#ワークインプログレス
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ずいぶん前、国語の授業で書いた何かの感想文で、多くのひとが若い頃に必ずといっていいほどこだわってしまうことについて、それは「いくつかの制限から解放されたときに錯覚する一時的な経験だ」というようなことを書いて、先生とケンカになりました。今思えば、恥ずかしいのひと言に尽きますし、それはケンカというような立派なものではなく、青臭い私を淡々と諭そうとした先生に納得がいかない私の単なる口答えに過ぎなかったように思います。それから20年近くが経ち、思いがけずまた同じことについて考えました。今度はチェーホフとともに。
さまざまな思考を磨き、大勢の血を流し、多くの涙が流れ、そして乾いていく中で、かつての私たちがそれを手に入れたということは、よく知られています。しかし、その上に立つ私たちは、はたしてかつての私たちが描いたような姿をしているのでしょうか。
20年という歳月で私に何か変化があったのか、2年または100年という歳月で私たちにどんな変化があったのか。
かつての私は差異を手に入れることによって自由という錯覚を経験すると書きました。しかし今、どうやら同じようには考えることができなくなっています。自由そのものが差異を生み出し、すでに私たちは自由から疎外されているように実感しています。
日本と韓国や中国で使われている言葉が異なるのと同じくらい、アジアとヨーロッパの自由をめぐる言葉も異なるように感じます。自由だけではありません。愛情についても、知性についても、労働についても、そして現在や未来や過去についても。いえ、もっと正確にいえば言葉そのものの人生における機能も異なる点が多いとも感じます。
私たちは言葉を使い、何かについて、何かをめぐって思いを伝え合います。そして私たちに許された自由の範囲内で、ひどくたくさんある選択肢の中からひとつを選びながら、自分自身を、または私たち自身をより良く描けるように期待します。
100年後の私たちが、今の私たちを描くとき、どのような姿をしているのでしょうか。
(第七劇場��三人姉妹」初演時のプログラムより・2013)
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3月にあった、名古屋芸術大学での、音楽と影絵のコラボ公演「ブレーメンの音楽隊」と、「赤ずきん」ツアーから、 4月にタスマニアのカンパニーとの共同制作のワークインプログレス、 5月にBelleville Camp23と、若手劇作家シリーズ#2 石見真希「ベビーカー小町」の公演、 6月にピアソラのオペラ「ブエノスアイレスのマリア」、 7月に名古屋芸術大学・舞台芸術領域2年生発表公演「白雪姫」、 8月に津市久居アルスプラザでの子どもミュージカル「オズの魔法使い」と、名古屋芸術大学・舞台芸術領域3年生発表公演「ピノキオ」 9月に津市久居の市民劇「母と会う夏」 と、ゆっくり何かを書く時間も心向きも持てないまま、気づけばもう今年も10月になろうとしています。
そして、来月は第七劇場「三人姉妹」のツアーです。
10月7・8日に三重県文化会館 10月22日にパティオ池鯉鮒(バリアフリー公演)
三重公演は昼の回の残席が少なくなってきているようです。
第七劇場では10年ぶりの「三人姉妹」。 リクリエイション版での上演ですが、これでチェーホフの4つの大きな戯曲(「かもめ」「ワーニャ伯父さん」「三人姉妹」「桜の園」)の作品化にひと区切りです。
みなさまのご来場を心からお待ちしております。
「三人姉妹」ツアー2023 特設サイト https://dainana-trois.tumblr.com/
初演時(2013)の作品情報 https://dainanagekijo.tumblr.com/post/174176399108/threesisters
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しらふの地先へ

ヌトミック × 2.5 architects 野外劇&地先踏査ドライブツアー 2024年3月1日(金)〜10日(日)/7ステージ(野外劇) 会場:海の森水上競技場 付近(東京都)
公演情報
ワークインプログレス公演 会場:さいたま市民会館いわつき
青海三丁目地先 リサーチクラブ #1〜#4(トークイベント) 会場:みんなのひろば
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ー ハラサオリ P wave 2024.5.10 fri. -12 sun. ゲーテ・インスティトゥート東京 ホール デザインをバックグラウンドとして、洗練された構成演出とコンセプトベースの創作手法で注目を集めるダンスアーティスト・ハラサオリが、約10年のベルリン滞在を終え、帰国後初となる長編公演を行う。これまで身体をメディアに知覚の世界を探求してきたハラは、本作では幼少期から日本で地震のリスクと共に生活してきた「振動と受容」の身体記憶から着想を得て振付に取り組む。タイトル『P wave』は、Primary Wave=初期微動より。2021年同題にてワークインプログレスが上演され、以来2年半のリ��ーチ期間を経ての本公演となる。感覚器官を刺激する鋭利で空闊な運動現象のコラージュは、ダンスのみならず、アート、音楽、デザインのファンも必見。 https://www.instagram.com/p/C5kanOcJVEZ/?img_index=1
/ role: motion design
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部屋と演劇 対談② 宮崎玲奈×中村大地
部屋と演劇の中村、野村、福井が話したい同世���かつなんとなく距離の近そうな作り手三人にお声がけをして実現した対談企画です。当初は六人全員でワッと実施する予定でしたが、スケジュール的に無理があったため一対一に分けて実施しました。8月にSTスポットでおこなった『部屋と演劇』vol.1を見ていただき、後日オンライン上で話したものを書き起こして編集しています。今回は宮崎玲奈さんと中村が話しました。
中村 今回なんですが、『部屋と演劇』vol.1もそうですし、個人的には円盤に乗る場の活動もそうですが、ただ劇場で公演する以外のことも含め、“作品の手前”みたいなことを共有したいという欲望を持つ作り手が増えているのかなということが個人的にはあって、宮崎さんも「発酵シアター」をやられてますし、そういう話をしたいなという経緯で対談するかたちになりました。
宮崎 途中発表みたいなことでいうと、わたしはワークインプログレスという発表形態が好きじゃないなと思ってて、でも中村さんは「テーブルマナー(仮)の初稿を読む会」みたいなこともしていて、そのあたりの話ができたらいいのかなって思ってたんですけど、なんで積極的にやろうと思えてるんですか?
中村 根本のモチベーションとしては、円盤に乗る場の活動報告会で書きかけの小説を発表してみたり、戯曲を書いてみたりした経験があって、小さな規模でも外に発表することで、サボらずに書くことができるっていうのが大きいかな。それを自劇団でやってみようというのが「戯曲を読む会」。でも、そこに観客がどう参加するかみたいなことは正直まだあんまり考えられてないところはある。『部屋と���劇』Vol.1もそうだったけど。
宮崎 これが誰のために行われているのか?というのが私の引っかかるポイントで、作家ないしカンパニーや作品のためでしかないのだとしたら、観客が必要なのか?それとも見てくれる友達とかを呼べばそれが叶ってしまうのか、そのあたりが気になっているところです。
中村 そこにいる観客のことについてうまく言語化はできていないんだけど……でも、演劇の上演以外のプロセスに面白いことはたくさん起きていて、そのことを上手にシェアする方法はあるんじゃないかとは思っていて、シェアしたいとも思う。でもその形態としてワークインプログレスが最適解なのかは正直わからない。あるいは作品って消費者として“観る”みたいな態度をとる以外にいろんな触れ方があるんじゃないかなみたいな感覚もあるかな。それとただ戯曲を読むということはマッチしてるのかも、と。
宮崎 作る側として消費されたくないというのもありますよね。
中村 東京はやっぱり圧倒的にコンテンツの数が多いから。仙台にいたときとだ��ぶ感覚が違うんだよね……。でももしかしたらそれは仙台で想定していた観客の知り合い度がかなり高いということだけかもしれないけど。東京では、自分が観る側にいてもだけど、コンテンツを消費する見方をしてるなとは感じている。
宮崎 演劇の暗黙のお約束とかあるじゃないですか、映画館でもそうだけど、最低限邪魔にならない感じで見るみたいなことをどんどん共有することが難しくなってるのかなっていうことを、感じていて。その暗黙の約束を共有するにはどうすればいいんだみたいなことを、最近考えたりしてますね。
中村 難しくなってるっていうのはどういうこと?
