#テクニウム
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bewaf · 5 months ago
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メンテナンス日記#1530:シマノ 05 BB-XテクニウムMg C3000D SD18 (01943) ガリゴリ異音
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takenos · 10 months ago
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2023年の振り返り
色々やることがあるので書かなくても良いかなと思ったけど、やっぱり書いておこうと思った。
人間の意識って不思議なもので、なにか自分の中で常識のアップデートが起きると、さも昔からそうだったかのように思い込んでしまう(GPT4から1年経ってないなんて信じられない)。良く言えばそれは過去に囚われず動けるということではあるけど、悪い面としては何も前進していないように感じたり、過度に固定的なものとして扱ってしまう。意識というメタソフトウェアに意図的に組み込まれた不具合。
そういった不具合を補正するために記録があり、記録を理解可能なものにするために、叙述がある。
まあこれはそんなに大したものではないけれど、なんとなくトピック別でまとめていく。
LLM : 大規模言語モデル
2023年の年明けは、何と言っても LLM だった。元々 GPT3の頃から一部の人が注目していたことを観測していたが、強化学習を施しチャットというUI を与えられてプロダクトとしても爆発的なヒットとなった ChatGPT のリリースが2022年11月、そして GPT4のリリースが2023年3月。
もともと機械学習周りは改めて勉強したいと思っていたので、Coursera の Machine Learning コースと Deep Learning コースを履修してみた。言語モデルだけでなく、CNN等画像を扱うための手法も学べた。その後、OpenAI の論文をいくつか読んだり。直接に手を動かして新しいモデルを開発するといったところまでは難しいが、重要なアイディアを理解することができ、収穫になった。
LLM のインパクトはここで書くまでもないだろう。自分でも API を使っていくつかプロトタイプを作ってみたのだが、汎用的なものは作っているうちに「あー、これ自分がやらなくてもプロバイダー側が作るやつだ」と気づいて作るのをやめた。具体的には、OpenAI の GPTs のようにプロンプトをカスタマイズして名前をつけて保存できるチャットボットや、GitHub Copilot in the CLI のようにコンソール上でやりたいことを自然言語で打つとサジェストしてくれる君などだ。どちらのプロダクトも今は便利に使っている。
逆に、Wantedly のドメイン(自然言語のアノテーション付き GraphQL API を最大限活用)を使って作ったプロトタイプは結構面��さを感じたし、デモの評判も良かった。自分のことを自分で説明するのはエネルギーが要る。聞かれて答える方が脳のニューラルネットワークを励起させることがたやすい。いきなり飛躍するが、日本で LLM を使って業務効率や生産効率を上げるのであれば、ドメインに浸潤するような、プロセス全体から変えていくようなソリューションの方が面白いかなと思っている。
ともあれ、LLM はこれからも確実に世界を変えていく。今後が楽しみなのは間違いない。
Developers Summit で話した
上記と並行して、2月には Developers Summit 2023 で Wantedly の人として話した(スライド)。ソフトウェアアーキテクチャを組織構造と一緒に価値に接続するというテーマ。
ソフトウェアアーキテクチャの問題は、いま目の前にあるチームの形との不一致がペインになって現場の声として現れることが多い。しかし経験上、そういうボトムアップな課題感を、そのままアーキテクチャに落とし込んで大きく変更する戦略は上手くいかないことが多い。
これはソフトウェア設計の概念を借りると依存関係の矢印が間違っている設計だと言える。営利企業である以上(あるいはサービスの価値を上げたい以上)、組織構造も “それ” に緩やかに依存して下支えするように設計されている。ソフトウェアアーキテクチャも“それ” に緩やかに依存するべきだ。しかし、目の前にある組織構造に依存してソフトウェアアーキテクチャを設計してしまう。そして組織の変化でアーキテクチャがまた適合しなくなる。
何を変数にして何を定数とするかを考えよう。
この辺りの話が 「Accelerate」 に加えて「チーム・トポロジー」が出たことでようやく共通の言葉で話せるようになったなと感じる。こういう Wantedly のシステムにおける学びを世の文脈の中に置くことは意味あることだと思ってお話させていただいた。
技術の進化
同じ時期、いまあるソフトウェアシステムを叙述によって理解可能にするという観点から、10年間の技術の進化(直接見たのは7年間だが)をまとめたのだが、これは学びがあった。
ある技術 A を導入していたから可能になった技術 B がある。ここまではある程度の人が認識できるのだが、それが A→B→Cのような多段になっていたり、複合的な要因だったりすると案外と認識できていない部分があったりする。あるいは認識できていても、技術を投資として見たときに、蓄積的な効果がどの程度あって、それに要するリードタイムがどのくらいなのか、といったこと。それを踏まえて考えられる戦略的なソフトウェアの技術投資とは、ということ。
