#吹抜けの間接照明
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題詠100首 2024
「短歌は奴隷の韻律」と喝破した小野十三郎の短歌否定論を読んだあとで、それでもここに戻ってきてしまうのは、やはりこの詩型が好きだからなのかもしれない。
五十嵐きよみさん主��の「題詠100首」に参加しました。ありがとうございました
2024-001:言 言ひかけたそのくちびるをくちびるでふさげば夜はすみれのにほひ
2024-002:置 置く露の消ぬべきものと思へどもなほなつかしき鬢のほつれ毛
2024-003:果 白鳥のゆくへ知らずもさびしさの果てなんくにへ飛び去りぬらむ
2024-004:吸 くちづけは甘き陶酔蜜を吸ふみつばちににて飽くことのなき
2024-005:大切 大切なものこそ目にはさやかなれこの目この肩このふくらはぎ
2024-006:差 差しみづするやうにして息をつぐ逢瀬のまへの胸の高鳴り
2024-007:拭 足拭ふそのくるぶしの白さゆゑねむれぬ夜をすぐしてけりな
2024-008:すっかり もうすっかり秋なのですね江ノ電に待ち合はすれば日影のながく
2024-009:可 不可分のふたりなりけりかんづめの鰯のやうに身を寄せあつて
2024-010:携 天の川白しと言ひて仰ぎみつ手を携へて川わたるとき
2024-011:記 ツンドクをツンドラと読みまちがへてガリア戦記に雪のふりつむ
2024-012:ショック あの夏の藤の木かげをおもひいづルドルフ・ショックのあまき歌ごゑ
2024-013:屈 身を屈め砂に字を書く主イエスは赦したまふやこのふかなさけ
2024-014:外国 マラケシュへ脱出したしサフランとなつめの香る外国(とつくに)の果て
2024-015:見 あひ見てののちのおもひはすみれいろ日の出のまへのひさかたの空
2024-016:叡 あさぼらけ比叡のやまにたつ霧のふかくぞひとを思ひそめてし
2024-017:いとこ 豆好きの子の記念日につくりおくかぼちやとあづきいとこ煮にして
2024-018:窮 窮鼠にも朝は来るらし鎧戸のすきまより洩るひかりひとすぢ
2024-019:高 抱きあげて高いたかいをするたびにはじけるやうにわらひたりけり
2024-020:夢中 青春は夢中のうちにすぎさりぬめざめていまは白き秋風
2024-021:腰 腰骨の上に手をおき抱きよせる サルサのリズム 波うつ体
2024-022:シェア イヤフォンをシェアしてバッハ聴きをりぬ予定日すぎて子を待ちながら
2024-023:曳 ひかり曳くものこそなべてかなしけれ流るる星もほたるのむれも
2024-024:裏側 いかにせんうかがひしれぬものありて人のこころは月の裏側
2024-025:散 知られじな夜もすがら吹く木枯らしに散るもみぢ葉のつもる思ひを
2024-026:頁 世界史の頁を閉ぢて夢見をり講義のをはりとこの世のをはり
2024-027:おでん 二日めのおでんのやうにしみてくるやさしく気づかふあなたのことば
2024-028:辞 言霊の幸ふ国に聞き飽きる 美辞も麗句も誹謗も揶揄も
2024-029:金曜 泣きぼくろつついておこすとなりの子金曜五限睡魔のきはみ
2024-030:丈 つり革にとどく背丈となりし子の腋窩の白く夏さりにけり
2024-031:けじめ ひるよるのけじめもつかぬ薄明かりいのちの果てのけしきとぞ見る
2024-032:織 経糸も緯糸もなき鳥たちの声の織りもの聞けども飽かぬ
2024-033:制 制限字数こえてあふるるわが思ひたぎつ早瀬となりにけるかも
2024-034:感想 「感想を十四字以内で述べなさい」「あいたいときにあなたはいない」
2024-035:台 灯台のやうに照らせよぬばたまの無明の闇におよぐこの身を
2024-036:拙 目をとぢてなにおもふらん古拙なる笑みをうかぶる半跏思惟像
2024-037:ゴジラ 清涼水ささげまつらん着ぐるみをぬいでくつろぐゴジラのひとに
2024-038:点 夕されば宵宮に灯の点されて稲穂をわたる風かぐはしき
2024-039:セブン 響きあふセブンスコードやはらかくスイスロマンドかんげんがくだん
2024-040:罪 罪深きものと知りつつやめられぬ午前零時のキッシュロレーヌ
2024-041:田畑 とり入れををへし田畑に雀らのさわぐを聞けば秋更けにけり
2024-042:耐 陣痛に耐ふるつまの手にぎりをり痛みを分かつすべあらなくに
2024-043:虫 別れきて秋の夜長をなきとほす虫の息にもなりにけるかな
2024-044:やきもち 黒い怒りもしづまるでせうやきもちにきなこまぶして頬張るならば
2024-045:桁 花ごろも衣桁にかけて待ち遠し色とりどりに咲きみつる春
2024-046:翻訳 ふさふさのしつぽを立ててあゆみ去るねこのことばの翻訳もがな
2024-047:接 おたがひの足音のみを聞いてをり話の接ぎ穂見つからぬまま
2024-048:紐 「結んでよ後ろの紐を」あらはなる背中見せつつ言ひたまひける
2024-049:コロナ かろやかに走り抜けたり太陽のコロナのやうに髪なびかせて
2024-050:倍 この仕打ち受けても七の七十倍赦しなさいと命ぜらるるや
2024-051:齢 少女らのもはや倦みたる遊具あり遊具にもまた適齢期あり
2024-052:圧力 ゆつくりと圧力かけて皺のばすアイロン台に湯気は立ちつつ
2024-053:柄 春の夢見させてください花柄のスカートのうへに膝まくらして
2024-054:朧 朧なる記憶の底にきこゆなり赤子のわれを呼ぶ祖母のこゑ
2024-055:データ データなぞ改竄するのが前提といふひとあれば美しくない国
2024-056:紋 わがうたにいまだ紋章なきことも恥ぢずこよひも豆腐が旨い
2024-057:抑 「好きといふきもちは抑へられなくて」読みかへす午後ひざしうつろに
2024-058:反対 環状線反対まはりに乗せられてはじまりしわが大阪時代
2024-059:稿 ブルックナー第八初稿で祝ひたり生誕二百周年の宵
2024-060:ユーロ ふらんすはあまりに遠し「赤と黒」原書にはがすユーロの値札
2024-061:老 生ましめしのちのよふけのしづもりに老助産師のたばこくゆらす
2024-062:嘘つき どうせならうつとりさせて狂はせる目覚ましい嘘つきなさいませ
2024-063:写 ちちははの結婚写真色あせてアルバム白く夏は来たりぬ
2024-064:素敵 はにかんでものいふときの片頬にゑくぼをきざむ笑顔が素敵
2024-065:家 家ひとつこぼちて三つ家を建つなんのふしぎもなしとはいへど
2024-066:しかし 焼き魚ほぐしつついふもしかしてわたし妊娠してゐるかしら
2024-067:許 胸許にきつつなれにしスカーフあり柩のひとの息あるごとく
2024-068:蓋 きみがため抜山蓋世のますらをも恋のとりことなりにけらしな
2024-069:ポテト ベークドポテトふたつにわればふうはりと湯気立ちのぼるバター落して
2024-070:乱 黒髪の乱れも知らずうちふして幾何証明にゆきなやむ吾子
2024-071:材料 材料はグラム単位ではかりませう恋の女神にささぐるお菓子
2024-072:没 ひそやかにゐなくなりたし没年齢しられぬままに墓標もなしに
2024-073:提 下駄ならしなつまつりよりかへりきぬゆかたの子らは金魚を提げて
2024-074:うかつ 「もうすこし一緒にゐたいな」うかつにもつぶやきしゆゑ底なしの沼
2024-075:埒 ひとり舞ふほかにすべなしもろびとの大縄跳びの埒外なれば
2024-076:第 しんしんと肺蒼きまでしみとほるかなしみふかき第二楽章
2024-077:オルガン オルガンの裏にひかへてふいご踏み風を送りし労苦を思ふ
2024-078:杯 願はくはおなじ杯よりのみほさん媚薬なりとも毒薬なりとも
2024-079:遺 「きらひなのさういふ��ころ」といはれたり不貞寝して聞く遺愛寺の鐘
2024-080:なかば ランウェイに踏みだすやうなあひびきはのぞみとおそれ相なかばして
2024-081:蓮 さきゆきは見通さずともしろたへの酢蓮を食めばこころはなやぐ
2024-082:統一 姿見のまへでくるりとひとまはり「青で統一秋色コーデ」
2024-083:楼 春高楼の花のうたげはまぼろしか廃墟の城を照らす月かげ
2024-084:脱 管弦のとよもすホール脱けだせばしんとしづもる明きフォアイエ
2024-085:ブレーキ ブレーキのきかぬくるまかすこしづつあなたの方にかたむくこころ
2024-086:冥 冥府よりプロセルピナはもどりたり野の緑もえ春のおとづれ
2024-087:華やか 華やかに開幕ベルは鳴りしかどせりふおぼえずお化粧もまだ
2024-088:候 姸を競ふ花嫁候補に目もくれず選びたまふは桐壺の姫
2024-089:亀 わたつみの底の浄土の住みごこちいかにと問ひぬ青海亀に
2024-090:苗 十年後ジャスミンティーの再会は苗字かはりて人の子の母
2024-091:喪 青き花好みたまひしひとなれば青き旗もて喪章となしつ
2024-092:休日 窓ごしに別れを告げる新幹線休日なんてあつといふ間ね
2024-093:蜜 乳と蜜ながるるところといはれたるカナンの地いま血潮ながるる
2024-094:ニット 置きわすれられしニットのセーターに顔うづむればにほひなつかし
2024-095:祈 祈るやうに手をあはせたりめづらしき蝶見つけしと馳せきたりけり
2024-096:献 妻あての訳者の献辞見返しにあり「罪と罰」古書あがなへば
2024-097:たくさん ひとつぶのあかい木の実をかみしめるあしたまたたくさんとぶために
2024-098:格 格変化となへつつ夜ぞふけにけるロシヤ語講師の赤き唇
2024-099:注 ちらぬまま朽ち果ててゆくあぢさゐのはなのをはりにふり注ぐ雨
2024-100:思 さめやらぬ夢のほとりに置く露のかわくまもなくもの思ふころ
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House in Shukugawa 夙川の家 (共同設計|arbol)
ミニマルな空間と美しい曲線が生む 優しく包容力のある住まい The minimalist space and beautiful curves create a tender and inclusive home
夙川の家は兵庫県西宮市に位置し、四方を2階建ての隣家に囲まれたコンパクトな旗竿地にある。 プライバシーの観点から外に開くことが難しい敷地条件に対し、内部を周囲から切り離して住み手のための”独立した世界”をつくることを目指した。 ”中庭”と”大きな気積をもったドーム空間”により、閉じた箱の中でも窮屈さを感じることなく、美しい緑や光を愛でながら居心地良く過ごすことができる。包み込むよう��空間が家族の団欒を生み、暮らしを受け止める包容力のある住まいとなっています。
“House in Shukugawa” is located in Nishinomiya City, Hyogo Prefecture, on a compact flagpole-shaped lot surrounded on all sides by two-story neighboring houses. The site conditions made it difficult to open the house to the outside for privacy reasons, so we aimed to create an independent world for the client on the inside. The “courtyard” and “domed space with a large volume” allow the residents to spend a cozy time while enjoying beautiful greenery and light, without feeling cramped in a closed box. The enveloping space creates a family gathering, and the house has the tolerance to accept the people’s life.
- ⚪︎ロケーション 夙川の家は、兵庫県西宮市の豊かな自然と古くからの邸宅街が広がる夙川沿岸の閑静なエリアに位置している。この場所のように地価が比較的高いエリアでは、邸宅街と対照に土地が細分化され住宅が密集している部分も多くみられる。本邸も、四方を2階建ての隣家に囲まれたコンパクトな旗竿敷地での計画だった。 ⚪︎ご要望 クライアントから伺った理想の住環境や要望は、次の5つに整理できる。
自然とのつながり(緑、光、風、四季を感じれること)
プライバシーを確保しつつhyggeを大切にできること(hygge:デンマーク語で「居心地がいい空間」や「楽しい時間」をさす言葉)
陰翳礼讃の精神で光や陰翳を繊細に感じられること、照明計画も同様に均一な明かりではなく変化や緩急があること
全体に繋がりがあり、用途に合わせて空間ボリュームが多様に調整されていること
インテリアから建築まで飽きのこない普遍性のあるデザインであること
これらのテーマと敷地条件をもとに、建築形態を検討していった。 ⚪︎デザインコンセプト プライバシーの観点から外に開くことが難しい敷地条件に対する解決策として、あえて周囲を隔絶し「中庭」と「ドーム空間」によって建物内部にクライアントのための“独立した世界”を構築する住まいを提案した。また共有していただいた好みのインテリアイメージには、ヨーロッパの空気感を感じるものが多く意匠にもそれらの要素を取り入れることにした。
まずコンパクトな敷地の中で可能な限り大きく建物のフットプリントを設定し、周囲に対して閉じた箱型の木造2階建てとした。次に内部でも自然や四季を感じ取れるよう、安定した採光が確保しやすい北側の角に中庭を配置。その周りを囲むようにホールやダイニングスペース、キッチンなどのアクティブなスペースを設けた。寝室や浴室といった個人の休息スペースは、必要最小限の大きさにして2階に配置した。(1ルームの寝室は、可動式収納家具によって部屋割りを調整可能) この住まいの最大の特徴はドーム型のホールであり、それは人々の暮らしを受け止める包容力のある空間となっている。適度な求心的プランが家族の団らんを生み、中庭の抜けとドームの大きなヴォイドが人が集まった際も居心地の良さを保証する。閉じた箱でありながら窮屈さを感じることなく、親密なスケールで家族や友人達と心地良く過ごすことができる。 またタイル張りの床、路地テラスのようなダイニングスペース、バルコニーのような踊り場、ドームとシンボリックなトップライトなどにより、1階は住宅でありながらセミパブリックな空気感を醸し出している。これがプライベートな空間である2階とのコントラストを生み、小さな家の中に多様さと奥行きをつくり出している。 採光については、単に明るいことだけではなく相対的に明るさを感じられることも重要である。ホールの開口部は最小限として基準となる照度を下げつつ、中庭に落ちる光が最も美しく感じられるよう明るさの序列を整理した。また壁天井全体を淡い赤褐色の漆喰仕上げとすることで、明るさを増幅させるとともに影になった部分からも暖かみを感じられるよう設計している。 空間操作としては、中庭外壁隅部のR加工、シームレスな左官仕上げとしたドーム天井、ドームと対照的に低く抑えた1階天井高などが距離感の錯覚を起こし、コンパクトな空間に視覚的な広がりをもたらしている。 ⚪︎構造計画 木造軸組構法の構造材には、強度が高いことで知られる高知県産の土佐材を使用。上部躯体には土佐杉、土台にはより強度や耐久性の高い土佐桧を用いた。工務店が高知県から直接仕入れるこだわりの材であり、安定した品質の確保とコスト削減につながっている。 ⚪︎造園計画 この住まいにおける重要な要素である中庭は、光や風を映し出す雑木による設え。苔やシダなどの下草から景石や中高木まで、複数のレイヤーを重ね、コンパクトでありながらも奥行きのある風景をつくり出している。またコンパクトな分植物と人との距離が近く、天候や四季の移ろいを生活の中で身近に感じ取ることができる。石畳となっているため、気候の良い時期は気軽に外へ出て軽食を取るなど、テラスのような使い方も可能。草木を愛でる豊かさを生活に取り入れてもらえることを目指した。 敷地のアプローチ部分には錆御影石を乱張りし、大胆にも室内の玄関土間まで引き込んで連続させている。隣地に挟まれた狭い通路であるため、訪れる人に奥への期待感を抱かせるような手の込んだ仕上げとした。また石敷きを採用することにより来訪者の意識が足元に向かい、ホール吹抜けの開放感を演出する一助となっている。 ⚪︎照明計画 ベース照明は、明るすぎず器具自体の存在感を極力感じさせない配置を心掛けた。特に中庭の植栽を引き立てる照明は、月明かりのように高い位置から照射することで、ガラスへの映り込みを防止しつつ、植物の自然な美しさを表現できるよう配慮している。ホールについても、空間の抽象度を損なわないために、エアコンのニッチ内にアッパーライトを仕込み、天井面に器具が露出することを避けた。 対して、人を迎え入れたり留まらせる場(玄関、ダイニング、リビング、トイレ)には、質感のある存在感をもった照明を配置し、インテリアに寄与するとともに空間のアクセントとしている。 ⚪︎室内環境 居心地のよい空間をつくるためには快適な温熱環境も不可欠である。建物全体がコンパクト且つ緩やかに繋がっているため、冬季は1階ホールとキッチンに設置した床暖房によって、効率よく建物全体を温めることができる。壁天井には全体を通して漆喰(マーブルフィール)による左官仕上げを採用し、建物自体の調湿性能を高めている。 換気設備は「第1種換気※1」を採用。温度交換効率92%の全熱交換型換気ファン(オンダレス)により、給排気の際に室内の温度と湿度を損なうことなく換気を行うことができるため、快適で冷暖房負荷の削減に繋がる。CO2濃度や湿度をセンサーにより検知し、自動で換気量を増やす仕組みも取り入れている。 また断熱材は、一般的なボードタイプよりも気密性が高く、透湿性に優れた木造用の吹き付けタイプを使用。サッシはLow-E複層ガラス+アルゴンガス充填で断熱性を高めた。 ※1「第1種換気」..給気、排気ともに機械換気装置によって行う換気方法 ⚪︎まとめ 近隣住宅が密集する環境の中で、周囲を隔てて内部空間を切り離すことで、住み手のための世界を築くことができた。仕事で毎日を忙しく過ごすクライアントだが、ここでの時間は、仕事を忘れ、好きなものに囲まれ、家族や友人たちと心から安らげる時を過ごしてほしい。心身共に癒やされるような家での日���が、日々の活力となるように。この住まいがそんな生活を支える器になることを願っている。 ⚪︎建物概要 家族構成 |夫婦 延床面積 |70.10㎡ 建築面積 |42.56㎡ 1階床面積|39.59㎡ 2階床面積|30.51㎡ 敷地面積 |89.35㎡ 所在地 |兵庫県西宮市 用途地域 |22条区域 構造規模 |木造2階建て 外部仕上 |外壁:小波ガルバリウム鋼板貼り、ジョリパッド吹付 内部仕上 |床:タイル貼、複合フローリング貼 壁:マーブルフィール塗装仕上 天井:マーブルフィール塗装仕上 設計期間|2022年11月~2023年7月 工事期間|2023年8月~2024年3月 基本設計・実施設計・現場監理| arbol 堤 庸策 + アシタカ建築設計室 加藤 鷹 施工 |株式会社稔工務店 造園 |荻野景観設計株式会社 照明 |大光電機株式会社 花井 架津彦 空調 |ジェイベック株式会社 高田 英克 家具制作|ダイニングテーブル、ソファ:wood work olior. ダイニングチェア:tenon インテリアスタイリング|raum 撮影 |下村写真事務所 下村 康典 、加藤 鷹 資金計画・土地探し・住宅ローン選び|株式会社ハウス・ブリッジ テキスト|加藤 鷹
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House in Shukugawa ⚪︎Positioning the land as the background Located in Nishinomiya City, Hyogo Prefecture, the surroundings along the Shukugawa River are quiet, with abundant nature and a long-established residential area. Due to the high value of land and the relatively high unit price per tsubo, there are many areas where land is densely subdivided into smaller lots. The site was a compact, flagpole-shaped lot surrounded on all sides by two-story neighboring houses. These conditions were by no means good. However, the client purchased the lot because of its good surrounding environment and the fact that it was in an area that he had grown familiar with since childhood. ⚪︎Requests The ideal living conditions and requests we recieved from the client can be organized into the following five categories.
