#ミルウォーキー
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)7月17日(水曜日)
通巻第8334号
JDバンス副大統領候補は「トランプのクローン」とバイデン
中国問題が一番、ウクライナはさっさと領土割譲に踏み切れ
*************************
バイデンは共和党副大統領候補に指名されたJDバンスを「トランプのクローン」だと評した。
そうなのだ。バンスがトランプと共鳴したのは「アメリカファースト」である。
やや孤立主義的であり、強制送還を含む移民対策の強化、ウクライナ支援継続に反対し、同性婚と中絶に反対し、USスチールの日本企業の買収に反対している。ただし中絶禁止の法律は州に任せるという���までトランプと同じである。
もっとも重要なポイントは中国に対しての強硬な基本姿勢であり、米国の最大の敵という認識である。そのためにはウクライナ支援継続は意味が薄いという国際情勢の認識を抱く点でも同じ基軸から発想している。トランプは中国の背後にあるロシアを地政学的に活用するにはプーチンとの関係を良好なものにしなおすという戦略的思考がある。
それにしてもトランプはなぜオハイオ州選出の新人議員をランニングメートとして選んだのか? 激戦州を勝ち抜くためだが、次の八年間を託せる政治家に育てないとする希望もあるからだろう。
JDバンスはその自伝『ヒルビリー・エレジー』をこう書き出した(ヒリビリーは「田舎者」という意味)。
「私はラスベルトを呼ばれる一帯に位置するオハイオ州の鉄鋼業の町で貧しい子供時代を送った(鉄鋼はアームコで川崎製鉄との合弁)。その町は、仕事も希望も失われた地方都市である」(中略)「将来にのぞみのない子供の一人だった。高校では落第しかけ、この町では誰もが抱く怒りやいらだちに屈しかけていた」(関根光宏、山田文訳。光文社未来ライブラリー)。
彼は海兵隊に応募した。イラクに派遣され、社会の秩序を経験して、祖国を実感し、そして米国の矛盾を知った。オハイオ大学を奨学金とアルバイトで卒業し、つぎに、エール大学のロースクールをめざす。アイビーリーグに合格する人間は、その町にはいなかった。
バンスの人生への挑戦が始まった。かれは母親の不倫や薬物中毒、夫婦げんかをいやというほど観ながら、しかし挫けなかった。家族は血筋がバラバラでも団結していた。
アメリカンドリームを体現したいと日夜努力した。その苦労ばかりの体験を素朴に書いた。修辞はゼロ、感嘆符も形容詞もなく、文章の技巧がない、ありのままを何も飾らずに綴った。
それが『ヒルブリー・エレジー』で、プアホワイトの現実を訴えた。静かに共感を巻き起こし、時代的な環境が加勢してベストセラーとなって2020年には映画化され、バンスの人生が変わった。
ウシュ夫人はインド系移民二世でサンディエゴで育った。エール大学で同級生だった。そのうえ『米国社会の衰退』を討論するグループで同じだった。ウシュ夫人は歴史を専攻した。ふたりには2013年に結婚し三人の子供に恵まれた。
▼シリコンバレーでファンド
自伝以後のバンスは『ヒルビリー・エレジー』から「シリビリー・ラプソデー」に変わったとSNSで比喩した評論家がいるが、「シリビリー」は米国メディアの造語でたぶんシリコンバレーの金持ちという意味だろう。
JDバンスは博士号を取得してエール卒業後、しばし法律事務所に属したが、起業家精神を試そうと、オハイオ州で「ナルヤ・キャピタル」を立ち上げた。ピーター・シーエル(PAY PAL創設者)も出資した。やがてサンフランシスコへ移住し、バンスは「ミスチル・キャピタル」に二年を過ごした。同社CEOはピーターだった。
腕をみがき次にステーブ・ケース(AOLの共同創設者)がCEOの「リボルーション」に移籍した。つまりバンスはファンドマネジャーでもあったので経済政策にも通暁している。
2022年にトランプの応援を得て上院議員にいきなり立候補し、民主の対立候補に20万票の大差をつけて当選した。議会歴二年にも満たないのに、トランプに見込まれて副大統領に指名されたのも、2000年選挙で、トランプ選対のオハイオ州担当が長男のエリックだったからだ。エリックはバンスと共鳴し合った。
米国の上院議員は六年が任期で途中欠員となってもやり直し選挙はなく知事が任命権をもつ。バンスが副大統領となればオハイオ州選出の上院議員はどうするのか。
現在のオハイオ州知事はマイク・デワイン(共和党。元上院議員)で、JDバンスの空席は反WOKE運動で予備選にもでたヴィヴィック・ラムスワミ(実業家)が有力だろうと各紙が予測し始めている。
七月十四日からウィスコンシン州のミルウォーキーで、2268名の代議員が集まって開催された共和党大会は二日目にニッキー・ヘイリー元国連大使が演説する。ミルウォーキーは民主党の牙城、過去65年共和党が勝ったことがない。敵地に乗り込んだ格好である。
▼アメリカンドリームの体現者もトランプ支持へ
さてこの舞台にイーロン・マスクが闖入する。これまで民主党を支持してきたマスクは、2020年から共和党支持となり、ツィッターを買収してXとし、またウクライナ緒線ではスペースXを提供してウクライナの通信網を再構���して危機を救った。
マスクは「毎月4500万ドルをトランプPACに献金する」とした。大富豪のメロンが5000万ドルを献金したから、その一割減という洒落だが、11月まで「毎月」4500万ドルの献金を計画しているという。実現すれば、空前の政治寄付行為だろう。
狙いは何か? EV対策以外考えられないのではないか。
トランプもバンスも、EV普及に関心を持たず、自動車労組の雇用確保、ガソリン車擁護、資源開発拡大を唱えている。そのうえ中国製EVには100%関税、メキシコからのEV輸入にも高関税をかけると言っている。
となると、マスクのビジネスはあがったりになるではないか。
マスクは上海でテスラを製造し、メキシコにもテスラのEV工場を造成すると言っていた。ところが、トランプが考えているメキシコ製EVへの高関税適用は中国BYDだけが対象ではないのだ(後者は北米自由貿易協定違反だから実現は無理だろうが)。
共和党綱領が発表された。すべてがバイデン政策の否定である。
仮想通貨規制、AI規制などを撤回し、気象変動対策を廃止する。テキサス州など南部への『州兵』ではなく「軍隊」を派遣する。
中国のWTO最恵国待遇を廃止し、エネルギー開発で巻き返しを図る等、市場は歓迎しエネルギー、軍事関連株が急騰した。
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『故障かなと思ったら』読書会レジュメ
この記事について
この記事は、文芸同人・ねじれ双角錐群が2022年 文学フリマ東京35にて発表したSF短編アンソロジー『故障かなと思ったら』について、文学フリマでの発表前に同人メンバーで実施した読書会のレジュメを公開するものです。 このレジュメには、各作品を楽しむためのヒントがちりばめられているかもしれません。適宜ご活用ください。
石井僚一「森/The Forest」
一言
レイ・ブラッドベリ「みずうみ」からのずらし具合��絶妙すぎて良い
よく見るとけっこう別の話になってるのに、ちょっとした場面とかぜんぶベースになってるのがわかるのすごいですよね……
もちろん湖/森の、なんだろう、ちょっと魔法っぽい場(「はる!まほうだよ……」のダメ押しよ!!)みたいなのはちゃんと共通してるし
婉曲的な話運びに圧倒されました。持ち合わせた感性に絶対の自信を持って話の輪郭を描ききる力に畏怖さえ覚えます。
単純に文章がとにかくきれい。もちろんそれは「みずうみ」(の宇野訳)を範にとったものではあるんだけど、それ以上にこの設定・内容にアダプトさせてるのがすごい(宇野訳もけっこうやわらかかったけど、もちょっと柔らかくなっている印象がある)
森を歩く歩きごこちのところとかが特に好き
レイ・ブラッドベリ「みずうみ」読みました。もとの文章がもうきれいなんだけど、それをほとんど違和感なく改変(という言葉が適切でなかったらすみません、単純な改変ではないんだけど)していて、このやわらかい文体で最後まで走り切れるパワーがすごいと思いました。
巻頭の森と巻末の閲覧者のおかげで、アンソロジー全体がstaticな感じがする。取扱説明書としてのすわりがよくなる印象
細部
P13の「ぼくはまだ、」から始まるパラグラフがすごく好きです。ずっと何度も読み返していたい美しい詩のようで、こんな文体に憧れました。
ここすごく美しいですね。
どれくらい推敲に時間を割かれているのでしょうか。言葉選びにどれだけの時間を要すのでしょうか。気になります。それくらい一文一文に隙がなく強度があります。
ざっくり構成をみていく
p10「朝のしめった空気が」~「ひとりでゆっくり回ってみたくなった」」
(ここ消えてる?)
