#ジョン・カサヴェテス
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ローズマリーの赤ちゃん 東宝株式会社事業・開発部 監督=ロマン・ポランスキー/出演=ミア・ファロー、ジョン・カサヴェテス ほか
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1日数食日記
2/3(土)
寒かったのとどうせ寝るだろうと思ったので、朝イチウディは断念。今日は妻と一緒に家を出て駅まで歩き飯田橋勤務。職場で10歳以上年上の先輩社員(元ミュージシャン)とLINEを交換し今度六本木のソウルバーに行く約束をする。職場近くのレコード×コーヒーショップに行く約束もまだ果たせていないのに。仕事を8時ごろに終えて、9時半ごろに帰宅。妻が海鮮とローストビーフの恵方巻きを買ってきてくれて(閉店間際だったのですごいボリュームの2本が700円だったそう)いただく。そのあと映画を一本観て、0時過ぎに就寝。
映画
1. アメリカの影 / ジョン・カサヴェテス
「映画という表現によって長尺のモダンジャズを演奏する」(だからライブで爆音で鳴らされるのはロックンロールだし、マイルス似のベニーはトランペットを吹かない)という無垢で無邪気な原理からこの偉大な作家のデビュー作が生まれた、というのがとても嬉しい。だから原題"Shadows"に「アメリカの影」と邦題を付けるのは不埒な所業と言いたくなる。
音楽
1. Caetano Veloso / Caetano Veloso
2. Sadness Sets Me Free / Gruff Rhys ★
この新譜で初めて知った名前だが、フォー��ロックを基調に、人懐っこいメロディーと色彩豊かなアレンジが施された楽曲が、すっと心に入り込んで反響する。Mr. LendermanやAndrew Gabbardに音楽性が近い気がするが、どうやらSuper Furry Animalsのメンバーらしい。最近またよくSFAを聴いていたからなんだか嬉しい。
3. Cedar City Sweetheart / Andrew Gabbard ★
前作よりもカントリー色濃いが、これはこれでこれこれ!って感じ。好きだ。
その他
1. 大瀧詠一のアメリカン・ポップス伝 パート2第3夜 (サイト 「アメリカン Ⅰ」)
読書
1. やちまた 上 / 足立巻一
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2023年に観てよかった旧作映画の感想など
○洋画&邦画(順不同)
ペトラ・フォン・カントの苦い涙(1972)ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー @新宿武蔵野館
ずっと苦手意識を持っていたファスビンダー。これを観る前にオゾンのリメイクを観たので、物語を追う必要がそこまでなく画に集中できたことによって、ファスビンダー作品の"凄み"みたいなのが感じ取れたのかもしれない。これまで男性同士の恋愛映画はいくらか観てきたが、女性同士の物語はというと、性愛を含まないシスターフッドが銘打たれていたり、女性たちをエンパワーメントするような作品は好んで観るものの、私自身に差別意識はないつもりでも、なんとなしに遠ざけてしまっていたのだろう。先にも書いたようにオゾンがリメイク版で主人��とその相手役も男性のキャラクターにしていたから、個人的に取っかかりやすくなったことは否定出来ないが、作品としては全くの別物であったし(オゾン版は大大大コメディ映画)ファスビンダーの作る画は、その映画の物語とは別のところでも魅力が発揮されていると思う。そして完膚なきまで室内劇であることに大興奮だった。
偽れる装い(1945)ジャック・ベッケル @シネマヴェーラ渋谷
自分で制作した洋服にこれまで関係をもってきた女たちの名前をつけていくような、変質的(だがカリスマ性のある)主人公が、アトリエの中をぐるぐると回るカメラワークとともに狂っていく様子が素晴らしい。(性愛による)狂いの先に死がある物語も大変好み。というのは建前で、別ジャンルの推しがパリに洋裁で留学しているという設定なので、パリで洋裁をするということに対してのディテールが深まり大変良かった、同担はみんなこの映画観て~!(オタク)
ショコラ(1988)クレール・ドニ @新文芸坐
とにかくクレール・ドニの映画にでてくる黒人男性はかっこよすぎる(昨年に挙げた『パリ、18区、夜』(1994)も同じく)という言葉に尽きるのだが、主人公の幼い頃の記憶として描かれていながら、危なげで、そして艶やかなところもある彼らを写す数々の場面に魅了された。暗い部屋に佇む人の存在の緊張感とその熱を感じられるのはドニの映画特有のものなんじゃないかと思う。
ラストエンペラー(1987)ベルナルド・ベルトルッチ @シネマ・ジャック&ベティ
満を持して観た…!ちゃんと大きめのスクリーンで…!名作すぎて多くを語りたくないのだけれど、マジで映画を観て眩暈がすることってあるんだなって。世界観に浸り、酔うことができて、いい映画体験だった。
赤線地帯(1956)溝口健二 @配信 / 流れる(1956)成瀬巳喜男 @配信
吉原の女たち。芸者の女たち。同時代に2人の監督が、一つ屋根の下で支え合って生きる女たちを異なる形で作品にしていることに純粋に驚いた。『赤線地帯』を観れば、京マチ子の演じる明るさや若尾文子の強かに生きる賢いキャラクターに力付けられる。『流れる』を観れば、田中絹代の表現するなんとも形容し難い表情や、山田五十鈴の薄幸な演技、その作品のまとう物哀しさに涙する。ここにあげていない他の女優たちの演技も素晴らしくて、それを演出する監督の作品ももっと観たい。けど、成瀬作品を見ると毎回夜も眠れないほど悲しい気持ちになるので、どうしたものか!
