーラー、ジンコソーラーホールディング、JAソーラーが譲位を独占しており、世界の太陽光パネル出荷量の上位四位を寡占した。じつに世界出荷量のうち71%が中国系企業が独占した。日本列島各地を埋め尽くしたが、不評ばかり。おまけに土砂災害を引き起こした。
ついで中国製EVがEU市場を攪乱し始めたため、EU委員会は重い腰を上げて規制に乗り出す。かくしてイエーレンの警告は世界市場すべての問題なのである。
ようするに不動産関連で墜落した中国経済の補完を、EVを筆頭にクリーンエネルギー関連、バイオなどに転化しGDP成長率を堅持しようとしているのだ。
▼毛沢東の亡霊、ノルマという強迫観念が国有企業に取り憑いている
習近平の経済の理解は社会主義時代のノルマであり、強迫観念のように国有企業の宿痾、中国人の体質なのである。だから馬雲やテンセントなど欧米並みの起業家が育っても、民間企業はかならず規制され、あるいは潰される。起業家精神は大きく削がれる。だから若者は国を棄てることになる。
4月8日、訪中最終日に記者会見に応じたイエーレン財務長官は「中国政府による特定産業への補助金などの支援が原因だ」し、「米国や世界の労働者や企業に大きなリスクをもたらす」と改めて強調した。
入れ違いにセルゲイ・ラブロフ・露西亜外相が北京に到着した。ロシアは中国との戦略的パートナーシップをさらに強化するため、とラブロフは語った。
ラブロフ訪中はプーチン訪中の地ならしと言われる。
��たイエーレンは習近平とは会わなかったが、おり���も訪中している馬英九・台湾元総統が4月10日に北京で習近平と会談する段取り、日米首脳会談に日程を意図的にぶつけてきた。
イエーレンは北京で潘功勝・中央銀王総裁とも会っているが、嘗てFRB議長の経験があるからだ。結局、中国は米国側に歩み寄る姿勢を示しつつ、一方でバイデン政権の半導体輸出規制にはつよく反発し、「米国の対中経済・貿易制限措置に深刻な懸念がある」とした。「米国は自由競争という資本主義原理に基づいて行動すべきである」と耳を疑うような発言もあった。
半導体は技術窃取や台湾、韓国からのエンジニアのスカウト、米国における「千人計画」などで、すでに7ナノ半導体生産の技術を獲得したと、米国のシンクタンクが報告している。
米国はこのため3ナノ、2ナノ生産工場をアリゾナ州に誘致し、台湾のTSMCに1兆円もの政府支援を行って、工場をいちどに三つ建設中である。
しかしTSMCは14ナノならびに1ナノの研究と開発ラボを台湾に集中させているため、米国は次世代半導体技術の中国への漏洩を警戒している。TSMCの熊本工場は28ナノで家電、スマホ向け需要に対応するためであり、予定されている熊本第二工場とて、7ナノにとどめる。
日本がIBM支援のもと、官民挙げていどむラピダスは、北海道千歳で2027年に2ナノ半導体生産を予定している。
▼中国の大手不動産会社、デフォルト続く
さて不動産デベロッパーが倒産しているのに倒産しないという「ゾンビ軍団」はその後、どうなっているのか。
地方銀行、中小銀行の不良債権を肥大化させ、こんどは銀行の経営危機を招来させている。哈爾浜銀行は不良債権率が44%増えた。遼寧省の地銀、錦州銀行は上場廃止、江西省九江銀行は不良債権が三倍ちかくに膨らんだ。甘粛銀行は2・7倍、貴州銀行は五割近く不良債権を増やしていた。
準大手以下の27行の不良債権合計は2兆2300億円と今のところ軽いレベルだと言い張っているが、不動産大手のデフォルト処理が進んでおらず、とくに外貨建て債券が軒並みパンク、不動産不況の実態は、24兆円が不良債権だろうと推計される(それでも少なすぎるが、いずれ別稿で触れたい)。
中国最大のデベロッパー「碧桂園」も、ついに23年10月にドル建て債権99億ドルをデフォルト、第二位だった��大集団の破産はいうに���ばず、世茂集団は二年前の米ドル債10億ドルのデフォルト、ドイツ銀行などが香港高等裁判所に法手続きを申請した。
このほか、大手の万科、華潤、融創、遠洋などが業績不振に陥っている。それぞまさしく供給過剰(生産過剰)の悪例ではないのか。
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モリサワのリュウミンやゴシックMB101のような書体は、多く使われていながらも一過性の流行としては扱われない、普遍性を獲得していると言えます。 たとえば、無印良品でゴシックMB101が使い続けられていても、ゴシックMB101が無印良品の顔だ、と思うことはありませんよね。特定の属性、印象、価値観を伴わないということが、書体における普遍性ではないかと思っています
【インタビュー】わたしの“推し”フォント 第4回 大島依提亜「モリサワのオーソドックスな書体には普遍性がある。見出ゴMB31は僕にとってのマスターピース」|モリサワ note編集部
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今週の入手本(1104〜1110)
『ビーバー:世界を救う可愛すぎる生物』(ベン・ゴールドファーブ著/木高恵子訳/草思社/Kindle版)
『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』(川本直著/文庫版解説:若島正/ロゴ・表紙デザイン:粟津潔/本文・カバーフォーマット:佐々木暁/カバー装幀:大島依提亜/カバー装画:宇野亞喜良/帯文:魔夜峰央/河出文庫)
『銀河叢書 ゴンゾオ叔父』(小沼丹著/解説:中村明/装幀:緒方修一/幻戯書房)
『駅前旅館』(井伏鱒二著/解説:池内紀/カバー装画・文字:峰岸達/新潮文庫)
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ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい
ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい、「やさしい」という言葉にこんなに真摯に向き合う映画ってあるんだ、と驚いた。やさしいと親切は違う、と昔からおまじないのように言っていたんだけど、優しいというのは”勝手に”聡いことで、それを恐れて鈍い方に逃げたり、逆に人の意図を汲まずに一方的な”優しさ”で人を傷つけたりする多様性。劇中色々なやさしい人がいて、その上で正解の提示がなくて嬉しかった。
ぬいぐるみを握りつぶしていないと家の中歩けなかった時期を思い出した。袖をまくられていたマフラーのテディベア、実家のベッド脇にずっといた。今も。ものを言わない、やさしいだけで柔らかい可愛いものを一方的に味方につけれてしまってめちゃくちゃ助かったんだった。ぬいぐるみをただ置いておくんじゃなくて、握ったり抱きしめたりして露骨にすがってもいいこと、剥き出しに幼いかたちをとっても許されることに(誰に?)すごく気が楽になったのを覚えている。喋らない、柔らかいかわいい無生物たちが一緒にいてくれること、無条件に味方になること、本当にでかい。 「とぎれとぎれの発話を認めること」に救われた。大学生のはなし、それも個々人の繊細さと裏返しの人間関係を描いている以上エンタメ的になっちゃいやすいんじゃないかなと思うけれど、ずっとコミュニケーションは覚束なくて、セリフ、というセリフじゃなく会話の下手くそさと下手でも伝えたいっていうキャラクターの意思がみえるようで安心する。やさしい映画だ、といろんな人が評しているけど、確かにやさしい、の意味が多面的であることを前提とするから、観る前と後とで「やさしい映画」の意味が変わる。やさしいはどうしようもなくしんどくなってしまう所以にもなって、反面外から見たら鈍感で腹立たしい理由にもなる。白城がぬいサーに居続けてくれること、本当にすごい、一番やさしい人ではないか。
