#ダイコク薬局
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枚方市駅降りてダイコク薬局で買い物したあと長いことご無沙汰の店行こう思いましたが混んでて断念。松屋でアサヒスーパードライ🍺、ビーフストロガノフ🇷🇺で過ごしました。#松屋 #松屋枚方店 #アサヒスーパードライ #アサヒスーパードライ瓶ビール #ビーフストロガノフ #ビーフストロガノフ🇷🇺
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第6回 大人の平高祭
記
日付 : 令和元年1月2日17:00
場所 : OSTERIA 101 SICILIA GRILL
札幌市中央区南3条西5丁目 ノルベサビル7F
(地下鉄南北線、すすきの駅2番出口から徒歩3分。すすきの駅2番出口から正面ダイコク薬局を左折し直進、右前にノルベサビル7階が店舗。)
会費 : 3,500円
服装 : ご自由にどうぞ。スーツからジャージまで
申込 : 専用フォームをお使いください
定員 : 先着30名程度。定員になりしだい締切
資格 : 平岸高校卒業生35期より上の世代の方々(成人のみ)、平岸高校新・旧職員
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最近益々浸透して大人気のハッカ油。 きっと火付け役は北見精油?さんですね。北海道の。 健栄さんのが地味で安いんですよね。 うちは、「殺」ではなく、「防」虫なんで、季節がらよく使いました。 ところが最近パッケージに赤帯で「売上NO.1ブランド」と来たもんで、なんと価格に変動まで起こりつつあります。 ダイコクでは最初に買った時の値段ではもう買えなくなってたし、マツキヨ覗いたら、また少し違う値段で上がってる。上がり方までマチマチ?販売店に上代委ねてる?不思議な現象。 なんかエロい匂いするけど、探せば安いまんまの薬局あるよって話でした。
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2017.02.16
昨日会った人間がツイッターで呟いた「強い気持ちがないと嘘だよ」という言葉が、僕に言われているような気がした。僕は心臓が動いているんだぞ、と思った。ドライヤーで髪を乾かしている時、心臓のある左胸をどんどん叩いた。そしたらそれに反応するかのように心臓が跳躍した。なぜか心臓が痛かった。
昨日はメンタルクリニックに行った。診断の時に「小指を切り落とそうと、包丁の柄に手をつけた」話をしたら、「医師を固定し、そういった衝動に襲われたらすぐに来ていただく必要がある」というようなことを言われた。そして酒を飲んでると言ったら「投薬をしている期間は、酒は絶対やめていただく必要がある」と強く言われた。僕は「ソラナックスの28錠のうちの14錠をデパスに代えてくれませんか。どちらの方が効果があるのかわからないので」と言ったら「デパスは依存性があるし、抗不安薬は効果が劇的に顕在するものではないし、それより、まず酒を飲まない習慣をつけて、ソラナックスを飲んでください。��ないと効き目も正常に判断できませんし、デパスに変更することはできない」というようなことを言われた。ざらざらとした感触に満たされた。「どうしてもデパスは無理ですか」と言っても聞き入れてもらえず、「サインバルタを20mから30mにする方針はありだと思います」と言われ、よくわからずに承諾した。「実存的な危機の時に抗不安剤で対処する必要があり、デパスのが効果があるならそちらに変更しようと思うのですが」と言ったら「実存的な危機って何ですか?例えば、落ち込むという状況で落ち込むのは正常の反応ですよ。実存的な危機というのは、時間とか、人との関わり合いが解決してくれるもので、薬で対処するのは根本的におかしいですよ」と言われ、「では今僕が自殺したい衝動に駆られてどうしても我慢できなかったらどうするんだ」という考えが頭に浮かんだがもちろん言わなかった。さらに「サインバルタを30mにした上でソラナックスを頓服の10錠にしましょうか」という話が出たが、僕は減量を恐れたので断った。「以前の医師による判断と、私の方針を混同することはできないから、デパスを出すのはもう少し様子を見させていただかないとできない。私はあなたのことを診察するのは、まだ2回目程度ですから。とりあえず、アルコールは断ち、医師を固定してください」と念を押すように言われ、僕は診察室を出た。
