#セロクエル
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memo0106 · 1 year ago
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代���抑制と食欲増進………
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good-shougai · 3 years ago
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統合失調症の主な治療方法・患者当事者の体験からの効果的な方法を考察
統合失調症の主な治療方法と患者当事者の体験による効果的な方法!
※患者当事者の、主治医師に言われたことや、これまでに読んだ本、または、経験上、思うことを書かせていただいているため、主観的なものになります。 人それぞれのベストな方法が、人それぞれ分あるかと存じます。 その一例として、私の場合、という上で、ご覧いただけますと幸いです。 主な治療方法 統合失調症の治療に特に大事と思うものですが、それは、「薬を飲むこと」と「安眠」をすることと存じます。 ・薬物療法 ・自宅療法 ・入院 ・保護室 ・外泊 社会的なストレスの耐性を徐々につける ・薬物療法 現在、「非定型抗精神病薬」というものが主流になっているかと存じます。 非定型抗精神病薬とは、統合失調症の陽性症状(妄想、幻覚、思考障害など)と、陰性症状(喜怒哀楽が無くなる、会話時にうまく言いまわして言えない、何かしようという気がなくなる、ひきこもる、など)の両方に効果があると言われてい…
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guragura000 · 4 years ago
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悪魔くん
18歳から20歳まで、悪魔くんと一緒だった。
はい。不思議ちゃんアピールではありません。痛い女だと思わないでください。悪魔くんとは、私の幻聴につけた名前なのである。幻聴に名前をつけるなんて奇妙なことをする、と思うかもしれない。それには訳があるんです。いつもの如く暗い話ですが、まあ聞いてください。
時は私が18歳の頃に遡る。私は精神不安定な母の相手と学校生活のストレスで、それはそれは沈んでいた。
小学校から中学校にかけて不登校してからというもの、対人恐怖の症状が出るようになった。教室のような人に囲まれる場所にいると、軽いパニックに見舞われる。ガタガタと視界が揺れるような感覚があり、呼吸が苦しくなるのだ。また具合が悪くなると聴覚過敏が出る。環境音や話し声が大きく聞こえ、会話を聞き取るのが難しくなるのだ。これらの症状が一度に出ると人と会話するのが、マラソンした後に大阪のオバチャンと世間話するくらい難儀に感じられる。大阪のオバチャンと話したことないけど。イメージです、イメージ。病気についても無知だったので、何が原因で疲れてしまうのか分からない。能力が足りないから会話ができないのではないかと検討違いのことで悩む。
一方、母は私が不登校になってからというもの情緒不安定だった。私が学校の愚痴をもらすと「また行かなくなるんじゃ」と取り乱してしまう。買い物に行く度「人から見られている気がする」「誰かにつけられている気がする」と本気で心配する。統合失調症なのではないかと父に相談するも、「お母さんは大丈夫だから」の一点張りで話を聞いてくれない。それどころか母が不安を訴えると、「何でそんなことを言うの!大丈夫だと言ってるでしょ!」と強い口調で黙らせてしまう。そんな出来事が続いたある日、父は私に、
「俺は愚痴を聞くのが苦手だから、お母さんの話はお前が聞いてあげて」
と言った。そんな。私だってどうすればいいか分からないし不安なのに。どうして父は母に優しくしないのか。病院に連れていかないのか。親戚の前では全てを隠し普通の家族を演じるのか。母のことが大切ならなぜ逃げ回るのか。私はどこに自分の悩みを相談すればいいのか。私は両親に正直に話をするのをやめた。友人に口をきいてもらえなくても、先生に���滅されても、彼らから「学校どうだった?」と聞かれれば「楽しかったよ」と返事をした。夜、布団にくるまってぐしゃぐしゃと泣いた。
家でも学校でも本音が言えず、笑顔の仮面を被り続ける。誰にも相談ができないので、どのように物事を受け止めていいか分からない。ひたすら自分にダメ出しをし、いけない部分を「矯正」することで乗り切る。そんな毎日を繰り返していたら、自分を責める声が暴走し一人歩きをするようになった。まるで脳みそにもう一人の自分が住んでいて、勝手に喋り続けているかのように。悪魔くんの誕生である。
悪魔くんは四六時中私に付きまとった。幻聴には自分が一番言ってほしくない言葉をチョイスしてくるという特徴があるらしい。その通りで、彼は私が気にしている部分をネチネチと責め続けた。ちょうどこんな具合である。
「お前は本当に駄目なやつだな。五年も不登校した挙句に高校中退までして、将来は引きこもりにしかなれないぞ。お前なんかが幸せになれると思うな!」
「友達にも母親にも本気で向き合おうとしてねえ。嫌なことから逃げようとするところはいつまで経っても変わらねえな。お前はどーしようもない卑怯者だ」
「会話すらできねーのかよ、グズ。きっと相手はとっくの昔にお前に愛想尽かしてるぜ。お前みたいな気持ち悪いやつは一生一人で生きるしかねーんだよ!」
悪魔くんの声は頭の後ろから脳みそに響くように聞こえてくる。まさに「こいつ直接脳内に⋯⋯」である。どうせ話しかけてくるなら「あなたっていい人ね」と褒めちぎってくれればいいのだが、ご覧の通り罵り言葉のオンパレードである。それに、なぜ男口調なのか。言葉がより乱暴に聞こえるからなのか。いらぬ気遣いだ。
悪魔くんはちっとも言うことを聞いてくれない。音楽を聞いていようが、会話していようが、「もうやめて!」と頭の中で喚こうがお構いなしである。しかもタチの悪いことに最後に必ず「だからお前なんて死んだ方がいい。死ね、死ね、死ね!」と叫んでくださるのだ。正直、これが一番キツかった。
悪魔くんは夜も元気ハツラツである。結果、寝つきが悪くなる。二時間は布団でもぞもぞするので寝不足続きだ。社会人でもないのに寝てない自慢をしてしまいそうになるが、こらえる。いや、むしろ誰かに言うべきだった。私が変なところで我慢強かったために、悪魔くんとの付き合いが長引くはめになったのだから。
人間、毎日死ねと言われていると「私って本当に死ぬべき人間なのでは⋯⋯?」と思ってしまうようだ。セルフ・マインドコントロールである。この技を人に使って宗教を立ち上げれば��ろ儲けできるかもしれない。失礼、物騒なことを言った。ともかく私は悪魔くんに言われるがまま、電車に飛び込もうか迷うようになった。自分はダメ人間だから罰しなければならないと、カッターで腕を切るようになった。悪魔くんを振り払うために酒にべろべろに酔っ払い、「何でだよ!」と叫びながら自室で暴れたこともある。壁に穴が空いた。親は何も言わなかった。お願いだ、そろそろ介入してくれ。親としての役割を果たしてくれ。が、願い叶わずである。父はテレビを見てゲラゲラ笑い、母は幻のストーカーを心配するばかりだ。私は食卓で作り笑顔を浮かべるただの人形であった。
そんなめちゃくちゃな高校生活を送っていた私であったが、唯一心安らげる時間があった。絵を描いている時だ。絵の世界では誰の目も気にせず本当のことが言える。どこへでも行ける。人と向かい合ってもパニックが起きないし、私が目に入ると迷惑そうな顔をするあの子も、セックスしてからというもの話しかけると睨んでくる形ばかりの彼氏も、私に触れようとしない親もいない。過酷な現実を生きる子どもは時として白昼夢に居場所を見出すらしいが、私もその一人であった。
私は漫画を描いた。悪魔くんは上のような姿で登場している。当時、彼には名前がなかった。大抵はツノを生やしており毒を吐くので「悪魔くん」と呼ぶことに決めた。安易なネーミングセンスだ。ところで驚くべきことに私は、この時点で悪魔くんが幻聴だと気づいていなかったのである。彼の声は自分の頭の中の独り言だと思っていたし、彼を描いていることすら意識していなかった。「なんか最近似たようなキャラ描いちゃうなぁ」の程度の認識だったのだ。だが、思い返せば確かに彼はあの姿をして私の傍に「いた」のである。無意識がなせる技だろうか。悪魔くんが私に存在を気づかせるため、自分を「描かせた」のだろうか。これはちょっと、いや、かなり怖いのでは。我ながらホラーなエピソードだ。
彼の声を我慢し続けて2年が経った。私は成人し、大学に進学した。
その頃には悪魔くんだけではなく、他の幻聴も出始めていた。どこからか「あの子クサイ」「キモい」と囁くような悪口が聞こえる。延々と頭の中に音楽が鳴り響く。もしかしてDJは悪魔くんだったのかもしれない。隣に悪魔くん、後ろからは悪口、こうなってくると講義室に座っているのも辛い。私は友人との会話の最中にトイレに駆け込み泣くようになった。悲惨である。学校や家で平静を装うのも限界だった。覚悟を決めて父と問答をし、渋られたものの精神病院に行く許可をもらった。
