#バンドは楽器持って集まったりライブとか練習とかしてない時こそが勝負
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職業・年代・人種までも超えた数多くの出演者の皆様からの"まだか?"という声を尻目に、 ものづくり・コンセプトメイキング・終わった後の打上げにかける異常なまでのこだわりと執着で、一切の妥協を許さないタスケロール一味と監督。 構想からはや4ヶ月、 星の数ほどのあーでもないこーでもないを経て、MV「THIS IS A SHOW」ついに最終立会編集フェーズに突入! しかし! ここへ来て今まで姿をくらましていた幽霊マネージャーH.KAWASAWAがひょこっと現れてしまったもんだからさぁ大変! こいつぁ一筋縄で終わるわけがない! さぁ、どうなる!?このMV! 夏休みは後4日しかねーんだゾっ!! #夏休みの宿題は最終日にやるタイプ #8月31日公開予定 #タスケロール #地獄から来たサーカス団 #thisisashow #pv #mv #もはや映画 #バンドは楽器持って集まったりライブとか練習とかしてない時こそが勝負 (Bar パノラマ島) https://www.instagram.com/p/CEYWzFVJSBC/?igshid=qkyhztbujxw6
#夏休みの宿題は最終日にやるタイプ#8月31日公開予定#タスケロール#地獄から来たサーカス団#thisisashow#pv#mv#もはや映画#バンドは楽器持って集まったりライブとか練習とかしてない時こそが勝負
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エンリケ後悔王子
※本テキストはPCでご覧頂いた場合雑誌風の縦書き表示となります。
先が見えない。行き詰まりのどん詰まりで我々は今抗ったり、受け容れたり、或いは諦めたりしている。想像した未来はもっと華やかで便利で、そうじゃないとしてもマトモだったはずなのに。
効率化を突き詰めればその先には『死』しかない。バンドは非効率の極みだ。その非効率を更に極め、自ら修羅の道を行く痴れ者たちことエミリーライクステニス。今回メンバー全員にインタヴューを敢行することにより、その哲学がヴェールを脱いだように思う。まずは唯一のオリジナルメンバーであるエンリケ後悔王子だ。
(聞き手:早瀬雅之)
友達もいないけど、いじめられるでもない。何もない。毎週ブックオフに行ってた
●まず生い立ちを訊こうかなと。
「出身は群馬の前橋っていう県庁所在地なんですけど」
●結構中心地というか栄えてる?
「いや、死んでますね(笑)。オリオン通り商店街っていうのが近所にあったんですけど、ブラックビスケッツが一体五万円の木彫りのブラビ像を売っていて、どうしても売れなかった最後の一体を買い取ったのがその商店街で。商店街の人が『この通りの名前もブラビ通り商店街にしましょう!』って言ってた(笑)。そんな街です」
●ええ…。今もその名前なの?
「多分…。僕が大学生くらいの時にその近くにモールが出来ちゃって、商店街は蹂躙されちゃったんですけど、そこに新星堂があってD☆SELDOMっていう安いオムニバスと、フリーペーパーを毎月取りに行ってた記憶が」
●ああ、出してたね。それが情報源みたいな。
「そうそう、音楽雑誌かそれ。タワレコは高崎に行かないとなかった。県庁は前橋なんですけど高崎の方が栄えているんですよね」
●何か栄えているイメージがあるよね。
「自分の思春期で結構(高崎に)持ってかれたかな。ヤマダ電機の本店とか」
●ライブハウスもclub FLEEZが高崎に移って。
「そうそう、G-freak factoryの根城でお馴染みの」
●家族構成はどんな感じだった?
「祖父母と両親と姉と兄と…」
●三人兄弟?
「姉貴が九個上で兄貴が二つ上ですね。だから僕が小学生のうちに大学進学で家を出ていきました」
●何か姉弟仲が良いイメージがある。
「今でも年数回会うし、兄貴も姉貴もうみのてのライブ観に行ったことがあったはず(笑)」
●その節はどうも(笑)。
「洋楽を最初に教えてくれたのが姉貴で、後は兄貴とオルタナを掘ってたかな」
●なるほど。やっぱり上に兄弟いると強いというか影響受けるし、早熟になるというか。
「そうですね。一番最初は小学生の時に、姉貴がミスチルのファンクラブに入ってたので、当時出たDISCOVERYかな。あと深海をずっとカ��ットで聴いてた記憶が」
●いい入りなんじゃない?
「入門編としては(その二枚は)間違っているような(笑)。あとは兄貴がビーズが好きだったから聴いてましたね」
●じゃあ結構音楽には入っていきやすい環境だったんだね。
「両親は大学の合唱団か何かで知り合ったんだっけな。あとはクラシックが好きで。音楽番組を観てると「最近のは全然わかんねーな」って機嫌が悪くなるような感じの人でした」
●タチが悪いやつだ。
「かと言ってクラシックを強要するでもなかったですけどね」
●学校ではどんな感じだったの?
「小学校入るまではものすごく引っ込み思案で。それが小学校入ってからすごい、何か陽キャみたいになって」
●え?そうなの?
「文集のランキングに入ってる『面白い人』とか『将来有名になりそうな人』とかあらかた名を連ねてるんですよ。今じゃ考えられないんですけど(笑)」
●何でこうなってしまったんだ、みたいな(笑)。
「いわゆるクラスの中心人物だったんですよね。アクティブな。でも小五くらいからかな、今思うと些細なことですけど、自分の家庭が新しいガジェットに対してものすごい嫌悪感を出すというか。プレステとかアドバンス買ってくれないみたいな。それで段々みんなの話題についていけなくなって、翳りが見えてきた(笑)」
●(笑)。
「結局小学生の「面白い」「つまらない」の尺度って如何に話題を共有できるかがほとんどじゃないですか」
●そうだね。特にゲームとか。
「あと漫画、昨日のテレビ、流行りの音楽くらいか…。段々それについていけずに、スクールカーストが下がっていく(笑)」
●でも野球やってたし、運動なんかは出来る方だったの?
「小学生までは自分が主人公だったから(笑)。少年野球で打率六割くらいあったし。『ヒット打つの簡単じゃないですか?��とか言って調子に乗ってた」
●ムカつくなぁ(笑)。
「シングルヒットしか打てなかったんですけど。早熟だったのかな。当時は背も小さくて痩せてて。段々みんな身体が大きくなって。中学くらいだともう置いてかれちゃったみたいな」
●今の感じに段々近づいてきたね(笑)。
「中学くらいで陰と陽が逆転して陰の者に(笑)。タウン&カントリーの黒い方になっちゃった」
●陰陽のマークね(笑)。部活はずっと野球?
「中学は野球で、高校も途中まで軟式をやってたけど「勝つぞお前ら!」みたいな顧問に代わって…。高校の軟式野球ってすごいヒエラルキーが低いんですよ」
●そうなの?
「甲子園もないし。甲子園決勝の一週間後に明石の球場で偽甲子園みたいなのをやってるけど、誰も気にしてないというか」
●硬式と軟式ってまったく別物?
「全然違う。硬式はボールがまず痛い」
●(笑)。
「練習が好きだったんですよ。でも試合は緊張するから嫌いで。それと硬式は甲子園を目指してレギュラー争いもそうだし、負けたらお終いみたいな…。野球は好きだけど、競争とかバトルしたくない、みたいな精神性でしたね」
●ああ、そうなんだ。
「こっちは楽しく野球やりたいのに、強要するなよ。って。その顧問は初心者をすごくないがしろにしていたし。それで辞めちゃった」
●勝ちたいよりも楽しみたかったんだね。高校のカーストは?
「中学で底辺で…。紅白戦でわざとデッドボール当てられたりするんですけど」
●イジメじゃん(笑)。
「『先輩、塁に出られてよかったッスね』みたいな。だからとにかく、輩とかしょうもないいじめっ子がいない進学校に行くしかないっていう強迫観念だけで勉強してました」
●その頃は頭はよかったんだ
「うん。学年で十番以内だった」
●おお、すごい。
「それで前橋高校っていう男子校の進学校に行って。そこはね、スクールカーストがなかったんですよ、何もない。いい大学行けるように自由にやれ。みたいな」
●グループがないの?
「いや、グループはあるしもちろんイケイケな奴もいましたけど、男子校なのでカーストを思い知らされる現場に遭遇しない。『あ、あいつ俺の好きな子と一緒に帰ってる…!!』みたいなシーンを見ないで済むというか。たぶん九割以上童貞だったはずですよ」
●男子校だとそういう劣等感は生まれにくいのかもね。
「そう、友達もいないけど、いじめられるでもなく。何もない。部活が終わったら自転車圏内にある三つのブックオフを毎週ローテーションするだけ。三週間後に行くと微妙にラインナップが変わってて。あとはツタヤで安い日に下北系を借りまくる日々」
●なるほど。
●話が戻るというか変わるけど、兄弟の影響とかありつつも、高校くらいは自分の意思で音楽を聴いてたの?
「そうですね。中学終わりくらいまで洋楽を聴いてなくて。兄貴がツェッペリンとかハードロックが好きで聴かせてきたんですけど、ハードロック伝説みたいなエピソードあるじゃないですか」
●はいはい。ありますね。
「オジーオズボーンがコウモリ食べたとか、ホテルでグルーピーと…とか。それがすごくカッコ悪く感じて」
●ああ、ロッククラシック的なエピソードが。
「『俺たち、ロックだぜ』みたいなのが嫌だったんですよ。でも中三の時に姉貴がWEEZERを『これ聴きやすいよ』って貸してくれて。それですごく衝撃を受けた。こんな冴えない人がバンドやってるんだ!みたいな」
●大味なロックバンドよりもうちょっとパーソナルなのが好みだった?等身大の。
「そうそう、等身大の。中学の野球部引退した後から邦楽のギターロックにハマりだしたんですよね。くるりから始まりモーサムとかシロップとか。ちょうどその頃全盛期だったんですよ。アジカン、アシッドマン、レミオロメンの御三家を筆頭に…」
●一番アツい時期だね。後に続けとたくさんのバンドが。
「あとアートスクールとバーガーナッズかな」
●UKプロジェクトとかQuipマガジン的な。下北が盛り上がってた頃だ。
「で、洋楽はWEEZERからオルタナとかシューゲイザーにハマっていった」
●今でもその辺りは好きだと思うんだけど。その時期に聴いていたものがバンドのルーツになってる?
「そうですねぇ、初めてやったバンドはNIRVANAのデモみたいな音質の、汚くて演奏が酷い感じだったような(笑)」
●ライブ初体験は?
「一番最初は中三の時に行ったゴーイングアンダーグラウンドかな」
●おお、意外。
「受験期にハートビートが出て、ずっと聴いてたんですよ。後は高校のとき、FLEEZにアートスクールとか観に行ってた。早瀬さんも行っていたとされる…」
●パラダイスロストのツアーだっけな。モーサムと。
「あと結成当初の秀吉が出ていた」
●意外と群馬はバンド大国だよね。
「当時はメロコアと青春パンクが強かったですね。で、陽キャがそういうのを聴いてるから逆張りで内省的なギターロックが好きだったのかも知れない。バンドに一切罪はなくても、銀杏とかが聴けなかった」
●ああ、自分が入っていく余地がないみたいな?
「そうですね」
●そこから大学に行くタイミングで上京?
「はい。東京じゃなくて横浜だったけど」
橋本君に『こんなくだらないとこ、さっさと抜け出そうぜ』って言って軽音部を辞めた
●そういえば楽器っていつ始めたの?
