『ドギーアンドバニー:中篇』
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新原生代('90年代)
小学生低学年の頃、父が会社の事務室から不要なワープロやPC(ブラウン管のWindows 95)を持ち帰りました。
当初はネット環境がなく『Klik & Play』でゲームを作り、富士通主催のコンテスト入賞作を収録した『Klik & Play Game Collection』をプレイ。この頃に三歳年上の兄が作ったタイピングゲームでタッチタイピングを会得しました。
新古生代('00年代)
新カンブリア紀:西暦2000年問題
『FF10』をクリアした13歳の頃、ようやく実家のインターネットが開通しました。
ストーリーの考察&攻略サイト(『ゼルダの伝説 時のオカリナ』『アーマードコア2』など)や、イラストサイトの常連になり、お絵描きBBSやチャットの利用を開始。今のDiscordの先駆けとなるMSNメッセンジャーやYahooメッセンジャーで同世代のフレンドと交流。
当時使用したノートPC(OSはWindows 2000)のメモリは256MB。
メモリを倍に増設したら起動が爆速になって驚いた思い出があります。
その頃に記念紙幣の二千円札が発行され、報道番組で「IT革命」「文部科学省が愛国心教育を開始」「ゆとり教育」などが報じられていました。
そうして実家のネット開通と同時に「新カンブリア爆発」が引き起きたのでした。
新オルドビス紀:OVAの視聴
ケーブルTVでキッズステーションやアニマックスを視聴。
まだ深夜アニメという言葉ができる以前のOVA作品(『南海奇皇(ネオランガ)』『円盤皇女ワるきゅーレ』『HAND MAID メイ』『ヴァンドレッド』『BLUE GENDER』『サクラ大戦』等など古生物学者垂涎ものの一群)を拝見。
当時は女性ユーザー層も少なく、ロボットものやご都合主義のハーレムものが数多とありツンデレという概念も希薄でした。
イラストサイトのBBS経由で、ゲーム制作サークルに広報として参加。連日チャットに入りびたり、絵師のお姉さんに可愛がられました。
なぜかYahooメッセンジャーで見知らぬアニメーターの女性から個別チャットがあり、その流れで「口パクを描くのはそんなに難しくないよ」と教わるなど日夜勉強をかさねたのでした。
新カンブリア爆発から新オルドビス紀までに「ドジっ子メイド」や「おさげの眼鏡っ子」さらに「褐色肌キャラ」及び「前髪目隠しキャラ」、そして「ふくよかなキャラ」と「ボーイッシュキャラ」などの多種多様な属性が次々と出現し、環境の変化から次第に自然淘汰が始まった。
これが後の新ペルム紀末に起きた大量絶滅に次ぐ大きな絶滅事変とされる。
一方の「ツンデレ」「ロリキャラ」及び、どの作風にも馴染む「黒髪ロングキャラ」は地球上における繁栄の粋を極め、今もなおその数は計り知れない。
新シルル紀:HTMLによるHP作成
攻略サイトやお絵描きBBS関係のフレンド間でHP制作が流行し始め、ご多分に漏れずHTMLとtextファイルによるHP作成を開始。
こうして新シルル紀より生物の陸上進出が始まりました。
BBSの人脈から相互リンクを着実に増やすも、軒並みHPがフェードアウトして閉鎖。当時のWeb上のメインコンテンツは読み物とイラスト、あとはFLASHアニメーションくらいしかありませんでした。
その頃に、人類にはまだ早過ぎたエロゲ声優ネットラジオ番組「アケミとマリカのがっちゅみりみり放送局」を愛聴。
00年代前半の著名なテキストサイトに「侍魂」「ちゆ12歳」等があります。しかし、個人的によく読んでいたのは『FF11』のSS投稿スレをまとめた「涙たちの物語」のような某大型匿名掲示板に投稿された読み物でした。
今にして思えば、この同人小説と検索機能のお陰で読みにくい漢字を虱潰しにある程度は削減できたように思います。
その頃はまだYouTubeは疎か、pixivや小説家になろう等の各分野ごとの専用SNSがなかったので、創作物を公開するためには自分でHPを作成する必要がありました。
しかし今では個人サイトのBBSや絵チャット、及び某大型匿名掲示板は淘汰されてX(旧Twitter)に替わり、Yahooメッセンジャーの類はDiscordに推移。手作り感のある連絡媒体は不要になりました。
新デボン紀:和声理論
個人サイトの馴れ合いから離脱した後、RPGツクール界隈のmidi素材配布サイトや、FFシリーズの耳コピmidiから、midiシーケンサーの存在を知りました。楽典などで楽譜の読み方を覚え、『ゼルダの伝説 時のオカリナ』の楽譜をmidiシーケンサーに打ち込み始めました。
次にRPGツクール向けのBGMを作るために音楽理論について学び、同時に耳コピや作曲をひそかに開始。
この「魚類の時代」とも呼ばれる新デボン紀後期に両生類、つまりオタマジャクシの祖先が誕生したのであります。
新石炭紀:薬指と小指の動作的分離
「楽器が弾けると作曲が捗る」という某大型掲示板の情報をもとに、14歳の頃より押し入れに保管されていたエレキギターの練習を開始。その影響もあり指版に依存するコードヴォイシングに傾倒。この長く続いた氷河時代から開放弦を利用したテンションコードの和声を構築し始めました。
丁度この頃に、今は学習院大4年生になり卒業論文『中世の和歌』を提出した愛子さまがご生誕されました。愛子さまは大学で平安時代から明治時代の古典や文学、和歌などをお学びになられました。また、幼い頃から情操教育として絵本を読み聞かされておられました。3歳は絵本のゴールデンエイジと呼ばれ、絵本の世界に入り内容を楽しむことができる時期です。絵本で感じたことを、自分が実際に経験した出来事や、感情と結びつけることができるようになります。
2001年の同時多発テロを契機に「イラク戦争」勃発。アメリカ合衆国が主体となり2003年からイギリス、オーストラリア、ポーランドなどの有志連合が結束。戦後初めて日本が戦争に参加し、自衛隊派遣を行い、イラク南部でインフラ整備や治安維持任務を実施。
米軍とイラクの正規軍同士の戦闘は2003年内に終了。"ジョージ・W・ブッシュ"米大統領により大規模戦闘終結宣言が出された。しかし、アメリカ側の目的だった大量破壊兵器の発見に至らず、さらにイラク国内の治安悪化が問題となり戦闘は続行。