p12「「いいよ。だけど」〜「遠くはなれた向こうで〜」
森のなか、はるとふみなさん。ふみなさんがいなくなる
「みずうみ」では、母と湖でちゃぷちゃぷしてるところ。タリーの役割と母の役割がどちらもふみなさんにかかっている……わけでもないか……でもまあそんな感じになっている
母の役割をいったんおいといたとして、タリーとふみなさんが対応している、のはそうなんだけど、タリーは事故によって命を落としているのに対して本作でははるがふみなさんをここで捨ててきている(p11「彼女をおいてここを去ることになっている」)のは明らかに位置づけが違う
で、捨て���っていうのが、恋人を振るっていう意味じゃなくて、どうやらロボット(?)的なものを物理的に置いて帰るということらしいというのが後でわかるんだけど、でもやっぱりわからない(なんで捨てたかったのかは特に言われてない、よね)
「ひとりでいるのは、」のパラグラフは、原作でもここまで主人公視点(主語 I)の過去形だった語りが、急に三人称(主語 a twelve-year-old child / he)の現在形が挿入されるところに形式的には対応していて(邦訳でどうなってるか誰か確認してくれ)、一方で内容としては子供らしさを求められる子供、から、恋人とはこうするもの、という規範に書き換わっている。
これはミスリードを超えて、はるとふみなさんはやっぱり恋人という位置づけということでいいんだろうか。ロボット(?)だとしても。
「木の枝をふりまわして、魔法つかいだと言って、きれいに笑った彼女を、ただ思い出した」:最後の「はる!まほうだよ……」に対応
p14「そして、ぼくは」〜「ぼくはそこを動けなかった。」
森を離れて、時間がとび、さくらさんと同棲をはじめ、森(箱根!)に戻ってくる。さくらさんもいなくなる(!)
「みずうみ」でも、長じてマーガレットと旅行に来るところ。場所はぜんぜん違っている
でもこの固有地名を出すタイミングは多分原作を参考にしている?かなと思った。原作でも最初のシーンではみずうみがどこなのかは明示されてない(よな)ところから去るときに初めてイリノイが言及され、マーガレットはサクラメントで出会ったというのが明記されてて、地名によるリアリティで急に大人になる感じがでるのと、多分なんだけど東部(中西部か)と西海岸のコントラストが効いている
「みずうみ」の舞台のレイクブラフはシカゴとミルウォーキーの間くらいにある小さい村 https://en.wikipedia.org/wiki/Lake_Bluff,_Illinois
みずうみっていうかもうほとんど海だよね、サイズ感としては https://www.lakebluffparks.org/parks-facilities/sunrise-park-beach/overview/
そして実際箱根町の人口が約1万なの符合がすごくて絶妙だな
p16「ここで待っていて、はる」の展開は「みずうみ」から反転してあって、「みずうみ」では主人公がマーガレットを置いてみずうみのほうへいくところ、本作では逆にさくらさんが主人公を置いていこうとし、かつ、そのときのセリフ「この森の中を回ってみたくなった」「さよなら、さよなら」は冒頭部で主人公がふみなさんを置いていったときのものを使っている
p17「「こちらの子が」〜「そして、パッケージをあけた」
ロボット(でいいのか?)の販売員との会話。ふみなさんを購入
「みずうみ」では、水死体が見つかった云々のところ。ここの改変はかなりでかい。「みずうみ」だと不穏さがぐっと出るところなんだけど、こっちはいっきにSFに飛ぶ
「みずうみ」で死で成長しない、時間が流れない、だったのが機械!っていう、その差し替えがすごくて興奮した
ここでロボット(?)のふみなさんを購入しているのは、普通に考えると過去の回想ということになる?(購入したロボットであるふみなさんを、かつて森に捨てて帰った主人公が、ふたたび森を訪れてふみなさんと再会している、という流れ?)
p18「視界のなかに人かげがあった」〜「はる!まほうだよ!」
固有名詞が出てきていないし、場所と時間が急にふわっとする。が、描写や↑とのつながりから、はるとふみなさんとして読むところのはず
「みずうみ」では、あえていえば、砂の城に戻ってきてオチの部分
箱根湯本から登山鉄道に乗り換えた先の森、強羅とか彫刻の森?
「彼女がぼくの名前を呼んだ気がした」「ぼくだってずっと変わらない……?」から、主人公が名前を呼んで起動する側だけでなく、起動される側?であることが示唆される?
さくらさんに置いていかれるという反転とも合わせて読むと、そう?
原作では主人公にとってタリーは特別、自分とは異なる存在という側面が強いように思うけれど、本作のはるはふみなさんと自分に同じ要素(ずっと変わらない)を見いだしている?
原作では足跡(よくわかってないんだけど)を見た主人公が最後に気づいて(?)砂の城を完成させる(ええと、原作の読みに自信なくなってきた。今度はタリーが半分作った城の残り半分を主人公が作ったシーンでいい?)のに対して本作では作った墓がそのままになっている(新たにというよりも最初のシーンで作った物そのままの印象を受ける)ところにある説明書(誰の?)を見つける
原作の最後は主人公が死によって永遠になったタリーを永遠に愛し続けることに気づいて、それでマーガレットを見る目が変わっている強烈なオチで終わるけど、本作ではさくらさんはフェードアウトしており、あくまではるとふみなの二人で終わっているように読める
「みずうみ」との人名対応
ハロルド→はる:音だよね
タリー→ふみな:なんだろう
マーガレット→さくら:花だよね
小林貫「取説ばあさん」
一言
CM好き。この微妙にバリエーションあるのめっちゃ良いでしょ。ジオを抱こうとしたら流れるとこでマジで笑いました。
ここ、ぼくも笑いました。
「DNAを、統制せよ」じゃあないんだよ
YoutubeのクソCMの経験をしている現代だからこそ通じるところがあっていい
モチヅキはCV津田健次郎というかんじがします。シブい。
わかる
小林作品の中で一番好きかもしれない。ちょうどサイバーパンク2077やってるから情景がめっちゃ浮かんでくる。
トリガーにアニメ化してもらおう。
ベルチナとのシンクロニティを感じる。今回ち〇こが出てくる作品多い。
ばばあ勝負では正直負けたなと。次のばばあ勝負では勝ちます。
台詞回しが上手いのと、描写の際の言葉選びにセンスを感じました。会話描くのが上手すぎるので参考にしたいです。今俺が理想としているのはこういう小説なんだなあと思いました。CMのインパクトが最強ですね。頭から離れません。
登場シーンで羅生門のばばあ以来のヤバいばばあが出てきたと思いました。
完全に「サイバーパンク」っぽい文体やガジェット、そして物悲しさみたいなものを自家薬籠中にしていやがる……そんななかでどうしても残ってしまってる人情みたいなのもいいんだよな
細部
俺もスマートウォッチかカシオの腕時計で迷って、大体主人公と同じ思考でカシオを選んだのですごく親近感がありました。
スポンサーがついている娼婦のアイデアが面白すぎてばあさんが全部どこか行きました。……結局、何でばあさんは紙の説明書を集めてたんでしたっけ……。
「終わりかけのおしっこのようなうめき声」という比喩、良すぎる。
「老婆通いの日々」みたいなのも、こう、ユーモアだよな……
ユーモアのちりばめめっちゃ良いんだよね
ざっくり構成をみていくコーナー
p22 冒頭のCM〜「ひさしぶりにいい夢を見た気がする〜」
サイバーパンクだよ、という導入。怪しげな道具屋(モチヅキマート)や焦燥感はやっぱり必須なんだ……(ほとんど「クローム襲撃」なんだよな)
p25「太陽も昇り切らない」〜「思わずつむってしまった目を〜」
取説ばあさんが出てくる。取説ばあさんて。「怪しげな稼業に手を出してしまう」も定番だけど、それが取説ばあさんなのはなんなんだよ
だからそう、ここでいかにもな電脳とか身体強化とかメガコーポがとかに向かわず、いっけんミスマッチな「取説」に向かうのもすごくいいんだよな
p29「老婆通いの日々が始まった」〜「自嘲めいた笑みがこみ上げてきたので」
取説ばあさんの噂、娼婦がなにか知っているらしいことを知る
p32「次の休み、おれは夜の」〜「抗うことのできない眠りに〜」
ジオという娼婦を買う。うまくいかない(途中でCM)。これもファムファタールなのか……?