「中学の選択授業で体育選んだのに手違いで音楽になっていて、ピアノも辞めちゃったしどうしよう。ってなって」
●ピアノやってたんだ。
「小一から小六までやったのに何も身につかなかったけど。ト音記号の場所しかわからない。コンクール用の曲をひたすら半年前から練習してやり過ごしてたと思う。で、その授業でどうしようかなと思っていたら、いとこで駅でギター弾いている子がいて、その人がギターを貸してくれて。ゆずの楽譜とともに(笑)」
●まったく(ゆずを通った)イメージない(笑)。
「それでその曲は簡単だから何となく発表も乗り切れて。でもある日家に帰ったら兄貴がギター弾いてて、既にFとか抑えられるんですよ。『俺が借りたのに!』って。すごくムカついて(笑)」
●ああ、利用されたみたいな。
「そう。それでロクに弾いてなかったけど、高校受験の直前にギターロック聴きだしたからエレキが欲しいってなって。親に受験終わったらいいよって言われたんです。そしたら兄貴が『絶対ベースを買うべき。エレキは俺の弾けばいいから。ベース弾ければ高校でバンド組むとき重宝されるぞ』って言うんですよね」
●そうかな…。
「そしたら受験真っただ中で最初に話したオリオン通りにある新星堂が潰れることになって、弾くのは受験終わってからって約束で閉店セールでベースを買ったんです。で、勉強しててこっちは弾けないのに兄貴が弾いてるんですよ(笑)」
●ズルい奴だな(笑)。
「結局自分が弾きたいから弟に買わせると」
●それで「ベースを買った方がいい」って力説してたんだ。
「そうなんですよ。で、兄貴が僕が高二のときに大学進学でエレキ持ってっちゃって。家にアコギとエレキベースだけがある状態(笑)」
●厳しいね。
「しょうがないからアートスクールのベースをずっと耳コピしてて。部屋を暗くしてコンポ爆音でヘッドフォンつないで、小さいアンプからベースを弾いてる。親からしたら心配ですよね。子供部屋から重低音だけが鳴っている」
●うちの息子は大丈夫かって(笑)。
「受験の時もそうだしいろいろと心配をかけましたね」
●大学はどうやって選んだの?
「結果論というか、もともと大学デビューしたくて関西の方の大学を目指してたんですけど、高校の先輩が行ってた大阪大学ってところを志望校にして。センター試験って会場が適当な高校に割り振られて受けるんですけど、なんと会場が自分の高校の自分のクラスだったんですよね」
●えーすごい偶然だね。
「そのホームグラウンドで何故か受験科目を間違えて(笑)」
●何で(笑)。
「一日目にロッカー開けて確認したら『あ、阪大受けられないじゃん』って。それでやる気がなくなって高校も行かずに、もうA判定のとこならどこでもいいやって思ったら国公立の前期も落ちて、たまたま後期で引っかかって、気づいたらビーズの稲葉の後輩になっていたと。進路が決まったのが三月の二十日過ぎだったと思う」
●めちゃくちゃギリギリだな。
「ロックコミューン(立命館の音楽サークル)に入りたかったですね。くるりを輩出したでお馴染みの」
●あとヨーグルトプゥね。
「そうそう(笑)」
●そこでエミリー結成したの?
「満を持して『バンドをやるぞ!』って軽音サークル入ったんですけど。上下関係が厳しくて。しかもみんなメタルのコピバンをやっている。学園祭になるとOBたちが集結してジューダスプリーストとかやってるみたいな(笑)」
●すごいサークルの良くない感じが出てるね。
「新入生はすぐバンドを組んで五月にお披露目ライブで一曲やらなきゃいけないんですけど、僕は何故かたまたま同じ大学に進学した高校の同級生三人とバンドを組んだんですね(笑)」
●意味ないじゃん(笑)。
「陰の者同士で(笑)。それで何かコピーしようとしたけど全員下手過ぎてコピー出来なかったんです。ドラムはドラムマニア上がりでベースとギターはほぼ初心者で。だからオリジナル曲をやることにしたんです。で、同時期に橋本君ていうサークルの同期のミクシィが炎上しちゃった子がいて。『軽音部は内輪ノリでクソ寒いカスの集まりだな』みたいなのが先輩に見つかって」
●うわ怖いなー。
「その子もお披露目ライブで頭脳警察みたいなオリジナル曲やって。すごいカッコいいんですけど、めちゃくちゃ物を投げられるんですよね。ライブ中に。その後何故か僕のバンドも物を投げられまして(笑)」
●すごい荒廃してるな(笑)。
「終わった後橋本君に『こんなくだらないとこ、さっさと抜け出そうぜ』って言って���めましたね。で、他の音楽サークルにロバートジョンソン研究会っていうのがあったんですけど」
●なんだそりゃ(笑)。
「あんまり研究してる感じはなかったかな(笑)。まぁ、ブルースとかハードロックのコピーをする割と穏健派のサークルだったんですけど。新歓行ったら最後に名のあるOBみたいなのが袖からわらわら現れて、十人ぐらいで「いとしのレイラ」を弾いてるんですよ(笑)」
●それは、ダメだね(笑)。
「ここもダメだって(笑)。で、ある日ロック研究会っていうサークルが大学の路上でライブをやってて。JR ewingっていうノルウェーのハードコアバンドのカバー…その時はカバーって知らなかったんですけど。それを演奏してて、ドえらいカッコよかったんです。赦先輩の同級生たちだったんですけど。で、そこに入ろうと思ったら、『ここはサークルというか半年5000円でスタジオ利用権をバンド単位で買う人たちの集まりだから、まぁ好きにしなよ』みたいな」
●へー。
「当時赦先輩はすごい怖い先輩とスリーピースやってて、赦先輩も怖かったんですよね」
●ちょっとイメージと合わないね(笑)。
「そうですね。『後のバンドメンバーである』って漫画だったらナレーションがつく」
●『この時はまだ知る由もない』みたいな。
「(笑)」
今日大学ですごい面白いことあったのに、ライブで今歌ってるの、めちゃくちゃ暗い歌詞だなぁコレ
●なかなかエミリー結成しないね…
「いや、その同級生とのバンドが大学一年の終わりくらいに解散しちゃって、遅いハードコアをやってたんですけど」
●遅いハードコア(笑)。
「で『よし、今度はシューゲイザーをやろう』ってエミリーライクステニスが結成された」
●シュー…ゲイザー?
「当初はギタボが自分で、ベースが女の子で、ドラムは残留して、あとギター兼フルートがいた」
●編成だけ聞くとそれっぽいね(笑)。
「そうなんですよ。で、新歓ライブをやったらフルートが『カッコ悪いことしたくないわ』って抜けちゃって」
●曲はオリジナル?
「全部自分が作ってましたね。で、スリーピースになっちゃって、ギター二本ないとキツいわって思って。当時僕とドラムがポストパンクにハマってたんで、じゃあそういうのをやろうってなって。それが2008年の夏くらいかなぁ」
●なるほど。バンド名はずっとエミリー?
「そう。でもその後ドラムがギャンブルにハマっちゃって」
●ああ、良くない方向に。
「どうしたんだよ、って家に行ったらスロットの筐体が置いてあって」
●もうダメだ。
「それで脱退して途方に暮れてたらバイト先にクロアチア人が入ってきて。『ドラム出来ます』って言うからあ、ちょうどいいじゃん!って。デヤンさんっていうんですけど」
●加入したの?
「うん。クロアチアン・パンク時代ですね」
●そんなのあるの?
「いや、わかんないです(笑)。で、その人がライブの前日に『もうすぐ子ども生まれるからライブ無理かも』ってメールがきて、マジかと思ってたら翌日普通にリハ来てるんですよ(笑)」
●(笑)。
「『赤ちゃん大丈夫?』って訊いたら『昨日生まれて今ガラスん中入ってるから大丈夫』って」
●ガラスん中(笑)。
「それがきっかけかわからないけど、家族の圧により2009年の春くらいに脱退して。その後ベースも辞めるって���って」
●とうとう一人に。
「そう、で、どうしようと思ったんだけど、サークルの一学年後輩に泉君っていう毎日JOJO広重のブログを読んでる子がいて」
●だいぶオルタナティブだな(笑)。
「その子にベースをやってもらって、あと二つ下の武井君って子がドラムに加入した」
●だいぶ変わったね。
「でもその頃の音楽性はポストパンクとニューウェーブみたいな感じのままですね。で、どこでライブやっていいかわからないから、横浜…中華街の近くのライブハウスに毎週出てた」
●あーあそこね。
「そう、あれは本当に時間の無駄だった」
●(笑)。
「ブッカーにすごいナメられてたんですよね。暇な大学生の穴埋めバンドって」
●学生のバンドっていうのはねぇ…。
「酷い時は『来週の水曜日出れる?』みたいな。で、『面白いイベントになりそうなんだ』って言うから出てみたらアコースティック・ナイトってイベントで(笑)」
●酷いな(笑)。ありがちですね。いや、ありがちじゃよくないんだけど。じゃあ横浜が多かったんだ?
「あと下北のいろんなところに、殊勝にもデモを送ってたんですよ。モザイクとか251とか、今思うとちょっと違うんだけど(笑)」
●カラーが違うね(笑)。でもちょっとずつ広げようとする気持ちが。
「あと当時MySpace全盛期で」
●流行ってたね。
「そこでモーションとグッドマンと…葉蔵さん(中学生棺桶、例のKのボーカル)が働いてた頃のバベルかな。誘ってもらって。『あ、あっちから誘ってもらえることあるんだ!?』みたいな」
●『音源を聴いて連絡しました』みたいなのね。
「そうそう。まぁ、いわゆる平日の条件で今思えばアレですけど、それでも嬉しかったですよね。だからその人たちの悪口は言えない」
●(笑)。見出してくれたから。
「別にそこから鳴かず飛ばずですけど(笑)」
●(笑)。でもそこで知り合ってまだ付き合いがあるバンドがいる。
「そうそう。だから初めてモーション出たときのブッキングは今でも覚えてて、クウチュウ戦(現Koochewsen)、ギター大学、プラハデパートっていう」
●すごいメンツだな(笑)。
「すごいですよね。で、クウチュウ戦なんて年下じゃないですか。なのに上手過ぎて。『え!?東京ってこんなにレベル高いの??』。もう、幽遊白書の魔界統一トーナメントみたいなモンですよ」
●こんなすごい奴らが何の野心も持たずに…っていうやつね(笑)。
「そう、雷禅の喧嘩仲間のくだりね。で、初めてバンド友達が出来たというか。otoriとかもかな」
●音楽性的にも共鳴出来て。
「同世代だし。そんな感じでやってたんですけど、ライブやった後めちゃくちゃテンション下がるんですよね。当時の音楽性が」
●自分たちの音楽性のせいで?
