#四代田辺竹雲斎
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mxargent · 1 year ago
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
ア��ウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪��攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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kachoushi · 11 months ago
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雑 詠
花鳥誌 令和6年1月号
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雑詠巻頭句
坊城俊樹主宰選 評釈
雑詠巻頭句
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上り来る男使ひの秋日傘 中里 三句
 坂の上から見ている作者。最近は日傘をつかう若い男もいる。ある意味でお洒落なのかもしれぬ。どんな色の傘なのだろうかと好奇心も湧く。
秋日傘上る高さに水平線 中里 三句
 これも同じ視線から。だんだん上ってくる日傘。遠くには秋の海の水平線が見える。と書いたところでこの景色は見たことがある。湘南の電車が走る七里ヶ浜の景色ではないか。実際私もそこから海に入った青春の思い出も。
木洩日は鹿の子模様の秋日傘 中里 三句
 これはまた粋な日傘。それを造形するのが木洩日。この目の付け所が素晴らしい。粋筋の日傘なのかあるいはゆったりとした老婦人のものか。
明日は雨卑弥呼の国の月夜茸 伊藤 ひとみ
 月夜の茸は卑弥呼によく似合う。しかもそれは月夜なのに明日の雨を暗示する。ここに俳句の美意識がある。
秋声や置いてけ堀の風の中 伊藤 ひとみ
 「置いてけ堀」はたしか東京の下町あたりだつたような。作者の住所とは違うがそこが楽しい。一種の妖��がそこを通る人を拐かす。その声が秋声と重なるとは作者の芸が見事。
始まりは終りへ続く秋思かな 伊藤 ひとみ
 こう言われると秋思とはかようなものかと思ってしまう。いわゆる堂堂巡りと言うか切ないほどの思い。たしかにそれは秋の思いに合っている。
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邸宅の秋に遺りし旅鞄 斎藤 いづみ
 豪壮な邸宅に遺された主の鞄。この鞄は一昨年とかのものでは無く百年は経過した古き佳き時代のものだろう。邸宅なのだからその家の大層な遺品だろう。
華麗なる家族からつぽ蔦灯る 斎藤 いづみ
 「華麗なる一族」という小説などもあった。一族郎党の悲哀や葛藤などがそこにある。そこは蔦が絡まる洋館。その歴史は喜怒哀楽の歴史。
空席のまま木の実時雨のベンチ 横田 美佐子
 空席がせつない。それを観察する作者の心情まで察せられる、これは詩情の句。
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雲と雲重なるところ秋の声 渡辺 彰子
 この発想はもの凄い。雲の���き来を見ながらの写生。しかし写生を超えるとはこのこと。
これよりは鏡の間なり秋の声 緒方 愛
 これはまた豪壮なる邸宅。この秋声は嘗ての住人のものか。累代の祖のものか。
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華やかに滅びゆく香や秋薔薇 栗原 和子
 薔薇こそは華やかに萎れる。その季題の本情そのものの句。俳人より詩人の感性。
ビロードのソファに露の身を沈め 渡辺 光子
 これまた豪華な哀愁の作品。露の身なのだからそのソファーに哀惜を感じた。
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まねき猫ひとつ売れては秋を呼ぶ 竹内 はるか
 まねき猫はあまり売れない。たまたま売れた頃に秋がやって来る。それは真実。
流星のかの世に消えてゆきにけり 続木 一雄
 大きな句だ。三次元の句ではなく四次元の句。それにプラス詩情の句。
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chamoto · 3 years ago
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- Nijo-jo Castle Ninomaru Palace KYOTO GRAPHIE 京都国際写真祭 2021 ECHO @kyotographie . . #片桐功敦 #四代田辺竹雲斎 #小原一真 #ダミアンジャレ #echo
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oldtimejapan · 4 years ago
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四代目田辺竹雲斎 「水の恵み」 竹細工
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innocent-3 · 4 years ago
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「獅子身中の虫鈴木貞一」より
…皇道派の連中は概して陰性な者が多かった。真崎(甚三郎)、柳��(平助)、小畑(敏四郎)、鈴木(率道)、秦(真次)などは蛇の肌に触るようなつめたい感じがした。荒木(貞夫)は秘書官と酒のみ競争するような茶目気があり、比較的陽気なところがあった。青年将校の信望を集めたのも、一つはそのせいであったと思われる。…
 皇道派の変わり種として、いま一人の珍し��人物を紹介しておこう。鈴木貞一である。第二十二期だから鈴木率道と同期だ。支那駐在から任満ちて参謀本部に戻ったが、肝心の支那班で「彼は支那班に置くような者ではない。もっとしかるべきところに」といって収容しない。他の部課でも「ああ、こちらにはいらないよ」とみな敬して遠ざける。頭脳もよし手腕力量ともに凡庸ではないが、どういうものか同期生から好まれない。同期生といえば同胞よりも親しい。血をすすりあった盟友だ。それから排斥されるんだから、よほどの大器に違いない。それを聞いた軍事課長の永田鉄山が「それじゃ、俺のところにもらおう」という。軍事課の者が「ゲテモノ食いもたいがいにしなさい。彼を抱えこんでは課長が食われますよ」と散々忠告したが「まさか」といって採った。
 駑馬も騎手が良ければ駛る。いわんや鈴木は千里の馬だ。騎手は古今の名手と来ているから、正に天馬天をいくごとく見えた。「鈴木はいいだろう」と永田は鼻をうごめかしていた。鈴木も永田の知遇に感じたか、御奉公第一と勤めているうち世の中が変わって来た。荒木が陸相としてその一党を率いて乗り込んで来た。永田と意気投合していた小磯(国昭)は軍務局長から次官に棚上げされた。荒木の髭の塵を払わねば立身出世かなわぬ雲行になった。永田は新軍務局長山岡重厚が素人だから、従来より一倍骨を折ってこれを補佐しているが、山岡は事務などはどうでもよい。永田の言動を厳重監視するのが役目である。
 永田は人からはゲテモノ食いなど冷やかされるが、どんな者でも一芸一能に秀でている者ならばりっぱに使いこなす。鈴木など好例であるが、その他の軍事課員も一癖も二癖もある。腕に覚えのある侍どもだ。大臣がかわろうが局長が動こうが、俺は俺の道をいくという構えでジタバタする者はない。それぐらいの面魂は持って��るのである。ところで、某日、筆者が山岡を訪れた。その頃はすっかり仲よしになっていた。
「おい、珍しい物を見せようか」
 山岡は応接室から自室に引き返して持って来たのは汚い鞘に納められた短刀である。
「拝見します」
 と抜いてみるとさびついている。銘はない。むろん筆者にはわからない。「何ですか」ときくと「俺にもよくわからないが、関もので兼房あたりではないかと思う。物は大したものではないが、まあ窓をあけるぐらいの価値はあろう」と卓子の上に載せ、「問題はこれを持って来た者だ。誰と思う」わかりませんと答えると「貞一だよ、鈴木貞一だよ」と言って笑う。「彼が北京とか天津とかの古物屋のガラクタの中にあったのを発見して、掘出物ではなかろうかといって持って来たんだ。彼は平素刀などひねくりまわしているのかい」と愉快そうに笑う。山岡は皮肉屋である。彼には鈴木がどういう意味でこんなものを持参したかを知っているのだ。それを筆者に言わせて拍手しようという魂胆だ。山岡が刀剣以外には何の趣味も道楽もない木強漢であることは部内周知の事実だ。酒を持ちこんでも菓子折を持参しても何の効顕もない。もし、刀剣を持ちこめば相好をくずして喜ぶ。この点はまことに弱い。持ちこむといっても贈物ではない。鑑定だ。贈物となれば少なくとも山岡の所持している以上のものでないと喜ばないだろう。現に長光とか国安とか稀代の国宝級のものを持っている。それに匹敵する物は、まず手に入るものではない。そこで鈴木はこの山岡最大の弱点をついたのである。
