#トップコンテンダー
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【新製品入荷情報】 LANCIA DELTA HF INTEGRALE WRCへの参戦を見据え1979年に発表されたのが5ドアハッチバックのランチアデルタ。基本は1.5Lの5ドアファミリーカーにWRCで培ってきたノウハウを投入、DOHC直4気筒2Lにターボチャージャーを組み合わせて誕生したのが「LANCIA DELTA HF 4WD」。 コンパクトなボディサイズ、コントロールし易い足回りを備えたマシンはLANCIAのコンセプト通りの卓越したパフォーマンスを発揮。1987年のWRC開幕戦に於いて1-2フィニッシュを飾り瞬く間にWRCのトップコンテンダーに躍り出ました。その後も改良を重ねて前人未踏となる6年連続(1987-1992)WRCマニュファクチャラーズタイトルを獲得する等、輝かしい戦績を収めたマシンです。 【KS08344E】ランチア デルタ HF インテグラーレ "インテグラーレ 6" https://dc.kyosho.com/ja/ks08344e.html 【KS08348F】ランチア デルタ HF インテグラーレ 1993 モンテカルロ #5 (totip) https://dc.kyosho.com/ja/ks08348f.html 【KS08343SC】ランチア デルタ HF インテグラーレ "クラブイタリア" https://dc.kyosho.com/ja/ks08343sc.html 皆様のご来店を心よりお待ちしています。
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IWGPヘビー級&インターコン��ネンタル2冠戦内定チャンピオンとトップトップコンテンダーそろい踏み
IWGPヘビー級王者オカダ・カズチカ2冠戦容認経過
IWGPヘビー級とインターコンチネンタルの2冠戦が白熱を帯び
いよいよ実現に向かいだした。
内藤哲也が火をつけ、G1クライマックス覇者飯伏幸太が実現へ動き出し
ジェイ・ホワイトまでも2冠へ動き出した。
IWGPヘビー級の挑戦者はG1クライマックス覇者飯伏幸太
インターコンチネンタルの挑戦トップコンテンダーは?
まずはジェイ・ホワイトVS後藤洋央紀のインターコンチネンタル戦
試合は、バレット・クラブ総動員
外道の試合介入、柴田勝頼が外道排除に入るが
KENTAまでも登場して、試合は大荒れとなった。
画像出典元 NJPW KENTAと柴田勝頼インターコンチネンタルでバトル
東京ドームがかかるこの1戦
2冠王者の為にも絶対負けるわけにはいかない両者
しかし巧みなジェイ・ホワイトが勝利して見せた。
後藤がミドルキックで逆襲し、昇天…
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#インターコンチネンタル戦#インターコンチネンタル王者#オカダ・カズチカ#オカダ・カズチカは2冠戦実現はファン投票#ジェイ・ホワイト#ジェイ・ホワイト反則#トップコンテンダー#バレット・クラブ反則#レッスルキングダ#レッスルキングダムファン投票で#レッスルキングダム8#内藤哲也#内藤哲也動く#夢のレッスルキングダメイン#新日本プロレス2冠#飯伏幸太#飯伏幸太2冠なるか?#IWGPヘビー王者
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タイ🇹🇭Bangkok事務所からのプレゼンから のデモンストレーション♫ 現地の大物のゲスト故に… 中々オープンにできません。 内容は大好評! このビジネスは間違いなく加速する。 国のトップコンテンダーが欲しがる内容を 一般の人々が参加できる内容なのだから。 このチャンスをどう捉えるか? 全ては自分次第。 人生における2度目のチャンス。 このチャンスは逃せない。 World Classのメニューを バージョンアップさせながら 提供していきます♫ 一緒にチャレンジしたい方に向けて ちょっとした募集です。 日本在住で 英語や中国語、タイ語等をお話しできる 方で治療家又は海外事業に興味のある方を 募集しております。 ご興味おあり方は DM等にてメッセージをお待ちしております。 