#コーナーの内側から縁石が飛び出してくる
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ramiiiiipic · 6 years ago
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もうすでに #筋肉痛 ・ 今日のドリフト練習機でした🤗 ・ 初めてハチロクでまともにドリフトした(人の車) 下手クソは普段使わない筋肉を使ったので早くも筋肉痛です チキンなので雨の日しか走った事なかったけど ドライのドリフトってこんなに楽しいんですね😊 (なんで僕のハチロクより乗りやすいんだろ) 今日はイシカワさんよりも 乗ってた気がして申し訳ないです(ありがとうございました) ・ #ドリフト #練習 #インカットすると縁石が飛び出してくる #コーナーの内側から縁石が飛び出してくる #壊したりひっくり返したりしなくて良かったです ・ #ミラーが無くて怖い #窓が無くて寒い #口がすぐに乾く #前の車から飛んでくるタイヤカスが痛い ・ #激走祭 #モーターランド鈴鹿 #ドリフト #20190210 #toyota #ae86 #trueno #4ag #jdm #oldschool #RAMIIIIIpic #ラミピク #わりと撮る (モーターランドsuzuka) https://www.instagram.com/p/BttIrSQlpdm/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=cmwgr25ehy6a
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shnovels · 6 years ago
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呑まれる
 ギタリストの指先は、本当に硬いんだろうか。  スタジオの鍵をまわしつづける夏紀の指が目線の先にみえかくれすると、ふとそんな話を思い出す。ペンだこが出来たことを話す友人のことも。肩の先にぶらさがったなんでもない手を目にやっても、そこに年季のようなものはうかんでこない。どうやら、私はそういうものに縁がないらしい。  夏紀の予約した三人用のスタジオは、その店の中でも一番に奥まった場所にあった。慣れた様子で鍵を受け取った夏紀のあとを、ただ私は追いかけて歩いている。カルガモの親子のような可愛げはそこにはない。ぼんやりと眺めて可愛がっていたあの子どもも、こんな風にどこか心細くて、だからこそ必死に親の跡を追いかけていたんだろうか。なんとなく気恥ずかしくて、うつむきそうになる。  それでも、しらない場所でなんでもない顔をできるほど年をとったわけじゃなかった。駅前で待ち合わせたときには開いていた口も、この狭いドアの並ぶ廊下じゃ上手く動いてくれない。聞きたいことは浮かんでくるけれど、どれも言葉にする前に喉元できえていって、この口からあらわれるのはみっともない欠伸のなり損ないだけだ。 「大丈夫?」  黙り込んだ私に夏紀が振り向くと、すでに目的地にたどり着いていた。鍵をあける前の一瞬に、心配そうな目が映る。なんでもないよ、と笑ったつもりで口角を上げた。夏紀が安心したようにドアに向き直ったのを見て、笑えてるんだとわかった。少し安心した。 ―――――― 「ギターを、教えてほしいんだけど」 「ギターを?」 「うん」  あのとき私がねだった誕生日プレゼントは、夏紀のギター教室だった。  その言葉を口にしたとき、急にまわりの席のざわめきが耳を埋めた。間違えたかな、と思う。あわてて取り繕う。 「無理にとは言わないし、お金とかも払うから」 「いや、そういうのはいいんだけど」  私の急なお願いに、夏紀は取り残されないようにとカップを掴んだ。言葉足らずだったと反省する私が続きを投げるまえに、夏紀は言葉を返してくる。前提なんだけど、と、そういう彼女に、私はついにかくべき恥をかくことになると身構えた。 「希美、ギター、持ってたっけ?」 「この前、買っちゃって」 「買っちゃって?」  夏紀の眉間の皺は深くなるばかりだった。一緒に生活していると、こんなところも似てくるのかと思う。今はここにいない友人の眉間を曖昧に思い出しながら、たりない言葉にたしあわせる言葉を選びだす。 「まあ、衝動買いみたいな感じで」 「ギターを?」 「ギターを」  私が情けなく懺悔を――もっと情けないのはこれが嘘だということなのだけれど――すると、夏紀はひとまず納得したのか、命綱のようににぎりしめていたカップから手をはなした。宙で散らばったままの手は、行き場をなくしたようにふらふらと動く。 「なんか、希美はそういうことしないと思ってたわ」 「そういうことって?」 「衝動買いみたいなこと」  夏紀はそういうと、やっと落ち着いたかのように背もたれに体を預けなおした。安心した彼女の向こう側で、私は思ってもいない友人からの評価に固まる。 「え、私ってそういう風にみえる?」 「実際そんなにしたことないでしょ」 「まあ、そうだけど」  実際、あまり経験のないものだった。アルコールのもたらした失敗を衝動買いに含めていいのかはわからないけれど、今まで自分の意図しないものが自分の手によって自分の部屋に運び込まれることは確かになかった。  そういう意味でも、私はあのギターを持て余していたのかもしれない。ふとしたことで気がついた真実に私は驚きながら、曖昧に部屋の記憶を辿っていく。社会に出てから与えられることの多くなった「堅実」という評価を今まで心の中で笑い飛ばしていたけれど、こういうところなのか。ち���とも嬉しくない根拠に驚く。  一度考え始めると、それは解け始めたクロスワードパズルのように過去の記憶とあてはまっていく。私が埋めることの出来ない十字に苦戦している間に、夏紀はとっくに問題から離れて、いつものあの優しい表情に戻っていた。 「教えるぐらいなら、全然構わないよ」  拠り所のようなその笑顔に、私は慌てて縋る。答えのない問に想いを馳せるには、この二人掛けはあまりにも狭すぎた。 「ありがと。買ったはいいけど、どう練習すればいいのかとかわからなくて」 「まあそういうもんだよねぇ」  こういうところで、ふと柔らかくなった言葉の選び方を実感するのだ。それはきっと過ぎた年月と、それだけではない何かが掛け合わさって生まれたもので。そういった取り留め��ない言葉を与えられるだけで、私の思考は迷路から現実へ、過去から今へと戻ってくる。  スマートフォンを取り出して予定を確認していたらしい夏紀から、幾つかの日付を上げられる。 「その日、みぞれと優子遊びに行くらしいんだよね」 「そうなの?」 「そう、で、夜ご飯一緒にどうかって言われてるから、土曜の午後練習して、そっから夜ご飯っていうのはどう?」  日本に戻ってくるとは聞いていたけど、その予定は初耳だった。年末年始はいつもそうだということを思い出す。いつの間にか、そうやってクリスマスやバレンタインのようになんでもない行事のようになるかと思うと、ふと恐ろしくなった。 「大丈夫」 「オッケー。じゃあ決まりね」 ―――――― 「そういや、ギター何買ったの?」 「ギブソンレスポールのスペシャル」 「えっ」  いつ来るかと待ち構えていた質問に、用意した答えを返した。準備していたことがわかるぐらい滑らかに飛び出したその言葉に、なんだか一人でおかしくなってしまう。  私の答えに、夏紀は機材をいじる手を止めて固まった。ケーブルを持ったままの彼女の姿におかしくなりながら、黒いケースを剥がして夏紀の方に向けると、黄色のガワはいつものように無遠慮に光る。 「イエロー、ほらこれ」 「えっ……、いい値段したでしょ。これ。二十万超えたはず」 「もうちょっとしたかな」 「大丈夫なの?衝動買いだったんでしょう?」 「衝動買いっていうか、うん、まあそうね」  私の部屋にギターがやってきた真相を、夏紀の前ではまだ口にしていない。どうしようもなさを露呈する気になれなかったのもあるけれど、酷くギターに対して失礼なことをしている自覚を抱えたまま放り出せるほど鈍感ではいられなかったから。結局嘘をついているから、どうすることもできないのだけど。一度かばった傷跡はいつまでも痛み続ける。 「あんまこういう話するの良くないけど、結構ダメージじゃない?」 「ダメージっていうのは?」 「お財布っていうか、口座に」 「冬のボーナスが飛びました」 「あー」 「時計買い換えるつもりだったんだけど、全部パー」  茶化した用に口に出した言葉は、ひどく薄っぺらいものに見えているだろう。欲しかったブランドの腕時計のシルバーを思い出していると、夏紀にアンプのケーブルを渡された。 「じゃあ、時計分ぐらいは楽しめないとね」  そういう夏紀が浮かべる笑みは、優しさだけで構成されていて。私は思わずため息をつく。 「夏紀が友達で本当に良かったわ」 「急にどうしたの」  心から発した言葉は、予想通りおかしく笑ってもらえた。  夏紀がなれた手付きで準備をするのを眺めながら、昨日覚えたコードを復習する。自分用に書いたメモを膝に広げても、少し場所が悪い。試行錯誤する私の前に、夏紀が譜面台を置いた。 「練習してきたの?」 「ちょっとね」  まさか、昨日有給を取って家で練習したとは言えない。消化日数の不足を理由にして、一週間前にいきなり取った休暇に文句をつける人間はいなかった。よい労働環境で助かる。  観念して取り出したギターは、なんとなく誇らしげな顔をしているように見えた。届いたばかりのときのあのいやらしい――そして自信に満ちた月の色が戻ってきたような気がしたのは、金曜の午前中の太陽に照らされていたからだけではないだろう。  ただのオブジェだと思っていたとしても、それが美しい音を弾き出すのは、いくら取り繕っても喜びが溢れる。結局夜遅くまで触り続けた代償は、さっきから実は噛み殺しているあくびとなって現れている。 「どのぐらい?」 「別に全然大したことないよ。ちょっと、コード覚えたぐらいだし」  幾つか覚えたコードを指の形で抑えて見せると、夏紀は膝の上に載せたルーズリーフを覗き込んだ。適当に引っ張り出したその白は、思ったより自分の文字で埋まっていて、どこか恥ずかしくなる。ルーズリーフなんてなんで買ったのかすら思い出せないというのに、ペンを走らせだすと練習の仕方は思い出せて、懐かしいおもちゃに出会った子どものように熱心になってしまった。 「夏紀の前であんまりにも情けないとこ見せたくないしさ」  誤魔化すようにメモを裏返すと、そこには何も書かれていなかった。どこか安心して、もう一度元に戻している間に、夏紀は機材の方に向き合っている。 「そんなこと、気にしなくてよかったのに」  そういう夏紀はケーブルの調子を確認しているようで、何回か刺し直している。セットアップは終わったようで、自分のギターを抱えた。彼女の指が動くと、昨日私も覚えたコードがスタジオの中に響く。 「おおー」 「なにそれ」  その真剣な目に思わず手を叩いた私に、夏紀はどこか恥ずかしそうに笑った。 「いやぁ、様になるなぁって」 「お褒めいただき光栄でございます。私がギター弾いてるところみたことあるでしょ」 「それとは違うじゃん。好きなアーティストのドキュメンタリーとかでさ、スタジオで弾いてるのも���ッコいいじゃん」 「なにそれ、ファンなの?」 「そりゃもちろん。ファン2号でございます」 「そこは1号じゃないんだ」  薄く笑う彼女の笑みは、高校生のときから変わっていない。懐かしいそれに私も笑みを合わせながら、数の理由は飲み込んだ。 「おふざけはこの辺にするよ」 「はぁい」  夏紀の言葉に、やる気のない高校生のような返事をして、二人でまた笑う。いつの間にか、緊張は指先から溶けていた。 ―――――― 「いろいろあると思うけど、やっぱ楽器はいいよ」  グラスの氷を鳴らしながらそう言う夏紀は、曖昧に閉じられかけた瞼のせいでどこか不安定に見える。高校生の頃は、そういえばこんな夜遅くまで話したりはしなかった。歳を取る前、あれほど特別なように見えた時間は、箱を開けてみればあくまであっけないことに気がつく。  私の練習として始まったはずの今日のセッションは、気がつけば夏紀の演奏会になっていた。半分ぐらいはねだり続けた私が悪い。大学生のころよりもずっと演奏も声も良くなっていた彼女の歌は心地よくて、つい夢中になってしまった。私の好きなバンドの曲をなんでもないように弾く夏紀に、一生敵わないななんて思いながら。  スタジオから追い出されるように飛びてて、逃げ込んだように入った待ち合わせの居酒屋には、まだ二人は訪れてなかった。向かい合って座って適当に注文を繰り返している間に、気がついたら夏紀の頬は少年のように紅く染まっていた。  幾ら昔に比べて周りをただ眺めているだけのことが多くなった私でも、これはただ眺めているわけにはいかなかった。取り替えようにもウィスキーのロックを頼む彼女の目は流石に騙せない。酔いが深まっていく彼女の様子にこの寒い季節に冷や汗をかきそうになっている私の様子には気づかずに、夏紀はぽつりぽつりと語りだした。 「こんなに曲がりなりにも真剣にやるなんて、思ってなかったけどさ」  そうやって浮かべる笑いには、普段の軽やかな表情には見当たらない卑屈があった。彼女には、一体どんな罪が乗っているんだろう。 「ユーフォも、卒業してしばらく吹かなかったけど。バンド始めてからたまに触ったりしてるし、レコーディングに使ったりもするし」  ギターケースを置いたそばで管楽器の話をされると、心の底を撫でられたような居心地の悪さがあった。思い出しかけた感情を見なかったふりをしてしまい込む。 「そうなんだ」  窮屈になった感情を無視して、曖昧な相槌を打つ。そんなに酔いやすくもないはずの夏紀の顔が、居酒屋の暗い照明でも赤くなっているのがわかる。ペースが明らかに早かった。そう思っても、今更アルコールを抜いたりはできない。 「まあ一、二曲だけどね」  笑いながら言うと、彼女はようやくウィスキーの氷を転がすのをやめて、口に含んだ。ほんの少しの間だけ傾けると、酔ってるな、とつぶやくのが見えた。グラスを置く動きも、どこか不安定だ。 「まあ教本一杯あるし、今いろんな動画あ��ってるし、趣味で始めるにはいい楽器だと思うよ、ギターは」 「確かに、動画本当にいっぱいあった」  なんとなくで開いた検索結果に、思わず面食らったのを思い出す。選択肢が多いことは幸せとは限らない、なんてありふれた言葉の意味を、似たようなサムネイルの並びを前にして思い知った気がしたことを思い出す。 「どれ見ればいいかわかんなくなるよね」 「ホントね。夏紀のオススメとかある?」 「あるよ。あとで送るわ」 「ありがと」  これは多分覚えていないだろうなぁと思いながら、苦笑は表に出さないように隠した。机の上に置いたグラスを握ったままの手で、バランスをとっているようにも見える。 「まあでも、本当にギターはいいよ」  グラグラと意識が持っていかれそうになっているのを必死で耐えている夏紀は、彼女にしてはひどく言葉の端が丸い。ここまで無防備な夏紀は珍しくて、「寝ていいよ」の言葉はもったいなくてかけられない。  姿勢を保つための気力はついに切れたようで、グラスを握った手の力が緩まると同時に、彼女の背中が個室の壁にぶつかった。背筋に力を入れることを諦めた彼女は、表情筋すら維持する力がないかのように、疲れの見える無表情で宙に目をやった。 「ごめん、酔ったっぽい」  聡い彼女がやっと認めたことに安堵しつつ、目の前に小さなコップの水を差し出す。あっという間に飲み干されたそれだけでは焼け石に水だった。この場合は酔っぱらいに水か。  くだらないことを浮かべている私を置いて、夏紀は夢の世界に今にも飛び込んでいきそうだった。寝かせておこうか。そう思った私に、夏紀はまだ心残りがあるかのように、口を開く。 「でも、本当にギターはいいよ」 「酔ってるね……」 「本当に。ギターは好きなように鳴ってくれるし、噛み付いてこないし」 「あら、好きなように鳴らないし噛み付くしで悪かったわね」  聞き慣れたその声に、夏紀の目が今日一番大きく見開かれていくのがわかった。恐る恐る横を向く彼女の動きは、スローモーション映像のようだ。  珍しい無表情の優子と、その顔と夏紀の青ざめた顔に目線を心配そうに行ったり来たりさせているみぞれは、テーブルの横に立ち並んでいた。いつからいたのだろうか、全く気が付かなかったことに申し訳なくなりながら、しかしそんなことに謝っている場合ではない。  ついさっきまで無意識の世界に誘われていたとは思えない彼女の様子にいたたまれなくなりながら、直視することも出来なくて、スマートフォンを確認する。通知が届いていたのは今から五分前で、少し奥まったこの座席をよく見つけられたなとか、返事をしてあげればよかったかなとか、どうにもならないことを思いながら、とにかく目の前の修羅場を目に入れたくなくて泳がしていると、まだ不安そうなみぞれと目が合った。 「みぞれ、久しぶりだね」  前にいる優子のただならぬ雰囲気を心配そうに眺めていたみぞれは、それでも私の声に柔らかく笑ってくれた。 「希美」  彼女の笑みは、「花が咲いたようだ」という表現がよく似合う。それも向日葵みたいな花じゃなくて、もっと小さな柔らかい花だ。現実逃避に花の色を選びながら、席を空ける準備をする。 「こっち座りなよ」  置いておいた荷物をどけて、自分の左隣を叩くと、みぞれは何事もなかったかのように夏紀を詰めさせている優子をチラリと見やってから、私の隣に腰掛けた。 「いや、別に他意があるわけじゃ、なくてですね」 「言い訳なら家で聞かせてもらうから」  眼の前でやられている不穏な会話につい苦笑いを零しながら、みぞれにメニューを渡した。髪を耳にかける素振りが、大人らしく感じられるようになったな、と思う。