ラヴ・ストリームス(1983)ジョン・カサヴェテス @横浜シネマリン
いままでどうしてもカサヴェテスの映画をフィクションとして捉えられなかった。打ち出される邪悪な男性性を、あまりにもリアルに感じてしまい、まるでドキュメンタリーを観ているように、コメディだと思えないからだ。本作品は、いつも通りジーナ・ローランズの演技の素晴らしさはさることながら、これまでのわたしの観てきたカサヴェテス映画にはなかった、いい意味でふざけた演出(劇中オペラ)が、”この映画はフィクションである”と言ってくれたような気がしたのだ。カラックスの『アネット』(2021)を想起したのだけれど、この作品は関係しているのだろうか?激動する映画。
ママと娼婦(1973)ジャン・ユスターシュ @ヒュートラ渋谷
もうレオーといったらドワネル…というのは否めない、というかレオーもトリュフォーの映画じゃなくても、放浪青年役=ドワネルとして出演してるんじゃないの?とも感じてしまうくらいなのだけれど、それが嫌だとか、一辺倒でつまらないということはなく、バチバチにか��こいい映画。あらすじを簡単に言ってしまえば三角関係のお話(というかわたしの好きな映画はほとんどが痴情の縺れのお話)だが、主人公が居候している、タイトルでいうところのママの部屋が、レコードプレーヤーなどの色々なものが部屋の低いところに置いてあって(それも布団から寝ながら手を伸ばせるような位置に)、雑然としていて、とても綺麗だとは言えないが、その堕落した生活感のある部屋で起こっていることを登場人物の皆が皆、おおごとにみせていて、吸い込まれるように見入ってしまったし、別に、登場人物の誰にも感情移入はしなかったけれど、それぞれにとにかくこの三角関係をなんとかするんだという気概が台詞の端々に感じられて見応えのある映画だった。
ヘカテ デジタルリマスター版(1982)ダニエル・シュミット @配信
この映画を観たという人と話したときにどうでしたかと聞いたら、微妙な反応と共に「あんまり好きじゃないと思いますよ。」と言われ、"自分は好きだけどあなたには合わない"なのか、"自分は好きではなかった、ただそれだけ"だったのかはわからないけど、いつも"好きじゃないと思うよ"と言われると、勝手に決めんじゃねー!と思ってしまう質なので、帰って即座に観る。大抵それは外れていて(まあ関係の浅い人から言われることなんかそりゃそうなんだけれど)外交官が駐在先の灼熱の土地で出会った謎の女に狂わされるやつなんか好きにきまってんの!真っ白なスーツに、しっかり固めた髪の毛の、いかにも精悍な男が、服も髪の毛もどんどん乱れ薄汚くなっていく、汗でべたつく額と、必死に女を探すその表情が何とも馬鹿馬鹿しくて良い。姿を消してしまった人がいるであろう思いつく限りの場所を探して回る、やっとのことで見つけても、その相手にはぞんざいに扱われ、また苦しめられる…最初からやめとけって忠告されてたのにね。
利休(1989)勅使河原宏 @配信
利休と豊臣秀吉、三國連太郎と山崎努の、静と動の相対する演技。山口小夜子の出ている映画を観て(伴睦人『杳子』@国立映画アーカイブ)、他の出演作品はも観たいなと思った、きっかけはただそれだったためそこまで期待はしていなかったが非常に面白く観た(まあ勅使河原作品は元々好きなんだけどね)。学生時代、日本史なんか全然勉強してなかったから(他の科目も特段勉強したわけではないが)時代劇(や大��ドラマ)を観てて、たくさん人達や合戦にポカーンとしてしまうことが多いのだけれど、この作品は二人の張りつめた関係性、空気感が丁寧に、冗長することなく描かれていて集中して観れた。時代劇のやんごとなき人の出てくるシーンや描写が好きだ。今年は母に連れられて大友啓史『レジェンド&バタフライ』(織田信長)、北野武『首』(豊臣秀吉)も観て、図らずも安土桃山時代に…(?)
レースを編む女(1977)クロード・ゴレッタ @アテネ・フランセ文化センター
ヴァカンス先での出会いはもういっそのこと割り切って、ひと夏の恋として終わらせるに限る!(エリック・ロメール信奉者)ふたりがまた会えるかもしれないという淡くロマンティックな気持ちを抱きながら、ぐるぐるとお互いを探すシークエンスがとても長く感じ、このあと幸せな展開にはならないだろうなと、なんとなくうっすらと気付いてしまったわたしは、ふたりが再会できたとき、とても悲しくなってしまった。フランソワは自身のコミュニティの範囲で様々なところへポムを連れていくけれど、その行く先々でのポムの馴染めなさ。ポム自身はその場をありのままに楽しんでいるのにも関わらず、フランソワはその馴染めていない様子に居心地の悪さを感じ、またその居心地の悪そうなフランソワをみてポムの居心地も悪くなっていく。しまいには、君は大学に行くことには興味はないか?と聞き出すしまつ。おめ~が惹かれたポムという人間をなんもわかっちゃいね~!君は勉学に励めるような環境で育ったかもしれないけど、ポムはそうじゃない。そうじゃないから、手に職をつけるために(または、あなたと一緒にいるために)今自分にできることを精一杯頑張っているんですけど…!?運命の人かもしれないと勝手に期待したのはそっちなのにね、なんか違かったとか言っていろんな理由つけて離れていくんだ。ポムにうんざりしてもう別れたいと言うフランソワをみる友人たちの目も痛い。心の壊れてしまったポムを見舞いにきた(見舞いくるなよ)フランソワのセリフの端々から滲み出る、まだ自分のことを思ってくれているかという確認の浅はかさ。ダセーからやめな~!