宮崎 観劇の最中に自分が何かをすることが、劇に作用したりとか、他の観客に作用したりみたいなことが、これまでは小劇場で集まって、ギュッと作品を見るというなかで暗黙のルールになっていたけれど、そのルールみたいなものがどんどんカスタマー優先みたいになりつつあるのかなって。小劇場はそんな時代にどのくらい会社的・企業的に振る舞うべきなのかとか。でも、そもそも周縁化されたカルチャーだったはずだったな、とか。
中村 自分の現場で、そこまでカスタマー優先みたいな場面を僕は感じたことがないけど……。「お客様は神様です」的なことだよね?
宮崎 そうそう、
中村 テレビ見てるみたいな感じで、
宮崎 これくらいの金額払ってるんだしって。大きい声で怒鳴って良いのかって、
中村 客席から?
宮崎 受付のちょっとしたミスとかに大きい声で言ったり、
中村 えっ、そんなことあるの?
宮崎 わたしは結構去年色々あったから、
中村 そうなんだ、
宮崎 そういうルールをいちいち観劇のときに言うと、「してください」がいっぱい、みたいになってしまうけど、戯曲を読む会にしろなんにしろ、何かの集まりで観方をひらいていくというか。ルールがあるんだよという形で対応することはできるなと思っていて、そういう意味で作品を上演するというかたちじゃない可能性を探りたいという気持ちは結構高まっているかもしれない。
中村 あの、見れてないけど野外でやったやつもそうですか?
宮崎 あ、野外のやつは、演劇しんどすぎて結構セルフケア的にやりました。
中村 へえー。どういうあれなんですか?
宮崎 去年の11月の上演で色々ヘイト的なものが起こって、言い返したくても言い返せないみたいな、こっちは言われるだけなのかっていうもやもやがあったときに、それを発散する方法が欲しい、このままじゃなんか来年後編なんかできない!みたいになっちゃって。そのときに友達と「なんかこういうことがあってさあ」って自分自身のことをちょっと演劇にしてみようかという流れでやりました。すごく鬱々とした話だったから、実際に野外でやって、後ろの川でサップボードしてるみたいな風景が広がっていたのが良かったかな。自分たちとお客さん以外はすごい穏やかな景色が広がってる中でやるというのが。
中村 やっぱそれには発表するっていうチャンネルが必要だったってこと?
宮崎 うん。
中村 それで言��と思い出したのは、2020年度に「再建設ツアー」やって、その後『パラダイス』やって、コロナ真っ盛りのタイミングで両方ともお客さんが来ようもないみたいな状況だったから、なんかやってる意味あんのかみたいな気持ちのなか躁状態みたいな感じで駆け抜けて、そのあとかなり落ちて。だから2021年度は全然公演やらなかった。
宮崎 え、それでも逆に休めて健康でしたか?
中村 あ、ちょうどでも乗る場がはじまって、劇団員が目的なく稽古場に集まるみたいなことが起こりだして、そこでテアトロコントに呼ばれて。お金になるわけじゃないんだけど、でも、週1,2回の稽古をやりながら、つくるってそもそも楽しかったよな、がっちり上演っていうサイズで綿密に色々たててつくるのはもちろんやりたいのはあるけれど、短いけどこれおもろいよね、みたいなことで自分たちをケアした感がすごいあった。
宮崎 それすごい大事だなと思ってて。11月にやったら絶対疲れることはわかってるから、12月のクリスマスにみんなで楽しいだけの公演しようって言ってて、ほんとうにその週1,2とかで集まって、ぱっと作る、みたいなことで。それないと結構忘れるものが多いなって思った。
中村 めっちゃそうね。
宮崎 それめっちゃhonninman救世主じゃないですか。
中村 そう、honninman、ていうかテアトロコントの小西さんが救世主かもだけど。

『ムニのクリスマスホリデー!』(2023) 撮影:黒澤多生
宮崎 最近稽古のやり方を変えて。タスクが多すぎしんどいって感じもあって。普通の稽古ってしんどくないですか? 中村 えーとね、あんまりしんどくないかなあ。 宮崎 うおぁ。 中村 うーん、俺稽古結構好きだからなあ。昔に比べると、自分たちの理���の稽古時間とか定まってきたのもあって、苦しい時はもちろんあるけど、あまりしんどくはない���どうしんどいんですか? 宮崎 事前にその日にやると決めたシーンやタスクはその日に全部決めたいんですよね。今、シーンの一回目触るみたいな稽古段階で、稽古スケジュールを組んで、その日までに覚えて、プラン立ててきてくださいねって俳優さんとやってみるみたいな感じでやってて。でもなんだろう、稽古場に行けばすごく楽しいんだけど、宿題がすごい多いなっていうのが今、しんどいのかも。 中村 それはわかるかも。でもそれが仕事だしなみたいな……僕はいつも稽古に向けて準備していったことが、「よしやってみましょう」ってやると、全部なぎ倒されていく感じ。でも準備していった方がいいなっていう。なぎ倒されるために準備していくっていう感じはある。 宮崎 なんかもっと昔は身軽に稽古場に行けてた気がするんですよね。だんだんこうしたいああしたいが増えていくことにより、行けば楽しいが、行くまで色々考えちゃうみたいな。 中村 ほんとそれ知りたいんだよね、演出の仕事どういうのしてんのっていうか、 宮崎 え、中村さんどんな準備してるんですか? 中村 とりあえず、とにかく戯曲を読みこんでいく。『父の死と夜ノ森』のときは一回全部役者の配置を決めたりはしてた。 宮崎 やっぱ、配置は決めていきますよね。 中村 あ、でも俺はじめてやった。 宮崎 あ、そうなんだ。 中村 あんまり場面が変わることがなかったからさ、屋根裏ハイツって。最初の形だけ決まればあとはナリで動いていくというか、 宮崎 え、じゃあ読むって何? 中村 本当に単純にテキストを読んで理解する……、自分の書いた台本でも、書いてるときはわかってても、あらためて現場で俳優の声で聞くと意味が通ってなかったり、わかんないところがあったりするから、英語の構文分析みたいにここをカッコにくくって、この形容詞が名詞にかかってまして、とかを書き込んでいく。まあなんとなく、多少の動きも想像していくかもしれないけれど。 でも宮崎さんの戯曲は配置を決めてかないとどうしようもないよね、同時多発のやつとかは特に。 宮崎 最初に舞台を、縦に2本線引いて、横に2本線引いて、9個のマスをつくって、マスの中で、囲碁みたいにつくってく。だからいっぱい囲碁の紙みたいのをつくって、それを稽古場で試すってやるかな。でも同時に動くやつとかはみんなで考えることが多かった。自分のタスクだけではなくて、他の人の動きを全部把握しとかなきゃいけなかったので、みんなで一緒につくる感が結構あって。それが前は稽古場楽しいなっていうマインドを担保してたのかもって思う。今は物語のほうが強くなってて、同時多発のときとは同じつくり方にはならないから、 中村 自分が1回ゼロイチを持ち込まないと始まらないというかんじ? 宮崎 そう。ただ、わたしはプラン決めてくるんだけど、それ��けだと面白くないから、今回は俳優さんにも同じタスクを頼んでいて。「全体じゃなくていいから、自分の役の整理をつけて、このシーンがこういうふうに見えると良い、このシーンはどういうシーンだ」というのを、準備してき���もらうようにしている。 中村 あ、それ良さそう。ムニって出演者多いじゃん、それも稽古が大変な要素なんじゃね?って個人的には思う。演出が準備をめちゃくちゃしないと稽古場がなりたたない規模感ってあるなって。「父の死」の7人でも思ったくらいだから、人数多いともっとなるんだろうなって。 宮崎 準備って言っても、俳優11人いたらみんな違うから、たとえばこの人は辻褄合わせるとわりとその次に行きやすい人、この人は結構喋るの好きだけど、わたしとしてはもっと立ち稽古したいな、とか。え、めっちゃパターンあるじゃん!って。 中村 そうね、俳優ごとにどう話すかは変わるよね。 宮崎 それも相まって、「え、めっちゃタスク多くない?」って。 中村 たしかに、どういう稽古場をつくるかっていうのがまず一番しんどいもんね、このメンツとどうやっていくか、それがいい感じに乗るまでが一番しんどい。ちなみに僕は、本当は稽古からの帰り道がひとりでいたい(笑) 宮崎 え、ひとりで帰らないんですか? 中村 電車の方向が結果かぶるみたいなときに、繋がなきゃいけない言葉、みたいなのが一番しんどい。みんなでいる間は大丈夫なんだけど、ひとりでいさせてくださいみたいな気持ちに。 宮崎 わたし、トイレとか行って次に乗っちゃう。 中村 ああ、もはや!そうしようかな、俺も。 宮崎 あれすごい大変すよね。 中村 あれめっちゃつらいんだよな。 宮崎 普通にもう稽古のこと話したくないし、みたいな、 中村 そうそうそう!もうこれ以上うまく言えることはないみたいな状態になって……(笑)