まあ新しい薬はもらえなかったが、サインバルタが増量されることで、以前の通院の時との「変化」をつけることができるのなら、いいや、と思った。薬をもらうために僕は東京まで来てるのだから、以前と同じでは、目的を果たした感じがしない…!満足感が得られない。診察も1,430円もかかるんだし、「変化」がなければ、電車賃をかけて、わざわざやって来た価値が喪失すると思い、そのことを恐れた。だから僕はデパスが欲しかった。僕は以前、デパスのジェネリックを個人輸入していたのであるが、その時の感触をまた確かめたいと思ったのに。
だが、診察室を出て、薬局の待合室で、僕は自分の考えはあまりにも馬鹿げていると思った。なんて弱々しい人間なんだと思った。医師は調剤師ではない。医師の判断が正しいのではないか。それはわかっていた。薬なんて飲まないほうが本当はいいのだ!なぜ俺は薬が欲しいんだろう。なぜ「デパスが欲しい」なんてことを言ったのだろう。給茶機でコーヒーと紅茶を飲み、鬱屈としながら待っていた。「おいおい、結合させるなよ。不安感をメディアに、メディアという自分に、結合させるなよ…。不安を不安と、メディアの中でいくら吐露しようが、何も解決しないじゃないか。僕はメディアの傘下に入っている。支配されている。自分の見えない不安を確認し、実在化させるための見える薬と、その不安を感じている個を映すことを強���するメディア…」薬代は2,020円だった。診察代と合わせ、3,450円。電車賃、2.640円。二週間、6,090円。親の働いた金。虚無だった。自分死ねば良いと思った。だが、その考えも軟弱だった。全てが虚無だった。
「人生の価値は決して自動的に生じるものではない。人間存在は、自分自身の選択によって自分自身の存在を失うことができる。自分自身の存在を肯定することが、人生の価値を創造する」とニーチェが言ったらしい。僕は自分の行動に対して肯定感がまるでなかった。医師という権力に、自分の要求が聞き入れられなかったせいで、僕の心臓はぐしゃりと押し潰された。自意識を改変したい。僕は「今の自分を知る能力」が欲しい。そのためには人を媒介とするしかない。絶えず更新されていく脳内が鬱陶しかった。支離滅裂な自分だけの言葉で埋め尽くされていた。その意味不明な言葉たちを、薬で殺すのは無理だ。僕は「死」を思った。抗不安薬は、どういう時に飲めば良いのだろう。
僕と合わせて二人しかいない待合室の椅子に座り、本を読もうと思ったが、読めなかった。とりあえず目を本に当てていたが、おかしなところにシャーペンで線を引いた。自分の夢の中の行為と、現実の行為を思った。僕のした行為がどちらに位置するのかわからなくなった。もしかしたら夢の中でした行為だと、現実の自分が思っていることを、現実の自分がしていたらどうしようと思った。混交された意識のまま、なぜか僕は夢の方が現実なのではないかとか、現実味があるな、と思うようになった。
「治療方針が医師によって違う」ことを痛感した。そして、僕の「望み」を聞き入れてくれる医師しか僕は嫌だと思った。病院から出ると、「俺の事情を汲み取れ。でなけりゃ死ね」と僕は憎むように言った。
身体が疲れていたので、ダイコクという薬局に栄養剤のようなものを求めて入ったが、全ての商品が「虚無」でしかなかった。なんでこんなにたくさんの商品があるんだろう。ニキビに効く薬の箱を見て、それが自分のニキビを思わせ、買ったほうがいいのだろうと思ったが、思っただけだった。
その後、通信制限がかかったぶっ壊れたスマホでマップを見ながら、紀伊国屋書店に向かった。迷った。着くと、「火花」の文庫が平積みされており、まず第一の発見だ、と僕は思った。三階のトイレに入った。「複数性のエコロジー 人間ならざるものの環境哲学」刊行記念のコーナーにあった細野晴臣のアンビエント・ドライヴァーという本を読んだ。「イルカには脳の中に静寂野という部分がある。それによって個を持ちながらも共存できている。人間もこの静寂野を働かせることで変わるのではないか」というようなことが書かれていて興味深かった。
