#ブッツァーティ
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弟はまた毛布の間に横になり、兄は本を読みはじめた。家の中は静かで、なにごともないみたいだった。
— ディーノ・ブッツァーティ著/脇功訳「夜の苦悩」(『待っていたのは 短編集』1992年6月、河出書房新社)
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『タタール人の砂漠』 ディーノ・ブッツァーティ 脇功 訳
Twitterで見て気になって読むことにした。人生についての寓話。読みながら���裏にヨーロッパのBGMがほとんどない映画の映像が出て来た。半分以上読んだ後にはSF作品で想像する方が私には分かりやすかもと思ったりもした。『城』と『魔の山』を思い出した。付箋を貼ったとこを下に
北の砂漠からは彼らの運命が、冒険が、誰にでも一度は訪れる奇跡の時がやって来るにちがいない。時が経つとともに次第にあやしくなっていくこうした漠とした期待のために、人々はこの砦で人生のさかりをむなしく費やしているのだった。(p62)
次は終わり近くのもの
との間にも時は流れて、その音もない鼓動がいっそう性急に人生を刻んでゆく、一瞬立ち止まり、ちらりと後ろを振り返る余裕すらない。「止まれ、止まれ」と叫んでみたところで、もちろん無益なことだ。すべてが過ぎ去って行く、人も、季節も、雲も。石にしがみつき、大きな岩の先端にかじりついて抗おうとしてもむだだ、指先は力尽きて開く、腕はぐったりと萎え、またもや流れに押し流される。そして、その流れは緩やかに見えても、決して止まることを知らないのだ。
日1日とその神秘的な崩壊が度を強めてゆくようにドローゴは感じるのだったが、それを止めようとしても虚しかった。砦の単調な生活には基準にするものがなく、時間は数えるよりも先に逃げ去ってしまうのだった。(pp210−211)
何年振りかで砦から降りた時の感覚が、何かの中毒になった人が現実社会に戻ったって感じもあった。
228ページに、20年前なら、って下りがあるが、20年前もそうではなかった。記憶のあやふやさやね。記憶の修正と言うか。
主人公の最期、あれほど期待していたタタール人との有事には立ち会えない。しかし達観して死を迎えるんだな。
何か大きな出来事がある物語ではなく、乾いていて淡々としてて、とっつきにくいかもしれない。時と自分の関係性と言うか、とにかく人生について考えてしまう本。若い大人に読んでもらいたい作品だ。いつかまた読み返したいと思ってる(読み返すことがあるかどうかは分かりませんが)。
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2024年7月17日に発売予定の翻訳書
7月17日(水)には10点の翻訳書が発売予定です。 ただし、1点は禅に関する書籍の英訳版です。
韓国ドラマを深く面白くする22人の脚本家たち
ハンギョレ21、シネ21/著 岡崎暢子/翻訳
クオン
新科学論議(上)
ガリレオ・ガリレイ/著 田中一郎/翻訳
岩波書店
山のバルナボ
ディーノ・ブッツァーティ/著 川端則子/翻訳 山村浩二/イラスト
岩波書店
Using Gravity! The Power of Standing Zen
Ojiro Matsui/著 Remy Castella/翻訳
BABジャパン
教皇フランシスコ講話集10
教皇フランシスコ/著 カトリック中央協議会事務局/編集・翻訳
(宗)カトリック中央協議会
この世からすべての「ムダ」が消えたなら : 資源・食品・お金・時間まで浪費される世界を読み解く
バイロン・リース/著 スコット・ホフマン/著 梶山あゆみ/翻訳
白揚社
フランス民法の伝統と革新 Ⅰ
ローラン・ルヴヌール/著 サビーヌ・マゾー゠ルヴヌール/著 マリ・ルヴヌール゠アゼマール/著 水野紀子/監訳 大村敦志/監訳
信山社出版
こぶたのルーファス がっこうへいく
キム・T・グリズウェル/著 バレリー・ゴルバチョフ/イラスト くまがいじゅんこ/翻訳