この図はそういうことを考える良い機会になった。
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https://docs.wantedly.dev/introduction/technical-overview より
加えて言うと、この図には入らなかったけど明らかに重要な、並行して変化する外部構造が二つある。せっかくなので書いておく。
一つは会社における事業とサービスの展開。・・・まあこれは結構自明ではあるのだが、あるサービスを展開する際に行ったある技術的なチャレンジが副産物を生み出した、といったことを陽に認識することができた。流れの早い IT スタートアップにおいて、技術の研究開発チームのようなものを独立して作るよりは基本的に走りながらやる方が上手くいく。ただしそのためのチャレンジマネジメントは必要で、これはテックリードの役割だと思う。
もう一つは会社の外のこと。こうやってタイムラインを見ると、明らかに2010年頃からのスマートフォンと社会的な普及が多くの影響を及ぼしている。Web アプリとユーザーインターフェイスおよびそのデプロイの仕方が分化し、同時にユーザーの期待値が変化し、それを解決するための技術が出てきて、オープンに使えるようになって、、、と言ったことをタイムラインと一緒に見ていくと面白い。マクロな構造が変わったとき、実は同じ問題意識を持っている人というのが同時多発的にいて、その中で技術が生まれて収斂していく。
昨今の生成 AI の盛り上がりで AI を動かす GPU を生産する NVIDIA の株が爆上がりしている。これなどは明確なハードウェアの生産量やコストの形を取るのでまだ一見分かりやすいが、オープンソースソフトウェアなどはもっと非金銭的な動機(たとえば鍵となる技術やビジョン)に導かれていることがむしろ普通で、実際に触ってみて中に入って理解する必要がある。そうやってドライバーを見極めつつ、自社の問題との一致を見出して、取り入れるタイミングを見計らう。取り入れたら、自社に適用するためのさまざまなプラクティスなど広義の意味での「技術」を組織の内部に蓄積していく。
こういったこともテックリードがいれば一定担保できるが、この通り様々な技術領域やレイヤーを超えて技術の進化は作用するので、適切に全体像を掴むのは案外難しい。そこを最適化するにはより上位の役割が必要になる。
そういえば、WIRED の創刊編集長が書いた「テクニウム」はこういった広い範囲でのテクノロジー・マネジメントを行う上で非常に示唆の多い本だった。去年の「技術と創造の設計」に続いて技術それ自体の捉え方を扱った本としておすすめしたい。
Wantedly の振り返り
上記のようなお仕事も8月いっぱいで終了している。
Wantedly では本当に優秀なエンジニア、そしてデザイナーと働くことができた。
ジュニアエンジニアとしては DHH の言うところの Preventing messes / Making great software を地でいく経験ができた(もれなくSaving money も付いてきたが笑)。同期にもとても恵まれた。
3年目には当時、新卒2年目だった @izumin5210 と @qnighy をメンバーにバックエンドチームを持ち、大規模なシステム設計を経験した。この2人がいたことで自分はソフトウェア設計からアーキテクチャ設計に明確に重心を移すことができたと思うし、どんなに複雑に見えるシステムも真因を明らかにして適切な処置を施すことで対処可能であるという確信を持った。
4年目には3つの(今でいうところの)ストリーム・アラインド・チームをまとめるリーダー of リーダーになり KPI を持って1つのプロダクトを伸ばすということができた。プロダクト作りとプロダクトマネジメントの違いをここで学べたと思う。
その後は必要性もあり全社の技術戦略やアーキテクチャをマネジメントを行ったがこれもこの記事に書いたように多くの学びがあった。
ここには挙げなかった人、直接一緒のチームで働かなかった人も含めて学んだことが多い。そしてもちろん、こういった組織を作り上げた CTO の @kawasy にはとても感謝している。
以上に加えて、教えるということにも多くの学びがあった。特に技術フェローになってからの1年は現開発執行役員の @nory_kaname がそれを組織的に実行するのを横で見ていたが、組織設計とピープルマネジメントについては最後の2年が最も学びが深かったと思う。
初期パラメーターが高い人だけ選び続けてもそれは何かを生み出しているかというと疑問があるし、マクロに考えれば、最終的に良いソフトウェアエンジニアをきちんと育てて増やすということに尽きる。
この点では、自分は大学時代から既に恵まれていた。研究室の先生は何か新しいことをやったらそれが役に立つかの判断よりも先に「それ、面白いね」と言う。そういう中で色々な面白いソフトウェアを作る人がいて、そういう人が時々すごいソフトウェアを作っていた。
企業レベル、つまり資本主義の世界でも技術を育める文化を持つ会社が、きちんと技術を事業的な価値に変えてかつ資本的にも還元して拡大再生産していくことが必要だというのが1エンジニアとしての意見だ。
SANU に入社した
さて、9月からは SANU という会社でソフトウェアエンジニアとして働いている。
