#主���の勉強垢
Explore tagged Tumblr posts
m12gatsu · 2 years ago
Text
愛のふりだし
「いかにして役立たずを愛するか?」
最近読んだ小説に書いてあった。物語は、酔狂な慈善家が、不具者、醜女、老人、性的少数者その他あらゆる「役立たず」の救済に立ち回る、というもの。
私たちは基本的に物事を役に立つかどうかを見ている。最新家電や、有用な資格や、いかした服が欲しい。それは人間に対する視点もそうで、気の利く後輩や、頼れる上司や、賢い友達や、身持ちのいい恋人や、太い実家が、役に立つなら、そばに置いておきたい。もっといえば、役に立つなら愛せるし、役に立たないなら、愛するのは難しい。これは露悪でも優生主義でもなくて、我々はそういうスカウターみたいな色眼鏡をかけさせられて生きている。
他者を愛せないことは怖い。そして他者から愛されないことはもっと怖い。先天的な障害は誰にとっても「そうだったかもしれない自分」であり、後天的な障害は誰にとっても「そうなるかもしれない自分」である。誰かを役に立たないといって断じるとき、いま現在たまたまそうじゃない自分があぐらをかいて嗤っている。
我々は役に立ちたい。一見美しい情動だ。役立って愛されたい。その実、役立たないと愛されないのを知っているから。勉強して知識を蓄え、運動して体力を養い、気を遣い、冗談を言い、口淫をし、席を譲り、金を払い、常に自分を役立たせたい。自己愛に置き換えても同じだ。自分が自分の役に立っている。その実感が自己を愛させる。
機械化によって人間の仕事が奪われる、といわれて久しい。農業も畜産も漁業も林業も建築も金融も小売も卸売も教職も医療もマスコミも司法も行政も戦争も性欲処理も芸術さえも、全ての仕事が機械化されたら、全ての人間は役立たずだろう。
役に立とうとすることがダメだと言いたいわけではなくて、だから、愛されるために誰かの役に立ったり、愛するために誰かを役立てたりしていたら、いずれ誰も愛せなくなるし、誰からも愛されなくなるんじゃないかってことがいいたい。
そもそも愛って何だ。
高校生の時から使っている市営の駐輪場に、おっさんたちが働いている。定年後と思われるおっさんたちは、高年の男性特有のどこかぶっきらぼうな気さくさでいつも我々利用者を迎え入れ、見送ってくれる。この4月から、その駐輪場に機械式のゲートが導入された。利用者にはICカードが発行されて、契約期間の更新の管理もそれで行うことができる。だからといって、おっさん達が仕事を追われたというわけでもないようで、人員もどうやら以前と変わっていない。ただ、おっさん達はどこか手持ち無沙汰な様子。出入りするゲートには、ICカードの読み取り機が設置されている。見ればわかるのに「←ここにカードをかざす」なんてわざわざ手書きの貼り紙がある。おっさんたちの仕業だろう。四方をセロハンテープで補強されたポストイ���トに、そこに書かれたおっさんの筆跡に、その人間臭い承認欲求に、俺��親しみを覚える。これは愛だろうか。多分違う。でも少しは近いかもしれない。
「いかにして役立たずを愛するか」
だから、たぶん、私たちにいずれ必要なのは、無償の愛ではなくて、愛着だと思う。手垢のついた古道具みたいな。できれば、わたしとあなた、双方向の愛着。愛着が生まれるには、ひどく時間がかかる。とっくに時代遅れで、とっくに型落ちで、とっくに役に立たなくなって、それでもなぜか手放せない、しみったれた未練とも違う、あのあたたかい気持ちの正体を、俺たちは見極めていかないといけない。愛着って言葉に愛って字が入ってるのは、なんて皮肉だろう。
もっと個人的なことも書けるけれど、これでやめます。
成田悠輔氏の言動によせて。5年前に書いたものを少し書き直しました。
63 notes · View notes
crydayz · 8 days ago
Text
241124 日
【自信失う理由】
医学的 / 心理学的に「治せるアレルギー」なら治す
これは"ともしなくとも"ハラスメント的なゾーンにすぐ突入するアレではあるが「苦手なもの」は往々にして「練習回数が少ない」オア「ルールを分かっていない」ものである場合がほとんどである(ルールを憶えたくなく練習もしたくないことがアレルギーが発動している証拠)
練習回数が少なくルールを理解していないものを「ぶっつけ本番」でやらされてクリアできる人間は基礎ポテンシャルが尋常ではないか豪運の持ち主だけだ
最終的な理想はそこ(=ポテンシャルの底上げアンド運を磨きまくること)であるとしても「失敗」してしまった際にやるべき事は「基礎ルールの読み込み直し」とそれに基づいた「基礎練」だ
ブランクがある人間はフィーリングで必殺技を出す事はできるものの、ふつうはコスト消費しない筈の「通常技」出す際にも必殺技ゲージを消費してしまう
つまり持久力が皆無だし応用力も低下している
「ルールの読み直し」と「基礎練」を繰り返す理由は通常技の発動コストを限りなくゼロにする為
-----------------------
例えば床に置かれた重いものを運ぶ際、基礎をわかっていない人間は背中を曲げて「腰周辺の筋肉」を使ってものを持ち上げてしまう
これは運送業においても介護においても「やってはいけない動作」として初心者用マニュアルに書いてある
背中は真っ直ぐ、むしろ胸をそらし気味にしてしゃがみ、脚と尻の筋肉を使って持ち上げる
脚と尻は常に肉体の重量の半分以上を支えている(つまり重力下で生活しているなら常に自動的に鍛えられる)。だから外部のものを持ち上げる際に利用しても腰と比べダメージの蓄積量が少ないのだ
人間が無知なまま「自然体」で動いたら誰であろうと犯す必然の過ちってもんがある
そういうものを単なる勉強不足ではなく「才能不足」と錯覚してしまう事により人は自信を失くしてゆく
平和で建設的な世界で生きている限り、自信を失うメリットはほぼない
ならば「自信を失う努力と工夫」は(日本国内にいる限りは)しなくてよい
ブランクがあるなら「基礎ルール」を読み込み直せ
衰えた感性と筋肉取り戻す為に「基礎練」からやり直せ
練習せずに勝負に挑む者は根拠なく自分の勝利を確信している「無垢な幼稚園児」に等しい
それは傍から見れば能天気に自傷行為繰り返したあげくそれをすべて他人の所為にする「他罰マニア」
本が読めないならば仕方ない。人の話が聞けないならば仕方ない
己が理解できず興味湧かないものを「すべて下等で価値のないもの」と無意識にレッテル張りしスポイルする習性が己の首を締めてゆく
改めて言う
「苦手なもの」ってのは「練習回数が少ない」オア「ルールを分かっていない」ものがほとんどだ
20代半ば過ぎたら自分が「天才である可能性」なんて1ミリも信じるな
かつ、相対的無能であることも卑下するな。それを卑下することこそが「無能が振る舞えるなけなしの社会性や善性」だなどと思うな
あなたが勇気を持たないこと、学ぼうとしないこと、自分とこれまで自分を支えてきてくれた人々と世界を信じようとしないこと、その全てがあなたを「最悪」たらしめる
中途半端な自分を許せ。堕ちる限界まで堕ちる努力などせず「ちょい悪」なまま、天から二物三物与えられたヒーローどもを支える「名脇役」目指せ
自分が主人公でないこと悟ったとしても後悔と無力に浸りベクシンス��ーめいた絵ヅラの中で朽ち果てようとすんな。退廃のカタルシスに浸んな。満ち足りた哀愁の中で「納得の笑み」浮かべ、他者の為になけなしの力振るって、散れ
2 notes · View notes
harusino · 1 year ago
Text
Fediverseに参加してみた一年を振り返る
この記事はFediverse Advent Calendar 2023 第二会場の8日目の記事です。 昨日の記事は、まくらさんの「FediverseとTwitterの反復横跳びをして��」でした。
こんにちは、ヌヌです。 普段はマストドンやツイッターで独り言を垂れ流しつつ、イラストや短歌や俳句などを投稿しています。大体居るのはじゃぱねっと鯖(mastodon japan server)です。
ツイッターからマストドンにSNSの主軸を移してから大体一年が経ちました。移してみてから、いくつかのサーバに登録してみたり、自分でサーバを建ててみたりしたので、ツイッターやマストドン関係のことを中心に振り返ってみようと思います。
私がだいたい居たのはじゃぱねっと鯖なので、絵文字が追加されたとかなんかが流行っていたとか、何かを食べたとか、そういった事象はじゃぱねっと鯖のローカルTLでの流行・ネタです。
なお振り返るにあたり、今年前半トラベラーズノートにつけていた日記と、notestock(https://notestock.osa-p.net )が役に立ったので、何かしらのログをつけておいて見返したい人にはおすすめです。
2022.10月~12月
・マスク氏がツイッターのCEOになった
・ツイッターの創作界隈で頻繁に行われるコンテストや人気投票+それらにしつこく参加を募ってくる人がいてツラかった
・fedibirdにアカウントを作る。連合TLなどで自分とまったく関わりない人を探せるのが楽しい
・fedibirdに人が増えて重たくなったので、vivaldiやじゃぱねっとにアカウントを作る。ローカルTLの面白さを知る
・ホストドンで一人サーバを作成。自分でSNSを運営できる、という点に惹かれた。でも独りで使うにはもったいないような気もした(モデレーション関係の機能とか)
2023.1月~3月
・参加したツイッターの投票形式のコンテストで予選敗退し、投票形式のコンテストでダメってことは自分の作品て需要ないんだなーと落ち込む
・差別問題などでマストドン界隈一部がゴタゴタしていた。人が増えたから、そういうのもおこるよなーと思った。
・misskeyの一次創作サーバにアカウントを作る。ツイッターの創作関係のフォロワーがアカウントを作ったのに合わせてみた。
・なごやんを始めて食べる
2023.4月~6月
・ローカルTLで短歌を褒められる。嬉しい。
・事務のパートが雇用期間満了になり、6ヶ月の待機期間に入ったので、Linuxなどについて勉強してみようかなと思って職業訓練校に入学する。
・独りで使うにはもったいないのかなと思っていたホストドンを解約する。
・職業訓練校にトラブルメーカーが居て大モメ。殴り合いとかにならなくてよかった。
・ITパスポートの勉強を始める。
2023.7月~8月
・酔った勢いでconohaでVPSを契約し、misskey系のサーバを建てられないか悪戦苦闘する。  →最初、めいどるふぃんで建てようとしたけどうまくいかず、情報が多くて公式のマニュアルが詳しいmisskeyで建てみて、おおよその流れや各手順の役割を理解  →改めてめいどるふぃんで建てられた。
・有識者の「かんたんに」「サクッと」は信じてはいけない
・ツイッターがXになった
・ITパスポート取得した。大変だった。
・じゃぱねっとに人が増えた。ローカルTLの話題や流速についていけなくなり、未収載・ホームTL運用で壁打ちするようになる
・短歌を褒められる。嬉しい。
・御座候(ベイクドモチョモチョ)を食べる
2023.9月~10月
・就活失敗。元の事務の仕事に戻ることにする。
・じゃぱねっとのローカルTLに、スパムアカウントや怪しげなクスリを売ってるようなアカウントがあらわれる(人が増えた弊害?)
・人が増えたのでローカルTLもまったり和気藹々というカンジではなくなってきた。色々なタイプの人が増えた。
・ンァヒィ!の絵文字ができる(ツクツクボウシの鳴き声とのこと)
・手入れを怠った自鯖がダウンする  →とりあえず再起動したり、何か更新がないか確認してみた  →「容量がいっぱいで再インストールできない」みたいなエラーがでたので、該当フォルダを確認・いらなそうなファイル(キャッシュとか)を削除した  →復帰したけど、一部サムネイルが消えたままになってしまった(今も)
・DISTOPYAというSNSにアカウントを作ってみる。投稿をAIが検閲するSNSで、面白いけど普通に使うには不便だ(人が多いと投稿がすぐに反映されなかったり)
・マスク氏がヒゲ面になる。私的には不評。
・短歌を褒められる。嬉しい。
・私の創作物で何が見たいですか?というアンケートをとったら「絵を見たい」という人が多かったのが嬉しかった。
・モヒヒアッカが流行する。
2023.11月
・スカイミートというSNSにアカウントを作る。とにかく、改行すると一行空くのが使いづらくて運用してない
・じゃぱねっと鯖が1周年を迎えた。結構人の入れ替わり立ち代りがあったよなー。
・自鯖は管理に不安があるので閉じようかな……
【総評】
・今年の前半は、週末になるとツイッターで何かトラブルが起きて人が増えていた気がする。ユーザーを飽きさせないためのそういうイベントだったのか?
・場に人が増えると自然と何かしら衝突が起きてタイムラインがごたつき、��がて人が分散して落ち着く、という流れの繰り返しだった。
・ローカルTLでの交流が盛んなところで、ローカルで交流する人をフォローしつつホームTLを運用するのって難しい。やっぱりリストとか複垢を使い分けるのが良いんだろうか?