初めての問診の日。悪魔くんは通常運転だった。「死ね、死ね!」のコールも調子がいい。主治医に受診までの経緯を話す間、私は取り乱していたと思う。どんな風に説明したのか覚えていないが、とにかく藁をも掴む思いだった。出された薬はセロクエルだった。夕食後に服薬し、久しぶりにぐっすりと眠った。
翌日。悪魔くんはいなくなっていた。
いや。もしかしてなりを潜めてるだけかも。すぐまた出てくるかも。次の日。出ない。その次の日も出ない。出ない!出ない!幻聴がない世界は、こんなに静かで穏やかなのか。
さよなら、悪魔くん。
それきり彼には「会って」いない。
彼が消えて数年経ったある日。私は唐突に彼が幻聴だったことに気がついた。あの二年間がどうしてあんなに苦しかったのか、やっと理解したのである。
こうして思い返してみると、彼との付き合いは苦しいばかりだった。彼のせいでリストカットや自殺未遂をするはめになったのだから当然だ。それなのに当時の漫画を読み返すと、彼はどこかユーモラスで、ある時は親しみさえ感じさせるキャラとして描かれているのだ。
悪魔くんとは一体何だったのだろう。病気の症状であったことに変わりはないだろう。しかし彼とは友人よりも親よりも長く、一緒に時を過ごしたのだ。
悪魔くん。もしかして君も友達がほしかったのか。だから自分を描かせたのか。君も不器用だったのか。私の分身だから、きっとそうだったのかもしれない。なんて思うのは、彼の驚異が霞むくらい時間が経ったからなのか、私がお人好しだからなのか、それとも。彼がまだ私のどこかに「いる」からなのか。いやいや、ホラー映画だとしたらこの筋書きはバッドエンドだ。やめておこう。
だがまた彼と付き合えと言われたらごめんだ。思い出としてしまっておくくらいが丁度いい。なんだ、この関係はまるで。たちの悪い幼なじみみたいじゃないか。
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wkmnbipolar · 3 years ago
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(クエチアピン(セロクエル)、クエチアピン徐放剤(ビプレッソ)について|高津心音メンタルクリニック 川崎市 高津区 溝口 心療内科・精神科 町田から)
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kotohogi · 7 years ago
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向精神薬と睡眠導入剤メモ
15年以上にわたる精神科通い、とくに最初にかかってたヤブ病院(10年以上通った)は当時未成年の私に大量の薬を出してたせいでほんといろんな薬服用したからなんとなくメモ
服用したこと��るやつ ◆マイスリー(きつい) ◆アモバン(苦い) ◆ハルシオン(ふわっとしてあぶない) ◆デパス(?) ◆レンドルミン(効かない) ◆エバミール(なんかしんどい) ◆サイレース(むしろ眠れんかった) ◆ソラナックス(?) ◆リーゼ(効かない) ◆レキソタン(?) ◆ワイパックス(正直よくわからん) ◆デプロメール(吐き気ひどい) ◆セロクエル(就寝前じゃないと眠い) ◆ドグマチール(乳汁が出る) ◆リフレックス(比較的気持ちよい眠気) ◆レボトミン(強制スリープモード) ◆リスパダール液(強制シャットダウン。死にたい時に出る)
覚えてる限りでこれ。まだあるはず。多すぎやろ。副作用地獄でつらかった���よく生き抜いたな。むしろ悪化してそう。 とくに睡眠導入剤は効かない・むしろ覚醒して真夜中に作業しだす・効きすぎて起きられない・日中だるい、とろくな思い出がない。 最初の病院(ヤブ)はとにかく診察が雑で、薬を大量に出す。症状に変化がないor悪化したらさらに大量に薬を出すか、種類を変える。 私もその頃は治りたい気持ちもなかったからそれでよかった。(いまはもう大量に処方し短期間でころころ薬変えるやぶい医者には二度とかかりたくない) しかし薬たくさん飲むの嫌気がさして、減らしてくれと頼みだいぶ減っていき最終的に、 ◆ソラナックス(コンスタン) ◆セロクエル ◆リフレックス(睡眠導入剤代わり) ◆ボルタレン(偏頭痛用の頓服) の3種類+痛み止め1種類で落ち着いて、そっから医者がヤブすぎて殺意湧いて転院した。 転院して、薬はどうなるのかなと思ったら、新しい医者は「処方内容を変える気は全くありません」という。結果、薬を3年間全く変えてない。(量の調整があるぐらい)
さいきん、薬について医者に訊いてみたら、 「おかげさまで、薬物療法はとてもコンパクトにまとまっています。いまは、あなたの状態ではおそらく2割……いや、2割もないかな……そのぐらいが、薬の力であなたを支えています」と説明された。 2割ない! 嬉しい! 薬以外のとこが成長したんやなと思った。 薬に頼りたくないとか薬嫌いというわけじゃないけど(むしろ極端な薬嫌いの人間ひく)、でもなんか薬ないとダメとかいうのも癪だし、できれば薬少ないほうが楽だし、あれだけ薬漬けにされたらなんか、人間じゃなくなる感覚というか、ただ暴れたり自殺しないために薬漬けにしてぼんやりさせられてるだけみたいで情けないし悔しかったし、まあもう薬は増やしたくない。
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astavt-eretah · 5 years ago
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レース越しの頁の中で
 入谷由紀は引き籠もっていた。郊外にある大きなフリースクールで、引き籠もり部の代表を務めるくらい引き籠もっていた。フリースクールにも長年行っていない。フリースクールに所属しながら、通っていない生徒は自動的に引き籠もり部にも所属することになり、その中でも由紀は名うての引き籠もりだった。もちろん非公式の部だが、彼はそこで不名誉な「部長」を努めていた。時々、生存確認に先生が家にやってきた。先生と言っても、彼より年下の女性だ。髪は短くて、彼の女の子の友人(やはり先生より年上なのだが)とは違う、涼やかな森のような匂いがする。由紀の部屋のカーテンをそっと開けて、「糸杉が…」と漏らすような���な先生だった。確かに糸杉が立っているのは知っているけれど、それってそんなに口にするほど大した木か? と入谷は思う。黒々として、年中枯れ木みたいな木だ。先生は由紀の椅子に座り、ミルクティーを飲み、ティーカップをかちりとソーサーに置くと、「じゃあ、ユキくん、ごちそうさま」それから「美味しかった」と言って立ち上がる。由紀は普段、ティーカップなんて使わないし、ミルクティーを自分の手で入れることもない。ただ、先生がミルクティーを好きだと知っているので、彼女が来ると分かると、せっせとお湯を沸かし、ミルクを温め、庭で香り付けのバジルを摘んでくるのだ。彼にはそういうまめなところがあったけれど、本人はそれを自覚していなかった。ただ、自分は何も出来ないんだ、とばかり考えていた。  由紀の部屋は簡素と言っていいほど片付いている。しかし、煙草と、男性特有のにおい(といっても「女性特有の」においについて彼はあまり知らないのだが)に充満していて、先生や友人(ひとりだけいる)が来るときにだけ、急いで窓を開け、消臭剤をカーテンやベッドに吹き付け、身体を洗い、髭を剃り、微かに香る程度の香水まで付けて、「いつもこんなにさっぱりしているんですよ」と言った表情を用意し、彼女らを待つ。部屋にはギターが二本、立てかけてある。一本はフェンダーのテレキャスター、エレキ・ギターで、もう一本はギルドのアコースティック・ギターだ。「弾いてみてよ」と先生が言うときもある。彼は「緊張しちゃって……」と、それからぼそぼそと言い訳めいたことを言い、先生はそれ以上は無理強いをしない。いつものことだった。それから本の話をすることもあった。本棚に入りきらない本も沢山あったのだけど、彼の本棚は綺麗に整理されていて、大方は日本語の小説、本棚の一段には洋書が並べられていて、その殆どが英語の本、数冊がフランス語の本だった。一番目立つところに村上春樹の文庫本がほぼ全冊並べられていた。由紀の部屋にあるものは殆どそれが全て(パソコンとスピーカーの乗ったデスク、ベッド、本棚、ギターが二本、アンプがふたつ、あとはCDラック)だったので、自然に話題が、好きな小説の話になることは多かった。というか、今では由紀は、自分が好きで小説を読んでいるのか、先生や友人と話したくて小説を読んでいるのか、分からなかった。彼は元来、本は好きだけれど、読書家という訳ではなかった。  友人が家に来ることもあったし、彼が友人の家に出かけることもあったので、厳密には彼は引き籠もりではなかったかも知れない。家の中にいるのが好きな訳でもなかった。とにかくただ、由紀は動きたくなかったのだ。そのマインドはまさに引き籠もりの鏡と言えよう。  引き籠もっていた九年間の期間、彼��何もしなかった。激しい鬱だったのだ、と言えば言えたし、怠けていたとも言えば言えた。その間、本すら殆ど一冊も読まなかった。