「そう、お葬式みたいな気持ちになるというか。早瀬さんは四人になってからしか観てないと思うんですけど。当時は歌詞も暗いし」
●今とは全然違うね。
「うん。リフとか再利用してるのはありますけどね。普段部室で泉君とムーの話とか未解決事件の話をいつもしてて、そういう瞬間はテンション高かったり楽しかったりするのに、ずっと暗いことを歌ってなきゃいけないのはしんどいなって」
●最初の部活の話と少し繋がってくるかもね。
「うん。あと暗いバンドをやっていると暗くなきゃいけないと思っていて。打ち上げはしちゃいけない。みたいな思い込みもあり(笑)」
●イメージに縛られ過ぎてる(笑)。
「でも『死にてぇ』とか歌ってた人が打ち上げで乾杯してたら違和感あるじゃないですか。そういう強迫観念で自家中毒になってしまったというか。『今日大学ですごい面白いことあったのに、ライブで今歌ってるの、めちゃくちゃ暗い歌詞だなぁコレ』って」
●過敏だったんだね。
「センシティブだったんですよ。グッドマン出ても(ブッキングの)鹿島さんにすごいディスられてたし」
●ダメ出しが。
「で、MCだけすごい褒められる(笑)。当時三曲くらいやると僕が小噺をして(笑)」
●面白エピソードみたいなのを。
「『この間バイト先で…』みたいな。今思うとああ、平日のモーションだなぁって思うんですけど(笑)」
●そうだね(笑)。
「でも『この後もカッコいいバンドばっかり出るんで最後まで楽しんでいってください』とかは言ったことないですよ」
●『名前だけでも覚えて帰ってください』みたいな奴ね。
「(笑)。そう、それも言ったことないです。で、だんだんしんどくなってきたんで、どうしようかなと。当時の曲作りが僕がリフを持っていって、泉君がめちゃくちゃにするみたいな感じでやっていて。ドラムの武井君はすごいいい奴なんですけど、当時から曲の展開が多くて、たまに展開を忘れて、止まっちゃうんですよドラムが(笑)。ドラムの音がなくなったその瞬間僕と泉君がキレて楽器を投げつけてしまう。そういうことをしてたら『正直もうしんどいッス』って言われて、本当に申し訳なかったなと思いますけど」
●行き詰ってるね…。
「当時二学年下に獣-ビースト-とT-DRAGONがいたんですよ。僕が四年生、泉君が三年生の時です。みんなロック研究会にいたからそれなりに話してたんですけど、T-DRAGONは当時ノイカシのシグマとよくわからないバンドをやってて、あんまりパっとしなくて。獣-ビースト-はもっと謎で、時折八時間くらいスタジオ抑えてるんですけど、一人で入ってて何やってるかよくわからないんですよ」
●怖いな(笑)。
「本人曰くテクノっぽいのを作ってたらしいんですけど、結局一度も日の目を見ることなく。で、見た目がセドリック(At the Drive-Inのボーカル)っぽいじゃないですか。当時今よりもセドリックっぽかった。それでT-DRAGONに武井君の代わりに叩いてってお願いしたら、ライブとか観に来てくれてたのもあり割と快諾してくれて。で、獣-ビースト-に『At the Drive-Inみたいなバンドをやることになったから。ボーカルやって。この日スタジオいるから』ってメール送って。返事がなかったんですけどちゃんとその日スタジオに来てくれて、漸く今の編成の原型が出来たんですよ」
●やっと今の形に!
「いやー長いですね。この時点で大学卒業する直前ですね」
仕事に好きとか興味とか求めない方がいいな。土日休みならバンド出来るから
●就職とかはどうしたの?
「大学三年の秋くらいに『どうしよっかなぁ』って出版社とか何となく受けていて。で、僕はマルチタスク機能がものすごく低いんですよ。いろんな会社を同時に��けるみたいなのが出来なくて、一社受けてそこそこのところまで行って、落ちて、また別のところにエントリーして、みたいな」
●落ちるとゼロになっちゃう。
「そう。変に真面目なところがあるんですよ。面接で絶対「弊社が第一志望ですか?」って訊かれるんだからそこ以外受けちゃダメだよな。みたいに思っていた。あと某音楽雑誌の会社も受けたんですけど圧迫面接だったんで逆ギレして帰った」
●えー圧迫面接なんだ。
「エントリーシートに物凄い熱量をぶつけたんですよね。そしたら面接官に鼻で笑われたというか。『随分音楽が好きなんですね。ハハッ』みたいな。ライターの坂本真里子が好きだったんで受けたんですけど。まぁ入る価値のない会社ですね!って」
●すごいな。
「そういう感じで疲弊してきたからとりあえずモラトリアムを伸ばそうと、大学院行こうかなぁって思ったんですよね。そしたら親もそうだけど姉がすごい説教をして。うちの姉はすごい傾き者なんですよね(以下、傾き者エピソード)。で、大学院も行かない方がいいか、と。それでもう仕事に好きとか興味とか求めない方がいいな。土日休みならバンド出来るから。って今の会社に入ったんですよ」
●就職してからバンドとの両立はどうだった?
「難しいというか、当時僕が一番年上で唯一社会人だったからノルマとかスタジオ代全部負担してたんですよね。それがキツかったかな(笑)。たぶん2014年初頭くらいまで」
●結構最近までじゃん(笑)。
「獣-ビースト-とかT-DRAGONが就職するまでは基本的にあまり負担させないようにしようと。赦先輩も当時サポートだったし。でもグッドマンとモーションは本当に良くしてもらったから。あと両立と言うか…。僕大学を卒業する時に大学の近くに引っ越したんですよ」
●卒業するときに?
「意味がわからないんですけど。入った会社が家賃補助がないということに気づいて、極限まで安いところに住まなきゃって。本当にヤバい、タックルしたら崩れるような家。後にT-DRAGONもそこに住むんですけど」
●安いってどれくらいなの?
「えっとね、18000円」
●安すぎでしょ!!
「七畳+キッチン+風呂トイレ別でそれですからね。本当は20000円だったけど入るときに『大学院生です』って言ったら安くしてくれた(笑)」
●いいなぁ。
「いや全然良くない。ボロいなんてもんじゃないですよ。木造の長屋を三分割して三部屋になってるんですけど。築は…五十年くらいかな。で、風呂が外にあるんですよ」
●共用?
「いや、共用じゃなくて、もう一つのプレハブ長屋みたいなのがあって、それが三分割されてるんですよ」
●なるほど。
「で、その外風呂が、外からしか鍵がかからない(笑)」
●閉じ込めることしか出来ない(笑)。
「そう。で、大学が近いので土日のスタジオは大学でやってたんですよね。ライブは基本土日で。平日のライブの時は誰か後輩に楽器を託して…。無理やりやってましたね」
●その頃はもう割と東京のオルタナシーンに食い込んで��感じの。
「確かうみのてと対バンしたのが2012年初頭で」
●一月だった気がする。
「グッドマンでね。あれが��機っていうと大げさですけど」
●いわゆるライブハウスに良く来る人たちに知られた感じかもね。
「その頃はやたらトリプルファイヤーと対バンしてた気がする。2012年から今でも親交がある人と一緒にやり始めた」
●まだ2012年だ。
「長いですね。とりあえず赦先輩が入るまでの話をすればいいかなって…」
●いつだろ
「2013年の春くらいかな。で、2012年の春に泉君が大学院に進学するんですけど、関西に行っちゃったんですよね。もう続けられないねって。で、サークルのかなり下に内海君ていうスキンヘッドの子がいて、見た目がいいから誘った。それが失敗だった(笑)」
●まぁいろいろ、あったね(笑)。
「うん、いろいろあった(笑)。それでバンド辞めてもらって。赦先輩はしばらく連絡もとってなかったんですけど、サポートやってもらえませんか?ってお願いして。で、なし崩し的に正規メンバーになってもらった。現在に至る」
●赦さんが入ってだいぶ音楽性に幅が。
「内海君の頃までほとんど僕が考えてたんですけど、赦先輩が入って初めてスタジオで曲を練り上げる、みたいな。バンドっぽくなってきた」
●他のメンバーのエッセンスが入ってきて
「こういうフレーズはどうかな、とかイメージを膨らませたり」
●やっとバンドらしいエピソードに(笑)。
「そこまで辿り着くのに五年くらい要してる(笑)」
●そこからは今に至る。
「メンバーは変わらないけど、音楽性はだいぶ変わったかな。ハードコアが薄れて…何というかメタ的な曲が増えた」
●そうだね、ハードコアでもプログレでもない、何とも言えない。
「何とも言えない(笑)。演劇の要素だったり、曲の中にもう一曲あったりとか」
●はいはい。
「構ダンカンバカヤロー!を観て『あ、こういうのでもやっていいんだ』とかボーダーを再確認させてもらってますね」
●アウトとセーフの線引きを。
●バンドの成り立ちはこれくらいにして、曲のアイデアとかどういう時に考える?
「基本のリフは今でも僕が考えるんですけど、スタジオで試して、カッコいいだけだとボツになるんですよ(笑)」
●(笑)。
「後はコンセプトをみんなで固めて。リフのパーツを無数に作っておいて、当てはめる感じ。シチュエーションとか」
●コンセプトありきでそこから曲と歌詞?
「それがないと今は逆に作りづらいですね」
●歌詞は誰が?
「今はほとんど獣-ビースト-です。Brand-new suicides(エミリーの楽曲の中に登場する架空のバンド)の曲だけ僕ですね」
●そうなんだ(笑)。ライブの時の意識は変わってきてる?
「昔はカッコよく思われたいみたいなのが多少あったと思うんですけど、今はもうとにかく面白いかどうか、みたいな。『さぁ、消費しろ!』って。最悪『何も思い出せないけどとにかく楽しかった』でいいや。って。『よくわかんなかったけど面白かった』でいい」
●それはすごくいいことだと思う。
「『よくわかんないけど凄い』という方向だと絶対勝てないじゃないですか。グランカとかルロウズとか。最高峰に。そっちは無理だから、変化球で攻めるしかない」
●ライブ中ってどういうことを考えてる?
「なるべく仕事のことを考えないようにしている(笑)」
●(笑)。
「ハンターハンターのシャルナークのオートモードみたいな。あれに近い感じ��なると割といいライブが出来ますね。今何を弾いてるとか一切考えずに弾けるときがあって。逆に『このフレーズ難しいんだよな』とかふと思い出すと弾けなくなっちゃう」
●邪念が入ってくるとね。
「だからなるべくオートモードで弾くようにしたい」
●展開がすごく複雑だから身体が覚えるまですごく時間がかかりそうな印象があるけど。
「でも正直、曇ヶ原(エンリケ後悔王子が過去在籍していたプログレバンド)より全然覚えやすいですよ」
●マジか(笑)。
「曇ヶ原はA→B→フォントが違うA→フォントが違うBみたいな感じで繰り返しが多いけど微妙に違ってて。でもエミリーはとにかくAからZまで覚えるだけなので(笑)」
●なるほどね。
●平日はどういう生活をしてる?
「仕事に行って、帰って、疲れて寝る。みたいな(笑)。『無』でしかない」
●仕事終わった後に何かするって難しいよね。
「平日何も出来ない病なんですよ。かれこれ十年」
●音楽は聴いてる?
「精神的にキツいと音楽も聴かなくなるというか、耳馴染みがいいやつしか聴けない時がある」
●新しい物を受け入れる体力もない時はあるよね。
「昔のJ―POPとか、中高のとき聴いてたのとか」
●最近はどんなのを?
「ジャンル的にはユーロビートですかね」
●ええ!?
「あれって速いんですけど、リフ的にオイシイというか。ファミレスで言うとミックスグリル定食みたいな曲ばっかなんですよ。キラーリフてんこ盛りみたいな」
●詰め込んである感じで。
「これは意外とヒントがあるなと」
●なるほど。バンド的に取り入れるぞ!って意識で聴いてるの?
「サウンドは取り入れようがないので、和音のリフとかフレーズを参考にしている感じ。あとは昔J―POPとして聴いてた、例えばglobeとかSPEEDとか、それをCDで聴き返すとめちゃくちゃ発見がある。『この曲のバンドサウンドすごいな』とか『あ、あの曲のパロディーなんだ』みたいな」
●メロディーしか覚えてなかったけど、聴き返すとアレンジがすごい、みたいなのはあるよね。
「そうそう。小さい頃はマイラバの声は『すごい声だな』って。オーバーダビングの概念がないから(笑)。みんなホーミーみたいにああいう声を出せるんだと。ミスチルとかめちゃくちゃハモれてすごいなって(笑)」
●すごい技術だ(笑)。
記録媒体として一番長持ちするのは石か壁画なんですよ。レガシーをね、遺したい
●バンドをやってもう結構な歴があるけど、やってなかったらどうなってた?
「うーん。土日関係ない仕事をしてたかなぁ。あの…中学の時の夢が『オリックスの球団職員になること』だったんですよ」
●球団職員なんだ(笑)。
「プレイヤーとしての限界は悟ってたので(笑)」
●裏方でもいいから野球に携わるという。
「もっと前は小説家とか、マンガ家とか。いわゆるキッズが憧れるクリエイティブ職になりたかったけど。バンドやってなかったら…。ちょっと想像つかないですね」
●例えば今の生活���らバンドが何らかの理由でなくなったとして、今の仕事だけ続けてくのは気持ち的にしんどい?
