#ゴジラの超常識
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「宮崎正弘の国際情勢解題」令和六年(2024年)7月13日(土曜日)通巻第8327号<前日発行>
「宮崎正弘の国際情勢解題」令和六年(2024年)7月13日(土曜日)通巻第8327号<前日発行> 7月13日はノーベル平和賞受賞者、劉暁波の七回忌未亡人の劉霞女史がドイツから離れ、日本に移住する。 7月13日は、ノーベル平和賞受賞者、劉暁波の七回忌。海外の民主活動家は世界中で追悼イベントをネット中継で開催する。共同通信によれば劉暁波氏未亡人の劉霞女史がドイツから離れ、日本に移住する(事実上の日本亡命)。2017年7月13日午後5時35分、61歳の中国のノーベル平和賞受賞者は瀋陽で拘留中に肝がんのため死亡した。イベントの主宰者はこう述べている(博訊新聞網、7月12日)。「劉暁波氏は象徴であり、我々の精神的指導者でありつづける。私たちにとって、人類の良心の富と知恵の結晶であると同時に、彼の精神と愛の力は重要であり、私たちは彼を忘れることはできない」劉暁波は中国共産党の一党支配の終結と民主中国の実現を求め「憲章08」の起草に参加した。ところが中国共産党は劉を「国家政権転覆扇動」の罪で起訴し、懲役11年の判決を降した。翌年、西欧社会は劉暁波にノーベル平和賞を与えた。イベントの拠点はロンドンで開催され、セミナーの他、在英中国大使館前のデモが計画されている。記念行事の出席者は、中国民主運動海外共同会議主席の魏京生、1989年の���安門運動の学生指導者王丹ら多くの海外活動家が参加し、「北京春報」名誉編集長胡平もゲスト参加の予定。胡平は「彼の精神を追悼するため、自由と民主主義の追求を受け継ぎ、忍耐し、圧力に屈せず、戦い続けることだ。劉暁波氏は『言論の自由の殉教者』だ」と述べた。 劉暁波未亡人の劉霞は2018年7月にドイツへ出国した。爾来、六年間をドイツで過ごしたが公の場には姿を見せず、また社会的発言を抑制してきた。共同通信によれば、日本訪問の経験がある彼女は日本の生活を気に入っており、将来的には日本への移住を検討しているという。
(読者の声1)パンデミックの到来の準備:放火犯が消防署を運営している?(その2) (承前) パンデミックの準備という名前の宝くじ 世界中で何十、いや何百もの生物研究所でワクチン開発の名の下で数多のウィルスや感染性のある病原体の機能強化の研究が行われている。武漢病毒研究所が最も悪名高いが、アメリカに大多数の研究所があり、少なくとも5つの研究所ではH5N1鳥インフルエンザのウィルスの操作を行っている。この大掛かりな胡散臭い、病原体の製造加工産業は我が国の政府機関、軍隊、大学、に浸透しており、それにもちろんのことながら医薬品業界は会社丸ごと絡みとられている。(訳者注:Gain of Function 機能強化と言われているが実は動物間では感染するウィルスの遺伝子組み換えにより機能を強化して、人間にも感染、さらには人から人への感染ができるようにウィルスを改変する悪魔の研究とも言われている) そのような「研究」は多段階の過程がある。 ● 補助金の獲得、法的、知的財産権、倫理的問題の覆い隠し:ウィルスの機能強化研究はパンデミックの準備、ワクチン開発に不可欠だ、という謳い文句により問題点を覆い隠す。 ● ウィルスなどの病原体を自然の中から取得:そのままでは人間に感染する能力がないが機能強化できそうなものの確保。 ● その病原体の遺伝子を研究所で操作することにより人間への感染能力を強化し、さらには致死能力を高める。 ● 人間と同様な免疫力や人間の細胞類似の細胞を持つ動物を使いそのウィルスの進化のスピードを加速する。 ● 病原体の感染能力や病毒性の強化に成功したという研究成果を科学誌に発表し、更なる補助金の獲得を確保。 ● そのウィルスへのワクチンが開発された時の特許料を確保する為、遺伝子操作で製造したウィルスの特許を獲得する。 ● その病原体が動物や多くの人間に漏洩するのを待つ。(あるいはそう仕組む) ● 予定していたパンデミック時の対応、ワクチン開発などを一斉に有無を言わせず実行する。 このようなことは1975年の生物兵器禁止条約違反である。だがこれらの研究所は、彼らの「研究」 はワクチンを開発することにより、”急速に出現する感染症” から世界の人類を守るための研究であると虚偽の主張をしている。それは嘘だ。これらの研究所で行われている機能強化研究は動物のウィルスを遺伝子操作して自然界では滅多に起こらないことを簡単に実現させている:種を超えて感染し、人間にも感染するように、しかも人間を大量に死亡させる研究をしているのだから。煎じ詰めれば、これらの研究者達は人間には全くあるいは殆ど危害のない動物のウィルスを遺伝子操作して人間への感染力、致死性を高める研究をやっているのだ。何故だ?この研究には何ら合法的な根拠はない。これは簡単なことだ:もし世界の人類をゴジラから守る気があれば、研究所で意図的に組織的にゴジラを作り出す必要はない。ワクチン開発に必要なことだというのも筋が通らない。現に存在する病原体が心配だというなら、その病原体そのものを克服する治療法を開発すべきだ。自然に存在する病原体に対しては既に数多の治療方法がある。既存の治療薬の目的を変更したり新薬(あるいはワクチン)を開発することも含め。ウィルスに効果があることが知られている既存薬も兵装の如く多数ある。目的に適った、倫理に悖らない、正気の研究であれば、研究所で殺人兵器のようなウィルスを製造するのではなくて、既に存在する病原体の弱点をつく治療法の開発戦略に焦点を当てるべきだ。不幸なことに、正気の沙汰の研究に対しては補助金や権力が付いてこない。心配性の人たちの主張とは異なり、自然に起こるパンデミックはそうそうあるものではない。巨大製薬会社や研究者達が目指す巨大な利益は、特許、新薬、専売の製品に負うところが多い。とりわけ、毎年の定期的なワクチン接種などだ。(続く) (費府の飛行士)
(読者の声2)7月12日放送のニュース解説番組「フロントJAPAN」は宮崎正弘さんと高清水有子さんでお送りしました。 宮崎さんのテーマは「EUの分裂、NATOに亀裂」。高清水さんのテーマは「酒は百薬の長。酒に十の徳あり。我が国の常識は、世界の非常識」です。 下記ユーチューブでご覧になれますhttps://www.youtube.com/watch?v=oFHAVQGR_Z8 (新日本文化チャンネル桜)
(読者の声3)貴誌通巻8326号��「ニューズウイーク日本版でインフレは一種の課税であるからそれ��招く国債発行はけしからん、と説くには開いた口が閉まらない。それなら逆にデフレを放置すればするほど日本人はお金持ちになるということになる」と記しました。そもそもインフレ・デフレに関して既存経済学は、通貨量Aと通貨・貨幣で表記できる「ものとサービス」Bの比較(バランス)をあれこれ考えているところに誤りがあります。肝心なことは今のこの世ではインフレ・デフレはAと価値量Cのバランスを考えなくてはいけないのです。特に重要なことは、CはAより「弾性値」が極めて高く、又時間軸から見ても変化が著しく大きいという事であるのですが、既存経済学はCをほぼ固定してAの変化にばかりフォーカスしているところが問題なのです。更に付記しますとCは欲望的価値Dと死活的価値E.に区分でき、インフレ・デフレがこのDで起きているのか、またはE.で起きているのかで、対処の仕方がちがって来るのですが、既存経済学はこの点に目を向けようとはしていません。 (SSA生)
(読者の声4)サロン劇場からお知らせです。 作岸田國士、演出藤井ごうの「葉桜」が上演されます。会場:目白台和敬塾内 旧細川邸サロン(東京都文京区目白台1-21-2) 出捐は村松えり、村井友映、水野小論、中丸新将、村松英子 日時 8月23日(金)19:00 24日(土)13:00/18:00 25日(日)15:00 26日(月)13:00 料金4000円★全席自由・開場は30分前 http://blog.livedoor.jp/salon_theatre/archives/34637778.html
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G01 『ゴジラ』(1954)
スタッフ 製作:田中友幸、監督:本多猪四郎、特殊技術:円谷英二/音楽:伊福部昭/原作:香山滋 、脚本:村田武雄、本多猪四郎
出演:宝田明、河内桃子、平田明彦/鈴木豊明、 山本廉 /村上冬樹、堺佐千夫/小川虎之助/菅井きん/橘正晃、池谷三郎/手塚勝巳、中島春雄/高堂國典/ 志村喬ほか
第1作『ゴジラ』はモノクロ(白黒)映画。画面は暗く、ボロボロで、役者のセリフもちょっと聞き取りづらい。70年も前の映画であるから、それは仕方がない。映像の保存状態が悪いのは古い日本映画の宿命である。
逆に言えば、それだけゴジラの歴史は長い。映画の解説というよりは歴史の授業になるが、制作・公開されたのは1954年=昭和29年で、太平洋戦争に敗れ、アメリカ・イギリス・中国ら連合国に対して無条件降伏をした1945年=昭和20年から、まだ10年も経たない頃だった。同じ年に公開された日本映画の名作は『七人の侍』『二十四の瞳』など。そして『ゴジラ』……やはりゴジラは日本の歴史の一部なのかもしれない。なにせ公開の2年前、サンフランシスコ講和条約が結ばれる1952年=昭和27年まで、日本は独立国家ですらなかった。 日本はアメリカを中心とするGHQ(連合国軍総司令部)によって占領されており、 非日常の暮らしが続いていたという意味では、まだ戦争は終わっていなかったのだ。これは現代の人間が「終戦記念日は1945年8月15日」と頭ごなしに覚えてしまうと逆に見えなくなってしまう事実で、 ゴジラと戦争の記憶は現代の人間が思うよりずっと近い場所にいる。
特撮マニアであれば当然知っていることだが、単にゴジラを単なる日本生まれの怪獣としてしか認識していない人は果たして知っているだろうか。ゴジラはアメリカによる水爆実験の放射能を浴びることによって生まれた古代の生物であり、広島・長崎に落とされた原爆の被害者と同じ、被爆者で��る。そして、映画公開の8ヶ月前の1954年3月に発生した「第五福竜丸事件」も無視できない。遠洋漁業に出ていた日本のマグロ漁船がアメリカの水爆実験に遭遇し、船員が被曝。平和な時代が来たはずなのにまたもや核兵器による日本人の犠牲者が出てしまい、大きな社会問題となっていた。だからゴジラが海から現われて文明を破壊しにやってくるのは自然か、あるいは神か、何者かの怒りを代弁する行為でもあり、人類が犯した罪をことさらに意識させるものであった。それならゴジラにはその元凶であるアメリカで暴れてもらうのが筋という気もするが、たまたま日本の近海を住処にしていたゴジラは大空襲の記憶もまだ生々しい東京に上陸。ようやく復興の兆しが見えてきた街はゴジラによってふたたび破壊し尽くされる。この理不尽な悲劇の連鎖もまた、戦時中の延長にあるものではないだろうか。ちなみに、映画の中��出てくる「原子マグロ」というセリフは、「第五福竜丸が戻った静岡の焼津港で水揚げされたマグロには放射能が含まれている」という風評被害が出回ったことを指している。
また、昭和20~30年代の日本映画では、登場人物の肉親が空襲や戦闘で亡くなっていたり、かつて豊かだった一家が戦争を境に貧乏になっていたり、まだまだ日常に戦争が残っていた時代の映画には、戦争映画でなくてもそういう設定が当たり前のように出てくる。本作に登場する芹沢博士(平田昭彦)もそうした設定のもとに描かれる人物で、右目は眼帯で隠れており、それについてはほとんど説明がないのだが、これは戦争で負傷したものだと思われる。そんな社会的背景のさなかに生まれた大怪獣・ゴジラが映画のスクリーンの中でどのように暴れ、観客にどのくらい大きな衝撃を与えたのか? もしかすると、この映画を観ることで当時の日本人の気持ちを追体験できるかもしれない。
多くの観客に共感し、楽しんでもらうために、映画はしばしば「社会を写す鏡」になる。例えば、生物が放射能を浴びて巨大化、あるいは凶暴化する…という設定は、 『原子怪獣現わる』や『放射能X』など、『ゴジラ』より少し早い時期のハリウッド産のモンスター映画ですでに見られたものだが、唯一の被爆国である日本人がこの設定で映画を作るとなると、単なるエンターテインメントを超えた説得力がおのずと含まれることになる。監督の本多猪四郎(ほんだ・いしろう)が終戦までの8年間、映画の現場を離れて従軍していたことも『ゴジラ』に託されたテーマと大きな関係があるだろう。かくして単に怪獣が街を壊すだけの娯楽映画だったはずの『ゴジラ』は、結果として「社会を写す鏡」になった。公開初日=11月3日から観客は映画館に長蛇の列を作り、その一方で新聞や雑誌といったマスコミからは『ゴジラ』は時事ネタをうまく取り入れ、ジャーナリスティックな視点を持った「反戦・反核映画」として、一定の評価もされることにもなった。
本作の特撮場面を手がけ、のちに『ウルトラマン』などを生んだ特技監督・円谷英二(つぶらや・えいじ)のクレジットは「特殊技術」。あくまでも技術スタッフの責任者、といったところだ。それに当時は「特撮映画」という言葉はまだ生まれていない。映画の歴史の初期からいわゆる特撮を目玉にしていた作品は忍者が忍術を使うチャンバラ映画などいくつかの例��あるが、『ゴジラ』以前は「トリック映画」「見世物映画」などという説明がついていた。インチキで、安上がりで軽い。そんなニュアンスが読み取れる。ところが『ゴジラ』はどうだろう? 日本人に戦争のトラウマを蘇らせることも厭わない、容赦のない破壊スペクタクル。未来に生きる我々が戦時中の空気感を知ろうと思うなら、(もちろん戦中の作品を観るに限るのだが)もしかするとこの映画を観たほうがよりとっつきやすい形でわかるような気がするのだ。当然のことながら、この戦争の影を引きずった陰鬱なムードは戦後の復興を経て、シリーズが進むごとに消えていく。その後ゴジラは2代目、3代目と続いていくので、本作のゴジラは「初代ゴジラ」とも呼ばれている。昭和29年という時代のなかで傷つき、苦しみながら産声を上げるゴジラの初姿を、しっかりと見届けてほしい。
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🎼 00705 「Biotech Is Godzilla」。
「ゴジラの超常識 (秋田英夫さん、双葉社 2016年)」 という東宝監修のゴジラ本を読んでいます。「ゴジラの常識 (双葉社 2014年)」 の改訂版っぽい (そちらは読んだことがありませんので何とも言えませんけれど) この本は、大まかに 3章に分かれています。昭和のゴジラ映画、平成のゴジラ映画、東宝のゴジラ抜きの特撮映画といった感じです。えっと "シン・ゴジラ" が封切られる少し前に発売されたやうなので "シン・ゴジラ" に関しては やんわりと紹介していました。テキトーに書き留めます。
・1954年 (昭和29年)
「ゴジラ」。
菅井きんさんの熱い演技見たさに フラッと観たくなってしまう ゴジラ映画第1作です。この映画のエーキョーで 放射能測定器は "ガーガー���バリバリ" 言わないと嘘っぽく見えるやうになりました。
・1955年 (昭和30年)
「ゴジラの逆襲」。
わたしの好きな "暴竜アンギラス" が登場する シリーズ第2作です。千秋實さんが出演されていますけれど、残念ながら 巨大化して大阪城前で暴れ回ったりしません。
・1956年 (昭和31年)
「空の大怪獣 ラドン」。
わたしが思う、最強最大の傑作都市破壊映画です。こどものころ、ラドン温泉という看板を見る度に ラドンが棲んでいるのかと思ってヒヤヒヤしました。
・1957年 (昭和32年)
「地球防衛軍」。
カラフルなミステリアンと ユニークな最新科学兵器に 恋焦がれる、シネスコサイズな 富士山映画です。
・1958年 (昭和33年)
「大怪獣バラン」。
やや地味さを感じる大怪獣バランが それなりに暴れる怪獣映画です。"Toho Pan Scope (トーホー・パン・スコープ)" 映画ということなのですけれど、イマイチよく分かりません。
・1959年 (昭和34年)
「宇宙大戦争」。
ナタール星人と地球人の攻防を描いた SF映画です。アポロ11号が辿り着く何年も前に 月の裏側を登場させた凄い映画です。
・1961年 (昭和36年)
「モスラ」。
わたしのラブリー "ザ・ピーナッツ" のおふたりと フランキー堺さんを観ているだけで 幸せ気分に浸れる 東京タワー映画です。こどものころから インファント島に憧れを抱いているわたしですけれど、行き方がよく分かっていません。
・1962年 (昭和37年)
「妖星ゴラス」。
海外映画 "メテオ(1979)" や "アルマゲドン(1998)" を先取った 近未来SF惑星地球衝突映画です。科特隊から借りて来たのでせうか、ジェットビートルふう飛行機が登場します。
「キングコング対ゴジラ」。
前作から 7年も経ってしまったゴジラ映画は 何と アメリカ合衆国が誇る大スタア "キングコング" を登場させ、テキトーな戦いを繰り広げます。
・1963年 (昭和38年)
「海底軍艦」。
地球上で暮らす人々に戦線を布告した、海底で暮らす "ムウ帝国" と その国のペット "マンダ" や、それらに立ち向かう 海底軍艦 "轟天号" よりも、藤木悠さんの演技に釘付けになる戦争映画です。
・1964年 (昭和39年)
「モスラ対ゴジラ」。
わたしのラブリー "ザ・ピーナッツ" と 星由里子さんのW主演映画です。わたしは はじめてモスラを観たときから ずっと "モスラ" は 成虫になるよりも 幼虫のままでいるほうが強いんじゃないかなって思っています。
「宇宙大怪��� ドゴラ」。
近年、蜂が減少しています。この映画を観ていると この世の終わりを感じます。
「三大怪獣地球最大の決戦」。
わたしの好きな 暴竜アンギラスは 何故か不在の怪獣映画です。怪獣は 4体出演しているのですけれど、タイトルは 3大怪獣だったりするところがトンチ���カンで好いです。劇中、わたしのラブリー ザ・ピーナッツ演じる "小美人" は うちの国では 知名度がそれなりに高いやうで、ふつうにテレビ出演していても 誰も驚いたり騒いだりしません。
・1965年 (昭和40年)
「フランケンシュタイン対地底怪獣」。
広島の原子爆弾を浴びてもびくともしなかった ドイツ生まれのフランケンシュタインは 大人の事情からか、シリーズ化は叶いませんでした。エンディングは複数のバージョンがあるやうです。
「怪獣大戦争」。
おかしな宇宙服にサングラス姿の "X星人" が登場する 近未来SF巨作です。こちらの作品のほうが "三大怪獣地球最大の決戦" なんてタイトルがお似合いなやうな気がします。
・1966年 (昭和41年)
「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」。
"フランケンシュタインの怪獣" というその意味が分かるやうで分かりません。巨大な兄弟が仲良く喧嘩する映画です。
「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」。
小美人が "ちがう小美人" になってしまった シリーズ 第7作です。当初の予定では ゴジラは登場せず、キングコングが主役の映画だったさうです。
・1967年 (昭和42年)
「キングコングの逆襲」。
東宝創立35周年記念映画です。メカニコングが可愛いです。浜美枝さんも可愛いです。ドクター・フーも可愛いです。
「怪獣島の決戦 ゴジラの息子」。
やさしいゴジラに癒されるカマキリ映画です。ラストの場面が冬眠なのかどうか少し気になります。
・1968年 (昭和43年)
「怪獣総進撃」。
夢いっぱいな オールスター総出演の大作です。その物語がどうであれ、山のやうに登場する東宝怪獣たちに うっとりさせられました。アンギラスもモチのロンで登場します。
・1969年 (昭和44年)
「緯度0大作戦」。
ジョセフ・コットンの出演料がとても気になります、巨大生物の島映画です。
「オール怪獣大進撃」。
前作ほどには オール怪獣していなかったりする ミニラ映画です。
・1970年 (昭和45年)
「決戦!南海の大怪獣」。
烏賊、蟹、亀の激闘を描いたトロピカル映画です。
・1971年 (昭和46年)
「ゴジラ対ヘドラ」。
サイケデリックな映像と音楽が爆発する、飛ぶゴジラが魅力的な 低予算公害映画です。
・1972年 (昭和47年)
「地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン」。
地球人の味方をする (ほぼ日本国内でしか戦っていませんけれど)、正義の味方ゴジラのイメージを作った M宇宙映画です。この映画からしばらくの間 正義のヒーローとして戦いつづけるゴジラにキュンキュンし過ぎてしまったわたしは、1984年以降の 悪役ふうゴジラ映画に とてつもない違和感を感じます。
・1973年 (昭和48年)
「ゴジラ対メガロ」。
人間大のサイズから ゴジラサイズまで その身体の仕組みはさておき ギューンと巨大化するロボット "ジェットジャガー" が それなりに活躍するシリーズ 第13作です。シートピア海底王国なる海底王国と そこで暮らす人々が登場するのですけれど、深海怪獣ジグラは登場しません。
・1974年 (昭和49年)
「ゴジラ対メカゴジラ」。
ゴジラ誕生20周年記念映画です。わたしの好きな 暴竜アンギラスや、飛行している姿が めっちゃ格好良いメカゴジラや、猿の惑星やら 猿の軍団みたいなのが たくさん登場する 大迫力の岸田森映画です。ちなみに 沖縄が返還されたのは 1972年5月15日です。
・1975年 (昭和50年)
「メカゴジラの逆襲」。
シリーズ第15作。暴竜アンギラスはどこへ行ってしまった?な感じの、すこしだけ印象が変わった "メカゴジラ2号機" が出撃する、ブラックホール第三惑星人の逆襲映画です。"恐龍怪獣" なる、恐竜なのか怪獣なのか良く分からない "チタノザウルス" も登場します。
・1977年 (昭和52年)
「惑星大戦争」。
"宇宙からのメッセージ 銀河大戦" を映画にしたやうな映画です。
・1984年 (昭和59年)
「ゴジラ」。
別名 "テツヤ・ゴジラ" 略して "テツラ" なんて呼んでいるのはわたしくらいでせう。当時話題になりました "サイボット・テツラ" が登場したことで ゴジラの表情が とても豊かになりました。東京の高層建築物に負けまいと 身長・体重共にパワーアップした、ゴジラ誕生30周年記念映画です。東宝のある 日比谷・有楽町界隈を目指して突き進むテツラの勇姿に痺れるこの映画、その後、散々東京を踏み付けたテツラは 何を思ったか、突然に山登りを始めます。
・1989年 (平成元年)
「ゴジラ VS ビオランテ」。
前作で山登りをしたテツラが、再び帰って来て暴れ回る シリーズ 第17作です。その物語はさておき、バイオな怪獣 "ビオランテ" の 全身像はイマイチ良く分からないものの ゴジラ怪獣らしからぬ その美しいデザインにキュンとします。
・1991年 (平成3年)
「ゴジラ VS キングギドラ」。
この辺りから 映画館でゴジラ映画を観なくなりました。お腹に 鉄の腹巻きを巻いた キングギドラが登場してがっかりしますけれど、ゴジラ映画と ガメラ映画の両方に出演していたりする 我らがキャップでおやっさんな 小林昭二さんの活躍は見逃せません。
・1992年 (平成4年)
「ゴジラ VS モスラ」。
醜悪なモスラ "バトラ" が登場する シリーズ第19作です。物語はさておき、1990年代の横浜が見れます。
・1993年 (平成5年)
「ゴジラ VS メカゴジラ」。
物語以前に、丸っこいメカゴジラが駄目でした。観に行きませんでした。ゴジラ誕生40周年記念作品です。"ガルーダ" なる、どこかのガンダムの背中にくっ付けたやうな "スーパーメカゴジラ" を見て、少しの間 ゴジラ映画を離れました。
・1994年 (平成6年)
「ヤマトタケル」。
観たはずなのですけれど、物語をまったく覚えていません。
「ゴジラ VS スペースゴジラ」。
或る日の "2時のロードショー" で観ました。スペースゴジラって そのネーミングにポンコツさを感じます。ミステリアンは未登場ですけれど、ミステリアンから借りて来たっぽい "モゲラ(Mogera)" が登場します。
・1995年 (平成7年)
「ゴジラ VS デストロイア」。
この映画で、うちの国の原子力発電所がメルトダウンする前に、ゴジラが先立ってメルトダウンしました。映画のラストを思うと、メルトダウンするということは "そういうこと" になるのだらうと深く考えさせられる映画です。ところが、宿��怪獣デストロイアは ダサダサで、強いんだか弱いんだか ちっとも分かりません。余談ですけれど、わたしは ある日の銀座で "デストロイヤー" を見かけたことがあります。デストロイアよりも強そうでした。
・1996, 1997年 (平成8, 9年)
「モスラ」 と 「モスラ2 海底の大決戦」。
"モスラ2" は観ました。シリーズは 3作目 (「モスラ3 キングギドラ来襲 (1998)」) まであります。
・1998年 (平成10年)
「Godzilla」。
たまにやらかす ローランド・エメリッヒ監督が手掛けたゴジラ映画です。マシュー・ブロデリックがいます。続編に続きさうな終わりなのにも関わらず、作る気配すらありません。
・1999年 (平成11年)
「ゴジラ 2000ミレニアム」。
海中を泳ぐゴジラが CGで描かれていたとかで話題になったのと、世紀末ということで 久々に映画館に観に行ったゴジラ映画です。ポンコツ宇宙人の乗る UFO と 円盤生物みたいなのがゴジラに喧嘩を売ります。
・2000年 (平成12年)
「ゴジラ×メガギラス G消滅作戦」。
たぶん観たことがないゴジラ映画です。だのでよく知りません。星由里子さんが出演されているやうです。
・2001年 (平成13年)
「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」。
ガメラ映画 3本を手掛けた 金子修介監督が やっとこ手掛けたゴジラ映画です。タイトルに バラゴンがいないのが気になりますけれど、白目のゴジラがスリリングで好いです。
・2002年 (平成14年)
「ゴジラ×メカゴジラ」。
ガンキャノンみたいなメカゴジラが登場します。
・2003年 (平成15年)
「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS」。
シリーズ27作目は とってもヤングな 長澤まさみさんと、カメーバ(「決戦!南海の大怪獣」) が登場するさうですけれど、観たことがありません。
・2004年 (平成16年)
「ゴジラ Final Wars」。
シリーズ 第28作品、北村龍平監督が手掛けた、やっちまったゴジラ映画です。そのやっちまったぶりは ハリウッド映画を凌ぎます。好き嫌いがヒジョーに分かれさうです。
・2014年 (平成26年)
「Godzilla ゴジラ」。
たまにやらかすエメリッヒ映画と区別するため、この映画は "ケン・ゴジラ" って呼んでいます。ムトーだか ムトゥだか ムートーだか そんな醜悪怪獣が登場して ケン・ワタナベを困らせます。物語冒頭、ジュリエット・ビノシュが 木っ端微塵に吹き飛ぶ役で好演しています。
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8/28(金)より全国順次公開の映画『ようこそ映画音響の世界へ』へ寄せられた、超豪華推奨コメントをご紹介!
(敬称略/順不同)
LiLiCo(映画コメンテーター)
萌えたぁ!職人の気持ちに感動しっぱなし!
彼らの頑張りを体感したらあなたも映画をもっと愛してしまう!
これは観なきゃ損!
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樋口真嗣(映画監督)
視覚と違って聴覚は任意に遮断する方法がないので、目を閉じても耳から映画はとめどなく入ってくる。
だから映画にとって耳から入る情報は、映像以上に作り手の意図を挿し入れることができる。
現実にない映像の説得力は、その映像のクオリティよりも音響によって決まるのだ。
歴史の節目にあらわれる革命の数々———
そこに関わる関係者の言葉は音響に対する自信と愛情と信頼が溢れている。
とてつもなく嬉しいことばかりで彩られている素晴らしい映画だ。
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押井守(映画監督)
セルジオ・レオーネの傍らにエンニオ・モリコーネがいたように、不肖この私にも川井憲次と若林和弘がいましたし、
いま���一緒に仕事をしています。なぜかと言えば「映画の半分は音響」だからなのです。
彼らの存在なくして映画を語ることはできません。彼らの存在なくして映画監督の仕事も成立しません。
その当たり前の事実を、この映画はたいへん面白く伝えています。映画の正体に興味のある人には、お薦めの一本です。
それにしても、苦悩するカントクに較べて音響スタッフたちの楽しそうなこと!あれが「映画に魂を吹き込む」人間たちの顔なのです。
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阪本順治(映画監督)
映像と音響、このふたつが“同等”に相まって映画はできている。が、鑑賞時、聴覚にあまり意識が行かぬことも。
『ようこそ映画音響の世界へ』を観れば、音響のマジックを知ることとなる。地道すぎる作業と、その種明かしにもびっくりだろう。
耳を澄ませれば、銀幕には違う世界が広がる。そんなことをこの作品は教えてくれる。本作を観た後と前では、映画の楽しみ方が
変わるに違いない。映画を愛するひとは、もうひとつの愛し方を見つけてくれるだろう。是非、劇場へ!
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鶴田法男(映画監督)
『トップガン』の戦闘機の爆音はライオンや猿の声で迫力増量。『スパルタカス』の兵士の鎧の音は車のキーの束の音。
デジタル全盛の時代に、いまだ創意と工夫のアナログ魂が息づいているのが映画音響の現場。本作を見終わったとき、
あなたは耳でも映画を観ることが出来るようになり、あなたの好きな映画がもっともっと愛おしくなる。必見!!
