#トラック野郎・度胸一番星
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千葉真一 Sonny Chiba
トラック野郎・度胸一番星 Truck Yarō 1977
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無事機嫌までに回収できた🤩 #ボーク��宇都宮ショールーム #アヴェンタドール50周年アニヴェルサリオエディション #トラック野郎 #度胸一番星 #IMS #Vサイレンプロミネンス (ボークス 宇都宮ショールーム) https://www.instagram.com/p/Ca9KLYxvLJ-/?utm_medium=tumblr
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ダ-ティ・松本 不健全マンガ家歴30年[-α]史 ●はじめに この文章は同人誌「FUCK OFF!7」において書かれたものをベースにして逐次増補改定を加えていき、いずれ歴史の証言として、[というほど大袈裟なものでは無いが…]一冊の本にまとめたいという意図のもと、近年どんどん脳が劣化していくダ-松の覚え書きとしても使用の予定。事実関係は間違いに気付き次第 訂正。同人誌発表時のものも今回自粛配慮して、実名、エピソード等を削除した箇所有り。有り難い事に某出版社よりすでに出版打診があったがまだまだその時期ではない、マンガを描く事が苦痛になったら活字の方も気分転換にいいかも…。 /*マークは今後書き加える予定のメモと心得たし。 ●前史/修行時代・1970 さいとうプロの短くて濃い日々…… 1968年に上京。数カ月後東京は戦場に。熱い季節の始まりだった。 2年後親元を飛び出し友人のアパートに転がり込む。場所は渋谷から井の頭線で駒場東大駅下車、徒歩5分。地図で見ると現在の駒場公園あたり。昼間でも裸電球を付けなければ真っ暗という馬小屋のような部屋。数メートル先には当時の建設大臣の豪邸が…。前を通りかかるだびに警備のおまわりがじろり。 いつまでも友人に迷惑もかけられないのでとりあえずアシスタントでも…と手元にあったマンガ誌をひっくり返し募集を探す。幸いさいとうプロと横山まさみち氏のところでアシ募集があり両方応募。どっちか一つ通れば…と思っていたら何と両方受かってしまい、双方に条件を聞く。当時高円寺 のアパート、風呂無し4畳半の部屋で相場12000円の時代。前者一ケ月の給料10000円、後者20000円との事。給料の方がボロアパートの家賃より安いとは…!どう考えても前者は食う方法がないと判断し、後者さいとうプロへ入社。 ここに居たのは��ったの半年に過ぎないけれど今思えばこれだけで本が一冊描ける位の濃い半年だった。しかしこのあと2X年分も書かねばならないことを思えば今回はいくつかのエピソードを書くだけに留めよう。 ダー松が入った時は小池一夫氏[クビ?]、神田たけ志氏や神江里見氏、きしもとのり氏[現・松文館社長]等と入れ替わりの時で、きし氏の女遊びの凄さと神江氏の絵のうまさは伝説になっていた。現在「亀有」「ゴルゴ」が歴代単行本の巻数の多いベスト1、2位だが[ともに100巻を越えた]、3位は神江氏の「弐十手物語」[70巻以上]だという事は知ってる人は少ないだろう。 当時の制作部は、さいとうたかを[以下ゴリ]をトップに石川班[ゴルゴ13、影狩り]、甲良班[バロム1]、竹本班[シュガー、どぶ等]の3つに分かれ、それぞれのキャップにサブ・チーフが一人づついて、ヒラが2~6人いるというシステムで総16名。独立し現在も活躍中の叶精作、小山ゆう、やまさき拓味の3名がそれぞれの班のサブ・チーフ。ダー松は石川班で左右1メートル以内に叶氏とゴリにはさまれ、のんびり出来ない状態で、はなはだ窮屈。叶氏はほとんどマンガ家になりたいとも思った事のなかった人で、設計事務所みたいなところで図面を引いていた人がなぜマンガプロダクションに来たのか不思議だった。格別マンガ好きというわけでもなかったせいか現在まで全ての作品が原作もので、オリジナルは一本もないのはそのせい?祭りなどの人がうじゃうじゃ出てくる群集場面が得意。 やまさき氏は大の競馬好き、現在競馬マンガを多く描くのは当時からの趣味が生きたというべきか。もう一つの趣味である風俗についてはここでは書くのは差し控えよう。小山氏は後日ここの事務の女性と結婚するが、当時はつき合っているとは誰も知らず、スタッフの一人がやめる時その女性に交際を申し込んだら、茶店に呼び出されて小山氏からと凄まれたと聞いたが嘘か本当かは不明。 ここでの生活は新入り[ダー松を含めて3名]は朝の9時前に会社に行き、タイムカードを押し、前日のごみをひとまとめして外に出し、トイレ掃除をして、16人分のお茶を2Fで入れて制作部のある3Fへの狭い階段をふらふら昇り、机ごとに置いて歩き、終れば、一息つ��て買っておいたパンと牛乳を3分で食べて、やっとそれから仕事。しかし新入りの3名の内1人折茂は常に遅刻なのでいつも佐藤と2人でやっていた。佐藤も遅れる時はダー松1人で。辞めてから10年位、16人分のお茶を持って階段をふらふら歩きお盆をひっくり返す夢をよく見たものだが、実際ひっくり返したのは折茂と佐藤の2人で、よく茶碗を割っていた。 たまには夕方6時には帰れるが、普通は夜10時までで、アパートに帰って銭湯に行けばもう明日にそなえて寝る時刻、このくり返しの日々。週1日は徹夜で明け方に帰り、その時は当日の昼12時出勤。休日は日曜日のみで忙しい時はそれも取り消し。つまり休みは月3日。[これで給料2万円!]そんな日々の繰り返し。 夕方までは皆和気あいあいと仕事していたが、ゴリが夕方6時頃に「おはようさん」と現れると、全員無駄口がたたけなくなり、仕事場はシーンと静まり返り、以下その日が終わるまでは疲れる時間がただひたすら流れるのみ。 当時石川班は「ゴルゴ13」と「影狩り」を描いていたがゴリは主人公の顔と擬音のみ。マジックで最後に入れる擬音はさすがに入れる位置がうまいと感心。ゴルゴの顔はアルバムに大小取り混ぜてコピーがとってあり、忙しい時は叶氏がピンセットで身体に合わせて「これが合うかな~」といった感じで貼り付けていた。 その頃すでに「ゴルゴ」は近々終わると噂されていたが、現在もまだ続いているとは感嘆ものだ。 ゴリと石川氏が「ゴルゴ」の最終回の終わり方を話しているのを聞いたら、何ともつまらない終わり方。しかしあれから20年以上も経つ事だし、きっともっといい終わり方を考えてあるだろうなと思っていたら、先日TVで本人が最初から考えてある終わり方だと言うのを聞き、がっくり。企業秘密だろうから書かないが、作品の最初の方に伏線が数度出ているのでわかる人にはすぐわかる筈。 辞めた小池一夫氏とさいとうプロに何があったかは知らないが、漏れ聞く話では結構もめ事があったみたいだ。 「子連れ狼」で「ゴルゴ13」と同じ設定の回があった時、「小池のガキャー訴えたるー!」とゴリが吠えていたものだが、結局たち消え。さいとうプロ作品で脚本を書いた本人が辞めた後、他の作品で同趣向の作品を書いても著作権は脚本を書いた原作者のものだと思うがどんなものだろう。その回のタイトルは忘れたが、ある場所に居合わせた人々が武器を持った集団の人質となり、その中に素人だと思われていた主人公、実は殺しのプロフェッショナルがいて、次々とその集団を殺していく、といったプロットで、ミッキー��スピレーンの短編に同じような作品があり、本当に訴えていたら恥をかいたと思うが・・・。 そういえば事務の方には山本又一郎という男がいたが、後年映画プロデューサーとして 「ベル薔薇」や「太陽を盗んだ男」等を創る事になるが、この野郎が生意気な男で当時皆に対して10歳は年上、といった感じの振る舞いだったが後日俺と一つしか年が離れてなかった事を知り、そんな若造だったとは、と皆怒ったものだ。以来奴の事を「マタさん」から「クソマタ」と呼ぶようになる。 さて半年後に先輩たちが積もり積もった不満を爆発させる反乱事件が勃発し、2年は居るつもりでいたここでの生活も、辞めるか残るかの選択を迫られる。残ればさいとうプロの現体制を認める事となるので、ダー松も退社。 しかし反乱グループとは別行動をとって一人だけの肉体労働のアルバイター生活へ突入。超ヘビーな労働の製氷工場、人使いの荒い印刷所、命綱もない高所の足場で働く建設現場等々。トラックの助手をしていた時は運ちゃんが「本宮ひろしって知ってるか?うちの息子の友達でさぁ、昔、おっちゃんメシ食わしてくれーなんて言ってきたもんだが、今は偉くなっちゃってさー、自分のビル建てたらしいよ。赤木圭一郎みたいにいい男なんだ。」とうれしそうに話してくれたが、運ちゃんには悪いがそいつは今も昔も一番嫌いなマンガ家なんだ。あの権力志向はどうにかならんか。天下を取る話ばかりだもんなぁ。 ところで後日、単行本の解説で高取英が「さいとうたかをのヤローぶっ殺してやる!」とダー松が言ったなどと書いているが、小生はそんな危ない事言った覚えはないのでここできっちり訂正しておきます。 「会社に火ィつけてやる!」位は言ったかも・・・[嘘] 。 悪口は言っても別に怨みなど無い。ところでアシスタントとしてのダー松は無遅刻、無欠勤以外は無能なアシだったと反省しきり。理想的なアシスタントとはどんなものか、それはまた別の機会に。 *入社試験はどんな事を? *さいとうプロには当時ほとんどろくな資料は無かった? *ハイジャックの回の飛行機内部の絵は、映画「大空港」を社内カメラマンが映画館で写してきたものをもとに描く。 *当時のトーンは印刷が裏面にしてあり上からカッターでけずったり出来ない。 *トーンの種類は網トーンが数種、それ以外はほんの3、4種類位しかなかった。 *仕事中のB.G.M.はアシの一人が加山雄三ばかりかけるので大ひんしゅく。好評だったのは広沢虎造の浪曲「次郎長三国志」、初代桂春団次の落語。眠気もふっとぶ位笑えた。 ダ-松が岡林信康の「見る前に跳べ」をかけてるとゴリは「何じゃー!この歌は!」と怒る。名曲「私たちの望むものは」はこの男には理解不能。 ●1 9 7 1 ~ 1 9 7 4 持 ち 込 み & 実 話 雑 誌 時 代 当時は青年劇画誌全盛時代で、もともと望月三起也氏や園田光慶氏のファンで活劇志向が強く、 主にアクションもののマンガを描いて持ち込みに行っていた。