p36「しかしそれ以来」〜「しずかに黒い幕がおりる」
取説ばあさんに襲われる。ここの襲撃描写の加速感が地味にうまい
p40「わたしには名前がない」〜「おぉ、おぉ……。」
ジオ=取説ばあさんの悲しい出自。めっちゃ義体化してる
p43「深海のように」〜「…………一分が経過した」(※便宜上ここで区切る)
ジオに縛りつけられ���ンチ
p47「我慢できずに」〜「いかめしいサイバー視覚器の下で」
モチヅキが颯爽と助けにくる。ジオ=取説ばあさん=キヌ(ばあさんぽい名前だ!)とモチヅキの血縁が明かされる。モチヅキがばあさんを撃退して、なんかブルースな感じになる
なんか世界の理不尽さ?を説明してくれる?知識欲?みたいなのが取説集めにつながってんのかとか、自分が何者かわからなかったところから名前を知ることが少しの救いになる?のとか、わかりそうなところとやっぱりわからない感じとのせめぎ合いがあり、怪異としての取説ばあさんの謎は解けてはいけない(解けてないからラストが光る)のと、でも結局ばあさんなんだったんだという、もやもやの残りと、両方ある
そうそう、ここの「結局なんだったんだよ」のわかりそうでわからない具合がかなりいい味なんですよね……
p50「おれは街を出た」〜「ねえ、取説ばあさんって知ってる?」
それでも人生は続く
しれっとネオンシードFにツッコミを入れているのもニクい
これは個人的には非常にポイントが高いというか、CMのリフレインに対応する形でこういうツッコミがあるのが良いんだよな
ラストが再度の怪っぽいのも自分は好きですね
笹幡みなみ「私の自由な選択として」
一言
SF設定が素晴らしい。パラスタット技術によって人間の精神活動が大きく変わることは想像、納得しやすい。古代の人間が神の声として並行世界の自分の声を聞いていた(『神々の沈黙』への接続)ことと結びつけるところがエレガント。バウマイスター野の刺激による本当の沈黙を経て、じつは現代においてもその声は沈黙していなかったというくだりも自然に受け入れられる。
読み終わった後また頭に戻って読み直したくなる終わり方。
テーマとギミックと文体と視点が綺麗に噛み合っていて圧倒的でした。前半は割とライトな感じで読めるのですが、進むうちに結構重めでこちらに取っ組み合いを仕掛けてくるような構成になっていて、そのエスカレートぶりが好きです。
第二論文の紹介あたりまでの説明のそつのなさ(ほんとそつがなくてこれはこれですごいんよ)から一点、第三論文の紹介で並行世界の話がぶちこまれてオッオッってなって、ユニカの過去の話とかでウェットになりつつ(このへんも淡々として見せつつ情念が滲んでる塩梅が良い……)、終盤に雪崩れ込む構成すげえうまいですよね……
各要素が違和感なくつながっていって上手だなーとおもいました。
いつもの作風に比べるとオールドスクールで、それが海外SFっぽい味わいでよき。
この内容で大きな破綻なく話を書き切るの、強すぎる……。
細部
冒頭の語りの時点はいつか。語りは並列世界を移動していないか。
p.33 「そして彼は愚かにも(ユニカはそこでエアクオートして、彼女の爪が非常灯の光を反射した)」ここのディテールが好き。
好き
わたしだけかもしれませんが最後の一文に謎が残っています。
俺もでした……。後日もう一度読み直します。「長い話」どこからどこまで?
ここは自分もわからなかったので読書会の論点にしたいです
ユニカが臨床家であるという設定が実はすごく効いていると思っていて、自由意志と決定論というテーマにもし臨床的な切り口を与えたら? というifに反射療法という道具を与えて真相に迫ろうとするのはチャレンジングでワクワクしました。
それを踏まえて、最後の実験に他人を使った人体実験を行わないのも彼女のキャラクターを表していて好きです。人道的……なのか?
タイトルにもある「私の(その人の)自由な選択として。」というフレーズの繰り返しが不気味な感じでよかったです。自由な選択に固執していて、逆説的に全然自由じゃない感じ。
ざっくり構成をみていく
p54「二〇二五年」〜「彼女のために〜」
いきなりエレベーターで足を揉んでいる。反射療法がテーマっぽいなというのもわかるところ。話のマクラとしてヒキがありすぎるんよ
p55「ユニカ・クーリッジは」〜「臨床家であったユニカは〜」
ユニカの実績を紹介するにあたっての、反射療法および自由意志(自由意志信念)に関する前提知識の共有。ユニカの第一論文の内容以外はほぼ現実そのままの説明になっている……はず(逆にここがフックになってるということでもある)。パラスタットについてもここでいちおう出てくるが、詳しい説明はされない(勘がよければわかるよね、くらいの温度感)
p60「第一の論文」〜「人類の痛みへの反逆の歴史を〜」
ユニカの三本の論文についての説明。第一第二は前節からのわりと素直な延長なんだけど、第三で並行世界が導入される(エスカレーションの第1段階)
p63「私がユニカ・クーリッジと」〜「この一連のできごとが〜」
冒頭の話に繋がる筆者個人に関する語り。冒頭に繋がる出会いや、ユニカの出自、モチベーションなどが紹介される。パラスタットについても(前節でほぼわかるとはいえ)ここではっきり判明する
p67「ユニカ・クーリッジの研究に」〜「電気刺激を停止しても」(*で区切られてはいないけど便宜上ここで区切る)
ユニカが温めていた仮説(神々の沈黙っぽい)についての説明(エスカレーションの第2段階)。バウマイスター野を直接刺激する実験(筆者も手伝った)と、その結果「ひとりになってしまった」というユニカ。ここらへんから「これ何の文章だっけ?」みたいになってくる
p71「彼女の実験ノートの中に」〜「私は開頭用ドリルを手に取った。私の自由な選択として」
ユニカの手紙を見つける。「ユニカはこう記していた」〜「次の一歩を踏み出そう。私の自由な選択として」
「私��事情を説明するために語ってきたこの文章と」からまた筆者の語りに戻る。「私が事情を説明するために語ってきたこの文章と、彼女のこれまでの研究の一切は――このあと実施する実験も含めて――データ化され、彼女の脳に信号として入力される。」
最後の一文のやつ、これか!(これか?)
p75「ユニカは長い話を終えると、二杯目のコーヒーを求めて立ち上がった。」
Garanhead「故障とは言うまいね?」
一言
直球で説明書の奇想(?)をやってて良い
王道の良さがある
この説明書産業っていうでっかい嘘にこまかいギャグとかセンチメントとかをすべて集約させる腕力も良い。なんというか変な設定で王道の話がされてるのを読むのは単純に楽しい
「故障とは言うまいね?」のミーム画像がめちゃめちゃ想像できるのが良い
文量的には長めのはずだけどスッと読めました。
ちゃんとした小説だ!となる。ねじれ双角錐群の良心。
会社間の関係とかの設定をちゃんとしているところが見習わないとなと思う。
設定が説明的になりすぎず、物語のなかで自然と読ませるかたちになっているのがすごいな、と思いました。リーダビリティが高い文章。
細部
p78「その日、ウニベルシダマニュアルカンパニーで」~
復刻版説明書の販売とサイン会。説明書とマニュアリストロの導入
ここで、この世界では説明書に異常な価値があること、マニュアリストロという資格者に異常な価値があることが、戯画化された掴みシーンと共に印象づけられるのが、さらっとすごいことをやってる
「完売。説明書、完売」とか「本間くんを、包囲しろ!」とかパシパシとノリ良く無茶を導入していて良いよね
女性に顔のインク拭いてもらってるのとか、御曹司感とギャグ具合を絶妙に表現できてて笑うんだよな
p81「時を四十年ほど遡る」~
マニュアリストロに至るまでのこの世界の設定説明パート
前のシーンで無茶苦茶ながら導入された上での説明なので、言ってることは無茶なのだがなんかそれっぽさがあってなるほどねという感じが出る(?)
この辺の細かい設定は元ネタがありそう
ここの設定の練り込みがまず好き。無茶苦茶なんだけど、すごく「それっぽさ」が出てる……
p83「俺は顔のインクを綺麗に落としてもらって車を降りる」~
チャリア工業でのマニュアルコンペ。タアナとの出会い
「食堂のカプチーノマシンがぼかーんって芸術的に故障したので、うっとりして眺めてました」そんなギャルゲヒロインみたいなやつおる?(好き)
「え、根回ししてなかったのか?」この微妙なメタツッコミみたいなやつ人を選ぶだろうけど自分は好きで、そもそもマニュアルのコンペってなんだよみたいなところから言い始めたら切りがないところを、いやまあそこはいいんですよって押し通してくれる推進力��繋がる
「ボイスチェンジャーで加工された声が響く」なんで父親がボイスチェンジャー使ってんだよ、とかさ、ずるいだろ
p86「大空タアナを捕まえたのは地下の駐車場だった」~
本間くんの因縁の提示、タアナの動機の提示(ここ結構複雑な構図をさくさくっと作ってるからちゃんとまとめたいな)
十年前、マニュアル記載漏れによる「チャリアトル事故」で主人公の母親が死亡、父親は右足を失くして顔面に怪我
声帯やられたのかな
これによりチャリア社ソーラーセイルのマニュアル作成はウニベルシダ(主人公社)からヘリオス(タアナ社)に変わる
マニュアリストロの制度ができるきっかけになる
安全なガルダのマニュアルを作るのが母への償いになると考えている
タアナの動機
マリウスくんの説明書をつくった主人公に会いたかった
「そつないなあって思いました」この口調のぶれって計算してやってんの? そつがなさすぎるよ
「過激だな。ヘラクレスか」すき
p97「車は高速道路に入り最初のパーキングエリアで停車した」~
「故障とは言うまいね?」のコラ画像
言葉の元ネタ的には卑怯とは言うまいね?なのかな
でも自分はなんか英語のミーム画像をイメージしたんだよな(画像に文字を入れるっていうところが?)
p100「案内されて大広間に出た」~
タアナからマリウスくんの説明書を一緒に作ることを要求され快諾
p102「組み立て工場はタイにあるようだったが」~
自分はここのパートがめちゃくちゃ好きで、この設定の上で相当にデフォルメされた「説明書作り」の醍醐味が伝わってくるのすごいなと思うんですよね。本作について、個人的にはここがいちばんの推薦ポイント
もちろんそのデフォルメ具合自体(現実の説明書はそうやって作らんやろ)自体も楽しい
工場に行くぜ!