なんとなく悔しくて、みぞれとの距離を詰めた。彼女の肩が震えたのを見て、なんとなく優越感に浸る。 「みぞれ、何頼むの?」 「梅酒、にする」  ノンアルコールドリンクのすぐ上にあるそれを指差したのを確認する。向こう側では完全に夏紀が黙り込んでいて、勝敗が決まったようだった。同じようにドリンクのコーナーを覗いている優子に声をかける。 「優子は?どれにする?」 「そうねえ、じゃあ私も梅酒にしようかしら」 「じゃあ店員さん呼んじゃおうか」  そのまま呼び出した店員に、適当に酒とつまみと水を頼む。去っていく後ろ姿を見ながら、一人青ざめた女性が無視されている卓の様子は滑稽に見えるだろうなと思う。 「今日はどこ行ってたの」 「これ」  私の質問に荷物整理をしていた優子が見せてきたのは、美術館の特別展のパンフレットだった。そろそろ期間終了になるその展示は、海外の宗教画特集だったらしい。私は詳しくないから、わからないけど。 「へー」  私の曖昧な口ぶりに、みぞれが口を開く。 「凄い人だった」 「ね。待つことになるとは思わなかったわ」 「お疲れ様」  適当に一言二言交わしていると、ドリンクの追加が運ばれてくる。小さめのグラスに入った水を、さっきから目を瞑って黙っている夏紀の前に置く。 「夏紀、ほらこれ飲みなさいよ」  優子の言葉に目を開ける様子は、まさに「恐る恐る」という表現が合う。手に取ろうとしない夏紀の様子に痺れを切らしそうになる優子に、夏紀が何か呟いた。居酒屋の喧騒で、聞き取れはしない。 「なによ」 「ごめん」  ひどくプライベートな場面を見せられている気がして、人様の部屋に上がり込んで同居人との言い争いを見ているような、そんな申し訳のなさが募る。というかそれそのものなんだけれど。 「ごめんって……ああ、別に怒ってないわよ」  母親みたいな声を出すんだなと思う。母親よりもう少し柔らかいかもしれないけれど。  こういう声の掛け方をする関係を私は知らなくて、それはつまり変わっていることを示していた。少しだけ、寂しくなる。 「ほんと?」 「ほんと。早く水飲んで寝てなさいよ。出るときになったら起こしてあげるから」 「うん……」  それだけ言うと、夏紀は水を飲み干して、テーブルに突っ伏した。すぐに深い呼吸音が聞こえてきて、限界だったのだろう。 「こいつ、ここ二ヶ月ぐらい会���が忙しくて、それでもバンドもやってたから睡眠時間削ってたのよ」  それはわかっていた。なんとなく気がついていたのに、見て見ぬ振りをしてしまった。浮かれきった自分の姿に後味の悪さを感じて、相槌を打つことも忘れる。 「それでやっとここ最近開放されて、休めばいいのに、今度はバンドの方力入れ始めて。アルコールで糸が切れたんでしょうね」  グラスを両手で持ちながら、呆れたように横目で黙ったままの髪を見る彼女の声は、どこかそれでも優しかった。伝わったのだろうか、みぞれも来たときの怯えは見えなかった。 「希美が止めてても無駄だったから、謝ったりする必要ないわよ」  適切に刺された釘に、言葉にしようとしていたものは消えた。代わりに曖昧な笑みになってしまう。 「そういえば、夏紀のギター聞いたのよね?」 「うん、まあね」 「上手かった?」 「素人だからよくわからないけど、うまいなと思ったよ」 「そう」  それならいいんだけど、と、明らかにそれではよくなさそうに呟いた彼女の言葉を、私はどう解釈していいのかわからなかった。曖昧に打���切られた会話も、宙に放り投げられた彼女の目線も、私にはどうすることも出来なくて。 「そういえばみぞれは、いつまでこっちにいるの?」  考え込み始めた優子から目線をそらして、みぞれに問いかける。さっきからぼんやりと私達の会話を聞いていたみぞれは、私の視線に慌てる。ぐらついたカップを支えながら、少しは慣れればいいのに、なんて思う。 「え?」 「いつまでこっちにいるのかなって」  アルコールのせいか、少しだけ回りづらい舌をもう一度動かす。 「1月の、9日まではいる」 「結構長いね、どっかで遊び行こうよ」  何気ない私の提案に、みぞれは目を輝かせた。こういうところは、本当に変わっていない。アルコールで曖昧に溶けた脳が、そういうところを見つけて、安心しているのがわかった。卑怯だな、と思った。 ―――――― 「それじゃあ、気をつけて」  優子と、それから一応夏紀の背中に投げかけた言葉が、彼女たちに届いたのかはわからない。まさにダウナーといったような様子の夏紀はとても今を把握出来ていないし、優子はそんな夏紀の腕を引っ張るので精一杯だ。  まるで敗北したボクサーのように――いや、ボクシングなんて見ないけれど――引きずって歩く夏紀は、後ろから見ると普段の爽やかさのかけらもない。あのファンの子たちが見たら、びっくりするんだろうな。曖昧にそんなことを想いながら、駅の前でみぞれと二人、夏紀と優子の行く末を案じている。  その背中が見えなくなるのは意外と早くて、消えてしまったらもう帰るしかない。隣で心配そうに眺めていたみぞれと目があう。 「帰ろっか」 「うん」  高校時代とは違って、一人暮らしをし始めた私とみぞれは、最寄り駅が同じ路線だ。こうやって会う度に何度か一緒に同じ列車に乗るけれど、ひどく不自然な感じがする。改札を抜けた先で振り返ると、みぞれが同じように改札をくぐっているのが見えるのが、あの頃から全然想像出来なくて、馴染まない。  少しむず痒くなるような感触を抑え込んで、みぞれが横に立つのを待つ。並んで歩くふりくらいなら簡単にできるようになったのだと気付かされると、もうエスカレーターに乗せられていた。 「なんか、アルコールってもっと陽気になるもんだと思ってたよね」  寒空のホームに立つ私のつぶやきを、みぞれは赤い頬で見上げた。みぞれは人並みに飲む。人並みに酔って、人並みに赤くなる。全部が全部基準値から外れてるわけじゃない。そんなことわかっているのに、なんとなく違和感があって。熱くなった体がこちらを向いているのを感じながら、もうすぐくる列車を待つ人のように前を向き続けた。 「忘れたいこととか、全部忘れられるんだと思ってた」  口が軽くなっていることがわかる。それでも後悔できなくて、黙っている方がよいんだとわかった。塞いだ私のかわりに口を開きかけたみぞれの邪魔をするように、急行電車はホームへと滑り込む。  開いた扉からは待ち遠しかったはずの暖かい空気が、不快に顔に飛び込んできた。背負い直したギターケースに気を遣いながら、一際明るい車内に乗り込んでいく。空いてる端の座席を一つだけ見つけて、みぞれをとりあえず座らせた。開いた目線の高さに何故か安心している間に、電車はホームを離れていた。  肩に背負ったギターを下ろして、座席横に立て掛けた。毎朝職場へと私を運ぶこの列車は、ラッシュとは違って人で埋め尽くされてはいない。だから、みぞれの後ろ姿が映る窓には当然私も入り込んでいて、いつもは見えない自分の姿に妙な気分になる。酔いはまだ抜けていないようだ。 「みぞれはさぁ」  口を開くと言葉が勝手に飛び出していた。降り掛かった言葉にみぞれが顔を上げる。 「オーボエ以外の楽器、やったことある?」  私の問いかけに、彼女は首を振った。 「そうだよね」  それはそうだ。プロの奏者が他の楽器に手を出してる暇なんてないんだろう。いろんな楽器を扱える人もいるわけだけど。その辺の話がどうなっているのかは、私にはわからない。プロではないし。  どうやっても違う世界の人と話すのは、取材をしているような感触が抜けきらない。私達の他の共通点ってなんだろう。毎度手探りになって、別れたあとに思い出す。 「ギター、楽しい?」  何故か話題を探そうとしている私を、引き戻すのはいつも彼女の問いかけだ。  どう答えるべきか、わからなかった。何を選ぶのが一番正しいのか、見つけるのにはそれなりに慣れているはずなのに、そういう思考回路は全く動かなくて、だからありのままの言葉が飛び出す。 「楽しい、よ」  それは本心からの言葉だった。本当に楽しかった。それを認めてしまうということが、何故か恥ずかしくなるほど。  つまりこのまま何事もなく過ぎていくはずの人生に現れたギターに、ひどく魅了されてしまったということだ。認めたくなかった退屈な自分をさらけ出しているようで。年齢のせいか生活のせいか、頭にふと過る自問自答が、ギターの前ではすっかり消え失せていることに気が付かないわけにはいかなかった。 (まあでも、このまま死ぬまでこのままなのかなとか、みぞれは考えなさそうだな)  そう思うと、ずるいなと思った。 「楽しかった。新鮮だし」  私の答えに、みぞれは言葉を口に出さなかった。ただ笑顔ではない表情で、私のことを見つめている。どこか���切られたかのように見えた。どこか寂しそうにも見えた。見ないふりをして、酔ったフリをして、言葉を続ける。 「ギターって奥深いね」  そんな大学生みたいな感想を並べて、目の前のみぞれから目を外す。どんな表情になっているのかは想像がついた。 「面白い音なるしさぁ」  確かめたくなくて言葉を繋げる。この悪癖がいつまでも治らない自分に辟易しながら、結局逃げるために言葉を選び続けている。そうやって中途半端に取り出した言葉たちの中に、本当に言いたいことは見えなくなってしまうって、わかっているはずなのに。 「夏紀の演奏が本当に上手くてさぁ」 「フルートは」 「っ」  遮られた言葉に思わず黙ってしまったのは、それが痛い言葉だったからなのか、言葉の切実さを感じ取ったからなのか。目を合わせてしまう。耳を塞ぎたくても、無気力につり革にぶら下がった手は離す事ができない。 「フルートは、続けてるの?」  みぞれの声は、どこか張��詰めていて、ざわついた電車内でも通った。隣の座席の男性が、こちらを盗み見ているのがわかる。ひどく晒し者にされているような、そんな気分になった。  やめるわけないよ、まあそれなりにね、みぞれには関係ないでしょ。なんて言ってやろうか。 「やめたって言ったら、どうする?」  選んだ言葉に、すぐに後悔した。  なぜ人のことなのに、そこまで泣きそうな目ができるんだろうか。子供がお気に入りのぬいぐるみを取られたみたいな、そういう純粋さと、どこかに混じった大人みたいな諦めの色が混じり合って心に刺さる。 「冗談だよ」  言い繕っても、彼女から衝撃の色は消えない。そんなにショックだったのだろうか。私に裏切られたことなんて、いくらでもあるだろうに。 「前からやってたサークルがさ、解散になっちゃって」 「解散」 「そう。だから、ちょっと吹く機会がなくなってるだけ」  それだけ。それだけだった。だからみぞれが悲しむことはないし、気に病んだり必要もないんだよ。そう言おうとした。言えるわけがないと気がついたのは、みぞれの表情に張り付いた悲しみが、そんな簡単な言葉で取れるわけじゃないとわかったからだ。 「大丈夫だから」  結局言葉にできたのは、そんな頼りない、どこをf向いてるのかすらわからないような言葉だった。みぞれは私の言葉にゆっくりと頷いて、それだけだった。  逃げ出したくなる私をおいて、電車は駅へと滑り込む。みぞれが降りる駅だ。 「みぞれ、駅だよ」 「うん」  目を逸らすように声を上げると、みぞれは小さく頷いた。何を話せばいいのかわからないような、その目は私を傷つけていった。降りていく後ろ姿に声を掛ける事もできずに、私はただ彼女を見送った。  そういえば結局遊ぶ約束をし忘れたな。動き出した電車の中で、空席に座る気にもならないまま思い出す。ギターは何も知らないような顔で、座席の横で横たわってる。さっきまであったことなんて何も知りませんよって、言ってるみたいだった。  このまま置いていってやろうか。そう思った。
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kurihara-yumeko · 4 years ago
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【小説】The day I say good-bye(4/4) 【再録】
 (3/4)はこちらから→(https://kurihara-yumeko.tumblr.com/post/648720756262502400/)
 今思えば、ひーちゃんが僕のついた嘘の数々を、本気で信じていたとは思えない。
 何度も何度も嘘を重ねた僕を、見抜いていたに違いない。
「きゃああああああああああああーっ!」
 絶叫、された。
 耳がぶっ飛ぶかと思った。
 長い髪はくるくると幾重にもカーブしていた。レースと玩具の宝石であしらわれたカチューシャがまるでティアラのように僕の頭の上に鎮座している。桃色の膨らんだスカートの下には白いフリルが四段。半袖から剥き出しの腕が少し寒い。スカートの中もすーすーしてなんだか落ち着かない。初めて穿いた黒いタイツの感触も気持ちが悪い。よく見れば靴にまでリボンが付いている。
 鏡に映った僕は、どう見てもただの女の子だった。
「やっだー、やだやだやだやだ、どうしよー。――くんめっちゃ女装似合うね!」
 クラス委員長の長篠めいこさん(彼女がそういう名前であることはついさっき知った)は、女装させられた僕を明らかに尋常じゃない目で見つめている。彼女が僕にウィッグを被らせ、お手製のメイド服を着せた本人だというのに、僕の女装姿に瞳を爛々と輝かせている。
「準備の時に一度も来てくれないから、衣装合わせができなくてどうなるかと思っていたけど、サイズぴったりだね、良かった。――くんは華奢だし細いし顔小さいしむさくるしくないし、女装したところでノープロブレムだと思っていたけれど、これは予想以上だったよっ」
 準備の際に僕が一度も教室を訪れなかったのは、連日、保健室で帆高の課題を手伝わされていたからだ。だけれどそれは口実で、本当はクラスの準備に参加したくなかったというのが本音。こんなふざけた企画、携わりたくもない。
 僕が何を考えているかを知る由もない長篠さんは、両手を胸の前で合わせ、真ん丸な眼鏡のレンズ越しに僕を見つめている。レーザー光線のような視線だ。見つめられ続けていると焼け焦げてしまいそうになる。助けを求めて周囲をすばやく見渡したが、クラスメイトのほぼ全員がコスチュームに着替え終わっている僕の教室には、むさくるしい男のメイドか、ただのスーツといっても過言ではない燕尾服を着た女の執事しか見当たらない。
「すね毛を剃ってもらう時間はなかったので、急遽、脚を隠すために黒タイツを用意したのも正解だったね。このほっそい脚がさらに際立つというか。うんうん、いい感じだねっ!」
 長篠さん自身、黒いスーツを身に纏っている。彼女こそが、今年の文化祭でのうちのクラスの出し物、「男女逆転メイド・執事喫茶」の発案者であり、責任者だ。こんなふざけた企画をよくも通してくれたな、と怨念を込めてにらみつけてみたけれど、彼女は僕の表情に気付いていないのかにこにこと笑顔だ。
「ねぇねぇ、――くん、せっかくだし、お化粧もしちゃう? ネイルもする? 髪の毛もっと巻いてあげようか? あたし、――くんだったらもっと可愛くなれるんじゃないかなって思うんだけど」
 僕の全身を舐め回すように見つめる長篠さんはもはや正気とは思えない。だんだんこの人が恐ろしくなってきた。
「めいこ、その辺にしておきな」
 僕が何も言わないでいると、思わぬ方向から声がかかった。
 振り向くと僕の後ろには、長身の女子が立っていた。男子に負けないほど背の高い彼女は、教室の中でもよく目立つ。クラスメイトの顔と名前をろくに記憶していない僕でも、彼女の姿は覚えていた。それは背が高いという理由だけではなく、言葉では上手く説明できない、長短がはっきりしている複雑で奇抜な彼女の髪型のせいでもある。
 背が決して高いとは言えない僕よりも十五センチほど長身の彼女は、紫色を基調としたスーツを身に纏っている。すらっとしていて恰好いい。
「――くん、嫌がってるだろう」
「えー、あたしがせっかく可愛くしてあげようとしてるのにー」
「だったら向こうの野球部の連中を可愛くしてやってくれ。あんなの、気味悪がられて客を逃がすだけだよ」
「えー」
「えー、とか言わない。ほらさっさと行きな。クラス委員長」
 彼女に言われたので仕方なく、という表情で長篠さんが僕の側から離れた。と、思い出したかのように振り向いて僕に言う。
「あ、そうだ、――くん、その腕時計、外してねっ。メイド服には合わないからっ」
 この腕時計の下には、傷跡がある。
 誰にも見せたことがない、傷が。
 それを晒す訳にはいかなかった。僕がそれを無視して長篠さんに背を向けようとした時、側にいた長身の彼女が僕に向かって口を開いた。
「これを使うといいよ」
 そう言って彼女が差し出したのは、布製のリストバンドだった。僕のメイド服の素材と同じ、ピンク色の布で作られ、白いレースと赤いリボンがあしらわれている。
「気を悪くしないでくれ。めいこは悪気がある訳じゃないんだけど……」
 僕の頭の中は真っ白になっていた。突然手渡されたリストバンドに反応ができない。どうして彼女は、僕の手首の傷を隠すための物を用意してくれているんだ? 視界の隅では長篠さんがこちらに背を向けて去って行く。周りにいる珍妙な恰好のクラスメイトたちも、誰もこちらに注意を向けている様子はない。
「一体、どういう……」
 そう言う僕はきっと間抜けな顔をしていたんだろう、彼女はどこか困ったような表情で頭を掻いた。
「なんて言えばいいのかな、その、きみはその傷を負った日のことを、覚えてる?」
 この傷を負った日。
 雨の日の屋上。あーちゃんが死んだ場所。灰色の空。緑色のフェンス。あと一歩踏み出せばあーちゃんと同じところに行ける。その一歩の距離。僕はこの傷を負って、その場所に立ち尽くしていた。
 同じところに傷を負った、ミナモと初めて出会った日だ。
「その日、きみ、保健室に来たでしょ」