To be able to feel nature (greenery, light, wind) even inside the house
To be able to value "hygge" (Danish word meaning "comfortable space" or "enjoyable time") while ensuring privacy
To be able to feel light and shade sensitively in the spirit of " In Praise of Shadows(Yin-Ei Raisan)" and the same goes for the lighting design
The entire space is connected and the spatial volume is adjusted in a variety of uses
Timeless design that can be cherished for a long time
Based on these themes and the site conditions, the architectural form was studied. ⚪︎Design concept The site conditions made it difficult to open the house to the outside for privacy reasons, so we aimed to create an independent world within the house in line with the client's preferences. Many of the interior images they shared with us had a European feel, and we decided to incorporate these elements into the design.
First, the footprint of the building was set as large as possible in relation to the site, and it was designed to be boxy and closed to the outside. To allow the interior to experience nature and the four seasons, a courtyard was placed in the north corner, where it is relatively easy to secure lighting. The hall (living and dining room), kitchen, and other active spaces are located around the courtyard. Rooms for individual rest, such as bedrooms and bathrooms, were kept to the minimum necessary size and placed on the second floor. (The storage furniture in the bedroom is movable in order to accommodate changes in usage.) The most distinctive feature of this project is the domed hall. It is a tolerant space that accepts people's lives. The moderate centripetal plan creates family gatherings, the courtyard and the large volume of the dome guarantee a cozy feeling even when people gather. Here, one can spend comfortable, quality time with family and close friends without feeling cramped. In addition, the tiled floor, the alley terrace-like dining space, the balcony-like stairs, and the dome and symbolic top light give the first floor a semi-public atmosphere even though it is a house. This contrasts with the private second floor, creating variety and depth within the small house. In terms of lighting, it is important not only to be bright, but also to have a sense of relative brightness. While minimizing the openings in the hall to lower the overall illumination level, we organized the sequence of brightness so that the light falling on the courtyard would be perceived as beautiful as possible. The walls and ceiling are finished in a uniform light reddish-brown plaster, which allows the warmth of the light to be felt while amplifying the brightness of the space. In terms of spatial manipulation, the soft curvature of the outer courtyard wall corners, the seamless plastered dome ceiling, and the low ceiling height of the first floor in contrast to the dome create the illusion of distance and visual expansion in a compact space. ⚪︎Interior Environment A comfortable thermal environment is also essential for creating a cozy space. As the entire building is compact and gently connected, the volume can be efficiently heated in winter by floor heating installed in the ground-floor hall and kitchen. The walls and ceilings are plastered (with a Marble Feel) throughout to enhance the building's own humidity control. The ventilation system is "Class 1 Ventilation*1. The ventilation system uses a total heat exchange type ventilation fan (ondaless) with a temperature exchange efficiency of 92%, which allows ventilation without compromising indoor temperature and humidity during air supply and exhaust, resulting in comfort and reduced heating and cooling loads. The insulation is of the sprayed wooden type, which is more airtight and has better moisture permeability than ordinary board-type insulation. Low-E double-glazing glass with an argon gas filling are used to enhance thermal insulation.
*1 "Type 1 Ventilation". A ventilation method in which both air supply and exhaust are done by a mechanical ventilator. ⚪︎Structural Planning Tosa wood from Kochi Prefecture known for its high strength, were used for the structural members of the wooden frame. Tosa cedar was used for the upper frame, and Tosa cypress was used for the foundation because of its higher strength and durability. The construction company purchased these materials directly from Kochi Prefecture, ensuring stable quality and reducing costs. ⚪︎Landscaping plan The courtyard, an important element of the house, is designed with a mix of trees that reflect the light and wind. Multiple layers, from undergrowth such as moss and ferns to landscape stones and medium height trees, create a compact yet deep landscape. The compactness of the space also means that the plants are close to people, allowing the users to feel the weather and the changing seasons in their daily lives. The cobblestone pavement enables the use of a terrace-like space, where one can casually step outside for a light meal when the weather is nice. We aimed to bring the richness of loving plants and trees into people's lives. The approach to the site is made up of tan-brown granite, which is boldly pulled into the entrance floor of the house to create a continuous line. Since it is a narrow passageway between neighboring properties, we created an elaborate finish to give visitors a sense of anticipation of what lies ahead. The use of stone paving also directs visitors' attention to their feet, helping to create a sense of openness in the hall atrium. ⚪︎Lighting Plan The base lighting is not too bright, and the presence of the fixtures themselves is minimized as much as possible. In particular, the lighting that enhances the plants in the courtyard illuminates from a high position, like moonlight, to prevent reflections on the glass and to express the natural beauty of the plants. In the hall, lights were installed in the air conditioner niche avoiding the exposure of fixtures on the ceiling surface, so as not to spoil the abstractness of the space. On the other hand, at the place where people are welcomed in or stay (entrance, dining room, living room, and restroom), lighting with a textured presence is placed to contribute to the interior design and accentuate the space. ⚪︎Summary In an environment where neighboring houses are densely packed, we were able to build a world for the residents by separating the interior spaces from their surroundings. The client spends his busy days at work, but during his time here, he wants to forget his work, surround himself with his favorite things, and spend truly restful moments with his family and friends. We hope that daily life in a house that heals both body and soul will be a source of daily vitality. We hope that this home will be a vessel to support such a lifestyle. ⚪︎Property Information Client|Couple Total floor area|70.10m2 Building area|42.56m2 1floor area|39.59m2 2floor area|30.51m2 Site area|89.35㎡ Location|Nishinomiya-shi, Hyogo, Japan Zoning|Article 22 zone Structure|Wooden 2 stories Exterior|Galvalume steel sheet, sprayed with Jolipad Interior|Floor: Tile flooring, composite flooring Walls: Marble Feel paint finish Ceiling: Marble Feel paint finish Design Period|November 2022 - July 2023 Construction Period|August 2023 - March 2024 Basic Design/Execution Design/Site Supervision| Yosaku Tsutsumi, arbol + O Kato, Ashitaka Architect Atelier Construction| Minoru Construction Company Landscaping|Ogino Landscape Design Co. Lighting|Kazuhiko Hanai, Daiko Electric Co. Air Conditioning|Hidekatsu Takada, Jbeck Co. Dining table and sofa|wood work olior. Dining chairs|tenon Interior styling|raum Photography|Yasunori Shimomura, Shimomura Photo Office (partly by O Kato) Financial planning, land search, mortgage selection|House-Bridge Co. Text | O Kato
#architecture#architectdesign#design#インテリア#インテリアデザイン#buildings#furniture#home & lifestyle#interiors#夙川の家#住宅#住宅設計#建築#アシタカ建築設計室#空間デザイン#住まい#Ashitaka Architect Atelier
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東京五輪から2年 湾岸はいま
悪夢のようなTOKYO2020大会から2年が経った。 五輪のために姿を変えられたあの場所は、巨���の資金を費やして建てられた会場は、白いフェンスに閉ざされていた公園は、いま一体どうなっているのか。 湾岸エリアを中心に、フィールドワークを行った。
①築地市場
築地本願寺から場外市場に向かう。日曜日。外国人観光客、親子連れ、カップル。賑わいは築地市場があった頃と変わらないように見えた。どの店にも、昼食を目当てに沢山の人が並んでいる。
立体駐車場の最上階から市場のあった方を見下ろす。縦横に走るターレ、魚の並ぶケース、積み上げられたトロ箱、林立する仲卸の看板――それらが全て消え去り、でこぼこの、剥き出しのコンクリートだけが灼熱の太陽に焼かれていた。その一部は駐車スペースに。数台の自家用車。物悲しくなるぐらいしょぼい。
駐車場のわきに、築地市場の仲卸とおぼしき店名のプレートを付けたターレが放置されていた。よく見ると、ナンバープレートを外した痕がくっきりと残っている。
石原元都知事が主導した2016年五輪招致当時、築地市場を潰してメディアセンターを作るという話が出ていた。2020東京大会ではそれが「駐車場」にかわり、市場は2018年10月に東京都によって閉鎖された。選手村から競技場への輸送のために新たに作られた環状2号の全面開通は、五輪閉幕から1年以上も過ぎた2022年12月。五輪招致が、都民の台所を打ち出の小づちのように利権を生み出す空虚な「一等地」に変えてしまった。
築地を舞台にしたある連載漫画の中で、���利き一筋の主人公は何故か移転に何の葛藤もないまま「豊洲で頑張っていこう」と仲間に呼びかけていた。築地市場83年の歴史は、急速に「なかったもの」にされようとしている。
②月島
東京では五輪の前から、競技会場と直接関係のない場所でも各地で再開発が起こっていた。晴海にも程近い、湾岸エリアに位置する月島もまたその1つ。もんじゃストリートで有名なこの町は、一本裏道に入ると古い木造家屋が軒を連ねる下町らしさが残っている。私たちが2017年に訪問した際は、月島1丁目西仲通り地区再開発計画のためにもんじゃストリートの店舗が軒並み閉店していた。
そして今回訪ねてみると、MID TOWER GRANDなる地上32階、高さ121mの超高層マンションが建ち(2020年10月竣工)、その1階にもんじゃ屋などの店舗が入っていた。 月島ではさらに地上48階、高さ178.00mのタワマンを建てる月島三丁目南地区第一種市街地再開発事業、地上58階、高さ199mのタワマンを建てる月島三丁目北地区第一種市街地再開発事業が控えている。フィールドワークの後で知ったことだが、この月島三丁目再開発計画には反対運動や行政訴訟も起こっているとのこと。長年暮らしてきた人々の息吹が聞こえるような町並みが、大手開発業者によって姿を変えられようとしていることには胸が痛む。
③晴海選手村
カンカン照りの選手村跡地。ここはHARUMI FLAGなる高層マンション群として開発され、完成すれば5,632戸12,000人が暮らす街になるという。未だ工事中で通行できるのはメインストリートの車道のみ。焼けつくような暑さの中、誰もいないコンクリートだらけの空間は殺伐とした雰囲気が漂っていた。
選手村をめぐっては、東京都が適正価格の10分の1という不当な安さで都有地を三井不動産ら11社のデベロッパーに売却したとして住民訴訟が起きている。五輪という祝賀的なイベントが作り出す例外状態によって、公共財産が民間資本に吸い上げられた象徴的な場所だ。
街の中心に近づくと、左手には、大会中、大量の食材廃棄が問題となった食堂の跡地が、中央区立の小中学校(2024年度開校予定)として整備されていた。
右手には三井不動産の商業施設「ららテラス」。その1階には「東京五輪を振り返りスポーツの力を発信する施設」として「TEAM JAPAN 2020 VILLAGE」が設置される��しい。五輪と三井不動産のどこまでも続く蜜月がうかがえる。
その先では道路を挟んで左右両方の街区で50階建ての2棟の超高層タワーマンションが目下建設中だった。
選手村を訪れるとき、2018年、建設工事中に2人の労働者が亡くなったことを思わずにはいられない。その街区は、労働者の死という痛ましい現実を塗り固めるようにSUN VILLAGE(太陽の村)という輝かしい名前で分譲されている。 この街区だけではない。この街全体が、五輪によって引き起こされた問題などまるで何もなかったかのように成り立っている。この街ではとても生きていけない、生きた心地がしない。生気を抜かれたようにその場を後にした。
④潮風公園、お台場海浜公園
ビーチバレーボールの会場設営のため何年もフェンス封鎖されていた潮風公園。わたしたちは初めて公園内に入った。こんなに広かったのか!無観客のくせに、この公園全体を占拠していたなんて、ほんとうに厚かましい。
東京湾の対岸の埠頭にはコンテナが並んでいる。海をみてみると、うっ!海水は泥沼のような色。しかし、なぜか匂いはせず、潮の匂いさえもしない。ファブリーズでもしているのか?
わたしたちは、野宿の人たちが寝ていた場所を探して公園内を歩いた(東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織員会による追い出し→https://x.gd/ZJP4d)。木がたくさんあってなかなか住み心地よさそうだと思っていたら、屋根のある排除ベンチにたどり着いた。なんて醜いデザインなのだろう。
次に「トイレのようなニオイ」と話題になったお台場海浜公園のビーチへ、匂いを確認しに行った。「遊泳禁止」の看板があり、スクリーニングのためと記してあったが、やはり汚染が懸念されているのだろろう。このビーチの海水も濁っていて、潮の匂いさえもしない。怪しい水質だ。
しかし、暑すぎる。灼熱の日差しの下で、ビーチバレーボールや、トライアスロンをやって、汚い海に飛び込んでいたのか。 知れば知るほど、オリンピック・パラリンピックは地獄だ。
⑤有明
有明の旧会場エリアへ。グーグルマップで見ると、どうやらこの一帯は「有明オリンピック・パラリンピックパーク」と名付けられたらしい。いまや地に落ちた電通がオリンピックでちゃっかりゲットした、唯一黒字と言われる有明アリーナへ。SNSではステージが見えない席があると不評を買っていたが、「ディズニーオンアイス」をやってるらしく、猛暑の折、駅から会場まで大勢の人だかり。
有明体操競技場はこの5月に「有明ジメックス」と名を変え、株式会社東京ビックサイトが運営する展示場としてオープンしたらしい。第一印象は「・・・神社?」世界的ウッドショックの最中に木材を山のように使って、10年程度で取り壊される予定とのこと。こんなに立派にする必要あったのか?