「しんどいですね。実際今それに近い状況になっているけど…。表裏一体というか、それでバランスとってたんだなぁって。普段はバンドと野球とハリエンタルラジオだけで生活出来たらいいなって思ってたのに(笑)」
●なるほどね。
「仕事以外のコミュニケーションが欠乏してて、ストレスが溜まっていく。バンドメンバーって十年近く、今まで少なくとも二週間に一回は会ってたのに。その人たちに一ヵ月以上会わないのは違和感がすごくて」
●フラストレーションが溜まってる感じ?
「この間スカイプでバンド会議みたいなのをして『いやぁ、楽しいなぁ』って(笑)。普段赦先輩がスタジオ遅刻するとすごく嫌な対応をみんなでしてたのに(笑)」
●失って初めてわかる大切さみたいな。
「前よりも優しくなれるかも知れない(笑)」
●今はこういう状況ですけど、また落ち着いた頃にこうしていきたいとかバンドである?
「昔の自分みたいな、基本的に陰の者に『楽しいなぁ。バンドやってみたい』とか思われたいですよね。以前モーションで話しかけてきた男の子が、二十歳くらいなんですけど。『僕もバンド組みたいです!』って言ってて、あ、嬉しいなって思って。その後コンパクトクラブで群馬に行ったときにその子がまたいて『僕、バンド組みました!』って嬉しそうに報告してくれたんですよ」
●普通にいい話だ(笑)。エミリーは水とかうちわとかいろんな形態でリリースしてるけど、今後こういうのを出したいとかある?
「そうですね。僕が考えていたのがダウンロードコード付土地なんですけど]
●(笑)。
「10万円くらいの離島の土地を買って、そこに看板とQRコードを貼って、辿り着きさえすればフリーでダウンロード出来るみたいな(笑)」
●なるほど。
「アドベンチャー型音源」
●面白いな(笑)
「石碑でもいいけど。記録媒体として一番長持ちするのは石か壁画なんですよね。だから最終的にはそれでリリースしたいんですよね。将来オーパーツみたいになるかも」
●遺跡として遺っていくかもね。
「レガシーをね、遺したい」
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yui,,YUI
FLOWER FLOWERのイン��のhave a nice day ツアー 2018.05.09 Zepp TokyoのLive映像を見た。
本当に、最高すぎた なんというかもう言葉が出てこないくらいに最高だった。 正直、6000円高いなとか思っていたけど、もうお金とかどうでもよくなるくらいに良かった。 まだ見ていないのであれば絶対見たほうが良い 今まで見てきたLive映像の中で間違いなく一番素晴らしいものだと思う
まず音が素晴らしい。 一応、今持てる最高の環境で視聴していて、PS4→USBサウンドカード→Sennheiser HD25-1Ⅱ で聴いていたんだけど、音の解像度が半端ない。 とにかく、爆音で聴くことを推奨します。 そして演奏が上手すぎる。 mura☆junとか、キーボードちょっと弾いてるだけだろーとか思ってたんだけど、もう、ほとんどのサウンドメイクをしていてヤバイ。カッコ良すぎた mafumafuやsacchanに関しても、安定感というか、余裕そうな感じがプロだなと感じた。 yuiの声も、ギターも。 yuiの歌っているときの姿って、なんであんなに儚く見えるのだろうか。 今にも消えてしまうんじゃないかっていう 命を擦り減らして歌っているような、その歌声を聴いているだけで涙が出そうになる。 本当に輝いてみえる
映像に関しても、めちゃめちゃ綺麗だし、yuiかわいいし。 色んなアングルで臨場感がかなり出ていた。 NagoyaのZeppでフラフラのライブは見ていて、こんな最高のLive他にないだろうって思っていたけど、TokyoのZeppに嫉妬してしまうくらい良かった。 yuiがメンバーも、スタッフも、観客も全部巻き込んで自分のペースにしてしまってて、楽しそうで。 フラフラ本当やばい、 間違いなく一つ言えることは、フラフラは、Liveで真価を発揮するバンドだということ。 CDの音源とレベルが違うんじゃないかな 熱量とか、音の力が正直全然違う気がする。
踊り→時計 のあたりで持てる感情の最高値に達していたと思う笑 アンコールのCHE.R.RYのとき、YUIはそこに居た。 紛れもなく、YUIが歌っていた。 FLOWER FLOWERの曲も、YUIの曲も、比べるものじゃないと思った。 yuiの生きている時代に生まれてyuiの曲を聴けることが本当に幸せ
なんていうか、自分でも気づいているんだけど、たぶんもうBUMPよりも何倍かYUIのことをFLOWER FLOWERのことを好きになってしまったような気がする。 それが意味するのは、もうどうしようもないくらい好きになってしまったということで。 こんな凄いLiveできるのはyuiしかないと思う。
ずっと歌い続けてほしい。 歌っている時のyuiは儚くて消えてしまいそうとは言ったけど、yuiはずっと歌い続けて、生きてきたんだよね もし、YUIを引退して音楽をやめてしまって、歌うのをやめてしまったら、今のyuiは生きていないと思う。 あんなに楽しそうに歌ってい���、いきいきしていて、心から感動する音楽を届けてくれて。本当に感謝しかない。 ずっとずっと、歌い続けてほしい。聴き続けるから
そして、ぶっこみます。徹夜覚悟で、YUIのTOKYOの歌詞解説。
youtube
YUI - TOKYO
この映像、本当に好きで、コメントにもあるけど、まさにBest takeだと思っている。 ギター一本と歌だけで、こんなに心に刺さるんだもの。 さっきも2回もいったけど、曲の最後のほうとか、本当もうYUIがいなくなっちゃうじゃないの?っていう感情で泣きそうになるよ 神聖というか、無垢というか、 言葉で説明するには足らなすぎる。わかるよね。。
それで、TOKYOの歌詞解説をしたいとずっと思っていたんだけど、 その解説をする前にYUIが上京するまでの生い立ちをまとめたり、 上京してから、この2007年、武道館で歌うまでのことをまとめたいっていう欲があって、そんなことしてたらほんとに朝になりそうなんだけど。いけるかな… 行くぞ、突っ走れ。今しか書けない。 軽く見たところ、TOKYOの歌詞解説を他にしているところはなさそうだ。
生い立ち
YUI
1987年3月26日生まれ本名は吉岡 唯
出身は福岡県
小学生の頃から、歌手になりたいと思っていた。母親の影響もあって、小さい頃から歌うことが好きだったそう。
その後中学3年生の頃から、ノートに詩を書き溜める。
高校には進学したが、学費を稼ぐためのアルバイトで体調を崩してしまい入院。退院後に中退した。
その後、ストリートライブを行っていたビアンコロネと知り合い、音楽塾ヴォイスの存在を知り、そこへ通いギターと曲作りを学び始める。
自宅の布団の上であぐらをかきながらギターの練習をし、覚えたコードで曲作りを始め、初の自作曲「Why me」を制作。福岡市天神の路上などでもあぐらをかきながらギターの弾き語りを始め、知り合いのライブの前座や音楽塾関係のイベントでライブハウスにも出演するようになる。
2004年3月に塾関係者の勧めでソニー・ミュージックのオーディションに応募し、約2万人の応募者の中から10人に残り、最終審査を受ける。
こ��時も普段の路上ライブと同様��あぐらをかいてギター弾き語りで「Why me」と「It’s happy line」を歌ったが、どうしても聴いてもらいたいという思いからまだ歌詞のなかった「I know」を短縮で追加して披露。審査員の全員が最高点をつけた。
その後ソニー・ミュージックグループの各レーベルで争奪戦となり、デビューが決める。
「feel my soul」でデビューし、その後「Tomorrow's way」、「LIFE」を発表。
そして4thシングルとして、この「TOKYO」が発表された。
ここまでは、Wikipediaを参照。 続いてヴォイスの講師のインタビューから、 http://www.voice-tokyo.com/column/vol04/
ー初めてYUIと会ったときの印象はどのようなものでしたか? 「彼女はまだ中学生でしたが、同じ年代の普通の子とは全く違う雰囲気を持っていましたね。"絶対に音楽をやるんだ!"という強い気持ちが表れている目をしていました。」
「まだ彼女が入塾間もない頃でギターも弾けなかった時にAvril Lavigneの『complicated』を自分のオリジナルの歌い方で歌っていた事がありました。普段歌っている声とは明らかに違う雰囲気で、自分の世界に入り込んで自分の世界を出しているその歌声に強烈に惹きつけられました。その歌声に触発されて、曲を書きたいという衝動に駆られましたし、すぐ一緒に作り始めました。同時に、声の魅力というのは作られたものではなく、素材の中に光るものだと改めて認識させられましたね。」
「歌や音楽を聞いた時に、ドキドキがとまらなかったり、泣きそうになったり、楽しくて躍りだしそうになったりとか、そういうスイッチってありますよね。僕の場合ですが、そういったスイッチを片っ端から押された時、曲の構想だったり、メロディが出てきたりします。音楽的な化学変化というのは間違いなくあると思いますね。」
「以前"癒しの声"とはどういったものかを分析するテレビ番組を見た事があります。その番組では、声を聴いた時、人間の脳の中には『α波』というのが出るらしく、その量が多い声がいわゆる"癒しの声"だという一つの分析結果を出していました。もちろん僕は自分の頭の中で『α波』がどれくらい出ているかなど測定した事はないので、なかなか説明は難しいですね。"いい声"というのは、もしかしたら自分だけがそう思い込んでいるのかも知れないですが、でもその思い込みの強さがどうあるかが僕は大事だと思っています。人から『いいでしょ』と言われても、自分の中で化学変化が起こらない時はどうやっても起こらない。とは言え、作る立場からすればリスナーの評価は大事です。非常に難しい事ですが、研ぎ澄まされた感覚を持って判断をしていくしかないですね。」
「ソニーオーディションの決勝大会は予定では2曲しか歌ってはいけなかったのですが、突然3曲目を『続きの曲です』などと言って勝手に歌い始めたんです。びっくりしましたね。まるで昨日のことのように覚えています。(笑)オーディションが始まる前に3曲目は絶対に歌ってはダメだと本人にも念を押していたんですが、ニヤッと笑っていたので『もしかしたら・・・』と心配していましたが、案の定、歌詞はでたらめのYUI語で、即興で披露していましたね。(笑)」
「はい。その後叱られると思ったので、YUIと二人逃げるように会場を去り���羽田空港に向かいました。(笑)福岡空港に着いて携帯電話を確認するとたくさんの留守電が残っていました。これはかなりまずいなと思って聞いてみたら集まって頂いた全レーベル、審査員の全員が最高点をつけたので至急連絡を下さいという、思ってもいない内容でした。そこからYUIの人生は大きく変わり、プロの道へと進む事になりました。」
「まさか、ギターを弾いて歌うシンガーソングライターのトップまで登りつめ、未だに半ばレジェンド的な存在として扱われる事になるとは、思いもよりませんでした。ただ、きっと何かを変えてくれる存在になるという確信は自分の中にはありました。デビュー前に音楽塾ヴォイス福岡校の六畳一間のレッスン室で何曲も曲を書きました。YUIという存在を目の前にし、その声の持つ世界観に圧倒され、自然にメロディが舞い降りてくる事も多かったですね。1日1~2曲という物凄いペースで制作を行っていました。ソニーのオーディションを受ける以前、一部では『こんな音楽は古い、時代と逆行している』という意見もあったのですが、普遍的な音楽はいつの時代も変わらず人の心を感動させる事ができると信じて、ブレずにやっていました。10年経っても色褪せない音楽は絶対にあると信じていました。結果は思っていた以上の反響があり、その後のYUIの音楽人生に大きく繋がっていったと思います。」
すごく、よく分かる。 理解ある、この講師の人に出会えてよかったと思います。 本当にYUIの声は、いいんだなぁ。笑 自分の中ではまさに癒やし声です。
次、TOKYOのインタビューに行きます。 http://www.hotexpress.co.jp/interview/yui_20050118/
まずYUIさんが音楽に目覚めたキッカケみたいなものを聞かせていただけますか。
YUI:小さい頃から音楽は好きで聴いていたんですけど、憶えているのは、母のカーステレオとかラジオから流れてくる音楽をよく聴いて覚えたりして歌ってたんですよね。それで自分で本格的に音楽をやろうと思ったのは、急にそう思ったというよりはどんどん気持ちが強くなっていった感じで。それで、15歳、16歳ぐらいのときに決心する時期も来て・・・。
決心する時期というのは、高校を中退すると決断したとき辺りだと思います。 中学の頃から音楽をはじめて、アルバイトや勉強に追われて体調まで崩してしまったとき、音楽の道へ進もうと決意したのではないでしょうか。
-ギターを覚えたのもその頃?