サイエンティスト社
惑星地質学���門 : 惑星と衛星の表層過程
H・ジェイ・メロシュ/著 山路敦/翻訳 成瀬元/翻訳
京都大学学術出版会
ヴィクトリア朝英国の鉄道旅行史
スーザン・メジャー/著 白須清美/翻訳
原書房
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名刺がわりの小説10
そういうのが昔はやってたらしいので、我もしてみむとてするなり。
・幽霊(北杜夫)
・葬儀(ジュネ)
・寄宿生テルレスの混乱(ムージル)
・未知なるカダスを夢に求めて��HPL)
・ディアスポラ(イーガン)
・驚異の書(世界の涯の物語)(ロード・ダンセイニ)
・アンチ・クリストの誕生(ペルッツ)
・タタール人の砂漠(ブッツァーティ)
・ミスト(スティーヴン・キング)
・ソラリス(レム)
でも、10冊も迷わず挙げられるほど、小説読んできてなかった……。(絞れないのではなく挙げられないタイプの迷い。)一応はばひろく自分の好みを反映できるように、考えて挙げてみました。あと、同じ著者を重複させないように……。
『幽霊』は、小説の読み方について、ターニングポイントになった作品。筋書きは全然覚えていない。その頃シナリオの技巧みたいなのでしか小説を分析できなかった私だったけど、美しさを重視してもいいんだ、と気付かされました。
『葬儀』は、一番好きな作家と言いたいジュネの著作の中でも、特に好きな作品。戦時中のパリ、死んだ恋人、その婚約者、兄、母親の愛人(ドイツ兵)、の愛人の少年、と登場人物の関係だけ見ると泥沼なのだが、完全に神聖。素朴で、儚くて、静謐。登場人物を描写する語り手は、切れ目なく妄想に突入して、人々の境遇を勝手に捏造する。そして捏造された場面から生じる悲しみや愛を死んだ恋人への哀悼として捧げるのです。総統も自由に使う。小説がここまで表現できることにすごい衝撃を受けました。散文によって音楽も映画も超越できる。魂に直接同化してくる、しかも翻訳されてるのに!?バケモンです。ジュネのこといくらでも語れると思います。
『寄宿生テルレスの混乱』は、まあ、BLなんですけど、なんだかんだ好きで何回も読んでしまっています。で、細かすぎるんですけど、一番好きな場面は、後年出世したテルレスがこのときのことを振り返って〜というのが唐突に挿入される場面です。あと後半突然数学やり始めるのとかもいいです。
『未知なるカダスを夢に求めて』は、ラヴクラフトの作品の中でもいわゆる「銀の鍵」3部作が好きなので、その最終形態なので選びました。順番が前後しますが、私はダンセイニが好きであり、HPLもダンセイニが好きなのがバレバレであり、それがつたわってくる初期のパクリ風のじゃなくて自分流に落とし込まれてるのがすごいと思うしすごくいいと思う!!心の旅って感じ!!
『ディアスポラ』はよくわかんなかったんですけど、最後ヤチマが無限に数学やるぞ!みたいになってて、私もここ(の空間という意味ではなく、この境地?境遇?)に行きたいなーって思ったのでした。それが今もかわらなくて、ここに挙げてるのは書かれ方が好きな小説が多いんですけど、この小説は書いてあることが好きな部類です。
『驚異の書』は、『世界の涯の物語』に入っているやつです。どれでもよかったんですけど、これが初めて読んだダンセイニだったので選びました。神話をつくってる風の表現に初めて読んだ時衝撃を受けて、すごくすごくいい!!と思ったのでした。
『アンチ・クリストの誕生』は、これも(たしか)初めて読んだペルッツです。ペルッツの本は全部筋書きが面白いので高級な国書刊行会の本を少しずつ買い集めることになりました。筋書きが全部面白い。アンチ・クリストの誕生は中でも特に面白いほうだと思います!ほか、霰弾亭、第三の魔弾、スウェーデンの騎士とかも好き。聖ペテロの雪はいまいち。全部の作品に都合のいい女が出てきますが、聖ペテロの雪に出てくる都合のいい女の都合の良さは群を抜いているから……。あと、全部の話が枠構造で描かれていると思う。この型のある感じが商業作品って感じ!