世の中をちょっと変える事が出来るかもしれない プロダクト(治療家は特におススメ♫) https://line.me/R/ti/p/%40sqt5344k 【ご相談、ご予約はこちら】 ✨https://linktr.ee/crea ✨電話090-1405-0838 ✨DM #Crea athlete&beauty care #DRT 三島 #骨盤調整 三島 #疲労回復整体 三島 #鍼灸 三島 #内臓調整 三島 #頭蓋調整 三島 #アスリートスペシャルケア #エステ 三島 #ボディーメイク 三島 #水素 三島 #セミナー講師 #ゴルフ 三島 #競輪 三島 #三島駅南口徒歩3分 #三島市 #長泉町 #沼津市 #スポーツトレーナー 三島 #産後骨盤矯正 三島 #アンチエイジング #海外整体講師 #Vietnam #Taiwan #海外事業コンサルタント #Bangkok #タピ活 #Philippine #China #Malaysia (Bangkok, Thailand) https://www.instagram.com/p/Bxz_Bp4BRC7/?igshid=1h5n0e96iguxm
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80年代を駆け抜けた超強烈インパクトな関西チューナー、クロキンZのMr.Mこと光田勝利とは?【OPTION1981年8月号より】
OPTION誌創刊号から懐かし記事&チューンドマシンたちを紹介している中で、最高速やゼロヨン記事の中にたびたび登場してくる超強烈キャラな方がMr.M。 「ヒャ~懐かしい!」「ダレやねん、このおっさん!?」と思われる方が半々くらいではないでしょうか。ってことで、今回は大阪でも一種独特!?な異彩を放つMレーシング代表、Mr.Mこと光田勝利さんのご紹介です。 とはいうものの、あたしは光田さんに一度もお目にかかったことはありません。歴代OPTスタッフでも、お会いしたことがある人は80年代初頭に在籍していた少数。「伝説のチューナー」、この言葉がピッタリと当てはまるのが、Mr.Mでしょう。 1994年(阪神淡路大震災の前年)、闘病の末、惜しくもこの世を去ってしまったMr.M。入院中、病室から見える駐車場にMr.Mの象徴でもあったS30クロキンZを駐車し、毎日眺めていたと聞きました。人生そのものをL型エンジン、フェアレディZに捧げていたMr.M。 強烈な個性と魂でチューニング人生を築いた熱い世界を覗いてみましょう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 必殺・改造人 Mレーシング 光田 勝利 時はゼロヨン戦国時代。黒いツナギに赤いM、これがウワサのMレーシングだ! チューンドカーの東の横綱がRE雨宮なら、西の雄はMレーシングにトドメをさす。東西ショップ対抗ゼロヨントーナメントでは、並みいる強豪を尻目に1位、3位を奪取、ズバ抜けた強さを見せ付けた。果たしてMレーシングの速さの秘密は!? ゼロヨンに憑かれた男たちの群像��追え! 関東モンには負けられん! ナニワ・チューンの底力を見せたるで!! 大阪府堺・・・ホットなチューンドカーを生み出すことで著名なショップが名を連ねている。カキモト・レーシング、エイワ・レーシング、いずれもゼロヨン大会のトップコンテンダーだ。ちょっと東へ目を向ければ八尾市にはカーショップ・チャレンジが、奈良・大和高田市には13Bペリターボで躍進著しい上田タイヤが覇権をうかがう。 目指すMレーシングの所在する貝塚市も程近い。ここは、関西チューンドカーのホットゾーンなのだ。「多分この近辺か?」と注意を喚起する間もなかった。修理工場然としたショップが現れる。Mレーシングだ。表にずらっと並んだZでもそれと分かった。道路を隔てた斜向かいにはなんと!交番があった!! 奥まったガレージの屋根には『スピードショップM』と書かれている。このショップで組織されるレーシングチームがつまり、Mレーシングなのだ。 軒先に吊るされたスピーカーからは演歌が流れている。有線放送だ。ガレージを覗き込むとトレードマークの黒いツナギを着たメカニックがふたり、バラされた6気筒のL型エンジンに取り組んでいた。そして目指す社長は、事務所の中だった。 ブッチギリの個性が、ブッチギリのチューンドカーを生む!? 170cmの痩身にアフロっぽいヘア。