読めなかった。2019年の12月が近付き、彼は32歳になろうとしていた。30歳になれば何か変わるのだ、と以前には考えていたが、具体的に何が変わるのか考え付かないままに、いつの間にか一年が過ぎ、二年目が近付き、今年の11月も終わりに近付いていた。今は2020年になれば何か……と考えている。しかし何が? 12月1日が、彼の誕生日だ。この二ヶ月間、彼は入浴すらしていなかった。水が身体を這う感覚が気持ち悪いというのもあるし、水の音が人の声に聞こえそうで怖かったのだ。昔、彼に上手く作用した薬は、今は彼の絶望を少しも薄めてはくれない。いつも怠さに支配されていた。何故生きているのか分からない。死んだ方がいい、と言われれば、彼には、確かにそうだ、としか答えられなかった。  彼は飲みかけの缶ビールを手で揺らす。1mgのサイレースと200mgのセロクエルをビールで飲む。それがどんな効果を及ぼすのか彼には分からない。ソラナックスも一錠追加する。夜にはまだ早いが、外は暗くなり、小鳥たちは騒がしく帰り支度をしている。由紀はベッドに横になり、iPhoneのアドレス帳を見るともなしに見る。途端、彼は何か嬉しい感情が、身体の中を立ち昇ってくるのを感じる。が、それは表情となる前にかき消えてしまう。何だったのだろう? 彼には間宮理沙という無二の親友がいた。それから綾嶺さくらという、やっぱり親友と呼んでもいい人物がいた。他にも懐かしい、大切な名前が映る画面を、彼は人差し指でゆっくりとスライドさせていく。 「ねえ、人生を捨てられる?」 と、いつしか間宮は言った。 「ひとつ。何かのために人生を捨てられれば、そのとき人生が分かるのよ。故に恋愛は尊い」 と間宮は続ける。由紀はそのことはよく分かるような気がした。でも、たったひとつの、一瞬に充たない、その人生を放棄出来る瞬間を、どうしても彼は掴むことが出来ずにいた。いや、一端始めるだけでいいのだ。人生は14歳で始めることも出来るし、91歳で始めることも出来る。確かそういうことをシド・ヴィシャスが言っていた。  何かを変えることが出来るだろうか? 由紀はビールで風邪薬を十錠飲む。これは良くない習慣だ。でも、あと一錠。あと一錠が何かを変えてくれるかも知れない。近頃は音楽も聴いていなかった、ということに彼はふと気付く。薬を飲むと沈黙の濃度が増す。無音。それからパソコンのファンの音。外を吹く風の音。車の音……。ねえ、多分、ここにいたら僕は駄目なんだよ。由紀は考える。大学にいたとき、僕は本当に何もかもうまく行っていたはずじゃないか。薬が作用して、関節が心地よく怠くなってくる。薬をまた十錠、追加することにする……。寒気を感じる。��や、実際に寒いのだろうか? 由紀は音楽を聴こうとiPodの電源を入れ、ミュージシャンのリストをぼんやりとスライドさせる。何も聴きたくない。彼は目を瞑る。目蓋の内に闇が拡がり、彼は急速に眠りに落ちていく。眠る瞬間、時計を見る。六時半。……それにしても、俺は、上手く行っていたんだ。うまく。うまく。うまく……。  生活音が気になってうまく眠れなかった。少しの時間、眠っている間に、彼はとても素晴らしい文章を書いている夢を見ていたような気がした。彼は、もし文章が書けたら、とよく夢想した。何か、とてもいい文章が書けそうな気がするのだが、いざワードパッドに向かうと、何も出てこない、あるいは事前にはいいと思えた文章も、書いてみて、書かれたものを見直すと、とても陳腐だったりした。才能が無いのだ、と思った。それとも勉強不足なのだろうか? 経験不足なのだとしたら、もう救いようがない。本を集めているのは、本当は書きものの参考にしようと思ってのことだ。  人を変えるのは習慣だし、人の性格を固定化するのも習慣だ。けれど、由紀には、自分が習慣を持っている、という自覚は無い。時計を見ると0時30分を指していた。  ベッドから手を伸ばすと、アコースティック・ギターに指先が触れた。由紀がギターの生演奏をしないのは、特に照れている訳ではなく、生演奏というものがあまり好きではないのだった。自分の演奏を多重録音してコンピューターで加工してから、音源をUSBに入れて、人に渡すことを、彼は好んだ。先生にも渡したし、間宮にも渡した。彼女たちの言辞を信じるならば、彼の音楽は概ね好評だった。それにしても、怠くて、もう長いこと、音楽の録音もしていない。今年一年、僕は何をしてきただろうか……?  目を覚ますと、もう昼の一時を過ぎていた。また眠りすぎてしまった。身体中が痛い。彼は椅子に座って、身体を捻る。iPhoneを見ると、間宮からメールが二通来ていた。一通目は朝の8時頃で『9時頃行こうと思うんだけど?』と書かれていて、二通目は正午過ぎ、『寝てる? 起きたら連絡して』と書かれていた。  由紀は自分が起きている気がしなかった。ゾンビのような足取りで台所に行くと、冷蔵庫の野菜室から飲みかけのワインを引き抜く。もう二口分くらいしか残っていなかった。風邪薬を十錠と、迷ってから、サイレースとセロクエルもワインで飲むことにする。他力本願だった。薬が、良くも悪くも、何かを変えてくれるかも知れない、といつも彼は期待した。大抵は悪い方に作用したのだが。栓を抜いてから大分経っていたらしいワインは、一口飲むと吐き気を催した。それから煙草を吸って思案する。煙草を吸いながら、クローゼットを開けて、とりあえずましな服を引きずり出す。まだ間宮に会うと決まった訳ではない。椅子に座ると、そのまま眠ってしまいそうだった。風呂に入るのが面倒くさいから会いたくないなんて間宮に言ったら怒るかな? いや、彼女なら「じゃあ、お風呂、一緒に入ろう」とか言ってきそうな気がする。……由紀はまた風邪薬を十錠、残り少ないワインで飲み下す。ワインが無くなる。今度は吐き気はしなかった。煙草を吸う。焼き魚みたいな味がする。由紀はiPhoneの返信画面を開いて、間宮に『ごめん、今日は無理だ』とメールを書いた。それから、彼はまたベッドに横になり、目を瞑った。睡眠薬が効いてくるのが分かる。彼は再び、眠りに落ちていった。  アーティスティックに生きたいと思った。由紀は、芸術家という意味としてではなく、「何かを作る人」という意味での、「アーティスト」という言葉が好きだ。「作る人」という意味がもっと強い「アルティザン」という単語はもっと好きだ。彼はアルティザンになりたい、と常々思っていた。彼は書きものをする。絵を描くし、音楽を作ったり、演奏して録音したりする。でも、もう32歳だ。32歳で、何も大したものが作れないなんて、それはやっぱり創作には向いてない��ということなのではないだろうか。 「そんなことないよ。入谷くんの作るものはどんどん良くなっている」 と、間宮は言ってくれる。  由紀は、ギターを手に取り、その度に溜め息を吐いて、ギターを下ろす。綾嶺さんは、「君はまだ若い」と言う。もう十年以上も前から、綾嶺さんは僕に「若い」と言う。彼女は36歳だ。僕が若いというのなら、彼女だって十分若いと言えるのではないか?  この間、間宮が家に訪れたのは二ヶ月前、九月の末だった。いつも通りに由紀は薬を飲みすぎていたけれど、頭の芯の部分は醒めていた。  涼しい日が続いた後の、暖かすぎる日だった。彼女は黒地に赤と青の花が描かれたTシャツを着ていて、薄手のニットのカーディガンを持っていたけれど、それを着ることはなかった。彼女は僕の部屋を見回して、 「わお、また本増えたね」 とまず言った。僕の部屋には、机の上にもベッドの脇にも、クローゼットの中にも、本が積まれている。多分、全部で千冊以上の本を、持っているには持っている。殆どが読み通していない本なのだが。  間宮が来ると、毎回、何か変わらなくては、と思う。彼女はプレシジョン・ベースを持ってきていた。  僕は多分、中途半端なのだろう、と由紀は思う。きちんとアルティザンならアルティザンなりの矜恃を持てばいいのに、創作に入ると、「自分は素人なのだから」という甘えたことを考えてしまう。  間宮はその点、真面目だった。十年前に由紀の勧めでベースを始めた後、どんどん腕前を上げて、今では不定期でセッション・ミュージシャンを務めるまでになっている。由紀のギターの腕前は、十年前から、少なくとも本人の言では、変わっていなかった。32歳。でも、もう、今度こそ、物ごとには真面目に取り組まなくては。  廊下の冷蔵庫からペリエを出してきて、ふたりで飲んだ。間宮は、由紀が書いて印刷した原稿を熱心に読んでいた。彼女が「んん」とか「ふうん」と言う度に、由紀はぎくりとした。時々、彼女の真っ直ぐな髪の毛が横顔にパラパラと落ちてきて、間宮はそれを左手でかき上げた。それから、急ににっこりと笑って、由紀を見ると「面白いよ、すごいよ入谷くん」と、嘘でも無さそうに言った。彼は、「うん、それはね……」と考え込むような顔をしてから、「まあ、まあまあ、よく出来ているとは思うんだけど」と言ってから、黙り込んだ。その後、由紀が作った音楽を二人で聴いて、大体同じようなやり取りが繰り返された。  その後で、間宮がベースをケースから出して、アンプに繋ぐ。そして由紀にも弾くように促す。間宮と一緒だと、まるで自分がとてもギターが上手くなったような気がする。由紀はテレキャスターをアンプに繋いで、Aコードから始まる、カッティングを織り交ぜたリフを弾く。