#今年は鑑賞本数76本でした
Explore tagged Tumblr posts
Text
今年はジブリ映画をたくさん観れる、な2月(2024年2月の日記)
■2024/2/1 木曜日。2月になったのでここで自分のInstagramのポスト数をチェックしてみましょう。現在2446。自分の日記を確認すると2024年がはじまった時点でのポスト数は2370。2446 - 2370 = 76 なので、自宅と劇場、短編映画もすべてあわせて2024年1月は76本の映画を見れたことになります。これは過去の自分の映画鑑賞と比べてもかなり良いペースなはず。もっと映画が見れなくなる時期もくると思いますが、今年こそ年間700を目指していきたいです。��昼は丸亀製麺にて、釜揚げ大といか天。釜揚げ半額ありがたい。U-NEXT、MyFFFの短編『夏休み』を見る。17時半で仕事を切り上げ東中野へ向かう。群青いろ『FIT』鑑賞@ポレポレ坐。予約フォームから予約してもメールがとんでこないのでとても不安でしたが予約できていたようです。未見の群青いろ過去作が観れて嬉しいな。あとゲストの山本英監督がトークのMC的な役割もはたすというのが面白かった。U-NEXT『特殊作戦部隊:ライオネス』E6を見ながら帰宅。急にモーガン・フリーマン出てきた。
■2024/2/2 金曜日。午前中だけ働き午後半休をいただく。時間ないのでお昼はコンビニご飯です。日比谷へ向かう。移動しながらU-NEXT、MyFFFの短編『戦いとは終わりである』を見る。TOHOシネマズ日比谷にて『ダム・マネー ウォール街を狙え!』鑑賞。TIFFのときにもらったTOHO日比谷のタダ券がついに使える、と思ってたら、でました「この券が使える予定席数に達してます」的な表示。はぁ。こういうとこだぞ、TOHOが嫌われるのは。すぐに渋谷へ移動。Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下にて『ゴースト・トロピック』と『Here』を連続鑑賞。『Here』のあとにはバス・ドゥヴォス監督、リヨ・ゴンが登壇してのトーク。トーク後にはお二人にサインもいただきました。嬉しい。帰宅してからAmazon Prime Video『Mr. & Mrs. スミス』E1を見る。1話の監督はおなじみヒロ・ムライです。
■2024/2/3 土曜日。この週末はのんびりです。娘と実家へ遊びに行く。Disney+『マイセルフ』を見る。実家の近所のお寺へ、節分なのでたくさん出店が。娘はチョコバナナ、僕はだんごを買って食べる。実家の片づけをしてて懐かしい雑誌を見つけてつい読んでしまう。夕飯はおでんをご馳走になる。娘のリクエストのやつ。最近おでんが好きらしい。帰宅してからApple TV+『マスターズ・オブ・ザ・エアー』E3を見る。おぉマジか。DAZNでサッカーアジア杯日本×イラン戦。ロスタイムPK失点で敗戦。ぐぬぬ。テンションの低いままラフランスさんとDiggin' Disney+収録。途中にお札による中断がありました(気になる方は配信をチェックしてみてください)
■2024/2/4 日曜日。が��つり寝坊。9時ぐらいまで寝てしまった。朝ごはん食べてから図書館へ。本日の外出はこれだけ。Amazon Prime Video「エクスパッツ ~異国でのリアルな日常~』E3を見る。BSSTO『おじいさんのボート』を見る。音源を1本編集してすぐ配信。Amzon Prime Video『見えざる手のある風景』を見る。U-NEXT『タフ PART Ⅰ 誕生編』を見る。Netflix『死霊のはらわた ライジング』を見る。clubhouseにて、U-NEXT『ロッキー』同時視聴に参加。追悼カール・ウェザース。10年ぶりぐらいに『ロッキー』1作目を見たけどミッキーとのくだりでグッときちゃうな。夜中まで映画駄話をして寝る。駄話をしながら実はメルマガの原稿も書いている。
■2024/2/5 月曜日。なんか雪が降る予報。朝ウォーキングは問題なしでした。お昼にOKにランチを買いに行くときについに雪がちらつきはじまる。降ってきたなぁ。お昼休みにU-NEXT、MyFFFの短編『オアシス』を見る。午後いそがしくて集中して仕事をしていたら、いつの間にか外はがっつり積雪。これは会社の最寄り駅から出てる電車がヤバそうなので早めに帰ろうかな、と思っていたらなんとすでに止まっているとの情報。うーん、ちょっと対応が遅かった。電車通勤組はピンチ。そこで車通勤の先輩が電車が動いている駅まで送ってくれるというので、お言葉に甘えて僕を含む電車通勤組3人は八王子駅まで乗せてもらう。いやー助かった。バスも並んでいたからなぁ。動いている電車も遅れまくっていて、時間がかかりつつも無事帰宅。帰宅してからWOWOWオンデマンド『スター・トレック:ストレンジ・ニュー・ワールド』S2E3を見る。WOWOWオンデマンド『Never Goin' Back ネバー・ゴーイン・バック』を見る。夜は遅い時間からラロッカさんとDiggin' Netflix収録。明日は通勤できないかな。
■2024/2/6 火曜日。うーむ、頑張れば通勤できそうだけど転んだりしたらイヤなのでやめておこう。本日は在宅勤務。自分は現在なるべく出勤での勤務、という勤務形態なのですがいざというときに在宅に切り替えられるようになったのがここ数年での功罪でしょうか。U-NEXT、MyFFFの短編『カナダでの暮らし』を見る。これで今年のMyFFFの短編作品、見れるやつはすべて見れただろう。なかなか本数が多くて見応えがありましたね。長編も見たいけどどうしよう。Diggin'のお題にしようかな。お昼は家にあるもので貧乏とん平焼き。なんか2年以上やってたフル在宅勤務時代を思い出す。Amazon Prime Video『Mr. & Mrs. スミス』E2を見る。ゲストはジョン・タトゥーロ。午後になると娘が下校してきてなかなか仕事に集中できない状態��なる。わが家はあまり在宅勤務に対して協力的じゃないのと、Wi-Fiがイマイチなのでやはり会社で仕事する方がいいな。U-NEXT『タフ PARTⅡ 復讐篇』を見る。音源を1本編集。BS録画『特攻野郎Aチーム』S2E2を見る。ゲストはマコ岩松。
■2024/2/7 水曜日。まだ積雪の残る道を慎重に歩いて朝ウォーキングはできた。通勤しながらNetflix『毒』を見る。やはり会社の方が仕事はしやすい。インタラプトはかかりまくるようになるのですが。お昼休みにAmazon Prime Video『Mr. & Mrs. スミス』E3を見る。夜は音源を1本編集。U-NEXT『タフ PARTⅢ ビジネス殺戮篇』を見る。BS録画『特攻野郎Aチーム』S2E3を見る。
■2024/2/8 木曜日。まだ積雪が残っているところがあるので気をつけながら朝ウォーキング。通勤中にNetflix『ネズミ捕りの男』を見る。お昼は丸亀製麺にて、豚ちゃんぽんうどん並。写真を撮り忘れてしまいくやしい。Amazon Prime Video『Mr. & Mrs. スミス』E4を見る。スーパーハイリスク。BS録画『特攻野郎Aチーム』S2E4を見る。午後、久々に仕事関係でしんどい状況になって頭痛。はー。追い込まれすぎないようにしないと。帰るのも遅くなってしまった。WOWOWオンデマンド『ミッドナイト・マーダー・ライブ』を見る。音源を1本編集したら寝よう、と思っていたらラスト10分ぐらいのところで寝落ち。なんとか仕上げて寝る。
■2024/2/9 金曜日。通勤の電車、あきらかに乗っている人がいつもの半分ぐらいなんですけどなんでだ。Netflix『白鳥』を見る。お昼はマクドナルドにてスイートチリ えびフィレオ。WOWOWオンデマンド『メイヤー・オブ・キングスタウン』S2E1を見る。夕方、会社からフランス映画祭のチケ取り。けっこう高い。仕事終わりで立川へ。『瞳をとじて』鑑賞@ kino cinéma 立川高島屋S.C.館。感想ツイートでは書くのを忘れたけど犬がかわいい。ラフランスさんたちが話していたclubhouseを聴きながら帰宅。Amazon Prime Video『沈黙の艦隊』E1を見る。
■2024/2/10 土曜日。3連休だーー!(「紅だーー!」の感じで読んでください)BSSTO『結婚記念日のプレゼント』を見る。調布へ。調布シネマフェスティバル2024『紅の豚』観賞@イオンシネマ シアタス調布。今年もありがとうございます、調布シネフェスさん。帰宅してからAmazon Prime Video「エクスパッツ ~異国でのリアルな日常~』E4を見る。Amazon Prime Video『沈黙の艦隊』E2を見る。BS録画『特攻野郎Aチーム』S2E5を見る。なんと後半へ続く、で終わった。前後編エピソードってあるのか。音源を1本編集。夜はclubhouseにて、U-NEXT『ロッキー2』同時視聴に参加。追悼カール・ウェザース。久々に見て、あれ?これも『クリード』がオマージュでやってる部分かな、という部分を見つける。発見がありますね。そして深い時間まで映画駄話をして寝る。
■2024/2/11 日曜日。今日はのんびり娘と過ごす。U-NEXT『恋する極道』を見る。娘と実家へ。だらだらする。Apple TV+『マスターズ・オブ・ザ・エアー』E4を見る。Amazon Prime Video『沈黙の艦隊』E3を見る。BS録画『特攻野郎Aチーム』S2E6を見る。床屋に行って散髪。床屋のおじさんに「眠そうだったねぇ」と云われる。いつも床屋だとウトウトしちゃうけど、今日は特に眠かった。夕飯は両親も一緒にスシローへ。いわし天のやつがうまかったです。帰宅してからU-NEXT『タフ PART IV 血の収穫篇』を見る。Amazon Prime Video『私が熟れた季節』を見る。
■2024/2/12 3連休でお休みの月曜日。ありがたい。朝から昭島へ。MOVIX昭島にて『ジェントルマン』鑑賞。わざわざラフランスさんが昭島まで遠征して同回を観ていたのでいっしょにモリタウンの韓国料理屋でランチ。昭島まで来てくれるのはなんか嬉しいですね。また来てください。帰宅したら同じく昭島に出かけていたはずの娘が先に帰宅していた。どこでご飯食べたの?と聞いたらモスバーガーと云っていた。僕らが韓国料理食べる間にすぐ近くでモスを食べていたようですね。WOWOWオンデマンド『スター・トレック:ストレンジ・ニュー・ワールド』S2E4を見る。昭島図書館へ行って本を借りたり返したり。U-NEXT『友達の家』を見る。Amazon Prime Video『沈黙の艦隊』E4を見る。Netflix『ラバー、ストーカー、キラー』を見る。ある時点で、マジかよ、となるドキュメンタリー。U-NEXT『愛欲のセラピー』を見る。早めにベッドで横になってスマホで録画したテレビ番組とか見ようと思ったけど横になったらもうダメだな。すぐに寝落ち。
■2024/2/13 火曜日。通勤しながらU-NEXT『マスマティックな夕暮れ』を見る。お昼休みにAmazon Prime Video『Mr. & Mrs. スミス』E5を見る。ロン・パールマンを守るミッション。ミーティングが多い1日だ。ペマチェテン特集、初週の上映時間が発表されたけど全日13:45からってムリすぎるだろうよそれは。仕事終わりで昭島へ。Amazon Prime Video『沈黙の艦隊』E5を見る。MOVIX昭島で『夜明けのすべて』鑑賞。帰宅して遅い夕飯を食べて、シャワー浴びて、ベッドに入ってできれば映画を1本を見ようとしたけど秒で寝てた。
■2024/2/14 水曜日。昨夜は早く寝たはずだけど、早起きできるということではない。通勤しながらU-NEXT『志ず江』を見る。昼休みにAmazon Prime Video『Mr. & Mrs. スミス』E6を見る。ゲストはサラ・ポールソン。ワン・ビン傑作選の作品とスケジュールが出た。『鉄西区』あるなぁ。どうしよう。帰宅してからAmazon Prime Video『沈黙の艦隊』E6を見る。WOWOWオンデマンド『警官の血』を見る。気づけばもう二日後にライムスターの武道館である。ライムスターのアルバムを集中して聴く。
■2024/2/15 木曜日。春ですかね?ってぐらいの気温。通勤途中でBSSTO『プフ!』を見る。お昼はマクドナルドにて、たまごダブルのセット。Amazon Prime Video『Mr. & Mrs. スミス』E7を見る。ゲストはミカエラ・コール。帰宅してからNetflix『忍びの家 House of Ninjas』E1を見る。WOWOWオンデマンド『あつい胸さわぎ』を見る。けっこう同じところで泣いちゃうな。
■2024/2/16 金曜日。通勤途中にBSSTO『プールサイドで』を見る。午前中だけ働き午後半休をいただく。有楽町へ。移動しながら U-NEXT『THE CURSE/ザ・カース』E1を見る。チェリートマトボーイズ。ペマ・ツェテン監督特別追悼特集上映『タルロ』鑑賞@ヒュートラ有楽町。九段下へ移動。時間があったので飯田橋の方までふらふらと歩き、TOKYO SUNFLOWER IIDABASHIできまぐれS.F.温うどんを食べる。早めの夕食だな。そしてRHYMESTERの武道館へ。席は1階東のB列。アリーナではないけどステージ近くでいい席でしょう。1階席の入場列に並びはじめ、すぐに後ろから声をかけられた。ひろ君とあべ君だ。もともと僕モテ読者��がりで出会い、以前は会ったりもしていたけど、SNS上からも姿を消ししばらく会っていなかった2人だ。近況を話したりする。誰かに会うかなぁとは思っていたけど、まさかの2人に会えてしまった。そしてRHYMESTERはとても楽しかったです。豪華ゲストはわかっていたけど、けっこう嬉しかったのはMASTA SIMONの登場。2023年でMIGHTY CROWNがサウンドの活動を休止してしまって、それと同時に長年やっていたラジオ番組も終了してしまった。毎週のように聴いていたその声を武道館で聴けてぐっときました。hy4_4yhやスチャダラのところも良かったです。帰宅しながらAmazon Prime Video『沈黙の艦隊』E7を見る。帰宅してからWOWOWオンデマンド『TAR』を見る。吹替でははじめてだ。
