#墓碑鎮
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ari0921 · 2 years ago
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高山正之氏の論考をシェアさせていただきます。
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 信長は偉かった
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高山正之
 ユダヤ教の神ヤハウエは天地を創造し、ヒトを含めすべてを創った。
 ただ少し抜けていてバール神とかその他大勢の神も創ってしまい、ユダヤの民には「他の神を崇(あが)めるな」と命じる羽目になった。
 民は従うが、今度は「濫(みだ)りに我が名を口にするな」という。「神様、助けて」とか神頼みをするなと。
 LGBTも嫌いで、ソドムの街は焼き払われた。
 その点、日本の神々は違う。ひたすら民を思う。災いがあれば、それを神様が祓って川に流し、川��神が海の神に渡し、最後は水底の神が埋めてしまう。川の神は「千と千尋」にもちょっと顔を出していた。
 そういう神々を祀る伊勢神宮や諏訪大社、豊川稲荷などは日本列島を縦断する大断層、中央構造線の上に建っている。
 断層がもたらす地震や噴火を鎮めるためにおわすように見える。
 ただ日本の神々は不浄を嫌う。とくに死を嫌う。だから神社内では絶対に葬式をやらない。
 人々は困って、死にそうな召使いには暇を出し、多くが行路死した。
 芥川の『羅生門』にはそうした死体であふれる京の都が描かれている。
 その惨状にお寺の坊主が目をつけた。
 お釈迦様は涅槃に入るとき「葬式はするな」と言ったが、それは聞かなかったことにして以来お寺が死人の始末を始めた。
 坊主が葬式を仕切り、戒名に卒塔婆に墓石も売りつけた。坊主丸儲けだった。
 カネができ、真剣に彼岸を信ずる信徒がたくさん増えれば坊主は増長する。
 荒法師が京を荒し、坊主軍団が政争に割って入って政治を動かしてきた。
 意のままにならぬは「鴨の流れと山法師ども」と白河法皇が嘆いたのもこのころだった。
 一向宗の坊主たちはとうとう加賀を支配するに至って、信長は信仰心を悪用する坊主の成敗に出た。
 一向宗総本山の石山寺を討ち、比叡山の天台宗延暦寺も攻め落とした。
 信長記には女子供に至るまで皆殺しにしたとある。ルイス・フロイスが「悪魔の所業」と非難するほどの振る舞いだった。
 ただ歴史作家、塩野七生は別の評価をする。信長以降、坊主は分を弁え、政治に口だししなくなったと。
 もう一つの外来宗教、切支丹も神の愛を説きながら奴隷商売に勤しんだ。
 秀吉はイエズス会のコエリヨに真人間になれと説くと、彼は反発して切支丹大名を語らい、秀吉を討つよう画策した。
 そういう政治性を家康も家光も嫌い、島原の乱では女子供まで殺した。日本人キリスト教徒が己の分を弁えた瞬間だった。
 明治政府も、五榜の高札で切支丹を含む邪道の布教を厳しく禁じた。
 実際、海の外のキリスト教徒に進歩はなく、米国ではその3年前まで黒人奴隷を使い、禁��されると今度は苦力(クーリー)を買っていた。
 一方日本では宗教が躾られ、それによるゴタゴタは一切なかった。
 しかし戦後、馬鹿なマッカーサーがきた。
 日本軍に叩かれ敵前逃亡までしたこの愚将は日本軍の強さの源「大儀」を知らなかった。
 それを日本の神々への信仰心だと邪推し、神道を邪教とするGHQ憲法を押し付けてきた。
 ために忠魂碑を拝むことも靖国詣でも咎めだてられたが、その反動で、仏教もキリスト教もその他宗教も何をしても許された。
 オウムは弁護士一家3人を殺し、長野で8人を殺害しながら信仰の自由を盾に警察の捜査すら阻んだ。
 創価学会は信長が許さなっか政治に口を出し、文鮮明は朝日新聞が慰安婦の嘘で支援したこともあって日本人に贖罪のカネを出させ、日本人女性には自ら韓国人の性奴隷となるよう仕向けた。
 この文鮮明の不遜をきっかけに、国会は初めて神道以外の邪教にメスを入れ、瓢箪から駒というか、その邪悪に気付いてきた。
 日本人に外来宗教は似合わない。日本の神々が一番いい
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nccwa · 4 months ago
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旅遊/老蔣故居 奉化華麗轉身
周刊2108期 08/11出刊
立青 2024-08-11
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從上海到奉化車程約二小時,途經「杭州灣跨海大橋」,橋長36公里為避免駕駛視覺疲勞,特將護欄分段漆成彩虹���色,起頭為紅色當看到紫色時表示快過完了,是個相當人性化的設計,前次來大橋中點「觀光塔」尚未完工,這次又因大霧還是沒能造訪,留到下次再來吧。
武嶺城門 氣派雄偉
奉化溪口是老總統的故鄉,是個山明水秀的寶地,先前已保留得不錯,近年來建設更是大有進步;兩岸雖仍在對峙,但對一代偉人的尊敬,卻是有目共睹的。進入溪口鎮迎面而來就是雄偉的城門,上書「武嶺」二字,就鄉鎮而言,有這般城門的實不多見。
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兩蔣故居 古色古香
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「小洋房」是經國先生和方良女士的住所,一樓一底西式造型,客廳有鋼琴家具布置雅致,面對溪水的窗前立有「血債血還」的石碑,來紀念亡母。
蔣母墓道 國民史縮影
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登妙高台 俯視全鎮
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「千丈岩」距離不遠,然而時間不夠,決定日後再來遊覽。
彌勒寺 列四大聖山  
「彌勒寺」就在路邊,規模弘偉金碧輝煌,由於彌勒佛在佛教傳說中是救世主,又圓寂於此,此間因而躍升為佛教四大聖山之一;石碑上刻有一聯:「大肚能容容天下難容之事,笑顏常笑笑天下可笑之人」,如此豁達的精神,難怪成了信徒心中的佛。
不遠的山頭上建有巨型彌勒金像坐佛一座,俯視山下眾生,真是佛是一座山,山是一座佛的奇景。
春滿大地百花開,奉化的櫻花和玉蘭花還沒有凋謝,艷麗的桃花已蠢蠢欲動,無數的花苞聚在枝頭等待最佳時刻綻放。近年來奉化廣植桃花,試圖重現「桃花源」美麗田園景象,地方政府已訂定四月十五日為桃花節,並舉辦「奉化馬拉松運動大會」,可讓選手們在花香景美中爭取勝利。
「奉化博物館」位於文化中心西北角,依托原「熱電工廠」遺址而建相當環保,內設三個常設展廳和五個臨時展廳,走進大廳是一組竹節型巨浪藝術裝置,象徵奉化海進海退的演變和「良渚文化」人類文明的形成
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kachoushi · 4 months ago
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各地句会報
花鳥誌 令和6年8月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和6年5月2日 うづら三��の月句会 坊城俊樹選 特選句
ホロホロと鍬に砕ける春の土 喜代子 亡き猫の声かと覚む春の闇 同 四姉妹母に供へる柏餅 由季子 薫風にうだつの揚る港町 都 青嵐甍の波をひとつ飛び 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月4日 零の会 坊城俊樹選 特選句
誰待つや水子地蔵と風車 毬子 愛宕山水の匂ひのして立夏 光子 湧水の鯉は真珠になりたくて きみよ 虎ノ門ヒルズそれとも蜃楼 光子 そそくさと愛宕詣での蟻ひとつ 三郎 新しきビルの隙間にある新樹 久 常盤木の落葉は坂の底の底 小鳥 日傘手に男の上る女坂 昌文 虎ノ門ヒルズ這ひ来し蚯蚓かな 美紀
岡田順子選 特選句
新緑の堂宇律する木魚かな 毬子 猿寺のへその緒めきし花藻かな 小鳥 耳に髪かけたる指が蝶を呼ぶ 和子 生まれては緋目高といふ名を借りて 小鳥 風車回らぬほどの風を受く はるか そそくさと愛宕詣での蟻ひとつ 三郎 馬駆けし愛宕山とは蝶ひとつ 俊樹 緑蔭のどれも過去向く拡声器 きみよ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月4日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
壱岐対馬越えて釜山へ卯波立つ たかし 人を待つ昂りに似て卯浪立つ 孝子 春愁はもつれたあやとりの紐 修二 さまざまの風に出合つて若葉かな 孝子 逃水を追ひいくばくの疲労感 修二 しやぼんだま戦火の子らに向けて吹く 朝子 雲雀の巣踏み潰し行く重戦車 たかし チューリップ手足ふつくり乳母車 成子 八方に餓鬼うづくまる黄砂かな 朝子 糸柳お岩は細き指を垂れ 修二 十字架を仰げば風の薫りけり 孝子 廃校の土俵に花の散りしきぬ 朝子 卯波立つ沖を眺めて昼の酒 かおり
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月6日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
柿若葉母の天麩羅語り種 和魚 ふくよかに葉音さらさら風五月 聰 山匂ひ水音響く五月かな 三無 沖へ帆の連なりわくや風五月 聰 パステルを選びて描く若葉山 ことこ 浅間への雑木若葉の葉音きき ます江 岩に波飛び散る光五月来ぬ 秋尚 日に濡るる若葉見上げつ峠越ゆ 三無 鯖街道歩きしところ穂高見ゆ ます江 甥つ子の声変はりして五月来ぬ 美貴 風五月江の電海へ大曲り 三無 思ひやる言葉を選び五月の夜 貴薫
