#ライ麦畑でつかまえて
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ほんともう、十代の頃より気にはなっていた小説。 J.D.Salinger著 THE CATCHER IN THE RYE 村上春樹訳版 ううん、二度は、ないな。 IF a body catch a body coming through the ryeのセンテンスが登場するのは192頁 I’d just be the catcher in the rye and allについては286頁なのだが、何故故にこの本のタイトルとなったのかは僕には理解できなかったな。 兎にも角にも、二度は読みたいとは思わなかったのだけれど、しっかりとした小説なのは僕にも解った。 あと、 Richard Bach著 Jonathan Livingston Seagull 五木寛之訳 中学生の頃、確か新潮文庫の100冊フェアで気になって手にして以来、もうかれこれ5、6回は読み直した小説。 今更ながらに再読破したくなったのはどうしてだろう。 #ライ麦畑でつかまえて #サリンジャー #キャッチャーインザライ #村上春樹 #五木寛之 #かもめのジョナサン #リチャードバック #新潮文庫 #白水社 #小説 #読書 #ペーパーバック #ハードカバー #本が好き #冬の夜 https://www.instagram.com/p/CmwQqOhSscf/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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昔の麦の穂は長く(2mくらい)、畑の中に入ると外から見えないため、かつてのヨーロッパの農家では男女の営みをするために麦畑を使っていた(家に部屋割が無いためここが最も見えない)そうです。そのため「ライ麦畑でつかまえて」のタイトルが何の暗喩か、分かる人には分かったそうです。つまりセ
あきはばら博士さんはTwitterを使っています
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ネモフィラ畑でつかまえて サリンジャーの「ライ麦でつかまえて」のタイトルを借りましたが、内容は全く関係ないです。 めちゃくちゃ季節外れですが、ネモフィラ畑に佇むミロさんを描いてみました✒♏🦂 ネモフィラは、クリスタのブラシ素材をDLしました🌺 一面のネモフィラ畑って、現物を見た事が無いのですが、ひたちなか公園のネモフィラ畑が満開の頃、Xのポストで、かなり以前にカミュbotさんが、黄泉平坂みたいだとポストしてた事を思い出しました🤣
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『port - Import / Export EP』所感
#1. Song About Me & Human Beings
Pavementの”Pueblo”のチューニング(E♭B♭DFB♭D)で作った曲。激情ハードコアをやろうと思ったらこうなった。今聴くとヤケクソの5拍子に若いな〜と感じる。この曲特有のsadな雰囲気は他にあんまりない感じでカッコいい。
歌詞は安吾の『わたしは海をだきしめていたい』を下敷きに、恋焦がれている人に対する誇大妄想気味な眼差しを書いた。性的な関係がなくても、あなたが海と戯れている様子で僕は満足なんです、みたいな歌。
最近はめっきりセットリストから抜けているが、結成1年目の学祭野外ステージの最後に演奏したのはいい思い出。
#2. 札幌
徹夜で曲作りして上手くいかなかったけど、夜が明けてCOWPERSのライブ映像見てそのままギターを手にして15分で書いて、みんなで20分合わせて完成した曲。だから札幌。レギュラーチューニングながら、間奏の解放弦を使ったアプローチは今でもよく書けたと思う。Cコード(2カポだからキーはD)でこんな激しい曲になったのはミラクル。
徹夜明けなので朝には透き通る日差しが刺さる。革命の雰囲気に乗り切れずにフラストレーションがただ溜まっていく若者を題材にしている。1st EPで唯一の日本語詞。
ライブだと爆速になり、アステロの奴らは暴れ狂う。オモロいね。アンコールでよく演奏する。
リリース当時LPLのそうしくんが褒めてくれた(聴いた瞬間に鳥肌が立ったらしい)���本当に嬉しい。あと豊里がヤケに好きな曲。
#3. In Action
オープンD。この曲と「陸に帰る」をほぼ同時に書いた。たぶんデスキャブになりたかったんだと思うけど、マスロック的なアプローチも混入してしまった。拍の使い方は面白いと思う。サビは4/4なのに4/4に聴こえないし、14拍のフレーズがあったはず。portにしては落ち着いた曲調。曲作りでしょうきさんが苦戦してた記憶がある。
トラウマを追って戦場から帰ってきた軍人に、過去の思い出を振り返りつつ優しく寄り添う曲だったと記憶している。でも振り返ると散文的すぎて自分でもよく分からない。
リリース直後から全く演奏しなくなった曲。でも悪い曲じゃない。
#4. From Camel’s Back
port最初期に書いた。Pavement頻出のDADABE。エモリバイバルを意識した最初の曲。書いた頃の記憶がほとんどないが、フレーズが速すぎて当時の自分を憎んでいる。portで一番難しく、ギターのミスが多い曲かもしれない。それまではハンマリング/プリング/スライドの応酬だけど、サビ終わりの打って変わって開放的なフレーズはカッコいい。でもイントロの7拍子はやっぱりヤケクソかも。ドラムが7拍目で毎回ズドンなのが面白ポイント。
歌詞はサリンジャーの『フラニーとズーイー』を下敷きにした。というよりモチーフをそのまま持ってきている。シーモアやバディも歌詞に出しちゃったし。18歳〜20歳の曲は文学からイメージを拝借したものが多い。宗教的崇高さと世俗のギャップに悩む歌。やっぱりまんま『フラニーとズーイー』だ。あとタイトルの文法が少しおかしい(“a”を入れるべき)けど、語感を優先させてしまった。
今聴くとギターの撮り音を歪ませすぎたような気がしている。
個人的には、二流のエモリバイバルに堕ちずに、自分たちの色が良く出せた名曲だと思う。もっと人気になっていいと思っていたら、最近しょうきさんが「この曲が一番カッケえよ」と言ってくれて少しビックリした。portの中ではライブ定番曲として合意が形成されている。でも死ぬほどミスる。ムズいんだもん。
#5. Banana
portの前に組んでいたAmorous Mosquito最後の曲をportとしてセルフアレンジした曲。DADABE。アモラスはインディーポップやグランジやシューゲイザーをやっていたけど、ちょっとエモがやりたくなってこの曲を書いた。port版は更にパンク風のエモ��仕上げた。イントロ〜Aメロの空気感のあるフレーズはお気に入り。アウトロのギターフレーズはメタルみたいでテクい。