2010年8月31日に"オバマ"米大統領により戦闘終了が宣言され、米軍撤退後のイラク単独での治安維持に向けた作戦が開始。2011年12月14日の米軍完全撤収によってオバマ大統領が「イラク戦争の終結」を正式に宣言した。
アメリカでは2003年のイラク侵攻と実戦を「2003年イラク侵攻」と呼び、それから2011年の米軍完全撤退までをまとめて「イラク戦争」と呼ぶケースが多い。
落語家"立川志らく"氏は「去年はビンラディン、金正日、立川談志が亡くなりました。いわば世界的独裁者が相次いで亡くなった年でした」と寄席で哀悼の意を表しました。
ロックロックこんにちは
『FF10』クリア後の翌年にラスボス戦の曲がヘヴィメタルというジャンルだとネットの検索でようやく知りました。また、音楽専門チャンネルのMTVやSSTVで00年代前半の邦楽インディー系ロック(この時代のクランチでテンションコードを鳴らすギター演奏やドラムのタム回しは"ブルートレイン"や"ロケットサイダー"など今の邦ロックに継承)や00年代の洋楽ロックのMVを視聴。しかし、その頃の世間はモーニング娘。(代表曲「LOVEマシーン」のMVで繰り広げられる熟女の腹踊りに圧巻)など芸能人の歌唱が人気を博していました。
某大型匿名掲示板でメタリカやメガデスなどの所謂80年代スラッシュメタル四天王を知り、お年玉貯金でCDを購入。ちなみに14歳の頃に初めて試聴目的(それ以前は『モンスターファーム』用に購入)で買ったCDは、ギターソロが巧いと評判の80年代正統派メタルを継承したインペリテリと、奇才ギタリストスティーヴ・ヴァイ。00年代前半を牽引したリンキンパークが結成前にライブを観て影響を受けたというアンスラックスも愛聴。
まだ深夜アニメの主題歌も普及していなかった時代は、芸能界やJ-POPを忌避する者の間でメタルやテクノ、ゲーム音楽などがもてはやされていました。ようするに他に聴く音楽がなかったのでしょう。ちなみにSMAPのキムタク氏はイングランド出身のヘヴィメタルバンドアイアン・メイデンのファン。
音楽専門チャンネルSSTVで邦ロックを堪能。その中にはフジファブリックやナンバーガール、レキシやスネオヘアー、後に代表曲「粉雪」をリリースすることになるレミオロメンなども。
NANANINEのリードギター大野氏の講義でグランジを認知。大野氏のギターはカート・コバーンに敬意を表してドロップDチューニングにセッティングし、スタジオレコーディングでもライブ感を出すためにオーバーダビング禁止縛り。日本の商業音楽はギターにピアノにストリングスにと出来る限り楽器を重ねるので、それが不利になったのかも知れませんね。ギターボーカルはJ-POPファンで二人は雀荘で出会いNANANINEを結成したとのこと。
ところでピアノの調律もできるキーボード演奏家であり、レキシのボーカルの池田氏曰く「思春期の頃に口下手な友人がトーク術を鍛えるために、毎日テーマを決めて5分間喋って録音するという鍛錬をおこなっていた」とのこと。これはあくまでも友人の話。
00年代前半に初めてプレイしたオンラインゲームは、SEGAの発売したゲームキューブ版『PSOエピソード1&2』。まだネットが普及してない時代でしたが、BBSやチャットと同じく運良く同世代の中高生フレンドに恵まれました。人脈の広い中心核の男子や、改造PKの多い外国人プレイヤーが苦手な女子中学生など個性派ぞろいでした。
しばらく連日のように遊びましたが、任天堂ゲーム機として初のディスクシステムが仇となり、読み込みに耐えかねてゲーム機本体が壊れたのを契機に引退。やはり任天堂ゲーム機はカセットROMが理想的でしょう。
その数年後『PSOエピソード1&2』のボス戦部分を抽出したようなカプコン社の人気作『モンスターハンター』が発売されました。
新石炭紀の末期には「『ハッピー☆マテリアル』をオリコンチャート入りさせよう」とする未曾有の購買運動《ハピマテ祭り》が勃発。
その数年後には、各地の学園祭で「ハレ晴レユカイ」が踊られるなど、少し前までアンダーグラウンドの文化だったとは思えない広がりを見せ始めました。
原作まで購入した『ローゼンメイデン』や『涼宮ハルヒの憂鬱』以降から新作はあまり追わなくなったけども。
映画『時をかける少女』『君の名は。』などでさらに市民権を獲得し、ゲームも海外シェアを増やし続け、PS5やニンテンドースイッチ以降の人気作は数百万本~数千万本の売上げを記録するようになりました。
一方の媒体としてCDは衰退をたどり、2020年頃には二千枚ほど売れるだけでもオリコン上位に入り、ジャニーズでも一枚30万枚ほどしか売れなくなってしまいました。
90年代~00年代前半の売上げと比較すると10分の1以下にまで落ちましたが、それが正常とも解釈できるでしょう。
しかしながら、全盛期に宇多田ヒカルが海外進出しようとして頓���してからのJ-POPはアニメの主題歌として需要が生まれました。
アジアのポップスの中でK-POPは、2018年にアジア圏出身者として初めてビルボード200で1位を獲得。K-POPは欧米でも正式な音楽ジャンルとして認知され、ビルボードには専用ページも作成されました。オリコンチャートの原案は、この米国のビルボードチャートに他なりません。
宇多田ヒカル海外進出時から識者の間では「欧米の音楽ファンに宇多田ヒカルのような曲を聴かせても『まあ、こういう曲、よくあるよね……』というしらけた反応が返ってくる」と言われ、他にも「海外のライブハウスでは、よくある売れ線の曲を演奏するよりも、個性的で変な曲を演奏する方が反応がいい」などの意見がありました。近年の日本もインディーロックやニコ動音楽などの自主制作音楽が普及してからは、独創的な音楽も受け入れられるようになったと思います。
一方でJ-RPGは古典的なRPGの代名詞としてSteamにカテゴライズされました。理由は一概には言えませんが、そっとしておくことにしましょう。
僭越ながら筆者は敢然と考えます。自由気儘に回遊する姿こそ、本来の同人作品だと。
新ペルム紀:大量絶滅
ネット開通当初の2000年代前半は、ゲーム音楽の耳コピmidiや楽譜などがウェブ上に沢山ありましたが、それもJASRACの規制により一斉に淘汰されました。