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月6日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
蛇穴を出でて振り向く顔もたず 雪 聞きに来よてふは椿の落ちる音 同 女踏む如く男の踏む椿 同 藤房の先に見えざる風生まる かづを 葉桜の神社まはりを鎮めをり 匠 アイリスを活けてサツチモ聞く深夜 清女 朧夜や母に逢ふ夢覚めやすき 笑子 荷を解けば青き匂ひの莢豌豆 希子 葉桜や旧制校のありし跡 泰俊 万象の輝く五月来りけり 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月11日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
やはらかき音の騒めき若楓 秋尚 結び目に母の思ひの粽解く 百合子 リハビリを終へて正午や街薄暑 恭子 中子師を偲ぶ五月の句座なりし 亜栄子 樟若葉風に煌めく音静か 秋尚 海の風山の風吹く捩花 亜栄子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月12日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
何某の宿祢の杜やかかり藤 都 花祭瑞雲を呼ぶ釈迦の指 宇太郎 余花の雨幹の裂傷深くして 都 新緑にろ過され朝の息甘し 佐代子 手に湿り春椎茸の肉厚く 和子 葉桜の土手ゆく白き犬曳いて 悦子 老眼のルーペで愛でし花楓 宇太郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月13日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
後遺症無いとは云へず蝶の昼 清女 福助の貯金箱あり五月晴 ただし 手鏡の髪なで乍ら土用干し 世詩明 戻り来て剥がす日めくり四月馬鹿 ただし 花卯木友と語りし通学路 英美子 金色の囲む在所や麦の秋 みす枝 夏来るシャンパングラス走る泡 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
紙灯篭復興祈る輪島初夏 みえこ 初夏の列車に恐竜描かれし あけみ 花水木街路にいつか咲いてをり 令子 折紙の金環太き鯉幟 実加 祭町子等のよろこぶ菓子選び 令子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月14日 萩花鳥会
鴨ゆきて燕戻りて川住居 祐子 花の雨抜けて仮眠の深夜便 健雄 残されしボール一つに浅き夏 俊文 更衣する間も無くて半袖に ゆかり 水田の浅瀬泳ぐや鯉のぼり 明子 急階段挑みて天守若葉風 美恵子
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令和6年5月15日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
扁額の一字が読めず梅雨の宿 世詩明 若葉風わらべ地蔵をつつみゆく 笑子 お精舎の風鐸ゆらす梅雨晴間 同 路地裏をしよぼしよぼ歩く梅雨鴉 希子 獣めく匂も混じる草いきれ 泰俊 古りたりな三国祭の誘ひ文 雪 牡丹を切りて一日の贅とせん 同 牡丹に待てば現れさうな人 同 退屈を欠伸してゐる葱坊主 同 椿落つ終の一花と云ふ色に 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月17日 さきたま花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
葉桜や百葉箱はぽつねんと 月惑 黙祷の黙に扇子の音止まず 裕章 古民家も古木も包む若葉風 泉 せがまるる父の草笛音の出ず 康子 十薬の干されしままに家売られ 順子 蚕豆は反重力の世界とも 月惑 朝日受け夜来の雨に光る薔薇 彩香 道をしへ誘はれ来れば妓楼跡 裕章 薔薇一輪仏に供へ留守頼む 順子 祝酒ちよこに浮き立つ夏の月 同 結跏趺坐する禅堂に蚊は廻る 月惑 お互ひにためらひもなき更衣 八草 母の日や乳を持ちたる大銀杏 紀花 菖蒲田に挙るサーベルの直線 月惑 五月晴れ複々線の縄電車 良江 母の日の無口の兄の大あくび としゑ 掌に乗る子猫にも髭のあり みのり 夏館蒼穹の野へ開け放つ 裕章
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月19日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
万緑を深く映して奥の池 亜栄子 師の句碑に句友の墓碑に黒揚羽 三無 沙羅の花散りて積れる密寺かな 慶月 雨雲の近づく気配蝸牛 久 草むらに昼顔溺れさうに浮く 秋尚 十薬の花もかをりも無縁墓と 亜栄子 D51は永遠や夏野に据ゑられて 久子 新緑のメタセコイアは太古の香 久子 蛙田に昭和の声の残りたる 千種
栗林圭魚選 特選句
子等のこゑ池塘に生るる太藺かな 幸風 鮮やかな青翻へし瑠璃蜥蜴 久 一面の青草の丘登り急 軽象 師の句碑に句友の墓碑に黒揚羽 三無 沙羅の花散りて積れる密寺かな 慶月 暗闇坂薄暑の袖を捲りけり 斉 老鶯やメタセコイアの闇を抜け 亜栄子 新緑の森に山鳩奥の池 経彦 隠沼の静寂破りて蟇 芙佐子 新緑の木漏れ日揺るる年尾句碑 経彦 寺出でて定家かづらの香に触るる 秋尚 キャンパスに続く山道夏薊 久子 花卯木森の昏さに寄り添ひし 斉 草むらに昼顔溺れさうに浮く 秋尚 峠路に仰ぐ卯の花空重く 芙佐子 寄せ墓に甘茶の花の日和かな 亜栄子 ひと筋に姫沙羅の花すつと落つ 秋尚 隠沼にメタセコイアの新樹光 幸風 お絵描きの子らや泰山木の花 斉 野薊のぱつと明るき母の塔 文英 日ざしきて暗��呼び込む新樹蔭 千種 石仏の眼にも優しきさつき雨 軽象 切株に園児忘れし夏帽子 経彦 菖蒲田の間に間に低き白菖蒲 久子 新緑のメタセコイアは太古の香 同 走り茶を呷り民話の始まれり 経彦 堂前に沙羅の花散る僧の留守 亜栄子 初夏の少し気怠き二人の歩 斉 庫裡裏に零れる実梅夥し 芙佐子 蜘蛛の囲の元禄仏の肩に揺る 慶月
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月22日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
覗くまじ編笠百合の笠の中 雪 伊勢神楽牡丹の庭に舞ひ納む 同 大蚯蚓這ひ出て暗き穴残る 同 花は葉に店に残りし桜餅 ただし 大杉も岩も当時の夏の庭 洋子 かづら橋渡りきりたる夏の声 紀代美 万緑に全身染まる露天風呂 みす枝 胸奥は語らぬことに草を引く 一涓 春炬燵触れたる足のなかりけり 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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dorisfinn · 1 year ago
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1. 在手掌上畫一條小巷 黃包車上的女子 嗅著一朵脂粉香味的黃昏 兩旁的牆 斑駁成滿地的足印 所有的影子都待著對月亮歌唱 2. 合掌 捏碎了這城市的繁華 用二十塊錢買一瓶彈珠汽水 生吞下去的童年
3. 逐漸死去的山 眉間仍有一道傷口 我的吶喊 回音以礦災時淒厲的驚叫 苔草讀過無數人的墓碑 一輛煤車從額頭推過
這城鎮 正孵出一些新招牌
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kachoushi · 8 months ago
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各地句会報
花鳥誌 令和6年4月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年1月6日 零の会 坊城俊樹選 特選句
ドッグラン鼻と鼻とで交はす賀詞 荘吉 裸木のはるかを白く光る街 要 頰切るは鷹の翔つ風かもしれず 順子 人波をこぼれながらの初詣 光子 焼芋の煙たなびく志んぐうばし 和子 群衆といふ一塊の淑気歩す 順子 寒雀神馬と分かちあふ日差し 光子 寒雀入れ神苑の日のたまり 同 寒の水明治の杜のまま映す 小鳥
岡田順子選 特選句
跼り清正の井を初鏡 昌文 本殿につぶやく寒紅をつけて 光子 楪の浴ぶる日我にゆづらるる 慶月 肺胞に沁み込んでゆく淑気かな 緋路 冬草や喧騒去りて井戸残し 眞理子 馬見えぬ乗馬倶楽部の六日かな 六甲 寒鯉来おのれの色の水を分け 緋路 寒椿落つれば湧くや清正井 眞理子 寒の水明治の杜のまま映す 小鳥
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月6日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
一束もいらぬ楪もて遊ぶ 成子 深井より羅漢に供ふ冬の水 かおり 赤なまこ横目に買ひし青なまこ 久美子 畳みたるセーターの上に置くクルス かおり 再会のドアを開けばちやんちやんこ 朝子 半泣きのやうに崩るる雪兎 成子 火を見つめ男無口に���喰 かおり 歳晩の一灯母を照らすため 朝子 悴みて蛇となる能の女かな 睦子 その中の手話の佳人やクリスマス 孝子 悪童に悲鳴をはなつ霜柱 睦子 凍空とおんなじ色のビルに棲み かおり かくも典雅に何某の裘 美穂 唐突に雪投げ合ひし下校の子 成子 楪や昔硝子の磨かれて かおり 奥伝の稽古御浚ひする霜夜 愛 出会ひ重ね寿限無寿限無と年惜む 美穂 冬灯一戸に遠き一戸あり 朝子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月8日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