歌詞は『ライ麦畑でつかまえて』を下敷きに、セックスについての気色悪さを書いた。「バナナ」は本当に陰茎のメタファー。そういう目線で歌詞を読み返したら面白いかもしれない。当時まろ鈴木に「Bananaの歌詞の意味分かったわ」と言われたので、多分バレていた。
豊里が好きな曲。個人的にあまり気持ちが乗らなくなってしまったのもあり、これも最近ライブでやっていない。今聴き返すと、諸々のフレーズはもう少し詰められた気がする。
レコーディングについて
2016年初めに、フラサンで2日間で録音しその後数日かけてミックスマスタリングしてもらった。岩崎さんレコーディング。ギターの音には全く納得がいっていないし、時間が許せばもっと色んな音を重ねれば良かったとも思う。これは完全にバンド、ひいては僕の音作りやディレクションの問題だった。しかし2015年初頭に結成したバンドがちょうど1年後に勢いで録音した事実にこそ価値があるのかもしれないし、そんな初期衝動を自ら価値付けすることにも問題があるのかもしれない。これらの反省が2nd EPの制作に若干反映される。
以上。忘れてて書き損ねていることがたくさんあると思うので、気が向いたら加筆修正します。
2024/2/20 太田直輝
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【浅井健一🎸の音楽性について♪】
浅井健一は、1980sのストレイ・キャッツに多大な影響を受けており、ブランキージェットシティ初期の、浅井健一の、ヘアスタイルのトレードマークでもあった、ブロンドリーゼントヘアはストレイ・キャッツのボーカルの髪型を真似したものと思われる。しかし、本人がどう考えているのか、知らないが、顔の彫りの深さから、ストレイ・キャッツより、ボブ・ディランの方に、似ているのである。勿論、個人的な考察に過ぎないのだが。1990年代後期より、リーゼントヘアから、西海岸の海辺にいる、若者サーファーのような、長髪にゆるいまき髪ヘアスタイルに変更されており、それは、今の時代 ( 2023年12月 )まで、継続されていることから、本人に、定着したヘアスタイルと考えても、無論、間違いではない。他には、多機の洋楽を中心に音楽を聴いて、影響を受けており、主なバンドは、カーペンターズ、パートリッジ��ァミリー、ショッキングブルー、ジョン・レノン、井上陽水などから影響を受けたと、公言している。本は、JDサリンジャー著『ライ麦畑でつかまえて』、村上春樹著『羊をめぐる冒険』、ジャック・ケルアック著『路上』である。曲のタイトルが、歌詞にも出てくる、「メリールウ」という主人公の名前を使った曲も楽曲している。映画に関しては、浅井健一の曲自身のタイトルでもある、『小さな恋のメロディー』、『イージーライダー』などが上げられる。他にも、観ていたり、読んだりしてはいるが、公に公言しているのは上記のものだ。音楽性は、ブランキージェットシティ以外、静かめな曲を収録した『SHERBETS』や『JUDE』などがある。ほかは、忘れてしまった。あ、あと、歌手のUAと組んだバンド『AJICO』。浅井健一の書く、詩の歌詞は、社会の片隅で暮らすアウトサイダーたちや、野生動物、『神様』が頻繁に登場する。そこが、私の惚れ込んだ理由の一つでもある。そして、『幸せの鐘が鳴り響くとき、ただ悲しいふりをする』という、曲には、『動物愛護団体』まで、詩に盛り込まれている。アウトサイダーたちで、言えば、売春婦、麻薬常用者、浮浪者、インディアン、精神病者、ヒッピーだ。そして、あと、忘れてはならないのは、『無垢な少年』だ。『綺麗な首飾り』という曲には、『子供の見る夢は、純粋で残酷』というフレーズもある。そして、『狼たちが、綺麗な足音を響かせ、森を駆け抜ける』という歌詞も好きだ。『don't kiss my tail』という歌詞には、『ヒッピーに憧れて、旅立ったくせに、多分、彼らの最終系は自殺だなんて言うし』という、とんでもなく、切なく、カッコいい歌詞を書いている。『ひまわり』という、曲では、歌詞の始まりが、『目の前に舞い降りた、小鳥の仕草を、見つめていたのは、倒れたヒマワリ』という、専業作家、顔負けの『擬人法』を盛り込んでいる。そして、『パイナップルサンド』という、曲には、『バナナを一つもぎ取った、お前のその動作、神様が、気にすると思うのかい?』、『明るく生きることが、すべてだから』という、非常に、楽観的な気持ちになれる歌詞も書いている。そして、『寝る前に、ブルーのジェット機に乗る夢を見たいって願う、神様お願い僕に見させて、ブルーのジェット機に乗る夢を』という、無垢な少年の、切実な思いを歌詞にしていると同時に、人間には、日々の、『祈り🛐』が必要なことを、それとなく、歌詞の中で、サラッと匂わせている。浅井健一が、イエス・キリストに選ばれた理由は、以上の功績により、【仏様】、【イエス・キリスト】より、適任と認められ、選ばれるべくして選ばれたのであるから、他の者は、浅井健一を妬んではいけない。きちんと、今までの、功績があって、選ばれているのであるから。少なくとも、浅井健一がテレビや動画、LIVE会場で歌ったことにより、救われた人類は大勢いるのだから。逆に、歯向かう考えを持っている者は、神の道と反れて進んでしまっていると考えていい。最近の浅井健一の活動状況は、ラジオ番組に出演したり、画家としても、活動をはじめ、個展を開いたり、画集を出版したりしている。勿論、音楽活動も続けながら。そして、忘れてはならないのが、『Sexy Stornes』というブランド名の、ブランド服を立ち上げ、代表取締役社長をつとめている。自身のインスタグラムを通じて、販売活動にも積極的にいそしんでいる。そして、少し前の、浅井健一のYou Tubeラジオによると、趣味でサーフィンをやっているとのことも公言している。そして、今年、もうじき、LIVE活動で、地方をまわるという、ネットニュースの記事を読んだ。つまり、浅井健一は、今日も、妹の林檎🍎と違って、頑張っているのである。以上が、浅井健一の音楽性、ないしは、活動状況の報告とする。
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阪神・淡路大震災のときの、高速道路と、高架下。
この、数日後、オウム真理教🦜🍈は、地下鉄日比谷線、霞が関に、サリンを、ばら撒いた。=JDサリンジャー=ライ麦畑で捕まえて📘=ジョン・レノンを、暗殺した、マーク・チャップマン🔫銃=自由の国、アメリカ🇺🇸
マーク・チャップマンの、コートの、ポケットには、JDサリンジャー著作、【ライ麦畑でつかまえて】が、入っていた。
⛩=深海真監督=天気の子
Purgatory Canto 12, The Soul of Arachne (1867)