・とはいえ「同じ町内に住んでるけど面識はない人々」が、大通りでワイワイやっているのを眺めつつ自宅でぼんやりしてる、みたいな今の環境はわりと好きだったり
・来年はお絵かき掲示板周りを色々やれたらいいな~。misskeyと連携できる絵板を見つけるなどしたので。
ここまで読んでくださりありがとうございました。 最後に、自分なりのfediverse短歌を1首ひねってみたので記しておきます。
狂騒のタイムラインを差し退きて たゆたうFediverseとふ宇宙
Tumblr media
2 notes · View notes
smapwpgas · 2 years ago
Text
ばーか 滅びろ海底都市!!〜結局家父長制批判できてないじゃん?なんなの?〜
いつか一緒に輝いて
※!注意!※ 以下の文章を読んで”女”が意見を発していることに対して腹を立てた人は真面目に頭と心が心配なのでカウンセリングなどの精神的ケアを受けることをおすすめします。 また、この警告文の意図するところは文字通りのものであり、内容に関して疑問や反論の余地がないと主張するためのものではありません。 文中で使われている「女性蔑視」という言葉は女性や女性性に対して嫌悪感を向けることではなく、女性であるという理由で親によって誰と結婚するのかを決められたり労働で自活することを許されなかったりするような女性の意思と自由を認めない考え方を指します。 いちばん大事なこと:悪いのはキャラではなくシナリオ
頭から結論
「約束の海底都市(カナーン)」(以下海底都市)のここで説明する問題点は大まかに分けて以下の5つ。 1.「カナーンは自由な理想郷だよ」→「カナーンは決して理想的な世界ではなく滅ぶのは必然だった(でも次の世界には希望があるよ)」→「カナーンはやっぱり滅ぶべきではなかった理想郷(次の世界には行かせましぇーんwww)」というガバガバっぷり 2.カナーンが理想郷でないことを示す「一人を犠牲にするシステムの過ち」に気づいたはずのダゴンを責められるところのない被害者扱いしてヨシヨシしたこと 3.そもそもそのヨシヨシそのものも主人公をヨシヨシハーレム接待させるための言い訳だったこと 4.全体的なバランス感覚の欠如のせいでアスタルテの扱いが無意識に女性キャラクターを軽んじるような含みを持っていて、あらゆる性の包括というゲームが掲げるコンセプトが実現できていないと感じさせてしまうこと 5.「『男らしさ』の呪縛」からの脱却をシナリオのテーマに含んでいるはずのゲームで家父長制の価値観を否定せずに終わらせたのが不誠実であること
1-1.「カナーンは自由でいいとこ」という大嘘
冒頭で操作不能時間を無駄に食う演出で説明される自由な愛(笑)の世界というカナーンのイメージに対してその中で繰り広げられている″後継者″問題は「『全員が男性の候補者』が『王の血を引きながらも継承権がない=飾り物のトロフィーである女性(男のように力がなければ父親に認められないと考えている)』を力を誇示して奪い合う競争」というガチガチの家父長制と女性蔑視と異性愛規範のトリプルコンボ。 これ3周年記念イベントですよね? 「女は何を言っても取り合ってもらえない」というのがリアル(かつ時代錯誤)な女性蔑視で辛い。
※「それぞれの性別が限定されてるなんてどこにも書いてないぞ〜」とかいう脳みそ使わずに3秒で出せる事実に対して仮定を持ち出す反論は結構です ※「女が腕力ないのは事実だ〜」という反論も作中では個の資質ではなくどの役割にいるかで力が決まるという描写があるので無駄です
1-2.家父長制はクソ
Q.家父長制ってなーに? A.ググれ
家長が女性で強い権力を持ってるパターンは今のイギリス王室とか見るとわかりやすいんじゃないすかね。 「男は狩りに行き女は家を守る」というジェンダーロールが保持されていても「男が家にいなくていつ死ぬかわからないなら女が家を仕切れば良い」と判断される場合家長は男のみという縛りはないので家父長制は「男という特権がなければ家長の座を獲得できない」という二重の特権になる。
家父長制の問題は男であれば家長としての権力が付随するかのような認識が広がる��と、というよりも家父長制と男性絶対優位の価値観がそもそも鶏と卵の関係にある。 相対的にその権利を持ちえない女性は軽んじられることになるので家父長制的な価値観を押し付けられるとめっちゃ怒る。 「女は嫁いで子供を産ませる以外使い道がないんだから勉強なんかさせても無駄」みたいなアレ。
1-3.家父長制の毒は他人事ではない
これは別に陰謀論とかではなく家父長制は現代社会の価値観の根底に存在するものとして深く関わっていて、 悪意を込めて要約するとつまるところ全てはチ◯ポの価値の証明ためにあるという考え方なので「男が女を所有し女は男に仕える」という格差付きの異性愛規範とシスジェンダー男女の生殖を伴う結びつきだけが結婚であり、それ以外には価値がないとする価値観として現実に反映されている。 国によっては同性2人の家庭で子を設けたり養子を育てるための法律があるが、男らしさ至上主義としての家父長制が浸透した価値観の下では「男らしさの証明として男が女を征服して″産ませた″子供」だけが肯定されるべきと考えられているのは明らかであり、ここから生まれる血統・血縁主義はまさしく7章で否定したところにも繋がっているので、カナーンのあり方は放サモのシナリオにおいて肯定できるものではない。
2-1.「一人を犠牲にするシステムの過ち」に気づいたはずのダゴンへのヨシヨシおかしくない?
カナーンの滅びは必然的なものだった、アスタルテが苦しんでいたことにようやく気づいたというのが5話ラストでのダゴンの言い分。 つまりこの時点でのダゴンの物語は「作り出した世界は完璧なものではなく、子供を幸せな環境で育てることにも失敗した父親が次世代には次のチャンスがあることを伝えて去っていく」という形で完結している。 ところが6話では謎のカナーン激烈掌返し*が発生して「ダゴンはエデンによって一方的に滅ぼされた被害者なので本人にも作った世界にも欠陥はない。なのでなんの反省もせず生き延びて当然」と話の骨子が丸ごと入れ替わっている。脳みそスポンジか?(悪いのはキャラではなくシナリオ)
*わかりやすいカナーン激烈掌返しの図 https://twitter.com/rokunai/status/1331748214752436224
2-2.ダゴンはなにがダメだった?
自分が創造主である世界を存続させたい、父親役を永遠に続けたいというのは庇護ではなく支配であり、相手に対して自分よりも劣った無力な存在のままであれという傲慢とも言える。 だからこそ秘島ではトリトンが島での学校のロールプレイを離れ、キジムナーは子供の世話を焼く喜びを諦めていた。 スルトもシノも扱いは「これから成長して盛りを迎える子供たちを見送り、次世代のために自らの滅びを受け入れるもの」だった。 ミカイールの理想は「人間が永遠に���知であること」で、コロポックルの理想は「人間が永遠に無垢(幼稚)であること」で、どちらも自分が(ミカイールの場合は神の威光を肩代わりする存在として)父権的な支配者であり続けることと解釈することができる。 だからといって「父親役ぶん投げて俺だけ別世界行きま~す!あっお前らは俺が作った世界で俺が父親として優秀チ○ポだった証拠としてずっとそこにいろよな(笑)」は論外中の論外です(悪いのはキャラではなくシナリオ)
【ちょっとここで聞いてみよう!こうだったら問題ないと思うよのコーナー】
「諸々あってカナーンのシステムが完全に明確に崩壊してトロフィーの役割から自由になったアスタルテが幼馴染として愛着があるバエルと一緒に居ることを選びました」という展開 →(女性蔑視と融合した)異性愛規範を肯定してはいけない=異性愛を描いてはいけない ということではないのでダゴンの娘という役割の下にないことがはっきりと描かれていればむしろハッピーエンドらしさが強まる。というかそもそもバエルのことが人として好きというオチに対してまっっっっっっっっっったく描写がないのでやっぱりシナリオがクソ
「シナリオからバアル以外の候補者を削ぎ落とし『良い父親ではなかったダゴン』と『反発する感情を抑えきれないアスタルテ』の親子間の問題に絞る」 →アメリカのドラマとかアニメでやりがちだけどマジでこういうのにしとけばいいと思うよ あとどうせモテモテハーレム♡やりたかっただけだろ許さねえぞ(後述)
3.主人公ヨシヨシハーレムによるとっ散らかり
秘島探検隊のキャラクターがアスタルテと入れ替わった主人公に求愛する候補者として登場するのはシナリオの構成に対して明らかな蛇足である。 その中身も「役割に従って求愛しちゃう♡でも恋愛感情があるのは全員本当だょ♡」というシンプルなゴミ。 前作で「愛情は経験に基づいて人格に対して向けられたものだから別人が成り代わることはできない」という描写をしておいて(半分は秘島で過ごした経験に基づいた好意であるとしても)代わる代わる求愛されるモテモテ愛されポジションへの成り代わりをやってしまったのは本当にどうかと思う。
4.女キャラ雑に扱ってますよね?
Q.そんな怒らんでもええやん A.ゲイゲーならまだしもLGBT向けは公式が自分から言い出したことやぞ
前述のアスタルテとの入れ替わりによる(入れ替わりによるものというのがすごく重要)主人公モテモテ描写そのものが、アスタルテの苦しみを全て無視してダゴンを可哀想な被害者に書き換えたカナーン激烈掌返しと合わせて「女は楽だよな~可愛ければ男からチヤホヤしてもらえるんだから」というような女性蔑視の肯定の含みを生み出してしまっている。 公式はLGBT向けを名乗ってはいるけどシスゲイ以外のSOGIマイノリティ以前に女性という「異物」に関して結局なんも考えてない感出しちゃいましたね???というのがぶっちゃけ。
アスタロト&アスタルテというキャラクターの場合は特に、キャラクターデザインを担当した志村貴子の漫画「放浪息子」のコンセプト(「女の子になりたい男の子」「男の子になりたい女の子」の2人を中心に二次性徴に伴うジェンダーへの違和感を描く)を意識して作られているのではないかと推測している(公式で明言されていないのであくまで推測)。 それに従って「自分に割り当てられた性別そのものへの違和感と自分に割り当てられた性別に付随する規範への違和感が人(特に10代の子供)の中でグラデーションになること」を描いたのが間違っているわけではなく、むしろ「アスタルテは男になりたかったわけではない(カナーンで王の娘として生まれたことが苦しみの理由であり、役割に縛られない環境に生まれていれば女であっても同じ苦しみを感じることはなかった)」という結論を出すのであれば生きづらい世界をそのまま残すべきではなかったし、世界を残すのであれば世界のあり方を変えたことがわかる描写を入れなければならなかった。
(2/23追記:さらに言えば、以前https://privatter.net/p/4632768で言及した通りに放サモがウテナから影響を受けている可能性を考えると、アスタルテのトロフィーとしての役割と主人公に役割を譲ったアスタルテが自ら競争の候補者になる展開がウテナで描かれた男に所有される「薔薇の花嫁」とその役割から開放するために戦う主人公を想起させるので、もしもこれが意図的に似せたものであるならばその点でも不誠実な形で仕上げられたシナリオだと思う)
5.父親属性キャラでシコりたいがために日和るな
ライフワンダーズの前身である四畳半的生活の作品は現代の日本の平均を反映したホモソーシャルとホモフォーブがガチガチのおじさんがなんの因果かハッテン重点、同時にその時代の中で抑圧された無自覚な非ヘテロや典型的な男らしさに馴染めないと感じている男性キャラも描いてきたところが魅力だと思っている。 だからこそ放サモではこれからの時代に向けた先進性のあるシナリオが読めると思っていたのでどうしてこうなった?という思いが強い。 あとそれっぽいモチーフとして上辺だけ引用するんじゃなく劇場版ウテナ100回見直して「決闘でやり取りされて嬉しい女の子がいるものか」ってセリフの意味をよく考えてほしい。
2 notes · View notes
ophelia333k · 2 years ago
Text
2023年1月7日
 新年になりました。一応抱負というか目標みたいなものを書こうと思っていたけれど、何だろう、大きさに関わらず何かひとつ賞を取ること(書くものを有限化するために)と、偶然性や不確定性を増やすこと。あと、あまりにもベタだけどいくらかの理由があってインドとかに行きたくなった。もしくは精神世界をトリップすることでもいい。よくないかも。こうやって抱負を書いていると何だか今もうぜんぶ終わりたくなってくる。今のうちに読む本・見る映画やアニメのリストを作っておいて、それを目標にしてもいいかもしれない。 1,野菜生活を飲み続けるしかない  野菜生活を飲むばかりの生活をやっている。勉強とかをしていると、どうせすべてには等しく意味がないのに、成功しようと失敗しようと何がどうなるわけでもないのに、現実は(文字通りに)すべてフィクションなのにどうしてこんなことをしているんだろうな、という考えに邪魔をされる。でも、それならどうして意味なんてないのにダ、だらだらYoutubeを見たり音楽を聴いたり野菜生活飲んだりなんてしているんだろう。意味なんてないならその場ですぐ窓から飛び降りる、のは難しいにしても、意味がないのだから何もしなければいい。  とは思うけど事態は逆で、人は退屈に耐えられない。すべてに一切の意味がないからこそ、瞬間瞬間を何らかの行為で埋め続けないと、何かを見続けていないと、何かをやり続けていないと、その空虚さに耐えられなくなる、という直観。何をしても意味がないからこそ、その瞬間瞬間に何かをし続けないといけない。何もしていない状態だと、意味がないことに耐えられないのだから。野菜生活を飲み続けるしかない。  いずれにせよ、そのように身体的なものとして諸々のことをこなしていくしかない。退屈に耐えられない以上は。youtubeを見るように、音楽を聴くように、野菜生活を飲むように、勉強とかをして本を読んで、何かを書き続ける。たぶんこれからもずっと。あるいは他者なのかな。何らかの形で他者と接続されることでしか意味っぽいものは生まれてこない。 2,食い逃げと無垢  ある女の子の記憶。その子はいわゆる詩とか文学とかに関心があって、夜になっても、短歌について、小説について、漠然とした未来について喋っていた。そうしたら何となく、何かの流れで「食い逃げ」の話になって、その子は「食い逃げだったら、昔よくしてましたよ」と、にこっと笑いながら言った。友達と普通に食べてて、普通にそのまま出ていったらできたんですよね、と。その笑顔、その笑顔が記憶の中ではあまりに純粋で完璧で、善悪とか法とかそういうものを超えたもののようにも見えて、ときどき思い出す。「食い逃げって、意外と普通にできるんですよ」と言って笑うとき、何だか善悪を越えた無垢さがあるように感じてしまった。