YUI:そうですね。15歳、16歳ぐらいのときに初めてストリートライブを観たんですよ。それで、そのストリートミュージシャンの方々がライブを終えた後に「本気で音楽をやりたいんですけど、どうしたらいいんですか?」的なことを聞いたんですよね。「どうにかしたいんですよ」って。そしたら地元に、福岡なんですけど、音楽塾があるってことを教えていただいて、そこに通うことにしたんです。それから音楽塾でギターと曲作りを始めました。ある程度ギターが弾けるようになってからはミシェル・ブランチさんの『グッドバイ・トゥ・ユー』を弾いて歌ったりしてたんですけど、その曲は最近でも学園祭ツアーとかで披露したりしてますね。
要所要所にコメント添えたくなってしまう。 これは先程も説明したビアンコロネから塾を進められてという部分ですね 「Good bye to you」はYUIがコピーしているのをよく聴きました。 ビアンコロネと一緒に歌ってるやつあるから、絶対見て!! https://www.youtube.com/watch?v=eXz2YIVJ3os
-音楽塾を知るまでは、音楽を本格的にやるためにどうしたらいいのか模索していた感じだったんですか?
YUI:音楽をやりたいけど出来ない時期はありましたね。学校とバイトをこなしていく中で時間が無くて、これを続けていても“この先に音楽はないんだろうな”っていう風に思っていて。そんな中、体調を崩して入院してしまって、ただそのときに考える時間が出来て、“やっぱ音楽をやりたいな”っていう想いが強くなって。そんなときに先ほどお話ししたストリートミュージシャンの方々に出逢ったっていう。
-ちなみにその福岡の音楽塾っていうのはどんなところだったんですか?
YUI:本当に塾っていう感じで、人間と人間が触れ合うようなあったかい場所というか、みんな本気で音楽をやっていて、教えてもらうっていうよりはいろんな人の姿を見ていて思うこと、感じることでいろいろ学べる場所でした。もちろん音楽的なことも学んだんですけど、やっぱり人間的なことで音楽塾のいろんな方と触れ合うことができたのが一番大きかったですね。信頼する人ができたというか。
これは先程の音楽塾ヴォイス塾長の西尾芳彦さんとかかな。
-なるほど。あと詞に関してはいつ頃から書くようになったんですか?
YUI:詞は中学三年生ぐらいからだったんですけど、歌詞というよりはポエム的なものを書いてましたね。母に聞いた話なんですけど、私は小さい頃にポエムを書いていたと聞いたんですよ。それがキッカケになって、再び書くようになって、その詞、ポエム的なものだけを書く時期がしばらくあって。で、音楽を本格的にやり始めて、それで“歌詞”というものを書くようになった感じですね。
-そうして本格的に自身の音楽を生み出せる環境ができた頃には、今の状況というか、“デビューを目指す”っていう意識は強くなっていたんですか?
YUI:良い曲を作りたい、良い詞を書きたい、納得のできるものを作りたい、そういうことばかり考えていたかもしれませんね。デビューに関しては、たくさんの方々に支えられて出来たこと、結びつけてもらったものなので、私はとにかく単純に良い音楽を、自分が納得できる音楽を作っていきたいと思っていた感じですね。
-そんなYUIさんがデビューすることになった具体的なキッカケは何だったんでしょう?
YUI:ソニーミュージックのオーディションを音楽塾の方に勧めていただいて、それを受けたのがキッカケですね。そのオーディションの最終審査で東京に初めてやって来たというか、福岡を初めて出たんですけど、オーディションの会場ではみんなスタンドマイクで歌ってたんですけど、私は「あぐらで弾いていいですか?」っていうのを聞いたりして、それを了解していただいて。で、弾き語りだったんで、本当はひとり2曲以内だったんですけど、もう一曲聴いてもらいたい曲があったのですごく短くして、結局3曲歌ってしまったっていう。
-その3曲っていうのは、今はすでにリリースされている曲?
YUI:3曲ともCDに入ってますね。インディーズでリリースしたシングルに入っている『I know』と『It's happy line』、それとデビューシングルの3曲目に入っていた『Why me』を歌いました。『I know』はまだそのとき作りかけだったのでデタラメ英語で歌ったんですけど。
-そのオーディションに受かった後はどんな動きがあったんでしょう?
YUI:合格してからは、曲作りとかレコーディングのために福岡と東京を月に2,3回、行ったり来たりするようになっていって、そのあいだにデビューシングルを制作していって、そのあと上京、こちらで生活するようになった感じなんですけど、今回リリースする『TOKYO』はその時期、2004年の9月に書いたものですね。
オーディションがあったのが、2004年3月、TOKYOを書いたのは9月。
-東京に来たばかりの頃はどんなことを考えたりしてました?
YUI:東京に来て考えるというよりは、福岡を出る前にいろいろ考えました。なので東京に来てからはもういろんなことを吸収したりとか、そういうことを意識してましたね。責任感というか、気負いした感じというのは福岡を出る前ぐらいからあったかなとは思うんですけど。今はあんまりそこについては考えすぎないように心掛けてます。
ここから、feelmysoulとかについてもいろいろ書かれていますが今回は端折ります。 もうね、カルマの時のトラウマが蘇ってますよ。
-分かりました。では、今日のインタビューのメインとなりますニューシングル『TOKYO』についてお話を聞かせていただきたいのですが、こちらはすでにライブでは歌われていた曲ですよね?
YUI:はい。【ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2005】とかでも弾いて歌っていたんですけど、ファンの方から問い合わせとかリクエストとか頂いて、今回リリースすることになりました。福岡でラジオをやっているときも番組のエンディングとかで流したりしていて、ラジオの番組宛にも「この曲何て言うんですか?」的な問い合わせをたくさんいただいて、それもあってですね。で、今回CD化させてもらったこの曲は、17歳の時、2004年の9月にレコーディングしたギターと歌をそのまま収録してるんですよ。だから歌い直しはしてないんです。
-その頃の自分の歌を改めて聴いてどんな気持ちになりました?
YUI:やっぱりどこか切羽詰まった部分だったり、気負った感じだったりっていうのが声に出てるのかなとは思うんですけど、逆に私は周りの方からの反応が気になりますね。すでにそういう声は聞かせてもらってるんですけど、やっぱり上京したときのことを思い出したりするみたいで、いろんな方が同じ気持ちだったのかなって思ったり。
-ちなみに『TOKYO』の作曲クレジットはCOZZiさんになっていますが、彼のこの曲のデモを聴いたときにやはり強く感じるものがあったんですか?
YUI:デビュー前、福岡と東京を行き来していた時期に、曲作りやレコーディングの合間とかにいろんなアーティストの方のデモを聴く機会をいただいていて、そのときに興味を引くデモはたくさんあったんですけど、その中のひとつにCOZZiさんの原曲があっ��、それを聴いてると、自分がノートにメモしていた上京のときの気持ちや感情がリンクしていったんですよ。それでそのCOZZiさんの曲にその場で詞を書き上げていったんですよね。そのまま曲のコードも分かりやすかったので、すぐスタジオに行ってギターの弾き語りを録りました。
-じゃあ、あの歌詞の内容は上京時のYUIさんの気持ちがそのまんま綴られているわけですね。
YUI:そうですね。
-上京するときはギターを担いで、新幹線乗って。
YUI:・・・飛行機でしたね(笑)。そのときは亀と金魚とギターとリュックみたいな感じで、上京しました。亀と金魚は飛行機大丈夫かな?と思ったんですけど・・・まぁその話はいいです(笑)。
-(笑)。この『TOKYO』っていう曲は、先ほども言っていましたが、共感する部分、胸に強く響く曲だと僕も感じたんですが、YUIさん自身の中でもすごく大切な曲になってますか?
YUI:すごく大切な曲になってますね。他の方が作曲したとか関係なく、すごくこの曲が好きだし、いろんな方の反応を聴いても良い曲になってると思いますし。
インタビューにもある通り、作曲者はCOZZiさんです。 他にも多くのYUIの曲を作曲している方です。 YUIがレコード会社と契約後、デビュー前の準備期間中に「自分の作った曲だけを歌っていては偏りが出てしまうかもしれない」というディレクターの意向で、勉強のためにと色々な作曲家のデモ音源を、東京の事務所で聞いている時にYUIの耳に強く残る曲だった。当時17歳。その日のうちに歌詞が完成した。
追加で、参考にしたいインタビューがあるのでそこの中から抜粋します。 http://news.livedoor.com/article/detail/1732876/?p=1 TOKYOのリリースのすぐ後のインタビューですね。
――福岡を離れ、東京で生活をする様になって、どれくらい経ちましたか?
YUI:1年5ヵ月とか。2004年9月に上京してきましたね。
YUI:「TOKYO」の歌詞にもあるんですね、「東京は怖いって言ってた」って。やっぱり、知らない街ということもあって、「そこでやっていけるかな」というか、「耐えていけるかな」��たいな、そういう気持ちや不安はありましたね。最初は慣れていないのもあり、上手く馴染めなかったかもしれないんですけども、今はもう随分変わってきていると思いますね。
―偶然、最初にYUIさんを知ったきっかけが映像や写真ではなく、音だったのですが、「すごくいい声してるなぁ」と。楽器と違って、声は生まれ持ったものじゃないですか。
YUI:小さい頃に「顔に合わない声をしている」みたいな感じで言われたことがあって、それがすごくコンプレックス的な。声が嫌いだったんですよね。だけど音楽はずっと好きで歌ったりしていたので、ストリートでライブをやったりして、色々な方に歌や音楽を聴いていただける状況になって、「いい声だね」とか「いい音楽ですね」と言っていただけた時に、初めて自分の声が好きになってきましたね。
―学生の頃に「バンドを組みたい」とか思った経験は。
YUI:高校1年で辞めて音楽の道に進んだので、そういうことも無かったんですけど、でも、バンドの音とかはとても好きではありましたけどね。
―気持ちいいですよね。エレキをデカイ音で��らしたりすると。
YUI:そうですね。今後ライブをたくさんするようになって、そういうロックな曲ももっと入れていけるようになれた時に、そういう歪んだ音とかでも入れて行きたいと思うんですけども、今はやっぱりスタイル…自分の作る音楽だったりを大切にしているので。もちろん音楽的に幅を広げていきたいし、視野も広げていきたいし、成長もしていきたいけども、今はそういう風に、アコースティックの音とかを大切にしてますね。
ネタバレになるかもしれないけど、冒頭のフラフラのDVDの中で、yuiが 「バンド楽しいよ!!、皆にもおすすめします!」 みたいなこといってたのを思い出した。 今は、バンドで、ロックな曲をやれてるよ。
―デビュー前にはストリートで歌ったり、オーディションを受けたりという時期があったかと思いますが、学校を辞めてまで音楽の道に進みたいと思った、初期衝動のようなものはありましたか?