— by Gustave Doré
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浅井健一は、1980sのストレイ・キャッツに多大な影響を受けており、ブランキージェットシティ初期の、浅井健一の、ヘアスタイルのトレードマークでもあった、ブロンドリーゼントヘアはストレイ・キャッツのボーカルの髪型を真似したものと思われる。しかし、本人がどう考えているのか、知らないが、顔の彫りの深さから、ストレイ・キャッツより、ボブ・ディランの方に、似ているのである。勿論、個人的な考察に過ぎないのだが。1990年代後期より、リーゼントヘアから、西海岸の海辺にいる、若者サーファーのような、長髪にゆるいまき髪ヘアスタイルに変更されており、それは、今の時代 ( 2023年12月 )まで、継続されていることから、本人に、定着したヘアスタイルと考えても、無論、間違いではない。他には、多機の洋楽を中心に音楽を聴き、影響を受けており、主なバンドは、カーペンターズ、パートリッジファミリー、ショッキングブルー、ジョン・レノン、井上陽水などから影響を受けたと、公言している。本は、JDサリンジャー著『ライ麦畑でつかまえて』、村上春樹著『羊をめぐる冒険』、ジャック・ケルアック著『路上』である。曲のタイトルが、歌詞にも出てくる、「メリールウ」という主人公の名前を使った曲も楽曲している。映画に関しては、浅井健一の曲自身のタイトルでもある、『小さな恋のメロディー』、『イージーライダー』などが上げられる。他にも、観ていたり、読んだりしてはいるが、公に公言しているのは上記のものだ。音楽性は、ブランキージェットシティ以外、静かめな曲を収録した『SHERBETS』や『JUDE』などがある。ほかは、忘れてしまった。あ、あと、歌手のUAと組んだバンド『AJICO』。浅井健一の書く、詩の歌詞は、社会の片隅で暮らすアウトサイダーたちや、野生動物、『神様』が頻繁に登場する。そこが、私の惚れ込んだ理由の一つでもある。そして、『幸せの鐘が鳴り響くとき、ただ悲しいふりをする』という、曲には、『動物愛護団体』まで、詩に盛り込まれている。アウトサイダーたちで、言えば、売春婦、麻薬常用者、浮浪者、インディアン、精神病者、ヒッピーだ。そして、あと、忘れてはならないのは、『無垢な少年』だ。『綺麗な首飾り』という曲には、『子供の見る夢は、純粋で残酷』というフレーズもある。そして、『狼たちが、綺麗な足音を響かせ、森を駆け抜ける』という歌詞も好きだ。『don't kiss my tail』という歌詞には、『ヒッピーに憧れて、旅立ったくせに、多分、彼らの最終系は自殺だなんて言うし』という、とんでもなく、切なく、カッコいい歌詞を書いている。『ひまわり』という、曲では、歌詞の始まりが、『目の前に舞い降りた、小鳥の仕草を、見つめていたのは、倒れたヒマワリ』という、専業作家、顔負けの『擬人法』を盛り込んでいる。そして、『パイナップルサンド』という、曲には、『バナナを一つもぎ取った、お前のその動作、神様が、気にすると思うのかい?』、『明るく生きることが、すべてだから』という、非常に、楽観的な気持ちになれる歌詞も書いている。そして、『寝る前に、ブルーのジェット機に乗る夢を見たいって願う、神様お願い僕に見させて、ブルーのジェット機に乗る夢を』という、無垢な少年の、切実な思いを歌詞にしていると同時に、人間には、日々の、『祈り🛐』が必要なことを、それとなく、歌詞の中で、サラッと匂わせている。浅井健一が、イエス・キリストに選ばれた理由は、以上の功績により、【仏様】、【イエス・キリスト】より、適任と認められ、選ばれるべくして選ばれたのであるから、他の者は、浅井健一を妬んではいけない。きちんと、今までの、功績があって、選ばれているのであるから。少なくとも、浅井健一がテレビや動画、LIVE会場で歌ったことにより、救われた人類は大勢いるのだから。逆に、歯向かう考えを持っている者は、神の道と反れて進んでしまっていると考えていい。最近の浅井健一の活動状況は、ラジオ番組に出演したり、画家としても、活動をはじめ、個展を開いたり、画集を出版したりしている。勿論、音楽活動も続けながら。そして、忘れてはならないのが、『Sexy Stornes』というブランド名の、ブランド服を立ち上げ、代表取締役社長をつとめている。自身のインスタグラムを通じて、販売活動にも積極的にいそしんでいる。そして、少し前の、浅井健一のYou Tubeラジオによると、趣味でサーフィンをやっているとのことも公言している。そして、今年、もうじき、LIVE活動で、地方をまわるという、ネットニュースの記事を読んだ。つまり、浅井健一は、今日も、妹の林檎🍎と違って、頑張っているのである。以上が、浅井健一の音楽性、ないしは、活動状況の報告とする。
あ、そういやさ、健一、俺が、小学校のころ、飼ってた、雑種犬の、つまりさ、カール🐕、なんだけどさ、そう、この🐕、婆ちゃんち【家🏠】の、近所の、同級生の、男の子、【 金川 健一 】くんから、貰い犬🐶なんだよ。カールは🐕。
で、婆ちゃんちの、住む、地域はさ、相浦市、川下町って言う、みんな、そのこと、失礼やから、触れられては、いなかったんだけどさ、そう、実��さ、川下町は、部落地域、なんだよ。
つまりさ、外国かぶれの、カッコ良い、言い方で、言えばさ、ゲットー地区、な、わけよ = アメリカ🇺🇸シカゴあたりに、黑人が、ウロウロしてる、地域、つまりは、ブルーカラーの、低所得者の、労働者が、村みたいに、近所の、付き合いを、とても、重んじてる、つまりは、集落、部落な、わけよ😂 川下町はな。
あ、もっと、要約して、わかりやすく、言えばさ、スラム街なんだよ。川下町は。ボクシングの、【マークタイソン】や、日本作家🇯🇵の、【中上健次】が、実際に、産まれた、部落地帯では、ないんだけどさ、ギリ、川下町は、俺のなかでは、完全に、【げんかいしゅうりゃく】な、わけよ。
でさ、その、川下町、実はさ、占い師やら、霊的能力、与えられた、人間たちが、たくさん、集められた、つまり、天の、主に、選ばれし者たち、つまりは、ウォーリアの、集まり、な、わけよ。川下町は。でさ、健一、いずれ、福岡、住むことに、なると、思うよ。それも、早良区の、建築関係かなんかの、したっぱの、職につき、したっぱ職人やりながら、俺と、ヒッピー生活、はじめるから。いや、これ実はさ、俺の、少しまえまで、よく、食べに、行った、小麦屋、ラーメンやら、広島お好み焼きを、店で、出してる、個人経営してる、LGBTの、元ヤン、走り屋、戦闘能力、激高い、大将さんが、経営してる、店、なんだよ。
でさ、ここから、本題に、入るとさ、その、大将さんの、幼なじみの、友人から、直接、聞いた、話し、なんだよ。早良区の、工場かなんかで、
浅井健一は、働かれてます、ました?