『タタール人の砂漠』はちょっとねじ込んだ感じです……。静謐な作品が好きです。でも、ほっこりしないやつ。別に人間の無価値さを感じたいわけではないけども落ちてからのほうがあがりやすい。フィクションで上がって現実で落ちるのはつらいでしょう。
『ミスト』もねじこみまし���。スティーヴン・キングは好きです。私は怖がりなのでミストのこと考えると本当に怖くなります。
『ソラリス』本当に好きな作品です。偽物?の女の子が自分を疑うところの静けさが好きです。我々はちっぽけですね……。宇宙人のこと考えるときソラリス読んでからじゃないと全ての考えが無になります。夜の静けさより朝の静けさが好きです。ソラリスにはそれがあります。
総じて「何が書いてあるか」より「どんな風に書いてあるか」が気になるタイプです。
出来事のハデさより、地味な出来事でも、登場人物や主人公がどう反応するか、を掘り下げてある小説が好きだと思います。ただ出来事のスケールがデカいのには惹かれます。家に帰って寝ました→500年後……みたいな。だから浦島太郎が本当に悲しくて好きだったりします。
あと悲しくて静かな話が、今生きている人や生き生きとして滅びていない文明世界に愛を感じられるようになるので、好きです。
名刺がわりになるんでしょうか?
*あとで書影をアップロードしようかなとおもってます!てきとうに写真を撮ることにより
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お待たせいたしました! あの愛らしいクマたちが、 ついにブルーレイになって帰ってきた!🐻🎉🎉
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『シチリアを征服したクマ王国の物語』 2023年1月27日(金)よりBlu-ray発売!
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¥4,800(税込¥5,280)
2019年/フランス=イタリア合作/ビスタサイズ=1:1.85/本編82分 +特典映像/2層ディスク/フランス語(5.1ch)+日本語(5.1ch)/DTS-HD マスターオーディオ/MGVC
監督・グラフィックデザイン:ロレンツォ・マトッティ 原作:ディーノ・ブッツァーティ(福音館書店刊)
※仕様は変更となる場合がご��います。
Blu-ray情報詳細はこちらから👇 https://www.tc-ent.co.jp//products/detail/TCBD-1380
提供:トムス・エンタテインメント、ミラクルヴォイス 発売元:株式会社WOWOWプラス 販売元:TCエンタテインメント株式会社
© 2019 PRIMA LINEA PRODUCTIONS - PATHÉ FILMS - FRANCE 3 CINÉMA - INDIGO FILM
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『怪物 ブッツァーティ短篇集Ⅲ』=ディーノ・ブッツァーティ著、長野徹・訳
東宣出版・2420円). 長編『タタール人の砂漠』などで知られるイタリアの��才ディーノ・ブッツァーティ(一九〇六―一九七二)の選集の最新刊。幻想文学の逸品が ...
