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[翻訳] ナガランド州の犬肉禁止問題: 動物の権利、部族民差別
ナガランドにおける犬肉禁止をめぐるポリティクス
ドリー・キコン(メルボルン大学社会政治科学学術院)
2020年8月14日
先日、ナガランド州政府が犬肉の販売を禁止したことは、何が食べ物で何が食べ物でないかについての議論を二極化させただけでなく、私たちがいかに動物の体を私たちの政治や偏見のための戦場にしてきたかを示している。
7月3日、ナガランド州のテムジェン・トイ官房長は、犬の商業的な輸入および取引を禁止し、犬市場と犬肉の販売を禁ずるという州政府の決定をツイッター上で発表した。当該ツイートの最後に、彼はネイフィウ・リオ同州首相と、国会議員でありピープル・フォー・アニマルズ(PFA)創設者であるメーンカー・ガーンディーをタグ付けした。7月4日付ナガランド州政府告示によれば、この禁止事項に違反した者は、1860年インド刑法典第428条および第429条、ならびに1960年動物虐待防止法第11条に基づいて処罰される。これらの2つの法律に加えて、政府はまた、2011年インド食品安全基準委���会(FSSAI)規則、特に、人間が安全に消費できる動物を定義している2.5.1(a)節も援用している。今や犬肉はインドの食品安全基準外の食品に分類されているのだ。〔※同規則で食用動物とされているのはヒツジ・ヤギ・ブタ・ウシ・家禽・魚類〕
州政府の決定後の議論は、禁止を非難する犬肉支持消費者とそれを祝福する反犬肉の声の二項対立にエスカレートしている。論争についてはっきりしているのは、犬肉を消費する文化的権利について話す者と、動物の権利についての倫理的問題を提起する者が持ち出す極端な話法である。牛論争とは異なり、犬肉に関する論争は宗教を中心としたものではなく、文明の論理に基づいている。すべての動物の中で、現代インドにおける野犬は倫理、ケア、権利の代表である。また、路上の犬の経験と存在こそが家庭内空間と屋外の境界線を曖昧にしてもいる。
日常の食べ物の選択は、私たちにインドにおけるカースト暴力やウルトラ・ナショナリズムというより大きな問題に対処することを強いる。例えば、牛は最も崇拝されている動物であり、牛を保護せよと叫ぶ人々は牛を武器として用いるまでになっている。牛保護活動家たちは軍国主義的ヒンドゥトヴァ・ナショナリズムを推進してきた。犬はこのリストに加わり、インドにおける文明、純粋性、愛についての既に山ほどある論争を一つ増やすことになる。犬は道具化された存在となり、その擁護者は禁止令に違反した者を追い詰めるかもしれないが、犬肉を珍味として宣伝するグループは反撃するかもしれない。悲劇は、権利についての政治が応報的正義についての政治になってしまったことだ。
論争の中心にあるのは、犬の肉を消費する、あるいはそれに近づかないための「権利」の問題である。動物愛護活動家、ナショナリスト、雑食主義者、反カースト活動家、伝統文化継承者と、さまざまに自認する人々が声を上げている。犬肉禁止は、何が食べ物で何が食べ物でないかについての価値観、虐待、嫌悪感、禁忌、人種差別等々をめぐる議論を二極化させた。
COVID時代における食肉
とりわけCOVID-19パンデミックの時期にあって、インドにおけるウイルス拡散のもっともらしい要因として食肉への注目が高まっている。ナガランド州を含むインド北東部では、豚の輸入を禁止��る告示が出されている。犬肉禁止の場合、動物福祉(犬を苦痛から救う)の主張と、犬は不潔で、病気にかかる可能性があり、したがって消費には適さないという記述が同時になされていた。COVID以前の時代でさえ、FSSAIの勧告の下、犬肉を含むさまざまな食品は、消費しても安全とされる食品の定義の外に置かれていた。目下は清潔で安全な動物という論理が、禁止を正当化するために用いられている。しかし、犬肉の禁止はインドのアニマルライツ活動家が始めたキャンペーンの成果として祝われようとしている。