不安は魂を食いつくす/不安と魂(1974)ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー @横浜シネマリン
『苦い涙』以降すっかりファスビンダーへの苦手意識が払拭され、半ば楽しみにしていた気持ちを裏切られることなく、なんて美しく純粋な物語なんだろうと思った���ふたりが一緒にいることの意味、お互いを愛する気持ちと、取り囲む人々からの見る目との齟齬が大きくなり、どれだけふたりが幸せだと感じていても不安が募り精神/身体を蝕んでいく様子が濃密に明示される。このあとに本作品の下敷きとなったダグラス・サークの『天はすべてを許し給う/天が許し給うすべて』(@早稲田松竹)を観たとき、ファスビンダーのこの完成されたメロドラマをあそこまで自分のものにし、昇華させたのかと思わず比較して再度感動してしまった。
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V.A./サーチライト・ムーンビーム
V.A.: Searchlight Moonbeam Efficient Space (RTMCD-1602)
ジョー・トッシーニの発掘やコンピ『ゴースト・ライダーズ』を手掛けたオーストラリアの目利きレーベル「エフィシエント・スペース」新作。当代屈指の選曲家タイム・イズ・アウェイによるセレクション。ボー・ハーウッド&ジョン・カサヴェテス、スラップ・ハッピー、キング・オブ・ルクセンブルグ、カスミ・トリオ、デルフィーヌ・ドラ、陳明章ほか。
試聴・ご購入は https://li.sten.to/rtmcd1602
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カサヴェテスが残した愛が突き刺さる作品群/特集上映『ジョン・カサヴェテス レトロスペクティヴ リプリーズ』予告編
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Shadows (1959)
映画本百景 #036
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平倉研 卒論・修論/ポートフォリオ・博論タイトル一覧(2010-2024)
横浜国大平倉研究室、過去の卒論・修論/ポートフォリオ・博論のタイトル一覧をまとめてみた。誰かの参考に。
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公共広告の表現論―ACジャパンのテレビ広告分析― ポスト現代口語演劇論 線が描く動きと世界―宮崎駿に見る原形質性― デザイナー吉岡徳仁論―感覚をデザインする 立川談志の落語―「芸」とは何か― 2010年代のデータベース消費~東方ProjectとN次創作~ CRACKS スピルバーグの映画における「裂け目��� 編集による創造 オートクローム研究――ロラン・バルト、スーザン・ソンタグ、多木浩二の思想とともに―― ここ/そこ/どこか もの派以降の芸術における場 正法眼蔵論―否定による身心脱落― 映画空間の発生 すべての述語 パーヴェル・フィローノフの作品分析 線が伝える感情 アンリ・マティス《主題とヴァリエーション》における線の探求 絵画が音を奏でるとき―パウル・クレー作品からみる、複数知覚の交流― 書の力の探求 型における「良さ」とは何か Correspondances(交感) ストローブ=ユイレの作品に見る、世界との交感 ジョン・カサヴェテス論――「触れ」られないものに「触れ」るために 刺繍という行為 ファン・ゴッホ、土で描く絵画 デジタル絵画論 ロベール・ブレッソン論 アンドレ・ブルトンと窓 循環する視線 寺山修司の映画と「虚」 清水宏の映画空間―「詩」と「メロドラマ」の相乗―/『DUGOUT』 チャールズ・チャップリン論――身体が生み出すサスペンス 別役実論――失語演劇が語りかけるために―― 三宅一生論――生きる身体、生きる衣服 空間は無意識にはたらきかけるのか まなざしと自由の映画論 剣劇のリアリティ 映像日記論――ジョナス・メカス『ウォールデン』を中心に アントニン・レーモンド論――混和する自然と建築の理論 地形パターンがもたらす渋谷の都市景観について―「Y字路」と「坂」の組み合わせがつくる���区構造の分析 森山大道写真集論―1993年以降の写真集が持つ多層性の分析― お化け屋敷論―楽しい恐怖をつくる仕掛け― 熊谷守一における転写の問題 《新しいルーブ・ゴールドバーグ・マシーン》:ダイアグラムを用いた展覧会キュレーションの可能性 計算機と計算者―模型と建築家について アブストラクト・フォトグラフィー ―デジタル写真の可能性― ダイアン・アーバス論―猶予的発話、越境、そして対顔― エルフリーデ・イェリネク論 ―『光のない。』における言葉の自律性― 環世界を見る: 身体|カメラ|環境 「編集」をパフォーマンスとして上演する アレキサンダー・マックイーンの〈ストーリーテリング〉 時間の圧力―タルコフスキー的空間― 人ではないものとして生きる ウォン・カーウァイ映画のナラティヴ研究 韓国現代音楽「サムルノリ」の伝統芸能化 「複数性」とはなにか――ハンナ・アレント『人間の条件』論 コメディアデラルテから見る笑いの共有 中西夏之の「平面」―絵画と言葉の関係性― マクドゥーガル通りにおけるイサム・ノグチ――第二次世界大戦終戦前後におけるインターロッキング・スカルプチャーについて 今敏のアニメーションにおけるビジュアル的表現力の分析 ドゥルーズの非美学――哲学と実践 セルゲイ・パラジャーノフ論――映像のパラレリズム 〈庭〉としての里山公園――郊外の入会はいかにして作られるか 展示空間における共在の実践と安全の制作 「ひろしま神楽」の本質と生存戦略としての娯楽化の動き 内的なリズムとは何か――絵本『三びきのやぎのがらがらどん』の積み重ね構造と瀬田貞二の翻訳 肖像画の交換制作にともない造形される眼 方法を渡り歩く 演劇創作における演技の開発と統合 断片のシークエンス――ショット群の連続として敷地を捉える設計スタディ 言葉と男性身体──ヴィト・アコンチの初期作品分析 天地耕作論──制作における物質と労働の観点から 崖に建つ家 体の持つ記憶をさぐる過程において生まれるダンス 事象が隣合うとき──リサーチから物語る制作実践──