本当に悔しいことに泣いたエブエブに続いてぬいしゃべも うわ私の話だ と思いすぎて目が回った、一見テンションは真逆なんだけど、どちらも深夜友達と深酒して一晩中たくさん話して大泣きしちゃうみたいな映画、 最後の対話のシーンでなんで泣いたのかって、白城の「弱くなっちゃうじゃん」なんだけど、それでもしんどいよって共有しなきゃねと言ってくれたのが、どっちの自分もいるよ、”ああ”なりたくないから強い言葉になってしまうんじゃん、耐えられないままでいる人の大丈夫なふりを誰がさせられるんだよって、強いないから、私はそうでない方にいるって自認しなきゃいけない、とか、言いそうになる自分もいる。自己責任論への恐怖でみんながおかしくなる、だから、共有しろっていうこと。しんどくて、しんどいことを見なかったことにはせずに直視したまま「やなものになっちゃう」のを避けるために社会を見て、でもしんどいことを忘れずにいようって足掻いているじゃん。 でもしんどいのに気付きたくない。気付くのってしんどい。お話を見ている、というより境遇の近さが全掛けになって、投影用みたいですらあって自分が嫌だった。落ち着いてまた観たいな、動揺ではなくやさしいので余計にこわく、すごい。
分かりきっているが、七森の絵に描いたような「やさしい」の反面全てが未熟すぎる、未熟というか幼いって言い方すらできるほど子供すぎて、七森に怒り始めるとわたしはもーキリがなくなってしまう、白城は偉すぎる、わたしだったらめちゃくちゃ傷つけて去る。白城は偉すぎる。恋愛が続かないって軽く笑った白城にとって恋愛ではなかった、女の子みたいに自分と一緒にいた七森やぬいサーの存在は大きいでしょうとも思いつつ、でもさあー、いつかこうなるような気がしてた、だって話したら七森くん傷つくでしょと言う白城、なんでわかってたうえでそんなに大事にいてくれてしまうんだよ。大きな窓の部室、埋め尽くすぬいぐるみ、みんな、白城。ポスターもパンフレットも本当にいい(大島依提亜!)。
ぬいぐるみと喋らずにぬいサーの部屋にいる白城、みんなのことを想いすぎているけれど、あなたが大丈夫じゃないって言えててくれよ、しゃべれる相手を持っていてくれよと祈ってしまう。やさしい が食いつぶしになっちゃいけないけど、勝手にやさしい人、はそのバランスをどこかで取れているのか。取らなきゃやさしくない方がいいのか?(できるものなら…)
新宿武蔵野館、23.4.20、監督と部員の先輩約3人との舞台挨拶。主題歌はわがつまに「白城のうたを書いて」と監督から頼んだとか、西村はけっこう自分がハッピーなら良いひと、とか、終始空気がやわらかくて良かった。金子由里奈監督は友だ��になれるだろうな、と思ってしまう(「魚座どうし」の山中瑤子監督を思い出した、種族が近い)。ぬいぐるみ大事にする。
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『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』10刷記念、朗読とお話の会
『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』2018年1月7日の奥付日から、ちょうど6年のその日、歌人・岡野大嗣、木下龍也、ふたりによる朗読と、担当編集者を交えてのお話の会を開催いたします。10刷2万部発行記念です。 当日は、10刷の本書をご用意。twililightで購入された方には、著者二人によるサインをお入れします。
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日時:2024年1月7日(日)
開場:10時 開演:10時30分 終演:11時45分
会場:twililight(東京都世田谷区太子堂4-28-10鈴木ビル3F/三軒茶屋駅から徒歩5分)
出演:岡野大嗣、木下龍也、村井光男
定価:1500円+1ドリンク
定員:22名さま
配信:当日、参加できない方もXのスペースで同時配信して、アーカイブも一定期間公開いたします。配信は無料です。ただし、当日の機材の不調などで配信ができない場合、または音声が聞き取りづらい場合もございます。ご了承ください。当日の配信アカウントはこちらです。Xの木下龍也アカウント @kino112
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*定員に達したのでキャンセル待ちの受付になります!
申���:[email protected]
件名を「『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』10刷記念、朗読とお話の会」
として、お名前(ふりがな)・お電話番号・ご予約人数を明記の上、メールをお送りください。
*このメールアドレスが受信できるよう、受信設定のご確認をお願い致します。2日経っても返信がこない場合は、迷惑フォルダなどに入っている可能性がありますので、ご確認ください。
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岡野大嗣(おかの・だいじ)
1980年大阪府生まれ。歌集に『サイレンと犀』、『たやすみなさい』、『音楽』、『うれしい近況』がある。共著に『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』(木下龍也)、『今日は誰にも愛されたかった』(谷川俊太郎、木下龍也)。反転フラップ式案内表示機と航空障害灯をこよなく愛する。
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木下龍也(きのした・たつや)
1988年山口県生まれ。歌集に『つむじ風、ここにあります』、『きみを嫌いな奴はクズだよ』、『オー���アラウンドユー』、『荻窪メリーゴーランド』(鈴木晴香との共著)、短歌入門書『天才による凡人のための短歌教室』など。近刊は谷川俊太郎との共著『これより先には入れません』。同じ池に二度落ちたことがある。
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村井光男(むらい・みつお)
1976年東京都生まれ。2008年ナナロク社を創業。詩歌の本を中心に、写真集・アートブックなどの刊行でも注目を集める。刊行書籍すべての編集、または制作を担当。
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『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』 男子高校生ふたりの視点で紡がれた、七月一日から七夕までの七日間の物語歌集。ひとつひとつの歌は物語の断片を彩りながら、その強い光を放つ。日常から徐々に滲みだす青春の濁りを、217首の歌が描きだします。ふたりがむかえる七日間の結末とは。本書をぜひ開いてください。
著者:木下龍也、岡野大嗣 挿込小説:舞城王太郎 装画写真:森栄喜 装丁:大島依提亜 刊行:2018年1月7日 定価:1400円+税
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2023年7月12日水曜日、天気は晴れ。
いよいよ夏が本気出してきた!
『Pearl パール』
23年7月7日(金)公開
2022年製作/102分/R15+/アメリカ 原題:Pearl 配給:ハピネットファントム・スタジオ 監督:タイ・ウェスト
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予告編冒頭でマーティン・スコセッシ監督の「われわれをもてあそぶ傑作!」というコメントが出てくる。おもしろいコメント。わかるようでわからない。
最近ゴールデンカムイを読んだのですが、シリアルキラーってやっぱ無垢なのかな。そんな気がしてきています。
ポスターとかのデザインは大島依提亜さんだと思う!ヒグチユウコさんとのコラボポスターをどこかでみかけたよ。ホラー苦手なのですが、なんかみれるかもな。頑張ってみてみたいかもな〜ってポスターの時点で思うからデザインってすごいよな!
パールはR15+とのこと。ホラーっていうかスリル系なんだろうか?
