#冨士山下宮小室浅間神社
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富士吉田の氏神さま冨士山下宮小室浅間神社 創建は平安初期征夷大将軍坂上田村麻呂が戦勝祈願の神恩感謝として大同2年(807)に社殿を造営したことにはじまります また非業の死を遂げた後醍醐天皇の皇子護良親王の首が境内の桂の木の下に埋葬されているとも伝わります 護良親王の鎌倉幕府討幕の令旨を新田義貞が受け鎌倉倒幕がなされた後建武新政において護良親王は征夷大将軍に任命されました しかし尊氏に苦戦し最終的には後醍醐天皇から征夷大将軍を解任され鎌倉に流罪になります その後北条残党による中先代の乱が起きその流れで北条勢力に奉じられる恐れから護良親王は淵辺伊賀守義博の虐刃によって28歳の生涯を終えました その後については各地に様々な伝承が残りますがその一つに護良親王の首級を雛鶴姫が負って落ちのび、桂の御神木の根元に葬ったと古文書で伝わり大塔宮桂之古跡として祀られています #小室浅間神社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 小室浅間神社(おむろせんげんじんじゃ) 鎮座地:山梨県富士吉田市下吉田5221 主祭神:木花咲耶姫命 社格:郷社 別表神社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 #神社#神社巡り#神社好き#神社好きな人と繋がりたい#神道#shrine#shinto#日本の風景#参拝#神社巡拝家#recotrip#御朱印#御朱印巡り#御朱印好きな人と繋がりたい#神社建築#神社仏閣#パワースポット#山梨県#富士吉田市 (小室浅間神社(下浅間)) https://www.instagram.com/p/CmjvqHNPFnm/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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#小室浅間神社 GW浅間神社めぐり 2社目です。 新倉浅間神社から駅まで戻り、今度は反対側へ歩くと、すぐの所に鎮座されてます。 良い天気で、写真映えしますね。境内に入ったら猫ちゃんが寄って来てくれて、営業してくれました😆すぐ居なくなっちゃいましたがw まずは参拝。そして御朱印をいただき、真っ白な神馬🐎を眺めてたら、またニャンコ来たんですが。触ろうとしたら、今度は怒られて猫パンチされました😅なんで… こちらは 旧称 #下宮浅間神社 #冨士山下宮小室浅間神社 ともいい、地元では #下浅間 #下浅間神社 と言われてます。 元々は、延暦12年(793年)、征夷大将軍 #坂上田村麻呂 が東征の際、現鎮座地より富士山を遙拝して戦勝を祈願し、戦勝後の大同2年(807年)、神恩に感謝して社殿を造営したのにはじまります。 この「下」と言われる理由は、もともと「宮」と呼称されていたもにが、上吉田の諏訪ノ森にある諏訪神社境内に新たに祀られた北口浅間神社をはじめ、各村々が浅間大神を祀り始めたため区別する必要から「下宮浅間」と呼称され始めました。 富士山二合目にある小室浅間神社、もしくは富士山そのものを「上宮」としています。 #山梨県 #富士吉田市下吉田 #浅間 #浅間神社 # #神社 #御朱印 #ご朱印 #ゴシュコレ #御朱印めぐり #御朱印集め #御朱印収集 #御朱印巡り #御朱印好き #御朱印部 #御朱印巡りの旅 (小室浅間神社(下浅間))
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20171214_01
北口本宮冨士浅間神社(0合目) → 富士山六合目(2,380m) 往復 ①
Form is emptiness , Emptiness is form
11月の初旬、富士山の麓から六合目まで登った。
隣町の富士吉田市にある北口本宮冨士浅間神社まで自転車で行き、吉田口登山道を登り六合目まで登りスバルライン五合目の小御嶽神社に参拝して来た道を麓まで下るという行程。甲武信ヶ岳でうんざりしたつもりが10日程経ったらもう登っていた。
1964年(昭和三十九年)に東京オリンピックの開催に合わせて富士山有料道路(通称富士スバルライン)が五合目に開通するまでは古来より富士登山は吉田口登山道を登った。その講社の数「江戸八百八講」「講中八万人」と言われた「富士講」と呼ばれる富士山信仰の徒は、北口本宮冨士浅間神社にて祈り禊をし富士山に登拝した。スバルライン開通後は衰退の一途を辿る。
富士吉田駅(現・富士山駅)近くの参道の入口「金鳥居」から神社入口の鳥居までの参道は直線ではなくL字になっているが、これは昔「雪代(ゆきしろ)」という富士山の全層雪崩が土砂を巻き込み土石流となってこの辺りを襲い、鎮座する神社はそのままに、村を移したからだと云われる。
富士講の祖「角行」は全身から血を噴き出して里の人に止められるまで三十日間この石の上に立ち続け���荒行をした。角行はまた富士山麓の「人穴」において四寸五分角(約13cm)の角材の上に千日間立ち続けた。生を持て余すことなく突き動かされるものがある人は幸せな人ではないかと思う。
御朱印を頂いて本殿脇から吉田口入口の鳥居をくぐり、「熊に注意」の看板にびびりつつも、ずっとこの調子ならいいのにというような明るく開けた森の中の遊歩道を二時間程歩く。
「中の茶屋」を過ぎると「馬返」に着く。昔は馬返で馬を停めて、ここから歩いて登ったという。庚申信仰と思われる狛犬代わりの二匹の猿と石の鳥居をくぐりいよいよ登山道が始まる。ちなみに中の茶屋の脇の滝沢林道を車で20分程行くと新屋山神社という有名な金運神社の奥宮が在る。
一合目は密教の最高仏、大日如来を奉った鈴原天照大神社。記録上では戦国時代から存在している。
二合目で御室浅間神社。建物が崩壊しているが本殿を1973年に河口湖の湖畔の里宮に移築した。フェンスで囲われた小さな祠があり、奥宮では今でも氏子らによる祭祀が続いているそうである。子供の頃の里宮神社のお祭りは私にとっては数少ない日本的情緒を伴った思い出で、今は亡き祖父の家で出前の夕食を食べてこづかいを貰い、夕暮れに一人だったか姉と歩いて神社へ向かうとベロベロに酔っぱらった消防団の人が天狗の面を被り、笹の枝を引きずりながら大声で何か叫びながら歩いているのが強烈に印象に残っている。
三合目は崩れた茶店と道了・秋葉・飯綱が奉られた三社宮。道中で見た廃墟の場所全てで合掌し般若心経を読経した。人の世の儚さ、人の営みの寄る辺の無さを思う。一切は「空」である。
三合目見晴らし茶屋では八丁堀・築地・麹町の人々が奉納した弁財天を奉っていた。
三合目からの河口湖を眺める。真ん中の尖った山が以前登った黒岳。
四合目を目指す。
→ ②に続く
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