リリース当初に申し込んでずっとユーザーだったのだが7月にユーザー向けのイベントに行ったことがきっかけで、代表の Gen さんやファウンダーの Hilo さんとお話しして非常に面白かったので入ることにした。
自分にとっては、前職の経験はありつつも普通にソフトウェア開発の方法論を難易度を上げて適用するのはちょっと面白味がないなと正直感じていた。そういう意味では、SANU には自分が働いたことのないような人たちがたくさんいる。
サービス運営の中でも、アプリの開発をするファンクションも必要なのだが、リアルなオペレーションがあり、建築があり、不動産としての運営があり、それが総合的なユーザー体験と収支に紐づく。
こういう世界において、例えばチームトポロジーの方法論でストリーム・アラインド・チームを作ると言ってもどう適用するかは全く自明ではない。ただそれでも入ってみてきちんと観察をすると、オンラインでのフィードバックがめちゃくちゃサービス運営に活きていて、改善につながっている。
ここにデータの活用、そして継続的デリバリー、プロセスをシフトレフトさせて作り手の発想を入れるといったエッセンスのレベルでは加える価値があるのも明らかで、むしろリアルなお客さんがいること、現実に受けるサービスの一定割合はそういったものであることを考えれば、サービス開発の本丸では?とさえ思う時がある。
・・・と SANU に入ってからの発見と驚きはもっと伝えたい気持ちがあるのだが、普通に記事がもう1つ出来てしまいそうので、一旦このあたりで。あ、もし気になる人がいれば喜んで話すので直接声をかけてね。
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iyoda · 2 years ago
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"テクニウム――テクノロジーはどこへ向かうのか?"(ケヴィン・ケリー, 服部桂 著)からのこの引用を読んであなたのことを思い出しました。
"進化の創造を推し進めるのは3つの力だ。適応(今までの因子)、偶発、必然だ(この3つの力はテクニウムでも再登場する)。われわれは、これらを進化の3つのベクトルと言うことができる。"
こちらから無料で読み始められます:https://a.co/bxvawOu
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keijukita2018 · 4 years ago
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戦略会議 #24 メディアの持つ知性/賢者はデジタルを能動的な手触りの先に置く。
博士課程に入り、ポストフォトグラフィーについて考えはじめ、作品や作家研究をするにしたとしても自分自身の考えがどの辺に軸足があるのか、どのような世界観、思想感を背景としているのかということを作品を創ったこともあってか最近少し考えている。ずっと難解だったレフ・マノヴィッチが『インスタグラムと現代視覚文化論』を読んだことで少し身近になった。その辺も踏まえて少し書いておこうと思う。
チェコの思想家で哲学者であったヴィレム・フルッサーが著書『写真の哲学のために』で示したことの本質は、コンピューターをはじめとするテクノロジーが発展した来るべき未来で、システムや装置と私たちがどのように共存し、その中で人間がどのように人間らしく生きていられるのかということについてであった。 また、僕が動画制作の道へと突き進むことに大きく加担した映画「マトリックス」において、主人公のネオがモーフィアスたちと守ろうとしたザイオンは人間たちが機械との接続から離れてリアルな生活を送る人類最後の都市であった。マトリックスとは機械が作り出した壮大な仮想世界で人間はその世界を維持するための電力を供給する生体電池として繋がれており、マトリックスという仮想空間内でそれを現実として夢を見させられているような状態となっていたのだった。マトリックスに繋がれた人類を少しでも救うために預言者と呼ばれるプログラムなどと会うためにネオたちは自分が繋がれていることに自覚的な状態でマトリックス内に侵入していて、それを外部からの侵入として排除しようとしていたのがスミスというプログラムであったというのが概ねのストーリーだ。最近になって、この途方もないストーリーもあながち的外れな設定ではなく、そう遠くない未来、いや既にこのマトリックスに繋がる状態が現代で始まっているのだなと感じるようになった。 これまで学んできたことを踏まえて考えるのならば、マトリックスの世界における機械はテクノロジーの総体である「テクニウム」によって形成されたものということになるのだと思う。「テクニウム」とはWIREDの編集長だったケヴィン・ケリーが著書『TECHNIUM』の中で より大きくグローバルで大規模に相互に結ばれているテクノロジーのシステムを指すものとして<テクニウム technium>という言葉を作った。 ケヴィン・ケリー、『TECHNIUM テクノロジーはどこへ向かうのか?』、みすず書房、2014年、p18