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🎬映画『エイス・グレード世界でいちばんクールな私へ』 宣伝用イラストレーションを担当させていただきました。
Commissioned illustrations for the film “ #EighthGrade” Written & Directed by Bo Burnham 作品への愛を込めて描いた登場人物や小物のイラストたちをアートディレクター の大島依提亜 さんが素敵なポスターに仕上げて下さり、感無量です…🤯 (卒業式ルックのケイラが上から覗いてる感じになっていて、キュンとしました💞) 映画の宣伝ビジュアルという、わたしにとって夢のようなお仕事にお声がけいただけて、いまだに信じられない想いです…どうもありがとうございます✨ 監督・脚本の #ボーバーナム さんは元YouTuberで、スタンダップコメディアン、ミュージシャンでもあり、、音楽や映像のセンス抜群😳 内容的にも映像的にも、個人的に共感��高めな作品❣️ 音楽の使い方が特にカッコよくて、めちゃくちゃ好きです。演出的にとてもツボな場面とか、忘れられないカメラワークのシーンも。 世界一COOLな愛すべき主人公ケイラに会いに、ぜひ劇場へ足を運んでもらえたらうれしいです。 気鋭の映画スタジオ、#A24 製作🎞 9月20日(金)から公開中📽✨ 沢山の方々に届きますように🌈👌🏻🌈 http://www.transformer.co.jp/m/eighthgrade/ 監督・脚本: #ボーバーナム 出演:#エルシーフィッシャー #ジョシュハミルトン #エミリーロビンソン ほか 音楽: #アンナメレディス 製作:A24 2018年/アメリカ/英語/93分/ 配給 #トランスフォーマー 画像はチラシの両面です☺︎
#エイスグレード世界でいちばんクールなわたしへ#エイスグレード最高#エイスグレード#misaitoi#illustration#filmposter#film#ideaoshima#大島依提亜#糸井みさ#イラスト#映画イラスト#人物イラスト#ポスター#映画ポスター#映画好き#映画チラシ#ミニシアター#filmillustration#posterdesign#film poster
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1月28日(木)open 12-18 お天気雨と曇り空の木曜日。 本日も、無理なく参りましょう。 蟻ヶ崎店の最後を素晴らしい原画で飾ってくださった石黒亜矢子さんの『九つの星』。 2刷の青バージョンが西荻窪から届きましたよ。 原画展の際にたくさんの方に手に取っていただきましたが、まだまだたくさんの方に届けたい一冊です。 1刷も2刷も、サイン入りでご用意ありますのでお好みをお選びくださいね💫
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🎬映画『エイス・グレード世界でいちばんクールな私へ』 宣伝用イラストレーションを担当させていただきました。
Commissioned illustrations for the film “ #EighthGrade” Written & Directed by Bo Burnham 作品への愛を込めて描いた登場人物や小物のイラストたちをアートディレクター の大島依提亜 さんが素敵なポスターに仕上げて下さり、感無量です…🤯 (卒業式ルックのケイラが上から覗いてる感じになっていて、キュンとしました💞) 映画の宣伝ビジュアルという、わたしにとって夢のようなお仕事にお声がけいただけて、いまだに信じられない想いです…どうもありがとうございます✨ 監督・脚本の #ボーバーナム さんは元YouTuberで、スタンダップコメディアン、ミュージシャンでもあり、、音楽や映像のセンス抜群😳 内容的にも映像的にも、個人的に共感度高めな作品❣️ 音楽の使い方が特にカッコよくて、めちゃくちゃ好きです。演出的にとてもツボな場面とか、忘れられないカメラワークのシーンも。 世界一COOLな愛すべき主人公ケイラに会いに、ぜひ劇場へ足を運んでもらえたらうれしいです。 気鋭の映画スタジオ、#A24 製作🎞 9月20日(金)から公開中📽✨ 沢山の方々に届きますように🌈👌🏻🌈 http://www.transformer.co.jp/m/eighthgrade/ 監督・脚本: #ボーバーナム 出演:#エルシーフィッシャー #ジョシュハミルトン #エミリーロビンソン ほか 音楽: #アンナメレディス 製作:A24 2018年/アメリカ/英語/93分/ 配給 #トランスフォーマー 画像はチラシの両面です☺︎
#エイスグレード世界でいちばんクールなわたしへ#エイスグレード最高#エイスグレード#misaitoi#illustration#filmposter#film#ideaoshima#大島依提亜#糸井みさ#イラスト#映画イラスト#人物イラスト#ポスター#映画ポスター#映画好き#映画チラシ#ミニシアター#filmillustration#posterdesign#film poster
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(ヒグチユウコ×大島依提亜『映画とポスターのお話』のおはなし 開催決定!! - Tokyo Now)
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023) 6月16日(金曜日)弐
通巻第7799号
南太平洋の全域に浸透していた中国の進出、その脅威
フィジーが親米に転換。パラオ大統領が来日
************************
南太平洋の島嶼国家へ中国の浸透ぶりに、怒り心頭は米国ばかりか、豪州とNZである。英国連邦の宗主国英国も同列にある。総じて米・英、カナダ、豪、NZは「ファイブ・アイズ」の仲間であり、機密情報を共有している。
日本の尖閣諸島をほぼ連日領海侵犯する中国海警のえげつない主権侵害行為は多くの日本人を怒らせているが、豪州とNZにとって、これと同じような危機意識と怒りがある。南太平洋の島々は「かれらの裏庭」だからである。
とはいえ、各国に温度差があり、南太平洋諸国はカナダから遠いので無関心、米国もグアム、テニアン、パラオ、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島あたりまでが守備範囲であり、赤道から南は、豪とNZに任せたい。
2022年に中国がソロモン諸島と協定を締結したため、まわりの国にも米国特使が飛んできた。フィジーは政権交代があり、中国と締結した安全保障協定離脱を示唆した。
これまでNZは親中路線を突っ走って、中国に対してそれほどの強攻策に出たことはなかった。
或る日、気がつけば驚くほどの様変わり。関与にあまり熱心とは言えなかったニュージーランドとフィジーが軍事訓練と海洋安全保障を強化するための防衛協定に署名した。
6月14日、ニュージーランドのアンドリュー・リトル国防大臣とフィジーのピオ・ティコドゥアドゥア内務・移民大臣はフィジーの首都スバで協定署名式を行った。
この協定の内容は「相互の領土防衛と軍事協力の法的枠組み」である。
米国、ニュージーランド、オーストラリアが、この地域で増大する中国に対応するため、太平洋諸国との安全保障上の関係強化を推進している。
米国とパプアニューギニアは23年5月に防衛・海洋協力協定に署名した。
豪州は中国人の移民がすでに百万人近く、NZも凄いことになっている。
筆者も取材旅行で目撃した驚きは、ウェリントンやオークランドの大学へ行くと中国人留学生だらけ、キャンパスは中国語が飛び交っていた。シドニーではカラーの中国語新聞が日刊で数種もでている
国防安全保障の研究と提言で知られる米シンクタンク「ランド研究所」の分析に依れば、「北京が昨年、中国・ソロモン諸島安全保障協定の締結に成功したが、これは特にオーストラリア、ニュージーランド、米国との協定によってバランスが取れていない場合、同様の行動をとる他の太平洋島嶼国に衝撃を与えた」とした。
のんびりと外交問題が深刻では無かった国々が目覚めた。それが中国の脅威だった。
▼フィジーは中国べったりだった。
フィジーの宗主国は英国である。プランテーション計画で英国は植民地時代のインドからかなりの数の労働力をフィジーへ移動した。その末裔がフィジーにインドタウンを形成し、経済的には流通や小売りを握った。
携帯電話はボーダフォン一色だったが、いつしかファーウェイが進出していた。首都スパのサウスパシフィック大学には孔子学院が設立された。
フィジー前政権が中国と締結した「警察協定」では訓練を中国警察が担当し、警備に必要な物資を提供した。そのなかには暴動鎮圧装備、交通指揮車、無線通信機器や救助活動ゴムボートなどが含まれていた。
ペリリュー、アンガウルの激戦で知られるパラオは、地政学的には重要な海域の要衝に位置し、大東亜戦争では、日本軍が死力を尽くした。
パラオの人口、僅か1・8万、日本で言えば村である。しかし国連加盟、「大統領」がおられ、親日的である。
パラオのスランゲル・ウィップス大統領が来日し、6月14日に岸田首相と会見し、今後の協力関係を話し合った。翌日には東京で記者会見し、中国が太平洋島嶼地域への進出を加速させている現実に、「われわれの安全保障の責任は米国にある」とし、米国に支援を要請したと述べた。
パラオは台湾と外交関係を維持している。ウィップス大統領はパラオ海域で中国船舶の無断航行が相次いでいるのは「国際法違反だ」と非難した。
「ウクライナで起きているようなことが、太平洋では決して起きてほしくない」。
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2021年4月24日(土)
このところ、京都では夏日が続いている。それに煽られたのか、例年のんびり屋の我が家のツツジが花を咲かせはじめた。近寄ってみると、小さな働き者が蜜を求めて忙しくしている。慌ててiPhoneを構えたが、すぐに何処かへ行ってしまった。週末のこと、こちらはキリギリスと決め込んでユックリさせていただこう。
ツレアイは緊急電話当番。
豚汁煮麺+ヨーグルト+豆乳。
appleの新製品発表、あれこれ喧しいが、一番気になったのがこれ、我慢出来ずに買ってしまった。
ツレアイは例によってあちこち買物、私は残り食材の整理。新ゴボウを叩いてキンピラにする��🍺欲しい!