3,柄谷行人『政治と思想』  柄谷行人『政治と思想 1960-2011』(平凡社ライブラリー)を読んでいた。具体的には第二章の「5、1989年からカントへ」  1989年というのはソ連が崩壊した年だし、昭和天皇が死んだ日でもある。柄谷行人によれば、80年代に風靡した「現代思想」が急激にリアリティを失ったのはソ連の崩壊によるところが大きい。デリダといえば二項対立の脱構築だけれど、それがリアリティを持ったのは、現実に、アメリカの資本主義とソ連の社会主義という二項対立があったから。  そして、理念(イデア)について。マルクスは強引に実現されるような設計的な理念を否定したものの、それは共産主義という理念そのものを否定することではない。そのことの説明として持ち出されるのがカントで、カントは「構成的理念」と「統整的理念」を区別した。構成的理念は、現実化されるべき理念であり、統整的理念は、けっして実現されないが、指標としてあって、それに向かって徐々に進むほかないような理念。マルクスが否定したのは、構成的な理念のほう。対して、ヘーゲルの場合は、理念が最終的に実現されるようになっているから、構成的理念と同じということになる。ソ連の社会主義とは、「理性の構成的使用」であり、理性の暴力となる。しかし、柄谷によれば、それを否定することと、「統整的理念」まで否定してしまうこと���異なる。その筋でいくと、ポストモダニストとは、構成的理念を否定するあまり、あらゆる理念を否定するようになってしまった者たちのことになる。
〈ポストモダニストは、歴史のいっさいの理念を物語だといって否定した。つまり、理念は仮象だというわけです。しかし、それは別に新しい考えではない。そもそもカントは、理念は仮象だといっています。ただ、それは、感覚に由来するような仮象とはちがう。それなら、理性によって訂正できる。ところが、理性から生じる、理性に固有の仮象がある。たとえば、昨日の自分と今日の自分は同じ自分だと人は思う。しかし、ヒュームがいったように、同一の「自己」など仮象にすぎない。ところが、もしそのような幻想をもてないとどうなるか。統合失調症になるでしょう。だから、この種の仮象は不可欠であり、また不可避である。カントはこのような仮象をとくに「超越論的仮象」と呼びました。理念も超越論的仮象です。共産主義という理念も同じです〉
 ここでいわれている「超越論的仮象」というのは、いわゆる「自由」「神」「魂の不死」であり、また、理性的な存在者としての連続され統一された「私」の存在でもある。カントは『純粋理性批判』で四つのアンチノミー(1,世界は無限か有限か 2,すべてのものは無限に分解されるのか、それとも最も単純なものが存在するのか 3,自由な意志は存在するのか 4,神は存在するのか)を提起したし、それは答えることのできない問いを提起する理念(イデア)である。
「そもそも理念とは、答えることのできない問題〔を提起するもの〕であるが、わたしたちはこの理念に対応する現実の対象が存在するかのように考えることを、どうしてもやめようとしないのである(『純粋理性批判5』、中山元訳、p148、第2章 純粋な理性の二律背反)
 カントによれば、理念(イデア)とは答えることのできない問題であり、私たちの理性はその理念に対応する現実の対象(たとえば神や自由や自己)の存在を現実に存在するかのように考えてしまう。しかし、そのとき、そのような理念(イデア)は仮象である、と『純粋理性批判』では事実上断言される。しかし、同時にそれは理念そのものを全否定しているのではなく、統整的理念としては肯定される。つまり、けっして完全に実現されることはないが指標として存在するものとして。更に言えば、『実践理性批判』では自由という仮象(であるはずのもの)が事実上、全肯定されることになる。それらの理念は仮象であるけれど、必要不可欠な超越論的仮象として、つまりは必要不可欠なフィクションとしてある種の理想としてそこに据え置かれる。    ***    また、柄谷の「ポストモダニストは、歴史のいっさいの理念を物語だといって否定した」という箇所について思ったのは、ドゥルーズの場合、たしかにあらゆる理念は仮象であることを(カントと同じく)認めるだろうけれど、むしろそのような仮象をこそ肯定するであろうこと。そして、そのときもちろん理念(イデア)というのはある単一の本質を表すものではなく、多様体として捉え直されている。理念とは増殖する問いであり、そのような増殖し続ける問いを抱えながら生き続けること、そして無数に存在する解の中から、ある��異な解を産出し続けることが目指されることになる。 ***  何だか全然まとまらないし、お風呂場でシャワーを浴びていると世界の現実感がどんどん失われていく。すべてがフィクションになっていく、けれど、またYoutubeで適当に動画とかを見ていたら、適当な意味の磁場が生じてきて、何かどうでもよくなってくる。そういえば、小学生の頃は現実に興味・関心がなさすぎて、通知表ではずっと興味・関心のところだけが低かった。はやく人生をダイジェストにして切り取ってほしい。30秒くらいで。
4 notes · View notes
hrpt-ma · 3 months ago
Text
Tumblr media
ニィール・ガリカ ( Neil Galica )
年齢:主人公軸+3(留年の為、学年+2) 身長:188cm スリザリン寮
純血の両���のもとに生まれ、一人っ子である。子供の頃から高身長。
■留年について 2年生の休暇中に両親と過ごしているところを襲われ、右肩から背中、腰の辺りまで大怪我を負う。闇祓いである両親を憎む相手からの奇襲であった。 両親共に一命をとりとめたが、リハビリを含め長期入院等の理由で復学に時間がかかり、進級できずに留年することになる。
留年理由について聞かれた時は、最初「怪我して入院してたんだ~」程度しか話さないが、信頼できる相手には後に詳しく話す事がある。 怪我はほぼ回復し生活に支障はないが、本人曰く「右だとびみょーに違和感あるんだよねー」という理由で杖は左手で使いこなす。(その他は右手を使う) 魔法を使うのが好きという拘りからだと思われる。 背中には傷跡が残っている。
■性格面
性格は非常にマイペースでおっとりとしていて、大体にこやかにしているが、好き嫌いははっきりしており、腹の中は何を考えているかわからないタイプ。 「だよね~」「だなぁ」「なんでぇー?」等、語尾を伸ばして話しがち。 語尾が伸びてない時は大体真顔で怒ってるか機嫌が悪い時。 奇襲事件の影響で少々人間不信、疑心暗鬼な所がある。 いつも眠そうな顔をしているし、大体眠い。 ■その他
入院中はひたすら魔法書を読んでいた。回復魔法が得意だが、主に自分の為に使う。 攻撃魔法を使う時は「ごめんね♪」と言ったり、「痛いけどガマンしようね~?」など 子供をなだめるような言い方をしながら使うことが多い。 魔法を使うのが大好きなので、どんな場合も楽しそうにしている。
苦手な科目はあれど勉強、ダンス、決闘はそつなつこなす。 体が鈍らないようにと体力維持に運動もしたりと努力家だが、クィディッチやスポーツには興味がない。
・綺麗なもの、可愛いものが好きで、美男美女、ドラゴン好き。 ・一人称は「俺」 ・パトローナスはクラゲ。
将来の夢は闇祓いになること。 悪いやつは絶対に許さないよ☆
口調は子供の頃からの口癖であるが、性格は難あり…かもしれない。 ※サブ垢で実機有りですが、写真を撮る時はタキ垢です。 + + + + + めーっちゃ設定細かくなってしまったので画像に収まらなくてテキストになりました(^q^) ちゅうに設定キャラだけど仲良くしてやって…ね…
0 notes
moko1590m · 5 months ago
Quote
0009 名無しさんのみボーナストラック収録 2017/10/01(日) 22:44:56.62 聴くジャンルに学は関係無いだろう 2 ID:X7aEv9hQ0 垢版 | 0010 名無しさんのみボーナストラック収録 2017/10/01(日) 22:58:37.69 >>9 こういう調査結果があるんだわ 「頭のいい人たちがもっとも好む音楽はレディオヘッド」、米研究結果で 2014.10.23 http://i.imgur.com/cgRe7mE.jpgヴァージル・グリフィスというソフトウェア・アプリケーション・ライターがここ数年に亙り、 主な米大学ごとのSAT(大学進学適性試験)の平均得点と、その大学に通う学生の音楽の好みを照らし合わせてきたところによると、 レディオヘッドこそ頭のいい人たちが聴く音楽であるという結論に達したという。 これにはたとえば、カリフォルニア工科大学に通う学生の大学進学適性試験得点が1520点と高く、 さらに同大学の学生のフェイスブック上で最も人気のバンド(あるいは、最も「いいね!」がクリックされているバンド)がレディオヘッドだった、というような結果が反映されている。 さらに、テクノロジー系ブログ「デジタル・インスピレーション」が指摘したところ、 グリフィスのチャートによると、頭のいい人たちが好んで聴くバンドは、スフィアン・スティーヴンス、ボブ・ディラン、ザ・シンズ、カウンティング・クロウズ。 そしてグリフィスによればその反対の人々は、リル・ウェイン、ビヨンセ、ユーズド、さらにゴスペル・ミュージックを好んで聴いているとか。 それ以外には、頭のいい人たちはピンク・フロイドよりもジョン・メイヤーが好き。 トゥール、システム・オブ・ア・ダウン、パール・ジャムといった巨大バンドは、チャートの真ん中、 つまり平均的な頭脳の持ち主に好んで聴かれている、といった傾向にあることがわかっている。 ヴァージル・グリフィスの研究の詳細はこちらから。 http://musicthatmake....virgil.gr/index.php 0017 名無しさんのみボーナストラック収録 2017/10/02(月) 02:54:41.64 >>16 お前はその優秀なやつではないんだな 無根拠によくわからんことをつらつらと ID:EjxcdbSK0(2/2) 垢版 | 0018 名無しさんのみボーナストラック収録 2017/10/02(月) 05:18:33.25 ハーバード大卒だけどマノウォー好きだよ ID:Wvof9EBK0 垢版 | 0019 名無しさんのみボーナストラック収録 2017/10/02(月) 06:08:31.16 https://curazy.com/archives/42747 優秀なメタラー諸君、上記のサイトでIQテストをして検査結果を報告して下さい ID:vlHxSL8b0(2/2) 垢版 | 0020 名無しさんのみボーナストラック収録 2017/10/02(月) 17:29:02.50 究極、言ってやろうか? 安全地帯 ID:P4osbKPMO 垢版 | 0021 名無しさんのみボーナストラック収録 2017/10/03(火) 15:16:59.41 スラッシュとデス(メロデスを除く)は人気無さそう 1 ID:jn/VuTAW0 垢版 | 0022 名無しさんのみボーナストラック収録 2017/10/03(火) 19:40:18.19 >>21 今年にMeshuggahのギタリストとして活躍するPer NilssonはIQ165でメンサの会員だぜ ID:qaezF0MF0(1/2) 垢版 | 0023 名無しさんのみボーナストラック収録 2017/10/03(火) 20:45:57.10 【中野信子】ヘビメタが好きな人は成績優秀者が多い?知られざるモーツァルト効果の真実! 【脳科学者】 【クラシック】 【Hard Rock/Heavy Metal】 【4:00〜5:25】 https://www.youtube..../watch?v=lPecPfPC43w えーロック音楽に関してはですねあのそれぞれやっぱりあのー治験はあるんですけれどもまあバカになるとかって言う人もいましたが なんとですねヘヴィメタルとかですねハードロックを学生さんに聴かせると成績優秀者に限ってはその不安の度合が下がって テストの点数自体は上がるっていう研究結果もあるんですよなので成績優秀者にはまあヘヴィメタルを聴かせるというのはいいんじゃないか えー成績上位校の学生さんにメタル好きが多かったりしますまあちょっと内向的な傾向が高いとか不安が高いと言う傾向も あの同時にわかっていますはい 2 ID:qaezF0MF0(2/2) 垢版 | 0024 名無しさんのみボーナストラック収録 2017/10/04(水) 00:13:08.66 頭の良い人は◯◯を聴いてる≠◯◯を聴いてる人は頭が良い ID:jan7+nWL0 垢版 | 0025 名無しさんのみボーナストラック収録 2017/10/05(木) 18:04:24.00 ×プログレヲタはインテリが多い ◯プログレヲタはインテリ気取りの スノッブな奴が多い ID:iUP5JnRi0 垢版 | 0026 名無しさんのみボーナストラック収録 2017/10/09(月) 00:47:22.19 >>23 成績優秀かどうかはわからないけど、Meshuggah、Cryptopsy、Emperorなどを聴いてると不安が取り除かれて心が落ち着くなあ ID:XmB/dDBt0 垢版 | 0027 名無しさんのみボーナストラック収録 2017/10/09(月) 08:52:46.36 Mozart Charlie Parker Van Morrison Steely Dan Led Zeppelin Dream Theater John Mayer Meshuggah ID:x/M2r8JQ0(1/4) 垢版 | 0028 名無しさんのみボーナストラック収録 2017/10/09(月) 09:41:39.37 モーツァルトの20番以降の作品を聴き、クルミや青魚を食べ、質の良い睡眠を摂る。 そして質の高い勉強を心掛ける。すなわち、安易な暗記に逃げるのではなく、思考力 を高める学習をする。 1 ID:x/M2r8JQ0(2/4) 垢版 | 0029 名無しさんのみボーナストラック収録 2017/10/09(月) 09:43:17.49 >>28 ピアノ協奏曲20番以降
高学歴が聴くメタル - 5ちゃんねる掲示板
0 notes
ikix-goldberg · 7 months ago
Text
ゴールドベルク変奏曲映像化計画
頭語 コヘレト3:14-15
—————
Aria.
