#ゾーンシステム
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プラナーCF80/2.8
イルフォードデルタ100
ロジナール 1:50希釈
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本日は、ゾーンシステムの勉強会 (Shinjuku) https://www.instagram.com/p/B1AQ-X1Bqh3/?igshid=540udptehl2i
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【TACOMAFUJI RECORDS】 Downward Bound 「あぁ、ジェリーをダウンワードバウンド式ゾーンシステム*に当てはめるなんてバカバカしくてやめたのさ…。」 とあるレジェンドクライマーはそう語った。 10代後半でトリプルクラウンを達成、コンチネンタル・ディバイド・トレイルの名物ガイドとなり、 小さな体で山道を軽快に歩く姿から「マウス」と呼ばれた若き日のジェリー・マルケス�� 写真嫌いだったと言われるその頃の姿を記録した写真は驚くほど少ないが、 ロッククライマーとしてヨセミテで活躍していた頃の貴重な1枚の写真が何故か長野県白馬で発見された。 今となってはみんなの人気者、ジェリーマルケスとは思えない、鼻っ柱の強さと可愛げのなさに 「これがあのマルケス?」と真贋が騒がれたが、日本人で数少ない若き日のマルケスを知るジェリー鵜飼がいつもの口調で放った 「ああ、これマルケスさんの若い頃だよね」の一言で一件落着&マルケス認定。 そんな一連の騒動を記念して、写真を発見した白馬を拠点とするQUIET SPORTが TACOMA FUJI RECORDSに別注をかけて作られTシャツです。 *ウォレン・ハーディングの著書「墜落のしかたおしえます」の付録ページで紹介された独特な人格グレーディングシステム。 偉大なクライマーの理想像をゾーン1とし、ダメなクライマーであるほどゾーン10に近い数値を叩き出すシステムで、 実在するクライマーを下らない理由でボロクソにこき下ろしたことで有名。 *このストーリー���フィクションです。 #レアトレア #osakaselectshop #海遊館 近く #tacomafujirecords #タコマフジレコード #Jerry鵜飼 #ジェリー鵜飼 (Lea+Rare(レアトレア)) https://www.instagram.com/p/CQLFHe-jCI2/?utm_medium=tumblr
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―大判を始めてこれまでの写真の認識が何か変化しましたか? まずめちゃくちゃ使いづらい(笑)。最初はフレーミングもできないし、ゾーンシステムの露出計も使い方が分からないし。機動性も悪いですしね。撮ろうと思って、リュックを下ろして、三脚立てて、「これを自分は本当に撮りたいのか?」と熟考して。要するに、デジタルで簡単にできるようになった撮影プロセスを、イチからやり直したわけですよ。いまはどんどんカメラが小さくなって軽くなり解像度も上がって、誰でも簡単に撮れるじゃないですか。するとやっぱりそのことは写真に影響すると思うんですよね。「撮る」という行為自体から、コンセプトとかプレゼンテーションの方に比重が移っていくというか、写真家のやることが撮影からは解き放たれた分、考える方に寄ってる気はしますね。でも、バイテンだと面倒くさいし、よし撮るぞって考えるわけですよ。
高橋宗正インタヴュー「アナログの大判と超最新ミラーレス。カメラの歴史を行き来する理由。」 | ARTICLES | IMA ONLINE
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戦略会議 #02 作家づくり/ 展示めぐり ギャラリー冬青 ヨン・アーウィン・シュタヘリ SAND & SALT
今朝も予定通り午前中から出かけ、楽しみにしていたギャラリー冬青ではじまったヨン・アーウィン・シュタヘリ 《SAND & SALT》を鑑賞してきた。
アーウィンさんとは今年の1月にスイス、バーゼルでもお会いしている。 その時のアーウィンさんと過ごした数日間はとてもアーティスティックで僕のアート脳をこれでもか!というほどに刺激をした。 そのことは本当に大きかったので、何度となくブログに書いている。
アーウィンさんはアート全般にとても造詣が深い、僕とのやり取りの中でも多くの写真以外のアーティストの話をしている。 Poul Klee、Marc Chagall、Bruce Nauman、Gerhard Richter、Lee Kit、安倍公房、川端康成...ect. と多岐にわたる。 ご自身も元々絵を描いていたと聞いた。