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V/H/S / V/H/S シンドローム
Amazonにて鑑賞。以下、Amazonの紹介分より―
失神者続出のトラウマ・ホラー日本解禁! 一軒家に残された大量のビデオテープと変死体 そこには恐ろしい映像が収められていた―
★世界NO.1ホラーサイト「Bloody Disgusting」が満を持して放つ、究極の恐怖体験! 2012年サンダンス映画祭で初上映されるや、ホラーファンの度肝を抜き、失神者続出となった問題作! ★“呪いのビデオはここにもあった! " 大注目の新世代ホラー監督が集結した新感覚モキュメントホラー! 「キャビン・フィーバー2」のタイ・ウエストを始め、「You're Next」で全米公開が控えるアダム・���ィンガード、 「地球最後の男たち THE SIGNAL」が高評価を受けインディペンデント・スピリット・ジョン・カサヴェテス・ アワードにノミネートされたデヴィッド・ブルックナー等、新進気鋭のホラー・ジャンル監督6人が集結! ★続編「V/H/S 2」は、2014年1月日本公開決定! 【ストーリー】 ある人物に雇われ、1本のビデオテープを盗むという奇妙な依頼を受けた不良グループ4人。 指示された通りに古い一軒家に忍び込むと、そこには大量のVHSテープと共に一体の死体があった。 戸惑いながらも大金を得るために目的のビデオテープを手分けして探そうと1本1本再生していくのだが、 そこに映っていたのは、目を疑いたくなるような想像をはるかに超えた恐ろしい映像だった。 そして、なぜかそのビデオテープを観た人間が、一人、また一人といなくなっていく― 雇い主の目的は一体何なのか? 消えた人たちはどうなってしまったのか― 各作品データ 『TAPE56』 『AMATEUR NIGHT』 『SECOND HONEYMOON』 『TUESDAY THE 17TH』 『THE SICK THING THAT HAPPENED TO EMILY WHEN SHE WAS YOUNGER』 『10/31/98』 【特典映像】メイキング、スタッフインタビュー、予告編(予定) 【初回限定生産】スリーヴケース 【スタッフ】 アダム・ウィンガード『You're Next』(邦題:「サプライズ」)『ABC・オブ・デス』 デヴィッド・ブルックナー『地球最後の男たち THE SIGNA』 タイ・ウエスト『キャビン・フィーバー2』 グレン・マクエイド『セール・オブ・ザ・デッド』 ジョー・スワンバーグ『Silver Bulltes』 ラジオ・サイレンス
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青春ガールズムービー『Never Goin' Back / ネバー・ゴーイン・バック』公開決定
最悪な日常を飛び出して、誕生日には夢のリゾートビーチへ…エネルギー溢れるちょっとおバカな2人の青春ガールズムービーが爆誕っ!
『Never Goin’ Back』が、邦題を『Never Goin’ Back / ネバー・ゴーイン・バック』として、2022年12月よりTOHOシネマズ シャンテほか全国順次公開となることが決定した。
高校を中退した親友同士のアンジェラとジェシーは、兄とその友人と4人で共同生活を送っているが、バイト三昧の日々でも、家賃を払うのがやっとの極貧生活を送っている。 だが、ジェシーの誕生日に一週間のビーチリゾートのバカンスをプレゼントしたいアンジェラは、家賃を支払はなければならないお金で二人分の夢のチケットを購入する。 不足分の家賃を稼ぐために無茶苦茶な追加シフトを入れるも、家に泥棒が入るわ、兄のせいで刑務所に入れられるわ、誤って大麻入りクッキーを食べてハイになるわ、挙句の果てにバイトもクビになりそう…。 二人の追い求める憧れのバカンス、テキサスのリゾートビーチへ無事に辿り着くことは出来るのか!?
実体験に基づく暗黒時代を笑い話として映画化 2018年のサウス・バイ・サウスウエスト映画祭でゲームチェンジャー賞にノミネートされた本作。 監督のオーガスティン・フリッゼルは、女優としては15年以上ものキャリアがあるが、本作で長編映画監督デビューを果たした(続く2作目は日本ではNetflixで配信されている『愛しい人から最後の手紙』)。 テキサス州ダラスで育った彼女は、15歳で両親に捨てられたも同然で、毎月の家賃の当てもなく、友人と一緒に困難な暮らしを送ってきたことから本作の着想を得ている。 夫で映画監督のデヴィッド・ロウリー(『グリーン・ナイト』『A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー』)と出会い、短編映画を制作するようになり、あの暗黒時代を笑い話に変えようと本作を撮影した。
若手俳優のW共演 主演はマイア・ミッチェルとカミラ・モローネ。マイアは撮影当時24歳と若手の分類に入るが、ディズニー・チャンネル・オリジナル・ムービーの『ティーン・ビーチ・ムービー』や、同時期に公開されたティモシー・シャラメ主演の『HOT SUMMER NIGHTS/ホット・サマー・ナイツ』の出演���どで注目を浴びる長いキャリアを持つオーストラリア出身の若手俳優。 またレオナルド・ディカプリオとの破局報道が記憶に新しいカミラ(名優アル・パチーノの継娘)は、VOGUE誌の表紙も飾ったモデルで、ブルース・ウィリス主演の『デス・ウィッシュ』などで知られる。
旬の若手俳優のW主演による、あまりにお馬鹿で大変お下品な、パワフルガールズムービーがいよいよ日本公開となる。
Never Goin’ Back / ネバ―・ゴーイン・バック (2018年/ アメリカ / 英語 / 86分 / カラー / シネスコ/ 5.1ch / 原題:Never Goin’ Back / 日本語字幕:安本熙生) 監督:オーガスティン・フリッゼル 出演:マイア・ミッチェル、カミラ・モローネ、カイル・ムーニー、ジョエル・アレン、ケンダル・スミス、マシュー・ホルコム、アティーナ・フリッツェル 配給:REGENTS 提供:REGENTS、AMGエンタテインメント
©2018Muffed Up LLC. All Rights Reserved.