■2024/2/17 土曜日。BSSTO『山の上のダリ』を見る。早めのお昼を食べてから有楽町へ向かう。移動しながらAmazon Prime Video「エクスパッツ ~異国でのリアルな日常~』E5を見る。いきなり1時間40分もあるエピソード。と思っていたら雨傘運動を描いていた。このために時代設定が10年前ぐらいだったのか。ペマ・ツェテン監督特別追悼特集上映『ティメー・クンデンを探して』鑑賞@ヒュートラ有楽町。帰りの電車でAmazon Prime Video『沈黙の艦隊』E8を見る。これで完走。けっこう潜水艦ものとしての面白さはありましたけど、シーズン2作れるんですかねぇ。Netflix『オリオンと暗闇』を見る。U-NEXT『男はつらいよ 寅次郎頑張れ!』を見る。なるべくマンスリーで順番に見ている寅さんですけど、先月1本とばして見てしまっていたことが判明。一作戻って本作を見たのですがまったくもって何の支障もありませんでした。
■2024/2/18 日曜日。BSSTO『アリスとひまわり』を見る。自転車で昭島図書館へ。娘の本を借りたり返したり。Apple TV+『マスターズ・オブ・ザ・エアー』E5を見る。しんどい状況になってきた。Amazon Prime Video『ヴァチカンのエクソシスト』を見る。吹替で。Amazon Prime Video『オペレーション・フォーチュン』を見る。吹替で。夕方から東中野へ向かう。『雨降って、ジ・エンド。』観賞@ポレポレ東中野。上映後には群青いろのお二人と、ゲストのまつむらしんご監督のトークあり。昔からの映画仲間、という3人のトーク狙いでこの回を観に行ったんですけど、あと3時間ぐらい聴きたい感じの内容でした。トークのあと、群青いろのお二人からパンフにサインをもらう。どうしても質問したい部分があったので、ロビーにいたまつむら監督にその点を質問させてもらった。まつむら監督の映画『あつい胸さわぎ』のある要素について、脚本(高橋泉)にあったのかどうかについて。答えは脚本ですでに書かれていたとのこと。これは『雨降って、ジ・エンド。』と共通するような要素で、しかも時系列的には『雨降って~』の脚本を先に高橋監督が書いているんですよね。面白い。気さくに質問に答えてくれるまつむら監督も優しい。帰りの電車でWOWOWオンデマンド『WOLF 殺人鬼の狂宴』E1を見る。Netflix『忍びの家 House of Ninjas』E2を見る。WOWOWオンデマンド『タフ PARTⅤ 殺しのアンソロジー』を見る。
■2024/2/19 月曜日。今日はミーティングがいっぱい。お昼休みにBSSTO『ドラゴン騎士団』を見る。WOWOWオンデマンド『スター・トレック:ストレンジ・ニュー・ワールド』S2E5を見る。クリスティン・チャペルが最高です。仕事終わりで立川へ。松屋にて復刻のシュクメルリ鍋定食。熱々なので食べるのに時間がかかります。Netflix『忍びの家 House of Ninjas』E3を見る。kino cinéma 立川高島屋S.C.館にて『梟��フクロウ』鑑賞。帰りの電車でBS録画『特攻野郎Aチーム』S2E7を見る。WOWOWオンデマンド『ペインテッド・デザート タフ劇場版』を見る。
■2024/2/20 火曜日。朝ウォーキングは断念、出勤前に八王子の耳鼻科へ向かう。移動の電車にてBSSTO『燃えよ!プチドラゴン』を見る。これは楽しい短編映画だったなぁ。ここ数年お世話になっている八王子の耳鼻科、診察が1分ぐらいで終わって花粉症の薬の処方箋を出してくれる。ありがたい。薬局も含め早く終わって11時前には出勤できたのでフレックスで吸収。半休を使わずにすんだぞ。お昼はマクドナルドにて、マックチキンのセット。500円、ワンコインでありがたい。Amazon Prime Video『Mr. & Mrs. スミス』E8を見る。これで完走。ラストはドナルド・グローヴァー監督回。単純なスパイものになるとは思っていなかったけど、けっこう面白いドラマでした。楽しめた。今日から上位のマネージャーが日本にきているので夕方に大きな会議室でのミーティング。急にコメント求められたらどうしよう、といつも思ってしまう。帰りの電車でNetflix『忍びの家 House of Ninjas』E4を見る。WOWOWオンデマンド『スクリーム6』を見る。寝る前に1時間ほど読書。なんて余裕のある1日。そして花粉症の薬を飲むことを忘れない。
■2024/2/21 水曜日。天気が微妙であったが朝ウォーキングへ。大丈夫でした。お昼は丸亀製麺にて、かけ並ときす天。BSSTO『白いブランケット』を見る。なるほど、時代背景をぼんやりさせているとこがうまい。しかしまだまだ寒いですね。帰宅してからApple TV+『コンステレーション』E1を見る。最後の10分ぐらいでいきなり何が起きているのかわからなくなる構成。Netflix『忍びの家 House of Ninjas』E5を見る。娘が約束の時間を守らず動画を見続けていたので怒ってしまう。今は1日のうちで顔をあわせる時間が少ないのだからこうやって怒りたくないんだお父さんは。Netflix『BAD LANDS バッド・ランズ』を見る。もう少しいろいろやりたかったがダメだ眠い。聴いてるradikoも超遅れ進行。
■2024/2/22 木曜日。なぜか、今日から3連休だー!という気持ちで起きてしまったがそれは明日からだった。今日も仕事だという絶望。雨が降っていたけど朝ウォーキングを強行。靴が汚れるしリュックは濡れてしまうな。お昼に食べたファミマの直巻タイプのおにぎり、さば麻辣のパンチがヤバい。仕事を切り上げようとすると急ぎのメールがくる、というのを繰り返して帰るのが遅くなってしまった。帰宅してからNetflix『アバター:伝説の少年アン』E1を見る。Netflix『忍びの家 House of Ninjas』E6を見る。自宅映画鑑賞スケジュールに余裕が出てきたので、いよいよ今月の『007』を見ようかな、と楽しみにしていたのになんとAmazon Prime Videoでの見放題配信がなくなっていた。ウソだろ~。しょうがないから代わりにU-NEXTにてフィンチャーの『ゲーム』を見る。なんでこのタイミングでこの映画を見直したのかは秘密です。
■2024/2/23 祝日の金曜日。3連休だー。BSSTO『Mr.マーベラス』を見る。WOWOWオンデマンド『スター・トレック:ストレンジ・ニュー・ワールド』S2E6を見る。西武線を乗り継いで所沢方面へ。本当は航空公園に近いうどん屋でお昼を食べたかったのですが「しばらく休業」のはり紙が。残念。��打として調べておいた武��野うどん 竹國 新所沢店へ。肉汁うどん大盛。大盛550gを食べて800円。水曜・金曜はおかわりできるってことであつもりで1玉おかわりしてしまった。トータル800gぐらい食べてお腹いっぱい。若い頃は1kgぐらい余裕で食べてたんですけど食べれなくなりました。新所沢レッツシネパークへ。さよなら興行 シネパークで楽しむ最後の映画たち『SR サイタマノラッパー』観賞。上映後トークには入江悠監督、名優 駒木根隆介、上鈴木兄弟、山本タカアキさんが登壇。けっこうたっぷりトークの時間があり、久々に名優のフリースタイルも炸裂。トーク後には監督、名優、TKD先輩に『SR サイタマノラッパー』文庫本にサインをいただいた。僕モテ読者仲間、ラムネさん、まるゆさん、ウーガンさんにも会えた。ありがとう新所沢レッツシネパーク。僕はさらに『となりトトロ』も観賞。今月は『紅の豚』と『トトロ』を観た月となりました。なんてことだ。帰りの道中もぜんぜんお腹はすかず。帰宅したら夕飯はうどんでしたがぜんぜん美味しくいただきました。Netflix『忍びの家 House of Ninjas』E7を見る。U-NEXT『トマホーク ガンマンVS食人族』を見る。わけあって見直したんですけどやはりめちゃくちゃ面白いな。
■2024/2/24 土曜日。BSSTO『スローンはネックフェイスに恋する』を見る。早めのお昼を家で食べてから有楽町へ向かう。その道中でAmazon Prime Video「エクスパッツ ~異国でのリアルな日常~』E6を見る。これで完走。うーむ、悔しいが自分は本作の良さがうまく理解できなかった感じ。ペマ・ツェテン監督特別追悼特集上映『静かなるマニ石』鑑賞@ヒュートラ有楽町。昨日「またどこかで」と云って別れたはずのまるゆさんにもう再会した。帰りの電車でDAZNにてJ1開幕戦、セレッソ×FC東京戦を途中から見る。完全にセレッソが内容的に上回っていたけど2対2のドロー。最寄りのスーパー、ヤオコーでおやつカンパニーのカールっぽいお菓子を見つけたので買う。チーズ味とカレー味があって、味の設定もカールっぽい。Netflix『忍びの家 House of Ninjas』E8を見る。これで完走。現代を舞台にした忍者もの、をすごいストレートにやった感がありますが、変にひねってないのが良かったと思います。Netflix『ポップスが最高に輝いた夜』を見る。U-NEXT『オール・ダート・ロード・テイスト・オブ・ソルト』を見る。
■2024/2/25 日曜日。朝、僕しか起きてこないので優雅なひととき。朝食を食べながらBSSTO『ユキの異常な体質/ または僕はどれほどお金がほしいか』を見る。『桃を煮るひと』(くどうれいん)読了。まつむらしんご監督が紹介していて読んで本。たぶん。Apple TV+『マスターズ・オブ・ザ・エアー』E6を見る。午後、雨ですね。自転車はきついので歩いて昭島図書館へ。娘が借りていた本が大量で、亀仙流の修行のようです。で予約していた本も大量なので帰りも修行。MOVIX昭島にて『マダム・ウェブ』鑑賞。WOWOWオンデマンド『新宿黒社会 チャイナマフィア戦争』を見る。U-NEXT『ファニー・ページ』を見る。ZAZENの新譜を聴きながら映画の感想をいろいろ考えてから寝る。
■2024/2/26 月曜日。今日は朝早い時間からミーティングがあるので朝ウォーキングを断念。電車で出勤です。鴨ウォッチングもできないので困りますよね。お昼休みにWOWOWオンデマンド『夜明け』を見る。なんか今日は目がしょぼしょぼ。花粉かな。目薬使ってもダメな感じ。きつい。仕事帰りの道中でApple TV+『コンステレーション』E2を見る。まるで『ゼロ・グラビティ』な感動エピソードでしたが、またラストで混乱。何が起きているんだこれ。U-NEXT『バッド・エデュケーション』を見る。BS録画『特攻野郎Aチーム』S2E8を見る。イシヤマさんとDiggin' U-NEXT収録。遅い時間になってしまい申し訳ない。あと本編で僕が『タフ』シリーズ全6作を見た話をするのをすっかり忘れてしまったので収録終わったあとにイシヤマさんだけに話しました。
■2024/2/27 火曜日。通勤の道中でWOWOWオンデマンド『そそがれ』を見る。マクドナルドでお昼食べながらApple TV+『コンステレーション』E3を見る。帰宅して僕モテメルマガの仕上げ。U-NEXTで映画を見ていたがぜんぜん見終わらず。夜遅い時間からけんす君、なんすけ君とDiggin' Amazon Prime Video収録。やはり今年のDiggin' アマプラは作品選定基準を変えたことでけっこう雰囲気が変わった感あります。
■2024/2/28 水曜日。午前は在宅で働き午後半休をいただく水曜日。朝ゆっくりできるな、と思って寝ていたけど予定より1時間ほどゆっくりしすぎてしまった。朝食トースト食べながらメールチェック。しかも午前中の最後の方に急ぎのメールが連続し対応。お昼食べる時間がなくなってしまった。バタバタと家を出て吉祥寺へ向かう。移動しながらWOWOWオンデマンド『GET SET GO』を見る。UPLINK吉祥寺で『落下の解剖学』鑑賞。こんな平日の昼間の回なのにおそらく満席だった。こうゆう集客になるのって意味がわからない。映画観終わってからとても中途半端な時間だけど松屋にて、シャリアピンソースハンバーグ定食を食べる。水道橋に移動。移動しながらApple TV+『コンステレーション』E4を見る。やっと起きてることの意味がわかってきた。ZAZEN BOYS TOUR MATSURI SESSION 2024@ TOKYO DOME CITY HALL。会場前で写真を撮っているチートイツさんを発見。いっしょに入場してソフトドリンクで乾杯。久々に近況を話す。僕の席は2階席だったけど、めずらしい角度で見れてこれはこれで良かった。ニューアルバム「らんど」の楽曲。これからどう変化していくのか。次は5月の野音かな。楽しみです。帰りながらDisney+『SHOGUN 将軍』E1を見る。帰宅してからU-NEXT『最も危険な遊戯』を見る。
■2024/2/29 木曜日。お昼はコンビニ飯。気になっていたファミマのおにぎり、スパイシーツナを食べる。WOWOWオンデマンド『in-side-out』を見る。森山未來監督作。脚本は岩井秀人、音楽は岩崎太整。チェルフィッチュの影響を感じる。午後のミーティングでひじょうに憔悴。これは大変なことになったかもしれない。でもなんとか進めないとな。帰宅しながらDisney+『SHOGUN 将軍』E2を見る。けっこう話が難しい。澤井杏奈、『パチンコ Pachinko』『モナーク: レガシー・オブ・モンスターズ』に続きこの『SHOGUN 将軍』出演てことで海外ドラマで売れまくっています���。ついにDAZNを解約。FC東京の試合目当てで割高でも契約を続けてきたわけですが、その高い金額設定に対し月額1000円値上げはどう考えてもムリです。JリーグはBSでやってくれる試合とかを楽しみに見たいと思���ます。雨が降っていたのでMCTOSの参加は断念。そんな理由で参加を断念するのは僕ぐらいでしょうね。U-NEXT『スペアキー』を見る。さて月末。短い2月ではありますが、映画的にトピックはいくつもあった。『Here』上映後トークにバス・ドゥヴォス監督。ル・シネマのこのトーク付き上映は去年に続き本当に素晴らしい。パンフにサインもいただけた。調布シネフェスで『紅の豚』を観れて、新所沢レッツシネパークさよなら興行では『となりのトトロ』も観れた。1月の『もののけ姫』もあわせるととんでもない宮崎駿監督作連続鑑賞。ペマ・ツェテン監督特別追悼特集上映で3本鑑賞。追悼特集であることが本当に残念ですが特集上映ありがとうございました。『雨降って、ジ・エンド。』上映後に群青いろ×まつむらしんご監督のトーク。以前から話を聞いてみてかった3者のトークがついに。新所沢レッツシネパークさよなら興行の『SR サイタマノラッパー』。入江監督×名優×TKD先輩のトークも最高。皆さんに会えるだけでもう嬉しい。そんな感じで仕事は大変ですけど、映画LIFEはとても楽しかった2月も終わり。
