#ドミニック・ラディ
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『お風呂の歴史』 ドミニック・ラディ 高遠弘美 訳
原書は1996年にフランスで出版され、日本では2006年に出版された。題名には、お風呂だけではなく水浴びなども含む意味合いを持つ言葉が使われているそうだ。
本はギリシャ/ローマ(5〜10C)から始まる。記録が残ってるところと、著者がフランス人だからヨーロッパが中心になるのだろう。中世キリスト教の影響で、肉体を蔑むことにより入浴しない人々と、入浴を楽しむ人々とそれぞれ。庶民がどうだったかは記録にないので判らない。入浴しないイコール苦行だったりした事もあって、禁欲生活をするためにお風呂に入らないキリスト教徒もいたそうだ(p50)。
十字軍を経ての12C以降、中世末期、「人々は肉体と和解した(p53)」そうで、13C以降に入浴文化が見られる。
16C。バプティズムと風呂。清めの行為。しかし、裸は公序良俗に反すると考えられた。裸で入浴しなかったのはこのせいか。入浴場があったようだが、一般的にならず、人気がなくなったりしたのは、ペストや梅毒などの病気のためと、「空気中に漂う精液(p84)」で妊娠してしまうのを避けるためだそうだ。
17Cに浴場で風呂に入るのは「逢い引きその他の理由でなされる例外的事柄(p96)」だったそうです。
パリでは「体の手入れの放棄を礼儀作法が隠蔽してしまった(p100)」そうです。よく言われる香水だけではなく、カツラの流行は臭いのためだったのだな。マリー・アントワネットの頃、「浴そうに入ったまま客を迎えるのは不躾ではなくなっていた(p102)」そうですが、これは上流階級だけだったんじゃなかなと思ったり、いや、だからフランス革命後に入浴中に殺された人がいたりしたんだ(誰だったか名前は失念)と思った。
18C、水で体をきれいにするのは都会の人だけで田舎の人にそう言う観念はなかった。
シャワーは治療目的(p117)。これ、何かのドラマで見たことがある。
19C衛生学。清潔はブルジョワジーだけのもの(p129)。高級娼婦には必須。で、どんどん万人に渡っていく。しかし、暖かい湯は咽頭を招きかねないと言う考えあり。なの���ヨーロッパの湯はぬるま湯。とある温度と、湯に浸かる時間で、病気になると考えれれていた。女性は不妊になるとも。
東洋の入浴の歴史についても本があったら読んでみたい。
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