今のようにマンガ雑誌が溢れかえって、山のようにマンガ出版社がある時代ではなく、数社廻るともう行くところがない、という状態で大手では「ビッグコミック」があっただけで 「モーニング」も「スピリッツ」も「ヤン・ジャン」も当然まだない。テーマを盛り込んだ作品を持って行くと編集から「君ィ、うちは商売でやっているんだからねぇ」と言われ、アクションに徹した作品を持って行くと「君ぃ、ただおもしろいだけじゃあねぇ」と言われ 「おい、おっさん!どっちなんだ?」とむかつく事多し。この辺の事は山のように書く事があるが、有りすぎるのでパス。 *そのうち書く事にする。 ただ金属バットで頭をカチ割って脳みそをぶちまけてやりたいような奴が何人もいたのは事実。今年[’97]「モーニング」に持ち込みに行って、断られた奴が何万回もいやがらせの電話をかけて逮捕された事件があったが、そのうちトカレフを持って殴り込みに行く奴が出てくるとおもしろい。���版社も武装して大銃撃戦だぁ!などと馬鹿な事書いてどうする!とにかく持ち込みにはいい思い出が何もない。そんな中、数本だけ載った作品は渡哲也の映画「無頼」シリーズの人斬り五郎みたいな主人公がドスで斬り合う現代やくざもの[この頃の渡哲也は最高!]、ドン・シーゲルの「殺人者たち」みたいな二人組の殺し屋を主人公にした『汚れたジャングル』、陽水の「傘がない」が好きだという編集さんの出したテーマで車泥棒とブラックパンサーの闘士とのロード・ムービー風『グッバイ・ブラザー』、拳銃セールスマンを主人公にした『ザ・セールスマン』、等々10本ちょい位。 さてその頃並行してまだエロマンガ専門誌といえるようなものがなかったような時代で、実話雑誌という写真と記事ページからなる雑誌に4~10ページ位を雑誌の味付けとして描かせてもらう。当時、お手本になるようなエロマンガなど皆無で、エロ写真雑誌を古本屋で買ってきてからみのポーズを模写。マンガで裸を描く事はほとんど初めてで、これがなかなか難しいのだがエロシーンを描くのは結構楽しい。当時出版社に原稿持って行き帰りにグラフ誌をどっともらって帰るのが楽しみだった。SM雑誌の写真ページも参考になる。なお当時のペンネームは編集部が適当につけた池田達彦、上高地源太[この名前はいけてます。また使いたい]等。その数年後、逆にマンガが主で記事が味付けというエロマンガ誌が続々と創刊される。 *さいとうプロをやめたあと編集や知人に頼まれて数人のマンガ家の所へ手伝いに行く。秋田書店「漫画ホット」で『ジェノサイド』を連載中の峰岸とおる氏の所へ行き、仕事が終わったあとまだ売れてない頃の榊まさる氏も交え酒を飲む/川崎のぼる大先生のところへ数日だけ/3000円たこ部屋/小山ゆうオリオンププロ *当時のアルバイトは記憶によると時給150~200円位/大日本印刷市ヶ谷駐屯地/坂/ *一食100円/どんなに貧しい漫画家もみかん箱の上で書くやつはいない/TV萩原サムデイ *ろくでなし編集者 ●1 9 7 5 ~ エ ロ マ ン ガ 誌 時 代 に 突 入 実話誌は意外とエロは抑え目で描くように口すっぱく言われていたのだが、以前活劇っぽい作品を描かせてもらってたが潰れてしまった出版社にいた児島さんが編集する「漫画ダイナマイト」で打合せも何にもなしに好きに描かせてもらい、ここでエロマンガ家としての才能[?]が開花する。描いてて実に楽しく眠る時間がもったいない位で、人に睡眠時間が必要な事を恨んだ程。出来る事なら一日中休まず描いていたい気分で完全にはまってしまう。 初の連載作品「屠殺人シリーズ」はこの頃から/『漫画ポポ』。中島史雄氏は大学時代にこの作品を見ていたとの事で、トレンチコートにドクター・ペッパー模様のサイレンサーつきマグナム銃で遊戯人・竜崎一也が犯しまくり殺しまくり、サディスト、マゾヒスト、殺人狂、まともな奴が一人も出てこない性と暴力の祭典。ちなみにタイトルページは描かないでいい、との事でどうするのかと思っていたら編集部が中のワンカットを拡大してタイトルページを創り、1ページぶんの原稿料をけちるというせこいやり方だった。けちるといえば、原稿の1/3にCMを入れる際、原稿料を1/3削った会社もあり。 ●1 9 7 6 ~ 後に発禁仲間となる高取英と出逢い、『長編コミック劇場』で「ウルフガイ」みたいのをやろうと、怒りに震えると黒豹に変身してしまう異常体質の主人公を設定し、獣姦のイメージで「性猟鬼」なるエロマンガをスタート!しかしその号で雑誌が潰れる。この路線は今でもいけそうな気がするがどんなものだろう。 この頃の珍品に「快楽痴態公園」がある。タイガースに11-0とワンサイドで打ちまくられ、怒ったジャイアンツファンのおっさんが公園でデート中の女をずこずこに犯りまくり、その間にジャイアンツは9回裏に12-11とゲームをひっくり返してしまうのである!その時のジャイアンツの監督はもちろんミスター長嶋、先発堀内、打者は柴田、土井、高田、王、張本等々がいる。タイガース監督は吉田、ピッチャー江本、キャッチャーフライを落球する田淵、そしてあの川藤もいる。解説は牧野…… ●1 9 7 7 ~ 上記2作品を含む初の単行本「肉の奴隷人形」が久保書店より発行。後にリングスの会場で逢った佐竹雅昭氏はこの本が一番好きとの事だった。 「闇の淫虐師」もこの年スタート。一話完結でバレリーナ、バトンガール等々、毎回いろんな女たちをダッチワイフのごとくいたぶりまくるフェチマンガとして1979年まで続け、単行本は「堕天使女王」「裂かれた花嫁」「エロスの狂宴」「陶酔への誘い」「終りなき闇の宴」の全5巻。ちなみに今年「闇の淫虐師’97」を『コミック・ピクシィ』にて発表。いつか『闇の淫虐師・ベスト選集』でも出したいところ。 [’98に実現、’99には続刊が出る] ●1 9 7 8 ~ 久保書店より第2弾の単行本「狂った微惑人形」。収録作品の「犯された白鳥」は持ち込み時代に描いた初のバレリーナもの。結構気に入っていた作品なのに、後年再録の際、印刷所の掃除のおばさんが捨ててしまい、この世にもはや存在しない不幸な子となる。[’99に宝島スピード・ブックに本より直接スキャンして収録] エロ、グロ、ナンセンスの会心作「恍惚下着専科」を発表。サン出版より同名の単行本発行。また同出版より「コミック・ペット/堕天使画集」として今までの作品を続々単行本化。全10巻位。これは今でも古本屋で流通しているとの事で、まだまだ世間様のお役にたっているらしい。 この年、「堕天使たちの狂宴」を描いていた『漫画エロジェニカ』が発禁処分、来年でもう20年目となる事だし、当時の人たちと集まってその大放談を収録し「発禁20周年特集号」でも創ってみようかと計画中。さて当時の秘話としてもう時効だろうから書いてみるけど、前述の『堕天使画集』に「堕天使たちの狂宴」は収録される事となり、当然修正をガンガン入れて出版されるものと覚悟していたら、米国から帰国後出来上がった本を見ると発禁になった状態のまま再録されている!以下桜木編集長との会話 ダ/いや~、いい度胸してますね。 編/だって修正してあるじゃない。 ダ/その修正状態で発禁になったんですよ 編/・・・・・ ダ/・・・・ 以下どんな会話が続いたのか失念…… それにしてもサドの「悪徳の栄え」の翻訳本は発禁後20年以上して復刻されたけれど、「堕天使たちの狂宴」は半年もしない内に単行本になっていたとはエロ本業界とは何といいかげんな世界!しかし作品そのものは、今見るとリメイクする気にもならないどうという事もない可愛い作品で、結局あれもあの時代の姑息な政治のひとかけらに過ぎなかったのだろう。いい点があるとしたら一つだけ、それまでのエロマンガになかった瞳パッチリの少女マンガ的ヒロインを登場させた事位か。今の美少女エロマンガは本家の少女マンガもかくや!という位眼が大きいが当時としては画期的だったかも。 ●1 9 7 9 ~ この年の「淫花蝶の舞踏」は「堕天使たちの狂宴」よりずっといい/『漫画ソフト』。今年出た「別冊宝島/日本一のマンガを探せ!」でベスト2000のマンガがセレクトされているが、ダー松の作品の中ではこの作品が選ばれている。教師と生徒、二人の女たちが様々な男たちの手によってに次々ともてあそばれ、闇の世界を転々として再び巡り会う時、女たちは蝶と化し水平線の彼方に飛び去り、男たちは殺し合い血の海の中で屍と化す。ダー松作品にはこのように男根が女陰の海に飲み込まれてに負けるパターンが多い。[性狩人、遊戯の森の妖精、美少女たちの宴、人魚のたわむれ・・等々] この年からスタートの「性狩人たち」シリーズ[劇画悦楽号]はバレエ、バイオレンス、SEXの三要素がうまくからみあい、それぞれが頂点まで達する幸福な神話的作品だ。ここから派生した路線も多く、美少年路線は’83の「聖少女黙示録」へ。身体障害者路線は’80の「遊戯の森の妖精」、’84からの「美姉妹肉煉獄」へと繋がる。’81の最終話「ハルマゲドンの戦い」ではせりふなしで24ページ全てが大殺戮シーンという回もあり、中でも一度やりたかった見開きで銃撃戦の擬音のみという事も実現。こんな事がエロマンガ誌で許される時代だった。ちなみにこの回は[OKコラルの決闘・100周年記念]だが、何の意味もない。単行本は最初サン出版より、その後久保書店より「白鳥の飛翔」「少女飼育篇」「ヘラクレスを撃て!」「眼球愛」「海の女神」の全5刊。現在入手出来るのは後の3刊のみ。[「海の女神」も最近在庫切れ] この年出た「人魚のたわむれ」の表題作は性器に{たこ}を挿入するカットを見た編集長が「・・・[沈黙]・・・頭おかしいん��ゃ・・ブツブツ・・気違い・・・ブツブツ・・・」と呆れてつぶやいていたのを記憶している。たこソーニューは今年出た「夜顔武闘伝」で久しぶりに再現。なおこの作品は’83にマンガと実写を噛み合せたビデオの珍品となる。水中スローモーションファックがなかなかよい。 ●1 9 8 0 ~ なぜか「JUNE」の増刊として作品集「美少女たちの宴」がサン出版より出版され、その短編集をもとに脚本化し日活で映画が創られる事となる。[「花の応援団」を当てたこの映画の企画者・成田氏は日活退社後「桜の園」等を創る。]その際、初めて映画撮影所を見学し、せこいセットがスクリーン上ではきちんとした絵になってるのを見て映画のマジックに感心。タイトルはなぜか「性狩人」で、’96にビデオ化された。