青年団若手自主企画vol.81 宮﨑企画『つかの間の道』(2020) 撮影:伊藤香奈
宮崎 今の稽古場は1回目のシーンが決まれば、2回目はそんなに大変じゃないのかなって気はしてます。 中村 最初が決まるまでは。そもそも前編とまったく同じメンツでしょ? 宮崎 そう。だからこの間面白かったのが、9月3日くらいに完本してはじめて読み合わせしたんですけど、キャラクターがもう出来てる!って思って。 中村 ああ、それ面白いね。 宮崎 だから、去年よりはもう土台がある状態でやっていく感じになってます。今回の発表スタイルの稽古はいいなと思ってる。 中村 発表スタイルって、みんなが各々自分のプランを考えて、 ドンでぶつけるってこと? 宮崎 それがいいなと思ってやり始めたんですよね。だったら同じだけ私も考えるし、俳優も考えるしで平等やなって。本の読み方は練習してるから、その読み方の上で決まったシーンを立ってやりましょうって、発表する。 中村 俳優同士は事前に相談するの?それともぶっつけ? 宮崎 あ、2人のシーンとかは事前に相談したりするけど、だいたいぶっつけ。ただ、台詞にニュアンスをいれないから、どっちかが自分の持ってきたプランを先行するみたいなことにはならなくて。役としてこう見えたらいい、ということだけクリアすればいいから、まだこの時こう動かなきゃいけないというのがあんまり入ってない感じ。 中村 確かに。それが一番良さそうね。演出家がウンウン唸ってる時間って無駄だからな…… 宮崎 でもだから、なんかむずいっすよね、質問されないはされないで大丈夫かなって思ったりもするんだけど、でも質問できたほうがいいとかそういうわけでもないから、質問なくてもその発表でうまくいってればそれでいいかな、みたいな。 中村 人によるよね、掘って整合性を取ったほうがいい人とかもいると思うけど。僕好きな話があって、瀧腰さんがはじめてでてくれた時に、稽古の中で「言ってることはよくわかりました、けど今はできません。そのうちできるようになります」って言って。それめちゃいいなって思ったの。その言い方が「がんばってできるようになります」って感じでもなくて、こっちがああ、じゃあ任せますって、言える感じで。なんかそういうのって言ってくれればすごい楽っていうか。だから俳優側が好きなこと言える状況はでかいなって思う。常連がいるとかね。でも今回はみんな持ち上がりだから余計強そうだね。 宮崎 そうすね。ゼロからじゃないのは大きいかもしれない。 中村 再演の集まり方なのに新作つくるっていうのがなかなかないよね。俳優同士も相談しやすそうだなって。再演ってすごく俳優との関係がフェアでいいなって思う。 宮崎 え、わたしは再演嫌なんですけど(笑)。 中村 あ、そうなんだ! 宮崎 今、『ことばにない』終わったら再演できない作品つくりたいと思ってるくらい。 中村 再演できないってことはどういうこと? 宮崎 今つくりたいのが、5年くらいかけてつくるやつで、俳優もキャラクターも5歳歳をとるっていう、それで毎年公演するやつをやりたい、 中村 『6歳のボクが、大人になるまで。』的な? 宮崎 ああ、でもそんな感じかも。でも記録されないから一回しかできないっていう。 中村 それは同じ登場人物なんだ? 宮崎 お休みとかもあるんじゃないですか? 中村 この人今年いないんだみたいな、 宮崎 そうそう。 中村 『ことばにない』もそうだけど、そういう長いレンジで書きたいってなったのはなんでなんですか? 宮崎 え、でももはや90分とか無理かもしれない。逆に。 中村 えー、すごっ、 宮崎 一回全部書ききったろう、みたいな気持ちで『ことばにない』をはじめたけど、それをしたことで何を短縮したら良いのかがあんまり。もちろん8時間でも短縮してるものはあるから、そこから探ればいいんだろうけど、まだそこまで圧縮することにあんまり興味が持ててない。 中村 だって、その結果5年になるわけでしょ? 宮崎 うん。 中村 それはきっかけがあったの?それとも結果的に長くないとできないものができたって感じ? 宮崎 『ことばにない』はそんな感じ。書きながら90分ではないなこれって。で、5年に関しては、もうちょっとライフワークみたいなやつをやりたいかもって思って、別に小さい規模でもいいから5年間やるみたいな。そのクリスマスのときにやる、楽しい時にやるみたいなのがあってもいいのかもって。

ムニ 『ことばにない』後編(2023) 撮影:黑田菜月
中村 発酵シアターは、どういう経緯で始まってるんですか? 宮崎 元々は今年「ことばにない」は後編���け上演やるから、前編の上映会をしようってなっていて。でも前編やったあとに、ムニこれまで作品いろいろやってきたけど、「ことばにない」から知ってくれた人もいたから、他のも一緒に見れるイベントにしようっていうのが企画の最初だったかもしんないすね。 中村 そこにいろんなひとの発表が挟まるみたいになったのは、どういう感覚なんですか? 宮崎 なんだろう、でもそれも、身軽に発表できるといいよねって思って。3月に山縣太一さんのワークショップ受けた時に発表楽しい!ってなって。テクニックや形式的なことを教えてもらいつつ、それぞれ自分の発表をつくる的なことをやって。もっと発表を身軽にできる場があってもいいよなって。ちゃんと公演にすると、場所とかお金とか色々要素があるけど、もっとイベント的に発表ってやれていいんじゃないか、自分自身がそういう場を求めていたというのもあって、つくりました。 中村 発表する人は公募? 宮崎 何人かこっちから声かけた人もいるけど、基本は募集して。 中村 どうでした?それは。 宮崎 え、めっちゃ良かったっす(笑) 中村 それは、試演会的なニュアンスとはちょっと違うんだ。 宮崎 うーん、発表会。完全に完成してなくてももちろんよくて。発表ということのハードルを下げたいとはずっと思ってて、誰でも発表していいというか。でも自分が発表するってなるとちょっと違って来ると思います。中間発表といいつつ、ちゃんと発表ってことにムニのこともなってたと思うから、企画と自分のことは別に考えているかも。 中村 そこにいる観客はどう捉えるの?そのイベントを楽しみに来た人って感じ? 宮崎 色んな人が参加してたのもあって、発酵シアター期間のなかでイベントが一番人数パンパンになって。で、イベントとセットで「ことばにない」4時間みて帰るみたいなことがあって、これをセットでやるのが結構いいのかもって思った。寄席みたいな感じかもしれない。 中村 それは確かに、乗る場のNEO表現まつりもすごいそんな感じしたな。 宮崎 それに、福岡のカンパニーのマルレーベルの加茂くんが参加してくれて。今度STで公演するんだけど、その宣伝も兼ねて東京でひとりでムニの発酵シアターをつかってくれたりとか。乗る場もいいけど、参加する人が固まらないのが良かったなって。 中村 うんうん、公募することの良さが。 宮崎 そうですね。最低限選んでもいるんですけど、結構バラエティがあったのがよかった。リハーサルもやるから、「ここ、こう見えました」的な相互批評的な感じにもなって、その過程があったのも良かったなって。 中村 公募の条件はどんな感じなんですか? 宮崎 お金はムニから払えないけど、カンパを募るのはありで、場所を貸しますって感じです。それも、もしムニからお金払ってお願いするってなると、またちょっと空気が変わってきたのかもって思うかな、 中村 たしかに、今聞いたやつのほうが健全にやれる気がした。部屋と演劇でも、そもそも多少お金くらい払ったって作品つくってたよねっていうのがあんまりネガティブな意味じゃなくある。ギャラなんかなくたって楽しんでやってた部分もあるじゃないのよっていう。それから部屋と演劇がああいう形になったのは「上演」までいかないと試せないことがたくさんあるっていうのが共通の認識としてあって。一日しか稽古してないけど、発表するっていう気合が一つモチベーションになってるなと思う。

『ムニの発酵シアター』内「発酵イベント」(2023)
中村 ちなみに、今回のイベント、観客の体験として「パッワッサッ」感はありましたか?