今も使用料を支払えば二次創作も配布できますが、収益が支出に満たない場合は続ける道理が見出せないでしょう。
また、手作り感のある個人サイトや、RPGツクール関連サイトも管理人の就職などに伴い次々と閉鎖されました。
これが新ペルム紀末に起きた観測史上最大規模の大量絶滅です。
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◇No. 0 愚者《The Fool》
▼正位置
・自由、楽天的、天真爛漫、旅の始まり、我が道を行く
▼逆位置
・無知、悲観的、軽率、無計画、無配慮、鈍感、空回り
愚者のタロットカードに描かれるのは旅人らしき少年と犬。22枚の大アルカナの中で唯一移動している人物が描かれており特別視されるカード。彼は、ほんの少しの荷物しか持っていない。荷物はこれまでに蓄えてきた知識や経験の象徴。身軽な方が新たな旅を始めやすくなるのだ。過去のしがらみから解放された旅は、自由で自分らしく生きることが出来るだろう。
しかし、旅は決して楽しいことばかりではない。きっと多くの困難が待ち受けているだろう。足元の断崖絶壁は乗り越えなければならない壁を暗示する。少年の足元には犬がいる。犬は誠実で忠実な動物。カードに描かれた犬は、崖へ向かう愚者に危険を知らせている。直感に従えば危険を回避できるという暗示だ。そのまま進むことも、引き返すことも、自分自身で決めることが出来るだろう。
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▼新中生代:ポピュラー音楽の成り立ち
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2006年:新生代
17歳の頃に4日間ほど絶食したところ意外と空腹間を感じず、このまま何も食べなければ簡単に命を断てることを覚った。
逡巡の中で「あと10年間だけ生きて『生きる理由』を何も見出せなかったら命を断とう」と決意を新たにしたのだった。
タイムリミットは――27歳の誕生日。
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18歳より幼馴染の祖父が経営する会社で勤続開始。
音楽制作に必要な機材を買い集め始めた。
▲2007年(19歳)に作曲したオーケストラ曲
midi素材ブログの運営
2007年3月4日。13歳~19歳までに作ったmidiの供養のためにRPGツクール用midi素材ブログ『レオナル堂』を開設。
翌月に素材提供したRPGツクール製ゲームが『週刊ファミ通』でお馴染みのエンターブレイン主催デジタル作品コンテストで入賞。二ヶ月ほどで2万アクセスを突破。
そうこうして作曲を始めた13歳頃の目標だった「兄の作るゲームのBGMを作りたい」という念願を間接的に達成できました。
さらに秋の就職を以てブログの更新を停止しました。
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レオナルド・ダ・ヴィンチにおけるウィトルウィウス的人体図における黄金比とは、r = (1 + 51/2) / 2 = 1.6180...または(1 / r) = (51/2 − 1) / 2 = 0.6180...という数値で表される比率。
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江戸時代後期
江戸時代の幕末維新は1853(嘉永6)年の黒船来航から始まりました。幕末の日本に影響を与えた欧米列強は、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、オランダの5ヶ国です。
《産業革命》~第二次産業の幕開け~
産業革命は18世紀のイギリスから始まり、その後は西ヨーロッパ諸国、アメリカ、ロシアなどに拡大し、欧米諸国は農業文明(第一次産業)から工業文明(第二次産業)社会に移行しました。産業革命は綿工業から始まり、その発展は鉄工業、石炭業、機械工業などの諸産業の発展を促し、石炭と鉄の時代を到来させました。
1830年以降になると、機械による大量生産体制が確立。産業革命の技術革新の総仕上げとして鉄道が出現。さらに帆船から蒸気船に転換し、それが自国内だけでなく、世界に進出する足掛かりとなりました。産業革命によって大量生産された製品は、まずは自国内で消費されましたが、すぐに飽和状態となりました。産業革命の進展は原材料の高騰や枯渇をもたらし、労働力の確保も課題となりました。その補給先も、自国外で確保しなければならない循環に陥ってしまったのです。
初めに産業革命を果たした英国は、ヨーロッパ大陸に市場を求め、さらには米国、そしてその矛先はアフリカやアジア諸国に向かいました。原材料の確保も同時に企図されるが、これも欧米以外に依存しました。英国以外でもフランス、ドイツ、アメリカ、ロシアなどが順次に産業革命を進展させ、資本主義国家群を形成し、欧米全体がアジア市場を求めて進出しました。その際には製品だけでなく軍隊も派遣し、武力を伴った支配化、つまり発展途上国の植民地支配を実行しました。これが帝国主義の時代の幕開けです。
当初の英国は東インド会社を国策会社として設立し、アジアに対する貿易と植民地経営を積極化させました。英国の植民地化を阻止すべく1857年にインドの反乱が起こりましたが、軍事力の差により鎮圧されました。翌1858年にムガル帝国が滅亡し、英国がインド全土の支配を開始しました。
19世紀に入ると英国の自由商人活動は活性化し、清にインド産のアヘンを密輸し始めました。アヘンの流入を阻止したい清国と、密輸を継続しようとする英国との間にアヘン戦争が1840年に勃発。清は英国の近代兵器に圧倒され、その後は欧米の侵略拠点となりました。そして中国の先にある日本に対し、いよいよ欧米列強が開国を求めることになりました。
江戸時代後半の日本は長崎などの例外はありながらも鎖国体制でしたが、18世紀後半からロシアが北方から南下を始めたので、それに対する危機意識が高まっていました。江戸幕府は鎖国を貫こうとしましたが、アヘン戦争による清の大敗は衝撃を伴い、戦争回避を前提に外交が展開されました。