そこからゆりかもめの駅を越えると、フェンスで囲われた草ぼうぼうのワイルドな一角が。有明BMX会場跡地だ。グーグルマップには「有明アーバンスポーツパーク(2024年4月開業)」とあるが、いまのところ影も形もない。スポーツ施設より原っぱ公園の方が需要あるのでは?
有明テニスの森公園は工事パネルが外されて、開放感に溢れていた。こんな素敵な場所を何年もオリンピックのために囲って、市民を排除してきたかと思うとあらためて腹が立つ。
真夏の炎天下に火を燃やし続けた聖火台があった夢の大橋にも立ち寄った。観覧車が無くなっていた。東京都はこの夢の大橋を含むシンボルプロムナード公園の一角に、新たに聖火台置き場をつくって飾っている。東京都はいつまでオリパラの亡霊にすがる気か。。
⑥辰巳・東京アクアティクスセンター
アクアティクスセンター
「威圧」を形にしたような巨大建造物。
建物の周りには木陰がなく、取ってつけたような弱々しい植栽が施されている。
正面外の、広すぎる階段は、車いす利用者でなくても、大げさすぎてびっくりする。コンクリートが日射で熱い。ゴミ一つ落ちていないのは、人が寄り付かないからだろう。
その下にたたずんで私は、ピラミッド建設のために労働を強いられている人のような気持ちがした。
ここは、公園の一部であった。近くに団地もある。誰でも入って、海からの風を感じながらくつろぎ、出会う場所だったはずだ。
5年前に訪れた時は、工事中で巨大な支柱がそびえたっていた。三内丸山遺跡にインスパイアされたのかと思ったが、出来上がったのは帝国主義の終点のようなしろものだった。
「お前たちが来るところではない。」という声がどこからか聴こえる気がした。
知ってる。だから入ってみた。静かだ。人っ子一人いない、空調が効いて冷え切っている。だだっ広いロビーの小さな一角に、TOKYO2020オリパラのポスターたちがいまだに展示されていた。
競争をあおり、序列化し、勝者に過剰な価値を与え、「感動」を動員するスペクタクルがここで続けられるのだ。
生きていくのに必要な潤いをもたらす公園に、このような醜悪なものが君臨しているのを私は許せない。
炎天下の湾岸エリアを丸1日かけて回った。TOKYO2020跡地は、廃墟になっていると思いきや、むしろ多くの場所でまだまだ開発が続いていた。開発への飽くなき欲望と「レガシー」への執着、五輪災害は閉幕後も延々と残り続けている。 この日撮影した映像を使って「オリンピックって何?東京からパリ五輪1年前によせて」という動画を作成し、1年後に五輪開幕が迫るパリでの反五輪の闘いに連帯を示すメッセージとした。 From Tokyo To PARIS, NOlympicsAnywhere
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ラジコン備忘録 2024/9/14
Miniz-Cup 2024 Hokkaido Day.1
さてやってまいりました。レース当日編。まずは1日目。
今回の大会会場は旭川。去年は札幌だったので久しぶりの旭川開催。僕にとって旭川会場は5年ぶり。
8時には旭川に着きたいので、5時起き・5時半出発です。
忙しい2日間が始まるのは目に見えているのでパッと高速で旭川に向かいます。うーん、早朝PAで見る愛車はカッコイイ。一応、ラジコンイベントの駐車場ではジロジロと実車を見られることがあるので綺麗にしておきました。���気量の余裕とフルバケの効果もあってか、移動の疲労感が少なくて相変わらず良い車です。
7時半に旭川に着いて朝食。会場の駐車場がまだ空いていなかったので、近所のマックに。同じような考えの仲間と遭遇して奢ってもらいました。朝マックなんて超久しぶり。
今回の会場は、旭川市市民活動交流センター CoCoDe(ココデ)。 昔の廃倉庫を活用したイベントスペースらしいです。レンガがおしゃれですね。 開場1時間前ですが、いくつか荷物で順番取りをしていますね...。
旭川、めっちゃ寒いです。家を出るときは半袖でも余裕でしたが、現地は無理。さすがに1枚羽織りました。この時点で16度くらいだった��な。寒いので路温が心配。
9時開場、エントリー受付です。初めての会場では無いので、記憶が少しずつ蘇ってきます。トイレの位置だけはハッキリと覚えている不思議。
今回の北海道大会、見る限りエントリーが少なめ。代表権狙いの人には良い状況ですね。
1日目に参加するオープンクラスの参加者は11名。かなり速いモーターを使うので難易度が高くて、上級者しか参加しないカテゴリー。参加人数も少ないカテですがそれにしても少なめ。とはいえ、本州からの遠征組も2名参加。ホームで負けるわけにはいかないので、ボコボコにしてやる勢いです。
この会場はピットスペースは2階に配置。吹き抜け��なっているので、ピットからレースの様子がよく見えます。吹き抜けになっているような会場は全国見てもここだけなので、珍しいですね。 上からライン取り、車の挙動がよく見えます。
操縦台の上からコースを見渡した図。2階から見るのと大して変わらないですね。操縦席とコースの距離もあるので、操縦位置による有利不利も無さげ。
1日目のピット。いつも机上をゴチャゴチャさせてるのに比べれば大分スッキリ。気になる事といえば、ここの会場暗すぎる。タイヤ交換の作業をするにしてもかなり暗いです。棚にLEDをつけていますが、追加でデスクライト的なものを持ってこないと細かい作業は厳しい。コース自体も、吹き抜け構造なので2階からの照明が遠くてイマイチ。まぁ、こればっかりは仕方ない。暗いという意味でいえばみんなイコールコンディションですからね。
練習走行。まずはいつもホームコースで走ってるセッティングに少し曲がりを足したマシンで走行。
...なんだこれ。聞いてはいたけどここまでグリップ低いか?って路面に驚きつつ策を練ります。
いつものセットじゃ全く話にならないですね。テールスライドしまくり。カウンター当てないとまともに走れません。
最近のラジコンは便利なもので、横Gをジャイロセンサーで検知すると自動でカウンターを当てたり、スロットルを絞る機能があります。仕方なくそれを最大限活用する作戦に移行。
初日エントリーのオープンクラスは約2秒で40km/hに到達するといわれる最速モーターを搭載したカテゴリー。この小ささで40km/hというとかなり速い部類ですね。正直、操作はかなり難しいです。
そんなピーキーなマシンを操作しやすくするために、スロットルジャイロを30%ON。普段は0~5%なのでどれだけグリップが低いのか...。
モーターも100%のパワーを出しても扱い切れないので、出力上限を95%に設定。これで立ち上がりがマイルドになります。パワーを出し切らない方が速い、珍しい路面です。ピーキーなモーターをキッチリ扱えてなくて、下位カテゴリーのマシンより遅い始末。
そしてタイヤも変更。リアタイヤがグリップしなかったときの想定をしておいて助かりました。リアのタイヤコンパウンドを30°→20°に変更。これでリアグリップを確保・空転させないでトラクションをかける作戦です。
とはいえ、そんなに根詰めて悩んでも仕方ないのでスイーツ休憩。一息入れてから予選で勝負に出ます。大会当日は糖分の補給を積極的に行うようにしています。その方が脳の働きが良くなりそうなので...。
予選1回目。スタート時の混戦に巻き込まれてグダグダ。総合8番手で終了。マシンは悪くないようですが、レースの運び方が悪かった。他車との接触が2回はありました。ですが、次の予選2回目は前列スタートと考えるとたぶんイケる予感というか確信です。
予選2回目。スタートダッシュと1コーナーのアプローチが決まって2番手以降をブッチギリ。誰も前に出させることなく好調な走りで1番手フィニッシュ。ベストラップもきちんと出ています。
結局予選2回目が最速タイムになり、予選1番手が確定。マシン・腕前ともにイマイチ本調子ではないような感じもしますが、悪くはないようです。みんなこの路面に苦戦しているということですね。
北海道大会での予選1番手は5年ぶり。ポールポジションはやはりうれしいものです。
昨年は全国大会の権利を貰っているので、朝の段階で各選手に僕の走りをジロジロと見られているのは感じていました。そんなプレッシャーに負けずに走れて良かった。決勝も気楽に頑張ります。
グリップは少しずつ上がっていますが未だに低いまま。それでも、予選のままのマシンセッティングで何とかなる予感。決勝は変えずにこのまま勝負します。曲がらなくなってきたら、走行中にプロポで微調整をかける練習はしていました。
決勝はカーゼッケン1番に変更。やはり、予選1番手というのは特別で良いですね。
決勝Aメイン8分レース。
ポールポジションからスタートを決め、2周目くらいまで維持。だけどセットがなかなか合ってこず、3番手まで順位を一時落とします。しかし、ここからが僕の意地の見せどころ。瞬時にプロポ設定をいくつか調整し、前方選手のミスを見逃さずオーバーテイク。3番手まで落ちたのは一瞬で、30秒ほどで1番手に復帰。
僕の指先といえば、かなり忙しいです。グリップが低すぎて、いまだにアイスバーンを走っているような感覚。ブレーキをガツンと入れてキッチリ減速しつつも、スロットルは徐々に煽ってまさにドリフトしているような感覚。この走らせ方、かなりリアタイヤを消耗することは分かっていますが、こうでもしないとトップは死守できません。
その後2位の選手からの追い上げを感じますが、途中で追い上げは諦めたみたいです。表彰台圏内なのに、無理に追い上げて自爆する方が怖いですからね。つまらないですが、頭のいい作戦です。こちらとしても走りやすい。そのままタイム差を広げて2番手とは6秒差でゴール。ポールトゥウィン。完全勝利です。
リアタイヤは柔らかいコンパウンドを選択しているのでレース後半の 消耗が心配でした。ラスト2分でタレてきている感触はありましたが、誤魔化せる範囲で助かった。最近のラジコンの電子制御、本当にすごいです。疑似的なトラクションコントロールとABSでタイヤ消耗は助けられました。
今回の大会は路面グリップが終始低すぎて、スロットルワークが上手か下手かで勝負が分かれていた気がし��す。ワークスドライバー級のプロはステアリングよりもスロットル操作を重視すると言いますが、まさにそんな感じ。
表彰式。色んなカテゴリーがありますが、最速カテゴリーで優勝ということは、この会場の中で一番速いということなので嬉しいですね。
表彰状をもらいました。社会人になって表彰される機会というのはなかなか無いので嬉しいものですね。1位となればなおさら。
ここまでくるのに色んな人のアドバイス・協力がありました。本当に感謝。なかなか恩を返しきれないです。
1日目が終わると、2日目に向けて東横インにチェックイン。全国大会の時に東横インに5泊したので、この際東横インのポイントを集めます。ちなみにキャリーバッグの中身は全てラジコン関係。着替え類はリュックで収まりました。
旭川くらいなら日帰りでも行ける距離ではありますが、翌日に向けて寝不足は避けたいのと、燃費計算をして宿泊した方が断然安かったのでホテル泊。
その後は直ぐに旭川の街に繰り出します。僕の記憶の中の旭川の街って、栄えてはいるけど古臭いビルが立ち並んでいるイメージでした。久しぶりに旭川を歩いてみると随分と近代化していますね。オシャレなビル・お店がたくさんあります。今度、きちんと旭川で呑みたいですね。
さて、北海道大会参加者の懇親会です。参加は30名くらい。ビアガーデンスタイルの鉄板BBQ。これで5,500円か~...と思いつつも陽気に飲み食いしてしまうのは相変わらず。初日1位の男なので、各方面にモテまくりです。大規模な飲み会で主役を張れるというのは、酒呑みにとっては随分と気持ちいいです。
飲み会が楽しく終わり2次会に消えた人々もいるみたいですが、僕は偉いのでホテルに戻ります。翌日のことを考えたら、呑みすぎは絶対にNGですし。一人でしっぽりやりながら、次の日の準備。電池関係がメインですね。
1日目の走りを動画で確認しておきますが、我ながら良い走り。 次の日もこんな感じで走れれば良いんですが、今さら考えても仕方ないのでホテル晩酌を満喫。24時には就寝。
2日目編につづく...。
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混迷した世界の指南書 『武士道』 藤原正彦(2008) 『この国のけじめ』 文藝春秋