ツイッターでとあることを呟いたら目上のとある人から返信が来た。いきなり会うことになった。20時に茅場町で仕事が終わるので、それからなら、と。場所は新宿で大丈夫とのことだった。僕は紀伊国屋書店で時間を潰すのがなんとなく不安だった。あと4時間あった。これから人と会うのか、僕は昨日風呂に入ってないのを思った。紀伊国屋書店から出て、マツモトキヨシで、アレックスフレグランスのボディスプレーのテスターを身体に随分と吹きかけた。また、皮脂を落とすために、フェイスペーパーも買った。顔が乾燥していたので、化粧水のスプレーのテスターを顔に吹きかけようと、無印良品に行った。「ホホバオイル」というのを見つけ、頭皮ケアに最適と容器の裏面に書いてあったので、少し手のひらにつけ、その場から少し離れたところで頭に塗りたくった。天然水を買った。そしてまた紀伊国屋書店に戻り、小説の参考資料に教育学の本などを読んだ。途中で不安になり、階段で先ほど処方されたソラナックスを銀色の袋の中で、一錠取り出し、飲んだ。家に帰りたいと思った。布団に潜りたいと思った。だが、人と会うことには価値があるし、他者と自分という対極は常に弁証法的に関係しているので「気づき」があるから、それを求めて、とりあえず待とうと思った。会うことは東京という街に悲惨な思い出しかないことを思った。受験勉強時代からの流れ。またトイレに行った。なぜか猛烈に男子トイレではなく、女子トイレに入りたい気持ちに駆られた。紀伊国屋書店には、弱々しい自分しか存在していなかった。
20時半まで本を読み、21時前後に新宿駅に着くというのでやがて出た。ジャック・ランシエールという人の「無知の教師」という本の訳者解説をなんとなく読んでいたら、「ランシエールは、哲学、美学、文学、など、諸々の学問を横断した」というようなことが書かれており、僕は自分の入学した大学の学部のことを思った。僕の学部も様々な学問を横断する学部だった。だが僕は、その横断的な学部を全く活用できてないじゃないか。なぜこんな学部に入ったんだ、と思った。
新宿東口で合流し、安い居酒屋あたりで、どこの店に入るか逡巡しながら歩いていたらやがて歌舞伎町に入っていた。三人の黒人に知り合いというような感じで、馴れ馴れしく、立て続けに声をかけられ、「いやいや知らない(笑)」と初対面の人は言った。三人の黒人が同一人物に思えた。「最悪ラーメン屋とかにしますか」と僕が言った瞬間に、カラオケの鉄人のキャッチの声をかけられ「求めてるのはお前じゃないんだよ」となった。「鳥貴族」という店が安くて良いと言われたが、満席だったので諦めた。「ケバブ家」という店に入ることになった。僕はケバブのミックスサンドとハイボールを頼み、相手はカリモーチョという赤ワインとコーラを混ぜ��飲み物と、フライドポテト、からあげ、キムチなどを頼んでいた。
2時間くらい話し、終電で帰った。一緒にイベントをやらないか、手伝ってもらいたい、と誘われた。僕は嬉しかったが、迷った。「手伝いますよ。ただでやりますよ」と流れで、言ってしまった。「明日何時に起きるんですか」と聞くと「7時」と答えた。
1時15分に家に着くと、風呂に入り、二次元のエロ画像で、自慰をした。その自慰という行為になんの価値も見出せなかった。そして、届いて居た本を少し読み、眠剤を溶かし、布団の中で、スケッチブックというアニメを12話から13話まで視聴した。それは楽しみだったが、僕は煩瑣的な思いにずっと取り付かれていた。5時以降に眠った。10時半に一旦起きたが、また眠り、13時半過ぎに起きた。僕と出会った人は、7時に起きるのに私は不規則だと思った。怠けていると思った。だが、眠ることは楽しみだった。殺される夢を見た。家族、親戚全員を皆殺しにする集団が自宅のそばにいた。自宅が安全圏かと思い全員で隠れていた。自宅の中に居た誰かが外に出た。突然爆発が起こり近所の住宅が破壊された。やがて僕らの家も爆破されると思い、僕は「逃げよう!」と家族と親戚に死の恐怖に耐えかねて、言った。僕は家から飛び出し、心臓をバクバクさせながら走った。「おれ死ぬんだ。家族全員死ぬんだ!」もう絶対に逃げられないと思い、殺しの集団と対面し、僕は泣訴した。「生きるのに執着してるんです!だから絶対に殺さないで!頼むから殺さないでくださいお願いします!」