幕府は外国船打払令(外国船とみれば躊躇なく追い���う令)とした政策から対外的な展開を図りました。それを契機にロシア、イギリス、フランス、アメリカが日本に接近して和親と通商を求め始めました。しかしながら、幕府は依然と��て鎖国を盾にその要求を拒否し続けました。そこに中国の政策に専念する英国を出し抜いて、嘉永6年にアメリカからペリー提督が開国要求の使者として来航したのです。
日露戦争
1905(明治38)年、日露戦争後半の大規模な陸上戦「奉天会戦」の戦力はロシア軍36万、日本軍24万。兵士の数ではロシアが優勢。しかし、機関銃の数は日本が上回っており、兵力的には互角と見込まれました。
戦場で日本は西側から回り込み、ロシア軍の退路を経つ包囲作戦に出ましたが、ロシアがそれを察知して全軍撤退を始めました。本来ならロシア軍を追撃すべきだったものの、兵士の数と弾薬が足りず掃討作戦を断念。拠点になる奉天の制圧に成功しましたが、新たな作戦を立てる余力もなく、もはや陸上戦は継続不能の状態でした。ロシア陸軍は撤退したと言っても、残りの兵力は約200万人。その数は日本陸軍の約10倍で、ロシア側も戦争続行の意向でした。
そうして対馬海域にロシア海軍のバルチック艦隊が到着。陸上戦に続き、次は日露海軍による日本海海戦が開幕しました。天候は『天気晴朗なれど波高し』で日本に有利な状況。ロシア艦隊は、前方で突然大きく旋回した日本艦隊に総砲撃しましたが、日本海の高波や長い航海による疲弊もあり砲撃の精度は低く、砲撃を免れた日本艦隊が横に並び、一斉砲撃を加えて壊滅的なダメージを与えました。ロシア戦艦6隻、巡洋艦4隻など計15隻を撃沈。これによりロシア艦隊をほぼ全滅に追い込みました。
こうして長期にわたる摩耗戦が続き満身創痍だったものの、海戦史上かつてない勝利を治め、アメリカの仲介のもとで講和条約を結ぶ運びになりました。
しかしながら、日本政府が日露戦争に費やした経費は15億2,000万円。これは当時の国家予算5年分にあたる金額。日露戦争の出征者は130万人。10年前の戦争は13万人だったので、その数の多さが分かります。さらに9万人(陸軍兵士の戦没率は8.7%)が死亡し、44万人が負傷。日本の目的はロシアの南下を防ぐことにありました。ロシアも日本に戦争の持続力がないことを知りながら戦略的撤退を行いました。ところがマスコミの誇大報道により国民は日本の大勝だと信じました。
この時期は、国民の識字率の上昇に加え、新聞は各紙とも急激に部数を伸ばしており、大きな影響力を持つようになっていました。
しかも戦勝の誇大ニュースを乗せると部数が増えるので、毎回ロシア軍に大勝しているように書き立てられていたのです。
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『ワルツ』 終局特異点 A.D.2007
※本稿は虚構《フィクション》であり、実在する人物・団体とは一切関係ありません。
――2007年10月17日。今日はケミカルシューズ関連業の面接日。
これまで18歳から2年間ほど務めた印刷製本の仕事を、会社側の事情で唐突に解雇され、転職を余儀なくされたのだった。
そうこうして、会社2階の事務室に入室した。事務室の扉をノックし、「失礼します」と幾分か緊張しつつも開いた。
狭い事務室には、茶髪の長い髪をアップに結んだ女性が着席しており、ずいぶんと驚いた様子でこちらを凝視していた。
席を外すように促され、女性は事務室から退室し、すぐに僕の面接が始まった。
そうして数日後、採用の連絡があった。
どうやら茶髪の女性は事務員として入社し、僕は作業員として同期入社する運びになったようだ。
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2007年10月19日。小雨の降る緊張の初出勤の日。
延々と続く変わり映えのしない道を猪突猛進に歩き続け、勢いあまって会社の目前を通り過ぎ、咄嗟に踵を返したところ、今度は足を滑らせて転倒しかけてしまった。
この先、無事にやって行けるのか不安になりながら気を取り直して社内に入ったが、まだ誰も来ていないようだった。
不意に後ろから声を掛けられたので振り向くと、一人の女性が立っていた。
軽く挨拶と自己紹介を終えると、いきなり好きな音楽は何かと訊ねられた。
どうやら彼女が好む音楽はThee Michelle Gun Elephant、Number Girl、Syrup16g、Bump Of Chicken等の下北系のロックバンドらしくすぐに意気投合した。
そうして同じ持ち場の彼女から直々に仕事を教わることになった。
ちなみに会社の前で足を滑らせた情けない後ろ姿はしっかりと見られていたらしい。
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翌日、彼女に何かお勧めのCDを持って来るように頼まれたので、彼女の気に入りそうなCDを何枚か持ち出して聴かせたところ、フジファブリックの『茜色の夕日』を甚く気に入ったようで何度も繰り返し聴いていた。
後日そのCDは彼女に渡すことになった。
それから彼女に手取り足取り作業を教わる日々が続き、「繊細そうな手」「東京の人みたいで面白い」と辛辣なことを言われて困惑した。
さらには「彼女はいるの?」「どうして彼女を作らないの?」「女の子が嫌いなの?」と受け答えに困る冷酷な質問をされ、「音楽に専念したいから」と意味不明な言い訳をしてしまった。
同時に「貯金が貯まったら宅録環境を整えて曲を収録したい」と密かな夢まで語ってしまった。
まるで馬鹿みたいだ。
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──ある日の昼休みのこと。東京に引越して結婚すと彼女に告げられた。
要約すると、月末に寿退社する彼女と入れ替わりに、僕は補填として会社に採用されたのだった。
その後は、なぜか人生相談に乗ることになったが、どこか上の空で曖昧な答えしか返せなかった。
相談は人間関係や子供時分の思い出話にまで及んだ。
どうやら彼女は長い間、自分は変人なのだと思い込んでいたが、最近になって普通なのだと潔く覚ったらしい。