どっちか、完全に、記憶から、消えてるけど、
そう、そ��人はさ、その、小麦屋の、元ヤン大将、暴走族、走り屋の、幼なじみの、友達であり、部下でもあるんだよ。2人の、関係性を、横耳で、ずっと、聞いてると、わかったんだよ。でさ、その、大将の、幼なじみ友達兼、部下でもある、その、それなりに、金を、持ってる、大将の、客友達からさ、たまたま、俺、聞いたんだよ。でさ、その人、個人経営で、ガーデニング、植木職人の、会社を、営まれてる、わけだよ。見た、感じ、その人の会社、それなりに、儲かってる、みたいだよ。つまり、次郎丸の、小麦屋の、大将の、幼なじみの、常連友人から、聞いた、はなし、何だよ。で、一回目に、その話しを、聞いたときはさ、純粋に、そのこと、信じたわけだよ。俺👀👌
でもさ、そのことに、対して、とても、興味が、湧いてたからさ、俺は、もっと、細かく、聞かなかったことを、後悔してた、矢先にさ、そう、また、別の日に、その、小麦屋に、俺が、酒飲みに、入ったらさ、偶然にも、また、その、大将の、友達が、カウンターで、焼酎水割りで、飲んでたんだよ。
それでさ、これは、チャンスと、思ったんだよ。
その、健一が、早良区に、いずれ来ることを、期待して、そう、俺から、また、その話しに、持っていった、わけだよ。そしたらさ、その人の、リアクションはさ、「あれ?私、前回、そんなことまで、口に、してたんですね、」と、少し、照れた様子で、また、話してくれたんだよ。で、彼、音楽通でさ、そう、珍しく、ブランキージェットシティのことを、知ってた、わけよ。そんで、そのボーカルが、浅井健一であることも、彼、知ってた、わけだよ。だからさ、つまり、これは、人違い、その人の、勘違い、では、ない、話し、な、わけよ
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465夜
465夜 #松岡正剛 #千夜千冊 #ライ麦畑でつかまえて #カッコ���の巣の上で #キャッチ=22 #キャッチャーインザライ
松岡正剛さんが亡くなりました。あたしの勤務先では、特に著者などは刊行していませんので、縁はやや薄いでしょう。ただ、松岡さんの「千夜千冊」の第465夜で『ライ麦畑でつかまえて』を紹介いただいたのが、個人的には非常に印象に残っています。 その第465屋の冒頭で松岡さんは次のように書かれています。 一九六〇年代のアメリカで若者たちのお手軽なバイブルになりかかっていた文芸作品が三つある。精神科病院を舞台に患者たちの擬装と反抗を描いたケン・キージーの『カッコーの巣の上で』(冨山房)、戦争状態という管理と倫理の悪夢を描いたジョーゼフ・ヘラーの『キャッチ=22』(早川書房)、そして、J・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』である。 あたしは、その当時のアメリカの状況を知らないので、この松岡さんの指摘がどれくらい打倒するのかわかりません。でもそういうものなのだろうと、この記事を読んだ当時は思ってい…
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2024/08/13
今回の担当:🎈
次回の担当:🦋
お休みが始まってはや1週間。夜ご飯を作ったり映画を観たり夜ふかししたりアイスを買いに行ったりして、今のところは比較的ふつうに過ごせています。
今日はお盆ということで、祖母の家に集まって夜ご飯を食べました。こういう形式の上にあるご飯が好きです。食べることは生きることという感じがして。去年はじめて斎場でご飯を食べる機会があったんですが、こんな所で普通にご飯食べていいの?と思いながら、でもお腹は空いていたのでナポリタンを頼んで食べたのを覚えています。メニューにはふつうのご飯からソフトドリンク、おまけにデザートのアイスまであって不思議な気持ちになりました。
最近見たもの
有意義に過ごそうと思って過去に観た映画を見返していました。
映画『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』を観ました。たぶん2回目か3回目。『ライ麦畑』読んだことないのに……。さすがに読みます。観終わってからようやく図書館に予約をかけた。映画、音が聴きやすくて映像から伝わる空気が澄んでいて、観ていて傷付かないというか、傷付いてもいいような気持ちになる。また見返したい。
映画『恐怖分子』を観ました。もう何回目か分からない。何年か前にレンタルして観たときに画面の美しさに衝撃を受け、その場で中古のDVDを通販で買ったものです。画面の切り取られ方がずっと美しすぎて、ストーリーを追わなくても映像を眺めるだけで観ていられる。夜ふかしのお供に良いです。また観ます。
まだ観ていない映画がかなり溜まっているので、お休み中にちゃんと観ようと思います。それで苦しむ時間を減らしたい……。
おいしかったもの
ヨーグルトのアイスをたくさん作って毎日食べています。
冷凍できる��に、ヨーグルト200g、上白���60g、牛乳200g、レモン汁スプーン1杯を順番に加えて混ぜ、冷凍庫に入れて、1〜2時間おきに取り出してかき混ぜながら固めたら完成。もしあれば、最後に混ぜる時にハンドブレンダーを使うと食感が段違いによくなります。みなさんも是非!
回答
🌜
世界を表そうとする手段のひとつ。ここでの「世界」とは実際の世界だけでなく、漠然とした想像や、空想上の世界、理想までを広く含む。言葉でこの世界のすべてを語りきるのは不可能だけど、それでもできる限り近付こうとしているもの。でも逆に、言葉によって形作られている世界もある。
言葉を使うことはその言葉の概念を借りてくることで、それは表そうとするものと全く同じにはならないと感じます。でも言葉によって表される世界には言葉らしい一定の整い(表現されるものがある程度定まっていること、言葉にリズムがあること、物によって幅はあれどだいたい共通の意味を他の人と共有していることによる内容の伝達性など)があるので、まとめたり作ったりする手段として便利。
↑これで300字と少しでした。自分にとってはこう?だと思います。たぶん歴史を信じているからこのように思っている。これ他の人にも聞いてみたいですね……。
質問
今、いつもより映画とか小説を吸収する意欲がある気がするので、夏休みに見るといい作品があったら教えてほしいです……!これは考慮しなくてよいですが、プライムビデオか図書館で閲覧できると助かるかも……。夏休みとか一切関係なくても大丈夫です。
私のおすすめ?は、映画『真夏の方程式』です。映像がすばらしく夏!大学図書館でも観られます。
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「ようこそ、ヒュナム洞書店へ」ファン・ボルム/著を読了。
会社を辞めたヨンジュはソウル市内の住宅街に「ヒュナム洞書店」を立ち上げた。書店にやってくるのは、就活に失敗したアルバイトのバリスタ・ミンジュン、夫の愚痴をこぼすコーヒー業者のジミ、無気力な高校生ミンチョルとその母ヒジュ���会社員の傍らブログを書き作家となったスンウ。……。誰もが競争社会から一歩身を引き、自分らしい生き方を模索していく。それぞれに悩みを抱えたふつうの人々が、今日もヒュナム洞書店で出会う。
韓国の電子書籍出版プロジェクトに入選後、配信されるや人気を博して紙の書籍が刊行された話題作。本屋大賞の翻訳小説部門1位
将来への不安や悩みを抱えた人たちが登場する。書店での交流を通して気付きを得たり慰められたりしつつ、最終的には自分の足で立ち上がる勇気を手にしていく。それぞれの人々は程よい距離感にいて、その関係性は緩くて居心地が良さそうである。人生のある時点で立ち止まり、しばしば休み、再び歩き出す人々の姿は、雑多で変化のない日常のうねりから少し距離を取り、自分自身のあるべき姿をゆっくり考える必要性を、やさしく押しつけがましくなく描く。