公式HP:nevergoinback.jp
2019インディペンデント・スピリット・アワード ジョン・カサヴェテス賞 ノミネート SXSW2018 ゲームチェンジャー賞 ノミネート 2018年パームスプリング国際映画祭 観るべき10人の監督 受賞 2018年モントクレア映画祭フューチャーナウ 受賞
12月よりTOHOシネマズ シャンテほか全国順次公開
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濱口 わかります。そしてそういう観客はきっと増えているとも思います。少し話が違うかもしれませんが、最近、朝ドラ『おかえりモネ』を結構好きで見てたんですけど、その後にやっている「あさイチ」で、ヒロインのモネを演じた清原果耶さんが「モネは恋愛軸では生きてないキャラクターなんです」と言っていました。そのキャラクター理解も聡明だな、と思いましたが実際、モネと、坂口健太郎さん演じる菅波は、今までの恋愛像とずいぶん違っていたと思います。先ほど『偶然と想像』の第一、二話の登場人物たちの関係性について言及いただいたことと似て、間にある種の「距離」がある。そして、その距離そのものが大事である関係性が、『おかえりモネ』の若い二人なんですよね。言うなれば、距離があることが二人をより強く繋ぎとめている。それは、たぶん脚本の安達奈緒子さんが、時代の空気をきちんと汲み取りながら、朝ドラを更新しようとしているからなのかなと思いました。根底には以前と同じスタンスでは恋愛を描きづらいという感覚があるのではないか、と。それが全体的な傾向なのかちょっと分からないですけど、恋愛や性的な関係が孕んでいる暴力性に対して、忌避感を抱いている視聴者は増えているのでは、と思います。
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公開講座のご案内。
東京ではこの8月後半から、ROVAの主宰者である小柳が関わっている、『Summer of 85』、『スザンヌ、16歳』、『ショック・ドゥ・フューチャー』(公開順)の三本のフランス映画が一挙に公開されます。
それらの映画の時代設定は、『ショック・ドゥ・フューチャー』が1978年、『Summer of 85』は文字通り1985年、『スザンヌ、16歳』は時代は明示されていませんし、一応監督のスザンヌ・ランドンの自伝的な作品ですので、彼女が16歳だった2015年頃と考えるのが無難ですが、彼女がこの映画を作る上で参照した『愛の記念に』や『なまいきシャルロット』が撮られた1980年代前半を意識していることは明らかです(スマホ等、現代を感じさせるものが巧妙に排されています)。
思えば、小柳がフランス語を独学で始めたのが、中学3年生だった1978年で、大学で本格的に学び出したのが1984年でした。つまり、これらの映画の時代設定やイメージが、ほぼ私のフランス語のスタート時期に重なるのです。
そこで、これらの映画の公開に因んで、みなさんをその時代に誘うという気持ちも込めて、私がフランス語を始めた1978年から、最終的にはROVAができる1999年くらいまでのことを、教室の生徒さんに向けて特別講座として語ってみようと思いました。
とはいえ、かなり長いスパンになりますので、二部に分け、前半は1978年ごろから1980年代半ばくらいまでを、後半はそれから1990年代のいわゆる渋谷系の時代と重なる時代のことを語ろうと思ったのですが、前半はフランス語事始めということで、あえてフランスの話題に絞ったお話をするため、内部生の方だけに聴いて頂き、後半は私がメディアの分野で仕事をし始めた時期に相当するため、自ずと様々なカルチャーの話題にも触れることにもなるだろうということで、ROVA以外の方にもご興味���持って頂ける内容になるかもしれませんので、��しぶりに公開講座として、ROVAの外部のみなさんにも聴いて頂こうかと思い、参加者を公募させて頂くことにいたしました。
講座の具体的な中身ですが、以下のようなトピックについて、90分から120分ほどお話しする予定です。
・小柳がメディアの仕事を行うようになったきっかけ
・小柳の盤師たち(レコードや音楽の師匠たち)
・小柳の映画の師たち
・最先端の音楽(ニューウェーブ)を追うのを一時中断して、60年代のソフトロックや映画音楽をディグするようになった頃のこと
・足繁く通った西武カルチャーから派生したショップやスポット、それ以外の個性的なレコ屋や本屋、映画館
・当時ハマった映画監督たちのこと(エリック・ロメール、ジョン・カサヴェテス、エドワード・ヤン、相米慎二など)
・渋谷系の人たちとの交流
・DJ事始め
・『モンド・ミュージック』の頃のこと。イタリア映画のサントラの再発に関わっていた頃のことも含む
・なぜ、その後『ひとり』という本を作ったのか
・ライフワークとなるジャック・タチやサヴィニャックのこと
・ROVA開講前夜、雑誌「Olive」や「mc Sister」に関わっていた頃のこと
・小柳にとって90年代とは一体どのような時代だったのか
このようなトピックにご興味のある方は、ぜひご聴講頂けたら幸いです。
講座は、9/4(土)か9/5(日)に開講いたします。現在の感染状況などを鑑み、講座はリモートで行いますが、こちらからお送りするオンラインの視聴リンク(音声のみ)をストリーミングで聴いて頂く形になります。いわば、ポッドキャストを聴いて頂くようなスタイルです。
正式な日時はお申し込み頂いた方のみにお伝えしますが(不正アクセスなどを避けるためです、ご了承ください)、リアタイのライブストリーミングではありませんので、両日とも最低2時間程度空きのある方でしたら、どなたもご視聴可能かと存じます。
参加費は1500円です。期日までにお振込みの確認の取れた方のみにリンクをお送りします。
聴講をご希望の方は、タイトルを「公開講座参加希望」とし、下記のアドレスまで、お名前(フルネームで)、お持ちの携帯の電話番号をお書き添えの上、9/1(水)までにメールにてお申し込みください。
では、多くの方のご参加をお待ちしております。
ROVA主宰/小柳帝
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SDC映画の部屋「ジョンQ 最後の決断(2002)」