こういう人生を生きた人がいる.この変奏曲はこの主題を語ることで終始一貫している.しかし,ここに描かれる人生は一般的なものである.ゆえに,その人生を生��た人は存在しない.なぜなら,人はある時期において一般的な人生から外れてしまうからである.したがって,ある程度一般的な時期を生きた人には,この変奏曲の中に必ず共感する旋律が存在すると思う.また同時に,その中を生きられなかったために,憧れを伴う旋律も必ず存在するだろう.つまり,この変奏曲は一般的な人生におけるすべての美しさを網羅しているゆえに,完全に一般的な人生を生きられないすべての人を惹きつけるのである.
#1
この上昇と希望の躍動,すなわち1人の人の誕生.これから始まる偉大な人生への祝福である.
#2
探索を始め辺りを眺め出した様子.好奇心からくる疑問符とまだよく知らない世界に対する無垢な心が表れる.
#3
自分で歩行できるようになり,時折躓きながらも,発達する心を自分の誇りとし始めている.
#4
子供時代を生産的に過ごしている.次々課される学校の授業,宿題,部活をこなし,堅実な希望を抱けるまでに成長する.
#5
とにかく思い煩いがちな思春期から青年期が忙しなく過ぎていく.むらのある思いに鋭い悩みが入り混じり,ばたばたと過ぎ去る.
#6
大学に入り,穏やかな気持ちで学問や文化を楽しむ.素敵な友人に恵まれ,読書やカフェの楽しみを知る.
#7
恋人に出会う.最初は2人で楽しい時間だったが,その相手のあるところに心が奪われてしまう.どうしたものかと恋の悩みを抱える.
#8
告白はうまくいき,怒涛のようにお付き合いが順調に進む.将来の約束を果たすべく,学業や就業を意識し,努力を重ねる.
#9
夜空に月や星が照らす海岸で,婚約を申し込み,2人は愛を誓う.
#10
結婚に向けて,仕事に精を出し,資金を貯め,将来の計画を前向きに話し合う.困難が予想されることも,2人で解決していくことを確認し合う.
#11
世の中が移り変わっていくのに応じて,2人の生活も移ろっていく.忙しさに任せて仕事が新たに与えられ,それに応えてこなしていく日々を過ごす.
#12
結婚に踏み切る.家を借り,同居を始める.新しい生活を一歩ずつ力強く踏み締める.計画を着実に実行し堅実な人生の基礎を築いていく.ふと感じた疑問も,世の中の道理に思いを馳せることで理解し納得していく.
#13
結婚後の2人きりのデート.新しい家族を持つ相談を始める.子供の将来を考えに考える中で,互いの愛と魅力と信頼を再確認し合う.その後,不安��夜を2人で愛し合う.艶かしい身体が交錯する.それは悲���みを伴う行為だが,流れる繊細な涙が印象に焼きつく.
#14
懐妊の知らせで対応に追われる.喜ぶ暇もなくあちこちの世話でおおわらわ.家に子供を迎える準備を進める.
#15
妊娠中の不安,不意の痛みの訴え,生理の変化に夫も不安になる.この時の涙は2人の間の愛の結びつきであり,その確実性の証明である.
#16
無事に健康な赤ちゃんを出産し,第二ステージの始まりが告げられた.全てが新しくなり,家庭が喜びに包まれる.早速動き回る赤ちゃん.再びおおわらわ.
#17
流れるように子育てが始まる.あちこちに行っては泣き,世話をする者としてついていくだけで精一杯.大変だが楽しく嬉しい.
#18
子供が歩けるようになった.まだ足取りはおぼつかないが,それらしい歩みを始めた.2人は1人の人生を産んだのだ.
#19
子供がすくすく成長していく.学校でもすいすい勉強を進め,友人を作り,次第に親の手を離れて自立していく.
#20
子供が思春期に入り,怒涛の時代を送る.将来への希望に向けて大人への準備を始める.
#21
突然,親の病気の知らせが来る.どうやらそう長くないらしい.子供の成長を喜んでいただけに,人生とは何かと思い始め,人生の終わりを意識し始める.
#22
子供が大学に合格し1人暮らしを始める.両親である2人も子供が離れた生活に切り替わる.蔭ながら応援する気持ちを語り合う.
#23
2人の仕事が脂が乗り始め,責任が大きい立場へと出世していく.時々逃げたくて泣き出したくなる日もあるが,再び忙しさの中に埋もれてしまう.
#24
ふとこれまでの人生を振り返り,趣味を見つける.自分で好きなように楽しめる時間はいいものだ.自分をゆっくり見つめる大切さを知る.
#25
親が亡くなった.悲しみに包まれる.近しい人では初めての体験だからだ.頬を伝う涙が輝く.人はいつか死ぬことを思い知り,命の意味を問うてみるが,その本態は悲しみなのではという気がしてくる.なんと儚く美しいことか.
#26
職業人生も終盤を迎え,引退に向け仕事の仕上げの時期に入る.目まぐるしく変わる社会状況や,その要求に対応していく.
#27
退職し,第二の人生を歩み始める.現役時代の経験を活かして動き回る.時折今までの生き方を反省するが,今があることが感謝に変わる.
#28
いよいよ人生の締めくくりを自覚する.資産や持ち物を身辺整理し,つつがなく死を迎えられる用意を行う.
#29
子供が結婚し,新たな門出を祝福する.2人にとっても人生の終幕が華麗に彩られた.
#30
家族で記念映像を撮る.子供夫婦も孫をもうけ,5人で映る.人生の総決���.終わりよければ全て良し.私たち2人は確かに意味のある人生を生き切った.
Aria.
突然の痛みで入院し,手術するも助からず,そのまま天へ召される.家族は悲しんでくれて,それぞれ感謝の涙を浮かべる.1人の人生がこれで終わったが,愛し抜いた1人の人と産み育てた子供がそばにいてくれた.静かな最期だった.
0 notes
nursingmyes · 7 months ago
Text
自己紹介
本垢(英語): klug
日本語を勉強していますのオタクです。アニ メとゲームと本が大好きです。
主に新しい言葉やフレーズをこのブログで記 録してますが、僕の日常のことを話します。 新しいらしきは読み方と英語の翻訳(ほんやく) を書きます。
ゲームと本とアニメが好きだからしばしばにこのコンテンツを投稿します(とこうします)。
間違いがあるなら、教えてください。僕はま だまだ初心者(しょしんしゃ)だから、僕にやさ しくて扱って(あつかって)下さい。
もし誰かも日本語勉強しています、ぜひ僕と話します!
2024年5月7日のアプデート:くるっぷもいます。
新しい語彙(ごい)
翻訳 - Noun, "translation".
投稿します - Verb, "to contribute" or "to post online", suru verb.
初志- Noun, "beginner, novice".
扱って - Verb, "to treat or handle a person or problem", dictionary form 扱う, godan/u-verb
語彙 - Noun, "vocabulary".
0 notes
momijiasuka · 4 years ago
Text
Tumblr media
フリーランス一年目を振り返り今後やりたい事、自分の絵について考える✍
こんにちは、紅葉です。イラストレーターとして
フリーランス1年目の2020年12月の振り返り日記になります
―――
これまでのヘッダービシュアルについて思うこと
Tumblr media
上記はサイトTOPや名刺用に年明け最初に制作したイラスト請け負い用のオリジナル絵です。
ゲーム業界では主に背景とアイテム制作・キャラ彩色などを中心に制作していましたが、
個人的にはアニメ・デフォルメテイストのコミカルでポップな可愛い系の作風が好きな為
自分を親しみ易い絵柄で制作しヘッダーと名刺に使用していました。
Tumblr media Tumblr media
こちらが実際にデザインし1月にクリエイター交流会やイベント・セミナーで配り歩いた名刺になります。
イラストレーターとして名乗り、初めて制作した名刺の為
🍁『イラスト何でも描きます!!なんでも任せてください!!!!』
感が強く情報も多いのでちょっとバラエティー豊かですね。😅
(”デザインは余白が大事”と聞く中で詰め詰め賑やかに入れてしまっていますが色合いは今でも自分らしく好みです!)
――――
今年1年の月別概要
※私の略歴について
💡2018年年末務めていたゲーム会社倒産、失業を切っ掛けに2019年職業訓練校で新たにwebデザインを学んだ後イラスト受注会社にアートディレクター就職、残念ながら社内悪環境の為2019年年末をもって退職・フリーランスイラストレーターとして活動を始める。
2020年
1月  フリーランス準備 名刺にサイト、人生初のクリエイター交流会やSNS創作垢✊
2月  ストックイラストで新たな出会い・交流の楽しさや知識を沢山増やして行く😊
    ブランディングについて、自問自答の自己分析がはじまる
3月  WEB面接打合せなど初の体験、個人で色々請け負っていく📝
4月  コロナが蔓延し新規受注案件が0になり不安定に😓
5月  SNS経由でつながった方の攻撃的な言葉に傷付き人生を見つめ直す✍
6月  新たな継続案件クライアント様と出会い高評価と自信を得る😊
7月  イラストレーターとして大きなご案件ご相談・高評価を得る😳 
    🎊7月7日に個人事業主として正式開業致しました㊗💡
8月  コロナの影響でドタキャンが発生しだしまた不安定に。😭
9月  自身のやりたい方向性の仕事を平行で請け負いスケジュール帳が埋まり出す
10月 毎日何かしらの提出・納品日となり過労スケジュールに..😇(成果物評判は良好
  今後の為にクリエイターエキスポに下見に行きました💡 様々なイラストレーターの方々の活動がまた一歩良い刺激になりまし���
11月 仕事の合間に相場感や契約書・交渉・著作権利問題について知識を深める
 クライアントワークのみで直面する様々な問題、低単価案件や収入を見つめストックイラストの良さを改めて感じ検討しだす
12月 今後の活動、来年に向けて 今年の自己分析の結果、方向性をまとめる
――――
会社員時代の安定とは程遠い波乱万丈な感じに怒涛に過ぎ去った1年でしたが、
その分自分で考え、これまでの経験を活かしたり新しい出会いや先人のクリエイターの方々の経験談や知識を取り入れ学ぶ事で会社員時代では中々得られなかった部分の知識・行動力・視野が広がった1年でした😊
今年よく考える事になったテーマが自分の今後やりたいこと 自分の本心から目指したい目標についてでした。
いろいろ挑戦してみて伸ばしていきたいと見つけたやりたい事について、
そんな1年を振り返る目的でこの日記を記録しています。
1~2月
完成した上記の初名刺を持参しいざ!初の交流会やセミナーなどで名刺やポートフォリオを見て頂いて
様々な方とお話した際にお褒め頂き恐縮したりする中で(会社員時代は特に視野が狭かった為たとえお世辞でも褒められなれておらず、とても嬉しかったです😊💦)
Tumblr media
と質問いただく事が増えました。
企業勤めの間は自身の絵柄・オリジナリティでは無く企業の求める絵柄・要望に沿う物を制作し続けていたので、自分自身の好きなもの・やりたい描きたいと思う物を具体的に言えず、
言えても胸を張って心から【私はこうです!】という自信が無かった為、春先に出会った方々と対話する度に
Tumblr media
と、悩みながらもブランディングという言葉と出会い
今年は度々、今後自分はどういう風になりたいのかな..と自己分析と自分理解を深めるきっかけを頂きました。
3~5月
自分が本当にやりたい事、得意な事…
苦手だし、不得意な事      ×
好きな事、好きだけど不得意な事 △
得意だけどやりたいと思わない事 〇
得意で普通と思う事       ◎
得意であり好きな事       ◎
――――――
絵仕事はどれも苦痛なく引き受けていた為、
背景もアイテムもキャラもミニキャラもどれもこれも自身の中では好きな物の一部でありこれまでの成果物・経験は全て自分が歩んできた武器⚔です。
なので”やりたくないな..”というのがあまり湧かず、本心と向き合い自問自答していました🤔
――――――
そんな中、春先のある日SNSの知人からDMに
知人『あなた背景得意って書いてあるけど、正直パースも効いて無いしそのレベルじゃ生きていけないよ。』
と成果物や私の経歴についてわざわざ貶す事柄が送られてきました。。
(『あなたの事を心配してるんだよ』という趣旨であった為、私の事を想い送ってくれてるんだなぁ..としばらくはやりとりを続けていましたが、度重なる脅迫DM・ストーカー行為が悪化した為こちらからはご縁を断ちました。読んでも気分の良い話では無いので詳細は割愛します😓)
当時は悩みましたが、
よくよく考えると過去の仕事に対してクライアントとその顧客以外の第三者から下手だと罵られても(赤ペンなどの具体的なアドバイスではなく純粋なただの中傷です)
その方個人の主観であり他人評価な為、気に病む必要は無いと今では吹っ切れています
まぁでもその際SNSに絵を載せる事も嫌になったのですが、
なによりも否定された以降背景制作を請け負う気になれず
(あぁ…私背景好きだった訳では無いんだなぁ…)
とそこで1つ消去法で見つかりました..👀
――――
私が好きな事は誰かの役に立つ事!
