#ポーランドの帆船
Explore tagged Tumblr posts
Photo
11月11日はマッチ棒の日!? •ポーランドの独立記念日 そして今年は100周年でした!! 日本でも大阪湾にポーランドの帆船「ダル・ムウォジェジ」が寄港、かっこよい船 生で見たかった!! #ポーランドの帆船 #ダルムウォジェジ #Darmładziezy 察してか 娘 ママへのアクセサリーを作ってくれました✨ 偶然にもポーリッシュカラー 下が赤がポーランドだよ!って教えてあげたら そのように向きをしてくれました❤︎ #ポーランド独立記念日 #lovemydaughter #ぴ店スタッフ #100周年 #pygmalionshokai #実店舗ぴ店 #名古屋千種区 #ポーランド食器専門店 #polishpottery #ピグマリオン商會 #ポーリッシュポタリー #11月のぴ店は毎金土営業します (ピグマリオン商會|ポーランド食器と雑貨) https://www.instagram.com/p/BqLeWWHgI_D/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=154yokkat6wr9
#ポーランドの帆船#ダルムウォジェジ#darmładziezy#ポーランド独立記念日#lovemydaughter#ぴ店スタッフ#100周年#pygmalionshokai#実店舗ぴ店#名古屋千種区#ポーランド食器専門店#polishpottery#ピグマリオン商會#ポーリッシュポタリー#11月のぴ店は毎金土営業します
1 note
·
View note
Photo
【かいわいの時】昭和五十八年(1983)10月22日:「'83大阪世界帆船まつり」開幕(大阪市史編纂所「きょうは何の日」)
1980年当時の大阪市港湾局は大阪城築城400年まつりのメインイベントとして企画を練っていた際、オランダのアムステルダム帆船祭りを知りこれに注目した。「水の都・大阪」のうってつけのイベント企画と位置づけ綿密な調査の上で大型帆船を持つ約20カ国に参加要請するも返事はどこも否定的だった。理由としては大航海を必要とする日本の地理的立地条件、何年先にも渡る帆船の航海スケジュールの大幅な変更への困難さがあった。しかし、各国を飛び回り粘り強く説得交渉した結果、チリ、コロンビア、インドネシア、メキシコ、ポーランド、ポルトガル、香港と6カ国1地域(香港は当時中国返還前のイギリス統治下の1政庁)の各1隻の帆船の参加が決定した。こうして、中南米・東西ヨーロッパ・各アジア地域にまたがる日本側の3隻を加えた合計10隻のアジア初の大規模な国際帆船イベントがはじまる事となった。
そして、1983年10月22日泉南沖に集結した帆船団はいったん阪南港沖に停泊して帆船のイルミネーションショーを行い明日の帆船パレードに備えた。パレードにあたっては過去30年間の当海域の気象データから厳密な日程スケジュールが組まれていたが、パレード前日の帆船歓��記念ヨットレースは約500隻を集結させるも曇天の微風で、夜半から小雨がばらつくなど天候面で関係者を心配させた。しかし、パレード当日の23日には快晴の西風風速5メートルとこれまでにない帆船・ヨットなどの船舶にとって絶好のコンディションの天候となり、午前10:00よりホスト船ニューゆうとぴあの「みおつくしの鐘」の点鐘と共に日本丸を先頭に帆船パレードが開始された。当時の大阪市長大島靖を始め、三笠宮寬仁親王、当時の運輸大臣長谷川峻の臨席のもとでオープニングセレモニーが開始され、約500隻のパレード伴走のヨット、警備・報道・見学関係などの約2000隻のモーターボートが各帆船に随伴し、阪南港沖から大阪港大関門、大阪港の各係留岸壁(桜島岸壁、安治川口・天保山岸壁、大阪港第一岸壁)まで全帆船がおおよそフルセイル(満帆)で午後の15:00までにパレードを完走した。パレード中の各水上ショー、パレード後の各陸上イベント、花火大会、帆船イルミネーションと各イベントもこの日開催されて約24万の観客を記録した。
翌日の10月24日、チリの帆船エスメラルダの船上にて大阪港・バルパライソ港姉妹港調印式が行われると同時に31日まで帆船の一般公開が行われた。そして、天保山イベントホールでの各国の民族舞踏会・芸能披露宴、各帆船のセイルドイル(操帆訓練)・船上結婚式、参加各国のナショナルデー、乗組員らのサッカー大会、北区中之島での各国帆船乗組員ら約500人の市内パレード、さらに市内百貨店の参加各国の文化物産展も開催された。