でも実はそれは演技の世界だった。しかし、僕は演技かどうかわからなかった。本当の恐怖だった。絶望の嗚咽だった。父方の叔母に「すごい演技力だったじゃない!」と褒められた。
「悩むんだよ僕は。悩みたいんだよ。カフカのように、止まって、倒れてたいんだよ。でも来てしまう。身体が怠い。そんなのはみな、一緒だが、僕は悩みたいんだよ」と布団の中でまだ完全に覚めない意識の中で、目をつぶりながら思った。
昨日会った人間に、不在着信が13時頃にあり、「早速イベントについて相談があります。連絡をください」とメッセージが来ていた。僕は起床後、返信をした。「現在は大丈夫ですか?」と送った。やがて電話が来て、僕は電話にでた。
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枚方市駅降りてダイコク薬局で買い物後久しぶりのマクドナルドです。今回は「ニュータイプ白いトリチセット」です。ボリュームたっぷりで旨い😀😋
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第5回 大人の平高祭
記
日付 : 平成31年1月2日18:00
場所 : OSTERIA 101 SICILIA GRILL
札幌市中央区南3条西5丁目 ノルベサビル7F
(地下鉄南北線、すすきの駅2番出口から徒歩3分。すすきの駅2番出口から正面ダイコク薬局を左折し直進、右前にノルベサビル7階が店舗。)
会費 : 3,500円
服装 : ご自由にどうぞ。スーツからジャージまで
申込 : [email protected] まで
定員 : 先着50名程度。定員になりしだい締切
資格 : 平岸高校卒業生34期より上の世代の方々(成人のみ)、平岸高校新・旧職員
http://www.hirakokai.com/otohira/?p=159
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2017.01.17
今日は、2時45分に寝て、4時10分に目が覚めてしまった。尿意があり、一階に降りて用を足すと、冷蔵庫にあった赤ワインを口に少し垂らし、また布団の中へ潜った。しばらく眠れなかった。
「もちろん気があるんでよろしく」「やっぱり目を合わせて話さないと思ったらちゃんと見てるじゃない」「ゴールド母」「享年40歳」夢の中に出てきた言葉。「こんな体たらくでしたので、誠意を表明するために、打ち上げ後に、発表があります」
夢の中で、母親が父親に言った。「 貴方が仕事に行かないと、それを見た子供も真似して行かなくなっちゃうよ」と。夢の中では家族全員が堕落していた。僕は大学に行きたくなかった。父親は、僕をまじまじと見た。母親がこ��いう歌いいよねと言った。だが、変な歌だった。だが僕は好きだった。焼き鳥がラップもせずに窓際に放置してあった。文鳥を三匹飼っていた。一匹が近づくと、二匹が逃げた。その二匹は一匹に嫉妬してるみたいだった。
同じ家にいるということは、内部に同じ「家族」を感じているということなのです。家族の政治学 24
0745
目覚ましで起きた。もう寝ないで起きてようと思った。しかし、「若いんだからもっと寝たほうがいい」という自分の声がした。
0837
寝て、起きた。僕は夢の中で金沢に行こうとしていた。一人の女性に会いに行こうとしていた。が、足元を見ると、真冬なのに、父親のサンダルを履いており、かなりの不恰好であることに気づいた。ある店の中に入ると、クロックスが売っており、買おうかなと思った。カバンには化粧水なども入ってない。向こうに行ったら借りればいいと思った。なぜか秋葉原に居た。神田神保町のように、店外に無防備になった古書の入った本棚があった。街の匂いを感じた。ゲームソフトなどが売られていた。ヨークベニマルというスーパーマーケットがあった。サングラスをかけた男が、サングラスを売っていた。アニメの時計があった。「今、秋葉原なんて見ても時間を浪費するだけだ」と思った。せっかく金沢に行くんだから、金沢でいろいろ見ればいいじゃないか。秋葉原には新幹線乗り場があった。駅名は「東京芸術大学新幹線乗り場」となっていた。三階への上がり方がわからない。新幹線乗り場は三階にあった。戸惑った。階段を登った。