間宮はそれに、指弾きのエキゾチックなラインで応える。何度も同じリフをループさせた後で、由紀は歌い始める。ループの中で、渦巻いていた単語が次々と由紀の口から吐き出される。言葉は一体どこから来るのだろう? 音楽の中で由紀の言語感覚はどこまでも拡がっていく。途中、変拍子を混ぜるが、間宮がそれに遅れることはない。コード進行を徐々に変化させ、7度や2度の音を混ぜて、どんどん複雑にしていく。一曲の突発的なセッションは、一時間以上も続く。途中、由紀はドラムマシンのスイッチを入れ、ツマミを限界まで回し、デジタルな、潰れたような音のリズムを鳴らし始める。二人ともが共通して好きな、チープなドラムの音に、間宮は口角だけを上げて、にやりと笑う。匂い立つ海のようなグルーヴに合わせて、由紀は音をゆっくり探りながら、そして徐々に盛り上がるように、ギターソロを弾く。そのときだ。由紀がいつも、何かを発見したように思うのは。けれど、ギターが徐々にフェイド・アウトして、ドラムマシンのスイッチを切るとき、その何かはいつも、記憶の裏側、この世界の、自分には見えない側面に去って行ってしまう。  しばらくの間、間宮は見るともなしに壁の方を見ていたが、おもむろに由紀の方へ振り返ると、 「ねえ、入谷くんのギターには人生の匂いがするよ。大丈夫。君は何にだって冷めていない」  と言った。由紀が何か言おうとすると、間宮は、 「ううん。まず、私が楽しいしね。本当だよ。入谷くんはとても楽しい。歌うのだって、ギターを弾くのだって、描くのだって、とても個人的な部分をさらけ出すようにしているでしょう? それは普通、とても怖いことなの。だから大丈夫。入谷くん、君は大丈夫だよ。とても勇気があるのだから」  と言った。何故かどこか寂しそうな目をして。もちろん……、もちろん大丈夫なんかじゃない、と由紀は思う。全然、全然、僕には足りてなんかないのだ。個人的な部分、がどんなものかは知らない。彼はただ、もっと上手に弾きたいと思っていたし、上手に歌いたかったし、上手に書きたかった。けれど、間宮がお世辞を言っている訳でもないみたいだった。彼女は本気で、由紀のことを高く評価していた。そのことが多くの場合、由紀を困惑させた。  起きると、部屋の中が暗くなっていた。昨日の夕方から、殆どの時間を眠って過ごしている。由紀はカーテンを開ける。秋とは違う、冬の空の夕暮れが見える。雲の形は弱々しく、糸杉の枝の揺れ方も違い、窓を開けると、もちろん空気の肌触りも違った。こわばった死人の手の平みたいな風景だ、と由紀は思った。その手に捕まると、心の、灰色の部分が���めつけられ、そこから不安な灰色の液体が滲み出てくる。  不安だった。何もかもが不安だった。  彼は空腹を覚える。今日は何も食べていなかった、ということに思い至る。由紀は台所に行き、冷蔵庫を開け、チーズの固まりを見付ける。チーズを皿に載せ、ペティ・ナイフで薄くスライスする。数切れのチーズを皿に載せて、部屋に持って帰る。途中、廊下の冷蔵庫からペリエを出す。においの強いチーズだった。ワインがある内に一緒に食べればよかった。彼は再びiPhoneのメール作成画面を開いて、間宮にメールを書く。 『ねえ、明日は会える? 今日はごめん。何をするのも本当に億劫だったんだ』  メールを送信する。チーズを一切れ食べる。カーテンを開け、夜闇に沈みつつある糸杉を眺める。色彩が浪費されない、ということは素敵なことかも知れない。世界が全て糸杉のように落ち着いた音色……そう、音色だ……をしていたらどんなにいいだろう。モノクロで、感触は透明で。  由紀はギターに手を伸ばしかける。けれど、ギターは今ではただの死んだ木でしかない。その手を引っ込めて、由紀は急に思い立って、久しぶりに綾嶺さんに電話をすることにした。  七回鳴って、綾嶺さんは電話に出た。またお酒を飲んでいたらしく、ひどく酒に焼けた喉声をしていた。 「ああ。入谷くん。珍しいね……、君が生きていると嬉しいよ」  いきなり大仰な台詞を言うのは綾嶺さんの癖だった。 「綾嶺さんこそ。生きていて嬉しいですよ」 「心にも無いことを」 「いや、本当ですよ。それに、人は、生きているだけで価値がある、とは思いませんか?」 「私は、全く思わないな。私に何の価値がある?」 「僕の友達でいてくれますよ。僕はそれだけで嬉しいです」 「あのね、君……、酔ってるな?」 「酔っててもそんなことはどちらでもいいでしょう? 普段はあんまり言えない僕の本心ですよ。それに酔ってません」  綾嶺さんが煙草に火を着ける気配がした。煙を吐いて、 「そうかい。私に言ったこと、君自身に対しても同じことが言えるかい?」  と言う。僕が言い淀んでいると、 「私はいつも真面目だよ。君が生きていてくれて嬉しい。時々、入谷くんが死んでしまったような予感がするんだ。それは、本当に、本当に、いたたまれない感覚なんだよ」  と綾嶺さんはあまり抑揚を付けずに言った。僕は黙っていた。と、唐突に電話が切れた。「じゃあ」も「さようなら」も無しに急に電話を切るのも、綾嶺さんの癖だった。 『通話時間:二分一秒』の画面がiPhoneにしばらく表示されて、それからメールの着信が一件あることが表示された。当然、間宮からだった。 『明日はもちろん会えるよ。今晩仕事が入ってて、夜遅いから、明日、昼頃からなら会える。いや、何なら朝からでもいいよ。』 と書かれていた。由紀はどういう訳かとても悲しい気分になった。一度iPhoneの画面を切って、iPodを手に取る。登録された全てのアーティスト名に一応目を通して、ニック・ドレイクを聴くことにする。冷たい気分が訳もなく胸の内を拡がっていくとき、由紀はニック・ドレイクを聴く。何か、そう、何か変わらなければ。冷たさが口や喉から溢れそうになる。間宮に、ずっと言えなかった言葉があるような���がする、と由紀は言葉にして考える。僕が大学にいたときから言えなかったことだ。僕は本当のところは、彼女無しでは生きられなかった。それなのに、彼女は僕に、強い、と言ってくれる。ねえ、変わらなければ。由紀はiPhoneのメール作成画面をじっと見つめ続ける。やがて、意を決して、彼は間宮に電話をすることにする。多分、僕は「何でもない」と言うだろう。何でもない。でも、僕は何かを始めたいと思っているんだ。僕は本当に変わりたいんだよ。……少しずつ良くなりたいんだ。間宮、これをその始まりにしたいんだ。何でもない一日の、何でもない瞬間。笑って、他愛のない話をするだろう。けれど僕は……。  由紀は、間宮に向けて、発信ボタンを押した。
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weepingpersonathing · 6 years ago
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こんな私の便秘に効く改善法、教えてください。 25歳男です。 元々便秘がちで、… こんな私の便秘に効く改善法、教えてください。 25歳男です。 元々便秘がちで、... こんな私の便秘に効く改善法、教えてください。 25歳男です。 元々便秘がちで、特に幼少時は好き嫌いが多くて繊維質な物も摂らず、頑固な便秘に悩んでいました。 現在は好き嫌いはそれなりに改善されるも便秘傾向は強く、お腹に良い物を進んで摂っています。 朝食は決まって牛乳、バナナ、ヨーグルト、サツマイモ(日によっては玄米おにぎり)、最近は加えてヤクルト1本を食べ、 昼食、夕食では昆布、こんにゃく、ゴボウ、カボチャ、ワカメ、玄米(または胚芽米、五分づき米)を積極的に摂っています。 因みに元々甘い物が好きで子供の頃は節操なくお菓子を食べていましたが、 学生時代に痩せるために食を改め、現在甘いものは食べすぎないようにしています。 私が便秘に効きそうな物の中で食べられないのは、納豆、キノコ類、オクラ…と言った所でしょうか。 子供の頃は運動嫌いでしたが、今は毎日夕食後に30~40分程ウォーキングをしています。 数年前までは加えて同じコースを昼も歩き、腹筋を含め筋力トレーニングもしていました。 付け加えておくと7年前から私は通院しており、現在は心療内科に通っていて、 朝夕食後:ロナセン、ロシゾピロン、アーテンをそれぞれ錠剤で、 就寝前に:ベンザリンとセロクエルを散剤で服用しています。 服用する薬剤は変われど、通院を始めた当初から便秘が顕著になり、 それからつい最近まで水やお茶をがぶ飲みすることで排便していました。 丁度一月前から水分補給として1日に飲む水は冷茶2リットルと決め、水のがぶ飲みは控えることに決め現在に至ります。 以来、すっきり排便できる日が無く悩んでいます。 元々、朝トイレに座る習慣が無かったのですが、習慣付ければ便も出るかと最近朝食後にトイレに座るようにしています。 加えて、起床して直ぐに冷茶を一杯飲み、便秘に効くという体操を試しています。 安易に下剤には頼りたくないし、耐性が付いてしまうセンナ等も常用したいとは思いません。 まして、水やコーヒーをがぶがぶ飲んで便を押し流す方法に逆戻りしたくありません。 前述の薬を服用している時点で健康的とは言い難いのかもしれませんが、 今の私に効く健康的な便秘解消法お教え願えませんか。 よろしくお願いします。(続きを読む) 朝昼晩の3食の合計カロリーが1000カロリー以下でそれでいて満腹感があるメニューを... 