宮崎 あー、でもまず環境としては、あの、平台の上に座る感覚とか久々で良かった(笑)
中村 (笑)
宮崎 ああ、これ、「パッワッサッ」だわ~って。
中村 あんまり設えられてない。
宮崎 入ってるチラシもめちゃ薄くて、これくらい作る側も身軽でいいよなって思った。椅子をいっぱいならべるわけでもなく。
作品でいうと、一番作品してるって思ったのは福井さんかなあ。ただ、普段してることとも関わって来る気がするから、普段から形式がある人のほうが「パッワッサッ」しやすいのかなって気がした。
中村 福井くんは今回ある意味、すっごい準備してた気もするかも?
宮崎 えっ、じゃあ演出家の準備はパッワッサッじゃないんですね。
中村 どうだろ?どんくらい演出家の準備がパッワッサッなのかは、わからない。
宮崎 それ気になりました、俳優どれくらいパッワッサッなのか、とか。
中村 たしかに、みんなそれぞれどんくらいパッワッサッ感があったのか……
宮崎 でも“集まり”の話でいくと、わたしは集まりのなかで戯曲を読めば上演になりうる、っていう思想だから、��れは結構パッワッサッ的なことなのかもしれない。
中村 え?
宮崎 なんで上演するのかがずっとわかんない、5人くらい集まって戯曲読む集まりがあればそれで上演されたことになんないのかって結構思ってて。わざわざ上演する意味ってどういうこと?って考えてる。
中村 積極的な読書会とかって、演劇の稽古にかなり近いし、観客(参加者)がある種安全にテキストとの距離を取れたりとかもするよなとは思う。まあ上演でしか得られない満足感っていうものは観る側にはあるとは思うけど、なんかいいもん見たなみたいな……でも、そうやって上演を見に来るときの「消費する」的な感覚を変えるのは上演レベルでは不可能というか、そのモチベーションを劇場に金払って見に行くという身体でそうじゃないものを強く求めるのはこちらが設えを変えないと無理だなって最近思ったな。テアトロコントで笑いに来てる人に対してその条件を変えることにはあんまり意味がないっていうか。そこを疑うなら上演じゃないアイディアを作る必要があるんだろうなって思った。ほんとに戯曲を読むだけなら、みんなで読んだりしたらいいのかもね、
宮崎 でもそれわたしなら上演ですって言っちゃいそう。これは上演ですって。10人くらいあつまって上演しましょうって。
中村 それって、参加しない枠もある?
宮崎 あ、いないで考えてました。
中村 その場合、上演とはってなりそう、
宮崎 なんか、わたし瀧腰さんとかと3年位「ゴドーを待ちながら」を野外で読み続けるっていうのやってて、それもあって読めば上演になるんじゃないかって、しかもそれが集まりのなかでなされるってことを上演の定義にしてたんですけど、
中村 でそれは、お客さんはいないんだ?
宮崎 街の人がいますよ。
中村 あ、路上パフォーマンスみたいになるってこと。
宮崎 そう、上野のパンダ橋とかでやってました。3,4時間かかるんですけど。
中村 え、ハード。動きとかなく、読むだけ?
宮崎 読むだけ、しかも誰がどの役をやるとかも決めずに読む。しかもト書きも全部読む。みたいな感じでやってました。
中村 へー、
宮崎 最後の方は写経してました。
中村 ゴドーを?
宮崎 写経も集まりの上で全員が同じ時間に共有された行為をしているので、それは上演になるのかみたいな、ことを試してた。

部屋と演劇Vol.1 中村大地『複声にうつしてみる』リハーサル風景
中村 野村くんに聞いたんだけど、ドイツの公共劇場の稽古スケジュールって、最初に3時間やって、休憩3時間やって、後3時間やるっていうスケジュールなんだって。それ面白いなって思って。お昼休みって1時間じゃ、1時間半でもあんまり休めた気しないけど、3時間もあればもはや合間に他の打ち合わせとかいれられて。だから今度城崎でやろうと思ってる。
宮崎 え、ご飯食べて温泉入ってまでできますね。
中村 そうそうそう。もちろん東京じゃ出来ないけど、それくらい一回シャットダウン挟むのやってみよっかなって。「パッワッサッ」とは違う話だけど。 今回試しに8月に戯曲を読むだけのことを4日間やって、城崎まで、1ヶ月半くらい空くんだけどその間稽古はなくて。クリエーションの中でわざとそういう空白つくることで、さっきの「ことばにない」の前編をやって今年後編やる、みたいなときのスタートダッシュの切り方と同じような効果が生まれないかな、セルフ再演みたいなことになんないかなって思ってる。
宮崎 えじゃあ、8月やって、再演が10月があって、12月が再再演みたいな?
中村 そうそう、だから10月18日に発表があって、次12月のために集まるのが11月の半ばでって。
宮崎 逆に俳優は大変ですね。
中村 どうなんだろう、どっちが大変なんだろうね。短くワッて作れちゃうならそれはそれでいいけど。でも、今回公募で募集した時には、こんだけ時間かけてつくってみたい、っていう応募理由も結構あったな。クリエーション期間の中でいっぺん仕事に戻れたりしたほうが経済的には楽なのかなって思ったり。
宮崎 なんかでも、4ヶ月毎週発表をやり続けるとかしんどくないすか?
中村 人に見せるってことを?
宮崎 そうそう、
中村 あーでも、ダラダラ4ヶ月やるわけじゃないから。1回1回区切れがあれば、そこに向かって頑張ろうみたいな。まあ、やってないからわかんない。これですごいしんどかったらどうしよう(笑)
宮崎 そのスタイルやってみたいなと思ってる、4ヶ月毎週発表、解散!みたいなの、
中村 それは一般に見せるの?
宮崎 見せる、そのシーンを。
中村 連ドラみたいなことになんのかな
宮崎 そうそう、えーでも、再演システム……。
中村 とにかく上演を細かく挟んでいく、それはでも稽古場を公開しますよりはちょっと気合を入れつつ、でもラフな設えでやれたらなって。

屋根裏ハイツ『すみつくす』2023年 撮影:本藤太郎
宮崎 なんか『父の死と夜ノ森』でいうと、あれは死の一回性、死が生と同居しうることを前提にして書かれてると思うんだけど、それを(屋根裏では)演技もだし、舞台上にモノが存在している重さで持って繰り返すっていうのが気になってて、
中村 あれをマレビトで見た時に、あの作品だけ一回きりじゃなくていいんじゃないかなって思ったんだよね。スケッチじゃなくて、戯曲として取り扱っていいものでは?って思ったんだよな。繰り返しに耐えうるというか。
宮崎 舞台上でも死が再演できないとするなら、あれは再演できないのでは?と思ったんですよね、松田さんは死を上演の際に「軽さ」を重要にして再現可能とするんだろうけど、上演が一回しかないということが、想定外の働きをしてしまったのではないかと。
中村 うーん、でも嘘だからなあ、死んでないし、
宮崎 でも、一回しかやらないってなるとそれを一回性の死として扱えるかなって、
中村 なるほどね、
宮崎 5回この死が繰り返されるっていう意味が繰り返すならば出来てくる、
中村 それでも別に、どうなんだろう、松田さんの戯曲よく人死ぬしな……それがどういう意図をもって描かれていたかはわからないけど、僕も舞台上で死を書いたことはないけど……
宮崎 死が見えない状態で舞台上にあることって結構あると思うんですけど、舞台上で死そのものが描かれることってあんまりないかなって。
中村 そうか…?まああれはああやって軽々しく死んでいくことが結構大事なのかなって思っていたけど、その一回性を大事とは思ってなかったかも。まあ俳優が、瀧腰さんはハードっていうか、いっぱい人殺すのはハードだったと思うけど。稽古場でもそういう話はでたかもね、本当に本気で色々乗っけてやるのは食らうから、ライトにやったほうが良いみたいなことは話としてでてた。それはもちろんニヒルな意味ではなくて、そのほうが現実感もあるかなとか。
中村 結局死そのものを舞台上で起こしたいとは、自分で書く分には思わないけど、
宮崎 でも他のレベル高すぎて、わたしには一生の問いみたいな感じがあるかも。
中村 出来事として死を描けるかってこと?