新渡戸稲造『武士道』が売れているという。昨年末(二〇〇三年)公開されたアメリカ映画 「ラスト・サムライ」の影響もあるとかで、数社から合わせて百万部以上が出ているそうだ。 これを聞いて意を強くした。 『武士道』が英語で書かれたのは明治三十二(一八九九) 年であ る。百年以上前の本を現代日本人がこぞって読むのは、健全な危機感のあらわれと思うから (5)である。 庶民は知識や理屈を持っていなくともときに鋭い感覚を示す。多くが「いまの日本は何かが おかしいぞ」という素朴な実感をもっている。グローバルスタンダードを取り入れるといって、企業はリストラをする。学校では「ゆとり教育」を取り入れる。その結果、職のない中高年があふれ、地方の駅前商店街はさびれ、小学校では国語や算数の時間が減らされ、小学生から大(10) 学生に至るまでの学力低下は著しい。庶民はこうしたことに「自分たちの親や祖父が大切にしてきたものが壊されつつある」と感ずるのだろう。我々のよってたってきた価値観とは何だったのか、(1)というルーツ探しに似た感覚が『武士道』を手にとらせているのだろう。 『武士道』の著者・新渡戸稲造は幕末の南部藩(いまの岩手県)で下級武士の子として生まれ、札幌農学校(現・北海道大学)で農業を学んだ後、アメリカに留学しキリスト教クェーカー派 の影響を受けた。アメリカからドイツへ渡り、研鑽を積んだ後、札幌農学校教授、台湾総督府技師、(5)京都帝国大学教授、第一高等学校校長などを歴任、農学者および教育者として活躍するかたわら、東西思想の調和を目指し「太平洋の懸橋たらん」ことを悲願とした。東京女子大の初代学長、国際連盟事務局次長なども務めた日本の誇る国際人である。 『武士道』が書かれた明治三十二年は日清戦争と日露戦争の中間期で、清を破った新興国家日本に世界が注目しながらも警戒心を持ちはじめた時機である。新渡戸はベルギー人法学者夫妻と散歩中(10)、日本には宗教教育がないと話したところ、「宗教なし! それでどうして道徳教育を授けるのですか」と驚かれた。その後いろいろ考えた結果、自身の正邪善悪の観念を形成しているものが幼少期に身につけた武士道であることに気づいたのである。 同時代人である内村鑑三や岡倉天心にも共通するが、新渡戸には日本人の魂を西洋人に理解させたいという熱い思いがあった。そして英語で武士道を紹介することを決意する。西洋人に(15)も理解しやすいよう、ギリシアやローマの哲学、聖書、シェイクスピア、ニーチェなどと我が国の本居宣長、平重盛、頼山陽、吉田松陰らを比較しながら武士道精神の本質について説いた。 (1)『武士道』初版は一九〇〇年にアメリカで出版され、たいへんな賞讃を受けた。感激したセオドア・ルーズベルト大統領などは、何十冊も買い、他国の首脳に送ったという。その後多くの言語に訳されたが、日本語訳は明治四十一年以来、新渡戸の弟子で東大総長を務めた矢内原忠雄訳(岩波文庫)をはじめとしてさまざま出ている。 (5) 私は勤務する大学の学部一年生に対して、日本の名著を講読するゼミを担当している。こと十年近く、真っ先に学生たちに読ませるのが『武士道』である。受験戦争をくぐり抜けて大学に入学したての学生たちは、『武士道』を読んで一様に驚く。高校までに習ってきたこととあまりに違うことが書いてあるからである。とくに戸惑いを見せるのは、(10)名誉に関する部分である。 武士道では、名誉はしばしば命よりも重いとされる。「それ故に (武士は)生命よりも高価であると考えられる事が起れば、極度の平静と迅速とをもって生命を棄てたのである」(矢内原忠雄訳・以下同)という箇所を読むと、戦後民主主義の教育にどっぷりつかった学生たちは、「名誉より自分を大切にすべきだ」とか「生命は地球より重い」などと拒否反応を示す(むろん(15)新渡戸は「真の武士にとりては、死を急ぎもしくは死に媚びるは等しく卑怯であった」とも述べており、いたずらに死を賞讃しているわけではない)。 (1)学生たちのそうした批判に対して、私は「それではあなた方は一体どうやって価値判断をするのですか」と問う。すると「自分の理性で考えます」「主体的に考えています」などと答える。「すごいなあ、なぜそれほど自分の理性に自信が持てるんですか」と問うと学生は困ってしまう。人間には、理性や論理だけでなく、価値判断の基準となる倫理的な座標軸がなければならない。(5)それがない論理的思考は単なる利益追求とか自己正当化に過ぎない。座標軸の役割を果すのは、外国の場合、主に宗教だから、外国人は宗教のない人間を信用してよいものか訝る。 宗教の力がそれほど強くない我が国でその役割を果してきたのが武士道である。武士道は平安時代末期から鎌倉時代にかけて、「戦うものの掟」として生まれた。それはいわば(10)戦闘におけるフェア・プレイ精神だった。卑怯な振る舞いはしてはならない、臆病であってはならない、という観念である。 騎士道がキリスト教の影響を受けて深みを得たように、単なる戦闘の掟だった武士道にも、さまざまな「霊的素材」が注入されたと新渡戸は言う。 まず仏教、なかでも禅が「運命を任すという平静なる感覚」と「生を賤しみ死を親しむ心」(15)を武士道に与えた。 そして主君に対する忠誠、祖先に対する尊敬、親に対する孝行という他のいかなる宗教でも教えられなかった美徳が神道からもたらされた。さらに孔子と孟子の教えが、(1)君臣、父子、夫婦、長幼、ならびに朋友の間の五倫の道、また為政者の民に対する仁慈を加えた。 こう書くと外国のものが多いようだが、禅にしても孔孟の教えにしても、中国ではごく一部の階層にしか広まらなかった。これらの思想は日本人が何千年も前から土着的に持っていた(5)「日本的霊性」 とびたりと合致していたから、武士の間にまたたく間に浸透したのである。 江戸時代になると実際の戦闘はなくなった。それとともに武士というエリート階級の行動指針であった武士道は、物語や芝居を通して次第に庶民にまで行き渡り、戦いの掟から精神へと昇華し、日本人全体の道徳的基準となった。武士道精神はこうして「遂に島帝国の民族精神を表現するに至った」のだ。 (10)武士道は成文化されていない。聖書やコーランのような経典がない。武士道は「書かれざる掟、心の肉碑に録されたる律法」として親から子へ、口から口へと伝えられた。そして知識よりその実践こそが本質とみなされたのである。 私の父・新田次郎は、幼いころ父の祖父から武士道教育を受けた。父の家はもともと信州諏訪の下級武士だった。生家の二階には三畳の間があり、子供は容易なことでは入らせてもらえなかった。(15)なぜならそこは切腹の間だったのである(実際に使われたことはないらしい)。幼少の父は祖父の命で真冬でも裸足で『論語』の素読をさせられたり、わざと暗い夜に一里の山道を(1)上諏訪の町まで油を買いに行かされたりした。父は小学生の私にも武士道精神��片鱗を授けようとしたのか、「弱い者が苛められていたら、身を挺してでも助けろ」「暴力は必ずしも否定しないが、禁じ手がある。大きい者が小さい者を、大勢で一人を、そして男が女をやっつけること、また武器を手にすることなどは卑怯だ」と繰り返し言った。問答無用に私に押しつけた。 (5)義、勇、仁といった武士道の柱となる価値観はこういう教育を通じて知らず知らずに叩き込まれていったのだろう。義とは孟子が言うように「人の路」である。卑怯を憎む心である。林子平は義を「死すべき場合に死に、討つべき場合に討つこと」と言っている。勇とは孔子が「義を見てせざるは勇なきなり」と言ったように、義を実行することである。そして仁とは、「人の心」。慈悲、愛情、惻隠の情、「強きを挫き弱きを助ける」などがこれに含まれる。 (10)他にも、礼節、誠実、名誉、忠義、孝行、克己など大切な徳目があった。なかでも名誉は重要で、恥の概念と表裏をなし、 家族的自覚とも密接に結ばれていた。前述したように名誉はしばしば生命より上位にくるもので、名誉のために生命が投げ出されることもたびたびあった。 武士道精神の継承に適切な家庭教育は欠かせない。戦前に国や天皇に対する「忠義」が強調 された、という反省から戦後は日本の宝物ともいうべき武士道的価値観がまったく教えられなくなったのは不幸なことである。(15)戦後教育しか受けていない世代が親となり先生となっているから、いまでは子供にこれを教えることも叶わない。 (1)新渡戸の『武士道』は日本人の美意識にも触れている。 武士道の象徴は桜の花だと新渡戸は説く。そして桜と西洋人が好きな薔薇の花を対比して、「(桜は)その美の高雅優麗が我が国民の美的感覚に訴うること、他のいかなる花もおよぶところでない。薔薇に対するヨーロッパ人の讃美を、我々は分つことをえない」と述べ、本居宣長の歌、(5)敷島の大和心を人間はば、朝日に匂ふ山桜花、を引いている。 薔薇は花の色も香りも濃厚で、美しいけれど棘を隠している。なかなか散らず、死を嫌い恐れるかのように、茎にしがみついたまま色褪せて枯れていく。 (10)それに比べて我が桜の花は、香りは淡く人を飽きさせることなく、自然の召すまま風が吹けば潔く散る。桜の時期にはしばしば雨が降り、ときには数日で散ってしまう。自然の大きな力に逆らわず潔く散る。 「太陽東より昇ってまず絶東の島嶼を照し、桜の芳香朝の空気を匂わす時、いわばこの美しき日の気息そのものを吸い入るるにまさる清澄爽快の感覚はない」、つまりこの清澄爽快の感覚が(15)大和心の本質と新渡戸は説く。 (1)日本人は、このような美意識を持ち、いっぽうで行動原理としての武士道を守ってきた。新渡戸はまた、吉田松陰が刑死前に詠んだ、かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂、(5)を引く。吉田松陰は黒船来航以来の幕府の政策を痛��に批判し、安政の大獄の際に死罪に処せられた。この歌は、たとえ行き着く先は刑死とわかっていても、正しいと信ずることをせずにはおれないという松陰の告白である。名誉のためには死も恐れないという態度である。 こうした「大和心」といい「大和魂」といい、武士道精神の精華といえよう。これを世界の人に知らしめた新渡戸の功績は訳者の矢内原忠雄の言うように「三軍の将に匹敵するもの」がある。(10)日清戦争後の三国干渉等で世界が日本に警戒心を強めていたときに、軍事力でなく、誇るべき民族精神によって日本を世界に伍する存在としたのである。 明治維新のころ、海外留学した多くの下級武士の子弟たちは、外国人の尊敬を集めて帰ってきた。彼らは、英語も下手で、西洋の歴史や文学もマナーもよく知らなかった。彼らの身につけていたものといえば、日本の古典と漢籍の知識、そして武士道精神だけであった。それでも彼らは尊敬された。(15)武士道精神が品格を与えていたのである。 世界は普遍的価値を生んだ国だけを尊敬する。 イギリスは議会制民主主義を、フランスは人権思想を、(1)ドイツは哲学や古典音楽を作った。自然科学のうえでもこれらの国は多大な貢献をした。現在経済的にも軍事的にもたいしたことのないこれらの国が国際舞台で主要な役割を果せるのは、彼らの創出した普遍的価値に世界が敬意を払っているからである。 私は、日本の武士道精神と美意識は、人類の普遍的価値となりうるものと思う。 (5)二十一世紀は、武士道が発生した平安時代末期の混乱と似ていないでもない。日本の魂を具現した精神的武装が急務だ。 切腹や仇討ち、軍国主義に結びつきかねない忠義などを取り除いたうえで、武士道を日本人は復活するべきである。これなくして日本の真の復活はありえない。国際的に尊敬される人とは、自国の文化、伝統、道徳、情緒などをしっかり身につけた人である。武士道精神はその来歴といい深さといい、身につけるべき恰好のものである。 (10)新渡戸は「武士道の将来」と題した最終章にこう書いている。「武士道は一の独立せる倫理の掟としては消ゆるかも知れない、しかしその力は地上より滅びないであろう。(中略)その象徴とする花のごとく、四方の風に散りたる後もなおその香気をもって人生を豊富にし、人類を祝福するであろう」 世界はいま、政治、経済、社会と全面的に荒廃が進んでいる。人も国も金銭崇拝に走り、利害得失しか考えない。 (15)義勇仁や名誉は顧みられず、損得勘定のとなり果てた。 ここ数世紀の間、世界を引っ張ってきたのは欧米である。 ルネッサンス後、理性というものを他のどこの地域より(1)早く手にした欧米は、論理と合理を原動力として産業革命をなしとげ、以後の世界をリードした。論理と合理で突っ走ってきた世界だが、危機的な現状は論理や合理だけで人間はやっていけない、ということを物語っている。それらはとても大切だが、他に何かを加える必要がある。 (5)一人一人の日本人が武士道によりかつて世界の人々を印象づけた高い品格を備え、立派な社会を作れば、それは欧米など、荒廃の真因もわからず途方に暮れている諸国の大いに学ぶところとなる。これは小手先の国際貢献と異なる、普遍的価値の創造という真の国際貢献となるであろう。この意味で、戦後忘れられかけた武士道が今日蘇るとすれば、それは世界史的な意義をもつと思われる。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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■陽射しがたっぷり差し込む南向き☆全室南向きなのでどのお部屋でも陽当たり良好です♪
『■陽射しがたっぷり差し込む南向き☆全室南向きなのでどのお部屋でも陽当たり良好です♪ ■アイランドキッチンで家事の動線がスムーズ!収納もあってパントリーとして使用できます! ■玄関上は吹抜けなので明るく室内を照らしてくれます♪ ■全居室フローリングなのでお掃除ロボットもスムーズ♪ ■全居室収納完備。床下収納、ウォークインクローゼットなど完備で収納充実☆ ■カースペースは並列2台完備!駐車場代が掛からないのも戸建の魅力です(^^)/ お問い合わせはもちろん、その他ご質問等も大歓迎です。ぜひお気軽にスタッフにお問い合わせくださいませ。 物件概要 物件名 ピタットセレクション初石 所在地 流山市美田 交通 東武アーバンパークライン「初石」駅徒歩18分 その他交通 京成バス「東初石五丁目」停より約750m 土地面積 公簿 116.15m² 建物面積 96.47m² 間取り 3LDK 建物構造 木造2階建て 築年月 2011年5月築 間取り詳細 現況 空家 引渡時期 即時 土地権利 所有権 都市計画 市街化区域 地目 宅地 用途地域1 第一種低層住居専用地域 建ぺい率1/容積率1 60%/150% 建ぺい率2/容積率2 / 取引態様 媒介 接道状況 小学校区 小学校区:流山市立八木北小学校 距離:450m 中学校区 中学校区:流山市立常盤松中学校 距離:850m 設備 都市ガス 東京電力 公営水道 排水(下水) #流山 #流山リフォーム #流山不動産 #流山戸建て #流山3LDK #流山市美田 #初石駅 #不動産 #不動産業 #不動産仲介 #不動産仲介業 #不動産売買 #不動産相談 #不動産購入 #マイホーム #マイホーム計画 #マイホーム購入 #マイホーム計画中の人と繋がりたい #マイホーム検討中の方と繋がりたい #ピタットハウス #ピタットハウス松戸 #ピタットハウス松戸6号店』
■陽射しがたっぷり差し込む南向き☆全室南向きなのでどのお部屋でも陽当たり良好です♪ ■アイランドキッチンで家事の動線がスムーズ!収納もあってパントリーとして使用できます! ■玄関上は吹抜けなので明るく室内を照らしてくれます♪ ■全居室フローリングなのでお掃除ロボットもスムーズ♪ ■全居室収納完備。床下収納、ウォークインクローゼットなど完備で収納充実☆ ■カースペースは並列2台完備!駐車場代が掛からないのも戸建の魅力です(^^)/ お問い合わせはもちろん、その他ご質問等も大歓迎です。ぜひお気軽にスタッフにお問い合わせくださいませ。 物件概要 物件名 ピタットセレクション初石 所在地 流山市美田 交通 東武アーバンパークライン「初石」駅徒歩18分 その他交通 京成バス「東初石五丁目」停より約750m 土地面積 公簿 116.15m² 建物面積 96.47m² 間取り 3LDK 建物構造 木造…
#ピタットハウス#ピタットハウス松戸#ピタットハウス松戸6号店#マイホーム#マイホーム検討中の方と繋がりたい#マイホーム計画#マイホーム計画中の人と繋がりたい#マイホーム購入#不動産#不動産仲介#不動産仲介業#不動産売買#不動産業#不動産相談#不動産購入#初石駅#流山#流山3LDK#流山リフォーム#流山不動産#流山市美田#流山戸建て
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吹の日 20240926.