としているものである。 「テクニウム」は古代の狩りをするような道具からはじまり言語や蒸気機関などを経て、現代のデジタルテクノロジーへと発展をしてきた。 テクニウムのコミュニケーションのうちのすべてが人間の作ったノードから生じているのではなく、システム自体からも生じていることになる。 ケヴィン・ケリー、『TECHNIUM テクノロジーはどこへ向かうのか?』、みすず書房、2014年、p22 とケヴィン・ケリーが指摘しているように「テクニウム」はそれ自体で独自にコミュニケーションをとり、自己増幅する性質をもって膨大な力を生み出しテクノロジーの発���を誘発させて発展している。このコミュニケーションに着目したのが僕が先日「アタラシイアタリマエノカタチ」展にて展示させてもらった作品《A.o.M(Aesthetics of Media)》というシリーズになる(参照:「戦略会議 #25 アタラシイアタリマエノカタチ/北 桂樹|A.o.M(Aesthetics of Media)ーメディアの声に耳を傾ける試み。」)。 そして、ガイア理論を唱えたジェイムス・ラブロックが著書『ノヴァセン』で示した来るべき未来である「ノヴァセン」が「マトリックス」のようになるのかはわからないが「情報」という宇宙の特性の最大の理解者は近い将来、我々人類ではなく、新たな知性へと受け継がれるのは間違いないであろうかと思う。 このことを実感を持って感じたのは、先日まで少々関わらせてもらっていたビジネスパーソン向けの問題解決のセミナーであった。内容に関しては詳しくは書けないが、多くの一流企業の社員の方々が最終的に問題解決として提出してきた案の多くが「テクノロジー(デバイスなど)による自動化」ということをキーにしたソリューションであることに強烈な違和感とともに驚いた。奇しくもいっしょにサポートしていたアーティストの方がおっしゃっていたことであるが「考えること、感じることを放棄することは人間であることをやめることだ」というのがまさにその通りであると感じるのであった。 1970年から81年までゼロックスのパロアルト研究所(PARC)に勤務していたアラン・ケイはパーソナルコンピューターのパラダイムを確立した研究者のひとりである。『ニューメディアの言語』の著書であるレフ・マノヴィッチは『インスタグラムと現代視覚文化論』の中でこのアラン・ケイたちが作り出したパーソナルコンピュターについて彼らの実績と論文などを引きながら紹介していた。そして、アラン・ケイについて着目した最も重要な理由を コンピューターを他のメディアとメディアとの歴史との関係性において理解する彼の理論的定式化である。 レフ・マノヴィッチ、『インスタグラムと現代視覚文化論』、ビー・エヌ・エヌ新社、2018年、p118 とし、彼らがコンピューターを全ての既存メディアのプラットフォームとして確立すること、つまり「メタメディア」となることを目指していたことを紹介している。この考え方は従来のメディアに対する理解を揺さぶるものであり「メタメディア」によるコンピューターアートは根本的に非領域的であることを示している。そもそもに装置によって「テクの画像」を生み出すということとの相性の良さはデジタル化によって写真のその概念を大きく変容させるのは当然の帰結であると考える。このあたりについてもいずれしっかりと書こうと思う。 アラン・ケイたちの考えた初期のコンピューターのユーザーインターフェースの基本コンセプトは、活動的(Enactive)、画像的(icinic)、象徴的(Symbolic)という3つのメンタリティに働きかけるように設計されていた。 コンピューターが学習と創造性のためのダイナミ��クなミディアムとして機能するためには、ユーザーは象徴だけでなく、行動と画像を通して考えることを可能にしなければならないという信念を後押しすることとなる。 レフ・マノヴィッチ、『インスタグラムと現代視覚文化論』、ビー・エヌ・エヌ新社、2018年、p143
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つまり、ユーザーは複数のメンタリティの間を絶えず往復しながら、物理的メディアになかったニューメディアのプロパティ(拡大・縮小、視点の切り替えなど)を活用しながら創造性を働かせる。アラン・ケイたちのコンピューターが目指したのはメディアに与えられた新たなプロパティにより、私たち人間の「考えること」を促進させることであった。つまり、思考することを促し、人間が人間であることの強化させるものであったといえる。逆に言えばそれだからこそコンピューターはイノベーションたり得たのだろうと考える。この意味で、あまり批判的になりたくはないが、1984年に初代マッキントッシュが発売されそれから半世紀と経たないうちに人類の考えるイノベーションがなぜこれほどまでに人間の人間たる所以である「考えること、感じること」を圧倒的な他者である機械やデバイスに頼る方向に進んでしまっているのだろうかという点において個人的には不思議に思うがこれが「テクニウム」の力なのだろうと思う。
Googleの検索機能がインターネットという世界のデファクトスタンダードなり、何でもわかった気になれる時代へと世界は足を踏み出した。Amazonに始まるパーソナルなフィルタリングはいずれ私たち個人個人を包み込み、世界へつながるはずの環境は「あなた」という小さなバブルになりその中に閉じ込められる。いずれ自分が閉じ込められていることにさえ気がつかなくなって「マトリックス」が1999年に予見したディストピアの世界が完成する。すでにテクノロジーの総体である「テクニウム」は自己増幅をしている。それも物質主義という流れをコントロールし、人間の思考を停止させ、自らの進化の力を増幅させることに利用している。こう考えれば「マトリックス」の世界もあながち飛躍しすぎた世界観でもなかったことがよくわかる。