宮崎 そうそう、
中村 それはどういう感じなんですか?
宮崎 再現できないものをどう舞台上で起こすかみたいなこともそうだし、死が見えないってすごく普通のことだから、死を見せない、間接的に描くってのは形式に落ち着いていると思っちゃう。わたしたちは生きてていろんな場面で死が見えることを経験してるけど、なのに舞台上では死が見えないってどういうことだろう?とか思ったり。
中村 死んでないから死が描けないんですかね、
宮崎 ファンタジーとしての死ではなくて、もうちょっと想像の余白が残された出来事としての死ってなんかあるんじゃないかなって思ってるんです、
中村 それは死の気配が横たわってるとかではなく、
宮崎 じゃなく、
中村 なんか、上演の一回性に対する感覚が僕は結構もう薄れてるのかも、
宮崎 ええ?(驚)
中村 どうせもう絶対に一回性だから、みたいな感覚。
宮崎 屋根裏の稽古は再現性高める系ですか?
中村 再現性高くないと思うけど、「ここでこうしてください」という細かい振り付けはしないというか、なんか道路があって、そこにポイントはあって、そこは通過しなきゃいけないけどその通過の仕方は問わないという風にできたらいいなとは思ってる。でもわりに細かいとは俳優から言われるかな。
宮崎 それはポイントの数が多いみたいなこと?
中村 うーん、どうなんだろう。なんかサッカーみたいな、作戦はいっぱい練るけど結果はボールの動き方でかわるよねって思ってつくってる。
宮崎 ずっとそのやり方ですか?早く言ってとか言わずに、
中村 うん、2017年くらいからかな。「とおくはちかい」から。その頃からこちらが細かく操作するよりも、俳優が自分で立ち上げる方がいい結果になることが多いなと思うようになって。てか、演出が言ってくれたことを俳優がやってくれるのって気持ち悪くないすか?
宮崎 なんかわたしそれ、やられることが嫌なんじゃなくて、待たれることが嫌なのかもしれない。振り付けでもなんでもいいんですけど、言う事を待たれるのが。言うことが百になるのが嫌というか、
中村 うん。だから、言う事を待たれる感じにしないための空気づくりを頑張るのかもしれない。そうすると、俳優が「あなた(演出)���気づいてないかもしれないけどこうしてみましたけど」みたいなことが起きやすくなるなって。
宮崎 そう、稽古場をお客様いらっしゃいみたいなかんじにしないほうがいいと思ったりもします。ファシリテーターみたいにならないっていうか。稽古場自体にはよっしゃ行こうってしないと今行けないけど、稽古場でウェルカム~みたいな感じじゃなく、気を使いすぎないでいれてれば結構うまく行きやすいのかもなって思ったりする。
中村 ウェルカムにしたほうが俳優が観客みたいに待っちゃう気がするね、なんかサービスしてくれるんですか?みたいな状態になっちゃうというか。
宮崎 そうそう。
2023年9月中旬 ZOOMにて
プロフィール 宮崎玲奈(みやざき・れな) ムニ主宰・劇作家・演出家。1996年高知県生まれ。明治大学在学中に演劇学校無隣館に通い、2017年ムニを旗揚げ。青年団演出部に所属した。第11回せんがわ劇場演劇コンクールにて『真昼森を抜ける』で演出家賞。大学卒業制作の『須磨浦旅行譚』が令和元年度北海道戯曲賞最終候補。その他の作品に『ことばにない』など。
〈次回公演〉 ムニ『つかの間の道』『赤と黄色の夢』二本立て公演 2024年3月9日(土)-17日(日) 会場:アトリエ春風舎 作・演出:宮崎玲奈(『つかの間の道』) https://muniinum.com/2024/01/25/tukanomaakakiyume/
【演出】 那須塩原市ART369プロジェクト実行委員会 劇「わたしのまち」 2024年6月7日(金)-9日(日) 会場:那須塩原市図書館みるる ホール
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Syn:身体感覚の新たな地平 ROOM3 by Rhizomatiks x ELEVENPLAY
通路を抜けると、プールとピアノのある部屋に出る。座席があってその前に、モーションキャプチャーで使うようなアンテナのついたディスプレイを持つ。天井には赤外線?ライトとカメラがアレイ状に設置されていてゲストのディスプレイの位置と角度を検出しているようだ。
そしてこのプールの上にはテクスチャーを貼ったアバターが水上でダンスを行なっている。最初の部屋にも出てきたが、英語のさまざまな単語が現れて空間に漂う。(このへんもダムタイプに似ている)
アバターがブロックの形状が立方体と球と三角錐に分離したり、手元から線状に放射される光を操ったりして消えると、今度は女性ダンサーの実体に近いアバターが現れて、ダンスを行う。
少しジャンプするようなアクションもあり、この時に(実際にはその前からそうなのだが)足の着地するあたりに波紋と水音が聞こえる。アバターのピアノの演奏とあいまって、リリカルな演出でパフォーマンスは終わる。
全体のボリュームとテクノロジーと人間の体のシンクロ具合を見てもさまざまなアイデアを実現するすさまじいクリエイティブの結集とそれを支えるパフォーマーとスタッフの努力、もっと言えば「みんなで面白がってるけど、出来上がりは全力」というプロ意識に感服した。
観客が舞台の中に入っていくために「アングルの規制と見え方のバリエーション」であったり恐らくワークインプログレスでもあろうから何度も体感してみたくなる稀有なパフォーマンスであったかなと思った。
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BAZAR BAZAR
ダンスサーカスBAZAR 『BAZAR BAZAR』 SHOWCASE & MARKET
2023年9月3日(日) 11:00~16:00 in ココラボラトリー
https://bazarcirque.tumblr.com/
____________________
●●●関連企画●●●
ダンスサーカスBAZAR「新作のためのワークインプログレス」
2023年9月7日(木) 19:00-19:30 in 秋田市文化創造館
https://akitacc.jp/event-project/20230907/
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【次回公演】関連企画 盛岡ワークインプログレス公演
劇団無国籍×三角フラスコ合同公演『ほの暗いお仕事』『暗がりにほうる』 盛岡ワークインプログレス公演
創作過程をお披露目する、リーディング公演を行います。
■日時 2023年11月4日(土)14:00~ ※開場は開演の30分前
■会場 いわてアートサポートセンター風のスタジオ 風のアトリエ (岩手県盛岡市肴町4-20 永卯ビル3階)
■料金 500円
■ご予約 シバイエンジン https://shibai-engine.net/prism/webform.php?d=op927z3w
■協力:工藤雅弘

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【日記】
しがない日々より。
(写真1)この季節、日常の買い物(自転車)に、麦わら帽子が欠かせない。中国製のお安い折りたたみ帽だけど、もう10年以上か、意外と長持ちしている。当初ついていた幅広の黒いグログランリボンは暑苦しいので取り外し、近年は好きなリボンやひもなどつけて(もしくは何もつけずに)楽しんでいる。今年は思い立って、古いコサージュをつけてみた。これは"私"が小学校入学式の時につけたもので、もう40年近く前のものにな��。よく持っていたもんだ。花なんて、いつもと雰囲気が違ってちぐはぐな気もするけど、今年はこれで楽しんでみよう。
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(写真2〜5)茄子と胡瓜が美味しい季節。おなじみのキューカンバーサンドは、塩とバターのみが正統派らしいけど、私はいまだマヨネーズだ。そして、食パン6枚切り一枚じゃ、やっぱり足りない。。 茄子と胡瓜をみじん切りにして、おろし生姜と共に、だしつゆで漬け込んだ、即席の「だし」は、いまや毎夏の定番常備菜だ。冷奴にかけたり、納豆に混ぜたり。胡麻や七味や大葉、オクラなど加えても美味い。冷たい焼酎の水割りなんかにも合う。
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(写真6)先日に続いて、これら新しい版画も額装してみようと思う。こっちは厚めの版画用紙なのでさほど苦もなく行きそうだ。ハナのワークインプログレスに追いつかれないうちに。 今朝は少し光が変わった。夏の明るさだ。そして日中の暑さときたら。。梅雨明けも近いのかな。
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CouCouトライアルVol.5 ワークインプログレス公演『Tick Tack』トレイラー
https://twitter.com/jugglerSHOGUN/status/1650112903687831553
ディレクター、撮影、編集、制作