東京では友人を作った方がいいのか聞かれたが、「子供ができたらママ友ができる」とは流石にその時は言えなかった。
「どんな人が来るのかと思ってたけど、いい子でよかった」
なんだか褒めるにしても頼りないことを言われながら、意外と子供の頃の共通点が多くて驚いたが、横から割って入ってきた事務員に「結婚は結局のところお金」と断言されてしまった。
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翌週に執り行われた「歓迎会兼送別会」と銘打たれて催された飲み会は、僕にとって歓迎会だったが、彼女にとっては送別会だった。
僕は地元の神戸で働き、彼女は東京に行き嫁ぐ道を選んだ。
彼女は結婚を修行のようなものだと思って頑張ると言ったが、僕にとっては就職して働くことが修行のようなものだった。
「もし私が三ヶ月後に離婚して神戸に帰って来たら、また一緒に働こうね」と冗談を言ってくれたが、たとえお互い違う道を歩んでも彼女が元気に過ごして居てくれたらそれだけで僕は一向に構わない。
「定年退職まで頑張ってね」
そんな約束を彼女と交わしたのだった。
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「この飲み屋にいる中で誰が一番好みや?」
ふいに上司から不躾な質問をされたので、真剣に周囲を見渡しながら悩んだ。
「このお姉さんが眩し過ぎて他の人は見えないよね?」
お座敷で僕と向かい合わせに座っていた彼女が、隣に座る"ふくよかなおばちゃん"を指さしながらとその場を上手く誤魔化してくれたのだった。
「お前は返事が遅いから指示を理解したのか分からへんのや」
「適当に『はい、はい』と答えてればいいと思う」
上司の小言に対して、彼女が貴重な助言をくれた。
話の流れで上司には11歳年下の妻が居ると発覚して、社員一同に「犯罪や!」と褒め称えらていた。
また、その上司の息子は毎週ポケモンを観ているらしく、その場でポッチャマの絵を描き上げたが、年甲斐もなく中々上手だったので少々驚いた次第だ。
当時はまだ飲酒をしたことがなかったので飲みやすい酒は何かと彼女に聞いたら「カクテルは飲みやすい」と薦められたので、とりあえず"カシスオレンジ"を注文することにした。
カクテルを持ってきた店員に戸惑いながら年齢確認された後、初めて飲んだカクテルの味はジュースと大差ないとしか言えなかった。
「私も飲んでいい?」
物思いに耽っている内に飲みかけのカシスオレンジは彼女に横取りされてしまった。
ブルーベリーソースの添えられたサイコロ状のチーズを黙々と食べる僕の様子を、彼女は母のごとく微笑ましそうに見つめていたが、事務員が執拗に乾杯を要求してくるので仕方なく注文した生ビールで乾杯に応じた。
「へえ、乾杯するんだ?」
彼女に軽蔑の目で一瞥されたが、めげずにビールを口に含んだ。
そうして思わず渋い顔をしてしまった。
「ビールは舌で転がすもんやなくて、のどごしを堪能するもんや!」
「彼はソムリエですから」
上司の助言に、すかさず彼女が合いの手を入れてくれたのだった。
それから酔いが回り、事務員と横になって休んでいたら、いきなり足裏マッサージで彼女に叩き起こされた。
「痛い?」
そう言いながら、彼女は少しご立腹の様子だった。
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事務員がお座敷に連れて来た二人の子供を見て、彼女は「かわいい!」と率直に嬉しそうな反応を示していた。
たぶん彼女の幸せは温かな家庭の中にあるのだとその時に直感した。
円満な家庭を築いたら、彼女はきっと幸せになれるだろう。
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「俺は外国人には優しいからな」
唐突に上司が語り始めた。
「俺は在日韓国人やけど見た目は日本人やから、韓国で韓国語を話すと周囲とびっくりされるんや!」
そんなどうでもいい話を語り出し、ついにはパキスタン人も雇ったことがあるという話題まで飛び出したので、なんだか己の所在地が判らなくなりながら話に聞き入っていたら、突然その上司に胸を揉みしだかれて身じろぎをした。
「嫌がってる……」
目前の彼女はぽつりとと呟き、微笑ましそうにそのあるまじき光景を観察していた。
「なんでうちの会社の女はみんな胸がないんやろうか?」
それに乗じて無駄口の多い初老の同僚が本心からの愚痴をこぼし、女性達から顰蹙《ひんしゅく》を買っていたのだった。
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上司の武勇伝が続くお座敷のテーブルの下で、彼女に無理やり靴下を脱がされたかと思うと、今度は僕の太ももの上に足を乗せてきた。
たぶん黒いストッキングを脱がしてほしいという意思表示だったのだろうけど、流石にそんな勇気は当時の僕にはなかった。
案の定アルコールを摂取し過ぎてトイレで盛大に吐いてしまった直後、彼女が扉を開けて入って来た。
「大丈夫?」
心配そうに声を掛けてくれたが、もし僕が用を足していたら大変な事態になっていたような気がしないでもない。
とにかく、自分は夢でも見ているのではないのだろうかと思うほど幸せなひと時だった。
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帰り道、彼女の方から手を繋いできた。
「今日は手が冷たいね。手が冷たい人は心が温かい」
恋人繋ぎのまま手を引っ張られたので腕が少し痛んだが、彼女の左腕にあるリストカットの痕を思うとたいした痛みじゃなかった。
しばらく歩いているとタクシーの前で別れ際に抱擁する〝中年の男女〟が居て、それを真似るような形で彼女に抱きつかれた。
「私の部屋に来ますか?」
そう聞かれたので躊躇わずに一度だけ頷くと、彼女は満面の笑みを浮かべた。
生まれて初めて自分という忌み嫌われた存在のすべてを胸に抱きとめられて全肯定されたような心持ちになった。
どこか諦めて迷いながら選んだ道だったが、彼女と出逢ったことにより、死なずに生きる道を選んだことが間違いではなかったと素直に思えたし、生きる価値や意味を見出すことが出来た。