朝昼晩の3食の合計カロリーが1000カロリー以下でそれでいて満腹感があるメニューを教えてください お願いします(続きを読む) 食べ過ぎですか? 朝:雑炊(米は0.25合分くらい)かおからパンケーキ(おからと卵と豆... 食べ過ぎですか? 朝:雑炊(米は0.25合分くらい)かおからパンケーキ(おからと卵と豆乳で作ります)かホットヨーグルト 昼:お弁当(米0.25合ときのこ、ピーマン、サツマイモ、アスパラ、ゆで卵、鶏肉か魚を600mlの曲げわっぱに) 夜:豆乳1杯、こんにゃく麺、納豆、キムチ、味噌汁、サバ缶半分か鶏肉少し、ホットヨーグルト 間食は、生理前はグミを少し食べてしまいます。 飲み物は緑茶かぬるま湯です。 この食生活を2ヶ月ほどしていますが全く減りません。 160cm57キロです。 元が3食炭水化物をとって間食も必ずしていたので、少しは痩せるかなと思ったのですが… 食べ過ぎでしょうか?(続きを読む) 【送料無料】こんにゃく減米[レトルト][ 商品価格:8,327円レビュー平均:3.0 6月:無理しない、6日:無駄なカロリーoff で健康生活!!6月6日は『ローカロリーな食生活の日』 - ニコニコニュース ニコニコニュース6月:無理しない、6日:無駄なカロリーoff で健康生活!!6月6日は『ローカロリーな食生活の日』ニコニコニュース美しく生きる・健康に生きる・楽しく生きるをテーマにする株式会社アイケイ(本社:愛知県名古屋市 代表取締役社長:長野庄吾)は「自分自身の食生活の中で摂取している食品のカロリーについて興味を持ち、賢く健康的な食生活を送るきっかけ作りの日」として、6月6日を『ロー ...and more »(続きを読む) 秋葉原の缶詰フードに「カレーライス缶」-こんにゃく米使用 - アキバ経済新聞 アキバ経済新聞秋葉原の缶詰フードに「カレーライス缶」-こんにゃく米使用アキバ経済新聞自動販売機の製造・販売を行うフジタカ(京都府長岡京市)は「ドン・キホーテ秋葉原店」(千代田区外神田4)店頭の自動販売機などで「カレーライス缶」の販売を開始した。 同商品は同社の特殊製法で製造した「こんにゃく米」と煮込んだカレールーを缶に詰めたもの。米がふやける ...(続きを読む)
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daisukeh · 6 years ago
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Dreaming of You - The James Taylor Quartet
夜のセロクエルで、気だるい目覚め。 朝のセロクエルで、午前中も夢の中。 午後はボンヤリ、時間だけが過ぎる。 限られた活動時間、上手に使う方法… 休養もなるべく有益な時間にしたい。
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guragura000 · 4 years ago
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自殺未遂
何度も死のうとしている。
これからその話をする。
自殺未遂は私の人生の一部である。一本の線の上にボツボツと真っ黒な丸を描くように、その記憶は存在している。
だけど誰にも話せない。タブーだからだ。重たくて悲しくて忌み嫌われる話題だからだ。皆それぞれ苦労しているから、人の悲しみを背負う余裕なんてないのだ。
だから私は嘘をつく。その時代を語る時、何もなかったふりをする。引かれたり、陰口を言われたり、そういう人だとレッテルを貼られたりするのが怖いから。誰かの重荷になるのが怖いから。
一人で抱える秘密は、重たい。自分のしたことが、��時の感情が、ずっしりと肩にのしかかる。
私は楽になるために、自白しようと思う。黙って平気な顔をしているのに、もう疲れてしまった。これからは���を選んで、私は私の人生を正直に語ってゆきたい。
十六歳の時、初めての自殺未遂をした。
五年間の不登校生活を脱し高校に進学したものの、面白いくらい馴染めなかった。天真爛漫に女子高生を満喫する宇宙人のようなクラスメイトと、同じ空気を吸い続けることは不可能だと悟ったのだ。その結果、私は三ヶ月で中退した。
自信を失い家に引きこもる。どんよりと暗い台所でパソコンをいじり続ける。将来が怖くて、自分が情けなくて、見えない何かにぺしゃんこに潰されてしまいそうだった。家庭は荒れ、母は一日中家にいる私に「普通の暮らしがしたい」と呟いた。自分が親を苦しめている。かといって、この先どこに行っても上手くやっていける気がしない。悶々としているうちに十キロ痩せ、生理が止まった。肋が浮いた胸で死のうと決めた。冬だった。
夜。親が寝静まるのを待ちそっと家を出る。雨が降っているのにも関わらず月が照っている。青い光が濁った視界を切り裂き、この世の終わりみたいに美しい。近所の河原まで歩き、濡れた土手を下り、キンキンに冷えた真冬の水に全身を浸す。凍傷になれば数分で死に至ることができると聞いた。このままもう少しだけ耐えればいい。
寒い!私の体は震える。寒い!あっという間に歯の根が合わなくなる。頭のてっぺんから爪先までギリギリと痛みが駆け抜け、三秒と持たずに陸へ這い上がった。寒い、寒いと呟きながら、体を擦り擦り帰路を辿る。ずっしりと水を含んだジャージが未来のように重たい。
風呂場で音を立てぬよう泥を洗い流す。白いタイルが砂利に汚されてゆく。私は死ぬことすらできない。妙な落胆が頭を埋めつくした。入水自殺は無事、失敗。
二度目の自殺未遂は十七歳の時だ。
その頃私は再入学した高校での人間関係と、精神不安定な母との軋轢に悩まされていた。学校に行けば複雑な家庭で育った友人達の、無視合戦や泥沼恋愛に巻き込まれる。あの子が嫌いだから無視をするだのしないだの、彼氏を奪っただの浮気をしているだの、親が殴ってくるだの実はスカトロ好きのゲイだだの、裏のコンビニで喫煙しているだの先生への舌打ちだの⋯⋯。距離感に不器用な子達が多く、いつもどこかしらで誰かが傷つけ合っていた。教室には無気力と混乱が煙幕のように立ち込め、普通に勉強し真面目でいることが難しく感じられた。
家に帰れば母が宗教のマインドコントロールを引きずり「地獄に落ちるかもしれない」などと泣きついてくる。以前意地悪な信者の婆さんに、子どもが不登校になったのは前世の因縁が影響していて、きちんと祈らないと地獄に落ちる、と吹き込まれたのをまだ信じているのだ。そうでない時は「きちんと家事をしなくちゃ」と呪いさながらに繰り返し、髪を振り乱して床を磨いている。毎日手の込んだフランス料理が出てくるし、近所の人が買い物先までつけてくるとうわ言を言っている。どう考えても母は頭がおかしい。なのに父は「お母さんは大丈夫だ」の一点張りで、そのくせ彼女の相手を私に丸投げするのだ。
胸糞の悪い映画さながらの日々であった。現実の歯車がミシミシと音を立てて狂ってゆく。いつの間にやら天井のシミが人の顔をして私を見つめてくる。暗がりにうずくまる家具が腐り果てた死体に見えてくる。階段を昇っていると後ろから得体の知れない化け物が追いかけてくるような気がする。親が私の部屋にカメラを仕掛け、居間で監視しているのではないかと心配になる。ホラー映画を見ている最中のような不気味な感覚が付きまとい、それから逃れたくて酒を買い吐くまで酔い潰れ手首を切り刻む。ついには幻聴が聞こえ始め、もう一人の自分から「お前なんか死んだ方がいい」と四六時中罵られるようになった。
登下校のために電車を待つ。自分が電車に飛び込む幻が見える。車体にすり潰されズタズタになる自分の四肢。飛び込む。粉々になる。飛び込む。足元が真っ赤に染まる。そんな映像が何度も何度も巻き戻される。駅のホームは、どこまでも続く線路は、私にとって黄泉への入口であった。ここから線路に倒れ込むだけで天国に行ける。気の狂った現実から楽になれる。しかし実行しようとすると私の足は震え、手には冷や汗が滲んだ。私は高校を卒業するまでの四年間、映像に重なれぬまま一人電車を待ち続けた。飛び込み自殺も無事、失敗。
三度目の自殺未遂は二十四歳、私は大学四年生だった。
大学に入学してすぐ、執拗な幻聴に耐えかね精神科を受診した。セロクエルを服用し始めた瞬間、意地悪な声は掻き消えた。久しぶりの静寂に手足がふにゃふにゃと溶け出しそうになるくらい、ほっとする。しかし。副作用で猛烈に眠い。人が傍にいると一睡もできないたちの私が、満員の講義室でよだれを垂らして眠りこけてしまう。合う薬を模索する中サインバルタで躁転し、一ヶ月ほど過活動に勤しんだりしつつも、どうにか普通の顔を装いキャンパスにへばりついていた。
三年経っても服薬や通院への嫌悪感は拭えなかった。生き生きと大人に近づいていく友人と、薬なしでは生活できない自分とを見比べ、常に劣等感を感じていた。特に冬に体調が悪くなり、課題が重なると疲れ果てて寝込んでしまう。人混みに出ると頭がザワザワとして不安になるため、酒盛りもアルバイトもサークル活動もできない。鬱屈とした毎日が続き闘病に嫌気がさした私は、四年の秋に通院を中断してしまう。精神薬が抜けた影響で揺り返しが起こったこと、卒業制作に追われていたこと、就職活動に行き詰まっていたこと、それらを誰にも相談できなかったことが積み重な��、私は鬱へと転がり落ちてゆく。