流れ来し葉屑も霜を置いてをり 昭子 御慶述ぶ老いも若きも晴れやかに みす枝 初春の光りまとひし石仏 ただし 神なびの雨光り落つ氷柱かな 時江 地震の中産声高き初笑ひ ただし 歌留多とり一瞬小町宙に舞ふ みす枝 まだ誰も踏まぬ雪道新聞来 ただし 奥の間に柿餅吊し賑はへり 時江 さびしさの枯野どこまで七尾線 昭子 万象の音の鎮もり除夜の鐘 時江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月9日 萩花鳥句会
初句会吾娘よりホ句のファクシミリ 祐子 書き初め震何んぞ訳あり辰に雨 健雄 吹雪突き突進するエネルギー 俊文 日本の平安祈る今朝の春 ゆかり こがらしが枯葉ころがしからからと 恒雄 平穏な土地にて食べる七草粥 吉之 御降や茶筅ふる音釜の音 美惠子
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令和5年1月10日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
被災地にすがりし木の芽盛んなる 世詩明 的中の乾いた響き弓始 誠 初場所の桟敷の席の晴れ着かな 同 初御空耶馬台国は何処にぞ 同 石段を袖振り上がる春著の子 同 細雪番傘粋に下駄姿 幸只
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月11日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
年上の夫に引かるる初詣 喜代子 地震起こり慌てふためく大旦 由季子 曇り拭き笑顔映りし初鏡 さとみ 地震の地にぢりぢり追る雪女 都 冴ゆる夜の天井の節をまじまじと 同 男衆が重き木戸引き蔵開き 同 寒月や剣となりて湾の上 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月12日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
海鳴や雪の砂丘は祈りめく 都 初電話卒寿は珠のごと笑ひ 同 針始友が未完のキルト刺す 同 授かりし神の詞や竜の玉 悦子 蜑に嫁し海山詠みて老いの春 すみ子 焚上げの火の粉加勢や冬銀河 宇太郎 古傷を思ひ出させて寒四郎 美智子 枯葦の透き間に光る水一途 佐代子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月12日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
寒の雨誦経とよもす陽子墓碑 文英 寒林を上り来よとて母の塔 千種 顔消えし元禄仏へ寒菊を 慶月 道祖神寄り添ふ寒の雨うけて 慶月 就中陽子の墓所の蕗の薹 幸風 裸婦像の背にたばしる寒の雨 同
栗林圭魚選 特選句
信州へ向かふ列車の二日かな 白陶 寒林を上り来よとて母の塔 千種 晴天の初富士を背に山降る 白陶 大寺の太き三椏花ざかり 幸風 空までも続く磴なり梅探る 久 はればれと良き顔ばかり初句会 三無 就中陽子の墓所の蕗の薹 幸風 五姉妹の炬燵の会議家処分 経彦 走らざる枯野の車両咆哮す 千種 凍蝶のポロリと落つる影哀れ れい 三椏の開花明日かと石の門 文英
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月13日 枡形句会(一月十三日) 栗林圭魚選 特選句
嗽ぐをどる喉越し寒の水 幸風 七福神ちらしの地図で詣でをり 多美女 七福神詣りしあとのおたのしみ 白陶 凍て鶴の青空渡る一文字 幸子 金継ぎの碗に白湯汲む女正月 美枝子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月15日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
曇天に寒紅梅や凜と咲く のりこ 寒梅のつぼみの枝の陽の仄か 貴薫 青空に白き寒梅なほ白く 史空 朝の日に紅色極め寒椿 廸子 我が机散らかり初めし二日かな 和魚 倒れ込む走者にやさし二日かな 三無 釦穴に梃摺る指や悴かみて あき子 夢てふ字半紙はみ出す二日かな 美貴 二日早主婦は忙しく厨事 怜 りんご飴手に兄妹日向ぼこ 秋尚 雪遊びかじかむ手の子包む母 ことこ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月16日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
幼子の運を担いで福引へ 実加 寒空や命尊きこと思ひ みえこ ことわざを子が覚えをりかるた取り 裕子 元旦の母と他愛もない話 同 元旦や地震の避難を聞くことに みえこ 初詣車椅子の児絵馬見上ぐ 実加
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月17日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
古里に温石と言ふ忘れ物 雪 師の墓に愛子の墓に冬の蝶 清女 寒の月見透かされたり胸の内 眞喜栄 鴨浮寝無言の中にある絆 同 降る雪を魔物と今朝を天仰ぐ 英美子 藪入りも姑の一言行けぬまま 同 庭仕事今日冬帝の機嫌よき かづを 玻璃越に霏々と追はるる寒さかな 同 正月が地獄の底に能登地震 みす枝 雪しまき町の点滅信号機 ただし お御籤の白き花咲く初詣 嘉和 若狭より繋がる水脤やお水取 やす香 水仙の香りて細き身の主張 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月17日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
寒紅の濃き唇が囁きし 世詩明 お雑煮の丸と四角と三角��� 同 正月の馳走其々ある謂れ 千加江 新年の風も言の葉も美しく 和子 磯の香も菰巻きにして野水仙 泰俊 捨て舟を取り巻くやうに初氷 同 左義長や炎崩れて闇深し 同 去年今年形見の時計よく動く 同 ふと今も其の時のマフラーの色 雪 天地に誰憚からぬ寝正月 同 迷惑を承知の猫に御慶かな 同 不器用も父似の一つ初鏡 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月17日 鯖江花鳥句会(一月十七日) 坊城俊樹選 特選句
而して九十三の初鏡 雪 蛇穴に入り人の世は姦しく 同 紅を差し眉ととのへて近松忌 同 懐手おばあちやん子を憚らず 同 鬼つ子と云はれて老いて近松忌 同 着膨れて顔ちさき女どち 一涓 歌かるた子の得て手札取らずおく 昭子 年新たとは若き日の言葉とも やす香 新年を地震に人生うばはれし 同 元旦を震はせる能登竜頭めく 同 裂帛の気合を入れて寒みそぎ みす枝 風の神火の神乱舞どんど焼き ただし 八代亜紀聞きをり外は虎落笛 清女 寒怒濤東尋坊に砕け散り 同 波の腹見せて越前浪の華 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月19日 さきたま花鳥句会
月冴えて城址うろつく武者の翳 月惑 仲見世を出て蝋梅の香に佇てり 八草 枯菊や木乃伊の群の青き影 裕章 寒鴉千木の反り立つ一の宮 紀花 合掌す金波銀波の初日の出 孝江 青空に白き一機や寒紅梅 ふゆ子 初詣令和生まれの児と犬と ふじ穂 白鼻緒水仙の庫裏にそろへあり 康子 激震の恐れ記すや初日記 恵美子 お焚き上げ煙を浴びて厄払ひ 彩香 我が干支の年につくづく初鏡 みのり 家篭りしてをり冬芽萌えてをり 良江
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令和5年12月1月 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
師を越ゆる齢授かり初鏡 雪 初笑玉の如くに美しく 同 大晦の右大臣左大臣 同 猫の名は玉と答へて初笑 同 天が下縁深めゆく去年今年 数幸 能登の海揺るがし今日の空冴ゆる 和子 しろがねの波砕かれて冴え返り 笑子 語り継ぐ越前の秘話水仙花 同 雪降れば雪に従ふ越暮し 希子 皺の手にマニキュア今日は初句会 清女 初電話親子の黙を解きくれし 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
蟷螂を見て戻りたるだけのこと 雪 もて余す老に夜長と云ふ一つ 同 蟷螂の緑失せつゝ枯れんとす 同 小春日や袱紗の色は紫に 泰俊 正座して釜音聞くや十三夜 同 海沿ひにギターの調べ文化の日 千加江 枝折戸をぬけて紅さす返り花 笑子 祇王寺の悲恋の竹林小鳥来る 同 ���胆な構図を取りし大銀杏 和子 宿の灯も消して無月の湖明り 匠 秋の海消えゆくものにますほ貝 天空 落葉降る賽の河原に降る如く 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
異ならず枯蟷螂も人老ゆも 雪 世の隅に蟷螂は枯れ人は老い 同 無造作に残菊と言ふ束ね様 同 冬ざれや汽車に乗る人何を見る 泰俊 石膏でかたまりし腕冬ざるる 和子 山眠る小動物も夢を見る 啓子 路地裏の染みたる暖簾おでん酒 笑子 冬ざれや路面電車の軋む音 希子 おでん屋の客の戯れ言聞き流し 同 風を背に連れておでんの客となり かづを にこにこと聞き役おでん屋の女将 同 冬紅葉地に華やぎを移したり 同 街師走見えざるものに背を押され 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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wangwill66 · 1 year ago
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有拿香拜祖先的都要知道(收藏)。(網路資料)
我們的祖先來自何處?