褒められる事・助かったよと人の役に立ち喜ばれる事に自己肯定感と喜びを感じます😊
ゲーム会社内で背景担当が多かったのも、
そもそも背景を描こうと思うデザイナーが少ない(ほぼ居ない)
元からちょっと描ける&綺麗な背景を見るのが好き・キャラ同様に描ける様になりたいと憧れて居る
業務でやってみたら褒められ喜ばれた
⇒喜ばれると嬉しい(単純)⇒ゲーム背景担当者に落ち着く
という流れだったので、元から職人レベルの美麗背景職人までの実力は目指して居ませんでした。
それでもやはり、あまり知らない人に心無い言葉で否定されるのは良い気分しませんよね..😓
否定されるのが嫌・褒められるのが好き  なのは人間誰でも一緒の感情だと思います。
―――
どんな事でも上には上が沢山居るのも理解していますし
SNSでも背景制作の前線でご活躍なさってる方々と恐縮ですが相互フォロー頂いたり、美麗な背景の一枚を見る度に今でも感動します😊💕
(綺麗なご作品を制作されてる方々は皆さんリプ交流でもとてもお優しいです
ありがとうございます!)
🍁「受注自体は暫く控えてますが、背景に憧れ好きな気持ち自体は本物なんだろうなと思います。また自然に描きたくなってきたら仕事外でも挑戦します!🌱」
―――
6月~11月
―――
背景を一度置き(ついでにアイテムもきっと同様に得意で役立てただけで違うのだろうと置き)
自分の得意なこと・やりたいこと・好きなことを見つめ直しながら色々な絵に関するお仕事を頂いて経験しておりました📝
主な仕事
マンガ動画・広告漫画            (アニメ風・TL風)
教材キャラコンペ               ���ミニキャラ)
PR用劇画風イラスト                (劇画風)
企業用ゆるキャラ制作           (ゆるきゃら・アニメ風)
企業用イケメンキャラクターデザイン・イラスト (乙女ゲーム風)
公式グッズデザイン(企画書~制作まで)
ソーシャルアプリ衣装制作            (女の子)
企業グッズ用ミニキャラ制作|数社         (~2頭身)
etc…
🍁『箇条書きにすると共通点まったく無くてビックリですね😲』
夏から秋に掛けて多種多様に活動し打ち合わせやご提案・交渉も徐々に慣れて行きました
ちなみに7月7日を開業日にし屋号:イラスト制作所もみじ亭として正式に個人事業主になりました
―――
褒められる事・助かったよと人の役に立ち喜ばれる事に自己肯定感と喜びを感じます😊
また、先に述べていたこちら、度��過ぎなければ良いんですが
他人評価に自己肯定感を委ねるのは危険と心理学でも言われているので、あまり依存し過ぎず
様々なクライアント様との案件経験を積んでいく事で、実績と共に自信と相場感や契約・著作権利についてなどの必要知識を平行で蓄えていきました📝(日々勉強です✎)
自己評価と自己肯定感はどんどん育てていきたい✊脱ネガティブwelcomeポジティブ
―――
12月⛄
―――
早いものでもう12月ですね
今年1年は本当にあっという間の一年でしたが未知への挑戦ばかりで成長する機会も多く、
またよく悩む年でもありました👀
が、悩むという事はそれだけ行動し頭を使っている結果なので良い事です💡
コロナ禍の中無事感染する事なく無事に年を越せそうなのにも安心しています。
12月にしている事
イラスト受注サイト作り(1つ前のサイト)
来年に向けてこれまでの振り返りと自己分析
書類、事務整理
――――――
やりたい事探しで見つけた自分の方向性
――――――
Tumblr media
①ミニキャラ・ゆるキャラ、ポップイラスト
私自身がゲーセンのプライズ景品やフィギュア収集が趣味の根っからのヲタクなの��過去にグッズ制作を趣味にしていたので、やはり可愛い系のモノが好きなんだと再認識しました。
ゆくゆくはアニカフェやコラボ商品などのグッズ用ミニキャラを手掛けたり出来るグッズイラストレーターになりたい、お菓子のパッケージ等の公式キャラデザインなどを手掛けたいと改めて思い1つの目標になりました😊
この絵柄で思い浮かぶ仕事
IP系グッズ用イラスト
LINEスタンプ
オリジナルPRキャラクター
書籍やwebの挿絵、カット
アプリ内ミニキャラクター(SD/ちびきゃら)
Tumblr media
②美形キャラクター制作・イラスト、マンガ
TRPG創作やイケメンキャラクターデザインなどを請け負う中で、やはり背景やアイテムも好きだけれどキャラクターをより魅力的に描ける様になる為の演出・手段の一つであり、
やりたい事は魅力的なキャラクター作り(デザイン制作・作画)だな..
昔からえがいたキャラクターがゲーム内や動画内でCVが付き喋って動き、生きている姿を見るのが夢で目標だったのを思い出しました。
この絵柄で思い浮かぶ仕事
企業キャラクターデザイン
Vtuber制作
ゲーム原画
ライトノベル表紙/挿絵
マンガ/カット
―――
と、こんな感じで明確に【今後これのみでいく!!】と絞りきった訳では無いですが、
来年に向けて今後強化していきたい絵柄の方向性、やりたい仕事が見えてきた様に思います😊
今後IP案件系の仕事も獲得していく為、ヘッダーのビジュアルも近々もう少しアニメ・ゲームタッチな絵柄に変更します。
今年を振り返って
2020年は行動力の年
去年末退職時に掲げた2020年の目標が上記だったのですが
トライ&エラー精神であちこち挑戦したり飛び込みに行った今年は自分の中では行動出来て居る方なのではないでしょうか。
(クリエポで誰にも話掛けず帰ったりもしたので『もう少しコミュ力発揮頑張りましょう🙅』とも思いますが😅)
コネも伝手も貯金も無いまま退職しイラストレーターとして1から始めた為、
今年人生初めての事だらけでしたが初体験の中でも下記は全てやって良かった事です🙆
―――
名刺制作、webサイト制作
交流会、セミナー、もくもく会、クリエポの下見
webセミナー、さぎょいぷ交流、オンラインコミュニティ、創作用SNS垢
ストックイラストの素材登録、やり方を学んだ事
エージェント登録
開業届、青色確定申告申請
メール営業
電話打ち合わせ、ビデオ通話での打ち合わせ、交渉
―――
交流会やオンライン通話で喋る度に、これまでの10年間会社では社内しか見えてなく外との交流(外部打合せ以外無く)を考える余裕もこういう物がある事も全く知らず;
無知なまま小さい世界に居たなぁ…と思うと共に
様々な人生経験を積んだ方々と対話する事で自分一人では知らなかった事も沢山知る事・学ぶことが出来て、また、フリーランスという道で生きて居る人が多い事も知り視野が広がり
とても心強く1年間が過ぎました😊
今年知り合いお話してくださった方々全てのご縁に感謝しています!😌
本当にただの日記なのでこの日記を最後まで読んでくださってる方が居るのかちょっと解りませんが、
まだクリエイター交流会や名刺交換会・セミナーなどに行った事が無い方がいらっしゃったら楽しいし視野も知識も広がるのでオススメですよ!
私もぼっちで特攻しましたがやらずに悩むよりやってみて実態を知ると案外想像より余裕なこともあるので、一歩ずつ頑張りましょう!
――――
🍁「まだまだ安定とは言いがたい不安定な収入ですが来年も引き続き自分のペースで頑張っていきます!」
2020.12.15 紅葉あすか
0 notes
coelacanthyoghourt · 11 months ago
Text
年末振り返りと過去作について
久々にしか更新されないブログになってますな。もう年末だよ。
今年の1月は「まぁ今年もゲームしてだらだら過ごすかー。イラストの練習もしてるけど、割とだらだらやってるし、イラストの世界に戻ることはないかな。iPadに描いたものはしまい込んで終わり」と思ってたのに、割とがっつり戻ってきたね!!近年で一番の驚きだよ!!
去年の9月くらいに同郷のいつものメンツ同窓会で「絵は前みたいに描かなくなったんや。え?Twitterやめた?え?絵の勉強しなおしてる?全然絵柄違うやん!!どこかにあげてないの!?もったな!非公開でもいいからインスタやれ!!」と言われ友人への生存報告がてらSNSに復帰したのが始まり。友人にいいねと言われ自信がついて、別垢で公開し、そこでもいいねしてもらい自身がついて、Twitterにもどっていいねと人生初めての依頼を受けてskebも始めた。いろんな方々に背中蹴ってもらって自身が付いた。ちょっと前ま��は倒れてたのに、やっと立つことができた。本当にありがたい。
ここで少し、過去作について場所を借ります。奇跡的にドロップボックスにデータが残ってたので少し載せますね。多分前垢分かる人はわかるかもしれんけど、詮索はしないで。
Tumblr media
ぐあああああああ!!!なかなかぁ…ぴどい。訂正したい部分がいっぱい浮いてくる!!これ確か20くらいの頃の絵だったかな…?うわ、10年くらい前か!どういう話だったかサラっと書くと、化け物と戦う教会の人たちなお話でしたね。8年近く描いてたんじゃないかな?看護学生のど真ん中くらいで、主人公とヒロインを思いついてそこから青年誌にありそうな絵柄でいっぱい描いてました。それこそ広辞苑2冊くらいの束のアナログ用紙とHDパンパンのデジタルイラスト。割とねいっぱい描いてたんだよね 実はこの作品の設定、今も描いている狼と鼬の世界設定の基盤になってるんですよ。
198X年頃人類は異世界を発見し渡る術を発見する。人間嫌いの研究者が異界に渡る。異界には人とは似つ甲斐ない者、人と似ている者様々な異形の者が住んでいたが、共通して「願望」を核にしていることが分かった。異世界の研究が進むにつれ、現世に異世界とのゲートが開通。双方の行き来が活発となると同時に異形の者���取り締まるために、昔から悪魔祓いなどをしていた教会がその役割を担うこととなった。それから、人と異形の間に生まれた主人公が双方の架け橋となり���つ、人類が初めて対峙する脅威と戦い勝つ。(ラスボスが上司だったので、個人的には春闘と言ってます)というのが前に書いてたお話の部分。 そこから100年ほどした時、ゲートの開通により人類は過去最大の脅威を異世界より招き入れることとなる。なんとか制圧するも、被害は甚大であり人口は2割へ減少する。協議会の設立とゲートの封鎖を開始する。それから1万年ほど経過。人類は都市ごとにコロニーを形成し、自然発生したゲートからの脅威に対して怯えながらも抵抗している。そんな中生まれた脅威の一つが「獣の国」。狼たちがのほほんと暮らしている国。何が脅威かというと、「龍」と獣の国周辺や内部で自然発生した脅威への管理ができない事。「龍」は異形の者であり、上記で述べたように「願望」を核としている。その願望は「憧れ」。なり替わりたいものを取り込み、成り代わる。それが「龍」の正体。元はスライム用の生態であったが、捕食を繰り返し異世界で龍のような異形を取り込んだために「龍」の形を成していた。のちに人を捕食したために現在の朧のような人型をしている。そう、朧は実は龍ではなくてスライムなんですよね。一応、異世界からの異形は龍属のみ。つまり朧だけ。狼やら鼬達は、龍の憧れの副産物として生まれたおこぼれで獣が人に転じたものの末裔です。ちょっとわかりやすく言い換えると、朧は異世界の怪物、狼は擬人化って感じ。ブログでしか明記しないけどね。 とこんな感じです。他にもいくつか作品を作っては放置してますが、全部この過去作につながってるし、この過去作の主人公のせいで将来的に人類は滅亡します。今後何かしら未来が変わる作品でも作らない限りバットエンドですねw 狼と鼬の当初の作成コンセプトは今と全く違うものでした。荒廃した世界に点在するコロニー。内部の人は外の事は知らずに、コロニー内の階層社会で暮らしているって話でして、そのコロニーから出て本当の朝日を浴びるために階層を登っていく少女とそのサポートをする仲間達ってストーリーでした。でも少女が描けなさすぎて断念。(漫画のラフはのこってる)しばらくして、その中でグッドデザインかなと思った子を選出して供養がてら描いたのをSNSに載せたのが狼と鼬を作るきっかけになった。ちなみに、狼は終盤まで付いてくけど、ボロボロになって死ぬかどうか位に考えてたし、鼬はそもそも影薄かった。零は最後まで残って少女をサポートしつつ、狼の子を産むってくらいに考えてたよ。そのころを若干引きずってるから、今も狼は零の事気になってるってにつながるんだね
こんな感じでいっぱい書いたけど、それ位思い入れのある作品だったんだよ。正直描けるならまた主人公でも描いてあげたい。今の絵柄でならどんな風になるかなって思うと少し筆を取ってみたくなる。そう��な、気が向いたら主人公同士の絵描くかw
そんじゃみなさんよいお年を~!