 山岡が積極的に悪口を言わなくなれば、皇道派の連中は大抵信用する。面と向かっても罵倒するし、陰での批判など痛烈無比だ。皇道派とは因縁のない板垣征四郎を呼ぶに、まともに言ったことはない。「板(パン)」である。「板」がまた支那人にだまされてウンと金をとられた。「彼は板じゃなくて白(パイ)だよ。白痴だよ」という。金をとられたという事件の内容は忘れたが、おおむねこの類だ。彼の口に上らなかったのは武藤、荒木、真崎の三守護神くらいだが、それでも荒木については善意の悪口はのべていた。鈴木はその後も、長いもの短いもの幾口かを持ち込んでいた。山岡は役所でもろくな仕事はしていないんだから、役所に抱えて行って局長室に投げこんでおけばよいのを、わざわざ自宅に持参するところに彼の狙いがあった。かくて、皇道派のメンバーの一人の如く振舞うようになってから、永田に対する態度は次第に冷ややかになった。つめたくなるば���りではすまない。皇道派に永田の悪口を注進する。
 鈴木はしばらく新聞班長をしたことがある。上着の内ポケットがいやに硬直している。「機密費でもしこたま入れてるのかい」というと、「ばかを言え、これだ」と取り出したのは短刀だ。見ると月山貞一の作である。「僕と同名だし、なかなかいいできだろう」と得意である。 月山は帝室技芸員か何かになって、晩年は知られたが、日清戦争頃までは鍛刀の依頼者も少なく、やむなく古刀の擬物を打っていたと伝えられる。擬物でもすぐ発見されるようなものでなかったから、その技術は高い水準にあったらしい。それにしても贋物作りをするような人物は感心できない。それはそれとしても、何のために新聞班長が懐ろに短刀を呑んでいなければならないか。それほど彼の身辺は危険だったのか。真に護身用なら赤の他人に誇示するようなことはないはずである。また、手をのばせば届くところに、日本刀を仕込んだ軍刀を置いている。どこから見ても不必要だ。それを見せるキザな態度に筆者は、しばらく胸の悪くなるのを覚えた。
 斎藤内閣のとき、何かの要件で鈴木は高橋(是清)蔵相を訪れた。大いに気おって蘊蓄を傾けて老蔵相を説き、ことに陸軍予算のみならず、国家予算全体についても話したらしい。高橋は鈴木の階級も何も知らず、おそらくポストも知らなかったろうが、ともかく数字をならべて説くところがなかなか堂に入っている。感心して鈴木が出て行ったあとで、次官か秘書官かに「今来てしゃべって行った兵隊はあれは主計か」と尋ねたそうだ。この話が陸軍に伝わり鈴木の耳にも入った。「君は主計に間違えられたそうだね」というと怒るかと思いのほか、満悦である。大蔵大臣に主計と間違えられるほど、俺は数字にも明るいんだと誇りたいんだ。渋谷美竹町の彼の自邸は、佐官級としては過ぎたりっぱなものであった。応接室も広く、周囲に飾られている物はみな中国のものだ。新聞記者が行くと、なかなかの御馳走を出す。ウィスキーなんか本場物を幾種類か出し、時には上等の中国の酒を振舞う。酒好きの記者はしばしば鈴木邸を夜襲したらしい。そういうことをするのが弘報宣伝だと心得ていたのだ。
 さて、世の中はまた変わった。荒木が引っこみ林(銑十郎)が出て来た。その直後のことである。筆者は毎朝犬の運動のため、渋谷、駒場方面から方角違いの中野、杉並、八王子近くまで自転車で走りまわっていた。その途中に知りあいの家があれば、遠慮なく叩き起こす。仲には「どんなことでもきくから朝起こすのだ��は勘弁してくれ」と泣きつく者もいた。家を出るのは薄暗い頃だから、運のわるい者はほんとうに夜半のつもりでいる。渋谷方面では永田も被害者の一人だ。しかし、その頃は旅団長をしていて、夜ふかしは少ないはずだから、帰途に垣根の外から「永田さん」と呼ぶ。美しい夫人が縁側に三つ指つくときは、まだ起きていない証拠だから素通りする。ところで、その朝は筆者の行ったのが少し遅くなってはいたが、珍しく庭に出て楊子をくわえている。そして先方から声をかけた。
「オイ、ニュースがあるぞ、こっちに入れ」
 永田がそんなことをいうのは稀有だ。「何ですか」と犬をつれて庭に入って縁に腰かけるとこういうのだ。
「鈴木貞一が来たんだよ。御近所まで参りましたからといってね」
「鈴木は美竹町ですぐ近所じゃありませんか。今まで訪ねなかったんですか」
「来るものか、そして省内の事情や何かをききもしないのにいろいろしゃべって行ったよ」
「閣下が軍務局長にでもなると見たんですね。ほんとうにそんな気配が感ぜられますか」
「いろいろの情報や脈引きに来る者はあるよ、だが御免だよ、毎朝馬に乗って軍隊のことばかり考えていればよい旅団長は、めったにやめるわけにはいかないよ、ことにこんな御時世ではね」
 林が就任すると間もなく、永田軍務局長説が出た。筆者は渡辺(錠太郎)から、林はつっかえ棒なしでは乗りきれない。永田は迷惑だろうが軍務局長になってもらわねばなるまい。林もその気でいる。しかし、実現するまでは新聞に書いてくれるなよ、書けば彼らが騒ぎ出すからと堅く差し止めされていた。しかし、部内でも永田出馬説がでるし、他の新聞にも書き立てている。そういう際だったので永田の真意を打診したのだが、やはり永田は出ないと言っている。けれども渡辺が強引に林を説得しているから、所詮出なければならなくなるだろう。渡辺のことは伏せておいたが、結局引っぱり出されるだろうことを話した。永田は「困る、困る」を連発して、憂鬱そうだった。
 昭和九年三月の異動で、永田は軍務局長となった。鈴木貞一は永田の下で羽ぶりをきかせたかったらしかったが、こんどは永田もそうはしない。陸大主事に追った。小畑幹事の下だからうまく行くはずだが、林陸相出現以来の鈴木の豹変振りが皇道派を痛く刺戟した。彼は何をするかわからぬという疑惑がある。俊敏な小畑がそれを見損ずることはない。新聞班長時代には千客万来だった鈴木邸にも、雀が門前に巣をかけるようになった。だが、それぐらいのことで尻尾をまくような鈴木ではない。小畑にはつとめて媚態を呈するとともに、新聞班長時代に開拓した政界という新分野に���首を突っこんで行った。侯爵井上三郎は砲兵大佐で現役を退き貴族院にいる。現役時代から接近している。西園寺公の秘書原田熊雄は以前から食い込んでいる。原田から近衛、木戸の方につながる。
 五・一五事件のあとではあり、政治家はみな陸軍のことを知りたがっている。それには鈴木は最もよい情報屋である。原田日記にも鈴木の名はところどころに出ているが、林が陸相辞任騒ぎをおこしたときでも、鈴木は原田に荒木、真崎らの動向を伝え、こういう風に西園寺公に報告してくれなど注文している。政友会の方では、五・一五事件が政治家のだらしなさに対する警告だったことなど忘れ、また軍部をのさばらせることが、いかなる結果を招来するかも慮らず、いたずらに政権をとりたい野心から、しきりに軍部の機嫌をとる。森恪などその第一人者だった。鈴木は森恪の存在を重視しないはずはなく、ここを窓口として政友会に近づく。かくて政界で流行児になった。現役軍人としているのもよし、退いて政界にいづるも不可なしと、彼の地盤は漸次強固になる。ここらの手腕は実に鮮やかなものであった。
 永田軍務局長時代であるが、小磯は第五師団長として広島にいた。筆者は満州からの帰途にはいつも小磯を訪問することにしていた。広島は急行列車が不便で、夜半でなければ通過しない。小磯は起きて待っている。大きな玄関を入ると上り口にりっぱな果物籠が置いてある。小磯は出迎えに出た夫人を顧みて「籠はまだ捨ててないじゃないか」となじっている。夫人は困ったという顔つきで笑っている。どうしたのかときいてみると
「その籠にはふれるな、けがらわしいんだ。名刺かなにかはさんであるだろう、それを見ればわかる」
という。電灯の光でのぞいてみると鈴木貞一の名刺だ。
「鈴木が広島を通過したが、次官の関係でお伺いできないから、閣下に宜しく伝えてくれといって、多分駅にいた憲兵にでも頼んだんだろう、俺の留守中に届けられているんだ。胸糞が悪いから捨ててしまえと言って置いたのに、まだそこに置いている」
 なるほどそれでわかった。その頃は小磯が中央部に出て、航空本部長になるかという噂がたっていた。その先物を買ったのだろうが、小磯としては次官、関東軍参謀長時代の鈴木の仕打ちには我慢ならぬものを感じていたのだ。
「捨てるのはもったいない。名刺さえ捨てておけば中身は上等な果物ばかりです。一つ食いましょう」
 と名刺を土間に捨てて、籠を持って応接室に入った。小磯は機嫌がわるい。
「そんなものを食うより、今夜は虎の肉を食おう。山下亀三郎が朝鮮か満州かで仕留めたと言って���虎の肉を送って来ているんだ。この方がさっぱりしとっていいよ」
 とさっそくすき焼きにして食ったが、肉が堅くてだめだった。それよりこの方がいいと、メロンや何かを食った。先物を買ってまた一儲けしようと考えたのだろうが、小磯は中央にもどらず、朝鮮軍司令官になった。果物は贈り損をしたわけだが、彼にもたまには目算違いがあった。…
(高宮太平『昭和の将帥』、1973年、190-197頁)
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6 notes · View notes
series-fenicesacay · 3 years ago
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vol.15の特集は四代田辺竹雲斎! 伝統的な竹工芸でダイナミックなインスタレーション作品も制作されています。すごく大きくて密度のある作品も、竹だから軽いというお話がめちゃくちゃ印象に残っています。あと、工芸だからアート作品でもやわじゃない感じでした。かっこよかった。
▶︎全文はフェニーチェ堺公式HPのPDFからどうぞ! https://www.fenice-sacay.jp/wp-content/uploads/2021/08/fs_vol15.pdf
▶︎四代田辺竹雲斎HP https://chikuunsai.com/
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shakuhachi-kataha · 4 years ago
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第21回ミニ講座 楠正勝、即ち元祖虚無僧・虚無登場!
「虚鐸伝記」を読み解く 其ノ五!
 