ゆうパック+クロネコヤマト、日時指定の荷物があれやこれや。
息子たちのランチは焼きそば、私たちはミネストローネライス+🍷。
録画番組視聴。
刑事コロンボ マリブビーチ殺人事件
人気作家のテレサが自宅で射殺された。はじめは物取りの犯行と思われたが、コロンボはテレサの恋人で彼女に結婚を迫っていたウェインに目をつける。彼はコロンボの鋭い追及に観念し、犯行を自白。一件落着かと思われたが、検死の結果、ウェインが撃った時、すでにテレサは亡くなっていたと判明する。果たして真犯人は・・・?
ん〜、複雑な展開、読めなかった。
軽く午睡。
軽く町内ウォーキング。
早めの夕飯、昆布締めポークソテー・フライドポテト・塩タコ・サラダ。
録画番組視聴。
名探偵ポワロ (50)「五匹の子豚」
夫を殺したとして死刑になった母親の無実の証明を依頼されたポワロ。依頼人のルーシーには無実を訴える母キャロラインの手紙が残されていた。ポワロは、当時の事件関係者を訪ねて話を聞く。画家だったルーシーの父は、次々に愛人を作り妻と口論が絶えなかったという。そこに、絵のモデルとしてエルサという若い女性が現れたのが、事件の始まりだった。
こちらも結構込み入っている。
BSで「我が心の大滝詠一」を観る。
大滝詠一の「ロング・バケイション」が今年40周年を迎える。大滝をリスペクトするアーティストがレジェンドミュージシャンの演奏で歌う。小泉今日子「快盗ルビイ」/小林旭「熱き心に」/島津亜矢「風立ちぬ」/鈴木雅之「夢で逢えたら」/TARAKO「うれしい予感」/氷川きよし「さらばシベリア鉄道」/BEGIN「恋するカレン」/薬師丸ひろ子「探偵物語」/横山剣(クレイジーケンバンド)「冬のリヴィエラ」 50音順
あちゃー、分かっていれば録画したものを。
途中で風呂に入り、ヴェリタスブロイ呑みながら、学生の提出課題にコメントを返す。
8,971歩、暑いときは無理しないのだ。
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2023年に読んで「オォッ!」と思った本や作品……その1
『長靴をはいた猫』(シャルル・ペロー著/澁澤龍彦訳/河出文庫/Kindle版) 『台湾漫遊鉄道のふたり』(楊双子著/三浦裕子訳/装画:Naffy/装幀:田中久子/中央公論新社/Kindle版) 『聊斎志異(上下巻)』(蒲松齢作/立間祥介編訳/岩波文庫) 『灯台守の話』(ジャネット・ウィンターソン著/岸本佐知子訳/装幀:吉田浩美、吉田篤弘〔クラフト・エヴィング商��〕/白水社) 『新版 小さなトロールと大きな洪水』(ヤンソン著/冨原眞弓訳/さし絵・カバー装画:ヤンソン/講談社文庫/Kindle版) 『象の旅』(ジョゼ・サラマーゴ著/木下眞穂訳/書肆侃侃房/Kindle版) 『リリアンと燃える双子の終わらない夏』(ケヴィン・ウィルソン著/芹澤恵訳/イラストレーション:中島ミドリ/ブックデザイン:アルビレオ/集英社) 『透明人間』(ハーバート・ジョージ ウェルズ、著/海野十三訳/青空文庫/Kindle版) 『世界の終わりの天文台』(リリー・ブルックス=ダルトン著/佐田千織訳/創元SF文庫/Kindle版) 『去年を待ちながら 新訳版』(フィリップ・Kディック著/山形浩生訳/カバーデザイン:土井宏明/ハヤカワ文庫SF/Kindle版) 『ザップガン』(フィリップ・K・ディック著/大森望訳/扉デザイン:土井宏明/ハヤカワ文庫SF/Kindle版) 『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』(フィリップ・K・ディック著/浅倉久志訳/早川書房) 『火星のタイム・スリップ』(フィリップ・K・ディック著/小尾芙佐訳/扉デザイン:土井宏明/ハヤカワ文庫SF/Kindle版) 『マーダーボット・ダイアリー 上下』(マーサ・ウェルズ著/中原尚哉訳/カバーイラスト:安倍吉俊/東京創元社/創元SF文庫/Kindle版) 『珈琲と煙草』(フェルディナント・フォン・シーラッハ著/酒寄進一訳/東京創元社/Kindle版) 『シャーロック・ホームズ シリーズ全10巻 合本版』(コナン・ドイル著/延原謙訳解説/新潮文庫/Kindle版) 『イラハイ』(佐藤哲也著/佐藤亜紀発行/Kindle版) 『シンドローム』(佐藤哲也著/森見登美彦解説/カバー装画:西村ツチカ/カバーデザイン:祖父江慎+コズフィッシュ/キノブックス文庫) 『俺の自叙伝』(大泉黒石著/四方田犬彦解説/岩波文庫) 『ブサとジェジェ』(嶽本野ばら著/『三田文學 153 春季号 2023』掲載作品) 『珈琲挽き』(小沼丹著/清水良典解説/年譜・著書目録:中村明/講談社文芸文庫) 『不機嫌な姫とブルックナー団』(高原英理著/講談社/Kindle版) 『祝福』(高原英理著/装幀:水戸部功/帯文:渡辺祐真/河出書房新社) 『若芽』(島田清次郎著/青空文庫Kindle版) 『交尾』(梶井基次郎著/青空文庫/Kindle版) 『のんきな患者』(梶井基次郎著/青空文庫/Kindle版) 『城のある町にて』(梶井基次郎著/青空文庫/Kindle版) 『風立ちぬ』(堀辰雄著/青空文庫/Kindle版) 『自分の羽根』(庄野潤三著/講談社文芸文庫/Kindle版) 『幾度目かの最期 久坂葉子作品集』(久坂葉子著/久坂部羊解説/年譜・著書目録:久米勲/デザイン:菊地信義/講談社文芸文庫) 『現代語訳 南総里見八犬伝 上下巻』(曲亭馬琴著/白井喬二訳/カバーデザイン:渡辺和雄/河出書房新社/Kindle版) 『キッチン』(吉本ばなな著/カバーデザイン:増子由美/幻冬舎文庫/Kindle版) 『かもめ食堂』(群ようこ著/装画:牧野伊三夫/カバーデザイン:井上庸子/幻冬舎文庫/Kindle版) 『ハピネス』(嶽本野ばら著/カバーイラスト:カスヤ��ガト/カバーデザイン:松田行正/小学館文庫/小学館eBooks/Kindle版) 『猫の木のある庭』(大濱普美子著/金井美恵子解説/装幀:大久保伸子/装画:武田史子/カバーフォーマット:佐々木暁/河出文庫) 『ハンチバック』(市川沙央著/装幀:大久保明子/装画:Title: mohohan Year: 2020 Photo: Ina Jang / Art + Commerce/文藝春秋) 『文豪たちの妙な旅』(徳田秋聲、石川啄木、林芙美子、田山花袋、室生犀星、宇野浩二、堀辰雄、中島敦、萩原朔太郎著/山前譲編/カバーデザイン:坂野公一+吉田友美(welle design)/カバー装画:樋口モエ/カバーフォーマット:佐々木暁/河出文庫) 『作家の仕事部屋』(ジャン=ルイ・ド・ランビュール編/岩崎力訳/読書猿解説/カバーイラスト:Guillaume Reynard/カバーデザイン:細野綾子/中公文庫) 『腿太郎伝説(人呼んで、腿伝)』(深掘骨著/左右社/Kindle版) 『硝子戸の中』(夏目漱石著/石原千秋解説/カバー装画:安野光雅/新潮文庫) 『思い出す事など』(夏目漱石著/青空文庫/Kindle版) 『文鳥』(夏目漱石著/青空文庫/Kindle版) 『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』(川本直著/文庫版解説:若島正/ロゴ・表紙デザイン:粟津潔/本文・カバーフォーマット:佐々木暁/カバー装幀:大島依提亜/カバー装画:宇野亞喜良/帯文:魔夜峰央/河出文庫) 『駅前旅館』(井伏鱒二著/解説:池内紀/カバー装画・文字:峰岸達/新潮文庫)『硝子戸の中』(夏目漱石著/カバー:津田青楓装幀「色鳥」より/注解:紅野敏郎/解説:荒正人/新潮文庫) 『村のエトランジェ』(小沼丹著/講談社文芸文庫/Kindle版) 『午後三時にビールを 酒場作品集』(萩原朔太郎、井伏鱒二、大岡昇平、森敦、太宰治、坂口安吾、山之口貘、檀一雄、久世光彦、小沼丹、内田百閒、池波正太郎、吉村昭、開高健、向田邦子、安西水丸、田中小実昌、石川桂郎、寺田博、中上健次、島田雅彦、戌井昭人、吉田健一、野坂昭如、倉橋由美子、松浦寿輝、山高登著/カバー画:山高登「ビヤホール」/カバーデザイン:高林昭太/中央公論新社編/中公文庫/Kindle版) 『対談 日本の文学 素顔の文豪たち』(中央公論新社編/巻末付録:全集『日本の文学』資料/中公文庫) 『40歳だけど大人になりたい』(王谷晶著/デザイン:アルビレオ/平凡社/Kindle版) 『人生ミスっても自殺しないで、旅』(諸隈元著/ブックデザイン:祖父江慎+根本匠(コズフィッシュ)/晶文社) 『ロバのスーコと旅をする』(髙田晃太郎著/装幀:大倉真一郎/地図制作:小野寺美恵/河出書房新社) 『本当の翻訳の話をしよう 増補版』(村上春樹、柴田元幸著/カバー装画:横山雄(BOOTLEG)/新潮文庫) 『書籍修繕という仕事 刻まれた記憶、思い出、物語の守り手として生きる』(ジェヨン著/牧野美加訳/装幀:藤田知子/装画:谷山彩子/原書房)
