#フランス:ペイストリー
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✿ ヴォロヴァン | Vol-au-vent ・フランスの伝統的な軽食。パイ生地の器にソースを絡めた具材を詰めて焼いた料理で、その名称は生地が非常に軽いため“風に舞う”を意味します。19世紀、フランスの偉大な料理人 “アントナン・カレーム”によって考案されたといわれています。
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クロワッサン
クロワッサンは、フランスの伝統的なペイストリーの一種で、世界中で人気のあるペイストリーです。その名前はフランス語で「三日月」を意味し、その独特の形から付けられました。クロワッサンは、層状に折り重ねたバター生地を酵母生地で包み、焼いて作られます。この独特の製法により、サクサクとした食感と、バターの風味豊かで軽い食感が生まれます。クロワッサンは一般的に朝食やブランチで食べられ、コーヒーや紅茶、ジャムなどと一緒に楽しむことができます。また、クロワッサンはさまざまなバリエーションがあり、チョコレートやアーモンドクリーム、チーズなどを詰めたものや、甘みを抑えた塩味のクロワッサンなども人気です。
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クリームに対するものすごい考え方
ロザンナ・マクラフリンによるエッセイとタルト・ディジョネーズのレシピ
コベントリーのど真ん中に住んでいたにもかかわらず、祖父母の家の玄関は日中いつも開いていた。画家であった祖父は、人と会い、スケッチすることに貪欲で、それでさまざまな人物が予告なしに家にやってきた。全身緑の異教の衣装を身にまとい、バグパイプを担いで玄関で大音量で演奏していた「グリーンマン」のバリーだったり。祖父が電動車椅子で外出中に仲良くなったパンクスだったり。近所に住む問題児のオペラ歌手は、パーティでわざとワインをカーペットにこぼしたところを祖母に見つかって以来10年間も出入り禁止だったが、やがて再び���間に迎え入���られた。
コーラスガールと工場労働者の���だった祖母は、1954年に祖父と結婚した。祖母は生涯、文学愛好家であり、家族で初めて大学に進学した。祖父は、ロンドン周囲の保守的なホームカウンティーズの家庭には思いがけない子孫であり、素晴らしく風変わりだった。慢性的に不衛生な男で、バスタブは汚れた皿を入れるところ、手は絵筆を持つために存在し、プディングは天からの贈り物だと信じていた。二人とも、家庭的な世間話など大嫌いだった。お客が美とか詩のような高尚なことを議論していないことに苦々しく思った祖父が、「学位を持っているのにゴミ箱の話をしているのか」と言ったことがある。でも、そんなふうに表向きは下世話な話を嫌っていたにもかかわらず、祖母はものすごく料理が上手く、キッチンは祖父母の社会生活の心臓部だった。
そのため、来客はいつ来るのがベストなのか、すぐに察しをつけるようになった。午前11時ならコーヒーとビスケット、正午ならラムシチューやクレソンスープ、プレイス[***カレイの一種]のパン粉焼き、洋ナシと赤ワインゼリー、チョコレートプディングなど、祖母が日常的に作っていた素晴らしい昼食を食べるチャンスがあった。ある夏の朝には、祖父母の生活で転倒が頻発するようになり、定期的に呼ばれるようになった救急隊員が、あまりの楽しさに無線を切って数時間、庭にいたのを覚えている。私は祖母に頼まれてフランス産のバタービスケットとコーヒー(いつもクリーム入り)を皿に載せて持って行き、救急隊員はそれを蔦の陰でくつろぎながら楽しんでいた。
祖父の死から数年が経った昨年11月、祖母が亡くなった。今、二人のことを思い出すと、最後まで親しい人々で賑わっていた家のことが思い出される。祖父は救い難い甘党で、糖尿病で片足を失った後も道路を隔てたリドル・スーパーマーケットからルール違反のヌガーを入手していたことを思い出す。祖母の台所に座り、食事の準備を手伝いながら、文化や政治に関するあらゆる事柄について祖母の強い意見に耳を傾けたことも。あるとき、エンドウ豆の鞘とったり、ジャガイモの皮を剥いたりしながら、肥満に対処するためのおせっかいな戦略に関する記事について話し合ったことがある。「たとえ顎をワイヤーで固定されていたとしても、ストローでダブルクリームを吸��わ」と彼女は宣言した。また、80代後半になって、サリー・ルーニーの小説を読んだ後に、「英語は完全にあきらめた、これからはフランス語の小説しか読まない」と宣言したこともあった。