ギャラリーに着いて、しばらくお互いの近況を話しした。 1月にバーゼルから戻って仕上げた写真集を手渡し、しばし僕の作品の話をし、4月の展覧会の話などで盛り上がった。
コンテンポラリーアートにも壁を感じずに接していることもあってかご自身のスタイルとは距離のある《AA+A》であっても非常に興味深く《Máni》の時と同じように楽しみ、評価してくださった。 《Máni》の時もそうだったが、《AA+A》も非常にユニークな作品でクリエイティブであるとアーウィンさんに言ってもらえるのはかなりうれしい。
バーゼルの友人たちの話などをひとしきりして、僕はアーウィンさんの作品と向かい合った。 アーウィンさんの今回の作品《SAND & SALT》はまず僕らに圧倒的な「異世界」を目の前に突きつけてくる。
鳥肌が立つほどに美しいモノクロのプリントで表現されたその「異世界」はヨーロッパのあるカリウム鉱山から出た「塩と砂」の残土を積み上げた残骸の山をその後の侵食させたことによって作り出されたものだという。 非常に崩れやすく危険なため、当然人は近寄れないようになっている。 しかし、アーウィンさんはさすが冒険家というか…危険を顧みずその異世界へと足を踏み入れ、撮影を繰り返したということだった。
僕はアーウィンさんの作品《SAND & SALT》にはふたつの特徴的な側面が現れていると考える。
まずはひとつめは、通常人が目に触れることのないある世界の特殊な一部を写真によって人に提示するというのは写真というメディアが伝統的に担ってきた重要な役割だ。
人目に触れず、長い年月をかけて侵食された「砂と塩」の残土の山の姿はまさに自然の彫刻であり、その調和のとれたバランスを美しさとしてドキュメントしてきたという側面だ。
これは非常に写真的であり、伝統に���っ取ったスタイルだと感じる。
あまり僕にとってはあまり重要な部分ではなかったので、詳しくは聞かなかったが、かのアンセル・アダムスをマスターと呼んでいたので、そのあたりから受け継いだ部分であろうかと考える。
アーウィンさんはゾーンシステムの匠である。興味があれば、ぜひそのあたりもご本人に聞いてみると面白いかと思う。
じゃあ、この「塩と砂」の山がアーウィンさんにとってのヨセミテなのか?というとそうではないところがこの作品のもうひとつの側面で、僕はそちら側の方に非常に強く魅力を感じる。
アーウィンさんはこのエリアに足を踏み入れ刻一刻と変化する自然の動きを感じる中で、日本文学の傑作と言われる安部公房の「砂の女」の世界観を感じたという。
「砂の女」については詳しくは書くことにそれほど意味があるとは思えないのでざっと…砂漠の蟻地獄に沈みかけた家に落とされた男がそこから抜け出そうとする物語。はじめはあらゆる手段で脱出を試みていたが、徐々にそこの異世界へと順応し、やがては逃げ出せるタイミングでも出て行かなくなっていくという奇妙な世界観を絶妙な描写で描いた作品であり、作品を構成する時間の扱い、世界観の描写、登場人物の心理描写などが、すばらしく発表されてから何度となく批評され論文としても発表されている作品だ。
アーウィンさんの今回の作品《SAND & SALT》は「砂の女」の世界観の一部をアーウィンさんなりにアポロプリエーションしている点が非常にユニークで面白いと感じる。 アポロプリエーションは芸術において、盗用や流用、引用といった意味で使われる用語だがパクリとはちがってアートにおいては重要な手法のひとつである。
オリジナリティみたいなことにこだわりすぎているのか?パクリとの境界線が見えないのか?不思議と日本人はこのアポロプリエーションが上手くないように思える。 じゃあ、何が面白いか?ということだが、アポロプリエーションとして「砂の女」からインスピレーションを得て、その要素のいくつかを引用し、コンバインし、ご自身の作品のイメージ言語へとトランスレートして物語を紡ぎ直している点だ。
大したことに思えないかもしれないが、これがこの「砂と塩」の山をアーウィンさんにとってのヨセミテではなくし、作品を風景写真の枠からはみ出させ、そこに収まりきらない作品としている。
つまり、アポロプリエーションによって作品のコンテクストが多層的になり、容易にアンセル・アダムスと同じ系譜の風景写真として片付けてはいけなくなるのだ。 風景写真のアップデートだ。
では、それによってアーウィンさんの作品《SAND & SALT》は何を語るのか? 我々の知り得る現実の限界点にゆさぶりをかけ、隠された事実や知り得ない異世界の存在を語るということではないか?と僕は考える。
《SAND & SALT》という作品はある異世界と繋がる道、もしくはその異世界を覗く穴として鑑賞者に作用しているのではないだろうか?