同じ年齢くらいの若い美人の黒髪の女性の清掃員が、階段で箒を持って掃除をしていた。ミニスカートをはいていて、黒色のパンツが階段を登っていく際に見えた。肌色の生足が目に入った。僕は興奮した。なぜか僕は変な機械を手に持っていた。階段を登り切り、三階の駅前にたどり着いた。途中、人々が清掃員を邪険に扱い、清掃員は苦い顔をしていた。なぜか救急車を呼んでいる人がいた。1時間で金沢に着いた。待ち合わせ場所は定かではなかったが、多分金沢駅に居れば来るかなと思った。相手に以前連絡をしたら「私もそのくらいに着くよ」と言っていた記憶があった。どこに着くのかはわからないが、きっと来るだろうと思っていた。
夢が覚めた。結局女性には会えなかった。起きるなり、「死んでしまいたい」という思いが入り込んできた。 母親が自室に入ってきて、「これ全部返すの?カバンがさけちゃうじゃない」と言うのが聞こえた。バッグに詰めてある今日図書館に返す本を見て言ったんだと思った。「家族とは、エロスの抑圧である」というR.D.レインの言葉を、なんの���係もないが、思い出した。文鳥の鳴く声が一階の台所から二階の自室まで聞こえてきた。僕は夢に出てきた、三匹の文鳥を思��出した。「現実では一匹なんだ」と思った。
0857
母親が、「ここ置いとくよ」と言い、5000円札を机に置いた。母親は仕事に行った。母親の姿を見ることはなかった。急に父親が僕の中学生の卒業式の時に泣いたのを思い出した。「父親はドラマを感じている? 」眠かった。大学教授に「甘ったれるのはやめましょう」と言われたのをふと思い出した。現実に引き戻されたくない、ずっと夢の中にいたいと思った。
夢の中では全てが自由だ。現実では、秋葉原に東京芸術大学はないし、そこに「東京芸術大学新幹線乗り場」という駅も、もちろん存在しないが、夢の中では実在したって構わない。アメリカと北海道が地理的に繋がっていたっていい。「アメリカ北海道」という国が存在していたっていい。というより、夢の中というのは、内側しかなく、そこでは常に出来事の全てが現実であるように思える。
現実であるということは内側に現実なものがあることであり、外側は非現実である。 なぜなら私が現実的なものを内側に取り込んでしまったのだから。家族の政治学 138
しかし、たちまち目が覚め、「秋葉原に東京芸術大学があるぞ!」と、さもそれが真実であるかのように、断定するように言ったとしても、必ず、それは本当のことではない思われる。実際のところ、外側には、秋葉原のどこを探しても、東京芸術大学はない。
でも、夢ならそれは絶対的に存在している。視えているから。
「言語以前の水準では、視覚的表象が優勢である。視覚による具体的状況の彷彿化は包括的であり、またこれほど複雑な形が可能なものはない」精神医学の構造力動的基礎 64
夢は視覚を主体としている。夢の中では、解釈がないと思う。完全に視覚的な表象に身を委ねたままだ。だから、どんなに複雑なことであろうとも、空を飛ぼうが、深く海に潜りながらお茶碗に入った白米を美味しく食べようが、実際的に体験されている。首尾一貫していなくとも。だが、起きるなり、決して視えない「規則」の中に自分が絡め取られていく。
もしあなたが規則に従って生きているなら、あなたはそれらが存在することを知ることはないでしょう。家族の政治学 171
「夢で見た映像が文字へと置き換えられ、さらに文字が解釈されていく。(無意識における文字の審級)。こうした言語や文字への翻訳が、原抑圧や、去勢、シニフィアン連鎖、象徴的なものへの参入、と呼ばれる。 ガタリはさらにこれを国家へと類比させていく。国家は文字を統制し、構成員を教育し、そして自分たちについて語らせる。言語で己を表現することは国家への参入を意味する」by F.ガタリ ジル・ドゥルーズの哲学 275
他者によって解釈されていく。他者(権力)によって解釈された意味が決定的になっていく。僕はその他者にただただ平身低頭していくしか道はない。首尾一貫していないと、徹底的に糾弾される。
ガタリは「精神を病んでいる者の発話がオイディプス構造や性的コードで解釈されることが正当化されるのは、その場が精神分析的な権力によって支配されているからだ」と言っている。自由連想や言い間違いの中に抑圧された表象を探り、それを顕在化させ、記憶の再構築を促すことが治療になると言えるのは、それを言えるだけの権力や権威を精神分析が獲得しているためである。ジル・ドゥルーズの哲学 272