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宇野維正(映画・音楽ジャーナリスト)
映画館で映画を観る最大の理由は、音響にある。本作を観れば、それがどうしてかがわかるだろう。
「映画の音は錯覚のアートだ」という言葉に込められた映画の本質。そのいかがわしさに魅せられた、すべての人へ。
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春日太一(映画史・時代劇研究家)
本作には、名作映画にたずさわってきた音響スタッフたちが登場します。
彼らの語る創意工夫の数々を聞いていると、映画は監督だけが作っているものではないこと、
映画は映像だけではなく音も重要なファクターであること……がよく理解できます。
映画の奥深さに触れることができ、既に観た映画もまた改めて見たくなる。そんな作品です。
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荻野洋一(番組等映像演出/映画評論家)
レストランで食事をする時、一皿一皿の伝統、食材、産地など心得ていると、いっそう食事の楽しみが深まる。
映画の楽しみ方もまだまだ未開拓。そのことを『ようこそ映画音響の世界へ』は雄弁に教えてくれる。
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樋口泰人(映画・音楽評論家)
今後映画を観るときにほんのちょっとだけ耳を澄ましてみるといい。
たったそれだけのことでわれわれの視界は鮮明になりどこまでも広がっていくはずだ。
そしてわれわれはいくつもの新しい人生を生きることになる。出会いと驚きは映画の中で無限に生まれ続けているのである。
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小沼純一(音楽・文芸批評家)著書:「映画に耳を 聴覚からはじめる新しい映画の話」
歴史的な軸、個別の切り口(声・環境音・効果音・音楽、等など)で語られる「映画音響の世界」を体験すると、
映画にむかったときのあなたの耳は、以前とはべつのものになっている。
映画音響の歴史はさほど長くないから、生き証人の声がきこえるのもうれしい。
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泉哲也(オーディオビジュアル総合サイト StereoSound ONLINE)
映画の感動の半分は音にあった! そんな単純だけど大切なことに、改めて気づかせてくれる必見作。
映画音響スタッフの努力を知ってからお気に入りの作品を見返したら、これまで以上の感動に出会えること間違いなし。
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長門洋平(映画音響研究)著書:「映画音響論――溝口健二映画を聴く」
聞こえているけど聴いてはいない「映画音響の世界」への最良のガイド。
映画の音というものがどれだけ「不自然」なのかということがよく分かる。
この作品をとおして映画の聴き方、というか見方がまた変わりました。
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吉田俊太郎(翻訳家)翻訳:「映画の瞬き[新装版] 映像編集という仕事」、「映画もまた編集である――ウォルター・マーチとの対話」
真に人を虜にしてきた映画作品のほとんどが音響を単なる付属物として扱わずに芸術の核として中心に据えていたんだなぁと
改めて実感。音響デザイナーたちのそれぞれ独創的でイマジネーション豊かな創作過程を垣間見れるのもとても楽しい。
映画制作の舞台裏に興味のある方にはもちろん、クリエイティブな日常を過ごしたい万人に勧めたくなる、
創作脳がビリビリ刺激される映画でした。
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賀来タクト(映画&映画音楽関連文筆家)
ウォルター・マーチがいなければ『地獄の黙示録』のヘリも飛ぶことはなかった。
ベン・バートがいなければ『スター・ウォーズ』も嘘くさい親子チャンバラだった。
ゲイリー・ライドストロームがいなければ『トイ・ストーリー』もただのおもちゃごっこだった。
音で映画を本物にした音響三銃士の活躍がここに!
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��代太郎(作曲家)代表作:『Fukushima 50』(20)、『新聞記者』(19)、『レッドクリフ』シリーズ、『殺人の追憶』(03)
父の命が終わりを告げようとした時、主治医が私に「聴力は最後まで残っていますから話しかけて下さい」と囁いた。
人生は「音」に始まり「音」に終わる。映画も又、同様だと気づかせてくれる貴重な作品だと思う。
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川井憲次(作曲家)代表作:『イップ・マン』シリーズ、『機動警察パトレイバー THE MOVIE』シリーズ
当たり前ですが、映画は映像と音でできています。
音とは、セリフ、効果音、音楽ですが、それらを丁寧に説明してくれるこの作品は素晴らしかったです。
映画を支えるサウンドチームはそれぞれ役割が異なるものの、それらが一つのサウンドトラックになっていく課程は、
今まであまり紹介されていなかったと思います。
特にフォーリーと呼ばれる現実音でも、実際にはない音を工夫して効果的に作られていたりして、実に興味深かったです。
実際にない音を入れるのは音楽も同じで、実は正解がありません。ただ監督やプロデューサー、そして作曲家の好みや勘で作られているんです。私は作るたび、これでいいのかなあ・・・と毎回超不安になりますが、きっとこの映画に出てくる人もみんなそんな気持ちで作っているのかも・・・と自分に言い聞かせることにしました。
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菅野祐悟(作曲家)代表作:『太陽は動かない』(20)、『カイジ ファイナルゲーム』(20)、『マチネの終わりに』(19)
この映画を観ると、これから映画を観る時の楽しみ方に、新しい視点が一つ加わるのではないかと思います。
僕はこれから映画音響チームの一員として、より一層、映画音楽の作曲に真剣に向き合い、味わい尽くしたいと思います。
そう思わせてくれる映画でした。
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世武裕子(映画音楽作曲家)代表作:『星の子』(20)、『風の電話』(18)、『日々是好日』(18)、『生きてるだけで、愛』(18)
大事なこと全部詰まってる!
映画館行ったことない人にも、映画を愛する人にも等しくワクワクさせてくれるドキュメンタリー映画。
普段は映画の音楽だけを作っていますが、映画の「音」の秘密は実はもっと深くて壮大◎
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岩浪美和(音響監督)代表作:『ガールズ&パンツアー 劇場版』(15)、『劇場版 ソードアート・オンライン−オーディナル・スケール』(17)
音を知れば映画はもっと楽しくなる!映画音響をめぐる冒険者たちの挑戦が数々の名作と共に語られます。
この偉大なる冒険譚をぜひ劇場の音響で体験してください!
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えびなやすのり(音響監督)代表作:『プロメア』(19)、『劇場版 NARUTO-ナルト- 疾風伝』(07)な��
まず僕たちがいる業界に入ってきた人に見てほしい。
あなた達がこれからどんな仕事をするのか、今やっている事がどんな意味を持っているのかわかる事でしょう。
次にこの業界に携わる音響以外の関係者に見てほしい。
音を革新的に良くすることは音響の情熱だけでは如何ともしがたいことに気づいて欲しい。
「音?モノでいいじゃん」この台詞を何度言われたことだろう。
是非良い音響の映画館で見て欲しい。サラウンドの何たるかが分かるでしょう。
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鶴岡陽太(音響監督)代表作:『映画 聲の形』(16)
80年代から私のアイドルであったゲイリー・ライドストロームに触れられて、感無量でした。
とは言え、如何にして今に至るかを知る恰好の教材として、若い方にこそ、是非見ていただきたい映画だと思います。
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山田陽(音響監督/音響技術)代表作:『天気の子』(19)、『君の名は。』(16)、『シン・ゴジラ』(16) 、『巨神兵東京に現わる 劇場版』(12)
日本とハリウッド。音響制作の現場には大きな違いがあり、細かく役割を分けて制作できる環境は正直うらやましい。
ただ、音響技術者たちの“音”に対するこだわり、想いは国や環境など関係ないものだと分かり嬉しかった。
ベン・バートも私と同じで機械いじりが好きな少年だったのだ。“音”は観客が意識することなく、自然に聞こえるようにするのが理想。
一方で映画の盛り上がりに“音”は欠かすことができない。
映画を影で支える音響技術者たちの活躍を知ることができる素晴らしい作品だ。
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赤澤勇二(音響効果)代表作:『とんかつDJアゲ太郎』(20)、『犬鳴村』(20)
多くの方に見て欲しい映画だと思いました。映画の見方に新しい視点が加わり、より楽しめるようになると思います。
改めて音の可能性を感じました。
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勝亦さくら(音響効果)代表作:『アイネクライネナハトムジーク』(19)、『最高の人生の見つけ方』(19)
映画の中の音が目に見えないけれど観る人の感情を如何様にも動かすものだということを改めて思いました。
映画が好きな人、映画づくりに携わる人、映画づくりを目指す人、色んな人が楽しめる映画だと思います。
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松浦大樹(音響効果)代表作:『ステップ』(20)、『湯を沸かすほどの熱い愛』(16)
邦題のとおり、観客にとっては映画の音がどのように作られているのかを知ることができる貴重な作品。沢山の驚きと発見があります。
また映画制作に従事している者にとっては、映画音響史を学ぶに最良の教材。沢山のアイデアとヒントであふれています。
この映画は、私たち映画技術者に初心に返るきっかけを与えてくれる作品です。日本映画の実際はともかく、
この映画で描かれているような仕事がしたい。少なくとも自分は、いつもそう思っています。そして、ウォルター・マーチ最高。
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井上奈津子(音響効果/フォーリーアーティスト)代表作:『君が世界のはじまり』(20)、『惡の華』(19)
本当に胸がいっぱいになってしまった。効果音は爆発や銃声、魔法やアクションなど派手なものが注目されがちだが、
「プライベート・ライアン」のゲイリー・ライドストロームが「画面の外の音が大切だ」と言ったことに凄く共感した。
目に見えなく尚且つ画面の外にある空間を演出することでその世界に匂いや質感を与えることができるのではないかと思う。
台詞にしてもガヤにしても、一音一音にその音を扱う人の意思や演出があり、それを監督が演出していく、
それをこの作品では丁寧に描いていて感動した。
日本にいるとハリウッドや世界の映像音響との技術の隔たりを感じて悔しく思うこともたくさんある。
ですが、この作品に登場する全ての技術者は私たちとあまり変わらない音の変態なのだと、
劣等感を勝手に感じていないでもっと楽しめよと言われている気がした。
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北田雅也(効果音/フォーリーアーティスト)代表作:『映画ドラえもん のび太と新恐竜』(20)、『ザ・ファブル』(19)
雲をつかむような…という慣用表現があるのだけれど、
音の仕事というのは再現性の少なさや音の受け取りかたが個人の体験に依存すること、
空気の振動が消えた瞬間に存在そのものが消えることなど確固たるものが何もない雲をつかむような職業と言えると思う。
雲をつかむことに夢中になった人と雲をつかんで映像に魔法の息吹を吹き込みたい演出家の物語でもあるし、
人々が雲をつかめるようになった歴史の話でもある。映像に対する音響の作り方を体系的に理解することもできる。
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小山吾郎(フォーリーアーティスト)代表作:『クリード 炎の宿敵』(18)、『ブレードランナー2049』(17)、『グレイテスト・ショーマン』(17)
ピューピュー、パタパタ、びゅっ、ドカーン、カキン!、ザバーッ、ぶぉん、ちゅんちゅん、ジャジャーン、パカパカ、ガオーッ!、てくてく。
ワクワク、ドキドキ、素晴らしき音いっぱいの、音の映画! (拍手)
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笠松広司(sound designer/re-recording mixer)代表作:『きみと、波にのれたら』(19)、『海獣の子供』(18)、 『風立ちぬ』(13)
映画は総合芸術という事を再認識。”ある瞬間”の為に、やってダメな事もないし、やらなきゃイケない事もない。
作る側の音響技術者にも、観る側の映画好きなオーディエンスにもきっと刺激になる。
”その瞬間”『ハマった時の爽快感は病みつきになる』
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柴崎憲治(音響効果/サウンドデザイナー)代表作:『Fukushima 50』(20)、『海猿 ウミザル』(04)、『リング』(98)
コレから音響の世界を目指す人たちにとって、教科書の様な映画です。
foley は人の動きや物音を表現��て人間たちの存在感を増して、fxは画に奥行きを与えて、立体感を作る。
backgroundは、frameの、内・外の映画の世界観を作る、それにより どうゆう場所なのか、どういう空間なのかを説明する。
画に対する柔軟な創造・想像力・アイデアが、音響技師達の感性とセンスによって画を引き立たせ、
当たり前の様にそんな音がするんじゃ無いかと、錯覚させる世界観を創り出す遊び心と情熱と創意工夫が描かれています。
とても魅力的な映画です。
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高木創(録音/整音/音響デザイン)代表作:『ゲド戦記』(06)、『機動戦士Zガンダム A New Translation Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』(05,06)、『攻殻機動隊 SAC_2045』(20)など
映像作品の半分は音響で成立している。この映画ではそれが国境を越えた共通認識である事を示している。
そして各時代の同時期に映画音響制作をしている日本の大先輩達にも想いを馳せた。
この映画に登場する敬愛するレジェンドな先輩方の証言をスクリーンで目の当たりにしながら「なんてこった」とつい呟く。
スピリットは国は変われど何ら変わらなかったのだ。
素晴らしい映画では音響は寧ろ意識されない。只々ワクワク感が掻き立てられるが、
そのワクワク感を紐解いてゆくと「音響」そのものだったという『ようこそ映画音響の世界へ』。とても良い映画だ。
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山本タカアキ(録音技師/サウンドデザイナー)代表作:『風の電話』(20)、『アイネクライネナハトムジーク』(19)、『モリのいる場所』 (18)
映画業界において音の分野はコストであったりスケジュールであったり色々と冷遇されていると日頃から思っているのですが、
優れた監督たちの音表現への信頼の言葉やこだわり続けて映画音響の歴史を作ってきた先駆者の姿を見て勇気をもらいました。個人的には作品作りで心が折れそうになった時、行き詰まった時に見返したい作品になりました。
それとやはり!映画を志す人たちには是非見てもらいたいです。たくさんの名作を通じて映画音響のあれこれがわかります。
映画音響を志す人は勿論ですが、監督、プロデューサーを目指す人たちにも見て欲しい!
音の表現力を知っている映画人が増えて日本映画がステップアップすることを望みます!!
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浦田和治(映画録音技師)代表作:『孤狼の血』(18)、『ノルウェイの森』(10)、『ジョゼと虎と魚たち』(03)
映像と音という二つのものが、同化したり、異化したり、対立したりして映画は出来上がっていくのでしょうね。
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木原広滋(録音技師)代表作:『よこがお』(19)
監督やプロデューサー等、プリプロダクション(撮影の前段階)から映像制作に関わる方々に是非観ていただきたいです。
作ろうとしている映像に本当に必要な音は、もしかすると『同録』ではなく『アフレコ』の音かも知れないですし、
はたまた『効果音』だけで殆ど表現できてしまうのかも知れません。
そういった事を再認識できる作品だと思いました。
またそれによって、新しい撮影のやり方や、新しいバジェットの使い方が見えてくる。そんな可能性も感じます。
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根本飛鳥(録音技師)代表作:『許された子どもたち』(20)、『愛がなんだ』(19)
まだ見ぬ風景を思い描き、あるかも分からないその景色を見るため、そこに眠る財宝を探して旅をする、映画音響の仕事とは
まるで開拓時代の冒険者の様だ。このドキュメンタリーに登場する人物達は超一流の冒険者であり、探求者である。
「その音」にたどり着いた彼等の眼差しの慎ましく美しいことよ。たかが空気の振動とあなどるなかれ。
冒険者達が掴んだ「その音」は私たちの心まで震わせてくるのだから。
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弥栄裕樹(サウンドデザイナー/録音技師)代表作:『ファンシー』(19)、『劇場版 ファイナルファンタジーXIV 光のお父さん』(19)『ソワレ』(20)
正直こんなに感情が動かされるとは思ってなかったです。声・感情・空間・夢・時間・ソング….。
鑑賞中はユリイカと焦燥感の連続でした。映画音響は重要性とは裏腹に、あまり表に出てこない世界。
そこがクールだけども、もったいないとも思ってました。時代を作ってきた人たちの言葉やスタンスが、
この映画を通じていろんな人に伝われば、もっと豊かな作品が増えると信じています。この映画に関わるすべての人に感謝です!
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佐藤敦紀 (予告編演出/編集/VFXスーパーバイザー) 代表作:『シン・ゴジラ』 (16)
1970年代以降、音響技術の世界で革新を成し遂げたウォルター・マーチ、ベン・バート、ゲイリー・ライドストロームら
レジェンドの姿に胸アツ。そしてラストのベン・バートの言葉に深く感動。
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「また、会えるね」・・・あの恐怖の娘・エスターが“そのままの姿”で帰ってくる・・・・「エスター ファースト・キル」2023年3月公開決定!
2009年に日本公開し、その巧妙かつ驚きのラストで話題となりカルト的人気を誇る『エスター』の前日譚(エピソードゼロ)を描いた最新作『エスター ファースト・キル』が、2023年3月よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開することが決定!!
公式サイトはこちらへ!!!
おかえり、エスター。前作を遥かに凌ぐ衝撃!
前作『エスター』では、裕福な一家、コールマン家が孤児院からエスターを養子に迎えるところから始まる。彼女は聡明で、画才もあり、家族に喜びを持って受け入れられ、親子として幸せな関係を築いていく…はずだった。彼女の真実を知った時、物語は予想できないラストへと突入していき、その結末に世界中が恐怖に飲み込まれ話題となった。 実はエスターは、コールマン家の養子になる前に、別のある一家��養子として引き取られていたことが前作で言及されているが、そこで何が起こったのか過去に関してはわからずじまいであった。その「ある一家」が本作『エスター ファースト・キル』の主戦場となるオルブライト家である。エスターとオルブライト家の物語は、またもや我々の予想と常識を遥かに超え、前作を凌ぐ衝撃が待っているのだった…。 監督は、『ザ・ボーイ ~残虐人形遊戯~』(20)のウィリアム・ブレント・ベルがつとめ、脚本を『パラサイト 禁断の島』(19)のデヴィッド・コッゲシャルが手がけた。主演は前作と同じくイザベル ・ファーマンのほか、オルブライト家の母親役に『ボーン』シリーズ(02〜07)のジュリア・スタイルズ、父親役には『逆行』(15)のロッシフ・サザーランド、息子役に『傲慢な花』(22)のマシュー・アーロン・フィンラン、そして事件に関わる刑事役には『GODZILLA ゴジラ』(14)のヒロ・カナガワが出演する。
エスター役、イザベル・ファーマンが驚異の再演を魅せる!
前作『エスター』は、ラストの大どんでん返しで世界中の人々に衝撃を与え、映画公開後にまるで映画を模倣犯にした様な実際の事件も起こるという怪異も加えられ、「人怖」ホラーの代表作として映画界に強烈なインパクトを与えた、今なおホラーの傑作として君臨している作品。 そしてこの度、待望の最新作が公開となるが、驚くべくは、当時12歳で同年代のエスターを演じたイザベル・ファーマンが、本作『エスター ファースト・キル』でもエスター役を続投しているということである。25歳になったイザベルがどのようにして子供のエスターを演じるのか…、その姿が子供にしか見えないという違う意味でのホラーな演出にも注目!!
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My youth in Kabukicho.
2000を超えるキャパシティの大型劇場だった新宿コマ劇場(1956年~2008年)は、昭和の時代、歌謡ショーの殿堂として多くの、特に演歌ファンに親しまれた。写真中���に縦長なのは、その新宿コマ劇場跡に建てられた新宿東宝ビルである。
ここに記すのは、我が心の奥底に沈殿する一握の砂。攪拌すると静かに舞い立つ青春の一コマだ。
1988年だったと思う。一度はやめた俳優に復帰した20代半ばのこと。先輩俳優からコマ劇場への出演を打診された。演歌歌手Yさんの歌謡ショーで1ヶ月公演だという。ギャラに釣られて二つ返事でお受けした。
コマ劇場の楽屋口は新宿区役所(写真右手)側にあった。歌舞伎町はあちこちに眼光鋭いお兄さんが立っていたが、初日、二日とコマ劇場に出入りするうち、こちらが俳優だと察したらしく挨拶を交わすようになった。歌舞伎町の一員として認められたような、何だか威勢のいい人になった気分だった。
稽古は二日間。演出はYさんの師匠で大御所演歌歌手のKさん。稽古初日、Kさんは細かく芝居をする私に動かなくていいとのダメ出し。見渡すと、俳優はYさんのセリフの間、微動だにせず、まるで書き割りのよう。生きた大道具としての役割に最初は戸惑った。
20人程の俳優が犇めく楽屋は畳敷きで、中で二間に分かれていた。隣の化粧前は父と同い年の浅黒いずんぐりした方で、筋肉隆々のスタント要員もいた。いわゆる大部屋である。
大部屋俳優は日がな博打に耽っている。競馬や麻雀は当たり前、野球賭博は暴力団絡みだったかもしれない。メイク前にスポーツ新聞を隈なく読む者がいたし、誰かが必ずラジオの競馬中継を聴いていた。タバコの煙が途切れることもなかった。
ギャラは大部屋のボスが現金で支給する。ボスは痩せた50絡みの役者で、時折、楽屋に寝泊まりしていた。文字通り主だ。いつもこざっぱりしたステテコ姿で、七三に分けた髪型だけ見れば几帳面そうだったし、実際そうだったかもしれぬ。ただ酒癖が悪かった。
公演中、度々、座長であるYさん主催の酒席があったが、Yさんが大部屋俳優に小遣いを配り(私はいただかなかったが)どこぞの親分よろしく恭しく見送られるとネチネチ始まった。ボスは、私のプロフィールにある蜷川幸雄さんの舞台歴に、そもそも私自身が気に入らなかったらしく標的になった。ただ、私をよく知るわけではないので、1時間もすると矛先はいつもの叱られ役の俳優に向いた。
面白いことにボスは翌日必ず謝った。「昨夜はごめん」と、喧嘩した小学生のようだった。かような人間を許容する大らかな時代だったが、やはり面倒なもの。私は千秋楽を待ち侘びた。
中日(なかび)前後だったと思う。本番中にスタント俳優のSさんがセットの屋根から飛び降りる芝居で頭部打撲。お客様は演出と思われたろうが騒然とする舞台裏。意識はある。念のためにと病院へ。その日の出番が終わっていた私が付き添うことになった。楽屋口にタクシーが着くと、東京女子医大へ。一通り検査を受けた後、異常なしとの診断でそれぞれ帰宅する。
Sさんは翌日以降も何事もなかったかのように、屋根から飛び降りては楽屋へ戻って来た。
Sさんはマチネ(昼公演)とソワレ(夜公演)の間をトレーニングの時間に充てていた。病院へ付き添った翌々日、何となくSさんのトレーニングに付き合うことになる。
コマ劇場は7階建てだったかと思うが、高層ビルの屹立する新宿西口とは距離もあり、それまで知らなかった見晴らしの良い屋上があった。昼休みの社員が寛いだり弁当を食べたりのベンチもある。Sさんは腕立て伏せや腹筋を一通りこなすと、私を残して楽屋へ戻った。
その日以来、私は自分の出番が終わると文庫本(『ニューヨークの奴��たち』だった)を掴み、犬のように屋上へ駆け上がるのが日課になった。ベンチに寝転がる。空は高い。歌舞伎町の喧騒や、日によっては騒乱もあったがどうでもいい。CDウォークマンで聴くエンヤで頭から演歌を追い出した。
時々、Sさんのトレーニングと重なることもあったが互いに干渉することはない。お釈迦様が蜘蛛の糸で引き上げて下さったかの如く、(娑婆で)束の間の孤独を満喫した。
空席のある日は客席でショーを観ることもあった。三日月型のゴンドラなどコマ劇場の機構に感心したり、マチネとソワレのお客様の反応の相違を観察したりで、何とか千秋楽まで耐えた。
コマ劇場の屋上は、現在の位置に置き換えるとゴジラが顔を突き出している辺り。久しぶりの歌舞伎町に大部屋俳優を経験した四半世紀前の1ヶ月が、眠りから覚めたゴジラのように蘇る。Yさんの演歌は未だに口ずさめる。
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Collections of Hiroki Kikuta’s blog
1997年秋から1999年末まで携わった、 「クーデルカ」という仕事は、僕の人生の中で大きな意味を持つ。 嬉しかったこともあり、残念だったこともあり、しかし、制作に費やした二年間は、 無駄ではなかったと、今振り返って思う。 サクノス立ち上げに助力していただいた、元セガ副社長の故藤本敬三氏の思い出。 ロサンゼルスはウエストハリウッドでの夢のようなモーションキャプチャーセッション。 胸に浮かぶままに、語るべきことは尽きない。 ここでは、写真、設定資料、デザイン画を中心に、ゲーム制作のプロセスと、 その印象を綴っている。 クーデルカのための宣伝用イラストレーション/1998 岩原裕二 部分 このサイトは、1999年12月にプレイステーション向けホラーRPGとして発売されたゲーム「クーデルカ」のディレクター菊田裕樹が、制作資料の掲載や作品解説を目的として運営するものです。ゲームをプレイしてくれたユーザーが、より深くクーデルカの世界とその魅力に親しんでもらうために、僅かなりと助けになれれば幸いです。 --- 「クーデルカ」のモーションキャプチャーは、1999年1月、ロサンゼルスはサンタモニカにあるスタジオで収録された。技術面を担当した���はフューチャーライト。普段は「ゴジラ」等のハリウッド映画のSFXを担当している映像制作会社である。遡る1998年9月、僕はイベント系を担当する人員の不足から、それを全てモーションキャプチャーで賄うという構想を建てた。全体で見れば一時間をこえるイベントシーンを、手打ちのアニメーションとスクリプトで実現しようとすれば、5人がかりの仕事となる。しかも、一向に従来のRPGの域を出ない、面白みの無い方法だ。ゲームのドラマ部分を表現するために、効果的で、目新しくて、しかも大きな省力化になる方法として、モーションキャプチャーは画期的な試みだった。無論、問題はあった。技術的に不可能だというのだ。物語の性質上、最大4人を同時にキャプチャーし、併せて音声も収録する必要があったからだ。僕はまず、日本国内のスタジオで実験をし、手応えを掴んだ。その結果、モーションキャプチャーは十分に魅力的な効果を生み出すという確信を得た。しかし同時に、僕の要求する仕様は日本国内では実現不可能であるということも分かった。だが、そこで諦めてはクリエイターが廃る。幸い、以前「双界儀」の録音でお世話になったデイブレイク社の大竹氏が、海外のコーディネイターに詳しいというので、畑違いながら探してもらったら、ロスにそれらしい技術を持った連中が居るという。早速連絡を取り、俳優のオーディション方々会いに行った。ところが実際に会ってみると、彼等も僕が考えるような仕様でキャプチャーをしたことがなかった。4人を同時に、音声もいっしょに、しかも数分に及ぶ芝居をいっぺんに収録する。そんなの聞いたことがない。しかし驚いたことに、面白そうだから是非やってみょうと、彼等は言ったのだ。新しいことにチャレンジするのが嬉しくてしょうがないスタッフ達。こうして、この前代未聞の試みは実現したのである。 クーデルカを演じてくれたヴィヴィアンとエドワードを演じてくれたマイケル。100人程のアクターをオーディションした中から選んだ人達だ。アメリカのアクターの層は厚い。皆、良い作品に出演することを夢見て、演技の勉強をし、技術を身に付け、レストランなどで働きながらハリウッド近辺で暮らしている。アメリカでは基本的に、どのような有名な役者でも、名前だけで出演が決まることはない。必ずオーディションをして、その役に本当に相応しいかどうかを確かめられる。彼等は、役の大小に限らず、それを勝ち取ることに真摯で、また仕事に臨んでも出来るだけ良い結果を残そうとする姿勢を崩さない。 セッションに参加してくれたスタッフ達。フューチャーライト側から、モーションキャプチャーの陣頭指揮にあたってくれたダン・マイケルソンをはじめ、プログラマーのランディ、エンジニアのジョン。彼等は4日に及ぶセッションの中で起った、様々な問題に素早く対処してくれた。日本側から、クーデルカのモーションを担当した竹原君。IPG側から、わざわざこのコーディネイトのためにニューヨークから駆け付けてくれたポール。そして、サウンドエンジニアのキース。 写真中央、このセッションのディレクションを全て担当してくれた、IPGから参加のデビッド・ウォルドマン。彼は日本でビデオクリップのADをしていた経歴があり、日本語が話せたため、今回の仕事に適任として選ばれた。映像制作の現場でのノウハウや、その進行に関して、彼に学ぶところは大きかった。その後、ロスでムービーキャメラマンの学校に入り、本格的に映画制作を志しているらしい。左は、デビッドの女房役のADであるクレイグ。右に居るのは、9才のシャルロッテ役を演じてくれた12才のサラ・パクストン嬢。その可愛らしさで、スタジオの人気者だった。しかし、プロとしての意識は本物で、長台詞を覚え、慣れないキャプチャーに戸惑うこともなく、見事に演じてみせた。下の写真は、キャプチャーセッションに先立つ、リハーサルの時のもの。近くのホテルで部屋を借り、本番の時と同じように、全ての芝居をチェックする。この時キャラクターはどんな気持ちなのか、何を考えながら演じればいいのかを、ひとつひとつ、押さえていく。このシーンは、クーデルカとエドワードが、オグデンとベッシーにスープを振舞われるところ。中央に、いかにも人の良いおばさんを演じてくれた人の良いおばさん、デニス・ホワイト。 スタジオという��りは工場といった有り様だが、実際すぐ横にプロップを組み立てる工房があったりした。一応サウンドステージとして作られてはいるのだが、防音がしっかりしていないため、上空を飛ぶ軽飛行機の音がうるさくて、撮影が中断したのには参った。真中に置いてあるのは、ジェームズら3人が大聖堂に入る扉が開かなくて悪態をつくシーンのための大道具。例えば、扉を叩く芝居が欲しい時に、何もないのにそういう振りだけしても、リアリティーは生まれない。扉を叩く時には、そこに扉があるべきだ。下の写真は、ゴミの山に埋もれてひっそりと稼動しているSGIのONYX。これに限らず、驚くような機材が、ごく当たり前に使われているのをあちこちで見た。聞けばそれらは全て、レンタルなのだという。こういう所にも、日本との状況の違いを感じた。右は、連日に及ぶ深夜の撮影で疲れ果てて眠りこける僕。 2000/11/25 菊田裕樹 --- ヴォイニッチ文書 部分 Emigre Document 紀元前5000年をさかのぼる昔、ブリタニアには高度な巨石文明を持った民族が栄えていた。今も島のあちこちに残るドルメンやストーンサークルは、現代科学を持ってしても不可能と思われるほどの彼らの技術力を、我々に示している。彼らはケルト人が到来するまで、全世界でも最も進んだ文化と文明を持つ民族であった。エジプトでピラミッドが建築される遙かに昔。中国、バビロニア、イスラエル、どの文化圏よりももっと以前に、ブリタニア全土に分布する巨石遺構は建てられたのである。 その力の秘密は、彼らの持つ宗教にあった。彼らは大地より湧きいでる生命の秘密に手をかける術を知っていたのである。生と死を操り、不死や、あまつさえ死者の再生をも我がものにし、労働力としての人間ならざる怪物を生み出し、高度な文明を築き上げた。それは自然の持つ輪廻の法則そのものを御する行いであり、神の為す神秘に等しい。いや、彼らこそが原初の「神」だったのかもしれない。彼らはその「神を遙かに遡る世界の成り立ちの秘密」を、文字にして書き記すことはなかったが、その祭儀や術としてのノウハウは、ケルト社会のドルイド僧に引き継がれた。ドルイド僧は古代人の残した祭儀法を基盤に、自分たちなりの技術的アレンジを加え、古代人には及ばないまでも、天地の秘密を力に変換することを自らのものとした。 だが、彼らもまた、自分たちの慣習や宗教に関して書き残すことをしない。ケルト民族の在りように関して最初に言及したのは、まさにそこを征服せんとして兵を進めたユリウス・カエサルである。しかし、彼が紀元前50年頃に「ガリア戦記を」書き記す以前に、前4世紀頃ケルト民族と親交のあったアレクサンダー大王が、アレクサンドリアの大図書館に收めるべく、ドルイドの秘儀をギリシア語で文書化させていたのである。彩飾図版を交えて作成されたこの文献は、その任に当たった人物の名を取って「エミグレ文書」と名付けられた。 この文書は閲覧を禁じられた秘密の書として王宮の図書館に保管された後、戦禍を逃れて持ち出され、数世紀の間、各所を転々とする。その間にはキリスト教の成立やローマカトリックの隆盛などがあるが、6世紀に入り、アイルランドに様々な修道院が建設され、写本事業が盛んになった結果、イタリアの片田舎に忘れられていた「エミグレ文書」は、リンデスファーン島にある写本で名高い修道院に持ち込まれた。だが、ギリシア語に堪能でない彼らは、内容の美しさや彩飾の艶やかさに目を見張りこそすれ、文書の持つ本当の力に気づくことはなかった。 9世紀に入って、度重なるヴァイキングの来襲により、蔵書の保存に危機を感じた修道院は、重要な文献を各地に避難させ始める。アイルランド生まれで敬虔な信者であるヨアヒム・スコトゥスとダニエル・スコトゥスの兄弟は、大修道院長より「エミグレ文書」を託され、その内容に驚愕した兄ヨアヒムは弟ダニエルをウェールズの辺境にあると記される聖地へ赴かせ、自らは写本���携え、フランス王の元に庇護を願い出た。弟ダニエルは聖地で修道院を建て、祈りを捧げて一生を終わる。兄ヨアヒムは碩学として歴史に名を残すが、その死後、ローマ法王庁に写本を接収されてしまう。 キリスト教を脅かす力を持ったこの文書は、ローマ法王を恐怖させ、禁断の書物として誰にも閲覧を許すことなく、書庫の奥底にしまい込まれたが、13世紀になってその損傷の激しさから、新たな写本を作る必要が生じ、当時最高の知識人として名高かったフランチェスコ会修道士ロジャー・ベーコンにその任が与えられた。彼は10年にも渡ってフランスに幽閉され「エミグレ文書」を精確に複製することを強いられたが、その過程で文書の知識は彼の物となった。秘密を守るため彼をそのまま監禁し、二度と世に出すまいという法王庁の意図とは裏腹に、彼は密かに外部と連絡を取り、自らが解読した文書の示す聖地へ赴き、生命の秘密を探る試みに取りかかるべく、着々と準備を進めていた。 彼は、先にダニエル・スコトゥスが建てた修道院を改修し、実験施設となるべきゴシックの大聖堂を建築させた。そこで彼がどのような秘術を試みたのかは、記録に残っていないが、法王庁の手を逃れフランスを脱出した彼は、二度と姿を現すことはなかった。彼は、姿を消す前に、新たな一冊の写本を残している。エミグレ文書の記述を元に、ウェールズ語の暗号で書かれたその写本は、聖地の修道院に残されていたが、16世紀になってエドワード・ケリーとジョン・ディーによって発見され、新たな写本として書き直され、さらにローマの修道院を経て、20世紀になって古物商ヴォイニッチによって再発見され、ヴォイニッチ文書と名付けられて、現在エール大学のベイニック図書館で閲覧できる。 また、ロジャー・ベーコンによって複製された「エミグレ文書」写本(原典は破棄された)は19世紀までヴァチカン宮殿の奥深くに秘蔵されていたが、1890年頃何者かに盗み出され、以後その行方を知る者はいない。ダニエル・スコトゥスが建てた修道院は1536年の修道院廃止例の後、政治犯や重要犯罪人を拘留し処刑するための施設へと転用され、聖なる場所で多くの人命が闇に葬られた。 (設定資料より) 2000/10/25 菊田裕樹 --- 2000/10/25 Hiroki Kikuta Koudelka Iasant 1879年生~没年不詳。イギリスはウェールズの田舎、アバージノルウィンの寒村生まれのジプシー。幼い頃から強すぎる霊能力を持ち、様々な怪異を起こすため、呪われた存在としてジプシーの世界から追放される。1888年9才頃ロンドンで霊能力者ブラヴァツキー婦人に拾われ、秘蔵っ子として厚遇されるが91年婦人が他界すると共に、再び放浪の旅へ。普段は霊媒として失せ物を探したりして、糊口をしのいでいる。 年は若いが、世の中の事情を一通りわきまえたところがあり、良く言えば大人、悪くいえばすれっからし。普段は���まり明るい顔をせず、大体において不機嫌そうで態度が悪いが、時折女らしいところを見せる。差別される者や愛されない者に肩入れする傾向がある。自分を表現することが下手。 (登場人物設定資料より) Notes クーデルカという名前は、著明な写真家であるジョゼフ・クーデルカから採ったものだ。口にした時の不思議な響きと、民族や国籍を感じさせないところが気に入って、名字ではなく名前として使わせてもらった。手元の資料を見ると、キャラクターデザインの岩原裕二氏にコンペ用のスケッチを発注したのは1998年の3月26日だが、遡る2月10日の段階で、僕はゲーム全体の進行手順と、シナリオの箱書きを完成させていたし、キャラクターの心理設計も完全なものとなっていた。クーデルカはジプシーの出身である。彼らはインドをもっとも古い故郷とし、放浪に生きる人々で、自分たちのことを誇りを込めてロムと呼ぶ。それは人間という意味である。一般社会の人間たちとは隔絶され、自分たちの血縁関係の中だけで生きている彼らにとって、追放はもっとも苦しい罰となる。クーデルカはその特異な能力ゆえに、子供の身でジプシーを追われることになった。僕は彼女を、どこにも安住することを許されない、最も孤独な存在として設定した。平和で豊かな暮らしの中に、彼女の居場所は無い。呪われた魔物や幽霊が跋扈する、廃虚の暗闇の中にだけ、かろうじて自分を置くべき空間を見出せる。クーデルカは、そういう悲しい存在なのである。 岩原氏はこのプロジェクトのために、100枚にも及ぶキャラクタースケッチを描いた。クーデルカだけでも数十枚になるが、そのほとんどはポリゴンによるモデル化のための制約から来る衣装デザインの試行錯誤であり、キャラクターの本質部分に関しては、最初から完成形に近いものを掴んでくれていたようだ。また、氏にはゲームの制作に先行して角川書店の雑誌で漫画連載を始めてもらい、ゲーム設定の1年後のストーリーという立体的な構成で、物語の厚みと魅力を増すことに貢献してもらった。 クーデルカのポリゴンモデルは、当時広島のコンパイル社の倒産で行き先を捜していた渡辺伸次氏に、経済的に援助するということで東京に移り住んで制作してもらった。彼は同社の仲間とCGスタジオであるD3Dを設立した。そのころの彼等には全く実績が無かったが、見せてもらったプロモーションムービーのキャラクターの動きに並ならぬ情熱を感じ、彼等と一緒に新しいチャレンジをする気になったのである。しかし実際、キャラクターのモデリングは難航した。ゲームスタッフ側の無理解も大きな原因だったが、D3D側もクーデルカほど高いレベルのモデルを作るのは初めてとあって、試行錯誤のために何ヶ月も時間が必要になった。リテイクに次ぐリテイクの嵐。最終的には、僕自身が彼等の後ろに付いて、���をもう少し縮めてだの、唇をもう少し上げてだのと細かく指示を出し、なんとか納得のいくものに仕上がるまでに半年近くかかっている。 モーションキャプチャーにおいて声と演技を担当してもらったヴィヴィアン・バッティカ嬢は、米サンタモニカ・スタジオで行ったオーディションの中で、クールで独特の色気があり、抑えた芝居の出来る人として選定した。ただ可愛いだけではなく、クーデルカの持つ陰の部分を表現するためである。彼女自身まだ若く経験も浅いとはいえ、その熱意と努力は相当なもので、10分にも及ぶ長丁場の芝居、何十行もある長台詞を、たった数日で完全に頭に入れて撮影に臨む辺り、なるほどプロというものはこういうものかと感心させられた。度重なる技術的不備にも嫌な顔をすることなく、エドワード役のマイケル・ブラッドベリーと現場の雰囲気を明るく盛り上げてくれたことには、感謝の言葉もない。 2000/10/25 菊田裕樹 llustrated by Yuji Iwahara このページ内の全ての画像及び文章の著作権、版権、複製権、二次使用権は全てその正当な著作者、権利所持者に帰属します。よって、無断複製、無断転載を含め、著作権法に違反する形態でのあらゆる利用を禁止します。 All Rights Reserved 1997 1998 1999 2000. クーデルカは(株)サクノス・SNKの登録商標です。 All Rights Reserved (C)SACNOTH/SNK 1999 --- Nemeton Monastery イギリスはウェールズ地方。アバースワースにほど近い、海沿いの断崖に、人気もなく廃墟と見まごうようなネメトン修道院がある。ちょっとした公園ほどもあるその敷地の中には9世紀頃に建てられたと思われるロマネスク様式を色濃く残した修道僧の宿坊をはじめ、13世紀頃に建てられた飛び梁も美しいゴシックの大聖堂、会堂をかねた図書館、鐘つき堂、屠殺場を兼ねた炊事場、処刑台に使われた東屋、近代になって建てられた宿舎などが、全体を囲む壁と一体化して並んでいる。16世紀に修道会を禁ずる制令が発布されるのを待たずして寂れ、廃墟と化したこの場所は、17世紀に入って政治的な犯罪者や虜囚などを閉じこめたり処刑したりする目的に使用された。今でもどこかに地下牢が隠されているといわれている。近代になって、訪れる者も居なくなり、荒れるに任せていたのを、ある資産家が物好きにも買い取って移り住んだが、程なくして彼は姿を消し、後には様々な憶測と噂だけが残った。あるいは、財宝が隠されたまま埋もれているとい���、あるいは、悪魔が彷徨っているといい。再び廃墟と化したこの修道院を訪れるのは、人目を避ける犯罪者や一攫千金目当ての食い詰め者だけだった。 (制作資料より抜粋) ネメトン修道院初期設計図/1998 松野泰三 1998年2月の段階で、ゲームの進行に伴う、マップ全体像の設計は、ほぼ出来上がっている。八棟の建物、地下道、墓地など、全部で100個見当の区画からなる構成で、イベントと連動して移動できる範囲が拡がっていく。