0 notes
lion7line · 1 year ago
Text
お前のせいだよHO2
天才教授の助手
【HO2 助手】 あなたは天才教授の助手だ、年齢制限はない。好きな探索者を作るといい。
あなたへの秘匿は『秘匿がないこと』だ。 いかにも秘匿 HO らしき設定をつけて、それに則った RP をすることを推奨する。 ただ、シナリオの最中は何が起きてもいいように心の準備をしておくこと。
_______________
学歴コンプ人間。 第一志望の大学に落ちて、滑り止めでつまんない大学生活を送った。仮面浪人も考えたけど見栄を気にする親が許さなかった。 女に頭は要らない、家��ことをすればいい、お前が大学に落ちたのだってその証左だろう。 ストレートで勝ち組ルートを進む兄、早くに結婚した妹がいるからこそ家では出来の悪い子、欠陥のある子として見られてきた。 普通でいいのよ、と両親は口をそろえて言う。 うるさい。これがあたしの普通だ。そんな曖昧な”普通”の定義であたしの人生を左右するな。
第一志望だった大学の大学院を受験したのは半ば意地。諦めきれなかった。 単位互換制度を利用して大学棟で講義を受けたこともある。多分その時に町田教授の講義に潜ってたんじゃないかな~ 内心「こども教授」って呼んでそう。あの見た目で天才なの、胸の中引っかかれる感覚が強い。ので履修はしてない 院まで行ったけど別に勉強が好きだったわけじゃない。多分入学した時点で割と燃え尽きてる。結局未練は未練のままだし。 現役であの大学に入りたかったって、きっとこの先も呪いみたいに未練がへばりつくんだろうな。と思ってたしそうなった
色んなしがらみから抜けたくて、ストレス発散したくて、その需要と供給が合ったのがコンカフェバイトやコスプレだった。「自分じゃなくていい」というのは思ったより大きい。基本男装。 おかげで自分のガワに関してのコンプはない。見られるのは好きだし、手入れするのも好き。 ただ、その反動で自分の内側が好きじゃなさ過ぎる。空っぽで、結局何もできてないなと思うから。 そういう意味では見られることに忌避感がある、何もないことを見抜かれそうで恥ずかしい。 年齢に見合ったものをもっていない、ガワはやがて老いるのに。 綺麗と言われるのが嬉しくて怖い。何も言われなくなるのも怖い。そういうのひっくるめて全部見たくない。 人のいいところをみて、好きと言えて、笑顔でいられて、褒め言葉を素直に受け取れる、そんな可愛げを持つには遅かったみたいだ。
結局就活は失敗した、院卒っていうのは扱いづらい。研究職に進むには知識も足りない。 両親は「だから言ったのに」と鬼の首を取ったような態度で、早く結婚しなさいよだとか義弟にいい人紹介してもらったら?とか、なんだかもう、煩わしくなって。卒業と同時に家を出た。といっても趣味仲間の家に転がり込んだ、が正しい。まあ、院時代からもともと人の家を転々と泊り歩いてたし。家族と連絡を絶っただけ。 生活は関係に左右される。そのまま趣味に流れた、このガワのおかげで被写体としてなら食い繋いでいくのはそう難しいことじゃなかった。
何もかもを無条件に受け入れられたい、他者の肯定を得て自分を肯定したい、甘やかして肯定して満たされたい。 それは本来親に求めるべきもので、他人に求めてはいけないものとわかってる。依存したい訳でもされたい訳でもない。 冬にどうしようもなく物悲しくなるように、誰かを抱きしめていないと胸のすく寒さに寂しくなるような情緒を持ってる。 厄介だし、救えない。 それで行きつく先がヒモなんだから、中途半端に親の言葉っていうのは大きいらしい。 人に触れてるのがすき、抱きしめるのも抱きしめられるのも好き。じゃれるのが好きなだけで性的な接触は別に好きじゃない。 が、家でくっついてたらそう流れていくのも理解してるから「まあそうだよね」で拒まない。でも気分じゃなかったらしない 恋人とも言えないけどセフレでもない、みたいな 妙な距離感によくなりがち。
院を卒業してからモデル業、のようなもの。を2年くらい。 段々趣味仲間の趣味は「仕事の傍ら」になって、「育児の合間」になって、集まっても生々しい生活の話が主になって。 一方でモデルの後輩は増えていって、若さ、というものは何よりも強いと眩しさを見せつけられて。 この仕事いつまで続けていられるんだ?身体はどうしたって老いるのに? そう考えたらカメラの前に立てなくなった。 26歳。社会経験もないに等しい。今更一般企業に受かるはずもなく。 あーーまずいな。いっそ大学受験のリベンジでもしてやろうか。卒業するころには30?あはは、詰みが見えてる。 それでもいいか。どうにでもなれ、若いうちに死んで終わりにすればいい。そんなことを考えながら大学に願書を取りに行って、その時に助手公募を見つけて。 こっちの方がまだましかもな、言い訳できるな。一体何に? 朧気な記憶を引っ張り出しながらESを書いたり面接をしたり。したら、受かった。どうやら助手になれるらしい。
町田教授が変わってないことに驚きと安心半々。昔飼ってたパピヨンに似てるなーと最近は思ってる。 あれだけ行きたかった大学に助手として通えて嬉しいと、今更と、学生が羨ましい、と。 それでも助手さんって呼ばれるのは嬉しいし、町田教授は面白いし。…楽しい、充実している、と思う度にコンプも刺激される
そんなこんなで、教授の元で働いて1年。任期まであと2年。相変わらず、未来のことを考えるのは鬱だ。
_______________
▽対教授 尊敬とかわいいな~と羨ましいな~と天才ってなんだよ意味わかんね~と モロモロ それでもやっぱりいちばんは「”普通”であってくれるな」という祈り。願い、理想。 ”天才”だもんね、って言える逃げ道であってほしい。劣等感が刺激されるから。 変人であってくれ。常識なんてなくていい。ずっと無垢なままでいい。人間じゃなく教授であってくれ。 あなたがただの人間でないことが、自分にとっての救いだ。
_______________
▽大学教授の助手について(参考) 教授や助教授が抱える職務をサポートし、研究などを補助する役割。 実験を始めるにあたってその説明などをするのも助手に与えられた業務の一部 さらには講義に使うために資料を印刷する、教授の講演やイベントなどにおいて幹事を務めるなど、業務の範囲は幅広い 期限付きで契約するケースがほとんどで、将来の安定はまったく見込めない。 一般的には数年間の契約。延長・再任を認められないことも珍しくない (任期2年。審査により再任可(3年)。但し、1回を限度とする。等/https://www.qse.tohoku.ac.jp/news-archive/news231002.html) 新卒で契約社員になるようなもので、夢や希望を追うよりも長く安定して働きたいと思う人にはあまり向いていない (https://digmee.jp/article/310471?utm_medium=article&utm_source=kijinai&utm_term=310288&creative_id=310288&utm_content=html)
0 notes
uyu-yuyuyu · 1 year ago
Text
首藤義勝がインスタライブで、その後千也茶丸名義の弾き語りライブでthe cabs「花のように」を歌っていた。
それを知った瞬間、色んな想い、良い想いも悪い想いも全部、溢れ出て来て止まらなくなったので、久しぶりに筆をとって長い文章を書こうと思った。Twitterを経由しないで済むTumblrに書き込むあたり自分の意地汚さが見て取れる。
今年の9月から10月にかけて諸々の諸々が本当にダメになってから、Twitterの元いた地点に関する一切の情報を意図的に絶っていた。筋金入りのインターネットオタクであるため流石にネット断ちなどは出来なかったが、その間はずっと別のものを見ていた。
2ヵ月のあいだ見まくっていたもののひとつにonly if you call me jonathan、すなわち元the cabs/現österreichのギタリスト高橋國光のブログがある。これより先ここに記すことはほとんどそのブログ及び彼の思考の模倣とも言って良いくらいのもので、いや模倣にしてはあまりにも低俗だし下劣極まりないし惨めだし、私は彼と違って素晴らしい音楽すら残していないただのダメ人間なのだけれど、とにかく最近の影響は全部そこから来ているので何でこんな文章書いてるんだと言われればそこに理由があるからとしか言えない。他人の10年分のブログを全通するのは初めての経験だった。一度に読むのは勿体ないし胃もたれを起こしそうになるので毎日ちまちま読んでいた。
以下、事実の記述と懺悔が続くが恐らく私以外の大半の人には何のこっちゃという困惑しか生まれない内容がほとんどである。仮にごく少数の推測が可能な人がこれを読んだとしても、あまりの支離滅裂さと自分勝手さに呆れるであろうことが簡単に予測される。しかしそれでも構わない、伝わるべき人にだけ伝わればよいし、伝わるべき人ですらここを閲覧出来る環境にあるかどうか分からないし、そもそも自己の救済のためだけに打っている節があるので、何なら伝わらなくてもよい。文から滲み出ているし容易に読み取れるであろう、私が酷くどうしようもない奴で狂っていておかしいことだけが伝達出来れば十分だ。この文章は見るに堪えないものと成ることによって果たすべきその目的を完遂する。
私がそれまで聴いた音楽を記録するだけだったアカウント、誰にも見られていなかったアカウントでいわゆる自我を出しthe cabsについて話すようになったのは、確か首藤義勝がTHE FIRST TAKEにイチャモンをつけ、炎上した日の翌々日ぐらいだった。よく印象に残っている。そのせい(あるいはおかげ?)で音楽界隈がザワつきこぞってthe cabsについて言及するのを見、前々からこっそりcabsに対する若干の屈折した愛好心と、KEYTALKに対する一方的な反抗心を抱いていた私は、ここぞとばかりに公の場に降り立ちcabsに関する過激的発言を繰り返していった。ヤケクソの波に乗っかろうという訳である。
自分が何をほざいていたかはあまり思い出したくないし思い出せもしないのだが、分かっているのは己がいかに無知な状態でcabsについて語っていたかということだけだ。どの場所においても批判をする者は批判対象について詳細に知っておかねばならないにも関わらず、彼らのことをロクに理解もしていないそして自己の発言にも覚悟の持てない状態で狂ったように発話を続けていた。内心これではいつしか破綻するだろうな、と予測してはいた。分かっているのに発言をやめることが出来なかったのはほとんどSNS取り憑かれ人間の行き過ぎた承認欲求に近い。
無知と書いたが主には彼らのその後、österreichとKEYTALKに関することの知らなさがいちばんの問題点だった(plentyと渡独後の中村一太の個人活動については未だ勉強中であるためここでは割愛する)。私はかつてのthe cabsという物語(それだってリアルタイムで見ていた訳ではなく、人づてで聞いた情報を元に己の中に勝手に組み立てたはじまりと回帰と再生と崩壊の完璧なストーリーでしかなかったのけれど)の美しさに執着しすぎるあまり、現在の彼らについての一切を無視してさも過去だけが正当であるかのようにしがみついてばかりいた。現在地点を見ようとせずに昔だけを振り返り続けることによって遠回しに今の彼らの生を否定するという残酷な寸法だ。
only if you call me jonathanを読み始め、Soundclowdのösterreich音源を聴き、KEYTALKのメジャーデビュー以前のCDをちゃんと聴くようになってから(批判してたわりにまともに聴いてすらいなかったのだ)、己の発言がどれほど失礼極まりなく恥じるべきものであったのかを知った。私が以前に何の推敲も無く発していた言葉たちは、彼らが今まで辿ってきた道筋を真っ向から否定するようなものばかりだった。それをthe cabsへの愛に基づくだとか、自分だけはマスロックや残響や音楽について理解しているだとか、ごたごたと御託を並べて上っ面だけ見て都合の良いように解釈して喚き散らしているだけの騒音でしかなかった。
KEYTALKの楽曲に「アゲイン」という曲がある。
この曲はKEYTALKのギターボーカル寺中友将が作詞・作曲を手がけた曲で、cabsとの直接の関係は何も無い(まあこの当時の首藤が兼任をしていたという時点で関係が無くは無いのだけれど)曲なのだが、これのライブ版を観た際に、それまで抱いていたKEYTALKへの感情、あまり好ましく思っていなかったものが少し変化した。
Tumblr media
そもそもライブ版が収録されているDVDを購入したのは、特典映像でKEYTALKメンバーがthe cabsについて言及する場面がある(画像参照)からだったのだが、それよりもほとんど初めて観る「首藤義勝のいるKEYTALK」(「the cabsの首藤義勝」ではなく)の姿を純粋に、良いなと思えた。アゲインを曲単体で聴き返した。何度も聴き返した。現在は既にKEYTALKとしての首藤義勝、そして彼らの姿を素直に応援出来るぐらいにはなっている(MONSTER DANCEのMVはまだ観られていないけど)。
österreichもほとんど同様の手順である。私は元々The Novembers経由でcabsについて知った口なので、小林祐介がゲストボーカルに参加している「ずっととおくえ」ばかりを好んで聴いていたが、逆に言うとそれ以外に関する知識はほとんど皆無だった。であるのに、ここでも知ったような口で批評とは名ばかりの現体制österreichに対する言いがかりなどをし続けてしまっていた。彼と、かれらの進んできた今までとこれからについて、the cabsだけでなく、cinema staff、ハイスイノナサ、としてのここに至るまでの経路を見るべきだった、知るべきだった、知ろうとすらしていなかった、様々な音源を新たに聴くたびに私は心の中で謝罪し続けた。優雅なピアノの音もデモ版のGUMIの声も彼自身の声での朗読もとても新鮮に聴こえた、それは己に無知の知を自覚させるのに十分な力を持っていた。ごめんなさいごめんなさい、わたし今まであなたたちのことなんにも分かっていなかった、ごめんなさい。