監督・池田敏春のデビュー第2作となり現在までコンスタントに作品を発表しているが、出来のいい作品も多いのになぜか代表作がない。初期の「人魚伝説」が一番いいか。 この映画に合わせて「美少女たちの宴」を2~3回のつもりで「漫画ラブラブ」で描き出すがどんどん話がふくらみ、おまけに描いてる出版社が潰れたり、雑誌が潰れたりで雑誌を転々とし条例による警告の嵐がきた「漫画大飯店」を経て、「漫画ハンター」誌上で完結したのは’83になる。この作品でクリトリスを手術してペニスのように巨大化させるという人体改造ものを初めて描く。 この年の「遊戯の森の妖精」は身体障害者いじめ鬼畜路線の第2弾!森の中の別荘に乱入したろくでなしの二人組が精薄の少女の両親達を虐殺し、暴行の限りをつくすむちゃくちゃな作品で、雷鳴の中、少女の性器に男達のペニスが2本同時に挿入されるシーンは圧巻!しかしこのとんでもない男達も少女の性のエネルギーに飲み込まれ、朽ち果てていく・・・。 ●1 9 8 1 ~ 美少女マンガ誌のはしり「レモン・ピープル」誌創刊。そこで描いたのが「白鳥の湖」。虚構の世界のヒロインを犯すというコンセプトは、アニメやゲームのヒロインをずこずこにするという今の同人誌のコンセプトと同じかも。バレエ「白鳥の湖」において悪魔に捕われたオデット姫が白鳥の姿に変えられる前に何にもされてない筈がないというモチーフにより生まれたこの作品は、悪魔に男根を植えつけられたヒロインが命じられるままに次々と妖精を犯して歩き悪魔の娘となるまでを描くが、あまり成功したとは言えない。ただ人形サイズの妖精をしゃぶりまくり淫核で犯すアイデアは他に「少女破壊幻想」で一回やっただけなのでそろそろもう一度やってみたいところ。「ダーティ松本の白雪姫」はその逆をいき、犯す方を小さくした作品で7人の小人が白雪姫の性器の中にはいり、しゃぶったり、処女膜を食べたり、と乱暴狼藉![ちなみに���者をでかくしたのが同人誌「FUCK YOU!3」の「ゴジラVSジュピター」]この童話シリーズは意外と好評で続いて「ダーティ松本の赤い靴」を上記の単行本に描き下ろして収録。童話は結構残酷なものが多く、この作品も切られた足だけが荒野を踊りながら去って行くラストは原作通り。 *近年童話ブームだがこの頃もっと描いておけば「こんなに危ない童話」として刊行出来たのにとくやまれる。 「2001年快楽の旅」もこの本に収録。快楽マシーンを逆にレイプしてしまう、珍しく映画「2001年宇宙の旅」風のSF作品。 掲載誌を決めずに出来る限り多くのマンガ誌で描こうというコンセプトで始めたのがこの年スタートした「怪人サドラン博士」シリーズ。「不死蝶」シリーズや「美少女たちの宴」シリーズの中にも乱入し、「漫画ハンター」最終号では地球をぶっ壊して[その際地球は絶頂の喘ぎ声をあげ昇天する!]他の惑星へ行ってしまう。今のところ10誌位に登場。いつかこのサドラン・シリーズだけ集めて単行本化したいところ。ちなみに「サド」と「乱歩」を足して「サドラン博士」と命名。作者の分身と言っていい。 [後年、「魔界の怪人」として全作品を収録して刊行、04年現在品切れ中] この年描いて’82の単行本『妖精たちの宴』に収録の「とけていく・・」はレズの女たちが愛戯の果てに、肉体が溶けて一匹の軟体動物と化す、タイトルも内容も奇妙な作品。作者の頭もとけていた? ●1 9 8 2 ~ 1 9 8 3 ’83年に「美少女たちの宴」が完結。全てが無に帰すラストのページは真っ白のままで、このページの原稿料はいりません、と言ったにもかかわらず払ってくれた久保書店、偉い![明文社やCM頁の稿料を削った出版社=某少年画報社なら払わなかっただろうな……と思われる……]この作品以外は短編が多く、加速度をつけてのっていく描き方が得意のダー松としてはのりの悪い時期に突入。また10年近く走ってきてだれてきた頃でもあり第一次落ち込み期と言っていい。マンガがスタンプを押すように描けないものか、などとふとどきな考えまで湧いてくる。思えば一本の作品には、いったい何本の線を引いて出来上がっているものなのか。数えた馬鹿はいないだろうが数千本は引いている筈。一ヵ月に何万本とペンで線を引く日々・・うんざりする筈です。 この頃のめぼしい短編をいくつか書くと、少女マンガ家の家に税務調査にきた税務署員が過小申告をネタにねちねちいたぶるが、アシスタントに発見された署員は撲殺される。そして板橋税務署は焼き討ちにあう、といった作品「[タイトル失念]xx税務調査」。[後日読者よりこのタイトルを「色欲ダニ野郎」と教えていただく。ひどいタイトル *編集者のつけるタイトルはその人のセンスが実によくわかる。しかしサイテ-の題だなこりゃ…。 果てるまで「おまんこして!」と言わせながら処女をやりまくる「美処女/犯す!」はラスト、狂った少女が歩行者天国の通行人を撃ちまくり血の海にする。「嬲る!」はパンチドランカーとなった矢吹ジョーが白木葉子をサンドバッグに縛りつけ、殴って、殴って、殴りまくる。段平おっちゃんの最後のセリフ「・・ブスブスくすぶっちゃいるが・・・」「打てッ!打つんだ!ジョー!」「お前はまだ燃えつきちゃいねえ!」とはエロ・ドランカーの自分自身に向けて発した言葉だったのかも。トビー・フーパーばりの「淫魔のはらわた」は電気ドリルでアナルを広げてのファック!とどめにチェーンソーで尻を切断!いまだに単行本に収録出来ず。[’98の「絶頂伝説」にやっと収録]「からみあい」は夫の愛人の性器を噛みちぎる。「危険な関係」はアルコール浣腸をして火をつけ尻から火を吹かせる。この手は『FUCK YOU!2』の「セーラー・ハルマゲドン」で復元。そういえばこの作品の序章と終章だけ描いて、間の100章位をとばすやりかたはこの頃の「禁断の性獣」より。女性器にとりつき、男性器に変身するエイリアンの侵略により地球は女性器を失い滅亡する、といったストーリーで当時聞いた話では谷山浩子のD.J.でこの作品がリスナーの投書でとりあげられ、ダー松の名はダーティ・杉本と読まれたそうな。ヒロインの少女がひろ子という名前なのでこのハガキが選ばれたのかもしれないが、作者は薬師丸ひろ子からとったつもりだったのだが・・。[別にファンではない。] 「女教師狩り」は映画館で観客に犯される女教師とスクリーン上の同名のエロ映画の二本が同時進行し、一本で二本分楽しめるお得な作品。 ’83は’80に「漫画エロス」にて描いた「エロスの乱反射」の最終回の原稿が紛失したため単行本が出せないでいたのを、またまた「仏の久保さん」に頼んでラスト近くをふくらませて「漫画ハンター」に3回程描かせてもらい、やっと’85に出版。見られる事に快感を覚えるファッション・モデルが調教される内に、次第に露出狂となっていき、街中で突然裸になって交通事故を起こさせたり、最後はビルの屋上でストリップショー。そしてカメラのフラッシュの中に飛び降りていき、ラスト1ページはその性器のアップでエンド! 本格美少年・ゲイ・マンガ「聖少女黙示録」も’83。レズの姉たちの手によって女装に目覚めた少年がホモのダンサーたちに縛られなぶられ初のポコチンこすり合いの射精シーン。そして性転換して女となった主いるが、その中の’84の「白い肌の湖」はタイトルで解る通りのバレリーナものだがポコチンを焼かれた男が、一緒に暮ら人公が手術で男になった少女と暮らすハッピー���ンド。この作品は単行本「美少女ハンター」に収録されてす二人の女と一人の男に復讐するエンディングがすごい!まず男の性器を切り取り、片方の女の性器にねじ込んだあと、その女の性器ごとえぐり取る。そしてその二つの性器をつかんだまま、もう一人の女の性器にフィストファック!のあげく、その二つの性器を入れたままの女性器をナイフでまた切って、ほとんどビックマック状態でまだヒクヒクうごめく血まみれの三つの性器を握りしめるとんでもない終り方!全くダー松はこんな事ばかりやっていたのかとあきれかえる。もう鬼畜としか言い様がない!しかし「ウィンナー」を二枚の「ハム」で包むなんて・・GOODなアイデアだ、又やってみよう。 ●1 9 8 4 ~ 「漫画ハンター」で「闇の宴」前後篇を描き、後日これをビデオ化。雪に包まれた六本木のスタジオで痔に苦しみながらの撮影。特別出演として中島史雄氏が絶妙の指使い、東デの学生時代の萩原一至が二役、取材に来たJITAN氏もスタジオに入ってきた瞬間、即出演で生玉子1000個の海で大乱交。カメラマンが凝り性で照明が気に入るまでカメラを廻さず、たった二日の撮影はやりたい事の半分も出来ず。撮影が終ると痔はすぐに完治。どうもプレッシャーからくる神経性だったみたいでこれに懲りてビデオは一本のみ。 この年の「肉の漂流」は親子丼もので、近所の書店のオヤジからこの本はよく売れたと聞いたが、一時よく描いたこのパターンは最近では「FUCK YOU!3」の「母娘シャワー」のみ。熟女と少女の両方が描けるところが利点。「血の舞踏」は久しぶりの吸血鬼もの。股間を針で刺し、噛んで血を吸うシーン等々いい場面はあるが、うまくストーリーが転がらず3回で止める。短編「果てるまで・・」は核戦争後のシェルターの中で、父が娘とタイトル通り果てるまでやりまくる話。被爆していた父が死んだ後、娘はSEXの相手を捜して黒い雨の中をさまよう。 またリサ・ライオンの写真集を見て筋肉美に目覚め、マッチョ女ものをこの頃から描き出す。しかしなかなか筋肉をエロティックに描くのは難しい。 ●1 9 8 5 ~ くたびれ果ててすっかりダレてきたこの頃、8年間働いてくれたアシスタント女史に代わってパワーのかたまり萩原一至、鶴田洋久等が東京デザイナー学院卒業後加わってダーティ・マーケットも第2期に突入!新旧取り混ぜておもしろいマンガをいろいろ教えて貰って読みまくる。「バリバリ伝説」「ビーバップハイスクール」「ペリカンロード」「めぞん一刻」「わたしは真悟」「Be Free!」「緑山高校」「日出処の天子」「吉祥天女」「純情クレイジー・フルーツ」「アクター」「北斗の拳」「炎の転��生」「アイドルをさがせ」「綿の国星」「いつもポケットにショパン」「バツ&テリー」「六三四の剣」永井豪の絶頂期の作品「バイオレンス・ジャック」「凄之王」「デビルマン」等々100冊以上とても書ききれない位で、う~ん・・マンガってこんなにおもしろかったのか、と感動! そこで眠狂四郎を学園にほうり込んで、今まであまり描かなかった学園マンガをエロマンガに、というコンセプトで始めたのが「斬姦狂死郎」。