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【レビュー】起源から見出されるオリジナル 落 雅季子

撮影:菅原康太
無題のワークインプログレスを経て、本作品は『フロム高円寺、愛知、ブラジル』とタイトルが付き、y/nの新たなレパートリーとして生まれ変わった。会場は東京芸術劇場のアトリエイースト。客席から見て上手に置かれたホワイトボードには “Where are you from?” というフレーズが書かれている。下手にも同じくホワイトボード、こちらには “De onde você é?” と書かれていて、その場では確信が持てなかったが、おそらくポルトガル語で同じ意味をあらわす文章なのだと思われた。
ほどなくして登場した橋本清は、会場にいる観客たちに“Where are you from?” つまり「どこから来ましたか?」と日本語で尋ねはじめた。自宅の自治体を答える者もいれば、出身地を答える者もいて、橋本はそれらの回答に「僕はブラジルから来ました」「愛知から来ました」「(東京の地名である)高円寺から来ました」と三種類の回答をする。続く序盤のシーンで橋本はこう言った。
僕たちy/nは別に、これまで多文化共生に関する作品をつくってきたわけではなくてですね、(中略)だから、どうしてy/nが今回このパフォーマンスを依頼されて僕が今ここにいるのかというと、「多文化共生の専門家だから」というわけではなくて、基本的には「僕がブラジル国籍だから」、ということになると思��ます。
本作は東京芸術劇場の「多文化共生とアートに関するリサーチ(クリエイション)」という企画の一環で制作されたものである。つい肩に力の入りがちなテーマ設定にやんわり釘を刺してからパフォーマンスを始めるのも、y/nらしい手つきである。いわゆる日本社会での「マイノリティ」がこうした表舞台……という名の矢面に立たされたとき、どのように声を挙げるべきか? またその声を聞く側はどのように受け止めれば良いだろうか? こんにち、種々のバイアスがそこかしこに、悪意としても善意としても張り巡らされており、レクチャーとその読み解きにはますます慎重さが要請される事態になっている。
▼「ルーツ」に囚われすぎないために
芸術劇場からの紹介文(https://www.geigeki.jp/performance/event305/)には明確に「海外ルーツを持つアーティスト」という言葉があり、橋本清によるパンフレットの挨拶文にも「自分のルーツ」という言葉が登場していた。選ばれた「ルーツ」という言葉の無邪気さはもしかして、作り手であるy/nに一番繊細にダメージを与えてしまったのかもしれず、それゆえパフォーマー、観客ともにホスピタリティを与え合いながら新しく世界を知るためのレクチャーパフォーマンスをつくるのは今回は少し難しかったのかもしれない。
順を追って読み解く。
ホワイトボードに書かれた “Where are you from?” というフレーズは確かに複数の解釈が可能で、劇中ではそのことが巧妙に使われていたが、もし英語で、素直に生まれのルーツを聞きたいのであれば “Where are you originally from?” と尋ねるのがおそらく正確だろう。そういうわけで、私はここで「ルーツ」ではなく「オリジン(起源)」という語を足がかりに本作品を考えてみたい。
or-i-gin [アクセント注意] 【原義:(太陽が)昇る,始まる(org)こと(in)→起源, 生まれ.】 -名(複~s) 1. (…の)起源 ; 由来 ; 原因[of, in] 2. (…の)生まれ, 出身, 血筋[of, in] 3. (筋肉・神経などの)起点, 起始, 起源 4. [the〜](座標の)原点
ジーニアス英和辞典第5版(大修館書店)
永住者としての日常のあれこれを話す橋本の姿は、自分の生い立ちやブラジル的な文化の紹介をシェアしてくれる、シンプルなフランクさがあった。ブラジル料理について説明されたパートでは、ひき肉の丸め揚げ(キビ)や黒豆の煮込み料理(��ェジョン)の映像からスパイスが匂い立つような気さえした。
しかし、橋本が自身のソウルフードと宣言するキビはそもそも中東起源、味が苦手だったと語るフェジョンは黒人奴隷によってブラジルに持ち込まれた食べ物であるらしく、そのうえキビもフェジョンも各家庭によるオリジナルアレンジのレシピが存在するという。
o-rig-i-nal 【[派]←origin(名)】 -形 1. (比較なし)[限定]最初の,本来の ; 始めの頃の 2. 独創的な,創意に富む(⇔unoriginal) ; 斬新な,新奇な 3. (比較なし)[通例限定]原文の,(芸術作品などがコピーではなく)オリジナルの; 元の
ジーニアス英和辞典第5版(大修館書店)
前述した台詞にあるとおり、彼らがy/nを結成し、活動を継続している動機および主たるモチーフが「血縁のルーツ」にないことは明らかだ。今回、生まれのルーツについて語るのは、「多文化共生」という旗振りのもとによる。y/nはこれまでセクシュアリティのカミングアウトにまつわる経験、アルバイト経歴、かつて所属していた部活といった自分たちのある種の「オリジン(起源)」からモチーフとなる問題意識を抽出し、独創的で創意に富む「オリジナル」な作品へ結実させている。

撮影:菅原康太
▼薄まった母(=女性)の存在
橋本が、祖父の名前をもらって名づけられていることはワークインプログレスの時点で明かされていたので、橋本が「清」役として台詞を話すことによる、演劇的仕掛けの華やかな衝撃はやや抑えて感じられた。それよりも私には、橋本の母が来日した十数分前のシーンが、今ひとたび思い起こ��れてしまった。父清の故郷とはいえ、生まれ育ったブラジルを離れて見知らぬ土地にやってきた女性の姿……1937年に18歳で海を渡った祖父清と、それから50年と少しの時を経て3歳で来日し、今私の目の前で演劇を上演している橋本清。二人をつないでいたはずの世代の橋本の母は、作品に登場したものの意図的に、あるいはやむなく、背景に溶けて見えなくなってしまった。もっとも、それが橋本にとってリアルな「母の存在感」だったのかもしれない。
1年かけてワークインプログレスから完成形へ進化した本作だが、橋本の長年のブラジルやポルトガル語とのぎこちない距離感は、簡単に埋められるものでなかっただろう。紙飛行機の日記が読まれた母の来日と、希望を胸に船旅に出た祖父の離日、そして祖父清の「あれからそっちはどうですか」という呼びかけに応えて投影された、ブラジル総領事館に向かう橋本の姿。磨りガラスの向こうに消えていってしまった橋本のラストシーンは、母、祖父のパートいずれとも適度に分離したままの質感で、ガラス板に彼の書いた空虚な人型は、在留カードの写真をかたどっているようでもあり、1年の創作を経ても未だつかみきれない自己や家族の輪郭だったように見えた。
▼y/n作品における質疑応答の意義
「ルーツ」という言葉に足を取られすぎないように、慎重に創作と言葉選びを重ねたことが、のちのQ&Aセッションからは窺い知れた。東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科特任教授楊淳婷氏から「今作品における(海外ルーツを持ってはいない)山﨑の当事者性はどのように機能したか」などの質問が出ていたが、いずれ山﨑にフォーカスの当たる作品も生まれてほしい。自らの中にある「起源」を手繰り寄せ、人生と人間性を削り出して唯一無二の「独創性」で味付けして観客に提供するまでにホスピタリティをもっとまぶすことで、ユニットとしてもっとよい「教え」を成すことができるはずなのだ。
Q&Aセッションが設けられているのは、観客も自分は無知で愚かだったからと諦めて閉ざさなくていいし、y/nも自分たちのパフォーマンスによって観客の心持ちをそのように閉ざしてしまうのは本意でないと思っている証左である。客席も、たとえ俳優が自分と異なる「オリジン」を持った人間であるからといって、ナイーブになりすぎる必要はない。互いに構えすぎず、他者を信じて、相互に開く。上演とQ&Aというy/nの基本の仕組みは、この姿勢に尽きる。
最後に、この批評文を書くに��たってoriginという言葉について調べていたときに出会った、フランス語の質問サイトのすがすがしい本質的応答を参照して終わりたい。
How do you answer a question like "what is your origin?" https://www.alloprof.qc.ca/zonedentraide/discussion/32985/question/p1
Thank you for your question! This question has multiple possible answers. You could answer with respect to your cultural origins, your ethnic origins, or where you live. In truth, the answer is context-dependent. In other words, you can choose the answer. Don't hesitate if you have other questions!