我們的語言出自何處?
不要被意識形態民粹政客們洗腦騙了!
「堂號」!無論您是400年前、200年前、77年前、或何時來台,都是台灣人也是中國人,只有「堂號」能讓您完全了解。
「台灣人」的祖先大都是來自中國北方的中原地區,祖先為了逃避北方匈奴的侵略,而南遷到中國大陸東南沿海地區,所以「台灣人」大都是來自北方的中原漢人。
「五胡亂華」之後,華北經過長期戰亂,原先在河洛地區的(河圖與洛書,是中國古代傳說中,上天授與的圖象、數列)。
知識分子、士、農、工、商…等紛紛逃亡到江南地區避亂,也有族群避難遷徙,輾轉來到閩南泉州、漳州、潮州 、汀州或梅州、惠州…等地區定居。
河洛叫做「河圖與洛書」,河洛就地區來講,就是中國河南、洛陽一帶地區,廣義泛指「中原」。
為了讓後代子孫認識自己祖先的來處,使用「堂號」讓不同時間到達的移民,可以辨認自己的宗親,得到暫時的照顧。
久而久之,「堂號」成了姓氏宗親聯誼的代號。
「堂號」也可以使後代子孫認識自己祖先發源處,可以知道先人從哪來?
世界只有中國有「堂號」,我們不能讓「堂號」消失。
現今中華民族的族群當中,「堂號」最完整的只剩下客家族群。
堂號即祠堂的名稱或稱號,主要用於區別姓氏、宗族或家族、地名(姓氏宗族的發源地)。
堂號除在祠堂使用外,還會在 族譜、宅院、牌位、墓碑 等處使用。
以下我們從堂號來參考祖先從哪裡來?
濟陽堂:
丁、卞、江、柯、��、陶、庾、蔡。後漢設濟陰國,晉改濟陽郡,在山東定陶縣地。
西河堂:
卜、苟、林、卓、宰、靳。
漢時的郡名,今內蒙古(綏遠)鄂爾多斯地方,以及陝北、山西離石一帶。
河南堂:
於、山、方、毛、元、平、向、利、苟、邱、俞、陸、褚、廉、種。今河南陽縣。
東魯堂:孔。
孔子生於魯,地因人而名,故叫東魯。
雁門堂:
文、田、童、農。
戰國時為趙地,漢為郡,地當山西舊代州,寧武以北及朔平、大同一帶。
隴西堂:
牛、辛、李、時、彭、董。
秦郡名,地當甘肅舊蘭州、鞏昌、秦州諸府。
天水堂:
尹、皮、艾、狄、桂、姜、秦、莊、趙、嚴、上官。
漢時郡名,在甘肅渭縣境,即今伏羌地。
平陽堂:
仇、汪、巫、來、常、鳳、管、衛、歐、饒。
三國魏郡名,在山西臨汾縣境。
吳興堂:
水、尤、沈、明、姚、施。三國吳郡名,今浙江省吳興地。
太原堂:
王、羊、祁、易、武、祝、宮、溫、霍、閻、尉遲。
太原、汾州二府及保德、平定、忻州各地。
高平堂:巴、范。
漢時國名,今安徽省盱貽縣境。
南陽堂:
白、束、呼、姬、許、隆、葉、翟、韓、樂、鄧。
秦時郡名,泛指河南省南陽及湖北襄陽一帶。
京兆堂:
申、史、宋、別、冷、杜、車、宗、段、計、韋、晁、郜、浦、象、康、舒、雍、壽、酆、黎、皇甫。
漢三輔之一,地轄長安以東至華縣一帶。
渤海堂:
甘、封、高、歐陽。
漢郡名,地領河北省河間、滄縣、安次各地,南至山東吳棣境。
汝南堂:
左、言、汝、周、南、殷、商、梅、廖、袁、藍。
漢郡名,地轄河南舊汝寧、陳州二府及安徽穎州府。
武陵堂:
冉、華、龍、龔、顧。
漢時郡名,今湖南省常德縣地。
上黨堂:
包、尚、連、鮑、樊。
秦時郡名,在山西東南部,今長子縣境。
陳留堂:
伊、阮、虞、謝。
漢時郡名,晉為國,今河南陳留縣,後移至開封。
上谷堂:
成、侯、冠、榮。
秦郡名,地轄保定、易州、宣化、順天諸府,均在河北省。
沛國堂:朱。
漢時設郡,後漢改國,在安徽宿縣境。
晉陽堂:
匡、唐、景。
秦漢時縣名,今山西太原地。
��安堂:古。
三國吳郡名,在浙江省淳安縣。
武威堂:
石、��、賈。
漢武帝時郡名,即甘肅省武威縣地。
樂安堂:任。
南朝宋郡名,隋癈,在山東廣饒縣。
馮翊堂:吉、雷。
漢時郡名,為左馮翊轄地,即陝西大荔縣地。
中山堂:
仲、湯、藺。
春秋時國名,屬北狄鮮虞國地,今河北省正定縣境。
西平堂:池。
東漢郡,今甘肅西寧縣。
安定堂:
伍、胡、席、梁、程。
漢時郡名,在甘肅舊平涼、固原、涇州境。
東海堂:
有、茅、徐。
漢時置郡,地當山東兗州東南,江蘇邳縣以東。
河東堂:
旅、薛、裴、儲、聶。
秦時郡名,即山西西夏縣地。
下邳堂:闕。
後漢時國名,即江蘇邳縣地。
延陵堂:吳。
春秋時吳邑,季札受封延陵,今江蘇武進縣地。
廬江堂:何。
漢時郡名,在安徽廬江縣境。
北海堂:邢、郎。
漢郡名,東漢改國,地領山東益都以東至掖縣一帶。
平陵堂:孟。
春秋時齊邑,今山東歷城縣境。
彭城堂:
金、劉、錢。
漢郡名,今江蘇銅山縣地。
清河堂:
房、傅、張。
漢時郡名,地當河北清河、故城、棗強、南宮諸縣,及山東清平、恩縣、冠縣、高唐、臨清、武城一帶。
東平堂:花。
漢國名,即山東省東平縣。
博陵堂:邵。
晉國名,後改郡,今河北省安平縣境。
山陽堂:岳。
漢郡名,故城在河南修武縣,曹丕篡漢,廢獻帝為山陽公。
滎陽堂:
昌、潘、鄭。
戰國時韓地,今河南省滎陽、成皋一帶。
臨海堂:屈。
三國吳,分會稽東部置臨海,在浙江省,舊稱台州。
范陽堂:
鄒、簡、燕。
范陽是古郡名,即今河北省涿縣地。
齊郡堂:
查、晏、覃、富、譚。
漢時郡名,後改為國,今山東臨淄地。
高陽堂:紀、耿。
漢時縣名,今河北省高陽縣地。
敦煌堂:洪。
漢時郡名,今甘肅西部敦煌縣。
魏郡堂:柏。
春秋時國名,在山西芮城縣境。
扶風堂:
馬、班、祿、萬、魯。
隋時置郡名,今陝西省扶風、鳳翔一帶。
千乘堂:倪。
漢時郡名,在山東地城、益都一帶。
會稽堂:夏。
秦郡名,地當江蘇東部、浙江西部,即今紹興。
河內堂:
苟、荀、司馬。
漢郡名,地當河南省黃河與太行山之間,今武陵、沁陽一帶。
廣陵堂:貢、盛。
漢國名,後改郡,今江蘇都縣地。
薛郡堂:海。
秦時郡名,地轄山東西南部、江蘇東北部。
河間堂:凌、章、詹。
漢國名,後魏改郡,在河北獻縣及河間一帶。
南昌堂:塗。
漢縣名,在江西南昌地,洪州塗氏為豫章望族。
豫章堂:羅。
漢郡名,在江西南昌縣地。
潁川堂:
陳、鄔、賴、鍾。
秦郡名,地轄河南舊許州、陳州、汝寶、汝州諸府,蓋指潁水流域。
護國堂:
逢、邊、戴、稽。
春秋時陳焦邑,今安徽省亳縣地。
餘杭堂:隗。
隋郡名,唐復為杭州,今浙江杭縣。
汾陽堂:郭。
漢地名,唐併入陽曲,在山西省,唐將郭子儀受封於此,因而名傳。
瑯琊堂:
符、雲、諸葛。
秦郡名,地轄舊山東兗、音、沂、萊四府,後漢為國,在臨沂縣境。
廣平堂:
游、賀、談。
漢郡名,後改為國,今河北雞澤縣地。
江夏堂:費、黃。
漢郡名,在湖北雲夢境。
遼西堂:項。
秦郡名,地轄永平、承德、朝陽、錦州、新民一帶,在遼寧與河北間。
平原堂:東方。
漢郡名,在山東舊武定、濟南二府之西,及樂陵、長清一帶,即平原縣地。
頓丘堂:葛、司空。
春秋衛邑,在河南省濬縣。
弘農堂:楊。
漢時郡名,在河南省靈寶縣境。
百濟堂:福。
春秋時國名,在今朝鮮半島。
內黃堂:駱。
漢時縣名,今河南省內黃縣地。
江陵堂:熊。
春秋時楚郢都,漢置縣,宋改都,今湖北江陵地。
鉅鹿堂:魏。
秦郡名,晉為國,今河北鉅鹿、寧晉一帶。
蘭陵堂:蕭。
晉時郡名,在山東嶧縣,南朝宋移昌盧,在滕縣境。
解梁堂:關。
春秋時晉邑,地領山西解縣、臨晉、虞鄉諸地,後漢關羽,即解人也。
燕山堂:竇。
遼時燕京,宋改燕山府,地領河北省北部及東北部。
武功堂:蘇。
漢郡名,在陝西郿縣境,今設武功縣。
始平堂:
翁、馮、龐。
晉郡名,三國魏改始平,在咸陽附近。
梁國堂:墨、橋。
漢時梁國,後魏改郡,唐改宋州,在河南商丘縣境。
濟南堂:伏、寧。
漢初置郡名,即今山東歷城縣境。
平昌堂:
紅、孟、管、離。
三國魏置郡名,治安丘,在今山東安丘縣地。
濮陽堂:爰。
漢縣名,後魏改郡,即古帝丘,在河北濮陽縣及山東濮縣一帶。
著存堂:呂。
福建省詔安縣秀篆鎮。