州政府はまだ禁止措置の詳細を示していないが、犬肉は禁止リストに入った2番目の食品である。1989年、ナガランド州酒類全面禁止(NLTP)法により、州内での酒類の販売と消費が禁止された。今日では、ブラックマーケットが活況を呈しており、アルコールは州内で広く入手可能である。皮肉なことに、ナガランド州の犬肉取引についても同様の未来を目にすることになるかもしれない。
とはいえ、アニマルライツ活動家にとってこれはまさに法的勝利の瞬間である。ナガランドで犬肉を禁止しようとするキャンペーンは継続的なプロジェクトだった。ローカル市場からの数多くの文書や動画は、犬がいかに悲惨な目に遭い、恐ろしい残虐行為の犠牲になっているかを見せつけた。禁止直後の期間、犬肉消費賛成派・反対派双方の口調は非難がましいものであった。道徳的に唯一正しい選択としての菜食主義と雑食主義についての発言は声高になっている。
人種差別の道具
そもそも犬肉はナガ人の食生活の中心ではない。犬肉は珍しく、多くのナガ人世帯では消費されていない。しかし、犬肉の語りは、インド北東部の部族民コミュニティに対する暴力、憎悪、人種差別を扇動するための道具となっている。ナガ人コミュニティ全体を、野蛮と未開についての本質主義的な人種差別的イメージである犬肉食いとして描写する例がインドでは横行している。それほどまでに、ナガ人の集団的アイデンティティと犬肉は、半人半獣的な住民像、ナガ人臣民は道徳的に劣っており、教化されなければならないという〔英領期の〕語りを構築するうえで著しく影響を与えてきた。この説明は、犬を消費する文化的権利や犬を保護する道徳的権利といった権利の主張が、肉や植物に実際に齧りつくことによってなされるというナショナリスト的なアジェンダを生み出してきた。この二項対立は、権利についてと、どのような行為が非正統化されるべきかについての私たちの理解が、いかに禁止という観念によって動かされているかを示している。このような倫理観の形成とモラル・ポリティクスは、動物と人間の区別をさらに先鋭化し、アニマルライツ団体と人権擁護活動家の間に深い溝をもたらしている。
���ガランドでは、何十年にもわたる武力紛争と人権侵害が、深��な不安と恐怖をもたらしてきた。犬肉の禁止が国軍特別権限法(AFSPA)の延長直後になされたという事実は「我々は犬を守るがナガ人は守らない」というメッセージを送っているように思える。犬肉禁止への抵抗の中で、食品選択の問題が伝統と文化の一部として用いられている。
ナガランド州における犬肉取引が禁止されたことで、アニマルライツ団体は州内での犬の悲惨な扱いに終止符が打たれると感じているかもしれない。それが実現しないことを私は危惧している。禁止がもたらした怒りや憤慨は、別の現実が展開される可能性を警告している。すなわち、自分の文化を証明するため、無理強いされた道徳的勝利を打ち破るため、覇権的秩序に抵抗し、粉砕するために犬を食べたいという衝動である。道徳的勝利と反撃の政治が、犬の身体の上に組み上げられている。
州政府の降伏
庶民の間には怒りが渦巻いている。ある特定の種類の活動家が、24時間にも満たないような目覚ましい速さで州政府に犬肉を合法的に禁止させることができるのはどうしてなのだろう。保健や教育のような基本的な権利を得ることができないナガランドの普通の市民にとって、犬肉の禁止は、ナガランドから遠く離れていながらナガの人々の文化実践を支配することができるアニマルライツ団体の要求に州政府が屈するという屈辱的な動きの集大成である。この禁止令は、いかに犬とナガの人々の生命がこのナショナリスト的な文明化プロジェクトの中心的主題であるかを浮き彫りにしている。ここにおいて右翼ヒンドゥー・ナショナリズムをめぐる政治は特に重要である。牛の屠畜禁止が宗教的少数派の迫害を正統化する動きになったとすれば、犬肉禁止が表しているのは野蛮人を文明化する運動であり、その中で動物的人間/部族民は清潔で安全な食べ物について教えられることになるだろう。