2 notes
·
View notes
Text
サト
ボルン署長の妻。登場話数は65話。
10話 ・「(夫に対して)何かって何です?これほど皆さんのお役に立っているんですから、もっとどんと構えてらっしゃいな。」 ・「そう、それでこそあなたよ。」 ・「あなた…。きっと無事にお戻りになると思ってましたよ。」
29話 ・「美味しい料理には、ご無沙汰でしたからね。」 ・「あぁ、もうあんなに並んでる…遅れちゃう!」
31話 ・「考えてみれば、お城の一般公開は初めてですわね~。」 ・「あぁこわい…皆さん村に帰りましょ。」 ・「(夫の歌に対して)下手くそね!」
32話 ・「お願いあなた…(治療するために)お口を開いて…。私がついていますから、さぁお口を開いて…。治療しないと、もっと酷くなりますわよあなた~!」
33話 ・「あなた、なぜこんなもの引き取るんです?今夜は庭でバーベキューの予定なのに…。」
42話 ・「(黄金デデデ像を見て)こんなもの建てて…。」 ・「私もうダメ…。私だってそうよ…。」 ・「あなた…よく告白しましたね。」
45話 ・「私も、肝試しがきっかけでボーイフレンドが出来たわ。ドキドキしたわね~。」 ・「そういえば、昔からこの森の中には魔物が住んでるって伝説があったわ。」
49話 ・「ドラマってチャンネルDDDで…(陛下ばかり出るヤツ?)。」 ・「(カービィは)そこにいるわ、適当に塗れば良いのよ(サトは住民の中ではしっかりしている方なのに…)。」
52話 ・「(夫が)1日中部屋にこもってチョコをかじってるの。」 ・「あら、ちょっとサモさん?タゴのコンビニで何買ってきたの?」
53話 ・「(夫に対して)チョコカプセルをせっせと買ったのは誰ですの!?」
57話 ・「備えあれば憂いなし。」
58話 ・「あたしにできるかしら…。」 ・「では!算数の授業を始める!(凶暴化する)」 ・「なんでもない!さぁ1+1は何?そこの…ホッヘ!早く答えないか!この出来損ないがぁ!(ホッヘをぶん投げる)」 ・「これは柔道の稽古だ!(※体罰です)」 ・「デデデ君…花丸正解。次の問題(678×100)…答えの分かるモノは?」 ・「次の問題(1627967×3992815)…カービィ君、答えは?ポヨじゃない!とりゃー!(答えは6500171057105…明らかに入学初日にやらせる問題ではない)」 ・「ごめんあそばせ…ホホホホホ(元に戻る)。」 ・「…というワケで、悪は滅びました。カービィの活躍良かったわね…。では今日の物語はおしまい…。」
59話 ・「いらっしゃいませ…。」 ・「前菜はお豆のくずよせ…口取りはキュウリとミョウガのお吸いもの…お刺身は近海もの…茶碗蒸しに梅酒…。箸休めにキュウリの和えもの…それにドジョウ飯、山菜の煮物とタケノコと高野豆腐のゴマ味噌和えに、小エビと野菜のかき揚げと、マイタケの天ぷら…捕れたてのアユの塩焼きと、小魚の甘露煮…。そしてメインは…タラバガニの甲羅焼きでございます。」 ・「今夜のごちそう…タラバガニの甲羅焼きでございます。」 ・「そんなハズはありません!何かの間違いでございます!その撮影したビデオを巻き戻して見せてちょうだい!」
62話 ・「メーベルが奇跡を起こした!」
69話 ・「お天気で良かった。」 ・「あんなに自然を大事に考えていたなんて…。」 ・「(深呼吸して)空気がおいしい…。」 ・「ねぇ見てこの落ち葉!少しお掃除してあげましょうよ…。栄養源?」 ・「外で食べるご飯は美味しいですね…。」 ・「(池を見て)まぁ!ステキ!」 ・「でもこんな森の奥深くで…(帰れないわ)。」 ・「(夫に対して)あなた…サバイバルの達人でしょ?」 ・「あなた…日が暮れるまでに帰れるかしら…。(ジジイ2人に対して)まぁだらしない!」 ・「(サバイバルは)あなたの得意じゃなかったの?」 ・「食べ物はないわ…。」 ・「(私たちはどうして)利用されやすいのかしらね…。」
72話 ・「あなた…ウチもワドルディを買いません?」 ・「(あれだけワドルディがいれば)村は安全ですわ…。」
73話 ・「タマゴとってくださらない?」 ・「お茶のことアガリって言うのよ、タダだから飲まなくちゃ!」
76話 ・「あなたこそ…震えてません?」 ・「(ボルントザウルスを見て)アレあなたにそっくり!」
77話 ・「だからここで展覧会をしたかったのに���。」 ・「良い時代に生まれて良かったわ~!」 ・「フーム様のガイドで芸術鑑賞なんて…。」
80話 ・「(モソに対して)なに?年寄りのナンパ?」 ・「あのドリンクを飲んだら、やたら元気になるハズなのに…。」
81話 ・「すみませ~ん。手紙を出したいんですけど。」 ・「じゃ、よろしく~。」 ・「さ、お夕食の支度支度…。」 ・「(夫に対して)おかえりなさい…今お夕食ができますわ。」 ・「おどろいたでしょ?汚くて…。」 ・「あなた!私のせいにするの!」 ・「私は一生懸命片づけてきたわ…。もうあなたが!」 ・「でもうちはどうなるの!もう私片づけられません!(回想内のセリフ)」 ・「私はちゃんと片づけていました…。でも、主人がいつも落とし物を持って帰るから…。」 ・「まぁ…ゴミがすっかり!」 ・「これで、私たちの家も片づいたわね。」
82話 ・「うちの人なんてお茶1杯入れられなくて…。」 ・「(パームに対して)男の身でありながら料理なんて…。」 ・「これがフードプロセッサーですの?」 ・「(夫に対して)それ料理ができてからの問題でしょ?」 ・「(あんなことしてる間に)もう終わってます。」
89話 ・「盗み聞きに覗き!」 ・「あなた!女性の敵を逮捕なさい!」 ・「(事件が)起きてからじゃ遅い!」 ・「(オタキングに対して)顔貸しな!」
92話 ・「(デデデの放送を見て)ねぇ、ビジネスチャンスよ!」 ・「私たちは栄養たっぷりの(ステーキ弁当)。」 ・「じゃあ地鶏炊き込みご飯定食。栄養を落とさずに190デデン!」 ・「(これ以上値引きすると)食事とは言えなくなります。」 ・「呆れた…。」 ・「カワサキ、アンタ必ず破産するわ。」
93話 ・「(喜んでもらえて)よかったわぁ~。」 ・「(陛下は)逮捕できないしねぇ…。」
95話 ・「本当にひどいったらありゃしない。」 ・「フーム様!見てこの有り様!こっちもカービィがやったのよ!」
98話 ・「(ナイトメアが攻めてくるのは)カービィがここにいるからよ!」
0 notes
Photo
たぶん今年の映画納め。 #dennishopper #デニスホッパー #thelastmovie #ラストムービー #cinemaqualite #シネマカリテ #今年は鑑賞本数76本でした (新宿シネマカリテ) https://www.instagram.com/p/B6monAHJE6g/?igshid=16z3pjy5omjql
1 note
·
View note
Text
かつてなく老いた涙目の短歌のために
「目は口ほどに物を言うからな」の一言で自分の言葉を信じてもらえなかったら憤慨するだろうけれど、同時に、「じゃあしかたない」とも思ってしまうかもしれない。ことわざを本気で使ってくる人を相手取るとき、そのことわざの力強さに対して自分の正直な心の力は、頑張っても引き分けか根比べ競争に持ち込めるかくらいのものかもしれない。そんなことでいいのか。「口」を信用することなく、「目」に権威を求めてしまうのはなぜだろうか。
わたしの視野になにかが欠けていると思いそれは眼球めだまと金魚を買った
/斉藤斎藤『渡辺のわたし』
「わたし」=「それ」=「作中主体」が「視野になにかが欠けていると思い」、「眼球と金魚を買った」。眼球の有無は「わたしの視野」の信頼にかかわるだろうか。
「わたしの視野」の信用問題。それは「わたしの視覚」の問題には回収されないだろう。「わたしの視野」を再現すること、報告すること。それは、語りの問題でもある。「わたしの語り」あるいは「わたしについての語り」。
「わたしの視野になにかが欠けていると思い」 「それは眼球めだまと金魚を買った」
と語る者がいる。一人称の「わたし」と三人称の「それ」を使い分けながら〈わたし=それ〉について語る者。あたかも三人称の「それ」に言及するように一人称の「わたし」について語ることのできる、「わたし」でも「それ」でもない語り手。
その語り手は眼球を使って〈わたし=それ〉を見たのだろうか。うーん。語り手として、わたしたちは見たことも聞いたこともないことを語ることができるけど。
それはメタ視点の〈わたし〉だろうか。メタ視点の〈わたし〉と思いたがる態度は、なんとしてでも〈わたしの視点〉を死守しようとする心に由来しないだろうか。もしも、〈わたしの視点〉が〈わたし〉の意識の圏内になかったら、どうするのか。〈わたしの盲点〉が無意識の視点として〈わたしの視点〉になりかわるとき、目が口ほどに物を言い始めるチャンスだ。目だけではない。様々な物たちが物を言い始める。指、髪、鼻、表情、性器、身長、体重、性別、世代、口癖、言い間違い、ファッション、スマホの機種、アクセサリー、食生活、インテリア、嗜好品、社会階層、家庭環境、トラウマ。〈わたしの視点〉を死守する心が〈わたしの盲点〉を前にして挫折するどころか〈無意識のわたしの視点〉をそこに見出すとき、〈わたし〉は言っていないことを言っていて、思っていないことを思っている。ヤバすぎる。無意識の解釈は信頼できる人や権威ある人にやってもらいたい。と、わたしは思うだろう。「と、わたしは思うだろう」と回収する〈わたしたち〉の法。
こんなにインクを使ってわたしに空いている穴がわたしの代わりに泣くの
深ければ深いほどいい雀卓がひそかに掘りさげていく穴は
/平岡直子「鏡の国の梅子」(同人誌『外出』2号)
〈わたし〉の個別性は〈わたしたち〉の法に抵抗できるはずだ。という主張は、きっと何度も繰り返されてきた。〈私性〉はしょせん共同体の一員としての制限された〈わたし〉のことだ、と言ってみたところで、かつての「共同体の一員」たちのなかにも、そのような意味での〈私性〉に回収されない〈この・わたし〉たちが次々と発見されるはずだ。それが本来の意味での〈私性〉だ。話は決まっている。その都度、うまく解釈を施せば、法文を変える必要はない。解釈できないものについては、例外事項として扱えばいい。例外的な〈わたし〉たち。動���、魔法使い、「ミューズ」、など。「穴」はどうしようか。
さいころにおじさんが住み着いている 転がすたびに大声がする
はるまきがみんなほどけてゆく夜にわたしは法律を守ります
/笹井宏之『てんとろり』
あるいは、〈わたし〉など言葉の遊戯の一効果にすぎない、と言ってみたとして。それが〈わたしたちの言葉の遊戯の法〉ではない、と言い切れるだろうか。ヴァーチャル歌人・星野しずるの作者・佐々木あららは次のように語る。
Q.これ、そもそもなんのためにつくったんですか?
僕はもともと、二物衝撃の技法に頼り、雰囲気や気分だけでつくられているかのような短歌に対して批判的です。そういう短歌を読むことは嫌いではないですが、詩的飛躍だけをいたずらに重視するのはおかしいと思っています。かつてなかった比喩が読みたければ、サイコロでも振って言葉を二つ決めてしまえばいい。意外性のある言葉の組み合わせが読みたければ、辞書をぱらぱらめくって、単語を適当に組み合わせてしまえばいい。読み手の解釈力が高ければ、わりとどんな詩的飛躍でも「あるかも」と受けとめられるはずだ……。そう考えていました。その考えが正しいのかどうか、検証したかったのが一番の動機です。
/佐々木あらら「犬猿短歌 Q&A」
読み手の解釈はそんなに万能ではないだろう。「わりとどんな詩的飛躍でも」、〈わたしたち〉に都合よく「あるかも」と解釈できるだろうか。現在、そのようなことは起きているだろうか。「わからない」「好みではない」「つまらない」「興味がない」「時間がない」といったことはないだろうか。それが駄目だという話ではない。〈理想の鑑賞者〉という仮想的な存在を想定した読者論はありうるが、短歌はそれを必要としているだろうか。AI純粋読者。
「雀卓がひそかに掘りさげていく穴は」「穴がわたしの代わりに泣くの」
「わたし」は泣いていないのだとして。「穴」があるかも。泣いているかも。
誰の声?
「なんでそんなことするんだよ」で笑いたいし、なんでそんなことするんだよ、を言いたい。〈なんでそんなことをするのかが分かる〉に安心するのは、それがもう「自分」だからだ。「自分」のように親しい安心感なんて、いくつあったっていい。 でも〈なんでそんなことをするのかが分かる〉でばかり生を満たしているとどうだろう、人はそのうち、AI美空ひばりとかで泣くことになるんじゃないか。
/伊舎堂仁「大滝和子『銀河を産んだように』」
やさしくて、人を勇気づけてくれる言葉だ。そう思う。
「雀卓がひそかに掘りさげていく穴は」「穴がわたしの代わりに」「AI美空ひばりとかで泣くことになるんじゃないか」
「わたし」の代わりに泣いている��は何だろう。〈わたしたち〉の法はその涙を取り締まれるだろうか。「泣くことになるんじゃないか」は「泣くな」ではない。「じゃないか」の声の震えは何だろう。もしかして、泣いてるんじゃないのか?