卒業制作の絵本を拵える一方で遺品を整理した。洋服を売り、物を捨て、遺書を書き、ネット通販でヘリウムガスを手に入れた。どうして卒制に遅れそうな友達の面倒を見ながら遺品整理をしているのか分からない。自分が真っ二つに割れてしまっている。混乱しながらもよたよたと気力で突き進む。なけなしの努力も虚しく、卒業制作の提出を逃してしまった。両親に高額な学費を負担させていた負い目もあり、留年するぐらいなら死のうとこりずに決意した。
クローゼットに眠っていたヘリウムガス缶が起爆した。私は人の頭ほどの大きさのそれを担いで、ありったけの精神薬と一緒に車に積み込んだ。それから山へ向かった。死ぬのなら山がいい。夜なら誰であれ深くまで足を踏み入れないし、展望台であれば車が一台停まっていたところで不審に思われない。車内で死ねば腐っていたとしても車ごと処分できる。
展望台の駐車場に車を突っ込み、無我夢中でガス缶にチューブを繋ぎポリ袋の空気を抜く。本気で死にたいのなら袋の酸素濃度を極限まで減らさなければならない。真空状態に近い状態のポリ袋を被り、そこにガスを流し込めば、酸素不足で苦しまずに死に至ることができるのだ。大量の薬を水なしで飲み下し、袋を被り、うつらうつらしながら缶のコックをひねる。シューッと気体が満ちる音、ツンとした臭い。視界が白く透き通ってゆく。死ぬ時、人の意識は暗転ではなくホワイトアウトするのだ。寒い。手足がキンと冷たい。心臓が耳の奥にある。ハツカネズミと同じ速度でトクトクと脈動している。ふとシャンプーを切らしていたことを思い出し、買わなくちゃと考える。遠のいてゆく意識の中、日用品の心配をしている自分が滑稽で、でも、もういいや。と呟く。肺が詰まる感覚と共に、私は意識を失う。
気がつくと後部座席に転がっている。目覚めてしまった。昏倒した私は暴れ、自分でポリ袋をはぎ取ったらしい。無意識の私は生きたがっている。本当に死ぬつもりなら、こうならぬように手首を後ろできつく縛るべきだったのだ。私は自分が目覚めると、知っていた。嫌な臭いがする。股間が冷たい。どうやら漏らしたようだ。フロントガラスに薄らと雪が積もっている。空っぽの薬のシートがバラバラと散乱している。指先が傷だらけだ。チューブをセットする際、夢中になるあまり切ったことに気がつかなかったようだ。手の感覚がない。鈍く頭痛がする。目の前がぼやけてよく見えない。麻痺が残ったらどうしよう。恐ろしさにぶるぶると震える。さっきまで何もかもどうでも良いと思っていたはずなのに、急に体のことが心配になる。
後始末をする。白い視界で運転をする。��は大学のゴミ捨て場に捨てる。帰宅し、後部座席を雑巾で拭き、薬のシートをかき集めて処分する。ふらふらのままベッドに倒れ込み、失神する。
その後私は、卒業制作の締切を逃したことで教授と両親から怒られる。翌日、何事もなかったふりをして大学へ行き、卒制の再提出の交渉する。病院に保護してもらえばよかったのだがその発想もなく、ぼろ切れのようなメンタルで卒業制作展の受付に立つ。ガス自殺も無事、失敗。
四度目は二十六歳の時だ。
何とか大学卒業にこぎつけた私は、入社試験がないという安易な理由でホテルに就職し一人暮らしを始めた。手始めに新入社員研修で三日間自衛隊に入隊させられた。それが終わると八時間ほぼぶっ続けで宴会場を走り回る日々が待っていた。典型的な古き良き体育会系の職場であった。
朝十時に出社し夜の十一時に退社する。夜露に湿ったコンクリートの匂いをかぎながら浮腫んだ足をズルズルと引きずり、アパートの玄関にぐしゃりと倒れ込む。ほとんど意識のないままシャワーを浴びレトルト食品を貪り寝床に倒れ泥のように眠る。翌日、朝六時に起床し筋肉痛に膝を軋ませよれよれと出社する。不安定なシフトと不慣れな肉体労働で病状は悪化し、働いて二年目の夏、まずいことに躁転してしまった。私は臨機応変を求められる場面でパニックを起こすようになり、三十分トイレにこもって泣く、エレベーターで支離滅裂な言葉を叫ぶなどの奇行を繰り返す、モンスター社員と化してしまった。人事に持て余され部署をたらい回しにされる。私の世話をしていた先輩が一人、ストレスのあまり退社していった。
躁とは恐ろしいもので人を巻き込む。プライベートもめちゃくちゃになった。男友達が性的逸脱症状の餌食となった。五年続いた彼氏と別れた。よき理解者だった友と言い争うようになり、立ち直れぬほどこっぴどく傷つけ合った。携帯電話をハイヒールで踏みつけバキバキに破壊し、コンビニのゴミ箱に投げ捨てる。出鱈目なエネルギーが毛穴という毛穴からテポドンの如く噴出していた。手足や口がばね仕掛けになり、己の意思を無視して動いているようで気味が悪かった。
寝る前はそれらの所業を思い返し罪悪感で窒息しそうになる。人に迷惑をかけていることは自覚していたが、自分ではどうにもできなかった。どこに頼ればいいのか分からない、生きているだけで迷惑をかけてしまう。思い詰め寝床から出られなくなり、勤務先に泣きながら休養の電話をかけるようになった。
会社を休んだ日は正常な思考が働かなくなる。近所のマンションに侵入し飛び降りようか悩む。落ちたら死ねる高さの建物を、砂漠でオア��スを探すジプシーさながらに彷徨い歩いた。自分がアパートの窓から落下してゆく幻を見るようになった。だが、無理だった。できなかった。あんなに人に迷惑をかけておきながら、私の足は恥ずかしくも地べたに根を張り微動だにしないのだった。
アパートの部屋はムッと蒸し暑い。家賃を払えなければ追い出される、ここにいるだけで税金をむしり取られる、息をするのにも金がかかる。明日の食い扶持を稼ぐことができない、それなのに腹は減るし喉も乾く、こんなに汗が滴り落ちる、憎らしいほど生きている。何も考えたくなくて、感じたくなくて、精神薬をウイスキーで流し込み昏倒した。
翌日の朝六時、朦朧と覚醒する。会社に体調不良で休む旨を伝え、再び精神薬とウイスキーで失神する。目覚めて電話して失神、目覚めて電話して失神。夢と現を行き来しながら、手元に転がっていたカッターで身体中を切り刻み、吐瀉し、意識を失う。そんな生活が七日間続いた。
一週間目の早朝に意識を取り戻した私は、このままでは死ぬと悟った。にわかに生存本能のスイッチがオンになる。軽くなった内臓を引っさげ這うように病院へと駆け込み、看護師に声をかける。
「あのう。一週間ほど薬と酒以外何も食べていません」
「そう。それじゃあ辛いでしょう。ベッドに寝ておいで」
優しく誘導され、白いシーツに倒れ込む。消毒液の香る毛布を抱きしめていると、ぞろぞろと数名の看護師と医師がやってきて取り囲まれた。若い男性医師に質問される。
「切ったの?」
「切りました」
「どこを?」
「身体中⋯⋯」
「ごめんね。少し見させて」
服をめくられる。私の腹を確認した彼は、
「ああ。これは入院だな」
と呟いた。私は妙に冷めた頭で聞く。
「今すぐですか」
「うん、すぐ。準備できるかな」
「はい。日用品を持ってきます」
私はびっくりするほどまともに帰宅し、もろもろを鞄に詰め込んで病院にトンボ帰りした。閉鎖病棟に入る。病室のベッドの周りに荷物を並べながら、私よりももっと辛い人間がいるはずなのにこれくらいで入院だなんておかしな話だ、とくるくる考えた。一度狂うと現実を測る尺度までもが狂うようだ。
二週間入院する。名も知らぬ睡眠薬と精神安定剤を処方され、飲む。夜、病室の窓から街を眺め、この先どうなるのかと不安になる。私の主治医は「君はいつかこうなると思ってたよ」と笑った。以前から通院をサポートする人間がいないのを心配していたのだろう。
退院後、人事からパート降格を言い渡され会社を辞めた。後に勤めた職場でも上手くいかず、一人暮らしを断念し実家に戻った。飛び降り自殺、餓死自殺、無事、失敗。
五度目は二十九歳の時だ。
四つめの転職先が幸いにも人と関わらぬ仕事であったため、二年ほど通い続けることができた。落ち込むことはあるものの病状も安定していた。しかしそのタイミングで主治医が代わった。新たな主治医は物腰柔らかな男性だったが、私は病状を相談することができなかった。前の医師は言葉を引き出すのが上手く、その環境に甘えきっていたのだ。
時給千円で四時間働き、月収は六万から八万。いい歳をして脛をかじっているのが忍びなく、実家に家賃を一、二万入れていたので、自由になる金は五万から七万。地元に友人がいないため交際費はかからない、年金は全額免除の申請をした、それでもカツカツだ。大きな買い物は当然できない。小さくとも出費があると貯金残高がチラつき、小一時間は今月のやりくりで頭がいっぱいになる。こんな額しか稼げずに、この先どうなってしまうのだろう。親が死んだらどうすればいいのだろう。同じ年代の人達は順調にキャリアを積んでいるだろう。資格も学歴もないのにズルズルとパート勤務を続けて、まともな企業に転職できるのだろうか。先行きが見えず、暇な時間は一人で悶々と考え込んでしまう。
何度目かの落ち込みがやってきた時、私は愚かにも再び通院を自己中断してしまう。病気を隠し続けること、精神疾患をオープンにすれば低所得をやむなくされることがプレッシャーだった。私も「普通の生活」を手に入れてみたかったのだ。案の定病状は悪化し、練炭を購入するも思い留まり返品。ふらりと立ち寄ったホームセンターで首吊りの紐を買い、クローゼットにしまう。私は鬱になると時限爆弾を買い込む習性があるらしい。覚えておかなければならない。