私たちは、アニマルライツ運動と他の形態のアクティヴィズムを互いに対立するものとして設定すべきなのだろうか。それとも、包摂的政治���ついて考え、二項対立をなくすことに重点を置くべきなのだろうか。動物の世界、人間の世界、霊の世界(祖先の価値観)が、ケア、責任、答責性についての観念を共有できるような環境を考えるべきなのだろうか。犯罪性を強調する法的手段に完全に頼ることなく、地球のための共通目標をもつことができるだろうか。
新たな議論の必要性
犬肉に関する論争が曖昧にしているのは、右翼ヒンドゥー・ナショナリズムの意見とアニマルライツ運動の意見との間の線引きである。これは熟考に値する。なぜなら、いやしくも私たちが連帯を求め、価値観や倫理観についての新たな対話を始めるとしたら、それは後者のグループとのものになるだろうからだ。カースト、社会階層、ヒンドゥトヴァ・プロジェクトが絡み合っているように見えるアニマルライツについての政治の中で、私たちはどのような方法で自身の道を切り開くことができるだろうか。アニマルライツを支持する人々と、食習慣についての民族的・人種的価値観を擁護する人々のカーストや社会階層のヒエラルキーは、殺生、屠畜、肉食についての対話を結ぶ方法を見つけることができるだろうか。私たちの皿は、ある政治的主張を証明するために、すべて植物か、すべて肉かのどちらかでなければならないのだろうか。
犬肉の禁止から学べることがあるとすれば、それはオープンマーケットで売られている動物たちがどこでも経験している苦しみと残酷さである。動物の肉を食べるということは厄介なことであり、殺す行為がこのプロセスの中心にある。私はノンヴェジタリアンである。ナガランドで育つあいだに、私は動物を殺す方法を学び、食べようとする肉をきれいにする方法を学んだ。このような瞬間はめったになかったが、私は自分の存在が責任と犠牲という形で絡み合っていることを学んだ。これらは私が実践しようとしている価値観、つまり、自分が食べられるぶんだけをいただき、無駄にしないということだ。私が示唆したいのは、殺して肉を食べるという行為が可視化され、野蛮で非人間的なものとして隠されたり、排除されたりしない世界である。同じ精神で、植物や作物を栽培するプランテーション(オーガニックブランドを含む)で貧困や構造的暴力に苦しんでいる労働者の状況も解明する。このことは、私たちが日々の食事をめぐる社会的・政治的な現実と向き合うのに役立つだろう。
ナガランドの市場ができなかったのは、犬を隠し、消費のために処理されようとする他の動物から引き離すことだった。犬は鶏やアヒル、鳩の隣で縛られていた。また、彼らの肉は派手な袋に詰められていたり、「オーガニック」や「放し飼い」製品としてブランド化されたりしていたわけでもなかった。しかし、全国の市民の憤慨は、インド全土のオープンマーケットで販売されているすべての生きた動物が同様の状況に苦しんでいるという事実とは無関係に、犬だけに向けられていた。ナガランドの市場から犬を救出することは比較的容易であった。しかし、これは犬にとっては脱出したことにならない。これは利益と苦痛の論理が支配しつづける闇市場の活況の始まりとなるだろう。それは、人間が〔動物の〕権利を確立し、思いやりを示し、秩序を創出しようとする一方で、市場、屠畜場、動物保護施設、リハビリテーションセンターにおいて動物がどのように深く道具化され、動員されつづけるかについての現実に私たちを連れて行くだけだ。犬肉禁止に発する論争は、私たちがいかに動物の身体を自分たちの政治と偏見のための戦場に変えてしまったのかの内省を迫るべきである。インドにおいてこの論争は権利をめぐる政治の二極化を推し進めたにすぎない。