 そうだ。僕はその後、保健室へ向かった。ミナモは保健室を抜け出して屋上へ来ていた。そのミナモを探しに来た教師に僕とミナモは発見され、ふたり揃って保健室で傷の手当を受けた。
「その時私は、保健室で熱を測っていたんだ」
 あの時に保健室に他に誰かいたかなんて��えていない。僕はただ精いっぱいだった。死のうとして死ねなかった。それだけで精いっぱいだったのだ。
 長身の彼女はそう言って、ほんの少しだけ笑った。それは馬鹿にしている訳でもなく、面白がっている訳でもなく、微笑みかけてくれていた。
「だから、きみの手首に傷があることは知ってる。深い傷だったから、痕も残ってるんだろうと思って、用意しておいたんだ」
 私は裁縫があまり得意ではないから、めいこの作ったものに比べるとあまり良い出来ではないけどね。彼女はそう付け足すように言う。
「使うか使わないかは、きみの自由だけど。そのまま腕時計していてもいいと思うしね。めいこは少し、完璧主義すぎるよ。こんな中学生の女装やら男装やらに、完璧さなんて求めてる人なんかいないのにね」
 僕はいつも、自分のことばかりだ。今だって、僕の傷のことを考慮してくれている人間がいるなんて、思わなかった。
 それじゃあ、とこちらに背を向けて去って行こうとする彼女の後ろ姿を、僕は呼び止める。
「うん?」
 彼女は不思議そうな顔をして振り向いた。
「きみの、名前は?」
 僕がそう尋ねると、彼女はまた笑った。
「峠茶屋桜子」
 僕は生まれて初めて、クラスメイトの顔と名前を全員覚えておかなかった自分を恥じた。
    峠茶屋さんが作ってくれたリストバンドは、せっかくなので使わせてもらうことにした。
 それを両手首に装着して保健室へ向かってみると、そこには河野ミナモと河野帆高の姿が既にあった。
「おー、やっと来たか……って、え、ええええええええええええ!?」
 椅子に腰掛け、行儀の悪いことに両足をテーブルに乗せていた帆高は、僕の来訪を視認して片手を挙げかけたところで絶叫しながら椅子から落下した。頭と床がぶつかり合う鈍い音が響く。ベッドのカーテンの隙間から様子を窺うようにこちらを見ていたミナモは、僕の姿を見てから興味なさそうに目線を逸らす。相変わらず無愛想なやつだ。
「な、何、お前のその恰好……」
 床に転がったまま帆高が言う。
「何って……メイド服だけど」
 帆高には、僕のクラスが男女逆転メイド・執事喫茶を文化祭の出し物でやると言っておいたはずだ。僕のメイド服姿が見物だなんだと馬鹿にされたような記憶もある。
「めっちゃ似合ってるじゃん、お前!」
「……」
 不本意だけれど否定できない僕がいる。
「びびる! まじでびびる! お前って実は女の子だった訳!?」
「そんな訳ないだろ」
「ちょっと、スカートの中身、見せ……」
 床に座ったまま僕のメイド服に手を伸ばす帆高の頭に鉄拳をひとつお見舞いした。
 そんな帆高も頭に耳、顔に鼻、尻に尻尾を付けており、どうやら狼男に変装しているようだ。テーブルの上には両手両足に嵌めるのであろう、爪の生えた肉球付きの手袋が置いてある。これぐらいのコスプレだったらどれだけ心穏やかでいられるだろうか。僕は女装するのは人生これで最後にしようと固く誓った。
「そんな恰好で恥ずかしくないの? 親とか友達とか、今日の文化祭に来ない訳?」
「さぁ……来ないと思うけど」
 僕の両親は今日も朝から仕事に行った。そ��そも、今日が文化祭だという事実も知っているとは思えない。
 別の中学校に通っている小学校の頃の友人たちとはもう連絡も取り合っていないし、顔も合わせていないので、来るのか来ないのかは知らない。僕以外の誰かと親交があれば来るのかもしれないが、僕には関係のない話だ。
 そう、そのはずだった。だが僕の予想は覆されることになる。
 午前十時に文化祭は開始された。クラス委員長である長篠めいこさんが僕に命じた役割は、クラスの出し物である男女逆転メイド・執事喫茶の宣伝をすることだった。段ボール製のプラカードを掲げて校舎内を循環し、客を呼び込もうという魂胆だ。
 結局、ミナモとは一言も言葉を交わさずに出て来てしまった、と思う。うちの学校の文化祭は一般公開もしている。今日の校内にはいつも以上に人が溢れている。保健室登校のミナモにとっては、つらい一日になるかもしれない。
 お化け屋敷を出し物にしているクラスばかりが並んでいる、我が校の文化祭名物「お化け屋敷ロード」をすれ違う人々に異様な目で見られていることをひしひしと感じながら、プラカードを掲げ、チラシを配りながら歩いていくと、途中で厄介な人物に遭遇した。
「おー、少年じゃん」
 日褄先生だ。
 目の周りを黒く塗った化粧や黒尽くめのその服装はいつも通りだったが、しばらく会わなかった間に、曇り空より白かった頭髪は、あろうことか緑色になっていた。これでスクールカウンセラーの仕事が務まるのだろうか。あまりにも奇抜すぎる。だが咄嗟のことすぎて、驚きのあまり声が出ない。
「ふーん、めいこのやつ、裁縫上手いんじゃん。よくできてる」
 先生は僕の着用しているメイド服のスカートをめくろうとするので、僕はすばやく身をかわして後退した。「変態か!」と叫びたかったが、やはり声にならない。
 助けを求めて周囲に視線を巡らせて、僕は人混みからずば抜けて背の高い男性がこちらに近付いてくるのがわかった。
 前回、図書館の前で出会った時はオールバックであったその髪は、今日はまとめられていない。モスグリーンのワイシャツは第一ボタンが開いていて、おまけにネクタイもしていない。ズボンは腰の位置で派手なベルトで留められている。銀縁眼鏡ではなく、色の薄いサングラスをかけていた。シャツの袖をまくれば恐らくそこには、葵の御紋の刺青があるはずだ。左手の中指に日褄先生とお揃いの指輪をしている彼は、日褄先生の婚約者だ。
「葵さん……」
 僕が名前を呼ぶと、彼は僕のことを睨みつけた。しばらくして、やっと僕のことが誰なのかわかったらしい。少し驚いたように片眉を上げて、口を半分開いたところで、
「…………」
 だが、葵さんは何も言わなかった。
 僕の脇を通り抜けて、日褄先生のところに歩いて行った。すれ違いざまに、葵さんが何か妙なものを小脇に抱えているなぁと思って振り返ってみると、それは大きなピンク色のウサギのぬいぐるみだった。
「お、葵、お帰りー」
 日褄先生がそう声をかけると、葵さんは無言のままぬいぐるみを差し出した。
「なにこのうさちゃん、どうしたの?」
 先生はそれを受け取り、ウサギの頭に顎を置きながらそう訊くと、葵さんは黙って歩いてきた方向を指差した。
「ああ、お化け屋敷の景品?」
 葵さんはそれには答えなかった。そもそも僕は、彼が口を利いたところを見たことがない。それだけ寡黙な人なのだ。彼は再び僕を見ると、それから日褄先生へ目線を送った。ウサギの耳で遊ぶのに夢中になっていた先生はそれに気付いているのかいないのか、
「男女逆転メイド・執事喫茶、やってるんだって」
 と僕の服装の理由を説明した。だが葵さんは眉間の皺を深めただけだった。そしてそのまま、彼は歩き出してしまう。日褄先生はぬいぐるみの耳をぱたぱた手で動かしていて、それを追おうともしない。
「……いいんですか? 葵さん、行っちゃいましたけど……」
「あいつ、文化祭ってものを見たことがないんだよ。ろくに学校行ってなかったから。だから連れて来てみたんだけど、なんだか予想以上にはしゃいじゃってさー」
 葵さんの態度のどこがはしゃいでいるように見えるのか、僕にはわからないが、先生にはわかるのかもしれない。
「あ、そうだ、忘れるところだった、少年のこと、探しててさ」
「何か用ですか?」
「はい、チーズ」
 突然、眩しい光が瞬いた。一体いつ、どこから取り出したのか、先生の手にはインスタントカメラが握られていた。写真を撮られてしまったようだ。メイド服を着て、付け毛を付けている、僕の、女装して��る写真が……。
「な、ななななななな……」
 何をしているんですか! と声を荒げるつもりが、何も言えなかった。日褄先生は颯爽と踵を返し、「あっはっはっはっはー!」と笑いながら階段を駆け下りて行った。その勢いに、追いかける気も起きない。
 僕はがっくりと肩を落とし、それでもプラカードを掲げながら校内の循環を再開することにした。僕の予想に反して、賑やかな文化祭になりそうな予感がした。
 お化け屋敷ロードの一番端は、河野帆高のクラスだったが、廊下に帆高の姿はなかった。あいつはお化け役だから、教室の中にいるのだろう。
 あれから、帆高はあーちゃんが僕に残したノートについて一言も口にしていない。僕の方から語ることを待っているのだろうか。協力してもらったのだから、いずれきちんと話をするべきなんじゃないかと考えてはいるけれど、今はまだ上手く、僕も言葉にできる自信がない。
 廊下の端の階段を降りると、そこは射的ゲームをやっているクラスの前だった。何やら歓声が上がっているので中の様子を窺うと、葵さんが次々と景品を落としているところだった。大人の本気ってこわい。
 中央階段の前の教室では、自主製作映画の上映が行われているようだった。「戦え!パイナップルマン」というタイトルの、なんとも言えないシュールな映画ポスターが廊下には貼られている。地球侵略にやってきたタコ星人ヲクトパスから地球を救うために、八百屋の片隅で売れ残っていた廃棄寸前のパイナップルが立ち上がる……ポスターに記されていた映画のあらすじをそこまで読んでやめた。
 ちょうど映画の上映が終わったところらしい、教室からはわらわらと人が出てくる。僕は歩き出そうとして、そこに見知った顔を見つけてしまった。
 色素の薄い髪。切れ長の瞳と、ひょろりとした体躯。物静かな印象を与える彼は、
「あっくん……」
「うー兄じゃないですか」
 妙に大人びた声音。口元の端だけを僅かに上げた、作り笑いに限りなく似た笑顔。
 鈴木篤人くんは、僕よりひとつ年下の、あーちゃんの弟だ。
「一瞬、誰だかわかりませんでしたよ。まるで女の子だ」
「……来てたんだ、うちの文化祭」
 私立の中学校に通うあっくんが、うちの中学の文化祭に来たという話は聞いたことがない。それもそのはずだ。この学校で、彼の兄は飛び降り自殺したのだから。
「たまたま今日は部活がなかったので。ちょっと遊びに来ただけですよ」
 柔和な笑みを浮かべてそう言う。だけれどその笑みは、どこか嘘っぽく見えてしまう。
「うー兄は、どうして女装を?」
「えっと、男女逆転メイド・執事喫茶っていうの、クラスでやってて……」
 僕は掲げていたプラカードを指してそう説明すると、ふうん、とあっくんは頷いた。
「それじゃあ、最後にうー兄のクラスを見てから帰ろうかな」
「あ、もう帰るの?」
「本当は、もう少しゆっくり見て行くつもりだったんですが……」
 彼はどこか困ったような表情をして、頭を掻いた。
「どうも、そういう訳にはいかないんです」
「何か、急用?」
「まぁ、そんなもんですかね。会いたくない人が――」
 あっくんはそう言った時、その双眸を僅かに細めたのだった。
「――会いたくない人が、ここに来ているみたいなので」
「そう……なんだ」
「だからすみません、今日はそろそろ失礼します」
「ああ、うん」
「うー兄、頑張って下さい」
「ありがとう」
 浅くもなく深くもない角度で頭を下げてから、あっくんは人混みの中に消えるように歩き出して行った。
 友人も知人も少ない僕は、誰にも会わないだろうと思っていたけれど、やっぱり文化祭となるとそうは言っていられないみたいだ。こうもいろんな人に自分の女装姿を見られると、恥ずかしくて死にたくなる。穴があったら入りたいとはまさにこのことなんじゃないだろうか。
 教室で来客の応対をしたりお菓子やお茶の用意をすることに比べたらずっと楽だが、こうやって校舎を循環しているのもなかなかに飽きてきた。保健室でずる休みでもしようか。あそこには恐らく、ミナモもいるはずだから。
 そうやって僕も歩き出し、保健室へ続く廊下を歩いていると、僕は突然、頭をかち割われたような衝撃に襲われた。そう、それは突然だった。彼女は唐突に、僕の前に現れたのだ。
 嘘だろ。
 目が、耳が、口が、心臓が、身体が、脳が、精神が、凍りつく。
 耳鳴り、頭痛、動悸、震え。
 揺らぐ。視界も、思考も。
 僕はやっと気付いた。あっくんが言う、「会いたくない人」の意味を。
 あっくんは彼女がここに来ていることを知っていた。だから会いたくなかったのだ。
 でもそんなはずはない。世界が僕を置いて行ったように、きみもそこに置いて行かれたはずだ。僕のついた不器用な嘘のせいで、あの春の日に閉じ込められたはずだ。きみの時間は、止���ったはずだ。
 言ったじゃないか、待つって。ずっと待つんだって。
 もう二度と帰って来ない人を。
 僕らの最愛の、あーちゃんを。
「あれー、うーくんだー」
 へらへらと、彼女は笑った。
「なにその恰好、女の子みたいだよ」
 楽しそうに、愉快そうに、面白そうに。
 あーちゃんが生きていた頃は、一度だってそんな風に笑わなかったくせに。
 色白の肌。華奢で小柄な体躯。相手を拒絶するかのように吊り上がった猫目。伸びた髪。身に着けている服は、制服ではなかった。
 でもそうだ。
 僕はわかっていたはずだ。日褄先生は僕に告げた。ひーちゃんが、学校に来るようになると。いつかこんな日が来ると。彼女が、世界に追いつく日がやって来ると。
 僕だけが、置いて行かれる日が来ることを。
「久しぶりだね、うーくん」
「……久しぶり、ひーちゃん」
 僕は、ちっとも笑えなかった。あーちゃんが生きていた頃は、ちゃんと笑えていたのに。
 市野谷比比子はそんな僕を見て、満面の笑みをその顔に浮かべた。
   「……だんじょぎゃくてん、めいど……しつじきっさ…………?」
 たどたどしい口調で、ひーちゃんは僕が持っていたプラカードの文字を読み上げる。
「えっとー、男女が逆だから、うーくんが女の子の恰好で、女の子が男の子の恰好をしてるんだね」
 そう言いながら、ひーちゃんはプラスチック製のフォークで福神漬けをぶすぶすと刺すと、はい、と僕に向かって差し出してくる。
「これ嫌い、うーくんにあげる」
「どうも」
 僕はいつから彼女の嫌いな物処理係になったのだろう、と思いながら渡されたフォークを受け取り、素直に福神漬けを咀嚼する。
「でもうーくん、女装似合うね」
「それ、あんまり嬉しくないから」
 僕とひーちゃんは向き合って座っていた。ひーちゃんに会ったのは、僕が彼女の家を訪ねた夏休み以来だ。彼女はあれから特に変わっていないように見える。着ている服は今日も黒一色だ。彼女は、最愛の弟、ろーくんが死んだあの日から、ずっと黒い服を着ている。
 僕らがいるのは新校舎二階の一年二組の教室だ。PTAの皆さまが営んでいるカレー屋である。この文化祭で調理が認められているのは、大人か、調理部の連中だけだ。午後になり、生徒も父兄も体育館で行われている軽音部やら合唱部やらのコンサートを観に行ってしまっているので、校舎に残る人は少ない。店じまいしかけているカレー屋コーナーで、僕たちは遅めの昼食を摂っていた。僕は未だに、メイド服を着たままだ。
 ひーちゃんとカレーライスを食べている。なんだか不思議な感覚だ。ひーちゃんがこの学校にいるということ自体が、不思議なのかもしれない。彼女は入学してからただの一度も、この学校の門をくぐったことがなかったのだ。
 どうしてひーちゃんは、ここにいるんだろう。ひーちゃんにとって、ここは、もう終わってしまった場所のはずなのに。ここだけじゃない。世界じゅうが、彼女の世界ではなくなってしまったはずなのに。あーちゃんのいない世界なんて、無に等しいはずなのに。なのにひーちゃんは、僕の目の前にいて、美味しそうにカレーを食べている。
 ときどき、僕の方を見て、話す。笑う。おかしい。だってひーちゃんの両目は、いつもどこか遠くを見ていた��ずなのに。ここじゃないどこかを夢見ていたのに。
 いつかこうなることは、わかっていた。永遠なんて存在しない。不変なんてありえない。世界が僕を置いて行ったように、いずれはひーちゃんも動き出す。僕はずっとそうわかっていたはずだ。僕が今までについた嘘を全部否定して、ひーちゃんが再び、この世界で生きようとする日が来ることを。
 思い知らされる。
 あの日から僕がひーちゃんにつき続けた嘘は、あーちゃんは本当は生きていて、今はどこか遠くにいるだけだと言ったあの嘘は、何ひとつ価値なんてなかったということを。僕という存在がひーちゃんにとって、何ひとつ価値がなかったということを。わかっていたはずだ。ひーちゃんにとっては僕ではなくて、あーちゃんが必要なんだということを。あーちゃんとひーちゃんと僕で、三角形だったなんて大嘘だ。僕は最初から、そんな立ち位置に立てていなかった。全てはそう思いたかった僕のエゴだ。三角形であってほしいと願っていただけだ。
 そうだ。
 本当はずっと、僕はあーちゃんが妬ましかったのだ。
「カレー食べ終わったら、どうする? 少し、校内を見て行く?」
 僕がそう尋ねると、ひーちゃんは首を左右に振った。
「今日は先生たちには内緒で来ちゃったから、面倒なことになる前に帰るよ」
「あ、そうなんだ……」
「来年は『僕』も、そっち側で参加できるかなぁ」
「そっち側?」
「文化祭、やれるかなぁっていうこと」
 ひーちゃんは、楽しそうな笑顔だ。
 楽しそうな未来を、思い描いている表情。
「……そのうち、学校に来るようになるんだって?」
「なんだー、あいつ、ばらしちゃったの? せっかく驚かせようと思ったのに」
 あいつ、とは日褄先生のことだろう。ひーちゃんは日褄先生のことを語る時、いつも少し不機嫌になる。
「……大丈夫なの?」
「うん? 何が?」
 僕の問いに、ひーちゃんはきょとんとした表情をした。僕はなんでもない、と言って、カレーを食べ続ける。
 ねぇ、ひーちゃん。
 ひーちゃんは、あーちゃんがいなくても、もう大丈夫なの?