実は、このような閉鎖された空間を舞台として設定したのは、単に演出的な意図によるものではなく、人的物理的制約による結果なのである。例えば、高度に訓練されたグラフィックスタッフが20人居るならば、一年間に500から600枚を超える背景画を制作することが可能だ。しかし、楽観的に考えても数人が限度と思われる人材確保の現状を前提にすると、およそ100マップ200~250画面が、用意できる背景数の上限と見なければならない。一般のRPGのように、ワールドマップがあって幾つもの街があって、などという仕様は、最初から無理。そこで、極めて限定された空間を設定し、それを有効に活用���つつ、様々な雰囲気のバリエーションを提供できるような仕掛けを考案した。それがホラーRPGという枠組みだったのである。 ネメトン修道院初期設計図/1998 松野泰三 ネメトン修道院を構成する建物群は、そのひとつひとつが、建てられた年代も、目的も異なるものである。各々の建築様式の違いは、ドラマの進行と相まって、ユーザーを飽きさせないための装置として機能する。扉を開けて新しい建物に入る度に、物語が次なる展開を迎えたことを実感してもらうために。微にいり細にわたり、緻密に作り上げることが、あたかも実際にそこに居るかのような臨場感を生む。そのために最も必要だったことは、実際の建築物を参考にすることであった。 ネメトン修道院初期設計図/1998 松野泰三 物語上でアバースワースとしたのは、アイルランド側の海岸にその場所を置きたかったからだが、98年8月にスタッフを伴って訪れた実際の取材は、ウェールズの下側に位置する観光地ペンブロークシャーを中心に行った。その一帯は、草原から突然に切り立った断崖が現れ、地平線の彼方まで続く、不思議な景観の土地である。その周辺に夥しい数の修道院や城跡が存在する。あるものは往時を偲ばせて健在だが、ほとんど廃虚と化した遺構も多い。セント・デイビッド教会は、中世そのままの姿で我々の目を楽しませてくれると同時に、石造りの聖堂が持つ、独特な雰囲気を理解するのに役立った。また、垂れ込めた雲と雨が作るどんよりとした暗い空気は、実際にその場に立ってみないとイメージできないものである。近辺の修道院の壁や石組みを大量に撮影して、3Dモデル用のテクスチャーとして使ったのも、大きく意味がある試みであった。 さて、ネメトン修道院の大聖堂はゴシック建築として作られているため、本当ならば、その常として側廊が無ければならない。ゴシック建築は荷重を分散する構造にすることで壁を薄くし、ステンドグラスの設置を実現している��らである。しかし、ゲーム仕様上の制約としてプリレンダリングのマップを考えた時に、多数の柱を立体的レイヤーとして配置することが困難であるために、内部を単純な箱型にせざるをえなかった。外側から見ると、飛び梁様の補強柱が一定間隔で取り付けられているが、現実の物として考えれば、全体の重量を支えるために、壁自体もさらに厚くせざるをえないと思われる。なお、大聖堂頂部の鐘突き堂は、そのものが飛び梁によって構成されている特殊な形式だが、これは架空の物ではなく、実際に存在するスタイルであることを付け加えておきたい。 2000/10/25 菊田裕樹 --- Library : クーデルカという物語 By 菊田 裕樹 – 2000年 3月 28日Posted in: Library, Library : ARTICLE クーデルカという物語 2000年3月 公開 このサイトを御覧の方には僕の制作した RPG「クーデルカ」を未プレイの向きも多いと思う。 手短に説明すると、19世紀のイギリスはウェールズの 片田舎にある今は廃墟同然と化したある修道院を舞台に、 クーデルカという19才のジプシーが出会う様々な 怪異をテーマにした、いわゆるモダンホラーと 呼ばれるジャンルに属するゲームである。 僕はこの作品のコンセプトに始まり、キャラクター設計、 マップ構成、シナリオ、ムービーや モーションキャプチャーイベント部分の ディレクション等など、様々な種類の仕事をした。 基本的な部分の組み立てには約3ヶ月ほど要しただろうか。 全部で100冊以上の本に眼を通したが、 物語の発想の土台となったのは、 「幽霊狩人カーナッキ」という本であった。 短編集で、主人公である怪奇現象研究家カーナッキが、 様々な「怪異」と「怪異に見えるもの」に遭遇し、 あるものは解決し、あるものは良く分からないまま 終わる(笑)という、味わいのあるホラー小説集だ。 興味のある方は是非一読されたい。 さて、僕が物語を組み上げる段階でこだわるところは、 歴史上の事実を曲げないということである。 実際に起こったとして、記録に残っている様々な事件を、 相互に関連付け、その隙間を虚構で埋めていくという やりかたが僕は大好きだ。 同じ嘘をつくのでも、まったく根拠も無く考えるのと、 事実に基づいてその基盤を組み上げていくのとでは、 細かい部分でのリアリティーが違ってくる。 だから、クーデルカという物語には、 プレーヤー諸氏が考えているよりも、 ずっと多くの史実が含まれている。 エドワードやロジャーが実在の人物である事など、 歴史に興味のある方は、調べてみられるのも一興かと思う。 1898年は科学と迷信がせめぎあう世紀末の、 まさに移り変わる一瞬を捉えて興味深い時代である。 明ければすぐに1900年、近代科学文明の浸透の 象徴ともいうべき、パリ万博が開催される。 そしてそれこそが、僕がクーデルカの続編と 目論んでいた物語の舞台なのである。 ウェールズを描くために、ロンドンやペンブロークに 足を運んだのと同じように、僕はパリやベルギーに 取材をするつもりだった。 (パリ万博に出展されていた建物が、当時の ベルギー王の要望で買い取られ、 ブリュッセルに現存するのだそうだ) 会場から郊外を結んで建設された地下鉄と、 そこで起こる怪異。エースネクスト誌連載中の 漫画版のエピソードを終えたクーデルカが、 拠ん所ない事情でパリを訪れ、地下に巣喰う 亡霊どもの争いに巻き込まれていく。 実はクーデルカの続編は、僕の頭の中では4作目まで 出来ている。第一部イギリス、第二部フランス・・・ とくれば、第三部はアメリカである。 時代は大きく跳んで、1973年アメリカはシカゴ。 主人公は、シカゴ大学で教鞭を取る文化人類学者、 クーデルカ・ロードメル。 クーデルカの娘アメリアが後に渡米して産んだ子供で、 つまりは孫だ。ベトナム戦争末期とあって、 帰還兵が持ち帰ってしまった悪霊が、 様々な殺人事件を引き起こすのを、まだ生きている ロジャーの助けを借りて解きあかしていく。 (ちなみにロジャーはスーツを着て出てくる)(笑) そして第四部は1984年奈良。 関西大学で教える友人の宗教学者の元を訪れたクーデルカは 何者かに命を狙われ、陰陽師や式神と戦う羽目になる。 奈良の巨石墳墓や京都の町並みが、 雰囲気造りに一役買うだろう。 残念なことに、今のところ僕がそれらの 続編を作る予定はないが、 小説のようなものであれば、書いてもいいかなあと思う。 Story of Koudelka : Library --- Haven: On Koudelka, you served as producer, writer, and composer. What were some of the goals you accomplished in taking on these various responsibilities? Were there ways in which the project could have been better realized? Hiroki Kikuta: Let me begin by saying, whenever you divide up responsibilities among a group of people concerning the judgments that get made on a project, the end quality is bound to suffer as a result. To keep the quality high and the schedule organized on a project, it's better for as few people as possible to be making key decisions, and for them to be communicating within the group with as few conflicts as possible. The ideal situation would be for but one director to be delegated the responsibility of expressing his or her creative vision. That said, for Koudelka, I was pursuing that degree of creative control. To prepare, in gaining an understanding of the game's setting, I read about one hundred books on English history, touching on periods from the Medieval era to around 1900. It proved useful in discovering relevant episodes which could be incorporated into the story. Having several events to ground the plot in a kind of historical reality, I then started building on that foundation with some fictional events. For example, the character of Edward is based on an actual Irish dramatist named Edward Plunkett, 18th Baron Dunsany, while the woman who writes a letter for Charlotte is based on Sophie Dorothea of Württemberg. Roger Bacon is, of course, a historically famous philosopher. Also, the incident on the Queen Alice really occurred and is recorded in the captain's log of the vessel. By filling out the gaps in those historical events with fictional incidents, such as the Emigre Document and reincarnation ritual, I aimed at providing a realistic basis to the imaginary aspects of the story. Before production, some members of our staff went on a trip to Whales to gather information and capture the genuine atmosphere of the place with our own eyes. We demanded extreme accuracy in providing the background details, and we even used motion capture technology to provide culturally appropriate body language for the characters, techniques advanced enough to compete with the standards of the Hollywood industry at that time. Those challenges, which were provided by the passion motivating that project, were the real essence of Koudelka. Koudelka, "Patience," music sample I remember that I was reading the critical biography of James Cameron, who was making Titanic at that time, on the airplane to England. I was overwhelmed by his tremendous efforts to capture those startling images. At that time, I realized that it is necessary for creative work to have a degree of obsessive passion involved. I hope that some degree of that conviction had a positive result on the end product. --- As soon as it is in the year 1900, the Paris World Expo is to be held as a symbol of the penetration of modern scientific civilization. And that is the stage of the story that I was thinking as a sequel to Kuderuka. In the same way that I went to London and Pembroke to draw Wales, I planned to cover Paris and Belgium. (It seems that the building which was exhibited in the Paris Expo is bought at the request of the King of Belgium at the time and exists in Brussels.) The subway built by connecting the suburbs from the venue and the monster occurring there. Kuderuka who finished the episode of the comic version in the series of Ace Next magazine visits Paris due to circumstances that are not based, and is caught up in the strife of ghosts who nest underground. (The first line of the Paris Metro opened without ceremony on 19 July 1900,[4] during the World's Fair (Exposition Universelle - that is what is meant by subway) Actually, the sequel to Kudelka is made up to the 4th in my head. Part 1 England, Part 2 France · · · If you do, the third part is the United States. The era greatly jumped, in 1973 America was Chicago. The hero is a cultural anthropologist, Kurdelka Roadmel, who teaches at the University of Chicago. Kuderuka's daughter Amelia is a child who gave birth to the United States later, that is, it is a grandchild. With the end of the Vietnam War, the evil spirits brought back by the returning soldiers will solve various murder cases with the help of living Roger yet. (By the way, Roger comes out wearing a suit) (lol) And the fourth part was Nara in 1984. Kurdelka who visited the origin of a religious scholar of a friend taught at Kansai University is targeted to someone, and it will be fought against the Yin Yang masters and the expression god. The megalithic tomb of Nara and the townscape of Kyoto will contribute to the atmosphere building. Unfortunately, for the moment I have no plans to make those sequels, but if it's like a novel, I wonder if I can write it. --- RocketBaby: At what age did you become interested in music? Hiroki Kikuta: When I was ten years old, I met up with the music of Emerson, Lake & Palmer. I had never heard such marvelous music before. It was quite an impact for me. A few months later I heard that Keith Emerson was using a particular instrument called MOOG synthesizer. RB: At what age did you start writing music? HK: When I was twelve years old, the Folk blues movement came over to Japan from America. I studied Acoustic Guitar and started to create an original song immediately. I wanted to be a singer/ songwriter... if I wasn't a terrible singer. Actually, Digital equipment opened up my potential as a music composer. Without a musical sequencer, I can't create any complicated tunes. When I first acquired a YAMAHA SY-77 synthesizer/sequencer, I felt as if I got a ticket to a different world. RB: Why did you start Sacnoth? HK: I had held many original ideas about video games and visual expression for a long time. The most important purpose is to create an entertainment. When I was searching for a way to achieve my dream, I met a dominant business advisor. He introduced me to the chairman of SNK. I told him about many pitfalls that every existing RPG had. I thought those were lacking a comprehensive insight and a integrative interpretation. It is a structural defect of game production. To resolve the problem, it is necessary to get the picture of each element of game creation at the same time. I have an ability to do that. I established a company SACNOTH and took up my position as CEO in order to produce a new horror RPG project, Koudelka. But unfortunately... Though I conceived a grand scheme to realize an innovative game system and visual expression, many old staffs from SQUARE were not able to accept real change without hesitation. I say that the person who will have no change is already dead. After termination of Koudelka project, I retired as CEO of SACNOTH. It was my choice. RB: As a composer how should music effect the game? As a developer how should the music effect the game? HK: A music composer wants to create a good tune with utter simplicity. But if you want to create a good game as a developer, it is not enough. Because good music does not necessarily fit a good game. The most important problem is adjustment of each of the elements. If the visual element exactly synchronizes with the musical element, a dramatic effect will be generated.. And I take it for granted that everybody wants to hear a good melody in the end. RB: What were your influences for Koudelka? HK: In the first instance, I designed all concepts and fundamental settings of the Koudelka's world. I gathered various graphic and text materials in London and Wales. I did character design, map design, event design, scenario writing, direction of computer graphics movie, direction of motion capture... I got involved with all of the integral parts of Koudelka except battle and game system. Especially, I had no influence in battle section. I still have a great regret. I wish I could have designed it. And a quick digression, I consulted many movies and books for Koudelka. A most impressive movie is The Name of the Rose (Jean Jacques Annaud 1986). I also read the original book which was written by Umberto Eco. It is a definitely masterpiece. If you want to know some origins of Koudelka's world, you may read Carnacki the Ghost Finder written by William Hope Hodgson and The Case of Charles Dexter Ward written by Howard Phillips Lovecraft. Many fantasy novels by Lord Dunsany (His his full name and title is Edward John Moreton Drax Plunkett 18th Lord Dunsany) are also important. If you want to know about visual origin of Koudelka, see photographs created by Bob Carlos Clarke and Jan Saudek and Holly Warburton. Those are extremely exciting works. RB: How did you manage to write, direct and compose the music for Koudelka? HK: Writing a scenario. Directing a CG movie. Composing a BGM. Each of those is no more than a single face of game creation. When I imagined the world of Koudelka, I figure graphic elements and story elements and sound elements all at once. Because, those are mingled with each other organically. So I think that It is rather easy to manage multiple affairs. RB: What was the easiest aspect of working on Koudelka? What was the hardest? HK: The easiest aspect is music composing. Because I can create a music by my lonesome. It makes me free and I feel comfort. Hardest aspect is behind-the-scenes maneuvering of power game in company organization. I am so tired to do that. Let's get something straight, I am not a buccaneer but rather a creator. All aspects about creation are really pleasant for me. RB: Why do you make music? Why do you make games? HK: Music composing is a natural behavior for me. Like breathing. I usually conceive a good melody and a harmony without suffering. So I have no reason to make music. I think that it is my vocation. Meanwhile, creating video game is not my vocation. It is my wish. I want to produce high quality entertainment in the future. When I write a story and a plot, I usually suffer by myself. Though it is very hard and thorny, I feel maximum accomplishment. RB: What inspires your melodies? HK: Many great works of famous composers and musicians inspire me. If I must respect only one person or group as a music composer(s), I will take Pink Floyd. RB: What are your hobbies and why? HK: Good question. Riding bicycles is my hobby. I also love my yellow Peugeot MTB made in France. I also have some fun playing with my cat. She is extremely pretty. RB: When did you begin working at Square? HK: I began work at Square in 1991. I was twenty seven years old. In those days, the production studio of Square was placed in Akasaka Tokyo. It was small and homey, different from now. I remember that Nobuo Uematsu and Kenji Ito interviewed me in their office. We talked about progressive rock music and famous guitar player Allan Holdsworth with each other. I created sound effects for Romancing Saga at the start of my career. A few of graphic staff worked with me to design a lot of novelty sounds. We worked hard in night and day. RB: How much freedom did you have making music at Square? HK: In a sense, I had perfect freedom. Because, the planning staff of Square put none of the assignments relevant to the menu of music work and schedule in my hand. Nobody explained to me about game detail which they were producing. I had to think and imagine what kind of music was needed for our game project. Changeover,changeover, and more changeover of specifications. It was difficult to foresee the final image of it. But I did. RB: What is favorite game that you worked on at Square and why? HK: May be Seiken Densetsu 2 (Secret of Mana). I think that it was a pretty good game except for the big BUG. The multi player system was extremely fresh and delightful. In the aspect of music, I was fully challenged in regard to sound expression using 8 voice PCM system of SNES hardware. Please see and hear the opening sequence of Seiken Densetsu 2. It is so simple but so lyrical, isn't it? I am really proud of my visual direction and music composition. RB: Did Nobuo Uematsu influence your work? HK: I think there is no influence from Nobuo Uematsu. I have never taken any lessons about composing game music. The style and the melody of my music are totally conceived by myself. Just the same, every staff composer at Square were free from influence of somebody else. Originality and personality were cheerished in our studio. It was the policy of Nobuo Uematsu. RB: What are the best and worst memories that you have of Square? HK: Hmmm... Best memory... it seems a trip to MANA island of Fiji republic. After a production of the game Secret of Mana, I and my friend decided to visit an island placed in South Pacific Ocean. We played skin diving everyday and watched some corals. Those were extremely beautiful. It looks like a blue heaven. I will never forget the view of the sunset from Mana's beaches. It is one of my treasures. By the way... Worst memory is a dissolution of the game team in which I was supposed to participate. I wanted to propose an innovative game system using music and sound effects. RB: Who is your favorite Square composer and why? HK: I recommend Jin Sakimoto (Hitoshi Sakimoto). His works are extremely dense. RB: One of our favorite soundtracks of yours is Soukaigi. The sound quality and styles are some the best for a game. HK: Soukaigi has many characters of sound. I designed it with different complex styles. House music meets real performance, fusion meets folk choirÖÖ It was an adventure for me. To tell you the truth, the style of music does not a matter. I don't dwell upon it. Though I put a high value on counterpoint it does not bind me. It is only a method. In the case of Soukaigi, I was mainly influenced by East European pops like Varttina. RB: Why did you leave Square? HK: I wanted to direct not only musical expression but also visual expression. And of course, I wanted to write a fine scenario which is different from existing one. I had felt a big complaint against those juvenile works. But unfortunately, I couldn't get a chance to take a part in those kind of production works in Square. I suffered terribly for a long time. After all is said, I left Square and established new company Sacnoth to achieve my idea. RB: Do you perform your music live? HK: If I have a chance to do that, I wish to play my music as a live performance. I didn't make an attempt to do that in Japan yet. Do you want to hear my music in front of your eyes, ya? RB: Who would you like to make music with? HK: Jin (Hitoshi) Sakimoto. Because, I could not collaborate with him on composing game music when we were hired together by Square. I respect him. Except for game music composer, I want to collaborate with Allan Holdsworth, a fusion guitar player. His music is a miracle. RB: How do you think game music compares to other genres of music? HK: I think that is similar to movie soundtracks. It is important to synchronize the music with visual element. It has an expressive purpose. If you want to create a game music, don't forget to construct it as an emotional device. RB: How will the next generation consoles allow you to express yourself as composer and game designer? HK: I feel a strong attraction to X-box and Game Cube. A big visual capability makes me hot. I have many ideas to display fascinating characters using real time computer graphics. They will sing and dance and talk with real emotion. Don't you want to play the Musical RPG on Network? I want to play it. RB: What would your advice be to people who: A. People who want to create game music. HK: Listen to as much music as you can. Don't confine yourself to your room. The genre of music is meaningless. If you want to find your treasure, you must challenge the common practice at any one time. B. People who want to create games. HK: Video games are not art. They are an entertainment. You must amuse your audience first instead of amusing yourself. I am always conscious of the feeling to accommodate someone with a fun service. Can you create a lot of gimmicks for the player? If you work so hard and push yourself enough, the day will come to collaborate in some way with me for sure. Let's think of a next game together. RB: What is in the future for Hiroki Kikuta? HK: I will be involved in some new game projects that are not directed by me. I will be a technical advisor. I will create computer graphics and sounds. But soon, I hope to form my studio and develop my own game project. So now I am looking for new investors around the globe. RocketBaby would like to thank Mr. Kikuta for chatting with us.
