#レインボウ無い方が良かった
Explore tagged Tumblr posts
Photo
めちゃくちゃカッコ悪い!! #東京オリンピックナンバー #東京オリンピック #東京オリンピック2020 #東京パラリンピックナンバー #東京パラリンピック #東京パラリンピック2020 #メルセデスベンツ #メルセデス #ベンツ #tokyoolympic #tokyoolimpic2020 #tokyoparalympic #tokyoparalympic2020 #cls #cls63 #cls63amg #cls63amgshootingbrake #shootingbrake #しばらくおつきあいしよう #レインボウ無い方が良かった #エンブレムだけのやつに交換したい
#tokyoparalympic#ベンツ#cls#cls63#東京オリンピック2020#cls63amg#東京パラリンピックナンバー#レインボウ無い方が良かった#東京パラリンピック2020#東京オリンピック#しばらくおつきあいしよう#tokyoolimpic2020#shootingbrake#メルセデスベンツ#東京オリンピックナンバー#メルセデス#エンブレムだけのやつに交換したい#cls63amgshootingbrake#東京パラリンピック#tokyoolympic#tokyoparalympic2020
0 notes
Text
I Promise
レディオヘッドの新譜が出るときだけ、必ず連絡をしてくる知り合いがいた。名前をFと言った。
「聴いた?」 Fはそう聴くが、僕が新しいアルバムを既に聴いているかどうかは、彼にとってあまり重要ではない。 「暗い。何でこんな暗いもんが、こんなに注目されるんだろうね」と、毎回Fは言う。
Fと僕は、タワーレコードのアルバイト店員同士として知り合った。僕はそのころだらだらと無目的に大学に通っていた。Fは東京の大学を辞めて地元に戻ってきており、お金を貯めているところだった。僕とFは同い年だった。
「留学するためにお金を貯めてるんだ」
と言うFは、いつも3枚のネルシャツを着回していた。チェック、カーキ、チェック。カーキを挟むチェックの柄は、よく見ると目の大きさが微妙に違った。ボロボロの黒いコンバースのハイカットスニーカーを、足首のところまで紐を通さずに履いていた。癖っ毛なのかパーマなのか、髪の毛は跳ね回るシーズー犬のように、フロアを一歩歩くたびに毛先がふわふわと揺れていた。 「今はバイトしかしていないから、着飾る必要なんてない。こんな量販型のレコード屋の店員のファッションには、誰も注目していない」 そんなFの、大きなメガネだけは、よく見るとハイブランドのロゴが弦に印刷されていたのを、僕は知っている。
音楽が売れない、ましてCDなんて媒体が半ば時代遅れだとされ始めた時代の終末観ただようレジカウンターで、僕たちは随分話をしたものだった。
「この曲、サビの途中でチンポって言ってない?」 「ほんとに?」 店内に流れている音楽は、女性シンガーのファーストアルバムだった。どの曲でも強い四つ打ちのビートが強迫観念的に鳴っていて、それ以外の音は全部中音域でスープ状になっているエレクトロミュージックだった。大手のレコード会社から出ている、今月のヘビーローテーションと決められた曲だ。僕たち大手レコード小売店には、中古レコード屋のように好きな音楽を鳴らす権利はなかった。 「ほら」 サビの歌詞は「チンポ」以上に無意味なメッセージを歌っていた。日はまた昇り沈む。夜明けがもうそこまで来ている。どんなに長い道のりでも、必ずたどり着くことが出来る。 「聴こえなかったけど」 「集中して聴くと聴こえない。全力で力抜いて聴いていてみろ」 そう言ってFは笑った。 「ここで働き始めるまでは、もう少し音楽が人に愛されていると思ってたよ。もう少し人々の生活に根ざしてるとか、何かしらの形で誰かを元気付けてるとか。でも勘違いだったな」 僕は棚に寄りかかりながら笑った。そういう風に言うことが、何か軽薄なジョーク��してしか受け取ってもらえない時代だった。Fの方も、口の端でにやにや笑っていた。 「世も末さ。マジでこんなのが売れてるんだから」 Fは頭の上のモニタを指差した。モニタの中で、今かかっている曲を歌っているアーティストのミュージックビデオが流れていた。信じられない数の男たちが、その女性シンガーの後ろで、一糸乱れぬ動きで踊っている。(驚くべきことに)このアルバムはそこそこ売れていて、ヒットチャートにも乗っかった。ヒットチャートなんていうものは、(僕たちにとっては)何の意味もなさないものだったが、これが日本で三十万枚売れています、ということになると、(それは俄かには信じがたい現象として)レコードショップ店員の僕たちの話題に上った。 「でも何がヤバイって、おれがこの歌のメロディをほとんど歌えるってことさ。洗脳以外の何物でもないよ。最近だと家に帰っても頭の中でこれが流れてる。もうおれは手遅れだ。近いうちにこのラジオやテレビでこの曲が一斉に流れた瞬間、おれみたいにこの曲が頭に染み付いているヤツみんなが凶暴化して、周りの人間に襲いかかるわけだ。君みたいにぼけっとしているヤツの首筋に噛み付くのさ」 「なるほど」 「もしそうなったら、躊躇しないで殺してくれ」 Fはゾンビ映画みたいなことを言った。