あまり変わり映えしない日々でずっと旅行に行く想像ばかりしている。9月は1年の中で一番苦手な月かもしれない。毎年9月に下した判断はたいていまともじゃなかった(特にこの5年以内ずっと)、と思う。1年に2ヶ月程度はみんな苦手な月があると漢方堂の先生がいつか言ってくれたが、私にとってそれは3月と9月であると思われる。ずっと緊張感から抜け出せずに頭痛がしたり、夕方突拍子もなく涙が止まらなくなったり、夢を見ているかのように現実が曖昧模糊として何が何だかわからない��まに状況が変化するのを眺めたりしている。とりあえずこういう時は旅行に行きたいと思うがやっぱり時間がない。アルバイトが週4になると自分の時間までも圧迫されることがよくわかった。時間が短いとはいえ体力の問題が大きい。こないだ京都に行って、同僚たちと話しているとあちら側とこちら側の距離はずいぶんひらいてしまったんだなあと感じた。研究者はみな美しいなあと思う。私も以前はあの淡い光を纏っていたのだろうか。自分が何者なのか全く分からないまま、こないだの3連休は3連勤で店に立ち続けていた。もうすっかりベテランですねとこないだ常連のお姉さんに言われた。その人が、私のおすすめしたコーヒーを気に入ってくれたことが嬉しかった。常連のお客さんもみんな光っている、と思う。早朝に窓の向こう側に広がっている光のような、薄い膜みたいなものに包まれていて、お客さんの相手をしている時は、私はその光に照らされている物体になっていると感じる。部屋の明かりを消して、一人で床に直に座っているといよいよ石のように身体が硬直してくる。感情など抜きに、自分は鉱物のように生きていくしかないような気がしてくる。誰か私を見つけてください、とか願うんだろう。
今日は休みだったので昼頃まで寝て、のろのろと街に出てカレーを食べた。5年ぶりくらいに来たかもと言う彼の横で、私も前にその店に来た時のことを思い出していた。その時一緒だった友人のことを考えていた。元気にしているのだろうか。その人もまたあちら側に行ってしまったのかもしれない。勝手に去っていった、というのは当事者の認識とは合わないような気がしているが、私はそう考えている。人と急に距離が開くことは私の人生にはよくあることなのであまり気にしていない。最初からこうなることが決まっていた、と解する運命論はあらゆる憶測や気遣いの余地を取り除いてくれる。誰かの目に映る自分の姿に興味がわかないから反省や心配もない��こういう自分の本音の部分を一応恥じてはいる。特に接客している時にこそ恥ずかしくなる。いつの間にか粗相をしてしまっているのだろう。でもやっぱりだからといって気にならない。後悔などの感情が湧き上がってこない。どうでもよくなってしまったのかもしれない。私は本当に全然悩まなくなってしまった。これも最初から決まっていたのだろうか。
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2024年6月23日の読書、24日の読書
撮りすぎる写真 椿の葉を磨くものが時間と知りながらなお
新生児並べるようにタッパーへ夜のしじまへご飯を分ける
/穴根蛇にひき「雪と雪の鵺」(『短歌研究』2024年7月号)
日に照るのは確かに花より葉の部分と思うから磨くにすごく納得感があった 〈すぎる〉とか〈なお〉があると、長くてゆるやかな時間の流れ/短くて急に加速する時間の流れの対比が見えて、加速の危うさというか緊迫感がほんの少し出てくる気がする
タッパーを手元に見るときの日常の感覚から〈夜のしじま〉で生活空間を外側から見る把握に移るときに新生児や日常のにぎやかさが削ぎ落とされるのがかっこいい 無音は揺るぎなく詩情だと思う それまでは音とかが聞こえてるけど〈ご飯を分ける〉動作は無音でモノクロの映画っぽく再生される気がする
いつかのホームページにあったドット絵の桜吹雪が流れるしかけ
スタンドバイミーがきこえてスタンドバイミーのストーリーを思い出す
/梨とうろう「8週目の天気」(『短歌研究』2024年7月号)
〈いつかの〉がおもしろい ドット絵とかのレトロな感じは共有できる全員のためのいつかにも思えるし〈ドット絵の桜吹雪が流れるしかけ〉は容易に想像がつく分かなり自分史的な、個人のいつかにも思える スタンドバイミーの歌もそういう側面があって並んである状態で読んでうれしかった
思い出を取り出してきたはずなのにとても似ている油絵だった
また一つ歩いていない道を消し四半世紀にさらに奥行き
/橙田千尋「パッチワーク」(『短歌研究』2024年7月号)
〈取り出してきた〉に対しての〈油絵〉、質感があることによって物体っぽく見えるのが本当に良い 映像や絵というか景の話は平面っぽいけど、この歌は厚みのある立体としてそれらを扱うから思い出がその人の身体に基づく実感のあるものに思える 歌を読んで、この他者の実感を信じきれると思った
〈また一つ〉でその人の暮らしの四半世紀を思い浮かべるんだけど、〈さらに奥行き〉でこれから消す/残るだろう暮らしを想像するときにそこにはその人以外の(私を含む)他者の暮らしも含まれている気がする 巨大な見せ消ちっぽい
からだは街へ柳のやうにしなだれてわたしはわたしの祭司をさがす
ガムを買つたレシートにガムを吐き捨てる立体駐車場の機能美
/佐原キオ「なにかある街」(『短歌研究』2024年7月号)
しなだれることの喩として柳は全然使われると思うけど、この歌ではわたしにとっての祭司が未だに不在である状態の街を想定したときに、風に吹かれる様とか、そういった動きを伴う柳として再度喩が立ち上がる 心底かっこいい
立体駐車場の内部には多分吐き捨てられたガムとかあるだろうな、とか、レシートから立体駐車場が商業施設に付随するものだったりすることを思うときに、内部にいる人まで含んで機能は機能たらしめられると思った 機能美に説得力がある
海のことざっと調べてぼくたちに還る資格はないと思った
がらがらの弱冷房車でいろはすをすこしこぼして靴でのばした
/遠藤健人「猫の形の」(『短歌研究』2024年7月号)
昨日ともだちと読んでていちばん笑った おもしろすぎる 〈ぼくたちに〉で謎の連帯をしようとしているところとか、〈がらがらの〉〈すこし〉でなにかから免れようとしつつ〈弱冷房車〉でその免れの手付きを描写にすり替えようとしている感じとか 丁寧なおもしろさがあると思う
行かなかった社員旅行のおみやげのパインケーキをデスクに飾る
デザインを依頼しながら渡してる栃の実せんべいは飛騨の銘菓
/城下シロソウスキー「トランジション・ピリオド」(『短歌研究』2024年7月号)
〈行かなかった〉の選択を踏まえたときに、パインケーキは食べるでもなく飾っているわけだし、つくづくこの社員旅行に魅力を感じていないように見えて通底した温度感のなさや結果として発生した動作がおもしろく感じる 栃の実せんべいについての説明や〈ながら〉の動作も同様で、歌における心身の捩れのなさやその空気感がしみじみ良い
引いた歌はもちろんすべて好きな歌だが、表題の記載があるものの中だと「雪と雪の鵺」「パッチワーク」「なにかある街」が良かった 好きな歌が多い
変じゃなく面白いって言いなさい、という指導が入っているな
/岩倉曰(『短歌研究』2024年7月号)
おもしろくてみんなに見せたかった
この冬のため手に入れたマフラーに描かれている冬の生き物
色々な指の曲げ方をしていると知らない鳥が来て調べたい
/奥村鼓太郎(『短歌研究』2024年7月号)
〈冬の生き物〉とか〈色々な指の曲げ方をしている〉手がバリエーションのある感じで平面的に立ち上がるのが良い
食べきればおのおの骨を返しゆくKFCが滲んだ箱に
/景川神威(『短歌研究』2024年7月号)
〈おのおの〉や〈滲んだ〉でファーストフードの感じが残りつつ、受け取れるところは余韻のような空気感なのが良い 箱のシンプルそうな感じもうれしい
てのひらの上で形を見いだした餃子に蓋をして焼いている
屋根裏を見たことがないひとのためシルバニアファミリー駆けつける
/新上達也(『短歌研究』2024年7月号)
私に常識がなければぜんぶの歌引きたいくらい良い
〈形を見いだした〉でまず 餃子の完成形のイメージがあって/そこに沿わせて成形し/てのひらに餃子が乗っていること がわかること、〈蓋をして焼いている〉ことからなんとなくてのうえにあったときと同じ姿勢の餃子がフライパンの上に並ぶことがわかる気がする 言い回しから受け取れるものが多い
〈シルバニアファミリー駆けつける〉ときの動機として〈屋根裏を見たことがないひとのため〉が挙げられたときに、家っぽさで言えば屋根裏とシルバニアファミリーの取り合わせは納得ができるのに、状況としては具体的にはわからないから〈シルバニアファミリー駆けつける〉の空想的な感じを損ねない 取り合わせのバランスが抜群に良いと思う
それに〈シルバニアファミリー駆けつける〉様はコマ送りで撮られた映像のようだと思うと可愛らしくて人形にもともとのコンテンツが与えるキャラクター性も改めて付与される気がする、そうなると〈ひとのため〉のための部分にも説得力が生じてきて読んでいてすごくうれしかった
〈見いだした〉も〈駆けつける〉も、動詞の選択が抜群に良い
新上達也さんの短歌、とんでもなく良い...... しみじみ......
むんむんとシャンプー提げて下ってく坂がなんだか友達みたい
考えていると時間が経っている花梨もこれでふくらむんだな
/橋本牧人(『短歌研究』2024年7月号)
むんむん............?
割と2首とも膨張の感じがあって、その膨張は長めの時間の経過が前提になっている気がする そこに対して坂の実際の距離や考えている時間が沿うように置かれると長い時間のほうは過程も含めて一枚絵みたいに景として置かれているように思えてきて、なんか、たぶん主体はめちゃ長生きしようとしていると思った
初恋を描くとしたら足癖の悪さをできるだけ美しく
/宇田川美実(『短歌研究』2024年7月号)
〈できるだけ〉がよかったと思う 〈足癖の悪さ〉自体は美しくなくて、美しいのはその足捌きだと思うけれど、そこも含めて〈できるだけ美しく〉描こうとするときに自分の体験から離れた/もしくは語に引っ張られたイメージとして〈初恋〉が独立して存在するのがおもしろい 自分の経験をもって概念のすりあわせをしようとしている感じ
撫でているとふわふわになるカーペットそのうちうんちしてくれないかな
/太田垣百合子(『短歌研究』2024年7月号)
怖いと思った
許しあうことに慣れたら本棚の日なたにちかい本がきいろい
/髙田皓輔(『短歌研究』2024年7月号)
〈きいろい〉理由として〈日なたにちかい〉が挙げられているけれど別にちかいだけで日なたにあるわけではないから確定しようと思うと変な感じ、日焼けでも装丁の色でも〈ちかい〉だと説明しきれない この歌では〈日なた〉と〈きいろい〉のイメージの近さだけ受け取ってなんとなくわかった気がする一瞬があって、歌の中ではそれが物理的な近さとして置かれているのがおもしろいと思う 〈許しあうことに慣れたら〉、一応解決っぽいことにはなっているけどよく考えたらちょっと変なことばっかり起きている可能性が高い
純粋に数とレイアウトで目がすべる 読書ってむずかしいかも
気をつかうと気を遣わせてしまうから多めに肉団子を皿に取る
/松下誠一(『短歌研究』2024年7月号)
解説が先に来る実況が内包するのは〈気をつかうと気を遣わせてしまう〉の展開の実況と実際に行動に移すまでの考えごとをしている人の姿の実況で、この歌では後者の部分、あるいは元気そう/明るそうに見せようとする感じを肉団子が担保している気がする メインっぽい料理、肉料理として 〈多めに〉もその結果......みたいな感じで読んだのでこの歌は結構精緻な描写がなされているのではないか、と思った 〈から〉の接続でもしみじみと主体の善良な人柄や丁寧な気遣いの様を受け取れる気がして読んでいて好感度があるなとうれしくなる
鮭を焼くにおいのなかで実感は塩のかたちになって指から
/豆川はつみ(『短歌研究』2024年7月号)
塩を振るのであれば〈実感〉は既に焼いているときの〈におい〉の部分がそうなのではないかと思いつつ、焼かれている鮭に対しての能動的な動作は塩を振ることくらいかも......となった ひとつの動作の - 一連の動作の中の - 手順 だけ剥ぎ取ってラグを強引に生じさせる手つきがある気がする 指から離れた塩が鮭に届くまでの時差もこの歌は含んでいて、全体的に切れ切れの、階段状の放物線を思わせるフォルムの歌だと思う
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narrative
------------------------------------------------------ 『揺らぐ香りの』 ------------------------------------------------------
あの香りを嗅ぐと、恋の記憶がよみがえる。 少し背伸びをして、素敵な女の子のふりをしようとしていた。 思い出すと恥ずかしくて、くすぐったくて……少しだけ、切なくなる。
「先輩、どうされたんですか?」 声をかけられてハッとする。催事場のざわめきが一気に流れ込んでくる。 「ごめんなさい。人が多いから、少し圧倒されちゃって」 「そっか、先輩は初めてだって言ってましたね。バレンタインデーフェアって毎年どこもこんな感じなんですよ」 「すごいのね」 世界中のチョコレートショップを集めた催事会場を眺めて、思わず感心してしまう。人、人、人の波。目を輝かせた人々が所狭しとひしめきあっている。バレンタインデーフェアというから女性ばかりかと思っていたけれど、意外と男性の姿も多い。女性の付き添いというだけでなく、男性同士やひとりで来ている人もいるようだ。 「目的は人それぞれなんですよ。恋人に贈る人もいれば、義理チョコ目当ての人も、自分へのご褒美を買いに来る人もいます」 「自分への?」 「そうですよ。だって、高くて美味しくて珍しいチョコがいっぱいあるんですよ。人にあげておしまいなんてもったいなくないですか?」 「そう言われてみれば、そうかも」 私が頷くと、後輩はキラリと目を光らせた。 「だからね、先輩。取引先用のチョコを選びつつ、自分用のチョコも選びません? 平日のお昼に来れるチャンスなんて、なかなか無いんです。土日だと売り切れちゃうような限定チョコも、今ならまだ残ってるっぽいんですよー」 「なるほど。買い出しの手伝いを真っ先に名乗り出てくれたのは、それが目的だったのね」 「あはは……バレちゃいましたか」 後輩は照れたように笑って頬をかいている。普通ならば先輩としてたしなめるべきなのだろうが、そんな気が全く起きない。 「しょうがないわね」と言いつつ、つい許してしまった。 この後輩を前にすると、私だけでなく他の誰もがそんな対応になってしまう。にこっと笑って頬を掻いてみせられると、みんなが「しょうがないなあ」と許してしまうのだ。 要領が良いのに嫌味なところが無い。愛嬌たっぷりで、誰にでも分け隔てなく接している。そんなところが、人を惹きつけるのに違いない。 昔から生真面目そうに見られて、人から怖がられてしまうことの方が多い私にとって、後輩の天性の愛嬌はとても眩しく映る。 「先輩、こっちにあるお店が結構おすすめなんですよ。日本初上陸なんです」 「最初に取引先へのチョコレートを買うのは忘れないでね?」 「分かってますよー」 人混みを器用に通り抜けていく後輩の背中を追いかける。ずいぶんと活き活きして見えるから、思わず苦笑してしまう。そういえば後輩が、「甘いものに目がなさすぎる」と会社の女の子たちにからかわれている姿を見かけたことがあったっけ。 「――――」 不意に足が止まった。 周囲の音が瞬時に消えた。 どきん、と鼓動が大きく跳ねた。 あの香りだ。 すれ違った女の子の髪がふわりと舞って、微かに香った懐かしい香り。 チョコレートの香りがどんなに強くても、お化粧の香りや、他の香水の香りがどんなに混ざり合っていても、私には分かる。 恋の記憶を呼び覚ます、あの香り。 (そうだ――あの香水をつけたのも、ちょうどバレンタインデーの日だった)
小学五年生の冬、私は初恋に戸惑っていた。 相手はクラスメイトの男の子だった。明るくて、体育が得意で、愛嬌があって、誰からも好かれる人気者の男の子。 対して私は、クラスで一番地味で、真面目で、先生が決めたルールを守ることしか取り柄の無い女の子だった。 クラスメイトの女の子たちが、バレンタインデーにこっそりと学校へチョコレートを持ち込む方法を話し合っている時だって私は仲間外れにされていた。私に知られたら、先生に告げ口されてしまうというのが女の子たちの共通認識だったからだ。 真面目で目立たない生徒だっただけで、教師から気に入られていた記憶もないのだけれど……とにかく女の子たちはそうやって、一生懸命に恋の秘密を守ろうとしていたのだ。 だからこそ、私はひとりで悩むしかなかった。好きな男の子に、どうやってチョコレートを渡そうか、と。 お年玉は地道に貯めていたので、チョコレートを買うお金はあった。母親の買い物についていって、きれいにラッピングされたチョコレートを買うのも難しくはなかった。 問題は、チョコレートを渡す勇気が無いことだけだったのだ。
