#スパイラルダイナミクス
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理想的な野党について。
まずは「ティール組織」を知ってください。
https://cybozushiki.cybozu.co.jp/articles/m001504.html?fbclid=IwAR0yeX-6e295rMXDTyfHhZqFenSV35W0qwgHTD8TAXVTOtYGpd1OLuVGYso 「ティール組織」を日本に紹介する立役者となり、企業やNPOへの導入をファシリテートしてきた嘉村賢州さんが、サイボウズの青野慶久さんの求めに応じて講演、対談などを行った際の記事が簡単にまとまっていてわかりやすいです(とりあえずは、これだけ読んでもらえばOK!)。
https://www.amazon.co.jp/dp/B07SGQ92Z9/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_thwoDb3E4A9RX ベストセラーになったフレデリック・ラルー著『ティール組織』は導入部の第一章がKindleなどでも無料で読めます(時間と興味のある人は是非!)。
要は従来の上位下達のピラミッド型権力構造でなく、各成員が信頼関係をベースに横に繋がる組織形態で、既にNPO、小規模のスタートアップから巨大企業まで、試行錯誤により自然発生的に多数存在し、それぞれ成果を上げているとのことです。
調査の結果あきらかになった共通点を説明するのに、『ティール組織』作者のラルーはインテグラル思想、なかでも「スパイラルダイナミクス」と呼ばれる、意識の進化形態を援用するのですが、これがこれからの政治を考える上で示唆に富んでいると思うのです。
Twitterへの投稿を見てくれてる人には言わずもがなですが、今年(2019年)の参院選で私もご多分に漏れず「れいわ新選組」に注目し応援し、その動向を追っかけてたんですね。…で、代表の山本太郎氏や安冨歩さん、なかでも政府貨幣発行論者の大西つねき氏の言動を追っかけるうち、彼らの姿勢と存在の有り様にいたく感銘を受けたのです。
大西つねき氏の「我々は常に個人として自由に考え、判断し、行動しなければならない」と言う理念。…選挙中のYouTube Liveや、演説会への移動中のビデオでも「みんなが自由に動いて、会場を準備したり、いいと思うものを発信してくれてる。スタッフを信頼してる」と繰り返し語っていて、理想の形だなと思うと同時に、「れいわ新選組」のメンバーそれぞれも独自に動いて、ボランティアスタッフの助けを借りつつ、選挙活動にまい進する姿を見て、どうもこれまでの政党とは違うなと。これって、ティール…。
そりゃある程度は古参スタッフや、創価学会を批判して合流した、選挙慣れしたボランティアの人たちが仕切ってる面もあったにせよ、各候補が(おそらく党全体のすり合わせもせず)言いたいことを言って成り立つ懐の深さとか、ほとんどぶっつけで結党した初対面の仲間が互いに気づかえる連帯感とか、それらを可能にする一見単純だが実に深く練られた公約とか…。
手作り感あふれる動画で熱く語る候補者のエモさと言ったら…たぶん選挙期間中にまとめてTV放送してたら、結果はもっと凄いことになったかもと思うのは贔屓のし過ぎでしょうか?…それは置いとくとしても、動画や理念が一部の人たちにポピュリズムだと批判された理由も、インテグラル思想で考えれば説明がつくのです。つまりグリーン・ミーム(リベラル派の中心思潮)のナーバスな排他的利己性が惹起された結果です。
「れいわ新選組」としては、アンバー~オレンジに求心力をもつ与党勢力によって傷つけられた、あらゆる層にリーチする主張を展開していたわけですが、それが無責任で芝居がかって、媚びてるように見えたのです。例えばカウンセラーが患者の人間関係を自身に転移させて、愛情を補うことで信頼感を醸成し、成長を阻害する要因への気づきを促し、自立に向かわせる治療手法があります。これは失敗した親子関係などをやり直すモデルです。ご存じのように自公政権や日本会議、ブラック企業の多くも古い家族観のメタファーにのっとって支配を正当化しますが、ナーバスなグリーン・ミームはこの類似性にこじつけて「れいわ新選組」を批判するのです。いわばカウンセラーの「転移」は患者の依存を生むからよくないと退けるようなものです。結果として成長できたとしても、一時的にせよ依存を正当化するのは許せないと。…これはグリーン・ミームの病理の一側面です。文脈を無視した「言葉狩り」の横行や、過剰な報道規制などにもその影響が見られますが…。
ともあれ「れいわ新選組」の候補者が示す価値観は、ティール(スパイラルダイナミクスで言うところのイエロー・ミーム)を体現してるように思えます。
それはおそらく山本太郎氏をはじめとする候補者の成熟した人格によるものでしょう(背後にアドバイザー的な存在がいたとしても凄いですけど)。…急ごしらえの選挙チームが短期間に持てる力をフルに発揮して戦うために、自然発生的に「ティール組織」化して、ボランティアや支持者の自律的な運動を促したのも、自己中心的でなくあくまで問題中心的な候補者の姿勢、明確な目標と現状認識、緊密な情報ネットワークなど様々な条件がそろったからだと思うのですが、これが今後の「れいわ新選組」ひいては野党共闘の試金石になるかもしれません。
…と言うのも、民衆の期待を背に立ち上げられた新党が当初の熱情を失い、既存の組織にからめとられて凡庸化する例を、我々は幾度となく目にしてきたからです。
私はその大きな要因が従来的な、ピラミッド型の組織運営にあると見ています。
おそらくですがグリーン・ミームをグリーン・ミームたらしめ、「ティール組織」と隔てているのもこの、公平性や多様性への言及(※)とは矛盾するシステムを温存していることに端を発するのです。…口先でいいこと言っても、結局はパワーゲーム。「お前の意見はもっともだが今言っても潰されるだけだ。もうちょっと上の立場になるまで我慢しろ」ってやつですね。様々な意見を調整するうちに平準化され、あたりさわりのない、問題解決には程遠い対策しか立てられなくなったり…。
そんなこんなで「れいわ新選組」もスタッフを増やしたり地方に拠点を作ったり、組織を拡大する必要に迫られるでしょうが…。どうか先人の轍を踏まず、おそらく自身の現状とも合致した「ティール組織」のような試みに目を向け、未来を先取りした���デルケースとなって、そのまま日本の国家運営にも結び付けてほしいと思うのです。…大西つねきさんが言うような世界のモデル国家にも、きっと繋がるでしょう。
…ちょと長くなりそうなので、つづきはまた。
次回は「れいわ新選組」以外の野党で「ティール組織」を実現できそうな政党を考えてみます。…個人的には日本共産党も、親和性が高い気がするんです。 その理由は…(!?)お楽しみに!!