「どこの出身なの?」と聞かれたときにどんなふうに答えていいかわかりません。
質問をありがとうございます! この質問はいろんな答え方ができますよね。自分自身の生まれ育った文化的背景を答えてもいいし、民族的な起源について話してもいいし、今どこに住んでいるかについてでもいい。実際、答えは文脈に依存するものです。つまり、あなたは答え方を選ぶことができるということです。 他にもご質問があれば遠慮なくどうぞ!(筆者による訳)

撮影:菅原康太
落 雅季子 1983年東京生まれ。一橋大学法学部卒業。金融、IT、貿易業務などに携わりながら舞台芸術批評を書き、雑誌『悲劇喜劇』等に寄稿。「CoRich!舞台芸術まつり!」2014、2016審査員。18年、ルーマニア・シビウ国際演劇祭に批評家として招聘を受ける。2021年には街にまつわる演劇と音楽のライブ『しょうどしマーチ』、ショーケース『Auditorium vol.1』に作家、パフォーマーとして出演。
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「音で観るダンス 新作 ワークインプログレス公演&トーク」
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Day 7. 12月17日(土) 年の初めだけど昨年12月ジャカルタ滞在の振り返り日記 その5. いよいよワークインプログレス公演当日。 入り時間に余裕があったり、それまでの会場と違って宿泊先のゲストハウスから近かったりしたし、何より会場のロケーションがまるでリゾート地のようでとてもリラックスした一日の始まり。スタジオの使える時間が限られていたのでちょっとバタバタした局面もあったけど、限定招待のゲストを前に、今の僕たち(shelfとLTCのメンバー全員)の立っている地平を見渡せるような、小さいけれど強い作品になったのではないかと思います。 2020年の秋以来、リモートでずっと定期的にディスカッションやクリエイション(映像作品作りとかテキストワークとか)は重ねて来ていたけれど、そしてそれは確かに僕らの共有財産になっていたけど、対面で、同じ場所で一緒に過ごした7日間は格別に得難い、刺激的で、そして創発的なものでした。毎日一緒にご飯を食べて、というのも大事なんだな。同じ釜の飯を食うとはよくいったものだ、とも改めて。 先日の振り返りでも少し書いたけれど、Bambangの演出、LTCの創作のメソドロジーは、どちらかというと足し算とか掛け算に近いんだな、という印象。テーマに沿った題材をかき集めて、コラージュするような。そのときに、本当にいろいろたくさん集めて来る。もちろん、合わないと思ったらすぐにそれを捨てる。( ←これ、すごい大事な技術。)あと、足し算掛け算といったけど、テーマがガツンと先にあって、そこからこう、うにょうにょと、派生的に、自ら育つように作品が作られていく。最初にコンセプトを提示するのはBambangなんだけど、そこから俳優やスタッフが創作を行うことで、微妙に(絶妙に)フィードバックがかかって、コンセプトがより強固なモノとなっていく。 対して矢野の演出は、とにかく基本的にテキストベース。Bambangにもずいぶん昔に喝破されていたけど、どんな短いテキストでもいい、詩でも小説でも、つまり戯曲じゃなくても構わない。ただそこにテキストがあって、そのテキストを俳優が(人が)言葉にする、声にする必然を辿っていく。そしてそこに、発語者と他者とのあいだのコミュニケーションやディスコミュニケーションを介在させて、空間を構築していく。 発語ベースとはいえ、たぶん若いときにパントマイムを学んでいた経験からか、そもそも初めは俳優をやっていたからか、非言語のコミュニケーションを僕は、非常に繊細に、丁寧に扱う。視線、重心。意識の向いているフォーカス、身体の傾き、等々。 俳優の(人の)身体を徹底的に観察して、そこから緻密に、空間と時間を構成する材料として使っていく。 そして足し算というより引き算。舞台上にある要素を徹底的に削ぎ落して、余白を作る。余白を作って、そこに観客の想像力が喚起される仕掛けを作る。仕掛けの材料は、小道具だったり音響や��明だったりもするけれど、基本的には先に述べた俳優の身体。視線や、延ばした指先や、すれ違ったときの呼吸や空気の襞の振動など。 だから矢野の演出は、テキストがはまるとすごく活きる。対してBambangの演出は、大雑把といっていいくらいガシガシと外からイメージやテキストを足していく。その時にまた、政治的文脈や批評的な視座を持った要素をガツンとぶつけてくるから、矢野としてはちょっとドキッとするときもある。けど、その選択のセンスは抜群にいい。ぶっちゃけ、今回の共同制作で矢野がBambangから盗みたいところはこの辺りにあったりする。 もちろん、自分の方法を他者との協働で、長く文脈を共有していない相手に対しても通用するよう磨き上げ、鍛え上げていく必要もあるのだけど、もっとドラスティックに自分の方法を、良い意味で“分かりやすく”強いものにしたいと思っている。 それは例えば、「今回の作品(「Rintrik」)を通じて観客に届けたかったいちばんのメッセージは?」とコンパスの記者に問われたときに、僕にはそもそも作品を通じて“観客に伝えたいメッセージ”などないのだけど、それでも、それに相応する何か強いもの、それはやはりメッセージというしかないのかも知れないけれど、そういう強い表現を舞台上で為すことが出来ていれば、それなりの応答が出来るんじゃなかろうか、ということでもあり。 そうそう。ワークインプログレス公演の日はBamBangの長女の誕生日でもありました。公演が終わってみんなでサプライズでハッピーバースデーの歌を歌って、ケーキをカットして貰ってみんなで食べて。 夜は近くのメキシコ料理屋で打ち上げ。ああ、もう既にジャカルタの日々が懐かしい。 Day 7. December 17th (Sat) It's the beginning of the new year, but a retrospective diary of my stay in Jakarta last December, Part 5. Finally, the day of the work-in-progress performance. There was plenty of time to enter the venue, the venue was close to the guesthouse where we were staying, and the location of the venue was just like a resort area, making for a very relaxing start to the day. There was a bit of a hectic time, but it turned out to be a small but strong piece, which could show a glimpse of the horizon we (shelf and LTC members) were standing on, in front of the limited number of invited guests. Since the fall of 2020, we've been discussing and creating remotely on a regular basis, and it's certainly been our shared property. But we've spent time together face-to-face in the same place these 7 days. And that seven days were exceptionally exciting and emergent. As I wrote in the previous diary, Bambang's direction and LTC's creative methodology are more like additions and multiplications. Scrape up the material according to the theme and make a collage. At that time, they really collect various materials. Of course, if Bambang doesn't like it, throw it away very soon. (← This is an especially important technique!) Also, although I mentioned addition and multiplication, there is a theme that comes first. And from there, the work is created as if it grows on its own. Bambang is the first to present the concept, but from there, the actors and staff spontaneously create, giving subtle and exquisite feedback, and the concept becomes more solid. On the other hand, Yano's production is text-based anyway. Any short text will do. It doesn't matter if it's a poem, a novel, a speech, or a play. There is a text there, and the actors (mankind) put that text into words. And chasing the inevitability of turning it into a voice. And there, communication and dis-communication between the speaker and others are interposed to construct a space. Of course, it is based on verbal communication, perhaps because I had experience learning pantomime when I was young, or maybe because I was an actor at the beginning of my theatre work, I handle non-verbal communication very delicately and carefully. Gaze, the body's centre of gravity. The focus of consciousness, the tilt of the body, etc. Thoroughly observe the actor's (human's) body and use it as a material to construct space and time from there. And subtraction rather than addition. The elements on the stage are thoroughly scraped off to create a blank space. Create a blank space and create a device that arouses the imagination of the audience. The materials for the gimmicks are props, sound, and lighting, but the bodies of the actors I mentioned earlier. The gaze, the outstretched fingertips, the breath, and the vibration of the air folds when we pass each other. That's why Yano's staging comes alive when the text fits. On the other hand, Bambang adds images and text from the outside roughly and roughly. At that time, there are times when I get surprised because he gives it the political context and elements with a critical perspective. But Bambang's sense of choice is outstanding. (To be honest, this is the part that I want to steal from Bambang in this joint production.) In collaboration with others, it is necessary to refine and refine my method so that it can be used even with people who have not shared a context for a long time. I want to make it “easy to understand” and strong. For example, when I was asked by KOMPAS journalist that "What is the most important message you wanted to convey to the audience through this work ("Rintrik")? I, to be honest, don't have a "message I want to convey to the audience'' through my work. However, if I can make such a strong expression on stage, I wonder if I can respond in a certain way. Yes. The day of the work-in-progress performance was also BamBang's daughter's birthday. After the performance, we all sang a happy birthday song as a surprise, cut the cake, and ate it together. In the evening, we launched at a nearby Mexican restaurant. Ah, I miss my days in Jakarta already!