殷禮堂:宋。
陝西西安市,陝西西河郡。
我們現在講的「台語」正確名稱~不是台灣話、更不是閩南話、也不是福建話,正確叫做~「河洛話」!
河洛話:源自河南洛陽,俗稱中原話,在唐朝時期就是講河洛話,唐朝武則天就是講河洛話;日本現在廟宇和尚念經朗誦的語言就是用河洛話!
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iseilio-blog · 1 year ago
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扶桑漫步
司馬桑敦 生平概述 - 司馬桑敦生平與思想概述 - 越境與跨界的記者�作家──司馬桑敦及其作品研究 (9lib.co)
文星叢刊 74 1964 . 8 .25
在離開熊本的傍晚,我驅車去一處叫龍田口的小車站,憑弔了劍俠
宮本武藏之墓。墓已荒廢得難以辨識。宮本原姓「新免」,墓碑上
寫「 新免武藏居士之墓 」。宮本武藏 原是藩主 細川忠利 的食客,
能劍也善畫,他從劍術中悟出一種禪機,而使他一生便是主張淡泊
無為。墓旁一間小酒店,壁上懸有一條幅,上面寫的正是 宮本武藏
的「獨行道」信條。其中主要大意是 :
「 無違於世道,無恃怙之心,無妬於他人善惡,不留自我悔恨之事,
死不遺財貨,生不靠神佛。」73
宮本武藏 - YouTube
鹿兒島人的語言和琉球話相關聯;日本民族的過程發展中,有一
部份是由琉球渡島繁衍而來,而九州北部又大半是來自朝鮮半島。
九州人的祖先有一部份則是來自中國海岸的中國人。77
薩摩藩主 奉 幕府之命,要負責修治鹿兒島境內的 木曾川。
木曽川しぐれ / 川中美幸 Cover:山口えい子(Doenka Eiko) - YouTube
這一工程的成敗關係薩摩與幕府的政治關係,因之薩摩藩為了這個
水堤,投資兩百七十萬兩,動員人工一千餘名始告完成。但在工程
進行過程,計劃一再修改,費用一再超出,因之便有五十名督工的
幹部,中途切腹自殺,以示負責謝罪。當時工程的總指揮 平田靭負
在他的部下紛紛自殺時,並無表示,但當大功告成之際,他也在
築成的堤上引刀自殺了。鹿兒島人每年五月二十五日要舉行一個
大祭以紀念這些義士。80
在任何小鎮上,幾乎每一個街角,至少都可以發現一家書店。書店
中,有單行本,也有雜誌,在類別上由黃色刊物到硬性哲學,琳瑯
滿目,美不勝收。擠在書店中狹窄的通道上,有穿制服的學生,有
衣冠不整的受薪階級,其中也有手提菜籃的家庭主婦。這些人不
只是在書店中隨便翻翻便走,而是認真的把書買了,拿回家去讀。
書本幾乎成了必需品,縱使家境不好,也都會為了五十大冊的現代
文學全集,或者翻版的美術叢書,支付大量的金錢。87
在日本,一個想要過文筆生活的青年,他就必需居住在東京近郊。
他們的去處經常是新宿的小酒吧間,一到夜晚,若在新宿小酒吧的
街道漫步,往往很意外的碰上很多鋒頭的作家。94
思い出横丁 新宿 - YouTube
有了名聲的作家的家裡往往擠滿了各雜誌社的來人。這些人都希
望在下一期刊物上拉得這位作家的文稿。於是作家出來了,像一位
在宮廷謁見式的帝王一般。雜誌社的人商量著,爭執著,決定彼此
截稿的日期。最後,決定了 :十九日給你,二十一日給他,二十四日
再給另外一位。一般說來,在同一個月份內,分別在五六個雜誌上
發表作品並不稀奇。當然,作家在這種情形下勢必忙得發瘋。一位
作家,只要他在文壇上鞏固了地位,他在白紙上寫的任何一個黑字,
雜誌社都會爭搶著把他發表出來,永遠在鉛字前面饑渴的讀者,也都
無論好壞的生吞活嚥下去。95
本屋 - YouTube
八月 5th, 2023
2023 Ford F-150 Raptor Black - interior and Exterior Details (Wild Truck) - YouTube
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yuriwangfingermedia · 1 year ago
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中元節拜拜補財庫! 六福村加碼多重優惠補足眾生荷包
【記者黃誌寬/新竹報導】中元節農曆7/15普渡「好兄弟」還能補財庫?原來傳統民俗中這天也是三官大帝之一的「地官大帝」生日,很多人也會趁著這天祭拜神明來補財庫,六福村為了替民眾省荷包,祭出全台最大萬聖慶典墓碑鎮雙人預售票64折只要$1530(原價$2898),直接現省$1368超級賺!讓民眾暢快吃喝玩樂同時還能省下大筆鈔票,加上關西六福莊眾多住房好康,每人最低兩千有找!住房早鳥優惠僅剩最後一天,還不快趁著中元節一次購足萬聖行程,爽賺一波。 農曆7/15中元節是眾所皆知的傳統習俗節日,家家戶戶都會準備澎派佳餚要普渡「好兄弟」,許多想要賺大錢的民眾也會特別選在同一天「地官大帝」的生日,祭拜神明兼補財庫! 六福村體恤民眾賺錢辛苦,為了不讓大家補足的財庫大失血,祭出多重好康優惠,像是9/9即將迎來的全台最大萬聖慶典墓碑鎮,現正推出雙人預售票64折只要$1530(原價$2898),荷包直接現省$13…
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kachoushi · 11 months ago
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各地句会報
花鳥誌 令和6年1月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年10月2日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
日本海見ゆる風車や小鳥来る 泰俊 駅近の闇市跡に後の月 同 山門を標とするや小鳥来る 同 師の墓の燭新涼のほむらかな 匠 渡り鳥バス停一人椅子一つ 啓子 紫に沈む山河を鳥渡る 希 ひらひらと行方知らずや秋の蝶 笑 なりはひの大方終了九月尽 数幸
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月4日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
朱の色に蝋涙たれし日蓮忌 ただし コスモスのたなびく道を稚児の列 洋子 抱かれて稚児は仏よ日蓮忌 同 めらめらと朱蝋のうねり日蓮忌 同 ピストルの音轟ける運動会 誠
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月5日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
友の墓秋空の下悠然と 喜代子 棟上げの終はりし実家や竹の春 由季子 菊人形幼き記憶そのまゝに さとみ 長き夜や楽し思ひ出たぐり寄せ 都 強持てに進められたる温め酒 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月6日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
蜜と恋どちらも欲しく秋の蝶 都 八幡の荘園かけて飛ぶばつた 美智子 彼岸花軍馬の像を昂らせ 都 露の手に一度限りの炙り文 宇太郎 杖の歩や振返るたび秋暮るる 悦子 露けしや既視感覚の病棟に 宇太郎 コスモスの乱れ見てゐて老いにけり 悦子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月7日 零の会 坊城俊樹選 特選句