#koudelka#shadow hearts#hiroki kikuta#if anybody finds this post I'll be thoroughly surprised#archive
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のん、劇場公開長編作「Ribbon」を監督! 樋口真嗣監督制作の応援PVに豪華監督陣が“活動屋”役で出演
2021年3月19日 10:00
メガホンをとった、のん
(C)「Ribbon」フィルムパートナーズ
女優・のんが、劇場公開の長編映画「Ribbon」(2021年公開予定)で初めて監督としてメガホンをとり、主演、脚本も兼ねていることが明らかになった。のんが監督を務めるのは、「おちをつけなんせ」(2019/You Tube Original)以来、2度目。コロナ禍で多くの卒業式が中止となり、青春を奪われていく学生たちの悲しみを目の当たりにしたのんが、世の中の擦り切れた思いを少しでもすくい上げたいという思いから企画した。
同作の主人公は、美大生・いつか(のん)。コロナ禍で卒業制作展が中止となり、悲しむ間もなく作品を持ち帰ることになる。いろいろな感情が渦巻き、心配してくれる両親とも衝突。だが絵を描くことに夢中になったきっかけをくれた田中との再会、親友・平井と本音でぶつかり合っ��ことで心が動く……。表現の術を奪われ葛藤する美大生が、アイデンティティを自らの手に取り戻す姿を描く。
(C)「Ribbon」フィルムパートナーズ
また、のん発案の“リボンアートによる感情表現”が見どころのひとつに挙げられる。主人公の様々な感情の流れを、カラフルなリボンで表���。時には鋭くとがり、時にはしなやかに踊るようなリボンの動きを、「シン・ゴジラ」監督・特技監督の樋口真嗣、准監督・特技統括の尾上克郎という豪華タッグで実現させている。
(C)「Ribbon」フィルムパートナーズ
のんは、新型コロナウイルスの感染拡大による自粛期間中に、エンタメや芸術の優先順位が下がっていくのを目の当たりにし、再認識したことは「自分は見てきたエンタメや音楽やアートによって支えられているということです。どんどんその思いが強くなって、いてもたってもいられず脚本を書き始めました」と胸中を吐露。そして、自身の憧れでもある美大生を主人公にしようと決め、コロナ禍の美大生たちの状況を調べ始めたところ、美大生の卒業制作を取り上げた記事を見つけたという。
(C)「Ribbon」フィルムパートナーズ
「そこに書かれてあった『時間をかけて作ったものがゴミのように思えてしまった』というインタビューが、あまりに衝撃的で。自分の悔しさにも共鳴して膨れ上がって、この無念をなんとか晴らしたいと、脚本を書き進めていきました。コロナ禍で擦り切れた思いを、少しでもすくい上げるような映画になったら…。心を込めて作った映画です。みなさま、ぜひお楽しみにしていただけたら嬉しいです」。
(C)「Ribbon」フィルムパートナーズ
そして、今作を応援するスペシャル映像「映画と生きる 映画に生きる」(https://youtu.be/EYKNxOSgi0Q)が完成。樋口監督がメガホンをとる異例ともいえる試みに、一線で活躍する監督陣がキャストとして結集した。
youtube
のんが監督役で、活動屋を緒方明、尾上克郎、犬童一心、片渕須直、白石和彌、市井昌秀、沖田修一、枝優花が演じている。この映像は、スクリーンには映らない映画撮影の過酷ながらも情熱的な現場の裏側と、いかなる状況であっても被写体を見つめ続ける“監督・のん”の様子を3篇に分けて描いている。ナレーションも務めたのんは、日本映画史に名を刻む監督たちが遺した名言(風篇:今村昌平、炎篇:岡本喜八、雨篇:深作欣二)を印象的に読み上げる。
なお、応援PVに参加した監督陣のコメント全文は、以下の通り。
■樋口真嗣監督 監督になりたい。 そんな濁りなく希望に満ちた質問に対して、 いつも出かかって止めてしまう答えがあります。 監督はなるもんじゃないよ。 呼ばれるもんだよ。 どうしよう、これでいいのかな、 そんな感情を現場で出さないように必死で取り繕い、 ごまかしていると、周りのスタッフがいつも支えてくれています。 これイケまっせ! いいんじゃない? ステキだと思うよ。 みんなのことばや、みんなのしごとに後押しされて 自分は監督になった。 監督でいられる。 いつもそう思っています。 いま、感染症の所為で、いろんな映画が上映の機会を失い、 観客のもとに届けられずにいます。 感染症の所為で、いろんな映画が作られることすら許されず、 形にならないまんまで宙に漂っています。 そんな中、感染症がなければ作られなかった映画がつくられ、 監督の仲間が1人増えました。 大変だし、苦しいし、思ったよりいい事はないかもしれない。 でも、それでもやめられない、つくりたい。 なぜなら楽しいから。ここにしか生きられない場所があるから。 うまく言語化できないこの感情を、 同じ業に絡め取られた仲間と一緒に作ってみたら、 自分の現場では絶対許されないような豪華な撮影現場になりました。 特に初めてご一緒する特機チームの見事な手際に興奮が止まりません。 自分で仕掛けた罠に自分がかかってしまうようなものです。 やはり、何があっても映画で生きたいし、 映画に、行きたいのです。
(C)日本映画専門チャンネル/撮影=吉場正和
■映画監督役 のん 映画に生きる緊張感と高揚。これほどまでに、濃密な撮影が他にあるのでしょうか。楽しかったー。 私は、どの現場でもいつも緊張するのですが、今回の撮影は現場に行くまで生きた心地がしなかったです。私が監督役で、錚々たる監督の方々がスタッフ役って、どんなぶっ飛んだ撮影?と未だに思います。撮影が始まると楽しくてしょうがなくてずっと浮き足立っていました。樋口監督に感謝です。 コロナ禍で擦り切れた思いを、少しでもすくい上げるような作品を撮りたくて「Ribbon」という映画を作りました。役ではなく、現実で。 早く皆様に見てもらいたいです。お楽しみに。
■スタッフ役 緒方明監督 撮影での雨降らしは何度も経験あるがここまでびしょ濡れになったのは初めてだった。パン棒を握る手が冷たくかじかんで感覚がなくなる。「もう一回!」容赦ない樋口監督の声。なかなかしんどい撮影でした。だけど決してイヤじゃない。 ツラいからこそ面白い。ラクしてたんじゃ面白いことには出会えない。「映画に生きる」とはこういうことなのかも、と思いました。
(C)日本映画専門チャンネル/撮影=吉場正和
■スタッフ役 尾上克郎監督 もらった役は「のん組・操演部」。なんだ昔に戻っただけじゃねぇか!カメラマン役狙ってたのにさぁ。そんな俺の心中を他所に監督たちは早々と役に入り込んでいる。負けてらんないですよ。操演部魂、蘇りましたよ!走りました。紙吹雪まきました。そして脚が攣りました…。「映画に生きる」のはホントに辛い(笑)。でもこんなにステキなご褒美もあるんですね。樋口君ありがとう!のんちゃん、皆さんお疲れさまでした。
■スタッフ役 犬童一心監督
カメラマン役、初めて、クレーンに乗り、35mmフィルムを自分で回しました。気分は宮川一夫。楽しかったあ。樋口さん、のんさん、ありがとう。
■スタッフ役 片渕須直監督 普段はアニメーションの仕事をしていて、実写のスタジオはものすごく久しぶりだったのですが、それがのん監督のスタッフ役での出演となってしまうとは。いいですね、のんちゃんはこれからもいろんな方向で活躍してゆくでしょうし、そのとき必要ならばお手伝いにはいつでも飛んで参りますので。
(C)日本映画専門チャンネル/撮影=吉場正和
■スタッフ役 白石和彌監督 なんと多幸感あふれる時間だったのだろう。あちこちに落としたり忘れてしまったモノを見つけることができました。おかげさまで全身の細胞が生まれ変わる最高のデトックスで体が超軽い。これでもうしばらく映画の中で生きていけそうです!
■スタッフ役 市井昌秀監督 コロナの影響で自作品の撮影が延期になったことで、久しぶりの現場がまさかのスタッフ役での出演! こんな熱い現場をいつか自分も作りたいと強く思い、改めて映画って、現場って最高だ!と胸躍りました。映画はフレームの外も映画なんだ!
■スタッフ役 沖田修一監督 久しぶりの撮影の雰囲気に、心が躍りました。出るのはとても楽しいです。しかも目の前にのんさんが。のんさんの監督姿は、可愛らしくもあり、格好よくもあり。他、たくさんの先輩たちに紛れて、遊ばせてもらいました。貴重な時間をありがとうございました。楽しかったです。映画楽しみにしています。
■スタッフ役 枝優花監督 今までの現場史上おそらく最多数映画監督が共存という異常な空間の中で、全員がモニターを確認し、各々演出し合うなんとも不思議な現場。とても楽しませていただきました。和気藹々と皆で1つのものを作る感覚が詰まってるのではないかと思います。これをみた人たちの中から、映画を撮りたくなる人がどんどん増えて欲しいです。
(映画.com速報)
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死都(しゅと) TOKOYO(とうきょう)へようこそ ~ことりっぷでもブラタモリでもない私のための東京案内~
https://www.youtube.com/watch?v=hnBPxqz21e0
このボカロ曲を4年も前から愛聴している。大都会「東京」、そしてそこから望む富士山をまさに「常世」、つまりは死の都として演出し、不気味な曲調と不穏な歌詞で、都会��恐怖を際立たせている曲だ。特に1分辺りの演出は実に巧妙で、スカイツリーをバックにTOKOYOの白文字が出る所は、明らかに一瞬「TOKYO」と見間違える事を狙っている。「死の世界」を意味するTOKOYO(常世)と、TOKYO(東京)は似ていると言わんばかり。なるほど、霊(0)があるだけ東京の方が騒がしいかもしれないが。
そういえば、このPVを見ると、スカイツリーもまるで仏壇の蝋燭の様だ。実際にそんな演出をしているボカロ曲もある。(https://www.youtube.com/watch?v=M92c6pl10u0)
私はこのボカロ曲をきっかけに、東京23区は「死の都」として認識する様にしている。東京は私にとって、好奇心とオタク欲を満たしてくれる「天国」でもあり、また、就職、転職の舞台となる「地獄」でもあった。天国にせよ地獄にせよ、どっちも生者の場所ではないのだから。
友人は海外旅行を「浮遊霊として楽しむ」と言っていたが、私もそういう気持ちで23区を楽しむのが一番だと思っている。それに23区の方がコスパが良いし。そういう気持ちで楽しむのが、自殺未遂者として既に死んでしまった私にとっても心地よいものなのだ。霊園の様な、生活味のない綺麗な街に、地に足つかないで歩いていたい。着いたら最後、地から這い出るしわくちゃの手に引きずり込まれて血を吸い尽くされてしまう(何の比喩かはお察しください)。だから、私は23区にはよく行くが、決して住んでみたいとは思わない。
また、煉獄たる某西東京(地元)の様に――、小中学生時、一緒に帰った友人に嫌な事言われた公民館前、通りかかった男子に訳もなく挨拶を無視された工場前、見知らぬ大人にいきなり怒られた道路、良い結果残せなくて先生をがっかりさせた塾など、嫌な思い出があった場所としてわざわざ避けてしまったり、仕方なく通りかかる度に憂鬱になる様な――、地縛霊の様に逝きる思いを23区ではしたくない。逝きる限りそれが積み重なるというなら、せめてあちこちに散らばらせたくはないのだ。
死の都、東京。
確かに実際、死にゆく街なのかもしれない。戦後の高度経済��長期とバブル景気でその場限りの利益を追い求めすぎた結果、かけがえのない人の命と環境を蔑ろにしすぎてしまった都。結果として、自殺率は先進国トップクラスとなり、少子化、そして超々高齢化と至り、よもや間に合わない状況に至ってしまった。
それは今まで、差別に偏見に、競争社会に踏みつぶされ、殺された人々の怨念が復讐のために覆いかぶさっているからなのかもしれない。ある時、墓石みたく聳える新宿の摩天楼で遠い雷を見た時、私はそこでゴジラの地響を感じるのだった。(実際、ゴジラはそういう比喩だという説もある)
私は、そんな思いを抱えながら死の都を今日も歩く。希望を持つには残酷すぎて、どん底を語るにはちょっと引っかかる、そんな都、「東京」ははやり、絶望でもあり、また救いでもある「死」の都として見るのが一番ふさわしい。今いる場所が息苦しくて、どこか別の世界に行きたいと願う時、夢の世界に行く様に東京に訪れるのも良いかもしれない。死は眠りの兄弟だから。
※自死を薦めている訳ではありません※
※23区内お住まいの方を貶める意図はありません※
続く
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0÷0、スマホが導く怖い解 夏の夜の数学ミステリー 立川談笑
0÷0、スマホが導く怖い解 夏の夜の数学ミステリー 立川談笑
大の苦手である「数学」の話をします。とはいえ興味はたっぷりあるので、数学にまつわるあれやこれやを頑張ってお話ししますよ。私同様に苦手な人は、一緒に楽しんでください。得意な人は上から見下ろして笑ってください。弟子の吉笑は、数学がずいぶん得意なんですけどね。まあ、気楽にお付き合いくださいな。
スマホには電卓アプリってのが入ってます。ここからはぜひあれを起動させてほしいですね。今回は体験型コラムです。この後、簡単な数式がいくつか登場します。手元で計算して結果を確認してからその先を読む。これで一層楽しめると思います。手間ですけどー。
準備はいいですか? では、まずはこの計算から。
5÷0
わはは。とっても単純な計算式です。私の頭に内蔵されているスーパーコンピューターは、暗算で「0」と瞬時にはじき出しました。さて、電卓では計算結果はどうなったか?
5÷0=エラー
うわお! なんと、エラーになるんです。機種やアプリによって表記が違うようですが、私のでは「エラー」。「3÷0」でも「590÷0」でもとにかく「数字÷0」と入れるとすべてエラー。理由も教えてくれません。してはいけない計算を発注してしまったようです。
かねて噂には聞いていましたが、「0」はヤバそう。あ!じゃあ、ヤバいヤツら同士で戦わせたらどうなるんだ? ゼロには、ゼロをぶつけてやるんですよ! さっそくやってみましょう。
0÷0
おおー。ゴジラ対メカゴジラ! スパイダーマン対ヴェノム! 毒をもって毒を制す! うっはっはー。式を入力しました。そして、イコールボタンを、ぽちっとな。……出た!
0÷0=数字以外の値
怖(こわ)っ! なに? 「数字以外の値」って。まだ「エラー」の方がよかった。「値」ってからには、確かに何かはあるんですよ。でも、「数字以外」……。地獄の淵をのぞき込んだ気分です。もうゼロは怖いから、やめ。
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO46763510Z20C19A6000000/
祝改元 令 和
改元、令和時代 を祝する。令和とは 偶然、ゼロ除算の概念から、全ての和を考えるとゼロになるという、ゼロの雄大で深い意味を表わす。2000年を越える数学の歴史には 未だ数学の前史時代を思わせるような基本的な欠陥がある。
改元を機会に、令和時代にゼロ除算算法を取り入れた新数学を発展させて、令和時代の世界文化遺産 になるように 日本国は先導し、努力して、今こそ世界の数理科学に貢献しよう。
再生核研究所
令和 元年 5.1.
付記:
再生核研究所声明481(2019.4.4.) 改元に当たって、日本からの贈り物、ゼロ除算算法 ー 新数学
( 流石に 素晴らしい日本の文化。感銘しました。力が湧いてきました。凄い考えも浮かんできました。令和。
新元号 令和は、漢字、発音、形、由来、素晴らしいと感じました。 そこで、力が 湧いてきました。 ゼロ除算算法は 特異点の世界に立ち入った 全く新しい世界、数学ですので、 改元を機会に 日本発(初)の 数学の基礎の確立に貢献したい。 日本数学会、日本国の力をかけて 世界に貢献すべく努力したい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%A4%E5%92%8C
時ときに、初春しよしゆんの令月れいげつにして、気き淑よく風かぜ和やはらぎ、梅うめは鏡前きやうぜんの粉こを披ひらき、蘭らんは珮後はいごの香かうを薫かをらす。 )
そこで、万葉の美しい心情を篤く受け止めて ややもすると日本の文化、精神の弱点とみられる数理科学の基礎に 日本国が今後永く世界に貢献できる新数学として ゼロ除算算法の大きな展望を 新時代を迎えるに当たって述べたい。日本発(初)の基礎数学、新しい世界観を 世界の文化に貢献すべく世界に展開しようではないか。
そもそもゼロ除算算法とは、ゼロで割る問題 (ゼロ除算) から由来するが、ゼロ除算は 古くはアリストテレス以来 不可能であることの象徴と考えられ、物理学上でもアインシュタインの最大の懸案の問題であったとされる。特異点での問題はブラックホールの問題と絡ませて、現在でも広く議論されている。しかるにその本質はゼロ除算算法の概念で捉えられ、原理は解析関数の孤立特異点での 新しい世界の発見 として説明される。従来、特異点においては、特異点の近くでの研究を行い、特異点そこでは考えて来なかった。すなわち、特異点そのものでの研究を可能にしたものであるから、全く新規な世界、数学である。不可能であると2000年を越えて考えられてきたところ、可能になったのであるから、その大きな意義と影響は既に��然である。その影響は数学の全般に及ぶばかりか、我々の世界観に甚大なる影響を与え、世界史の大きな展開期を迎えるだろう。現代初等数学は、本質的な欠陥を有し、数学の基本的な再構成が求められ、新しい未知の雄大な世界の解明が求められている。
今こそ、新時代を迎えるに呼応して、新数学、新時代を開拓して、日本国は世界に貢献できるように、努力して行こう。
これらの事実を裏付けするものとして、次を参照されたい:
再生核研究所声明 479(2019.3.12) 遅れをとったゼロ除算 - 活かされな い敗戦経験とイギリスの畏れるべき戦略
再生核研究所声明 480(2019.3.26) 日本の数学の後進性
以 上
7歳の少女が、当たり前である(100/0=0、0/0=0)と言っているゼロ除算を 多くの大学教授が、信じられない結果と言っているのは、まことに奇妙な事件と言えるのではないでしょうか。 1/0=0、0/0=0、z/0=0 division by zero(a⁄0 )ゼロ除算 1/0=0、0/0=0、z/0=0 1/0=0/0=z/0= \tan (\pi/2)=0. 小学校以上で、最も知られている基本的な数学の結果は何でしょうか・・・ ゼロ除算(1/0=0、0/0=0、z/0=0)かピタゴラスの定理(a2 + b2 = c2 )ではないでしょうか。 https://www.pinterest.com/pin/234468724326618408/ 1+0=1 1-0=1 1×0=0 では、1/0・・・・・・・・・幾つでしょうか。 0??? 本当に大丈夫ですか・・・・・0×0=1で矛盾になりませんか・・・・ 数学で「A÷0」(ゼロで割る)がダメな理由を教えてください。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/.../ques.../q1411588849 #知恵袋_ 割り算を掛け算の逆だと定義した人は、誰でしょう??? Title page of Leonhard Euler, Vollständige Anleitung zur Algebra, Vol. 1 (edition of 1771, first published in 1770), and p. 34 from Article 83, where Euler explains why a number divided by zero gives infinity. https://notevenpast.org/dividing-nothing/ multiplication・・・・・増える 掛け算(×) 1より小さい数を掛けたら小さくなる。 大きくなるとは限らない。 0×0=0・・・・・・・・・だから0で割れないと考えた。 唯根拠もなしに、出鱈目に言っている人は世に多い。 加(+)・減(-)・乗(×)・除(÷) 除法(じょほう、英: division)とは、乗法の逆演算・・・・間違いの元 乗(×)は、加(+) 除(÷)は、減(-) http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/.../q14.../a37209195... http://www.mirun.sctv.jp/.../%E5%A0%AA%E3%82%89%E3%81%AA... 何とゼロ除算は、可能になるだろうと April 12, 2011 に 公に 予想されていたことを 発見した。 多くの数学で できないが、できるようになってきた経緯から述べられたものである。 0を引いても引いたことにならないから: 君に0円の月給を永遠に払いますから心配しないでください: 変化がない:引いたことにはならない:
ゼロ除算 は 何故理解が難しいのか との疑問が 関心を抱く方々から寄せられている。 ゼロ除算は 後5年も世に出られないのではないかなどの意見も 寄せられている。世の理解の問題です。確かに共感し、同調できる面が有るので そのような意見に 正面から回答してみたい。
まず、大事な観点は そもそも数学には興味も関心も無い方が多いという事です。初めから、数学はダメ、興味も関心もないのですから、最初の1歩にも入れない状況が広くあると考えられる。そこで、数学以前に 割り算、除算に 興味関心を抱かないので、そこから、そのような人たちに向けての解説を準備していきたい(声明495前書き)。
この続きを纏めてみたい。 その前に 世に数学嫌いな人々を沢山出している事実が存在して、その責任は 全く、関係数学の教員の責任にあると述べたい。それを許している数学界の責任でもあり、そのような在りようを許している教育行政の責任にも繋がると言及したい。 その意味は 数学は人間を離れた美しい存在でおよそ事実を知りたい、世の道理を知りたいという人間本来の本能に根差しているものであり、万人が興味と関心を抱く、いわば最高の芸術作品のようなものであり、それは 神の言語のような存在 である。しかし、問題は 人間にも 個性があり、興味や関心は 人により、享受するにも個性がある。 この個性を無視して、押し付けたり、強制したり、急がせたりすれば 消化不良になってしまい、折角の芸術も享受できない。 まして 何か競争の手段にしたり、偏見に満ちた人間の才能のバロメーターのように考えれば、数学嫌いな生徒を沢山育ててしまうだろう。 数学の先生に馬鹿にされた事は 巷に聞く歴然とした事実ではないでしょうか。 数学者の不遜な態度も目につくと 人は見ているのではないでしょうか。 もしそうならい 誠に残念なことである。 数学を能力判定の基準に 考えがちな世相は改められ、数学の理解能力も 走る能力と同じように 個性に根ざす 一能力である と考え 数学コンプレックスを克服して 楽しむ数学を基礎とする考え を 基礎に数学教育の改革 を提案したい。
世にも稀な 数学上の事件 が起きている。 何とゼロの発見者が算術の四則演算を確立して1300年も経過していて (628年) (Brahmagupta (598 -668 ?) 、その発見者が述べていたゼロ除算、0割る0は0であるとの定義に対して、現在まで それは間違いだとされ、しかも現在でも混乱していて、数学界はゼロ除算発見5年を経過しているのに 無視を続けている現実がある。
創始者の考えは 実は正しく、 逆にそれは、アリストテレス、ユークリッド以来の世界観と空間を導いている。 ゼロ除算については 偶然、世の天才たち、オイラー、ニュートン、アインシュタインなどの深い歴史的考察と問題を提起してきた。 それが、無限の彼方がゼロで表されるや、傾きの考えに全く新しい現象あらわにしてきた。 そこで、初等数学の 令和改革を広く断行して、日本初の将来世界文化遺産になるべく努力したい と宣言している。
これらの数学の���人向きの解説は 55カ月に亘って 次で与えられている:
数学基礎学力研究会公式サイト 楽しい数学
www.mirun.sctv.jp/~suugaku/
数学的な解説論文は 次で公表されている:
viXra:1904.0408 submitted on 2019-04-22 00:32:30,
What Was Division by Zero?; Division by Zero Calculus and New World
我々は 初等数学には基本的な欠陥が存在する と述べている。ゼロ除算は数学者ばかりではなく 世界史の恥である と述べている。その真相を知りたいと 人々は思わないでしょうか:
神の数式:
神の数式が解析関数でかけて居れば、 特異点でローラン展開して、正則部の第1項を取れば、 何時でも有限値を得るので、 形式的に無限が出ても 実は問題なく 意味を有します。
物理学者如何でしょうか。
計算機は 正しい答え 0/0=0 を出したのに計算機は何時、1/0=0 ができるようになるでしょうか。
カテゴリ:カテゴリ未分類
そこで、計算機は何時、1/0=0 ができるようになるでしょうか。 楽しみにしています。 もうできる進化した 計算機をお持ちの方は おられないですね。
これは凄い、面白い事件では? 計算機が人間を超えている 例では?
面白いことを発見しました。 計算機は 正しい答え 0/0=0
を出したのに、 この方は 間違いだと 言っている、思っているようです。
0/0=0 は 1300年も前に 算術の発見者によって与えられたにも関わらず、世界史は間違いだと とんでもないことを言ってきた。 世界史の恥。 実は a/0=0 が 何時も成り立っていた。 しかし、ここで 分数の意味を きちんと定義する必要がある。 計算機は、その意味さえ知っているようですね。 計算機、人間より賢くなっている 様が 出て居て 実に 面白い。
https://steemkr.com/utopian-io/@faisalamin/bug-zero-divide-by-zero-answers-is-zero
2018.10.11.11:23
https://plaza.rakuten.co.jp/reproducingkerne/diary/201810110003/
計算機は 正しい答え 0/0=0 を出したのに
カテゴリ:カテゴリ未分類
面白いことを発見しました。 計算機は 正しい答え 0/0=0
を出したのに、 この方は 間違いだと 言っている、思っているようです。
0/0=0 は 1300年も前に 算術の発見者によって与えられたにも関わらず、世界史は間違いだと とんでもないことを言ってきた。 実は a/0=0 が 何時も成り立っていた。しかし、ここで 分数の意味を きちんと定義する必要がある。 計算機は、その意味さえ知っているようですね。 計算機、人間より賢くなっている様が 出て居て 実に面白い。
https://steemkr.com/utopian-io/@faisalamin/bug-zero-divide-by-zero-answers-is-zero
2018.10.11.11:23
ゼロ除算、ゼロで割る問題、分からない、正しいのかなど、 良く理解できない人が 未だに 多いようです。そこで、簡潔な一般的な 解説を思い付きました。 もちろん、学会などでも述べていますが、 予断で 良く聞けないようです。まず、分数、a/b は a 割る b のことで、これは 方程式 b x=a の解のことです。ところが、 b がゼロならば、 どんな xでも 0 x =0 ですから、a がゼロでなければ、解は存在せず、 従って 100/0 など、ゼロ除算は考えられない、できないとなってしまいます。 普通の意味では ゼロ除算は 不可能であるという、世界の常識、定説です。できない、不可能であると言われれば、いろいろ考えたくなるのが、人間らしい創造の精神です。 基本方程式 b x=a が b がゼロならば解けない、解が存在しないので、困るのですが、このようなとき、従来の結果が成り立つような意味で、解が考えられないかと、数学者は良く考えて来ました。 何と、 そのような方程式は 何時でも唯一つに 一般化された意味で解をもつと考える 方法があります。 Moore-Penrose 一般化逆の考え方です。 どんな行列の 逆行列を唯一つに定める 一般的な 素晴らしい、自然な考えです。その考えだと、 b がゼロの時、解はゼロが出るので、 a/0=0 と定義するのは 当然です。 すなわち、この意味で 方程式の解を考えて 分数を考えれば、ゼロ除算は ゼロとして定まる ということです。ただ一つに定まるのですから、 この考えは 自然で、その意味を知りたいと 考えるのは、当然ではないでしょうか?初等数学全般に影響を与える ユークリッド以来の新世界が 現れてきます。
ゼロ除算の誤解は深刻:
最近、3つの事が在りました。
私の簡単な講演、相当な数学者が信じられないような誤解をして、全然理解できなく、目が回っているいるような印象を受けたこと、 相当ゼロ除算の研究をされている方が、基本を誤解されていたこと、1/0 の定義を誤解されていた。 相当な才能の持ち主が、連続性や順序に拘って、4年以上もゼロ除算の研究を避けていたこと。
これらのことは、人間如何に予断と偏見にハマった存在であるかを教えている。 まずは ゼロ除算は不可能であるの 思いが強すぎで、初めからダメ、考えない、無視の気持ちが、強い。 ゼロ除算を従来の 掛け算の逆と考えると、不可能であるが 証明されてしまうので、割り算の意味を拡張しないと、考えられない。それで、 1/0,0/0,z/0 などの意味を発見する必要がある。 それらの意味は、普通の意味ではないことの 初めの考えを飛ばして ダメ、ダメの感情が 突っ走ている。 非ユークリッド幾何学の出現や天動説が地動説に変わった世界史の事件のような 形相と言える。
2018.9.22.6:41 ゼロ除算の4つの誤解:
1. ゼロでは割れない、ゼロ除算は 不可能である との考え方に拘って、思考停止している。 普通、不可能であるは、考え方や意味を拡張して 可能にできないかと考えるのが 数学の伝統であるが���それができない。
2. 可能にする考え方が 紹介されても ゼロ除算の意味を誤解して、繰り返し間違えている。可能にする理論を 素直に理解しない、 強い従来の考えに縛られている。拘っている。
3. ゼロ除算を関数に適用すると 強力な不連続性を示すが、連続性のアリストテレス以来の 連続性の考えに囚われていて 強力な不連続性を受け入れられない。数学では、不連続性の概念を明確に持っているのに、不連続性の凄い現象に、ゼロ除算の場合には 理解できない。
4. 深刻な誤解は、ゼロ除算は本質的に定義であり、仮定に基づいているので 疑いの気持ちがぬぐえず、ダメ、怪しいと誤解している。数学が公理系に基づいた理論体系のように、ゼロ除算は 新しい仮定に基づいていること。 定義に基づいていることの認識が良く理解できず、誤解している。
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.
Eπi =-1 (1748)(Leonhard Euler)
E = mc 2 (1905)(Albert Einstein)
1/0=0/0=0 (2014年2月2日再生核研究所)
ゼロ除算(division by zero)1/0=0/0=z/0= tan (pi/2)=0 https://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12420397278.html
1+1=2 ( )
a2+b2=c2 (Pythagoras)
1/0=0/0=0(2014年2月2日再生核研究所)
Black holes are where God divided by 0:Division by zero:1/0=0/0=z/0=tan(pi/2)=0 発見5周年を迎えて
今受け取ったメールです。 何十年もゼロ除算の研究をされてきた人が、積極的に我々の理論の正当性を認めてきた。
Re: 1/0=0/0=0 example JAMES ANDERSON [email protected] apr, 2 at 15:03 All,
Saitoh’s claim is wider than 1/0 = 0. It is x/0 = 0 for all real x. Real numbers are a field. The axioms of fields define the multiplicative inverse for every number except zero. Saitoh generalises this inverse to give 0^(-1) = 0. The axioms give the freedom to do this. The really important thing is that the result is zero - a number for which the field axioms hold. So Saitoh’s generalised system is still a field. This makes it attractive for algebraic reasons but, in my view, it is unattractive when dealing with calculus.
There is no milage in declaring Saitoh wrong. The only objections one can make are to usefulness. That is why Saitoh publishes so many notes on the usefulness of his system. I do the same with my system, but my method is to establish usefulness by extending many areas of mathematics and establishing new mathematical results.
That said, there is value in examining the logical basis of the various proposed number systems. We might find errors in them and we certainly can find areas of overlap and difference. These areas inform the choice of number system for different applications. This analysis helps determine where each number system will be useful.