節くれだった指先には、いつもタバコがはさみ込まれている。Mレーシングの総師、光田勝利。一見、年齢不詳。自称30歳だが、実のところは40歳近いと聞く。とりわけ鋭い眼光が印象的だ。強烈な個性の持ち主であることがプンプン匂ってくる。Mr.Mという呼び名がピッタリだ。 そういえば、Mレーシングの主力ゼロヨンマシン、ブラックとゴールドに塗り分けられたフェアレディ、通称「クロキンZ」は一種独特の個性的なカラーリングを持つ。Mr.Mお気に入りの3.2L版S54BスカGにしてもそうだ。こうしてみると、Mレーシングの並外れた速さを生む秘密も、Mr.Mの強烈な個性と無縁ではないように思えてくる。 ケンカ大好きヤ。ゼロヨン大会!? 勝負事には負けられん 「着る物はザックバランが好きや。スーツは着いへんねん。スーツ着るとヤクザに見えるさかい」と、Mr.Mは冗談めかして笑う。しかし、なかなかどうして、ラフなスタイルでもかなりの迫力だ。 しかも、それが見掛け倒しじゃないとくる。「ケンカが大好き!」と豪語する腕っぷしとキャリアに裏づけされているのだから、こいつは参る。知らないとちょっと近づきがたい。だが、いったん身近に接すると第一印象は急速に変化していく。 「生まれは四国の愛媛、小さいころはガキ大将やった。それは今も変わっとらんけどな」。「昔のことを振り返って感傷に浸るなんて、そんなガラじゃない」とは言うものの、Mr.Mの鋭い眼にも、心なしか和みの色が浮かぶ。 「田舎におって、大阪や東京に憧れましたわ。そいで家出みたいに飛び出して来たもんな。20歳くらいかと思うわ。でも、ポッと出の大阪暮らしは手厳しかったわ。でも、憧れがかなったトコロでなんの足しにもならん。苦労したわ。ただ周りが良かったから、まぁ幸せだったほうかな」。 家出同然に大阪にやってきたMr.Mは、親戚の経営する建築関係の仕事に就いた。「仕事はビシッとやったけど、あの頃はケンカと遊びとスピードに明け暮れた毎日やったなぁ。3日に1ペンはケンカやってた。最もケンカいうても、弱い者イジメとは違う。まぁ、お互いのウデ試しみたいなものや。でも、道頓堀でヤクザ相手に血みどろの大立ち回り演じたこともあるけどな」。8針縫った眉間の傷が、その話を裏付ける。 しかし、クルマ、そしてスピードの魅力はケンカ以上だった。それゆえ、クルマをいらう事にかけては熱が入った。「とにかく好きやったから、チューニングの工夫はよくやっていた。エンジンはバラして勝手にポートを大きくしてみたり、まぁいろいろやったわ。エンジンいろうては名神ブッ飛ばしてな。あの頃は道も空いていたし今思うに、一番楽しかった頃やろな。250ccくらいやったか、ホンダCBの輸出仕様で競争しておって、全開でエンジン焼き付かせたこともあったわ」。 電柱に正面衝突したこともあるという。話のハズミで滑った口から「もう4回も免許を取り直した」なんて事実も明らかになった! 原因はもちろん、スピード違反。100km/hオーバーなんてメじゃないのだ。 「あ、忘れちゃいかん。ワシは女にようモテルのよー。昔は建築の現場に女学生が押し寄せてきたもんや。冗談や思ってるやろ。ホンマよ! 当時は宍戸錠に似ていて、『ジョーさん、ジョーさん』いうて大変やったんヨ。バイクに何人乗れるか・・・。CB250に地元の女子高生9人乗せて1駅くらい走ったんや。途中1人落ちたけど、ポリも笑っとった」。話を聞けば、ますますMr.Mが豪語磊落な、それでいて茶目っ気もある型破り人間だということが良く分かってくる。 ワシラもクルマ好きや、速いマシンなら任せてくれ! クルマ関係の仕事に手を染めたきっかけが、また面白い。 「岸和田の中古車センターへ自分のクルマを売りに行って、それが縁でしょっちゅう遊びに行くようになったんや。そしたら『アンタも中古車センターやってみたら?』って言われて、一晩考えて『やるわー!』いうて、翌日には[光田自動車商会]の名刺、作ったんや。そのへんの空地に中古車10台ほど並べて商売始めたもんや。儲けを他社の1/3くらいにして、1台売って2〜3万円のものやけど、売れたわな」。その決断力と商才には脱帽だ。 もちろん、当時からチューニングはやっていた。しかし、本格的に、つまりお客さんからお金を貰って始めたのは1976年だという。「チューニングには自信があった。ポイントは計算と加工と、もうひとつはカンや」。