ころんだという事実だけ広まって誰にも助けられないだるま
もう顔と名前が一致しないとかではなく僕が一致してない
あたらしいかおがほしいとトーマスが泣き叫びつつ通過しました
/木下龍也『つむじ風、ここにあります』
機関車のためいき浴びてわたしたちのやさしいくるおしい会話体
/東直子『青卵』
ナレーションのような声によって、かわいそうなものがユーモラスに立ち上がる。ナレーターの「僕」もなんだかかわいそう。「だるまさんが転んだ」という遊びはだるまを助ける遊びではない。そもそも、鬼に自分から近づいていくような酔狂な者たちは、自身がだるまである自覚があるのか。いや、このゲームにだるまは存在するのか? 助けるに値しないだろ。「顔と名前が一致しない」は、通常、自分以外の誰かに向けられる言葉だが、歌を読み進めていくとそれが「僕」に向けられた言葉であることが判明する。読者はそれに驚くだけではない。「顔と名前が一致しない」という言葉に含まれる攻撃性が「僕」自身に向けられることで、途端に空気がやわらぐのを感じて、ホッとする。笑う。あ、よかった、大丈夫だった。「僕が一致していない」と言う「僕」のユーモラスなかわいそうさは、このような言葉のドラマによって作られている。お前、かわいそうだな、でも大丈夫そうだ。〈立てるかい 君が背負っているものを君ごと背負うこともできるよ/木下龍也〉。アンパンマンとトーマスのキメラが泣き叫んでいるらしい。「ためいき」の向こう側で。「ためいき浴びてわたしたちのやさしいくるおしい会話体」。こちらだって、くるおしい。
「ためいき」の向こう側に、言葉が無数の涙を作れてしまうとして。〈わたしたちの言葉の遊戯の法〉を超えたところに涙を作れてしまうとして。〈わたし〉の涙は計算不可能な可能性の中で生じた一効果なのだとして。涙に理由はないのだとして。やっぱり、本当に泣いている〈わたし〉もいるでしょう? 泣いている〈わたし〉を助けてあげたい? 「なんで泣いているんだよ」。
止まらない君の嗚咽を受けとめるため玄関に靴は溢れた
/堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』
アガンベンの直感はこうである。すなわち、法にとって「思考不可能」なはずの生〔=既存の法では取り扱えない種類の「生」〕、この「生」は法にとって法の空白をなしてしまうものであるが、しかも仮にそこで留まれば、「生」は単なる法外・無法として放置されるはずであるが、しかしそういうことは決して起こることはなく、法は、「生」が顕現するその状態を例外状態や緊急事態として法的に処理しようとする。ここまでは、よい。その通りである。しかし、アガンベンは続けて、そのように「生」が法に結びつけられると「同時」に、「生」は法によって見捨てられることになると批判したがっている。今���は、「生」は、法的に法外へと見捨てられ���あまつさえ無法な処置を施されると言いたがっている。しかし、その見方は一面的なのだ。主権論的・法学的に過ぎると言ってもよい。というのも、「生」の側から言うなら、今度は、「生」が法外な暴力を発揮して、「生」を結びつけたり見捨てたりする法そのものを無きものとし、ひいては統治者も統治権力も無力化するかもしれないからである。そして、疫病の生とは、そのような自然状態の暴力にあたるのではないのか。
/小泉義之「自然状態の純粋暴力における法と正義」『思想としての〈新型コロナウイルス禍〉』、161-162頁、〔〕内注記は平
実状に合わせて、法文書の中に例外事項をひたすら増やし、複雑にすること。その複雑な法文書を読み解ける専門家機関を作ること。それを適切に運用すること。そういった法の運用では〈わたしたち〉の生を守ることができないような事態に直面したとき、法よりも共通善が優先され、法が一時的に停止される。「例外状態」。法の制約から解放された権力が動き出すだろう。法が停止した世界において、それでも法外の犯罪(という語義矛盾)を統制するため。法の制約から解放されたのは権力だけではない。〈わたし〉たちだって法外に放り出されたのだ。「ホモ・サケル」。そこには、〈わたし〉ならざる者たちが、〈わたしたち〉の法を無力化しながら、跋扈することのできる世界があるだろうか。(穂村弘が「女性」という形象の彼方に夢見た世界はそういうものだったかもしれない。*注1)
法外に流されている暴力的な涙はあるだろうか。理由のない涙の理由のなさをテクストの効果に還元して安心しようとするテクスト法学者を、その涙が無力化するだろうか。涙する眼は、見ることと知ることを放棄する。両眼視差と焦点を失いながら、けれどもたんに盲目なのではない涙目の視点。
それは哀願する。まず第一に、この涙はどこから降りてきたのか、誰から目へと到来したのかを知るために。〔…〕。ひとは片目でも見ることができる。目を一つ持っていようと二つ持っていようと、目の一撃によって、一瞥で見ることができる。目を一つ喪失したり刳り抜いたりしても、見ることを止めるわけではない。瞬きにしても片目でできる。〔…〕。だが、泣くときは、「目のすべて」が、目の全体が泣く。二つの目を持つ場合、片目だけで泣くことはできない。あるいは、想像するに、アルゴスのように千の目を持つ場合でも、事情は同じだろう。〔…〕。失明は涙を禁止しない。失明は涙を奪わない。
/ジャック・デリダ『盲者の記憶』、155-156頁
涙目の視点。
振り下ろすべき暴力を曇天の折れ曲がる水の速さに習う
噴水は涸れているのに冬晴れのそこだけ濡れている小銭たち
色彩と涙の国で人は死ぬ 僕は震え��ほどに間違う
価値観がひとつに固まりゆくときの揺らいだ猫を僕は見ている
ゆっくりと鳥籠に戻されていく鳥の魂ほどのためらい
/堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』
「振り下ろすべき暴力」などないと話は決まっている。合法の力と非合法の暴力とグレーゾーンがあるだけだ。倫理的な響きをもつ「べき」をたずさえた「振り下ろすべき暴力」などない。語義矛盾、アポリア。けれども、「法外の犯罪」などという語義矛盾した罪の名を法的に与えられるその手前、あるいはその彼方での〈わたし〉たちの跋扈を、「振り下ろすべき暴力」という名の向こうに想像してみてもいい。
語義矛盾のような〈わたし〉は語義矛盾のような言葉を聞くことができる。「世界の変革者であり、同時に囚獄無き死刑囚である人間」(塚本邦雄)。
短歌に未来はない。今日すらすでに喪っている。文語定型詩は、二十一世紀の現実に極微の効用すらもちあわせていない。一首の作品は今日の現実を変える力をもたぬのと同様に、明日の社会を革める力ももたない。 私は今、その無力さを、逆手にもった武器として立上がろうなどと、ドン・キホーテまがいの勇気を鼓舞しようとは思わない。社会と没交渉に、言葉のユートピアを設営する夢想に耽ろうとももとより考えていない。 短歌は、現実に有効である文明のすべてのメカニズムの、その有効性の終わるところから生れる。おそらくは声すらもたぬ歌であり、それゆえに消すことも、それからのがれることもできぬ、人間の煉獄の歌なのだ。世界の変革者であり、同時に囚獄無き死刑囚である人間に、影も音もなく密着し、彼を慰謝するもの、それ以上の機能、それ以上の有効性を考え得られようか。 マス・メディアに随順し、あるいはその走狗となり、短歌のもつ最も通俗的な特性を切り売りし、かろうじて現実に参加したなどという迷夢は、早晩無益と気づくだろう。
/塚本邦雄「反・反歌」『塚本邦雄全集』第八巻、28頁
「現実を変える力」を持たぬ「世界の変革者」は、通常の意味では変革者ではない。有罪と裁かれる日も無罪放免となる日も迎えることはない。ということは、その「変革者」は囚獄の中にも現実の中にも生きる場所を持たない。そんな人間いるのか。もしも批評家がその変革の失敗を裁くことでその人間に生きる場所を与え、歴史に刻むならば、その失敗がそもそも不可能な失敗であったことを見落としてしまう���ろう。なんて無意味なこと。けれども、目指されていた変革も失敗の裁きもなしに、まったく別の道が開かれることがある。そういう想像力は必要だ。
短歌に未来はない。今日すらすでに喪っている。
マス・メディアに随順し、あるいはその走狗となり、短歌のもつ最も通俗的な特性を切り売りし、かろうじて現実に参加したなどという迷夢は、早晩無益と気づくだろう。
これらのメッセージを、塚本邦雄がそう言っているのだから、と素朴に真に受けてはならないだろう。マス・メディアに随順するのか、塚本邦雄に随順するのか、そういった態度。
筋肉をつくるわたしが食べたもの わたしが受けなかった教育
/平岡直子「水に寝癖」
洗脳はされるのよどの洗脳��されたかなのよ砂利を踏む音
/平岡直子「紙吹雪」
「そうなのよ」「そうじゃないのよ」と口調を真似て遊んでいると「砂利を踏む音」にたどり着けない。どんな人にも「わたしが受けなかった教育」があるし、なにかしら「洗脳はされる」。だからなんだよ。今、口ほどに物を言っているのは何。「砂利を踏む音」。くやしい。
リリックと離陸の音で遊ぶとき着陸はない 着陸はない
/山中千瀬「蔦と蜂蜜」
気付きから断定、発見から事実確認、心内語的つぶやきから客観的判断へと、フレーズの相が転移するリフレイン。「リリックと離陸の音で遊ぶとき」、その「とき」に拘束されて、ある一人の人が「着陸はない」と気づいた。気づいてそう言った。けれども、二度目の「着陸はない」からは、「とき」や〈気付きの主体〉の制約を受けないような、世界全体を視野におさめているかのような主体による断定の声が聴こえてくる。聴こえてきた。
「着陸はない」世界に気づいた主体が、一瞬にしてその世界を生ききった上で、振り返り、それが真実であったと確かめてしまった。一瞬で老いて、遺言のような言葉を繰り出す。事実と命題の一致としての真理は、その事実を確認できる主体にだけ確かめることができるのだ。〈わたしたち〉にとって肯定も否定もできない遺言。「だってそうだったから」で提示される身も蓋もない真理は「なんで」を受け付けない。
世界の真理がリフレインの効果によって、身も蓋もない仕方で知らされること。説明抜きに、真理を一撃で提示するという暴力からの被害。それは、爆笑する身体をもたらすことがある。自身の爆笑する身体に「なんで爆笑してるんだよ」とツッコミをしようと喉に力を込めながら、その声を捻り出すことはできずに、ひたすら身体を震わせて笑う。「アッ」「ハッ」「ハッ」「ハッ」と声を出しながら息を吸う。呼吸だけは手放してならないのは、息絶えるから。「着陸はない」と二度繰り返して息絶えてしまうのは、歌の主体だけなのだ。
もちろん、「着陸はない⤵︎ 着陸はない⤵︎」のような沈鬱な声、「着陸はない⤴︎ 着陸はない⤴︎」のような無邪気な声を聞き取ってもいい。「着陸はないヨ」「着陸はないネ」「着陸はないサ」のように終助詞を補って聞くこと。リフレインの滞空時間が終わるやいなや一瞬にして息絶えてしまうような声が〈わたしたち〉に求められていないのだとしたら。
「終」助詞というのは、近代以後の命名だが、話し言葉の日本語の著しい特徴であって、話し相手に向かって呼びかけ、自分の文を投げかける働きの言葉である。だから見方によれば、文の終わりではないので、自分の発言に相手を引き込もうとしている。さらに省略形の切り方では、話し相手にその続きを求めている、と言えよう。このように受け答えされる文は、西洋語文が、主語で始まって、ピリオドで終わって文を完結し、一つ一つの文が独立した意味を担っているのとは大きな違いである。
/柳父章『近代日本語の思想 翻訳文体成立事情』、91頁
近代に、西洋の文��を模倣するように、「〜は」(主語)で始まって「た。」(文末)で終わる〈口語文〉が作られた。それ以前には、日本語文には西洋語文に対応するような明確な〈文〉の単位は存在しなかった。句読点にしても、活字の文章を読みやすくするための工夫(石川九楊、小松英雄の指摘を参照)と、ピリオド・カンマの模倣から、近代に作られた。
言文一致体=口語体が生み出されてから100年が経つ。けれども、句読点をそなえた〈口語文〉を離れるやいなや、「着陸はない」が「。」のつく文末なのか終助詞「ヨ・ネ・サ」を隠した言いさしの形なのか、いまだに判然としないのが日本語なのだ。
ところで、近代の句読点や〈文〉以前に、明確な切れ目を持つ日本語表現として定型詩があったと捉えられないだろうか。散文のなかに和歌が混じる効果。散文の切れ目としての歌、歌の切れ目としての散文。
句読点も主語述語も構文も口調や終助詞も関係なく、なんであれ31音で強制的に終わること。終助詞を伴いながらも、一首の終わりに隔てられて、返される言葉を待つことのない平岡直子の歌の声。「着陸はない 着陸はない」のリフレインの間に一気に生ききって、どこかに居なくなってしまう声。
老いについての第一の考え方は、世論においても科学者の世界においても広く共有されている目的論的な考え方で、それによれば、老いとは生命の自然な到達点で、成長のあとに必然的に訪れる衰えである。老いは「老いてゆく」という漸進的な動きから離れて考えることはできないように思える。〔…〕。飛行のメタファー〔上昇と下降〕はまさに、老いをゆっくりと少しずつ進んでゆく過程として性格づけることを可能にする。それは、人生の半ばに始まり、必ずや直線的に混乱なく進むとは限らないとしても、段階を順番に踏んでいくのである。〔…〕。第二の考え方は老いを、漸進的な過程としてだけでなく、同時に、また反対に、ひとつの出来事として定義する。突然の切断、こう言ってよければ、飛行中の事故アクシデント。どれほど穏やかなものであったとしても、すべての老化現象の内には常に、思いもよらなかった一面、破局的な次元が存在するだろう。この、思いもよらなかった出来事としての老化という考え方は、第一の図式を複雑なものにする。老化について、老いてゆくというだけではどこか不十分なのだと教えてくれる。それ以上の何か、老化という出来事が必要なのである。突然、予測のつかなかった出来事が、一挙にすべてを動揺させる。老いについてのこの考え方は、徐々に老いてゆくことではなく、物語のなかでしばしば出会う「一夜にして白髪となる」という表現のように、その言葉によって、思いがけぬ、突然の変貌を意味することができるとすれば、瞬時の老化と呼びうるだろう。〔…〕。かくして、その瞬時性において、自然なプロセスと思いもよらぬ出来事の境界が決定不能になるという点で、老いは死と同様の性格をもつだろう。人が老いて��死んでゆくのは、自然になのか、それとも暴力的になのか。死とは、そのどちらかにはっきりと振り分けることができるものだろうか。
/カトリーヌ・マラブー『偶発事の存在論』、76-80頁、〔〕内注記は平
徐々に老いてゆくことと瞬時に老いること。それはたんに速度の問題なのではない。同一性を保ちながら徐々に老化することと、他なる者になるかのように突如として老化すること。衰えること、老成すること、年齢に見合うこと、若々しいこと、老けていること、大人びていること、子供っぽいこと。幼年期からの経験や思考の蓄積からスパッと切れて無関心になってしまうこと、来歴のわからない別の性格や習慣を持つこと。長期にわたって抑え込まれていたものの発現や変異、後から付け加えられたものの混入や乗っ取り。
自分の周りで生きている人々が老いてゆく過程に、私たちは本当に気づいているだろうか。私たちはたしかに、ちょっと皺が増えたなとか、少し弱ったなとか、体が不自由になったなと思う。しかし、そうだとしても、私たちは「あの人は今老いつつある」と言うのではなく、ある日、「あの人も老いたな」と気づくのである。
/カトリーヌ・マラブー、前掲書、80-81頁
内山昌太の連作「大観覧車」では、肺癌を診断された「父」の、余命一年未満の宣告をされてから死後までが描かれる。
父のからだのなかの上空あきらかに伸び縮みして余命がわたる
巨躯たりし父おとろえてふくらはぎ一日花のごとくにしぼむ
父も死に際は老いたる人となり寝室によき果物を置く
壊れたる喉をかろうじて流れゆくぶどうのひとつぶの水分が
/内山昌太「大観覧車」(同人誌『外出』三号)
「父も死に際は老いたる人となり」。あっという間の出来事だったのではないか。おそらく、「父」はもともと老人と言ってもいい年齢だった。けれど、「死に際」に「老いたる人」となったのだ。
定型と技巧を惜しみなく使って肉親の死を描くこと。「死」は定型と技巧かもしれない。「かもしれない」の軽薄さを許してほしい。定型の両義性。自然であり非−自然であるもの。なんであれ31音で強制的に終わることは人間が作り出した約束事に思われるかもしれないが、それは〈わたしたち〉が自由に交わせる約束よりは宿命に近いだろう。約束は破ることが可能でなければ約束ではない。あるいは、破られる可能性。偶然と出来事。宿命に対する技巧とは約束を作ることだろう。そこに他者がいる。あるいは〈わたし〉が他者になる。
〈作品化することは現実を歪めることである〉という考え方がある。事実と表象との対応に着目する立場。もしも〈父のふくらはぎが「一日花のごとくにしぼむ」かのように主体には見えた〉〈見えたことを「一日花のごとくにしぼむ」とレトリカルに書いた〉とパラフレーズするならば、作品は現実を歪めていないと言える。「見えた」「書いた」のは本当だからだ。けれど、そんな説明でいいのだろうか。また口よりも目を信用している。「一日花のごとくにしぼむ」を現実として受け入れられないだろうか。作品をそれ自体一つの���来事として。