まずは現場という謎の納得感があるのが良い
冷静に考えると設計のほうにいくんじゃなくて工場で現物から図面起こしてたりとか、何かがおかしくて笑うんだけど突破力があって良いんだよな。
「なぜなら俺はマニュアリストロだから」
なんだこの洋画感
「尻尾センサーを三年以上引っ張って『おやすみモード』にした場合の注意書き」
三年以上引っ張ったら子供も成長してるよ
とかいうギャグやりとりの流れから主人公が自然に笑うことができたという、「故障なんかしていない」の流れに持ってく
p106「大空タアナは死んだ」~
このへんの説明書と感情のなぞらえかたやタアナの粋なはからいもクール
最初読んだ時ロジックが結構複雑でよくわかってなかったけど、読み直したら尻尾センサーネタを上手くひっくり返してバッチリ噛み合うようになっててすごい
それで主人公の因縁というかトラウマを乗り越えて救われることができる
p112「それから月日は流れて」~
最後にミームオチなの良いんだよな
全自���ムー大陸「直射日光の当たらない涼しい場所」
一言
「なめたねじ、」好き
「電源ひ」と「大人にな」が好き
「ばらしてる」が好きです
短歌だと最初は気づかずに読んで、全部通して詩のように感じました。全てに通ずる何かの企てがあるのか、果たして……。
全ムーさんの歌、やわらかな読み心地がある
わりと視覚的イメージを軸にした歌が多い印象で、その視覚的イメージがちょっと抽象に寄っているところが特徴な気がしています。
細部
「めくるめく〜」
呪文の詠唱みたいで好きです。
「説明書→綴じる」の自然なつながりから、冒頭の「めくるめくこの世はでかい」(この時点ではたんにでかいということしか言っていない)を引き継いだ最後の「銀河」に至って「銀河が綴じられる」という形に具体化するイメージがすごいいい
「沈黙の倍」っていうのもそのでかさの表現というか、茫洋とした感じが出ていると思ったんだけどどうだろうか
紙を綴じて折ると厚さは倍になることと関係あるかな
紙をたくさん折ると月に届く的な話も連想した
「この世」をすべて説明ないし記載可能なものとして捉えているうえに、それを「綴じよ」と製本みたいなことができるものとして考えているのが面白い。「綴じる」に入っている「閉じる」のニュアンスも含めて、世界をぜんぶ掌握したい、みたいな意識も感じます。「沈黙の倍の銀河」はちょっとイメージしにくい。
沈黙は金との対応
「この世=地球」「銀河」の対応
ドラゴンボールのOPが脳内再生される騒がしさと、「沈黙」との対比が出る
「まちがいを〜」
「涙 - 氵 = 戻」ってこと……だよね?
まちがいにたいして、「よくあること」と言って手を引いて「戻す」ときに、(まちがいであったことによる?)涙が云々みたいな雰囲気で読んだ(いやこれだと「手を引くほうの」が組み込めてないんだが)
「まちがいなんてよくあるねー」となみだが言っていて(思っていて)、私の意志に反してなみだが引っ込んじゃうんだけれども、そこに涙の痕跡が残っているよ、が歌意かと思います。そこに上述の漢字のユーモア。目から出てる水(=さんずい)と別に「手を引くほうのなみだ」(=戻)があるよ、という。
「手を引く」がここだと「退く」みたいな意味かと思うんですが、別の「手を取って導く」みたいなほうも出てきてやや読みにくいかも。と言いつつも「手引き」からこの語をつかうことにしたならやむなしだが。
皆さんの考察を読んでめちゃくちゃ好きな歌になった
てへんにもどるの「捩る」もあって、さらにそこから↓に繋がる!!!
「なめたねじ〜」
突き放しているようで、これは優しさじゃねえか?
「いいので」という結句の言い方が、おっしゃる通り突き放しているようだけれども、歌の内容自体が優しいので、別の響き方になりますね。前の歌に引き���られながら読むと、ちょっと涙をこらえながら「もう回らなくていいので……(だいじょうぶだよ……)」と言ってるような感じも。
もう回らなくていいってことはそのねじは何かを固定していて現在のところ分解する必要がないっていうことだと思って、説明書というベースから想像を膨らませると、説明書を読みながら頑張って不慣れな人が(子供かもしれない)何かを組み立てたり組み替えたりしていて、下手だから潰してなめたねじにしてしまったりするんだけど、それが完成したあと時間が経っていてもう回らなくていい(たとえばもう使わなくなった子供用の椅子とか)、みたいななんか優しさを感じる。
「YES/NO〜」
「はい/いいえ」で答えていくと「あなたにはこれがおすすめ!」ってところにたどりつくあれでいいんだよな。あれやってるとなんか自己なりなんなりに気付いてしまう感じじゃなかろうか、べつに気付いてもたいして嬉しくもないのに、みたいな
視覚的には指と紙面しか出てこず、その指先に灯るっていうのは見た目にもクールな感ある
表現としては全体的にやわらかい歌の印象。「ユリイカ」なのでチャートを通してある程度の気づきは得られているのだけれども、あくまでチャートに沿った規定の気づきということで「怠い」という修飾語が出てくるのかな。ぼんやりした目ざめ、みたいな一首。
YES/NOチャートによって提示されるおすすめなのかタイプなのかに対して、こんなので自分のことがわかってたまるかよという冷めた見方と、でも気づきがある発見があるという自覚と、その両方なのかなと思った。
Y音のリフレインが気だるさや脱力感をかもす。N音もあり「なよなよ」感が出る
「電源ひ〜」
まずもって「馬」まで来ないと像が結ばれないのが楽しかったです。で、そこまできてやっと「あーこれ遊園地とかにあるコイン入れて動く馬か」(なのかな、わからんけど)とかなった次ですぐに「ただしさ」、そうだよね、正しいよねー、なりたいよねーってなる収束(言ってること伝わるか?)
電源につながれた馬(メリーゴーラウンドかな、と)がいて、たぶんその馬が自分で電源コードを引きちぎって、あえて朝に駆ける(普段は夜にキラキラと駆けている)ことを「きたない」と言いつつも、その与えられた役割からの逸脱に正しさを感じて憧れている感じの歌としてとりました。
馬の描写までの荒々しさと、そこ以下の弱弱しいような言い方の対比が歌の魅力。
メリーゴーラウンドって木馬自体に動力があるわけじゃないから電源つながってないような気もするんだけどイメージ的にはやっぱりメリーゴーラウンドなのかな。コイン入れて動く馬、みたいなあれは充電式?なイメージがある。
ライ麦畑的な……(あれは朝じゃなかった)
ゲーセンの競馬ゲームが思い浮かんだ。メダル賭博の対象である(しかも疑似的な賭博にすぎない)ことのきたなさや情けなさからの解放を想起。
「完ぺきで〜」
ひどい話���ような気がする
「どうして」っていうからには不本意なんだろうけれども、それでもやさしいきみに打ちひしがれるしかないんだよ……。
こういうシンプルな歌のパワーよ……
「組み立てよ〜」
(短歌の読み方よくわからんのだけど)「いち葉の」でいっぺん切れて、まあ葉っぱのすんとした感じに読まれての、「かさぶた」で生っぽくなって、とはいえ意味としては依然通じる(かさぶたのないことの淡白さ)あたりの動きが好き
「淡白な日々」に「しずかな暮らし」を重ねる効果はよくわからなかった
「組み立て」は説明書の文言ですね。
「かさぶた」=傷の治る途中のもの。傷つかない暮らしをしましょうよ、という歌としてとりました。あんまり具体的な描写が無いので、感情の問題としての傷つかない、と解釈。「組み立てよ」という文言で、その暮らしの達成をあくまで理知的に促しているところが面白いです。感情を理性で抑えようとする感じ(1首目の「綴じよ」と似たイメージ)。
傷つかず心が動かない生活をしたい(していないからしたいといっているのか、半ばすでにそうなのか)、いずれにしてもさみしい話なのかな。
「大人にな〜」
強そうな名前の電池。エボルタ……かな? マクセルは会社名か。
自分は「これエボルタだな……」と思いながら読みました
ちょっと自分に充電しようとしてないか?