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【自由研究】 バラモンの肉食の可能性(マハーバーラタ時代) 【質問箱】
質問箱の回答加筆です。
マハーバーラタ時代のバラモンが肉食していた可能性について。 加筆部分はマヌ法典からの抜粋と、おすすめリンク。最後に私信。
私は研究者でもなく単なる検索好き(そしてGoogle翻訳のしもべ)なので、推測はできますが豪快に間違っている可能性が高いので、実用には十分ご注意ください。
FGOについては初期のfigmaがセイバー��っかりだったなあと若者にはわからないことを申しており(未プレイ)
とりあえず結論から。
マヌ法典第五章より。 56.肉を食べること、飲酒、および性交に罪はありません。それは創造された存在の自然な方法ですが、棄権は大きな報酬をもたらします。
https://www.sacred-texts.com/hin/manu.htm
食べても飲酒してもエッチしても犯罪じゃないけれど、やめとくと長寿や来世でいいとこに生まれるとかいいことあります。
マヌ法典は、人間の祖先マヌが記したものとされますが、紀元前2世紀から起源2世紀頃の成立とされています。それまでの法典の集大成みたいなもので、主にバラモンの守るべきつとめなどを示しています。 なかなか面白いのですが、差別前提で語られているので、アウトカースト外国人女性にとってはだんだんおなか痛くなってくるのです。お勧めはしないけど今も残るインドの禁忌や習慣につながることが書いてあります。 上記のリンクで英訳が全文見られるのと、日本語訳も出版されているのでよかったら。
マヌは太陽神ヴィヴァスヴァットの子で、兄弟にヤマ(閻魔)、ヤミーがいます。 マヌの手に飛び込んできた小さい魚が「育ててくれたら洪水からあなたを助ける」と言ったので飼ってたらがんがん大きくなったので海に放してやりました。まもなく魚が言ったとおり大洪水があり、船を用意していたマヌはヒマラヤまで流され、一人助かりました。子供ほしい、と、海にお供えしていたら、海から妻が現れ、マヌは人間の祖になりましたとさ。
という話が、マハーバーラタにも語られています。 この時は魚はブラフマー神の化身でしたが、後にヴィシュヌ神の化身「マツヤ」とされます。
ということで、マハーバーラタの時点でマヌ自身は知られた話。 マヌ法典自体の話題は(調べてない) 訂正、出てきました。 アルジュナの父パーンドゥ王が、女を抱くと死ぬ呪いを賭けられてしまった後、妃のクンティーを口説くところで、「マヌによれば、自分たちの子ができなければ養子をもらって育てよ、とある」(山際版 1巻パーンドゥにかけられた呪い) その後、バラモンに子種もらってきてくれ、私には神々を呼び出すマントラがあり…とやりとりした結果、クンティーには三人の男子、もう一人の妻マードリーには二人の男子が授かるのでした。
たくさんの人が生きて関わってる前提の法典なので、一人から数百人程���まで子孫増やして社会が回り始めてから書いたのか!それとも洪水前に大都市複数運営できるまで人間は増えていて、そのころを思い出して書いたのか!野暮なつっこみはしないぜ!
マヌ法典ざーっと見てきました。 Google翻訳そのままですが肉っぽい行を抜粋してます。 二度生まれ、は、「再生族」と日本では訳されます。バラモン、クシャトリヤ、バイシャ階級のことです。
何巻の何番、の巻数をメモしてないのだけど気にするな!