 
 
前回は、寄竹が虚空蔵菩薩堂でみた夢のお話、古伝二曲伝説でした。(張伯から代々吹き継がれていた曲はどーなっちゃったの!?ですが)その後、霧海篪 mukaiji、虚空��� kokujiの二曲は吹き伝えられていきます。
 
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虚無初見虚風之図
江州志賀里虚風住居
(近江の国、志賀の虚風の家に虚無が会いに行くの図)
「虚鐸伝記国字解」より
 
 
 
 
以下、漢文が「虚鐸伝記」
かな文字入が「虚鐸伝記国字解」です。
その下に私の簡単な日本語訳。
 
 
 
 
 
 
晩年在于洛東徘徊于皇城終傳此音塵哉塵哉傳之儀伯儀伯傳之臨明臨明傳之虚風傳之虚無
 
 
「寄竹晩年、洛東にありて、皇城(こうじょう)を徘徊して、ついにこの韻を塵哉(じんさい)に伝う」とは寄竹は年寄らるるまで、都の東に住みて、折々は王城の近辺を徘徊して、行き来せらるるが、ついには虚鐸、霧海篪、虚空篪を塵哉に教え、塵哉は儀伯に教え、儀伯は臨明に教え、臨明は虚風に教え、虚風は虚無に教えし事也。これらはまことに、実を教え伝えし事を明せり。
 
 
晩年、寄竹は京都の東に住んで近辺を行き来していた。そしてついに、霧海篪、虚空篪を塵哉に教えて、塵哉は儀伯に教え、儀伯は臨明に教え、臨明は虚風に教え、虚風は虚無に教えた。
 
 
 
 
 
 
 
虚無即敏達帝後胤楠正勝也南朝微而一門盡没義気雖烈勇志雖剛知時之不可爲蟄入淡海之中會虚風而嗣此伝
 
 
 