その職場を退職した後、さらに三度の転職をする。ある職場は椅子に座っているだけで涙が出るようになり退社した。別の職場は人手不足の影響で仕事内容が変わり、人事と揉めた挙句退社した。最後の転職先にも馴染めず八方塞がりになった私は、家族と会社に何も告げずに家を飛び出し、三日間帰らなかった。雪の降る中、車中泊をして、寒すぎると眠れないことを知った。家族は私を探し回り、ラインの通知は「帰っておいで」のメッセージで埋め尽くされた。漫画喫茶のジャンクな食事で口が荒れ、睡眠不足で小間切れにうたた寝をするようになった頃、音を上げてふらふらと帰宅した。勤務先に電話をかけると人事に静かな声で叱られた。情けなかった。私は退社を申し出た。気がつけば一年で四度も職を代わっていた。
無職になった。気分の浮き沈みが激しくコントロールできない。父の「この先どうするんだ」の言葉に「私にも分からないよ!」と怒鳴り返し、部屋のものをめちゃくちゃに壊して暴れた。仕事を辞める度に無力感に襲われ、ハローワークに行くことが恐ろしくてたまらなくなる。履歴書を書けばぐちゃぐちゃの職歴欄に現実を突きつけられる。自分はどこにも適応できないのではないか、この先まともに生きてゆくことはできないのではないか、誰かに迷惑をかけ続けるのではないか。思い詰め、寝室の柱に時限爆弾をぶら下げた。クローゼットの紐で首を吊ったのだ。
紐がめり込み喉仏がゴキゴキと軋む。���が押しつぶされグエッと声が出る。三秒ぶら下がっただけなのに目の前に火花が散り、苦しくてたまらなくなる。何度か試したが思い切れず、紐を握り締め泣きじゃくる。学校に行く、仕事をする、たったそれだけのことができない、人間としての義務を果たせない、税金も払えない、親の負担になっている、役立たずなのにここまで生き延びている。生きられない。死ねない。どこにも行けない。私はどうすればいいのだろう。釘がくい込んだ柱が私の重みでひび割れている。
泣きながら襖を開けると、ペットの兎が小さな足を踏ん張り私を見上げていた。黒くて可愛らしい目だった。私は自分勝手な絶望でこの子を捨てようとした。撫でようとすると、彼はきゅっと身を縮めた。可愛い、愛する子。どんな私でいても拒否せず撫でさせてくれる、大切な子。私の身勝手さで彼が粗末にされることだけはあってはならない、絶対に。ごめんね、ごめんね。柔らかな毛並みを撫でながら、何度も謝った。
この出来事をきっかけに通院を再開し、障害者手帳を取得する。医療費控除も障害者年金も申請した。精神疾患を持つ人々が社会復帰を目指すための施設、デイケアにも通い始めた。どん底まで落ちて、自分一人ではどうにもならないと悟ったのだ。今まさに社会復帰支援を通し、誰かに頼り、悩みを相談する方法を勉強している最中だ。
病院通いが本格化してからというもの、私は「まとも」を諦めた。私の指す「まとも」とは、周りが満足する状態まで自分を持ってゆくことであった。人生のイベントが喜びと結びつくものだと実感できぬまま、漠然としたゴールを目指して走り続けた。ただそれをこなすことが人間の義務なのだと思い込んでいた。
自殺未遂を繰り返しながら、それを誰にも打ち明けず、悟らせず、発見されずに生きてきた。約二十年もの間、母の精神不安定、学校生活や社会生活の不自由さ、病気との付き合いに苦しみ、それら全てから解放されたいと願っていた。
今、なぜ私が生きているか。苦痛を克服したからではない。死ねなかったから生きている。死ぬほど苦しく、何度もこの世からいなくなろうとしたが、失敗し続けた。だから私は生きている。何をやっても死ねないのなら、どうにか生き延びる方法を探らなければならない。だから薬を飲み、障害者となり、誰かの世話になり、こうしてしぶとくも息をしている。
高校の同級生は精神障害の果てに自ら命を絶った。彼は先に行ってしまった。自殺を推奨するわけではないが、彼は死ぬことができたから、今ここにいない。一歩タイミングが違えば私もそうなっていたかもしれない。彼は今、天国で穏やかに暮らしていることだろう。望むものを全て手に入れて。そうであってほしい。彼はたくさん苦しんだのだから。
私は強くなんてない。辛くなる度、たくさんの自分を殺した。命を絶つことのできる場所全てに、私の死体が引っかかっていた。ガードレールに。家の軒に。柱に。駅のホームの崖っぷちに。近所の河原に。陸橋に。あのアパートに。一人暮らしの二階の部屋��ら見下ろした地面に。電線に。道路を走る車の前に⋯⋯。怖かった。震えるほど寂しかった。誰かに苦しんでいる私を見つけてもらいたかった。心配され、慰められ、抱きしめられてみたかった。一度目の自殺未遂の時、誰かに生きていてほしいと声をかけてもらえたら、もしくは誰かに死にたくないと泣きつくことができたら、私はこんなにも自分を痛めつけなくて済んだのかもしれない。けれど時間は戻ってこない。この先はこれらの記憶を受け止め、癒す作業が待っているのだろう。
きっとまた何かの拍子に、生き延びたことを後悔するだろう。あの暗闇がやってきて、私を容赦なく覆い隠すだろう。あの時死んでいればよかったと、脳裏でうずくまり呟くだろう。それが私の病で、これからももう一人の自分と戦い続けるだろう。
思い出話にしてはあまりに重い。医療機関に寄りかかりながら、この世に適応する人間達には打ち明けられぬ人生を、ともすれば誰とも心を分かち合えぬ孤独を、蛇の尾のように引きずる。刹那の光と闇に揉まれ、暗い水底をゆったりと泳ぐ。静かに、誰にも知られず、時には仲間と共に、穏やかに。
海は広く、私は小さい。けれど生きている。まだ生きている。
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muyokuchan · 7 years ago
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デパスODのやり方
ドラッグじゃ足りない。わたしは生きていたい。
ソフトドラッグはやらせてくれてもいいんじゃないかなあ。
人生かけてコンビニで奪った7万円。僕の人生はそんなもんで、生きている意味がなくて金に火をつけて遊んだ。死んでくれるほど愛してくれる人もいなくて、死にたくなるほど愛したくなる人もいなくて、君たちはしゃべれるんだね!と毎日他人に感動して、檸檬はそういう曲で、僕にはぴったりだった。
先輩はわたしに興味がない。自殺してもたぶんお葬式には来ない。来てくれるのはあなただけかも。世界の真理を見たその日に「じゃあ、わたしは君たちのことをわかるけど、君たちはわたしをわからない」と言って自殺する。わたしは今日の講義に出ない。なぜなら今日は自殺するからだ。止めたいならブロンやレスタミンやメジコンでも送ってくれ。グランダキシンは効かないからやめたほうがいい。ブロンでも送ってくれたその日にはあなたに10倍以上でお返しするだろう。1mgのデパスなんて売ってくれた日にはわたしはあなたを一生愛することだろう、愛するとかじゃすまない。もう死んで感謝することだろうなあ。1mgのデパスを売ってください、言い値で買います。
じゃあ今日の話。知ってる?デパスを大量に飲むと怒りっぽくなって、意識が戻ったころにはいろんな人とLINEで喧嘩してた、なんていう風になるんだよ。デパスのODはやめたほうがいい。わたしは嘘をついてまでデパスを手にいれようとしていた。効くから。1mgは多いよと言いながら出してくれる先生、愛してた。デパスは依存性が高いと入院中に説かれた。知らんがな、効くんだからわたしに合ってる薬だってことだろうが。みなさん、デパスをもらったらわたしに売りつけなさい。ただし1mgだよ。0.5なんて話にならないからね。わたしの他にも薬物依存症の中年の女が入院していたが、デパスをもらっていて殺したかったところ、セルシンに変えられて、あげくセルシンのほうが強いよとか看護師に嘘まで吐かれていて笑った。マ、そんな中わたしは全部の薬をやめさせられて離脱症状に死ぬほど苦しんで壁に穴開けたり椅子の足をへし折ったりしていたわけですけれどね。そうして最終的に出された薬はエビリファイ18mgとグッドミンと頓服にセロクエルなわけですが、どれもODできないってわたしはわかっているわけですよ。先生はそれをわかって出しているんですね。セレネースを出されていたころに、セレネースをODしたら身体が引きつって顎が��れて大学病院にまで行く羽目になったから。リスパダール、セロクエル、ロヒプノールなどを出されていたころはレスタミンに再ハマりしていたためODはしなかったですが、副作用で舌が勝手に出たりアカシジアがひどくかったです。あさかホスピタルに行って良かったと思います。わたしはずっと誰かに追いかけられて狙われている感じがしていて、入院したら逃げられるんじゃないかとか警察に通報しようとか思っていたわけですが、今すぐに入院したほうがいいと言われてとても安心しました。軽い統合失調症、薬物依存症と診断もされてやっとわたしはこの何が何だかわからないけど怖い、病気じゃないのに病気のふりしてるという最悪な状況から逃げ出せたわけです。