私たちは「テクニウム」にコントロールされて、自分たちで自分たちを生体電池化を進めているのである。 とはいえ、僕はテクノロジーに対しては決して悲観的な考え方を持っているわけではないVRの世界の中での仕事ということも大いにあり得ると思っているし、映画「ピエロがお前を嘲笑う」での台詞ではないが「サイバー世界と現実世界を楽しめ」ということがこれからの本質だと思っている。 「テクニウム」は人間の拡張であり、人間の機能の外部化だ。マーシャル・マクルーハンの言うようにこれらは人の感覚比率を変え、いずれは社会そのものを変化させる。 これだけカメラ任せになるのだから最新のデジカメを使い続ければ写真が下手になるのは当然であり、上手くなりたいならフィルムカメラで撮りなさいというのは一理ある。一方でイメージを作るのに写真の上手い下手は関係ないとも言えるおもしろい時代になったのだとも言えるのだ。テクノロジーとどう付き合い、どう採用するのかの選択に自覚的であるべきだと言うだけである。その意味で、僕としては人が何も考えなくてよくなるというテクノロジーには若干の抵抗を感じるし、僕が知る限り、アラン・ケイをはじめとしてあらゆる分野の賢者はデジタルを能動的な手触りの先に置く。
「便利になることと何も考えなくてよくなることは別である」
というのが今時点の僕のスタンスだ。何も考えなくてよくなって、透明化していく機械やシステムに使われるより、見えてるうちに機械を捕まえて、遊び倒してしまう方が面白いに決まっている。 修士論文でトーマス・ルフをコンテンポラリーに切る上で参照したのは前出のヴィレム・フルッサーで、カメラというものは道具ではなく装置であり、機械(装置)と付き合う機能従事者としての私たちというこの形はこの予見された未来での私たちのあり方の一つの方向性であるということだったのだと思う。機械を使って(使われて)働く労働者(ホモ・ファーベル)としてではなく、機械で遊ぶ人(ホモ・ルーデンス)であるということが、人間的な機械との関わり方なのだろう。ヴィレム・フルッサーをどのようにアップデートしていくのかというのが今後の僕の研究のひとつの使命である。ポストフォトグラフィーというものを題材として、そのあたりへの探求を今後も深めていきたいと考えている。
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bushdog · 3 years ago
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dotomtom · 6 years ago
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ケヴィン・ケリーの『テクニウム』読み返してるけど、この本狂ってるな ktrokd さんのツイートから
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hajime-t · 5 years ago
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Fishing!釣りに行こう!オレ。。
ワンチーム感動した。 ラグビー素晴らしい。 日本代表を読谷まで追っかけたなぁ。。。 流行った「にわか」。 良い響き。。。w ぼくも釣りは「にわか」で入ったけどねー。 https://www.daiwa.com/jp/fishing/item/reel/spin_rl/18_t_iso_lbd/index.html もう、iso「Z」は無いのね。。。寂し。 で、みんな大好きなシマノさん。 まずは高橋哲也のウキとか知らん奴はあっちいけw で、みんなの憧れテクニウム。 http://fishing.shimano.co.jp/product/reel/4188 もう10万越える��だねーっw(税込み) どれだけ売れているのか聞いてみたいです。 (IRで言わないだろうしね。。���) シマノもさぁ、今更逆転防止機能みたいなのを付けてきてもなぁ。 軟弱さイメージは払拭できなくね?軽さ追求は分かるけどベールは太くして 安心感持たせてよー。 予期せぬ大物でリール逆回転!爆発!ってのは解消されているのかしら?w ともあれ、 釣りしたい。 ガチでしたい。 上物最高ーーー! って頃に戻りたい。 たのしかった離島遠征。 磯で死にかけ、勉強した思い出。 若かったからなぁ。。。 こんなおっさんでも、新堤一拍とか可能だろうか。。。ww 2020 やるわ。 OFDさん。 Gore-Tex準備な。
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digiday-jp · 6 years ago
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「テクニウム」と「リゾーム化」が示す、現代社会の本質:信頼性の危機というデジタルシフトの課題 https://digiday.jp/agencies/technium_and_rhizome/
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digdlsnews · 6 years ago
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一般書籍・楽譜タイムセール 6/7(木)14:00~24:59
一般書籍・楽譜タイムセール 6/7(木)14:00~24:59 6003作品中、一部を紹介!