シカゴの郊外に暮らすジョン(デンゼル・ワシントン)は折からのリストラの波に、会社からフルタイムからパートタイムへの降格を告げられる。妻のパートで何とか糊口を凌ぐものの、生活は苦しい。ある日、一人息子のマイクがリトルリーグの練習中に突然倒れERへと搬送される。重度の心臓疾患で、マイクの命を救うためには心臓移植しかないと告げられるジョン。しかし彼の会社の医療保険はジョンも知らない間に、移植手術をカバーしない契約に替えられていた。やがて入院費も払えなくなり、八方塞がりになったジョンは息子を救うためにある決意を固める…
2001年のアカデミー賞最優秀主演男優賞をとった「トレーニング・デイ(2001)」では、ギトギトの悪徳警官を演じていたデンゼル・ワシントンだが、今回は彼の得意とする優等生的な役柄で安心してみることができる。その演技はやはり優等生レベル。観客の共感を最初から最後まで維持し続け、クライマックスでは涙を搾り取る。それを支える実力派の脇役たち、ジェームズ・ウッズ、ロバート・デュヴァル、アン・ヘッシュ、そしてレイ・リオッタ。俳優出身の監督ニック・カサヴェテスはこれらの俳優達を巧みに盛り上げて、一見無謀な話に社会派的味付けとリアリティとエモーショナルな感動を与えた。
アメリカの医療保険制度が穴だらけで、高所得者層には厚く、低所得者層には薄く医療を供給するようになったのは、かれこれ四半世紀も前の話。「医療資源の効率的・合理的な管理と配分」が錦の御旗のように押し立てられて、アメリカのみならず世界的に医療保険制度を解体し始めたのが、20世紀末の話。「ジョンQ」の話はすでに日本でも起こりうる切実な問題となっている。いや、もうすでに起こっているのかも。バラク・オバマが大統領に選出されたのも、ここを争点にしたからだが、結局は有形無形の抵抗勢力には抗えなかったのも記憶に新しい。 この映画のなかでもER内でHMO(Health Maintenance Organization)の保険制度の不備について議論している時に、心臓外科医(ジェームズ・ウッズが好演!)が「みんな俺のことを吸血鬼みたいに非難するが、俺だけが悪いのか?」と話したり、最後のニュースで「保険制度を悪くしたのは、税金をケチった国民だ。敵は我々自身と言うことだ」とコメントさせたり、この問題が多面的な問題をはらんでいることを示唆している。病院や医者が悪いのでもなく、保険制度が悪いのでもなく、社会が間違っているからでもない。 そもそも臓器移植で延命することは必ずしも善なのか?人質の一人が言うように「そのまま受け入れること」がなぜいけないのか?心臓移植のドナーの家族に救いはあるのか?たとえ移植手術が成功しても、その後に一生払い続ける医療費の負担に、ジョンの家族は耐���られるのか?などなど。D・ワシントンと息子役の名演に涙しながらも、そんな現実的な問題で頭がいっぱいになってしまう。 本作品のように、愛する人が命の危機にさらされた時に銃を持って行動にでるのは、いかにもアメリカ的。たとえ殺すつもりはなくとも、「暴力」で要求を通すことが尊ばれる社会は、それこそ間違っていると思う。でも多分自分がジョンQの立場にあったならば、病院を占拠したりはしないにしても、似たような行動をとることは疑いないだろうが。
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2022年に観てよかった映画の感想など○旧作 洋画(順不同)
シモーヌ・バルベス、あるいは淑徳(1980)マリー=クロード・トレユ @配信+ジャック&ベティ
今年の初めに配信と、��に劇場で計2回観た。なんか文句ある?って感じでずっと良い。ドアの開け閉めの音と、館内音楽なのか、劇中音楽なのか、いい具合にわからなくて、人物も狭いロビーを歩き回るので、目が回る。引き込まれていく。それにしても、ウサギの話するおじさん、ウサギそっくりすぎでは?「禿山の一夜」の謎ロックアレンジが素っ頓狂。そしてフェミニスト・ロックンロール、最高にイケてた。ナンパおじさんがフォーレの「トスカーナのセレナーデ」で涙するの絶妙に気持ち悪いし、だんだん顔色が悪くなっていくその肌の色が生魚みたいでこれも気持ち悪くて面白い。わたしをナンパしたのが運の尽きだよって具合にエグい話をかましたものの、最後は優しくしてあげてて偉いよね。自分を守るために女らしくしないのよ〜。最後のシーンは何回でも観たい。
エヴァの匂い(1962)ジョセフ・ロージー @配信
ジャンヌ・モローの、魔性の女そしてどこか影があるような…そんな感じの演技が大好き。そういう役どころのモローは、ドゥミの「天使の入江」、ブニュエルの「小間使いの日記」、他にもたくさんあるけれど、とにかくモローが好きなので全部好き。今年は「エヴァの匂い」のモローが、LINEのアイコンにしちゃうくらい最高だった。
ジャック・ドゥミの少年期(1991)アニエス・ヴァルダ @配信
とにかくヴァルダのおおきなおおきな愛。「ドキュモントゥール」を観た後に(これは残念ながら寝てしまったので、ほぼ観たとは言えないが… @ジャック&ベティ)レクチャーを聞いて、なるほど…ということもあったが、まあそれにつけてもおおきな愛故ですよね。ドゥミの身体(顔の細かいパーツ)、ひいては愛する人の輪郭をズームして撮る手法(?)はヴァルダならではなんじゃあないかなと思ったりする。
冬の旅(1985)アニエス・ヴァルダ @国立映画アーカイブ
先述のように、ヴァルダの作品を観たとき、いつも愛情に溢れていて、あったかいような気持ちになることが多い。けれど、この作品はモナ(サンドリーヌ・ボネール)のかかえている恐怖と緊張感の描写が鮮烈で、最後の最後まで幸せには終われない物語に、観終わった後強いやるせなさを感じた。ただ、端的に不幸な物語だとは言い切れないほどモナが強く、潔いほど自由で(だからこその恐怖と緊張ではあるが)、すがすがしくも思えた。
《ジャンヌ・ディエルマン》をめぐって(1975)サミー・フレイ @ジャック&ベティ