でも私がいちばんに思い浮かべるのは、タルト・ディジョネーズだ。チーズ、マスタード、卵、クリームを混ぜた濃厚なソースをシュー生地に塗り、玉ねぎとパプリカを重ねたもの。妻のメリッサと私が訪れると、祖母はよくこのレシピを選んだ。私たち夫婦はベジタリアンという恐ろしいものの手中に落ちており(祖母はあるときそれを選ぶことは「反社会的な行為」だと表現していた)、それはオムレツと並んで、彼女が作る数少ない肉や魚を使わない主食のひとつだったのだ。昼になり、私たちが祖母の料理と文化的見解と無尽蔵の赤ワインを求めて集まった客人たちに混じると、そのタルトが台所のテーブルに頻繁に並んでいた。
晩年、祖母の足が不自由になると、台所が心許ない場所になることがあった。パントリーの棚に腐ったクリームケーキが置かれ、その横のジャガイモはあまりに青く芽吹いていてまるでウニのようだった。その頃には、祖母は口述でほとんどの料理をするようになっており、リビングルームの肘掛け椅子から家族に指示を出した。祖母は年をとるにつれてほとんど家から出なくなったが、気前のいい食卓が、世界を彼女の方へと連れてくるのだった。祖母は、料理が友情とコミュニティを維持するために果たす役割を知っていた。料理は、人々を結びつける善意と優しさの行為だった。
数年前、メリッサに頼まれ、祖母はタルト・ディジョネーズのレシピを書き出した。パントリーにあったデリア・スミスの料理本の表紙の裏に挟んであった黄ばんだ新聞の切り抜きを写し、括弧書きで自分のコメントを加えた。メリッサと私は自宅で何度もこのタルトを作ったが、祖母の死後数か月間は、このタルトを作るとほろ苦い気持ちになった。タルトの生地は、クリームとマスタードとチーズを乗せる土台であると共に、悲しみの受け皿でもある。それでも料理は、コヴェントリーから数百マイル離れたサセックス海岸の私たちの台所へ、祖母を呼び寄せる手段なのだ。
タルトを包丁で切るときのカリカリという音は、祖父母の台所の小さな食卓を囲むグラスの音や、チラシやバスの時刻表や古い果物の種が山積みになった本棚に囲まれたダイニングルームでの食事を思い起こさせる。炎のように赤いパプリカは、祖母のもてなしと同じように鮮やかで、マスタードの刺激には祖母との会話と同じような���足感がある。タルトはいつもおいしくできるが、クリームに対するものすごい考え方を持った祖母が手順を見守っていた時のおいしさとは、比べようがない。
***
タルト・ディジョネーズ (「メゾン・ベルトー」のタルトをベースにしたマーク・ヒックスのレシピ)
シュー生地 250g(20×30cmの大きさに伸ばしたもの。わたしは既製品を使う)
玉ねぎ 大1個(みじん切り)
赤パプリカ 2個(種を取り除き、細かく刻む)
オリーブオイル 大さじ2
ミディアムまたはストロングチェダー 150g(細かくすりおろす)
卵 2個(軽く溶きほぐす)
ダブルクリーム 大さじ2
ディジョンマスタード 小さじ2(好みでもっと加えてもいい)
塩 適量
挽きたての黒胡椒 適量
オーブンを200℃に予熱しておく。20×30cmくらいのベーキングトレイを用意する。深さ1~2cmの浅いものが理想的。ベーキングシートを敷いておく。
中くらいのフライパンに、みじん切りにした玉ねぎとピーマンとオリーブオイルを加える。蓋をして中火にかけ、よく混ぜながら約15分、野菜が柔らかくなり、焼き色がつくて前まで炒める。火からおろし、そのまま冷ます。
野菜が冷めている間に、ベーキングトレイにペイストリーを敷き、10分焼く。ペストリーは少し盛り上がって淡い黄金色になり、冷めるとまた沈む。
玉ねぎとピーマンを炒めたものに、チーズ、卵、クリーム、ディジョンマスタード、塩、コショウを加える。混ぜ合わせ、味を整える。