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中島敦『名人伝』ワークインプログレスした。
原作:中島敦『名人伝』
構成・演出:石井幸一
出演:鈴木正孝、爲近敦夫、櫻内華恵、シケタタケシ
撮影:伊藤全記(7度)







鎌ヶ谷アルトギルドのドライブインシアター第2弾として製作している中島敦の『名人伝』。コロナと共存しながらコツコツと創作を続けているのですが、ひとまず2022年7月時点で出来たところまで〜と云う感じで、ワークインプログレスをしたのでした。
『フォークロア』に続いてのドライブインシアター形式の演劇だけれど、車のフロントガラス越しというお客さんと離れた関係をどのように近づけるかが今後の課題。
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「statement:ダンサーを記録する」では、公には声を聞く機会の少ないダンサー個人の言葉や語り、それらを多視点で書き出した冊子を制作するプロジェクト。
ドラマトゥルクを演劇作家の渡辺美帆子、冊子デザインをダンサーの遠藤僚之介が行い、プロジェクトの主宰をつとめるダンサーの川瀬亜衣がプロジェクトそのもの、並びに、冊子においては編集を担当、以上3名をベースメンバーとして、本プロジェクトを企画・運営しています。 2020-2021年はプロジェクトメンバーを、自身のダンスを言葉で書き出すダンサー、ダンサーやダンスを各人各様のやり方で記録する記録者の2枠を公募。2020年10月より、たくさんの言葉を交わしながらからだも動かして、「ダンサーを記録する」ためのリサーチを重ねてきました。
2021年2月、ワークインプログレスを実施します。詳細はComming Soonです。ぜひ、ご興味ご関心を寄せていただけますと幸いです!
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ドリル05に参加します。

イベントページhttps://www.facebook.com/events/511580426263514/
ドリルは、完成した作品を見せる場ではなく、「制作」「これから制作されるもの」を提示する成長にテーマを置いた見本市のような場です。また、ドリルは3ヶ月から4ヶ月ごとに定期開催され、それぞれの成長と変化を継続的に見ることが出来る実践的なイベントです。
Drill is not an exhibition but a project to share the ideas with the persons who are interested in our creation as practice.
Through the project, we show our creations as ideas, which are hardly considered as artworks because of their imperfection.
We don't intend to overwhelm you with the chaos but to let you involved in it because the showings are opportunities for us, artists, to go a step further with the aid of you, visitors. We hold this Drill every three months as experiment, where some errors are welcome.
【ドリル05】 2019年9月29日(日) 10:00-20:00 rusu http://rusu-meguro.blogspot.com/?m=1 参加作家 カワムラ シュウイチ/齋藤はぢめ/島袋八起/ 東地雄一郎/小栢可愛/田田野/あめのいち/黒田健太・檜皮一彦/観葉植物 / ディレクション カワムラ シュウイチ 「完成した作品」を提示する場としての一般的な展覧会。それに対してドリルは、展覧会の前の段階、作品のアイデアを練る、試作するなどの「制作」「準備」に重心を置き、その「制作」「準備」の段階でお客さんとの継続的な接点の場をつくるプロジェクトです。近しいタイプのものとして、制作段階のモノを展示するワークインプログレスがありますが、ドリルでは作品としての形態をとるもっと前のアイデアのレベルからでもお客さんと接点を持てるような作りとなっています。 参加作家は、作品のアイデア、出来てしまったが自分自身でもまだわからないモノ、これまで作ってきたモノなどをお客さんに直接話して、その場で意見やアイデアをもらうことで、展示という形以外で多くの人に見せることが出来ます。なおかつ、ドリルで提出されるものは、その後修正や変更を加えることが前提となっているので「失敗」のリスクが少ないのが特徴です。アーティストが自分のキャリアを形成する中で、展覧会の失敗というのは、自分の作品の評価や価値を下げる最大のリスクです。その為、アーティストであれば可能な限り失敗を避けたいはずです。展示に出すには「失敗」のリスクがあってなかなか出せないモノでもドリルでは、「その先につながるアイデアの種」として出すことが出来ます。 お客さんには、アーティストのクリエイティビティが一番発揮されているアイデアを考えている瞬間に立ち会うことが出来、更に自分もそれに関わることが出来る場を提供します。昨今話題となっているアートを観ることでクリエイティビティを得てそれをビジネスに活用するアート思考などの考え方は、美術館で完成された物から読み解くことでクリエイティビティを活性化させる方法論です。ドリルでは、アーティストがアイデアを出す瞬間に立ち会い関わることでより直接的に刺激を受け、クリエイティビティの活性化を促すことが出来ます。また作家ですらまだ掴みきれていない荒削りで原石のようなスーパーレアな作品を見ることが出来るのもドリルの価値です。 参加作家の選定は、意図的になるべく別々のスタイル、価値基準を持った人たちが集まるように設計しており、他の作家からいつもと違うやり方を盗み、これまでと違う形で変化していくような設計にしています。今日のアート界は、志向するアートごとに細分化が進んでいます。それぞれがそれぞれの価値判断を持って開発を進めている為、同じアート界の中でも自分の志向するアート以外での��のやり方のアートが具体的などんな価値判断で、どんな物を作ろうとしているのか意外と知らないことが多いです。この細分化の現象は、アートのみならず、ファッションでも同様のことが起こっています。その打開策としてドリルでは、スタイルの違う作家を集めて技術、アイデア、価値判断が混ざり、これまでのスタイルにズレていくような設計になっています。 ドリルという場は、参加作家、お客さん、運営などが作家自身の制作に直接的に関わり、作品やプロジェクトを発展させていく「we -ness」という考え方に基づいています。わかりやすい例でいうと、ラジオ番組は、パーソナリティとリスナー(ハガキ職人)の双方のクリエイティビティを出し合い、影響しあいながら面白い番組を作り上げています。それと同じように、人の作品に自分のクリエイティビティを加えていくことで変化を与える。また逆に自分の作品に他の人のクリエイティビティが加わることで変化する。この相互作用から生まれる新しいモノ、それが生まれる環境をドリルでは、作り出し、提示していきます。 このドリルというプロジェクトもまたドリルに参加する作家同様、試行と試作、実験と実践を繰り返しながら成長しているプロジェクトです。ドリルの志向するのは、今この時代における「完成」の在り方、「作家」の在り方を問いながら新しい価値を作り上げていきます。
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