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日本学術会議が新会員として推薦した105人中6人を首相が任命しなかったことが問題になっている。
そして、朝日や毎日、東京新聞などは「学問の自由」を侵害したなどと連日書き立て、モリカケや桜を見る会に続く争点化を狙った扇動紙と化している。
「学問の自由」を侵害してきたのは、「軍事研究をしない」と国家の基本にかかわる分野を排除し、また大学院で研究に従事していた自衛官院生を排除した日本学術会議(以下、学術会議)の方である。
しかし、主要な野党はマスコミの扇動に踊らされるかのように「慣例」を破って「全員任命」しなかったことだけを取り上げ、菅義偉政権に打撃を与えて政局にしようと目論んでいる。
本来野党が問題視すべきは、学術会議が特定の研究を排除したことや自衛��を大学院から追放して、日本国家の危機対応能力を低減させてきたことであり、これこそが憲法違反ではないだろうか。
政権奪還の意思を有する野党であるならば、国家の基本問題である安全保障に正面から向き合うべきである。
政権側は、推薦通りの任命義務はないし、ましてや学問の自由を侵すものではないとして被任命者の見直しはしないとしている。
時代の推移とともに、慣例にとらわれない政治の対応が求められるのは当然である。
日本人は占領を甘受できるか
日本は大東亜戦争に敗れて米国の占領下に置かれた。しかし、民主主義や人権など、われわれが今日普遍的価値観と呼ぶものを尊重する米国であり、領土は平和裏に返還され、言論や信教の自由も保証された。
それでも日本人を罪悪史観に染め上げ、いまだに謝罪外交に傾きやすい。
しかし、中国やソ連といった共産主義国家に占領された国々の惨状に比すれば、不幸中の幸いであったことは一目瞭然である。
中国では自治区や少数民族に漢語や漢文化を強要し、従わないものは強制収容され、拷問や死が待っている。
香港は50年間保証されたはずの自由・民主主義が半分も満たない時点で踏みにじられた。民意も法の支配も抹殺している。
その中国が尖閣諸島への侵入を繰り返し、沖縄や北海道では土地を買い漁っている。
国防動員法や香港安全維持法などが内外にも効力を有することを考慮すると、普段から隠密裏に培っているシャープ・パワーと連動して日本占領を意図しているに違いない。
第2次世界大戦でソ連に占領されたチェコなどの中欧やバルト三国などでは、30代半ばを境��高齢者はロシア語を話し、若年者は英語を得意とするために、老若世代の意思疎通が欠けやすく、年代層による分断があると聞いた。
ソ連を引き継いだロシアは再び強権政治に戻り、政権に批判的な人物が殺害される事件が続いている。
敗戦の悲哀と占領を経験したはずの日本であったが、1970年代末には関嘉彦・早大客員教授(当時)と森嶋通夫ロンドン大学教授(同)が「戦争と平和」の掲題で大論争を行った。
関氏が「非武装で平和は守れない」ので「〝有事″の対応策は当然」としたのに対し、森嶋氏は「猛り狂ったソ連軍が来て惨憺たる戦後を迎えるより、秩序ある威厳に満ちた降伏をして、その代り政治的自決権を獲得する方が、ずっと賢明だ」と、軍事力を放棄して政治力をもつことを主張した。
有耶無耶のうちに論争は終わった感があるが、今日の中国は当時のソ連以上に人権蹂躙や法の支配を無視している。
そもそも、「威厳に満ちた降伏」や「軍事力を放棄した政治力」があり得るのか。
「政治的自決権の獲得」が容易でないことは、香港やウイグル人弾圧を見ただけで、だれでも分かる。
設立趣旨に反する軍事研究の排除
学術会議は、日本学術会議法の前文で「科学が文化国家の基礎であるという確信に立って、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与すること」を使命として設立すると述べている。
また第2条で、目的は「科学の向上発達を図る」こと、並びに「行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させる」ことで、立ち位置は「わが国の科学者の内外に対する代表機関」としている。
学術会議は敗戦直後の荒廃した時期(昭和23年)に設立されたので「復興」となっているが、今日に敷衍するならば、「発展」ということであろう。
「平和的」ということからは「戦争(紛争・混乱を含む、以下同)のない」という意味であるが、これは日本が心掛ければ可能なのだろうか。
外国に戦争を仕掛けることは論外としても、外国から戦争を仕掛けられた場合、「座して死を待つ」わけにはいかない。
国家には生存権があり、自衛権もある。そこで最良策は戦争を仕掛けられないように普段から「抑止体制」を構築することである。
また万一仕掛けられたときは速やかに排除する仕組みや能力、すなわち「反撃体制」を準備しておく必要がある。
このような体制を作っておいてこそ、平和的な発展ができる。
日本は憲法前文で世界の国々を平和愛好国とみなしているが、現実には世界のあちこちで戦争が起きているし、軍備競争も熾烈である。
周辺諸国を見ただけでも、憲法条文の前提がすでに現実から乖離していることが分かる。
真摯に世界を俯瞰し国際社会を直視すれば、学術会議に設けられている第一部の「人文科学を中心とする科学分野」では、「国家の存続」を考えれば、「戦争の考察」を排除できないはずである。
その研究成果を踏まえて、戦争に巻き込まれない、あるいは最小限の被害に留めるためにはどうすればいいか、すなわち「国を守る」ために国民や自衛隊はどうすればよいかを不断に教育・訓練することの大切さがわかろう。
ところが、学術会議は戦争が常在する現実を無視し、願望でしかない「平和」を与件としてスタートした。
「戦争目的の科学研究」(1950年声明)、「軍事目的の科学研究」(1967年声明)、そして「軍事的安全保障研究」(2017年声明)と用語は変わるが、一般に「軍事研究」と言われるものを大学から排除し、また自衛官が国立大学の大学院で学ぶ機会も奪ってきた。
そもそも平和は与件ではなく、どちらかと言えば常在する戦争を与件としなければ、「人類社会の福祉に貢献」するどころか、人類社会の破滅につながりかねない。
この意味では人文科学の最大テーマはほかならぬ「戦争」のはずである。
それを端から除外するというのだから、世界を見る目が狭量すぎるか、〝平和″イデオロギーにとりつかれて現実をみようとしないと言わざるを得ない。
そもそも戦争をいかにして防ぎ、平和的発展状況を創り出すかがいつの世においても人類最大の課題のはずである。