書店の物語なので、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」など作中に登場する作品も多い。また、著者のあとがきで「自分だけのペースや方向を見つけていく人たちの物語」とした上で、思い描いた雰囲気として映画「かもめ食堂」を挙げていて、なるほどなと思った。
主人公ヨンジュの、辛い過去により麻痺してしまった、留めているのに染み出てきてしまうような感情表現がとても印象的だった。一見にこやかで人当たりの良い人にも、いろんな過去や痛みがあっても当たり前なのだと感じることが、人の気持ちを理解する最初の一歩なのかなと思った。
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SIMON AND GARFUNKEL Bookends サイモン&ガーファンクルが再結成し、セントラル・パークでコンサートをし、そして日本にも来た。僕は、1人、大阪球場公演に出かけた。1982年5月7日のこと。その時、隣の席にいた年上の女性と仲良くなった。僕が自分の混沌とした日々を話すとサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を読むように薦めてくれた。僕の1960年への追体験は今でも続いている。何故だか僕にも分からない。 Simon & Garfunkel reunited, played a concert in Central Park, NY, and came to Japan. I went to the Osaka Baseball Stadium concert alone, on 7 May 1982. At that time, I befriended an older woman who was seated next to me. I told her about my chaotic days and she suggested I read Salinger’s “The Catcher in the Rye.” My reliving of 1960 continues to this day. I don’t know why. #simonandgarfunkel #1968 #cbssonyrecords #reissue #1973 #madeinjapan #discog #helloharuo
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映画『レイニイ・デイ・イン・ニューヨーク』
私はWowowとAmazon PrimeとU-Nextに入っていますが、新たにLeminoにも入りました。25日に予定されている井上尚弥vs.フルトンのボクシングの試合を見るためです。
最初の1ヶ月は無料というアレで、井上vs.フルトンが終わったらすぐに解約しようと思っていますが、たまたまウディ・アレンの『レイニイ・デイ・イン・ニューヨーク』(2019)が上がっていたので見てみました。
私はウディ・アレンの大ファンでした。『アニー・ホール』(1977)を見て「こんな映画���あるのか!」と驚き、初期の『泥棒野郎』(1969)や『バナナ』(1971)、『ボギー、俺も男だ』(1972)、『誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXの全てについて教えましょう』(1972)、『スリーパー』(1973)も含めて、ウディ・アレンのほとんど全ての作品を見ているはずです。
アレンが出している3冊の小説集『これでおあいこ』、『羽むしられて』、『ぼくの副作用』も読んでいます。今も本棚のどこかにあるはずです。
『アニー・ホール』以降の作品ももちろん見ています。『マンハッタン』(1979)は人が言うほどいい作品とは思えませんが、『カメレオンマン』(1983)、『カイロの紫のバラ』(1985)は名作だと思いますし、それほど話題になった映画ではありませんが『スターダスト・メモリー』は生涯忘れられない映画の一つです。
でも……いつの頃からかウディ・アレンはダメになりました。『世界は女で回っている』(1997)と『ミッドナイト・イン・パリ』(2011)は名作だと思いますが、世間的には高い評価を受けている(のか?)『ブルー・ジャスミン』(2013)も含めて全くダメな映画です。
『レイニイ・デイ・イン・ニューヨーク』は世間的には決して高い評価は受けていません。でも、私は割と好きでした。
主人公はギャツビーとアシュレーという大学生のカップルです。二人は学生新聞を作っていて、アシュレーが有名な映画監督ポラードのインタビューをすることになったので、ニューヨークに出かけます。
ギャツビーはマンハッタン出身で、恋人のアシュレーに街を案内し、ロマンチックな時間を過ごそうと考えていますが、アシュレーは有名人にインタビューできることで舞い上がり、ギャツビーとの予定をキャンセルします。
そうして離れ離れになった二人がそれぞれ雨のニューヨークで過ごす1日を描くのがこの映画です。
二人の「冒険」は寸断され交錯していますが、わかりやすいようにまずアシュレーの1日を書くとーー
アシュレーは映画監督のポラードに気に入られ、新作の試写に連れて行かれます。ポラードは新作が気に入っておらず、失敗作だと言って出ていきます。アシュレーは脚本家のテッドと一緒にポラードを車で追いかけます。
しかし、その途中、テッドは自分の妻が自分の親友と一緒にいるところを目撃してしまい、アシュレーの前で二人は夫婦喧嘩を始めます。
テッドと別れて撮影所にポラードを探しに行ったアシュレーは、そこで有名な映画俳優フランシスコと出会い、ディナーを共にした後、フランシスコの家に行きます。
二人はそのままベッドインしそうな雰囲気ですが、その時突然、フランシスコの婚約者の女優がやってきて、アシュレーは下着姿のまま雨の降る外に出されてしまいます。
田舎出のちょっと野暮ったい女子大生が有名監督や脚本家や映画スターに気に入られるというのはちょっと不思議ですが、彼らにとって��野暮ったいからこそ新鮮に見えたのかもしれませんし、まあそんなに違和感はありません。きっと翌日になればアシュレーに会ったことさえ忘れてしまうのでしょうが、その時は本当に惹かれたのだと思います。
ただ、アシュレーが有名人に会ってポーッとなるバカな女に見えたのはちょっと残念でした。
一方、アシュレーにデートをキャンセルされたギャツビーは、街で高校時代の友人に会い、その友人が撮影している映画にエキストラとして出演することになります。シーンは車の中で女の子とキスするところだけーー相手役はギャツビーが高校時代に付き合っていた同級生の妹チャンです。
チャンは言いたいことをズケズケと言う女性で、アシュレーがムッとする場面もありますが、なかなか魅力的な女性です。でも、その時はキスシーンを撮影するだけで終わります。
そのあとギャツビーは兄のところへ行きます。兄は近いうちに結婚することになっているのですが、実は結婚したくない、婚約者の笑い方が嫌いだからだと打ち明けます。
えーっと、それから何だったっけーーギャツビーは雨の中でチャンと再会し、チャンの家に行ってピアノを弾き、二人でその曲にふさわしい映画の場面を想像します。チャンは女が男を待っている場面がふさわしいと言いますが、ギャツビーは男が女を待っている場面がいい、場所はセントラルパークの時計台の下だと言います。