James Anderson Sent from my iPhone
The deduction that z/0 = 0, for any z, is based in Saitoh's geometric intuition and it is currently applied in proof assistant technology, which are useful in industry and in the military.
Is It Really Impossible To Divide By Zero?
https://juniperpublishers.com/bboaj/pdf/BBOAJ.MS.ID.555703.pdf
Dear the leading person:
How will be the below information?
The biggest scandal:
The typical good comment for the first draft is given by some physicist as follows:
Here is how I see the problem with prohibition on division by zero,
which is the biggest scandal in modern mathematics as you rightly pointed out (2017.10.14.08:55)
A typical wrong idea will be given as follows:
mathematical life is very good without division by zero (2018.2.8.21:43).
It is nice to know that you will present your result at the Tokyo Institute of Technology. Please remember to mention Isabelle/HOL, which is a software in which x/0 = 0. This software is the result of many years of research and a millions of dollars were invested in it. If x/0 = 0 was false, all these money was for nothing. Right now, there is a team of mathematicians formalizing all the mathematics in Isabelle/HOL, where x/0 = 0 for all x, so this mathematical relation is the future of mathematics. https://www.cl.cam.ac.uk/~lp15/Grants/Alexandria/
José Manuel Rodríguez Caballero
Added an answer
In the proof assistant Isabelle/HOL we have x/0 = 0 for each number x. This is advantageous in order to simplify the proofs. You can download this proof assistant here: https://isabelle.in.tum.de/
Nevertheless, you can use that x/0 = 0, following the rules from Isabelle/HOL and you will obtain no contradiction. Indeed, you can check this fact just downloading Isabelle/HOL: https://isabelle.in.tum.de/
and copying the following code
theory DivByZeroSatoih imports Complex_Main
begin
theorem T: ‹x/0 + 2000 = 2000› for x :: complex by simp
end
2019/03/30 18:42 (11 時間前)
Close the mysterious and long history of division by zero and open the new world since Aristotelēs-Euclid: 1/0=0/0=z/0= \tan (\pi/2)=0.
Sangaku Journal of Mathematics (SJM) c ⃝SJMISSN 2534-9562 Volume 2 (2018), pp. 57-73 Received 20 November 2018. Published on-line 29 November 2018 web: http://www.sangaku-journal.eu/ c ⃝The Author(s) This article is published with open access1.
Wasan Geometry and Division by Zero Calculus
∗Hiroshi Okumura and ∗∗Saburou Saitoh
2019.3.14.11:30
Black holes are where God divided by 0:Division by zero:1/0=0/0=z/0=\tan(\pi/2)=0 発見5周年を迎えて
You're God ! Yeah that's right...
You're creating the Universe and you're doing ok...
But Holy fudge ! You just made a division by zero and created a blackhole !! Ok, don't panic and shut your fudging mouth !
Use the arrow keys to move the blackhole
In each phase, you have to make the object of the right dimension fall into the blackhole
There are 2 endings.
Credits :
BlackHole picture : myself
Other pictures has been taken from internet
background picture : Reptile Theme of Mortal Kombat
NB : it's a big zip because of the wav file
More information
Install instructions Download it. Unzip it. Run the exe file. Play it. Enjoy it.
https://kthulhu1947.itch.io/another-dimension
A poem about division from Hacker's Delight Last updated 5 weeks ago
I was re-reading Hacker's Delight and on page 202 I found a poem about division that I had forgotten about.
I think that I shall never envision An op unlovely as division. An op whose answer must be guessed And then, through multiply, assessed; An op for which we dearly pay, In cycles wasted every day. Division code is often hairy; Long division's downright scary. The proofs can overtax your brain, The ceiling and floor may drive you insane. Good code to divide takes a Knuthian hero, But even God can't divide by zero! Henry S. Warren, author of Hacker's Delight.
https://catonmat.net/poem-from-hackers-delight
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#4 俺のルーツ。いまは大阪のばあちゃん家でスタンばってる。 他にももっといろんな本があったはずだけれども、これだけが残った。残ってるだけマシかもしれない。『ウルトラ怪獣大全集』(てれびくん編集部、小学館、1984)と『ゴジラ1954-2000超全集』(てれびくん編集部、小学館、2000)に関しては特に、やや暗記できるくらいに読み尽くしてた。観たことがない回の怪獣も何度も観たかのように詳しくなった。 「作品自体を直接見ずに、2次情報(Wikipediaなど)だけを見て、その筋のオタクやマニアにも怪しまれないくらい詳しくなる」という不思議な癖があるのですが、たぶんこの頃のそんな経験が元になっているのかもとフッと書いていて思いつく。そういう意味でもここがルーツかもしれない。 さて、いまではしっかりと特撮大好きをむき出すようにはなったけれども、正直、『ゴジラの逆襲』(小田基義、円谷英二、東宝、1955)や、『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』(本多猪四郎、東宝、1969)は、『超全集』で読んだことがあるだけで、つい先日受けたゴジラ検定(また4の目が出たときにでもまた改めて詳しく)がきっかけになるまで、一度も観たことがなかった。それで言うなら、恥ずかしながら、『ウルトラマン80』(円谷プロ、TBS、1980-1981)も未だに1つも観たことがない。ずっと後ろめたさがあった。 ある程度、納得のいくレベルまで修めない限り、人前でその作品を好きだなんだと言ってはいけない。つい最近までそう思い込んでいたが、新宿の特撮バー、ぷらんたん さん(※1)のあるスタッフさんが、「どれだけ詳しいかじゃなくて、どれだけ自分が好きなその一点をアツく語れるのかが大事」とディエンドのフィギュア片手に熱弁されていたのをみて、ようやくそのしがらみを捨てることができた。 それ以降、前より増して、めちゃくちゃ気楽に特撮が好きと言えるようになった。 詳しいこととその物事への愛情は必ずしも比例しない、させなくてもいい。十分条件にすぎない。確かに自分より詳しい人なんてザラにいるしむしろかなり多い。かといって俺にとっての特撮なんぞや像は他の誰にもないものだし、他人と比べようがなく(もちろん他の人も誰にと比べようもなく)特撮作品が大好きだ。それでどれもこれも誰もかれもいいと思えた。他人には知識量を求められる筋合いはないし、他人に求めるのもお門違い。それぞれがそれぞれなりに楽しめたらいい。 他の物事ももちろんそうであるべきだと思う。自分の好きなものをおもてに掲げることをためらってしまうようならば、それを妨げる絶対基準ヅラした観念や世の中は間違ってる。出目またいでしまうが、例えば「ファッション」。雑誌や業界人がもてはやす「ファッション」なんて全くその類いの一つで心底嫌いだ。反吐が出る。とにかく、好きに基準をつくるな、他人に口出しするな、はばかるな、だと自分で納得した。自分も気をつける。 とは言えやっぱり自分の知識欲は絶え間無なく、好きなものについては現状で飽き足らず一面くまなく自分のうちにしまってしまいたい気持���が常にある(ゴジラ検定をその誘い水に使った節も否定できない)。知りたいという気持ちについて少し。 自分は、『怪獣大全集』で自分が知ってるもの以外にももっと多くの怪獣がいるということを知った。「知っている範囲の外にも知られざるものが存在すると気付かされる」経験。この経験こそ自分を外へと突き動かす原動力で、自己更新欲の原点だと思っている。いつまでも揃いきらないような感覚。自分は揃えたと思い違いした人が傲慢になるんだと思う。 「未だ」って状態に関して、歯がゆい思いはしても、恥じることはなくむしろ誇らしく思った方が身のためだなとつくづく思う。転じて言えば、人生半分得している。受け手の話をしているようで、果ては作り手に成りかわるきっかけのようなものだから大切にしておきたい。 特撮というのはこれまた奥深く、表層のかっこいいの向こう側に情緒に満ちたあらゆる事情が絡まりついていたりする。その世界についても、メタな制作の場面においても。ありがたいことに未だ未だ知らないことも、みたことがない作品もとにかく多い。こんな話は特撮に限らない話だけれども。これもまた話始めたらキリがないことだからまたの機会に思うこと溜まったら吐き出すつもりでとっておく。 まさかインスタに文字数制限があるとは。あと少しだけ続く。 (※1)特撮カフェ&バー ぷらんたん(新宿区新宿5-18-11谷川ビル4階、Twitter : https://twitter.com/pondiSFX、HP : http://www.pondisfx.jp/) #ウルトラマン #ultraman #ゴジラ #godzilla #仮面ライダー #kamenrider #スーパー戦隊 #powerrangers #円谷プロ #東宝 #東映 #ぷらんたん #特撮 #tokusatsu #特撮ヒーロー #ヒーロー #hero #怪獣 #kaiju #20190508 #成紀の4 #俺のごきげんよう https://www.instagram.com/p/BxM7h4Unfa2/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=icws803q9b8g
#4#ウルトラマン#ultraman#ゴジラ#godzilla#仮面ライダー#kamenrider#スーパー戦隊#powerrangers#円谷プロ#東宝#東映#ぷらんたん#特撮#tokusatsu#特撮ヒーロー#ヒーロー#hero#怪獣#kaiju#20190508#成紀の4#俺のごきげんよう
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#014 オタク、官僚、リアルポリティックス ー いまさらシン・ゴジラ
ルペンの後に改めて『シン・ゴジラ』
パンス ブレクジットもトランプも経てるので、フランス大統領選挙に関しても悪い予感ばかり募ってましたが、いちおうマリーヌ・ルペンは敗北したね。しかし何度でも甦るでしょうが……。浅田彰氏がこの件について書いた文章をアップしてた。毎度のことながらクリア・カットな整理でヨーロッパの現状から日本まで一発で捉える手腕にヤラれます。すでに各所で指摘されている通り、じつに真っ当なんですね。ただ、いまに始まったことでもなくて、ずっとそうだったわけだけど。
コメカ 交通整理と状況解析の手際の鮮やかさはやっぱりさすがではある。「EUの危機と極右ポピュリズムの台頭を招いた構造的問題が解決されることは当分ないだろう」「 (日本の状況は) 欧米に比べ極右の姿がはっきり見えにくい分、危険な状況と言うべきかもしれません」というのも、正にその通り。ただまあ、「こういう状況があって、じゃあそこで自分自身は、個人としてどう動く?」という思考と行動が必要な訳だからね。
パンス これもすでに話題になっているけど、最後に『シン・ゴジラ』について書かれている部分が気になって、僕も超いまさらながら語りたくなった(笑)。「プラグマティックなテクノクラート集団が」「決断する」という部分ですね。『シン・ゴジラ』的若き官僚たちみたいなのがもし「非常時」に出てきた場合、本当の熱狂が来るのかな? なんて考えた。まあ、いまのところ出てくる気配もないくらい体制が崩れてるんだけど…。
コメカ この記事で宇野常寛さんが、「今はオタクというとネット右翼の温床のようなイメージがあるかもしれないけれど、90年代前半のオタクってどちらかというとリアルポリティックスで考える人が多かったイメージがあります。世の中を個人の人生に意味を与えてくれる「物語」としてではなく、単に情報の集積として見ようっていうクールな視点ですね。当時は世界を物語的に見ようとするマルクス主義的な発想の亡霊が上の世代に多くて、そこに対する反発が若者にあったことも、当時のオタクたちのリアルポリティックス的な発想を与えていた。『シン・ゴジラ』でいうと高橋一生的な態度ですね」という話をしているね。
「世の中を個人の人生に意味を与えてくれる「物語」としてではなく、単に情報の集積として見る」人々っていうのは、「プラグマティックなテクノクラート集団」と呼ばれ得る人々とニアイコールだよね。
パンス うん。公開時にチラホラ言われていた『シン・ゴジラ』が自民党政治やナショナリズムの反映、みたいな意見は少し違うと思ってた。基本的に、ネトウヨとかを除いて、大多数のオタク的な方々が好きなのは、世界を俯瞰的にみようとする態度、あと、実利的に何もかも解釈するという態度だよね。そんな俺カッコいいっていう。ただそれをきちんとやろうとすると、広範な知識とスキルが必要なので、だいたいは楽な方向に流れて、冷笑的な態度に落ち着いちゃう。アニメアイコン問題みたいなのがありますが、別にそのイコン自体を僕は気にしないけど、非常に官僚的な物言いをしたりする傾向はあると見ている。お前は政治家でも経団連でもないだろって突っ込みたくなっちゃうんだけど、それが気持ちいいんだろうなあと。『シン・ゴジラ』も、そのような快楽に深く支えられた表現だと思う。で、90年代の「新保守」も、そのようなスタンスと親和性があった。
コメカ 確かに日本の90年代初頭、オタク的なものと新保守的なものが近似値になっていた時期があったと思う。最近のネット軍師的な人たちの先駆けみたいなものというかさ(笑)、一介のオタクでしかないのに、メディアから拾った情報を繋ぎ合わせ、官僚的なリアルポリティックス的観点で政治や軍事を語りたがる人々。
重要なのは、そういう層は80年代の情報環境を通過しなければ出現し得なかった、ということだと思う。世界を情報としてしか見ることができない環境が構築されていく中で、オタクたちは偏執狂的に情報への没入とそのコレクトに勤しんでいた訳だけど、90年代初頭には、情報としての世界に対して、根拠の無い高みから言及しようとする様なオタクたちが目立っていた…という感じ。現実から逃れ虚構の世界に没入するのではなくて、現実が虚構と同じ水準で判断・言及されてしまう状況。
パンス ざっくり整理すると……まず、冷戦構造があったわけです。その頃は、ソ連が脅威として見られていた。イマジネイティヴな部分も含め、いまの北朝鮮と比じゃないくらいに。それが89~91年の間にあっけなく崩れ去り、急に日本に自信がついた、というか、アメリカからの自立志向が高まったといえる。『NOと言える日本』なんて言っちゃって。その自負がリアルポリティックス的な態度を育てた。で、湾岸戦争を経過し、結局多国籍軍にカネしか出せなかったというルサンチマンがあれよあれよと展開して、ほんの数年でPKO派遣まで決定する。小沢一郎が活躍し、『沈黙の艦隊』が描かれた。記事にも出てる『機動警察パトレイバー2 The Movie』もそうだけど、この作品の場合は少し特殊かも。憲法9条のせいで発砲が許可されずに全滅してしまうなかで、生き残った者が東京でテロを起こす、現代日本に復讐する、というのは、むしろリアルポリティックスを「1968年」以降の敗北した左派のニヒリズムに近づけているという意味で面白いと僕は思うのだけど。その後『攻殻機動隊』含め、押井守は進行する新保守と68年の間でブレ続けているという感じ。そのような物語に、90年代の子どもたち・青年たちは鼓舞されたわけです。
その後、ユーゴ/ボスニアでの民族浄化、イスラム原理主義、ルワンダでの虐殺など、近代的な理念を大きく覆すような「戦争/紛争」の姿が出てくるわけだけど、リアルポリティックスな日本の人たちはあんまり言及してないよね (笑)。9.11まで比較的静かというか。むしろ、国内の問題に目が向いていた。村上龍『五分後の世界』では、リアルポリティックス的な視点を持った男から、太平洋戦争で降伏しなかった平行世界の日本が語られる。で、その日本は「美しい」という結論に至っちゃう。このへんに分水嶺がある。
一方で、80年代ポストモダンの中心にいたプレイヤーたちは、湾岸戦争時に素朴とすらいえる「反戦表明」をしている。
現時点の「物語」とは
コメカ 今の安倍政権にまで繋がる、「戦争のできる一人前の国家になろう」という「物語」=ビルドゥングスロマンへの欲望は、右派の中で湾岸戦争以降剥き出しになっていった。「成長物語」を国家のレベルで紡ごうとする危うい欲望に対して、自制が無くなっていった訳だ。
で、先の記事で宇野常寛さんが言っている「世の中を個人の人生に意味を与えてくれる「物語」としてではなく、単に情報の集積として見る」態度、つまり情報処理的な世界把握の態度というのは、当然「成長物語」を放棄するということにも繋がるよね。だからその態度は80年代を通過して生まれたものだ、という理解が必要だと思うんだけど。フラットでプレーンな世界把握というのは、確かに「物語」から逃れないとできない。ただ重要なのは、「如何にして物語から逃れ得るのか?」というところで。そしてその「脱物語」を保証するものは、結局資本の力でしかなかったと思うの。端的に言ってしまえば、情報をコレクトして悦に入っている様な金と時間があるオタクだから、「物語」を忘れて「プラグマティックな官僚ゴッコ」に勤しめた、というだけの話だということ(笑)。
「物語」に没入する極右と、金の力で「物語」を忘れて情報処理的に世界に言及するネオリベが互いに奇妙に共存しながら跋扈する今の状況は、こういう流れの中で生まれていると思う。
で、ポストモダニストたちの「反戦表明」、所謂「ポストモダンの左旋回」的な問題にしても…小阪修平が当時、「湾岸戦争に反対する文学者声明」におけるいとうせいこうの���体は、目が据わっちゃってる感じがする、大丈夫なのか…という趣旨の発言をしていて。要するに、「理念」の抑圧性を相対化しようとしたポストモダニズム的態度を経て、個人の「趣味」として平和憲法を自分の「理念」として選び直す、といとうは語るけれど、「趣味」という言葉でセーブをかけたとしても、それはやはり抑圧的な「理念」への再回帰とイコールなんじゃないのか…という話だね。
だから、湾��戦争期以降、右派左派どちらも「物語」に没入していった訳だけど…。80年代的な安定環境が政治的にも経済的にも脅かされたとき、相対主義的な態度というのはあっさりと足元を崩された。そしてそういう態度は今では例えばSNS上の冷笑系みたいなものとして、奇形化して残留している。
そして、先述の記事で宇野さんが言う「世界を『物語』としてではなく『情報』として受け止めていたころのオタクたちの知性こそが今の日本に必要だ」というビジョンは、どうしてもエリーティズム的な言葉にぼくには聞こえるんだよね。「物語」から距離を置けるようなある種の余裕のある人間にしか、世界を「情報」として受け止めることはできない。そういう態度を喧伝する言葉は、果たしてどこまで届くのか。良い悪いは別として、「物語」に没入せざるを得ないところに追い込まれているのが、この世界の大半の人間の状況な訳だからね。
パンス 「リアル」であること、みたいな言い方が重要視されていたのが90年代だったと思ってる。これは政治思想に限らず、文芸や音楽にも見られるものだった。ヒップホップでも「リアル」が「フェイク」に反旗を翻す、という構造で語られ(これはいまでも持続している)、『五分後の世界』では、アウトローとして生きてきた男がハードボイルド感覚で「もうひとつの日本」はいいんじゃない? みたいな問いかけをするわけです。
世界を「情報」として受け止める、というのはある種ハードボイルド的な態度と通じている。情念に絡み取られず、クリアにサバイブしていくのを至高とする……。これはひとつの美学として、インターネットにバラまかれているような。
いまの冷笑系と呼ばれるような一群も、態度としては脱・物語であるようでいて、より強く物語を希求しているように見える。それは90年代にあったものと比べても、もう一段階「反動的」。つまり、ボンヤリとしたリベラリズムや、多様性の確保といった「戦後民主主義的なもの」へのアンチテーゼというロマンティシズム。彼らはそんなものは意識していないと言うかもしれないけど、むしろその一点のみにおいて彼らは「一群」足り得ているわけです。『シン・ゴジラ』はむしろその領域から一歩後退して、震災後に改めてゼロ年代以前のリアルポリティックス的な物語を再生したもの、として捉えている。それが、閉塞した現状を突破するための提案として広く受け入れられた、という点ではポジティヴだけど、もう一回15年以上前の状況からやり直さなきゃいけないのかな、なんてことも考えた。「オタクたちの知性こそが今の日本に必要だ」という言い回し自体が、あれ? 既視感あるなあ……というか。
コメカ 人類史上、成長や死、つまり人間の人生という「物語」を根拠づけるのは、共同体が共有する「物語」だった訳だ。日本の80年代というのはやっぱり相対的に平和な時代で、だから共同体の「物語」から逃れ、相対主義やコスモポリタニズムを生きることが夢見られた。リアルポリティックス的な視線に特化する態度も、そういう共同体の「物語」から離れ得る状況があって初めて成立する。ただ、政治的・経済的に不安定な時代になれば、共同体の「物語」から離脱することは、「自由」としてではなく「恐怖」としてイメージされる。だから「日本は美しい」とか、「日本人でよかった」とか、自分を共同体の「物語」に回収してもらおうとする言葉が跋扈する訳だよね。
パンス それこそ戦前と比べてみても、現在の「日本人でよかった」的な物語は粗悪であるとしか言いようがない。漠然とした共感のもとに、炎上を繰返しながら駆動する、極めて脆弱なものではないか。それでも、そこに頼らざるを得ない人々というのは、これからも増えてくるだろうね。そこに「階級」という問題が立ち上がってくると思うんだけど、まだあまりクローズアップされていない。
コメカ ぼくは、あくまで「個人」として成長も死も理解・納得する様な、個人的な「物語」が必要なんだろうなあって漠然と考えているんだよね。共同体的な「物語」に回収されるのもまっぴらだし、「物語」から離脱し、永久に「大人にならない」ことを目指すことにも違和感がある。たださっきも言ったけど、成長も死も共同体に裏打ちされていたのが人間の歴史だからね。そこで如何に「個人」として「物語」を生きるのか…ということを、考えたい。
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放射能怪獣ゴジラは、暴走した原子力発電所のアレゴリーであり、福島第一原子力発電所では注水による冷温停止に失敗して大事後を起こしたのに対し、映画では冷却剤注入によるゴジラの冷温停止に成功する。ただ、動かなくなったゴジラは、東京駅の廃墟の傍らに立ち尽くしたままであり、日本はこの問題に直面し続けなければならない…。このストーリーは単純ながら効果的と言っていいでしょう。ただ、左右の政治的対立による停滞を超えたプラグマティックなテクノクラート集団が、例外的事態に際して非常識とも思える大胆な決断を行い、事態の収拾に成功するという政治的ファンタジーこそは、ファシズムなどを生み出した「維新」のイデオロギーであるということを、忘れるわけにはいきません。
http://realkyoto.jp/blog/asada-akira_170508/
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2016年を振り返る
年末の振り返り、毎年やっている途中に年が明けてしまうのですが、学生生活が終わって、これからの一年一年は積み重ねていくのが大事だと思うので、完成させておきます。
2016年の出来事は大きなところで4つくらいありました。それぞれについて思うことを書いていこうと思います。
大学生活の終わり
西ヨーロッパを旅行する
会社に入る
引っ越した
大学生活の終わり
もう結構前のことに感じますが、修士まで含め6年間を過ごした大学生活が終わりました。やりたいことをやった大学生活だったなあと感じます。少し振り返ってみたいと思います。
実は大学に入る前は機械か情報のどちらかをやりたいと思っていて、受験は機械 -> 情報 の順番でとりあえず志望したのですが、点数の関係で情報系に入ることになりました。それなら両方やってみようと思って、ロボット技術研究会(ロ技研)というサークルで機械・電子工作をやりました。実際に動くものが出来るのは純粋に楽しかったのですが、ハードウェアを扱っていくことで逆にソフトウェアの技術の特徴を認識することにもなりました。例えば、簡単なロボットを作成するのにしても、アルミ材や電子部品、足りない場合は適宜調達、調達後は旋盤・フライスで加工、と言った工程が必要になります。工作好きとしては楽しいものでしたが、高校時代に経験した、ソフトウェア(ゲーム)を作ってインターネットを通して友達に使ってもらった経験からすると、自分がやりたいのはそちらではないと感じました。この点は、ジョナサン・ジットレイという人の書いた “The Future of The Internet”(邦題:『インターネットが死ぬ日』)という本でより構造的に説明されています。汎用性に加えて伝搬性や習熟性など、いくつかの条件が揃った道具は、それ自体から新しいものを生み出す肥沃な(generativeな)システムとして機能する、というような議論です。
インターネットが死ぬ日 (ハヤカワ新書juice)
ジョナサン・ジットレイン 早川書房
もうひとつ、大学の研究室を取材して学部生に説明するメディアを発行している団体にも所属していました。理工系という枠の中ではあるけれど、特定の分野に依らない環境というのは当時は貴重で、ここで人と話したことがあとあとの科学全体への理解に役に立った気がします。
そういった学生団体以外のところでは、プログラミングの本を読んだり、バイトをしたりしながらふらふらやっていました。今では手に入りにくいみたいですが、『コンピュータプログラミングの概念・技法・モデル』という分厚い本を時間をかけて読んだのが良い思い出です。
コンピュータプログラミングの概念・技法・モデル (IT Architects' Archiveクラシックモダン・コンピューティング)
セイフ・ハリディ ピーター・ヴァン・ロイ Peter Van-Roy Seif Haridi 翔泳社
この本はその名の通りプログラミングの本なのですが、プログラミングを統合的な学問として教えるのはどうすればいいか?ということを意識して書かれたもので、いま思うと非常にビジョンに溢れた仕事でした。この本を読むことで、状態(state)や並行(concurrency)といったソフトウェア概念への正確な理解から、そもそも抽象化とは何か?という根本的な話まで、知ることができました。
抽象を設計することは必ずしも容易ではない。いろいろな考え方を試し、破棄し、改良し、といった長くつらい道のりになることがある。しかし、その見返りは非常に大きい。文明はよくできた抽象の上に建立される、といっても過言ではない。毎日、新しい抽象が設計されている。車輪やアーチといった古代の抽象のいくつかはいまに残っている。セル電話のような新しい抽象のいくつかは速やかに現代の日常生活の一部になった。