「しぼむ」という動詞の形。活用形としては終止形だが、テンス(時制)やアスペクト(相:継続、瞬時、反復、完了、未完了など)の観点から、「タ形」(過去・完了)や「テイル」(未完了進行状態・完了結果状態などさまざま)と区別して「ル形」と分類される形である。西洋文法に照らし合わせるなら、「不定形」あるいは「現在形」だ。(日本語では〈明日雨が降る〉のように「ル形」で未来を表現することもある)。
「しぼんだ」(過去・完了)や「しぼんでいる」(現在・進行)と書かれていれば、〈主体の知覚の報告〉として読めるかもしれない。時制についても、相についても、語り手の位置に定位した記述として読める。けれども「しぼむ」はどうだろう。西洋文法において「不定形」とは、時制・法(直接法、仮定法、条件法など)・主語の単複と人称といった条件によって決められた形(=定形)ではない、動詞の基本的な形のことである。
この不定形的な「ル形」を、助動詞や補助動詞を付けずに、剥き出しにして「文末」にすること。そのような「ル形」の文末は、語り手の位置に定位した時制や確認判断を抜きにした、一般的命題、あるいは出来事そのものの直接的なイメージを差し出すことがある。
柳父章によれば、近代以前にも「ル形」の使用はわりあい多いという。けれども、それは標準的な日本語の用法ではなかった。古くは和文脈の日記文でよく使われていた。漢文体や『平家物語』でも一部使われている。そして、「おそらく意識的な定型として使われたのは、戯曲におけるト書きの文体」(97頁)である(*注2)。日記文やト書きは、原則として読者への語りを想定しない書き物であるため、語法が標準的である必要がないのだ。
文末が「ル形」で終わる文体は、脚本とともに生まれたのだろうと思う。脚本では、会話の部分と、ト書きの部分とは、語りかけている相手が違う。会話の部分は、演技者の発言を通じて、結局一般観客に宛てられている。しかし、ト書きの部分は、一般観客は眼中にない。これは演技者だけに宛てられた文である。〔…〕。 文法的に見ると、ト書きの文には、文末に助動詞がついてない。〔…〕。 すなわち、ト書きの文末には、近代以前の当時の通常の日本文に当然ついていたはずの、助動詞や終助詞が欠けている。「ル形」で終わっているということは、こういう意味だった。 逆に考えると、まともな伝統的な日本文は、ただ言いたいことだけを言って終わるのではない。読���や聞き手を想定して、文の終わりには、話し手、書き手の主体的な表現を付け加える。国文法で言う「陳述」が加わるのである。「ル形」には、それが欠けているので、まともな日本文としては扱われていなかった、ということである。
/柳父章、前掲書、99−100頁
このような来歴の「ル形」は、その後、西洋語文の「現在形」や「不定形」の翻訳で使われるようになり、より一般化した。それをふまえた上で、読者を想定した日本文の中で「ル形」を積極的に使ったのは夏目漱石だった。歌に戻ろう。
巨躯たりし父おとろえてふくらはぎ一日花のごとくにしぼむ
「しぼむ」のタイムスパンをど��捉えるか。ある時、ある場所で、「一日」で「しぼむ」のを〈見た〉のだろうか。おそらくそう見えたのだろう。けれども、他方で、この歌は「その時、その場」の拘束から逃れてもいる。「しぼむ」には「文の終わり」の「話し手、書き手の主体的な表現」が欠けているのだ。ト書きを読めば、ある時ある場所に拘束されずに、何度でもそれを上演し体験できる。それに似て、この「しぼむ」は読者に読まれるたびにそこで出来事を起こすだろう。
「しぼむ」について、今度は「話し手、書き手」の位置ではなく、「言葉のドラマ」を参照しよう。
「巨躯たりし父おとろえてふくらはぎ一日花のごとくに」
「ふくらはぎ」と「花」は決して似ていない。「花」と言われると、人は通常〈咲いている花〉を思い浮かべるだろう。「一日花」は一日の間に咲いてしぼむ花のことだが、だからこそ、咲いているタイミングが貴重に切り取られるのではないか。「ふくらはぎ」と〈咲いている花〉は形状がまったくちがう。にもかかわらず、〈ふくらはぎ・一日・花の〉のように、「が」や「は」といった助詞を抜きに、似ていないイメージ・語彙が直接に連鎖させられている。意味的にもイメージ的にも、この段階では心許ない。結句にいたっても、「ごとくに」に四音が割かれており、一首全体が無事に着陸する望みは薄いだろう。〈ふくらはぎ・一日花の・ごとくに〉と言われても、「ふくらはぎ」はまったく「花のごとく」ではないのだから。
最後の最後で、「しぼむ」の突如の出現が一首に着陸をもたらす。「突如」として「着陸」が訪れる。「花のごとく」なのは「ふくらはぎ」ではなくて、それが「しぼむ」ありさまであったことが、最後に分かる。
うまく着陸したからといって、〈ふくらはぎ・一日花の〉における語と語の衝突の記憶がすぐに消えてなくなることはない。でなければ、「しぼむ」がこのように訪れてくれることはない。衝突事故をしても着陸すること。「ふくらはぎ」にまったく似たところのない、異質なものとしての「花」が、助詞抜きで直接的に連鎖させられることによって生じる読者の戸惑い。その戸惑いが、結句未満の最後の三音で解消されるという出来事。
「話し手、書き手」から遊離した「言葉のドラマ」の中の「しぼむ」は、もちろん書き手の感性の前に現れた「しぼむ」でもあっただろう。〈見えたことを「一日花のごとくにしぼむ」とレトリカルに書いた〉は間違いではない。「父」と〈わたし〉のドラマを「言葉のドラマ」へと還元して、蒸発させてしまってはいけない。それは単純化だ。「社会と没交渉」になってたったの二歩で「言葉のユートピアを設営」してしまうような、一般論として振りかざされる「作者の死」は心が狭い。
靴を脱ぎたったの二歩で北限にいたる心の狭さときたら
/平岡直子「視聴率」(同人誌『率』9号)
内山の作品には、「老い」について「ル形」を使いながら〈語り手=書き手の声〉を聞かせる作品が他にもある。
読点の打ちかたがよくわからないまま四十代、中盤に入る
/内山晶太「蝿がつく」(同人誌『外出』二号)
「ル形」の効果だろうか。歌の語り手はあきらかに書き手だが、仮に書き手である内山昌太が嘘をついていたとしてもこの歌は成り立つだろう。歌のなかでの語り手=書き手=〈わたし〉は「内山昌太」から遊離している。だからといって架空のキャラクターを立てる必要もない。〈書き手の声〉が〈書くこと〉について語っているという出来事が確認されれば、ひとまずはいい。
結局のところ、「読点」は適切に打たれたのかわからない。「���十代」「四十代」という十年のサイクルは規則的に進むが、内山はそこに不規則性、あるいは規則の曖昧さを差し込もうとしている。不規則はどこから生まれるのか。規則が明文化されているかどうか、規則がカッチリしているかどうか、ではない。規則を使うとき、従うときに、不規則が生まれる。「使う」「従う」といった行為。そこには、うっかりミスや取り違え、愚かさや適当さがある。
内山自身による先行歌がある。
ペイズリー柄のネクタイひとつもなく三十代は中盤に入る
/内山晶太『窓、その他』
「四十代、中盤」や「三十代は中盤」というふうに、「◯十代」と「中盤」の間に何かを差し込もうとする手がある。
十年のサイクルについて、あらかじめ目標を立てるのであれ、後から反省するのであれ、「◯十代」という表記はその十年の全体を一挙に指示する。自動的で、明快で、有無を言わせない〈十年の単位〉に対して、「中盤」という曖昧な幅を当ててみること。
「三十代中盤」や「四十代中盤」という表記であったなら、「中盤」は〈十年〉の中の一部として回収されてしまうかもしれない。けれど、「三十代は中盤に入る」、「四十代、中盤に入る」という表記によって、徐々に進行しながら曖昧にその意味や価値を変質させていく、一様ならざる時間の幅へと〈十年〉が取り込まれていくかのようだ。「中盤」っていつからいつまでなんだ。きっと、サイクルごとに「中盤」の幅は伸び縮みするだろう。3年、5年? 8年くらい中盤で生きる人もいるのかな。
眠ること、忘れることを知らないで、昼的な覚醒を模範とする精神には、決して捕捉されることのない曖昧な時間。その時間のうちに〈十年の単位〉を巻き込んで、一身上の都合から伸び縮みするリズムの個人的な生を主張する視点。〈君の死後、われの死後にも青々とねこじゃらし見ゆ まだ揺れている/大森静佳〉と好対照だ。というのは、「リズムの個人的な生」の主張は、それを意識すればその都度タイムリミットのように減っている〈十年〉への不安とペアなのだから。
「中盤に入る」は淡々とした地の文の語りのようでもありながら、規則的に進行する〈十年〉のテンポに従うことのない「中盤」の速度を確保しようとする〈わたし〉の主体的な決意の言葉のようでもある。歌から聞こえてくる声が、三人称視点的な叙述なのか一人称的な心内語やセリフなのかの微妙な決定不可能性は、〈十年の単位〉について社会に語らされている主体と「中盤」を能動的に語っている主体のせめぎ合いに似る。
十年のサイクルは自然的な所与なのか、社会的な構築物なのか。絶対に無くなる時間の宿命を約束と取り違えること。それから、その約束を破ってしまうこと。二重のうっかりだ。だから、うっかりと変な歳のとり方をする。年齢相応じゃない。うっかりはポエジーだろう。
二つのタイプの老化、漸進的な老化と瞬時の老化は、常に強く絡み合っており、互いに錯綜し、巻き込み合っている。だから、常になにがしかの同一性が、毀損した形であっても存続し、人格構造の一部分が変化を超えて持続するのだと言う人もいるだろう。そうだとしても、どれだけ多くの人が、死んで���なくなってしまう以前に、私たちの前からいなくなり、自らを置き去りにしていくことだろう。
/カトリーヌ・マラブー、前掲書、93−94頁
〈わたし〉という語り手はうっかりと〈わたし〉から離脱してしまうことがある。深い意味もなく。身も蓋もないものの神秘を生み出しながら。その神秘を新たに〈わたし〉の神秘へと統合できるのか、そうではないのか。
君の死後、われの死後にも青々とねこじゃらし見ゆ まだ揺れている
/大森静佳『てのひらを燃やす』
「ねこじゃらし見ゆ」を受ける視点。それは「君」でも「われ」でもなく、「君の死後、われの死後」に、「まだ揺れている」と言うことのできる語り手の視点だ。語り手の案内を受けて導かれた読者の視点だ。読者の〈わたし〉はいったいどこに案内されたのだろうか。「まだ揺れている」と語る「われ」ならざる〈わたし〉はどの〈わたし〉で、「それ」はどこにいるのか。
この歌の視点について、ひとつ現実的に想像してみよう。
現実に、ある時ある場所で、「君」と「われ」が青々としたねこじゃらしを見ている。会話はなく、ねこじゃらしが揺れるのをぼうっと見ている。注意して観察しているのではなく、なんとなく、その青々とした緑色の揺れるのが目に入るがままだ。受動的で反復的な視覚体験によって、体験の主体は動くモノの側に移っていく。ねこじゃらしが揺れれば〈揺れ〉を感じ、こすれれば〈こすれ〉を感じるような体験のあり方。その時、ねこじゃらしの「青々」や「揺れ」は、「君」や「われ」が見ていようが見ていなかろうが、それとは独立に持続する運動のように現象するだろう。
持続するそれは「われ」の主観から独立してイデアルに永続するナニカというよりは、「われ」が〈意識的に見る主体=見ていることを意識する主体〉ではない限りにおいて成立するかりそめの現象だ。その現象に身を任せている間、「われ」は変性意識的な状態かもしれない。意識の持続は、見ていることの自覚ではなく、「ねこじゃらし」の「揺れ」の運動と一致する。「われ」の肉体も〈君とわれ〉の関係もそっちのけで、ねこじゃらしが揺れる。
魂がそのように「われ」から遊離していきながら、やっぱり振り返る。「われ」から遊離した、ほとんど死後的な魂の視点は振り返る。きっと、そうでなくちゃ困るのだ。振り返る視線によって、「君」と「われ」が「視野」に入る。「視野」に入れるという肯定の仕方だ。というのは、ねこじゃらしを見ている限り、「君」と「われ」は互いに「視野」に入らないはずなのだ。
〈君とわれ〉というペアの存在が、「君」も「われ」もいつか死ぬという身も蓋もない事実を絆帯として、常軌を逸した肯定をされてしまった。
「君とわれの死後にも」ではなく「君の死後、われの死後にも」と書き分けられている。「君」と「われ」のどちらが早く死ぬか、死ぬまでにどのような関係性の変化があるか、どのような経験の共有があるのか。そういったことに関心を持つ生者の視点はない。その視点があるならば、たとえば次の歌のように二者の断絶が描かれてもいい。
その海を死後見に行くと言いしひとわたしはずっとそこにいるのに
/大森静佳『カミーユ』
断絶の構図を作らずに、〈、〉で並列させられる形で肯定される関係は何だろう。生前から死後までを貫くような、〈君、われ〉の関係の直観。〈君とわれ〉の「君の死後、われの死後」への変形。その変形による肯定は、〈君とわれ〉の圏内においてはナンセンスだ。〈「君」が死んでも、「われ」が死んでも、ねこじゃらしは変わらず揺れているだろうね〉ならば、それは〈君とわれ〉の相対化だ。それで心身は軽くなるかもしれない。その軽さに促されるように〈生〉のドラマは展開するかもしれない。けれども、生前から死後までを貫く二者の並列関係の肯定にはなりえない。
〈生前から死後までを貫く二者の並列関係〉はナンセンスなフレーズだ。だからこそ、その肯定は常軌を逸している。ナンセンスな肯定が、常軌を逸した視点から、すなわち、「われ」の魂が遊離して別の生の形をとっている間にだけ持続するかりそめの語り手の視点からなされた。
語り手の視点を「死後の視点」と一息に言ってはならない。そう言ってしまうなら、語り手の位置の融通無碍な変化を見落とすことになる。「君の死後、われの死後にも青々とねこじゃらし見ゆ」から「まだ揺れている」の間には、語り手の視点にジャンプがある。山中千瀬の「着陸はない 着陸はない」のリフレインと似た効果がこの歌の一字あけにおいても生じているのだ。
「君の死後、われの死後にも青々とねこじゃらし見ゆ」という言い切りの裏には、〈見えるだろう〉という直観が働いている。〈直観の時〉があり、〈時〉に拘束された「言い切り」がある。
直観された真実がそのままで場を持つことは、しばしば難しい。けれども���の歌において、その直観は、一字あけのジャンプを経て、「まだ揺れている」を言うことのできる死後的な主体によって確認されることで場を持つことになる。「まだ〜ている」においては、「ル形」とは異なり、明らかに主体による確認判断が働いているだろう。直観を事実として確かめることのできるような不可能な主体へのジャンプ。
歌が立ち上げる〈不可能な声〉がある。
直観した時点から、それを確認する時点へのジャンプ。そこには、他なる主体の声になるかのような突如の変化と、同じ一つの〈歌の声〉の持続の、二つの運動の絡み合いがあるだろう。一首は一つの声を聞かせる。言葉を強引に一つの声へと押し込めることによって、通常では不可能なことを言うことができる。通常では、ナンセンス、支離滅裂、分裂した声、破綻した言葉のように聞かれてしまうかもしれないものたちが、一つの歌となるときに、〈不可能な声〉を聞かせてくれる。どうして〈不可能な声〉を使ってまで〈君とわれ〉を視野に収めたのだろうか、という問いから先は読者に任せた。
わたしたちに不可能な声が聞こえてくるとき。
「それは眼球めだまと金魚を買った」 「穴がわたしの代わりに泣くの」 「はるまきがみんなほどけてゆく夜」 「僕が一致してない」 「機関車のためいき浴びてわたしたちのやさしいくるおしい会話体」 「振り下ろすべき暴力」 「着陸はない 着陸はない」 「ふくらはぎ一日花のごとくにしぼむ」 「まだ揺れている」
どんな声でも「あるかも」と思えるように解釈することができるのだとして、わたしたちはどんな声でも、なんであれ聞いてきたのではない。いくつかの不可能な声を聞いてきた。
「不可能な短歌の運命」を予告しつつ、あらかじめそれを過去のものにするために。不可能なものの失敗がそれを過去へと葬ったあとで、そのナンセンスな想起が不可能なものを橋やベランダとして利用できるようにするために。
/平英之「運命の抜き差しのために(「不可能な短歌の運命」予告編)」
2年前に僕はこんなことを書いていた。短歌を書くことも、文章を書くことも、僕にはほとんど不可能なことだった。なにが不可能だったのか。
分母にいれるわたしたちの発達、 くまがどれだけ昼寝しても許されるようなわたしたちの発達、 しかも寄道していてシャンデリア。 青空はわけあたえられたばかりの真新しくてあたたかな船。 卵にゆでたまご以外の運命が許されなくなって以来わたしたちは発達。 教科書ばかり読んでいたのでちっとも気のきいたことを言えなくてごめんなさい。 まったく世界中でわたしたちを愛してくれるのは���なただけね。 ベランダから生きてもどった人はひとりもいないっていうのにさ。 〔…〕
/瀬戸夏子「すべてが可能なわたしの家で」(連作5首目より、一部抜粋)
ベランダから生きてもどった人はひとりもいないっていうのに、ベランダから生きてもどろうとしていた。それが僕の抱えていた不可能なことだった。
*注1 穂村弘「〔…〕。それでたとえばフィギュアスケートだったら、スケート観よりも実際に五回転できるってことがすごいわけだけど、短歌においては東直子とかが五回転できて、斉藤斎藤が「いや、俺は跳びませんから」みたいな(笑)、「俺のスケートは跳ばないスケートですから」みたいなさ。僕は体質的には、本当は自分が八回転くらいできることを夢見る、跳べるってことに憧れが強いタイプでね、だから東直子を絶賛するし、大滝和子もそうだし、つばさを持った人たちへの憧れがとくに強い。だからある時期まで女性のその、現に跳べる、そしてなぜ跳べたのか本人はわからない、いまわたし何回跳びました? みたいな(笑)、「数えろよ、なんで僕が数えてそのすごさを説明しなきゃいけないんだよ」みたいな、そういうのがあった。」 座談会「境界線上の現代短歌──次世代からの反撃」(荻原裕幸、穂村弘、ひぐらしひなつ、佐藤りえ)、『短歌ヴァーサス』第11号、112頁