僕らが生きている間に目の当たりにし、リアルだと感じる世界は限られている。どこか��あるかもしれない異世界や隠されたもう一つの現実ということは現在の複数同時性を感じさせとても興味深いと思う。
また、カリウム���山で採掘されるカリウムは農業用として使われたものだという。農業用のカリウムは当時安定的に農作物を生産するための肥料として必要で価格が急騰したと調べたら出ていた。おそらくこれだけの残骸を残すのだから���当の量が採掘されたのだと思う。
食料を安定供給するために農作物を作るというための肥料としてのカリウム鉱山とそこに残った「砂と塩」を分離するために水を撒くジェットが飛び交い流れ出た塩がライン川を汚染したという問題。 これが表象に現実として現れた現実の部分で、隠された側にはその人間社会の飽くなき欲求の末に生まれた「砂と塩」の残骸が創り出す壮大なランドアートとして人知れず「異世界」を作り出しているということだ。 この採掘所のエリアは文字通り囲いで囲われた「異世界」であった。
そこへ足を踏み入れたアーウィンさんはまさに阿部公房の「砂の女」の中で描かれた男と同じように「異世界」へ取り憑かれ、戻って来れなくなった男なのだと思う。
「隠された何か、別の異世界に芸術を接点として鑑賞者と接続するかたちで現実世界を批評する」
そういった意味では僕はアーウィンさんの作品のコンテクストにはヨセミテのアンセル・アダムスというよりも、現実の世界を切り刻み、本来のコンテクストを引き剥がし、別世界として真実を暴き出そうとするコラージュの作品の考え方、ダダイズムの作家(ジョン・ハートフィールドあたり)なんかと何かの精神的な共通点を感じる。
今回のアーウィンさんだけではなく、来年8月に僕がトークセッションの相手を務めるスイスの作家のニコラスさんや今年バーゼルで会った他の多くの作家たちにも同じように、芸術を「異世界(や隠された世界)」との道や窓といった接点となるように作用させるといった表現に共通点を感じる。
これはバーゼルの作家の傾向なのか?スイスの作家さんの傾向なのか? このあたり非常に興味深い。
来週の金曜日9日にはギャラリー冬青でフォトグラファー・ハルさんとアーウィンさんによるトークセッションが行われる。
■ヨン・アーウィン氏×フォトグラファー・ハル氏トークセッション 11月9日(金) 19:00 ギャラリー冬青
あまりにタイプが違くお互いに異なった写真言語をもつふたりなので、どんなトークになるのか全く想像がつかないが楽しみで仕方ない。 アーウィンさんは僕の知る中でも、本物中の本物のアーティストだ。
そして、そのアーウィンさんの感じた異世界の一部を共有したくて今回作品の購入を決めた。新しくKeiju Kita Collectionに加わる。
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やっぱり新宿の街を徘徊する。
ラッキーカメラの脇付近の末広ストリートがあるんですよ。落語家が寄席をやる会場があって、その脇に酒場やら麺屋やらがゴンゴン立っている裏の歓楽街でございます。やはり駅から歩いてそんなしないので、��言うか駅前以上と言っていいでしょうか。ステッカーやグラフティが大量でした。むちゃくちゃ多いんですよ。有料駐車場とか、サイコーっすわな。なんかしら空き地があると、そこを埋める感じね。わかるわかる。
性格上、大手を振ってやれないよね。建造物の隙間とかをみたら、それっぽいの発見した時のラッキー感ね。性格上、目立たない所でやるってのもあるんだけど、それこそがアンダーグラウンドの良い所かもしれないっすね。
やっぱ、そんなアンダーグラウンドこそ、画像調整が楽しいんすよね。見え難い・気に留められ難い所へ(物理的にも)光を与えるカンジで。最も、じゃないヤツは違うってワケでもない。だって被写体なんてのは1要素に過ぎないから。ゾーンシステムを用いる場合ならまだ解るけど、 じゃなくて決定打と主張するほうが不思議だ。
それにしても、こういう主張を共有出来るかね。
これ、数日前承った某氏のお言葉。
「いやいや、被写体に対してディープな気持ちがあるかどうかが、良い写真の条件ですよ。例えば赤ちゃん。これは両親の方が圧倒的だから、プロが幾らどうこうしても適わない」
仮にその赤ちゃんの写真が、うまい写真じゃなかった。処かぶっちぎりでマズい。しかも、未画像処理。でも作った人はディープな気持ちがあった。ならOK……なんてのがまかり通ったらLRのヘビーユーザーは廃業だわ。そもそも画像処理が前提とか言ったら、周りからえらくコキ降ろされた事がある。
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