どうしてFが東京の大学を止めて一旦地元に戻ってきたのか、よくよく思い返してみると、ちゃんとした理由を知らない。特段これという理由はないのだろう、と当時は思っていた。今もそう思う。 「授業中に居眠りしていて、目覚めたら階段教室にはもう誰もいなかったんだ。時計を見たら、四時くらいだったと思う。でも、自分が何限目の授業に出ていて、そして今が何限目の授業の時間なのかわからないわけだ。全くもってくだらなさの極北さ。これは俺の心が作り出した廃墟の幻か?やってられない。それでおれは、大学なんて辞めようと思ったんだ」とか、 「授業一コマ分まるまる、映画を見る授業があったんだ。最高じゃないか、映画を見て単位をもらえるだなんて。そう思って授業に行ったら、教授から『二時間ある映画を今週来週と二回に分けて見ます』なんて言われるわけだ。くだらなさの極北さ。教授も学生も気が狂ってる。とにかくこんなところにいたら、遅かれ早かれ心が死ぬ。それでおれは、大学なんて辞めようと思ったんだ」とか、Fはとにかく適当なことばかり言っていた。 一方で僕の方も、とにかく大学がつまらなかった。そこに通うことに何の意味も見出せなかった。 「くだらなさの極北」 と、よくFは言っていた気がする。僕たちはそれ��れの大学が「いかにくだらなさの極北」なのかを言い合った。二人とも違う大学に通っているはずなのに、何故か同じような不満ばかりが出てくるのだ。教授や大学というシステム自体に対する不満ももちろんあったが、それより���僕たちは周りの人間を敵と見做していた。あいつらが間違ってここに来ているのか、自分が間違ってここにいるのかのどちらかとしか思えなかった。
「いつもトランプでばば抜きをやってやがるんだ」と、防犯タグをCDのケースに貼りつけながら、ある日のFは吐き捨てるように言った。 「階段教室の後ろの方に集まった連中が、ミッキーマウスの描かれたトランプで遊んでいやがるんだ。毎時限毎時限、飽きもせず。一般教養の授業でも学科専門の授業でも、そいつらは必ずいやがるのさ。おれをつけ回してるんじゃないかって勘違いしそうになる。おれはそいつらの顔なんて覚えていられないから、毎回そいつらが違う人間に見える。実際のところどうなのかわからない。そいつらが同じ集団なのか、はたまた全く違う集団なのか、何人かは被っているのか。なんで大学生にもなって、どの教室に行ってもトランプでばば抜きなんてやってやがる連中が必ずいるんだって思うだろ?わけがわからないよ」 ははは、と僕は笑った。防犯タグをCDに貼り付ける作業は、慣れてくると頭を使わなくても良くなる。慣れるまでは、毎週入ってくるCDの量-----つまりタグをつけなければいけないCDの量-----に面食らっていたが、今や暇つぶしになってちょうど良かった。 この店のすべてのCDに、漏れなく防犯タグが付けられているのだ。ジョン・コルトレーンの五枚一組セットにも、嵐のDVD付きCDにも、フガジの輸入盤にも。 「それで一度、そいつらの近くに座って、やつらが授業中に居眠りしてる間に、そのトランプの束からジョーカーを抜いてやったのさ。いじわるなピートがこちらを睨んでる絵柄だった」 そういってFは、肩をすくめてみせる。 「君も暇だな」 「でも、一切何も変わらなかった。それからもずっとやつらはばば抜きを続けた。あいつら、どうやってジョーカーのないトランプでばば抜きをやっていたんだろう?」 それでおれは、大学を辞めようと思ったんだ、とFは無表情のまま言った。カウンターには、防犯タグが付いたCDが山になっていた。
レディオヘッドが、「イン・レインボウズ」というアルバムを出したのはその頃だった。 レディオヘッドというバンドが、特別に好きかと言われるとそうではない。でもアルバムは全部持っているし、来日公演に行ったこともある。何枚かのアルバムはデラックス盤だ。もっと言えば、トム・ヨークやジョニー・グリーンウッドのソロワークについてだって、今も僕の家のレコードの棚に並んでいる。人生で何度かレコードの整理をしたことがあったときも、処分せずに残されたということだ。 ザ・ベンズというアルバムを、僕は若い頃に特に何度も聴いた。初期のアルバムだ。プラネット・テレックス。ハイ・アンド・ドライ。フェイク・プラスティック・ツリー。ブラック・スター。曲が終わるたびに、次の曲の出だしの音が頭の中に先に思い浮かんだ。全体的に重苦しい雰囲気の、シンプルなアルバム。それ以降のアルバムに比べ���と、メンバーが自然な雰囲気で演奏をしているように感じる。コンセプ��ュアルになりすぎず、とにかく良い曲を、良い録音と良い演奏でまとめたという感じ。歌っている全てのことを理解することができない当時十代だった僕でも、これがとても切実なメッセージを込められたアルバムであるということは、口をぼけっと開けて聞いていてもわかった。文化圏が違う国でレコーディングされ、英語で歌われている曲であろうが、しっかりと胸に迫ってくるのだ。そうやって、意味がわからなくても胸に迫ってくるということ自体が、まだ衝撃的に感じられた頃だった。音楽というものに対して、極端にナイーヴだった。
「こんな辛気臭いバンドが世界中で売れて、俺たちの世代を代弁していると思われると、なんとなく癪だよな」 と、Fは客のほとんどいない店内に流れる「イン・レインボウズ」を聴きながら言っていた。 「そうだね」 僕も本来なら、もう少し泥臭いバンドの方が好みだった。真正面から歌っているバンドよりも、もう少し力を抜いて見せて、周縁のことを歌っているバンドのほうがかっこいいと思っていた。ザ・フォール。ペイヴメント。ビート・ハプニング。 Fは、オアシスとか、レッド・ホット・チリペッパーズの話なんかをよくしていたような気がする。 「このアルバム買った?」 「まだ」 Fはしばらく自分の靴を眺めながら、トム・ヨークの歌声を聴いていた。 「どうしようかな。サンプル盤もらえないかな」 「レディオヘッドは社員が持っていくだろうな」 「そうだろうな」 「イン・レインボウズ」が流れている時、普段くだらないことばかり喋っていた僕らが言葉少なになっていることに、Fもきっと気づいていたと思う。僕は腕組みをして、Fは落ち着かず拳で自分の骨盤を軽く叩いたりしながら、そのアルバムを聴いていた。 「なあ」 「なに?」 「レコナーってどういう意味?」 Fはジャケットの裏を眺めながら言った。 「さあ」 君は留学するつもりなんだろ、と言いかけたけど、止めておいた。 「レコナーってどういう意味?」とFが聞いた日、僕たちは揃って「イン・レインボウズ」を社員割引で買って帰った。家に帰ってブックレットを眺めてみても、僕にはその意味は推測すらできなかった。とにかく悲しげな曲だった。「レディオヘッドは諦念を全く隠さない」と、ライナーノーツにはあった。