「自分に充電」はめっちゃ良い読みですね。
なんで大人になったことを嘆いているんですかね。電池に子ども時代を見ているような印象も。おもちゃの電池とかを大事にするようなニュアンスを少し感じます。
世代差もあるんだろうけど子供の頃おもちゃに入れるものとしての電池って存在感大きかったし、ブランドも重要だったりしますよね。大人になるとリモコンの電池替えるみたいなのは機械的な日常になる
最近だと(昔どうだったかは覚えてない)パナソニックとタカラトミーは仲が良くて最強のエボルタ電池でトミカやプラレールがめちゃめちゃ動くぜみたいなプロモーションをやっているので子供はエボルタ覚えがち
「エボルタ」は「エボリューション」と「ボルテージ」が由来みたいですね。このへんは確かに子どもに象徴的かもしれな��。
「ばらしてる〜」
「〜思い出す」まででとりあえず中途半端に組み合わさってる家具みたいなのがイメージされて、そこから「ページが」で説明書の組立手順のとこみたいなのが浮かぶんだけど、「あった」で落とされて、なんか奥行きを感じる(何も言ってないなこれ)
少なくとも説明書としては役に立たない無のページ。このページを見ているときは解体も組立もしておらず手が止まっているはず。その現実には何も行われていないふわっとした瞬間にささげるアンセム。
そういうページに対する憧憬なのかな
「季がくらむ〜」
「○月なのになんだよこの気候は」って日に「文字を焚く」までひとつらなりでいったん切れて、その次、「肘かけた杢」でまた切れる(で、「けぶる目のはし」で焚かれたときの煙に戻ってくる)でいいんだろうか
杢の模様と文字のイメージの関連とかあるか
名詞も動詞も多くてちょっと読みにくいが、初句の「くらむ」で宣言されている通りに、その連なりをイメージのままにめくるめく感じていくかたちで読むしかないのかな。
この歌のわかりにくさは、そもそも説明的な言葉への否定みたいなものもある気が。「文字を焚き」なんかは、ある意味で1首目でやってることを最後に全部なかったことにしようとしているようにも捉えられます。
murashit「子供たちのための教本」
一言
続柄の欄に書く初恋の人、のところめちゃくちゃ良い。
終盤がまだ全然わかんないんだけど。
父が作った街で生まれ育った自分も父が作ったもので、でも一度は街を出ていくんだけど、また戻ってきて、父が死ぬ、死ぬけど都市が消えるわけじゃない、けど父が作った都市ではある、という、こう、父権からの逃れと逃れられなさとそれも悪くなさみたいな話……か!?
この果てしない不条理な葬送を巡るお話に、総じて自分は寂しさを受け取りつつ、作品全体に散りばめられた()の形式で明かされる心の声が、客観的であろうとする語り手の支えになっているような気がしました。
もう少しじっくり読んでみたいですね。
むらしっとさんの描く冠婚葬祭、冠婚葬祭特有の一切合切がめんどくせえな、でも仕方ねえという淡々とした感じがありとても好きです
panpanyaっぽい
なんかわかる
父が作った街であり世界を歩くということがメタファーとして愛おしくさえある、ような心持ちになってしまうパワーがこの飄々とした文体にはある。父殺しの対極(地の文の視点:父が作った世界に内包されているという意味で)のようであり、じつはしっかり父殺し(括弧内語りの視点)であるところの二面性がいい。
最後(合唱曲以後のところ)が圧倒的によかったです(ぶっちゃけ内容はよくわかっていないが)。
細部
はじめの「そうだったのか」、初読でなにが? と思ったんだけど、そういうことなのか(まだ言語化できていません)。
これわかんないんだよな
直接的には、直前の文「郵便局のバイクが門の前に停まった」に対して「そうだったのか」と言っているように読めるが。
緻密作為コーナーにも書いているとおり、この最初のパラグラフでは一番最初だけ語り手の一人称「私」が出てきて、それがパラグラフの最後になると「ア兵」と三人称名前呼びにすり替わり、以降本作の地の文では「私」ではなく「ア兵」という呼び方で焦点化して語りが続く。
この場面での「郵便局のバイクが門の前に停まった」ことが縁側で将棋をしている二人の目には入っていなかったという解釈を考えることができると思う。配達員が「縁側の二人に声をかけた」とあるから、配達員の方からは縁側に人がいることが(覗き込めば、少なくとも部分的には)見えるわけだが、二人は将棋に集中していたのか、あるいはア兵は背を向ける角度だったからで、少なくとも見えていなかった。だからア兵は当時「郵便局のバイクが門の前に停まった」ことを知らない。知らなかったことをここで知ったから、「そうだったのか」
つまり現在の「私」が過去の「ア兵」の周辺の物事を何らかの形で知覚し語り直しているのがこの文で、当時の自分が見えていなかったことをこの語り直しなのか追体験なのかの中で発見して「そうだったのか」と言っているとする説。
これはなんか、控えめすぎるというか、そこに注目して「そうだったのか」と言うほどのことなのか、というのがよくわからない。直後に配達員から呼びかけられているんだから、そこに配達員が来たタイミングはその少し前というのは当然の類推のはず。たとえば配達員が投函していって将棋が全部終わった夕方に郵便受けで発見したとかいう話の流れならば「そうだったのか」は自然ではあるが……。
あと、これは弱い要素だけれど、p151ではア兵がクリップボードの方を見ていたので実際に視覚的に確認したわけではない職員の挙動を、地の文で書いて、カッコ内で「実際には目にしていない」と断っている。これはやはり、当時知覚できなかったことは推測でしか書けないのではないかと思われ、そういうルールが全編に適用されるのなら、バイクが停まったことに対して「そうだったのか」はやはり不自然になる。
なのでこの説は微妙だ。
直前の文のカッコ内、「ようやく詰みまでの道筋が見えたところで」に対して「そうだったのか」と応答しているとする説。
つまり、片方は「ようやく詰みまでの道筋が見えた」のだが、対局の相手方は詰みがあることに気づいていなかった。詰みが見えていたことをこの語りの中で知らされて、「そうだったのか」と反応している。
これはしかし、地の文とカッコ内の文の語り手がいずれもア兵で一貫しているとすると矛盾が生じる。
地の文については最初の一行で「私」=「ア兵」であることが明記されている。
カッコ内の文についても続く行で「誘ったのは父」「こちらといえば」と言っているのだからやはりア兵であるはずだ。
であれば「詰みまでの道筋が見えた」のもそれに対して「そうだったのか」と言っているのもア兵なので、応答としては不自然である。前段のバイクが門の前に停まった説は、当時のア兵がそのことを認識していなかったという解釈がとれるが、バイクと違い詰みまでの道筋が見えたのはその時点でのア兵の認識そのものだから、後から気づいたというのもおかしい。
「括弧内語り→地の文に対してコメント」はあるが、「地の文→括弧内語りに対してコメント」の方向は全体通してあった?なかったような印象
p137「(誰かと会った?)」→「会った」みたいな応答はしている
では地の文とカッコ内の語りの一部を父が担当していて、対局者であるア兵が既に詰み筋に気づいていたということをこの語りの中で知った、という解釈ならあり得るのか。
前述の矛盾は解消されるのだが、そんなシームレスに語り手が父になって良いものだろうか。
地の文がア兵でカッコ内が父、とかならまだそういう構成はあり得ようが、そんな単純さでは少なくともないように見える。
いいのか。父がア兵を作ったから。ア兵がそう考えるよう父が作ったから。だから混ざっていて良い?
まあでもそれはそれで、そういう全知性を持ってたら、「そうだったのか」ってならなくない?
この説は有力な気がする。だからこそ「対局は途中止めにされた(体よく逃げられたと言っていい)」
俺は「詰み」に対しての「そうだったのか」だと思ったんですが、まあその後の語りのルール?というか、わかんないんですよね。
ア兵とかサン議とかのネーミングが新鮮でした。
「夏ハバキ」好き。「岩本」とか普通っぽいのが混じってるのもいいですね。
ネーミングはまじで上手いと思いました。
老人たちが流れてきて賛辞の嵐を浴びせてきたり、役所の職員が手続きのための説明を一息でやり終えて仲間が拍手を打たんばかりの状態になり紙吹雪(書類)も舞ってといったり、唐突に始まるミニゲームみたいなお祭り感が好きです。
(けれどもフクロウではぜったいにない)好き
p.148 「高基線の建設による変化」高基線って高速道路みたいなやつ?だとすると、この建設で雪が降るように気候が変わるというのはどういうことか。フェーン現象を形成する山脈を取り去る勢いで高速道路を敷設しているのかもしれない。
p.154「ポイントが十倍ですので」流石になんのポイントだよ
p154「二人が役所から出ると」あたりからなんか「やってる」んだよな
なかったはずの全裸男性の銅像が出現しているが、ア兵がそれを無視する
(さすがにやりすぎ)
全裸男性の銅像(父をモデルにしている?)を出現させたことに対して、やりすぎ、とツッコミを入れている
そんな銅像を出現させるという理外の力がここにあり、かつ、それをア兵は認識していて誰がやったかもわかっていて無視していて、この発言?
「いずれにせよこの期に及んで父が受け答えすることなどできはしない」
やりすぎ、と指摘している相手は父であり(つまりア兵は銅像を出現させたのが父だと思っていて)、しかし父はそれに応答しない、ということ?
「それにしても、どうして今になって――/(え、わかんないの?)/藤十郎のこと――と、間髪入れず、ア兵は今度は声に出し、「連れて行かなかったらどうする?」」
読みにくくてわからない。「今度は声に出し」で問いかけている相手は父。なのでやはり前段から続く「さすがにやりすぎ」も含めて父に対する呼びかけ。
途中で切れている藤十郎のこと、のところは、「どうして今になって初恋の人である藤十郎と一緒にこの役所に来るように取り計らったのか」ということ?
p154までは引っかかりを覚えながらも何とかたどり着けるんですが、ここから先で一気に振り落とされるんですよね。でも、きっとここからが重要なパートなのでしょう。
p155あたりまで読み進めると、なんかまるっと総合すると、
この都市を作ったのが父であり、だから父が基本的になんでもできる(?)