 訊けなかった言葉は、ジャガイモと一緒に飲み込んだ。
「ねぇ、うーくん、」
 ひーちゃんは僕のことを呼んだ。
 うーくん。
 それは、あーちゃんとひーちゃんだけが呼ぶ、僕のあだ名。
 黒い瞳が僕を見上げている。
 彼女の唇から、いとも簡単に嘘のような言葉が零れ落ちた。
「あーちゃんは、もういないんだよ」
「…………え?」
 僕は耳を疑って、訊き返した。
「今、ひーちゃん、なんて……」
「だから早く、帰ってきてくれるといいね、あーちゃん」
 そう言ってひーちゃんは、にっこり笑った。まるで何事もなかったみたいに。
 あーちゃんの死なんて、あーちゃんの存在なんて、最初から何もなかったみたいに。
 僕はそんなひーちゃんが怖くて、何も言わずにカレーを食べた。
「あーちゃん」こと鈴木直正が死んだ後、「ひーちゃん」こと市野谷比比子は生きる気力を失くしていた。だから「うーくん」こと僕、――――は、ひーちゃんにひとつ嘘をついた。
 あーちゃんは生きている。今はどこか遠くにいるけれど、必ず彼は帰ってくる、と。
 カレーを食べ終えたひーちゃんは、帰ると言うので僕は彼女を昇降口まで見送ることにした。
 二人で廊下を歩いていると、ふと、ひーちゃんの目線は窓の外へと向けられる。目線の先を追えば、そこには旧校舎の屋上が見える。そう、あーちゃんが飛び降りた、屋上が見える。
「ねぇ、どうしてあーちゃんは、空を飛んだの?」
 ひーちゃんは虚ろな瞳で窓から空を見上げてそう言った。
「なんであーちゃんはいなくなったの? ずっと待ってたのに、どうして帰って来ないの? ずっと待ってるって約束したのに、どうして? 違うね、約束したんじゃない、『僕』が勝手に���めたんだ。あーちゃんがいなくなってから、そう決めた。あーちゃんが帰って来るのを、ずっと待つって。待っていたら、必ず帰って来てくれるって。あーちゃんは昔からそうだったもんね。『僕』がひとりで泣いていたら、必ずどこからかやって来て、『僕』のこと慰めてくれた。だから今度も待つって決めた。だってあーちゃんが、帰って来ない訳ないもん。『僕』のことひとりぼっちにするはずないもん。そんなの、許せないよ」
 僕には答える術がない。
 幼稚な嘘はもう使えない。手持ちのカードは全て使い切られた。
 ひーちゃんは、もうずっと前から気付いていたはずだ。あーちゃんはもう、この世界にいないなんだって。僕のついた嘘が、とても稚拙で下らないものだったんだって。
「嘘つきだよ、皆、嘘つきだよ。ろーくんも、あーちゃんも、嘘つき。嘘つき嘘つき嘘つき。うーくんだって、嘘つき」
 ひーちゃんの言葉が、僕の心を突き刺していく。
 でも僕は逃げられない。だってこれは、僕が招いた結果なのだから。
「皆大嫌い」
 ひーちゃんが正面から僕に向かい合った。それがまるで決別の印であるとでも言うかのように。
 ちきちきちきちきちきちきちきちき。
 耳慣れた音が聞こえる。
 僕の左手首の内側、その傷を作った原因の音がする。
 ひーちゃんの右手はポケットの中。物騒なものを持ち歩いているんだな、ひーちゃん。
「嘘つき」
 ひーちゃんの瞳。ひーちゃんの唇。ひーちゃんの眉間に刻まれた皺。
 僕は思い出す。小学校の裏にあった畑。夏休みの水やり当番。あの時話しかけてきた担任にひーちゃんが向けた、殺意に満ちたあの顔。今目の前にいる彼女の表情は、その時によく似ている。
「うーくんの嘘つき」
 殺意。
「帰って来るって言ったくせに」
 殺意。
「あーちゃんは、帰って来るって言ったくせに!」
 嘘つきなのは、どっちだよ。
「ひーちゃんだって、気付いていたくせに」
 僕の嘘に気付いていたくせに。
 あーちゃんは死んだってわかっていたくせに。
 僕の嘘を信じたようなふりをして、部屋に引きこもって、それなのにこうやって、学校へ来ようとしているくせに。世界に馴染もうとしているくせに。あーちゃんが死んだ世界がもう終わってしまった代物だとわかっているのに、それでも生きようとしているくせに。
 ひーちゃんは、もう僕の言葉にたじろいだりしなかった。
「あんたなんか、死んじゃえ」
 彼女はポケットからカッターナイフを取り出すと、それを、
      鈍い衝撃が身体じゅうに走った。
 右肩と頭に痛みが走って、無意識に呻いた。僕は昇降口の床に叩きつけられていた。思い切り横から突き飛ばされたのだ。揺れる視界のまま僕は上半身を起こし、そして事態はもう間に合わないのだと知る。
 僕はよかった。
 怪我を負ってもよかった。刺されてもよかった。切りつけられてもよかった。殺されたって構わない。
 だってそれが、僕がひーちゃんにできる最後の救いだと、本気で思っていたからだ。
 僕はひーちゃんに嘘をついた。あーちゃんは生きていると嘘をついた。ついてはいけない嘘だった。その嘘を、彼女がどれくらい本気で信じていたのか、もしくはどれくらい本気で信じたふりを演じていてくれていたのかはわからない。でも僕は、彼女を傷つけた。だからその報いを受けたってよかった。どうなってもよかったんだ。だってもう、どうなったところで、あーちゃんは生き返ったりしないのだから。
 だけど、きみはだめだ。
 どうして僕を救おうとする。どうして、僕に構おうとする。放っておいてくれとあれだけ示したのに、どうして。僕はきみをあんなに傷つけたのに。どうしてきみはここにいるんだ。どうして僕を、かばったんだ。
 ひーちゃんの握るカッターナイフの切っ先が、ためらうことなく彼女を切り裂いた。
 ピンク色の髪留めが、宙に放られるその軌跡を僕の目は追っていた。
「佐渡さん!」
 僕の叫びが、まるで僕のものじゃないみたいに響く。周りには不気味なくらい誰もいない。
 市野谷比比子に切りつけられた佐渡梓は、床に倒れ込んでいく。それがスローモーションのように僕の目にはまざまざと映る。飛び散る赤い飛沫が床に舞う。
 僕は起き上がり走った。ひーちゃんの虚ろな目。再度振り上げられた右手。それが再び佐渡梓を傷つける前に、僕は両手を広げ彼女をかばった。
「    」
 一瞬の空白。ひーちゃんの唇が僅かに動いたのを僕は見た。その小さな声が僕の耳に届くよりも速く、刃は僕の右肩に突き刺さる。
 痛み。
 背後で佐渡梓の悲鳴。けれどひーちゃんは止まらない。僕の肩に突き刺さったカッターを抜くと彼女はそれをまた振り上げて、
  そうだよな。
 痛かったよな。
 あーちゃんは、ひーちゃんの全部だったのに。
 あーちゃんが生きているなんて嘘ついて、ごめん。
 そして振り下ろされた。
  だん、と。
 地面が割れるような音がした。
  一瞬、地震が起こったのかと思った。
 不意に目の前が真っ暗になり、何かが宙を舞った。少し離れたところで、からんと金属のものが床に落ちたような高い音が聞こえる。
 僕とひーちゃんの間に割り込んできたのは、黒衣の人物だった。ひーちゃんと同じ、全身真っ黒で整えられた服装。ただしその頭髪だけが、毒々しいまでの緑色に揺れている。
「…………日褄先生」
 僕がやっとの思いで絞り出すようにそれだけ言うと、彼女は僕に背中を向けてひーちゃんと向き合ったまま、
「せんせーって呼ぶなっつってんだろ」
 といつも通りの返事をした。
「ひとりで学校に来れたなんて、たいしたもんじゃねぇか」
 日褄先生はひーちゃんに向けてそう言ったが、彼女は相変わらず無表情だった。
 がらんどうの瞳。がらんどうの表情。がらんどうの心。がらんどうのひーちゃんは、いつもは嫌がる大嫌いな日褄先生を目の前にしても微動だにしない。
「なんで人を傷つけるようなことをしたんだよ」
 先生の声は、いつになく静かだった。僕は先生が今どんな表情をしているのかはわからないけれど、それは淡々とした声音だ。
「もう誰かを失いたくないはずだろ」
 廊下の向こうから誰かがやって来る。背の高いその男性は、葵さんだった。彼はひーちゃんの少し後ろに落ちているカッターナイフを無言で拾い上げている。それはさっきまで、ひーちゃんの手の中にあったはずのものだ。どうしてそんなところに落ちているのだろう。
 少し前の記憶を巻き戻してみて、僕はようやく、日褄先生が僕とひーちゃんの間に割り込んだ時、それを鮮やかに蹴り上げてひーちゃんの手から吹っ飛ばしたことに気が付いた。日褄先生、一体何者なんだ。
 葵さんはカッターナイフの刃を仕舞うと、それをズボンのポケットの中へと仕舞い、それからひーちゃんに後ろから歩み寄ると、その両肩を掴んで、もう彼女が暴れることができないようにした。そうされてもひーちゃんは、もう何も言葉を発さず、表情も変えなかった。先程見せたあの強い殺意も、今は嘘みたいに消えている。
 それから日褄先生は僕を振り返り、その表情が僕の思っていた以上に怒りに満ちたものであることを僕の目が視認したその瞬間、頬に鉄拳が飛んできた。
 ごっ、という音が自分の顔から聞こえた。骨でも折れたんじゃないかと思った。今まで受けたどんな痛みより、それが一番痛かった。
「てめーは何ぼんやり突っ立ってんだよ」
 日褄先生は僕のメイド服の胸倉を乱暴に掴むと怒鳴るように言った。
「お前は何をしてんだよ、市野谷に殺されたがってんじゃねーよ。やべぇと思ったらさっさと逃げろ、なんでそれぐらいのこともできねーんだよ」
 先生は僕をまっすぐに見ていた。それは恐ろしいくらい、まっすぐな瞳だった。
「なんでどいつもこいつも、自分の命が大事にできねーんだよ。お前わかってんのかよ、お前が死んだら市野谷はどうなる? 自分の弟を目の前で亡くして、大事な直正が自殺して、それでお前が市野谷に殺されたら、こいつはどうなるんだよ」
「……ひーちゃんには、僕じゃ駄目なんですよ。あーちゃんじゃないと、駄目なんです」
 僕がやっとの思いでそれだけ言うと、今度は平手が反対の頬に飛んできた。
 熱い。痛いというよりも、熱い。
「直正が死んでも世界は変わらなかった。世界にとっちゃ人ひとりの死なんてたいしたことねぇ、だから自分なんて世界にとってちっぽけで取るに足らない、お前はそう思ってるのかもしれないが、でもな、それでもお前が世界の一部であることには変わりないんだよ」
 怒鳴る、怒鳴る、怒鳴る。
 先生は僕のことを怒鳴った。
 こんな風に叱られるのは初めてだ。
 こんな風に、叱ってくれる人は初めてだった。
「なんでお前は市野谷に、直正は生きてるって嘘をついた? 市野谷がわかりきっているはずの嘘をどうしてつき続けた? それはなんのためだよ? どうして最後まで、市野谷がちゃんと笑えるようになるまで、側で支えてやろうって思わないんだよ」
 そうだ。
 そうだった。日褄先生は最初からそうだった。
 優しくて、恐ろしいくらい乱暴なのだ。
「市野谷に殺されてもいい、自分なんて死んでもいいなんて思ってるんじゃねぇよ。『お前だから駄目』なんじゃねぇよ、『直正の代わりをしようとしているお前だから』駄目なんだろ?」
 日褄先生は最後に怒鳴った。
「もういい加減、鈴木直正の代わりになろうとするのはやめろよ。お前は―――だろ」
  お前は、潤崎颯だろ。
  やっと。
 やっと僕は、自分の名前が、聞き取れた。
 あーちゃんが死んで、ひーちゃんに嘘をついた。
 それ以来僕はずっと、自分の名前を認めることができなかった。
 自分の名前を口にするのも、耳にするのも嫌だった。
 僕は代わりになりたかったから。あーちゃんの代わりになりたかったから。
 あーちゃんが死んだら、ひーちゃんは僕を見てくれると、そう思っていたから。
 でも駄目だった。僕じゃ駄目だった。ひーちゃんはあーちゃんが死んでも、あーちゃんのことばかり見ていた。僕はあーちゃんになれなかった。だから僕なんかいらなかった。死んだってよかった。どうだってよかったんだ。
 嘘まみれでずたずたで、もうどうしようもないけれど、それでもそれが、「僕」だった。
 あーちゃんになれなくても、ひーちゃんを上手に救えなく��も、それでも僕は、それでもそれが、潤崎颯、僕だった。
 日褄先生の手が、僕の服から離れていく。床に倒れている佐渡梓は、どこか呆然と僕たちを見つめている。ひーちゃんの表情はうつろなままで、彼女の肩を後ろから掴んでいる葵さんは、まるでひーちゃんのことを支えているように見えた。
 先生はひーちゃんの元へ行き、葵さんはひーちゃんからゆっくりと手を離す。そうして、先生はひーちゃんのことを抱き締めた。先生は何も言わなかった。ひーちゃんも、何も言わなかった。葵さんは無言で昇降口から出て行って、しばらくしてから帰ってきた。その時も、先生はひーちゃんを抱き締めたままで、僕はそこに突っ立っていたままだった。
 やがて日褄先生���ひーちゃんの肩を抱くようにして、昇降口の方へと歩き出す。葵さんは昇降口前まで車を回していたようだ。いつか見た、黒い車が停まっていた。
 待って下さい、と僕は言った。
 日褄先生は立ち止まった。ひーちゃんも、立ち止まる。
 僕はひーちゃんに駆け寄った。
 ひーちゃんは無表情だった。
 僕は、ひーちゃんに謝るつもりだった。だけど言葉は出て来なかった。喉元まで込み上げた言葉は声にならず、口から嗚咽となって溢れた。僕の目からは涙がいくつも零れて、そしてその時、ひーちゃんが小さく、ごめんね、とつぶやくように言った。僕は声にならない声をいくつもあげながら、ただただ、泣いた。
 ひーちゃんの空っぽな瞳からも、一粒の滴が転がり落ちて、あーちゃんの死から一年以上経ってやっと、僕とひーちゃんは一緒に泣くことができたのだった。
    ひーちゃんに刺された傷は、軽傷で済んだ。
 けれど僕は、二週間ほど学校を休んだ。
「災難でしたね」
 あっくん、あーちゃんの弟である鈴木篤人くんは、僕の部屋を見舞いに訪れて、そう言った。
「聞きましたよ、文化祭で、ひー姉に切りつけられたんでしょう?」
 あーちゃんそっくりの表情で、あっくんはそう言った。
「とうとうばれたんですか、うー兄のついていた嘘は」
「……最初から、ばれていたようなものだよ」
 あーちゃんとよく似ている彼は、その日、制服姿だった。部活の帰りなのだろう、大きなエナメルバッグを肩から提げていて、手にはコンビニの袋を握っている。
「それで良かったんですよ。うー兄にとっても、ひー姉にとっても」
 あっくんは僕の部屋、椅子に腰かけている。その両足をぷらぷらと揺らしていた。
「兄貴のことなんか、もう忘れていいんです。あんなやつのことなんて」
 あっくんの両目が、すっと細められる。端正な顔立ちが、僅かに歪む。
 思い出すのは、あーちゃんの葬式の時のこと。
 式の最中、あっくんは外へ斎場の外へ出て行った。外のベンチにひとりで座っていた。どこかいらいらした様子で、追いかけて行った僕のことを見た。
「あいつ、不器用なんだ」
 あっくんは不満そうな声音でそう言った。あいつとは誰だろうかと一瞬思ったけれど、すぐにそれが死んだあーちゃんのことだと思い至った。
「自殺の原因も、昔のいじめなんだって。ココロノキズがいけないんだって。せーしんかのセンセー、そう言ってた。あいつもイショに、そう書いてた」
 あーちゃんが死んだ時、あっくんは小学五年生だった。今のような話し方ではなかった。彼はごく普通の男の子だった。あっくんが変わったのは、あっくんがあーちゃんのように振る舞い始めたのは、あーちゃんが死んでからだ。
「あいつ、全然悪くないのに、傷つくから駄目なんだ。だから弱くて、いじめられるんだ。おれはあいつより強くなるよ。あいつの分まで生きる。人のこといじめたりとか、絶対にしない」
 あっくんは、一度も僕と目を合わさずにそう言った。僕はあーちゃんの弱さと、あっくんの強さを思った。不機嫌そうに、「あーちゃんの分まで生きる」と言った、彼の強さを思った。あっくんのような強さがあればいいのに、と思った。ひーちゃんにも、強く生きてほしかった。僕も、そう生きるべきだった。
 あーちゃんが死んだ後、あーちゃんの家族はいつも騒がしそうだった。たくさんの人が入れ替わり立ち替わりやって来ては帰って行った。ときどき見かけるあっくんは、いつも機嫌が悪そうだった。あっくんはいつも怒っていた。あっくんただひとりが、あーちゃんの死を、怒っていた。
「――あんなやつのことを覚えている��は、僕だけで十分です」
 あっくんはそう言って、どうしようもなさそうに、笑った。
 あっくんも、僕と同じだった。
 あーちゃんの代わりになろうとしていた。
 ただそれは、ひーちゃんのためではなく、彼の両親のためだった。
 あーちゃんが死んだ中学校には通わせられないという両親の期待に応えるために、あっくんは猛勉強をして私立の中学に合格した。
 けれど悲しいことに両親は、それを心から喜びはしなかった。今のあっくんを見ていると、死んだあーちゃんを思い出すからだ。
 あっくんはあーちゃんの分まで生きようとして、そしてそれが、不可能であると知った。自分は自分としてしか、生きていけないのだ。
「僕は忘れないよ、あーちゃんのこと」
 僕がそうぽつりと言うと、あっくんの顔はこちらへと向いた。あっくんのかけている眼鏡のレンズが蛍光灯の光を反射して、彼の表情を隠している。そうしていると、本当に、そこにあーちゃんがいるみたいだった。
「……僕は忘れない。あーちゃんのことを、ずっと」
 自分に言い聞かせるように、僕はそう続けて言った。
「僕も、あーちゃんの分まで生きるよ」
 あーちゃんが欠けた、この世界で。
「…………」
 あっくんは黙ったまま、少し顔の向きを変えた。レンズは光を反射しなくなり、眼鏡の下の彼の顔が見えた。それは、あーちゃんに似ているようで、だけど確かに、あっくんの表情だった。
「そうですか」
 それだけつぶやくように言うと、彼は少しだけ笑った。
「兄貴もきっと、その方が喜ぶでしょう」
 あっくんはそう言って、持っていたコンビニの袋に入っていたプリンを「見舞いの品です」と言って僕の机の上に置くと、帰って行った。
 その後ろ姿はもう、あーちゃんのようには見えなかった。
 その二日後、僕は部屋でひとり寝ていると玄関のチャイムが鳴ったので出てみると、そこには河野帆高が立っていた。
「よー、潤崎くん。元気?」
「……なんで、僕の家を知ってるの?」
「とりあえずお邪魔しまーす」
「…………なんで?」
 呆然としている僕の横を、帆高はすり抜けるようにして靴を脱いで上がって行く。こいつが僕の家の住所を知っているはずがない。訊かれたところで担任が教えるとも思えない。となると、住所を教えたのは、やはり、日褄先生だろうか。僕は溜め息をついた。どうしてあのカウンセラーは、生徒の個人情報を守る気がないのだろう。困ったものだ。
 勝手に僕の部屋のベッドに寝転んでくつろいでいる帆高に缶ジュースを持って行くと、やつは笑いながら、
「なんか、美少女に切りつけられたり、美女に殴られたりしたんだって?」
 と言った。
「間違っているような、いないような…………」
「すげー修羅場だなー」
 けらけらと軽薄に、帆高が笑う。あっくんが見舞いに訪れた時と同様に、帆高も制服姿だった。学校帰りに寄ってくれたのだろう。ごくごくと喉を鳴らしてジュースを飲んでいる。
「はい、これ」
 帆高は鞄の中から、紙の束を取り出して僕に差し出した。受け取って確認するまでもなかった。それは、僕が休んでいる間に学級で配布されたのであろう、プリントや手紙だった。ただ、それを他クラスに所属している帆高から受け取るというのが、いささか奇妙な気はしたけれど。
「どうも……」
「授業のノートは、学校へ行くようになってから本人にもらって。俺のノートをコピーしてもいいんだけど、やっぱクラス違うと微妙に授業の進度とか感じも違うだろうし」
「…………本人?」
 僕が首をかしげると、帆高は、あ���、と思い出したように言った。
「これ、ミナモからの預かり物なんだよ。自分で届けに行けばって言ったんだけど、やっぱりそれは恥ずかしかったのかねー」
 ミナモが、僕のプリントを届けることを帆高に依頼した……?