僕は、寝れたらいいな。寝たいなあ。いますぐ寝たいなあと思ったが、大学に行くために、起きるしかなかった。
1055
ハイボールの350ml缶を飲んだ。酔わない。タバコを一本吸った。タバコの箱が空になった。11時の電車を諦め、12時の電車に乗ろうと思った。
大学図書館で今日借りたい本を、選別しようと、Amazonの欲しい物リストなどを検索していた。ロラン・バルトとかどうだろう?中井久夫は借りたいけど、市内の大学に結構蔵書があったのでそこで借りようと考えた。貸し出し利用したことないが、1000円支払いカードを作れば、市内の人間ならば貸し出しできるシステムみたいだ。誕生のインファンティアは借りようかな。うーん。でも今読むべき本ではない気もするなあ。計画が大切だなあ。
12時の電車も諦めた。ただ、整理しようとして、腕を組みながら、時計を眺めていた。電気ストーブにあたりながらじーっと時計の針を凝視していた。
大学に行くことをやめようか?と考えた。薬があれば、木曜日でいいんだけど、でも東京で薬をもらってこないといけないからなあ。やはり今日行く必要があるなと思った。太陽の眩しい光が急に差し込んできて部屋が一気に明るくなった。いっそ寝てしまおうかとも考えた。布団に潜ってしまおうか。でも寝れないだろうなあと思った。強迫が入って来てしまって。
コットンパフが二枚床に落ちてしまい、捨てた。単価はくそ安いと思うが、無駄にしてしまった、と脅かされた。誰も知らない。
「しゃーねー行くかあ」と伊藤伸恵になりながら、ひとりごち、カバンを玄関まで持って行った。借りたいものがない。エスタロンモカを飲んだ。眠い。いや、行くのをやめるか?もう12時45分だぞ。いかずに、もらった電車賃で、「機械状無意識」などを買おうかな。ああ!
13時の電車に乗った。暑すぎて不快感が酷かった。座席に熱がこもっていた。快晴かつ、10℃。汗が全身から一気に吹き出た。イヤホンを���した。
大学の最寄り駅に着いた。
後ろ姿がとても好みの女性がいた。彼女が見れただけでも来た甲斐があったと思った。大学図書館に入り返却をし、バッグを見たら、なぜかタバコが潰れていて、詰まっていた葉っぱが出ており、ゴミ箱に捨てた。
倦怠感がひどいので、生協でリポビタンDファインを買った。生協に置いてあった中村明日美子とかいう人が書いた漫画を見た。ドグラ・マグラの表紙みたいだな、と思った。群像の新人賞を受賞した「ジニのパズル」が平積みされていた。群像に応募したら読もうと思っていた本だ。芥川賞を落選したという「酔狂市街戦」という本を読んでみたら面白く、買おうかなどと考えたが、1500円以上するのでやめた。小説を書くときのリズムの参考になると思った。図書館にもなかった。
「分裂性分析とは、病名としての「分裂病」から多くのことを学び、「分裂病者」に向きあうための真の方法であるのは確かだが、「分裂病」のためのサイコセラピーの一方法、精神療法の一手法などではない。それは「われわれの拠って立つ岩盤を、ニヒリズムに陥らぬ程度に、穿ってみるための方法である。そして「ニヒリズムに陥らぬ程度に、穿ってみる」ためのこの方法は、分裂病が軽症化しようとどうなろうと、ともかく絶対に必要なものである。このようなことが行なわれない場所は、いずれにしても抑圧的で暴力的な場所となるであろう。それはたとえば患者の療養に大変な影響を与えることだろう。このような観点から、学校のあり方を、家族のあり方、政治のあり方、芸術のあり方を考えていくことこそが必要なのである。ガタリならばそんなふうに言うだろう。例えば、今の教育制度の中で頻発する「学級崩壊」へも参照きれるべきものを与えるのではないだろうか」精神の管理社会をどう超えるか? 213
という文章を行きのバスの中で読んで、「ニヒリズム」についての本を借りようかなと思った。
とりあえず、適当に本を10冊借りると、クリニックに間に合わせるために、バスに乗り、駅に向かった。駅のホームで「精神の管理社会をどう超えるか?」を読み終わり、読書メーターに追加したら、レビューにて、「トスケルは共産主義者」という文が書かれており、「ブダペスト叛乱」についての本を借り忘れた、しまったな、と思った。