「六三四の剣」ばりに単行本20巻を目指すものの、少年マンガのノリは今では当たり前だが、当時はまだエロマンガとして評価されず、ほんの少し時代が早すぎたかも。’86に中断、今年’97に「ホリディ・コミック」にて復活!果たしていつまで続けられるか? →後に「斬姦狂死郎・制服狩り」、「斬姦狂死郎・美教師狩り」として刊行完結 前年末から始めた「美姉妹肉煉獄」は身障者いじめの鬼畜路線。盲目の姉とその妹を調教して性風俗店等で働かせ、娼婦に堕していく不健全・不道徳な作品で、肉の快楽にひたっていく盲目の姉に対し妹も「春琴抄」の如く己の眼を突き、自らも暗黒の快楽の世界にはいり、快楽の光に目覚めるラスト。 また、これからは女王様物だ!となぜか突然ひらめき「筋肉女」シリーズの延長としてフィットネス・スタジオを舞台に「メタル・クイーン」シリーズも開始。これは単行本2冊分描いたが、連載途中でヒロインの髪型を歌手ステファニーのヘア・スタイルにチェンジしたり、レオタードもたっぷり描けてわりと気に入っている。 10年近く描いた「美蝶」先生シリーズもこの年スタート!こうしてみるとマンガを描く喜びに満ちた大充実の年だったかも。 ●1 9 8 6 ~ この年は前年からの連載ものがほとんどだが、「エレクト・ボーイ」は空中でファックするシーンが描いてみたくて始めた初の超能力エロマンガ。コメディ的要素がうまくいかず2回で止める。この路線は翌年の「堕天使輪舞」で開花。 「夜の彷徨人」は自分の育てた新体操選手が怪我で選手生命を失ったため、その女を馬肉のごとく娼婦として夜の世界に売り渡した主人公という設定。しかし腕を折られ、女にも逆に捨てられ、そして事故によってその女を失ったあげく不能となってしまう。失った快楽を取り戻すため無くした片腕にバイブレーターを取りつけ、夜の街をさすらい次々と女たちをレイプしていくというストーリー。がっちり設定したキャラだったのにまったく話がはずまず、男のポコチンは勃起しないままに作品も不発のまま終る。 「斬姦狂死郎」が不本意のまま終わったため学園エロス・シリーズは「放課後の媚娼女」へと引き継がれる。当時見ていた南野陽子のTV「スケバン刑事・」とS・レオーネの「ウエスタン」風に料理。ラストの「男といっしょじゃ歩��ないんだ」のセリフは一番好きな映画、鈴木清順の「東京流れ者」からのもじり。単行本は最初司書房から出て、数年後ミリオン出版から再販、そして’97久保書店より再々販ながら結構売れて今年また再版。この作品は親を助けてくれる有難い孝行息子といったところ。 ●1 9 8 7 ~ さいとうプロOBで那珂川尚という名のマンガ家だった友人の津田が「漫画ダイナマイト」の編集者になっていて、実に久しぶりに同誌で「堕天使輪舞」を描く。超能力エロマンガの第2弾。今回はエロと超能力合戦とがうまくミックスされ一応成功といっていい。この路線は「エレクト・ボーイ」とこの作品、そして’96の「夜顔武闘伝」も含めてもいいかも。一時、この手の作品は数多くあったが最近はめったに見かけない。しかし、まだまだこの路線には鉱脈が眠っているとにらんでいるがどんなものだろう。 ●1 9 8 8 ~ 「放課後の媚娼女」に続いて抜かずの凶一無頼控え「放課後の熱い祭り」を2年がかりで描く。’89に完結し司書房より単行本化。そして今年’97に改定してめでたく完全版として復刊!この頃が一番劇画っぽい絵で、たった2~3人のスタッフでよくこれだけ描き込めたなと改めて感心!エロシーンがちょっと少なめながら中島史雄氏がダー松作品でこの作品が一番好き、とお褒めの言葉を頂戴する。 TVで三流アマゾネス映画を見ている内、むくむくとイメージがふくらみ、昔から描きたかった西部劇と時代劇がこれで描けると、この年スタートさせたのが「不死蝶伝説」なるアマゾネス路線。昔々青年誌の創世期にあのケン月影氏がマカロニ・ウエスタンを描いていたことを知る人は少ないだろう。俺もあの頃デビューしていたらウエスタンが描けたのに、と思う事もあったが、このシリーズでほんの少しだけその願望がかなう。 この頃、アシスタントやってくれてた格闘技マニアの鶴田洋久に誘われ、近所の空手道場通いの日々。若い頃修行のため新宿でやくざに喧嘩を売って歩いたという寺内師範は、もう鬼のような人で、行けば地獄が待っていると判っててなぜ行く?と不思議な位休まず通う。体育会系はマゾの世界と知る。組手は寸止めではなく顔面以外は当てて可だったので身体中打撲のあざだらけ、ビデオで研究したという鶴田の体重をかけたムエタイ式の蹴りをくらい、右手が饅頭のように腫れ上がる。先輩たちの組手の試合も蹴りがもろにはいってあばら骨が折れたりで、なぜこんなヘビーな事をする?と思うが、闘う事によって身体の奥から何か沸き上がってくるものがある。スリランカの元コマンドと組手をやった時、格闘家の気持ちが少しだけ判るようになった。 ●1 9 8 9 ~ ’94まで続く「美蝶」シリーズでこの年は『ノスフェラトウ篇』を描き、シリーズ中これが一番のお気に入り。同人誌の「王夢」はこれが原点。 短編では「悪夢の中へ」はスプラッ��・エロマンガで久しぶりにチェーンソゥでお尻のぶった切り!はらわた引きずり出し、人肉食いちぎり!顔面叩き割り等々でラストに「ホラービデオの規制をするバカは俺が許さん!」などと書いているので、この年が宮崎事件の年か?世間は彼が日野日出志・作のホラービデオ「ギニーピッグ」を見てあの犯罪をおかした、としてさんざんホラービデオの規制をやっといて、結局見てもいなかったとわかったあとは誰一人日野日出志氏にもホラービデオさんにも謝らす゛知らんぷり。残ったのは規制だけで、馬鹿のやる事には全く困ったもんである。先日の「酒鬼薔薇・14才」の時も犯罪おたくの心理学者が、「これはマンガやビデオの影響です。」などと相も変わらずたわけた寝言をぬかしていたが、���鹿はいつまでたっても馬鹿のまま。少しは進歩しろよ!お前だよ、お前!短絡的で幼稚な坊や、小田晋!よぅく首を洗っとけ!コラ! 「獣人たちの儀式」は退学者や少年院送りになつた生徒、暴走族、ヤクザ達が集まって酒盛りしながら女教師たちをずこずこにしてOB会をひらく不健全作品。編集長が「また危ない作品を・・・」とこぼしたものだが、岡野さん、田舎で元気にお過しでしょうか。この頃の「漫画エロス」には「ケンペーくん」だとか「アリスのお茶会」だとかおもしろい作品が載っていたものです。「爆走遊戯」は伝説のストーカー・ろくでなしマンガ家の早見純が一番好きな作品と言ってくれたが、なぜだかわからない。人の好みはいろいろです。以上3本は単行本「熱き唇の女神」に収録。 「ふしだらな女獣たち」はフェミニストの女二人が美少年をいじめる話。これは「氷の部屋の女」に収録。 ●1 9 9 0 ~ この年の「美蝶」シリーズは『ダンシング・クイーン篇』。マネキン工場跡でJ・ブラウンの「セックス・マシーン」にのせて5人プレイをするシーンや文化祭でのダンスシーン等々結構好きな場面多し。暗くて硬い作品が多いので、この「美蝶」シリーズは肩肘張らずに、かなり軽いノリでキャラクターの動きに任せて、ストーリーも、そして次のコマさえも先の事は何にも考えず、ほとんどアドリブで描いた時もある。 「不死蝶伝説」に続いてシリーズ第2弾「不死蝶」は2誌にまたがって2年位続ける。これも結構お気に入りの一遍。 ●1 9 9 1 ~ 1 9 9 3 「性狩人たち」の近未来版、といった感じの「夜戦士」は学園物が多くなったので、マグナム銃で脳天をぶっとばすようなものが又描きたくなって始めたミニシリーズ。全5話位。松文館より単行本「黒い夜と夢魔の闇」に収録。 この年から知り合いの編集者がレディス・コミックを始める人が多く、依頼されてどうしたものかと思ったが、エロなら何でもやってみよう精神と何か新しい世界が開けるかも、という事から’94位までやってみたものの結果的に不毛の時代に終わる。与えられた素材が体験告白物という事で、非現実的なものは描けないという事は得意技を封印して戦うようなもので苦戦を強いられ、これって内山亜紀氏がやまさき十三原作の人情話を描いたようなミス・マッチングで不発だったかな。今後、もしやることがあれば美少年SMのレディス・コミックのみ。そんな雑誌が出来れば、の話だが。 いくつかやったレディコミの編集の一人「アイリス」の鈴木さんは同じさいとうプロOBで、マンガ・アシスタント、マンガ家、マンガ誌の編集、そして今はマンガ学校の講師、とこれだけ多くのマンガに関わる仕事をしてきた人はあまりいないだろう。これでマンガ評論でもやれば全て制覇だが・・・。 この頃はいつもと同じ位の30~40本の作品を毎年描いていたが、レディコミは一本30~40枚とページが多く結構身体にガタがきた頃で、右手のひじが腱傷炎になり1年以上苦痛が続く。医者通いではさっぱり痛みがひかず、電気針で針灸治療を半年位続けてやっと完治。その後、住んでいたマンションの理事長を押しつけられ、マンション戦争の渦中に巻き込まれひどい目にあう。攻撃するのは楽だが、話をまとめるなどというのは社会生活不適格のダー松には大の苦手で「お前等!わがままばかり言うのはいいかげんにしろー!」と頭をカチ割りたくなるような事ばかりで、ひたすら我慢の日々で血圧がガンガン上がり、病院通いの日々。確実に寿命が5年は縮まる。あの時はマジで人に殺意を抱いたものだが、今でも金属バット持って押しかけて奴等の脳みそをクラッシュしたい気分になる時もある。いつかこの時の事をマンガにしようと思っていて、まだ誰も描いてない「マンション・マンガ」というジャンル、タイトルは「我が闘争」。え?誰も読みたくない? この間に出た単行本は「血を吸う夜」、「赤い月の化身」「熱き唇の女神」[以上・久保書店] /「牝猫の花園」「真夜中の人魚たち」[以上久保書店]、「美蝶/放課後篇」「美蝶/ダンシング・クイーン篇」「不死蝶/鋼鉄の女王篇・上巻」[以上ミリオン出版]。 ●1 9 9 4 ~ 1 9 9 5 ろくでもない事が続くのは厄払いをしなかったせいか、このままここにいたら頭がおかしくなる、と15年以上いたマンションから引っ越し。板橋から巣鴨へ移動し気分一新!以前からうちもやりましょうよ、と言われていた同人誌創りをそのうち、そのうちと伸ばしてきたものの遂に申し込んでしまい、創らざるをえなくなる。しかもそれが引っ越しの時期と重なってしまい大いに後悔する。