227.(同様に)咀嚼を必要とするさまざまな(種類の)固い食べ物、および柔らかい食べ物、根、果物、風味のある肉、香ばしい飲み物。
257.森の隠者が食べる食物、牛乳、ソーマ、調理されていない肉(スパイスを含む)、塩漬けされていないものは、その性質上、犠牲食物と呼ばれます。
53.彼の口で火を吹かないように。 彼に裸の女性を見ないようにしてください。 火の中に不純な物質を投げ込まないようにし、火で足を温めないようにします。 ↑肉関係ないけど、裸の女性見ちゃだめ(前のブログに、敵の母が幻力で自分の裸を見せつけたのでクリシュナが目をそらした、って書いた気がする)とか、口で火を吹かないが後に煙草につながるのかが気になって。
250.カウチ、家、草草、香水、水、花、宝石、酸っぱいミルク、穀物、魚、甘いミルク、肉、および野菜は、彼が拒否しないようにします(自発的に提供された場合)。
5.ニンニク、ネギ、タマネギ、マッシュルーム、および(すべての植物)は、不純な(物質)から湧き出ており、二度生まれの男性に食べられません。
18.ヤマアラシ、ハリネズミ、イグアナ、サイ、カメ、そして彼らが食べられると宣言したウサギ。 同様に、ラクダを除いて片方の顎のみに歯があるもの(家畜)。 ↑偶蹄類のほとんどは上の前歯がありませんので、そのことかと。ウシ、シカ、ヤギ、ヒツジ、カモシカが当てはまります。イノシシ、豚は前歯が上下にあるぞ。
19.キノコ、村の豚(飼われている豚?)、ニンニク、村の鶏(同じく買われてる鶏?)、タマネギ、またはネギを故意に食べる二度生まれの男性は、追放されます。
30.自分の食物になる運命にあるものをむさぼり食う人も、罪を犯しません。 創造者自身が食べる人と食べる特別な目的のために食べる人の両方を創造したからです。
32.肉を食べる人は、神や祖先の霊に敬意を表し、罪を犯しません。それを買ったのか、自分自身を殺したのか(動物)、他の人からプレゼントとして受け取ったのか。 ↑自然死した動物、貰い物、買った肉��いい、のかな?
36.ブラフマナは決して食べてはならない(マントラによって神聖にされていない動物の肉。しかし、原始法に従って、彼はそれを食べることができ、ヴェーダの教義で奉献される。
37.彼が(肉に対する)強い欲求を持っている場合、彼は明確なバターまたは小麦粉の動物を作る(そしてそれを食べる)かもしれない。 しかし、(合法的な)理由なしにに動物を破壊しようとしないでください。
48.肉は生き物を傷つけることなく獲得することはできず、衆生を傷つけることは天国の至福(の達成)に有害です。 したがって、彼に肉を(使用を)避ける。
49.肉の(嫌な)起源と肉体の(拘束)殺害をよく考えて、肉を食べることを完全に控えさせてください。
53.毎年百年の間、馬の犠牲を捧げる人、および肉を完全に控える人は、その功績(行為)に対して同じ報酬を得る。
54.純粋な果物と根を食べ、禁欲主義者に適した食物を(森で)食べることによって、肉を完全に避ける(使用する)ことによる報酬を(それほど)得ません。
104.命を失う危険にさらされたとき、どんな人からも食物を受け入れる人は、泥による空よりも罪によって汚染されていない。
56.肉を食べること、(飲む)精神的な酒、および肉体交に罪はありません。それは創造された存在の自然な方法ですが、棄権は大きな報酬をもたらします
ここまで
機械翻訳そのままなので日本語としておかしいのですが、こんなにあるよと見ていただければ結構です。
食べてはいけない肉がいろいろあるのですが、いろいろ食べてますね! 魚はチェックしなかったのですがこれもいろいろありました。 それよりキノコの嫌がり方がすごい。食用にしておいしいキノコ発見して見分けられるようにするより全部禁止した方が安全ではあるよね… 唐辛子やトマトはないけどタマネギもニンニクもあったんだねえ、って、タマネギニンニク禁止でどうやってカレー食べるんですか! (ヒングとかアサティフェダと呼ばれる硫黄の香りのスパイスで代用するようです)