https://ift.tt/2PxGA63
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「軍医どのはご存じないでしょうが、私は間違ってここへ配属されたんです」ドローゴは答えた。 「みんなだよ、君、みんな間違ってここへきてしまったんだよ」軍医は暗に哀れむような口調で言った、「多かれ少なかれ、誰だってそうさ、ここに居残っている連中だってそうさ」
ブッツァーティ『タタール人の砂漠』
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【京都岡崎 読書日和 7月】―休日にみんなで小説を読むコミュニティ― コンシェルジュ:鵜飼慶樹
今日は読書日和。手ぶらで気楽に小説について話しましょう。
読書日和は手ぶらで参加できる、小説をきっかけにみなさんでお話しするコミュニティです。 京都岡崎 蔦屋書店のコンシェルジュが選んだごく短い小説をその場で読んでいただき、みなさまと自���にお話しする時間を共有できればと思っています。 小説が好きな方はもちろん、普段あまり小説を読まない方や、読書会が気になっていたけどまだ参加したことのない方、ただただお話がしたい方でも大歓迎です。 京都岡崎 蔦屋書店で休日のお昼に気軽にお話しましょう! みなさまぜひお気軽にご参加ください。
【プロフィール】 鵜飼慶樹(うかいよしき) 1986年生まれ。京都在中。 京都岡崎 蔦屋書店BOOKコンシェルジュ、京都裏寺の極楽寺の副住職、京都造形芸術大学 文芸表現学科 非常勤講師の三足のわらじで生きています。 好きな作家は内田百閒、ディーノ・ブッツァーティ、フラナリー・オコナー。
会期 / 2019年7月13日(土) 定員 / 10名(先着) 時間 / 14:00~15:00 場所 / パークプラザ1階 共通ロビー 主催 / 京都岡崎 蔦屋書店 参加費 / 無料 申込 / 店頭、または電話にて承ります。当日参加可。 問い合わせ先 / 京都岡崎 蔦屋書店(075-745-0008)
イベント情報の詳細はこちら
from honyade.com https://ift.tt/2XHd9QB
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今日の読み物は「ブッツァーティ短篇集Ⅰ 魔法にかかった男」(著 ディーノ・ブッツァーティ、長野徹訳/東宣出版)。
彼女が好きだというイタリアの作家で、届いたその日に図々しくも俺から読ませてもらっている。本書は彼の作家人生初期〜中期までの作品を集めたものらしい。まだ短篇集IIもあるので彼について感じたことはそちらも読み終えてから書きたいと思う。画の切り取り方や魅せ方は好ましく映った。
"動物は迫害、復讐、攻撃、神秘といった観念を具現化するために役立つ"という彼の言葉通り覿面に効果を発揮しており、印象的であった。
誰だって、いつでも現在居る世界から自分を切り離すことは可能で、自由で、何にでもなれてしまうが故に、自分という存在を��れだと決め付けて必死に留まって居る。そうしたいからしている。
霧雨。
彼女が感情を表に出すことによって、ああ自分と同じ存在なんだと安心するのかもしれない。当然のように自分に愛を与え受け取る彼女を到底同じ存在だとは思えないのかもしれない。あまりにも簡単に、スルリと心に入ってくるものだから出て行ってしまうのも簡単なのだろうと不安になるのかもしれない。
それほどに軽やかに鮮やかに美しく存在しているのだ。
およそ俺という一つの個体だけでは、いや誰であろうと彼女の中の拡大し続ける器を埋めることなどできない。想像も出来ないような言い表せない大いなる愛情を求めていると言う。
入れ続けてやると思う。拡大し続ける器ならこっちの蛇口をぶっ壊せばいい。ずっと満たされない溢れない器なら最高じゃないか。彼女と心を通わした存在なら、その器を一杯にすることはできる。でも全然足らない。終わらない。もっと欲しい。そうでなくてはつまらないと。
満たされないことは愛だ。