しかしいろんな人にお願いして何とか一冊でっちあげ、ムシ風呂のような夏コミに初参加。これが運命の分岐点。レディコミもこの年で切り上げ、以下同人街道をまっしぐら。現在���で「FUCK OFF!」が9まで、「FUCK YOU!」が4まで計10+&冊創る。 ’95からダーティ松本の名前にも飽きてきたしJr,Sam名でも描き始める。 レディコミ時代は松本美蝶。あと2つ位違うペンネームも考案中。 この間の単行本「氷の部屋の女」「双子座の戯れ」[久保書店]、「黒い夜と夢魔の闇」[松文館]、「危険な女教師/美蝶」[ミリオン] ●1 9 9 6 ~ 美少女路線の絵柄もこの年の「夜顔武闘伝」あたりでほぼ完成、今後また少し変化させる予定。しかしこの作品は超能力、アマゾネス、忍法エロマンガとでも呼ぶべきか。「グラップラー刃牙」みたいに闘技場での勝ち抜き性武道合戦までいきたかったけれど、残念ながらたどり着けず。 「冬の堕天使」は久しぶりの吸血鬼もの。都営住宅で生活保護をうけている吸血鬼母子のイメージが浮かび、そこから漫画家協会・加藤芳郎を撃つ有害図書騒動のマンガへ。吸血鬼少年が光の世界との戦いに旅立つまでを描き、「闇に潜みし者」は時空を越えて近未来での戦い。その間を描く作品を今後創らなければ。 「FUCK CITY 2006」はクソ溜めと化した近未来のTOKYOを舞台に久しぶりにダーティ・バイオレンスが炸裂!ハード・エロ劇画と同人誌風・美少女路線の合体は果たしてうまくいったかどうか?30ページほど描き足して、’97、9月にフランス書院のコミック文庫にて発売。[「少女水中花」] 「放課後の媚娼女」と「人形愛」刊行。[いずれも久保書店刊]前者は以前、上下巻だったのを一冊にまとめて。後者は近作を集めた同人時代を経ての初単行本で、同人誌を知らなかった読者はショックを受ける。メタルフアンから以下のようなお手紙を受け取る。「これはジューダス・プリーストの『ターボ』だ。ラストの『眠れる森の少女』は『レックレス』にあたる。しかしジューダスもその後『ラム・イット・ダウン』や『ペイン・キラー』という傑作を世に出した事だし、今後を期待したい」という意のダー松のようなメタルファン以外は意味不明の激励をうける。 ●1 9 9 7 同人誌「エロス大百科シリーズ」スタート!いろんな項目別に年2刊づつ計100ページ位を別刊シリーズとして出し続ければ10年で1000ページになり、以前「谷岡ヤスジ1000ページ」という枕に最適の本があったが、これも一冊にまとめて枕にして寝れば、目覚める頃は3回夢精しているなんて事に・・・などとまだたった40ページの段階で言っても何の説得力もないか。飽きたら2~3号でSTOPするだろうし・・。[推測通り「毛剃り」「美少年SM」「女装」3号でストップ中]冬にはやおい系にも進出の予定。 今年出した単行本は厚くて濃いエロマンガを集めた久保書店MAXシリーズ第2弾!「放課後の熱い祭り/完全版」と「夜顔武闘伝」オーク���出版。ともに大幅描き足して25周年記念出版として刊行。ティーツー出版よりJr,Sam名で「昼下がりの少女」、9月にはフランス書院より「少女水中花」の文庫本が出る予定で現在、この同人誌と並行して描き足し中。「斬姦狂死郎」第2部も「ホリディ・COMIC」誌にて6月よりスタート!年内創刊予定の『腐肉クラブ』なる死体姦専門のマンガ誌にも執筆予定。 さてさて25年間、旅行の時を除いて、現在まで2日続けてマンガを描かなかった事はほとんどない。これはその昔、伊東元気氏というマンガ家とお会いしたとき「今月何ページ描いた?」との問いに、「今月仕事ないんでぜんぜん描いてません」と答えたら、「そんな事じゃ駄目だ。仕事があろうがなかろうが、毎月100頁は描かなきゃ。」と言われ、以後その教えを守り[描けるページ数は減ったが]、マンガは仕事ではなくなり、朝起きたら顔を洗うのと同じで生活そのものとなり現在に至る。 今は何でも描けそうなハイな状態で、以前はたまには外出しないと煮詰まってしまうので週いち位ガス抜きをしていたものだが、最近はせいぜい月いち休めば十分の「純エロマンガ体」。[純粋にエロマンガを描くためだけの肉体、の意。ダー松の造語] こうしてふり返ると、この路線はまだえぐり足りない、これはあと数回描くべし、なぜこれを一度しか描かない!等々、残り時間にやるべき事、やりたい事の何と多い事! 爆裂昇天のその日まで・・・ 燃 え よ ペ ン ! なお続きは 1997年後期 1998年 INDEX
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📛 155) フクースナ・イ・トーチカ。
山形県のとある道路で 由利徹さん似の警察官がネズミ取りを仕掛けている道路を 菅原文太さん似のトラック野郎 (一番星桃次郎) と、キンキン似の やもめのジョナサン似のトラックが駆け抜けるところから始まります、シリーズ第5弾な 東映映画 「トラック野郎 度胸一番星」 が上映されております。鈴木則文監督作品。曽地峠。お地蔵様に抱きついたり、自販機のカップ麺にがっついたりしていた桃次郎とジョナサンは 新潟青果市場でしごとを済ませたあと、町の食堂で 千葉真一さん似のジョーズなジョージと軽く揉め事を起こします。といった感じで 佐渡に 佐渡汽船カーフェリーをつかつて 両津港に降り立つたり、佐渡金山を スツと通り過ぎたり、ロックな八代亜紀さんや 割烹着姿の菅井きんさん、更には 大泉滉さんや宮口精二をも登場したりして ハチヤメチヤ感溢れ過ぎて まいつちんぐ京マチ子先生な この映画、食堂で 桃次郎が読んでいた本は 佐渡だけに 三島由紀夫さんの 「サド侯爵夫人」 でした。
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ケイ
四月の頭ごろに書いていて、だめになってしまったかなふみの草稿です。全体の分量の30%ぐらいです。 ここに埋葬させて下さい。
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ローファーに桃色がぴたぴたと貼り付いてうざったかった。太陽は明るくまっすぐな光を打ち下ろしていて、だからこそ私の心に強く固い影を落とす。やわらかな春のあたたかさが桜の枝から砂のように花びらを振り落としていて、私は顔の前で手を二、三回払った。 バス停に辿り着いて、谷崎潤一郎をスクールバッグから取り出した。好きな曲のイントロがスマートフォンから私の鼓膜にやってきて、やっと少しだけ呼吸ができる気持ちになる。数行も読み進めると、とん、と肩を叩かれた。私は気づかれないくらい薄く眉をひそめて、イヤホンを片方外して、相手の話すことを聞いているふりをする。 「速水さん、おはよう。今日は早いね」 (さみしいかみさま あたしのこといってんの) 「……そうね、たまたま起きられたの」 (さみしくなんかない さみしいとか考えない) 彼女と話す間、片耳から流れ続ける音楽にずっと意識を向けていた。彼女の反対側にもう一人クラスメイトがやってきて、会話とも言えない会話は一瞬で終わった。私はそのまま文庫本と歌だけの世界に戻る。なぜか少しだけ涙が滲んでいて、視界が膜がかかったように曇っていた。 私の目の前には膜か幕がいつもあって、私はそのこちら側にいた。あちら側には自由に生きる人たちがいて、私と彼らは永遠に交わることはない。早くかみさまが降りてきて、この世界が作り直されればいいのにと思った。 やがてバスがやってきて、私は文庫本を閉じて定期券を取り出した。くるくるとひっくり返して、そこからお金が引き出されてバスや電車の会社にお金が支払われていくのを想像し奇妙なことだと思った。そうやって私は学校に運ばれて、授業���終わると、今度はアイドルになるために事務所に運ばれる。手を取ってやたら熱心に私のことを褒めそやす男の顔を思い出して、ふ、と薄く笑い、一歩踏み出した。 シャッフルに設定されたスマートフォンが、こんどは幽霊について歌う。
* * *
「ケイ……もうちょっとだけ、待って下さい」 戸棚の缶から猫のためのごはんを取り出して、ケイ専用の茶碗にそれをもくもくと詰めた。少しも残さずにきちんと盛られたのを確認して、そっと地面に置く。ナアナアと鳴いて私に擦り寄っていた彼女が椀に頭を突っ込むのを見て、ほうと息をついた。そして、特徴的な低いエンジン音が換気のために少しだけ開けていた窓からしているのに気づいて「ああ」と低く悲鳴をあげた。時計を確認すると、果たして私が乗るはずのバスが出てしまった所だった。 私はいろいろなことを諦めて、わざとのろのろと支度をする。本棚から今日の友人に春琴抄を選ぶことにして、少しうれしくなった。なにせ今日は春らしいあたたかさだ。頭のなかで、たかだかとした鶯の声がする。 「いってきます……おとなしくしていてくださいね」 私はくろぐろとしたかたまりがナアとまた鳴くのに微笑みかけて外に出た。
いつもより十分以上遅いバスから大学に降りたつ。その瞬間春の風が文庫のスピンをふわ、と持ち上げて、私は愉快な気分になった。普段は文章と共に歩く道を、ゆっくりと顔を上げて歩く。風は心地よく木々を撫でて、落とされた桜の花びらはやさしく息づく赤ん坊の前に置かれたかのようにふわふわと地面で揺れていた。私はその赤ん坊と共に大きく息を吸い込む。 とん、と肩を叩く人がいた。 「おはよう、文香」 「……ああ……アヤさん。今日は、早いのですね」 「なにそれ、皮肉?」 もう一限は遅刻だって。あはは。二人で笑いあった。 「今日からあれか。レッスンだよね、アイドル」 「はい」 「いやあ、楽しみだねえ」 ふふ、とアヤさんは笑って、とんとんと肩を叩いた。 「文香がアイドルになるの、楽しみにしてるよ。頑張って」 「……はい、精一杯、努力します」 私の手を取って、興奮気味にアイドルについて話す、プロデューサーと名乗る男性の姿が頭に浮かんで、くすくす笑った。 「……とても、楽しみです」 「ん、あたしも!」 私はアヤさんと、期待でいっぱいの目を合わせた。春は、始まりの季節なのだと思った。
* * *