しばらくして、そのタワーレコードのアルバイトを、僕は突然辞めてしまった。自分でもどうしてなのか、今となっては思い出せない。とにかくその唐突さ、胸の中の何かが急速に熱くなるような冷たくなるような感覚だけを覚えている。一言で言うならば、こんなことやっている場合じゃない、と思ったのだ。こうしている間にも、時間はどんどん後ろに流れていってしまうのだ、と。 Fとは、それからしばらく会うこともなかった。突然アルバイトを辞めたことに対する後ろめたさみたいなものが、胸の中に確かにあった。でも一方でFはきっとそんなこと気にしていないだろう、とも思っていた。頭の中で、店のカウンターに立っているFは、僕と話をしている時と全く変わらない無表情のまま、CDに防犯タグを貼り付けていた。 それから僕は、結局大学を五年かけて卒業することになった。���ルバイトを辞めたことと直接的な関係はないと、僕は思っているが、もしFが大学に通う僕の足取りを見たとしたら、こう思ったかもしれないとも思う。「自分には理解不能なCDを意味不明な客に売りつけるくらいなら、学校に行く方がマシだ」と、僕が考えているのだと。事実、僕がCDを売っていた時間はそっくり、大学に通ったりレポートを書いたり来期の授業をどういう風に組むのかということを考える時間になった。 大学を辞めてしまったFと、結局辞めなかった僕との違いというのは、一体どこにあるのだろう?と考えることがある。つまるところ僕は、大学を辞める正当な理由を見つけることができないままだったということだ。ただだらだらと授業に出向き、適当に力を抜いていても単位をもらえるこつみたいなものを、いつの間にか僕は身につけていた。 Fには大学を辞めようと思う正当な理由があったのかもしれない、と今思い返してみて思う。仮に本当に、そういう「くだらなさの極北」が澱のように溜まっていったとしても、それはFという器を決壊させることはなかったように思うのだ。
レディオヘッドが、「イン・レインボウ」に続く「ザ・キング・オブ・リムズ」というアルバムをリリースしたのは、僕がようやく大学を卒業する頃だった。2011年の、春になる少し前だ。 Fは、「聴いた?」と、僕たちが昨日まで一緒に働いていたみたいな雰囲気で電話をかけてきた。 「レディオヘッドの新しいアルバム。あれ、インターネットでダウンロードして聴けるんだぜ」 「まだ聴いてないよ」 正直に言えば僕はその時、とても音楽なんて聴く気になれなかった。ましてやレディオヘッドなんて、頭の中で思い浮かべるだけでも陰鬱になりそうなバンドの曲を聴き通す自信がなかった。とにかく憂鬱になれる理由が、個人的にも僕を取り巻く世界的にも、幾らでもある時期だった。 「そうか。とにかく陰鬱な雰囲気のアルバムだ。うん、もしかすると、今聴くようなもんでもないかもしれないな」 少しの間、会話が途切れた。何かがふつふつと湧き上がってくるような音が、受話器から聞こえた。 「突然辞めちゃってすまなかった」 Fは少しの間押し黙って、何か言い淀んだ。 「君がアルバイトを辞めたあとすぐ、おれは大怪我をしたんだ」と、Fは言った。 「車の運転していて、事故に巻き込まれたんだ。トラックに横からぶつかられた。 しばらく生と死の間を彷徨った。腰に車のどこかのパーツだか破片だかが刺さって、血が大量に出た。 おれは幾つかの長い手術を経て、奇跡的に生命を取り留めた。今でも幾つかの破片が、おれの身体の中には残されていて、おれは自力では歩けない身体になった。 事故の瞬間のことは覚えていない。死にかけた時の痛みや苦しみも、思い出すことが出来ない。おれが覚えているのは、何回目かの手術の時のことや術後の苦しみで、それはそれで辛いものがあったけど、死とは切り離されたものだった。あのくだらなさの極北みたいなレコード屋のアルバイトも辞めざるを得なかった。 当然ながらおれは、死ぬということを意識した。意識せざるを得なかった。それまでとはもっと違う形で、直面しなくちゃいけなかった。死ぬというのはこういうことなのだ、と強く思った。自分の魂が抜け出し、身体が滅び行くということを」 僕は黙って電話口から聞こえるFの声に耳を澄ませていた。ざざざ、と何かを押し流していくような、ノイズまみれの声だった。 「ほんとに、何も残らないんだ。何一つ。でもそんなもんなんだなって思ったんだよ」と、Fは言った。 「そこには何の残滓も残されなかった。おれが死んでいなくなってしまうことを悲しんでくれる人のことであるとか、おれが成し遂げたかったけど成し遂げることが出来なかったことに対する悔しさみたいなものではなく、とにかく巨大で押しつぶされてしまいそうな『何もなさ』だった。そこには何も残らない。 意識を取り戻したおれは、医者から『よく頑張りましたね』と言われた。『出血の量も多く、手術の長かったのに、君はちゃんと生き延びたんだ』。 それはおれが頑張ったことになるのだろうか、とおれは思った。 それでまあ、なんとなく、しばらく海外でも行ってみるか、と思ったわけだ。でも別に、何にも変わらないよ」 Fは今、アメリカの海沿いにある小さな街で、古本屋のアルバイトをしながら暮らしているということだった。楽しい事情もそうでない事情もあって、日本にはしばらく戻っていないという。
Fは、元々海外に行くつもりでお金を貯めている、と僕に話していたのを忘れていたのだろうか? 「そこで出会った友達たちと、ガレージみたいな音楽やってるんだ。あいつら、ほんとにガレージで練習をやるんだ。馬鹿みたいだろ」 僕はFがガレージでギターを弾いているところを想像する。 「でも、そうやって馬鹿みたいに暮らしてるときに、このアルバムを聴いたら、なんていうか、色々思うところがあったんだ。思い出すこともあった。うん、なんていうかさ、お互いぼちぼち行こうぜ」 そう一方的に言って、Fは電話を切った。
そして今度は、過去のアルバムの二十周年記念盤が出るらしい。ライブ以外で未発表だった曲も入っているという。 Fからの電話はあるだろうか?そう思いながら、そのアルバムを聴き直す。 まぶたの裏に何かが見えた気がしたけど、それが何かはわからなかった。
8 notes
·
View notes
Text
甘美なるまま唸ればいい
ミラーボールによわい。 AぇのZeppがハチャメチャにたのしかったのでまとめておく。