 一体、どういうことだろう。だってミナモは、一日じゅう保健室にいて、教室内のことには関与していないはずだ。なんだか、嫌な予感がした。
「帆高、まさか、なんだけど…………」
「そのまさかだよ、潤崎くん」
 帆高は飄々とした顔で言った。
「ミナモは、文化祭の振り替え休日が明けてからのこの二週間、ちゃんと教室に登校して、休んでるあんたの代わりに授業のノートを取ってる」
「…………は?」
「でもさー、ミナモ、ノート取る・取らない以前に、黒板に書いてある文字の内容を理解できてるのかねー? まぁノート取らないよりはマシだと思うけどさー」
「ちょ、ちょっと待って……」
 ミナモが、教室で授業を受けている?
 僕の代わりに、ノートを取っている?
 一体、何があったんだ……?
 僕は呆然とした。
「ほんと、潤崎くんはミナモに愛されてるよねー」
「…………」
 ミナモが聞いたらそうしそうな気がしたから、代わりに僕が帆高の頭に鉄拳を制裁した。それでも帆高はにやにやと笑いながら、言った。
「だからさ、怪我してんのも知ってるし、学校休みたくなる気持ちもわからなくはないけど、なるべく早く、学校出て来てくれねーかな」
 表情と不釣り合いに、その声音は真剣だったので、僕は面食らう。ミナモのことを気遣っていることが窺える声だった。入学して以来、一度も足を向けたことのない教室で、授業に出てノートを取っているのだから、無理をしていないはずがない。いきなりそんなことをするなんて、ミナモも無茶をするものだ。いや、無茶をさせているのは、僕なのだろうか。
 あ、そうだ、と帆高は何かを思い出したかのようにつぶやき、鞄の中から丸められた画用紙を取り出した。
「……それは?」
「ミナモから、預かってきた。お見舞いの品」
 ミナモから、お見舞いの品?
 首を傾げかけた僕は、画用紙を広げ、そこに描かれたものを見て、納得した。
 河野ミナモと、僕。
 死にたがり屋と死に損ない。
 自らの死を願って雨の降る屋上へ向かい、そこで出会った僕と彼女は、ずるずると、死んでいくように生き延びたのだ。
「……これから、授業に出るつもり、なのかな」
「ん? ああ、ミナモのことか? どうだろうなぁ」
 僕は思い出していた。文化祭の朝、リストバンドをくれた、峠茶屋桜子さんのこと。僕とミナモが出会った日に、保健室で僕たちに偶然出会ったことを彼女は覚えていてくれていた。彼女のような人もクラスにはいる。僕だってミナモだって、クラスの人たちと全く関わり合いがない訳ではないのだ。僕たちもまだ、世界と繋がっている。
「河野も、変わろうとしてるのかな……」
 死んだ方がいい人間だっている。
 初めて出会ったあの日、河野ミナモはそう言った。
 僕もそう思っていた。死んだ方がいい人間だっている。僕だって、きっとそうだと。
 だけど僕たちは生きている。
 ミナモが贈ってくれた絵は、やっぱり、あの屋上から見た景色だった。夏休みの宿題を頼んだ時に描いてもらった絵の構図とほとんど同じ���った。屋上は無人で、僕の姿もミナモの姿もそこには描かれていない。だけど空は、澄んだ青色で塗られていた。
 僕は帆高に、なるべく早く学校へ行くよ、と約束して、それから、どうかミナモの変化が明るい未来へ繋がるように祈った。
 河野帆高が言っていた通り、僕が学校を休んでいた約二週間の間、ミナモは朝教室に登校してきて、授業を受け、ノートを取ってくれていた。けれど、僕が学校へ行くようになると、保健室登校に逆戻りだった。
 昼休みの保健室で、僕はミナモからルーズリーフの束を受け取った。筆圧の薄い字がびっしりと書いてある。
 僕は彼女が贈ってくれた絵のことを思い出した。かつてあーちゃんが飛び降りて、死のうとしていた僕と、死にたがりのミナモが出会ったあの屋上。そこから見た景色を、ミナモはのびのびとした筆使いで描いていた。綺麗な青い色の絵具を使って。
 授業ノートの字は、その絵とは正反対な、神経質そうに尖っているものだった。中学入学以来、一度も登校していなかった教室に足を運び、授業を受けたのだ。ルーズリーフのところどころは皺寄っている。緊張したのだろう。
「せっかく来るようになったのに、もう教室に行かなくていいの?」
「……潤崎くんが来るなら、もう行かない」
 ミナモは長い前髪の下から睨みつけるように僕を一瞥して、そう言った。
 それもそうだ。ミナモは人間がこわいのだ。彼女にとっては、教室の中で他人の視線に晒されるだけでも恐ろしかったに違いないのに。
 ルーズリーフを何枚かめくり、ノートの文字をよく見れば、ときどき震えていた。恐怖を抑えようとしていたのか、ルーズリーフの余白には小さな絵が描いてあることもあった。
「ありがとう、河野」
「別に」
 ミナモは保健室のベッドの上、膝に乗せたスケッチブックを開き、目線をそこへと向けていた。
「行くところがあるんじゃないの?」
 もう僕に興味がなくなってしまったかのような声で彼女はそう言って、ただ鉛筆を動かすだけの音が保健室には響き始めた。
 僕はもう一度ミナモに礼を言ってから、保健室を後にした。
    ずっと謝らなくてはいけないと思っている人がいた。
 彼女はなんだか気まずそうに僕の前でうつむいている。
 昼休みの廊下の片隅。僕と彼女の他には誰もいない。呼び出したのは僕の方だった。文化祭でのあの事件から、初めて登校した僕は、その日のうちに彼女の教室へ行き、彼女のクラスメイトに呼び出してもらった。
「あの…………」
「なに?」
「その、怪我の、具合は……?」
「僕はたいしたことないよ。もう治ったし。きみは?」
「私も、その、大丈夫です」
「そう……」
 よかった、と言おうとした言葉を、僕は言わずに飲み込んだ。これでよいはずがない。彼女は無関係だったのだ。彼女は、僕やひーちゃん、あーちゃんたちとは、なんの関係もなかったはずなのに。
「ごめん、巻き込んでしまって」
「いえ、そんな……勝手に先輩のことをかばったのは、私ですから……」
 文化祭の日。僕がひーちゃんに襲われた時、たまたま廊下を通りかかった彼女、佐渡梓は僕のことをかばい、そして傷を負った。
 怪我は幸いにも、僕と同様に軽傷で済んだようだが、でもそれだけで済む話ではない。彼女は今、カウンセリングに通い、「心の傷」を癒している。それもそうだ。同じ中学校に在籍している先輩女子生徒に、カッターナイフで切りつけられたのだから。
「きみが傷を負う、必要はなかったのに……」
 どうして僕のことを、かばったりしたのだろう。
 僕は佐渡梓の好意を、いつも踏みつけてきた。ひどい言葉もたくさんぶつけた。渡された手紙は読まずに捨てたし、彼女にとって、僕の態度は冷徹そのものだったはずだ。なのにどうして、彼女は僕を助けようとしたのだろう。
「……潤崎先輩に、一体何があって、あんなことになったのか、私にはわかりません」
 佐渡梓はそう言った。
「思えば、私、先輩のこと何も知らないんだなって、思ったんです。何が好きなのか、とか、どんな経験をしてきたのか、とか……。先輩のクラスに、不登校の人が二人いるってことは知っていました。ひとりは河野先輩で、潤崎先輩と親しいみたいだってことも。でも、もうひとりの、市野谷先輩のことは知らなくて……潤崎先輩と、幼馴染みだってことも……」
 僕とひーちゃんのことを知っているのは、同じ小学校からこの中学に進学してきた連中くらいだ。と言っても、僕もひーちゃんも小学校時代の同級生とそこまで交流がある訳じゃなかったから、そこまでは知られていないのではないだろうか。僕とひーちゃん、そして、あーちゃんのことも知っているという人間は、この学校にどれくらいいるのだろう。
 さらに言えば、僕とひーちゃんとあーちゃん、そして、ひーちゃんの最愛の弟ろーくんの事故のことまで知っている人間は、果たしているのだろうか。日褄先生くらいじゃないだろうか。
 僕たちは、あの事故から始まった。
 ひーちゃんはろーくんを目の前で失い、そして僕とあーちゃんに出会った。ひーちゃんは心にぽっかり空いた穴を、まるであーちゃんで埋めるようにして、あーちゃんを世界の全てだとでも言うようにして、生きるようになった。そんなあーちゃんは、ある日屋上から飛んで、この世界からいなくなってしまった。そうして役立たずの僕と、再び空っぽになったひーちゃんだけが残された。
 そうして僕は嘘をつき、ひーちゃんは僕を裏切った。
 僕を切りつけた刃の痛みは、きっとひーちゃんが今まで苦しんできた痛みだ。
 あーちゃんがもういないという事実を、きっとひーちゃんは知っていた。ひーちゃんは僕の嘘に騙されたふりをした。そうすればあーちゃんの死から逃れられるとでも思っていたのかもしれない。壊れたふりをしているうちに、ひーちゃんは本当に壊れていった。僕はどうしても、彼女を正しく導くことができなかった。嘘をつき続けることもできなかった。だからひーちゃんは、騙されることをやめたのだ。自分を騙すことを、やめた。
 僕はそのことを、佐渡梓に話そうとは思わなかった。彼女が理解してくれる訳がないと決めつけていた訳ではないが、わかってもらわなくてもいいと思っていた。でも僕が彼女を巻き込んでしまったことは、もはや変えようのない事実だった。
「今回のことの原因は、僕にあるんだ。詳しくは言えないけれど。だから、ひーちゃん……市野谷さんのことを責めないであげてほしい。本当は、いちばん苦しいのは市野谷さんなんだ」
 僕の言葉に、佐渡梓は決して納得したような表情をしなかった。それでも僕は、黙っていた。しばらくして、彼女は口を開いた。
「私は、市野谷先輩のことを責めようとか、訴えようとか、そんな風には思いません。どうしてこんなことになったのか、理由を知りたいとは思うけれど、潤崎先輩に無理に語ってもらおうとも思いません……でも、」
 彼女はそこまで言うと、うつむいていた顔を上げ、僕のことを見た。
 ただ真正面から、僕を見据えていた。
「私は、潤崎先輩も、苦しかったんじゃないかって思うんです。もしかしたら、今だって、先輩は苦しいんじゃないか、って……」
 僕は。
 佐渡梓にそう言われて、笑って誤魔化そうとして、泣いた。
 僕は苦しかったんだろうか。
 僕は今も、苦しんでいるのだろうか。
 ひーちゃんは、あの文化祭での事件の後、日褄先生に連れられて精神科へ行ったまま、学校には来ていない。家にも帰っていない。面会謝絶の状態で、会いに行くこともできないのだという。
 僕はどうかひーちゃんが、苦しんでいないことを願った。
 もう彼女は、十分はくらい苦しんできたと思ったから。
    ひーちゃんから電話がかかってきたのは、三月十三日のことだった。
 僕の中学校生活は何事もなかったかのように再開された。
 二週間の欠席を経て登校を始めた当初は、変なうわさと奇妙な視線が僕に向けられていたけれど、もともとクラスメイトと関わり合いのなかった僕からしてみれば、どうってことはなかった。
 文化祭で僕が着用したメイド服を作ってくれたクラス委員の長篠めいこさんと、リストバンドをくれた峠茶屋桜子さんとは、教室の中でときどき言葉を交わすようになった。それが一番大きな変化かもしれない。
 ミナモの席もひーちゃんの席も空席のままで、それもいつも通りだ。
 ミナモのはとこである帆高の方はというと、やつの方も相変わらずで、宿題の提出率は最悪みたいだ。しょっちゅう廊下で先生たちと鬼ごっこをしている。昼休みの保健室で僕とミナモがくつろいでいると、ときどき顔を出しにくる。いつもへらへら笑っていて、楽しそうだ。なんだかんだ、僕はこいつに心を開いているんだろうと思う。
 佐渡梓とは、あれからあまり会わなくなってしまった。彼女は一年後輩で、校舎の中ではもともと出会わない。委員会や部活動での共通点もない。彼女が僕のことを好きになったこと自体が、ある意味奇跡のようなものだ。僕をかばって怪我をした彼女には、感謝しなくてはいけないし謝罪しなくてはいけないと思ってはいるけれど、どうしたらいいのかわからない。最近になって少しだけ、彼女に言ったたくさんの言葉を後悔するようになった。
 日褄先生は、そう、日褄先生は、あれからスクールカウンセラーの仕事を辞めてしまった。婚約者の葵さんと結婚することになったらしい。僕の頬を殴ってまで叱咤してくれた彼女は、あっさりと僕の前からいなくなってしまった。そんなこと、許されるのだろうか。僕はまだ先生に、なんのお礼もしていないのに。
 僕のところには携帯電話の電話番号が記されたはがきが一枚届いて、僕は一度だけそこに電話をかけた。彼女はいつもと変わらない明るい声で、とんでもないことを平気でしゃべっていた。ひーちゃんのことも、僕のことも、彼女はたった一言、「もう大丈夫だよ」とだけ言った。
 そうこうしているうちに年が明け、冬休みが終わり、そうして三学期も終わった。
 三月十三日、電話が鳴った。
 あーちゃんが死んだ日だった。
 二年前のこの日、あーちゃんは死んだのだ。
「あーちゃんに会いたい」
 電話越しだけれども、久しぶりに聞くひーちゃんの声は、やけに乾いて聞こえた。
 あーちゃんにはもう会えないんだよ、そう言おうとした僕の声を遮って、彼女は言う。
「知ってる」
 乾燥しきったような、淡々とした声。鼓膜の奥にこびりついて取れない、そんな声。
「あーちゃん、死んだんでしょ。二年前の今日に」
 思えば。
 それが僕がひーちゃんの口から初めて聞いた、あーちゃんの死だった。
「『僕』ね、ごめんね、ずっとずっと知ってた、ずっとわかってた。あーちゃんは、もういないって。だけど、ずっと認めたくなくて。そんなのずるいじゃん。そんなの、卑怯で、許せなくて、許したくなくて、ずっと信じたくなくて、ごめん、でも……」
 うん、とだけ僕は答えた。
 きっとそれは、僕のせいだ。
 ひーちゃんを許した、僕のせいだ。
 あーちゃんの死から、ずっと目を背け続けたひーちゃんを許した、僕のせいだ。
 ひーちゃんにそうさせた、僕のせい。
 僕の罪。
 一度でもいい、僕が、あーちゃんの死を見ないようにするひーちゃんに、無理矢理にでも現実を打ち明けていたら、ひーちゃんはきっと、こんなに苦しまなくてよかったのだろう。ひーちゃんの強さを信じてあげられなかった、僕のせい。