制度���的精神療法のことをしっかり考えるためには今日でもドレスデンのことを考え、広島のことを考え、ブダペストのことを考えることが必要なのです。病気で最悪のものは幻滅というやつですから。80
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「自分がくすんでいるように感じる」……錯乱なき生が生の意味を失わせたのだ。しかし、彼が錯乱したのは生が意味を持っていなかったからに他ならないのだ、結局、私の仕事は、彼がまだ言い表すことができないでいるあの問い、「すなわち何が人を生きさせるのか」という問いに、彼を導くことだったのだ。288
人混みで自分がくすんでいるのを感じた。言葉と自分の体感が符合した。
「苦悩そのものが問題なのではない。「なんのために苦しむのか」という問い叫びに対して解答がないのが問題なのだ」苦悩の存在論
メンタルクリニックに向かった。ルミネの入り口から以前飲んだアカシアの根っこの匂いがして、嫌な記憶が想起された。
クリニックの待合室でソファーに座る際に、黒いロングブーツを履いた若い女性の前を通らなければならず、その際に足をチラッと見たら、ブーツの中の足が赤くなっていて興奮した。
診察。「薬使ってみて、使用している際、効果は感じられましたか?」と言われ、「あまり感じたとは思わなかったです。以前の診療では2〜3週間で効果が出ると言われ、2週間で途切れてしまい、まだ日数が足りないうちに、途中で来なくなってしまったのが原因なのか、よくわからないです」と言ったら、レクサプロからサインバルタというSNRIの薬に変えてみますかと言われ、変えることになった。「効果はどれくらいで出ますか?」と聞いたら、「効果が出る人はは1週間くらいで出ると思いますが…」と言われ、「2〜3週間ではないんですね?」とまた質問すると、「うん?2〜3週間というのは前回の医師に言われたんですか?」と曖昧な対応をされた。よくわからない。あとは、「一番不安な時ありますか?」「朝ですね」ぐらいしか会話をしていない。
待っている時に図書館で借りた「精神医学の名著50」を読んでいた。
精神療法における言葉の大切さ、不思議さについては、どれほど強調しても強調しすぎることはない。言葉のやりとりによって、薬物療法では不可能な変化を患者に引き起こすことができる。睡眠薬をいくら強くしても眠れないということで内科から紹介された患者が、精神科医の言葉によって、弱い薬でも眠れるようになる。自殺未遂を繰り返す青年に未来への希望を持たせ、苦痛に耐えながら自分を成長させていく決心をさせるのも言葉である。しかし言葉は直ちに伝わるわけではない。どれほど言葉を尽くしても、患者がそれを頭で理解するばかりで心から納得することができず、何の影響も与えないことがある。 かと思うと、医師の何気ないひとことが、数ヶ月たって忘れた頃に、思いがけない大きな効果をもたらすこともある。 同じ言葉が、人によってまったく��なって受け止めるれる。病気そのものが、責任感と完璧主義にとらわれて過労からうつ病になる人のように、ある種の思い込み(それもまた言葉である)の結果であることも多い。289
診察といっても、特に言葉のやりとりもせずに、2、3分くらいの時間に、1580円。抗不安剤、眠剤、抗うつ剤、1690円。合わせて、3270円。二週間分。言葉のやりとりの重要性。カウンセリング。矮小化。無意味。
クリニックから出ると、ダイコクで、ロゼットの洗顔パスタを買い、漫画を見にコミック・同人誌ショップになんとなく寄った。「コンビニビール大全」「ローソンで呑む」などの酒についての同人誌があり、面白そうだった。「酩酊ガール」とか「おとなのほうかご」など、酒飲みの女性が出てくる漫画があり、読んでみたいなと思った。とある漫画を読んでいたら出てきた「おまえはやくヒールしろって!」という台詞のヒールという文字がなぜかビールに見えて、瞬時にビールが飲みたくなった。「同居人が不安定でして」「女子かう生」を試し読みした。「ジグソークーソー空想地図研究会」という漫画を見て、ガタリの「分裂分析的地図作成法」を思い浮かべた。金がないので、何も買わずに出た。