アケルマンの「ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン」はベストムービーのひとつなので、このドキュメンタリーも非常に楽しく観た。セイリグがインタビューをされるシーンで、何故フェミニストになったかという問いに対し、長い話になるけれど、と前置きをし、ぽつりぽつりと言葉を選びながらも、“女性はみんなフェミニストである。そうでなければ死ぬしかないでしょう。”と言う。その返答に頭の中はずっと、Oui! C’est ça! Exactement!って感じだった。笑 わたしはフェミニストであるということが理由で、色々な人たちと、それにまつわる議題についての喧嘩をした経験が何度もあるが、このセイリグの言葉には100%同意する。ただ、ここでわたしがフェミニストであると言うことを、”強い”意見に捉えてほしくなくて、なぜなら、少しでも、女性の活躍を応援したり、身近な女性たち(また自分自身)の受けてきた酷いセクハラ被害に強い怒りを覚えたり、過去の偉大な功績である、女性の参政権のために働いた人たちを讃えられるなら、特段、フェミニストとしてなにか"活動"をしていなくてもフェミニストと名乗っていい、というか名乗る必要があると考えているから。まずはそうしないと何も変わらないと考えているから。
たぶん悪魔が(1977)ロベール・ブレッソン @ジャック&ベティ
ブレッソンの映画は、めちゃ良かった!と思うのと、眠いわ!というのがちょうど半分ずつある。これは超良かった、主人公(アントワーヌ・モニエ)がイケメンだったから!浮気相手の女の子(レティシア・カルカノ)の、ラベンダー色?群青色?のキャミソール、その着こなしが可愛くって、物語も面白く観たけれど(正直自分には絶望だったり、希死念慮だったりとか、自身の”死”について意識が向いていないために、この物語や主人公の気持ちに寄り添うような気持ちは湧かなかったので)、それというより、俳優たちとファッションの色彩感が好きだった。
北の橋(1981)ジャック・リヴェット @ヒュートラ渋谷
全体的にずっと”変”で面白い。正直おかしすぎるので、観ている間ずっと頭の中で は?やばすぎる~笑 って感じだった。極めつきには、謎の怪獣(あれはおおきな滑り台のように見えたがわざわざこの映画のために作ったのか、どこかの公園にある遊具なのか?)が出てきて、口から炎を吐き出すものだから、思わずツッコミを入れたくなる。しかも思っているよりすごい量でる!めちゃくちゃあつそう。主人公(ビュル・オジエ)でさえも、台詞で「イカれてる…!」的なことを言うのでウケちゃう。わけがわからなすぎて途中気絶しそうになったけど(とくになんか汚い小屋の2階で謎の繊維状のものにぐるぐる捕らわれている辺りはなんだったんだあれ)、最後の最後でKARATEの型の指導がはじまったりするのが最高すぎた。とにかく楽しそうで。ステ���ナンおじさん良い~!
囚われの女(2000)シャンタル・アケルマン @ヒュートラ渋谷
なん��ったって、ラフマニノフの交響詩「死の島」との親和性よ…。最初から最後まで何度もしつこいほど流れるが、それがめちゃくちゃかっこいい。ラストシーンで主人公(スタニスラル・メラール)が、ずぶ濡れで船に乗って戻ってくる様子は、アルノルト・ベックリンの絵画「死の島」そのものだった。アケルマンの映画の選曲センス、絶妙。
プレイタイム(1967)ジャック・タチ @配信
今年はじめてタチの作品を、まずは「ぼくの伯父さんの休暇」から観てみたのが、ちりばれられたユーモアにクスッと笑えても、どうしてもユロ氏が好きになれず(…)タチはわたしは合わないのかもしれない…と悲しく思っていたのだけれど(センスのいい人が好きだといいがちなので)、「プレイタイム」は、洗練された画、また俯瞰して見ているようなショット、パリのモダンなデザインが目に焼き付いている。ユロ氏がソファに座るたびに鳴る、ある種の効果音が忘れられない。MOTでやっていたジャン・プルーヴェ展で、オフィスデスク、チェアが展示されているところがあって、そこではおもわず「プレイタイム」の新製品展示会のオフィス家具のシーンを想起した。
こわれゆく女(1974)ジョン・カサヴェテス @配信
本当~に最低最悪!大きい声を出さないで!相手の顔の目の前で何度も手を叩くなんて酷すぎるー!と、他のカサヴェテスの作品を見ても毎度毎度ほんと無理…と思ってしまうが、めちゃくちゃ面白い。悔しい。苦しい。カサヴェテスが好きだという人は、映画にでてくる男たちをどういう目線で見ているのだろう?とんでもないやつらばっかり出てくるんだもん。
冬の子供(1988)オリヴィエ・アサイヤス @新文芸坐
思い人の家に不法侵入する映画は良い映画!なんてことを考えているので(これはほぼウォン・カーウァイの「恋する惑星」が好きすぎるが故)、結構好きな話だった。映画が全体的に寒色で、その上女性たちの口紅の銅色が際立っていたのが印象的。あとは、涙をほんとうに綺麗に流すので、わたしもあんな風に涙を流してみたいものだ…と思うなどした。
パリ、18区、夜(1944)クレール・ドゥニ @ジャック&ベティ
主人公カミーユ(リシャール・クルセ)の、仕事先のナイトクラブでのダンスシーン、音楽、そしてある種の官能的な目線あるいは好奇な目線を感じられるカメラワークがあまりにも良く涙が出てしまった!暗い画のシーンが多いので、また映画館でかかる機会があったらもう一度観に行きたい。
ゴダールのマリア(1984)アンヌ=マリー・ミエヴィル/ジャン=リュック・ゴダール @Stranger
ミエヴィル「マリアの本」は、両親の夫婦関係のうまくいかなさの中で窮屈に過ごすマリー(マノン・アンデ��セン)の不安定さ、そしてそのストレスの発散の表現が圧倒的だった。マーラーの交響曲9番。ゴダールの方は、ゴダールのこの年代の作品をちゃんと起きて観れた試しがないんだけれども(…笑)、これは比較的に面白く観た。ミリアム・ルーセルのお顔がかわいすぎる。もう他の出演作で観れるやつ観ちゃった。
パリところどころ(1965) @Bunkamura
今年色々なところで1回だけやる、みたいなのが多くて見逃してきたけど、やっと観れた。好きに決まってらあ!というに尽きるのだけれど、観てるとき、ふと、フランス映画の何が(どこが)好きって食事のシーンがたまらなく好きなんだということに気がついた。気怠げにゆで卵をスプーンで割り、大きなお茶碗でコーヒーを飲む朝。チーズや千切られたパン、果物がお皿に散らかっていて、ワインを飲みながらああでもないこうでもないと語り合うアペリティフの時間。メインディッシュで食べるステーキ、そんなちっちゃく切るの?とかスープをスプーンですくって口元に何度も持っていく連続性。等々(他の映画を思い浮かべてしまっている)。全話、面白く皮肉に満ちていて、特にゴダールの「モンパルナスとルヴァロワ」 はもうとにかくやれやれ…というか全体的に最悪で最高なんだけど、男が二人とも違う分野で鉄材を扱ってるってのが個人的にはめちゃくちゃ面白ポイントだった。
エドワード・ヤンの恋愛時代(1994)エドワード・ヤン @TIFF(シネスイッチ銀座)