*注2 柳父章『近代日本語の思想 翻訳文体成立事情』では、ト書きの比較的初期の用例として1753年に上演された並木正三『幼稚子敵討』の脚本から引用している。参考までに、以下に孫引きしておく。 大橋「そんなら皆様みなさん、行ゆくぞへ。」 伝兵「サア、おじゃいのふ。」 ト大橋、伝兵衛、廓の者皆々這入る。 …… …… 宮蔵「お身は傾城けいせいを、ヱヽ、詮議せんぎさっしゃれ。」 新左「ヱヽ、詮議せんぎ致して見せう。」 宮蔵「せいよ。」 新左「して見せう。」 ト詰合つめあふ。向ふ。ぱたぱた と太刀音たちおとして、お初抜刀ぬきがたなにて出る。 『日本古典文学体系53』岩波書店、1960年、112頁 本文で言及できなかったが、ト書き文体と口語短歌について考えるなら、吉田恭大『光と私語』(いぬのせなか座、2019年)を参照されたい。
【主要参考���献】 ・短歌 内山昌太『窓、その他』(六花書林、2012年) 大森静佳『てのひらを燃やす』(��川書店、2013年) 大森静佳『カミーユ』(書肆侃侃房、2018年) 木下龍也『つむじ風、ここにあります』(書肆侃侃房、2013年) 木下龍也『きみを嫌いな奴はクズだよ』(書肆侃侃房、2016年) 斉藤斎藤『渡辺のわたし 新装版』(港の人、2016年/booknets、2004年) 笹井宏之『てんとろり』(書肆侃侃房、2011年) 瀬戸夏子『そのなかに心臓をつくって住みなさい』(私家版歌集、2012年) 塚本邦雄「反・反歌」(『塚本邦雄全集』第八巻、ゆまに書房、1999年)(初出は『短歌』昭和42年9月号、『定型幻視論』に所収) 堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』(港の人、2013年) 東直子『青卵』(ちくま文庫、2019年/本阿弥書店、2001年) 平岡直子 連作「水に寝癖」(『歌壇』2018年11月号) 平岡直子 連作「紙吹雪」(『短歌研究』2020年1月号) 山中千瀬『蔦と蜂蜜』(2019年) 同人誌『率』9号(2015年11月23日) 同人誌『外出』二号(2019年11月23日) 同人誌『外出』三号(2020年5月5日) 『短歌ヴァーサス』第11号(風媒社、2007年)
・その他書籍 石川九楊『日本語とはどういう言語か』(講談社学術文庫、2015年) 沖森卓也『日本語全史』(ちくま新書、2017年) カトリーヌ・マラブー『偶発事の存在論 破壊的可塑性についての試論』(鈴木智之訳、法政大学出版局、2020年) 小泉義之「自然状態の純粋暴力における法と正義」(『思想としての〈新型コロナウイルス禍〉』、河出書房新社、2020年) 小松英雄『古典再入門 『土佐日記』を入りぐちにして』(笠間書院、2006年) ジャック・デリダ『盲者の記憶 自画像およびその他の廃墟』(鵜飼哲訳、みすず書房、1998年) 柳父章『近代日本語の思想 翻訳文体成立事情』(法政大学出版局、2004年)
・ネット記事 伊舎堂仁「大滝和子『銀河を産んだように』 」 佐々木あらら「犬猿短歌 Q&A」 平英之「運命の抜き差しのために(「不可能な短歌の運命」予告編)」
2 notes
·
View notes
Text
『生きててよかった』 水道橋博士が絶賛!! 「まさに“生きててよかった”と思える喜びのある映画」イベントレポート
24日都内劇場にて、主演の木幡竜と鈴木太一監督、そして本作へ絶賛コメントも寄せている水道橋博士が特別ゲストと��て登壇し、鑑賞後の観客に向けてトークイベントを開催いた��ました。
水道橋博士は、「お騒がせしております、水道橋博士でございます」と笑いを交え挨拶を済ませるやいなや、「絶対超えないだろうというところを超えてきて非常に感動しました」と本作を賞賛。この“超えないだろう”というものとは、主演木幡と鈴木監督の生まれ年でもある76年に公開された不朽の名作『ロッキー』に影響を受けたあまたの作品の中でもオマージュの捧げ方が群を抜いているということ。
劇中で、木幡演じる主人公・創太と今野浩喜演じる親友の健児が幼いころに観た『ロッキー』に感銘を受け、創太はボクシングの道へ、かたや健児はシルベスター・スタローンに憧れ俳優の道を志す。そんな『ロッキー』愛の強い本作だが、中学のころに劇場で観て「忘れられない映画体験」と語る水道橋博士も高く評価。ロケーションや撮影アングルまで、誰もが知る『ロッキー』への数々のオマージュが散りばめられている本作のなかでも、「これまでの日本映画で、ここまで脂肪を削いだ肉体は見たことがない。肉体は雄弁ですからね。ここまで落としたか…!と驚きました」と-10kgの減量と体脂肪率3%まで絞り上げた木幡の本気のカラダ作りに衝撃を受けたよう。木幡が、「『ロッキー』も、当時無名だったシルベスター・スタローンが脚本を手掛け、反対されながらも主演を演じきっていましたが、この作品でもほかの俳優が絶対出来ないような、僕にしか出来ないことを“命懸け”でやろうという意気込みで演じました」と劇中同様、強く意識した作品だったことを明かすと、水道橋博士は「ボクシング経験がある人が演じるということの、説得力たるやすごかったです」と改めてそのリアリティを追求したアクションを称えました。
また、水道橋博士はお笑いの現場で何度も共演しているという今野浩喜について「���ントでもそうですが、彼は役者としても演技がうまいですね。脇役というより両主演くらいの出番で、スクリーンであれだけ長い滞空時間というか魅せられるというのはやっぱり本物の演技力があるということですよね」と、絶賛。今野演じる健児は、親友として主人公の創太をそばで見つめ刺激を受けながら、同時に、全く芽の出ない俳優業を諦めきれずに、もっともっと売れたいともがき苦しむという役どころだ。水道橋博士は続けて、「健児が、期待していた次回作が飛んでしまい辞められなくなってしまうというシーンは特に沁みましたね・・・」と芸能界に長年いるからこそ、同じような境遇の人たちをたくさん見てきたことにふれ、より深く刺さったシーンだったと明かした。初監督作の『くそガキの告白』で主演を務めてもらった鈴木監督は「彼の誠意にあった、直球の演技は観ていて楽しいですね。どうしても説明的な台詞になってしまうところも、そう感じさせないよう工夫して演じてくれました」とその確かな演技力への信頼感を語りました。
現場で“バトルセックス”と呼ばれていたという本作の激しいセックスシーンに話が及ぶと、「最近の日本映画であそこまで激しいのは珍しいのでは」と水道橋博士。鈴木監督は「脚本を読んで、思い切り演じたいと言ってくれた鎌滝恵利さんの意気込みもありましたし、私の中で園村健介さんがアクション監督を務めた格闘シーンに対抗するつもりで、中途半端なことはできないという想いで撮りました」と明かし、木幡も「鎌滝さん演じる幸子が創太に対してぶつかってくるというシーンがなくて、それが唯一あのセックスシーンに込められています」と、夫婦が互いの感情と感情をぶつけあう、アクションシーンにも負けないドラマ部分の大きな見どころについて力説した。
最後に、水道橋博士が「映画��醍醐味は、良い作品を観て、自分の人生にフォードバックするということだと思います。観終えたあと、まさに“生きててよかった”と思える喜びのある作品です。僕もそんなコメントを寄せていますが、皆さんもそうした感想をたくさん広めていただき、何年もこんな作品があったんだと語り継いでほしいですね。しかも、あのとき参院選に出てめちゃめちゃな負け方をした奴がいたな、なんて思い出とともにね」と笑わせ、イベントを締めくくった。
0 notes
Photo
Liveのお知らせ。 shandinivas cafe' にフォークシンガーのphokaちゃんが歌いに来てくれます。 デビューした頃から、雰囲気や歌声がとても好きで、いつか歌いに来てほしいと思っていました。 念願叶って9月26日(日)。 どんな空間や空気に包まれるか、今から楽しみです。 みんなにも是非phokaちゃんの唄を聴いてほしい。 大変な状況下ではありますが、十分な感染症対策を行い、人数を制限して開催する予定です。 状況次第では中止となる場合もございますので、予めご了承ください。 どうぞ宜しくお願い致します。 ______________________ ” う た _ phoka live " 2021 / 9 / 26 (sun) 開場 13:30 開演 14:00 料金 3000円+1drinkオーダー (20名限定・要予約) 小学生以下無料 ご��約/お問い合わせ TEL:0123-76-7306(shandinivascafe) Instagram : @shandi_nivas @phoka mail :[email protected] ※ご予約の際に以下を必ずお知らせ下さい。 ご住所 / 電話番号 / メールアドレス(お持ちの方) / お子様のご年齢(ご参加の場合) ※公演中は静かにご鑑賞くださいますようお願い申し上げます。 ※感染症対策として検温・手指の除菌・マスクの着用のご協力お願いいたします。 _____ - phoka profile - フォークシンガー。2009年旅の途上で歌いはじめ、直後よりライブ活動を開始。ギターとともに旅の中で感じたことや日々の心模様から生まれた歌、異国の言葉の歌、古い日本の歌などを唯一無二の柔らかな歌声で歌い上げる。10年に及ぶ旅暮らしを経て、現在は海のそばに暮らす傍、音楽活動を行っている。 リリース _「光」2013 / 「録音記録」 2019 参加作品 _ EVIS BEATS「ムスヒ」「HOLIDAY」/ yurai「いのちのしま〜manafune」 > official web ... http://phoka-canta.com > Instagram ... @phoka > spotify ... phoka (Shandi Nivas Cafe') https://www.instagram.com/p/CTUgNT6J4pB/?utm_medium=tumblr
0 notes
Photo
2019冬アニメの円盤売上、予約数から視えてくる コトブキ飛行隊はガルパンおじさんが買ってるのかね。バーチャルさんはライブの申し込み券か。五等分かぐや様盾の勇者が上位で安心した。 現時点のAmazonランキング予約数TOP151位 マナリアフレンズ--10000越え濃厚-- 2位 ケムリクサ --ここから5000行けるかどうか--3位 コトブキ 4位 五等分 5位 かぐや様 6位 バーチャルさん 7位 盾の勇者 8位 デートアライブ 9位 B-PROJECT10位 わたてん 11位 モブサイコ 12位 えんどろ~ --ここから1000越えれるか--13位 モノノケ 14位 ネバラン15位 みにとじ ここにいないがバンドリがCD特典にTVアニメ本放送の円盤がつくため10000越えは確実。もう円盤売上を評価基準にする時代は正真正銘終わりやね。 :1 海外レビューではどろろやかぐや様や盾の勇者の人気が高く何故かドメスティックな彼女の人気が高い :3 モブサイコって一期も三千しか円盤は売れとらんのにどうやってあの神クオリティ維持しとるんやボンズが凄いだけか? :12 >>12あと原作人気もありそう元々一般層にも読者おるやろうし :13 覇��がソシャゲの素材なの悲しいなぁマナリアとか内容語っとるやつ誰もみんぞほんま :17 >>17ソシャゲの特典目当て以外で買う理由がない酷い有り様やからね一昨年のグラブルもそうだった :23 ケムリクサなんでそんなに売れてんの :20 >>20ようは売れたことでけもフレをバカにする素材に出来るから内容事態は微妙 :28 SAOは売れてるやろ? :63 >>6310000は越えたけど4クールの長期やからなぁ :66 禁書はこの上にいるんやろなあ :76 >>765000弱だったかな :114 バーチャルさんとかいういもいもから平成最期のクソアニメの座を奪ったクソ :100 ネバランは年間漫画売上トップ10に入ってるのに売れないのな :101 グリムノーツとか言うグリム以外の作品も平気で出てくる作品 :105 かぐや様五等分に負けてんのかよ草ァ! :115 >>115二巻以降尼ラン一万位とかの雑魚やぞ五藤分一貫はイベチケ付きだから張り合ってるが :122 五等分の花嫁は声優豪華だからイベチケ目的やろ :124 モブサイコすげえなあ一期そんな売れてなかったのにここまで良質にアニメ化してくるとかONEはマジで出会いに恵まれとるわ :171 マナリアフレンズってどんなアニメなん? :185 >>185神撃のバハムートの世界で桜Trickやってるだけの内容すっからかん微エ口百合アニメ :191 言うて手の込んだ作品作っても売れんと思うわ今のアニオタって周りの話題についていくことを重視してるから何話かすっ飛ばしても大丈夫な日常系やないとキツイ :189 一部の極まったオタクしか円盤買わない→単価上がる→さらに需要が減る→さらに単価が(以下ループ)なんやね そらアニメーターも逃げ出すわ最近劇場アニメ何部作みたいなん多いなぁと思ってたがもう劇場で鑑賞料徴収する方が割に合うんやな :51 円盤は次があるかどうかの指標や :70
0 notes
Text
マニラのインディーズ映画潜入ルポ
今、フィリピンのインディーズ映画が一番面白い!と思っているのですが、その秘密を探りにマニラに行ってきました。
空港に着いたら事前に予約していたポケットWi-Fi(1週間で1,700円!)を受け取り、Uberでマカティのホテルへ(8km、20分ほどの乗車で300円!)。まずTies That Bindのクラスメートで「Speed, Glue & Shinki」というドキュメンタリー映画を一緒に作っているBradley Liew監督と会った場所がこんな小洒落たカフェ。ここでマニラのイメージが一変しました。
カフェの隣のアジアン・フージョンレストランで夕食後、ホテルで「Speed, Glue & Shinki」のポスプロの打ち合わせ。
それから秘密の作戦会議をして、初日は終わり。
2日目は時間に余裕があったので、観光がてら城塞都市イントラムロスへ。思ったより綺麗な道路に驚き。というか、マニラは汚くて危険だという事前情報はかなり古いのかも知れない。商社で働いていた時に何度も行ったインドに比べると全然ましだ。
世界遺産サン・アグスティン教会に置かれている狛犬のような石像がなんとも不思議。どうやら中国から送られた獅子らしいですが、カトリック教会を守る狛犬は世界でもここ��けではないでしょうか。インドの寺院でも似たようなものを見た記憶があるので、ルーツはきっとインドに違いない。
イントラムロスの中はまるでヨーロッパのよう。色んな国々を旅しましたが、今までヨーロッパ以外でこんなにヨーロッパっぽいとこは見たことない。
フィリピンにまさかこんな立派な大聖堂があるとは思ってもいませんでした。ヨーロッパの厳重に管理された古い教会とは違って、管理が甘いというか、生々しく身近に展示物等見れるので、面白い体験でした。
その後、「Speed, Glue & Shinki」のPepe Dioknoプロデューサーがお勧めのアートスペース HUB: Make Labへ。マニラにもこんな場所があるんですね。
そしてUberで1時間半かけてケソン・シティへ。その日はマニラでASEAN会議が開かれていた為、Uberのドライバーも人生でこんなに渋滞した事ないと言っていました。メトロ・マニラの人口は1,155万人で、その中でも一番人口が多く、面積が広いのがケソン・シティ。インディペンデントの映画関係社が多く住んでるのもケソン・シティらしい。下の写真はのケソン・シティの散髪屋さん。
夜はMikhail Red監督にDohtonboriというお好み焼き屋さんに連れて行ってもらいました。大阪から来てすぐにお好み焼きかよ!と思ったのですが、大阪で僕が連れて行ったお好み焼きがあまり美味しくなかったので、こっちの方が旨いというのを証明したかったようです… Mikhail Redは「Birdshot」がアカデミー賞外国語映画賞ノミネートのフィリピン候補に選ばれた為、翌日からアメリカに旅立ったのですが、わざわざ会いに来てくれました。
3日目の朝、テレビをつけるとCNNに「Speed, Glue & Shinki」のPepe Dioknoプロデューサーが!彼が作っている旅行番組のようです。
その日は昼頃にSheron Dayoc監督が迎えに来てくれて、Milo Sogueco監督のマンションへ。昼間から夜までずっとウィスキー飲んでたので、かなり酔っ払いましたが、こうやって才能のあるfilmmaker達が集まるのが、面白い作品が続々と出て来る源泉なのだと感じました。そしてみんなポジティブな内容の会話が多いのが、気持ちいいです。うらやましい環境だ。マニラに引っ越したくなりました。
酔っ払ったまま夜はフィリピンの若手監督達が集まるポスプロスタジオへ。翌日からCinema One Originalという映画祭が始まる為、知り合いのfilmmaker達を何人か見かけました。
こういう部屋がいくつかあるのですが、こういうのを今僕が住んでいる大阪のボロアパートでやりたい!僕がイメージしていた理想のインディペンデント映画のポスプロスタジオがここにあったので、感激!