”BLUES MASTER"Kill 冒頭のギターソロからめちゃめちゃすきで、拡張器持って出てきたすえざわくんは髪の毛が明るくなっていて清水大樹さんだった(←そろそろこれ言うのやめな〜)。 めっちゃラブサマちゃんっぽいな〜すきだな〜っておもった。 Twitterで検索しても一曲目?なものが多くて、99年発売のSMAPのアルバム収録曲だと知ったときは「すえざわくんてんさいじゃん……」てなった。 すえざわくんがあれをやりたくてやったのか(やりたくてやったに決まってるか…)どうかはわかんないけど、すえざわくんにぶるーすますたーきるはめちゃめちゃに似合うじゃないですかあ。 色っぽくて、ねっとりしてて、甘美な。 LOVE PSYCHEDELICOもぜったいにぴったりだし、PUFFYもぜったいにいいですよねえ。 すえざわくんっててんさいだなあ。
勝手に仕上がれ 泣くつもり(予定?)なかったのに泣いてた。 そういえば「野外ライブに行きてえなあ!!!!!」っておもったのはドリアイ初日の勝手に仕上がれだったなあ。 わたしは!これを!無意識に!渇望していたんだ! 全身で浴びる、浴びせられる音楽、魂、叫び。 きもちよくてきもちよくて泣いてたねえ。 うれしかったねよかったね。
Break Through わすれちゃったけどすえざわくんのアコギはおもちゃでカワイイ。
PARTY MANIACS 本家の振りじゃん!!!!!てんさい!!!ておもったのにクリエGのパリマニ見すぎて本家の振りわすれてたのがいちばん笑えてた(コラ)。 Aぇのパリマニはお上品?静か?だった(クリエGがうるさかったからあ)。 記憶にないんだけど2メロってやりましたっけ?2メロのコレオがだいすきなので。 なんかじゅんたくんもうちわくもいなくてさみしいなってなっちゃった。 パリマニにうちわくのうるささ求めてた。 大サビ本家同様にアレンジ入れてくれていて愛だったなあ〜〜〜! パリマニは「あれを後ろで見てた人たちはこう魅せるのか」という見方ができてたのしかった。
Party-Aholic パリホリイントロ流れるとあれじゃん!て身構えてしまう。 What What Whatのすえざわくんの踊り方だいすきなのでようやく生でみれてよかったLOVE。 肌色が多い場面は距離があるのでだいじょうぶだった(とは)。
Kiss魂 すえざわくんがとってもカワイイ。 これ振りコピしていっしょにおどりて〜てなった。 次までに踊れるようにしておく。 パリマニからKiss魂までの3曲はだんすぼーかるのおたくの気分で見れてめちゃめちゃにたのしかった。 と感じると共にここ1、2年だんすぼーかるばっかり見てきたので「アイドル」と「ダンスボーカル」ってやっぱぜんぜんちがうなーっておもった。 キスマイの曲ってめちゃめちゃ踊れてめちゃめちゃ良い。
ええじゃないか ええじゃないか改めAぇじゃないか。 ぼくはじゅんたくんぱーとしか踊れないし知らないし、いまだにすえざわくんがだれのポーズをしているのか知らない。 これまで見てる人の動きとわたしの動きがおなじだったのに、すえざわくん違う動きをしている。あれはだれなんだろう。 ええじゃないか踊れてたのしい。 はやくええやんけやりましょう。
T.W.L すえざわくんがカワイイ。
アメフリ→レインボウ 椅子が出てきて身構えてしまったがただの座る椅子(座る椅子)だった。 アメフリは大人数ユニゾンってよりも、やっぱり2人がいいなあっておもった。 ハモはリチャ末がやっぱりいちばん安定していてきれいだなあ。
DONAI ここからは最高のダンスフロアというかんじでさいこうだった。
EJ⭐︎コースター 記憶がないので割愛。
Troublemaker とらぶるめーかー踊る人ってなんであんなにいい顔してるんだろう。 これもうれしくって泣いてた。
アエテオドル 一番近くで見てきてよく知っているかつて仲間だった人が手掛けるシリーズ(?)がだいすきなので、アエテオドルのコレオすきだな〜っておもう瞬間がめちゃめちゃにだいすき。 アエテオドルのすえざわくんめちゃめちゃにかっこいいし、めちゃめちゃに合ってるし、それって一番近くで見てきたまとくんだからこそできることだよな〜としみじみと感じる。 アエテオドルってほんと〜にコレオがさいこうだなあ!!!!!(大声)
DON'T U EVER STOP ドンエバ聴くと(ドンエバ出ハイフンの)井出卓也さん思い出すのウケるな……。
Stray dogs すえのりの向かい合うハモのところ、なんか見たことあるな〜っておもったらだいすのふぇいくみーだ!!!!! これからあれはふぇいくみーって呼ぼう()
リリック すえざわくんのアコギがあまりにもおもちゃ。
象 すえざわくんのアコギがあまりにもおもちゃ。
Firebird リチャのリードミス聴けてにこにこした(悪趣味!)。 コーレスのところらくらくオクターブ高く歌えるすえざわくん毎回だいすき。 熱くしてやるよのところ「ありがとう!!!!!」って言っててまじでなんだろう、すえざわくんが言うありがとうがまじですきだなっておもった! すえざわくんの魂が叫ぶありがとう!まじで!だいすき! エーンすえざわくんのことすきだなあ。
関西アイランド 尺取虫の無茶振りいみがわからなすぎて泣きそうでした。
なんかすえざわくんのこと「カワイイ」でも「プリンセス」でも「かっこいい」でもなくて「この人のことめちゃめちゃすきだ!!!!!」っていうのが一番先にでてきて、いちばんおおきくて、新鮮だった。 あとよしのりが「自由な感じ方で、自由な楽しみ方で」みたいな言ったのめちゃめちゃすきだった。 「間違ったステップなんてないんだ」「新しいダンスを踊らせてあげる」系を聴くとはちゃめちゃにうれしくなっちゃう。 あとこじけんが「ミラーボール見つけた!!!!!」って言っててこれも「ミラーボールで交差する日常非日常」を思い出しちゃってさいこうに泣けた。 めちゃめちゃたのしかったのにこんだけしか文字にできないのめちゃめちゃさみしいし力不足だなあ。 冒頭2曲がとにかくめちゃめちゃによかったし、アエテオドルのすえざわくんはまじでちょうすきだった。
おわり〜!