 あーちゃんが死んで、自分も死のうとしていたひーちゃんを、支えてあげられるだけの力が僕にはなかった。ひーちゃんと一緒に生きるだけの強さが僕にはなかった。だから僕��黙っていた。ひーちゃんがこれ以上壊れてしまわぬように。ひーちゃんがもっと、壊れてしまうように。
 僕とひーちゃんは、二年前の今日に置き去りになった。
 僕の弱さがひーちゃんの心を殺した。壊した。狂わせた。痛めつけた。苦しめた。
「でも……もう、『僕』、あーちゃんの声、何度も何度も何度も、何度考えても、もう、思い出せないんだよ……」
 電話越しの声に、初めて感情というものを感じた。ひーちゃんの今にも泣き出しそうな声に、僕は心が潰れていくのを感じた。
「お願い、うーくん。『僕』を、あーちゃんのお墓に、連れてって」
 本当は、二年前にこうするべきだった。
「……わかった」
 僕はただ、そう言った。
 僕は弱いままだったから。
 彼女の言葉に、ただ頷いた。
『僕が死んだことで、きっとひーちゃんは傷ついただろうね』
 そう書いてあったのは、あーちゃんが僕に残したもうひとつの遺書だ。
『僕は裏切ってしまったから。あの子との約束を、破ってしまったから』
 あーちゃんとひーちゃんの間に交わされていたその約束がなんなのか、僕にはわからないけれど、ひーちゃんにはきっと、それがわかっているのだろう。
  ひーちゃんがあーちゃんのことを語る度、僕はひーちゃんがどこかへ行ってしまうような気がした。
 だってあんまりにも嬉しそうに、「あーちゃん、あーちゃん」って言うから。ひーちゃんの大好きなあーちゃんは、もういないのに。
 ひーちゃんの両目はいつも誰かを探していて、隣にいる僕なんか見てくれないから。
  ひーちゃんはバス停で待っていた。交わす言葉はなかった。すぐにバスは来て、僕たちは一番後ろの席に並んで座った。バスに乗客の姿は少なく、窓の外は雨が降っている。ひーちゃんは無表情のまま、僕の隣でただ黙って、濡れた靴の先を見つめていた。
  ひーちゃんにとって、世界とはなんだろう。
 ひーちゃんには昨日も今日も明日もない。
 楽しいことがあっても、悲しいことがあっても、彼女は笑っていた。
 あーちゃんが死んだ時、あーちゃんはひーちゃんの心を道連れにした。僕はずっと心の奥底であーちゃんのことを恨んでいた。どうして死んだんだって。ひーちゃんに心を返してくれって。僕らに世界を、返してって。
  二十分もバスに揺られていると、「船頭町三丁目」のバス停に着いた。
 ひーちゃんを促してバスを降りる。
 雨は霧雨になっていた。持っていた傘を差すかどうか、一瞬悩んでから、やめた。
 こっちだよ、とひーちゃんに声をかけて歩き始める。ひーちゃんは黙ってついてくる。
 樫岸川の大きな橋の上を歩き始める。柳の並木道、古本屋のある四つ角、細い足場の悪い道、長い坂、苔の生えた石段、郵便ポストの角を左。
 僕はもう何度、この道を通ったのだろう。でもきっと、ひーちゃんは初めてだ。
 生け垣のある家の前を左。寺の大きな屋根が、突然目の前に現れる。
 僕は、あそこだよ、と言う。ひーちゃんは少し目線を上の方に動かして、うん、と小さな声で言う。その瞳も、口元も、吐息も、横顔も、手も、足も。ひーちゃんは小さく震えていた。僕はそれに気付かないふりをして、歩き続ける。ひーちゃんもちゃんとついてくる。
  ひーちゃんはきっと、ずっとずっと気付いていたのだろう。本当のことを。あーちゃんがこの世にいないことを。あーちゃんが自ら命を絶っ��ことも。誰もあーちゃんの苦しみに、寂しさに、気付いてあげられなかったことを。ひーちゃんでさえも。
 ひーちゃんは、あーちゃんが死んでからよく笑うようになった。今までは、能面のように無表情な少女だったのに。ひーちゃんは笑っていたのだ。あーちゃんがもういない世界を。そんな世界でのうのうと生きていく自分を。ばればれの嘘をつく、僕を。
  あーちゃんの墓前に立ったひーちゃんの横顔は、どこにも焦点があっていないかのように、瞳が虚ろで、だが泣いてはいなかった。そっと手を伸ばし、あーちゃんの墓石に恐る恐る触れると、霧雨に濡れて冷たくなっているその石を何度も何度も指先で撫でていた。
 墓前には真っ白な百合と、やきそばパンが供えてあった。あーちゃんの両親が毎年お供えしているものだ。
 線香のにおいに混じって、妙に甘ったるい、ココナッツに似たにおいがするのを僕は感じた。それが一体なんのにおいなのか、僕にはわかった。日褄先生がここに来て、煙草を吸ったのだ。彼女がいつも吸っていた、あの黒い煙草。そのにおいだった。ついさっきまで、ここに彼女も来ていたのだろうか。
「つめたい……」
 ひーちゃんがぽつりと、指先の感触の感想を述べる。そりゃ石だもんな、と僕は思ったが、言葉にはしなかった。
「あーちゃんは、本当に死んでいるんだね」
 墓石に触れたことで、あーちゃんの死を実感したかのように、ひーちゃんは手を引っ込めて、恐れているように一歩後ろへと下がった。
「あーちゃんは、どうして死んだの?」
「……ひとりぼっちみたいな、感覚になるんだって」
 あーちゃんが僕に宛てて書いた、彼のもうひとつの遺書の内容を思い出す。
「ひとりぼっち? どうして? ……私がいたのに」
 ひーちゃんはもう、自分のことを「僕」とは呼ばなかった。
「私じゃだめだった?」
「……そんなことはないと思う」
「じゃあ、どうして……」
 ひーちゃんはそう言いかけて、口をつぐんだ。ゆっくりと首を横に振って、ひーちゃんは、そうか、とだけつぶやいた。
「もう考えてもしょうがないことなんだ……。あーちゃんは、もういない。私が今さら何かを思ったって、あーちゃんは帰ってこないんだ……」
 ひーちゃんはまっすぐに僕を見上げて、続けるように言った。
「これが、死ぬってことなんだね」
 彼女の表情は凍りついているように見えた。
「そうか……ずっと忘れていた、ろーくんも死んだんだ……」
 ひーちゃんの最愛の弟、ろーくんこと市野谷品太くんは、僕たちが小学二年生の時に交通事故で亡くなった。ひーちゃんの目の前で、ろーくんの細くて小さい身体は、巨大なダンプに軽々と轢き飛ばされた。
 ひーちゃんは当時、過剰なくらいろーくんを溺愛していて、そうして彼を失って以来、他人との間に頑丈な壁を築くようになった。そんな彼女の前に現れたのが、僕であり、そして、あーちゃんだった。
「すっかり忘れてた。ろーくん……そうか、ずっと、あーちゃんが……」
 まるで独り言のように、ひーちゃんは言葉をぽつぽつと口にする。瞳が落ち着きなく動いている。
「そうか、そうなんだ、あーちゃんが……あーちゃんが…………」
 ひーちゃんの両手が、ひーちゃんの両耳を覆う。
 息を殺したような声で、彼女は言った。
「あーちゃんは、ずっと、ろーくんの代わりを……」
 それからひーちゃんは、僕を見上げた。
「うーくんも、そうだったの?」
「え?」
「うーくんも、代わりになろうとしてくれていたの?」
 ひーちゃんにとって、ろーくんの代わりがあーちゃんであったように。
 あーちゃんが、ろーくんの代用品になろうとしていたように。
 あっくんが、あーちゃんの分まで生きようとしていたように。
 僕は。
 僕は、あーちゃんの代わりに、なろうとしていた。
 あーちゃんの代わりに、なりたかった。
 けれどそれは叶わなかった。
 ひーちゃんが求めていたものは、僕で��なく、代用品ではなく、正真正銘、ほんものの、あーちゃんただひとりだったから。
 僕は稚拙な嘘を重ねて、ひーちゃんを現実から背けさせることしかできなかった。
 ひーちゃんの手を引いて歩くことも、ひーちゃんが泣いている間待つことも、あーちゃんにはできても、僕にはできなかった。
 あーちゃんという存在がいなくなって、ひーちゃんの隣に空いた空白に僕が座ることは許されなかった。代用品であることすら、認められなかった。ひーちゃんは、代用品を必要としなかった。
 ひーちゃんの世界には、僕は存在していなかった。
 初めから、ずっと。
 ずっとずっとずっと。
 ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと、僕はここにいたのに。
 僕はずっと寂しかった。
 ひーちゃんの世界に僕がいないということが。
 だからあーちゃんを、心の奥底では恨んでいた。妬ましく思っていた。
 全部、あーちゃんが死んだせいにした。僕が嘘をついたのも、ひーちゃんが壊れたのも、あーちゃんが悪いと思うことにした。いっそのこと、死んだのが僕の方であれば、誰もこんな思いをしなかったのにと、自分が生きていることを呪った。
 自分の命を呪った。
 自分の存在を呪った。
 あーちゃんのいない世界を、あーちゃんが死んだ世界を、あーちゃんが欠けたまま、それでもぐるぐると廻り続けるこの不条理で不可思議で不甲斐ない世界を、全部、ひーちゃんもあーちゃんもあっくんもろーくんも全部全部全部全部、まるっときちっとぐるっと全部、呪った。
「ごめんね、うーくん」
 ひーちゃんの細い腕が、僕の服の袖を掴んでいた。握りしめているその小さな手を、僕は見下ろす。
「うーくんは、ずっと私の側にいてくれていたのにね。気付かなくて、ごめんね。うーくんは、ずっとあーちゃんの代わりをしてくれていたんだね……」
 ひーちゃんはそう言って、ぽろぽろと涙を零した。綺麗な涙だった。綺麗だと、僕は思った。
 僕は、ひーちゃんの手を握った。
 ひーちゃんは何も言わなかった。僕も、何も言わなかった。
 結局、僕らは。
 誰も、誰かの代わりになんてなれなかった。あーちゃんもろーくんになることはできず、あっくんもあーちゃんになることはできず、僕も、あーちゃんにはなれなかった。あーちゃんがいなくなった後も、世界は変わらず、人々は生き続け、笑い続けたというのに。僕の身長も、ひーちゃんの髪の毛も伸びていったというのに。日褄先生やミナモや帆高や佐渡梓に、出会うことができたというのに。それでも僕らは、誰の代わりにもなれなかった。
 ただ、それだけ。
 それだけの、当たり前の事実が僕らには常にまとわりついてきて、その事実を否定し続けることだけが、僕らの唯一の絆だった。
 僕はひーちゃんに、謝罪の言葉を口にした。いくつもいくつも、「ごめん」と謝った。今までついてきた嘘の数を同じだけ、そう言葉にした。
 ひーちゃんは僕を抱き締めて、「もういいよ」と言った。もう苦しむのはいいよ、と言った。
 帰り道のバスの中で、四月からちゃんと中学校に通うと、ひーちゃんが口にした。
「受験、あるし……。今から学校へ行って、間に合うかはわからないけれど……」
 四月から、僕たちは中学三年生で高校受験が控えている。教室の中は、迫りくる受験という現実に少しずつ息苦しくなってきているような気がしていた。
 僕は、「大丈夫」なんて言わなかった。口にすることはいくらでもできる。その方が、もしかしたらひーちゃんの心を慰めることができるかもしれない。でももう僕は、ひーちゃんに嘘をつきたくなかった。だから代わりに、「一緒に頑張ろう」と言った。
「頭のいいやつが僕の友達にいるから、一緒に勉強を教えてもらおう」
 僕がそう言うと、ひーちゃんは小さく頷いた。
 きっと帆高なら、ひーちゃんとも仲良くしてくれるだろう。ミナモはどうかな。時間はかかるかもしれな���けれど、打ち解けてくれるような気がする。ひーちゃんはクラスに馴染めるだろうか。でも、峠茶屋���んが僕のことを気にかけてくれたように、きっと誰かが気にかけてくれるはずだ。他人なんてくそくらえだって、ずっと思っていたけれど、案外そうでもないみたいだ。僕はそのことを、あーちゃんを失ってから気付いた。
 僕は必要とされたかっただけなのかもしれない。
 ひーちゃんに必要とされたかったのかもしれないし、もしかしたら誰か他人だってよかったのかもしれない。誰か他人に、求めてほしかったのかもしれない。そうしたら僕が生きる理由も、見つけられるような気がして。ただそれだけだ。それは、あーちゃんも、ひーちゃんも同じだった。だから僕らは不器用に、お互いを傷つけ合う方法しか知らなかった。自分を必要としてほしかったから。
 いつだったか、日褄先生に尋ねたことがあったっけ。
「嘘って、何回つけばホントになるんですか」って。先生は、「嘘は何回ついたって、嘘だろ」と答えたんだった。僕のついた嘘はいくら重ねても嘘でしかなかった。あーちゃんは、帰って来なかった。やっぱり今日は雨で、墓石は冷たく濡れていた。
 けれど僕たちは、やっと、現実を生きていくことができる。
「もう大丈夫だよ」
 日褄先生が僕に言ったその声が、耳元で蘇った。
 もう大丈夫だ。
 僕は生きていく。
 あーちゃんがいないこの世界で、今度こそ、ひーちゃんの手を引いて。
 
 ふたりで初めて手を繋いで帰った日。
 僕らはやっと、あーちゃんにサヨナラができた。
  あーちゃん。
 世界は透明なんかじゃない。
 君も透明なんかじゃない。
 僕は覚えている。あーちゃんのことも、一緒に見た景色も、過ごした日々のことも。
 今でも鮮明に、その色を思い出すことができる。
 たとえ記憶が薄れる日がきたって、また何度でも思い出せばいい。
 だからサヨナラは、言わないんだ。
 了
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groyanderson · 4 years ago
Text
ひとみに映る影シーズン2 第一話「呪われた小心者」
☆プロトタイプ版☆ こちらは無料公開のプロトタイプ版となります。 最低限の確認作業しかしていないため、 誤字脱字誤植誤用等々あしからずご了承下さい。 尚、正式書籍版はシーズン2終了時にリリース予定です。
(シーズン2あらすじ) 私はファッションモデルの紅一美。 旅番組ロケで訪れた島は怪物だらけ!? 霊能者達の除霊コンペとバッティングしちゃった! 実は私も霊感あるけど、知られたくないなあ…… なんて言っている場合じゃない。 諸悪の根源は恩師の仇、金剛有明団だったんだ! 憤怒の化身ワヤン不動が、今度はリゾートで炸裂する!!