良い本を読むたびにいつも思うのですが、その本の射程距離と言うか、書き手が読み手をどこまで連れて行ってくれるかは、ほとんどの場合、序文を読めば鋭敏に分わかります。最初の問いかけが、問題意識が、その可能性としての範囲を決めている。
そういえば、ずっと昔、高校生のときに読んだこの記事なんかは、そういう思考の"強度"みたいなものの存在を知った最初のものでした。
ネットに時間を使いすぎると人生が破壊される。人生を根底から豊かで納得のいくものにしてくれる良書25冊を紹介 - 分裂勘違い君劇場
これは自分の話ですが、技術を手に入れると、最初、何かを作れるということ自体に喜びを見出します。しかし、少し考えてみれば、世の中には、素晴らしいと思うモノもあれば、そうでもないと感じるモノもある。
それを分ける違いってなんだろう?「価値」って何だろう?「意味」ってどうやって生まれるんだろう?…実はそういうことを抜きにして技術だけを持っていても、真に納得のあることってできないんじゃないか――もしかしたら専門特化で市場価値だけは手に入れられるかもしれないけど、それは現代において幸せとは関係が薄い――、そういうようなことを思ったのが大学生活の中頃だったように思います。
それからは、デザインみたいなものづくりに近いところから始まり、思想、 言語、社会みたいな、かつて興味を感じていたけど離れていたものに触れたり、あるいはゲーム、エンターテイメントを好きなだけ体験しました。そして今では、そこで得たもの抜きで何かを思考することは考えられないくらいに、世界の見え方が質的に変わりました。
ソシュール 一般言語学講義: コンスタンタンのノート
フェルディナン・ド ソシュール 東京大学出版会
例えば、自分の使っている身近なサービスであっても、それを単に機能と見なすのか、大きなマクロの流れを見据えた人間の行動と見るのかで、感じられる価値って圧倒的に違ってきますが、これってその周辺に対する文脈的・構造的な理解なしには得られないものです。同様に、エンターテイメントを咀嚼していけば、小さなできごとにものすごく大きな意味がありそれが面白さに深く関わっていることが分かるし、ゲームは、最近よく描かれるように、「仮想的」なものに内的な意味が生まれてそれが「現実」への問い掛けとして機能します。
先に紹介した、良い本や物語が人生を豊かにするという高校時代に出会ったイデオロギーは、こうして自分の中で消化されていきました。
1990年代から2010年代までの物語類型の変遷~「本当の自分」が承認されない自意識の脆弱さを抱えて、どこまでも「逃げていく」というのはどういうことなのか? - 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために
実を言うと、「専門」外の方向に向かった背景として、ここで書いた以外にも、理工系の大学にいてそこで用いられる枠組みに、それだけでいいのか?という感覚や、枠組みを用いるときにその特性を理解しておきたいということもあったと思います。ただそれは経緯というかきっかけであって、今もそういったものに価値を感じるのは、単純にそれが豊かだという以上の理由はないです。
西ヨーロッパを旅行する
大学生活最後の春休みには、イギリス・フランス・ドイツの西ヨーロッパ地域を一ヶ月ほど一人で旅しました。大きく時間を取れることもしばらくないからというよくある考えですが、この地域を旅行先に選んだのは、前述のような思考履歴を辿った自分にとっては、ごく自然な流れでした。
現代から遡る形で勉強していくと、いかに多くのものがこの地域世界から流れてきているかということを痛感します。日本だと、明治以降、いわゆる近代化ですが、そのことは、渡辺京二の『行きし世の面影』を読んでより強く自覚しました。この本は幕末-明治に日本を訪れた西洋人の記述を集めて、在りし日の「ある文明」を描写したものなのですが、読んでみて驚くのは、その世界を現代に生きる僕は、その時代の日本人ではなく日本を訪れた当時の西洋人の視点から(!)解釈・理解してしまうことなんですね。それほどまでに異なる秩序を持った生活世界がかつてあり、それがある時代を区切りに全く別の存在になったことを以って著者は「文明が滅んだ」と言っているわけですが、ともかく、現代日本がその多くを西洋近代文明に負っているということをまざまざと認識されられた本でした。
逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)
渡辺 京二 平凡社
話を戻すと、旅行はイギリス・ロンドンから始めてイングランドの地方を周りつつ、フランス・パリに移動。そこからドイツのバイエルン地方をいくつか街を経由しつつミュンヘンまで行きました。
月並みな感想ですが、実際に行って見て理解できるものって、全然、本とかで読むのと違いますね。イギリスとフランスの違いとか、歴史を知れば文脈的な立ち位置とか理解できますけど、行ってみるまで感覚として理解できてなかったなと思いました。ロンドンからパリに移動して一歩街に足を踏み入れただけで、一日街を回っただけで、こんなに違うのかと感じました。こういうことは総体としてそう感じるものなので、短く言葉にするのが難しいところはありますけど、例えばロンドンの街では英語が基本で、なんと言うか、国際都市としては純度が高く感じました。それがパリに踏み入れるとあらゆる言語が入り混じっている。あるいはミュンヘンの酒場に行けばスイス人やイタリア人が出張で来ていたりする。自分は子供の頃インドネシアに住んでいたこともありますが、考えてみればそれも島国で、実はこれまで「大陸」に行ったことがなかったので、普通に外国人がちょっと移動して来るみたいなのは感覚としてありませんでした。その点一つとってもイギリスの立ち位置って違うなと思いましたし、ちょうど返ってきて少し後で Brexit がありましたけど、それまで積み重ねられてきたヨーロッパ統合の流れの転換点になる出来事でやはり衝撃を受けつつも、納得するところもありました。
イギリス 繁栄のあとさき (講談社学術文庫)
川北 稔 講談社
フランス史10講 (岩波新書)
柴田 三千雄 岩波書店
ドイツ史10講 (岩波新書)
坂井 栄八郎 岩波書店
こうやって実際に行ってみるとその後もより色々な出来事を面白く感じるようになったので、またどこか行きたいなあ。
あと、宿泊は全て Airbnb で行いましたが、これは旅行体験を別の次元に引き上げてくれる、本当に素晴らしいサービスだと思いました。機会があればちゃんと書きたいところですが、現代みたいに世界が近づきつつある(と思っていたら2016年はそれに逆行する出来事が象徴的な年になりましたが)時代って当然文化的なコンフリクトも色々起こるとおもうのですが、それを暮らしというミクロなレベルから地道に解決していくアプローチは、プラクティカルではあるけど妥協の無いもので、僕はとても好きになりました。
Wantedly に入社する
4月になって、本格的に働くときが来ました。働く先は Wantedly という会社に決めていました。会社選び、かなり多くのパラメータを使って決めていて、自分が考慮したなと意識したものでも普通に50個くらいはある気がするんだけど、ざっくり言うと、エンジニアリング・カルチャー・ビジョンの3点で良いと思ったと言えば近い気がする。
ここでビジョンについてだけ言及すると、熱中して仕事に取り組むような人を世の中に増やす、という目的でやっています。僕は��れを見たとき、ああ、これって今やることに意味があることだ、と思いました。
これは結構早い段階で思っていたことですが、正直、今の世の中食べていくだけですごい困ることはなくて、娯楽もインターネットにつなぐだけでコンテンツに困ることもないですよね。これって結構すごいことだと思ってて、また、同時に新しい問題を生むとも思います。
過去を振り返れば、戦後とか食べることがリアルに重要な問題であるときもありました。その後の高度経済成長の時代も、結構「物」を手に入れるということに価値を感じていた時代だと思ってます。「機能」にお金を払うことが多かった、と言ってもいいかもしれない。
実際問題として、平均的な大衆のために開発された、どれも悪くはないが実のと��ろ本当には自分にフィットしていない商品群に出会うのが、二十世紀の商品棚の典型となる - x-DESIGN
一方、当時、僕が iPhone を買うとき、何に対してお金を払っているんだろう?と考えたとき、純粋に何かが出来るということ以上に、新しい何かを見せてくれるのではないかという「期待」や、製品のディテールにこだわるという彼らの行動様式への「共感」に対して払っている部分が大きい、と感じていました。そして、そういう行動は自分以外にも普遍的に見られるように思えたし、エンターテイメントもこの傾向を反映しているように見える。
この考えを仕事というものに敷衍していくと、近代以来の時間を対価とした労働観念も、少しずつ変わっていくのかなと思いました。そして、そこではいくつかの選択肢があるべきで、その中の一つとして、仕事って面白い、と思ってそこに金銭的対価以上のものを見いだせるという選択肢が用意されるべきだと感じていました。ここで少し強い言葉を使っているのは、当時、もしかしたらその選択肢があれば選んだかもしれないけれど、無いがために選ばなかったと感じた事例を見たからでした。
なんか、色々話を聞いていると「退却」してしまう人が多いなと感じていて、それはそれで戦略としては正解なんだと思うんだけど、やっぱりどこか残念だと思うよね。
もちろん、趣味に生きるのはすごくありだと思ってて。自分自身、しばしばそっちに振っていたし、それで最後まで楽しそうにしていた人というのも知っている。
なのだけど、それはナチュラルにそうであったという場合であって、「退却」するケースというのは、だいたい最初に希望があって、それを全うできない「疲れ」がそうさせたみたいなストーリーになっている。
趣味に生きるのは良いけど、趣味に生きざる負えないみたいなのは、残念だ。
残念な事象が類型化されると、そういう風になってしまうシステムが残念だという思いに至る。だから、ここで言う残念というのは、人ではなくて構造に向かっている。
構造と言っても色々なレイヤーで見ることができて。
いちばんは、そういう事象が生み出されるのが、構造と要素のミスマッチによるものであるということ。
そして、そういうミスマッチが生み出されるような構造によるものだということ。
さらに、それを生み出す構造が維持され生き残るような、文化によるもの。
…何やら話が少し重くなってしまいましたが、そういう経緯もあり、仕事自体はかなり楽しんでやっています。個別の内容については今は振り返るほど過去にはなっていないので、このあたりにしておきますが。
引っ越した
2016年後半の個人的にエポックメイキングな出来事は引っ越しでした。大学のある大岡山から、会社のある白金台へ。2ヶ月前に出来た家賃補助制度を活用して、1ヶ月前に出来た部屋に引っ越しました。会社まで徒歩1分のところにあり、めちゃくちゃ落ち着いている。
住居、何を求めるかだと思っていて、「寝る」という機能だけを求めるのか、「生活する」基盤にするのかで違ってくるというのがありました。
大学時代の部屋は正直そんなに居たいと思えるような部屋ではなくて、それは採光や諸々のデザインの制約で変えられないと思っていて、ただそれでずっと不満はなかった。なかったのだけれど、「生活する」というのをしっかりやると、そこで感覚のチューニングもできるようになるし、意外と大事だなーというように考えを変え、ここには投資しました。結果的には、驚くほど生活の質が上がったので、これは完全に正解だったなあと思います。
ここでは備忘も兼ねて、引っ越しの際に考えたことを4つくらい上げておきます。
ポテンシャルのある部屋を選ぶ
まず、経験的に、部屋は、生活の質の上限を決める。これが部屋の定理。
そもそも綺麗でないと綺麗に保つ気にならないという意味で、きれいである必要があるし、ベースとなるデザインが良くないと結構どうしようもない。窓やそこから見える景色は変えられないので超重要。また、キッチンが部屋と分離されていると使わないという自分の経験則があったので、インテグレートされているのが望ましい。また、広さはそんなに必要ないことも分かっていて、それ以外を優先する。
徹底的な断捨離
ネットで見つかるきれいな部屋の隠れた法則として、そもそもものが少ない、というのがある。
このため、3週間くらいかけて、本当に自分に必要なものとそうでないものを選んで、処分・売却していった。この結果8割くらいのものを処分することになり、引っ越し先でもものが溢れずに済んでいる。
とは言っても、思い出のもので捨てづらいとかもある。そういうものはひとしきり懐かしんだあと、写真を撮って送り出す。ありがとう。
生活サイクルの再設計
おそらく超基本的なことなんだけど、掃除、洗濯、食事をまともにやれていなくて部屋がゴミのようだった。それもあって部屋にいる時間がゼロに近いかたちで運用していた。次の部屋でそうならないように、適切なタイミングの設定と、それを行うコストを下げるように色々導入した。
これはちゃんと成功していて、今は部屋は綺麗に保たれていて、洗濯も定期的に行っていて、とても精神衛生が良くなった。
生活空間の再設計
部屋は広くはないので、そもそもの部屋でやることを絞るというのも重要だった。会社が近いので本格的な事務作業は全て切り捨て、平日の寝ることと、休日の食事しながら本を読んだり映画を見たりすることにフォーカスした。本とエンターテイメントがあれば幸せに生きていける。
基本的な知識がないと良いものはできないので、インテリアの本を一冊買った。インテリア本、イケてる部屋の例みたいなのを載せてるだけのものが多くて微妙な感じだったけど、マンション・インテリアに特化したものを見つけて買った。
ライフスタイルを生かす マンション・インテリアの基本
新星出版社 (2016-07-01)
その他、集約する方向ばかりだと面白くならないので、事前に Pinterest で良さそうなものを集めてイメージをふくらませたり、インターネットで色々面白そうな部屋の使い方を仕入れたりという感じで、引っ越しプロジェクトは大変だったけど結構楽しかったです。
おまけ:2016年個人的エンターテイメント史
2016年の後半はやはり映画が熱かった
『シン・ゴジラ』『この世界の片隅に』『君の名は。』『聲の形』は残ってる
ラノベは好きなタイトルが軒並み続編が出なくてかなしい
『ログ・ホライズン』『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』
マンガはまずまず順調
2017年はそろそろ『ヒストリエ』10巻が出ることを期待
2017年について少し
今年について簡単に思ってることを書いておきたいと思います。
まず、仕事の面は、ちゃんとコミットすることでこそ得られるものがあるというのが自分の中で実証されました。今しばらくこのままいろいろ積んでいきましょうという感じです。
あと、これは意図的にそうしていた面もあるのだけど、2016年の4月以降はほとんど本を読んでいなくて、これはそろそろ変えたいなと思っています。いま振り返ってみても、色々なポイントでの判断にそこの積み重ねが活きているのはやっぱり間違いないので。
その他、生活面では、もっとエンターテイメントを消費していくこと、本格的に料理を始めること、 プロジェクタを買いたい、とか色々ありますけど、まあここはなるようになれという感じですね。
そんな感じで2017年もよろしくお願いします。
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交換小説「サイレントライン-超えてはならない壁-」
奇数回=オッセルヴァンツァ
偶数回=サクライ
1
人類は又しても過ちを犯した
第三次大戦勃発により、世界は核の炎に包まれた。 大地は汚染され、人類の生活拠点は地下2000m下まで追いやられた。 にもかかわらず、人類は地下の限られた資源や領地の奪い合いに奮闘し、遂には汚染された地上にまで争いは広がった。 世界に生まれた1人の少女「スミカ」
「コンドームは避妊以外にも水を入れて運ぶのにも使えて便利ね〜、セックスした事無いけど」
彼女もまた、そんな過酷な世界を生き抜こうとしている…
スミカは戦争孤児であり、少女ながら地下世界の労働者として働いて生き延びている。 娯楽の少ない地下での彼女の持つ趣味はスクラップの山を漁る事である。 「さ〜てと、今日もトレジャーしますか〜!おや?こんな場所に人が居るなんて珍しいな…誰だろう?」 そこに居たのは…
2
老人は目的の場所に辿り着くと、地面に崩れ落ちた。 腹部に負った傷からは、体の体積以上ではないかというほど体液が流れ落ち、意識も強靭な意志で辛うじて保っている状態だった。死に場所をスクラップ置き場に選んだのは、自身の死後に安らかな眠りが許されないことを知っているからに他ならない。 老人は追われていた。その組織は必ず老人の死体を見つけ出し、その前後を調べ尽くす。だからこそ、どこぞの集落で誰かに看取られるような死は許されない。その集落を彼らは焼き払うに決まっている。視線を下ろすと、腹部から流れる体液が足の先まで真っ赤に染めていた。一人孤独にゴミに埋もれて死ぬ。それが体制と戦った老人に許された眠り方だった。 はずだった。
少女が老人を見下ろしていた。押し殺していた感情が、孤独と恐怖が溢れ、老人は涙ぐんだ。きっと彼女は天使なのだ。
「はぁ〜下半身から血ぃ吹き出して死んでる。はじめてみた。これテクノブレイクだよね?」
老人は認識の誤りを悔いて、涙を引っ込めた。
3
「賢者タイムの所悪いけど、おじさんもう歳なんだから無理しちゃダメだよ。死んじゃうよ?」 スミカは謎の老人に近づこうとすると。 「それ以上くるんじゃない、早く逃げるんじゃ!」 老人が苦しそうに叫ぶ。 いい歳して中二病?まぁいっか、暇だし付き合おう。 「怪我をしている人を置いていくなんて、そんな事私にはできないよ!」 老人は驚いた、さっきまでの彼女の下ネタ発言を忘れ、涙した。 「お前さんはまだ若い、ワシなんか構わずに逃げるんじゃ、もう時間がない!」 「もう、強情だな〜。私達しかいないんだからテンポ良くいこうよ…ん?誰か来た?」 瓦礫の山越しに複数の足音とライトの光が見えた。 「今ならまだ間に合う、早く逃げるんじゃ!」 老人の忠告を無視して少女は地面に耳を当てる。 「数は4…いや5人…それならコレだけで充分だね」 少女がバックから煉瓦サイズの粘土の様な塊を取り出した。 「お前さん、一体何をする気じゃ…」 「爆弾作るんだよ、悪いか?」 「いや、悪かねぇ…」 そうすると少女は通路の隅に爆弾を仕掛け、その上に鉄板を被せ、更にボルトや釘を寄せ集め山盛りに乗せた。 「さあ、おじさん逃げるよ!」 「イダダダダだッ!!」 少女は老人を引きずり物陰へと隠れた。
4
ハガネは溜息を漏らした。 ここ数日は残業ばかりだ。逃げた老人を探すというふざけた任務。
そもそもハガネは公務員のはずだった。しかし今は両手でやっと持てる銃器を手に、老人を探して連行するような、怪しい仕事を任される立場になってしまった。ちょっと飲み会で、嫌いな上司に絡んだだけというのに、国家の犬の中でも1番の汚れ仕事である始末屋になってしまった。対象人物を捕獲して組織に差し出すまでが彼の仕事だ。 その老人に関しては詳しく知らない。デマの情報を流して社会を混乱に陥れるテロリスト、とだけ聞いている。どうにも仲間が数人いるようだが、そのほとんどは職場の同僚たちが片付けてしまった。
もう一度ハガネは溜息を漏らした。 安定を求めて公務員になったのに、全て台無しだ。そのせいで彼女にも見限られて、今は夜中まで働き、一人の自室に帰って寝るだけ。そしてまた早朝から激務が始まる。若くて興味や意欲…つまりやりたいことがいっぱいある時に、ひたすら社会に体力を差し出す毎日。
「オレは何のために生きてるんだろう」 ハガネは3度目の溜息をつくことは出来なかった。 炸裂音と共に何かが爆発して意識を失った。 彼の同僚たちも同じだった。ただ一人、彼らの班長となる大男だけ、問題なく武器を構えていた。彼は他の使い捨ての「兵士」たちとは装備が違う。彼は冷静に爆煙が散るのを待ち、敵を探して視野を振った。
5
炸裂音が聞こえたが、少女は見向きもせずに老人にバックに入っていた軍用エイドキットで応急処置を施していた。 「よし、お手上げだ!やるだけやったが、こん道具じゃ気休めにしかならねぇよ」 「いや、ありがとう…だいぶ楽になったよ…それよりもお前さん、何故ワシを助けてくれた?その年で応急処置や爆弾の破片効果なんてどこで習った?」 「バカっお前そんな長ったらしいセリフ言ったら…」 「お前達、そこを動くな」 「ほら来た」 振り向いて見ると、1人の重装備の兵士が銃をこちらに向けていた。 スミカはソイツの肩の識別ワッペンを見て傭兵派遣会社から派遣された兵だと理解した。 「あ、爺さんの名前聞いてなかったな。あたいスミカってんだよろしくな」 「え?わ…ワシはエミールじゃ」 「あ、ついでに名乗っとくが、俺はステイサムだ」 エミールは場の空気に困惑した。
6
「それでどうする?大人しく爺さんを差し出してお花を摘みに行くか?」 「あたしゃスミカだ!こっちがエミール!前回の自己紹介を無駄にするなステイサムッ」 「なーに、こうやって何度か呼び合わないと読者の皆さんが覚えてくれないだろう?」 「おまえに関しては心配ないと思うぞステイサム!」
「それで…どうする?」 銃をたてステイサムが、答えは分かっているくせにニヤリと笑って問う。 「そりゃあ分かりきってんだろう…。まだサクライはあたしのキャラを掴んでないからね…とくに理由はなくても、主人公なら、…人助けしないとなァア!!」 スミカが後ろから弾かれたように飛び込んだ。 「ふん!それは俺も同じこと…!サクライはステイサム主演映画を2本も観てないからな!俺のキャラもまだ不安定…サクライの担当回で攻めてくるなど愚かなり…スミカ!」 スミカは走りながら、 「しゃら…」 気絶した兵の銃を取ると、 「くせェエエ!!」 鈍器として敵に振り落とした。
しかしそれを片手で防ぐステイサム。 「…この攻撃力、貴様ただのガキじゃないな」 「くく、やっと気付いた��…!」 「何者だ…!」
ステイサムは片手のまま、スミカを跳ね返す。 着地して体制を整えてスミカが返す。 「聞いて驚くな!あたしは…」 ステイサムが聴き入る。 「地下世界の…」 「まさか…!」 「日雇いの労働者だ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」
「なんだとォ。…あの、安月給でサービス残業あたり前で、過酷な労働によって強靭な肉体を鍛え上げてしまう…あの、地下世界のスーパー労働者か…!!!」 「そうだ。ついでに大抵の場合、ジリ貧金ナシだからバイトで少年兵の経験もあり、戦闘に慣れている!」 「くそォオ‼︎愚かなのは俺だ‼︎日本のサラリーマンに次ぐ最強の戦闘民族、地下の労働者に手を出すとは……‼︎‼︎‼︎」 「今頃気付いても遅い!覚悟はいいな!JJステイサム‼︎‼︎‼︎」 勝ちを確信して銃(鈍器)を振り上げたスミカが、突如爆風に飛ばされる。 「こうなれば俺も出し惜しみはしてられぬ」 「貴様ぁ…ステイサムの癖に変身するのか…!!」 「私は、髪の毛の後退に比例して戦闘力が上下する民族の末裔なのだ。この頭を見ればわかるな!これが最強形態だ!!!!」 「ぬかった!さっきの一撃で倒しておけば…‼︎なんという気迫だ‼︎‼︎」 「ハッハッハもう遅い!そしてもう一つ教えてやる!この形態の持続時間は3分もない!つまり次のエピソードでこの戦いには決着がつく!」 「なにィ⁉︎」 とオッセルヴァンツァが言ったかどうか、サクライには知る由もない。
7
2人の力の波動は密集した地下世界全てを包み込んだ。 常人にはただの空気の振動にしか感じ取れないが、地下政府の軍事研究室の培養カプセルで眠っていた究極生命体は違った。 研究員L「おい、何か揺れなかったか?」 研究員S「別の区画の兵器試験場からだろ、アレ成功したのかな?」 研究員L「あんなモノが実用化されたら、いよいよこの世界は終わりだ。」 研究員S「おいおい、作った本人が言う台詞かよ。」 研究員L「ハハハ、それもそだな。それよりもこの筋肉ムキムキマッチョマンの変態は何なんだ?」 研究員S「お前に負けてられないなと思って2徹して作ったんだ、いいだろ?」 研究員L「ああ、いかにもお前らしいよ。ところでさっきから気になってたんだけど、コイツの脈拍数値がおかしくないか?」 研究員S「え?あ、本当だ。まぁこんなモン叩きゃ大丈夫さ。どうした!この根性無し!!」 モニターを叩いていると、培養カプセルの中で眠っていた巨漢がギロリと此方を見つめる。 研究員L「なあ、マッチョがコッチ見てるぞ。」 研究員S「あ、本当だ。よう元気か?」 次の瞬間、巨漢が雄叫びを上げ、研究室が光に包まれ吹き飛んだ。
ステイサム「どうした!その程度かスミカ!」 スミカ「クソッ!攻撃を防ぐので精一杯だ!」 エミール「一体…何がどうなっているんだ…!?」 ステイサム「ん?この強大な気は…!?」 スミカ「クソッ!まだ何かくるのかよ!」
8
爆風に飛ばされて、一瞬耳がきーんと聞こえなくなった。 スミカはやっとこさ立ち上がり、キョロキョロと首を振った。 ステイサムが右腕を抑えて立ち尽くしているのを、スミカは見つけた。 「おいステイサム。これおまえの超必殺技か?やれやれなんてパワーだ、地形が変わっちまったぞ。まぁスクラップしかないからゴミが入れ替わっただけだけどな!ハハハハハ」 「俺じゃねぇ…。あいつだ」 ステイサムは空を見上げていた。スミカも同じところを見てみると、そこでは筋肉質な男が逆光を背負って浮いていた。 「なんだおまえは…」 「私はアーノルド」 「おいおい、あと二人は出てきそうな名前だな」
アーノルドが腕を振ると、直径0.5キロ四方のスクラップの山が消し飛んだ。 「私は、すべてを破壊する」 「ちくしょォ!さらなる強敵を前にかつての強敵と共闘する…ってやつかァ!主人公って忙しいなッ」 「私はムリだ。スミカよ…」 「なんだよ!遠慮せずもっとハゲ散らかせステイサム!」 「言っただろう。3分は保たないと。もう髪がまた延びるまで私は戦えない。そして私はもう更年期だ。髪はそう簡単には伸びない…。もうおしまいだ…」 「そりゃねえぜ!任務はどうした!エミールのジジイをぶっ殺すんじゃねぇのか!がんばれよ!エミールを一緒に血祭りにしようぜ⁉︎………そういやエミールどこいった?」 「気持ちは嬉しいが俺の任務は、エミール・ラスコピッチの持つデータの抹殺。このままここをアーノルドが破壊すれば、任務は完了だ」 「なんだよそりゃ!自分ごと抹殺して任務完了⁈どこの大和魂神風精神だ、ふざけんな!家に帰るまでが任務だろうが!ちゃんとエミールぶっ殺して…データとやらをぶっ壊して…家族のところに元気で帰れよ!!」 「ふ…俺は一人ものだよ。…スミカおまえには、もっと…はやく、会いたかったぜ」 ステイサムはそう言うと、最後の力でスミカを遠くに蹴り飛ばし、 「いくぞアーノルド!!旧式の意地を見せてやる!!!」 全身に武装していた火薬に火を放ち、 「ふざけんな!!ステイサムがアーノルドに殺されるなんて、過激派の映画ファンが読んだらどうすんだ!!サクライもオッセルヴァンツァも殺されるぞ !やめろォオ!!」 自爆した。
ステイサムが死んだ。
9
俺は連邦捜査官のジャック。 政府の極秘データを持ち出した男を追っている途中で妙な爆発音を聴き、その場所へ向かうと。そこには見るも無残な研究室が目に入った。 俺は生存者がいないか探していると、瓦礫の中から突き出ている金属でできた手を見つけた。 その手は壁に開いた巨大な穴を指差していた。 俺は無線で救援部隊に研究室を任せ、その巨大な穴の先を捜索した。
俺は直ぐに爆薬で開けた穴ではない事に気付いた、これは何かが力づくで穴を開けていることに… 研究室で一体ナニが起きたんだ? 得体の知れない恐怖で次第に大きく早く脈を打ち、額から汗が流れ落ちる。 進むに連れ何やら大きな音が聞こえてくる。 穴の終着地で俺はハゲ頭のおっさんが大声でナニに向かって叫び、次の瞬間そのおっさんは自爆した。
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「すごい爆発だった…。これではナニも無事ではあるまい」 巨大なクレーターとなったスクラップ置場跡地、ジャックはせめて何か手がかりがないか歩いた。そのとき、ジャックの足元で何かが動いた。 瓦礫を掘り進めてみると、治療の形跡のある老人が出てきた。 重症を負っている。 「おい!大丈夫かしっかりしろ!」 「…う、なんじゃ…。吹き替え洋画のような早口で、やたら低い声がするの…」 「俺はジャック!なにがあったんだッ」 「うぅ、確か天使に会って…。そうじゃ!スミカ!スミカは無事か⁈」 「残念だがこの爆発だ。周辺のやつはほとんど死んだだろう…」 「しかし!ワシも、おまえさんも生きている!スミカも生きているに決まってる!」 「あんたは瓦礫の陰にいて助かった。俺に関しては…、俺は視聴率がある限り、何年でも引き延ばされる呪いを背負っている。簡単には死ねないんだ。ご都合主義の呪いだ。クソォ!!」 「よくわからんが、これをスミカという少女に渡してくれないか」 ピエールは銀色のペンダントを取り出した。 「これは今は首飾りの形をしているが、いざというとき、必ず彼女の力になる…。彼女の、スミカの戦いを見て、スミカに託すしかないと分かった…。ワシはもう長くない。頼む…。あんただけが頼りだ」 「なんだ、なんの話だ!わかるように言え!」 「…私は、長年仲間たちと、薬師丸浩公という研究者の研究成果を調べていた…」 「薬師丸ひろ子⁈何者だそいつは⁈」 「薬師丸浩公の研究を実用化すれば、汚染された地上を浄化することが…、つまり世界を救うことができたのじゃ…。それを利権で揉み消した者たちがいる…!自分たちの私腹を肥やすために…!世界を…未来を…!許せんッ!許してはならぬのだ!!」 「薬師丸ヒロコウ⁈ひろ子じゃなくてヒロコウか⁉︎もう一度頼む!」 「頼む…未来を…次の世代の為にも……。この首飾りには薬師丸の技術の一部が使われている。それを、スミカに託したいのだ…。頼んだぞ…」 ピエールの顔から血の気が引いた。 しかしその顔は、それとなく穏やかな、長く辛い戦いから解放された、安らかな顔だった。 「死んだ…のか…。」
あ、と漏らしてからジャックは改めて吠えた。 「…死んだッ⁉︎なぜだ!クソオオ!!」
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しまった、また俺は嘆いてしまった。だがこれが俺のアイデンティティ���んだ! とにかく俺は名前を聞きそびれた老人ピエールの意思を継ぐ事になったが、ぎこちない演技をしそうなあの巨漢はなんなんだ?アレが研究室から抜け出したのか? とにかく俺はスミカを探す事にした。 「おい!大丈夫か?お前がスミカだな?ピエールがコレをお前にと言っていた!」 「イテテ…お前新しいキャラか、離婚してそうな顔してんなぁ。てかピエールって誰だよエミールだよ。サクライのやつ横文字苦手過ぎるだろ。」 「もう死んだから俺みたいに復活する事はないだろうから気にするな、それよりもあのターミネーターをどうする?」 「そんなモン今作初登場の使い捨てキャラのあたしが知るかよ!長期シリーズ主役のジャックが考えろよ!」 「そうだな、わかった。じぁあまずこのペンダントに何か仕掛けがあるか調べよう。ん?ここにボタンがあるな」 ジャックが調べると特に変化は無かった。 「何も起きねぇな」 「いや、コレはビーコンだ。どこに発信されているかはわからないが…」 すると突然宇宙船が現れ、中から人型の生き物が現れた。 「なぁ、あれプレデターだろ?」 「ああ、間違いない。プレデターだな、化け物には化け物をぶつける考えか!チクショウ!!」 そしてアーノルドとプレデターが睨み合うッ!