銅像をいきなり出したりして遊べるのはそれを端的に示した描写だ
だから「父が決めたことだ。自分勝手に死ぬことを決めて、その埋め合わせにでもしてやろうと」初恋の人である藤十郎と二人で役所に赴くイベントを起こした
父の筋書に沿って物事が進んでいて、だけどそれが「悪くない」
p156「(ぐずぐずじゃん)��以下で、
この街は父が作っていて、
父が自分に死亡内定通知を届かせた、
父が死ぬに際して、だから街はぐずぐずになりつつある
ア兵も父が作ったのでありア兵がどのように考えるかは父の作意の通りだ
(本文と順序が前後するけど)でも父が死ぬからと言って街やア兵や藤十郎が消えるわけじゃない
地の文が父になっていて、カッコ内のア兵と会話になっている
この地の文で父が出てくることの先出しが冒頭の「そうだったのか」なのか
死を計算する機械も父が関与してるんだっけ→特別そんな説明は無かった
p158「すり潰される」「グラインダーのような機械で、喩えるならコーヒーミル」はこどもブロイラー感があり、その前のp154「ポイントが十倍ですので」とかの戯画化もなんかそれっぽい
ラスト、()が語りを途中で終わりにすることで(父の死を語らないことで)、父の世界を、ないしは親子の関係性をふわっとしたまま残存させることを狙っている気が。泣ける。
ここ緻密に作為をもって語られているだろコーナー
人称と焦点
冒頭だけ「私」、以降「ア兵」
一番最後の括弧内に「わたし」「わたしたち」が出てくる(「わたしたち」のところ、藤十郎と目配せしあってという記述なので、このわたしたちは、ア兵からみたア兵と藤十郎を指しているように読み取れ、したがってこの括弧内の「わたし」はア兵のように思える、が)
地の文の語りと括弧内の語り
括弧内は、単純にア兵の心内語や言い足しであるように見えるところと、そうではない主体が語っているように見えるところがある
ア兵が描写せざるをえないとか描写しようとしたとか、語りに対して括弧の内外共に意識的である
「そうだったのか」問題のところに書いたとおり、基本的に両方ア兵のように見えるのだが、使い分け方がわからない
単なるア兵の心内語や言い足しを超えて他者的であるように読めるところ:p125「あー、なるほどね」、p126「ははあ、発育が、いい、と」、p129「で、次はなにを?」、p131「そうですか」、p136「老人が流れるってそういうことか」、p137「誰かと会った?」、p139「同意する」、p141「「老人が一人」だったんじゃないの?」、p154「え、わかんないの?」
仮説1:地の文=父にとってのア兵、括弧内=ア兵と読めないか
p.154「やはり父は何も答えない(これだけ饒舌なのに)」饒舌なのが父だとすると、地の文が父の語りと読めないか
p.155「「しかも、初恋の人と」〜(中略)〜それは父が決めたことだ」藤十郎と行くことを決めたのは地の文のア兵だが、括弧内のア兵はそれを決めたのは父だと言っている。
父が自分が作った世界をたたむにあたって、それを外側から眺めているア兵の語りが括弧内の語りということ?(→仮説3)
この仮説が無難な気がします。前半は地の文と括弧内の思考かなり近いけれども、物語が進むにしたがって括弧内の自我が強くなって最終的に地の文から完全に分離するイメージ。親離れの主題?
仮説2:フィクションにおける語り手 vs 読者・作者との関係性の違いによって、地の文のア兵と括弧内のア兵を使い分けているのではないか
フィクション論はよく分からないのでよく分からない
仮説3:父が作った世界のなかのア兵と、外側のア兵の違いではないか��仮説1に近い)
安直なたとえだがVR世界のなかの父・ア兵・藤十郎を外から見ているア兵の語りが括弧内に書かれているようなイメージ
性別
ア兵には父がいて、母がいて、父にはでかいちんこもついているが(身体全体がでかいんだよ)、一方でア兵と藤十郎の性別は意図的に不明確にされている(あるいはそもそも性別があるのかどうか自体が定かではない)(ように読める)
藤十郎は我々の日本で言えば男と思われる名前だけど、「ははあ、発育が、良い、と」みたいなことがかいてあり(いやこれは別に背の高さとかでも一応は成立して、あまり手がかりではなくて、ミスリードされているだけなのかもしれないのだが)
ア兵は陰茎を備えていない様子の描写がある(これは割と明確なようには思える)
二人が同級生に囃し立てられたりする話からすれば、我々の日本の今の前提からすると二人が異性である蓋然性が高いという読み取りが生じるっちゃ生じるんだけど、強い根拠にはならないよね
ア兵には母がいて、とかいたけど、父は母がいたという体でいるけれど、ア兵のほうは(少なくともカッコ内の語りは)自信がなさそうだ p129「(そういえば、母のことが思い出せない、ほんとうに母などいたのだったか」p130「(ほんとうに母とやらに」
父がこの街を作ったという設定の本当らしさと嘘らしさ(おそらく語る視点によって異なっている)
この街のリアリティラインもですね。イオンモールとか書いてあるからいやらしいんだが、本屋が無限スクロールしたり、一点透視の商店街の消失点、とか、無限遠の太陽から光が届く、とか、つくりもの感を所々に出している感じがある
街路樹の果物が食えるのとかもゲームっぽい
予感はさせてくれるんですが、尻尾がつかめないんですよね。最後に全裸の男の銅像が出てくるところで「父にはこの世界の創造権がある?」と思わせてくれるんですが、これが決め手で良いのかと思うところもあり。
リスペクト先
タイトル「子供たちのための教本」
ドナルド・バーセルミ『死父』(柳瀬尚紀訳)(原題:The Dead Father)
読んだことないけど、死んだ父を墓穴に連れて行くらしい(?)
作中に「息子たちのための教本」(A Manual for Sons)という章があり、もとは独立して発表された短編が取り込まれる形となっているらしい
だからこれが説明書要素であると同時に、でかくなる父を墓へと運ぶという要素だろう。
紹介文
高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』
読んだことないけど、役所から死亡予告を通知された子どもを墓地に連れて行くという要素があるようで、その部分が子どもではなく父という形で引かれているのだろう。
エピグラフ
円城塔「良い夜を持っている」
読んだことないけど、異常な記憶能力を持った父親が、物事を彼の頭の中の都市のなかの事物と関連付けて記憶するみたいな話のようだ。
父が都市を創造しているという要素だろう。
鴻上怜「沼妖精ベルチナ」
一言
説明書要素は……ない!
説明書要素が薄いので「社会を識る」という補足をつけてみたのですが、姑息なエクスキューズはよくない気がしたので最終的に削除しました
ISMSとかeラーニングとか、体温報告とか、数え切れないちりばめられたダメ総務・情シスしぐさが面白すぎる
アクションとバイオレンスが飄々とした文体によって綴られていて、何箇所も笑いどころがありながら、最後はハッピーエンドで締めるのが憎いですね。ベルチナかわいい。闇のジブリが映画化しそう。
とにかくまず文体が良くて、講談みたいな語りで無限に繰り出されるホラを読んでるだけで楽しいのがいい。こういうのが書きたいんだ……
あと鴻上さんがこうやって醸し出すサラリーマン的ダルさはいつも好き
めっちゃウケました。全体がユーモアに覆われているけれども、物語の土台が労働と人生過ぎる……。
出てくるものが全体的にぬめぬめしている。
細部
「もいもい食べはじめる」のいいな
のんのん、じゃないという工夫
https://d21.co.jp/akachan-ehon/
「オッドラときたらたいしたもんだ。」という最初の一文と「もいもい」でこの小説の雰囲気がみごとに提示されたな、と思いました(もいもい以外も全体的にオノマトペが良い)
ISMSを遵守するババアでめちゃくちゃ笑いました。
「eラーニングで学んだろ?」良すぎる。
物理的な情報セキュリティ対策。こういうのに弱いです。ああ面白い。
アクションシーンが上手すぎて、モーションまで想像できてしまうのが悔しい。
ベルチナに肉と骨が詰まってふくふくしているのは……→いい!
いいところを書き出したらキリがなさそうなのでやらないぞ
なにかと出てくるオッドラの自由気儘新入社員ぶり
「死と太陽を直接見つめると目がつぶれるから、労働というサングラスで保護してやる必要があるのだ」が名言すぎる。
あらすじ文の「そしてそれとは関係なく」ずるすぎる。実際本当に関係ないし。
構成をざっと見ていこうのコーナー
p162「オッドラときたらたいしたもんだ。朝」〜
出社、データがぬるぬるになるトラブル
NULLs propagateってことでいいんだよな!?
こういうのをネタとしてメインにするのかと(あらすじ文での言及も含め)思ったらサクッと流されるのが良すぎる。
電子粘菌ってなんだよとかいろいろ言いたいことが多いんだが、それにつけてもダルダルの職場感が最高
ちなみにこのへんの「オッベルと象」オマージュはとくに別にどこにもかかってないですよね?なんなのもう!