トレイの中のペイストリーシートを裏返し、その上にトッピングを厚く、均等に広げる。オーブンに戻して18~20分、縁に軽く焼き色がつくまで焼く。
できれば温かいうちに、サラダと一緒にでも召し上がってください。
Vittlesに掲載 2023.5.31
ロザンナ・マクラフリンは、イースト・サセックスを拠点とするライター兼編集者。著書に『Double-Tracking:Studies in Duplicity』(Carcanet、2019年)、『Sinkhole:Three Crimes』(Montez、2022年)がある。『The White Review』[***アートと文学の雑��]共同編集者。
Vittlesは、レベッカ・メイ・ジョンソン、シャランヤ・ディーパック、ジョナサン・ナンが編集し、ソフィー・ホワイトヘッドが校正と副編集を担当している。『Cooking from Life』のレシピは、ルビー・タンドウによって試作されている。
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The story of my soul mate living in the same world #02 about hoco, Hitomi Isotani
震災から2日目、胸騒ぎが止まらなかった僕は新幹線のチケットを取って大阪へ戻ることにした。同じく大阪出身だった磯谷さんにもメールをしておいた。「僕は大阪に戻るね、なんか胸騒ぎがして。磯谷さんも無理をしないでね」そうメールをして品川に向かう途中、原発で水素爆発が起きた。そのニュースを品川の待合室で見ている時、「私もやっぱり帰るわ」と磯谷さんからメールが来た。大阪に戻っても避難してきただけだからやる事もなく、磯谷さんと落ち合って、2人で「これからどうしていったらいいんやろう」と泣いた。大阪は震災なんて無かったように日常のままだったけど、震災を体験した僕らは、感覚的に前のようにはもう戻れないことを魂が気付いていて、本当にどうしたら良いのかわからなくなっていた。2人で大丈夫大丈夫、って励ましあった。 震災のあと、僕は湘南へ、磯谷さんはそのまま何年かお店を続けたけれど、アメリカへ発つ事になった。磯谷さんがアメリカへ発つ日、成田まで見送りに行って、ゲートの手前で2人でビービー泣いた。「元気でね、磯谷さんは守られてるから、忘れたあかんよ、忘れたあかんからね」「ありがとう、じゅんくんほんまありがとう」僕は磯谷さんのご両親の横で、ご両親以上に泣いていた。 思い返すと、僕たちはほんとによく2人で泣いた。
磯谷さんとは、僕がまだ神戸で勤めている頃に出会った。東京に住む友人ののりちゃ��が「わたしいまここでお手伝いしてんのよ」と一枚のショップカードをくれた。それが磯谷さんの営むカフェ、歩粉だった。「東京出張の時遊びに来てよ」 磯谷さんもカンテ出身だと聞いて(カンテ、とは、大阪にあるチャイ屋さん・カンテグランデのこと。僕が20歳くらいの時にバイトしてて、磯谷さんとは一緒には働いていないけど、カンテの先輩)親近感が湧いたのと、歩粉のショップカードがとてもかわいくて、これは行かねば!と次の出張の時にお茶をしに行った。どしーん、という音が聞こえそうなほどに粉がぎっしり詰まったスコーンやケーキやクッキー達(僕たち友人のあいだでは根性入りまくりの根性ケーキと呼んでいた)。美味しいのはもちろん、磯谷さんでしか作れない、磯谷さんそのままのお菓子。僕はすっかり歩粉と磯谷さんのファンになってしまった。それから東京を訪れるたび、歩粉へお茶をしに行った。そしてその後僕は上京をして、晴れて歩粉に月1で��える距離に住むこととなり、毎月毎月、足繁く通った。上京してすぐ、歩粉でフランス語教室が始まると聞き、それにも月2回通い始めた。1ヶ月に何回行ってるんだ、というくらい、歩粉三昧の日々。結局フランス語は全く上達しなかったけど、磯谷さんとはどんどん距離が縮まって、いつのまにかなんでも話し合える仲になった。上京してから、僕はいろいろ、ほんとにいろいろあったけど、磯谷さんもレシピ本を出したり、その後お店を閉めてアメリカに行ったり、お互いいろいろ、動き始めた。