少なくとも僕にも人を愛する権利と心が僅かでもあることを知れたのだった。
そうして、これまでに起きたすべての出来事は彼女と出逢い、意思疎通し、そこから人生の意義を学ぶためにあったのだと覚り、果てには自分はこの日のために生まれたのだと直感した。
同時に人と心を深く通わせるのはこれが最初で最後になるのだろうと予感した。
だから僕にとって彼女は最初で最後の最愛の人になるだろう。
喩え世界中に忌み嫌われ、その存在を無視して否定されようとも、彼女が僕という存在を抱きしめて全肯定してくれた出来事は、僕の人生において最も大切な記憶に他ならない。
この先どんな困難が待ち受けていようと、僕の記憶には彼女と過ごした僅かで確かな日々が今も息吹いている。
それが一過性に過ぎない勘違いだろうが何だろうが、もう二度と困難を前に絶対屈しないと心の底から誓う次第だ。
繋いだ手はいつか必ず放さなければならない。
それでも彼女と伴に同じ道を歩いた記憶と温もりは決して失われはしない。
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当時製作に携わった商品は神戸ハーバーランド「モザイク」の婦人靴屋にて販売されました。
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▼Pokémon Special MV「GOTCHA!」
ポケモン & BUMP OF CHICKEN
公式スペシャルMV「GOTCHA!」〈2020年〉
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音楽:BUMP OF CHICKEN「アカシア」(TOY’S FACTORY)
監督:松本理恵 キャラクターデザイン:林祐己
アニメーション制作:株式会社ボンズ
企画・プロデュース:川村元気、畑中雅美
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<前篇|中篇:新古生代/新中生代|後篇>
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https://web.archive.org/web/19991114092118/http://www.zdnet.co.jp/pcweek/inks/940708/940708p1001.html
TrueTypeのリーディングカンパニー,リコーの次なる戦略
94.07.08--
TrueTypeフォントの普及に力を入れているリコー。同社が販売しているHGシリーズはこの6月で36書体となった。デザインや出版の業界ではType1がまだ強いが,ネットワークコンピューティングという視点から見れば,TrueTypeフォントには大きな可能性が秘められているという。同社フォント開発センター課長代理の松田道夫氏に話を聞いた
PC WEEK リコーは,TureTypeフォントに対してかなり活発に製品を投入してますね。プリンタにしてもTureTypeだったらリコーが一番速いという評判です。Windowsに搭載されているマイクロソフトのMS明朝とMSゴシックの字母は,リコーが開発したものだと聞いてますが。
松田 はい。われわれが開発したものです。当社の昼間健治副社長が,マイクロソフトのビル・ゲイツ会長と20年近い親交がありまして,「何かいっしょにビジネスをやろう」ということから始まったプロジェクトです。当社が単独で発売するフォントには必ずHGという表記があります。これは対外的にはハイグレードの略ということになっておりますが,実は昼間のHとゲイツ氏のGというイニシャルから付けたものなのです。
PC WEEK 現在,何種類のフォントを出しているのですか。
松田 36書体になりました。
PC WEEK すごい数ですね。どこまで増やしていくつもりですか。
松田 そうですね。日本の印刷業界の業務をカバーすることを考えると,100書体を超えると考えています。
PC WEEK つまり,リコーはTrueTypeで,印刷業界もターゲットにしていると考えていいのでしょうか。
松田 はい。Type 1フォントのように完全にハイレゾリューションとOAの世界を分けるといったことは考えておりません。当社のTureTypeには解像度制限というものがありません。また,年内にMac版のTureTypeフォントを発売する予定です。そうなれば,Mac環境での高密度の出力にも対応できます。
安価な供給ができるTrueType
PC WEEK あえて聞きますが,実際フォントというものは売れているのでしょうか。
松田 それも見方によると思います。ある人々は売れているといいますが,私どもは,必ずしも順��ではないと考えます。去年の11月1 日にTrueTypeWorldを発売して以来,WIFEが急激に落ちてTrueTypeが伸びているといえますが,その上昇カーブは必ずしも当初の期待通りのペースとはいえません。さらに,もっと上昇スピードを加速させなければならないと思います。
PC WEEK メーカーとしてどのような活動を行えば加速が付くと思いますか。
松田 1つの商品分野の市場が定着するには,1社だけの力では無理です。そこで当社では,いろいろなメーカーがTrueTypeフォントを作れるような環境作りに協力していきたいと考えています。1つの例がTrueType協議会です。TrueType協議会は今年の1月30日に発足したのですが,現在54社が加盟しています。フォントの国内の団体としては,最大の規模です。リコーは協議会の事務局として,少しでもお役に立ちたいと考えていますが,これもフォント市場を拡大させるための活動です。
PC WEEK 今現在,TrueTypeの場合,解像度の点で応用範囲が限られています。一般ユーザーは,どうしてもプロユースがいいという目で見ると思います。いくらTrueTypeフォントがきれいだといってもデザイナーはType1を使う。そこで,TrueTypeが優れている点を読者にアピールしていただきたいのですが。