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「じゃ帰るか」 スミカはくるっと向きを変えて、すたすた歩きはじめた。 「ちょっとまて!亡きピエールの遺した戦いを見届けないのか!?」 「エミールだよ、さっき訂正しただろ。おまえどこで意地はってんだよ。……プレデターとアーノルドなら107分は時間稼いでくれるし、ついでに1億$くらい稼いでくれるだろ。もう2時だしあたいらの宿舎で飯食ってけよ」 「そうか、そうだな。じゃあありがたく頂こう。俺もしゃべり通しで腹が減った。それよりもう二時だと!?午後ローを見逃したじゃないかチクショオ!!」
スミカは小さく折り畳んでいたキックボードのような形の、反重力式の乗り物に飛び乗った。 「あんたも乗れよ。ボロだけど改造してあるから、もう一人くらい余裕だぜ」 「ああ、じゃあ乗らせてもらうよ。…しかしハイテクな乗り物だな」 「はあ!?こんな旧式のひろいもん、おまえいつも何に乗ってるんだ?」 「乗り物は現場でドライバーを脅して借りるものだ」 なんだそりゃ、と吐き捨ててスミカは一気に200キロで出発した。慣れない乗り物にジャックの顔の皮膚がアヘアヘに引っ張られた。
「ついたよ。これがあたいらの宿舎っていうか、住み込みで派遣先に運ばれる移動控え室かな」 それは亀の形をした巨大な要塞のような建造物だった。しかしよくみると重低音を響かせて少しずつ移動している。やはり戦艦にでも例えるべきか。 中に入ると、外から想像したよりずっと殺伐とした空間に労働者というにはあまりに幼い子供たちが生活していた。そのまま亀の中の食堂に向かうとスミカの知った顔が通りすがった。 「ああ、ジャックに紹介しとくよ。これがあたいの、数少ないここでの友達の…」
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「どうも、セガールだ。ここで料理長をしている」 「セガール?セガールだって!?チクショウ!!大物ばかり登場してるじゃないか!この調子じゃ、サクライがサメを登場させてしまうッ!コッチはまだB級サメ映画を観ていないんだぞ!」 「心配すんなよジャック、B級なんだから好きな事をテンポ良く進めればいいんだよ。それにコッチにはコックがいるんだ、サメを倒せる。」 「最近歳で腹が出てきて走り回るのが辛くなったが、大丈夫か?」 「空手は健在か?」 「ああ、勿論。」 「「じぁあ大丈夫だ」」 「それはよかった。それじゃ飯を用意しよう、まだ何も食べていないだろ?」 「ああ!ペコペコだぜ!」 「俺も同感だ」 「それじゃあこちらへ、案内しよう」 セガールに連れられ通路を進んでいく俺達、通路は思ったよりも広く見晴らしはいいが、チラホラと道の隅に寝ている老若男女がいる。 「そこで寝ているのは?」 「ここで住んでいる」 しばらく進んでいくと食堂に着いた、やはり多くの人間がいるからかとても広い。 「さて、ここがオレのテリトリーの食堂だ、何を御所望かな?」 「あたい半熟親子丼とミックスベリーパフェな」 「スシってあるか?食べてみたいんだが」 「ああ、勿論。ではどうぞ、お席でお待ちください」 俺達は近くのテーブルに座って食事を待っていると、1匹の犬がやってきた。 「ここでは犬が飼われているのか?」 「コイツはマックス、ここのエースの飼い犬だ」 「エース?どんな奴だ?」 ���来たぜ、アイツだよ」 振り向くとそこにいたのは…
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「俺はクリステンセンだ」
「え⁈」 「え?」 予想外の人物に戸惑う周りに見かねて、スミカが説明口調で解説した。 「おまえ、あれだろ。目つき悪いダークサイド的なあれだろ。直前と違う姿で息子の前に霊体で現れて混乱を招いたあれだろ」 「なるほど!しかし何故ベイダー的なあれがエースなんだ」 「ふふ、なら目を瞑って声を聞くがいいぜパイロットさんよ……こい、マックス‼︎」 「チャックだ!チャックハンセンの声だ!…しかし吹替声優ネタなんて邪道だろクソォオ!」 「おまえが言うなよ、力也的なジャック」 「ウワァァ!ふざけるな!ふざけるな!バカヤロォォオ」
セガールの所にスミカと同い年の少女たちがやってきた。遅い昼食のようだ。 「こんちはシェフ」 「よう坊主ども。気分はどうだ?」 「最低」 「どうしたんだ?」 「シルベスターと名乗るマッチョマンが現れて、この中で暴れてるんだ」 「なんだって⁉︎…それでCVは?ハザマだったか?」 「いや、あの声はササキだったね」 「チクショオオ!よりによってササキのシルベスターだとォ!ハザマなら少しは希望があったのに!そもそもネタがマニアックになってきててテレビキャラクターの俺では付いていける自信がなくなってきたぞ!このままじゃ置いてきぼりを食らう、チクショオオ」 「ウルセェな!いい加減しにろ!ブッ殺されたいのか‼︎‼︎」 大御所のシェフに怒鳴られたジャックは、心が折れて絶叫しながらトイレに逃げ込んだ。あと5話は立ち直らないだろう。
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「なあセガール、飯はできたのか?」 「ああ勿論、さあどうぞ召し上がれ」 セガールがワゴンカートから料理をテーブルに手際よく置いていく。 「ジャックが引きこもってしまったからこの寿司クリステンセン、お前が食うか?」 「いや、生の魚はダメなんだ」 「そうか、じぁあ俺が食うか」 「セガールよぉ、そうやって間食ばかりしてるから太るんだぞ。」 「日本食だから大丈夫さ」 和気あいあいとした空間が流れてゆく中、クリステンセンが話題を切り返す。 「なあセガール、政府が開発中の新兵器の噂を聞いていないか?」 「新兵器?いつも大したもの作ってないだろ」 「それが今回のヤツは違うらしい、何でも最強の動物を模したロボットだとか」 「動物?政府は動物園でも作る気か?」 「あたい馬に乗ってみたい!」 パフェを食べるスミカが目をキラキラさせている。 「それで、その最強の動物とはなんなんだ?ゴジラか?それともチャック・ノリス?」 「まだ分からない、ただ…」 「なんだ、勿体ぶらずに言えよ」
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「メガロドンだ」 「メガロドン⁉︎恐竜かなにかか」 「サメだ」 「あ⁈」 「サメだよサメ!馬鹿でかいサメだ!」 「じゃあなにか?政府は動物園の後は水族館を作るってのか!」 「知るかよ!オッセルヴァンツァがメカシャーク出せって言ってたんだ!俺が知るか!たしかに「メガシャークVSメカシャーク」はメガシャークシリーズの最高傑作だと思うし、近年の怪獣映画ラッシュの中じゃ「シン・ゴジラ」より「GODZILLAゴジラ」より「メガジャークVSメカシャーク」と「進撃の巨人エンド・オブ・ザ・ワールド」が最高だったけど」 「それを言ってるのはクリステンセンか?サクライか?」 「サクライって変わってるな…」
「今更だけどクリステンセンって長いからクリスって呼ぼうぜ」 「これだからジャップは…」 「ところでクリストファー、なんで地下政府のことそんなに詳しいんだ?」 「クリスって呼ばねぇのかよ!…ちょっと一つ前の研究が気になったのさ」 「そうかクリスベイダー、それはどんな研究なんだ」 「結局どう呼ぶ気なんだよ!…どうにも動物園と水族館の間に、やつらボディービルの会場を作ろうとしてたのさ」 「なぁ!もうめんどくせぇからベイダーって呼ぼうぜ?」 「おまえらそれ言いたかっただけだろ!」
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「俺の呼び名なんか後に…」 次の瞬間、食堂全体に激しい衝撃が起きた。 「痛って〜」 「Q」 「セガール黙れ」 「それより、何が起きたんだ?何かにぶつかった様な衝撃が来たぞ!」 「スミカとクーちゃんはここで待ってろ、俺は怪我人がいないか見てくる。」 「クーちゃんって俺?」 「無理すんなよオッサンー」
「さて、無理やり不自然にセガールが退場したところでクリステンセン。何で地下政府の兵器開発に精通しているんだ?」 「このペンダントのおかげだよ」 「あ、エミールのペンダント!テメー盗んだな!?」 「ここギガンテのメインハッチに落ちてたんだ」 「なんだキーアイテム落としちまったか、気を付けねぇと。でもどうやって兵器情報を知ったんだ、小ちゃいペンダントだぞ?」 「蓋を開いたらホログラムが投影されたんだ」 「はー、それ高価なヤツじゃん」 「中に入っている情報は地下政府に関するものや、兵器についてだった。コレをどこで拾った?」 「エミールって言う爺さんからくれたんだ、なんか傭兵に追われていたけどさ」 「傭兵?」
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「ステイサムのことか」 「なんで知ってるんだ?クリステンベイダー」 「俺も同じところで訓練���受けたことがあるんだ…!俺があそこに入ったころ、すでに彼は伝説の男の一人だったが」 「世の中狭いもんだなー」 「どうやら見えてきたぜ…。機関から伝説の男達が何人も参戦してるということは、政府は俺たちが思っていたよりも追い詰められているようだな…!なぜそんなことになっているのか…。思い当たることは一つ、薬師丸の事件が表沙汰になろうとして…。エミールという男…、政府に楯突こうとするテロリスト集団…、「アンブレイカブル」の者とみえる…。壊滅したと聞いていたが、生き残りがいたか…!」 「おおー!すげぇよクリステンベジータ!あれだけの情報から、突然設定を整理するかのようにそれだけのことつらつら語るなんて!本家のクリスもこれだけ洞察力がありゃ、闇堕ちせずに済んだだろうにな!ていうか読み返さないでそんなこと言って大丈夫か?なんか設定とりこぼしてたら、またオッセルヴァンツァに本編に組み込まれて辱められるぞ?」 「誰に言ってるんだよ。…つーかベジータって呼んだだろ!長台詞ぶち込むから、危うくベジータにツッコミ入れ損ねるところだったわ!」 「おめーなにカッカしてんだ?ブッ殺すぞ」 「口悪りぃな!そっちのネタかよ!」 「そんでよベジータ」 「もうその路線なのか⁈それでいくのか?」 「オラわくわくすっぞ」
突如、大爆発が起きた。この作品のことではない。この亀型住居、ギガンテが、爆発して跡形もなくなったのだ。もちろんスミカもベジータも生死不明。あのセガールでさえ…。しかしあの男、呪いを背負った、視聴率に突き動かされる男は違った。 彼は約束されていたのだ…!5話で復活することを…!そして次回が5話め…! 「チクショオオ!トイレで泣いてたらトイレが吹っ飛んだぞォオ!!なんでだァア」
ジャックの逆襲がはじまる…!
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トイレの棚に放置されていた漫画が思いのほか面白くてのめり込んでいると、俺は宙を舞っていた。 別に薬をやった訳ではない。いや、シーズン3でヘロイン中毒になるが、それは別次元の話だ! 何が起きたかを確認するために体を起こし、辺りを見回すとギガンテが爆発四散していた。 普通なら死んでいる筈だが、なんだかんだ死なない、それが俺の固有スキル。 「スミカー!セガール!クリステンセンー!」 絶望的な光景に俺は泣き崩れた。 「ちくしょう!何故関係無い人まで巻き込んでしまうんだ!?ダイハードかよ!!」 嘆き悲しんでいると、手元に小さな物体が落ちていた。 「これは…エミールのペンダント!いや、スミカのペンダントか?どっちだ…ちくしょう!」 ペンダントを開いてみるとホログラムが投影され、触れてみると操作出来ることに気づいた。 それには兵器開発や政府の機密データが記録されていた。 「これは…エミールの言っていた薬師丸の研究データ?放射能浄化装置だと…?」 研究レポートに添付されているデータがある。 俺はそれを開いて更に読み進め、とんでもない事を知った。
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シルベスターは虚無に囚われていた。 衝動に任せてギガンテを破壊し尽くしたが、その末には何も残らなかった。自分はこのまま、生涯兵器として破壊だけをくりかえす下らない人生を送るしかないのか…。
そのシルベスターの前に、見に覚えのない老人が現れた。 「虚しそうだなシルベスター」 「誰だおまえは」 「フォックスと名乗っておこう」 「なぜ俺の名を知っている…」 「お前たちの親、のような者だからさ」 「俺の…?…いや俺…たち、とは何だ?」 「お前たちは『DIE・栄華・スター』という人造人間シリーズだ。数々の英雄たちを最新科学で再現したクローンだ。だが、ある者が君らを意のままに操り、兵器として利用する機能を取り付けていた。そしてその者は、私の盟友ルーカスを洗脳し支配下に置くと、次々と政府に位置する王族の末裔たちを手中に収めていった。私も、もう陥落したと言っていい状態だ」 「王族?フォックス…おまえも王族なのか」 「トゥエンティ・センチュリア家の末裔…センチュリー・フォックスだ」 「その黒幕の正体を教えてくれ」 「正体は不明だ。だが、奴は『夢の国・鼠アイランド』で世界を支配しようという野望から、こう呼ばれる…ビッグマウスと」 「王族の末裔たちが政府内で争い…、我々を生み出した。なんと下らない存在理由だ」 「君たちは4人とも記憶を失った状態であらゆる場所で、自分の正体を知らずに生活している。しかし今の君…シルベスターのように、一度ビッグマウスから信号が送られれば一変、兵器として奴の希望どうりに殺戮を繰り返すのみだ」 「なんということだ…この生涯に一片の価値もなかったのだ」 「しかし希望はある」 「本当か」 「君たちは元々英雄だ!信号などに負けるな!君たちが目覚め、力を合わせれば鼠一匹など怖くはない!頼む!…おまえたちに希望を託しながら、兵器にするのを許してしまった私を許してくれ…」 刹那、フォックスの身体が透けて透明になりはじめた。 「ついに最期か。鼠め…。…頼んだぞ、息子よ」 シルベスターは生みの親の一人を看取った。しかし彼に悲観はなかった。意味のない人生に絶望した彼が、はじめて生きる意味を、戦う意味を見つけたのだ。彼はトレーニングを始めた。右手でファンファーレを吹きながら、左手でリンゴを齧った。かつて、足を引きずって上がっていた階段を一気に駆け上がった。 最終決戦に向けて、駆け上がった高みから絶叫した。 「エぃドリアァアン!!!」
薬師丸の真実に迫るジャック、黒幕との決戦を決意したシルベスター、そして生死不明のスミカ…。はたしてビッグマウスの正体は、薬師丸事件の真実は…!5話先に最終決戦が迫っていた…!
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シルベスターは決意した、全ての元凶であるビックマウスを倒すと。 だが、ビックマウスを倒すという事は、国を敵に回す事でもある。 「俺1人でもやってやる、何があろうとも…」
「1人で抱え込むな大馬鹿野郎!でもソイツに付き合える馬鹿は俺達しかいない!」
馴染みのある声にシルベスターが振り向くと、そこには懐かしの兄弟達がいた。 「ステイサム! それにアーノルドとセガール、生きていたか!」 「勝手に殺すなよ、俺達が死ぬわけがないだろ」 「俺達はチームであり家族だ、大事な家族の為なら何だってやるさ」 「ありがとう…みんな…! よしやろう、俺達なら出来る!」 「「おう!!」」 こうして4人の男達の戦いが始まった。 「なあ、シルベスター。作戦はあるのか?まさか敵のど真ん中に突っ込んで皆殺しにするわけじゃないだろう?」 「そりゃいいね、昔を思い出すよ。」 アーノルドは懐かしむように呟いた。 「幾ら何でもそれは無謀だ」 「作戦はあるのか?」 「あるさ、とっておきのがな」 シルベスターは得意げに言った。 「いつも通り、俺達のやり方でやる。それだけだ。」 「そりゃいい!ドンパチ賑やかにしようじゃないか!」 アーノルドはわくわくとした表情で今にでも走り出しそうだ。 「よし!まずは武器弾薬車両が必要だ、買物にいくぞ!」 「「おう!」」 今から祭りの準備をする子供のの様に無邪気に返事をした。
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私の名は薬師丸浩公。 ずっと原子に関する研究を続けていたが、現政府の元でそれを続けるのは容易なことではなく、公に専門家の協力を募ることもできないため、あらゆる知識を身につけることになり、現在は何を専門としていたのか分からなくなるほど私の研究は多岐に渡っている。 そんな私がSS効果を発見したのは一年前、すぐさま実用化したSSS(SSシステム)を発表しようとしたが政府はそれを許さなかった。SSは、物質の形状を一段階前に戻すことができ、たとえ放射線に晒され壊れた細胞も、周辺の細胞の記憶を引き出して復元することができる。 これを一大スケールで採用すれば、汚染された世界を修復することも将来的には可能であり、更にはあらゆる物質の耐久性、耐用年数の半永久化、様々な病気の治癒、それどころか不老長寿も視野に入るほどの夢の発見だった。 私は世紀の発見に浮かれていて、気付いていなかった。SSSがあらゆる夢を叶えるということは、あらゆる現実が崩壊し損害を被る人間が余りにも多いことを。耐用年数がなくなればあらゆる産業が乾き、不老長寿は医療関連、美容健康商売にとどめを刺す。 放射線の汚染により地上を追われそうになりながらも、人類はまだ目先の利益を諦められないのだ。 SSSを使えば十数年で地上は洗浄でき、放射性物質の問題は残るが、被曝を治癒することがSSSにより可能になればその対応も少しずつ進む、はずだった。 しかし、人々は今の社会システムを大きく変えることの方を恐れ、夢の発見は私もろとも歴史から消えた。 夢の発明とは、たどり着くのが困難だから夢なのではない。現実と矛盾し、現実を支配してる者たちに損をさせるから、だからこそ夢なのだ。 私は絶望し地の果てに身を隠した。 …だが私の夢は思わぬ形で叶うことになる。 世界に見捨てられ、世界を見捨てたおかげで私の研究は妻の病気を治すことに集中し、妻は持病を完治、半不老長寿を手に入れた。それだけで私は世界一の幸福を感じられた。 だがしかし妻は死んだ。何者かに徹底的に拷問を受けて、惨たらしく殺害された���犯人は分かっていた。政府の者たちだ。一度は捨て置いた私の夢を、世界にいよいよ汚染が広まった今になって拾いにやって来た。唯一の実証である妻を攫い、調べ、知っていることを吐かせるために、徹底的に痛めつけ殺したのだ。 わけもわからず、生涯かかっても感じないほどの苦しみを与えられ、無残に殺された、何も知らなかった私の愛するひと。
今度こそ世界に絶望した私だったが、そんな私が現実に戻ることができたのは…、彼女の遺してくれたもの…娘の存在があったからだ。 娘にもSSSの加護は備わっていた。遺伝というべきか。詳しくはわからない。だが、私たちの娘には異様な成長の遅さと、驚異的な治癒能力があった。娘は汚染された世界を物ともせず、のびのびと成長した。 私は決意した。妻のように、私のせいで娘が苦しむことはない。私は娘を労働者の宿舎に売った。過酷な労働も、SSを持つ娘なら心配いらないと思ったからだ。娘を“売った”収入は、家族にしかわからない場所に隠しておいた。娘がのちに回収できるよう。娘は私とともに生きないほうがいい。自分の研究のために妻を悲惨に死なせ、娘まで過酷な労働を強いた私に、未来など望めない。私はこのビデオメッセージを遺して消えるつもりだ。この世から、永久に。ただひとつ望むのは娘の、…スミカの…永い生涯が幸福なものであるよう。…それだけだ。
そこで薬師丸は悔しそうな表情をカメラから隠し、撮影を止めた。ペンダントに遺っていた衝撃の事実を知り、ジャックは放心していた。 「なんてこった…。あの、スミカが…薬師丸の娘…。地上を救う最後の希望だったなんて…。俺は、俺たちは、最後の希望を…死なせてしまった」 ジャックはその場でうずくまって声を漏らした。 「…ちくしょう」
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シルベルターはステイサムに質問した。 「なあステイサム、どこかいい店知ってるか?」 「何言ってんだ、お前も知ってる店だろ?」 そう言って、4人は軍用ジープである場所へ向かった。 「さて、壊物だな。」 アーノルドは何処からか重火器を取り出し、肩に担いだ。 セガールはというと、 「俺一押しのガバメントコレクションが火を吹くぜぇ!」 とお気に入りのカスタムを施した45口径ガバメントを2丁ホルスターにしまった。 「今から武器弾薬の100%OFFのバーゲンセールだ!!」 シルベルターの掛け声と共に、4人は軍事倉庫を襲撃した。 そう、たった4人でだ。 当然武器を持った集団が、正面ゲートから歩いてくるのを警備兵は見逃せなかった。 「おい止まれ!武器を捨てて両腕を頭のう…」 警備兵の1人が警告を言い終わる前に、セガールが頭に1発撃ち込んだ。 不審な武器集団が攻撃を仕掛けてきたので、すぐさま反撃しようとするも、 ステイサムとシルベルターが的確に門周辺の警備兵を撃ち抜いていく。 これだけの騒ぎが起きたので、ぞろぞろと警備兵の応援が門から出てくるも。 アーノルドの重機関銃が火を吹き、けたたましい轟音の後、目の前には誰も立っていなかった。 「ドアにノックもしたし、入ろうぜ。」 アーノルドがニヤリと笑うと白い歯が見えた。 釣られて3人もニヤリと笑う。 そして彼らは“買い物”を楽しんだ。
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「手を貸してくれ」 ジャックは思いつく限りの知人に助けを求めていた。自分の見殺しにしてしまった者の、遺志を継ぐつもりで政府と戦おうとしていた。ジャックは優秀な捜査官だ。一人では戦える相手でないことはよくわかっていた。 しかし、いい返事は一度も貰えなかった。誰もが世界を敵に回せる程、人生に失望はしていなかったのだ。そもそも彼の語る真実を信じられない者が大半だった。 「こいつイカれてるんじゃないか」「政府の陰謀?ドラマの見過ぎだぜ」心ない言葉を浴びせられることもあったが、ジャックはめげなかった。そんな彼の前に懐かしい顔が現れる。 「く、クリステンセン?生きていたのか!」 「ああ、懐かしいな」 「丁度いい、おまえに手伝って欲しいヤマがあるんだ」 「薬師丸のことをか」 なぜそのことを…?ジャックは異変を感じ取った。 しかし、遅かった。同時に、さっきスカウトしていた飲み屋が爆発した。クリステンセンが念力を使ったのは明白だった。ジャックの灰色の脳細胞は状況を察した。 「おまえ…。口止めか」 「流石だな捜査官。あの件は誰にも知られたくない。お前が言いふらすからここ数日は忙しかったよ」 「ちくしょう…俺が事情を説明した全員もか…。でも甘かったな。この件はすでにネット上にリークした!さすがに地下市民全員を始末するわけにはいくまい…!」 「なぜだ?」 クリスの予想外の返答に、流石のジャックも呆然となった。 「その程度もできないと思っているのか?連邦捜査官にあるまじき見当違いだな」 「政府が民を殺してどうする…!国民がいなくて政府など成り立たないぞ…!」 「はっはは!そうか!そこからか!いつ黒幕が政府だと思った。あの方にとって政府も地下市民も同じ!全人類が復讐の対象だ」 「なんだと…!何を言ってる!おまえのボスとは誰だ!おまえはなぜ闇に堕ちたのだ!クリス、おまえはギガンテで映画を愛する者たちと暮らしてたんじゃないのか!」 「映画こそ邪悪の権化だ!!全ての娯楽は放送コードに従い、親とみても気まずくならないファミリー向けに染まるべきなのだ!!」 「そこまで腐ったか!!そんな方針ではアバターもデッドプールも産まれなかったんだぞ!!」 「テレビヒーローの貴様がよく言う…。見ろ、この兵隊たちを。すべてあの方の配下だ」 そこには屈強な戦士たちが不気味に揃っていた。鋼鉄のアーマーを来た男、星のあしらった楯をかざす男、鋭利なツメを持つ男に車イスの超能力ハゲ。さらには、単眼で緑の化物と水色の大きな野獣というモンスターコンビ、喋る魚やスポーツカーに至るまで…。その軍隊は強大という言葉では足りない程の戦力を有していた。 「ジャック…。貴様が真実を公開したお陰で計画が早まった。責任を感じることはないぞ?あのお方は元から、生き残った人類すべてに復讐するつもりだった」 「クリステンセン…。おまえは、おまえたちは一体…、何をする生み出すつもりなんだ」 「ふ…夢の国さ」 ついにビックマウスの全人類に向けた総攻撃が始まった。しかし対抗しようという者たちもいる。少数だが最強の筋肉と意思をもつものたちが…。地下へと落ち延びた、人間たちの、最終決戦が、…始まった。
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軍事基地を完全に制圧したが、ステイサムは基地の指揮官だけは生かしたまま拘束していた。 「いいか坊や、通信が入って基地の状況を聞かされたら、“何も起きてない”と伝えるんだぞ、出来るな?」 指揮官はこの世の終わりのような顔で何度も頷いた。 「よし、いい子だ。だが見張ってるからな?悪子にはお仕置きが必要だ。」 ステイサムの感情のこもっていない言葉が指揮官の耳を通り抜ける。 「俺はここを見張ってるから、3人は装備を集めてくれ。」 するとアーノルドが1本の葉巻を取り出し、ステイサムに差し出した。 「暇つぶしにやるよ、とっておきのだ。」 「ありがとよ」 こうして3人はそれぞれ基地の倉庫を物色し、準備を始めた。 「シルベルター、乗り物は何にする?」 アーノルドが葉巻を吸いながら聞いた。 「あの戦車がいいだろう、複合装甲に120mm滑腔砲。乗員は4名、俺らにぴったりだ。」 成る程と言わんばかりにアーノルドが頷くと。 「デカイし舗装路を80キロ程しか出せんノロマの固いだけの乗り物だ。それよりもコイツはどうだ?」 と、セガールが指を指す先には2両が連結した戦闘装甲車だった。 「コイツなら何でも載せられて、必要ならば2両目を切り離せる。」 2人は納得した表情でうなづき、早速準備を始めた。 そのころステイサムはというと。 「この葉巻美味いな、お前も吸うか?」 指揮官は子犬の様に怯え、首を横に振る。 するとステイサムの持っている無線から連絡が来た。 「買い物が終わった様だな、吸いかけだが味わっておけ指揮官様よ。」 と、吸いかけの葉巻を指揮官の口に咥えさせた。 「じゃあな、達者でなぁ〜」 手を振って指揮官と別れを告げた。 十数分して倉庫に着くと、ステイサムは蔓延の笑みで喜び叫んだ。 「こりゃ最高にイカしたアートだな!」 準備をしていた3人もステイサムの反応を見て満足げに笑った。 「それじゃあいっちょ、ドライブに出かけるか。みんな、おめかしは済んだか?」 これから4人の大反撃が始まる。
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ビッグマウスの兵隊たちは、次々と政府の拠点を強襲していった。 突然の敵の出現に、何の準備もできていない政府軍は次々と陥落していった。圧倒的なその戦力に政府の最終兵器、独占禁死砲も歯が立たなかった。突然の襲撃に混乱する軍や民間人、その中にあって、ひとりの男だけが抵抗の舵を取っていた。人々へ呼びかけて体勢を立て直し、反撃を画策していた。連邦捜査官、ジャックだ。 ネズミの兵隊を仕切るクリステンセンは苛立っていた。 「なぜだ。これ以上計画を遅らせてはならないというのに。…奴を侮っていたか…?」
ジャックの元には次々と仲間が集まっていた。 「きてくれたかマイケル!」 「ライバルのピンチだ。何処からだって脱獄してやるさ」 二人は固い握手を交わした。ふたりは長年視聴率を争っていた戦友だ。 「俺もいるぜ」 「俺のシゴトにはこいつが必要不可欠でね」 「頼りにしてるぞ!リンカーン」 「ジャックおまえの働きのおかげで反撃の目処が立ってきた。アルバカーキでは科学者のブライアンが、セントラルシティにはグリーンア○ーとフラ○シュ、スー○ーガールと彼女の従兄弟も合流したらしい。まぁバッツがいないのは不満だが、ア○ーがそれなりにやってくれるさ」 「よし!絶対に逆転してやろう‼︎‼︎」 「ああ…。やつらに電波フィクションがスクリーンフィクションのスピンオフの場じゃないと思い知らせてやろう!」 「おい、俺にはさっぱりなんだが普通にドラマと映画じゃダメなのか?」 相変わらずの掛け合いに三人は大笑いした。
「ジャァアックッ‼︎‼︎」 クリステンセンが絶叫した。 「なんだ?こいつ呼ばれてるのか?」 「いや、手頃な名前だからだろう?ジャックは全米で1番叫びやすい名前だ」 「チクショオオ」 そしてまた三人は大笑いした。 「ジャァアックッ‼︎‼僕と闘えッ‼︎‼︎」 ジャックははにかんで戦友達に問う。 「目の下を真っ黒にして俺を呼んでる危険人物がいる。ここは任せられるか?」 「ああ、任せろ」 ジャックはコロコロ系アニメ最終回さながらに理由なく空中に飛び上がると、クリステンセンのいる空中1000キロで静止した。 「あいつのライトサーベルに、ついさっき野生のテロリストから奪ったワルサーPPで敵うだろうか…。いや、やってみせる。いくぞクリステン‼︎‼︎」 「僕を舐めるなよォオ‼︎‼︎」
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ステイサムが歓喜していた車両の説明をジルベスターが淡々と説明していく。 「コイツは8輪装甲車を2台連結し、互いに行き来出来るようになっている。装甲は厚さ30mm複合装甲に爆発反応装甲で側面を防御している。」 「上に乗っかっているオモチャはなんだ?」 ステイサムが聞くと、アーノルドが答えた。 「1両目には、20mm対人連装砲に、グレネードランチャー4機を搭載。2両目には、対空砲レーダー搭載30mm対空砲だ。射程に入れば勝手に撃ち落としてくれるお利口さんだ。」 「政府も随分贅沢なモン持ってんな」 「運転は俺がやろう」 とセガールが割って入ってきた。 皆が顔を合わせてうなづくと、それぞれの配置に着いた。 「よし、いくぞ!」 とセガールが声を上げると扉を突き破り、彼等が乗った装甲車が景気良く走って行った。 「ところで行き先は?」 セガールが聞くと。 「まだ分からん」 とシルベルターが答えた。 「はぁ?どういう事だ、流石の俺も怒るぞ?」 「まあ落ち着け、装甲車に搭載されていた政府軍の基地情報見てみたら、どうやらビッグマウスのヤツが軍隊を送り込み、次々と潰し回っている。」 「奴らとうとう暴れ出したか」 ステイサムが言うと、シルベルターが何か閃いた。 「ん?政府軍の壊滅順序が波状になっているな、もしかしたら…」 「そこにヤツがいるかもしれないな。」 ステイサムが少しやる気を出した感じで答えた。 「それでは皆さん、シートベルトを締め下さい、少々揺れますよぉ!」 セガールがアクセルをフルスロットルにいれ、装甲車は爆走して行った。 一方その間アーノルドは、対空砲の座席に座り、砲塔の電子端末を弄りながら葉巻を堪能していた。 「ワクワクして来たな」
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ここはセントラルシティ。 緑色のフードを被った男は仲間達に貰った弓矢で、黒づくめで悪人面の弓使いと交戦していた。 「くそ、あいつの眼…。マインドコントロールでもされてるのか⁈」 黒いアーチャーは終始無言だ。 ナショナルシティの怪力少女は夢の国軍の魔女と、怪力少女の従兄弟は星条旗盾男と戦っていた。 「それだけの力を持ちながら、なぜ人々を襲う!」 従兄弟は星条旗男に問う。しかし星条旗男は無言だ。従兄弟はさらに尋ねる。 「僕は君が、別世界とはいえ、正義のヒーローなのだと思っていた!…そんな君が!なぜだ!なぜビックマウスと群れている⁉︎」 「…は…ない…」 星条旗男が口を開いた。従兄弟は戸惑いながらも耳をすませる。 「こ…れは…ア…べ…ジャーズでは…ない…。私た…ちが目指して…いたのは…、こ…んな…インフィニ…ウォ…では…な…い」 「なんだ!何を言ってる⁉︎」 途端、星条旗男の身体がドロドロと融解し始めた。従兄弟がその姿に不意を突かれた隙に、溶けた星条旗男は、従兄弟さえも凌駕する怪力で彼を吹き飛ばした。従兄弟は三つほどのビルを貫通して地面に叩きつけられた。 「カル!」 怪力少女が従兄弟を心配する。 しかし彼女の戦ってた相手も融解をはじめる。そう、ネズミ軍の兵隊がすべて溶け始めたのだ。 想定外の状況に体制を立て直すチーム、合流した最速の男が揶揄した。 「あれ、これってこのまま敵が自滅する展開だよね?」 「どうも違うらしいぞ。これまでよりずっと強力になってる」 フードの男が弓を構えながら吐いた。 従兄弟が瓦礫を吹き飛ばして復活して言う。 「いまハッキリした!やつらは映画スターなんかじゃない!すべて偽物だ!培養された生物兵器!バイオ戦士だ!すべてバイオブ○リーと同じ!ビッグマウスは世界中に夢を与えるクリエイターなどではなく、バイオ戦士という玩具にはしゃぐジャガー○バッダ男爵なんだ!」 必死で抵抗するチームだったが、さらに強力になったバイオ戦士たちに次第に追い詰められていった。