そうした考えに立つならば、戦争や安全保障、軍事を研究し、その成果をもとに平和を維持・発展させる方策を考究することこそが大切であり、一意的に軍事関係の研究を排除してきた学術会議の声明は、同法の趣旨にも反しているといわなければならない。
また、学術会議は内閣府の一機関であり、特別職の国家公務員である。
このことからも、国家の存亡や日本の安全などの国家の基本問題についてタブー抜きに科学的な理論研究や技術研究を極める推進役となって、国家・国民の生存と福祉に資することが義務付けられているのではないだろうか。
防衛には国家の最高技術が欠かせない
憲法9条で日本は「侵略戦争」を放棄し、軍隊も交戦権も保有しないとしている。
日本から戦争を仕掛けることはあり得ないが、尖閣諸島に見るように、いつ何時外国が日本の領土を奪いにこないとも限らない。
そこで、「守り」は必要となる。そのことを日本では「専守防衛」という言葉で表現している。
冷戦時代までは戦争と言えば、主として戦車や軍艦、戦闘機などを装備した第一線部隊による戦いであった。
したがって、「戦争を目的とする科学の研究」と言えば、こうしたハード兵器につながる研究が主体で、これらの成果が、民生技術に生かされ、イ���ターネットやGPSなどの発展を促してきた。
しかし、その後のエレクトロニクスの著しい発展によって戦争の様相が変革した。
ハード兵器のぶつかり合いから、その前段階の情報収集・分析や指揮・通信能力に依存する状況になってきた。
さらに今日では宇宙、サイバー、電子戦が多用され、そうした分野の優劣が勝敗を瞬時に決するに至っている。
いうなれば、ハード兵器が戦火を交える前に情報機能が潰され、通信妨害で部隊を指揮できず、敗戦に追い込まれる状況が出現してきた。
このようにして、今日では情報理論やIT技術などの民生主体に生まれた革新技術が軍事に活用されるという両用技術(デュアル・ユース)の時代に移行している。
こうした理論や技術の研究・開発は当然のことながら大学などの研究室で生まれ、国家の安全のためには必要欠くべからざるものとなってきた。
防衛省も大学等で研究・開発された技術を取り込む必要性が高くなり、2015年度から「安全保障技術研究推進制度」を創設し、大学等の研究予算が減少するのとは対照的に多大の予算規模(100億円台)で参加する大学を募集するようにした。
それを忌避すべく学術会議が敏感に反応したのが、2017年の「軍事的安全保障研究に関する声明」で、1950年代からの2つの声明を継承するというものであった。
軍事にかかわる研究に携わらなければ、象牙の塔に閉じこもって静謐な環境で研究できると思うのは意識の倒錯である。
ソ連時代の抑圧に勝るとも劣らない中国の台頭にあって、「平和」を保障する「軍事」の研究を忌避するのは時代錯誤も甚だしいと言わざるを得ない。
そもそも2017年の声明は日本学術会議の総意ではない。
いまの時代は軍事研究を排除できないのではないかという懸念が会員から上がっていたが、総会の紛糾を恐れたわずか十数人の幹事会が一方的に「声明継承」を決めてしまったからである。
争点化したい左派マスコミ
読売新聞は「学問の自由 侵害せず」「前例主義 打破する」(6日)、「過去には廃止論 閉鎖性に懸念も」(8日)などと報じ、産経新聞は「人事を機に抜本改革せよ」(3日)、「前例踏襲に疑問」「学問の自由と無関係」(6日)などと報じた。
両紙は6人排除の丁寧な説明は求めているが、首相の発言や学術会議の問題点などの事実報道に徹し、肯定した紙面構成となっている。
中でも3日付「産経抄」は「任命権者である菅義偉首相が任命権を行使して、何が悪いか。(中略)左派マスコミと主流派野党の議論は逆立ちしている」と述べ、「推薦通りの人事が続き、任命権が形骸化していたことに問題はないか」「『縦割りと��得権益とあしき前例』の打破を掲げる菅内閣が、そこにメスを入れて何の不思議があろう」としている。
これに対して、朝日新聞は「説明なし 学者除外」「学問の自由の侵害」「法の趣旨を曲げた」(2日)と報じた。この時点で早くも事実の報道というよりも戦闘モードである。
3日以降は連日1面トップで扱い、任命されなかった数人にヒアリングして「学問の自由 菅政権の影」「戦争協力反省し設立」「政治と学問の関係脅かす」「憲法上疑義」など、多くの紙面を毎日使って報道している。
国会審議を踏まえた8日付は「政府説明あいまい」「〝解釈は一貫″矛盾したまま」と、読者には否定的に伝わる工夫を凝らし争点化を狙っていることが明瞭である。
毎日新聞も朝日同様に連日のように1面トップで報じ、また3日付「余禄」は「菅首相の前代未聞の任命拒否である。(中略)(拒否された6名は)安保法制などで政府に批判的な学者たちだといわれる。もしもそれが理由なら、日本の学術を代表する機関への政治介入と非難されて当然だ」という。
毎日新聞が「官邸介入『16年から』」(8日付)、「任命拒否 18年にも検討」(4日付)と報ずるように、学術会議の在り方は以前から問題にされながら、メスを入れるまでには至っていなかった。
内閣が変わった機会であり、しかも本内閣は「悪しき前例」や「普通でないこと」などを正面から見直そうとしているわけで、政治の本質に復帰したとみるのが正当ではないだろうか。
ただ騒いで争点化すればいいというのでは軽薄の謗りを免れないし、とても社会の木鐸などではあり得ない。
東京新聞も前2紙同様に2日から「学者提言機関に異例の介入」(1面)、「学問の自由 侵害」「政権批判の学者排除か」(23面全面)と、「問題あり」とする大々的な報道である。
3紙は慣例主義を良しとするのみで、首相に任命権があることを報じようとせず、端から争点化に躍起になっていることが分かる。
自衛官の「学問の自由」を奪う
学術会議の声明によって、大学などは研究を制約されてきた。真に必要な研究ができなくなったという点で、まさし���「学問の自由」を剥奪したのだ。
同時に、その影響は多くの自衛官が日本の国立大学の大学院へ行けなくし、また大学院に在学中の院生は上級課程への進級が不可となった。
昭和42(1967)年、修士課程2年目に在席して研究などに勤しんでいた筆者は、博士課程への進級ができないと告げられた。
理由は告げられなかったが、当時は防衛庁側の要請という認識が先にあり詮索することはなかった。
しかし、その後に得た情報からは1967年10月の学術会議の声明の結果であった。
当時はどの大学にも安全保障講座や軍事技術関係の研究室はなかった。したがって、大学院に学��でいた自衛官は「軍事目的の科学研究をしていた」わけではなかった。
筆者が去った後も所属した研究室は存続したこと、また、他の多くの分野でも自衛官だけが大学院から排除されたことからは、「自衛官」=「軍事研究」と短絡的にみなされたのだった。
これは「学問の自由」の排除であり、マスコミが好んで使う「差別」以外の何ものでもない。
したがって、独立した暁には日本は独自の軍事力を持つべきであったが、吉田茂首相は復興のため経済重視で、「自分の内閣」ではという〝限定付き″で軍事力を持たないとした。
岸信介内閣で主権国家の自覚を持つべく、日米安全保障条約を改定したが、その時の反対運動に見られた以上に軍隊保有は鬼門で、歴代内閣は安易についてきたと言えよう。
しかし、ジョージ・ワシントン初代米国大統領の発言にあるように、「外国の純粋な好意を期待するほどの愚はない」わけで、日米同盟下の日本ではあっても、「自分の国は自分で守る」という最小限の決意と努力は欠かせない。
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firstly, abandon the realm of verisimilitude.