YUI:音楽は小さい時から自然にそばにあったものだと思うんですけど、母のカーステレオやラジオから流れてくる、母が聴いていたのは大黒摩季さん、ユーミンさんだったんですけど、それを覚えて歌っていたり。その後も小学生になって「歌手になりたい」というようなことも言っていたみたいなんですけど、ずっと音楽はすごく身近にあった感じでしたね。
15~6才になって、バイトと学校を両立するようになって、時間がどんどん無くなっていっちゃったんですよね。自分の思うように音楽ができなくなってきて、ちょっと苛立ってしまったりしていたんですけど、その時ぼんやりと「自分のこの先に音楽の道は無いのかな」っていう風に思ったんですよね。その後に体をちょっと壊して入院してしまって、その時に考える時間ができて、「やっぱり音楽の方に進みたいな」というか、「音楽どうにかしたいな」という気持ちがすごく強くなって。学校と音楽というのは両立できることではなかったので、学校を辞めて音楽の方に進みたいなという気持ちはどんどん強くなってましたね。
その後にストリートライブに出会って、その時に生の音だったり、自分達の書き綴っている言葉で歌っているというのがすごく届いて感動したんですよね、衝撃というか。それで、そのライブが終わって話し掛けに行って、「音楽どうにかしたいんですけど」ということをお話ししたら、地元の福岡に音楽塾があるよ、って教えていただいて。それで、その音楽塾に入ってから、ギターと曲作りを始めましたね。
―自分の中にあるものを色んな人に聴いてもらいたいという、一方的な感情ではなくて、聴く側にもそれを同じように理解してもらいたいのか。それともまずは自分の中にあるものを伝えたい、それが聴く人によってどう解釈されるかは人それぞれで構わないのか、どっちなのかなと。
YUI:それはどっちというのもないと思いますね。自分の中にあるものを伝えたことで、同じ想いの人がいることに気付くと言うか。例えば「feel my soul」という曲は、上京するということで、もがきながらも前に進んで行きたいっていう気持ちを書いていて。もしかしたらそういう気持ちになったことがある方もいるかも知れないし、…っていうのは、今としては思うんですけど。「TOKYO」という曲も上京している時の気持ちをメモしていたのが曲になっているので、そういうところももしかしたら。「TOKYO」の場合は、ライブや福岡でやっていたラジオのエンディングで掛けさせていただいている時に、たくさんのお便りとか、「どんなタイトルなんですか?」というお問い合わせをいただいて、それでシングルとしてリリースすることになったんですけど。「そういう感情になったことがある方もいるのかな」という風に思いますね。
―自分はこういう風に伝えたつもりだったけど、聴く側は違うように解釈していて、それに対する苛立ちのようなものを感じたことはありますか?
YUI:それはもう逆に言えば曲を言葉で説明するよりも、���聴いてもらいたいな」という気持ちが強いですね。
カルマのところでも説明したけど、解釈どうのこうのよりも、「聴いてもらいたい」んですね。 良かった。間違ってなかった。笑 YUIも同じような感じなのかな。
YUIの音楽を一度でも耳にすれば、類稀なる彼女の才能は誰もが感じるところだろう。衝撃のデビューを果たした2005年、周囲の期待の声が大きいあまりに、YUIというアーティストの等身大の姿が見えづらい状況にあったのかもしれない。シングル「TOKYO」が、当時17才だったYUIの弾き語りに、必要最小限な音だけを加え、ノンタイアップでリリースされた裏には、そんな思いもあったのだろうか。「日々音楽」というYUIの言葉に象徴される様に、小さな体と顔に似合わずストイックで、不器用なくらいひたむきに音楽と向き合おうとする、彼女の姿が少しでも伝わればと切に願う。
痛いほど、伝わります。
どうでしょうか。 「TOKYO」を作曲した背景はわかったでしょうか。
前置きはこのくらいにして(長すぎる) ごめんなさい、もう少し前置きを延長します。 この映像(武道館でのTOKYO)について少し補足します。 この映像は、2007年11月19日、自身初となる日本武道館のライブの映像です。 3枚目のアルバムI LOVED YESTERDAYの初回限定盤のDVDに初の武道館公演(2007年11月19日)のスペシャルライブ特典映像が収録されました。 アンコールの、最後の、最後で歌った曲です。 最初の曲だった、「It's happy line」も、Youtubeにあがっているので是非。 僕が、ひとつだけLiveを遡って見れるのだとしたらこのLiveがみたいです。 なんというか、日本武道館はミュージシャンの中で重要な位置づけにあるような気がして、その初ライブ、大舞台で、出だしから路上ライブスタイルの 「It's happy line」。ギターと歌だけで武道館に立つ。最後の曲の「TOKYO」では会場の皆を号泣させた。 もう死んじゃうんじゃないの?泣 ってくらい儚くて力強い歌声に 武道館で歌う「TOKYO」 途中、涙をこらえて言葉が出なくなるシーンがある。
この映像を見てから、この曲についてまとめてみたいと思った。 友達にこの映像を見せても、反応はなし。 この記事を見せてやろうか。笑 ドン引きされること間違いなし
歌詞解説に入りましょう。
ここまでの解説で、もうわかってるよって思うかもしれないけど。 ちゃんとやります。
住みなれた この部屋を 出てゆく日が来た 新しい旅だちに まだ戸惑ってる
住み慣れたこの部屋 は、福岡の実家のことですね。 出てゆく日というのは2004年の9月。YUIは17歳。 オーディションからデビューまでが早かったということと、東京へ出るということに対する不安。そいうった感情の中から、戸惑いが生じていた
駅まで向かうバスの中 友達にメールした
朝のホームで電話もしてみた でもなんか違う気がした
ここの 「でもなんか違う気がした」 という部分。 人によって解釈が異なるのではないでしょうか。 友達にメールをして��電話もしてみた。でも、なんか違う気がした。 このメールと電話の内容は、「今から上京するよ」っていう内容なのかな? きっとそうだと思うんだけど。 一人で、駅に向かうバスの途中、ホームの電車待ち。 東京に行くことに責任感や気負っていた、不安を持っていたYUIは、気を紛らわすためにも友達と話したかったのではないだろうか。 普段、仲の良かった友達との別れ、「今から行ってくるよ、それじゃあね」 「あっちでも頑張ってね」なんてやりとりは、らしくない。
でもなんか違う気がした の「でも」の少しの違和感は、いつもと違うやりとりと、自分にある感情の少しの後ろめたさからじゃないかな 深読みしそう。全部の歌詞が真実を書いてるわけじゃないからね。笑 ここについては意見がほしい。
古いギターをひとつ持ってきた 写真は全部 置いてきた
ギターひとつで、思い出は持っていかない。 決意の表れだと思います。 もう東京にいったら、戻ってこないんだぞ っていう さっきのところだけど、友達との別れを今さら惜しむなんて、なんか違うよなって意味も含んでいるんだとすれば、福岡のことは、福岡にもう置いていこうと決意していたのかもしれない。そんなにYUIはひどい子か?笑 これは次の歌詞に続く。
何かを手放して そして手に入れる そんな繰り返しかな?
何かを手放す とは、福岡のことでしょう。 そこにいる友達や、思い出、自分の居場所。 それを手放して、新しい土地へ行く。 これからもそんな繰り返しなのかな?と少し不安に思う。 それで本当に自分は合っているのだろうか?
つよがりはいつだって 夢に続いてる 臆病になったらそこで途切れるよ
ここの歌詞、本当にYUIっぽくて好きです。 負けず嫌いで、決して弱みを人にみせようとしない。 前置きでは書いてなかったですが、高校で体調を崩し、肺炎になったとき病院で肺がんと診断され、余命宣告までされていました。 その状態で、後少ししか生きられないのなら本当にやりたいことをやろうと、ソニーのオーディションとは違うオーディションに出ています。 たぶん音楽塾に入る前の、歌だけのオーディション。映像もあります 何があっても、音楽の道を諦めない。強い意思がありました。 上京の際にも、きっと、つよがっていたんだと思います。 臆病になったら、そこで途切れるよと。
走り出した電車の中 少しだけ泣けてきた
窓の外に続いている この町は 変わらないでと願った
走り出した電車、もう後に戻ることは出来ない そこでようやく実感しはじめる。 強がってはいても、17年間も過ごした場所を離れるのは心に来るよね 窓の外を流れる景色に、思い出が蘇る 「この町は変わらないで」と願った
この町”は”っていうのが妙にひっかかって 自分は変わってしまうけど、この町は変わらずにいてほしいって意味に感じる。 自分の変化に対する不安とか、これで本当にいいのかなっていう疑問が残っている感じ。 故郷が変わらない安心感はほしいよね。その場所まで変わってしまったら、思い出までなくなってしまうんじゃないかって思う。
古いギターをあたしにくれた人 東京は怖いって言ってた
これは歌詞上のストーリー的��表現なのかな インタビューでもあった通り、YUIは東京のことを 知らない街ということもあって、「そこでやっていけるかな」というか、「耐えていけるかな」 と感じていた。 そういう不安から怖いと思っていたんだと思う。 でも、 自分の口からは怖いって言わないんだよね。 古いギターをくれたひとは大先輩みたいなもので、ギター(夢)を託すみたいな感じに解釈しても面白いけど。
答えを探すのは もうやめた 間違いだらけでいい
人生に、答えなんてない 上京するか、しないか 戸惑いや不安を感じていたYUIの結論。 きっと、上京するって答えは出てたんだろうけどね。 それがたとえ間違いだったとしても、自分のやりたいように生きていく。
赤い夕焼けがビルに途切れた 涙をこらえても
次の朝がやってくるごとに 迷うことだってあるよね?