二人は美術館に出かけますが、そこでギャツビーの叔父夫婦と会ってしまいます。叔父夫婦はその夜ギャツビーの母親がパーティーを開くからそこに来るように言い、ギャツビーはイヤイヤながら恋人と一緒に行くと約束します。
しかし、アシュリーは全く連絡がつきません。そこでギャツビーはバーで娼婦を拾い、アシュレーのフリをさせて母親のところへ行きます。
しかし、母親はギャツビーを自分の部屋に呼び、「あの女は娼婦でしょ。すぐにわかったから追い返したわ」と言います。ギャツビーは母親が常に賢く優雅でなければならないと言うことに辟易していると言い、なぜ娼婦だとわかったのかと尋ねます。
すると母親は「わかるわよ。私もそうだったから」と答えます。母親はかつて田舎からニューヨークに出て、生きるために娼婦をしていました。その時の客だったのがギャツビーの父親で、二人は力を合わせて財産を作り上げた、だからこそ自分は自分にも息子にも常に賢く優雅であることを要求したと、母親は言います。
なるほどね。
若い主人公がニューヨークの街を彷徨い、最終的に家族と和解するからでしょうか、唐突な連想だと思いますが、これは『ライ麦畑で捕まえて』のウディ・アレン・バージョンなんだと、私は思いました。
その後、ギャツビーとアシュリーは宿泊先のホテルでようやく再会します。アシュリーはいろいろあったけど、何も起きなかったーー誰とも寝ていないということですねーーと言い、ギャツビーは母親の話をして「僕はママを見くびっていた」と言います(ギャツビーは告白を聞いて母親のことが好きになったということですね)。
アシュリーが「馬車に乗りたかったけど、明日帰るから無理ね」と言います。ギャツビーは「無理じゃないさ」と言って、二人は帰る前に馬車に乗ります。
しかし、ギャツビーは突然、���シュリーに別れを告げ、馬車を降ります。彼の行き先はーー分かりますよね?ーーセントラルパークの時計台。
そこで待っていると向こうからチャンがやってきます。二人が抱き合いキスをするところでジ・エンド。
この結末はあまりに甘すぎるし、あまりにご都合主義だと思います。ギャツビーとチャンの会話が伏線になっているのはもちろんですが、時刻を指定しないと会おうにも会いようがないじゃないですか。ギャツビーはニューヨークでの一夜の彷徨を通して変わった、真実の愛に目覚めたと言いたいのでしょうが、それって単に一人の女から別の女に乗り換えただけじゃないのとも思えてしまいます。この結末は男の願望であり、童貞の夢なんじゃないのかな(ギャツビーはもちろん童貞ではないでしょうが、女に夢を見すぎているという意味では「童貞」です)。
それに、出てくる人物たちがみんな金持ちで豪華なアパートメントに住んでいるというのも、個人的にはどうかなと思いました。ギャツビーとアシュレーが泊まるホテルだって超豪華です。私は根が貧乏性なのか、大学生がそんなホテルに泊まるなよと思ってしまいました。
ネット情報によれば、この映画は実は呪われた映画のようです。#Me too運動の高まりの中、ウディ・アレンが養子にした少女に性的虐待をしたという話が再燃し、この映画の出演者たちは次々と出演したことを後悔しているというメッセージを発信し、出演料を#Me too関連の団体に寄付したとのこと。
うーん、そうなんだーーとしか私は言えません。
個人的には決して嫌いになれない映画であり、少しだけ昔のウディ・アレンが戻ってきたような気がして嬉しくなりました。
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昔の麦の穂は長く(2mくらい)、畑の中に入ると外から見えないため、かつてのヨーロッパの農家では男女の営みをするために麦畑を使っていた(家に部屋割が無いためここが最も見えない)そうです。そのため「ライ麦畑でつかまえて」のタイトルが何の暗喩か、分かる人には分かったそうです。つまりセ
あきはばら博士さんはTwitterを使っています
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[資料] 01 村上春樹さん 『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の題は訳さないのですか? はるき30年ぶりの新訳で話題となった「ライ麦畑でつかまえて』。 村上春樹氏のなめらかな訳文 が原作を若返らせた成果は認めつつも、腑に落ちないのはその題名だ。 小説に限らず、 映画もCDもカタカナばかりが氾濫している文化状況。 このままで日本語の「翻訳力」は大丈夫か。あきお大学の授業で映画の話をしていてちょっとしたショックを覚えた。
02
ヒッチコッ ク監督 『鳥』に言及したとき、 期せずしてくすくす笑いが起こったのである。 聞いてみると、 『鳥』というタイトルがおかしいのだという。 奇妙な話ではないか。“The Birds" が鳥でなぜ悪いのだろう。 しかし何しろ、いまや映画館にかかる作品の88パーセントまでがカタカナ題名 (「eとらんす」 6月号、 高橋昭男氏の文章を参照)という状況があるのだから、学生たちの反応も無理からぬものかもしれない。『トゥー・ウィークス・ノーティス』だの『マイ・ビッグ・ファット・ウェディング』だの、 その 「意味」 などはどうでもいい。 自分に訳すこともできない題名の映画を観ることに居心地の悪さを感じる者は誰もいないのだし、そもそも訳したりしたらかえってかっこ悪いという意識が、 広く共有されているのだろう。
03
身の回りにカタカナ語がむやみやたらに増えてきた。 そう実感しないわけには いかなくなってから久しい。 かつては中国・朝鮮に、 そして明治以来はひたすら西洋に学んできたこの島国である。 外来の言葉によって国語がおおきく揺すぶられ続けることは宿命であり、 またそこにこそこの国の誇るに足る活力の源があった。「翻訳文化」とはけっして「自虐的」な呼称ではなく、むしろ異文化に開かれた謙虚さと、学ぶ力の旺盛さのあかしなのではないか。 そんなふうにぼくは一介の外国語教師として、さらにはまた翻訳を手がける人間として考えてきた。
04
ところが、わが国の言葉や文化の成り立ちそのものとわかちがたく結びついた 翻訳という営みが、 いま著しく弱体化しているのではないか。 翻訳文化を支えて��た活力――「翻訳力」 とでも呼ぼうかが、じりじりと減退しつつある。 そ れとひきかえに訪れたのが、われわれの身の回りをカタカナ語が幾重にも取り巻くという事態であると思えるのだ。
05 もちろん、カタカナまじりの喋り方を誇示する人間が明治の頃からいくらでも 資料 1957つぼうちしょうよう とうせいしょせいかたぎいたことは、 坪内逍遙 『当世書生気質』 を開いてみればわかるとおりだし、 そういう文章を書いて得意になる人間にも昔から事欠かなかった。 だが現在のカタカナ語氾濫は、もはやそうした教養や趣味のひけらかしとはまったく異なる深刻な段階に達している。 肝心な語をなぜか平然とカタカナ表記の英語にゆずりわたしてしまう。 いや、 肝心な語だからこそ、それを日本語で言い表すのが恥ずかしい。それを日本語に訳すのがとんだ粗忽な振る舞いであるかのように思われてためらわれる。そんな不思議な翻訳回避の姿勢が、すっかり人々のあいだに浸透してしまったらしい。
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肝心な語とは、映画タイトルやCDの表題といった、要するにいちばん人目に 触れるはずの単語のことだ。 振り返ってみると、80年代後半、 バブルのころから、『リーサル・ウェポン』、 『ダンス・ウィズ・ウルブズ』式のやり方が主流になってきたのではないか。 訳さないのがあたりまえ。 「邦題不在」 を是とする感性がいつのまにか世の中を支配してしまったのだ。 07