身振りとしての映像 - 中平卓馬
はっきりいってしまえば、いわゆる「ブレボケ」と呼ばれた写真の「表現」について、いまさら何かをいいつのる気はない。私はすでに決着を自分ではつけた気でいる。だが、なおかつこのテーマで何かをしゃべるのを引き受けたのは、いわゆる「ブレボケ」というやつがひとつの表現の様式、かつて、1960年代の終わりから70年にかけてあったひとつの「表現の意匠」として整理され、ああいうのもあったな、とレッテルをはられ、そのまま「写真史」の中に埋め込まれてゆくことへの異議申し立て、という動機以外の何ものでもない。 「ブレボケ」、この奇妙な言い回し、あるいはこれに随伴するもうひとつの奇称「コンポラ」(なんということだ、これは)、それらは、当時のわれわれの「表現」に外から与えられたものである。当事者たるわれわれは、具体的には森山大道と私は、自分の写真をそのように呼んだことは一度もない。おそらく当時、自分の「表現」に距離を置いて考えるゆとりなど、われわれは持っていなかったであろうし、「ブレボケ」と呼ばれるのを苦笑いとともに受け入れていたにすぎない。 だが、同時に、人は自己がそうあると信じるもの自身であるわけにはゆかない。人は他者に名指されるものでもある。他者の眼差し ... などとおおげさにいわなくてもよい。つまり、自分たちが、自分たちの表現が「ブレボケ」と呼ばれ始めたときから、われわれは少なくとも社会化されたのだ。だから、「ブレボケ」がひとつのエコール(流派)と受け取られ始め、その亜流までが出始めたときから、われわれは当然自己の「表現」への社会からの照り返しを受けざるをえなかった。そしてそこにわれわれの責任が生じたこともまた否定できない。 事実、写真「表現」の技法への転化といったものが、いつの間にか私たちの写真そのものの中にも起こったのではなかったか。私は当時、はっきりとそう意識していたわけではなかったが、そういった予感に近いものを感じていたことは確かである。写真の技法くらい安易で簡単なものはない。美術、たとえば絵画の技法ならまた別のことがいえるかもしれない。技法の習得にはそれ相応の時間と勉強が必要である。そして獲得された技法そのものは、すでにその作家の造る作品と無縁ではありえない。ところが、写真の技法ほどイージーなものはない。まさにその安易さが、写真のもつ特性のひとつではあるのだが ...。 たとえば「ブレボケ」を例にすればよい。比較的遅いシャッター・スピードでも、強引に、あるいは気軽にシャッターを押す。像は「ブレ」る。暗室作業も簡単である。高温のフィルム現像液での長時間現像、のりにのったネガをさらに四号ぐらいの硬調の印画紙に焼き付ける。むろん焼き付けの露光時間は、普通考えられるようなものではない。30分から、ときには1時間もの露光。出来上がった写真の粒子は荒れ、像は当然「ボケ」てくる。まぁこんな具合である。それさえわければ、だれでも「ブレボケ」派だ。 だが、われわれはこのような技法を前提にして写真を撮っていたのでは、けっしてない。むしろ、これまで写真の常識とされていきた技術のイロハ、グラデーション、光と階調や、その他なにやらかにやらを考えて写真を撮る、ということをはじめから無視しただけである。問。なぜ無視したか? 答。私は初めからそんなことは知らなかったし、また知ろうとする欲求すらもっていなかったから。私にとって、たったひとつの関心は、現実をどうとらえるか、とらえることができるか、ということだけにあった。 もう少し詳しくいえば、われわれが日々を生きている、その一瞬一瞬を肉眼でとらえるように、世界と私の出会いをカメラでとらえることがどうしたら可能か、ということである。われわれの存在は、それ自体すでに世界との「関係」そのものであるといってもよいだろう。「関係」ぬきに人間は存在しない。その「関係」たる私が、日々、一瞬一瞬を生きてゆくこの世界と私の白熱する磁場、「関係の関係」とでもいうべきものをどうフィルムに定着することができるか、ということである。視線の厚み、世界の肉質を、どうしたら薄っぺらなこの紙っぺらに印することができるか、といことである。 日常的には、われわれの視線は一つ一つの対象を明確に意識し(もっとも対象といったとき、それはすでに主体との対語を語っているのであるが)、それだけを全体から切り離して見ることはけっしてない。あるひとつを見る、その意味をとらえる、そしてこの場合、視線はけっして連続しているのではない。ひとつひとつはバラバラな対象とそのおぼろげな記憶、それをわれわれは想像力によってつなぎ合わせ、そこに一本の意味の系を作り上げているだけなのだ。そしてそれを可能にするのは、歴史としての私の身体である。 だから、見るということは、けっして眼球に関するものだけではない。「見ることの身体性」と中原佑介はいった。まさしくその通りだ。見るということは、この世界を通り過ぎてゆく、その私の身振りと切り離して考えることはできない。見るということは、一枚のタブローを見ることとけっして同じではない。当然のことながら、出来上がった一枚の写真を見ることと同じではない。そこにはすでに見るための距離があらかじめ設定されている。われわれは安心して一枚の絵、一枚の写真を見ることはできる。一枚の絵、一枚の写真にそそがれるわれわれの視線は安定しており、確かなものである。だが、われわれが生きてゆくこの現実においては、われわれの視線はけっしてそのような安定したものであることはできない。そのひとつひとつは交錯し、うつろいやすく、不確かなものである。だがそれらがいくつもの重なり、それに記憶がからみ、遠近法がからみ、このようにして現実の視線は逆に厚み���獲得し、生きたものとなる。当時、私を突き動かしていたものは、そのような視線の不確かさ、と同時に世界の不確かさをひきずりだし、それを対象化することであり、それを強引にカメラという手段を通じてやろうとしていたような気がする。 やってしまった自分の行為を、このように整合する言葉によって説明することは、みずからの行為を薄めることになるのは知っている。だが同時に、それは自分が行った行為の再読をあるいは可能にしてくるかも知れない。私は、今という時制で書いているにすぎない。 つまり、こういうべきであろう。われわれは、どうあれ与えられた一つの状況を生きる。その身振りを��る無二刻印するという、しょせん不可能なことをあえてやってみようという衝動にかられていたのではなかったか。そしてそのとき、たまたま生まれてきたのが「ブレ」であり、「ボケ」であった、と。「ブレ」「ボケ」は、当時の私にとっては、正確な像よりもはるかに肉眼に近いものであった。私は、当時しきりにいっていた。一枚の写真とは、一回限りの生を日付とともに生きるその生の痕跡であるにすぎない。だが、まさに痕跡であるにすぎないところに、写真のリアリティーを求めていたのだ。ときには過大な思い込みを入れて。視線の不確かさ、世界の不確かさ、それを一枚の写真に刻印することそのおびただしい並列を通して見るということをもう一度考え直そうという衝動。今では「ブレボケ」集団と呼ばれている「プロヴォーク」というグループをわれわれが結成したのは、そしてそれが可能だったのは、けっして言葉で述べられはしなかったが、最低限、この衝動を心のどこかで共有していたからであろう。 われわれは、それまで伝統的にあった写真の美学を否定した。