「先輩はぐれちゃいますよ」 再び人混みを縫って、後輩が私の前まで戻ってくる。 「さっきからぼうっとしちゃって、どうしたんですか? 疲れたなら、一旦出ましょうか?」 「大丈夫。心配させてごめんなさい」 誤魔化すように笑うと、後輩は少し眉をひそめた。それから、ぱっと顔を輝かせる。 「それなら、そこのイートインでちょっと休みましょう。この催事限定のチョコレートドリンクが売ってるんです」 「……心配しているふりをして、本当はその限定ドリンクが目当て?」 「違いますよ、これは純粋に先輩を心配してるからこその提案です!」 大真面目に言う後輩に、少し笑ってしまう。 そういえば、後輩はどこか彼に似ているところがある。だからこそ、今日はやけに鮮明に彼のことを思い出してしまうのかもしれなかった。
限定ドリンクを買って、イートインスペースに落ち着く。取引先へのチョコレートを選ぶことすらしていないのに、休憩していることに少し罪悪感を覚える。 「おいしいですね、これ!」 「……そうね」 ささやかな罪悪感は、後輩の笑顔の前に浄化されてしまう。 「それじゃあ先輩。さっきからぼうっとしてた理由、教えてくださいよ」 「さっき、人が多いからだって言ったでしょう?」 「絶対それだけじゃないですよ」 後輩はにやりと笑った。 「恋する乙女みたいな顔してましたよ。もしかして、好きな人にあげるチョコのこととか、考えてました?」 「違うわよ」 「すぐに否定するところが怪しいなあ」 「…………」 答えるまでは引かない気みたいだ。好奇心でキラキラしている後輩の目に負けて、私は白状することにした。 「懐かしい香水の香りがしたのよ」 「香水?」 「ええ。子どものころ、こっそりつけた香水の香り」 「どういうことですか?」 身を乗り出して話を聞く気満々の後輩に、私はぽつりぽつりとバレンタインデーの思い出を打ち明けた。
バレンタインデーの当日。 私は一世一代の勇気を振り絞って彼を学校近くの公園に呼び出した。 家に一度帰って、チョコレートが入った紙袋を持って――それから、家を出るのが怖くなった。 もしも彼が来てくれなかったら? むしろ、友達を大勢引きつれて待っていたら? 告白を馬鹿にされたら? チョコレートを拒否されたら? 呼び出すことに勇気を使いすぎたせいだろうか。悪いことばかりが頭を巡って、部屋から一歩も動けなくなってしまったのだ。 その時だった。母のお気に入りの香水のことを思い出したのは。
「香水と告白の勇気って、どう結びつくんですか?」 後輩が首をかしげる。 「香水の香りにはたくさんの効果があるっていうのが、母の持論だったのよ。香水の香りは、勇気と自信を与えてくれる魔法なんだって」 「そっか。それで先輩、いつも香水をつけてるんですか?」 「ええ。……少ししかつけていないのに、よく気付いたわね」 「そりゃ気付きますよ。先輩とすれ違うたびに、良い香りがしますから」 後輩はにっこりと笑った。 「それより、告白は上手くいったんですか?」 後輩の問いかけに、私は首を左右に振った。
彼に意識してほしくて。 他の女の子とは違う、特別な女の子だと思って欲しくて。 “好きな人”の“好きな人”になりたくて、一生懸命考えてつけた初めての香水。 繊細な意匠のガラス瓶からワンプッシュ髪の毛にふきかけて、やっと外に出る勇気が出たのだった。
果たして、公園には彼がひとりで待っていた。 挨拶もそこそこに、どぎまぎしながらチョコレートの紙袋を差し出したのを覚えている。 彼は少し驚いた顔をして、それから照れくさそうに紙袋を受け取ってくれた。 次は告白の言葉だ。 そう意気込む私に、彼は思いもよらない言葉を投げかけてきた。 「ありがとう。俺が転校するって知って、プレゼント用意してくれたんだろ?」 「転校?」 「うん。父さんの仕事の関係でさ」 絶句してしまった。バレンタインデーのチョコレートだという弁解も、告白の言葉も、全て真っ白に吹き飛んでしまうくらいに。 「開けてもいい?」 彼にそう聞かれ、私はこくこくと頷いた。衝撃が大きくて、まだ声を出せるような状態ではなかったのだ。 茫然としている私の前で、彼は包みを丁寧に解いていった。溌剌とした彼のイメージからすると、バリバリ包みを破るものかと思っていたから意外に感じたのを覚えている。 「チョコかあ!」 彼は嬉しそうに笑った後、不思議そうに目をぱちくりさせた。 「……どうしたの?」 やっとバレンタインチョコだということに気付いたのかと、少しドキドキしながら訊ねた。 彼は答えを待つ私へと、無言で距離を詰めてきた。 そして、くんくんと鼻をひくつかせて。 「ずっと良い匂いがしてると思ってたんだ。このプレゼントの匂いだと思ってたけど、違うみたいだな」 チョコレートの箱と私を交互に見て、納得した���うに頷いた。 「きみから良い匂いがしてたんだ。俺、この匂い結構好きだ」 そして、ちょっと恥ずかしそうに頬を掻いた。
「それで、彼とは?」 後輩が気づかわしそうに問いかけてくる。 「何もないわ。そのまま転校してしまって、それきり」 当時の切なさが少しよみ���えってくる。誤魔化すように、視線を逸らした。 「うーん、甘酸っぱい思い出ですね」 後輩はチョコレートドリンクの最後のひと口を飲み干す。 「そういえば、兄から似たような話を聞いたことがありますよ」 「えっ?」 戸惑う私に、後輩は意味ありげな笑みを向けてくる。 「そうです。転校が決まったころのバレンタインデーに、兄がチョコレートを持って帰ってきたんです。兄は鈍感だから『転校するからお別れのプレゼントをもらった』なんて言ってましたけど……僕はちゃんと気付きましたよ。それで、見知らぬ女の子に同情していました。だから、よく覚えてるんです」 後輩は、私の顔を覗き込む。彼は私の反応を窺うように、じっとこちらを見つめている。 単なる偶然。ありきたりなバレンタインデーエピソー��だから、彼にも似たような思い出があるだけ。そう思いたいのに、上手くいかない。 後輩の表情が、あまりにも確信的だったから。 「その男の子の名字、覚えていませんか?」 後輩に言われて、やっと思い至る。後輩の名字と、初恋の男の子の名字が全く一緒だということに。 「もしかして、あなた――」 言いかけた私に、後輩はにっこりと笑顔を見せた。 「今度紹介しましょうか。あの頃の誤解を解くには、良い機会かもしれませんよ」 「でも、そんなに急に言われても困るわ。彼とは一生再会できないだろうと思って、こうして思い出話にできているわけだし……」 「香水の香りを嗅ぐたびに思い出すなんて、今も好きって言ってるようなものですよ」 後輩は苦笑して、それから少し切なそうに私を見る。 「僕だって、いつも先輩がつけてる香水の香り、覚えちゃってますから。デパートとかで嗅ぐたびに、先輩を思い出しますよ」 そう言って、赤い頬をぽりぽりと掻く。 (それって――) 後輩の言葉を借りれば、“好きって言っているようなもの”だ。 にわかに顔が熱くなる。 「弟としては正直、鈍感な兄に先輩を渡したくありませんけど……恋の勝負は正々堂々とやるべきですもんね」 愛嬌たっぷりに笑う後輩を前に、私は言葉を失ってしまう。さすがに「しょうがないなあ」と言うには、少し時間がかかりそうだった。
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UnsplashのLaura Chouetteが撮影した写真
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ライバルと相棒と訓練と
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先の任務の結果がスマートフォンにメール送信されてきた。 無事に覚醒剤『Bウォッシュ』が警察の手に渡り、コンテナを守っていた輩たちも逮捕されたようだ。ほとんどチーマー上がりの素人集団だったらしいのだが、その中の一人が武威或会に通じている人間だったそうで、現在調査中とのことだった。追って報告すると締めくくられていたメールを見たのが川崎港コンテナターミナルでの初任務から2週間ほど経ってからだろうか。 わたしたちは学生としての本分である学業をこなす日々がしばらく続いた。 将来のためというよりも、世間に紛れるために必要な知識をつけるための勉強だという。朝は9時頃から夕方の15時までみっちりと授業を受け、放課後とでもいう時間帯に『シスターシステム』でマッチングした天先輩と霞先輩とにオルフェンとしての特訓をつけてもらっている。 というのも、霞先輩曰く 「前回は運よく素人同士仲良くできたが、基本のきの字ぐらいしかできてない」 そうで、授業の後もみっちりと訓練で身体を動かしてはクタクタになり部屋に戻り一日を終える。そんな日々が続いていた。 授業がない土日は早朝の横浜の街を4人でランニングし、『孤児院』に戻ってからは体術や射撃訓練。 もしかしなくても霞先輩は脳筋なのでは?と亜里沙と共通認識を持てている。 こんな生活を続けて気づいたことがある。 亜里沙の飲み込みが早い。難しい身のこなしやアドバイスをすぐに吸収し実践している。 たまに居残りで霞先輩とトレーニングをこなす。 確実に力をつけているのが目に見えてわかるのに対し、わたしは特に何が得意なわけでもなく平々凡々。 射撃も並、体術も並。アドバイスの消化もベッドに入ってから気づく。 少し焦りを覚えているのが自分でもわかる。 ───────────────────── じんわりと夏の空気が漂い始めたある日。 クーラーがつきはじめたトレーニングルームにて、いつも通り亜里沙と準備運動や柔軟を済ませていると霞先輩がやってきた。ここしばらく天先輩の姿は見ていない。 あいつはあいつでどっかしらでトレーニングしてるからほっといていいとは霞先輩の弁。 「お前らそろそろ足腰鍛えられてきたころ合いだと思う。お待ちかねの私らが使ってる技を伝授してやろう」 「待ってました!パイセン!何やるんすか!?」 「お前らにはこれをやってもらう」 そういうと霞先輩はゴリゴリと肩を動かし始めた。 「肩・・・ですか・・・?」 「え?それだけっすか・・・?」 「だと思うだろ?肩甲骨を動かすんだ、背中触ってみ」 言われてゴリゴリ動く背中を触る。生き物でも入ってるんじゃないかと思うほど肩甲骨が動き回っている。 「うわ、キモ!」 「キモイは言い過ぎだバカ。お前らにはこれをできるようにしてもらう。簡単に言えば柔軟体操だな。最小限の動作で体に波を作ってやることで近距離戦での威力を高められる」 ぐにぐに肩甲骨を動かしながら説明する先輩がシュール極まりない。 「んじゃあ、これをやるためにまずは仰向けに転がって肩甲骨で匍匐前進をだな」 仰向けに転がった霞先輩が上下左右ぐにぐに肩、というか肩甲骨を動かして移動しまくる。 「うわ、キモすぎる」 「うるせぇ!これをやれ!」 ぐねぐねと仰向けの先輩が突進してきた。 やれ、と言われてやってみるがこれがなかなか難しい。 全然進まない。 しばらくは天井と見つめあいながら過ごすことになるだろうな。 ───────────────────── 背中が痛い。 寮のベッドの中、目が覚める。 もぞもぞと布団をかぶり、AM1時と表示されたスマートウォッチを確かめる。 隣のベッドからはすやすやと寝息が聞こえている。 妙な時間に起きてしまい、目がさえている。 亜里沙を起こさないように静かにベッドから抜け出し、そのまま夜中のホールへと忍び出た。 ホール��はほとんど生徒の姿はなく、わたしと同じように目が冴えて寮を抜け出した子や夜遅く任務から帰ってきたであろう子達が散見される。
吹き抜けの手すりに寄りかかりこの地下空間を眺める。上層階は照明が完全に消えており、誰もいないことがわかる。 一か所煌々と明かりがついているところは購買だろうか 中層は一部照明が落とされ、間接照明が多めに設置されている。 下層も照明が落とされほぼ真っ暗だが、シューティングレンジらへんから光が漏れている。 誰か電気を消し忘れたのだろうか?ふと好奇心が沸き上がり下層へ向かうことにした。 エレベーターもエスカレーターもこの時間は止まっているので仕方なく階段を使う。 シンとした広い空間、空調と換気扇が動く音、自分の階段を下りる足音。まるで夢の中を歩いている錯覚に陥る。実は寝ていて明晰夢を見ているんじゃあないかと。痛む背中が現実の証拠であることを確かめさせる。 下層に降り立つ。暗がりの時計台を通り過ぎ漏れる明かりに向かう。 シューティングレンジの防音から微かに漏れる発砲音が聞こえる。 誰かがシューティングレンジを使っている。 シューティングレンジの小窓からでは誰が使っているのかうかがい知ることができず、そっと扉を開け中に入る。 カランカランと薬莢が転がる音がする。 ちょうど打ち終わったのだろう、ターゲットを引き寄せるレールのモーター音がうなる。 セーフティーゾーンからレンジに入り使用中のレーンをのぞき込む。 「天先輩?」 「・・・?キミは、何してるの?」 イヤーマフを外しながら小首を傾げる。緋色の瞳がじっとこちらを覗く。 「あ、いえ。寝付けなくて、シューティングレンジに明かりがついてたので気になって」 「そう、私はもう少し撃ってるから」 そういうとイヤーマフをかぶり直し射撃体勢に入ろうとしている。 慌てて近くに掛かっているイヤーマフを装着しレーン後方のベンチに腰掛ける。 タン、タン、タンと小気味よく正確に射撃をしていく。繰り返し、繰り返し訓練し続けたであろう洗練されたよどみない動き。
しばらく眺めているうちにウトウトと眠気がやってきた。 まだ終わる気配を見せない天先輩に「お先に失礼します」と聞こえていないだろうけれども声をかけ、寮の自室へと戻るのだった。
翌日も放課後、引き続き床に背中を預け天井とにらめっこしている。 亜里沙はコツをつかんだのかスムーズに動けるようになりつつあった。 わたしも負けじとぎこちないながらも少しずつ動けるように奮戦した。
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牢獄の瞳 〜或る日常 Chapter:xx〜
これ以上は体力の消耗が激し過ぎた。 戦闘による負傷と、猛吹雪という荒天により、私の身体は悲鳴を上げ始めていた。 「くそッ…!ついてねえ!!」 私は左脇腹に突き刺さった折れた牙をどうにか抜き取ると、奴に目掛けて投げつけてみた。 それは辛うじて奴の足に刺さったかのように見えた。その怯んだ隙に逃げ出した。 奴はもう、完全に瘴気に取り込まれてしまっている。あそこまで呑み込まれてしまうと、もうなす術はなく、『駆除』するしかなかった。私は急いで通信機器を取り出し、応援を要請することにした。 それは、かつて"まともな人間"だった、奴を殺すことを意味していた。 アルゥ・ジスラトミ。それが彼の本名だった。彼は某研究所で清掃のアルバイトをしていた。やや病弱なところがあり若くして持病を持っていたものの、休日は家族と共に過ごしたり買い物をしたりする、ごく普通の青年だったと後に聞いた。 この研究所では主に病気治療に関する研究を行っている。様々な実験をし、新たな薬剤を開発し続けている。そういう場は多かれ少なかれ瘴気が発生しやすく、今までも研究所内外で同じような事件は起きていた。 瘴気は人間の意識を呑み込み、制圧し、破壊する力を持っていた。呑み込まれれば呑み込まれるほど本人の意識は薄れ、暴走し、やがてモンスターへと化していく。彼らを止めるには浄化作用の強い水晶を用いた武器で直接瘴気を切り裂いたり、水晶をパウダー状にしたものをカプセルに詰め、瘴気に撃ち込んで浴びせたりする必要があった。 私たちは瘴気を"狩り取る"ハンターであり、仕事の依頼が集まるカフェバーにて仕事を請け負っていた。まあ、仕事と言っても賞金稼ぎのようなものである。 このカフェバーのマスターとは過去、色々と世話になったよしみで今も仕事の面倒を見てもらっている。マスターは名をナターニャと言い、ドレッドヘアで浅黒い肌を持ち、筋骨隆々で言葉遣いは丁寧な方だが豪快に笑う、姉御肌の女性であった。 「……ッー……ザザザッ。………もしもしアンナ?」 「ナターニャか、やっと繋がった!至急応援を要請する、なんとか粉末を撃ち込んだが、もう手遅れみたいだ」 「貴女が手こずるなんて…ずいぶん末期だったのね。でもそんな依頼したっけ?…確か今日は一日オフにしたって言ってたわよね?」 「ああ、あいつ…完全に不意打ちだったよ。夕飯の買い物に来ていたら現場に出くわした。スキャンしたら身元は判明したよ。…研究所で清掃のバイトをしてる奴だった」 「そう……ともかく逃げてちょうだい。今、緊急班を呼んだわ。すぐに駆けつけるはず。貴女は自分の身を守ることを優先して。…ひどい怪我を負っているんでしょう?」 「ああ、そうさせてもらうよ」 私は暗澹たる気持ちで通信を切った。 緊急班とは、私たちハンターでは手に負えないほど”モンスター化した者”を駆除、つまり殺す専門のチームのことである。彼らは私たち民間人とは違い、国から派遣されている公的な組織で、謂わば国が認めたプロの殺し屋だった。彼らの姿は誰も見たことがなく、応援を要請する権利を持つナターニャでさえも実際に彼らを見たことはないらしい。住民に至っては緊急班どころか、私たちハンターの存在ですら国によって隠されている。 今回のことも、ただのとち狂った奴が起こした事件として扱われるだけだろう。 私たちは半分血に染まっている。 ハンターの仕事は瘴気を浄化することで元の人間に戻すことだが、末期の人間までは救えない。