帰りの電車に乗った。図書館で借りた「ジル・ドゥルーズの哲学」の補論、「スキゾ分析について」を読んでいた。ガタリに関連した文章しか読める気がしなかった。分子革命におけるガタリの記号論の要約がなされていたり、文章がわかりやすくて読みやすかった。「冗長性」という概念についても解説してあり、有難いと思った。僕が「冗長性」という概念を初めて見たのは、「他者の喪失から感受へ―近代の教育装置を超えて」という本だった。
途中、不快感を伴う眠気が来て、太ももに置いたカバンに頭をつけて眠った。電車の中では咳をする音が繰り返され、僕は菌が入り込んでインフルエンザになったらどうしようと思った。糞をスプーンですくって食べる夢を見た。栗橋でほとんどの人が降り、ほとんど空箱になった。
駅に到着すると、駅内のコンビニでタバコを買い、駐輪場に向かい、帰った。鍵が見つからず、手間取った。帰り道に通るローソンに寄り、酒を見た。コンビニでは高いな、と思ったので、スーパーが23時までやっていることをスマホで確認したので、スーパーに向かった。何を買おうか迷った。「カンパリ べビーボトル」というが気になったが、200mlだし、アルコール度数も25%だったから除外した。そういったボトルの酒は40度ぐらいでないと、と思った。「クレイモア」というブランデーがデザインも良く、飲んでみたかったが、金がなかった。以前酒屋で発見できなかったレミーマルタンがあり、4000円近くした。やはり高い酒なんだ、と思った。さんざん迷い、バドワイザーを203円で買った。22時過ぎに���に着いた。帰り道、自転車を漕いでいる際に、今日もらった薬も、結局酒と同じではないか?と思った。治療とか言いつつ、結局、快楽のためではないか?いや、僕は「治療」なんて考えていないし、今まで一度も考えなかったのかもしれぬぞ…。ただの「遊び」なのかもしれない…。
野菜炒めを作り、ホルモンを食べた。母親が「また薬もらってきたのか」と嫌そうに言ってきた。否定的な言葉を吐いてきたが、今日、電車の中で読んだ、
「R.D.レインの「ひき裂かれた自己」が、1970年以後の一般的他罰的強調の社会的雰囲気を精神医学に取り込む助けになったことは単純に功とは言えない。精神疾患を自らの欠陥とするそれ以前の精神医学よりも、他の(家族の、社会の)せいにすることは、病者の気持ちを一時軽くするであろう。そもそも病気でないとする、病気の否認はさらに肩の荷を軽くするかもしれない。しかし、この軽快は一時的なものであり、現実の苦悩は取り去られない。私たちは、ただ、現実原則に則って一歩一歩前進する他ないのである。精神医学の名著50 277」
という文章を思い浮かべ、言葉を返すことをやめ、沈黙した。これを読む前、以前は言葉を返していただろうが。
洗い物をしながら、「結局、僕はいつも他罰的であり、内々には、いつも家族のせいにすることしかできないんだ」と思った。そしたら、急に情けなくなり言葉も出なくなった。ただ、申し訳ありません。「タバコも買ってきたの?」と言われ、「買ってきたとしたら?」と言ったら「煙嫌だから吸うなら外に出て吸って」とか「身体に良くないから吸うんじゃないよ」と言った。僕は「外で吸ってるよ」と言った。「外部からの害を子供に受けさせたくないんだよ」と母親は言った。
母親の肩を揉んであげたら「これが何よりの精神安定剤だよ」と言っていた。僕は「アルバイト始めたら生活リズム直せるから薬に頼らなくて大丈夫だから」とただ安心させたいために、言った。
2252
バドワイザーを飲みながら、シケキノコの放送を見た。部屋の電気を暗くして布団に入って他人の放送を見て、コメントを読んでいるところで、なぜか僕は安心した。
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風呂に入り、風呂場で尿を出したら、今までに感じたことがないくらいの残尿感と、痛みによる不快感に苛まれた。尿が出るという感覚はあるのだが、全く出ずに、ただ痛みと違和感だけが伴っていた。10分くらい、症状を緩和させようとしたが駄目だった。もう一度浴槽に浸かるも、治らなかった。尿管結石を恐れた。仕方なく、風呂場から出たら落ち着いた。不快感はずっと消えなかった。
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