pixiv版 (※内容は一緒です。) ☆キャラソン企画第一弾 志多田佳奈「童貞を殺す服を着た女を殺す服」はこちら!☆
དང་པོ་
 『ジャパン・ファッショニスタ・コレクション二〇一三』。年に一度開かれる、日本最大級のファッションの祭典だ。ゴールデンウィーク初日、五月三日。今年も女の子達が全国から日比谷(ひびや)ヴォヤージュアリーナに集った。  セレモニーが始まると、アリーナは堰を切ったように歓声に包まれる! EDMミュージックが地面を揺るがすほど重低音を響かせ、レーザーライトはそれに合わせて明滅。やがて中央モニターに有名ブランドロゴが表示され、今最も旬のモデル達がランウェイへ繰り出していく……去年まで私は、この光景を観客席から見ていた。だけど、今年は違う。  二〇一三年。ついに私の、モデル兼女優・紅一美(くれないひとみ)の時代が来たんだ! 昨年公開された歴史映画『邪馬台国伝説』がアジア映画賞にノミネートされ、女王卑弥呼役を演じた私は一躍国際女優に。更に私が主人公のサイドキックを演じている連続ドラマ『非常勤刑事(ひじょうきんデカ)』も既にシーズン三に突入し今年映画化が決定、そしてお昼の情報番組『まちかどランチ』で夏から始まる新コーナーのメインパーソナリティにも抜擢されている。こうして枚挙してみると、本業であるモデルらしい仕事は殆どしていないように見えるけど、それでもよし。現にこうして、JFC二〇一三でオーガニックファッション&コスメブランド『リトルマインド』の看板を背負わせて頂ける事になったんだ。もう、うらぶれたローカル局の旅番組でドッキリに騙されるだけが取り柄の三流リアクション芸人とは、誰にも言わせない。  前ブランドのファッションモデルがランウェイから踵を返すと、ダブステップBGMが爽やかなペールギュント組曲『朝』にクロスフェードした。中央モニターに『リトルマインド』の華奢なブランドロゴが表示され、いよいよ私の出番が来る。緊張で心臓が飛び出そうになりつつも、私は直前まで舞台袖で観音菩薩印相を組みながら軽く瞑想し、意を決して晴れ舞台へ飛びこんだ!  ワアァァー! 歓声が上がる! ニヤつきそうになるのを必死に堪えながら光の道を歩き、先端でポーズを取る。ワアァァーーッ! 更に歓声! 長かった。芸能界デビューから四年、紅一美、二十二歳。お母さん、お父さん、それに人生最大の恩師、石筵観音寺(いしむしろかんのんじ)の和尚様。私もついに一人前のファッショニスタになれました! 聞こえていますか、この歓声! 「「「ワアァァー! ヒトミチャーン! ウシロー!」」」……ん? ウシロ? 「「「一美ちゃん、後ろーーっ!!」」」  歓声に混じった謎の警告。振り向くと……さっきまで頭上のモニターに掲げられていたリトマイのロゴは消滅し、代わりにこう書かれていた。 『予告状 JFC二〇一三にて、最近女優ぶって調子に乗っている小心者モデル、紅一美を頂戴致します。 したたび怪盗・カナちゃん三世』 『ヌーンヌーン、デデデデデン♪ ヌーンヌーン、デデデデデン!』  テレビ湘南(しょうなん)制作『ドッキリ旅バラエティしたたび』主題歌、『童貞を殺す服を着た女を殺す服』の低俗なイントロがペールギュントを蹂躙した途端、私はランウェイを飛び出して一般客の海に潜りこんだ。したたびとは、極悪ロリータアイドルこと志多田佳奈(しただかな)さんの冠番組だ。私はこれまで幾度となく、事務所とグルのこの番組にドッキリと称して乱暴に拉致され、割に合わない過酷なロケを強要されてきた。冗談じゃない。私はもう国際女優で、JFCのランウェイを歩く国際モデルなんだ! 今日という今日は空気を読まずに逃げ切ってやる! たとえドローンで無数のアラザンを集中砲火されたり、スクランブル交差点のど真ん中で逆バンジージャンプさせられても逃げ切ってやるんだ!! しかし、その時だった。 『うわあぁーーーん! 助けてぇ、一美ちゃーん!』  ステージ方向から金切り声で呼び止められ振り向くと、モニターに縄でがんじがらめに拘束された着ぐるみマスコットが! あ、あれは、昨年の全日本ご当地ゆるキャラコンテストで金賞に輝いた、ゆめみ台代表のゆめ美ちゃん!? すると首にIDカードを提げたスタッフの方が人混みをかき分けて現れ、私にワイヤレスマイクを押しつけた。ほどなくして、あの極悪アイドルが……佳奈さんが、ステージ上に白いゴシックタキシード姿で登場する。 「JFC二〇一三にお越しの皆様あああぁぁ!!!」  ワアァァーーー!! ウオォォーー!! 私の時よりも一際大きな歓声。悪夢だ。 「ドッキリ大成功ーーー! 志多田佳奈のドッキリ旅バラエティィーーーッ……」  佳奈さんはあざとくマイクを客席に向ける。お客さん達が『したたびでーーーす!!』と返した。こうなれば私も売られた喧嘩を買わざるを得まい。 「なにが怪盗ですか、私のペールギュント『朝』を返せ! この泥棒ロリ!!」  ワアァァー! 私が言い返すと、また観客席から歓声が上がる。プロレスのマイクパフォーマンスじゃないんだから。 「朝ぁ? もう昼前なのに何を言ってるのかなー、リトルマインドの小心者さん」 「あっなるほど、リトルマインドだから小心者……って、そんな事より! 私の晴れ舞台を邪魔して、あまつさえゆめ美ちゃんを人質に取るなんて今回は酷すぎます! 卑怯者!」 「ゆめ美ちゃん?」  佳奈さんはキョトンとしている。 「とぼけないで下さい。ほら、モニターに……」  私がモニターを指さした瞬間。ヴァボォォオオ!!! 突然画面内のゆめみちゃんが青白い炎に包まれた! 「きゃーっゆめ美ちゃーん!?」「うわああああ!」  客席から悲鳴が上がる。ゆめ美ちゃんが大好きな、小さなお子さん達の悲鳴が。一方炎上し続けている当のゆめ美ちゃんは平然とした仕草で、焼け落ちた縄を払い除け、画面いっぱいに顔を近付けた。 『……ゥゥウ、紅ひト美イィィ……呪っテヤるゥ……小心もノノ貴様ヲのロってやルウぅゥ……! もウろくナ仕事が来ナクなるよウに祟っテやるゥゥウ……!』  何らかのホラーじみたボイスエフェクターを通した声で、ゆめ美ちゃんが私に恐ろしい呪詛を吐く。佳奈さんはあからさまにリハーサル済だとわかる計算ずくのタイミングで身じろぎし、客席を仰いだ。 「大変! 小心者の誰かさんが最近調子こいてるせいで、ゆめ美ちゃんが悪霊に乗っ取られちゃった! これは千里が島(ちりがしま)に住む怨念達が怒ってるからに違いない! 千里が島は昔散減島(ちるべりじま)って地名で、絶家の祟りがあったって言い伝えが残ってるからね!」 「は?」  地名? 祟り?? まさか……。 「こうなったら千里が島で噂の徳川埋蔵金を掘り当てなきゃ。観光地アピールをすれば、怨霊達も喜んで鎮まってくれるよね。ゆめ美ちゃんと出会ったゆめみ台の時みたいに!」  ダァーン! パッパラペー! 安っぽい効果音が鳴り、画面いっぱいにデカデカと『綺麗な地名の闇シリーズ第六弾 千里が島宝探し編』という文言が現れた。私はその場にヘナヘナと崩れ落ちた。 「……うそでしょおおおぉぉぉーーーーっ!!!??」
གཉིས་པ་
 したたび・綺麗な地名の闇シリーズとは、一見綺麗な地名だけど実は災害に弱い、昔は恐ろしい地名だったなど、ちょっと曰くつきな地域を紹介していく企画だ。デメリットだけでなく、地理的な危険性に対する自治体の取り組みやお出かけスポットなども紹介して地域を振興する。例えば、今回の演出で犠牲になったゆめ美ちゃんの出身地、ゆめみ台。あそこは土砂崩れが起きやすく、旧地名は蛇流台(じゃりゅうだい)と呼ばれていた。そこで番組では現在のゆめみ台が安全に暮らせる場所だと証明するために、ゆめみ台国立公園の断崖絶壁でロッククライミングを行った。地盤の安全とロッククライミングに何の関係があるのかと思われるだろう。私も未だに訳が分からない。またある時は『元氾濫常習地で河川の安全を証明するためにキャニオニング』だったり、『元流刑地で治安の良さを証明するために現役警察官と剣道対決』だったりと、何故か毎回異常に過酷なアクティビティが用意されている。今回もそうに違いない。  あの後あれよあれよと運び出された私は、人混みで揉まれてシワクチャになったリトマイをテレ湘の衣装さんに剥がされ、佳奈さんがコーデしたロケ衣装に着替えた。爽やかなストライプTに水着生地のハーフ���ンツ、歩きやすそうなサンダル、つばが広いストローハット。よく見たらその服一式も、今日から発売されるリトマイの夏の新作だった。SNSを確認すると既にリトマイ公式アカウントが広告を出していて、その文末に『一美ちゃんごめんなさい(ウインクして舌を出す絵文字)したたびさんのドッキリ(驚く顔の絵文字)とコラボさせていただきました(お辞儀をする人の絵文字)』と書かれていた。もう二度とリトマイの仕事は受けまいと心に誓った。  アリーナ業者搬入口には見慣れた水色のロケ車が待ち構えていた。普通ロケ車って白が多いけど、テレ湘は湘南の海色モチーフだからすぐわかる。後部座席に乗りこみワイヤレスマイクを装着していると、運転席に座るディレクター兼カメラマンのタナカDが私に紙袋を差し出す。 「忘れ物ですよ」  中身は黄色いパーカー。私の地元、会津地方で販売している物で、胸元に『I♡AIZU(アイラブ会津)』と書かれている。飾り気はないけど着心地がいいから、よく冷房が寒いバックヤードなどで着ているやつだ。そういえば、この騒動のせいでアリーナ控え室に置きっぱなしだったっけ。まだショートTでは肌寒い季節だから、私はそのままアイラブ会津パーカーを羽織っていく事にした。 「しかし紅さんも災難ですなあ。地名闇シリーズでいつか千里が島に行くとは決まっていたけど、まさかJFCの直後とはね!」 「一美ちゃん、その服にチビらないでね。それもリトマイさんの宣伝なんだから」  タナカDと佳奈さんに釘を刺された。恐らく理由は、ひょんな事から彼らが私を『お化けが苦手な子』と思いこんでいるせいだ。本当は怖いどころか、昔お寺に住んだ事があるから幽霊なんてしょっちゅう見慣れてる、なんなら除霊だってできるんだけど……それはそれでカミングアウトしたら面倒な事になりそうだから内緒にしている。  千里が島は徳川埋蔵金が隠されていると噂の候補地でありながら、日本一の縁切りパワースポットであり、有名な心霊スポット。この番組の事だ。きっとわざわざ夜中に祟られた場所に行くとか、私をビビらせるために余計なロケを用意しているんだろう。 「そうだ。お母様から紅さんの荷物と差し入れの福島銘菓『うまどおる』預りましたよ。ちゃんと後でお礼言いなさいよ」 「やったー! ごほうびんぐターイム!」  タナカDが後方を指さすと、佳奈さんが後部座席裏からうまどおるの箱と『予後の紅茶』ペットボトルミルクティーを取り出した。私も個包装を雑に剥がし、半ば現実から逃避するようにヤケ食いする。食べながらふと思い立って、舞台に立つ前財布にしまっていたペンダントを取り出し首にかけた。 「そのペンダント、ここ数年いつも着けてるよね。韓国の友達から貰ったんだっけ?」  佳奈さんが興味深そうにペンダントに触れる。 「ハングル��書いてある。なんて読むの?」 「『キョンジャク』って読むそうです。悪いお化けを捕まえてお清めするお守りなんですって」 「やっぱ一美ちゃん、卑弥呼のクセにだぶかお化け怖いんだぁ!」 「うるさいなあ、邪馬台国民の霊ならだぶか大歓迎ですよ。女王権限で佳奈さん達を呪ってもらえますからね!」  だぶか、とは、したたび出演者やファンがよく使うスラングだ。確か本来は『逆に』とか『寧ろ』みたいな意味のヘブライ語で、元々誰が言い出したのかは忘れたけど、今じゃネットや街中でもちらちら使われ始めている。  お菓子をだらだら食べながら下らないやり取りをしていると、ロケ車はいつの間にか調布(ちょうふ)飛行場に到着していた。離島などに行く小型便専門の、小さな空港みたいな所だ。本当に行くのか、千里が島……全くもう、今から気が滅入る。
གསུམ་པ་
 ポーン。  『皆様、本日は美盾(みたて)航空をご利用頂き、誠にありがとうございます。当機はMAL五八便、千里が島(ちりがしま)行きでございます。飛行時間は約……』  こじんまりとした小型旅客機に、こじんまりとした低音質機内アナウンスが流れる。佳奈さんとタナカDは機内で大した撮れ高が期待できないと見るや、さっさと眠ってしまった。それはともかく……  私から見て右後方部。男も女も、フランシスコ・ザビエルを彷彿とさせる奇妙な髪型の一団。その中心で悠然とワイングラスを揺らしている男性は、宗教法人『河童の家』教祖、牛久舎登大師(うしくしゃとうだいし)。  左後方部。卓上に小さな信楽焼の狸や風水コンパスを並べて忙しなく地図に何かを書きこんでいる、狸耳フード付きブランケットを被った男性。地相鑑定家タレントの狸おじさんこと、後女津斉一(ごめづせいいち)だ。隣にはブレザー制服の女子中学生風化け狸と、二匹の狸妖怪。彼とはどういう関係だろうか。  私達の背後、中央三列シート後部。PTA的な気迫を醸し出す、上品かつ気骨稜稜なおばさま軍団。その殿では、年始によく芸能人をタロット占いしている占い師、加賀繍へし子(かがぬいへしこ)がニタニタと薄ら笑いを浮かべる。更に私の斜め右前方にいる若い女性は、現代沖縄に残る由緒正しき祝女(ノロ)、すなわちシャーマン。金城玲蘭(きんじょうれいら)。  ……どうして!? 何故にこの便、旬の霊能者だらけ!!? 偶然か? それとも、ひょっとしてこれも新手のドッキリか? でも、中堅人気番組になったとはいえローカル局制作のしたたびに、こんな���霊能者を呼ぶ予算はないはずだ。ただでさえ私へのドッキリに、予算を殆ど割いているというのに……こちとら大迷惑だけど。ただ同じ中学出身の幼馴染、祝女の玲蘭ちゃんがいたのは不幸中の幸いだ!  私はしたたびの二人が熟睡している事を確認した後、自分も寝た振りをしつつ、足元に念力を集中させた。実は私の家系は代々、『影法師』という霊能力を持っている。お寺に住んだ事があるのも、霊感があるのもこのためだ。そうは言ってもこれは地味な力で、エロプティックエネルギーと呼ばれる念力で自分や周りの影を操ったりできるだけ。だから正確には霊能力じゃなくて、サイコキネシスやテレパシーみたいに脳が発達して覚醒する『特殊脳力(とくしゅのうりょく)』というカテゴリに該当するらしい。  爪先から影を糸状に伸ばし、右前方のシートへ這わせていく。玲蘭ちゃんはそれに気がつき背後を振り返った。私は船を漕いだまま、佳奈さん達に悟られないようそっとサムズアップする。影が玲蘭ちゃんの前席から突出する簡易テーブルに乗り上げると、彼女は影の先端にそっと触れた。 <一美!? どうしてここにいるの!?>  影を通して、テレパシーが私に伝わる。これなら離れていても話ができるし、幽体離脱と違ってリスクが少なく、霊感がある人にも会話が漏れない。影法師の技法、『影電話』が役に立った。 <どうしてここに……はこっちの台詞だよ! 何なの、この霊能者軍団!?> <は? あんた何も知らないで千里が島に行くワケ!?> <行きたくて行くんじゃないもん! 見てよ、私の隣でグースカ寝てる人達!>  玲蘭ちゃんが再び振り返る。 <……アー……したたび。そう……じゃあ、また騙されたんだ>  玲蘭ちゃんいわく、千里が島の縁切りパワースポットには実際凄まじい怨霊がいるらしい。そこで島を改革中の再開発事業者、『アトムツアー』が日本全国から名のある霊能者達を集めて、この度除霊コンペティションを行うという。それがどれほど強い怨霊だか知らないけど、除霊成功者には報酬三億円、更に全国のアトム系列スーパーで使える永年ポイント十倍VIPカードが進呈されるとかなんとか。 <三億円って……ドリームがでっかい話だね……> <それだけとんでもない魔境なんじゃないの? 私はこんなヤバそうな依頼受けたくなかった。でも、引き受けないと地元の伊江村(いえそん)に下品なメガアトムモールを建てるっていうから……> <うっわ、最悪じゃんそれ! もうアトムで買い物するのやめようかな……> 「あの、すいません!」  突然、私達は声をかけられて振り返った(私は影体にファティマの眼という霊的レンズを作ってその人を見た)。そこにいたのは、さっき狸おじさん……後女津斉一氏の隣にいた女子中学生狸ちゃん。うっすら体毛が生えていて、耳や尻尾は狸のもの。だけど顔はどことなく狸おじさんに似ている。 「そ……それ、影法師だよね? じゃあ少なくともモノホンって事だよね!? 私の事、見えてる? お願い、見えるって言って!」 「……普通に見えてますけど。あ、『できればあなたも影電話で話して下さい』だって……影の主が」  玲蘭ちゃんが私の言葉を伝達してくれた。狸ちゃんも影糸に触れる。 <あぁ~良かった! 孤独だったんだよ、まともな霊能者はカッパ頭の大師さんしかいないんだもん。