人殺しの延長線上に自分達もいるのだという後ろ暗いような思いが、ずっと消えずに私の心を締め付けていた。 *** ━━━数日後。 「……ッ!プハーッ!!!賭け事に勝った後の一杯はやっぱうめーぜ!!」 私はナターニャの店で気分良く酒を飲んでいた。店内は木材を基調としたロッジのような作りになっていて、カウンターには白��灯の柔らかな光が薄暗い店内をあたたかく照らしていた。 「珍しく機嫌がいいと思ったら、そういうことだったの」 「ちょっ…ナターニャ!!珍しくとか言うんじゃねーよ!せっかく気持ちよく飲んでるのに気分下がるだろーが!」 「ごめんごめん、だってボロボロに負けてやけ酒してるところしか最近は見てなかったものだから」 「くーーーーッ!!言ってくれるねえ!!!��あそうだよ、3ヶ月ぶりに勝ったんだよ!トータル赤字だよ!!ざけんな!!これからだッ!!あたしはこれから勝って勝って勝ちまくるんだーーーーーッ!!!」 「あら、今日も結局ヤケ酒かしらね」 ナターニャは笑いながらそう言って、注文していた煮込み料理を出してくれた。私が大人しくスプーンでそれをつつき始めると、少し神妙な面持ちで彼女は口を開いた。 「……アンナ、傷はもう大丈夫なの?」 「ふんっ、アンナ様にかかればあんな傷、すぐに治るわい」 「あんまり無理しないでちょうだい。いくら貴女が頑丈だとはいえ、体に影響がないわけじゃないんだから」 「…わかってるよ」 私はすっかり不貞腐れたように頬を膨らませた。 「ふふ、ごめんなさい、また水を差しちゃったわね。水を差したついでに……先日の彼のことだけど」 「……駆除されたあいつか」 「ええ、彼、持病を持っていたから薬でコントロールしていたみたいね。だからあまり目につかなかった…。それでも、あんな末期症状が突然出るとは考えにくいから瘴気が見える人には気づくほどだったと思うけど、そういう人は周りにいなかったのね」 瘴気というのは本来、誰もが気配として感じられるものだったが、時代の流れとともに身体能力が退化していき、生まれつき気の流れを感じやすい者や、後天的に鍛錬してその能力を身につけた者のみが見えたり、感じられたりする類のものとなっていた。ましてやアンナたちハンターのようにはっきりと目に見える者はごく限られている。 「”研究所内には瘴気が見える者は存在していない”…」 アンナが物言いたげに口の中でつぶやいた。 「一応、そういうことになっているわ。誰でもが見えるものではないから、我々にはわからない、だからそのことにはノータッチだというのが彼らの言い分だから」 「ふん…。つくづく腐ってやがるぜ。大体、奴が飲んでいた薬ってのも、どこから処方されていたものなのか…」 「今となってはもうわからないわ。研究所は意地でもシラを切るでしょうし、怪しいところは既にもみ消しているでしょう。そういう連中だから。……犠牲になった彼が不憫だわ」 ハンターたちに依頼されるような瘴気に呑まれた人間は、研究所の関係者から発生することが多かった。私自身も何度か彼らを救ってきた。だからこそ、瘴気退治はハンターに任せて自分達は研究に没頭したいという研究所の意向が気に食わなかった。その研究のせいで瘴気が発生しているというのに、彼らは、自分達の専門外だからわからない、関係ないと繰り返すだけだったのだ。 「よし、今日は飲むぞー!!ナターニャ、おかわり!!」 「はいはい。飲み過ぎには注意してね」 「もう!何でナターニャはそうやっていちいち釘刺してくんだよーッ!!」 ナターニャはアハハと笑って麦酒を注いでくれた。 店の外は今日も吹雪いていた。
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大魯上人
大魯上人
鹿児島の浄土真宗の礎を築いた大魯和尚(だいろ)の墓は旧吹上町の光専寺の敷地内にございます。
大魯は幕末に本願寺で起きた教義上の論争(三業惑乱)で異端者として追放され、京都から肥後、天草を経て薩摩に逃れた。
当時藩では浄土真宗を厳しく禁じていた(※かくれ念仏のぺージ��照)
それでも大魯は煙草講(たばここう)などの名で人々を集め、洞穴に隠れて念仏の教えを説いた。
そして各地を回り30年、多くの人々に慕われながら天保7(1836)年上草田の辻の久保で没した。明治の初め、藩の政策で薩摩半島の技術者が大隅半島に移住したが、その中に大魯の影響を受けた念仏者がいて教えを伝えた。その後、明治22年にこの地に改葬した。やがて念仏禁制が解かれると浄土真宗は県全域に広まった。
鹿児島で浄土真宗がこれだけ広まっている事は大魯和尚の功績が大きいといえる。
大魯上人が本願寺から追放された理由
大魯上人が本願寺から追放された理由である「三業惑乱」というのは、江戸時代に浄土真宗本願寺派(西本願寺)において起きた法論(教えをめぐっての論争)のことです。
この騒動を寺社奉行として裁断したのが、龍野藩の第8代目藩主の脇坂安董(わきざかやすただ)であったというお話です。
『脇坂家譜』の安董についての欄には「同月(文化3年7月)十一日西本願寺宗意惑乱之ヲ裁断ス」と記されています。
善龍寺(龍野市)では龍野で出版された『真宗新義古義裁断実記』という書物も残っています。
この「三業惑乱」事件というのは異安心(いあんじん)論争で、異安心とは真宗の安心(「あんじん」と読みます。救いの境地)と相違した誤った安心を言い、どちらが正意の安心かをめぐっての論争です。救いとは究極は各自の心の問題なので、本来なら安心自体を判断裁定することは無意味でもあるし不当なことと思いますが、安心がその人の思考をともない教相(教え)として外面化し他人に説いた場合、多くの人に影響を及ぼしてしまいますので、看過するというわけにもいかなくなったのです。
安心と教相(教え)とは密接不離な関係にありますので、教えが違えば迷信、邪信を生み出すというような可能性もはらんでいるのです。
ですから厳密には、「安心論争」「異安心論争」というよりは「教義論争」といったほうが妥当だと思われます。
そして教義は真宗の場合は溯れば開祖である親鸞聖人にあり(その本源は阿弥陀如来の「本願」にありますが)、その著述に基づいて、教義論争が行われます。
この事件が発生したのが寛政9年(1797)で一件落着したのが文化3年(1806)で、実に10年の歳月を要しています。安董が寺社奉行として幕政に参与していた期間が寛政3年(1791)から文化10年(1813)までの22年間ですから、安董はこの「三業惑乱」事件の発生から落着まで寺社奉行として見届けていたことになります。
そして最期に落着させました。本願寺派の教義は安董によって守られたという歴史的側面も多分にあると思います。面白いことに、脇坂家の始祖の甚内安治(じんないやすはる)は、天正6年に豊臣秀吉の命を受けて石山合戦(織田信長対本願寺の戦争)で本願寺側であった三木城を攻めたとき、抜群の手柄を立てたそうで、いわば本願寺の敵であったのですが、その本願寺の窮地を子孫の安董が救ったということになるのですから、脇坂家と本願寺とは順逆の違いはあれ縁深いと言えます。
安董は「三業惑乱」事件の裁断によって、その手腕が高く評価されたこともあり、天保8年(1837)には老中に就任しました。
この事件の発端は、寛政10年(1798)に行なわれた蓮如上人(真宗の中興上人、本願寺第8代法主)の300回法要のあと、その前年の寛政9年(1797)に学林(僧侶の修学道場)の第7代能化(「のうけ」と読みます。
宗派の教義を研鑚し人を教化する学寮の責任者)に就任した智洞が門主の文如上人に代わって『無量寿経』の講説を行ない、この中で「三業帰命」の説を唱えたことにあります。
この説は溯れば第2代能化の知空(ちくう)、及びその弟子の峻諦(しゅんたい)などより発し、第6代の能化となった功存(こうぞん)が『願生帰命弁』という著書を著わして「三業帰命」の説がますます鮮明に示され、その後を継いで能化となった智洞に至った頃には、本願寺派の真宗安心の規準とまでなっていました。
「三業帰命」とは「三業安心」ともいわれ、「帰命(きみょう)」の曲解より起こった異安心です。
すなわち、「三業帰命」とは、「阿弥陀様助けてください」と意業(心で)、口業(口で)、身業(体で)の三業で阿弥陀仏に救済を求めることで、三業に帰命の相がともなっていなければならないという説です。
「これだけ阿弥陀様のことを思っているから救われる」「念仏を称えていれば助かる」「これだけ仏壇の前で拝んでいるから救ってくださる」といった自己の三業(行ない)を阿弥陀仏にさしむけることで救いの助けにしようとしたり、三業で帰命していることを救いの証拠にしようというのですから、とどのつまり、その計らい心、自惚れ心(自力)は阿弥陀仏の救済を絶対的に信知していないことから生じるのであって、三業による「たすけたまえ」という「帰命」はその表われの何物でもありません。阿弥陀仏の本願に不足があるから、その不足分を三業で補おうとする心が働くのです。
これは結局は阿弥陀仏の本願を疑っている姿です。機の深信に徹していないから救われるための手段が自分にあると自惚れ、法の深信に徹していないから本願力に不足を思うのです。
どうして功存が『願生帰命弁』という著書を著わして、「三業帰命」説を強調したかというと、当時、北陸を中心に「十劫安心」という異安心が広まっていました。また京都では「土蔵秘事」という異安心が広がっていました。
功存は特に「十劫安心」を正すために『願生帰命弁』を著述したと思われます。 「十劫安心」という異安心は、「十劫秘事」とも「十劫正覚の秘事」「十劫領解」とも呼ばれ、十劫の昔に阿弥陀仏が成仏されたときに、すでに衆生の救済も成就されているのだから、それを忘れないのが信心であるという邪義です。「十劫安心」は必然「無帰命安心」であり、仏に帰命せずともよい、帰命の安心を不要とします。そこで、功存は帰命の安心の欠けた「十劫安心」を正すために、著書の中で「たのむ一念」の帰命を力説したのです。本願寺派で真宗の教化に絶大な能化の取り締まりにより、「十劫安心」は一応の収まりをみせましたが、その教化が未徹底なままで功存は病死してしまいました。
また、功存が能化だった頃には、「本尊論」についての法論も起こりました。
播州の智暹(ちせん)が『真宗本尊義』を著述して学林を問い質した法論でした。 明和4年(1767)5月のことです。本山は両者を戒告して事件を解決しようとしました。
同年の6月には学林は裁決を不服として本山に乱入したりしました。
また功存の『願生帰命弁』に記された「三業帰命」説に対しては多くの批判が上がっていました。
安永4年(1784)7月、大麟(だいりん)が『真宗安心正偽編』などを著述して功存の『願生帰命弁』を批判、安永7年(1787)4月、宝厳(ほうげん)が『興復記』を著してこれまた功存の説の批判を展開しました。
功存が『願生帰命弁』を刊行してからというもの本願寺派内は法論が頻発に起きていました。
功存が能化の時代に「三業惑乱」という爆弾の導火線にすでに火がついていたのです。
功存は「阿弥陀仏をたのむ」こと「帰命」することに力を入れて説いたために教化が「三業帰命」に傾きましたが、それをより徹底して教化すべく、智洞は「三業帰命」説を前面に出して説きました。そして全国の僧侶・門信徒が集まる法要のときにも、智洞が公然と「三業帰命」説を唱えたものですから、この説に不審を抱いた安芸の大瀛(だいえい)、河内の道隠(どうおん)などの在野の学僧(古義派、正義派)が、智洞を代表とする学林(新義派、三業安心派)と対立し、ついに寛政・享和・文化にまたがる10年間にわたって、西本願寺教団内部をはじめ、24カ国に及ぶ未曾有の大紛争となってしまいました。
大瀛は智洞の説の誤りを明らかにするために『横超直道金剛ベイ』を執筆しました。教義の解釈上の対立、相違問題は政治的な紛争へと発展し、混乱と暴動事件を引き起こし、ついには幕府の裁断を受けなければならなくなり、そこで寺社奉行であった安董の出番ということに相成ったわけです。
「三業安心」説の是非をめぐっての争論が各地でまきおこり、ことが「後生の一大事」、救いに関わる問題ですから、門信徒は動揺し、その是非を手次寺に糺すものの埒があかず、嘆願書で本願寺派本山に問い合わせても、本山はこれをとりあげようとしません。
享和元年(1801)になると、門信徒の中には示威行動に出る者も現れて、京都の町々は動揺する門信徒であふれ、奉行所から内々で注意を受けることになります。
大瀛は享和元年(1801)5月に『横超直道金剛ベイ』を刊行しましたが、翌月には販売禁止にされてしまいました。本山は混乱するだけで事態を収拾することができず、翌年の1月になって美濃国大垣領の門信徒の百姓たちが一揆のいでたちで、本山に詰め掛けようと河原に集結しました。このことを知った領主の戸田采女正は当時の老中で、百姓たちの動揺を静めるために本山に対して、宗旨を整えて門信徒の不安を一掃するようにと要請しました。それにも関わらず本山は何ら手段を講じないまま7月に入り、大垣領の門信徒は再び集結しましたが、代官に鎮圧されました。
事態を重く見た戸田采女正は事件を幕府に届け、もはや一宗門内の紛争ですまなくなりました。
7月の終わりには、江戸築地の輪番(江戸在住の本山の役僧)が寺社奉行脇坂淡路守役宅へ呼び出され、留守居役星野鉄三郎から事情聴取されています。
幕府は従来、寺社に対し、教義や宗門の紛争などは余程のことがない限り、黙認する方針でした。しかし、ことが「一向一揆」に似た社会的に不穏な行動であったため介入せざるを得なくなってしまいました。
この事件を担当した寺社奉行師匠番脇坂安董は享和2年(1802)11月、本願寺派本山に対し幕府の厳しい警告書を突き付けたため、本山役人は事態を収拾しようとして三業安心派の学林と対立するようになりました。翌年の享和3年(1803)1月、三業安心派の僧侶・門信徒は巻き返しのために本山に押し寄せ、安心(往生)の権限を学林へ一任せよと強要し、ついに槍を持って門主の室近くへ侵入するなどの狼藉を極める暴挙に出て、宗門はますます混乱してしまいました。
これに対して諸国の古義派の門信徒、特に安芸門徒の学僧たちは大瀛を中心にして、智洞の誤りを全国に訴え、何度も公開討論を申し込んだり、門主の権限を回復するように本山にせまりましたが、本山はこれを黙殺しました。享和3年(1803)2月には、能化智洞の��職を求めました。
大瀛とそれを支持する石見の履善(りぜん)、京都の春貞(しゅんてい)、河内の道隠などは上洛して本山に論戦を挑んだために京都は騒然となりました。
4月になると学林は本山の休講措置を無視して安居講会を開こうとして古義新義の2派が対立したため、本山はこの処置に窮して京の町奉行所へ訴えてしまいました。
町奉行所はこの時とばかりに両派の取り調べを開始し、5月には智洞、大瀛をはじめとする、この騒動に関わった中心人物たち40人余りの入牢を命じました。
翌年の文化元年(1804)1月に幕府は取り調べのため智洞・道隠・大瀛らを江戸に連行しました。
智洞はこのときすでに罪人として鶤鶏籠(とうまるかご)で江戸へ護送されています。
そして2月2日より寺社奉行役宅にて取り調べを受けました。
5月には正義派の中心的存在であった大瀛がこの事件の結末を見ることなく獄死しました。
智洞もまた獄中にあって死に、その他の者も遠島に処せられた。
学林の僧はこの事件が宗門の教義のことだからと安心していましたが、安董は寺社奉行の中でも、また歴代の奉行の中でも仏教に通じていて、しかも、安董の陰には真宗大谷派の宗学を大成した大谷派講師の香月院深励(こうがついんじんれい)師が控えておりましたから、突っ込んだ取り調べを行な��ました。
文化3年(1806)7月11日、安董は「三業帰命」は不正義とする判決を下して、本願寺派本山に対して、宗門不取締の責を問い100日間閉門という寛大な処分を行ないました。そして、8月21日登城し、老中の松平伊豆守より、今度の宗論裁断について、勲労の論旨を賜わるとともに御調役の星野鉄三郎に銀10枚、西田金次郎・清水兵蔵両名に銀7枚を賜わりました。
閉門が解除された11月、門主の本如上人は、『御裁断御書』を発表して宗門内としても事件は一件落着しました。
「三業惑乱」事件が契機となり、能化職制度は廃止され、本願寺派の宗学は、学轍分裂に至り、行信論に三業を論じることを嫌うあまりに、極端な離三業の所行説が発展しました。
その代表的学轍が空華轍で、現在の本願寺派宗学の筆頭勢力となっています。
ちなみに智洞一派の徒は、三業惑乱後もまだ智洞の遺響を守っていたことから、如何に智洞の異説が教界内に一大勢力を持っていたかが窺われます。
また、三業惑乱後も三業だのみ説を強く誡めている説法がしばしば見られたことからも、如何に三業惑乱が本派にとって一大苦難であったかが知られます。
本派の三業惑乱は隣山の大派にも影響を及ぼし、大派でも三業帰命説、及びそこから派生する異説、諸問題について研究されることとなりました。
「三業惑乱」以降、本願寺派に属する僧侶たちは三業を論じない傾向になりましたが、「無帰命安心」に堕してもいけなくなり、困惑が続いていたようです。
「三業惑乱」後に、本山は全国の本願寺派僧侶から各自の信仰の申告書を集めたそうです。
そこには、蓮如上人の言葉を書写して自分の信仰を表わす人が多かったということです。「信心」に関しての無難な回答をすることで自己の信仰が糾弾されることを免れたのでしょう。