いや、むしろそういったものと無縁の位置にあろうとした。われわれが写真に見たものは、ただの視覚の約束事、約束事を前提とした美学のバリエーションでしかなかった。それらは、私にはすべて嘘事であった。むろんあまりにも思い上がった考えであったろう。だが、若さとは、しょせん大胆さと愚かしさと、そしてちょっとばかりの美しさの入り混じったものである。 結果として「プロヴォーク」は何をし、何をしなかったか。それは私自身すでに書いたし、また構成メンバーの一人一人が決着をつけたと思う。あとは他者の算定にまかせる他はない。だがひとつだけいえることは、制度としての写真美学、瞞着(まんちゃく)された視覚への一時的切り裂き、それを通しての視覚の攪拌(アジテーション)を、たとえわずかながらもやることに成功したかもしれない、ということだ。だがそれは、しょせん見果てぬ夢であったかもしれない。 あたり前な話で恐縮だが、カメラはいうまでもなく「限定された」四角いのぞき穴である。要するにカメラは世界を主体=対象の二元論に還元する近代の所産であることだけはまちがいない。だがわれわれは、日々を四角いフレームで限定して対象化してながめながら生きているのではない。しかも、さきにも書いたように、見るとはだた眼球だけにかかわるものですらない。そのような見ることの洗い直しを、カメラを通して決行しようとしたこと、それはしょせん矛盾撞着をはじめから前提していたのか。そして、われわれの手に残されたものはすべて私が生きた生の局限された一部、しかもその痕跡以外の何物でもない。せいぜい、われわれが手にすることのできたものは、このひとつひとつバラバラな私と世界の「関係」の像だけである。 だが、このペシミズムゆえに、われわれは、いや、私はというべきか、この「ブレ」て「ボケ」た現実のミメーシスに「リアリティー」という特権を付与しようとしていたのだ。 私はすでに三年前、ある評論集の冒頭のエッセーの中で、このへんのところに関して私なりの総括を出した。それは今にして思えば、あまりにも比喩的な言い回しのために、かなりの誤解をまねくものであった。だが、その大筋は次の通りだ。「プロヴォーク」の初発のエネルギーは、いつのまにかその手つきだけが、手法として突出してゆき、それとは反比例して、本来の姿勢を急速に骨ぬきにされていった。いうまでもなくこれは、グループとしての「プロヴォーク」に関してのことであり、メンバー一人一人のことではけっしてない。しかも「プロヴォーク」のメンバー全員が「ブレボケ」写真を発表していたのではない。ちょうどそのころ、ネイサン・ライアンズ・リー・フリードランダーらの『コンテンポラリー・フォトグラファーズ』という写真雑誌が日本でも紹介され、この雑誌の名前の奇妙な縮小語「コンポラ」がつくりだされ、「ブレボケ」「コンポラ」「プロヴォーク」は、同概念として受け取られるようになった。むろん、おかげでわれわれは社会的に浮上した。そして次第に集団としてのエネルギーを失い、また集団であることの必然性もなくなっていった。われわれは解散した。それがロラン・バルトが巧妙にいい当てた「名づけられた反抗、これほど人を安心されるものはない」から身を守るたったひとつの解決策であった。 70年に一冊の写真集を出したあと、「ブレボケ」という手法だけが前面に押し出されていったとき、私はむしろこの本来は結果として出て来たにすぎないものが、われわれ自身に転化してゆくのを感じていた。私は「コンポラ」からも「ブレボケ」からも、かつての「プロヴォーク」からも身を引きたいと思った。 むろん、これまでの形で写真を撮り続けることは、いとも容易だった。ときには、人を感動させることのできる気のきいた写真の何枚か何十枚かはできただろう。だが、自分がかつての自分自身を模倣すること、これほど無残な話はない。それは他者を模倣することとは根本的に違っている。他者を模倣すること、それは自己を変えることでもある。私は「ブレボケ」と呼ばれた私自身、足かせをはめられた私に戻りたくはなかった。私は、写真から徐々に遠ざかっていった。 そんな状況にあったとき、私はふとしたはずみで、ある「デッチアゲ殺人裁判」を知り、その実質上唯一の証拠となった写真を知った。写真に写されたものは事実であるという、世間一般の常識の根深さも知った。写真のもつトリック、写真のあいまい性について考え始め、次第に写真家としての写真 - 作品という枠から、今日の社会において流通するあらゆる映像、テレビ、写真、ヴィデオに関心を向けていった。 映像の氾濫するこの社会において、映像は現実のイメージであることを超え出て、逆に映像が実体化し、現実そのものを縛り上げる。このような倒錯がいつから生まれたのか。そして私自身がとってきた写真を逆に考えた。「ブレボケ」と呼ばれた私の写真を。あれは一体現実であったのか。虚像であったのか。私はあれこそ現実、私にとっての現実であると信じて疑わなかった。その信念ぬきに、私の写真を撮る行為は成立しなかった。だがそれが一度外に出されれば、それははたしてどうなるのか ...。 そのころ、私はカメラを持っていなかった。持つ気もなかった。どうして写真を撮らないかと心配した友人の一人は、本気で「デッチアゲ殺人裁判」の証拠となった写真の責任をとって、もう写真をやめたのかと聞いたことがある。それはあきらかな思い過ごしであった。だた、私には「肉眼」の方がはるかに信頼するに足るものだ、という確信がうまれかけてきたことだけは、たしかである。 なぜ「ブレボケ」か、この問いに対して、今こたえられるのはこれくらいのことだ。ひところ、私にとって「ブレボケ」は一番肉眼に近いものであったと。そして今、再び写真を撮り始めたとき、私の中に何かが変質していることを、私は知っている。つまり現実は、世界はそう簡単にとらえられるものではない。とりわけ、カメラという制度としての視覚を前提した手段をもってしては。 だが、また始めるだろう。初めからやり直した。それがどうなってゆくか、私には予測はつかない。必要ならば、また「ブレ」たり「ボケ」たりするかもしれないし、全然しないかもしれない。ただ、カメラをもって世界に真正面から対峙すること、その点をないがしろにしてしまっては、もとのもくあみどころか、敵前逃亡になってしまうだろう。 もう一度繰り返すならば、「ブレボケ」は、写真表現の様式などではけっしてなかった。だが、いつのまにかそのように名指され、名指されながらいつのまにか少しずつ、そっちの方向へひきずられていってしまったのだ。 森山大道は、依然として「ブレボケ」の極へ突っ走ろうとしているかに見える。それもまたよい。私はイヤになったらすぐにやめる、そのような体質をもっている。だが、自分自身にまといついた矛盾を全部引き受けながら耐えてさまよう勇気をもっているならば、森山大道よ、極の極まで突っ走ってみることだ。 すでに十三、四年前、仕事もなかったころ、そうだ夏の終わり、すでに金色の秋の日が差す長者ヶ崎の海だ。何冊も何冊もの写真雑誌やグラフ雑誌を手で持ち上げて立ち泳ぎしながら、あの小島に泳ぎつき、一日中1ページ、1ページをめくりながら、二人で「なんだこんな写真」「これもダメ、あれもダメ」と怒り狂っていたあのころの何に向かってかわからない憤りを、けっして忘れないことにしようではないか。
『アサヒカメラ』1976年3月号
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