寿命を延ばすとか来世さらに高い地位に生まれるには、肉食べないことを推奨するけど、罪ではないようです。減点無し、加算あり。 バラモンに施す料理は冷めてなく熱々でとか、作り置き禁止とか、給仕は右手でとか、当時の生活が見えてきておもしろいのですがしかしあくまでもバラモン向けの法典なのです。
そしてもう一つ。 マハーバーラタで昔話として語られる話です。 1巻の「ガンダルヴァの王チトラタタ」の中の一節引用します。(山際版)
その後、意識を取り戻したカルマーシャパーダが、なおも狩りをつづけていると一人の腹をすかせたバラモンに出会い、王に食物を求めた。後で食事を持ってこさせるからといい彼はそのまま狩りをつづけた。バラモンは言われたとおりその場に坐って待った。
帰城してからもバラモンのこと���すっかり忘れていた王は、夜中、ふと彼との約束を思い出し、料理人を呼び出し食事の用意をし、森へ届けるよう命じた。しかし真夜中のこととて、肉を入手できなかった料理人はそのむねを王に告げた。もっと他を探せといわれた料理人はいろいろやってみたが、どうしても肉が見つからなかった。ラークシャサにたたられている王は業を煮やし、-処刑場に行って死刑囚の肉でもいいから切り取って来い!-と口走った。
このあとバラモンに(食べてしまう前に)見抜かれて、怒られて呪われて王様人食いになってしまうのですが…今日見ていただきたいところは、「バラモンに出す料理で肉を用意したい」部分です。 バラモンも人肉だから怒ったわけで、肉そのものがけしからん、とは言ってません。
ということで、熱心だったり行の最中のバラモンなら肉を絶ってたかもしれない。自分で狩りはしないけど、施された食事に入ってるなら喜んで食べてたのではないかと思われます。
話は変わるのですが、インド旅行行く前にセミナー受けたときにですね、「初見で地元の食堂に行くなら、ベジメニューにしたほうがいい」といわれました。 菜食の方が身分が高いからではありません。 「肉の方がおなか壊す率が高い」のです。肉高いので、残ったらしばらく取っておきます。だがしかしインドは暑い、そして停電が結構ある!しばらくが日本の常識のしばらくじゃない! …マハーバーラタの時代は冷蔵庫ないから…食べる直前まで生かしておけば鮮度が高いから…
こんなところです。 まあ食事にお招きするときに当人に聞く以外確かめる方法はないわけで。
私の一夜漬けより役に立ちそうなページを紹介します。
ブログ 「みんなが気になるあの料理を食べてみた」 [メモ]アシュヴァッターマン(FGO)の食べ物について
こちらFGO設定にも詳しく調べられた上での記事です、おもしろかった! 共食(一緒に食べる、この場合カースト外の方との食事)についても記載があります。 もうこちら紹介して終わりでいいやと思ったのですが、質問箱リンク貼れないというか貼っても飛べないし、じゃ、とりあえず私は別方面から攻めてみようと思った次第。
Manu of Law
英訳のマヌ法典です。生活全般が見えてくるよ!
「インド・いちば・フィールドワーク」
名古屋��学溝口常俊教授の講義用テキストです。 現代の南インドでの生活レポートなのですが、食事とか結婚とか葬儀(火葬中 亡くなった方やお骨そのまま写ってる)とか、観光用じゃない生活の様子が伺えます。興味のあるところだけでも。
マハーバーラタ 山際素男訳
今回は1巻だけで用事が済みました。 Google Playストアで一巻無料だった気がするぜ。各巻のサンプルもかなり長いぜ。
私信:創作のたった1シーンのために勉強をするのはすっごい楽しいです。自分がするのでも人の創作物楽しむのでも。 人に聞いて本読んで検索して知識積み上げて、時には聖地巡礼として日数と交通費かけて旅に出て、さあ、と、創作始めたら1シーンも使わなかったぜ、って、なっても、楽しい勉強だったならそれでいいんです(よくある)(自発的に勉強はじめるのはきっかけないと楽しくないもんね)
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