ちなみに脇坂安董は、この「三業惑乱」事件の他にも、延命院事件といって延命院住持日道の不行跡を糾弾しました。ことは大奥にも関係する難事件でありましたが、断固として日道を斬罪に処して寺僧をふるえあがらせたという。
三業惑乱終結後、龍野に帰った安董に、八十歳の母が「三業惑乱はなんと治まった」と尋ねた。それに答えて安董は、「何もほかのことではなかった。阿弥陀様は真実の親であった」と答えた。
母は、「噫(ああ)そうであったかそうであったか。親子の仲なら、かれこれ云うことはいらなんだのう」と喜んだという。
浄土真宗光専寺
仏事・法事等で不明点あればご連絡下さい。
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【スマートジャンキーリポート4】
「お前となら何でもできる気がする」
親友と部屋で大麻を吸いながら「青い春」という映画を見ていた。
この映画は自分達が大学生の時に一緒に見たことのある映画だった。
松田龍平や高岡蒼佑が出演している青春映画だ。
「幸せなら手を叩こう」
と落書きの描かれた学校の屋上で柵の外に立って手を叩いた回数を競う"ベランダゲーム"を行い、失敗すると校庭に落ちてしまう。
という、道のない未来へ進みつつある不安定な不良達を描いた話。
当時自分は無職だった。
この時は24歳くらい。
会社からボーナスを貰ったタイミングで計画的に辞めた。
学生の時に水商売のスカウトをしていて、そのおかげか貯金もあった。
親友の仕事は広告関係で副業もやっていた。
ルームシェアなので生活費はあまりかからなかったし、ドラッグ遊びをやるくらいのお金の余裕はあった。
もしお金が無くなったらまた適当に考えればいいと思っていた。
この日は新宿のヨコヤマのところに行き、新しいドラッグを入手してきた。
パケに入った紫色の毒々しい色をした錠剤。
MDMAだ。
自分達はケミカルにも抵抗は無かった。
むしろ何故これまで入手しなかったのか不思議に思ったくらいだ。
後から調べたところ、その錠剤は、
「パープルマセラッティ」というMDMAだった。
MDMAを摂取し始めてからはよくEcstacy DataというサイトでMDMAのことを調べていた。
今このサイトはDrugs Dataという名前に変わっている。
まず最初にMDMAの注意点から。
・半分食べて1時間ほど様子を見る
・足りなかったらもう半分食べよう
・気分が悪くなったら動かず安静に
・空腹で食べると胃が悪くなる
・だが、強く効かせたいなら空腹がいい
・もっと強く効かせたかったら2〜3個食べよう
・ウィダーとキャベジンを飲んでから食べると胃のダメージが軽減される
・吐きたくなったら吐こう。吐いた後は調子が良くなる
・水分不足になること多々。たくさん水を飲め
・遊び終わったら風呂に入る。半身浴がいい
・寝る時は草と眠剤
少し多いけどこんなもんかな。
またセッティングとかは詳しく書く。
あとは死ぬ気で楽しもう。
ドラッグユーザーが周りにいなかった自分達はネットでドラッグの接種方法や作用や体験談などを調べていた。
MDMAの作用には多幸感と書いてあった。
よく分かんねえな、と思った記憶がある。
そしてその日はネットで拾った知識を元に空腹の状態で舌下投与をした。
舌下というのは下唇の中に入れてMDMAを溶かして吸収させるという方法。
今考えるととんでもない方法だ。
というのも、MDMAはめちゃくちゃ苦い。
この世にある経口摂取するものの中で、苦さのランキングがあれば三位以内には確実に入ると思う。
考えただけで憂鬱な気分になるくらい苦い。
化学薬品の味なんだろうけど、他には例え難いくらいだ。
しかもこの方法で接種すると下唇がただれることさえある。
「溶け切るまで我慢しろよ」
唇の中でMDMAが溶ける時間は地獄だった。
それでも我慢した。
MDMAをより強く効かせたかった。
溶け切ったあとは机の上にあったコーラを飲んで胃に流し込んだ。
飲み込んだ口の中はとても苦くて気持ち悪かった。
「クッッッソまずいなこれ」
「ちゃんと我慢した?」
「当たり前だろ」
30分くらい経ち、体がやけにフワフワとしてきた。
「ちょっと気分悪くなってきたからトイレ行ってくるわ」
親友はそう言ってトイレに行った。
MDMAを接種すると嘔吐することがよくある。
自分は吐き気はなかったが、体が熱くなり発汗してきた。
気持ち悪そうにしていた親友だが、トイレから戻るとケロッとした顔で戻ってきた。
「吐いた?水いっぱい飲んだ方がいいよ」
「全然大丈夫。めっちゃ元気になってきた」
「良かった」
「そろそろ動きたくなってきたな」
「外にでも出てみる?」
「いいね行こう」
ソファーから立つと浮遊感が凄かった。
本当に浮いているみたいだった。
そして自分達はいつも通りジョイントを巻いて世田谷公園に向かった。
体の感覚が普段と違い、上手く歩けなかった。
照明がやけに眩しい。
その日の公園はいつもとは違い、やけにキラキラしていた。
瞳孔が開いていた。
公園に着いたところで親友はジョイントに火をつけた。
「���子はどう?」
「めっちゃいいわ。お前は?」
「最高」
MDMAと大麻は相性が良い。
体が軽くなり、MDMAの作用が増幅されるような感じ。
そして何故か無限に吸えてしまう。
喉も痛くない。
味も普段より美味しく感じる。
そしてまたフラフラと2人で歩いた。
1〜2時間経つと効きがピークになり、目の焦点が合わなくなっていた。
これが俗に言う目ブレ。
2人で公園の遊具を片っ端から遊んでいった。
子供に戻ったような感覚がした。
ブランコに乗った時なんてMDMAの作用である、浮遊感と相まって空に吹っ飛ばされるんじゃないかと思った。
体が異常に軽かった。
空は星が綺麗で見上げると吸い込まれるような感覚がした。
最高だった。
一通り遊具で遊んだ後は疲れてしまったので、家に帰った。
部屋に戻ってからは大麻を吸って先ほど途中まで見た「青い春」のラストシーンを見た。
そのシーンを真似して手を叩く親友を見たら何故だか面白くなってゲラゲラ笑った。
気がついたら6時間くらい経っていた。MDMAの作用も収まってきた。
小さな錠剤にはたしかに幸せが詰まっていた。
初めてのMDMAは背中に羽が生えたみたいだった。
この頃、将来のことには無頓着だったしどうでもよかった。
今が楽しければ何でもいいと思っていた。
一才悲観はしていなかった。
親友と一緒なら何でもできると思っていたから。
確かにあの時の自分達には何でもできた。
MDMAの抜けは他には形容し難い、虚しいような、寂しいような感覚がする。
小学生の頃に夕方まで友達と遊んでから家に帰る時の、まだ遊びたいのに帰らないといけない感覚に似ていた。
この感覚はどことなく、人との別れを経験する時の感覚とも似ていて苦手だった。
※この物語は全てフィクションです。
違法薬物の使用、犯罪行為を助長するものでは一切ございません。
Twitterではドラッグに関する役立つ知識を発信しています。
是非フォローしてください。 https://twitter.com/sativadepakkaan
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誰がなんと言おうとセーフ
まりおです。まりおりの力でぐるぐるしてます。
君安飛那太
コルクさん。今回の主役様。なんなんでしょうね、この人がやるとキャスパも含めてなんでもエモくなる現象。こういう人が華があるって言うのでしょうか。追いつけねえぜって先輩の一人。あとめっちゃキャスパ楽しかった。ものすごく楽しかった。思わず笑顔になっちゃいそうなのを必死でこらえました。秋は出来なかったからすごく楽しかった!
追記 楽stの自尊心がない〜のとこ良すぎました。
握飯子
クオリアさん。いっつも悩む役をしている。ずんずん進んで迷走するけど本番には進化して帰ってきてる人。どんなトーンのお話もできて楽しい。不思議な魅力を持ってる人なのに、それを言い表す言葉が見つからない。外公の時から探してるんだけどな。ぴえん。ご飯行きましょ絶対に。
夕暮児
こたち。ムカつくイケメン。衣装頑張ったので今回のアンケートの0.001割は衣装のおかげにしてください。よく周りを見ている。ずっと演出してたから役者だけなの久しぶりに見た。こたちに対する熱い思い系は絶対に言い���せん。引退の時まで言わねえ。なすかとの秘密です。こたちと話すと深イイ話系が自然とできるから楽しい。
かの
すふれさん。今回の脚本でめっちゃ喋った。楽しかった!!今まで話す機会あんまりなかったから、いっぱいお話できたのは1番の収穫です。でも話した内容はそこまで覚えてないんですよね。なんでだろう。しっかりしてるけど時々抜けててでもしっかりしてる人。いやでもやっぱり抜けてる人。
黍
きびさん。キャスパ照明ガチで良すぎます。最高。特にジャスワン〜抱いて眠りたいの赤染めが大好きです。客席で見たい。きびさんも今回いっぱい話せてとても嬉しかった。でも記憶��は冷凍した野菜を「シャッシャッ」しか残ってない。あと買い出し楽しかった〜ハンドメイド、ぜひ目覚めてください。
佐々木モモ
ころねさん。ころころころーねさん。自分から離れた役をいつもやっていて、稽古初めはずっと考えてる人。ずっと考えて最後には必ず答えを出しているからすごい。役の向き合い方や私たち後輩への接し方はころねさんみたいになりたいって最近思うようになった。なりてえ。
岡崎仁美
かぬれ。色々おつかれさまとしか言いようがない。何が凄いって自分の仕事の締切はきっちり守るところ。舞監としてこれ以上の適性はあるのか。いやない。色んな部署で大活躍のかぬれ、後輩ができてどんな進化を遂げるのか楽しみ。
梅本潤
しあらさん。オールバック似合いすぎてビビった。なんで似合うんだ。コケのプロ。コケるやつ、本番ブーストでなんとなるって言うのは本当でした。もっとお話したい枠。最近扱いが雑くなってる自覚はある。ごめんなさい。直す気はないです。
坪井涼
ごこさん。ボケと真面目の割合がちょうどいい人。話すと楽しさと演技の収穫が何かしら得られるからすごい。レプトンとの撃たれ方講習会の説明がわかりやす過ぎました。理系だ。ちなみにごこさんに詰寄るシーンが今公演1番のお気にいりです。あれちょー楽しい。
Aru=R
ほばさん。音ゲーマーのイメージが最初に来る。なんでだ。あといっつもスーツ着てるイメージ。なんでだパート2。今回の役めっちゃ合ってる人。ドアの場所とかごこさんと写真の受け渡し色々考えてたのが今回のハイライトになりつつある。他にもあるけど写真の受け渡しが印象残りすぎてる。
アリリ・オルタネイト
イルル。同居人。幼い役をやらせたら世界一。これでお酒飲めるんだから世界七不思議。舞美まじでお疲れ様。ごめんなさい。可愛いくて末っ子感満載だから先輩いるるが想像つかん。まあ長女だから何とかなるか!
たぴおか太郎
なすか。たぴ。「なす!」が大好き。この返事が聞きたいがために話しかける時ある。お疲れ様やで。衣装めっちゃかわいい。似合ってる。メイクもうめえ。幕裏でお母さんの演技聞いてるけど毎回1人で拍手してる。お前は超えれん。って人。
δ
ベータさん。この度サークルの先輩かつバイトの先輩になった。やっぱうめえんだよなこの人。一緒にやっててやりやすい人。ぜひ皆さん共演して欲しいって言おうとしたけど今回で最後らしい。ぴえん。あと舞美おつかれさまです!!
田中かほ
ゆるあさん。ゆるっとゆるあさん。大好きです。らぶ。俺の腕はゆるあさんのために空けておきます。せっかく吹田にいるからいつでも飛び込んできてください。たとえ授業中でもテスト中でも受け止めます。いっぱい頑張ってた。いつもがむしゃらに頑張ってる人。今回の役めっちゃ好き。オムニの時を思い出しそうな役であれから1年か...ってなっちゃった。これからもいっぱいハグしましょう。
じゃがりーた三世
レプトン。1公演で何かしらひとつはなにか事件を起こす。彼が頼りになる日は来るのか...来てくれ。でも役者としてはめちゃめちゃパワーアップを続けてる。稽古初めと本番の差がすごいのよ彼は。それは稽古の隙間もずっと練習を続けてるからなのでしょう。
えどいん...
えどいんさん。この公演は役の絡みが多かったはずなのに、それよりも衣装班員のイメージしかない。マントお疲れ様です。研究家のジャケット良すぎた。メガネと合わせてなんであんなに似合うのか。番組のシーンめっちゃ楽しかったです。
okmc
スチル。大道具お疲れ様。全然行けなくて大変申し訳ございませんでした。時計の針めっちゃ困ってたけど何とかなってよかったです。喧嘩はするな。久しぶり?ってか初めてネタっぽい役を見た気がする。幕裏でみんなと縮こまってる中下手袖を走ってるスチル見るのまじ面白かった。
荻野琥珀
ハクさん。演出様!お疲れ様です!33期新人も思ったけどハクさんの脚本結構好みなんですよね。ライカンめっちゃ楽しかったです!最初の要望から離れて最終的にはめっちゃ自分やんって感じななってしまったのは申し訳ないです。成長します!!
まだ心は新入生なのに先輩になっちゃうぴえん
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コード22
ソーラーコード22「すべての願望が実現された魔法の国の庭園へと通じる門」
コードの現象化形態:安定したアイデンティティの確立が難しい状況。不安定な立場。トラブルや不運。明るい未来が見えず、不安や心理的混乱が絶え間なく生じてくる。将来への可能性の芽はあるが、それが中々具体的な結果に結びつかない(可能性の実現のために必要な長期的忍耐)。(充分な実力を蓄えた上でチャンスさえつかめば)いずれ運命を大逆転する可能性。精神世界。
コード22『すべての願望が実現された魔法の国(おとぎの国)の庭園に通じる門』
エピグラム:挫折。願望の崩壊。魔界のヒット。異性関係の不調。破局。神の助けを求める必要。魔法の力の助けを借りる必要。(格式が良ければ、まれに)長期的な忍耐と大変な努力と苦難の果てに大きな夢を実現する。
ルナーコード22「嵐の神であるスサノオの暴力から逃れて、岩穴に隠れていた太陽神のアマテラスが、ついに岩穴の外に出る」
コードの現象化形態:厳しさのある生活。危機の克服。苦労が実る。自己実現のチャンスをつかむ。
私が甦らせるのは、そう、あなたの光。コード22「すべての願望が実現された魔法の国の庭園に通じる門」よ
春恋の女神プリマ・ヴェーラとともに、浄化の風の伝令ヘルメスとともに、わがニビルの杖の一振りがもたらす〈大いなるエノクの魔法〉によって今、〈復活の息吹〉となって汝がうちを吹き抜け、天空の音楽で満たしなさい。
知られざるグノーシス。実は毒草はエデンの園(=始源の魂の完全状態)からの人間の墜落と密接な関係があるんです。そのエネルギーの記憶はアカシックに残存していてコード22や41や152その他にかかる強い負のエネルギーを形成しています。人の悪思念を受けて毒草が生まれ、その毒草は人を殺す。
「11」は、よりこの世界の現実に近い波動数です。なので、この世界の中では数少ない最強の波動の一つです。米国の大統領になる人は全員この数の力を多かれ少なかれ持っています。「22」はもっと遥かに高波動で、それは「失われた楽園」の波動に一致しています。
ですから高波動ですが、自らに大いなる不幸や悲劇を招くことになります。この世界ではほどほどに低波動で、かつ強力な波動を持っている人��ほうが成功したり楽しくやれたりするのです。この世界自体が低波動圏域に存在していますからね。
【コード22】 ■対向コード:202 ■統合コード:338 ■直角コード:112
須佐之男も 和む春かな 天照 川茂桜の 百とたなびき 秘未歌 すさのおも なごむはるかな あまてらす かわもざくらの ももとたなびき ひみか
この22文字からなる短歌は、ホルス神の討魔のスターゲートコード21から降下する偉大な力を詠む人に引き寄せ、それによってコード22の魔の門を封じ、害を及ぼそうとする悪しきものの力を退けて、はね返した悪の力を、それを発した元の相手に増幅して送り返す、守護と攻撃の霊力を兼ね具えています。
ソーラーコード21「リングに上がるボクサー」(別名「敵の心臓を急襲するラプター」)
ルナーコード22「嵐の神であるスサノオの暴力から逃れて、岩穴に隠れていた太陽神のアマテラスが、ついに岩穴の外に出る」(「非常に長い時代を洞窟に閉じ込められていた失われた乙女コレーがユニコーンに乗った王子に助けられ、春の園に輝く光の下に出る」)
さらに、この短歌には「百」というワードが入っており、それはコード100に対応しますので、「死と病と負傷と災いと停滞(障害)」のコード100を通って入って来る魔の力をブロックし、そのマイナスの力を「成功、ステイタス」(ダイヤモンド)といったプラスのベクトルに変換する霊験もあわせ持ちます。
コード22、コード91、コード97、コード98、コード133、コード136、コード179、コード344の「おとぎ」(おとぎの国、おとぎ話)ですが一見良さげなこのワードがくると不運凶事が起きやすくなります。「本当に善いこと」や「平和なこと」は魔界の悪魔たちが最も忌み嫌うもので必死に打ってくるからです。
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