0 notes
Text
サマータイムパニックハウス!
ハイ!ディス・イズ・ヘル。基本的にここはへる。へるの独壇場だ。とはいえ、パニックハウスのブログだ。私情を織り交ぜつつ、パニックハウスのことをしゃべるね。
7/5のレオニダ企画以降の活動について触れようか。実は何もしてなかったわけじゃないんだぜ?この酷暑の中、高ノルマ薄給激務のスキマを縫って、アメイジングパニックハウスは鋭意活動中なのよ。
あえて言うけど静かにしている以上別にィ、特にィ、さほどデカイ進展はないんだけどもね。「鋭意」であることには変わりないのさ。だって俺たち、新進気鋭のアーティストだからな。
①「魅惑のリズミカル・レインボウ」を改造中。
はい。ご存知我らのカリスマ・チューンの話ですね。ラストのサビが我々の在り方を象徴する、加藤マニ氏が手掛けたPVのアレですよ。
曲の良し悪し。それは考えれば考えるほどに宗教戦争勃発って感じの些細なことが気に掛かるヤツです。下手だからダメなわけじゃない、上手いから良い訳じゃない、冗長だからクソな訳じゃない、退屈しないから最高な訳じゃない。良いから良い訳じゃない、悪いから悪い訳じゃない…?
いや、こんなの狂うよな。俺が酒から逃げられない理由がここですよ。しか���まあ、退屈は避けたい。それはどうあれ、私はそうです。
名は伏せますが、現在パニックハウスに陰ながら加担してくれているビートルズにおけるジョージ・マーティン及びマハリシ・マヘシュ・ヨーギーの如く方がいらっしゃいまして、色々とご指導ご鞭撻の程頂いておりますのよ。パニックハウスで一番ビートル・メィニアな私はチープな感情ながらも自分たちとザ・ビーロォズを重ね合わせちゃったりね、するわけさね。
こぼれ話、あれじゃないすか。ビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」もあんな夏の朝を思わす爽やかな仕上がりですけれども、もともとは暗くてスローリーなナンバーだったとのことでね。そこには確かな他者からの手入れがあり、あんな素晴らしいことになったといいます。それを、僕たちもやっておるのですよ。
ライブお披露目はいつになるかな、そう遠くない未来さ。乞うご期待。
②「ソニックハウス(仮)」について。
何を隠そう私めのナンバーで御座います。
確かいつぞやツイッターで練習風景をアップした以外は謎に包まれたこの曲は、市川がモッシュを起こす事に躍起になって生まれたものであり、市川が青春を過ごした頃に流行っていたストレイテナーの「KILLER TUNE」を彷彿さすこと請け合いのキラーチューンで御座います。
但し今までと力の入れ方が少し特殊(世のバンドはここに力を注いでるのでしょうが)ゆえ、市川内では難航しておりますが、あとは歌詞とお前らアホでも口ずさめるメロディとスローガンがあればもう完成といっても良いとは思ってるよ???
但し、俺はお前らよりももっとアホやからそれが浮かばんのんじゃ!でも、まぁ待てや!
③mai-mai?はグリーンカレーを作っている。
特にネタじゃなくかつて市川が懇ろになった女性から「へえ、市川くんってまいちゃんと付き合ってるのかと思ったぁ。」と言われるほどに誤解を招く我々ですが、自他共に認める恋愛外に存在する悲しくも美しい関係性をもつ俺とまいちゃん。
それを更に色濃くするキーワード、グリーンカレー。ちょっと見てごろじよ。
ほら。
これね、本人は勿論そんなことはつゆ知らず作ったと思うんすけど、市川の好きな食べ物の五本の指にグリーンカレー、入りますからね。ということは、パニックハウスフォロワーに俺と遠からずな人物絶対居ると思うからさ。なんか、さ。俺と同じく胸だか胃だかをキュッと握られたような感じ。わかるでしょ?
将来、このグリーンカレーを定期的に食べたくはないかい?俺がなれなかった以上は、ここを読んだ君がどうするかだぜ…?
④市川は肉体と部屋をスッキリさせて居る。
これはね、ただの俺の近況報告。
イメージの上で荒れ果てたバラック小屋にでも住んで居ると思われているこの俺。や、たしかに無精だよ。去年今頃の俺の部屋、見てね。
ほら、地獄っしょ。それなりの良い写真なんだけど、虹が出てるからなんとかなってるだけだからね。でも最新の俺の部屋も見て…?
イメージよりは良いっしょ?!
あと、自堕落な生活をして身体も心もたるみがちだったけど、三十路入りしたのを狼煙として今は健全なる精神を健全なる肉体に宿らせようと躍起になっている。バイト後の疲れた身体に鞭打つ心地よさに今は揺蕩っているよ。それはステージでの俺にも反映されるはずさ。
⑤加口のことは、わからない。
僕は、加口太平洋くんとはもう13年来の仲になります。でも、年々彼のことがわからなくなっています。
それは僕だけではなく、皆もそうでしょう。というか、神様もそうだと思います。これは仮説ですが、もしかして彼は神の域に到達したがゆえに我々低俗な愚民にはわからないのかも���と、たまに僕は小首を傾げてふと思ったりします。
この仮説が正しければ加口太平洋=神、加口太平洋がリーダーであるパニックハウスのサウンドは神の音、すなわちそれは福音であると。
…思ってないよ…。寝るわ…。8/1のライブ告知だけしたら…。
8/1、下北沢近松で会おうじゃん?