振り落とされないよう2人でしっかり手を取り合い、励ましあいながら、何度も2人で泣いて、笑い飛ばして、愚痴を言い合って、くじけそうになってもなんとか前を向いて、一歩一歩進んできた。きっと僕と磯谷さんは生まれる前に魂の契約を結んだんだと思う。2人が出会うのを神様がずっと待っていたとしか思えないくらい、出会ってからいろんなことが一気に動き始めた。磯谷さんが移住したきっかけでアメリカにも初めて訪れた。アメリカとのご縁は僕の人生にとってとてつもない転機だった。 まだまだこれからも、磯谷さんと僕が交わした神様との契約が残っているはずで、その契約がいつ発動されるのか、考えるとちょっとドキドキするけど、磯谷さんと一緒だから大丈夫。磯谷さんがいるから、僕の未来もきっと面白い。そう思える。磯谷さんは僕のソウルメイト。
Profile 磯谷 仁美 2005年9月 歩粉を立ち上げる。焼菓子のネット販売スタート。(2008年3月ネット通販終了) 2006年10月 東京、恵比寿に月替わりのデザートが楽しめるカフェ歩粉開店。 2012年11月 歩粉の初レシピ本、「歩粉」の焼菓子レシピノート(主婦と生活社)出版。 2014年12月 2冊目の著書、朝食おやつ(文化出版局)出版。 2015年2月 恵比寿の歩粉閉店。 2015年 春 アメリカポートランドにて充電中。 2015年 秋 アメリカバークレー、シェパニーズのペイストリーでインターンシップを経験。 2016年 秋 アメリカポートランドで再び充電中。 現在に至る。 http://www.hocoweb.com
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Montreal 一人旅紀行♡
さてモントリオール一人旅から一昨日トロントに帰還しました。
結論から言うと、モントリオールはさすが北米のパリと言われているだけあって何もかもトロントとは違った。Vieux Montreal, オールドモントリオールはSt.Laurence川沿いの地域にある、特にモントリオールがフランスの植民地だった時代の風景が色濃く残る地域。どこを見渡しても、ヨーロッパ。同じカナダにいるとは思えなかった。
でもニューヨークと同じように、トロントと比べてしまうと街が汚い。
あとはさすが(北米の)ヨーロッパ、人が若干冷たい。トロントのように民族多様性が見られる場所ではあまりないから、差別がまだ残ってる感じはした。差別というか、ケベコワ(ケベックがオリジンのフレンチを話すカナダ人)の誇りとでも言うのか、排他的な感じ。住むのは難しそうだなというのが正直な感想。
通りすがりのコケージャンのホームレスのおじさんに唾を吐かれたのには驚いた。笑
モントリオールはケベック州、カナダで唯一のフランスを公用語とする州に在る為、聞こえてくるのはほぼ100%フレンチ。英語も通じるけど、フレンチで返されて会話が成り立たないこともザラ。
やはりどうしてもトロントと比べてしまうと自分がよそ者だっていう気持ちが常にあって寂しい感じがした。ニューヨークでもこれは感じなかった。
でも、すごく魅力的で何かを隠していそうな街だった。ちょっとグランジーな感じに心を奪われた。
泊まったB&Bは完璧だった。Sir Montcalm,ぜひみなさんも。
国内線はもろ”エアバス”。バスのようなpetit感。
地下鉄のアナウンスがフレンチなのに着いてすぐ感動していました。この暗さにトロントとの違いを体感。
長い。今からディズニーのアトラクション乗ります感がすごい。
旧港に位置するボンスクールマーケットとノートルダム ドゥ ボンスクール協会。西側から旧市街に入って行くときに1番に見えて興奮したな〜
ボンスクールマーケットの中には、地元のアーティストのショップやお土産やさん、メープルシロップのお店とかが入ってます。
石畳がなんとも言えない。
カナダ在住の方であればご存知、後ろはBMO (Bank of Montreal)の博物館。ノートルダムの向かいの広場。
かの有名なノートルダム聖堂。カナダ出身の歌姫セリーヌ・ディオンが結婚式をここであげたのも有名。貫禄が半端じゃなかった。めちゃくちゃ楽しみにしていたのに一時期間休館していたのはショックで涙が出てしまいそうでした。
入れなかったけど、中はこんな感じなんですよ!