その後、27日午後、帆船日本丸が大阪港を一番に出港し、11月1日午前、インドネシアのデワルチ・ポルトガルのサグレスの帆船2隻が最後に出港してイベントが終了した。開催から終了までのおよそ11日間の短期間で全国から150万人もの人々を集めたともいわれ、この帆船イベントの成功はその後の国内での帆船イベントにも多くの影響を残した。また、海軍を持たない国家でのシビリアンレベルでの国際的な大規模帆船パレードの開催・運営は世界でも例を見ないユニークな祭典でもあった。(ウィキペディアより。脚注略)。
参加帆船 日本丸(日本)、海王丸(日本)、シナーラ(日本)、エスメラルダ(チリ)、グロリア(コロンビア)、クォウテモック(メキシコ)、ダルモジェジイ(ポーランド)、サグレス(ポ��トガル)、デワルチ(インドネシア)、ジフン(香港)香港の帆船ジフン(志風)号の46名の乗組員の中で37名はほとんどが航海初心者の女性。
(写真=『'83大阪世界帆船まつり公式記録写真集』より)日本丸を先頭に大阪港を目指し、フルセールで帆走する船団。(左から)日本丸、エスメラルダ、グロリア、デワルチ。以下、クォウテモック、ダルモジェジイ、ザグレス、ジフン、シナーラ、海王丸とつづく。
0 notes
Photo
12/1 【ウクライナ7日】大雪の土曜日。 地下鉄ショッピングセンターの入り口前で突如、始まった青年たちのウクライナ民謡?! 低くよく響く唄と見たことのない楽器。 奏でているのがごく普通の今時の兄ちゃん的な格好なのが新鮮。 ウクライナ人は伝統を重んじ、愛国心が強い。 数年前の旅行でロシアのホステルに泊まってたとき、ロシアの人達はみんなおしゃべり好きで、言葉が殆ど通じなくても、知らない顔の私によく話しかけてきた。 ウクライナのホステルではあんまりそうでもないなぁと思ってたけど、 今朝、朝ごはんを調理してたらわたしに色々話しかけてきた《若くて太ったプーチンさん》みたいな男性は、「オレの父さんはロシア人。母さんはウクライナ人だよ。」。 半分ロシア人だからこの人懐っこくておしゃべり好きな感じがあるんだろうか~。 外国人のわたしに気づかって(好奇心があって)何かと世話をしれくれようとする感じも、ロシア人ぽいかも。 おしゃべりしながらキッチン回りをこまめに片付けてるのも……そういやロシアの人達もこんなだった。 「俺のパスポートはウクライナ人だよ。 父さんと母さんはいまカリーニングラードにすんでるよ。」とのこと。 まぁ、カリーニングラード!!ロシアの飛び地。 歴史の流れで、リトアニアとポーランドの横に一部だけロシアの領土が残ってるんだよね。 わたしもわざわざロシアから国内線で飛んで観光したわ。(かの土地にプロイセンの名残を見たかったのは、ヘタリア読んでたせいです(笑)) 彼のお父さんお母さんが若い時代はもちろん夫婦の国はソ連で繋がっていたわけで、 今ではウクライナとロシアは喧嘩中。 ウクライナのナショナリズムとアイデンティティーが絶賛盛り上がり中。EU🇪🇺と仲良くしよう!みたいな表記を��くさん街で見かける。 (ひとつの船にウクライナ国旗とEU旗が一���に船の帆になってるオブジェとか。) そして親夫婦はロシア本土から離れた、西側の飛び地に何故か住んでいる…。 もしかしたら別に深い事情なんてない、たまたまそうなったのかも知れないけど、興味深いね。 魚市場関係の仕事をしてるらしく「オレ仕事で日本にいっぱい魚輸出してるよー!」って言ってた。 #旅人nina #旅人ニーナ #ウクライナ旅行 #Україна #Ukraine #コーカサス旅行 #アルメニア旅行 #女子旅 #女性一人旅 #一人旅 #世界一周 #バックパッカー #イラストレーター (Kyiv, Ukraine) https://www.instagram.com/p/Bq2QZx3gwDJ/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=1154xdtwr46s9
0 notes
Photo
昨日のポーランド🇵🇱の帆船で展示されていた杉浦千畝さん。命のビザとして有名なエピソードですが、ポーランドの皆さんの歴史にしっかり刻まれているのですね。 https://www.instagram.com/p/BqGev6rHhwv/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=ht61cnygf8fd
0 notes