「や、すごいね、奏さんは」プロデューサーは目を輝かせて、私のことをなにか、かみさまのように見た。少なくとも、駆け出しのアイドルに向ける視線では無いと思った。 「ボイストレーナーさんが新人をあんなに褒めてるの、初めて見たよ」 「……私には、ただ無口なだけに見えたけど」 「何もしゃべらないってのがすごいんだよ」男はしゃべり続ける。「初回でそもそもレッスンらしきものが成立する時点ですごい。うちはスパルタで���名なんだ。何か経験がある人でも、まずめちゃくちゃに叩きのめされる。そうやってゼロからスタートさせるんだ」そして、急に不安になったかのように私を見た。「未経験って、ことだったけど。アイドルの経験があるわけじゃ……」 「ないわ、もちろん」私は半分だけうそをついて、彼の瞳を素直な高校生の目でじっと覗き込む。「そういうふうに見える?」 「ぜんぜん」男は笑っていった。 「そういう子はね、やっぱりわかるんだよ」 「そういう子って?」 「誰かのために、歌ったことがある子。そういう子は、ほんの少しだけど、世の中との関わり方をわかっている感じがするんだ」 私は少しだけいらついて彼を見つめた。彼は何も分かっていなかったし、その彼になにかについて理解が足りていないと言われているのは、どんな内容でもいらいらした。 「……で、次は何をすればいいのかしら」 「えーとね、ダンスレッスン、兼顔合わせ」 彼がにこりと笑ってスタジオのドアを開き、言葉を継ごうとして、内側から聞こえてきた怒声に遮られる。 「おいおい、頼むよ! これは本当に、マジの基本なんだ。ここでへばられると、すごく困る」 そこには、トレーナーに手を叩かれて、リズムに合わせて基本のステップを延々と踏まされている女性がいた。印象的なのはその前髪の長さで、顔の半分を隠しているように見えて、それできちんと前が見えるのかと言いたくなってしまう。長いうしろ髪はきちんとまとめられて、動きやすい服は汗で重々しく濡れていた。 プロデューサーが渋い顔のトレーナーをむこうに引っ張っていって、様子を聞いている。 「……だめそうですか」 「リズム感ゼロ。体力ゼロ。今わかるのはそれだけ」 密やかな声が漏れ聞こえたその間にも、彼女は誰も見ていないレッスン室の端でステップを踏んでいる。そのひたむきさには少しだけ心を打たれたが、私は輝きの無いものに対する憐れみを彼女に向けていた。 「奏さん」 私はプロデューサーに声をかけられて、真剣な表情の彼の元に歩く。 「文香さん、ちょっと中断して、こちらへ」 文香と呼ばれた彼女も私達の元へ来た。はあはあと、荒い息をついている。 「……おつかれさま、です」 やっとのことでそれだけ言った彼女の、息が整うのを待って、プロデューサーはにこやかに笑った。 「奏さん、文香さん。本当はこういうのは本決まりする直前に共有するものなんだけど、必要だと僕が思うから、今言います」 私たちは、続きを待つ。微かな期待が、仄かな光として私たちの胸にあった。 「あなたたち二人に、僕はユニットを組んでほしいと思ってるんだ。ユニット名は、まだなし。今後の活動も未定。だけど、きっと、ふたりはぴったり合うと僕は思ってる。だからできれば、今から特別になかよくして欲しいな」 私たちは顔を見合わせて、初めて顔を合わせるものたち特有の、不安を込めた笑顔をお互いに投げかけた。 「速水奏です。よろしくお願いします」 私がはっきりとそう言うと。彼女は手の汗を腰で、さす��と拭いて、差し出した。私がその手を取ると、意外に強い力で握られて、私もしっかりそれを握り返した。その手を離さないように握っていることが、いま私に許されている唯一の線路だと思った。彼女は消え入りそうな声で言う。 「……鷺沢、文香です。こちらこそ、その……よろしくお願いします」
* * *
苦しいレッスンはしかし楽しかった。私は昔から前に進むこと、新しく何かを獲得することが好きだった。それを確かな形として書籍に求めていた私が(何しろそれは気づかぬうちに年金のように増えていった)、アイドルというぼんやりとした世界に飛び込むと、人々は騒がしく波のように私の周りでさんざめいて、押したり引いたりした。いくつかのちょっとしたイベントの手伝いに駆り出され、少しずつ同業者の知り合いが増え、覚えたステップもまた増えた。 「まるで、除雪車だね」 プロデューサーさんは私に冗談めかして言った。 「文香さんは、とにかく弱きに逃げないんだ。力強い。それでいて、どこか自由に道を選び取っている感じもする。僕はそこがいいと思ったんだよな」 「……私を見て五秒もしないうちに、声をかけてきたのにですか……?」 「あはは、ごめん。今のは後付け」 プロデューサーさんは誤魔化し��ように言う。そして、取ってつける。「最初に声をかけたのは、文香さんがすごく美しいと思ったからだよ。それは、本当にそう思った」 私はそういう褒められ方にいつまでも慣れなくて、顔が火照って俯いてしまう。前髪でうまく、醜い私を隠せることができていたらいいなと思う。 だって、本当に美しい少女は、隣で黙って紅茶を飲んでいる。
「ケイ……?」 その日は大学から帰って、すぐに事務所に出るつもりだった。レッスン、レッスンの黒黒とした予定が、今日もカレンダーに黒星をつけている。ケイは、私が帰るとナアと鳴いて玄関にかならずカチカチつめを鳴らして滑り込む、長野の郷里を離れてひと月ふた月の、さみしい猫なのだ。そのケイの気配がなかった。 私は、はっとして窓を見た。閉めたはずの窓が、開いていた。そこから不安がごうごうと押し寄せて、目の前がまっくらになる。私はレッスンのことなどわすれてしまって、そのままドアを開けて外に走り出た。 やがて、夜になる。あたりを走り回った私の心は金切り声を上げてまっくらにあたりを照らしていた。じじ、と街灯が鳴った気がして、ぼうっと空中を見上げた私に「文香」と奏さんが声をかけた。 「……奏さん、どうして」 「あなた今日、レッスンを連絡なしに休んだでしょう。電話も出ないし、心配で住所を聞いたのよ」 私はそれでやっと予定のことを思い出して、しかし何の気力もなく俯いた。 「何があったの?」 近寄った奏さんが、私を見つめている気配がした。額に手を当てられて、やっと少し顔を上げることができる。 「……ケイが……」 「ケイ?」 奏さんが少し大きな声を出した。私は驚いて、彼女を見る。 「……猫の名前です。私が、飼っている。大学から帰ったら、いなくなっていたんです」 「……なるほどね」 奏さんはさっと頭を巡らせて、私に質問をした。 「行きそうな場所に心当たりは?」 私は首を振る。「彼女は室内飼いの家猫です。外には出ないんです。だからしらみつぶしに、探していて」 「生まれてからずっと室内だったのかしら」 「……いえ、実家では外に出ることが……」 私ははっとした。「よく、月を見上げていました。家の近くに公園があって、滑り台は、彼女の縄張りでした」 私と奏さんは、満月を見上げる。そして、奏さんが言った。 「行きましょう。心当たりがあるわ」
数分ほど歩いた場所にあった公園で、私はケイを見つけた。彼女は公園の滑り台の上で、好奇心でいっぱいの目で月を見上げていた。「ケイ!」と私が叫ぶと、彼女はニャアと鳴いて滑り台から私の胸に飛び降りた。安堵の涙がぽたりと落ちて、私は短い嗚咽を漏らす。しっかりと彼女を抱くと、彼女の心臓がとくとく鳴っているのが分かって、熱かった。背中に添えられている奏さんの手は、ほんのりと暖かい。 「とりあえず、あなたの家に帰りましょう」 奏さんが言った。「あたたかいものでもゆっくり飲むといいわ」 家まで私を送ると奏さんは帰ろうとしたが、私はもう少しだけ彼女と一緒にいたくて、家に招き入れた。天井まで届く巨大な本棚と、その周辺に散らばっている大量の文庫に、彼女はあっけにとられている。 「分かってはいたけど、こんなレベルの病気だったのね」 私はすこし恥ずかしくなって、何も言わずにお茶をことりとテーブルに置いた。すぐにするべき質問を思い出す。 「奏さんは、なぜあの公園をすぐに思いついたのですか」 「単純よ」奏さんは言う。「私の家、ここから歩いて十五分くらいなの。私たち、家が近いことも知らなかったのね」 私はそれで、なかよくして欲しいというプロデューサーさんの言葉をやっと思い出した。 「……すみません、私、人と話をするのが、うまくなくて……」 「文香だけのせいじゃないわ」 奏さんは、一冊の本を手に取って、私に問いかけた。 「私も聞いていいかしら」 私はその口調に、なにか非難めいたものを感じて、たじろいでしまう。落ち着くために、ソファに座ってから「どうぞ」と言った。 「なぜ猫に、ケイ、なんて名前をつけたの」 私は、彼女の質問についてしばらく考えた。そして、彼女が私に手渡した本に目をやって、やっと合点がいく。 それは、夏目漱石の『こころ』だった。私は思わず吹き出してしまう。 「なぜ笑うの、文香」 「……いえ、その……。ふふ、ケイと聞いた時に、『こころ』のKが思い浮かぶのは、よほどの病気ですよ、奏さん」 奏さんは、さっと顔を赤くして、「じゃあ、一体どういう意味?」と聞いた。 「そうですね、ケイ、と言ったら、恵む、継ぐ、など色々当てられる字はあるでしょう……。それらでも私は十分詩的だと感じますが……ケイについて言えば、もっと実務的ですよ」 はあ、私は息をついて、彼女を見た。 「ケイは、アルファベットの十一番目のKです。……彼女は彼女の母親の、十一番目の子供なんですよ��寂寞の中で死んだ、浄土門のKではありません」 私がそういうと、彼女は全てを理解して、糸が切れたようにふら、とよろめいた。そして私の隣りに座ると、真っ赤になっていた顔を覆って、ごめんなさいと言った。 「勘違いをしたわ。私、文香をとても冷たい人だと、一瞬だけ思ってしまったの」 そして、私を涙でいっぱいの目で見て「ごめんなさい」と繰り返して言った。 「なぜ、泣くのですか」と私がびっくりして言うと、彼女は口元だけで笑って答える。 「多分、恥ずかしいのが半分」 そして続ける。 「どうしてかしら。救われた気がしたの。ケイという名前に、あなたが意味を見出していなかったことが、何故か嬉しくて」 そう言って、彼女は私の手を取って、親指で少し撫ぜた。 「だから、ありがとう。それがもう半分」
落ち着いてからお茶を飲んでいると「そう言えば、私達の名前にもケイが入っているわね」と彼女が何気なく言った。 「……本当ですね、ふみか、かなで」 「ユニット名の候補に使えそうね」 「ケイを、ですか」 「まさか」奏さんは笑う。「猫に悪いわ。もうちょっとひねらないと、そうね……」 「つなげてしまって、ふみかなで、とかでしょうか」 「悪くはないけど、もう少し短く……文頭に持ってきて『かなふみ』とかはどうかしら」 かなふみ。私は口の中で言葉を転がして、中々だ、と思う。 「……大変柔らかい音で、私は好きです。きっとひらがなで表記するのですね」 「そうね」 かなふみ。奏さんも発話した。ふふ、と笑う。 「今度、プロデューサーさんに伝えてみましょう。気に入ってくれるといいわね」