『ライ麦畑』 をつかまえろ 08
翻訳文芸書で今年最大の話題作は早々に決定した。 言うまでもなく村上春樹氏 によるサリンジャーの新訳だ (白水社)。 なるほどページを開いて読んでみれば、実になめらかでスムーズな訳文の完成度はずば抜けて高いこと間違いなく、原作を一気に若返らせた偉業と言えるだろう――ただしもちろん、原作の売り物だった「今風の」若者言葉の語り口自体、 現在のアメリカ人読者にとってかなり古びてしまったはずなのに (筆者の知己であるアメリカ人の文学研究者によればそうであるという)、 それを若返らせたならば原作への 「忠実さ」を裏切ることになるのではないかという疑問は残る。 それはともかく、 ここでも肝心のタイトルがなぜか訳されていないことを、 残念に思わずにはいられない。 『キャッチャー・イン・ザ・ライ」 やれやれ、と呟きたくなる。 「ライ麦畑でつかまえて』 という故・野崎孝氏訳の邦題のすばらしさが改めて思われる。 原題はアメリカ人読者にとっても、そもそも奇妙な響きをもつ不透明なタイトルだった (と同じくわがアメリカの友人は言う)。 それを単にカタカナで転記して、いったい何を伝えようというのか。 原題��最初の 「ザ」 が抜けているという語学的不正確さとともに、浮き彫りになるのは 「翻訳回避」の姿勢のみではないか。 「そのままカタカナ方式」 が歓迎される世相へのもたれかかりが気になってしまう。 むろんそんなことを気にする読者はほとんどいないのだろうが、唯一、ロシア文学者・沼野充義氏の発言に救われた (『文學界』6月号、「毎日新聞」 5月4日付)。 題も訳してほしかった、ロシア語だったらこんなやり方はとても無理だからと沼野氏は苦笑するのである。
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そうなのだ。 要するに「丸投げ方式」 が通用するのはもっぱら、 英語が対象のかしましげる場合のみなのである。 ロシア文学やフランス文学では到底無理。 鹿島茂氏は愛するバルザックの傑作をいまの読者に何とか手に取らせようとして、『ゴリオ爺さん』の新訳を『ペールゴリオ』 (藤原書店)とフランス語そのままの題で出した。だがいっそのこと『ファーザー・ゴリオ』とか『ゴリオ・パパ』とした方が手っ取り早かった。 フランスもので言えば 『異邦人』 が 『ストレンジャー』、 『星の王子さま』 が 『リトルプリンス』 に変身する日だって近いのかもしれない。
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影響力甚大なる村上氏だからこそ、 『ライ麦畑でつかまえて』にかわる邦題を つかまえてみせてほしかった。 そもそも翻訳という営みの根幹にあるのは、異国の言葉に自らの言葉を対置させ、名付け直す作業だったのではないのか? [中略]
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「プルーストって人間ですよね」
12 [中略] 「外国文学」 の惨状が [中略]、 カタカナ語氾濫時代の裏側に広がり出している。 そこには翻訳を読む力の低下と、翻訳を通して異国の文化を発見しようという欲望の減退がありありと表れている。
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先般 『ある人生の音楽』 (水声社) というフランス小説の翻訳を深い感動とともに読んだ。訳者は星埜守之氏。 わが旧友なのだが、 現在のフランス文学翻訳者のなかで最高の仕事をしている一人ではないかと常々畏敬している。 原作者はアンドレイ・マキーヌという、ロシアからフランスに亡命し、 言葉もロシア語からフランス語に取り替えて小説を書いている人だ。 フランスでは一般の読者からも広く支持されている人気作家である。 14
この翻訳書の書評がある新聞の読書欄に載っているのが目に留まった。 一読、 仰天した。 いまどきこういう難しい本の読者が日本にいるかどうか疑問だ、という風なことが書いてある。 そこまで読者を見くびっていいのかと思うが、しかしそれが正確な現状認識であるのかもしれない。ひたすら美しい小説なのに、 少しも話題にはならずじまいのようだし。 「外国文学」が窮状に追い込まれている。 「文学」 自体���うではないかという話はここでは置く。 異国の文学と真剣に向かい合い、 2カ国語のあいだを行き来する試練を経て翻訳を作り上げる。 読者はその翻訳を読むことで、 別の文学、 異なる文化のあり方を体験する。 それがさらには、日本語での新しい創造への刺激として働く。 そういううるわしい相互作用の総体が、かつて「外国文学」という領域として存在したはずだ。 たとえばフランス文学やロシア文学がそこで中核的な役割を演じた。 もちろん、 昔話にすぎない。 授業中ドストエフスキーの名前が出てきて、 東大の大学院生が 「それ誰ですか」 と質問したという話をわが同僚が活字にしていた。 ぼく自身、 プルーストという名前を口にして、「それって人間ですよね」と聞かれてしまった。 人か物かをまずはっきりさせてほしいというわけだ。
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そんな質問をした学生をぼくはむしろ愛しく思う。 堂々と質問するだけ立派で ある。 学ぶことへの熱心さがあるのだから、 彼が無教養な人間であるはずはない。問題なのは、 彼とドストエフスキーやプルーストとのあいだに立ちふさがり、それらの名前が目に入らなくしてしまっている現代日本文化のあり方のほうなのだ。
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ぼく自身はなぜだかわからないが、翻訳の小説や詩を読みふけって育った。 わ ざわざ外国の言葉から訳されたのだから、 それだけのことはあるに違いないと信じて読む。 するとなるほど手ごわくも強烈な世界がそこに広がっているではないか。その異質でしかも不思議にリアルな世界を知ることは間違いなく、 強い喜びを与えてくれた。 翻訳によって 「日本」 を超える文化と触れ合い、 それを異国の人間と共有することができたという実感。 そこにこそ「グローバル」と形容するに足る喜びがあったのだ。 そんな喜びに浸ったことのない若者がどんどん増えていることが、気の毒で仕方がない。
17 そこで翻訳論などという授業をやってみる。 愛読した翻訳書はと聞けばほとん どの学生は 『ハリー・ポッター』。 それよりつらいのは、翻訳書は嫌いだから読まないと断定する人間が必ずいることだ。 翻訳書の日本語は不自然で読みにくい、文学は翻訳して伝わるものだとは思わない等々と、立派な理由を掲げてくる。 困ったことだ。 それではロシア語をやらないかぎりドストエフスキーは読めないし、フランス語をやらないかぎりプルーストは読めないことになる。 そしてフランス語をやったとしても、プルースト読解への道ははるか遼遠だ。 しかも日本は、プルーストの立派な完訳が2種類も出ている世界でも稀な国なのだが。 そしてまた、日本語として「不自然な」 言葉を懸命に練り上げ、 かつ咀嚼していくなかで育まれてきたのが「翻訳大国」 日本の文化であり、言葉であったはずなのに…。
18 外国語の教育は英語だけで十分、 しかも子供のころから会話中心でやるべしと いう考えが、 「反受験英語」 イデオロギーに乗ってすっかり広まっている。 これまた、「翻訳力」 衰退を加速させる要因となるに違いない。 「使える」 英語を求めての会話中心主義を盲信したなら、ある程度から上のレベルの英語表現の読み書きに到達することは困難であることは、 すでに説得的に論じられている (気鋭の英語学者・斎藤兆史氏による 『日本人のための英語』 <講談社 > などを参照されたい。