「虚無は即ち敏達(びだつ)帝の後胤(こういん・子孫)楠正勝也。南朝微にして、一門ことごとく没しぬ。義気烈(ぎきれつ)なりといえども、勇志剛(ゆうしごう)なりといえども、時のなすべからず事を知り、蟄して淡海の内に入り、虚風に会(かい)して、此の伝を嗣ぐ」とは虚無は楠正勝にて��り。此時、南朝は後醍醐天皇の御系なりしが、軍利なかりしゆへ、よしのの皇居、しだいに衰えさせ給い南北利合の比なれば、楠、是非無く、世をのがれたり。忠義に心をかためて、大勇のこころざしありといえども、此時いくさ起こしてもすでにかたむきしうへは、よろしからざる事を能知りて、蟄すたる也。蟄は蟄居にて冬虫のとぢこもりたる事也。其ごとくにしばらくとぢこもり居られけるが、いつまでかくて有べきなれば、しづかに近江の国に立越えて、虚風にあふ。虚風も常ならぬ、士なれば、虚鐸の伝をさづけければ、虚無是をうけて時節をうかがひし事也。【敏達天皇】(びだつてんのう、538 - 85年 日本の第30代天皇)
 
 
 
 
虚無とは敏達天皇の子孫、楠正勝のこと。南朝破れ一門は壊滅。勇ましく強かったけど、どうすることも出来ず、隠居して近江に居た虚風に会って尺八を教わる。
 
 
 
 
不剃髪不著法衣服俗衣不爲文穿掛絡抱米嚢完圓笠以蔽面
 
 
是はそれより、虚無が身のふるまひをかきし事也。其かたち、髪を剃らずとは、有髪の姿にて、坊主になる事をやめし事也。法衣を着ずといふは、衣をきずして、俗衣を着たる事也。俗衣とは、常に人々の着るもの也。文をなさずとは、文、模様、縞類を着ざる事也。掛絡(かけらく)を穿ちとは、掛絡は小さき袈裟の白條あるをきる也。略せるもありと見えたり。穿ちとはかける事也。米嚢をいだきとは、今の三衣袋をかけし事也。完圓笠以(かんえんりつをもっ)てとは、顔をおおふ為に、あみ笠の丸きをもって、かくせし事也としるべし。
 
 
 
虚無は髪を伸ばしたまま、坊さんの格好はせず模様無しの普段着で、小さめの袈裟をかけて、その上に三衣袋をかけて、顔を覆う為に丸い笠を被った。
 
 
 
逍遥于城市戸戸発虚鐸
 
 
 
「城市に逍遥してここに虚鐸を発す」とは右のかたちにて、所々の城下町々村々の家々の門戸の外にて、虚鐸を吹き、修行し歩かれし事也。
 
 
 
虚無は城下町を行き来して家々の前で虚鐸を吹いたとさ。
 
 
 
 
 
 
「虚鐸伝記」の内容は今回はここまで!
 
 
 
ここで、この中に出て来る虚無僧用語、
乾坤張(kenkonbari)、不生不滅 (hushō humetsu) の「乾坤張」について詳しく調べました。
 
 
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(「虚鐸伝記」国立国会図書館蔵) 
 
 
乾坤張 不生不滅
 
是は小板をもって為之。一面には乾坤張書の三字、一面には不生不滅の四字を書し、歩行にこれを持つ。是は中をゆいつくる事なり。長さ大小によるべし。
 
 
 
 
 
と書いてあります。
虚無僧は乾坤張 不生不滅と書いた板を持ち歩いたそうです。次回のミニ講座の回での虚鐸伝記に書かれているので詳しくは次回ですが、「乾坤張」(けんこんばり)とは「乾坤板」とも言い、旅の虚無僧が持つ木札で、つまり位牌であり、行き倒れで死んだ時の墓標であるそうな。
寺によって書かれている文字に違いがあるようで、「不生不滅」のほかに「凌霄峰頂看雲人 普化堂中第一祖」とか「吹けば行き吹かねば行かぬ浮雲の風にまかする我が身なりけり」など書かれていたそうです。
 
 
 
墓標を持ち歩くとは…。
そんな覚悟で旅にでます?
 
 
 
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私が使っている餉箱は高橋虚白師が作ったものを譲り受けたのですが、そこに乾坤張��不生不滅と書いてあり、虚鐸伝記を読むまでは何の事か分かりませんでした。不生不滅は般若心経にもあり、仏教用語で「何ものも生ぜず,また滅びないということ。 輪廻の世界から解放された世界観に立つと,絶対的な実在はないということを表現するときに用いる言葉」と、調べればすぐに分かるのですが、乾坤張はよく分からない。乾坤は天地だとか、陰陽のことだそうですが、乾坤張に関しては辞書でもネットでも分からない。
 
 
 
早速、尺八研究家の神田可遊氏のに質問したところ、中塚竹禅著「琴古流尺八史観」に書いてあるとの事。詳しく頁まで教えてく下さいました。んー、世界でここにしか乾坤張の説明が無い。という事なんですね。。。。何でもネットに出ているわけではない。結局、この中塚竹禅の本は、尺八の歴史や用語の辞書みたいなものなんですね。ただし、全部読まないと何がどこに書いてあるかは分からない…。これ丸ごと一冊誰か英訳したらいいのにねー。
 
 
 
 
その他、別の乾坤は虚無僧が持っていた持物の別の物の意味もあり、ややこしい。
  
 
 
 
【乾坤(ケンコン)・六腑(ロクフツ)】どちらも紙製の袋で、乾坤には寄進された銭を納め、六腑には寄進された米穀を納める。これが虚無僧の作法で、布製のものを使うものは偽虚無僧だとされたが文化年間より布袋を持つ事となる。俗に紙袋。要するに乾坤は天地乾坤の意で何もかも一切を包容すという所から虚無僧の所持品を一切入れる為の袋、六腑は五臓六腑の事で腹の中の一切という事で食物を入れる袋という事。
 
 
 
  
 
こちらの乾坤は袋の名前。
「六腑」を食べものの入れ物の名前にするとは中々面白いネーミング。
 
 
 
 
 
今の箱形の偈箱になったのは江戸時代後半のようです。お米よりも現金になったからのようで、んー。お金がものを言う時代になっていったということですね。
 
 
 
 
私も、お米でも有り難いな〜とは思いますが、やっぱり現金のほうがもっと有り難い笑。
 
 
 
 
さて、楠木 正勝についてザッと調べました。
 
 
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「前賢故実」 巻第10 菊池容斎 (武保) 著 明治36年
(国立国会図書館より)
 
 
楠木 正勝(くすのき まさかつ)は、南北朝時代、南朝および後南朝の武将。南北朝合一時の南朝方の総大将。楠木氏の当主。楠木正儀(まさのり)の嫡男で、楠木正成の孫にあたる。
 