ここは安価に編集やグレーディングができて、みんなが集まる場所になっています。ビルのオーナーの本業はソーセージらしいので、1階の冷凍庫からソーセージをもらえるそうです。悲しいかな日本のインディーズ映画は海外のインディーズ映画に比べてポスプロのクオリティの低さをよく言われます。日本の映画が海外の映画祭になかなか選ばれないのは、画質や音が映画ではなくテレビっぽいからだとよく言われます。日本の場合は人件費もかなり高いですし、スタジオもテレビやCMの仕事をメインにこなしているので、仕方ない事だとは思いますが、こういうインディペンデント映画に特価したスタジオを大阪に作れば、日本のレベルもアップするのかなと思っています。フィリピン映画から低予算でレベルの高い作品がたくさん生まれて来るのは、このように若者が集まって作業できる場があるのが大きいのではないでしょうか。
4日目、Cinema One映画祭会場へ向かう途中、話題のミニシアターCinema 76に立ち寄る。友人のBabyruth監督の「Sunday Beauty Queen」が公開中だった。
中に入ってみると、今一緒に企画を進めているSheron Dayoc監督の「Women of the Weeping River」とMikhail Red監督の「Birdshot」のポスターが!この映画館を運営するTBAという会社が両作品に出資しているからのようですが、フィリピンではTBAという会社がキーのようです。元々別の事業で儲けていた会社がインディペンデント映画にも出資するようになったらしいのですが、他の国と違うのは、インディペンデント映画が結構ヒットしてしまったようです。別の会社の作品ですが、大阪アジアン映画祭でも上映されたインディペンデント映画の「Kita Kita」は制作費2千万円で、興行収入は6億円を突破しました。日本ではインディーズ映画がそれなりの規模で公開される事はありえないですが、フィリピンではインディペンデント映画の興行収入が商業映画を抜いてしまったそうです。今では、フィリピンの20代や30代のインディペンデントのプロデューサーや監督は日本で言う東宝のような大手のスタジオに出資してもらって映画を作っています。なぜ、フィリピンはそんなに熱いのかというと、日本は高齢化社会なのに対し、フィリピンは若い人口が多いからだと思います。監督やプロデューサーは20代〜30代が多く活躍していて、出資者も若く、配給会社の担当者も若く、劇場の担当者も若く、観客も若いという形態が世界でも稀に見るいいビジネスモデルを形成しているのだと思います。
そして Cinema One映画祭のオープニング会場で、3年前に一番最初に知り合ったフィリピン人監督のGiancarlo Abrahanと再会。新作の「Paki」がコンペに出ていたけど、観れなくてごめん!大阪アジアン映画祭で観たい!!
映画祭のオープニングで上映開始が大幅に遅れているにも関わらず、歌を歌い出す司会のお姉さん。こんなノリのいい映画祭は初めてですが、僕がもし映画祭をやるなら、こんなノリでやりたい。日本の映画祭は堅苦しい映画祭が多いので、一つくらいこういう映画祭があってもいいのでは。
ちなみに、オープニング上映の作品は「スリー・ビルボード」というマーティン・マクドナー監督のハリウッド映画でした。これが思いがけなく、かなり良かったです。先月釜山国際映画祭で観た「シェイプ・オブ・ウォーター」がここ数年でダントツに一番面白いハリウッド映画だと思っていたのですが、「スリー・ビルボード」も負けず劣らず面白いです。2つともぶっ飛んでいて面白い。「スリー・ビルボード」は今までで観たブラックコメディで一番面白いかも知れません。来年のオスカーの他の候補は観てないので分かりませんが、現時点での勝手な僕の予想です。
作品賞:シェイプ・オブ・ウォーター 監督賞:マーティン・マクドナー(スリー・ビルボード) 主演男優賞:ウディ・ハレルソン(スリー・ビルボード) 主演女優賞:フランシス・マクドーマンド(スリー・ビルボード) 助演男優賞:サム・ロックウェル(スリー・ビルボード) 脚本賞:スリー・ビルボード 美術賞:シェイプ・オブ・ウォーター 撮影賞:シェイプ・オブ・ウォーター 編集賞:スリー・ビルボード 視覚効果賞:シェイプ・オブ・ウォーター 衣裳デザイン賞:シェイプ・オブ・ウォーター
当たったら誰か飯おごってください(笑)
そして、映画を堪能した後、ローカルフードに初挑戦。この焼きそばみたいなのがかなりいける。昔LAで食べたフィリピン料理がまずかったので、フィリピン料理はまずいと思っていましたが、本場の飯は旨い!しかもたらふく食って100円位だそうです。Martika監督がおごってくれました。大阪での暮らしは毎晩納豆ご飯というひもじい思いをしていますが、マニラの方が、安くて、上手くて、たらふく食えます!笑い事ではなく、生活費が安いというのは、アーティストにとっては重要な事です。東京ではまずお金を稼がなくては生きていけません。マニラにはお金はなくても、クリエイティブな事に専念する環境が整っていると感じました。
5日目は初めて電車に挑戦。ガイドブックには遅くて、汚くて、危ないから絶対乗るなと書いてあったが、意外と普通。片道40円と激安だが、Uber使っても2〜300円なのでよっぽど渋滞していない限りはUberの方がいいかな。
その日の夜はFatrick Tabada/Rae Red共同監督でBianca Balbuenaプロデューサーの「Si Chedeng at si Apple」を鑑賞。心温まるコメディで、フィリピン人と一緒に劇場で大笑いしました。これは大阪アジアン映画祭にふさわしい作品です。暉峻さん、よろしくお願いします!
上映後のパーティー会場がまたおしゃれで、しかも飯が旨い!アップスケールなフィリピン料理屋さんで、オーナーは映画のプロデューサーもやってるようです。
6日目、一緒にMikhail Red監督の企画を進めているMicah Tadenaプロデューサーが働くポスプロスタジオに見学に行って来ました。ついたらまずはランチ。これがまた旨い。
インテリアのセンスがいい。創作意欲がわきます。
ADRが出来る部屋。手作り感があっていいですね。
スタジオのオーナーがグレーディングをする部屋。ここで、「Birdshot」、「Kita Kita」、「Die Beautiful」、「Sunday Beauty Queen」等の名作がグレーディングされました。映画のグレーディングはオペレーターというよりは、アーティストという感じです。そんなアーティストの哲学を短時間で見せてもらいました。僕も次回作はここでグレーディングをお願いしたい。
そして、オーナーの旦那さんはこの部屋でサウンドのミックスをします。フォーリーもできる。わくわくしてきますよね。羨ましい環境です。
その後、映画祭の会場の一つであるCinematheque Centre Manilaへ。
昔学校で使った懐かしいMoviola等の機械が。
劇場の中はこんな感じで綺麗。
帰りに、新しくできたミニシアター、Black Mariaに立ち寄る。
マニラにはミニシアター(彼らはmicrocinemaと呼んでいる)が最近増えて来ており、若手の監督をサポートしているようです。ミニシアターが増えている、インディペンデント映画を観る若い客が増えている、ってのは本当に羨ましい環境です。
隣はカフェ。
そんな感じでその日がマニラ最後の夜となりました。下の写真はフィリピン名物のジプニー。映画ではジプニーに乗ってる人が全員殺されたりするのですが、現実ではそんな事はないらしいです。
初めてのマニラでしたが、友達がたくさんいたせいか、初めてな感じが全くしませんでした。日本から近く、飛行機代は安く、現地の滞在費も安いので、これから頻繁に行きたいと思います。むしろフィリピンに移住したいくらい。現地で世話してくれた、Bradley, Pepe, Bebs, Bianca, Sheron, Jericho, Mikhail, Micha, Pamela, Giancarlo, Milo, Babyruth, Ria, Martika, Ruel, Carlo, etc.みんな、ありがとう!
0 notes
Text
釜芸2019(76)【哲学と芸術】
講師:横道仁志 日時:2019年9月29日(日)14:00〜16:00 会場:ココルーム 人数:20人
記録 今回は、西洋中世の宗教画を数点とりあげました。そして、パズルを解くようにそれらの絵の背景にある物語を読みとるという、非常に知識と想像力が必要な講座でした。こう書きますと非常に難易度が高い講座のようですが。釜芸の受講生は好奇心が非常に旺盛で、のめりこむように参加して、次々に思ったことを発言していきます。芸術あるいは芸術を鑑賞することは、どんな人間にとっても価値があるものだと再発見できた講座でした。
感想
宗教画というのはどちらかというと苦手でしたが、今日の講義で面白く見ることが出来ました。日本画と洋画の違いは遠近法が使われているかどうか、というのは知ってはいたが今日のように謎解き遊びにもいかされていたとは知りませんでした。
絵を読み解くという体験が初めてだったのでとても新鮮でした。皆さんの知識の深さにはびっくりしました。ギリシャ神話は興味がありながら、今まで手に取ったことがなかったのでこれを機会に少し読んでみたいと思います。
授業として本当におもしろくて本格的な芸術大学の講義のようでした。絵画の鑑賞を謎解きパズルのようにやっていたので取り組みやすく楽しかった。でも、キリスト教的な思考は一般的な日本人には頭で理解できても、感覚としては全くなじまないと思う。
記録者:浅井治
Tags: #2019釜芸
0 notes
Photo
【旅の記:立花宗茂ゆかりの地を巡った博多ツアー2018初夏⑥三柱神社】
GWの4日連続のライブを終えて、しっかりとオフ日をつくって立花氏が領した柳川へ!西鉄で福岡駅から西鉄柳川へ、、なんと寝過ごすというハプニングもありましたが、たどり着きました。 前回ツアーのオフ日に行った佐賀同様、雨模様。。でも嫌いじゃない。まずは三柱神社へ。 柳川藩初代藩主立花宗茂、戸次(立花)道雪、道雪の娘で宗茂の妻となった誾千代を祀る神社です。もともと三柱は、道雪は三の丸長久寺梅岳宮に、宗茂夫妻は日吉神社近くの唯一宮にそれぞれ祀られていましたが1823年に梅岳宮に合祀することとなる。しかし、一藩の宗廟としては規模が小さいということで1826年9代藩主立花鑑賢によって現在の地に社殿を建立、三柱神社となったそうです。 立花宗茂は道雪と同じく大友家の重臣であった高橋紹運の長男として1567年に生まれる。娘・誾千代に城督を譲っていたとはいえ、跡取りのいなかった道雪は、高橋統虎と名乗っていた宗茂を気に入り紹運に養子に欲しいと考えました。しかし、高橋家の長男である宗茂を養子に出すわけにはいかず、何度も断ったそうですが、道雪の熱意に、ついに宗茂15歳・誾千代13歳で結婚、宗茂は戸次家を継ぐこととなり、立花城城督となりました。この時紹運は、高橋家と戸次家が対立したら、戸次家の先方として自分を討ち取るようにと伝えたそうです。ま、紹運のお話はまた今度にするとして、、宗茂は養父・道雪と実父・紹運と共に数多くの戦に出陣、目覚ましい活躍をする。この間に立花氏を名乗るようになる。しかし、1586年、弱体化の進む大友家に島津氏が5万とも言われる軍勢を率いて筑前に侵攻。道雪をすでに病気で失っていた宗茂は、立花城を守るように、岩屋城で寡兵を持って戦った父・紹運もまた失ってしまう。宗茂は立花城に籠城、少ない兵で島津軍に立ち向かうと、秀吉軍の到着を知って退却する島津軍を攻め戦功をあげる。その後、秀吉の九州平定でも活躍、宗麟が秀吉に薦めたこともあって、大友氏から独立し直臣大名として筑後国柳川13万2000国を与えられた。また秀吉も「その忠義、豪勇は椿西一」と高く評価した。大名になってからも、熊本での一揆鎮圧や小田原征伐でも功績をあげて羽柴姓を名乗ることを許されました。 朝鮮出兵がはじまると、1592年からの文禄の役では、秀吉から「日本無双」と感状を拝領、激戦を戦い自らも首級をあげることもあったとか。さらに慶長の役でも少数で加藤清正を救う活躍を見せている。 とにかく強い!! 1600年関ヶ原の戦いでは、家康からかなりの恩賞で東軍に付くように誘われるが、豊臣家への恩義を忘れるわけにはいかないと西軍に付く。東軍の守る大津城攻めで、戦の巧みさを見せるが、西軍が関が原本戦で壊滅、それを知った宗茂は大阪城に戻り総大将・毛利輝元に徹底抗戦を主張するも入れられず、父・紹運の仇である島津義弘と共に九州へ帰ることとなった。この時、今こそ仇をとる時と進言する部下がいたが、それは武門の誉れにあらず、とむしろ義弘と友好を結んだ。 国許に戻ると、黒田・加藤・鍋島に攻められて、多くの部下を失うほど激しく戦うが、最後は黒田上如水や加藤清正の説得を受け入れ降伏開城する。島津義久は薩摩に帰ると宗茂に援軍を送ったが、到着したのは開城3日後であったという。。 開城後、改易となった宗茂は家臣にならないかという清正や前田利長からの誘いを断り、京・そして江戸で浪人として暮らす。そこで「東の本田忠勝、西の立花宗茂」と秀吉が評した本田忠勝の推挙で家康から召し出され、幕府の親衛隊長、そして2代将軍秀忠のお伽衆として陸奥棚倉に1万石を与えられて大名に復帰。その後加増されて3万5000石。この頃から宗茂と名乗った。 1614年大阪の冬の陣では、宗茂が豊臣方に付かぬよう、家康は懸命に説得した。そして夏の陣では、将軍秀忠の参謀として城兵の動きを次々と的中、毛利勝永の兵と戦い退けたり、相変わらず強さを発揮、その活躍により関が原で改易させられた大名としては唯一旧領に復帰することとなる。 太平の世になると、戦を知る数少ない大名となり、伊達政宗や加藤喜明らと共に3代将軍家光に戦国の話を聞かせる相伴衆になり、晩年は秀忠・家光に重用され国許にはほとんど帰れなかった。 1638年、島原の乱に参戦。ここでも総大将・松平信綱を補佐。城兵の夜襲を予告、的中させたり、戦略を立てたりと、有馬城攻城では一番乗りを果たし、諸大名から部審査以来と嘆賞された。 この年、実子がいなかったため、養子・立花忠茂に家督を譲り剃髪。1642年76歳で亡くなった。。 とにかく戦上手、強い、男らしい。。ま、実父・養父共に優れた武将でしたから、、とにかく逸話が多すぎてここでは書ききれませんので、ぜひ調べてみてくださいね!