簡単な考察だけど、朝出発して夕焼けが見える頃には、もう東京です。 赤い夕焼けがビルに途切れた って表現とても好きです。 都会ならではの切なさとか 電車に乗っていて、夕焼けがビルの間から顔を出したり、途切れたり。 電車の車内をチカチカと照らしている。 東京についてもまだ涙をこらえてる
朝がやってくるごとに迷うことだってあるよね →あります。自分は夜が来るたびにだけど。 それくらいにYUIは悩んでいたのかな レコーディングで福岡と東京を行き来していた時期があったといっていたから、東京に行くことについてたくさん考えさせられたんだろうな
正しいことばかり選べない それくらいわかってる
これ以上考えても仕方ないし、正しいことばかり選べない それくらいわかってる それでも、悩んでしまうもの
それはやっぱり、福岡を失うことに対する不安が大きかったんじゃないの?って僕は思います。 東京にいって失敗するとか、怖いとか、不安とか。 YUIならきっと、音楽の道を歩むためなら、そういうことに踏み込む勇気は持っているんだと思う。 自分の故郷を離れる不安や、後悔するんじゃないかっていう、そっちの気持ちのほうが大きいんじゃないかな? そればっかりは、きいてみないとわからないけど。 上京のことにかかわらず、そうやって悩むことはたくさんあるよね。
現在AM5:00 まとめましょう。
yui、最高です。 YUI、最高です。 FLOWER FLOWER、最高です。
おやすみなさい。 ありがとう。
(まとめだけ今度編集するかもしれません。)
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【ワンマン開催企画①ヒライシュンタ×花男 スペシャル対談】 --- 1/6(土)神戸太陽と虎で開催するTHE BOOGIE JACKワンマンライブに先駆け、スペシャルゲストの花男とスペシャルな対談しました!!--- ◾️シュンタ 麦ちゃんおやすみ!!(笑) 花ちゃん!まずは「暮らしツアー」お疲れ様! 歌と暮らし、まさに今やるべきツアーだったよね! ◆花男 麦を今、寝かせつけてきたよ!笑 ずっとおれからはなれて��ロゴロしてたのに、 寝る直前にくっついてきて、、かわいかったなあ。 そして下におりてきたら、樹が号泣しています。笑 暮らしツアー、何より無事終わってよかった、、 感動がたくさんだったよ、ありがとう! ◾️シュンタ 樹も参加だね(笑) 俺も今年は半分くらい一人で歌ったけど、(THE BOOGIE JACK)が付いてるのと、付いてないのとでは全然違うんだろうなと。 少しチカラが入り過ぎたこともあったけど、その反面「あぁ歌が好きだなー!!」って実感できたよ。 そのきっかけが、2月の札幌ライブに花ちゃん誘ってくれて。 本当に感謝してるよ! ◆花男 樹、宮田モータースに新入りの、 にぎやかな男子入ったので、 よろしくお願いします!笑 シュンタもアルバム発売、ROCK METEO開催、 メンバー交代、数々のレコード店巡り、 若手バンドともライブしたり、 年明けのワンマン準備、、そして家族。 ミッキーマウスに負けない多忙っぷりだったよね笑 そりゃ力も入るよね。 でも、お客さん喜ばせてあげたいもんね。やっぱり。 2月の札幌、きっかけだなんて、、うれしい。 シュンタの歌が、歌への想いが、 単純に好きだからってのもあるけれど、 会いたかったんだよね。シュンタにさ。 ◾️シュンタ いやーほんと今年会えなかったよねー! でもさ、"良い会えなさ"だった気がするよ。 お互いの場所で、すげー戦ったというかね。 それこそジャパハリのリリース日が同じだったり、マスミサイルよっくんも弾き語りガンガンやったり。 1年、頑張った!(笑) だから、俺らのアルバムのツアーは何も気にせず、花ちゃん呼びたかったのさ。 しかも、札幌でも名古屋でも東京でもない、神戸でね。 出てくれてありがとう!! ◆花男 おれの性格なのか、 いつも同じメンツで、仲良しこよしみたいなのって、 よくないと思うんだよね、 攻め、じゃなくて守りになっちゃう時があると思う。 だから、お互い色んな景色見て、 胸いっぱいにして、時がきたらライブ! みたいなペースがいいな、と、 勝手に思ってて、、 でも、正直いうと、 シュンタと家が近かったら、 めちゃくちゃ飲みにいってると思う笑 同じ価値観で音楽の話できたり、 同じ時代を近くで戦ってきた友達って、 そんなにいないよ、やっぱり。 色んな想いから、アルバムツアー、 参加できてうれしい。 ブギージャックのアルバムレコ発ツアーに、 参加!って文字見るだけでも、 なんかグッとくるもんね。 そしてきてくれる人たち、思い切り抱きしめたい。 なんなら、飲みにいきたい笑 ほんと、ありがたいよ。 ◾️シュンタ だめだめ、俺ら家が近かったらマヂですぐ飲みに行って弱音しか吐かなさそうだもん(笑) 今年は俺も弾き語りとかで繋がったバンドや、ライブ行って声かけたバンド、名古屋の後輩と飲みに行ったり、「バンドってやっぱ人間で出来てるんだ」ってすげー感じた。 そして、俺らは俺らで進みながら、花ちゃんの暮らしツアーを気にかけながら、「おー今日はまた雰囲気ステキなところで歌うんだなー」とか(笑) そんなお互い見てきた2017年の違う景色があって、2018年の始まりに一緒の景色を見られて嬉しいなぁって思う。 全員と乾杯したいよなぁー(笑) ◆花男 全員で新年会も兼ねて、乾杯したいね!笑 家が近かったら、、 ブギーの練習スタジオに遊びにいって、 リクエストする。 邪魔だな、、笑 いや、やっぱり歌えー!歌ってくれー!って。 「SONG IS LIFE」 最高だったよ! 何かひとつ、壁をぶち壊した音がした。 過去も未来も今も全部鳴ってる感じがする。 おれの暮らしツアーでも、 様々な暮らしをそれこそ見てきてさ、 その人たちの顔も浮かんだし、、 名曲ありがとう! ◾️シュンタ ブギーや太陽族聴いてきた人ってもう社会人でそれなりに役職もついて、あるいは親になって、海外にいて…とか色んな人生を進んでるんだよね。 俺、すごく大事にしたいんだ。 時が経って、色んな人が色んな場所で生活して、その中のほんの少しでもブギーや花男の歌を飾ってくれてる人を。 だから、MVに参加してもらったりね。 ほんと、それこそ「暮らし」なんだよ。俺も。今年のテーマがさ。 ◆花男 そうだね、、 こないだ仙台駅に向けて新幹線乗ってる時、 満員電車の中、 「すみません、、花男さんですか、、」 って話しかけてきてくれて、 いい年齢のサラリーマンの方が。 「はい、そうです。」 って答えたら、 涙流しながら、、 「おれ、、太陽族やブギージャックや、、 聴いてて、、今の花男さんの歌も聴いてて、、仕事で悔しい時とか爆音で聴いてるんですよ、、」 って、 声にならない感じで話してくれて、 おれも泣けてきてさ笑 そんな人もいれば、 こないだおれと同い年の男が、 仕事辞めて、東北から札幌引っ越してきて、 仕事探しから始めてる旅人もいたりして。 そいつも、大切に音楽聴いてくれてて。 おれなんかもさ、 大切な瞬間の時なんかに、 朝、最初に着る服、ブギーのTシャツだったりするからね。 やっぱさ、 生活や暮らしに、 音楽って、深呼吸できる居場所なんだよね。 ◾️シュンタ 新しいお客さんに出会うライブもあるし、昔ながらのお客さん大事にしたいライブもあるんだよね。 ブギーの新しいアルバムのツアーをワンマンにしたのは、集客どうこうよりも、たくさん曲があるし、たっぷりブギーと遊んでほしぃなぁって。 さらにそこに、俺らが大好きなバンドがいたら最高じゃん!って。 ◆花男 ワンマンって、 いいよね、、 ブギーを大好きなお客さんが、 一番うれしい形だよね。 おれもブギーのメンバーくらいの気持ちで、 神戸の日は歌いにいくよ!笑 あと、ひとりのブギーファンだよ。 あとさ、おれ、 来年は特に、 今見にきてくれてる、 聴いてくれてる方たちを、 おもいっきり大切にしたいなって想ってて。 もっとたくさんの方に! とも想うよ。もちろん。 でも、 今、なんかそんな気持ちなんだよね。 今、そばにいてくれる人を、 いちばん大切にしたい。 そういう意味では、 ブギーの事を、おもいっきり好きな人たちに、 会えるのが楽しみだ。 そして、オープニングゲストであっても、 見にきてくれる花男ファンに、 おれ、ほんっとありがとうだ。 ◾️シュンタ ほんとだね! 花ちゃんさ、しばらく1人で活動して、バンドとの距離感って今、どんな感じなの? これ、みんな聞きにくいから俺が聞くんだけど(笑) 俺から見てさ、ほんと誤解を恐れず言うと、花男(太陽族)で活動する道もあったのに、(太陽族)を外す勇気はほんとすごいなって。 それが寂しくもあり、嬉しくもあると思うのね、ファンは。 暮らしツアー終えて、太陽族、バンドとの向き合い方って変わったのかなぁって。 ◆花男 まずは、 太陽族というバンドを見たいって、 その気持ちを持ってくれてる方に、 本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。 そして暮らしツアーは、 頭を下げて、 ごめんなさいと、ありがとうを、 メールやネット上だけじゃなく、 直接会いにいって��話したかった。 だから全都道府県回ったってのもあった。 そして全都道府県を回るってのを、 今回特に別に武器にする事じゃなかったから、 47都道府県回りますとは、 あんまり書かなかったりもしたり。 いろんな想いがあった。 子供にも救われた。 活動休止の決まった前後に、 落ち込みまくって、 苦しい時に、 麦の妊娠が同時にあって、、 お腹の中の子供から「生きてよ!」っていわれてる気がして。 たくさん支えてもらった。 活動休止、 理由はいくつもあるけれど、 今の4人で、走れなくなってしまった。 太陽族はやりたいよ、 どんなペースでもいい、 1年に1度でもいい。 今も大好きなまま。 でも、正直現状では、 この4人でまた鳴らすので待っててください、 とはいえない状況で。 ごめんなさい。だけが胸からあふれるんだけれど、、 そして、(太陽族)って、 付けずに歌っているのは、 そんな状況の中で。 おれだけステージで、 太陽族です!って、 とてもいえなくて。 どんな形であれ、 名前を守っていく、という気持ちももちろんあって、 太陽族の曲も、 その日歌いたい曲を歌ってる。 いや、守りたいというか、 歌いたいから歌ってる。 新曲の気持ちくらいの、今現在の気持ちで。 全部ひっくるめると。 花男って名前だけで、 ステージに立つ事が、 今の自分として、裸で勝負してる形だと想うのと、 おれがお客さんだったら、 すこしのさみしさもあるけれど、 「わかった!なんでもいいから歌っててくれ!」 って、、おれだったら想うんだ。 ユニコーン後の奥田民生、 JUDY AND MARY後のYUKI、 ウルフルズが止まった時のトータス松本。 よくいえばだけれど、 負けたくないんだよね、 そんな先輩たちにも。 そして何より、 聴いてくれてる、見にきてくれるみんなを、、 今おれができる全部で、 大切にしたいです。 若い頃の自分が見たら、 かっこ悪いなあ、って思う部分もあるだろうけれど、 若い頃の自分、太陽族の自分も、 胸の中で、 一緒に戦ってる、今日なんだ。 ◾️シュンタ きっと今は太陽族を知らない人が"花男"を知って、そこから太陽族を知って…そういう人もいるもんね! 「暮らし」というアルバムは、花ちゃんを1人にしたんじゃなくて、そういう生活のひとつひとつがバンドのメンバーのような、そんなアルバムだなって俺は思うのね。 この対談も、1/6の神戸も、俺はただ同窓会にしたくないし、 仲良しこよしだけじゃなくて、 バンドマン同士でぶつかりたい��って。 そして、俺だったらいつまでも(THE BOOGIE JACK)外せないかもな……って、器の小さい自分に少し恥ずかしくなってしまった��(笑) 改めて!答えにくい質問に全力回答してくれてありがとね! ◆花男 シュンタは器ちいさくないし、 (THE BOOGIE JACK)を外す、外せないなんて、 考えなくていいんだよ。 とにかく自分は、 応援してくれたみんなに、 申し訳ない気持ちばかりなんだ。 そして理由がどうであれ、 すべての責任は俺にあると思ってる。 16歳から始めて、最初から歌ってきたのは、 自分だし、 そら坊も、まるも、りょうも、 太陽族に誘ったのは自分。 だからみんなの理想の形にできなかったのは、 おれが原因だと思ってる。 メンバーの前でも、 その気持ちもきいてもらった。 だから、、もし「なんで太陽族やらないんだよ!」 って思ってる方は、 そら坊や、まるや、りょうを、 絶対に責めないでほしい。 責めるならおれをとことん責めてほしい。 そして歌い続けているおれを許せない人がもしいたら、 その人にも謝りたい。 今はそんな気持ちなんだ。 そしてシュンタの話してくれたように、 見にきてくれる方や、 そばにいてくれる友達、 今までの時間(もちろん太陽族の全て)や家族も、 勝手にではあるけれど、 メンバーのような気持ちで、 歌ってるよ。みんなのおかげで、歌えています。 、、でも、なんだか今の気持ちを、 こうして話せる場所があってうれしい。 深呼吸できた。シュンタありがとう。 今までの時間を無駄にしたくないし、 家族も応援してくれてるし。 もしカッコ悪いといわれても、 ゆっくりひとつずつ進もうと、決めてるよ! ◾️シュンタ その申し訳なさは客観的に見ると、「そんなこと思わなくていいのに…」って思うのかもしれないけど、個人的にはすごくよくわかるなぁ。 ブギーも活動休止してるから、あの時は、自意識過剰なんだけど、「俺が終わらせてしまった」って思ってたし、だからスーパースーパーズを組んで歌い続けたりね。 太陽族はあの4人がいい!って人も現実いると思うし、それは仕方ないんだよね。 だって、人生かけたバンドだもん。ファンだって人生変わってるかもしれないからさ。 そんな事情を全て受け止めて、 "花男"として、今の全てを歌にしたのって俺は尊敬してるよ。 そして、「太陽族帰ってくるまで、今度は俺らが居場所守ってやる!」って俺は思ってるよ。 ブギーが再始動したとき、居場所守ってくれたのは太陽族だったからね。 3RD MEETINGがあるからロックメテオがあるんだし。 ◆花男 ありがとう、 自分ができる事で、 泥だらけでもなんでも、 歌っていくよ、 そして太陽族や3RDMEETINGの事も、 大切に考えてくれてありがとう。 そしてさ、、 ブギーのワンマンだから! ブギーの話しよう!笑 神戸でワンマン、 神戸ってのは理由があったの?? ◾️シュンタ 2011年に再始動して、ワンマンは名古屋しかやってなくて。 再始動し始めた頃は、ブギー見に全国から集まってくれたんだよね。 なかなか稼働できなかったし、名古屋に集まれ!みたいな。 結成から活動休止するまで7年。再始動から来年(2018年)で7年。 今のブギーのチカラを受け入れながら、進みたいなって。 名古屋、東京でだけでなく、トムジェリーゼントウルフの思い入れがある神戸でもやろう!って。 初めてなんだよね、神戸ワンマンって。 ◆花男 そうか、初めてなんだ! 攻めててカッコいいね! どうか見にきてほしいな、、 おれも2018年初ライブだし! 楽しみだね! 神戸だからこその、 神戸しかできない夜を作ろうね! ◾️シュンタ そうだ!何かセッションもやりたいなーせっかくだし! ◆花男 一緒に、、 太陽族の曲を30曲くらいと、 千年メダルと、 いい日旅立ちと、 日曜日よりの使者と、 JOYと、さすらいと、、 あとは、今から曲作るか! いや、無理か笑 でも、なんか、 お客さん含め、 楽しめる事やれたらいいね! ◾️シュンタ それ、お客さん楽しいけど、 俺ヘロヘロになるやつやん!(笑) ちょっとセッションは当日までに、コソコソ作戦会議だね! 神戸はトムジェリーゼントウルフ企画でも思い入れが強いんだ。 絶対何かやろう! ◆花男 コソコソ会議しよう! あと、真ちゃんに、 爆笑MC楽しみにしてる★ と伝えておいてね笑 おれも神戸は特別な町。 会いたい景色がたくさんだ。 松原さんにも会えたらいいね。 いつかカミング神戸でも会いたいし、 何より、支え続けてくれてる、 関西のみんなに会いたい。 楽しもう! お誘い本当にありがとう! ◾️シュンタ 真ちゃんきっと、大爆笑間違いなしのネタを仕込んでると思うなー(笑) 乾杯しようね!! ほんと、会えるのを楽しみにしてるよ!! ありがとう!