「the cabsについて世界でいちばん考え、苦しんでいるのは、決しておまえなどではない。」 この考えがある時点から深く刻みつけられ、定期的に警鐘となって自己の内部に鳴り響いている。もっともは高橋國光であり、首藤義勝であり、中村一太である、その根本の考えすら抜け落ちていたことの恐ろしさ。そして今回の私みたいに好きであることによって感情が倒錯し他方面に迷惑をかけている人間は恐らく結構な数いると思うのでほんと気を付けた方が良い。
話題を変える。
個人的な見解なのだが、Twitterに生息している音楽垢は適当なようでいて実は各界隈ごとの様式美めいたものがあり、ネタツイをする人ならネタツイを極めているし、オタクならオタク活動を頑張っているし、生活が忙しい人は生活を音楽に絡めて話すのが上手いし、批判を極めている人は叩かれながらも頑張って批判をしている。私の場合はこれら全てを一手にやろうとしてしまったために混乱と無理が生じた。衆目の下での管理は性格的に困難であった。
私は音楽のオタクであると同時にバンドマンのオタクをしている。認めると負けになりそうだったからかつては認めなかったが今は腹を括って受け入れている。アニメファンがアニメキャラクターを愛するように、漫画のファンが漫画のキャラクターに共感するように、信者が神を信仰するように、私はバンドマンを愛しているし、共感しているし、信仰している。
そうすると発生するのは音楽の善し悪しの判断というよりもバンドマン個人に対する様々入り混じった感情であって、それは私の好みに合った音像を作り上げてくれるだとか、まるで私のことを書いたみたいな歌詞を投げてくれるだとか、もはや私という認識をせずに大きく「こちら側」に向けたデカい愛をぶつけてくれるだとか、得体の知れない感謝の比率が日に日に上昇していく訳で、何ならそうしたこと以上の感情が湧き上がってくる瞬間も特定のバンドマンにおいては発生するのだった。そのひとりが高橋國光だとある時から気付いた。とすると取り扱われるべきことは罪悪感と疑問だ。私はthe cabsが好きだ、私は高橋國光が好きだ、私は高橋國光に音楽を作ってほしいと願っている。じゃあこの戯言はなんなんだ。これじゃ高橋國光の首を絞めてるのと何も変わらないじゃないか。じわじわとそうした思いが頭をもたげていく、のに発言を止めなかったあたりが典型的な狂者の思考プロセスだと思う。この世は全て無意識よりも自覚がある者の方がタチが悪い。
自覚があるのに止めどころが分からない状態で人は思いもよらない行動に出るし、また思ってもいないことを発言してしまうのを思い知った。過去であっても今この瞬間であっても私の発言することは決して信用しないで欲しいし、恐らくあなたの生活には不要なものだと思うのですべて忘れていって欲しい。抹殺して欲しい。私は未だ自分の言葉を飼い慣らせていない。私が誰かに向けた発言はその当時の私がフラフラになりながら嘔吐したものの残骸であって、猛スピードでその都度アップデートされていく思考にそぐわないものでしかな��。根拠も正当性も美しさも無い。ただ焦燥と暴力性だけが無駄に備わっている。
こんな風に遠回り遠回りして書いているのは単に記憶が薄れて来ているだけでなく、当時かなり精神が混濁していて朦朧とした状態でしか生活が出来なかったからでもある。それと繰り返しになるがこれらの表現技法においても高橋國光へのリスペクトが含まれていることは否定出来ない。複雑に入り組んだ動機もしくは言い訳を何とか言語化しようとしているが恐らく上手くいっていない。文章構造がめちゃくちゃだ。それでも説明し続ける。
私は私以外の人間が私の好きなバンドマンについて言及するのが嫌だった。正確に言うと嫌であると感じるように段々なっていってしまった。自分ですら、いくら雑誌を買って彼らの写真を眺めたからって、いくらブログを読み込んで彼らの言葉を直接頭に取り入れたからといって、またいくら彼らの音楽を狂ったように再生し日々の支えにしたからといって、彼らのことを全て理解出来るはずなどないことをこれでもかってぐらい実感しているのに、自分よりも少し知らないだけのファンが何か言うこと何かを私の好きなバンドマンに感じること、それを観測することすらダメになってしまった。この意識は特定個人についての糾弾として言っているのではなく、ただ漠然とした界隈全体に対する広範囲の殺意みたいなものである。そしてそれを凌駕するほどの自己嫌悪が根底には在って深く深く根を張り続け頭に言葉に毒を送り続けている。
多分、私は私の好きなひとたちに対し本当にフラットな状態でなければ好きを継続していられなかった。他のファンと共に好きを(表立って)共有することが難しく、また音楽の好みが付随する人間関係によって左右されるのについても酷く嫌悪を感じた。ファンを知るたびに音楽が汚されていく気もした(自分からフォローしておいて何なんだという話)。勝手に見て勝手に傷ついているだけのクズに用は無いと思う自覚している自覚はしているから言述だけは続けさせてくれじゃないと内部に溜まっておかしくなりそうなんだ、全てを放棄した今ジャンルも界隈もへったくれもなく聴いている音楽はまさに何の偏在もない私だけの音楽と胸を張って言えるものばかりだが胸は相当張れたもんじゃない。
この感情が同担拒否というおおよそバンドマンに向けるには適していないであろう言葉で一括りに出来たらどんなに気が楽だっただろうか、とふと考える時がある。他にも(ファンとしての私が勝手に考えた)私とバンドマンの関係性について安易に定義できそうな語彙が無くはないが、使ったところで何の意味も持たなそうだからここでわざわざ持ち出して使用するのは控える。
the cabsともうひとつ、話しておくべきバンドがある。
ヒトリエはcabsと同じく稀有な運命を辿ったバンドとして有名だ。私はインターネット発wowaka経由でその存在について知った。本格的に追い始めライブにも行くようになったのはごく最近だが、それでもその時々の「本命」であるバンド(これも次第に好きなひと達が増えるに従ってその意味を失ってきたのだが)の追っかけと並行して、長らく人生を共にして来、その時々で気にかけてきたバンドであった。
あの時、何だか自分の精神がおかしくなってしまっていて、好きな対象であるはずのものにやたらと過激な懐古厨みたくなっていたころ、「人の死」という誰にもどうしようも出来ないし変えることすら出来ない性質を持ったヒトリエにですら過去ばかり慈しむような発言をしてしまっていた。彼が遺したものこそが絶対的な正解であり、彼が今現在この世にいないことについてばかり嘆き、悲しむ。文字に表してみると自分がいかに視野の狭いつまらないことを仕出かしていたのかと思う。今、昔よりもずっとずっと「シノダのヒトリエ」の曲を聴くようになってから思っている。
cabsについての捻じ曲がった(そして恐らく正しくはなかった)認識に気付き、改善がなされていったきっかけは様々重なっていたのだが、ヒトリエについての意識が徐々に変容し「現在のヒトリエ」を純粋に好きになれたことも大きな転換点のひとつであった。それが己の中に生まれる過程としてはヒトリエそのものの存在だけではなく、ヒトリエのファン(ファンが無理だという話を散々しておいてここで出すのも��れだが)の目標とすべき姿勢、受け入れの態度を見たことも大きく関係している。まあ関係したからといって全てが良くなった訳ではなかったし事実そのあとにまた一悶着自分の中であって発狂寸前にまで至ってしまったのだが、その気付きが無ければぞっとするような狂気を未だ保っていただろうから少しでも正気に戻れたのは良かった。
とにかく、wowakaのことをずっと考え続けていた。the cabs、そして高橋國光のことについて考える時は常にwowakaについても想い続けていた。いつからか、wowakaではなくシノダについてずっとずっと考えるようになった。ひとしきりシノダの姿を延々思い浮かべる日々を過ごしたのち、ヒトリエと聞いてwowakaとシノダについて同程度思い浮かぶようになった頃には、今のようになっていて、私は我に返っていた。
(余談だが、実際the cabsのファンとヒトリエのファンはかなり似通ったところがあるように私は思う。大多数は「彼らの境遇込みで」愛している人がほとんどだし、そもそも彼らの音楽のテイストからみて、そうした展開や結末に打ちひしがれつつも、バッドエンド的要素が刺さるタイプの人達が恐らく愛好者の中には結構いることが何となく感じられる。それから彼らが得意としたスタイル、暴走機関車のようなテンポと物理的に命を削るような歌詞も音の好みとしては被る部分が多く、また鬱ロックという大きな括りの中ではかなり後期(ARTやsyrupをメインとした場合の話)に属することや、その後の一定の年代のボカロに影響を与えまくったことなども共通点として挙げられるのでは。)
閑話休題。
明確に謝罪をしなければいけない対象が3つある。
1つ目はあのとき私のアカウントを閲覧出来る環境にあった者たちである。私の発言がどのようにタイムラインに流されどのように個々人に受け止められたかは知る由もないが、少なくとも愉快なものでなかったことだけは簡単に予想が付く。信憑性のない妄言ばかりを特に文脈もなく毎度マシンガンのように浴びせてしまい、本当に申し訳なく思っている。ただこう思っているのは私ひとり、自意識過剰の精神に由来しているだけで、すべては杞憂なのかも知れなくて、分からない、分からないけれど、しかし分からない確認のしようがないイコール感情が存在しないということでは全然ないと思うので自責をするのに越したことはない。
2つ目はあのとき私と連絡を取り続けていてくれた人である。最初に断言しておくが、あなたには一切何の非も持ち合わせていない。すべての出来事は私の精神の脆弱さと愚かさに起因していて、事態がああなってしまったことの責任は100パーセント私の方にある。長々と書いてきたように当時の私は音楽との向き合い方、バンドマンとの向き合い方、Twitterとの向き合い方、そしてthe cabsとヒトリエとの向き合い方について飽きもせずに延々と考え逡巡し若干いやかなりおかしくなりつつ現実での様々なことも相まって精神が極限状態にあったせいで、すべてを手放さなければならない判断に至った。あの状況で「誰かから再度連絡が来るかもしれない」という場面に固定され、そうした意識に常時苛まれているのは本当に本当に申し訳ないのだが日常生活に支障が出るレベルの緊張を感じざるを得なかった(例え自分のことを捨てずに見つけ出して手を差し伸べてくれた人であっても)。音楽とか、人間とか、居場所とか、言葉とか、愛とか、捌かなければいけない概念が多く発生しすぎていて、アホな私の小さい頭のキャパではとてもじゃないが持続出来なかった。そもそも人間との会話自体がその時はダメだった。気付かずによく分からない言葉ばかりを無責任にしかも面と向かってつらつらと語ってしまった。ぜんぶ、全部忘れてください、それらはすべてそこにいない私が打った言葉です。しかしあなたが万が一その言葉を大切にしてくれているのであれば、それは疑いようのない私の言葉ですので、煮るなり焼くなり罵倒するなり好きにしてください。ほんと自分から話しかけておいて何様って感じですね。ごめんなさい。
3つ目はもう間違いようがなくバンドマン本人たちそのものである。何度謝っても悔い足りないから今後一生をかけて償っていこうと思う。私が得たものはすべてあなたたちの血となれ肉となれ、そして余剰の分だけ廻りまわって惨めな私を救っておくれと思う。書き出すとキリが無いからここの項目はこれで止めておく。
墓標のようにSpotifyのプレイリストを作って乱立させている。自分だけのセトリ自分だけの最強の音楽デッキを(誰に聞かせるでも無いのに)いくつものテーマに沿って構築している。そればかりでなく自分の好きなひとたちが言及していた音楽についても全てまとめて出来るだけ把握しようとしている。高橋國光がブログで言っていた曲、シノダナオキがブログで言っていた曲、辻友貴がブログで言っていた曲(そういえば好きな音楽について深く知るにはその音楽家のルーツを探るのがいちばん手っ取り早い、みたいなことを言っていたのもシネマ辻だったように思われる)などを片っ端からプレイリストに入れている。そうするといかに彼らが単にロック/オルタナだけでなく多彩な音楽から影響を受け楽曲を制作していたのかが良く分かる。狭い区分に変に拘泥してあらゆることに対しシャットアウト気味だった自分の音楽遍歴を彼らの豊潤なそれと比較すると一気に恥ずかしくなった。
思えば私の中のいっときの鬱ロック以外全員殺すモードが本当の意味で解除された瞬間は、シノダのブログ中にあった、「curved edgeはBLACKPINKのDDU-DU DDU-DUに衝撃を受けて作られた」という一文を見た時だったかもしれない。その瞬間、あ、そうなんだ、アイドル、シノダ、アイドルしかもK-POP聴くんだ、という新鮮な驚きが身体中を即座に駆け回った。そして今までの自分のいわゆる偏見のような意識がいやに馬鹿らしく感じられた。結局はそんなもんで、「そんなもん」というけれど実はそれこそが蔑ろにしがちだけれどすごく価値のあるものであって、むしろ否定する方がアホでしかないことをこの時叩きつけられた。実際本来、この世には好きな音楽と嫌いな音楽と好きな人間と嫌いな人間しか存在しないのだな、ということを完全に明白に理解しそして自責した。その感覚が今の意識に繋がっている(この記述はFC会員限定ブログの中にあるのでソースが知りたければヒトリエFCに入ってほしい)。
また、全てが円滑に作動するために最も必要であることは「何についても私が言及しないこと」であるのに気付いた。何をどう弁明しようが墓穴を掘ってしまうことに変わりはない、沈黙は金、私が言葉を発しなければ彼らが傷付くこともないし、私以外のファンが不快な思いをすることも無いいちばん簡単で手っ取り早いことだったのに何故気付けなかったのだろう。私は正直になると同時に私の一切を封印することに決めた。開示と封じ込めの両立は一見矛盾するように思われるがある要素を成り立たせるために別のある要素を捨てるのだと考えればそれはごくごく自然な働きなのではないか。