彼女が美しい所以。
常に全ての存在に期待する。
期待が外れて悲しくて泣いている。
それでも期待する。
生きていたいからだ。
凡ゆる欲にまみれた彼女は本当に美しい。
愛しても愛されても全然足りない。綺麗だ。
俺は愚かな人間であるから、彼女の願いを唯一叶えられるという神に嫉妬する。
彼女の眠っているベッドの傍に座り、胸に耳を押し付ける。一体いつからそうしているのか、はるか昔なのだろうから忘れてしまったがそれが落ち着く。鼓動を感じて安心するとそのまま深く眠れる。魘される彼女を抱きしめるのは慣れっこだ。何度でも俺のいる場所に引き戻す。
気持ちを知ってか知らずか、彼女が随分とハッキリした口調で大丈夫だよ、生きてるからと言う。泣きそうだ。歓びで。
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『タタール人の砂漠』ディーノ・ブッツァーティ
長い間、小競り合いと呼べるほどの戦闘すらなかった隣国と境を接する辺境の砦に新任の将校が赴任する。時を同じくし、今まで微妙な均衡の上に成り立っていた両国間の戦争と平和のバランスにかすかな亀裂が生じ、それがやがて運命的な悲劇を招き寄せることになる。ほぼ同じ頃に書かれた『タタール人の砂漠』は、ジュリアン・グラックの『シルトの岸辺』に酷似する。
任地に先輩将校がいて、次第に気心が通じあう仲になってゆく点もよく似ている。『シルトの岸辺』が海、『タタール人の砂漠』が山を舞台にしている点が異なるが、事実上の戦闘行為というもののない軍事拠点で平穏な日々を費やす軍人たちの心境というものにはかなりの共通点が見いだせる。軍人として最も敵に近い位置にいながら、戦えない。それは大いなるディレンマといえる。
話を『タタール人の砂漠』に戻そう。舞台はどこともはっきりしない荒涼とした山岳地帯。大砲はあるが移動手段は馬や馬車、無線通信もない時代の話だ。主人公はジョヴァンニ・ドローゴという中尉。士官学校を出て初めての赴任先がバスティアーニ砦。北の王国に面した砦として、かつ���そこに行くことは軍人としての名誉だったこともあるが、今では重要視されておらず、最近では昇進を望む若い将校の腰掛けにされている始末だ。しかし、中には長年月を砦で過ごす者もいて、砦に向かうドローゴが最初に出会ったオルティス大尉もその一人だった。
若い軍人の常として、戦功をあげ、昇進を夢見るドローゴは、砦に大した価値観を持たない大尉の話を聞くうちに、急速に砦での勤務に嫌気が差す。すぐにでも帰任しようと上官に願い出るもののうまく丸め込まれ、通例の四年間勤務を続けることになる。同じ年ごろの将校仲間も多く、馬を飛ばして近くの町で羽を伸ばす楽しみも見つけると、勤務自体は楽なものなので、砦の暮らしにも馴れ、悪いところでもないような気がしてくる。何しろ、期限が切られているので、それまでの我慢なのだ。
しかし、十年、二十年と居続ける者は、砦に何を期待しているのだろうか。両側を深い絶壁に遮られ、南には深い谷、北には絶壁と絶壁の間に三角形の土地が見える。砂礫が広がるばかりのそこが「タタール人の砂漠」といわれるところ。かつてタタール人が攻め入って来たという伝説が残る。その手前に国境線が横たわっており、バスティアーニ砦に勤務するということは、真っ先に敵と戦う栄誉を担っていることを意味する。
上は司令官から、下は仕立屋として働く兵曹長まで、いつかきっとタタール人の砂漠に敵が現れることを今か今かと待ち続けて今に至ったのだ。居続ける理由の一つに男所帯の気楽さがある。砦の料理は美味で、視察と称してわざわざ食べに来る将校もいるほど。新しい服が欲しければ腕のいい仕立て職人もいる。生活のこまごました世話は気の利く従卒がやってくれる。山岳地帯の自然は厳しいものの雪解けの季節のうれしさは格別である。長くいるうちに、不都合なことににも馴れ、何もない砦の暮らしに居心地の良ささえ感じるようになる。