父正儀の没後、斜陽の南朝を支え、軍記物『後太平記』でその戦術が太公望呂尚(たいこうぼうりょしょう)にも喩えられるほどだったが、大局は覆せず、1388年に平尾合戦で敗北し、さらに1392年楠木氏の本城千早城(ちはや)を喪失した。同年閏10月に南北朝が正式に統合してしまった後もなお室町幕府に徹底交戦するも、1399年応永の乱の敗走中に負った創傷により、翌1400年に死亡した。
仏教界では、正勝は戦を重ねるうちにこの世が無常であることを知り、死を偽り身分を隠し、悟りを得て後半生は仏僧として活動し続けたというような伝説が生じた。普化宗中興の祖の一人である虚無(きょむ、こむ、一説に虚無僧の語源)や、曹洞宗の禅僧・傑堂能勝(けつどう のうしょう、足利義満から崇敬された高僧梅山聞本の後継者)あるいは正巌徳勝(しょうがん とくしょう)などにそれぞれ「楠木正勝の出家後の姿であった」とする伝説がある。正勝を虚無と同一人物とする伝説は、尺八の起源を説く18世紀末の『虚鐸伝記』にも登場し、和楽器史上にも足跡を残している。また、浄土真宗本願寺派4世善如(ぜんにょ)から浄土真宗を学んだと言われ8世蓮如(れんにょ)の片腕であった浄賢は正勝の孫と伝わる。
 
 
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歌川 芳虎 画「大日本六十余将」「和泉 楠正勝」
演劇博物館所蔵
 
 
 
 
おお、勇ましい!
ですが、結末を知っていると何ともその背中に悲壮さが滲み出ているような…
 
 
 
正勝の父、正儀死後に楠木氏の勢力は急速に衰え、わずか300余騎を残す程度であったが、北朝の武将山名氏清は正儀に苦しめられた経験から、楠木氏はあえて劣勢を装っているのだと過剰に警戒し、楠木軍と山名軍は膠着状態にあった『後太平記』はこの様子を『三国志』の「死せる孔明生ける仲達を走らす」の故事で喩えている。
1388年8月17日未明、子飼いの精鋭騎兵200を含めた1000余りの手勢を率い、紀伊国から帰京の途にあった室町幕府第3代将軍足利義満を奇襲しようと企てる。しかし、赤坂城に駐留中の山名氏清に動向を察知されており、河内国平尾に先回りされ、自軍の4倍近い3500余りの兵と戦うことになる。正勝は奇策や挑発など手を尽くしたが、氏清は慎重に慎重を重ねて徹底防御を貫いたため、正勝の軍が疲弊してきたところを狙われ、最後は数的優位を活かされて散々に打ち破られた。これを平尾合戦(ひらおかっせん)と言い、この敗北により南朝の滅亡は決定的となり、4年後の1392年には楠木氏の根拠地である千早城が陥落し、最終的に南北朝合一に至った。
その後、1399年、守護大名大内義弘が応永の乱を起こし、室町幕府に対し反旗を翻すと、正勝もこれに呼応したが、境に3か月余篭城の末に、反乱軍は幕府軍に敗れ、決着がついたことを知った正勝は、玉砕していたずらに死ぬのは無益であるが、降伏するのもまた恥である、と言って退却し、大和路に向かって逃走した。
敗走中、戦闘で負った傷が悪化し、1400年に死去。
(参照wikipedia)
 
 
 
死んだ事は分かっている事なのに、いろんな伝説が生まれているということは、戦で死なせるにはもったいないキャラクターだったのでしょうかね。
もしくは、利用するのにもってこいの境遇だったのか。
 
 
 
 
 
尺八史においても、この南北朝の時代は空白の時代でもあるんですよね。史料がほとんど残されていません。混乱期で世の中尺八どころではなかったか、貴族から民衆へ尺八は渡った時期で、文字で残さなかった時期でもあるようです。
詳しくはこちら↓
 
「尺八空白の100年に何があったのか!?」
https://shakuhachi-kataha.tumblr.com/post/615096065393360896/%E5%B0%BA%E5%85%AB%E7%A9%BA%E7%99%BD%E3%81%AE100%E5%B9%B4%E9%96%93%E3%81%AB%E4%BD%95%E3%81%8C%E3%81%82%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B
 
 
 
 
劣勢と分かっていながらも戦い抜くという姿勢が何やら日本の死生観の美的感覚をくすぐるのか知りませんけど、死んでも尚こうして後世の人々に語り継がれる、楠正勝氏は、本当は一体どんな人だったのかお会いしてみたいものです。
 
 
 
 
 
 
さて、次回は『虚鐸伝記』の最終回!の予定!
 
 
 
お楽しみに〜🎵
 
 
 