冒頭にも書いたように首藤義勝がcabs時代の曲を歌っていた。本当に何気なく、しかし何の譜面も見ずに(歌詞もメロディも染み付いているということなのだろう)。あの音よりも少し成熟した声で、爆撃機のようなドラムと刺すような叫び声の無い状態で。彼が何を想ってその選択に至ったのかは分からない。前日に���大なバンドマンが亡くなったり、彼のバンドメンバーがファンに心無い言葉を向けられたりしていたので、それらについての感傷的なものも影響しているのかも知れない。しかしそうであっても、そうでなかったとしても、彼の中に「救いようのないクズのため」という諦念や絶望(と、その救済)に似た概念、ひどく美しく感じられる空間がちゃんと存在していたこと、それを今この瞬間に示してくれたこと、それをみた瞬間に言いようのない嬉しさがどっと湧いて出て来、あ、許すよ、と思った。
言うまでもなく脈々と語り続けられている言葉、「再生の風景は、それを許すよ」。その許しはどこから何からの偉そうな目線などでは決してなく、バンドマンが私達ファンを許すこと、ファンがバンドマンを許すこと、神様がすべてを許すこと、など、あらゆる許しを包括している。その許しの伝達手段としての空気の振動、音楽という形式が彼らの選択した表現として成り立ち、ファンを救済している。これは本当に勝手な自分の思い込みでしかないのだけれど、首藤義勝が炎上したことによって始まった私の失敗は、首藤義勝の受容によって一旦の終焉を迎えた気がした。私はインスタライブの後に再生の風景を繰り返し聴いて泣きながら、ただただ、赦して、そして、許してあげるから赦してほしい、と考えていた。
首藤義勝のこともそうだが、思えば高橋國光の音楽を愛したあまりに高橋國光ばりの失踪をネットで遂げるのもどうかと思った。親は子に似るっていうけどまさか本当に似るとは思わなかったなと酩酊した意識の中で薄ら笑いをしたりしていた。
ひとつ勘違いしないでほしいのは(これは自分に言っている)、私はthe cabsへの想いを断ち切っただとか、某アーティストが言っていたように「cab卒」をしただとか(キタニタツヤ紅白出演おめでとう)、そういうことでは決してない。所詮「拒絶的な過激派」から「受容的な過激派」に移行しただけに過ぎず、かつて取り出してばかりいた刃物は未だ心の中に常備してある。しかしもう刃先をちらちらと見せびらかすことは止めた。行動として痛いし、物理的にも痛いし、良いことがほとんど無いからだ。それを成長と見るか尖りが失われたと見るかは人それぞれだが、少なくとも私にとっては善に向かう大きな一歩であるように感じている。
本当にだらだらと流れるがままに論旨も構成も無視したまま打ってきたが、以上が私の韜晦と自己嫌悪、及びそれに関連する数多の蛇足めいた脇道にそれまくった反吐の出るような思考の流れを何とかして文字に表したものの見づらい一覧だ。相変わらず躁鬱とオタク的感情と評論と意味不明な発狂の混ざった訳の分からない物体と化していてお前マジで何も変わってねぇのなって感じなのだが、もうどうしようもなく私はこういう文章しか書けないのだろうし、いくら見栄を張ったところでこれが私なのだから私なんだと思った(トートロジー)。気持ちが悪いものを見せてしまって申し訳ない。見て分かる通りこういう奴は最初から表に出るべきではなかったのだ。絶対。今までだって幾度となくそう感じて来た。なのに今回も上記のような結果になったのだから私は私のことが一番信用できない。今後も懲りずに何かしたら嘲笑って欲しい。
そしてああもうこんなに罪の意識を抱いても困ったことに浅ましいことに失礼で無様なことに私はまだまだ全然バンドマンのことが好きで好きで堪らないのだった。the cabsが好きだ。ヒトリエが好きだ。楽器を持って私の手の決して届かない場所にずっと立っていてほしかった。どんなに暗い歌詞を歌っていてもきらきらと輝いていてほしかった。私がはじめてバンドマンをバンドマンだと認識したとき、かみさまだと思ったその時から、彼らを愛したいと思った、いまも思っている、かみさまだから触れたくもないし、かみさまだから他人に触れられたくもないし、かみさまだから永遠に向こう側であって欲しいと強く願っているし、私(こちら側)の救済は何かを隔てた上でやってほしかった、音楽の介在が必須だった、直接来ないことが条件であった、しかしかみさまも本当はひとりの人間でしかないこと、実はかみさまも酷くこちらに近い存在であること、そしてそう自覚したうえで彼らは振る舞っていてくれていること、それも同時にひどく嬉しくて悲しくて辛くて愛しくてずっと好きでどうのしようもないのだった。くるっている
果たしてここまで読んだ人がいるのだろうか。もう見てもらえば分かる通り狂っているのだ。本当に嫌なことにおかしさだけは継続している。一生治癒しないもの。枷。元来の性質がこういう感じだからしょうがないと割り切ってはいるけど果たして一体いつになったら私は他人に迷惑をかけない人間になれるのだろうか。
最後に頼んでおくがこの文章は極限までパーソナルな性格を帯びており、ほとんど日記に近い様相を呈しているので、一部・全体問わずどこかに拡散もしくは引用言及するようなことはどうか控えて頂きたい。この文章によってあなたの心と記憶が間借りされた占有されたもしくは傷を付けられたなどがあったら深く謝罪したい。一刻も早くもっと綺麗なものを見てこんなもの忘れよう。
そう言うだけの資格が自分に無いことぐらい分かっているけれど、私はいまものすごくösterreichのライブに行きたいと思っている。ヒトリエのライブにも、そして、KEYTALKのライブにも、ぜひ。まだ観たことのない様々なバンドマンの姿を観たいと思っている。バンドマンはかみさまで、ライブハウスは教会のようなものだとまで言うのは流石にやり過ぎだろうか。でも祈りに集う観客は全員知らない他人であればあるほど良いと思っている。私とバンドマンのあいだに音楽以外が立つな、私と音楽のあいだにバンドマン以外が立つな。
勢いのままに書いてきたので見返すと我ながら訳の分からなさに吐き気がしてくるが、それでも彼(ら)がそうするなら、私も書かねばならないと思った。そして書いた。言った。満足だ。正直こんな言葉じゃまだまだ全然私の内部で何が起こっているのか、私にとって音楽とは何なのか、などを十分には解説出来ていないのだけど、今やれるべきことはやった。あとは時が流れるのを待つだけ。私の罪が霧散して楽になれる日が来るのを願うだけ。祈るだけ。ステージに向かって祈りを捧げるだけ。
さようなら さようなら もうここに何かを書くことはないでしょう 私はただのファンでいたかった いたいとだけ思っている 希求するぜんぶをあなたに わたしのすべてよ綺麗な音に晒されて死ね そしていつか 僕はいつか 君はいつか 僕らはいつか あいしている
0 notes
imgine · 1 year ago
Text
youtube
高校受験 #中学受験 #中3 #公民 #テスト勉強 #学び直し #過去問 #勉強垢  #中学生 #不登校  #授業 #学校  #選挙 #政党
【1時間500円の学習塾イマジン】 公民の選挙と政党についての 解説動画の1つ目です。
多数決の原理、直接民主制、間接民主制などについて 解説しています。 AIアプリ Study monster との連携で学習効果を発揮します。
動画の最後に LINE、AIアプリ、塾HPのQRコードが出るので 入塾やアプリ利用についてはそちらからご連絡ください
HPはこちらです https://snowflakes4405.wixsite.com/imagine
Tumblr media
0 notes
ou2z · 1 year ago
Text
立憲主義とは何か?わかりやすく説明してみよう!憲法違反を決めるのは国民
#雑学
#法律 
#勉強垢
0 notes
solia-rouge · 1 year ago
Text
2023年7月15日(金) HOU���SICⅢ
Tumblr media
youtube
予約制の演奏とハウジングのコラボイベント『HOUxSIC』へまじまさんと初めて行ってきました!
前回がクリスマスあたりにやったので、7か月ぶりぐらいに開催。
前回から開催するのをすごーく楽しみにしてたので予約が取れただけでもう嬉しかったです😆
✨SSと諸所の感想✨
Tumblr media
『お庭のキャンプ場』TanTanさん作
まじまさんは先にきてお庭で待っててくれたのですが、庭の切り株に埋まってました?!
イタズラかと思ったらバグだったようです(まじまさんの画面では通常に見えてましたw
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
Tumblr media
『ハウス玄関』TanTanさん作
今回のHOU×SICのテーマ『4か国(リムサ・ウルダハ・グリダニア・イシュガルド)』イメージで作られた玄関。
全体はイシュガルドをモチーフ。
またクリスタルタワーの家具についてるクリスタルの色が3か国(クリスタルの上を見ると対応する各国旗が飾ってあって左からウルダハ=黄色、リムサロミンサ=青、グリダニア=緑)を表してるみたいです✨
解説コラボ配信でこの説明を聞いて、クリタワ家具でこの想像をするとは凄いなと感心しました...
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
Tumblr media
『オープニングステージ(ウルダハ)』TanTanさん作
地下の会場へ入るとウルダハイメージのステージがドドン!!!と現れました。
床から湯気がモワモワしていて、こちらは砂塵をイメージしてるそうです。。。凄すぎて唖然😮
背景にスミッコにちらりと見えるサボテンもキュートb
Tumblr media
オープニングが始まり、出演者紹介&TanTanさんの今回のハウジングの制作話。
今回のお庭、玄関、ウルダハステージは全てTanTanさん作で、その製作話を聞かせて頂きました。
どんなイメージで作ったのかとか実際に聞かせてもらうと、ハウジング力も凄いのですが発想力も凄いなと改めて実感しました(; ・`д・´)
家具の使い方や合わせ方が流石すぎます。。。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
Tumblr media
『1stステージ(グリダニア)』Chacaさん作
演奏:ネトハモ合奏練習会(8名)
編曲アレンジ:Windyさん
ウルダハステージが取り壊され、Chacaさんの10分間リアルタイムでのグリダニアハウジング作成&ネトハモ合奏練習会のコラボ演奏会へ。
あっという間に幻想的な森のステージが出来上がるさまは圧巻でした。。。
木についてるドアはシルフ族やモーグリ族の家なんでしょうか?
中央の羽の間に時計の飾りのチョコボがちょこんと顔を出してて可愛いです✨
Tumblr media Tumblr media
演奏に合わせて、ぽつっぽつっと明かりがともる様にクリスタルが置かれ、やがて雷や雨が降ってきて、ハウジングの演出と演奏の凄さで鳥肌が止まらなくなりました…
Tumblr media
途中途中で占術師のアクションが入って綺麗でした✨
Tumblr media Tumblr media
途中、モーグリが通り過ぎていってフフってなりましたw
Tumblr media Tumblr media
花火が上がり始め、メテオ花火でフィニッシュ!!!🎆
888888888
凄すぎてリアルでも拍手しちゃいましたw
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
Tumblr media
『休憩タイム』
休憩と聞いて急いでトイレ行って帰ってきたらダンスタイムが始まっててビックリw
皆でワイワイ、ヘイヨーダンス楽しかったです😆
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
Tumblr media
『2cdステージ(リムサロミンサ)』izumuさん作
演奏:WindyWorks
編曲:Windyさん
MC:弦艘家エウナさん
しっとりとした静寂なる森の演奏から、今度は活気あふれるバトル曲がメインのリムサステージへ。
語り部のエウナさんがリムサへ訪れ、クリコンやリヴァイアサン、タイタンと大バトルを繰り広げました!
グリダニアス��ージは幻想的でしたが、こちらは躍動感溢れる格好いい演出✨
ハウジングが凄く動くのでSS撮れるタイミングが少なく枚数が少ないのはご愛敬でw
Tumblr media Tumblr media
SSは取れなかったのですが、ステージ上でクリコンバトルが始まって演出が凄かったです!!!
リヴァイアサン戦の演奏ではウォーターパーティションが波のように動き回ってて、おおってなりました。
あとチョコボがくるくると回ったりしてて可愛かったです(´ω`*)♪
Tumblr media
ステージが真っ赤に染まりタイタン戦が始まりました。
打楽器の音が地響きのように響き渡り、まさにタイタン😆
ギター弾いてる方が凄くぎゅいぎゅい動いててちょっと笑ってしまったw
Tumblr media
ラストはコスタでダンスパーティー💃
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
Tumblr media
『エンディングステージ(イシュガルド)』さしこさん作
大ボリュームだったのに、あっというまの3時間半でした。。。
素敵な演奏に合わせてステージが変わるさまに感動しっぱなしで、リアルの劇とかそいういうのに来てる気分でした。
あまり良い言葉が出てこないのですが、本当にすごく素敵なイベントでした!!
こんな素敵な企画を立てて下さって本当にありがとうございました!!!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
Tumblr media
『おまけ』
帰りの玄関にて
クリコンの演出でクリタワが使われてて、玄関にマザークリスタルが出現してました!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『ハウジンガー&演奏家さん』
※把握出来てない方もいるので紹介に入ってない方すみません😖
庭・玄関・オープニング(ウルダハ)ステージのハウジング&休憩タイムのダンサー担当
主催&司会&1st(グリダニア)ステージのハウジング担当
1st(グリダニア)ステージの演奏担当
2nd(リムサ)ステージのハウジング担当
2nd(リムサ)ステージのMC担当
2nd(リムサ)ステージの演奏&編曲アレンジ担当
配信&エンディング(イシュガルド)ステージのハウジング担当
1 note · View note