<<語学>> 3語で韓国語会話ができる本 CD付 / チョヒチョル <<語学>> 独検対応 クラウン ドイツ語単語1600 / 信岡資生 <<芸術・アート>> シャーロック・クロニクル / S.トライブ <<科学・自然>> 日記・書簡 新装 朝永振一郎著作集 別巻 2 / 小林稔 <<語学>> CD付)ゼロからスタート中国語 文法応用編 / 郭海燕/王丹 <<産業>> イッキ! にわかる 基本情報技術者 テキスト&問題演習 平成26年度 / 根岸良征 <<科学・自然>> FIELD GUIDE 22 葉で見分ける樹木 / 林将之 <<科学・自然>> テクニウム テクノロジーはどこへ向かうのか? / K.ケリー <<漫画・アニメ>> 鉄人28号論 / 光プロダクション 鉛筆デッサン教室 観察から線力アップまで /…
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honyade · 6 years ago
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服部桂 × 柳瀬博一「メディアがわかりたいならマクルーハンを読め」 『マクルーハンはメッセージ メディアとテクノロジーの未来はどこへ向かうのか?』(イースト・プレス)刊行記念
「メディアはメッセージである」「グローバル・ビレッジ」等のフレーズで、1960年代に時代の兆児となったマーシャル・マクルーハン。カウンター・カルチャーの中で教祖として崇められた彼は、メディアというものを独特な表現で理論化し、その本質をとらえました。
彼が用いた言葉や理論は、その後インターネットの出現で改めて甦り、ベストセラー『〈インターネット〉の次に来るもの』を著したケヴィン・ケリー氏も繰り返し言及するなど、世界的に再評価の機運は高まっています。
マクルーハンにとってメディアとは何か、それはどこへ向かうのか。
5月17日発売の新刊『マクルーハンはメッセージ:メディアとテクノロジーの未来はどこへ向かうのか?』(イースト・プレス)では、ケヴィン・ケリー氏の翻訳でもおなじみの服部桂さんが問うています。
今回トークイベントのゲストにお迎え��る柳瀬博一さんは、この春より東京工業大学でメディア論を教えています。元日経BP社の名物編集者にして敏腕プロデューサー。マクルーハンに言及した原稿も数多く書いています。
現場を熟知したお二人が、改めてメディアというものを考えるときに、マクルーハンという切り口がどのように有効なのか、そして今後のメディアとテクノロジーのゆくえをどう考えていけばよいのか、縦横無尽に語っていきます。
【出演者プロフィール】 服部桂(はっとり・かつら) 1951年、東京都出身。早稲田大学理工学部で修士取得後、1978年に朝日新聞に入社。87年から2年間、米MITメディアラボ客員研究員。科学部を経て、出版局で「ASAHIパソコン」副編集長、「DOORS」編集委員、「PASO」編集長。94年に新聞紙面で初のインターネット連載。その後、企画報道部でデジタル面、科学部でbeを担当。2011年から同社ジャーナリスト学校シニア研究員。メディア研究誌「Journalism」編集を担当。16年に朝日新聞社を定年退職後フリーに。著書に『人工現実感の世界』、『人工生命の世界』、『メディアの予言者』など。訳書に『ハッカーは笑う』、『人工生命』、『デジタル・マクルーハン』、『パソコン創世「第3の神話」』、『ヴィクトリア朝時代のインターネット』、『謎のチェス指し人形「ターク」』、『チューリング』、『テクニウム』、『<インターネット>の次に来るもの』。また『デジタルテレビ日米戦争』(共訳)、『「複雑系」を超えて』(監修)などがある。
柳瀬博一(やなせ・ひろいち) 1964年生まれ。東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 教授(メディア論) 慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)入社。「日経ビジネス」記者を経て、96年、日経BP社に出版局設立と同時に異動し単行本の編集に従事。主な担当書籍は、『小倉昌男 経営学』、『日本美術応援団』(赤瀬川原平+山下裕二)、『養老孟司のデジタル昆虫図鑑』、『アー・ユー・ハッピー?』(矢沢永吉)、『ピーコ伝』(ピーコ)、『ニッポンの課長』(重松清)、『ベルナール・アルノー、語る』など数々のヒット作を生み出す。2008年より日経ビジネス オンラインのプロデューサー。2012年より日経ビジネス、日経ビジネス オンライン、双方のメディアを担当するチーフ企画プロデューサーに。TBSラジオ「柳瀬博一・Terminal」、「文化系トークラジオ Life」パーソナリティとしても活躍。今春、日経BP社を退社し、東京工業大学で「メディア論」について教鞭を振るう。