天高く誇り高きは講談社 きみよ 華やかに滅びゆく香や秋の薔薇 和子 秋冷を暗くともして華燭の火 千種 白帝は白い梟従へて きみよ 薔薇は秋その夜会より咲き続け 順子 肘掛に秋思の腕を置いたまま 光子 爽やかや罅ひとつなきデスマスク 緋路 一族の椅子の手擦れや秋の声 昌文 邸宅の秋に遺りし旅鞄 いづみ 洋館に和簞笥置いて秋灯 荘吉
岡田順子選 特選句
栗の毬むけば貧しき実の二つ 瑠璃 流星を見る���と永きデスマスク いづみ 正五位のまあるき墓を赤蜻蛉 小鳥 秋天の青は濃度を���すばかり 緋路 月光の鏡の中で逢ふ二人 きみよ 聖堂は銀に吹かるる鬼芒 いづみ 実石榴をロイヤルホストで渡されて 小鳥 石榴熟る女人の拳より重く 光子 秋の灯を落して永久のシャンデリア 俊樹 毬栗を踏み宰相の家を辞す 緋路
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月9日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
コスモスの島にひとつの小学校 修二 檸檬の香そは忘れざる恋なりき 美穂 嫁がせる朝檸檬をしぼりきる 朝子 母乳垂る月の雫のさながらに 睦子 タンゴ果て女は月へ反りかへる 同 護送車の窓には見えぬ草の花 成子 やはらかく眉をうごかし秋日傘 かおり 天と地を一瞬つなぐ桐一葉 朝子 流れ星太郎の家を通り過ぎ 修二 正面に馬の顔ある吾亦紅 朝子 傘たゝみ入る雨月のレイトショー かおり 幾千の白馬かけぬく芒原 成子 古備前に束ねてさびし白桔梗 睦子 糸芒戻れぬ日々を追ふやうに 愛 黒葡萄いつもの場所の占ひ師 修二
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月9日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
新生姜甘酢に浸り透き通り のりこ 風を掃き風に戻されむら芒 秋尚 足音にはたと止まりし虫の声 怜 朝露に草ひやひやと眩しかり 三無 出来たての色の重たき今日の月 秋尚 徒競走つい大声で叫びたり ことこ 秋落暉炎のごときビルの窓 あき子 秋祭り見知らぬ顔の担ぎ手に エイ子 秋霜や広がる花を沈ませて のりこ 面取ればあどけなき子や新松子 あき子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月9日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
万葉の歌碑一面に曼珠沙華 信子 金木犀優しき人の香りかな みす枝 昇る陽も沈む陽も秋深めゆく 三四郎 廃線の跡をうづめて草紅葉 信子 駅に待つ猫と帰りぬ夜寒かな 昭子 天の川下界に恋も諍ひも 同 ひらひらとバイクで走る盆の僧 同 蟋蟀の鳴く古里や母と歩す 時江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月10日 萩花鳥会
夜鴨なく門川暗くひろごれり 祐子 サムライ衆ナントで決戦秋の陣 健雄 これ新酒五臓六腑のうめき声 俊文 露の身や感謝の祈り十字切る ゆかり 虫食ひのあとも絵になる柿落葉 恒雄 すり傷も勲章かけつこ天高し 美惠子
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令和5年10月14日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
魁の櫨紅葉の朱句碑の径 三無 花よりも人恋しくて秋の蝶 幸子 咲き初めし萩の風呼ぶ年尾句碑 秋尚 女人寺ひそと式部の実を寄せて 幸子 豊年の恵みを先づは仏壇へ 和代 篁を透かし二三個烏瓜 三無 日の色の波にうねりて豊の秋 秋尚 曼珠沙華に導かれゆく道狭し 白陶 二人居の暮しに適ふ豊の秋 亜栄子 林檎��き父と齧つたあの日から 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月14日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
ガシャガシャと胡桃を洗ふ音なりし 紀子 秋日和小児科跡は交番に 光子 歩かねば年寄鵙に叱咤される 令子 稲の秋チンチン電車の風抜けて 実加 不作年新米届き合掌す みえこ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月15日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
街騒も葉擦れも消して秋の雨 三無 大寺の風を擽る榠櫨の実 幸風 尾を引きて鵯のひと声雨の句碑 秋尚 水煙に紅葉かつ散る結跏趺坐 幸風 菩提樹を雨の宿りの秋の蝶 千種
栗林圭魚選 特選句
観音の小さき御足やそぞろ寒 三無 絵手紙の文字の窮屈葉鶏頭 要 駐在も綱引き離島の運動会 経彦 小鳥飛び雨止みさうにやみさうに 千種 秋霖や庫裏よりもるる刀自の声 眞理子 句碑の辺に秋のささやき交はす声 白陶 秋黴雨だあれもゐない母の塔 亜栄子 梵鐘の撞木の先や秋湿り 眞理子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
考へる事に始まる端居かな 雪 おは黒を拝み蜻蛉と僧の云ふ 同 道草の一人は淋しゑのこ草 同 朝霧の緞帳上がる音も無く みす枝 秋灯火優しき母の形見分け 同 役目終へ畦に横たふ案山子かな 英美子 孫悟空のつてゐるやも秋の雲 清女 穴感ひ浮世うらうら楽しくて やす香 栗食めば妹のこと母のこと 同 天高し飛行機雲の先は西 嘉和 屋根人を照らし名月たる威厳 和子 秋深し生命線の嘘まこと 清女 蜩に傾きゆける落暉かな かづを
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月18日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
枯れて行く匂ひの中の秋ざくら 世詩明 一声は雲の中より渡り鳥 同 見えしもの見えて来しもの渡り鳥 同 菊まとひ紫式部像凜と 清女 越の空ゆつくり渡れ渡り鳥 和子 秋扇に残る暑さをもて余す 雪 山川に秋立つ声を聞かんとす 同 鳥渡る古墳の主は謎のまま 同 鳥渡る古墳は謎を秘めしまま 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月20日 さきたま花鳥句会
SLの汽笛を乗せて刈田風 月惑 寝ころびて稜線を追ふ草紅葉 八草 残る海猫立待岬の岩となる 裕章 大夕焼分け行く飛機の雲一本 紀花 曼珠沙華二体同座の石仏 孝江 白萩の花一色を散り重ね ふゆ子 秋の野や課外授業の声高に ふじ穂 秋寒し俄か仕立てのカーペット 恵美子 秋空や山肌動く雲の影 彩香 爽籟や赤子よく寝る昼下り 良江
………………………………………………………………
令和5年10月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