※そもそもグリーン・ミームには、上記スパイラルダイナミクスのような進化心理学的視点を嫌う傾向もあります。…ナーバスな平等性の追求はポストモダニズムや文化相対主義などに結実しますが、自説の立脚点だけはメタ化して特別視するという巧妙な倒錯を、インテグラル思想ではナルシシズムの表現と見なします。
(追記あり…「政治がアートになればいい」)
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政治がアートになればいい
イベントに参加して、またその前にラルーさんの著作をしっかり読んでみて、『ティール組織』についての認識を改めました。
ティール組織は、簡単なものじゃないですね…っっ。
著作の第三部に詳しく書かれてるのですが、ティール的な方向性は既存の企業や組織に導入するよりも新規に立ち上げた方が根付かせやすいと言います(第三部第2章)。 …というかそれは起業時であったり、何か自発的なプロジェクトに向けて寄せ集めの集団で動き出す時にメンバーの総和以上の熱量を発する、あの生命的な躍動感こそがティールの芽吹きだからじゃないかと思いました。 仮想的には学校や会社の新人オリエンテーションで、ゲーム的な取り組みをして同期の仲間と心を通わせていく感じとか、学園祭で気心の知れたサークル仲間と催しの準備をしたり、心理的なワークショップで初対面の人とグループを組んで表現する感じを想像してもらってもいいと思います。 まずそこにはティール組織の三要素「自主経営」「全体性」「存在目的」を選択できる可塑性があります。力関係もはっきりせず(あるいはフラットな対人関係)、手探りで自己主張しながら(全体性と向き合う)、明確な目的の実現に向けて動くという…。
演劇などの集団アートでも、同じような運営に行きつくところがありそうです(イベントの分科会でも、舞台出身の人がファシリテーターやってました)。
…で、以前の話に戻りますが「れいわ新選組」に感じたティール的、生命体的な印象も単に新しい組織の立ち上げ時に特有の熱情だったのだろうと思います。 そして数年前の立憲民主党結成時のあの盛りあがりも同じものと考えると、ブームの急失速は他人事では��く、組織化のプロセスはよくよく注意して欲しいと思わざるを得ません…。
「ティール組織」で何より重要なのは、模範となるリーダーの人間性(統合型人格)と、権限すべてを現場の人員に移譲する無私の姿勢です。 そのためホロクラシーなど、実績のある方法論も公開されています。構成員が全て同じ発達レベルである必要はありません。それどころか子供やペットを会社に受け入れ、社員が多様性に開かれるよう環境を整えるティール企業もあります。関わる全ての人の健全な発達を支援することが、自然な生命倫理だからでしょう。
自分からすると山本太郎さんをはじめ「れいわ新選組」の面々には統合的な人間性が垣間見えるんですよね。…ひいき目かもしれませんが。
…なので「れいわ新選組」は、支持者の政治へのモチベーションを失わせないためにも、出来るなら多少の困難を乗り越えてでもティールのような新しい組織モデルを採用して、未来への希望を示して欲しいなあ…と思います。
…手前勝手な願望ですが。
あと共産党も。…こちらも難しそうですが、志位さん小池さんをはじめとする幹部の高潔さに期待したいです。共産党の存在目的だって、元々は格差解消、資本家と労働者の対立を乗り越えることだったはずです。「単に利益を求めるのじゃなく、その会社独自の社会的貢献を果たす」というティール組織の在り方にもマッチするんじゃないですかね。…何より面白いですよ。「ティール組織化した共産党」なんて、絶対に世界初ですもん!
そういえば昨日の分科会でも、ロシアの従業員数千人規模の銀行がホラクラシーを導入してるって話を聞きましたよ。
まあ実際は日本の政治、議会なんてまだまだパワーゲーム(レッド~アンバー)の面が大きいですし、まっとうな議論(オレンジ)も成り立たず、ティールからは程遠いのかもしれません。 でもQ&Aで「大きな企業の中の一部門でティール組織的な試みは可能か」との質問に、ラルーさんが「その部門の責任者の権限で出来る範囲なら、やる価値はある」「上からの難癖や妨害を受け止めて部下を守れるなら一時的にはうまくいくかもしれないし、その経験が次につながるかもしれない」「上層部が変わって会社全体がティールになったり、解雇されて別の企業でティールの試みが生きることも…」とおっしゃられてました。 …そのように、日本が真の民主国家となるまでは政治家も外に対して権謀術数、内に対して信頼とケアと、指針を示し範となり続けていただきたいと思います。
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