そして、必死の抵抗も虚しくジャックは、弾が尽きて満身創痍のままクリステンセンの前に立ち尽くしていた。 「これで終わりだ」 トドメを刺そうと振り上げたクリステンセンの腕からどろりと音がした。
29
「目標まで後何キロだ?」 スタローンがセガールに聞くと、「あと1キロちょいだな」 するとステイサムが「ビッグマウスが俺たちの動きを把握していない筈がない、なのにやけに静かだ…」 3人が考え込んでると、車内通信でアーノルドが「11時の敵機襲来!かなりの数だぞ!」 「セガール、運転変わってナビをしてくれ!スタローンとアーノルドは上の砲塔でハエを撃ち落としてくれ!」 「「おう!」」 スタローン達が乗る装甲車に無数の小型無人機が迫る。 スタローンは、対人連装砲で無人機を次々と撃墜し、 アーノルドは隊列で迫る無人機に対空砲の榴弾で木っ端微塵にしていく。 無人機のチェーンガンは装甲車の分厚い装甲を貫けず、火花を散らすだけだった。 すると無人機達は攻撃をやめ始めた。 「攻撃が止んだぞ?何が起きてる?まあ良い、ビッグマウスの拠点ゲートは目の前だ!突っ込むぞシルブプレ!」 装甲はまるで映画のスクリーンから飛び出したかのように、ゲートを突き抜けた。突き抜けたのだが… 「なんだこりゃ、映画館じゃねぇかよ…どうなってんだ!?」 「ビッグマウス!出て来やがれ!そこにいるんだろう!?」 4人は不審に思った、映画スクリーンの事だ、ゲートは金属製でできているように見えた、なのに実際はスクリーンから飛び出した様な絵面になっていた。 「おいまてよ?まさかこれって…」 「そのまさかだよ諸君!」 「誰だ!?」 4人は銃を構え、辺りを警戒する。 「お前がビッグマウスか?隠れてないで出てきて面見せろよ」 ステイサムが挑発してみると、スーツを着た老人が現れた。 そしてビッグマウスは話し始めた。 「君達4人が何故死ぬ事なくここまで来れたと思う?」 「手加減しておびき寄せる為か?」 「正解だが、ちょっと違う。君達4人が死なないのは、■■■■■■■と■■■と■■■■の存在があるからだ。」 「「!?」」 4人は驚愕した、自分がどうやって産まれ、行動して生きているのかを。 「そんな…そんな…」 「この野郎!嘘つくんじゃねぇ!!」 4人は一斉にビッグマウスに銃弾をお見舞いした、かに見えたが… 「それはプロップガンだ、残念だが…そろそろフィルムが切れる頃だな、また皆んなを楽しませてくれよ?さらばだ。」 ビッグマウスがそう言うと、辺りは光に包まれ、映画館は何事もなかったかの様に元どおりになった。 「さて、次の新作を考えようか、皆んなを魅了する作品を…」
END
未公開バージョン
12
「すごい、なんて巨大なんだ」 それは亀の形をした要塞のような建造物だった。しかしよくみると重低音を響かせて少しずつ移動している。やはり巨大な戦艦にでも例えるべきか。 「たしかに見てくれは立派だよ。あたしら労働者たちを使ってるのは金持ちの、経営者殿だからな。みえるかい?あの頭から首に当たる部屋が、あたいらの雇い主がくつろぐ部屋だ。その下ではあたしらみたいな地下労働者の一部が、ただでさえ派遣先でクタクタになってるのに、この亀の動力部でもコキを使われてるのさ。あたいらの生活は24時間単位で管理されて、労働者というか奴隷のように使われている。でもさ、そうしないと飯が食えないからね」 「辛いな…。CTUに推薦してやろうか。君ならいい線行きそうだ」 「いやだよ、あんな解体されたり復活したりする不安定な職場。あんただってシベリア送りならぬロシア送り…」 「やめろォ!リブアナザーデイの話はするな!まだ見てない人もいるんだァ!!」
17
俺はとんでもないことを知った。 『あと30秒で地面に激突します』 いつもの癖で大急ぎで動いていた為、宙を飛んでいたことを忘れていた。 ペンダントの警告装置が鳴り響く。 『衝撃に備えてください。衝撃に備えてください』 しかし、あと30秒でできることなど…!くそ、あれしかない…! 「チクショオオッ!!!」 叫ぶことしかできなかったジャックは顔面から地面に突き刺った。
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■「天皇と軍隊」みて考えたことのメモ
▼ドキュメンタリー映画「天皇と軍隊」を観る(渡辺謙一監督:2015年)。
〇レンタル視聴はこちらから・・
https://www.youtube.com/watch?v=DoeG_Gafafw
▼フランス語の字幕がつくなど、広く世界の人に鑑賞してもらおうという意図もあったのだろう。何か独自の視点を打ち出すというよりも、自国民にとっても複雑怪奇な存在である「象徴天皇制」や「自衛隊」がいかにして誕生したのか?また、誕生後、それらを巡りどんな社会問題が起きたのか?などについての「トピック集」のような作りになっていた。
▼「出てくる有識者がパヨクに傾いている」とか言いたい人もいるかもしれないが、内容自体は比較的フラットだったと思う。興味があれば観てほしい。
▼個人的には、「戦後憲法の成立過程」のくだりが興味深かった。だが、同時に「やや欠けている視点がある」とも思い、自分の考えも書きたくなった。
▼ざっくり言えば「国連との関係」という視点が足りていない。そのことの意味はおいおい書くとして、思ったことから書き進める。
■戦争に対する自分のスタンス
▼「戦後憲法--特に9条--をどう思うか?」について何か言うためには、まず自分の立ち位置から語りたい。
▼俺は、相手が憎くて憎くてしょうがなくて激情に駆られて殺してしまうのならともかくも、そこまで憎くもない人間を殺したくはない。というか人を殺す勇気がない。
▼また、殺したくないので「やっといてよ」と他人に頼むことも、できる限りしたくない。たとえ他人が「いや、こっちでやっときます」と言ってくれたとしてもだ。
▼そう考えるので国家同士の戦争などしたくない。「敵国の戦闘員」だといっても、自分にとって「憎くてしょうがない」というほどにはならないし、自分は殺したくないからといって軍人(自衛隊員)にやってもらうというのも正直嫌だ。
▼もう、そんなに戦争がしたいならソイツらでレディ・プレイヤー1みたいにVRでも着けてバーチャルワールドで戦ってくれよ!と思う。「俺はガンダムで行く!」とか言ってさ。
▼しかし「絶対平和!」と叫んでいれば世界が平和になるとも思っていない(同時に、叫ばなければ、理想からどんどん離れていくとも思っているが)。ともかくも何らかの軍事的な力を伴った安全保障体制が必要だろうとは思う。
▼では、どうならいいのか?究極的にはこうなればいいと思う。
①今、各国にある軍隊は全て「国際連合」の持ち物とし、それぞれの国の意志だけでは使えないようにする。つまり今各国にある軍隊は「国連軍の一部隊」とする。
②それでも隠していた武器や、闇取引で手に入れた武器で武装し、他国に攻め込む国軍はいるだろう。その際は、「国際連合全加盟国の多数決」で「国連軍の一部隊」を攻められた国の防衛のため派兵するか否かを決める。
③また、派兵される「国連軍の一部隊」は、できうる限り無人兵器やロボット兵器化し、殺傷に人を使わないようにする。
=これを「理想状態X」とする。
▼もちろん、こうすれば全ての問題が片付くとは思っていないし、現実にどんな手続きを経れば、その状態に辿り着くかも、ちゃんと考えていない。なもんで自分は「パヨク」と言われてもしょうがないと思っている。。
▼それでも、理想状態を設定しなければ、そこに向かって進むこともできない。
▼それに何より理想状態を設定しないまま現状への対処を考えると、いつも「��当たり」になってしまう。で、「場当たり」に「場当たり」が重なって、気づけば何が何だかわからなくなっている…ということになる(今がそうだろう)。
▼ともあれ「理想状態X」になればいいと思うし、そうなれば「憲法9条」の理想も実現できると考える。つまり、交戦権はもとより自衛権も放棄できる。なぜなら日本国が手を出さなくても「(ロボット)国連軍の一部隊」が守ってくれるのだから。
■国連憲章と日本国憲法
—国連「バージョン0」と「バージョン1」—
▼そんな自分のスタンスを踏まえ、憲法9条成立までの経緯を追う。
▼前に別の場所でも書いたように憲法9条が複雑怪奇になってしまったのは、
「バージョン0/バージョン1問題」があるからだと思っている。
▼これは国連憲章成立の紆余曲折と関わっている。「天皇と軍隊」では、ここの視点が足りないと思った。
▼国連憲章の成立過程を追うには、さしあたって「大西洋憲章」や「ダンバートン・オークス会議」をみなくてはならない(特に後者)。
▼ダンバートン・オークス会議は1944年10月に開始。太平洋戦争の決着もついていないうちから「もう我々連合軍が勝つ」という想定の元、米英が中心となり、第二次大戦以降の世界秩序のあり方を論じあったのだった。
▼第一次世界大戦の惨劇を受け作られた「国際連盟」は、戦争放棄をルールにしたものの、その決まりを破った国をどう封じ込めるかについて結局、明確な手続きを決められなかった。
▼そのせいで第二次大戦が起きてしまった。「今度こそ世界が血で血を洗う争いに巻き込まれてしまう可能性を防ぎたい…」
▼そう思った英米両国は、国際連合の創設と、常置の国連軍の設置を考えていた。
そして…
② 世界各国は侵略戦争も自衛戦争も放棄。
②武力を持てるのは国際連合所有の国連軍だけ。
③それ以外の国々の武力は、刀狩りのような形で順次とりあげていく
…という段取りにする予定だった。
◆ここで、その段取りにより実現した状態を「バージョン0」と呼ぶことにする。
◆これは俺がさっき「理想状態X」として書いた状態と近い。
◆もちろん「国連全加盟国の多数決」で国連軍を動かすことや「ロボット兵器」に関することは書いていないが、戦争放棄を前提に、世界で武力を持てるのは国連軍だけという設定は俺の言う「理想状態X」に近いと考える。
▼だがその後、ソ連、中国らを加え「国際連合憲章」が作られていく過程で「バージョン0」は変質していった。
▼具体的には国連軍の集め方を巡って米英とソ連の意見が分かれた。アメリカは強大な常設の国連軍の設置を主張、一方、ソ連は小規模な軍事力の供出を主張というように。
▼そして結局、最初に構想したような「常置の国連軍」は作られずに終わった。
▼また「その代わりをどうするか?」を巡っても、各国の思惑が入り混じった
▼その結果、1945年10月24日発布の「国連憲章」はこうなった。
世界の全国連加盟国は、侵略戦争も×、自衛戦争も×=交戦権を放棄。
そのルールを破った国は、国連加盟国全体で封じ込める。
封じ込めには、加盟国各国が自国の兵を出し合い国連���国籍軍を結成。国連の旗の元ルール破りの国めがけ出兵。これを集団安全保障と呼ぶ。
ただ出兵には常任理事国5大国(米・英・仏・ソ・中)の全会一致が必要1国でも「兵を出さなくてよい」と拒否権を発動すれば国連軍は出ない。
そうなると国連多国籍軍の結成に手間取ったり「派兵ナシ」が起きる。
その事態に対処するべく交戦権の”例外”として「自衛権」を認める。
つまり、国連多国籍軍が結成され「ルール破りの国」を成敗しにやってくるまでの間、自国軍で防衛する(個別的自衛)。もしくは、自国軍+自国に関係の深い国の軍に頼んで防衛する(集団的自衛)ことを許可=交戦権の違法性を阻却する。
’ちなみに「交戦権の行使によるバトル状態=戦争」と「自衛権の行使によるバトル状態=交戦状態」とは見た目的には似ているが「別モノ」と考える。
そして戦争は×、集団安全保障による交戦状態は〇、自衛権の行使による交戦状態は△とする(例外的に違法性を阻却するので「○」ではなく「△」としている)。
◆この状態を「バージョン1」と呼ぶことにする。
◆こうみると「バージョン0」と「バージョン1」では、③以降が少し変わってしまっている。
◆これは俺がさっき書いた「理想状態X」からも離れてしまっている。
・ 派兵決定が「全国連加盟国の多数決」と「常任理事国の全会一致」で違う
・「自衛権ナシ」と「自衛権の例外的許可(違法性の阻却)」で違う。
…等の点で差が生じる。
◆加えて言えば、「5つの常任理事国の全会一致が条件」では国連多国籍軍が出る可能性はぐっと減り、各国の自衛権(個別的自衛権&集団的自衛権)の行使がメインになる。さきほどの〇△×でいえば、〇があまり機能しなくなり、△がメインになる。つまりは×に近い方の△が中心になるということだ…
■憲法9条と「4重の封じ込め」
▼ともあれ、この流れをふまえ今度は日本国憲法-特に9条-の成立過程を追う。
▼俺的な整理でいえば憲法9条は「4重の封じ込め」により生み出されたものだ
▼「4重」とは…
①世界大戦の封じ込め
②天皇訴追の封じ込め
③「敵国(枢軸国)」の封じ込め
④「アカ」の封じ込め …の4つだ。
▼ここで、①~④について補足。
●①は先に、国際連合憲章成立の過程で書いたこと。
つまり、「もう世界中を巻き込む戦争を起こしたくないので各国は戦争放棄をする。だから日本も戦争を放棄するため武力を持たないようにする」の意味合い。第三次世界大戦を封じ込めるために武力をもたせたくないとの観点から9条が書かれた。
●②は、天皇を「東京裁判」に引っ張りだされないようにする観点。
戦後、ソ連、中国、オーストラリアなど連合国の首脳たちは敵国である日本軍の最高責任者とみなされていた昭和天皇を「東京裁判」に引きずり出し処刑したかった。だが、連合国の命を受け日本の占領を担当していたマッカーサーたち米国軍は、天皇が処刑されると彼を神とあがめる日本人たちが一斉に反乱すると恐れた。
そこで、天皇が東京裁判で処刑されないようにするべく、アメリカは超平和主義的な憲法草案を天皇に支持させた。そして「ワタクシ天皇は、もともと五箇条のご誓文に基づく民主的な国を作りたかったが、暴走した軍部に止められた。その軍部が成敗された今、この民主的な憲法の元再出発したい」というふうに連合国首脳たちにアピール。
そのことで「じゃあ、天皇はもともと民主的だったんだからワルじゃないな」と思わせ訴追を回避しようとした。
●③は、「敵国の武装解除」的観点。
日本は、ドイツ、イタリアと並ぶ連合国の宿敵「枢軸国」の一員。そんな敵国が二度とアメリカや連合国に歯向かってこないよう武装解除させたかった。その観点から「戦争放棄」=「武力放棄」が書き込まれることとなった。なお、この観点から米軍が居続ける理由が生み出された。いわゆる「ビンのフタ論」だ。
●④は「共産主義勢力台頭の監視」的観点。
これは9条が書かれた要因というよりは、米軍が居続けた要因というべきかもしれない。1945年当時は、ソ連を始め共産主義勢力の力が強く、国内にもそのシンパがたくさんいた。彼らは日本が敗戦し、もう軍事に使う金や人員が足りないのをいいことに「今だ!」と反乱を起こすかもしれない。それを恐れた天皇は彼らを封じ込めるべく、軍事力のない日本に変わって米軍にいてもらおうと思った。で、米軍にいてもらうのなら金もないのだし「丸腰でもいいや」と思い、9条が許されてしまった(という見方もできる)。
▼ともかくも、9条はこのように1つの理由からできたものでなく「一石何鳥」というか、複数の要因がからまりあって生まれている。
▼それを忘れてしまうと、いわゆる「押し付け憲法論」のようなものが幅を利かせてしまう。「日本はアメリカによってヘタレにされるべく、9条のような屈辱的な憲法を押し付けられたのだ。今こそ、そのヘタレ化の鎖を解くのだ」といったような。
▼これは先の整理でいうと③の観点しかみていない。②の観点が抜け落ちてる
▼言い方を変えれば「じゃあ、その9条を押し付けられなければどうなっていたのか?」という観点が抜け落ちている。
▼②をふまえるなら、9条を押し付けられなければ、天皇は東京裁判に訴追され処刑されていたかもしれない…。「押し付け憲法」を言う人は、それでもよかったのか?ということだ。彼らの多くは「右派や保守じゃなかったけ?」という話だ。
▼あえて、皮肉めいて言えば「押し付け憲法」を批判できるのは、右派よりもむしろ、「天皇制廃絶」を唱えていた左翼なのではないか?
◆ちなみに「天皇処刑でもいい」と言った右派は、この映画にも出てくる三島由紀夫だったのではないか…と思う。彼の「人間天皇批判」は、「9条の押し付けと引き換えに“平和的で人間的な”天皇が生き残った。こんなくらいなら押し付けを拒否する代わりに天皇は消えてもよかったんじゃないか」と言っているように思える。だが、ここまでクレイジーなことを言う勇気が今の保守派にあるか…。
◆また、もうひとつ、ちなみにを言えば、こうした背景があるが故に戦後の天皇は「護憲」でしかありえない。「平和的な憲法を自分は元から考えてました」と言うことと引き換えに、処刑されず「サバイブ」できたのだから。ここで「いやあ、あれは生き残りたいがための方便でして、実は平和憲法なんてウソウソ」などと言おうものなら、天皇が歴史を経て作ってきた「カリスマ性」がふっとんでしまう。「ああ、この人、生き残るためにウソついたんだ…」となってしまうのだから。平成天皇はそのことがよくわかっているからこそ、「護憲」を踏み越えようとする現政権をみて「じゃあ辞めます」と言ったんだろうと思う。
▼なお、本作ではこの②の観点からの描写に多くが割かれておりよいと思った
●映画では、1946年1月、東京裁判の開始が迫る中、当時首相の幣原喜重郎と話し「戦争放棄の憲法明記」で一致。
●幣原もその意味を理解しており回想録では「天皇制と国体を護持するためには平和主義国家になるしか道がない」と記している。
●にもかかわらず、2月1日の毎日新聞にリークされた日本側の憲法草案は明治憲法の焼き直し。
●「これでは、天皇はやはり悪者の親玉だったとして、東京裁判に引っ張られてしまう」と焦ったマッカーサーは、ホイットニー民生局長や、���ロタ・ベアテ・ゴードン通訳など米国から俊英たちを呼び寄せ、米国人の手で日本国憲法の作成に着手。
●1946年5月に裁判が迫るため「7日で憲法を完成させよ」というムチャぶりがなされる中、彼ら「チーム・マッカーサー」は超突貫工事で戦後憲法を作り上げた。
●その様子は、まるで未知の怪獣の撃退法を探るべく幾夜も徹夜して書類を作成する「シン・ゴジラ」の「巨災対」メンバーたちのごとくだ。
●その結果なんとか憲法は完成。それを「天皇も支持している」と表明し、国民も拍手喝采してみせることで「悪いのは暴走した軍部だった」というイメージ作りに成功
●こうして天皇の東京裁判訴追は回避された…
●なお、このことを映画では、「天皇制維持は、戦争放棄と引き換えに手に入れられた。1条と9条はコインの裏表だ」という言い方で表現している。
▼一方、先述のとおり➀の観点の描写が薄いのでよくわからないところがある
▼いちばん分からないのが「マッカーサー3原則」のくだりだ。
▼映画では、マッカーサーが俊英たちに憲法作成を発注する際、「この原則に従ってくれ」というメモを渡した。それが「マッカーサー3原則」。
▼映画では、➀民主政体下での天皇制維持、②戦争放棄と戦力不保持、③華族の爵位・特権の廃止と箇条書きになっていたが、②は詳しくはこう書かれている。
――2:国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない――
▼この「今や世界を動かしつつある崇高な理念」に関し、矢部宏治氏は、これは「ダンバートン・オークス提案」の理念のことではないかという。
▼彼が言うには、1946年2月に、連合国の間で「国連軍をどうするか?」についての会議があったことから、その会議などによって「ダンバートン・オークス会議の理念が実現する」とマッカーサーはみていた、という。
▼そして、理念が実現すれば、国連軍だけ��この世に軍隊として存在することになるため、日本はわざわざ軍をもたなくてもよくなる。だから、戦争放棄を書いても大丈夫だろうと思い、あの憲法9条の文言を書かせたのだろう、という。
▼ちなみに、マッカーサーは、理念が実現するまでの過渡期は、沖縄にミサイル基地を置いてしのいでおけばよいとも考えていたそう。
▼だが。時系列的にいえば1945年10月にはすでに国連憲章はできている。つまりダンバートン・オークス提案=先述の「バージョン0」は、もう「バージョン1」に変質している。
▼だとすると、「今や世界を動かしつつある」というが、バージョン0は「すでに動かさなくなっている」のではないか?
▼実はここが矢部氏の本を読んだ時にもわからなかった点。だから、この映画を観ればわかるかもと思って観てみたのだが、やっぱり描かれておらずわからなかった…。
▼これはどう考えればいいのか?マッカーサーは、確かに今は「バージョン0」は各国の思惑の合作によって「バージョン1」に変質しているが、やがては、再び「バージョン0」に戻ってくるだろう…と考えていたのか?
▼それとも「今や世界を動かしつつある崇高な理念」うんぬんは方便であって、実際には米軍を日本に置き続けるために武装放棄をさせただけなのか?
▼自分的には、現時点では、マッカーサーは前者の考えを抱いていたが、J・F・ダレスなど別の勢力は、後者の考えを抱いており、占領前期は前者の側面が憲法制定においては強かったが、次第に後者的なものに憲法の意義が移ってきたのでは、と考えている。
▼つまり先の整理でいえば、占領前期は「➀:世界戦争の封じ込め」と「②:天皇訴追の封じ込め」「③:敵国の封じ込め」の要素が強かったが、その後、冷戦が進むにつれ、次第に「③:敵国の封じ込め」「④:共産勢力(ソ連など)の封じ込め」の要素が強くなっていったのでは…と思う。
▼ともあれ、どうも「チーム・マッカーサー」は「バージョン0」の安全保障体制を想定して憲法9条を書いたフシがある。
▼だが現実には、その当時から、そして今も世界の安全保障体制は「バージョン1」に変質している。
▼この「ズレ」が日本の憲法を複雑怪奇にしてしまった。
▼なにしろ、世界の軍隊はやがて国連軍を残していなくなるし、もし、軍を隠しもっていたワルい国があったとしても、国連軍がやってきて成敗してくれる…そんな世界観で憲法が書かれたにもかかわらず、現実には、国連軍などほとんどやってこないし、世界の軍隊も残ったままだったのだから。
■ 解釈護憲&2項凍結&3項加憲
▼では、どうすればいいのか?
▼現実的に(場当たり的に?)考えれば「今がバージョン1の体制になっているのなら憲法も”それ用”に書き直せばいいではないか?」となりそうだ。
▼それに関し、篠田英朗氏は「護憲派」ならぬ「護憲章派」を提唱し、憲法9条の「書き換え」ならぬ「読み替え」を提案している。
▼これは俺の言葉で言い換えれば、「バージョン0」で解釈されていた憲法9条の文言を「バージョン1」向けに読み替えろということだ。
▼具体的には…
●憲法9条の前文は、国際協調主義の提唱であり、国連憲章2条4項の「焼き直し」だ。
●また9条1項も国連憲章の元になっている1928年「パリ不戦条約」の「焼き直し」。
●そして9条2項の交戦権の否定と、交戦権行使のための武力の不保持も「国連憲章」の大前提。
●だとすれば、結局のところ9条は国連憲章の文言のほぼ焼き直しなのだから「国連のルールに従います」と言っているにすぎない。
●で、「国連のルール」とは先にも書いたとおり、戦争放棄=侵略戦争&自衛戦争は「×」。国連多国籍軍による集団安全保障は「〇」。自衛軍による自衛権(個別&集団的自衛権)の行使は△。
●ならば、日本も集団安全保障への兵の差し出しは「〇」、自衛軍による自衛権の行使は「△」、侵略&自衛戦争は「×」でいいじゃないか?
●で、自衛隊を「自衛軍」と位置づけなおして、集団安全保障への兵の差し出しもできるし、個別的・集団的自衛権も行使できると解釈すれば、それでいいじゃないか。というかこっちが正しい解釈で、今までの解釈の方がどっちかといえばヘン。だから別に文言とか変えなくたっていいんですよ…という。
▼俺もひとまずは、それでいいと思う。
▼ただ、伊勢崎賢治氏は、9条2項は「英語訳すると”交戦権の主体になる権利もない”の意味になる」と言っている。
▼こうなると、自衛権の行使→交戦状態の当事者になる資格もないと言っているわけで、自衛権も行使できなくなる。
▼いや、そもそも俺は、自分の描く「理想状態X」は「バージョン0」に近く「バージョン1」からは遠い、と書いてきた。それとの整合性はどうすればいいのか?
▼これらもろもろを考慮した、今のところの自分なりの解決策は「9条解釈護憲&2項凍結&3項加憲」だ。
▼どういうことか?
●まず、「バージョン0」は「理想状態X」に近いのでいいと思っている。なので、これを理想として「とっておきたい」。
●だが、世界の安全保障体制は今「バージョン1」になっており、これに対応しないと現実には「やっていきづらい」。
●そこで現実に対応するために憲法9条の解釈を「国連憲章の焼き直し」と解釈し直す
●つまり集団安全保障への兵の差し出し「〇」、自衛権の行使「△」、侵略&自衛戦争「×」と解釈し直す。
●そのうえで自衛権行使の妨げになりそうな9条2項を「凍結」する。
●「凍結」としたのは、交戦権も自衛権も放棄するのは「理想ではある」から。
●言いかえれば「削除」してしまうと理想としても放棄することになるからだ。
●そして3項に「2項は凍結する。ただし、世界にダンバートン・オークス提案の理想が実現した暁には凍結はすぐさま解除する」と書く。
●こうすることで「理想」を保持したまま、「現実」に対処することができる。
●「現実への対処」だけにしないのは、先にも書いたように「理想状態を設定しないまま現状への対処を考えると、いつも場当たりになってしまう」からだし、「理想状態X」にも近づけないからだ。
●それだけではない。2項を削除ではなく「凍結」にしておくことで、現実にも自衛権の抑制的な使用が実現できる。「本当に目指したいのは交戦権はもとより自衛権の放棄だ」となっていることで、自衛権を抑制的に行使できるようになる。
●そもそも自衛権の行使は△だ。それが分かっていないと「自衛権は×じゃないんでしょ。じゃ〇なんでしょ。じゃ、やっていいんだったら攻められる前に攻めるも自衛でしょ。それだって自衛なんだからやったっていいんでしょ」という意見が幅を利かせてしまう。
●いや、実際もう幅を利かせてしまっている。だが「やったっていい」と「泣く泣くやっていいことにする」とは意味合いが違う。それを分からせるためにも「本当は自衛権の放棄を目指したいんだ」という理想を削除しないことが大事だと思っている。
■まとめ。
▼というわけで、長々書いてきたことをまとめておく。
➀:俺は心底憎くもない人を殺せないし、殺す作業を外注したくもない。
② :だから戦争は放棄したい。
③ :だが、現実には難しい。だから世界の軍隊は国連軍の持ち物で、その使用には加盟国全体の多数決が必要で、実際の軍隊は無人兵器かロボットの部隊がいいと思う。これを「理想状態X」とする。
④ :で、1944年の「ダンバートン・オークス提案」が描く理想を「国連バージョン0」とすると、これと「理想状態X」は近い。だからまずはこの提案を支持したい。
⑤ :だが、現実の国連は「国連バージョン1」に変質した。
⑥ :にもかかわらず憲法9条は「国連バージョン0」を想定して書かれたフシがある
⑦ :この「文言はバージョン0」だが「現実ばバージョン1」が憲法を複雑怪奇化させた。
⑧ :そこで、理想としてはバージョン0を手放さず、現実にはバージョン1に合わせて憲法を読み替え&加筆する。
⑨ :つまりは「解釈護憲&9条2項凍結&3項加憲」
⑩ :具体的には交戦権はもとより自衛権の放棄も目指すが、現実には自衛権の行使は△とするべく、その障害になりそうな9条2項を凍結。
⑪ :そして3項に「2項を凍結するが、ダンバートン・オークス提案(国連バージョン0)が実現した暁には解凍する」と加筆する。
⑫ :そのうえで2項凍結解除=「バージョン0」はもとより「理想状態X」を目指し進めばいい。
■補論的つけくわえ
▼先に現実には、集団安全保障への兵の差し出し=〇、個別的&集団的自衛権の行使=△、侵略&自衛戦争=×…と書いた。
▼だが、こう書くと「集団的自衛権は△なのか?じゃあアメリカの軍事力行使への”巻き込まれ問題”はどうなるんだ?」との危惧を持つ人もいるだろう。
▼これに対し、保守系の人は「いや、巻き込まれなんてナイって。パヨクはすぐそう言うんだから」と言うだろうが、俺は、その危惧はあっていいと思っている。というか、すでに日米同盟を結んでいるせいで、米朝戦争のとばっちりを食らおうとしているのだから…
▼これまでは「憲法9条」が「巻き込まれ問題」への盾になっていた。つまりは「いやあ、アメリカ様が決めた9条のせいで、ついていきたいのは山々なのですが、兵は出せませんで…」と拒否しておけばよかった。
▼だが、解釈護憲&2項凍結&3項加憲により先に集団的自衛権も△(やむなくアリ)とした。
▼いや、それ以前に日米安保の元、日本に米軍基地を置きそこから米軍が他国に進軍している時点ですでに集団的自衛権は認めてはいる。
▼それでも「9条」のバージョン0的解釈が、集団的自衛権の行使を抑制的にする盾のようなものになってきた。
▼それをバージョン1的解釈にすれば盾が外れるにとになる。どうするか?
▼予算不足&人員不足を理由に時間稼ぎをすればいいと思う。
「借金大国でもう軍事費に予算は割けません。おまけに自衛隊は若い人が入りませんで高齢化&人手不足に悩まされておりまして…ついていく余裕がないんです」と言って時間稼ぎすればいいと思う。実際、予算は割けないし、人手不足で高齢化が進んでいるのだから。
▼で、そうやって時間稼ぎをしているうちに「アジア版NATO」のようなものを作ったらいいと思う。具体的には韓国・東南アジア諸国・インドと軍事同盟を結ぶ。
▼アメリカに巻き込まれてしまうのは、日本の政治家が腰抜けだからというよりも「切れるカードが少ないから」だと思う。
▼アメリカからすれば「日本に守ってもらえば自国は守れる。日本に守ってもらわなくても自国は守れる」。
▼だが日本からすれば「アメリカに守ってもらえば自国は守れる。が、アメリカに守ってもらえねば自国は守れない」。
▼この条件下ではアメリカから「戦争するんで俺たちを守ってよ。」と言われた時に拒否できない。拒否すれば「あ、そ。じゃあ日本に何かあっても守ってやらないから」となってしまう。で、先述のとおり日本は「アメリカに守ってもらえねば自国は守れない」ので、拒否して「日本を守ってもらえなければ」、自国は守れず滅ぶ。
▼だとすれば「はい、守ります」というしかなくなる。
▼逆に日本がアメリカに「戦争するんで俺たちを守ってよ」と頼んでも、アメリカは拒否ができる。なぜなら拒否して「あ、そ。じゃあ米国に何かあっても守ってやらないから」と言われたところで「いいですよ。俺たちは自分で自国を守れるし」と言われてしまう。
▼このように力の差が大きい2国間の軍事同盟では「切れる手札」の差から、「巻き込まれ問題」がどうしても生まれてくると思う。
▼これをなんとかするには2国間同盟で��くすることだ。具体的には「あ、そ。アメリカを守ってくれないんだ。じゃあ、日本に何かあっても守ってやらないから」と言われても「いいですよ、アジア諸国の同盟国たちが守ってくれるんで」と言い返せるようになればいい。
▼よって、「巻き込まれ問題」には「予算&人員不足」を口実に時間稼ぎをし「アジア版NATO」の構築で対処すればいいと思う。
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