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171104_Poppin'Party Fan Meeting 2017
書いてないところは記憶にない部分。
☆オープニングドラマ
8話の文化祭ライブを終えて。文化祭2日目の風景。 内容あんまり覚えてない。香澄が沙綾に対して「今度ははじめから一緒のライブだ」みたいなこと言ってた気がする。 以後・先生を巻き込んでミーティング。
☆トークパート
☆武道館でこれやってみたかったよコーナー
□大塚→旧設定の花園たえの出会いのエピソード。屋上で弾き語りをやっているシーンがある。それを再現したかった。→絵描き歌
□西本→キャラソンパートについて、各々がキャラのイメージに基づいた「何か」をやろうという話だったが、できなかった。牛込りみパートではカゴいっぱいのチョココロネを持って歌いたかった。
「チョコレートの低音クイズ」
・ダイエットに最適なカカオの割合は? 大橋100%、愛美70%、伊藤1%、大塚…
(ここにもう1問くらいあった気がする…)
・122歳?まで生きた長寿人、毎週どのくらいチョコ食ってた? 大橋・1000Kg、後に1000gに訂正 愛美・ 伊藤・ 大塚・おやつに食べる程度? 後にたしか500gに訂正
・最終問題→西本が今食いたいチョコは 回答はブラックサンダーが多かった。 楽屋で愛美が北海道土産のブラックサンダーメロン味をふるまい「一番食べたいチョコや~」と発言があったから、らしい でも答えはアンパンマンチョコ(HiBiKi StYleで触れたことがあることです)。
□大橋→ポッピンラジオに「お姉ちゃんがんばります!」というコーナーがある。それが好き。映像付きでなかなかお見せできないので、今回はそれをやりたい。 洗濯物たたむ?選手権?(沙綾が家事をやっているから、という話だったか)
大橋・立ったまま空中でたためるやり方。スピード重視。縦にシワができる。 愛美・空中でたたむ。縦にシワができないやり方。スピードも劣らず。 大塚・小学1年生の頃に洗濯の方法を自由研究でやった? その成果。机にひいてたたむ。比較的うまくやった。 西本・ショップ店員さんみたいなやつ! スピード重視と丁寧にやる2パターンを披露 伊藤・伊東家の食卓で見たやつ、コンパクトに収納、ぐるぐる巻くやつ(これが優勝)
□伊藤→(割と唐突に)ダンシングキーボーディストとして踊りたい! 「ダンシングキーボーディスト feat.Poppin'Party」 「TimeLapseに合わせて5人で踊りたい!」はじめに伊藤が踊る。苦笑するメンバー。 続けて5人で本番。形容しがたい内容! すごく良かった。
□愛美→ティアドロップスを武道館で歌えなかった、歌いたかった。なのでこのファンミーティングで歌うことにしたんですが、そのままやっても面白くない。→この手を離さない選手権 各々、思い思いに「この手を離さない」をやる。愛美が審査。優勝者はこのあと実際にそこを担当する。
大塚・前に寄ってふらり、滑る声でこの手を離さない。すげぇ恥ずかしがってた。 西本・ずっと俯いて、最後にキッとこの手を離さない 大橋・この手をはにゃさない、ニャー 伊藤・ダンス。あいみんこの手を離さないでぇと媚び
大橋が優勝。「絶対に勝てないと思ってやったのに」 (ドラムは重要なパートだからそんなやってる暇がない、みたいなニュアンスのこと言ってた)
☆お便りコーナー
□先日大阪のブシロ10周年祭でのお好み焼きディベートを受け。目玉焼きには何をかけるか? 塩胡椒→西本愛美伊藤 醤油→大橋大塚
□ランダムスターとの出会いのシーンが好き。リアルでのいまの楽器との出会いのとき、どう思った? 西本→元々ギターで、ベースはとりあえずでやった感じだから…なんだっけ? みたいな 大橋→小さい頃からやっていたからどうだったか。現��機について、あるタイミングで黄色い今のものに変わった。タムの張ってるところ…に叩いた痕がなく、すごい、新品だと感動した。 伊藤→スタッフと買いに行った。白いキーボードは映える。見た目が気に入ったのと、値段。機能も面白そうだった。それを活かしていまメンバーを楽しませてます 大塚→あるリハの時に中身が新しくなっていた。開けてびっくり、声にならない声で驚いた。当初はいまと仕様が違っていた。 愛美→ランダムスター。ある日会議室に入るとチェック柄のものと2台置いてあった。見た第一声はかわいい〜とか。
□はじめてやったのはなんの曲? 大塚→オリジナルの曲。ひーちゃん(羊)の歌。小学生の頃に。ドレミしかない 愛美→YUIの…Feel my soul? 西本→ 大橋→覚えてないが、軽音楽部ではじめて合わせたのがアジカンの… とても難しかった 伊藤→バンドリプロジェクト初の課題曲。椎名林檎の歌舞伎町の女王。弾きながらステップを踏めと。愛美もやってた。
□気づきにくい、ここが好き、こだわりポイント→ 愛美→TimeLapseのギターソロ。気付いたらさえチが練習して仕上げていた。全曲中最高難易度。 伊藤→二拍三連符 西本→イエバンの最初。デッ、デッ、デッ、デッ、のところ。みんなで合わせるから、バンド感に感動。 大橋→スタビ間���大サビ入り前。デデデ デデデ デデデ デデデ…… みんなで合わせていくのがすごく好き。(伊藤「私は自分の音だけに集中してて分からなかった」) 大塚→『1000回潤んだ空』のAメロ、愛美の子音が強い歌い方。かすれて聞こえるような。あれがとても好き。
☆クイーン争奪 それぞれがやりたいことは何か、というクイズ形式。
□大塚→ (愛美惜しいから0.5ポイント!) □西本→今西本はどっちが食べたい?「唐辛子味のチョコorチョコ味の唐辛子」 正解は前者。愛美以外が正解。 □愛美→愛美がライブでやりたいこと。 西本…フライング、大橋…炎、伊藤…そらをとぶ、大塚…フライング だったか 正解は「プロジェクションマッピング」 楽屋か普段、メンバーに対し「空を飛びたい」という事を言っていた愛美、答えを発表する直前に思い出す □伊藤→学生である間にやりたいことは 西本…めんきょ、大橋…、愛美…卒業、大塚… 正解は「ミスコン」 ファンがこれだけいるんだから、組織票等を活用してかなりイイ線いけるんじゃない? とのこと □大橋→ドラムのパーツ、追加するなら何? 西本…頭の上のシンバル、愛美…しゃべる鳥、伊藤…ツインペダル(もうありますと指摘され「もうあるそうです!」)、大塚…ツーバス ツインペダルになったのは途中からだと岩井が指摘。ああそうだったと大橋。 正解は「前日見ていたライブDVDで見たタンバリンみたいなやつ」
最終得点、 愛美0.5 大橋1 西本0 伊藤1 大塚1 でバンドリじゃんけんで勝負。 大橋が最初に負ける。「やっぱりバンドリじゃんけんは勝てない」 そして大塚が勝利。見事クイーンに。
☆ドラマパート・2 ○足音のSEが聞こえる。Poppin'Party一行がどこかへと歩いている。 先生を巻き込んでまでミーティングをして、結局遊んでいただけじゃないかというような会話。あんま覚えてないけど、会話の中で後夜祭でライブをすること、その会場へ向かい歩いていることが分かる。 何も知らされていなかった有咲が「聞いてねーし!」というようなことを言う。 「ライブしたくないの?」「そうは言ってねーし!」みたいなやり取り。 会場へ着く。(扉をガララ…と開ける仕草。8話の横の入口と同じとこ?) 観客を見渡す一同。「ざっと3000人くらいかな?」 後夜祭(文化祭自体を指して?)は一般人入場可。 どう見ても高校生じゃない人達がいるね、でも私達のために集まってくれたのは間違いないよ、というところで演奏スタート
☆ライブパート
ティアドロップス STAR BEAT~ホシノコドウ Time Lapse Yes! BanG_Dream! キラキラだとか夢だとか~Sing Girls
□ティアドロップス 先程の取り決め通り、この手を離さないパートは大橋が担当。 原曲は「この手を離さない」の直後にドラムをドコドコ叩くが 「この手をはにゃさない、ニャー」という、ニャーの部分を言いながらドコドコ。
□イエバン 伊藤が遊びまくっていた。 1番Aメロ、大塚に近づきいちゃいちゃ遊ぶ。 2番りみの方に絡みに行く。Bメロでシンバルを叩きに行く。
□キラキラ イエバンからシームレスに繋がる。 愛美以外の歌唱パートであんま音が拾われていなかった。 もったいなかったけど会場の盛り上がりでカバーされていた感じがあった。 あと本編感動シーンMADみたいなの流れててとても良かった。
・EDのMAD風→通常のEDと同様に入る。イントロ、Aメロ、Bメロまではそのままだったと思う。サビで1話回想。子供の頃みた星空、キラキラ。その後名シーンを拾っていく 2番は8話沙綾の決意パートとBG繫ぎのパート(信号見せてたからこの順序? 青信号が切り替わりそうなカット。町並み。夕焼け。星空)。2番サビは…(わからん) 間奏ギター。この辺もわからん。 間奏明け(キラキラだとか~夢だとか~で入るところ)EDのサビ。 大サビで8話文化祭。最後の手を合わせ〜から会場のカメラ? 最後は会場全体にジャンプを要求、ジャンプして〆。
宣伝パートや挨拶があり、カラーボールを投げて退場してお終い。
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