現実ですかねこれ。このためにいつかリベンジします。
Maison Christian Faure フランスのペイストリー大会受賞シェフのお店。店内はピンクと白が基調で、可愛いケーキやマカロンが並んでいて視覚的に満足♡
ちょっと洒落たコンビニ。オールドモントリオールはどのお店も外観が可愛すぎてどのお店もハイセンスに見えるけど入ってみると微妙っていうのがちょこちょこあるので見た目に騙されず、リサーチしていくのがポイントだと思いました。
最終日は雨。”パリは雨が似合う”っていうのと同じノリ、鉛色の空がまたこの街を魅力的に映し出します。
かわいいけど狭そうなおうちの入り口、普通に通りのお店の間にあって不思議だった。
ジャン・タロンマーケット。セントローレンスマーケットに行き慣れる私は小ささに驚いてしまった。けど、メープルシロップ系はすごいいい感じだった。メープルシロップの本場、ケベックの意地を見た。(意地ってわけでもない)
最終日の朝1番でバスに揺られて約30分、向かったのはセントジョセフ礼拝堂。B&Bの人にノートルダム聖堂を拝観できなくでどれだけ悔しかったかを語っていたら代わりと言��たらなんだけど、と勧められたのがここ。何がすごいって『こんなとこに?』っていうようなちょっと外れの山のうえにポツンと…いや、ポツンじゃなくてどどーーーん!って感じ。めちゃくちゃダイナミック。『え、やば』ってつぶやいてしまいました。写真からじゃ全く伝わらないけど、なんか宇宙船を見ているような気分になりましたあまりのスケールに。
これは礼拝堂の本堂。音が無かった。静か、じゃなくて無音。異世界だった。神聖な気持ちになりました。私はクリスチャンではないけど、こういう場所を訪れるといつも清らかな気持ちになって瞑想してしまいます。
空港に向かう直前に入った、友達のオススメのプティンで有名なダイナー、La Banquise。24時間オープンなんですよ。若干辺鄙なロケーションで途中諦めかけたけど、これは諦めないでよかった。プティンとは、カナダでほぼ唯一の国民料理。揚げたてのフライドポテトに熱々のグレービーとモツッアレラが乗ったカロリー異常なジャンクフード。カナダのマックのメニューにもあるんですよ。私はいつも通りベーコンをプラス。たまらない。でも今まで食べたプティンの中でこれはダントツ1番だった。
おまけ トイレの落書きまでもがフレンチだとアートに見えてしまう。どうせ汚いことが書いてあるのだけれど、まあ許そう。フレンチだし!
初日に携帯の充電切れながらもMont Royalに登ったり、疲れ果てて夕方にホテルに戻って爆睡してしまったり、調子に乗って食べ過ぎて胸焼けしたり、夜お腹空いて財布だけ持って散歩がてら30分も歩いてトロントと同じフォー食べちゃったり、帰り時間余ってフライト1本早くしたり、全てがいい思い出。楽しかった!
全体的にトロントがずっと恋しくて私のトロントへの愛を再確認。
帰る場所があるって、いいな。
飛行機からのトロントは毎回あまりにも綺麗で帰ってこれたことが嬉しくて、窓の外を覗きながらにやけてしまう。空からCNタワーが見えると不意に恋に落ちてしまう。トロントに来る方は夜に着くフライトを取ってください、そして着��前は誇り高く輝くCNタワーを探すこと。私はこの景色が大好きで見る度に涙が出そうになります。ヘッダーも愛するトロントにしてしまった。
珍しく着陸前から下がっていく高度をチェックしたり窓を覗き込んで景色に集中したりしていたけど初めてこんなにも飛行機の中で充実感を感じた。
まず、雲の上にいる時は光を遮るようにして空を見上げると自然のプラネタリウムが広がっていること。雲を通って下降する時はモヤモヤして、違う世界からもう一つの世界にタイムスリップする感覚になること。街を見下ろして『この下で今何人のひとがご飯たべてるのかな〜』とか考えたり、そうしてるうちにトロントのダウンタウンが見えるとこの旅の次に待ってる素敵なことたちを考えてワクワクしたり。たまに(ほぼ常に)詩人のような私のこころ。
これも含めて今回の旅は本当に充実していて、たくさんのこと得ることができました。
まあ、帰ってきて早速テスト勉強と課題に追われノイローゼになりそうですが。これが”素敵なこと”なのか。それは誰にもわからない。
でも
明後日はやっと母と妹がトロントに遊びに来る!