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1 note · View note
kachoushi · 3 years ago
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各地句会報
花鳥誌 令和3年8月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
……………………………………………………………… 令和3年5月1日 零の会 坊城俊樹選 特選句
海までの二キロを歩く五月かな 小鳥 母の日やわたしのなれなかつたわたし 公世 絶海へ日覆のなき舟を出す 光子 海を見て海を触れずに行く春を いづみ 南風のつまづきやすき摩天楼 悠紀子 徒労でしたあれは蜃楼でした 光子 白南風やアンチテーゼの一行詩 同  棒となり水著の母の佇める 順子 絢爛に罠を編みあげ蜘蛛をらず 同  さまよへるオランダ人と夏至白夜 公世 海の向かうこんなに遠き五月かな 美紀 昭和の日池袋演芸場休む 公世 まどろみのたつぷりとして藤の昼 美紀 知盛の飛び込みし海大南風 佑天 糸遊を置き去りにして小海線 要   凱風といふ柔らかな南風 佑天 夏蝶の急に曲がりて倉庫街 小鳥
岡田順子選 特選句
絶海へ日覆のなき舟を出す 光子 海を見て海を触れずに行く春を いづみ 持ち上げて放つ扉や夏の海 和子 山藤の貴きをさげて村の口 慶月 葉桜の蔭の娘は誰とゐる 三郎 大百科ありし空間昭和の日 眞理子 胎内の記憶は春の波の音 きみよ 真つ白に夜を濁して南風の吹く いづみ 海亀消えし夜は上弦の海原 瑠璃 惑星に南風吹かば月に海 いづみ
(順不同特選句のみ掲載) ……………………………………………………………… 
令和3年5月6日 うづら三日の月 坊城俊樹選 特選句
友訪へば無人の駅に遠��� 由季子 田植ゑすみ腰掛語る畦の端 さとみ 朴の花一風ごとに散華せる 都   雲水の衿足青し寺薄暑 同 
(順不同特選句のみ掲載) ……………………………………………………………… 
令和3年5月6日 花鳥さヾれ会 坊城俊樹選 特選句
花月夜名残の花の散ることも 雪   此の路地も海へ出る路地春日傘 同  後手を組みて即ち春惜しむ 同  卯波寄す礁に白き飛沫立て かづを 風棲める東尋坊に卯波打つ 同  楊貴妃かクレオパトラか牡丹散る 清女 山車見上げほろ酔ふ爺の茶碗酒 千代子 夏のれんかけて母者の独り言 雪子
(順不同特選句のみ掲載) ……………………………………………………………… 
令和3年5月8日 札幌花鳥会 坊城俊樹選 特選句
若葉風ポプラは広き空を持ち 寛子 街抜けてただただ碧き初夏の海 のりこ 烏賊の墨手に受け流す釣師かな 岬月 一夜干す烏賊に対馬の海明かり 同  郷愁や草笛濡れて届かざる 同  大漁や城の桜に迎へらる 雅春
(順不同特選句のみ掲載) ……………………………………………………………… 
令和3年5月10日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
金盞花こんなに咲かせ晴女 一枝 人のなき遮断機炎天下に下りる 世詩明 新茶古茶口述筆記してゐたり 同  琵琶湖辺の古き灯台亀鳴けり 三四郎 内緒事しまひきれずにソーダ水 上嶋昭子 鐘を撞く牡丹かすかに揺れにけり 中山昭子 妖精の生まれさうな緋の牡丹 信子 葉桜になりて堤防静かなり 錦子 何時も何時も待つばかりでは春日傘 上嶋昭子 更衣羽化して少女立つてをり 同  時止まる一部屋のあり竹の秋 同  囀や椨の大樹に祠あり 中山昭子 カーネーション捧げる母は車椅子 すみ枝 噴水にまつさらな朝来てをりぬ 上嶋昭子 田植機の揺らぎて入る重さかな みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年5月10日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
こんなにも美しき花とは姫女苑 和魚 切り口の虹色滲む初鰹 美貴 品書きの達筆跳ねる初鰹 同  夏場所も横綱不在なる軽さ 秋尚 海の色残して光る初鰹 同  逆上がりあともう少し姫女菀 美貴 江戸つ子の思ひは知らず初鰹 和魚 土匂ふ雨の急坂姫女菀 美貴
(順不同特選句のみ掲載) ……………………………………………………………… 
令和3年5月11日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
厨には筍茹でる鍋滾り あけみ 白靴や盲の人の朗らかに 登美子 朝の声風を動かし燕飛ぶ 光子 赤色のつつじばかりが植ゑられて 紀子 花の塵籠めてお濠を染め上げる 同  はつなつや浜大根と海風と みえこ ぢいちやんの筍の山地図に無く 登美子
(順不同特選句のみ掲載) ……………………………………………………………… 
令和3年5月11日 萩花句会
山法師思ひ出重ねし旅カバン 祐子 初鰹薬味談議で盃重ね 美恵子 時の花ドラマで咲かせ橋田散る 健雄 柏餅ほどの重さの命かな 吉之 読み物の上で遊ぶや柿若葉 陽子 思ひ出の夏のゲレンデひとり佇つ ゆかり コロナ禍も堂々帰省夏燕 明子 初鰹土佐の女将と差しで飲む 克弘
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令和3年5月12日 立待花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
生ビール奢りし男前に酔ふ 世詩明 母の日や般若の面の美術館 ただし 里山の夏軍馬の碑偉人の碑 清女 玄関の梁に田舟や夏来る 誠   みどり児の五指のきらめき若楓 秋子 縦の物横にして生き菜種梅雨 同  それぞれの香りほのかに芽吹きけり 同 
(順不同特選句のみ掲載) ……………………………………………………………… 
令和3年5月14日 芦原花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
翻る開店の旗若葉風 よみ子 夏落葉目鼻薄れし道祖神 同  ひとしきり騒ぐ鴉や梅雨兆す 同 
(順不同特選句のみ掲載) ……………………………………………………………… 
令和3年5月14日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
更衣マリア地蔵の赤子とて 都   斎場の窓に縋りて夏の蝶 悦子 母の日の鏡台在りし四畳半 宇太郎 疫病を恐れ家居の草を引く 和子 海芋剪り白の陰影活けにけり 史子 灯籠にクルスの黙示卯浪立つ 都   湯屋跡の煙突射止め夏の月 悦子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………���…………………………………… 
令和3年5月16日 伊藤柏翠俳句記念館 坊城俊樹選 特選句
遠蛙孫より長き便りかな かづを 鯉幟胴復さけて裏返り ただし B 面ももうあと少し白牡丹 すみ枝 若楓暗き狭庭を明るうす 芙美子 新緑に吐く息までもみどりめく 輝子 素十句集読み耽りたる大朝寝 清女 此の花も散る為咲きし白牡丹 富子 香水を匂はす女名告待つ 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ……………………………………………………………… 
令和3年5月16日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
風に消えまた風と来て句碑の蝶 三無 紫陽花や観音の指濡れたまひ 佑天 薔薇園へフランス人形抱き来り 千種 出会ひたる薔薇の門より伊予ことば 幸子 蛇出でて狭庭の遠くなりにけり 芙佐子 朴の花一つ一つに仏乗せ 三無 園薄暑裸婦像バラをにぎりしめ 千種
栗林圭魚選 特選句
鳴り終る校舎のチャイム桐の花 ゆう子 開け放つ蕎麦屋の廊下若楓 久子 うたてしき日々は語らず二重虹 炳子 からたちの花の香仄か朝月夜 同  天道虫指で弾きて翔たせけり 同  鯉幟当主の腕に横たはる 久子 吊橋も木霊もゆらし若葉風 眞理子 城址へと玉巻く葛を払ひつつ 炳子 朴の花一つ一つに仏乗せ 三無
(順不同特選句のみ掲載) ……………………………………………………………… 
令和3年5月19日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
��城の今に残せし杜若 世詩明 大空やひふみよ数ふ鯉幟 千加江 薔薇の散り橋田壽賀子も散りゆきぬ 令子 いたづらに爪染めてみる日焼けの子 清女 手拭の喧嘩結びや夏祭 泰俊 寺遅日今に黒髪物語 雪   蝶飛べる影を見てゐて蝶を見ず 同 
(順不同特選句のみ掲載) ……………………………………………………………… 
令和3年5月21日 鯖江花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