(市川へる)
0 notes
Text
空晴の『となりのところ』
ピッコロ劇団の孫高宏さんが出演する空晴(からっぱれ)の『となりのところ』を大阪のHepホールで見てきました。
3軒並んだ家に住む3家族の物語と言っていいのかなーー真ん中の家には中年の新婚夫婦(!?)、上手の家には60くらいのおばちゃんというか、おばあちゃん、下手の家には孫さん演じるおじさんとその息子が住んでいます。
3軒の裏は庭になっていて塀がないため、通り抜け自由になっています。
「それでは困る」と中年夫婦の奥さんが塀を作るために工務店の人間を呼び、そこに上手の家の息子だと名乗る若者が加わり、さらには謎の若い女性が登場して工務店のおじさんに誰宛とも言わないまま「読めばわかりますから���してください」と手紙を預けて物語は進みます。
よくできた本です。ある意味、群像劇なのでしょう、複数の物語がテンポ良く進み、全く退屈せずに見ることができました。
凝ったギャグなぞなくても、関西のおばちゃんが話しているだけで何か可笑しい、笑えるというのも、私にとっては大きな発見でした。
個人的には、真ん中の家のおばちゃんが上手の家の息子と名乗る若者に「男の人には女の年はわからない」と言って「私の年がわかる?」と尋ね、「43歳」と言われて、素知らぬ顔で別の話題に移るというギャグがツボでした。
ただ、疑問がないわけではありません。
ネタバレをしてはいけませんが、例えば、上手の家の息子だと名乗る男は、実は上手の家のおばちゃんの教え子で、男は高校生の時、剣道部に所属しており、おばちゃんはその顧問だったということがわかります。
なぜ息子をふりをしたかというと、これが結構複雑でーーおばちゃんには娘がいる。その娘は東京の大学で大学院生をしている。しかし、おばちゃんがそれを言っても、周りの人間はそれを信じず、おばちゃんを嘘つき扱いする。それを許せない男は、自分がその息子で、東京の大学で大学院生をしているふりをしたーーとのこと。
えー? なんだか無駄に複雑じゃないですか。というか、剣道部で世話になった恩師を守りたいというのはいいとしても、なぜそれが息子のふりをすることにつながるのか……ちょっと疑問に思います。
また、おばちゃんの周りの人は、おばちゃんの娘が東京の大学で大学院生をしていることをどうして信じないのでしょう。大学院生なんて別に偉くもなんともないのですが……
下手の家のおっさんと工務店の男の物語もそうです。二人は高校時代、同じ学校の剣道部にいました。工務店の男は下手の家のおじさんがかつての同級生だとすぐにわかりますが、おじさんの方は全く覚えていないと言います。
仕方のないこととはいえ、工務店の男は少し傷つきます。しかし、物語のラストでおじさんの息子の名前が「春」だと知って彼は驚きます。彼��同じ名前だからです。
つまり、下手の家のおじさんは工務店の男のことを忘れていたどころか、彼の名前をそのまま息子につけるほど思い入れを持っていたのです。
芝居の中の話の順序としては、息子の名前が「春」だとわかった後に、真ん中の家のおばさんが工務店の男の名刺を持ってきて「あんたの名刺できたんやね。あんた「春」っちゅう名前なんや。似合てへんねえ」と言います。
この辺りの話のもっていきかたは非常にたくみというか粋ですし、なかなか感動的な状況ですが、私は違和感を覚えずにはいられませんでした。どれほど忘れがたい人物であっても、言ってしまえば同じ高校の剣道部にいたというだけの相手ではありませんか。そんな相手の名前を息子につけますか。
私の「親友」は「学」という名前です。彼とはもう40年来の付き合いで、心から尊敬していますし好きですが、それでも自分の息子に同じ名前をつけようとは思いません。それなのになぜ……というのが私の偽らざる心境です。
また、なぜおじさんが工務店の男を覚えていないふりのしたのかも疑問です。実は下手の家のおじさんは息子と二人で夜逃げをしようとしているところなので、それが理由かなという気もしますが、夜逃げの最中であることと昔の仲間のことを忘れたふりをすることの間の因果関係が私にはよくわかりません。
なんだか文句ばかり書いているようですが、でもいい芝居です。
私はこの頃年のせいか異常なまでに涙もろい一方で、ハートウォーミングな芝居が大嫌いで、そういう芝居を見ても全く心を動かさない「鋼鉄のハート」(?)の持ち主なのです(あの『火垂るの墓』を見ても全く平気だったくらいです)が、この芝居は好きでした。
この芝居は、平凡なおじさん、おばさんに見える人間でも、実はひとりひとり違う物語を背負っているということを示しているからです。
我々は普段いろいろな人と接していても、その人の物語を知る機会はほとんどありません。だから、相手を平凡な人生を生きている平凡な人だと思い込んで生きています。しかし、そうではない、それは我々の思い上がりにすぎないのだということをこの芝居は教えてくれます。
公演は6月12日(火曜)までです。是非ご覧ください。
あ、我々の『改訂版・オズの部屋探し』の次回公演は6月16日(第3土曜)、その次は7月21日(第3土曜)です。
そちらもヨ・ロ・シ・ク!