楽しみすぎてお腹がゆるいです。胃酸が出すぎてるわ。
まだ書きたいことがたくさんありそうだけど、今日はここまで。
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海外「何このイケメン!」 とある日本人パティシエが男前過ぎると外国人女性に大人気
今回は、INSIDERのデザート専門ページが投稿した映像からで、パティシエの吉田守秀さんが作り出す、「フランスのペイストリーの伝統と、日本の精密さとシンプリシティが融合」したケーキが複数紹介されています。が、多くの外国人女性が注目したのは、ケーキではなくパティシエで、寄せられたコメントの9割は、そのお顔立ちに関するもの。多様な国籍・人種の女性からハートマークが寄せられており、男前の基準はどの国・地域でもそ http://dlvr.it/NGdQDM
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海外「何このイケメン!」 とある日本人パティシエが男前過ぎると外国人女性に大人気
今回は、INSIDERのデザート専門ページが投稿した映像からで、 パティシエの吉田守秀さんが作り出す、「フランスのペイストリーの伝統と、 日本の精密さとシンプリシティが融合」したケーキが複数紹介されています。
が、多くの外国人女性が注目したのは、ケーキではなくパティシエで、 寄せられたコメントの9割は、そのお顔立ちに関するもの。 多様な国籍・人種の女性からハートマークが寄せられており、 男前の基準はどの国・地域でもそこまで変わらない、 ということが分かるコメント欄になっていました。
海外「モンブラン? 何それ」 日本のモンブランケーキに海外から驚きの声
Source: 【海外の反応】 パンドラの憂鬱
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海外「何このイケメン!」 とある日本人パティシエが男前過ぎると外国人女性に大人気
今回は、INSIDERのデザート専門ページが投稿した映像からで、パティシエの吉田守秀さんが作り出す、「フランスのペイストリーの伝統と、日本の精密さとシンプリシティが融合」したケーキが複数紹介されています。 が、多くの外国人女性が注目したのは、ケーキではなくパティシエで、寄せられたコメントの9割は、そのお顔立ちに関するもの。多様な国籍・人種の女性からハートマークが寄せられており、男前の基準はどの国・地域でもそこまで変わらない、ということが分かるコメント欄になっていました。 海外「モンブラン? 何それ」 日本のモンブランケーキに海外から驚きの声 Source: 【海外の反応】 パンドラの憂鬱
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✿ ピュイ・ダム―ル | Puits d'amour ・ピュイ(puits)は井戸、アムール(amour)は愛を意味します。直訳すると「愛の井戸」ですが、「愛の泉」と訳されます。18世紀後半にフランスでつくられたと言われるピュイダムールは、パイ生地やフィユタージュ(生地にバターが層になるように折り込んでつくるパイ生地)でつくった器に、クリームやイタリアンメレンゲをたっぷりと入れ、表面をキャラメリゼしたケーキです。
#puits d'amour#ピュイ・ダムール#ピュイダムール#sweets:フランス#sweets#sweets:2020〜#sweets:パイ#sweets:パイ生地#sweets:ペイストリー#ペイストリー#パイ#イタリアンメレンゲ#メレンゲ#キャラメリゼ#フランス#フランス:愛#愛#フランス:1700〜#フランス:1750〜
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✿ ヴィエノワズリー | Viennoiserie ・イースト発酵させたパン生地または様々なペイストリー生地を焼いた菓子パンの総称である。「ウィーンの物」の意。 ・ヴィエノワズリーは、鶏卵やバター、牛乳、クリーム、砂糖などを用い、おごった味わいや甘さを強調する。しばしば、ヴィエノワズリーの生地は薄く層化される。ヴィエノワズリーは朝食や菓子として食べられるのが普通である。 ・1893年にオーストリア人の実業家アウグスト・ツァングがパリに開いたウィーン風パン屋を契機に、フランスにおいてウィーン風の焼き菓子が人気を博すようになった。
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✿ ベニエ | Beignet ・ベニエは、フランス語で「揚げた生地」を意味します。実際、ベニエはパン生地を油で揚げてつくる一種のペイストリーとなっています。このペイストリーとは、穀粉にバター、ショートニングにベーキングパウダー、卵などを加えてパイ状に焼き上げる食べ物のことです。フランスでは、メープルシロップや果物にジャム、チョコレートなどが生地の中にたっぷりと詰められているものが多いのだとか。そして焼きあがったら、粉砂糖をまぶしてを食べるというのがスタンダードです。特に焼く際に形状が定まっているわけではなく、地域によって様々なベニエがあります。 ・ベニエは、現地で「マルディグラ」と呼ばれる復活祭でよく食されます。マルディグラとはキリスト教の伝統的祝祭の1つです。7日間続くカーニバル(謝肉祭)の最終日である火曜日にあたります。
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