いわば、これが罠なのだ。いつかやってくる敵の襲来を待つという大義名分を自分でも信じているふりをして、砦という閉鎖的な社会に閉じこもるうちに、一般的な社会との接点を失ってしまう。砦での暮らしは竜宮城にいるようなもの。帰ってみれば今浦島。四年が経過し、一時帰郷したドローゴは、自分と無縁の世界に住む友人に親しみを覚えられず、婚約者のマリアとの間にも壁を感じ��。最愛の母さえもかつてのように自分を愛していないことを知り、砦に帰ることを選ぶ。
軍隊という世界は普通の場所ではない。人と人の通常の約束事の上に規律があり、それが支配する。そのために死ななくてもいい人間が死ぬこともある。また、様々な価値観や気質を持つ男たちが閉鎖的な空間に起居するため、相容れぬ気質を持つ者の間には確執が起きる。ふだんは何とかやり過ごしていても、一朝ことあるときにはそれが火種となり、命のやり取りさえ起きる。気楽そうに見える砦の生活にものっぴきならない事情のあることも作者はしっかり書き添えている。
要領のいい将校は四年で砦を去って下界に戻り、妻や子のある普通の暮らしを営む。それでは、砦の生活を選んだ者に何が残されているかといえば、敵の来襲以外何があろうか。目を皿のようにしてタタール人の砂漠を見張る兵が、黒いものの動くのを見つける。ざわめきたつ砦。それが敵兵の隊列であることが分かり、いよいよその時が来たと砦中が沸き立っている最中、竜騎兵が一通の書類を携えてやってくる。隣国の兵は、国境線の確定のためにやってくる武器を携行しない測量隊に過ぎないことが判明する。
期待と遅延、ようやく訪れたと思えた好機は一瞬にして潰える。これが狼が来たと呼ばわる少年の例となり、タタール人の砂漠に人影を見たり、夜半に灯りがちらつくのを見たと訴える将校に対し、軍は不必要に不安を煽るものとして、警告を与え、望遠鏡の使用を禁じる愚挙に出る。敵が道を作っているのだという同僚の意見を信じていたドローゴは、それ以降、確認する手段を失ってしまう。
博打で負け続けた客が起死回生の逆転劇を待つように砦に居続ける者たちの前に、今度こそ本当に敵が責めてくるという事態が勃発する。しかし、そのとき年老いたドローゴは肝臓の病でベッドから起きることもままならない。何というアイロニー。しかし、突然やってきたわけではない。事態がこのように進むことを話者は小出しに知らせてくれている。伏線を張り、幻想的な夢で仄めかしている。それを読者は知っているが、主人公は知らない。
第二次世界大戦前に書かれたこの小説が発表されたのは敗戦後のイタリア。当時はネオ・リアリスモが主流で、日の目を見なかったという。しかし、今読んでも心惹かれるものがある。いいものは時を選ばない。人は何かを待ちわび、待ち続け、報いられることもなく一生を終える。その事実に何の変りがあることか。俗世間での栄達や気散じが大事なら、そう生きるのもいいだろう。しかし、何かできるかもしれないという期待に一生を捧げる人生を選んだとして、仮に報いられることがなかろうと、誰がそれを笑えるだろうか���いつまでも読み継がれる物語だろう。
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『七人の使者』
ディーノ・ブッツァーティが描く物語はいつも不穏な雰囲気に支配されている。決定的な何かが起こるわけではないのに、忍び寄ってくる何かの気配から逃れることができない。それはたとえば死の匂い。主人公の身に降りかかる不条理の連続を外連味なく描いた「七階」などはその典型的な作品。ブッツァーティは人間の持つ普遍的な意味を描く。その一方、平易な文体で語り口に重々しさはなく、幻想的でありながら細部��リアルに描写されている。読むたびに味わいが増していく。
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2017.02.21
いつ寝たのかも思い出せない。多分6時過ぎだろう。それから母親の声で一旦11時半に目覚め、起きてようと思い、眠ってしまわないように、意識を覚醒の方向に向けようと、Youtubeで音楽を再生したりするも、心身が拘束具をつけられたみたいになっており、やがて眠りの世界に引き込まれていった。多分、16時頃に起きた。