「デウスに誓って」とかあたりの雰囲気くらいか?
宮沢賢治のあの作品も、象がブラックな労働をさせられる話なので、孤独な老象辺りでかかっているはず…
p166「オッドラときたらたいしたもんだ。内勤の��せして」〜
サーバー室に入り対処しようとしたらサーバ(ー)やまんばと遭遇し、追い返される(主人公の諦めが早いのもダルい感じでいい)
途中でダークソウルになるところとかいろいろ言いたいことが依然多い
老婆が退職再雇用の平社員とはいえ重役と昵懇かもしれんみたいな下りが良すぎる
p171「どのみち今日は仕事にならないから」〜
残業のうえ���宅。ベルチナ登場、餃子、フェラ、そして我に返る
ベルチナの描写に主人公のドルオタ性が滲むところとかいろいろ言いたいことが依然多い
さっきの「同僚老婆を殴っちゃまずいよな」の我に返りの相似形としての沼妖精に舐めさせたらまずいよなの我に返り方!
p179「ヨギボーを掌底で押し込み」〜
主人公のしょんぼり、沼妖精は印旛沼の妖精である、印旛沼を襲う地上げと妖精婆率いる反対運動、その婆を探している、婆の道は婆
婆の道は婆ではないんよ
地名とか固有名詞のズラし方がいちいちずるい
p184「翌日、俺は」〜
ベルチナを伴って出社、おかげで職場でちょっといざこざ
このへんのなんか妖精とか学校に連れてきちゃったドタバタ的なやり口が良い
p188「サーバ室へ通じる」〜
ベルチナを伴ってサーバ室へ、セキュリティの観点からババアの攻撃を受けベルチナが死亡、主人公もピンチ!、一人情シスのヘモトにより助けられる
「何って、マシンを強制終了しただけだが?」をはじめいろいろ言いたいところが多い
p193「俺は地上へ戻ると」〜
業務への復帰、終業ののちベルチナを想い苦しむ主人公、オッドラに誘われてラーメンへ、オッドラによるベルチナの復活
いや!なんかいい話ふうに締めるんじゃないよ!
ベルチナシスターズが普通にかわいいんだよな
cydonianbanana「閲覧者」
一言
みんなだいすきメタ構造。
1:1地図、ヘッドセットの説明書、本書の説明書と説明書の多層構造が作られているのに貫禄がある。
描写しまくり系がしっかりできる体力、すごい。
タイトルからしてかっこいい。
感覚的なことをいいますが、潜っていく感じが気持ちよかったです。
ストリートビューの棒人間を地図へぽんと落とすあの感覚
視点を担う対象にの心的描写を排し、純粋なカメラとして作品全体を眺め回すスタイルはハードボイルド風でありつつも、選択したオブジェクトやシチュエーションにどこか回顧的で懐かしさを呼び覚ます効能があり情緒が失われてもいない。細部に神が宿ってる。物語構造を引っこ抜いて、物語の説明を試みたまさに「物語の説明書」だと感じました。すごい。
「覗き込む(=作中作に移行する?)とインデントが一段下がる」の使い方がうまい。最後できっちりおっと言わせてくれる……
これを軸に��ょっと内容まとめたい気持ちがあります
インスパイヤを感じたもの
作中作に潜る、潜る、潜る、ドーンみたいなのはインセプション感
VRの多層性や、ヘッドセットを外すという行為への注目は、PROJECT: SUMMER FLARE感
そのワールド性というかVR的な題材を地図の話と作中作の議論に結びつけて小説としての強みというか特徴に繋いでいるのが良いですね
細部
細部に神が宿ってる。何度でも書く。
小説における情景説明のパラグラフ、その作法をレイヤー化して表現しているのが技法として新しい。私も感覚としては無意識にやっていることだけど、大枠から細部へと向かう描写の手法を字下げというかブロック分けで詳らかにしているのが「分かる」って感じでした。
「いま、あなたが見ているその地図、わたしが立っているこの場所は〜」から「たまらずヘッドセットを」へのジャンプが読み手の視点を物理的にジャンプさせている。そしてまた次のパラグラフで「潜る」。このジグザグ加減がたまらない。
文章に点在するこの切れ込みのちょうど境目の描写が好き。長すぎるエレベーターとか、バス停とか。モンタージュを多用した古いソ連の映画みたいで好きです。
構成をざっと見ていこうのコーナー
p204「盛夏の日射しと」の段落
レイヤ0(便宜的にここをいったんレイヤ0とする。部屋の外)
p205「玄関の中は」〜
レイヤ1(部屋を進む視点)〜2(仕切りの奥や棚の中、置かれた説明書の中など)の行き来
男性の一人暮らしのように見える
っていうかばななハウスすぎるだろ!!
https://cydonianbanana.net/2022/02/06/%e8%87%aa%e5%ae%a4%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%86%e3%83%aa%e3%82%a22022/
だからばななハウスをフォトグラメトリでVRChatのワールドにして閲覧者ワールドとして公開して欲しい
内側から鍵がかかった扉(レイヤ1)のむこうからくぐもった女の声がする(レイヤ2)
あとのほうでも女の声が出てくる
ウイスキー棚(レイヤ1)に並んでいる瓶のラベル(レイヤ2)から未来っぽいことがわかる
ただここは基本的に実在のウイスキーの名前っぽい?(「UMC2273〜」から出てきたりはしてねえ)
董啓章『地図集』からの引用(レイヤ2):ボルヘスの縮尺一分の一地図の話。考察ポイントだ
読んだことあるはずだけどぜんぜん覚えていない。っていうか、この 『地図集』-「学問の厳密さについて」-『賢者の旅』の(引用もしくは作中作による)重層構造がそもそも本作全体の示唆にもなってるのか
p212「《……作中作とは」
レイヤ2(部屋にあるコンピュータの画面上)
原寸地図についての話。ここも考察ポイントだ
emacsおじさん
p215「書斎の机に載っているものは」
レイヤ1(部屋にあるヘッドセットの描写)〜レイヤ2(ヘッドセットを被って見るなかで映写機)〜レイヤ3(映写機の映し出す映像と女の声)
レイヤ3の女の語りも考察ポイント
ファムファタール感
レイヤ3の最後で炎→レイヤ2の映写機も燃える→レイヤ1の部屋にも煙
p220「もうお気づきのことと思いますが」
いきなり3段階落ちて、ここまで出てきていないレイヤ4
「出口を」ということで、逃げてね的なことを言われる(お前は誰や)。このへんの語りの内容も考察ポイントだ
p220「たまらずヘッドセットを脱ぎ捨てると」
そしていっきにレイヤ0に上がる
冒頭では「屋外=レイヤ0、部屋のなか=レイヤ1……」であったが、ここでは「冒頭から一貫した描写をVR内と捉えなおしたときの、そこからヘッドセットを外した状態」がレイヤ0になっている(「レイヤ0」でインデックスした先がズレていることに注意)。これ言ってること伝わるか?
これは脱ぎ捨ててるヘッドセットが違う(一段上)のかもと思ったけどどうですか?