生身魂梃子でも動かざる構へ 雪 古団扇此処に置かねばならぬ訳 同 飾られて菊人形の顔となる 同 亭主運なき一枚の秋簾 一涓 菊の香に埋り眠る子守唄 同 叱りてもすり寄る猫や賢治の忌 同 友の家訪へば更地やそぞろ寒 みす枝 叱られて一人で帰るゑのこ草 同 朝霧が山から���に降りて来し やすえ 隣家より爺の一喝大くさめ 洋子 菊師にも判官贔屓あるらしき 昭子 人の秋煙となりて灰となる 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月27日 月例会 坊城俊樹選 特選句
靖国の秋蝶は黄を失ひて 愛 柿に黄をあづけ夕日の沈み行く 緋路 神池の何処かとぼけた鯉小春 雅春 細りゆく軍犬像や暮の秋 愛 うらがへり敗荷の海のなほ明し 千種 英霊の空はまだ薄紅葉かな 愛
岡田順子選 特選句
秋蝶に呼ばれ慰霊の泉かな 愛 鉢物はしづかに萎れ秋の路地 俊樹 年尾忌も近し小樽の坂の上 佑天 道幅は両手くらゐの秋の路地 俊樹 秋天へ引つ張られたる背骨かな 緋路 老幹の凸凹としてそぞろ寒 政江 板羽目の松鎮まれる秋の宮 軽象 御神樹の一枝揺らさず鳥渡る かおり
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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huahuadeshiji · 1 year ago
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日前在雲林縣虎尾鎮發生一起非法傾倒廢棄物的案件,該「土尾組織」(非法處理廢棄物的犯罪組織)從111年開始非法丟置廢棄物至今,高達6萬7千多公噸,包含碎墓碑、營建廢棄物等,以此賺取清除費近2億元,遭民眾
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historysandwich · 2 years ago
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【常威近代史】(七百七十一回) 中緬公路開始興建 1938年2月17號,蔣介石下令駐防河南嘅第8師炸毀鄭州黃河鐵橋,以阻止日軍南渡黃河,類似嘅焦土政策,之後會繼續發生,為阻止日軍推進,不擇手段,去到最盡,就係1938年6月蔣介石下令炸開花園口黃河大堤,結局黃河大決,浸死幾十萬中國平民百姓。打仗好多時候就係咁慘烈,好多時候唔係只係死係敵人手上,死喺自己人手上亦都係常見嘅事情,所以千萬唔可以打仗!一定要和平,一定要和平,一定要和平! 今個月初,土肥圓師團向豫北發動進攻,向南樂、清豐、濮陽一綫推進,守軍甫經接火就棄槍奔逃,大概係完全冇得打,又或者唔想打,保留實力,冇人知道。你嘅然唔守,日軍就唔客氣,長驅直進,去到2月12號,道清鐵路沿線,完全暴露喺日軍直接攻擊網下。2月14號,日軍向中國守軍道清鐵路沿線陣地發動全面進攻,軍閥宋哲元(1885-1940)下令守軍沿鐵路向西撤退,所謂兵敗如山倒,宋哲元部隊一直逃到濟源以西嘅王屋鎮,宋哲元嘅指揮部隊,差啲仲比日軍裝甲車追上,一鋪清袋。第一戰區長官程潛(1882-1968)對宋哲元不戰而退非常氣憤,即令第40軍嚴密戒備黃河沿岸,唔畀宋哲元嘅殘部渡河,同時炸為鄭州黃河鐵橋,與及花園口同榮澤口碼頭! 睇到呢度大家都相當清楚,之前曾經講過,軍閥宋哲元本來想聯合韓復榘(1890-1938)同劉湘(1890-1938)一齊響蔣介石進入四川前反蔣,可惜劉湘有手下告密爆大鑊,韓復榘被拉去後巷打靶,劉湘同時響武漢醫院歸西(真係病死掛?),剩低嘅宋哲元當然亦唔會有好收場,你估得罪方丈講笑嘅咩?炸咗條橋都唔俾你撤退,大家都明點解?曾經係馮玉祥手下五虎將之一嘅宋哲元係日本華北分離計畫中主要嘅拉攏對象,最後宋哲元不甘被日本人利用,任國民革命軍第1集團軍總司令,加入抗日陣線,經過1938年2月一役,宋哲元勢力瓦解,不過保留軍銜,亦冇被追究反蔣責任,投閒置散,1940年3月染上肝病辭職,改任國民政府軍事委員會委員,並回到其夫人常淑清故鄉四川綿陽療養,1940年4月5日病逝,享年54歳,葬於綿陽市富樂山山麓。其墓碑由馮玉祥(1882-1948)親書「宋上將明軒之墓」。宋哲元墓響1967年被紅衛兵搗毀,1978年重建,現為四川省文物保護單位。 兩手準備,2月18號,中緬公路開始興建,中緬公路又名滇緬公路,前稱昆畹公路,起點雲南昆明,終點緬甸臘戍,全長1,453公里。早響1937年8月,當時雲南省主席龍雲(1884-1962)就向蔣介石提出「修改滇緬公路的計劃」,公路始建於1938年春天,於1938年12月初步建成通���,以後陸續加以改道修建。由於當時缺乏受過訓練嘅專業技術人員,響滇緬公路總工程處中��因戰禍遷往昆明嘅一些無業知識青年進行速成培訓,依批青年後來成為咗滇緬公路嘅技術骨幹。臨近1938年春節,公路沿線嘅20萬各族勞工被徵集到工地。依啲勞工大部分係老人家、小孩同婦女。由於當時機械缺乏,呢班老弱婦孺只能依靠雙手,好多艱苦、危險工作幾乎都係由婦女、兒童來完成。滇緬公路係中國抗日戰爭時期,中國西南地區大後方一條歷時最久,運量最大嘅國際通道,去到抗戰中後期,尤其是中華民國首都遷往四川重慶之後,由於海路已經被日本海軍重重封鎖,大部份來自外國支援嘅戰略物資,都係由滇緬公路源源不絕送入四川,依條公路響抗日戰爭中嘅角色非常重要,當中亦有唔少可歌可泣嘅故事發生喺公路之上。 2月20號,軸心國嘅另一個重要成員納粹德國繼意大利之後,承認偽滿洲國。同一日,日本響開封以北強渡黃河。2月21號,蔣介石下令各軍全線反攻。今日,《少年先鋒》半月刊響武漢創刊。2月22號,第五戰區第一遊擊司令少將劉震東(1893-1938)響山東莒縣陣亡,劉震東嘅事蹟,亦係可歌可泣,20歲時後考入東北陸軍講武堂。畢業後,歷任東北軍排長、連長、營長、團長等職。1925年東北軍重新整編後,升任第七師第六旅旅長。劉震東作戰勇猛,頗著戰功。1928年,入陸軍大學受訓,學成後出任東北邊防軍總司令部中將主任參事。 1931年九一八事變爆發後,他激於愛國義憤,毅然拋開高官厚祿,前往熱河招募組織抗日義勇軍,自任第五軍團總指揮,在赤峰、開魯一帶展開游擊戰。劉震東所部5000人遊擊隊,一直響東北糾纏日本人,立下不少汗馬功勞。 2月23號,日本飛機進襲蘭州,被擊落18架。同日中國空軍首次遠征臺灣,配合蔣介石全線反攻命令。2月25號,日軍空襲南昌,同日,國民政府教育部頒佈《青年訓練大綱》,全力培養年青人抗日!2月27號,行政院核准施行《優待抗日軍人家屬辦法》,振奮士氣。2月28號,日本飛機連番轟炸廣州同惠州等地,真真正正狂轟濫炸,多少平民百姓就此葬身火海?同一日,身在武漢嘅王明(1904-1974)等反對成立晉察冀邊區人民政府。 1938年2月,繼續抗戰。 #常威💀 #蔣介石平反系列  #佛經抄寫員 #中日戰爭 #民國歷史 https://www.instagram.com/p/Cp4p-euvYso/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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iseilio-blog · 2 years ago
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扶 桑 漫 步
扶桑漫步
司馬桑敦
文星叢刊 74 1964 . 8 .25
在離開熊本的傍晚,我驅車去一處叫龍田口的小車站,憑弔了
劍俠宮本武藏之墓。墓已荒廢得難以辨識。宮本原姓「新免」,