強烈に嫌な夢を見た。小学三年生の時に体罰を平気でしてきた厳しかった担任の先生が、「出席停止処分には絶対にしない、だが処遇はある」というようなことを言ってきた。校庭に面した階段に僕と先生は、並んで座っていた。なぜそう言ってきたのか。僕��発狂し、ある問題を起こしてしまったからだった。教室で暴れ回った。クラスメイトのいる前で、多分授業中だろうか、堂々と、激しい音を立てながら、自分の机と椅子と黒板の前に逆さまにして置いた。その行為を扇動したのは、同級生の権力的な不良少年集団だった。その不良集団から、以前働いていたアルバイト先の倉庫らしい場所で、集団暴行をされそうになり、僕は追いかけられ、助けを求めて叫びながら逃げたが、誰も助けてくれなかった。また、学校の体育館で僕は、不良少年とサシで対決することになり、なぜか勝った。戦い方がわからなかったので、生死の面を考慮することができず、必死になって相手の首や頭などをぶっ叩いた。相手は倒れ、僕は殺してしまったのではないかと危惧した。そしてまたさらに精鋭の人間が勝負をしかけてきたが、僕は戦いたくなかったので、うろたえながら、逃げようとしたが、集団に囲まれ、さらに僕が打ちのめした一人も起き上がったので、僕は逃げられないと悟り、攻撃にさらされることになった。僕は、彼らに素っ裸にされた。生徒のいる前で。そのあとに、「身ぐるみはがしたのは悪かったよ」と謝ってきたが、僕は底なしの怒りと恥辱の感情を保つことができなかった。一人で学校の駐輪場に向かってトコトコ歩いていたら、すれ違いざまに誰かに話しかけられた。誰だかは思い出せない。内容も思い出せない。僕は生徒全員に激しい憎悪の念を抱かれることになったと思った。発狂した際に、あまりにも迷惑をかけすぎた。クラスの秩序を乱してしまったことで教師にも嫌悪感を抱かれた。今でこそ仲がいい同級生がクラスにいるはずで、助けの手を差し伸べてくれるかと思っ��がその姿は見えなかった。僕は、耐えられない孤独を感じ、顔は苦渋の色で染まっていた。教室に僕はもういてはならない存在となり、逃げた。僕の発狂行為を見たクラスメイトによる加虐性を痛いほど感じ、怯えていた。そして僕もクラスメイトに対して攻撃的になっていた。もう許されないと思った。僕は階段の下の薄暗いスペースでうずくまっていた。そしたら、非常にグラマーな女性が「ここにいるよー」とそばにいた仲間らしき人に言いつつ、疎外された僕を発見してくれて、「君、かわいそうだね」と、寄り添ってきてくれた。僕は嬉しかった。一人にならざるおえなかった自分にこの人が話しかけてくれたことで、僕は完全に救われた気持ちになっていた。
ブッツァーティの「タタール人の砂漠」という本を読み終えた。いささか退屈だったが、最後の40ページはには、感情を刺激��るものがあった。
闇のとばりが下りると、わずかな警備兵では、夜が砦を支配するのをもう防ぐことはできなかった。城壁は広い区域にわたって見張りがなく、その向こうから聞のもたらす不安と孤独のわびしさとが侵入してくるのだった。左右は山並み、南は無人の谷、北はタタール人の砂漠、空漠とした大地に固まれて、年経りた砦はまさに孤島そのものだった。夜も更けると、これまで以上に、奇妙な物音が砦じゅうの迷路に響き、そして歩哨たちの胸の鼓動が高まるのだった。今でもなお城壁の端から端まで、「警戒よし!警戒よし!と叫ぶ声が渡って行く、だが今では歩哨たちもその声を仏達するのが一苦労だった、たがいの間隔がずいぶん離れているからだ。288
日々の灰色のページが、夜の黒いぺージが、つぎつぎとめくられてゆき、ドローゴやオルティスに(そしておそらくはほかの年老いた将校たちにも)、もう間に合わないという焦りがつのっていつた。歳月が傾くのも知らぬげに、北の連中はいっこうに動く気配を見せなかった。彼らは不死の身とでも思っているのかー長い季節をいくつも無駄に過ごして顧みないみたいだった。一方、砦には時の仕業に対して無防備な、哀れな人間たちが閉じこもり、その期限ぎれが近づきつつあるのだった。かつてはおよそ遠い先きのことのように思っていたその期限が、今や不意にすぐ近くの地平線から顔を覗かせ、情け容赦なく人生の満期を思い起こさせるのだった。あらためて気を取り直すためには、そのつど、新たな流儀におのれを順応させ、わが身と引き比べる新たな基準を見つけ出し、自分より条件の悪い者たちを見てわが身を慰めねばならなかった。299