デパスの話からそれてしまいましたがいつも通りのことですね。
個人輸入でエチゾラム1mgを90錠買ったときの話をします。デパスの個人輸入が禁止になると話題になってから買ったのでそれしか仕入れられなかった。人生初デパスがその一錠だったわけですが、効いているのかなんてわかるわけないのに効いていないもっと飲むといつの間にか1シート飲んでしまったらしく、初デパスはODとなりました。そして記憶のないうちにレスタミンを2瓶買ってきて全部飲んだらしいです。目が覚めて、下でバイト先の人たちが待っていたのでバイトだと思って出かけたら当時同棲していた元カレに今日は仕事じゃないと止められて家に戻ったら、バイト先の人たちがわたしの家を開けようとしたり、家に落書きしたり、虫を入れてきたりして、携帯も家の鍵も盗まれてて、とにかく通報しようとして元カレを起こして携帯を借りて通報しようとしたらなにやってんだ!今から救急車を呼ぶから待っていろと言われ、なんとなく安心、救急車が到着したころには落ち着いていました。病院では胃洗浄などはせず、点滴を打たれ、家族を福島から栃木の小山まで呼び出し、元カレはバイトを休んでわたしのことを看ていてくれました。寝て起きたら虫が見えなくなっていました。でも歩けなくて、車いすで帰りました。そこには精神科はなかったので入院はなし。そんなこともあったんだ。で、その話をしたらあさかホスピタルでは即入院になった。入院できてよかったと思う。薬はやめられないけど、対処法や人との接し方の基本みたいなのを学ぶことができた。それはとてもありがたかった。断り方とかそういうの。あとは家族との関係も適切になった。父から性的暴力を受けていたこともやっと自分以外の人に話すことができた。それは大きな進歩だと思う。デパスのおかげで入院できたんだ。デパスを大量に飲みたいって暴れたら、急患で診られてさ。
つまり、デパスODはやめたほうがいいよということです。
2017.10.30
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onekomitai-blog · 8 years ago
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0410
一般的な生活への足がかりになるように母親のパートの日に皿洗いをすることになった。さっき終わらせた。きっと誰が見ても「そんなこと」なんだろうけど、これがなかなか厳しくて……そもそも起き上がることすら苦痛。絵なんか描いていられない。唯一続いてる趣味のはずなのに、今は無理。何もしたくない。私これでも頑張ってる。理解は別にされなくていい。私頑張ってるんで。みんな!応援してね!いつもは一方的に話しかけてくる、酸素や氷の入ったグラス、スピーカー、テレビ、外でビニール袋が走る音。こういう時に限って知らん顔するの、やめて欲しい。応援しろよ。否定以外できないのかよ。かわいそうなヤツらだな。という導入。
そう、昨日のタバコの画像見ながら思ったけど、皆タバコと一緒になにか飲むなら何を飲むんだろう。お酒、ジュース、色々あるけど、私は絶対カフェラテを飲む。セッターはカフェラテの味と会う気がする。タバコの味とコーヒーとミルク、すごく美味しい。真昼、家の人がバイクの整備をするのを自室のベランダで眺めながらタバコとカフェラテ、美味しい。 た��、注察妄想が激しい(薬飲んでもあんまりなくならない)から、イヤホンから大音量の音楽を流すことは忘れられない。最近のブームはMYTH&ROIDだけど、椎名林檎とかCoccoとか天野月子とかもよく聴く。パスピエとかポルカドットスティングレイとかも好き。女性ボーカル好き。あとHey! Say! JUMP(唐突なオタク)笑。他にもSkrillexとかペンデュラムとか。Portisheadなんかは夜ぼーっとしながらタバコ吸うならすごくいい気分……いい気分か?になれる。気がする。
そういえば我が家の猫、今日突然投げたおもちゃを私のところに持ってくるようになった。丸い猫みたいなおもちゃをぽーんと投げると可愛い足音をたてながらそれを持ってくる。目の前に置いたかと思うと、すごい自信満々にほめてほめて、という顔で見てくるからヨスヨスした。嫌がられた。いやなんでやねん、今めちゃくちゃ撫でろやみたいな顔したじゃん。いいからもう一回投げろってこと?もうしょうがないなあ、はい、ぽーん。三十分くらいやった気がする。サキちゃんより私の方がさきに力尽きた。サキなだけに。子猫ちゃんは元気だな……おばさんは弱冠で人生に疲れてしまったのに。ごめんなさいお母さんお父さん。ごめんなさい今までお世話になった学校の先生方、病院の先生方。これから頑張りますので、私を追い詰める視線と言葉を叱ってください。そうしたら働きますので。多分……。
実際無職の身近なメンヘラの中で一番働きたいと思ってると思う。いや分からないけど。だって一番年上だもん、もう税金入れなきゃいけない年齢だもん。めちゃくちゃ焦る。中学時代に破滅したクラスメイトと、一緒にそれと疎遠になった友人達が初任給で旅行行く!とか言っているのを見てさらに焦った。別に羨ましくないけど……いや、羨ましい。羨ましくないわけがない!ていうか破滅した相手が幸せそうなのが気に入らない笑。なんらかの不幸に見舞われてくれ。 しかし、中学の同窓会の招待状すら破り捨てた私が同級生が仲良くしているのを羨むことは許されるのだろうか。いや、許されない。過去の自分、なんてことをしてくれたんだ。もしかしたらそれを足がかりに社会復帰出来たかもしれなかったんだぞ。冷静に考えると絶対に無理だってわかるから冷静に考えたりしない。無理だな……。いつでも冷静にいたい(いられるとはいってない)というポリシーが夢を見ることを許してくれない。あー友達ほしいなー社会の歯車の一つになりたい。雇って!私を!どこかの御社! と思ったけどやっぱりいい。働くとか、今考えられない。もし天文学的な確率で雇われても周りに迷惑だけかけて終わりとかにねりかねない。やめよう。私は社会の歯車を錆びつかせる水気に他ならないのだ。水分からどうやったら金属?合成樹脂?なに?とりあえず歯車。どうやったら水から歯車になれるの?教えて歯車の人。あー歯車になりたい。今すぐなりたい。でも水が歯車の形をとったところで水だしオブラートかなんかで形成したところでそのうち潰れる。黒魔術かなんかに手を染めて歯車になるしかない。今使える黒魔術はセロクエルとデパケン。あとパルプンテ。私、ドラクエはやったことないけど。何が起きるかわからないヤバイ呪文でしょ?……使いたい。運良く美少女になったりしないだろうか。タカスなんとかでパパッとさ……。最早呪文じゃないね。現実みてるね。顔面変えなくていいんで二重になりたい。私って、ホントブス。バカ。無職。臭い。もう死ぬしかないじゃない。しかも今ピザポテトが販売休止って聞いてもう泣いた。ピザポテトを殺すなら私を殺してからにしてくれ!あああ〜絶望。もう希望がLI〇Eプ〇イで出会い厨のアホを釣ることしかないしそんな希望はいらない。でもめっちゃ面白い。知的好奇心で見ず知らずの人間の住所を聞きだしてしまった。私は悪用しないけど中学三年生の君、気をつけてね。ネットリテラシーガバガバ。
無駄に長くなってしまった。寝ないけど寝る。
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muyokuchan · 7 years ago
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グッドミン2
セロクエル3
エビリファイ1とのんだら落ち着いてきた
2017.10.18
落ち着いてきたどころかぽかぽかして眠くなってきた。こんな、これっぽっちの量でどうにかされてしまうなんて、知らなかった。つらさも消えた。聖母の気持ちになっている。あー、みんな、素晴らしいよ。生まれてきてよかった。
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onekomitai-blog · 8 years ago
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0408
ついさっきまで日記のことすっかり忘れていた。今思い出して眠いな〜と思いながらポチポチしてる。もう薬も飲んだから寝るだけ。
今日は病院に行ってきた。家を出た瞬間、拒否反応が行き過ぎてしゃっくりが止まらなくてもしかして死ぬのかな?と思った。今まで通った色々なメンクリは一体なんだったんだという��ベルで問診が丁寧でびっくり。でも高校時代の時点で覚えていることがほとんどなくて、答えられた質問はあまり多くない。出されたのはセロクエル100とデパケン100、あとリボリトール0.5……初診だから少なめだった。これから様子を見て少しずつ増やすらしい。初めからドカンと出されることも少なくなかったから、ちょっと安心した。 もう書くことないね……。病院で疲れたし……。今日の志村どうぶつ園最高だった。犬猫ダンスが可愛すぎて病気が治ったかと思った。死んだ。おしり。
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