いや、むらしっとさんはそのことを書いてるのか。
ここはここまでのレイヤ1の「部屋のなか」と同じ部屋のなか(だが煙は出ていない)。「次の地図の記憶から」と言うとおりである
p221「踏み出した足が」
レイヤ1だが、先ほどの部屋(レイヤ0)との「ズームイン/アウト」関係が(すくなくとも一見)ないように見える。もちろん最初のほうからの「レイヤ1」ともまた別
「次は出口、出口」
いつもの伊豆要素
実際に伊豆市に出口という地名・バス停がある
p221「目の前に」
(空行を挟んで)レイヤとしてはマイナス1相当(本書の版面の上端より上から始まっている)
説明書を読んでるのにレイヤが変わってないとか、最初のほうで出てきた説明書とちょっと組み方が違う(階層でのインデントもあるし、空行も入ってる)とか
煙が出てるんですけど→お近くの非常口へ
目次の横のページの火気に注意っていうのと繋がる
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ドナルド・トランプ前米大統領は、対立候補のジョー・バイデン大統領に対して高齢批判を繰り返し、健康問題をめぐって攻撃し続けてきた。だがバイデン氏が選挙戦からの撤退を表明したことで、ブーメランのように自身も同じ問題を突きつけられる可能性が出てきている。 大統領選の民主党候補となる公算が大きいカマラ・ハリス副大統領は59歳。78歳のトランプ氏は、はるかに年上の候補ということになり、衰えを示す兆候があれば、より注目を浴びることになる。 [snip] トランプ氏は、言い間違いや失言も多く、支離滅裂な長広舌を振るうこと���多々ある。 このような一面がトランプ氏の認知機能の衰えを示しているのか、一過性のものなのかは分からない。 トランプ氏は、暗殺未遂維事件からわずか5日後、ウィスコンシン州ミルウォーキーで開催された共和党全国大会で1時間半に及ぶ指名受諾演説を行い、支持者はスタミナの表れだと称賛した。 一方で、テレビ視聴者の中には、いつもよりかなり疲労した様子で、演説も弱々しいという見方もあった。 ABCが7月中旬に実施した世論調査によると、トランプ氏が再選を目指すには年を取り過ぎていると思うと答えた割合は60%に上った。
トランプ氏、バイデン氏撤退で高齢批判がブーメランに:時事ドットコム
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ミルウォーキーより2024に向けた新作アイテムが続々登場
ミルウォーキーより2024に向けた新作アイテムが続々登場 「ミルウォーキー」は世界初の電動ドリルメーカーとして1924年のアメリカはウィスコンシン州で誕生した、いわば電動工具界のパイオニアだ。これまでリリースされたアイテムは150アイテム以上とそのラインナップは凄まじく、電動ツールはもちろん工具の収納ケースなども世界中に浸透。ここ日本でも2021年に上陸を果たしており、直営ECショップはもちろん、大手のショッピングサイトなどから気軽に商品を購入できる環境が整っている。そんな「ミルウォーキー」から2024年に向けた新作モデルが早くも到着。ここでは早速ガレージ作業やアウトドアにも最適なオススメのツール5選を紹介しよう。 クルマのメンテナンスにオススメなコンボキット クルマのメンテナンスやガレージDIYに最適なコンボキットはこれから「ミルウォーキー」を購入したいというビギナーにもオススメ…
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6 名無しさん@涙目です。(茸) [US] sage 2024/02/09(金) 12:32:47.44 umytxhug0水を怖がりだしたらほぼ助からんからな146 名無しさん@涙目です。(東京都) [US] 2024/02/09(金) 13:05:18.22 yllomgwP0>>.6水を怖がるんじゃないよ?水を飲もうとすると痙攣が起こって飲み込めなくなって苦しいから飲み込むって行動を怖がるんだよ7 名無しさん@涙目です。(茸) [US] sage 2024/02/09(金) 12:32:48.61 zP2EpCTC0狂犬病って治療法無いんじゃなかったっけ76 名無しさん@涙目です。(大阪府) [ニダ] sage 2024/02/09(金) 12:43:59.97 FpkoTMTX0>>.7発病したら99.99%くらいは死ぬ一応予防接種無しで発病してから回復した例も数例はあるけどまず死ぬと考えていい事前に予防接種打ってて噛まれた後に追いワクチンで発病を抑える事が大体出来るらしいが日本は狂犬病清浄地帯なんで普通の病院にワクチン置いてない予防接種無しだと噛まれてからワクチン打っても発病して死ぬ可能性は上がる162 名無しさん@涙目です。(庭) [AU] sage 2024/02/09(金) 13:13:26.42 NSLv/UiZ0>>.7ミルウォーキー・プロトコルが一応はあるけど期待しない方がいいレベルウイルスへの抗体が体内で出来るまでの間、分かりやすく言うと仮死状態にして進行を止めておくという荒技使って後遺症残るの覚悟の最終手段https://www.city.hamura.tokyo.jp/m/page/0000006174.html35 名無しさん@涙目です。(東京都) [US] 2024/02/09(金) 12:37:27.90 CTtMout80狂犬病なんて日本にないのに騒いでるバカは何なの?劣等である恐怖遺伝子強すぎだよ220 名無しさん@涙目です。(庭) [US] saga 2024/02/09(金) 13:42:52.83 dnEyqcix0>>.35その理由で射たない飼い主が増えれば、日本中にあっと言う間に広まる。インドや東南アジアといった狂犬病危険地域からバンバン人や物が入ってくる日本では、まだまだ狂犬病の対策は必要って事よ。92 名無しさん@涙目です。(やわらか銀行) [ニダ] sage 2024/02/09(金) 12:46:34.05 qlDnIRk90やっぱり猫だわ99 名無しさん@涙目です。(ジパング) [CN] sage 2024/02/09(金) 12:48:27.30 LEZL9x4H0>>.92猫から感染して最近死んだよね174 名無しさん@涙目です。(茸) [US] 2024/02/09(金) 13:18:15.43 amfKLt860>>.92感染経路は海外では犬も猫も大して変わらないアジア、アフリカ:犬、ネコアメリカ、ヨーロッパ:キツネ、アライグマ、スカンク、コウモリ、ネコ、犬中南米:犬、コウモリ、ネコ、マングース
続・妄想的日常
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Adam Walker(#44 OF Yomiuri Giants 2022-). 2012 MLB Draft No.97 by Twins. Minor League(Twins,Brewers,Orioles,Reds,Nationals). Kansas City Monarchs, Milwaukee Milkemen. Fukuoka Softbanks Hawks(2024-). Softbank Hawks 6-10 Yomiuri Giants. 6/10/2023. Pay Pay Dome. Fukuoka Attendance 40062. アダム・ウォーカー(#44 外野手 読売ジャイアンツ2022ー)。 代打+指名打者。3打数0安打2三振。
2012年MLBドラフト97位(ツインズ)。マイナーリーグで4年連続25本塁打(ツインズ、ブルワーズ、オリオールズ、レッズ、ナショナルズ)。独立リーグでは本塁打王(カンザスシティ・モナークス、ミルウォーキー・ミルクメン)。 2022年に読売ジャイアンツに入団。124試合出場、打率.271、本塁打23打点52。 2023年成績:57試合出場、打率.263本塁打6打点20。シーズン終了後、福岡ソフトバンクホークスへトレード移籍。
ソフトバンク・ホークス6−10読売ジャイアンツ。 福岡、ペイペイドーム。観客40062人。大盛り上がり。 30年以上ぶりの日本のプロ野球観戦。
読売ジャイアンツ 2023年成績:71勝70敗2引分。セ・リーグ4位。阪神タイガースが38年ぶり日本一。 日本一:1981,1989,1994,2000,2002,2009,2012。 リーグ優勝:1983,1987,1990,1996,2008,2013,2019,2020。 歴代監督。 原辰徳(2001−2003、2006−2015、2019~2023)、
日本一(2002、2009、2012)。リーグ優勝(2008、2013、2019、2020)
水原茂(1950−1960)。日本一(1951−1953、1955)、リーグ優勝(1956−1959)。 川上哲治(1961−1974)。V9(1965-1973).日本一(1961,1963)。 長嶋茂雄(1975−1980)。リーグ優勝(1976,1977)。 藤田元司(1981−1983)。日本一(1981)。リーグ優勝(1983)。 王貞治(1984−1988)。リーグ優勝(1987)。 藤田元司(1989−1992)。日本一(1989)、リーグ優勝(1990)。 長嶋茂雄(1993−2001)。日本一(1994、2000)リーグ優勝(1996)。 堀内恒夫(2004−2005)。 高橋由伸(2016−2018)。 阿部慎之助(2024-)。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)8月16日(金曜日)
通巻第8369号
フェイクか真実に近いのか
RKJが閣僚ポストと引き替えに選挙戦を降りる?
*************************
スクープが多いニューヨークポスト(8月14日)が伝えた。
RKJ(ロバート・F・ケネディ・ジュニア)がカマラ・ハリス副大統領との会談を試みた。2024年の大統領選から撤退し、次期政権での閣僚級ポスト引き換えにハリスを支持すると提案したとか。
ところが、ワシントン・ポストは同日、「ハリス氏はケネディ氏との面会に興味を示しておらず、ましてや彼の申し出に応じる気もない」という。
大統領候補ロバート・F・ケネディ・ジュニアは、2024年5月24日、ワシントンD.C.のワシントン・ヒルトンで行われたリバタリアン全国大会で演説した。
ケネディはメイン州での投票基準審査に合格、またペンシルバニア州の選挙から排除しようとする訴訟が起こされ、さらにRFKはニューヨーク州の居住者ではないと言う理由をつけて裁判所が判断したため、ニューヨーク州の大統領選挙の投票用紙にRKJの名前は載らないこととなった。
トランプ氏は先月、共和党全国大会の初日にミルウォーキーでケネディと会談し、支持を得ようとしたともいう。
RKJはワシントンポスト紙に対し、選挙活動を開始して以来、訴訟以外では民主党と一切接触していないと語った。
「民主党全国委員会と私が唯一接触しているのは、彼らが仲介者を通じて私を訴えていることだ」と彼は語った。
となると虚偽のニュースが駆け巡ったことになる。
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BABYMETAL「THE BABYKLOK TOUR 2023」ミルウォーキー公演の様子
BABYMETAL「THE BABYKLOK TOUR 2023」ミルウォーキー公演の様子
BABYMETAL「THE BABYKLOK TOUR 2023 in MILWAUKEE」
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Marlboro"
made in USA
size XL
—
身幅 59cm
着丈 77.5cm
—
¥8800(tax in)
90's USA製
マルボロ販促シリーズ
ロッキー山脈の峠"Pipestone"を横断する
ミルウォーキー鉄道へのスポンサーtee
多種なマーチャンダイズ。
喫煙黄金時代
アニメ調の、らしくない、
グラフィックが良い抜け感です。
こちらもあまり見かけない一枚だと思います
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Pixel を活用したパートナーシップ: Google がリバプールおよびアーセナルと提携 - Gamingdeputy Japan
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【史上最悪】※閲覧注意※11人の●体を自宅に飾る狂気…「ミルウォーキーの食●鬼」【水ミス】
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