**********
演劇ユニット・チーム銀河は、昨年10月に上演し好評を博した二人芝居『オズの部屋探し〜または、オーバー・ザ・レインボウ不動産のいちばん長い日』をリニューアルして、今年5月から1年間、毎月第3土曜(8月のみ第4土曜)の18時半に大阪・南森町のNORAフリースペーススタジオで上演いたします。
次回は6月16日です。
詳しくはこのサイトの「次回公演」のページをご覧ください。
http://toura-h.wixsite.com/team-ginga/jikai
初めての方も、すでに一度ご覧になった方も、是非おいでください。みなさまのご予約・ご来場を心よりお待ちしております。
また、それと平行して新作『リハーサル』も書き上げ、上演に向けて動き出しています。こちらも合わせてどうぞよろしくお願いいたします。
0 notes
Text
リストランテ・デュエ
ピッコロ演劇学校同期で友人のマッキンと一緒に神戸・三宮のリストランテ・デュエに行って来ました。
和のテイスト���生かしたリストランテです。こういうタイプの料理ははずすと悲惨なことになるのですが、なかなかよかったのではないかなと思います。
食べたものは次の通り。もらった献立は今はやりの書き方で食材を羅列するということをしていますので、補足しながら書きます。
1)大間産ウニ、イクラ、ジュンサイ、米
冷たいアミューズ・グール。和食のような感じですが、米はアルデンテで、アワビの肝を染み込ませています。
2)牡蠣、奥田農場トマト、水茄子、バジル
バジルは低温で凍らせ粉末状にしてあります。これも今はやり……というか、エル・ブジが広めたやり方ですね。冷たいトマト、水ナス、バジルとムニエルにした牡蠣の温度差を楽しむ料理かな。
3)GV鮑、アスパラソヴァージュ、オクラ
GVというのはガストロ・バック(減圧調理器)のことだそうで、要するに圧力釜の反対ですね。これで鮑に岩のりの味を染み込ませたようです。和食のようでいて、かろうじてイタリアンでもありながら、やっぱり和食の方に一歩踏み出したが、まあ美味しいならそれでいいやという料理。
4)和歌山ケンケン鰹、牡丹海老、甘夏、アボカド
ケンケン鰹というのは漁の方法だそうです。鰹もボタン海老も表面を軽く炙っただけで中は生。そこに甘夏の泡(これもエル・ブジですね)を乗せた料理。
5)長崎産マナガツオ、茶豆、ポロネギ
マナガツオをじっくり焼いてマヨネーズのようなソースと豆のソースの2種類で食べさせる料理。これはまあ‥‥普通かな。
6)剣先烏賊、自家製唐墨、ウニ、ビーツ
表記だけではわかりませんが、パスタ料理です。細めのパスタに唐墨とウニを混ぜ、相当量の剣先イカを乗せた料理。唐墨のパスタやウニのパスタや剣先イカの入ったパスタは食べたことはありますが、その3つがいっぺんに入ったパスタを食べたのは初めてです。これが一番気に入りました。
7)仔羊、ムラサキアスパラ、コリアンダー
黙っていると牛肉が出てくるそうですが、私はこういうところにきてメインにフィレステーキを食べるのは嫌なので、あらかじめお願いして子羊にしてもらいました。少し脂が多いかなと思いましたが、炭焼きの香ばしがまずまずの料理でした。
8)トウモロコシ、トリュフ、夢前無農薬米
最後にご飯が出てくるところも和のテイストですかね。と言ってもこれはリゾットです。量は選べるとのことで、私は大盛りにしてもらいました(マッキンも大盛りにしていました)。
9)��マレット、ヘーゼルナッツ、貴腐ワイン、新生姜
えーっと、一番下がブランマンジェで、その上にドラゴンフルーツとぶどうと貴腐ワインで作ったというゼリーが乗っていて、一番上に新生姜のアイスクリームが乗っているデザートです。
10)エスプレッソ
残念ながらプティフールはありませんでした。
お腹いっぱいです。
コース13,000円(税・サービス料別、他に10,000円のコースと16,000円のコースがあるそうです)はなかなか大胆な値段ですが、質を考えれば高くはないように思います。
特に2)、3)、4)、6)が良かったと思います。
なかなかいいレストランでした。
**********
演劇ユニット・チーム銀河は、昨年10月に上演し好評を博した二人芝居『オズの部屋探し〜または、オーバー・ザ・レインボウ不動産のいちばん長い日』をリニューアルして、今年5月から1年間、毎月第3土曜(8月のみ第4土曜)の18時半に大阪・南森町のNORAフリースペーススタジオで上演いたします。
次回は6月16日です。
詳しくはこのサイトの「次回公演」のページをご覧ください。
http://toura-h.wixsite.com/team-ginga/jikai
初めての方も、すでに一度ご覧になった方も、是非おいでください。みなさまのご予約・ご来場を心よりお待ちしております。
また、それと平行して新作『リハーサル』も書き上げ、上演に向けて動き出しています。こちらも合わせてどうぞよろしくお願いいたします。
0 notes
Text
映画『母の残像』と『わたしは、ダニエル・ブレイク』
数日前のことになりますが、WowowオンデマンドでJ・トリアー監督の映画『母の残像』(2016)とケン・ローチ監督の『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016)を見ました。
『母の残像』はラース・フォン・トリアー監督(有名なのはカンヌでパルムドールをとった『ダンサー・イン・ザ・ダーク』でしょうが、私は見ていません。私が見たのは『奇跡の海』と『ドッグヴィル』です。『アンチクライスト』も見たいのですが、ちょっと怖くって、二の足を踏んでいます)の映画だと思い込んで見ましたが、トリアーはトリアーでもヨアキム・トリアー監督の作品。
もっともヨアキムはラース・フォン・トリアーの甥だそうですから、まんざら無関係でもないようです。
戦場カメラマンだった母親の死後、残された父親と息子二人がどうなるかを描いた作品で、どうなるかというと、実はどうもならないというのがミソでしょうか。
「なんだそれは」とお思いでしょうが、人生というのはそういうもの。結末はないという結末も、私は嫌いではありません。
戦場から戦場へと飛び回り、ほとんど家にいなかった母親の姿が、父親や息子たちの視点から回顧されるという構成が素敵でした。
母親を演じたのはフランスの女優イザベル・ユペール。ミヒャエル・ハネケの『ピアニスト』でなんだかよくわからないけれど非常に怖い女性だというイメージがありましたが、この映画ではそれとは違う一面を見せてくれています。
とはいっても、決して我々が勝手にイメージするような「良い母親」、「優しい母親」、「理想の母親」を演じているわけではありません。むしろ、年相応の……そのなんというか……醜さ、老醜を見せながらも、それでも一人の女であるという複雑な役を演じていました。
ちなみにこの映画の舞台はアメリカ。イザベル・ユペールは非常に巧みな英語でアメリカ人女性を演じていました。そういう能力もある人なんですね。