春愁や今となりてはどちらでも 雪   話すまで聞かずと決めて花菜漬 上嶋昭子 古浴衣ぺたんと座る板だたみ 同  サンドレス一つ大きなサイズ買ふ 同  電灯の笠に守宮や駅舎旧る 同  父祖百年棚田はいまも田植衆 一涓 更衣夫の祈りは深かりし 洋子 代田掻く高き鉄塔揺れてをり みす枝 鐘を撞く薫風に乗り山里へ 中山昭子 朱の傘に雨を弾きて牡丹寺 同  新緑に翅休ませて去りにけり 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ……………………………………………………………… 
九州花鳥会  坊城俊樹選 特選句
道草や指より発ちぬ天道虫 孝子 飛魚の跳んで深海波立たす 喜和 飛魚の鳥でありたるころの夢 桂   天牛のぎいと写楽の寄り目かな 伸子 蛇苺裏切り者の匂ひせり 美穂 鯨尺は母の物指し鳥曇り 喜和 指きりの遠き記憶や陽炎に 光子 新樹照る重たきほどの葉をつけて 睦子 いまだなほ指先にある春愁ひ 光子 玄海を航くや飛魚従へり 佐和 昔日を蜘蛛の網より覗きみて かおり また二つ別れを惜しむ柿の花 さえこ いちにちの過ぎるはやさに夕焼けて 佐和 飛魚の先へ先へと壱岐航路 光子
(順不同特選句のみ掲載) ……………………………………………………………… 
枡形句会 栗林圭魚選 特選句
大寺の甍煌めく朴の花 文英 源流の山葵の花を少し噛み 美枝子 緑濃き葉に包まれて売らる蕗 三無 夏めくや街路樹高く風渡り 秋尚 蕗浸し仄と香のある夜の厨 百合子 閼伽桶に若葉明かりの水満たす 三無 磨かれし匙触るる音夏めきぬ ゆう子 花蜜柑島に嫁ぎて二児の母 美枝子
(順不同特選句のみ掲載) ……………………………………………………………… 
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fujiwara57 · 7 years ago
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Les plus belles œuvres des artisans contemporains japonais.
Bamboo Basket for ikebana 生け花  by the master
Tanabe Chikuunsai IV 四代  田辺竹雲斎 (1973 - ).
Tanabe "Takeo" Shouchiku III est le fils de Chikuunsai III (décédé en mars 2014). En 2017, il adoptera le nom d’artiste Chikuunsai IV, signifiant "nuage de bambou" et perpétuera ainsi une longue dynastie de maîtres vanniers.
Source : http://chikuunsai.com/
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bububonbo · 5 years ago
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2020/1/18 「竹工芸名品展│ニューヨークのアビー・コレクション」
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2020/1/18 「竹工芸名品展│ニューヨークのアビー・コレクション」
東洋陶磁美術館
たまたま近くで仕事だったので、閉館の30分前に滑り込みました。
今回の竹工芸展はダイアン&アーサー・アビー夫妻のコレクションの展示です。大分県が初回開催。東京展を経て巡回してきました。大阪が最終展示。今回は「ARTことはじめ」の割引を使っての入館です。
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美術館へ入るとロビーには巨大なインスタレーションが。四代目田辺竹雲斎の作品です。一階から見ると竜巻のようで、二回から見るとクモの巣のようです。普段何もない箇所に無数の竹が渦巻く様はまるで異次元のよう。ただただ圧倒されます。こんなに大がかりで素晴らしい作品ですが、展示の終了後は解体され、また新たなインスタレーションへと生まれ変わっていくのだそうです。
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本間秀明《流紋》
第一会場は「工芸」というよりは、モニュメントを彷彿とさせる作品群の展示でした。本間秀明《流紋》、本間一秋《いぶき》が好きです。竹本来の風合いやカラー、漆を使用したアクセント、様々な方向に形作られるシルエット。竹はまさに自由自在です。竹工芸といえば竹籠や簾のイメージが強いのですが、ここに来て竹のゲシュタルト崩壊です。
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田辺陽太《子供たちにささげる土》
しだいに古き良き竹工芸の展示へとなっていきます。展示ボックスによっては東洋陶磁美術館所蔵の陶磁器も隣に配置されるといういわゆる自社コラボ。この手法は東洋陶磁美術館ならではですね。
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《五彩 牡丹文 盤》《牡丹花籃 富貴》牡丹の花繋がり。
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《提梁花籃》《青磁陽刻 筍形水注》
ガラスに貼られた竹に関する文言も趣があって良い感じです。
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植松竹邑《涼風立つ》
奥に川が見えるのが、なんとも素敵。
ただ単に竹工芸を楽しむだけではなく、配置や演出へのこだわりも感じられました。
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竹取物語だ。
丸々一本の竹、裂いた竹、細く丸い竹、薄く平たい竹……。それら全部が全く異なる表情や性質を持ち、まるで違う素材に見えてもそれらは同じであるという必然性と矛盾を合わせ持つ竹。竹工芸の可能性が垣間見えた展示でした。
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anirecoposts-blog · 7 years ago
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戦国コレクション 謎の光によって史実とは別の戦国世界からき現代の世界へと現れた戦国武将たち。元の世界に帰るには武将たちが持つ秘宝を集めなければならないが、現実世界で暮らしていくうちにある者は元の時代に戻ろうと決意し、またある者は現実世界に残ることを決意する。 放送時間 テレビ東京 2012年4月5日 - 木曜 25:45 - 26:15 TVQ九州放送 2012年4月5日 - 木曜 25:45 - 26:15 テレビ北海道 2012年4月6日 - 金曜 26:00 - 26:30 テレビ大阪 2012年4月10日 - 火曜 25:30 - 26:00 テレビせとうち 2012年4月11日 - 水曜 25:18 - 25:48 テレビ愛知 2012年4月11日 - 水曜 25:30 - 26:00 AT-X 2012年4月12日 - 木曜 9:30 - 10:00 キャスト 小悪魔王��織田信長 大久保瑠美 泰平女君・徳川家康 花澤香菜 純愛天使・直江兼続 中原麻衣 聖乙女・上杉謙信 能登麻美子 独眼竜姫・伊達政宗 恒松あゆみ 斬神・塚原卜伝 原紗友里 識神・平賀源内 工藤晴香 風流人・松尾芭蕉 西明日香 三巫女(きつね巫女) 長谷川唯 三巫女(うさぎ巫女) 竹之内彩 三巫女(ねこ巫女) 高木友梨香 斬神・柳生石舟斎 木村はるか 斬神・伊藤一刀斎 小松未可子 剣聖・足利義輝 佐藤利奈 太閤娘・豊臣秀吉 名塚佳織 お茶道・千利休 早見沙織 野心姫・北条早雲 広橋涼 元帥姫・今川義元 清水愛 クノイチ・風魔小太郎 小清水亜美 女教師・太原雪斎 河合紗希子 凶悪乙女・松永久秀 田中敦子 舞桜・前田慶次 浅野真澄 銀蜂・杉谷善住坊 沢城みゆき 金牡丹・近藤勇 たかはし智秋 黒桔梗・土方歳三 渡辺明乃 白蓮・沖田総司 神田朱未 殲滅姫・最上義光 上坂すみれ 春陽愛君・劉備 堀江由衣 春陽愛君四ツ葉・大谷吉継 白石晴香 復讐ノ牙・明智光秀 日笠陽子 可愛・森蘭丸 松嵜麗 戦騎女王・武田信玄 新谷良子 華麗・片倉小十郎 今井麻美 お砂場・尼子経久 喜多村英梨
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yurars · 7 years ago