松田 まず第1点目ですが,TrueTypeはMacintoshとWindowsの共通仕様であるということです。従来アウトラインフォントは,それぞれのフォントメーカーが別々のフォーマットをもとに作ってきました。これではコストがかかる。必然的に販売価格も高くなってしまい,特殊な世界になってしまう。TrueTypeのように規格がオープン化し,共通化されていることで,1つのフォントを開発すればMacでもWindowsでも使え,売れるわけです。例えばフォントを作るときは必ずエディタが必要ですが,TrueTypeでは各社のコンパイラやツールが共通に使えます。製作コストが安ければ,販売価格も安くできます。TrueTypeは,経済的メリットが大きいのです。
第2点ですが,アウトラインフォントのデータ形式を共通化することで,文書交換も容易にできるというメリットがあります。特にこれからのマルチメディア環境下では,データの交換が重要になってくるはずです。マルチメディアでは画像情報,文字情報とか複数のデータが混在します。混在したときに,共通のデータ形式でなければ,とんでもない混乱が起こるはずです。ネットワークサーバでフォントを豊富に持っていて,MacからもWindowsからも容易に使うことができるのはTrueTypeしかありません。Type1などではこれが難しい。アドビシステムズさんのAcrobatなどもありますが。
PC WEEK 文書変換についてお聞きします。例えば,Windows用PageMakerでMSゴシックあるいはMS明朝を選ぶと,Mac上でもTrueTypeフォントになるのですか。
松田 残念ながら今はできません。しかしこの秋に当社からMac版のHG明朝とHGゴシックが発売されますので,これで対応できるようになります。
3点目のメリットという意味では,これは具体的で細かい話になるんですが,フォントではヒンティングという作業を行います。文字が小さくなったときや大きくなったときに誤差が生じますが,それを自動的に補正する機能です。通常アウトラインフォントは,例えば「青年」の「青」という字の上の2本の線は同じ太さであるという情報が,パラメーターとして埋め込まれています。
ところがTrueTypeはサブルーチンとして,これらの情報が組み込まれています。この結果ローカルヒントがやりやすくなりました。単純にいえば,アウトラインフォントを大きくも小さくもできるのですが,ある一定のサイズの間だけしかヒントが機能しません。ところが,ローカルヒントというのはサイズ当たり,文字種当たり,グループごと,極端な例では一文字ごとに特定の字のあり方を表現できるのです。従来のアウトラインフォントでも一部できるものがありますが,やり切れません。TrueTypeで初めて可能になった機能です。
また,TrueTypeは決して完成されたものでもなく,まだまだ発展しているのです。TrueType 2.0(Windows用)という名称になるでしょうし,TrueType GX(Macintosh用)という名称でどんどん発展,拡張しております。デジタルによる文字表現の可能性が大きく開かれています。これが発展すると,フォント側でワープロの機能が持てるようにもなるかと思います。
PC WEEK フォント側でワープロの機能を持つといいますと?
松田 例えば,行ぞろえ,字詰めというようなことがワープロの設定ではなくフォント側でできるようになるでしょう。1行何文字といった書式設定がワープロ側でなくフォント側でできるようになるでしょう。そうなると,ワープロのプログラム開発がもっと単純なものになっていき,極めてインテリジェントなフォントができてくることになるでしょう。まだまだこういった開発は始まったばかりです。でも,そんなに年数を待たなくても実現できるとおもいます。
社内報に江戸文字を使うユーザー
PC WEEK 異なる書体をどう使い分けるか,といった啓蒙活動についてはどうでしょうか。
松田 TrueType協議会のマーケティング委員会でエンドユーザー向けセミナーなどを企画したりしていますが,リコー単独でやっていることといいますと,アプリケーションベンダーと一緒になったキャンペーンを実施しています。今年2月から始めました「クリエイティブパートナープログラム」です。アプリベンダーの販売するソフトのパッケージに2000円 引きのフォント購入チケットを付けてもらうわけです。アプリケーションとフォントの安定した組み合わせをユーザーにお知らせするわけです。
例を挙げれば,WordPerfect,PageMakerといったソフトにクーポンが付いています。ドロー系ではCorelDRAW!などがあります。
基本的に私どもはエンドユーザーを啓蒙しよう,などとは考えておりません。むしろ,ユーザーに学ぶケースのほうが多いと考えています。表示,印刷スピードを速くすること,コンパクトなデータサイズ,アプリなどとのマッチングの良さなどが,私どもがユーザーから学んで,TrueTypeWorldに反映させた点です。
登録ハガキなどを見ると,どんなソフトでどんなフォントが使われているかというのが分かります。今は江戸文字が人気です。こういった文字を社内報で使うといったことは,プロの人は考えないでしょう。変わったもの,珍しいものを求めるという流れがあと2,3年続くかと思ってます。しかし,4,5年後,再びゴシックや明朝といった基本に戻るかと思います。そのときは良いフォント,悪いフォントに淘汰されていくことになるでしょう。
[聞き手:磯貝一,PC WEEK/JAPAN]
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ノリアキの描いてきた等身大のリアル
"いつかくるさ
誰もが
仮面をとる朝が
また どこへでも行ける
君の本当のキーでさ"
『know real key/ノリアキ』
▽
インターネット老人会という割にたかだか10年そこそこ前の
2chやvipやflashといったサブカル大喜利のようなイキったタグがたまに
twitterでバズるたびに、1990年代にパソコン通信やワープロに
電話回線を繋げてnetscapeで中途半端に表示される16色のエロ画像に
一喜一憂していた本物世代の気持ちを鑑みてはドゥシュピィン…と背筋がうすら寒くなる今日この頃であるが、