時間 _ 20:00~22:00 (19:30開場) 場所 _ 本屋B&B 東京都世田谷区北沢2-5-2 ビッグベンB1F ▼入場料 ■前売1,500yen +(1 drink order 当日現金払い) ■当日店頭2,000yen + 1 drink order
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addicted-fishing-blog · 7 years ago
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釣り百景 #226 名手の原点ここにあり 高知県土佐清水市で寒グレ釣り
釣り百景 #226 名手の原点ここにあり 高知県土佐清水市で寒グレ釣り
釣り百景 #226 名手の原点ここにあり 高知県土佐清水市で寒グレ釣り
(2018/02/22 放送)
▼番組内で使用されているタックル情報を確認するには「もっと見る」をクリック!
▼平和卓也 使用タックル
[ロッド] イソリミテッド [ISO LIMITED] デルガード 1-530 (http://fishing.shimano.co.jp/product/…)
[ロッド] イソリミテッド [ISO LIMITED] アステイオン 1.2-530 (http://fishing.shimano.co.jp/product/…)
[リール] BB-X テクニウム[BB-X TECHNIUM] C3000DXG S RIGHT (http://fishing.shimano.co.jp/product/…)
[スプール] 夢屋09BB-Xファイアブラッド 1500DA / 1700DA…
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bacars222 · 7 years ago
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コンピュータ世代のカルチャー雑誌『ワイアード』の創刊編集長であるケヴィン・ケリーは、「テクニウム」という刺激的な概念を提唱している。テクニウムは「テクノロジー生態系」のことだが、それは人間が意図的につくりだしたものではない。テクノロジーこそが主体で、それが人間を利用して自らの環境を拡張しているとケリーは考える。  リチャード・ドーキンスは『利己的な遺伝子』において、人間は進化の主役ではなく遺伝子のビークル(乗り物)に過ぎないと述べた。テクニウムにおいては、テクノロジーはスティーブ・ジョブズやイーロン・マスクのような“ギフテッド”をビークルにして、自らの可能性を限界まで拡張していく。そこではもはや、人間の意思はなんの影響力ももたない。わたしたちにできるのは、科学技術の進歩に翻弄されながら、ただひたすら「テクニウム」に適応しようとあがくことだけだ。  産業革命以降の人類史では、進化のための淘汰は自然生態系ではなく、テクノロジー生態系で起きている。そう考えれば、「人類の救済」を夢想し、知性によって世界を「デザイン」しようとするカリフォルニアン・イデオロギーもまた、テクニウムの創造物なのかもしれない。
シリコンバレーの起業家たちの思想と価値観――イーロン・マスクやピーター・ティールの考え方 | 文春オンライン
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web-horizon · 7 years ago
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産業革命以降の人類史では、進化のための淘汰は自然生態系ではなく、テクノロジー生態系で起きている。そう考えれば、「人類の救済」を夢想し、知性によって世界を「デザイン」しようとするカリフォルニアン・イデオロギーもまた、テクニウムの創造物なのかもしれない。
http://bunshun.jp/articles/-/3884
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keijukita2018 · 4 years ago
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戦略会議 #22 文化芸術特論/芸術の同時代性、社会性についてどう考えるか?