ドローゴは砦の黄色っぽい城壁を、砲台や火薬庫の整然とした姿を、かつてないほどにじっと凝視した。苦い涙がゆっくりと皺だらけの頬を伝わっていった。すべてが痛ましい結果に終わり、そして言うべき言葉もなかった。なにひとつ、ドローゴのためになりうるようなものはまったくなにひとつ残らなかった、彼はこの世界にひとりばっちで、病いに冒され、疫病患者のように追い払われたのだった。畜生め、畜生め、彼は口走った。だが、そのうち、もうほっておこう、もうなにも考えないでおこうと思った、さもないと耐えきれぬ怒りに胸が張り裂けそうだったからだ。329
今日見た自分の夢を思い出した。
昨日通話した人が、眠剤を飲んでいるというので、「何を飲んでるの?」と聞いたら「名前覚えてないんですよね。ちょっと見てきますね」と言って席を立った。僕は、「名前覚えていないのか、意外だな」と少し思った。「あ、マイスリーです」とその人は言っ��ので、「僕もそれを飲んでいる」と言った。ツイッターで、今日またもや眠剤を飲んでいるという人がいたので、「何の眠剤を飲んでいるの?」と聞いた。そのあと、僕は内省せざるをえなかった。「なぜ何を飲んでるのか聞いたんだろう?」と思った。気になるんだろうか?僕は、その睡眠薬などの名称が無意識に与えている属性にこだわっているように思えた。覚えていないのが「一般的」じゃないか?と思った。僕は風邪薬などの名称にはあまり興味を持たないが、精神薬などの名称には若干興味があった。今日読んだ「精神と記号」という本に、「人は記号とセックスをする 68」と書かれていたが、この場合の眠剤の名称という記号とは一体何だろうかと考えた。どこからきているのだろうか。芥川龍之介の「ヴェロナアル、ノイロナアル、トリオナアル、ヌマアル…」という文章は僕の考えに影響を与えているだろうか。
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『シチリアを征服したクマ王国の物語』TVODで8/1(月)から配信が決定!
\この夏!🏝あのクマたちが帰ってくる!🐻/
フランス・イタリア合作アニメーション映画『シチリアを征服したクマ王国の物語』が8/1(月)から17つの配信サービスからTVOD配信が決定!!
監督は世界的なトップイラストレーターであり、カンヌ国際映画祭やヴェネチア国際映画祭のポスターイラストなどでも知られるロレンツォ・マトッティ。彼の持ち味である流麗な曲線で描かれる風景や色彩の美しさ、素晴らしい構図がアニメーションでも遺憾無く発揮されている。原作はイタリアの作家ディーノ・ブッツァーティが 1945 年に発表した児童文学で、イタリアで⻑く読み継がれてきた名作だ。原作のユーモアに溢れたファンタジックな世界観を完全再現!多様な文化の中で他者を受け入れることの大切さをテーマにした映画であり、アニメーションならではの魅力を存分に発揮した。
そして本作の日本語吹替版には実力派俳優として知られる柄本佑、伊藤沙莉、リリー・フランキーの参加!大人も子供も楽しめる吹替版は、色彩豊かな本作をスクリーンの隅から隅まで堪能できる。
ー配信元ー
<字幕版/吹替版>
Amazon ビデオ、Google Play、GYAO!ストア、Hulu、J:COMオンデマンド、music.jp(動画コーナー)、TELASA、クランクイン!ビデオ、ひかりTV、ビデオマーケット、みるプラス、楽天TV、シネマ映画.com、ミレール
<字幕版のみ>
iTunes
<吹替版のみ>
U-NEXT、バンダイチャンネル
*販売価格などは各サイトでご確認ください
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