(心の中で)唸るほど画(構図)がよくて、登場人物2人ずつがフレームの中で永遠に掛け合いをしており、ほんとこういう会話劇って大好きで、もう感無量だった。出てくる登場人物みんなが良くも悪くもステレオタイプで、その性格、人となり どおりのファッションで、非常に面白く観た。映画の感想と関係ないけど、映画祭の雰囲気が良くて、ケラケラ笑って観れたのもすごく良い思い出で、みんなでよかったね〜って言いながら会場を後にする感じってすごく幸せだなあと思うなどした。
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解説
ファスビンダーやジョン・カサヴェテスを彷彿とさせる、愛にすがって夜をさまよう若い男女と狂気の中年女性を長回しで追った物語。監督は若手映像作家 UMMMI.として、英テレビBBCやイメージフォーラムフェスティバル、ポンピドゥーセンター主催の映像祭で作品を発表するなど、アートと映像の領域を横断して様々なヴィデオ作品を手がけるイギリス在住の石原海の長編デビュー作。
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スコセッシから娘への手紙
最愛なる フランチェスカへ 私は未来についてあなたにこの手紙を書いています。私は私の世界のレンズを通して未来を見ています。つまり私の世界の中心である映画のレンズを通してです。 私がこの数年間に気づいたことは、私が少年の時にあった映画に関する考え方、子供だった頃からあなたに見せてきた映画の中にあった考え方、私が映画を撮り始めた頃に一般的だった考え方が終わろうとしていることです。 すでに製作された映画について触れているのではありません。これから製作されるであろうものについて言及しているのです。 私は絶望しているわけではありません。これらの言葉を敗北の気持ちで書いてはいません。反対に未来は明るいと考えています。 私たちは、映画がビジネスだということ、ビジネスとして成立するからこそ映画による芸術が可能だったことを常に理解していました。60年代や70年代にこの世界に入った者で、そうした面で何らかの幻想を抱いている者は一人もいません。愛するものを守るため一生懸命に働かなくてはならないことは分かっていました。多少は大変な時をくぐり抜ける必要があるかもしれないことも理解していました。そして、ある段階において私たちは、映画製作プロセスのあらゆる不都合または予測不可能な要素が最小化され、それどころか除去されるときに直面するかもしれないことに気づいていたのかもしれません。最も予測不可能な要素とは何でしょうか。映画です。それから映画を作る人たちです。 非常に多くの人たちが言ったり書いたりしていることやビジネスにおけるあらゆる困難について、ここで繰り返すつもりはありません。そして、私は映画製作の全体的なトレンドの中の例外に勇気づけられています。ウェス・アンダーソン、リチャード・リンクレイター、デヴィッド・フィンチャー、アレクサンダー・ペイン、コーエン兄弟、ジェームズ・グレイ、ポール・トーマス・アンダーソンたちは皆、すべてを管理して映画を製作しています。そして、ポールは『ザ・マスター』を70mmで撮影したのみならず、いくつかの都市では70mmで上映することに成功しました。映画のことを気にかける者の全員が感謝しなくてはなりません。 また、フランスで、韓国で、イギリスで、日本で、アフリカで、世界中で映画を撮り続けているアーティストたちにも感銘を受けています。ますます困難になっていますが、彼らは映画を撮りきっています。 しかし、映画の芸術と映画ビジネスがいま岐路にあると私が言うことに関して、悲観的だとは思いません。音声と映像のエンターテイメント、映画と呼ばれるもの、すなわち個人が構想した動く映像は、さまざまな方向へと向かっているようです。私たちが映画と呼んでいるものが将来、大きな映画館のスクリーンで見られることがますます少なくなり、小さな劇場、オンライン、それから私には想像もつかない空間と環境で見られるようになるのかもしれません。 では、未来はなぜ明るいのでしょうか。なぜなら、この芸術表現の歴史の中で本当に初めて、映画は非常に少ないお金で製作できるようになるからです。こんな話は、私が少年の頃には考えられないことでした。非常に低予算な映画は常に例外でした。今やそれが反対になりました。手頃な価格で美しい映像を撮ることができます。音声を録音できます。家で編集して、ミキシングして、色補正ができます。それら全部が可能になるのです。 しかし、映画作りにおいてこの革新をもたらした映画製作の機械と技術の進歩に関心を向ける一方で、覚えておくべき大切なことが一つあります。映画を作るのはツールではなく、人だということです。カメラを手にして、撮影して、Final Cut Proで編集するのは簡単です。映画を作るということ、あなたが作る必要があるものは他の何かです。そこに近道はありません。 私の友人であり師でもあったジョン・カサヴェテスが今日もし生きていたら、利用できるツールを全て使ったことは間違いありません。しかし、彼が常に言っていたことをいまでも言うでしょう。「仕事に心から打ち込まなければならない、自分の全部を捧げなくてはならない、そもそもあなたを映画作りに駆り立てた閃きを守らなくてはならない。命を��けて閃きを守らなくてはならない。」これまでは映画作りにとてもお金がかかったために、消耗と妥協から守らなくてはなりませんでした。これからは別のことに対して気を引き締めなくてはなりません。流れに身をまかせたい誘惑に逆らって、映画が流れ去ってしまうことを防がなくてはなりません。 これは映画だけの問題ではありません。何事にも近道はないのです。すべてが難しくあるべきだと言っているのではありません。あなたを鼓舞するのはあなた自身の声であると言っているのです。それは、クエーカー教徒も言っている内なる光です。 それはあなたです。それは真実です。 すべての愛を。 父より 引用:http://techse7en.com/archives/4679296.html?utm_content=buffer2ab46&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer
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