少し前に見たフランス映画『アスファルト』(2015)にもイザベル・ユペールは出演し、中年の女優を演じていました。Wowowオンデマンドには、彼女の出演作としてあともう一本、『未来よこんにちは』が上がっています。
ひょっとすると今がイザベル・ユペールの全盛期なのかもしれません。
ケン・ローチ監督の『わたしは、ダニエル・ブレイク』はカンヌ国際映画祭でパルムドールを獲得した作品。
心臓の病気で仕事を辞めざるをえなくなったのに、就労可能と判断されて手当をカットされた老人ダニエルが、市役所に異議申し立てに行った際、アポイントメントに遅れたというだけで手当を減らされそうになっているシングルマザーと知り合うところから、���語は始まります。
彼らは親しくなり、助け合うことになるのですが、生きる希望を与えてくれるハートウォーミングな映画だと思ったら大間違いです。そんな映画は私は嫌いですから、途中で見るのをやめていたでしょう。
『わたしは、ダニエル・ブレイク』は、そんなヤワな映画ではありません。ユーモラスに描いてはいますが、イギリスの貧困と官僚主義の問題を取り上げた非常にタフな映画です。
シングルマザーがフードバンク(売れ残った食品を寄付してもらい、それを貧しい人々に無料で与えるボランティア団体)で空腹に耐えきれず、缶詰をもらったその場で開けて貪る場面、そしてその恥ずかしさに泣き出す場面で、私は号泣しました。
ちなみにタイトルの『わたしは、ダニエル・ブレイク』は市役所の官僚主義に耐えられなくなったダニエルがスプレーで市役所の壁に落書きした言葉です。
貧困層は支援を必要としているが、彼らが何より求めているのは人間としての尊厳を保つことでだということをこの言葉は示しています。そして、それはまたこの映画の最後に出てくるダニエルの言葉にも繋がります。
彼はこう言うのです。
「わたしは犬ではない。人間だ。わたしはダニエル・ブレイク」
いい映画です。
私はケン・ローチの映画は友人のオリヴィエ・ビルマンに薦められて見た『エリックを探して』しか知りませんでしたが、弱い者、貧しい者に寄り添う映画を数多く撮っているそうです。
ケン・ローチの他の映画も見てみようと思います。
**********
演劇ユニット・チーム銀河は、昨年10月に上演し好評を博した二人芝居『オズの部屋探し〜または、オーバー・ザ・レインボウ不動産のいちばん長い日』をリニューアルして、今年5月から1年間、毎月第3土曜(8月のみ第4土曜)の18時半に大阪・南森町のNORAフリースペーススタジオで上演いたします。
詳しくはこのサイトの「次回公演」のページをご覧ください。
http://toura-h.wixsite.com/team-ginga/jikai
初回は5月19日です。
初めての方も、すでに一度ご覧になった方も、是非おいでください。みなさまのご予約・ご来場を心よりお待ちしております。
また、それと平行して新作も書き上げ、上演に向けて動き出しています。そちらも合わせてどうぞよろしくお願いいたします。
0 notes
Text
『オズの部屋探し』劇評
関西学院大学劇研究会OB会「弦月会」の会報『New Stage』の最新号に林康文さんが『オズの部屋探し』の劇評を書いてくださいました。
私はPDFファイルをここに貼り付ける技術を持ちません(私は「超」がつく機械音痴なのです)ので、林さんが書いてくださった文面のみを以下に紹介します。
***********
夢と現実のはざまに見える もしかしてあり得たかもしれない別の人生
昨年10月末、劇研弦月会幹事の先輩の皆さん4名と一緒に観劇しました。劇研顧問の東浦弘樹氏が主宰する劇団の「オズの部屋探し~または、オーバー・ザ・レインボウ不動産のいちばん長い日~」という二人芝居です。東浦さんは不動産屋、大盛り桂子さんが女性客を演じています。
「オーバー・ザ・レインボウ不動産」は、父親の代の「田中不動産」という名前を改名したのですが、それは男が子どもの頃、映画で見た「オズの魔法使い」に由来しています。「オズの魔法使い」は、カンザスの農場から竜巻で飛ばされ魔法の国に迷い込んだ少女が、途中で出会う知恵が欲しい案山子、心が欲しいブリキ男、勇気が欲しいライオンらを仲間にして長い旅路の果てに、帰るところがある幸せを知るという物語です。そしてその劇中で歌われている歌が「オーバーザ・レインボウ(虹の彼方に)」です。
さて、家を探しに来たはずなのに「特に条件は無い」という女性客は、男に「引っ越しって、小さな死だと思わない? ほんの少し死んでまた生まれるの」と、言います。そんな女に、不動産屋は6畳ひと間から4LDKのマンションまで4つの物件を見せていきます。女性客は、部屋に入るとその都度、そこの住人がどんな暮らしをしていたか想像して演じて見せ、男にも芝居に参加するよう促します。
こうして4つの劇中劇が生まれ、続け��みるとひと組の男女が恋に落ち、結婚��離婚→再会というひとつのストーリーが浮かび上がります。セットは不動産屋シーンでの接客用椅子が2脚、スクリーンに投影される物件の間取りやパソコンのシルエットなど、極めてシンプルです。話の進展に伴い、物件がグレードアップしていくのですが、それぞれの部屋の間取りをその都度、写し出した方がよりイメージが膨らんだのでは…という感想がありました。
不動産屋の男には、小説家を志した青春の一時期がありました。男の商売のキャッチフレーズどおり「家にまさるところなし」と心から思い、現実の生活に満足していたはずですが、女性客との即興劇を演じる中で、あり得たかもしれない別の人生がよぎります。
夢と現実のはざまで揺れ動く男の心。疲れて自宅へ帰ると待っているのは刺激のない平凡な日常、それは何ものにもかえがたかったはずですが、ラジオをつけると流れてきたのは「オーバー・ザ・レインボウ」そして、妻が「洋子(娘の名)も大きくなったし、大きな部屋に引っ越さない?」と言います。男は「引っ越しって、小さな死だよな」と、思いがけなく女性客の言葉を呟きます。「え? なに?」「いいや、なんでもない」という妻とのやりとり。東浦さん演じる男の何とも切ない哀愁を帯びた表情が、印���的でした。
人はふと自分の人生を振り返る時、その時々で一番良いと思われる判断をしてきたつもりでも、あの時に違う選択をしたらもしかしたら別の人生があったかもと思う事があるのではないでしょうか? 不動産屋の名前が「田中不動産」というありふれた名前であった事も、この劇は誰にでも起こりうる物語であると象徴しているように思え、人生の無常と希望がしみじみと胸に迫る舞台でした。だからこそ一日一日を悔いのないよう、今日一日を自分の一生の最後の日だと思い精一杯生きる。天台宗大阿闇梨 酒井雄哉氏の「一日一生」という言葉が頭をよぎりつつ、今回の観劇をさせていただきました。
**********
林さん、ありがとうございます。
0 notes