* * *
「ごめんなさい、少し遅れてしまったわ」 私が謝ると、文香は頭を振って、顔を綻ばせた。 「私も、いま来たところです」 そんな定番のやり取りすら嬉しくて、私たちは顔を見合わせてふふふと笑う。 先日のおれいがしたいのですが、土曜日のごごはあいていますか、確か文面はそんな内容だったと思う。私たちは少しずつお互いのことを知っていって、私は文香があまりに機械に疎いのでびっくりしたのだった。幾つかの、定番の連絡用アプリケーションを彼女のスマートフォンに入れてやって、その全てで私は彼女の最初の友だちになった。彼女は満面の笑みで眩しく私に笑いかけ、そしてその場で辿々しく、私をデートに誘った。私はくらりとして、もちろん、と返信をした。 彼女のそういった拙さは、私の目にはのびのびとした自由さに映った。彼女はあらゆる世俗的なことがらから自由で、自分がやりたいように本を読み、自分がやりたいようにステップを覚え、自分がやりたいようにうつくしい言葉を大事そうに手渡してくれた。文香は信じられないような速さで、私と並ぶように走っていて、そしてもちろん、彼女は漱石を知っていた。私よりも、数段詳しく。 「おれい」の内容は自由に決めていいということだったので、私は彼女を自由に飾り付けてしまうことにした。代官山をぐるりと周り、渋谷にも歩いていって、あらゆる服飾を彼女に着せてみた。文香は信じられないくらいスタイルが良く、それを信じられないくらい野暮ったい服で隠してしまっていた。今年流行りの帽子と眼鏡を被せて、初夏を思わせる青々とした色のブラウスとダークブラウンのガウチョパンツを合わせ、少し���ールのあるショートブーツを履かせると、彼女は見違えるぐらい美しくなった。あれもこれもと着せてしまった私自身がちょっとはっとするくらいの生命力が彼女から溢れ出していて、周囲の人間が見とれているのにいらいらしてしまうくらいだった。文香はそれくらい、素敵だった。
ちょっと落ち着こうと入ったカフェで、私は彼女と再会した。 彼女は、そのカフェでディスプレイの中にいた。正確には彼女の姿が映っている訳ではなく、彼女の曲がさらさらと流れていたのだ。そこに彼女のクレジットが流れてはいなかったが、私には一発でそれは彼女のトラックだということがわかった。彼女と私のつながりが、そうさせてしまったのだと思った。 それは手触りの良いポップスで、画面の中で踊る有名なアイドルユニットのために書かれていた。ぱっときいた印象としては聞きやすいが、最新のトレンドを多様なジャンルから拝借していた。ときどき王道から外れる微妙な展開があり、それが私の心に心地よく波紋を投げかけていた。私は、文香が「奏さん?」と声をかけるまでうっとりとそれを聞いていた。 「ごめんなさい、なんでもないの」 「あのアイドルが、どうかしたのですか」 文香は買ったばかりの眼鏡越しに、じっと私を見た。 「……本当に、なんでもないわ。気にしないで」 文香にはそう言ったが、私の心には、投げ入れられた音楽によって立てられた波紋が固い波となっていた。それは一年前の記憶と合わさって、やがて耐えられないような大きな波となる。私が乗った帆船の舷から真っ暗な水がばしゃばしゃと入ってきて、私は転覆してしまいそうになった。私の目に、はっきりと涙が滲んだ。私は助けを求めて文香を見る。 そのとき、文香の静かな碧い瞳が私を貫いて、私の舟は文香に全てが委ねられた気がした。びり、と電流が走ったようになって、私のてのひらに、汗が吹き出した。そうして、音が戻ってくる。私のための音が戻ってくる。それは心の内側の、船室とドアと、カーテンの向こう側から聞こえてきて、やがてそれは周囲のざわめきとなった。 「……奏さん? その……本当に、大丈夫でしょうか」 文香が心配そうに、私の震える手を取ったので、私は頷く。 「ごめんね、文香。今日は私のそばにいて」 文香は頷いて、もちろん、と言う。 「私の家に来て、文香」私は縋るように文香に言った。 「お願い」
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最高速テストドライバー「稲田大二郎」が誕生した日【OPTION1983年2月号・その1】
今まで何本かご紹介してきた「Play Back The OPTION」最高速ネタですが、なにかお気づきではありませんか? OPTの最高速テストドライバー��いえば…そう、OPTION誌零代目編集長・稲田大二郎、通称:Dai。しかし、今まで紹介してきた記事の中に最高速テストドライバー・Daiは、まだ登場していないのです。 なぜ最高速テストをDaiがドライブするようになったのか…その誕生秘話が今回、紹介する1983年2月号に掲載された最高速テスト記事の巻頭に記されています。 悪天候の中でのテスト、ドライブを依頼したプロのレーシングドライバーから放たれた言葉……。では、見ていきましょう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1982年11月25日 最高速テスト・ドキュメント 烈風がすべてを決した! 「カーン!」、澄み切ったメカサウンドが、晩秋の青空に響きわたる。テストコースのはるか南バンクを駆け下りたマシンは、計測ポイント���のアプローチラインに乗った。バンクの走行抵抗から解放されたマシンは、さらにメカサウンドを高める。速い! ステアリングを握るのは、あの日産ワークス三羽烏のひとり、レーサー:北野元。1968年、第5回日本グランプリで日産R381を駆り、ポルシェ・カレラ10を降し、日産に総合優勝をもたらした、まさにそのレーサーなのだ。 マシンは一直線に1.2kmのストレートの終端に設定された、400mの計測区間を駆け抜けた。いや、抜けようとしたその矢先、マシンは突如、2車幅余りもスパッと横っ飛びしたのである。風だ! 「400m地点のテープスイッチを踏んでないゾ!」、計測スタッフの悲痛な声がトランシーバーを震わせた。 【AM4:00】 ついに、決戦当日の朝が訪れた。外はまだ闇だ。「天候は?」「大丈夫。星が瞬いている」。体に突き刺さる真冬を思わせる寒気も、気にならなかった。何にも増して、我々が恐れたのは雨だったのである。もし、当日、雨に見舞われたなら、もはやテストは意味をなさない。雨はもちろん、最高速を低下させる。が、それ以上に300km/h近い速度でウエットのバンクに突入することは、自殺行為に他ならないからだ。 ちなみに、谷田部のテストコースのバンク最上段の設計速度は220km/hである。たとえドライであっても、オーバー250km/hカーともなると、コントロールは難しい。他誌のテスト中のことである。バンク内でフッとアクセルを緩めただけで、マシンはテールスライドを引き起こし、あわやガードレールに激突しそうになった「事件」もあるのだ。コンディションが雨ならば、いかに精鋭揃いであっても、記録はおろか、テストは中止せざるを得なかったのだ。 【AM5:30】 東の空が、薄っすらと赤みを帯びてきた。雲ひとつない快晴である。気温も低い。テストには絶好のコンディション、記録への期待が、いやが上にも膨らんだ。もう日の出も近い。すでに遠路九州からSS久保ソアラターボがコースイン。RSヤマモトZに奪われた国産最速の座を奪回すべく、心中深く決意を秘めたRE雨宮の1、2マシンも早々と姿を見せた。L型ビッグボアの究極、JUN3.5Lも、新たにニューZのボディに与えられ、往路の常磐高速で270km/hを余裕でマークしてきたと自信を見せる。 【AM7:30】 役者は揃った。全22のグリッドのうち、すでに21台がコースインしている。まだ姿を見せない、最後の1台が気になった。というのも、それは関西の雄、柿本レーシングZだったからである。北野元、津々見友彦、両テスト���ライバーも姿を見せた。ともあれ、後はAM8:00のテストスタートを待つばかりである。すべて順調であるかに見えた。が、この頃すでに、コースを横切る風は、気まぐれな突風を交えていたのである…。 あまりに危険だ! あの北野元選手、突如出走中止! 【AM8:20】 待ちかねたかのように、1番手フォルテクス・スカイラインRSターボがコースに挑んだ。目標はRS最高記録、249.13km/hの大幅更新である。ドライバーは北野元。ストレートを駆け抜けるマシンの姿勢はいい。が、いま一歩、記録は伸びなかった。 次いで、SS久保ソアラ・ターボがスタートを切った。ドライバーはもちろん、津々見友彦である。5速6500rpm、車速263.73km/h! 最速ソアラの誕生である。オーナーが思わず「ヤッタ!」とVサインを掲げた。 3番手はATS・BM・Zが務めた。先頃のOPTノミネート戦で271.18km/hをマークした実力派。チューニングは、ATS・BMとスリーテックの共同開発。スリーテックといえば、GCカーはもとより、あの最速ドラッグZのチューナーでもある。狙うはもちろん、国産最速の座であり、300km/hの壁! ドライバーは北野元。そして、全開でバンクを駆け下り、勝負をかけた2ラップめ、計測地点で突風にあおられたのである。この時の回転数、5速8000rpm! 推定車速291.96km/h。国産最速記録である。が、それは幻と終わった…。 カメラマンの証言。「あの時、北野さんはバンクでも本当に踏んでいた。ガードレール、ギリギリのところを細かくスライドしながら走ってきたんだ。さすがというのか、撮っているボク自身、背筋がゾクッとするほどだった」。 マシンを降りた北野選手は、そのままヘルメットを脱ぎ、フーッと大きく深呼吸をひとつして、口を開いた。「このコンディションで、このテのマシンでは、全開にはできないよ。みんなもっと、自分の命を大事にしたほうがいい。最高速がどこまで伸びるかは、これじゃ度胸ひとつだ。ボクはとてもじゃないが、これ以上は走れない」。 もちろん、いくら最高速テストとはいえ、その時の条件下で(安全性のマージンを十分取った上で)ベストを尽くす以外にない。北野選手とて、そのことは十二分に承知だ。その上で、彼は次のように語る。 「ボクはいったん走るとなると、身を削る走り方しかできない。