バンバン、クルマの通る国道の横でも3分で眠れる、というくらいのん気でずぶとい精神を持つ反面、セッティングを考えたら朝まで眠れない、というほど神経質な側面をもMr.Mは併せ持つ。ひとつのアイデアが浮かんだらとことん煮詰めて、メイク&トライを繰り返したという。Mレーシングの目を見張る速さは、そこから生まれたといっても間違いない。 男気に惚れて集う仲間がMレーシングの強烈なパワーだ 「社長? あれはどうしようもないクルマ好き。クルマに始まってクルマで終わっている人や」というスタッフたち。「顔は怖そうなオッチャンやけど、話をしていくと外見と中身が全然違う。ごっつう厳しい人だけど人情家で気一本で、クルマに打ち込んで熱中している男らしさが凄く伝わってくる。関西で商売やってる人って、割とそういうところがあるけど、この人は中でも特別ですわ」とも言う。 「速い店は儲かってないよ。たとえ見積もりに入っていなくても、あとココやれば速くなるっていうのが分かっちゃってると、ナイショでついついやってしまうんや」。Mr.Mは江戸っ子並みの気風のよさが心情だ。また、「ワシはよく人に騙されるねん。単純やからすぐ人を信じるほうなんや。でも振り返ってみて、騙すより騙されてきたほうが良かったわな。そのおかげで商売もやってこれたんや思うわ。ホンマ、情にはもろいねん。ただ、筋は通すけどな」。 チューニングのウデもさることながら、そんなMr.Mの男気を慕い、仲間が集う。「目標はゼロヨン11秒台! 来年はGTS仕様のZで鈴鹿の500km耐久レースにも出てみたいわ。ナニワ・チューンの底力を見せたるでぇ!」。光田勝利、もうすぐ40歳の声を聞く。しかし、クルマとスピードに賭けるその心意気は、まだまだ燃え尽きるところを知らない。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1981年にこのMr.Mの素顔を紹介した後も、OPTではゼロヨンや谷田部最高速、サーキットの草レースで活躍するMr.Mの姿を追っています。今後のPlay Back The OPTIONでも度々登場してくれることでしょう! あらためまして、Mr.Mこと光田勝利さんに、黙祷。 [OPTION 1981年8月号より] (Play Back The OPTION by 永光やすの) あわせて読みたい * 1982年スキャットDRAGレース、雨の第1戦&熱き第2戦、注目のエントリーマシンをご紹介! 後編【OPTION1982年6月号・8月号より】 * Dai-Z、スキャットDRAGに挑戦!したはいいけれど…ゴマメりFISCOに散る・前編【OPTION1982年6月号より】 * OPTIONは最高速だけじゃない! スキャットDRAGも熱かったあの頃……【1981年11月号より】 * 1982年末谷田部・最高速に挑戦! エ…あのマシンがリタイア!?【OPTION1983年2月号 その6】 * 最高速の聖地・谷田部最高速 1982年年末の陣はポルシェにZにスカRS! その5【OPTION1983年2月号より】 http://dlvr.it/Q0q5Lf
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中邑真輔が2週続けてオーエンズ撃破 観客と「イヤァオ!」大合唱 WWE・スマックダウン大会
1: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2017/06/02(金) 12:20:25.67 ID:CAP_USER9 【ジョージア州アトランタ30日(日本時間31日)発】WWE・スマックダウン大会で“アーティスト”中邑真輔(37)が、トップコンテンダーの座へまた一歩前進した。 “一軍”に昇格したばかりだが、PPV「マネー・イン・ザ・バンク(MITB)」(6月18日、ミズーリ州セントルイス)で行われるMITBラダーマッチへの出場が決定。 ケビン・オーエンズ(33)、AJスタイルズ(39)、バロン・コービン(32)、サミ・ゼイン(32)、ドルフ・ジグラー(36)の5人とWWE世界王座挑戦権利書の入った ブリーフケースを奪い合うことになったが、この日は前哨戦で実力を見せつけた。…
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