クリスマスイブの日に突如として始まった
ノリアキの
11年ぶりの一夜限りの復活ライブ
には、
にわか老人として久々に魂が心から震わされた。
というか、心が震えすぎて
人生初スパチャをしてしまった。
なので、今日は一インターネットウォッチャーとして、
ノリアキ現象とは何だったのか、という部分と、先日のライブについて振り返ってみたいと思う。
▽
皆さんはノリアキについてご存知だろうか。
ノリアキは、元々は「夢をかなえるゾウ」の著者(当時はまだ作家本業になる前)
である水野敬也が、
ストリートパフォーマンスの延長で始めたネタブログ「ウケる日記」内の
「後輩オーディション」を通過した筑波大生”高橋典彬”の見た目が味わい深い、
という一点突破のみで
こいつをミュージシャンにしてみよう
という悪ノリから2005年に始まった一企画ネタであった。しかし、
引きこもりミュージシャンという特異な肩書
その衝撃的なルックス
すべてネタに振り切っているかと思いきや中毒性・深みのある歌詞、音楽性
などから
徐々にネタの範疇を超えて人気に火がついていき、00年代半ばから後半にかけて、インターネットの極北で密かにムーヴメントを起こしていった。
ノリアキの歌詞で際立って有名なものは、『UNSTOPPABLE』
における「エミネム、zeebraも全部フェイク」というリリックであろう。
(これに対してzeebraは2016年に「彼にとってのリアルとは違うって事と理解してます。寧ろエミネムと並べてくれて感謝です(笑)」といったアンサーを返している)
ノリアキはそのヒョ��ヒョロガリガリ色白の身体で
hiphopに興じるmvを演じることによって、
本当にリアルな自分、等身大の自分を伝えているのか?と
格好から入りがちな日本のhiphop・音楽シーンを風刺し、
『unstoppable』や『きみはポイズン』では
fakeが跋扈する世の中に対して挑戦的なメッセージを投げかけていた。
こうした態度から
”hiphop界のレジェンド”
"日本音楽界のサーベルタイガー"
”ノリアキだけが「real」それ以外は「fake」”
などと半ばミーム化した存在としてhiphopの文脈で語られることが多かったノリアキであったが、彼の真価、もといネタではなく純粋に聴いて心を打つ曲は、むしろhiphopではなく、ポップスにあった。
なかでも個人的に好きな曲は
『だれかおれをすきになれ』。
ノリアキ作曲の哀メロと素朴で優しい歌声、ストレートで直情的な歌詞は
普遍的であり、誰にとっても刺さるはずである。
興味がある方はぜひ聴いてもらいたい。
というわけで、一躍インターネットの大海原でスターとなった
ノリアキであったが、アルバムをリリース後活動は縮小気味になり
2009年に突如引退を宣言。
その後10年余り、表舞台には一切登場せず、
各界からノリアキを求める声こそ高まれども、
そのキレイすぎる幕引きと、一枚のアルバムで十分やりきった感もあり、
名実ともに伝説の存在となった。
ノリアキは例えるなら00年台のヨモギダ少年愚連隊、
あるいはポケットビスケッツともいけるかもしれない。
それだけ、企画と音楽が突出していた。
もうネットには戻ってこないと思っていた。
残念だけど、まぁ得てしてこういう企画モノは
そういうもんだよな、とも納得していた。
そんな2日前、
記事を漁ってると、不意に目についた
!!!!!!!!?????????
ノリアキがコロナと戦うために帰ってくる!!????
はああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!??????????????(大歓喜嬉ション失禁号泣全裸土下座)
というわけで、大麻やらで長らく活動中止だったアーティストが復活する日のファンの気持ちを初めて理解した。(ノリアキは別に不祥事起こしてないけど)
▽
というわけで待ちに待った配信当日、
画面越しではあるが、
実際に見る生ライブは高揚が抑えきれなかった。
久々に表舞台にたったノリアキは全く変わっていなかった。
いろはすを握りつぶしてしまうほどの怒りで
コロナと戦うため全人類のために歌う、と宣言し
一夜限りの復活を果たしたノリアキは
歌も相変わらずで
ここに至るまでを知らない視聴者が同接につられて興味本位で見たら、
奇行種のオッサンがカラオケをしているようにしか見えないレベルで
見るに堪えなかっただろう。
しかし序盤こそボロボロだったが、10年のブランクをものともせず
すべてを曝け出しやりきる姿勢は、紛れもなくあの頃realな表現を伝えてくれた
等身大のエンターテイナー・ノリアキだった。
皆がノリアキに涙していた。
俺は涙は全く流れてこなかったが、心はまっ白に感動していた。
▽
先程、ノリアキは10年ほど表舞台に登場せず、と書いたが、
ひとつだけ嘘をついた。
ノリアキ、もとい高橋典彬は、人工知能の研究者として山形で
コンピュータ将棋について講義をしている動画が2018年に確認されている。
今では、全く別の畑で活動しているかつての演者が、
当時と同じ熱量を期待する観客の前で表現する
緊張は、如何ほどのものだろうか。
4曲前後のセトリが終わり、
アンコールで
だれかおれをすきになれと名曲が続き
声の調子も整いはじめヒートアップしていくと、
remix版unstoppableで会場のボルテージは最高潮に達した。
そして、アンコール終了後、
そこにもうあの頃のノリアキはおらず、
サングラスとバンダナという仮面を脱ぎ捨てた一技術者である、
高橋典彬だけが、たたずんでいた。
観客に向けてコロナに対し健闘している医療関係者へのエールと予防対策を言葉少なに語り会場を後にした11年ぶりのノリアキの一夜限りの登場は、
プロジェクト・ノリアキの終止符と共に、
あっという間に、
1時間足らずで去っていた。
その代わり、11年後の区切りは、11年ぶりの新曲を新たに携えてやってきた。
彼の決意と、決して表情には現れない熱い想いは、
医療従事者に届いただろうか?
去年の今頃のように、再び仮面がとれる時を信じて。
ライブ本当に良かったです。
ありがとう、ノリアキ。
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