でなかったら、走らないかだ。でも、身を削るには、あまりにも危険が大きすぎる」。 あたかも自分自身に言い聞かせるように、そう語って北野元はマシンから離れた。 北野選手のピンチヒッターは、Daiが務めた。HKS・OPTION・Zを足とするDaiならば、ハイパワーマシンの扱いはもとより、谷田部経験にも不足はない。とはいえ、あの北野選手が、「これでは全開にできない」とマシンを降りた後である。 しかも「Daiちゃん、くれぐれも気をつけろよ。度胸だけで踏んでいると、本当に死ぬぞ。オレはこの場に立ち会っているだけでも気持ちが悪くなってくる。先に失礼するよ」とまで言われているのである。風はいっこうに衰えを見せていない。いかに土性骨のすわったDaiとて、めいっぱい踏めるわけがなかった。 メカチューン派、無念! しかし、そうした悪コンディションの中、津々見選手は経験にモノをいわせて、マシンを操る。富士スピードウェイで空力を詰めたという、HKSセリカXXは、安定した走りで260km/hをオーバーし、実力派チューナー、雨宮RX-7ターボ、RSヤマモトZターボも280km/hに迫る速度をマークした。 さらにウエスト・コルベットは、そのフォルムと車重にモノをいわせ、横風も切り裂き、285km/hまで記録を伸ばしたのである。 が、反面、メカチューン派は風に泣いた。往路、名神高速・大垣付近で、搬送用トラックが故障した柿本Zは、テスト用に装着済みのメガホンを切断し、捨ててある空き缶をマフラーがわりに細工して自走してきていた。 マシン・セッティングは、300km/hをも可能にするトップレブ仕様だ。レブリミットは無し! バンクを4速8000rpm以上で5速につながねば、パワーはのらないのだ。そしてその時の車速は、270km/hに達する! 逆に、そこまで回せなければ、たとえ7000rpmのシフトアップでもプラグがかぶってしまうほどなのだ。が、いかんせん、バンクでそこまで回せるコンディションではなかったのである。それは、他のメカチューン車にも総じていえることであった。 【AM12:00】 かくして、1982年総決算谷田部最高速トライアルは、無念の思いに包まれたまま終了した。記録的には確かに心が残る。だが、あえて言っておきたい。無事に最後の幕を降ろせたことは、あるいはいかなる記録よりも、価値があったのかもしれない、と…。 「レーサー以上に神経質になって欲しい」by北野元 250km/hオーバーといえば、その速さはF1マシンなみだ。それだけのスピードを出すのに、クルマを見ればベルトは市販の3点式で、ロールバーも付いていない。シートのサポート、ステアリングにしても、超高速度コントロールにはあまりにもプアだ。 ボクもR380で何度も怖い思いをしているし、かつてのチームメイトが、ストレートで木の葉のように横転したのを目撃したこともある。とにかく、ワークスが技術の粋を結集して作り上げた純レーシングマシンですら、300km/h近い速度で走って怖くないことはない。たとえ4点式シートベルトを装着し、ロールバーを組み込んだところで気休めに過ぎないかもしれないが、これだけのマシンに乗るのなら、当然レーサー並みの神経を持っていてしかるべきではないか。 本当にみんな、もっと命を大事にしたほうがいい。とにかくスピードが高くなり過ぎている。最高速テストのやり方も、この辺でもう一度、考え直したほうがいいんじゃないだろうか。 「パワーに見合う足と空力が課題」by津々見友彦 今回は、ちょっと全開性��を発揮するには、コンディションが悪すぎた。が、クルマに限ってみれば、チューニングの熟成が進み、トラブルも少なくなってきている。いずれにしても今後の課題としては、パワーの上昇に見合うだけのタイヤと空力の煮詰めだろう。でなければ、パワーがあっても、バンクやストレートでアクセルを踏めないからだ。 サスはやたらハーダーにしない方がいい。谷田部のバンク内はかなり路面が荒れていて、固すぎると安定性に欠けてしまう。タイヤもVR規格はもちろんだが、ひと口にVRといっても、超高速安定性となると、クルマとのマッチングがかなり異なってくる。車重等も考慮しつつ、ベストマッチング・タイヤを探ることが必要だろう。 「身の毛がよだつヨーイングの恐ろしさ」by稲田大二郎(Dai) OPTの最高速テストで、初めての悪い気象条件だった。最高速テストというのは、マシンのエンジン、サスペンション、空力などに異常が無かったら、谷田部テストコースでは、ほぼ完璧な性能を出すことが可能だ。もちろん、300km/h近くになるとバンクの進入、脱出時には、繊細なテクニックが必要。それでも、直線で全開になるよう、コントロールできる。 しかし、チューンドカーは真っ直ぐ走らないことが多い。今回は直線、バンクなどで風が強く、ヨーイングが発生。特に、最高速に達する直線では、マシンによって5mくらい吹き飛ばされ、計測ラインを踏むのも困難だった。その瞬間は、身の毛がよだつ感じだ。 速い国産マシンが全開できなかったので、記録的には今一歩だったが、この条件では死を賭けた限界スピードだと思って欲しい。 それにしても、国産マシンの1年間におけるスピードアップぶりは、恐るべきものがある。ただエンジン出力は限界なく上がっても、それに見合う駆動系の強化やサスペンション、空力特性がベストマッチしないと、危険なことはいうまでもない。今後はレース専用マシン並みの信頼性が、記録を大きく左右すると思われる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 北野元選手でさえ、危険過ぎると判断しクルマを降りました。それだけ、最高速テストというものは、誌面で見る華やかさ以外に、ドライバーが命をかけて記録に挑んでいる、というストーリーもあるのです。そしてこの日のテストは、この後のOPT最高速テストの挑み方に一発、気合を入れた日となりました。 今現在の最高速テストは、クルマ自体の剛性、安全性、使うパーツの信用性、またタイヤ性能もアップし、もちろんクルマを作るチューナーのウデも信頼のおけるものとなってきているので、この時代の危うさは減少しているのも事実。でも、だからといって、必ずしも絶対に安全!は、無いです。今だって結構、気合を入れて最高速テストをしているんですよ! さて次回【その2】以降では、この日に思ったDaiの気持ちがDai BOOK「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」(三栄書房刊)にも記されているので、その紹介も含め、この日テストしたマシンチェックを紹介しますので、お楽しみに! [OPTION 1983年2月号より] (Play Back The OPTION by 永光やすの) あわせて読みたい * これが国際スピードトライアル新記録を出したアスカ・ディーゼル・ターボだ!【OPTION1984年1月号より・後編】 * アスカ・ディーゼル・ターボが男気速度記録に挑んでいた!【OPTION1984年1月号より・前編】 * メルセデスの果てしなきスピードへの挑戦!【OPTION1982年7月号より・後編】 * メルセデス・ベンツが国産チューンドのライバルだった頃があった!?【OPTION1982年7月号より・前編】 * スカイラインRSターボ vs セリカXX 5M-Gはどっちが早い?!【1982年10月号より・後編】 http://dlvr.it/PfssFv
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千葉真一 Sonny Chiba
トラック野郎・度胸一番星 Truck Rascals 1977
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千葉真一 Sonny Chiba
1939年1月22日 - 2021年8月19日
トラック野郎・度胸一番星 Truck Rascals 1977
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千葉真一 Sonny Chiba
トラック野郎・度胸一番星 Truck Yarō 1977
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千葉真一さん、 ありがとうございます。
千葉真一 Sonny Chiba
1939年1月22日 - 2021年8月19日
トラック野郎・度胸一番星 Truck Yarō 1977
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千葉真一さん、 ありがとうございます。
千葉真一 Sonny Chiba
1939年1月22日 - 2021年8月19日
トラック野郎・度胸一番星 Torakku Yarō 1977
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トラック野郎 度胸一番星
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千葉真一 Sonny Chiba
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先程、無事ボークス宇都宮ショールームにディスプレイできました😀 お立ち寄りの際は見てやって下さい #アヴェンタドール 50周年アニヴェルサリオエディション #トラック野郎 #度胸一番星 #IMS #Vサイレンプロミネンス (ボークス 宇都宮ショールーム) https://www.instagram.com/p/CZQ0SE8vRjc/?utm_medium=tumblr
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まぁ大丈夫だろう😀 #アヴェンタドール 50周年アニヴェルサリオエディション #トラック野郎 #度胸一番星 #IMS #Vサイレンプロミネンス https://www.instagram.com/p/CZQH0kohhrr/?utm_medium=tumblr
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