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そして会話に対し時代遅れとされる「訳読」 こそは、他者を「理解」する上でつきまとう困難と、 それに挑む姿勢を学ぶ上でもっとも重要なメソッドのはずだとぼくなどはいまだに信じている。 しかし近い将来、 「訳読」 をむやみに断罪する偏見はいよいよ強まり、 それが翻訳という営みへの無関心を加速させるのではないか。もちろんドストエフスキーもプルーストも、今よりもっと無名化していくということだ。 アメリカの属州としてふるまいつつ、事実上の文化的 「鎖国」へと日本は向かうのだろうか。 世界に向かって自らを閉じつつある当のアメリカの姿勢をお手本とするかのようにして。 いみじくもポール・オースターは、ここ15年アメリカでは他国の本の翻訳がろくになされていないと嘆いている (「朝日新聞」 6月20日付夕刊)。[中略]
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翻訳とは文化的レジスタンスの営みである
21 「外国文学」コーナーが書店からみるみる縮小され失われていき、毎月の文庫 新刊の広告を見れば、翻訳書はミステリー (そして映画化物)のみという状況を 前にして、「外国文学者」 や翻訳家たちの士気が上がろうはずもない。古典の翻訳は次々に入手不可能になり、同時代のアメリカ以外の) 文学が紹介される機 会も減る一方だ。
22 だがしかし、それは逆に言えば、いまや翻訳には、閉塞へと向かうそんな強力
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心配する親たちや宗教的な指導者たちが、長い間一部の本に対して反対してきた一方で、現在の検閲の増加はより暗く、より危険だ。わずか数年前、学校での禁書の最大の理由として報告されていたのは、性的な内容と攻撃的な言葉だった。しかし、物事は急速に変化している。現在の禁書は通常、ある本について異議が申し立てられた後、地元政府と教育委員会によって行なわれる。申し立ては、政治的主張団体による場合が多い。アメリカの学校や幼稚園で数十年にわたり必読書だった有名な本が突然、いくつかの保守的な州では使用禁止になる。『ハリーポッター』や『シャーロットのおくりもの』『トム・ソーヤーの冒険』『ライ麦畑でつかまえて』が禁書になっている場所もある。
Book banning in the US | ニュースで英語を学べる The Japan Times Alpha オンライン
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【 浅井健一 = イエス・キリスト 】
浅井健一は、1980sのストレイ・キャッツに多大な影響を受けており、ブランキージェットシティ初期の、浅井健一の、ヘアスタイルのトレードマークでもあった、ブロンドリーゼントヘアはストレイ・キャッツのボーカルの髪型を真似したものと思われる。しかし、本人がどう考えているのか、知らないが、顔の彫りの深さから、ストレイ・キャッツより、ボブ・ディランの方に、似ているのである。勿論、個人的な考察に過ぎないのだが。1990年代後期より、リーゼントヘアから、西海岸の海辺にいる、若者サーファーのような、長髪にゆるいまき髪ヘアスタイルに変更されており、それは、今の時代 ( 2023年12月 )まで、継続されていることから、本人に、定着したヘアスタイルと考えても、無論、間違いではない。他には、多機の洋楽を中心に音楽を聴き、影響を受けており、主なバンドは、カーペンターズ、パートリッジファミリー、ショッキングブルー、ジョン・レノン、井上陽水などから影響を受けたと、公言している。本は、JDサリンジャー著『ライ麦畑でつかまえて』、村上春樹著『羊をめぐる冒険』、ジャック・ケルアック著『路上』である。曲のタイトルが、歌詞にも出てくる、「メリールウ」という主人公の名前を使った曲も楽曲している。映画に関しては、浅井健一の曲自身のタイトルでもある、『小さな恋のメロディー』、『イージーライダー』などが上げられる。他にも、観ていたり、読んだりしてはいるが、公に公言しているのは上記のものだ。音楽性は、ブランキージェットシティ以外、静かめな曲を収録した『SHERBETS』や『JUDE』などがある。ほかは、忘れてしまった。あ、あと、歌手のUAと組んだバンド『AJICO』。浅井健一の書く、詩の歌詞は、社会の片隅で暮らすアウトサイダーたちや、野生動物、『神様』が頻繁に登場する。そこが、私の惚れ込んだ理由の一つでもある。そして、『幸せの鐘が鳴り響くとき、ただ悲しいふりをする』という、曲には、『動物愛護団体』まで、詩に盛り込まれている。アウトサイダーたちで、言えば、売春婦、麻薬常用者、浮浪者、インディアン、精神病者、ヒッピーだ。そして、あと、忘れてはならないのは、『無垢な少年』だ。『綺麗な首飾り』という曲には、『子供の見る夢は、純粋で残酷』というフレーズもある。そして、『狼たちが、綺麗な足音を響かせ、森を駆け抜ける』という歌詞も好きだ。『don't kiss my tail』という歌詞には、『ヒッピーに憧れて、旅立ったくせに、多分、彼らの最終系は自殺だなんて言うし』という、とんでもなく、切なく、カッコいい歌詞を書いている。『ひまわり』という、曲では、歌詞の始まりが、『目の前に舞い降りた、小鳥の仕草を、見つめていたのは、倒れたヒマワリ』という、専業作家、顔負けの『擬人法』を盛り込んでいる。そして、『パイナップルサンド』という、曲には、『バナナを一つもぎ取った、お前のその動作、神様が、気にすると思うのかい?』、『明るく生きることが、すべてだから』という、非常に、楽観的な気持ちになれる歌詞も書いている。そして、『寝る前に、ブルーのジェット機に乗る夢を見たいって願う、神様お願い僕に見させて、ブルーのジェット機に乗る夢を』という、無垢な少年の、切実な思いを歌詞にしていると同時に、人間には、日々の、『祈り🛐』が必要なことを、それとなく、歌詞の中で、サラッと匂わせている。浅井健一が、イエス・キリストに選ばれた理由は、以上の功績により、【仏様】、【イエス・キリスト】より、適任と認められ、選ばれるべくして選ばれたのであるから、他の者は、浅井健一を妬んではいけない。きちんと、今までの、功績があって、選ばれているのであるから。少なくとも、浅井健一がテレビや動画、LIVE会場で歌ったことにより、救われた人類は大勢いるのだから。逆に、歯向かう考えを持っている者は、神の道と反れて進んでしまっていると考えていい。最近の浅井健一の活動状況は、ラジオ番組に出演したり、画家としても、活動をはじめ、個展を開いたり、画集を出版したりしている。勿論、音楽活動も続けながら。そして、忘れてはならないのが、『Sexy Stornes』というブランド名の、ブランド服を立ち上げ、代表取締役社長をつとめている。自身のインスタグラムを通じて、販売活動にも積極的にいそしんでいる。そして、少し前の、浅井健一のYou Tubeラジオによると、趣味でサーフィンをやっているとのことも公言している。そして、今年、もうじき、LIVE活動で、地方をまわるという、ネットニュースの記事を読んだ。つまり、浅井健一は、今日も、妹の林檎🍎と違って、頑張っているのである。以上が、浅井健一の音楽性、ないしは、活動状況の報告とする。
【 浅井健一 = キリスト・イエス】
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