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日本美術のススメ─キーワードと巡るぶらり古画探訪─ 2017年7月15日[土]-8月27日[日] 群馬県立近代美術館 群馬県高崎市の実業家であり文化人であった井上房一郎氏が寄贈した「戸方庵井上コレクション」。いつも常設展内の一室で小企画としてこの戸方庵コレクションが内容を変えて展示されているのですが、「お?こんな人のまで蒐集してたの?」という幅の広さなんです。中国の南宋から清、日本の平安から江戸時代まであるそうです。江戸絵画で有名な板橋美術館に貸し出ししていることもあるんですよね。とても好きなコレクションです。 今回はそのコレクションに県内外の作品を加え、さらに群馬出身の画家・金井烏洲と小室翠雲に注目した、近世〜近代を幅広く紹介する展示です。前半では天然顔料・人口顔料・筆などの日本画材や、実習帖や写生画など絵を描く際に用いるものや基礎を紹介。狩野永納の本朝画史や北斎の画本色彩通などが展示されていました。わたしは速水御舟や小室翠雲の写生に興味津々でした。メインとなる中盤では「日本絵画のきらめき」と称して、狩野元信の室町絵画、長谷川宗宅や永徳の桃山絵画、江戸は探幽・安信などの狩野派、白隠・仙厓の禅画、宗達から中村芳中までの琳派、池野大雅・金井烏洲などの文人画、谷派の谷文晁、南蘋画の椿椿山、円山派の応挙、西洋絵画を意識した司馬江漢・亜欧堂田善に、浮世絵は広重や英泉と、時代を追いながら代表する流派と作家を紹介しています。たらしこみなどの技法もパネルで紹介していたり、同じ富士山図を流派・作家別に並べて比較しやすい工夫がされていました。けして大きくはない展示会場ですが、その制限の中で日本絵画を過不足なくコンパクトにまとめつつ、さらに密度も維持している充実した企画だと思いました。 この展示で「行ってよかったぁ〜」「出会えてよかった」と思ったのは、白隠の「座頭渡橋図」と椿椿山の「歳寒三友図屏風」です。前者は墨絵で、渓谷にある橋をわたる盲人を描いたシルエットの世界です。これまで見たどの白隠とも異なる作品で、線ではなく面で仕上げた直線的な仕上がりで、盲人が目の見えない中で命綱のない橋を渡る緊張感、体の強張りまでが伝わってくる、人体の動きの捉え方と表現力が極めて高い作品でした。ストップモーションのように2足で渡り始める盲人と半ばで恐怖のあまり四つ足で歩く盲人が描かれています。白隠の画風を尊敬していましたが、さらに知らない面を知り、幅の広さに驚きました。椿椿山もこれまで見たことがない作品でした。椿山にしては荒々しく寂寥感のある絵で、基本は墨一色で歳寒三友(松竹梅)が描かれています。激しい吹雪が起きているのか、松は斜めに走るように素早く描かれ、梅は小さく淡い色で咲いています。桐生市の個人が依頼したものだとか。たしか師の渡辺崋山の娘が桐生に嫁いでるので、その関係でつながりがあったんですかね。ちょうどキュレーターさんが安村敏信さんに解説しているところに居合わせ(登壇にいらしてた日でした)、「椿山らしくない作風ですよね」と話すのを聞きました。キュレーターさんからみても珍しいんだ。いいもの見ました。 前期後期ともに鑑賞して、後期は安村敏信さんの記念公演会に合わせて観ました。公演会では、安村さんが展示テーマ(桃山から近代までという幅広さ)に合わせながら、90分の時間ほぼきっかりに終演させて、日本絵画の魅力・歴史・各作家の魅力・研究者らしい視点での深みのある見解まで話されたので、それに何より感動してしまいました。他の公演会ではテーマから逸れてたり、時間配分を失敗している場面にもよく遭遇するので。安村さんの講義受けている学生は幸せ者ですわ。 この公演では、独学虫食い状態の知識が繋がったりと得るものが多かったのですが、おもしろいなあと思ったのは若冲です。絵画史からすると随分と変種で外れているんでしょうね。「なんで、このモチーフ描いたんだろうね」「もう15年近く人気だけど、なんでなのか分からない」「不思議な人です」みたいなことを、安村さんが若冲に関しては口にしていました。「墨絵から始まって、墨絵をみると巧みさがわかりかすよね」とも言っていて、若冲の彩色画より墨絵が好きな私は強く頷いてしまいました。若冲は来年・再来年も何か展示があるみたいです(規模はわからないけど)。 また、金井烏洲を「関東を代表する(一番の?)文人画家」として取り上げていらっしゃいました。金井烏洲は、わたしの出身の市の画家なんです。まったく地元民は知らない有り様なんですけど(笑)。わたしも数年前に戸方庵コレクションでしり、さらに最近になって文人画の良さを感じ始めたので、誇れる画家が活動した地にいることがちょっと嬉しくなりました。烏洲はIターン者で、わたしもそうなので親近感を感じます。地方でも活躍もできるし、腕も磨けるんですね。自分も怠けず、磨こ。 ◼︎お気に入り作品 座頭渡橋図/白隠慧鶴/江戸時代 朝顔図/酒井抱一/江戸時代/紙本金地着色 四君子帖/金井烏洲/紙本墨画/墨書一帖 歳寒三友図屏風/椿椿山/絹本墨画淡彩 富士山図/尾形乾山/江戸時代/紙本着色 秋月書屋図/金井烏洲
公式サイト http://mmag.pref.gunma.jp/exhibition/index.htm
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fujiwara57 · 7 years ago
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Les plus belles œuvres des artisans contemporains japonais.
Godai : art du bambou by the master
Tanabe Chikuunsai IV 四代  田辺竹雲斎 (1973 - ).
Installation de l'artiste japonais Tanabe Chikuunsai IV, représentant d'une lignée prestigieuse de maîtres vanniers. Cette œuvre monumentale a été présentée au public en 2016 au Musée national des arts asiatiques de Paris. Elle est composée de 8.000 éléments en bambou et représente l'entrelacement des cinq éléments : la terre, l'eau, le feu, le vent et le vide.
Source : http://chikuunsai.com/
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fujiwara57 · 7 years ago
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Les plus belles œuvres des artisans contemporains japonais.
Bamboo Basket for ikebana 生け花  by the master
Tanabe Chikuunsai IV 四代  田辺竹雲斎 (1973 - ).
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fujiwara57 · 7 years ago
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Les plus belles œuvres des artisans contemporains japonais.
Godai : art du bambou by the master
Tanabe Chikuunsai IV 四代  田辺竹雲斎 (1973 - ).
Installation de l'artiste japonais Tanabe Chikuunsai IV, représentant d'une lignée prestigieuse de maîtres vanniers. Cette œuvre monumentale a été présentée au public en 2016 au Musée national des arts asiatiques de Paris. Elle est composée de 8.000 éléments en bambou et représente l'entrelacement des cinq éléments : la terre, l'eau, le feu, le vent et le vide.
Source : http://chikuunsai.com/
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