WIREDの編集長であったK・ケリーの著書『テクニウム』のことばによればテクノロジーを示すテクニウムの進化は生物の進化と同じ三連構造の性質をもっているという。ひとつ目のその構造とは「構造的必然性」であり、物理の基本法則と自己組織化による創発が進化をある形に導くという性質である。個々の詳細な形までは予測できないが、大きなパターンとしての性質は自己組織化によって定められており、逃れられない力として作用する。 二つ目は「歴史的/偶発的側面」である。偶然やその時々の機械が進化の道筋を左右し、そうした偶然が長い間に蓄積して、自らの内的な完成を持つ生態系を生み出す。過去が重要となる。 そして、三つ目の力が自然においては「適応力」であり、最適化を薦める力である。これが生き残りの問題を絶えず解いてくれる創造的イノベーションとなるが、テクニウムにおいては自然における無意識の盲目的な選択とは違い、人間の自由意志と選択によって開かれた「意図的開放性」となる。 この考えはイノベーションが同時期に世界各地で生まれてきたことの背景となっている。テクノロジーのイノベーションは誰かひとりの天才によって生み出されたわけではなく、「構造的必然性」をスタートに「歴史的/偶発的側面」の条件が整った時に同時多発的に起こるものである。ディティールこそ違えど、世界中で同じような発明が同時期に生まれる。その中から「意図的開放」によってイノベーションとして定着するものが生まれるのである。電話や飛行機、写真術といったものは有名な話だが、複数同時期に同じテクノロジーの発明が生まれるのはそのためである。 これは自然やテクノロジーのイノベーションに関する考察となるのだが、芸術の同時代性に関して考える時にもこの三連構造の考えは有効であると感じた。 芸術作品も「構造的必然性」をスタートに時代の影響を色濃く受けた形で生み出されるというモノ���と考える。「過去が重要である」という「歴史的/偶発的側面」は芸術の世界においてはコンテクストと呼ばれるものがそれにあたり、人類が芸術を生み出すというという必然性はあるものの、どのような芸術をどのような文脈でいつ生み出すのか?ということのディティールはその後の「歴史的/偶発的側面」に影響される。それ故に表現者の空間的距離、領域の違いなど表現の幅こそ広かったとしても、時代を背景としているために共通するものが背景に通底する傾向が見られると思う。それこそが「同時代性」であり同じ時代と歴史を背景としてきていることによるのではないかと考える。 今回の八幡先生の講義の中、ご自身のこれまでの制作のヒストリーを伺っていると「染色」と私が専門とするコンテンポラリーアート、現代写真というものとは領域こそ離れており、違ったものであるにも関わらず、まさにコンテンポラリーアートの歴史の推移を感じるようであった。様式美、イメージ・美しいに対する依存、作家性至上主義といったようなところから、作品の価値生成が概念的な部分へ移行し、反芸術、反権力的な姿勢をもって領域を横断し、カテゴリーの枠を拡張しているように思えました。このことは「写真」やそれ以外のコンテンポラリーアートの領域にも起きており、それは時代を反映する芸術だからこその社会性と同時代だからこそなのではないかと感じました。 それ故に、今回あげられた、6つのキーワードである。「まずイメージありき」「日本の価値を見直す」「リメイク」「ナラティブ・ストーリーテーリング(物語性)」「システムを取り込む」「デジタルで出来ること」というのは私が研究対象としている現代写真のアーティストであるワリード・ベシュティの作品群の中にもいくつか共通するものが見られる。 《FedEx》という彼の作品はFedExの物流システムを利用し、芸術の流通と循環というものを顕在化させることで、芸術産業の裏側や間質的な部分も含めた全体像というものを示そうという作品であったりする。結果として提示される彫刻作品はアーティストの手によるものではなく、社会の「システム」によって生み出されたものとなっている。従来の彫刻という領域にも疑問を投げかけるその作品には今回の八幡先生の作品との同時代性を感じる。
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yutanews · 8 years ago
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『WIRED』US版創刊編集長ケヴィン・ケリーがデジタルテクノロジーの“不可避な力”をひも解いた『〈インターネット〉の次に来るもの──未来を決める12の法則』。前著『テクニウム』に続き本書の翻訳を手がけた服部桂 via Pocket
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andoi-blog · 10 years ago
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ローカルな出版がしたい。 都市のカルチャーが好きだ。 テクノロジーは二つの関係をデザインできる。あとは、それを知るだけだ。頭だけではなく、体でも。
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