さすが水郷のまち、、
長ーい参道。桜祭りでは流鏑馬が行われるそうです。
境内社。熱病の神様・道了神社と手・足・腰の神様、水天宮・戸隠神社・加藤神社。
手水舎。
拝殿。
ご本殿。
社殿は本殿を除き、なんと平成17年に放火でほとんどを焼失してしまったとか。。現在は復興作業中。
太郎稲荷神社
護国神社もありました。
社殿の一日も早い復興をお祈りいたします。
0 notes
Text
隠居しようと思ってもできなかったバンギャル或いはかつてバンギャルだった貴方へ100の質問
近年の私の生活がなーーんかクサクサしてるのは絶対ライブに行かなくなったからだよな、なんでもいいからそこそこ若くてかっこいいビジュアル系のライブに行きたいな〜でも転職しないと厳しいな〜と仕事のふりしてサボりながら悶々としているところに懐かしい単語が飛び込んでみたので仕事のふりしてやってみます
1. あなたのお名前は?
m 2. インターネット上では主にどこへ所属していますか?(twitter、instagram、facebook、mixiなどなど) ツイッターとインスタ7:3 3. バンギャル歴は何年?(音源ファンでも可)また、バンギャルになったきっかけは?
10年ほど 4. 初ライヴはいつ、誰を見に行きましたか?
多分10年前ぐらいのT.M.Revolution
5. メジャーorインディーズ、どちらを主に追っていましたか?
回数で言ったらインディーズかなあ 6. 本命(だった)バンドは?(複数可)
LUNA SEA
Moran 7. 過去に通ったバンド経歴を教えてください。
そのバンド目当てでチケットを買ったことがあり複数回ワンマンにも行ってるような感じだったのは
LUNA SEA
Moran
cali≠gari
メリー
あたりですかね 8. 好きなメンバーさんと、その理由は?
すぎさま:愛
ひとみさん:青春
石井さん:ヒーロー
9. 本命バンドでオススメの1曲は?
オススメというかダントツ好きな曲は
LUNA SEA:TWICE・Selves・into the sun
Moran:rub、南へ・浮遊病・望めないと知る結末に、理由が僕を慰める
10. 墓場まで持っていきたいほど好きなアルバムを5枚ぐらい教えてください。
Apples/Moran(わたしの青春です)
cali≠gariの世界/cali≠gari(世界を変えてくれたというか、こんなに魅力的な人が世の中にいるのか!という衝撃)
IMAGE/LUNA SEA(原点です)
雫-shizuku-/Kagrra,(何万回救われたかわからない)
hide singles〜Junk Story(ロックの目覚め) 11. よく行くライヴハウス、もしくは好きだったライヴハウスを教えてください。 よく行ってた:池袋手刀・高田馬場AREA・下北沢Que
好き:高田馬場AREA・恵比寿リキッドルーム・新宿LOFT 12. 月に何回くらいライヴへ行きますか?(全盛期の本数と現在の本数も宜しければ教えてください) 全盛期:10/月
今:0/月 13. 出待ち入り待ちなど、追っかけ行為はしていましたか?
時と場合によって・・・・
14. メンバーさんには積極的に話し掛けるほうですか?
時と場合によって・・・・ 15. ライヴは何人で行きますか?決まった相手やグループはありますか?
時と場合によって・・・・
16. ライヴ終了後の過ごし方を教えてください(打ち上げなど)。
軽くご飯食べてすぐ解散 17. バンギャルでいて楽しい点を教えてください。
当時衝撃だったんですが、寺山修司の言葉で
>競馬ファンは馬券を買わない。財布の底をはたいて「自分」を買っているのである。
というのがあるんですけど、バンギャルの楽しさもまさにこれに尽きる感じです
18. 逆に、バンギャルでいて辛い点を教えてください。
お金と時間がなくなるけど趣味って大概そんなもんじゃない?
19. バンドマンになってみたいと思った事はありますか?その理由は?
クソみたいなバンドマン見ると、俺も来世で化粧映えする薄顔になって女の子侍らせてえ・・って思わなくもない 20. ライヴはいつもどの辺りで見ますか?(最前、柵ゲット、壁際などなど)
柵か壁のどちらかは欲しい なぜなら体力がないから 21. 昔と今ではライヴの見方は変わりましたか?暴れられますか?足腰は悪くなっていない? 見方はそんなに変わらない 足腰は悪い 22. ヘドバン、逆ダイ、フリ、手扇子など、好きなノリ方を教えてください。
Moranに通ってたら跳ねながら横ノリに強くなりました
23. ライブへ行く時の服装を教えてください(系統、ブランドなど)。
ナメられない服装・・
24. また、普段の服装を教えてください。社会的にカモフラージュしていますか?
世を偲ぶ仮のOLのすがた 25. コスプレはしていますか?何コスですか?また、コスプレ暦は何年ですか?
麺コスの経歴はないです・・ 26. 1回のライヴで使うお金はどれくらい?
基本チケ代と交通費と交際費のみ
27. 自分のメイクのこだわりはありますか?ある方はオススメのコスメなどを教えてください(ライヴで暴れても落ちないメイク法など)。
基本強がりたいいきがりたい人種なので未だにライブ行く時だけはカラコン入れるか迷います 28. ライヴへ行かない期間は体調やメンタル的な変化はありましたか?
鬱々としますね 29. ライヴへ行かない期間は主に何をしていますか?
働いてたまにジャニーズを見る 30. ライヴへ足が遠退いた理由(遠退いていない人はその由を)。
なんでだろう、Moranの解散が一番大きかったのかなあ
あとそのタイミングで大学卒業して物理的に忙しくなった 31. 社会的な立場を教えてください(会社員、主婦、学生などなど)。
会社員の端くれ 32. 愛読している(していた)音楽雑誌は?
ひとみんコラムがあったのでSHOXXは読んでた 未だに手に取りそうになる 33. 愛読している(していた)ファッション雑誌は?
中学生の頃とかはKERA読んでました
今はファッション誌ほぼ読まないなー 34. ライヴへ行く時の必須アイテムや便利アイテムを教えてください。
ジャンプしすぎてポシェット5個破壊してるので物は持たない 35. 最近、注目のバンドはいますか?
誰か教えてくれよ 36. バンド以外で好きなアーティスト、俳優、タレントなどはいますか?
生田斗真とV6 37. かつて好きだったバンドが復活したらどうしますか?もしくは復活した方はライヴへ行きましたか? Moranは絶対行くから
あとKagrra,とZI:KILL・・・
Fatimaの復活は行きました 38. 古今東西、最も好きなヴォーカリスト(歌い手)は?
ひとみしんぺい 39. 古今東西、最も好きなギタリストは?
すぎさま 40. 古今東西、最も好きなベーシストは?
なおらん 41. 古今東西、最も好きなドラマーは?
実はやもちゃんセンパイ 42. 上司にしたいバンドマンは?
仕事のハナシはヤメテッッ!! 43. 部下にしたいバンドマンは?
仕事のハナシはヤメテッッ!! 44. バンギャルをやっていた中でイタイ思い出ベスト3は?
口をつぐみたい 45. バンギャル活動以外の趣味を教えてください。
今はジャニーズと化粧品収集ですかね 46. 突然ですが、オススメの防寒グッズを教えてください。
ホッカイロを背中の下の方に貼るのオススメ 47. 地方遠征ライヴへの移動手段は何を使っていますか?
体力がゴミなので夜行バスNG 新幹線か飛行機じゃないと動けない 48. 移動でかかった最長時間は?何処から何処まで?
ライブでそこまで長距離行った記憶ないな・・新潟から名古屋が地味にキツかった 49. 思い出深いライヴを教えてください(年月日、場所、バンド)。
2010/12/25 LUNACY 黒服限定GIG ~the Holy Night~@東京ドーム
・私の頭の中にしか存在してなかったLUNACYが、ずっと活動を続けてきたみたいにめちゃめちゃ進化してかっこよくなってそこに存在してるっていう、夢みたいなライブだった
一人一枚制限だったからみんな隣は知らない人で、黒ずくめの東京ドームが開演前静まり返ってて異様な光景だったなあ
2012/2/3 Moran BLACK IN BLACK II@新潟LOTS
・大雪で電車は止まるは交通網は麻痺るはでなかなかカオスな日だった
メンバーもファンも真っ黒なLOTSで、白っぽい光になんかダストみたいなのがキラキラしてて、その中で同じ闇の中でを歌ってるひとみさんの姿が本当に綺麗で
ここでこのバンドのワンマンが見たいって心底思って、そこからインストのたびにメンバーに言い続けてた
結局解散まで叶うことはなかったけど、私未だに諦めてないから!MoranさんLOTSでワンマンして!!!
2012/4/30 MERRY 10th Anniversary FINAL @ Zepp Tokyo ~Beautiful Freaks A GO GO~
・MERRY初、かつ今の所唯一のZeppワンマン
Beautiful Freaks発売後で、確か群青初お披露目ライブだったかな?
SWANがすっごくよかった、ああこれはいなくなった人たちの歌だと思って泣いた
メリーは頑張って欲しいまじで
2014/9/27 cali≠gari 20th Caliversary"2013-2014" 最終公演 第7期終了 - To say Good bye is to die a little -@日比谷野外音楽堂
・青春の終わりって感じだねとみんなで言ってた 青臭い
2015/6/27-28 LUNATIC FEST.@幕張メッセ
・人生で一番楽しい二日間だったかもしんない
2015/9/21 Moran Last Live「夜明け前、最後の夜に永遠を紐解く方程式を夢む」@Zepp Diver City
・楽しかった思い出の終わりの日
私のバンギャル生活もここで終わってしまったんだろうなと思う
50. 突然ですが、オススメのお取り寄せグルメ・スイーツを教えてください!
こないだ北海道遠征した時に買ったルイベがめっちゃ美味しかった
51. 和食派?洋食派?それとも?
和食 52. Dバンドと言われて思いつくのは?また、Lバンドと言われて思いつくのは? DはD、Lバンドはラルクって感じ・・ 53. 行きたいライヴが重なってしまいました。貴方ならどっちを取る? ・本命バンドのツアー地方遠征 ・2番目に好きなバンドの地元でワンマンライヴ
後者かな・・ 54. 好きなメンバーへのプレゼント。いくらまでなら出せる?
にまん
55. あなたの地元の特産品を教えてください!
米 56. マイブームは何ですか?
仕事のふりしてサボること
57. 1日の平均睡眠時間を教えてください。 7時間くらい 58. 今まで見たライヴで面白かった・印象に残ったMCがあれば教えてください。
ひとみしんぺい「俺は!手紙になりたいんだ!!」 59. 今までで見た中で一番印象に残っているフライヤーがあったら教えてください。
カリガリのフライヤーはどれも結構好き 60. 大好きなバンドの海外ライヴは何処までなら付いて行ける?
今もう海外はきついっす・・・ 61. 「大切なお知らせ」という文字にドキリとする貴方。別の言い方を考えてください。
めっちゃいいお知らせ 62. 夢の競演セッション♪好きなメンバーを当て嵌めて自分だけのスペシャルバンドを作ってください。 Vo.ひとみさん石井さん
G.すぎさまあっきー真さん間瀬さん
Ba.なおらんkazuさん
Dr.やもさん
63. カラオケに行くと必ず歌う曲は?また好きな機種は?
Party Monsterにて照明芸
カラオケはカラ鉄一択
64. オススメもしくは実践している健康法を教えてください。
ない!! 65. オススメの飲食店を教えてください。
話すと長くなるよ・・・ 66. ファンレターはどれくらいの頻度で出す?内容的には何を書く?
地元インストでは毎回書いてたけど毎回同じことしか書いてなかった 67. 使っているスマホ(もしくは携帯電話)の機種を教えてください。
あいぽん 68. 待受画面は何にしていますか?
イッヌ 69. 着メロは使っていますか?
数年使ってない 70. バンドの音源はどのくらい所有していますか?
いっぱい・・ 71. 音源・バンドグッズ整理法を教えてください。
できてない・・ 72. ライヴのチケットは大事に保管してありますか?
適当に保管してる 73. 小規模ライヴハウスの良い所、悪い所を教えてください。 客が怖い、動線が悪い 74. 大規模会場の良い所、悪い所を教えてください。
客が怖い、帰りが混む 75. バンギャルとして思い出の場所を教えてください。
高田馬場AREAの横の坂で大雪の日に転倒してそのまま滑り落ちた 76. 今まで好きになったバンドマンに共通する部分って何かある?
うーーーん・・? 77. 今まで見た中で、一番麗しい(美しい)と思ったバンドマンは?
すぎさま 78. 今まで見た中で、一番可愛いと思ったバンドマンは?
すぎさま 79. 好きなバンドマンの衣装・世界観は?
なんでもいいよ! 80. 好きなバンドの音楽性は?(ざっくりでいいです)
ギターがギュイーン 81. あったら嬉しい物販を教えてください。
イヤホン 82. あったら嬉しいライヴハウスのサービスを教えてください(例:着席スタイルで飲食しながらライヴ鑑賞) 怖くない綺麗なトイレ 83. バンドのYouTubeチャンネルはよく見ますか?チャンネル登録している?
なぜかレジレコチャンネル登録してる 84. バンドの情報は主にどこで入手しますか?
ツイッター 85. テレビは見ますか?好きな番組やオススメの番組を教えてください(インターネットTVも可)。
見ない 86. 好きな漫画、好きなキャラクターなどはありますか?
最近ザ・ファブルにはまってます 87. 映画はよく見ますか?オススメの映画を教えてください。
生田斗真作品ですかね! 88. ペットは飼っていますか?
ない 89. ちょっと気力が無い日に大好きなバンドのライヴ。そんな時に限って大好きなメンバーに煽られてしまいました。あなたならどう反応する?
とりあえず跳ねる 90. 「元祖ヴィジュアル系!」と言えば、どのバンド?
X 91. あなたのバンドマンへのフェチズム、あったら教えてください。
のけぞった喉の照り加減 92. 今日は大好きなバンドのライヴ。そんな日のあなたの1日の行動は? ギリギリに起きる→焦る→開演10分前につく→見る→ボーっと帰る→ツイッター→余韻に浸りながら寝る 93. 今だからこそ言える自分のライヴネームの数々。思い切って全部ぶっちゃけてください。
勘弁して欲しいやつ 94. ライブ中に起こった「超ラッキー」な出来事があったら教えてください。
すぎさまの投げたピックが自分の足元らへんに落ちてキタコレ!!と思って拾ったらJさんのだった 95. 家族・友達・職場などには自分がバンギャルだと公表していますか?また、その反応は?
母「あらっこの声、Xね」私「これはLUNA SEAだよ」母「これがXでしょ」私「これはGLAYですね」
上司「あーわかった!三宅くん好きだから河村隆一好きなんでしょ!顔似てるもんね!」私(どこが・・?) 96. 5年後、自分はまだバンギャルだと思いますか?それともバンギャルに復帰していると思いますか?
復帰していたい気もする 97. 大好きなバンドへ、普段は言えない事をぶっちゃけてください(愛重めでお願いします)。
金なら出す!!さっさと復活して!!!! 98. 人生やり直せるとしたら、またバンギャルになりたい?
もういい!! 99. あなたが考える「バンギャルの定義」とは?
バンギャルの自覚を持ったらバンギャルだよ 100. お疲れ様でした。最後に一言どうぞ・・・† 100問意外と長い!! 出典:ピンブラブログ
0 notes