墓碑上寫「新免武藏居士之墓」。宮本武藏 原是藩主 細川忠利
的食客,能劍也善畫,他從劍術中悟出一種禪機,而使他一生
便是主張淡珀無為。墓旁一間小酒店,壁上懸有一條幅,上面
寫的正是 宮本武藏 的「獨行道」信條。其中主要大意是 :
「無違於世道,無恃怙之心,無妬於他人善惡,不留自我悔恨
之事,死不遺財貨,生不靠神佛。」73
宮本武藏 - 維基百科,自由的百科全書 (wikipedia.org)
#お墓から見たニッポン 8-2【宮本武蔵~ 巌流島の真実は!?】組織か?己の道か?孤高の剣豪の墓の謎 #宮本武蔵 戦国時代の墓から織田信長の天下統一を待ち望んでいた庶民たちが見えてくる (youtube.com)
DeLaChat - Engage with Like-Minded Peers (youtube.com)
鹿兒島人的語言和琉球話相關聯,而日本民族的過程發展中,
有一部份是由琉球渡島繁延而來,而九州北部又大半是來自
朝鮮半島。九州人的祖先有一部份則是來自中國海岸的中國人。77
薩摩藩主 奉 幕府之命,要負責修治鹿兒島境內的 木曾川。
木曽川しぐれ / 川中美幸 Cover:山口えい子(Doenka Eiko) - YouTube
這一工程的成敗關係薩摩與幕府的政治關係,因之薩摩藩為了
這個水堤,投資兩百七十萬兩,動員人工一千餘名始告完成。
但在工程進行過程,計劃一再修改,費用一再超出,因之便有
五十名督工的幹部,中途切腹自殺,以表示負責謝罪。當時工程
的總指揮 平田靭負 在他的部下紛紛自殺時,並無表示,但當大功
告成之際,他也在築成的堤上引刀自殺了。鹿兒島人每年五月
二十五日要舉行一個大祭以紀念這些義士。80
在任何小鎮上,幾乎每一個街角,至少都可以發現一家書店。
書店中,有單行本,也有雜誌,在類別上由黃色刊物到硬性
哲學,琳瑯滿目,美不勝收。擠在書店中狹窄的通道上,有
穿制服的學生,有衣冠不整的受薪階級,其中也有手提菜籃的
家庭主婦。這些人不只是在書店中隨便翻翻便走,而是認真的
把書買了,拿回家去讀。書本幾乎成了必需品,縱使家境不好,
也都會為了五十大冊的現代文學全集,或者翻版的美術叢書,
支付大量的金錢。87
有趣之物的再發現!舊書街“神保町”散步之旅! – Visit Chiyoda (visit-chiyoda.com)
在日本,一個想要過文筆生活的青年,他就必需居住在東京近郊。
他們的去處經常是新宿的小酒吧間,一到夜晚,若在新宿小酒吧
的街道漫步,往往很意外的碰上很多鋒頭的作家。94
(793) 新宿のれん街 - YouTube
遼 尉 臣 筆記 — はしご 酒 (tumblr.com)
(793) 新宿橫町 - YouTube
有了名聲的作家的家裡往往擠滿了各雜誌社的來人。這些人都
希望在下一期刊物上拉得這位作家的文稿。於是作家出來了,
像一位在宮廷謁見式的帝王一般。雜誌社的人商量著,爭執著,
決定彼此截稿的日期。最後,決定了 :十九日給你,二十一日
給他,二十四日再給另外一位。一般說來,在同一個月份內,
分別在五六個雜誌上發表作品並不稀奇。當然,作家在這種情形
下勢必忙得發瘋。一位作家,只要他在文壇上鞏固了地位,他在
白紙上寫的任何一個黑字,雜誌社都會爭搶著把他發表出來,
永遠在鉛字前面饑渴的讀者,也都無論好壞的生吞活嚥下去。95
日本の小説家一覧 - Wikipedia
里の秋【合唱】(♬静かなしずかな里の秋〜)byひまわり×3🌻歌詞付き【日本の歌百選】SATO NO AKI| (youtube.com)
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kachoushi · 1 year ago
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風月句会
2023年10月15日
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於:川崎市多摩市民館
坊城俊樹選 栗林圭魚選
坊城俊樹選 特選句
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坊城俊樹選 特選句
街騒も葉擦れも消して秋の雨 三無 大寺の風を擽る榠櫨の実 幸風 尾を引きて鵯のひと声雨の句碑 秋尚 水煙に紅葉かつ散る結跏趺坐 幸風 菩提樹を雨の宿りの秋の蝶 千種
坊城俊樹選 並選句
烏瓜守る篁や母の塔 幸風 観音の小さき御足やそぞろ寒 三無 鬼残し児らの消えけり暮れ早し 経彦 菩提子の雨のしづくを城主墓 慶月 秋雨は葉裏の塵も拭ひけり 軽象 秋淋しメタセコイヤの闇深く 亜栄子 山粧ふ襤褸となりてた��なづく 幸風 たゆたへる心のやうに式部の実 白陶 赤帽の四仏に秋の雨しとど ます江 雨しとど廣福密寺金木犀 眞理子 秋霖に立つ観音の艶めける 慶月 禅寺の庫裏へと招く郁子の棚 眞理子 洗堰色なき風を漾はす 幸風 石仏に一円玉と菩提子と 三無 秋雨の下よりしみる五輪塔 慶月 塔頭の裏に小さき菊畑 眞理子 犬連れて秋の蚊つれて戻りたる 要 小鳥飛び雨止みさうにやみさうに 千種 秋霖や庫裏よりもるる刀自の声 眞理子 蘆の花谷戸に育ちて高く揺れ ます江 霧流れ城山の雨乱れなし 千種 秋黴雨だあれもゐない母の塔 亜栄子 白壁の明るき家の並ぶ秋 れい 梵鐘の撞木の先や秋湿り 眞理子
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栗林圭魚選 特選句
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栗林圭魚選 特選句
観音の小さき御足やそぞろ寒 三無 絵手紙の文字の窮屈葉鶏頭 要 駐在も綱引き離島の運動会 経彦 小鳥飛び雨止みさうにやみさうに 千種 秋霖や庫裏よりもるる刀自の声 眞理子 句碑の辺に秋のささやき交はす声 白陶 秋黴雨だあれもゐない母の塔 亜栄子 梵鐘の撞木の先や秋湿り 眞理子
栗林圭魚選 並選句
隣国のおやきの匂ひ天高し 幸子 姫沙羅の艶めき輝る秋の雨 白陶 近道を来て晩秋の雨上る 千種 等身の太郎のパネル秋思ふと 久子 逸早く燃ゆる紅葉の花水木 秋尚 街騒も葉擦れも消して秋の雨 三無 尾を引きて鵯のひと声雨の句碑 秋尚 朱鮮か真弓の秋のけわいかな 軽象 無患子や古寺の要と仰ぎみる 亜栄子 杉木立秋雨ほのと明るめり 千種 秋霖や人影侘し母の塔 文英 秋霖���洗ふ碑ありて忌の間近 慶月 雨しとど廣福密寺金木犀 眞理子 木犀の香の雨烟る多摩の丘 久子 水煙に紅葉かつ散る結跏趺坐 幸風 木犀の大樹の包む道祖神 亜栄子 禅寺の庫裏へと招く郁子の棚 眞理子 薄紅葉石仏並ぶ小径にも ます江 秋時雨無患子の実を艷かに 文英 洗堰色なき風を漾はす 幸風 古寺の鎮もるほどに秋の声 白陶 菩提樹を雨の宿りの秋の蝶 千種 年尾忌や夜更けのコール偲ばるる 文英 ずぶ濡れに秋の暖炉のやさしかり 久子 ソーラーパネル鈍く光るや吊し柿 眞理子 泥濘の横山雑木紅葉抜け 亜栄子 塔頭の裏に小さき菊畑 眞理子 秋雨のビジターセンターはや暖炉 久子 農を継ぎ村歌舞伎継ぎ街興し 経彦 秋の灯をひとすじ流す雨の径 久子 蘆の花谷戸に育ちて高く揺れ ます江 霧流れ城山の雨乱れなし 千種 白壁の明るき家の並ぶ秋 れい 句碑の辺の萩しなやかに揺れてをり 文英 やや寒や追討ちかける今日の雨 ます江 秋湿り払ひて高し母子の像 軽象
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