でもあの人に関わると、変な宗教に入れられちゃいそうで……はぁ……>  狸ちゃんは心底安心したように、その場でへたり込んだ。 <ええと、失礼ですけど……あなたは?>  私は少し警戒して尋ねる。 <私、後女津万狸(まり)。後女津斉一の娘だよ。あっちにいる狸妖怪は、斉二(せいじ)さんと斉三(せいぞう)さん……パパのドッペルゲンガー狸なんだ> <娘!? ドッペルゲンガー!? あの、ドッペルゲンガーって、世界には自分と同じ顔の魂がいて、出会っちゃうと殺されて乗っ取られるってやつ?> <それそれ! パパの場合はちょっと特殊だけど。昔事故に遭った衝撃で魂が三つに割れちゃって、里の大狸様に助けてもらって……そういうわけだから、別に乗っ取りとかなくてみんな仲良しなんだよ!>  交通事故に遭って、魂を狸に助けてもらった……いまいち的を得ない話だけど、もしかして万狸ちゃんが化け狸なのもそれが原因だろうか。そっと首を上げて狸おじさん達を見ると、彼らは驚きながらも小さく手を振り返してくれた。 <えっこの影、紅一美ちゃんだったの!? どーしよ、私したたび毎週見てんですけど! だぶか後でサイン下さい!> <は、はぁ……もちろんいいですけど……。ええと、あなた方もコンペですか?> <そうなの、行きたくないよー! でも行かなきゃ、木更津(きさらづ)の證誠寺(しょうじょうじ)を壊してアトムモール建てるって言うんだよ。そんな事になったら大狸様カンカンに怒っちゃう!>  うわあ、この子達もそういう事情か。アトムグループ最悪だ! こうなったら、少なくとも玲蘭ちゃんや後女津さん達とは助け合って、せめて全員無事に帰らなきゃいけない。私達はひとまず協力関係を結び、今後の作戦をざっと話し合う事にした。 <他の乗客の霊感は?>  玲蘭ちゃんが私達に問う。 <したたびチームは私以外カラキシ。万狸ちゃん、他の人達の事はわかる?> <うん! 河童の家の信者さんはほぼみんなヒヤシ、良くてチョットだと思う。でも大師さんは確実にモノホン。加賀繍さんの取り巻き軍団もヒヤシかチョットっぽいけど……けどヤバいの! 加賀繍さんご本人ね、業界では超有名なアサッテおばさんなの!> <ゲ、最っ悪!>  カラキシ、ヒヤシ、チョット、モノホン、アサッテ。霊能者が使う業界用語だ。カラキシは文字通り、全く霊感がない人を指す。ヒヤシも同じく霊は見えないけど、コールドリーディングみたいな心理学技術でスピリチュアルカウンセリングができる人。チョットは気配やオーラをなんとなく感じられる程度。モノホンは完全なる霊能者。そして一番厄介な人種が、アサッテ。霊がいない明後日の方向を見る方々……すなわち霊が見えるフリをしている詐欺師か、精神的なご病気による見えてはいけない幻覚を霊だと思いこんでいるタイプだ……。 <私は祝女だから自分の身ぐらいは守れるけど、万狸ちゃんと一美はどう?> <私は妖怪だからへーき! パパ達も一緒だもんね、ぽんぽこぽーん!> <私もお守りぐらいは持ち歩いてるし、観音寺で色々教わってたから大丈夫。ただ、ごめん……私、テレビ関係に霊感ある事を言いたくなくて……> <ああ……だ、だよね……特に一美は……>  申し訳ないが、本当にそれだけは秘密にしたいんだ。ただでさえ騙され芸人みたいな扱いを受けているのになまじ霊感があるなんてバレたら、何もいない心霊スポットでリアクション芸を強要されたり、それこそアサッテな霊能者と対談させられて超気まずい思いをするに違いないもん! <そうなんだ……オッケー! じゃあどうしても一美ちゃんが除霊する事になったら、パパとか金城さんが近くで何かしたって事にしよう!> <最善だね。私もできるだけしたたびロケを見張ってるから。場合によってはあんたの手柄を横取りしちゃう事になるけど、それでいい?> <も、勿論です! お二人共ありがとうございますっ!>  ああ、渡りに船だ! 仏様和尚様にも大感謝!  私はその後トイレに立ち、行き際にこっそり玲蘭ちゃんと握手を交わした。そして用を足し、反対側の通路で後女津さん達の席に向かう。 「あの、ありがとうございます。宜しくお願いしますね」  小声で挨拶し、会釈した。 「すみません、先程は娘が失礼を。ともかく、皆無事にこの旅を終えましょう」  いつもテレビで見る斉一さんは『狸おじさん』の名の通りお調子者なキャラクターだけど、実際に会うと礼儀正しい方だった。すると万狸ちゃんや『ドッペルゲンガー狸』のお二人も挨拶を返してくれる。 「頑張ろーね、一美ちゃん! ぽんぽこぽーん!」 「オイオイ、したたびさんも『持ってる』なぁ。こーんな怪しい連中とバッティングしちまうなんてさ! ハハハ」 「僕の事はあまり撮らないで下さい……うう、木更津に帰りたいな……」  彼らは顔つきや仕草から家族だと納得できるけど、性格は三者三様のようだ。万狸ちゃんは元気いっぱいな女の子。ドレッドヘアで髭が垂れ下がった化け狸の斉二さんは、笑顔が朗らかで、テレビで見る狸おじさんに一番近い印象だ。一方前髪をサイドにきっちりと撫でつけ、シンプルな白シャツを着た化け狸、斉三さんは人見知りそうに見える。 「あっ、見て見て!」  万狸ちゃんに促されて窓を覗きこむと、眼下の海には既に目的地、千里が島が浮かんでいた。
བཞི་པ་
 ポーン。  『皆様、当機は間もなく着陸体制に入ります。お立ちのお客様は席にお戻りになり、シートベルトをご着用下さい……』  示し合わせたようなタイミングでアナウンスが流れ、私は自席に戻る。ところが、シートベルトに手をかけた次の瞬間。  ズガガガガガ!!! 突如機体が激しく揺れ、左手側にめいっぱい傾いた! 「うわあああ! え、何!?」 「うおぉ、揺れてますなあ!」  突然の衝撃に佳奈さんとタナカDも起きだす。危なかった、咄嗟にシートベルトを影で繋ぎとめたから転倒せずに済んだ。しかし二人が起きてしまったから、ベルト金具を締めて影は引っ込める。  ポーン。 『皆様、機長で��。当機は現在乱気流に突入したため、機体が大きく揺れております。シートベルトをご着用の上、焦らず乗務員の指示に従って下さい。ご迷惑をおかけ致しますが、千里が島着陸までもう少々お待ち下さい』  ズガガガガガガ! 悠長な機長さんのアナウンスとは裏腹に、機体は明らかに異常な揺れを起こしている! 何度も海外ロケに行っている私達したたびチームでさえ、全員表情に恐怖を禁じ得ない。 「一美ちゃん玲蘭ちゃん、あれ見て!」  万狸ちゃんが叫び指さした方向には…… 「ああ! 窓に! 窓に!」  しまった、思わず声に出しちゃった。玲蘭ちゃんから牛久大師の席あたりまで連なる窓の外に、巨大な毛虫じみた不気味な怪物がへばりついている! 「えっ何!? 一美ちゃんなんか言ったー!?」  佳奈さんが聞き返す。良かった、幸い機体揺れが大きすぎて私の声が掻き消えたみたいだ。 「別に! 死にたくなーい! って言っただけですよ!」  慌てて取り繕うが、 「ぎゃあああああ!!!」「何だこいつうわああ!?」  河童信者さんのうち一部、恐らくモノホンやチョットの方々がパニックに陥った! 玲蘭ちゃんは既に数珠を握りしめ、神人(かみんちゅ)の力を機外に放出しようと四苦八苦。一方後女津さんの狸妖怪達は機内に風水結界を張ろうと忙しなく走り回り、加賀繍さん方はアサッテの方向に念仏を唱えだした。ここで佳奈さんやタナカDも、ようやくこの便の異常な雰囲気を察する。 「な、なにこの声、お経!? ひょっとしてもう祟り始まってるの!?」 「あれ河童の家か!? 無断で写したら絶対ヤバいカルトじゃないか……ゲッ、あっちは狸おじさん!? これどこも撮れないぞ! くそ、ヘルメットカメラは預け荷物だし……」  タナカDはカメラマイクだけ生かした状態で、ファインダーを下に向ける。 「音声オンリーだ! 二人とも、実況して!」 「今それどころじゃないでしょ!? 墜落したら化けて出て、あなた方を祟ってやる!」 「そしたら私達全員死ぬから無理じゃん!」 「確かに!」 「「いやああぁ~~~っ!」」  おおよそプロ根性に物を言わせてトークを繋ぐが、こんな危険すぎる状況を実況したところでオンエアできるんだろうか。毛虫は拳を叩きつけるように身をガラスに打ちつけ、飛行機を破壊しようと試みる。いくら今最旬の霊能者集団が搭乗しているとは言えど、空中を高速移動中のこの状況では手も足も出ない! このまま千里が島に到着する事なく、MAL五八便は私達の棺桶になってしまうのか!? この場にいる大部分の人間が絶望しかけた、その時だった。 「かっぱさんチャント詠唱!」  突然牛久大師がシートベルトを外し、スクッと立ち上がった! 「かっぱさんチャント……」「そうだ! チャントを唱えよう!」 「「チャントをちゃんと唱えるぞ!!」」  教祖の鶴の一声で、狼狽していた他の河童信者達が次々に統率を取り戻していく。ていうか今、ダジャレ言ったような……? 「せーのッ! かっぱっぱーの、かっぱっぱーの、かっぱっぱーの、パァー! ホオォイ!!」 「「かっぱっぱーの、かっぱっぱーの、かっぱっぱーの、パァー!」」  河童の家一同は全員一糸乱れぬ動きで、ピカピカに剃りあげた頭頂部を両手で撫でながらチャントを詠唱する。ヤバい。カルトヤバい。この状況でふざけているとしか思えない事を大真面目にやってしまうカルトってヤバい! 私が今まで見てきたどんな悪霊や怪物よりも怖すぎる!! しかもこの恐れは直後、更なる絶望へと変わった。 「……ぱっぱーの、かっぱっぱーの、かっぱっぱーの、ぱー」  玲蘭ちゃんがチャントに参加した! 何で!? 「かっぱっぱーの……一美もやって!」 「はぁ!?」 「そうとも!」  激震する機内で、転倒することなく仁王立ちの牛久大師が叫ぶ。 「君達だけじゃあないぞ。加賀繍さん、後女津さん! 死にたくなければ皆ちゃんとチャントするんだァ!」 「あぁ?」 「はい!?」  突然話に加えられた加賀繍さんと斉一さんが牛久大師を見る。ていうかやっぱりダジャレ言ってるよね!? 「じょっじょ、冗談じゃないわよーッ!」 「どーしてこんな時にそんなオゲヒンな事しなきゃいけないの!?」  肘掛けや前席のハンドルにしがみついたまま、加賀繍さんを囲うおばさま軍団が吠えた。 「そ、そうだそうだ! てーか俺河童じゃなくて狸だし……」 斉二さんも風水結界を押さえながら反論! 「うっちゃあしい、しみじみやらんか! 狸もだ!!」  うるさい、真剣にやれ! といったような方言だろうか。地元の会津弁に似ているからなんとなく意味はわかる。そして大師は斉二さんにも返事したからやはりモノホンのようだ……ええい、こうなったらままよ! 「かっぱっぱーの! かっぱっぱーの! かっぱっぱーのーパァー!」  国際女優紅一美、花の二十二歳。チャント参加! 生き残るためなら何だってやってやる! 「一美ちゃん!? マジなの!?」 「嫌々に決まってるじゃないですか、こんな狼藉あっていいわけない! でもやらなきゃみんな死んじゃうんでしょ!?」 「じゃ……じゃあ河童教が怨霊やっつけてくれるの!?」 「そんなの知りませんよ、私霊能者じゃないもん!」 「も……もぉーっ、わかったよ! 私達もやろう! タナカD! ほらかっぱっぱーの、かっぱっぱーの!」 「ええぇ!? か、かっぱっぱーの、パァー!」 「「かっぱっぱーの、かっぱっぱーの、かっぱっぱーの、パァー! かっぱっぱーの、かっぱっぱーの、かっぱっぱーの、パァー!!」」  もはや藁にもすがる思いで、客室にいる全員がかっぱさんチャントを唱える。揺れ続ける機内、加賀繍さんも万狸ちゃんも客室乗務員さんも、喉が痛くなるほど叫ぶ! すると増幅チャントが段々クヮンクヮンとハウリングを起こし、機内に奇妙な一体感が充満し始めた。 「「かっぱっぱーの、かっぱっぱーの……」」  ここで河童信者の一人が立ち上がる! 「総員、耳を塞げーーーーッ!」 「「かっぱっぱーの、【【【ハウヮアーーーーッ!!!!】】】  クワアアアーーーーァァン!!! 一斉に耳に手を当てた河童信者達に倣い私達も耳を塞ぐと、直後牛久大師の口から人間とは思えないほどの爆音が発せられた! 両手で側頭部を押し潰すほど耳を塞いでいるにも関わらず、頭が割れる程の大声だ。判断が遅れていたら失聴は免れなかっただろう! ただそれでも、分厚いガラスが二重にはまっている飛行機の窓から機外へチャントが届くのか……? と疑ったその時。怪物芋虫に覆われて薄暗くなっていた機体右側が、フッと急に明るくなった! あまりに一瞬の出来事で何が起きたかわからなかったけど、不思議な事に……芋虫がいなくなっている!? 「河童の家の勝利だ!」 「うおおぉー!」「かっぱっぱーの、勝ったったー!!」「大師! 大師!」  勝利を讃え合う河童の家とは裏腹に一同呆然としていると、いつの間にか機体の揺れも嘘のように治まっていた。  ポーン。 『皆様、当機は只今乱気流を抜けたため、これより着陸態勢に入ります。現在着陸予定時刻より三十分遅れとなっております、お忙しい中ご迷惑を……』  何事もなかったかのように、また悠長でこじんまりとしたアナウンスが流れ始めた。どの霊能者もしたたびチームもそれぞれ、安堵と疲労で背もたれにしなだれ掛かる。  それにしても冷静になって思い返せば、あの芋虫のような怪物には心当たりがある。あれは以前戦った物と似ていた。千里が島にどのような怨霊が棲んでいるのか、私はなんとなく目星がついた。寧ろ気になるのは河童の家だ。あのふざけたチャントと牛久大師の力は、一体どういう仕組みだったのか…… 【共鳴透過という言葉をご存知かな? ワヤン不動(ふどう)君】  ……え? 【狭い中空層を隔てて並ぶ二枚のガラスは、音が共鳴して反対側に届くのだ。飛行機の窓ガラスも然もあらん】  離れた席から大師の声が鮮明に聞こえる。頭に直接響くテレパシーとはまた違った感覚で、まるでイヤホンをしているように耳に音が入ってくる。振り返ると、大師は口をぽかんと開けたまま私を見つめていた。 【不思議に思っているかね? なに、簡単なことさ。この力の源はエロプティックエネルギー。すなわち君の影法師と同じ、霊力ではなく念力由来の物だ。俺は念力であらゆる周波数の音波を生み出し、口から発する事が出来る。霊が嫌がる周波数もだ。それを増幅するのがかっぱさんチャントだったという訳さ】  エロプティックエネルギー!? まさか、じゃあこの人も、霊能者じゃなくて特殊脳力者なの!? それに、『ワヤン不動』って……。私は牛久大師の言葉の真偽を確かめるべく、脳力について研究している極秘医師団、『国際超脳力研究機関(NIC)』のシンボルマーク影絵を見せてみた。すると彼はニタリと口元を綻ばせ、たった一言、確信的な返答を私の耳に届けた。 【なぁに、俺はただの『関係者』だよ】
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carguytimes · 6 years ago
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【NEWS】「ジム・クラーク ミュージアム」のために5万3000ポンドの寄付金が集まる。
ジム・クラークがサーキットに散ってから50年が経過。 節目の年に当たる今年、「グッドウッド フェスティバル オブ スピード2018」で開かれたチャリティーイベントにて、総額5万3000ポンドの寄付金がジム・クラーク トラストに寄せられた。 ジム・クラークの業績を後世に伝える「ジム・クラーク ミュージアム」は現在敷地面積を拡大してリニューアル工事が進んでいる。総工費160万ポンド(約2億3200万円)を要する大規模な改築工事で、すでに今年6月から作業は始まっている。 同ミュージアムはジム・クラーク トラストを始めとする3つの団体が運営管理する。総工費160万ポンドのうち、同トラストは30万ポンドを負担する。しかし故人の親類縁者が構成するこのトラストが資金を集めるとなると一般からの支援に頼らざるを得ない。 そこでジム・クラーク トラストはグッドウッド フェスティバル オブ スピードの主催者マーチ郷(正式にはDuke of Richmond and Gordon—第11代リッチモンド公爵 チャールズ・ゴードン‐レノックス)に相談を持ちかける。マーチ郷は即座にこう答えたという。 「では、ジム・クラークを今年の公式チャリティーイベントのテーマにしましょう」 こうして話はとんとん拍子に運んだ。 グッドウッド フェスティバル オブ スピード2018に来場した人々から寄せられた寄付金5万3000ポンドは、ジム・クラーク ミュージアムの大規模リニューアル工事の資金に充当される。 「ロータス・カーズ」も立ち上がる。 これとは別にグッドウッド開催に先駆けて資金確保に向けたもうひとつのプロジェクトが立ち上がっていた。 これにはロータスカーズが素早く対応した。折しも同社は創業以来10万台目のロータス車を製造するタイミングを迎えていた。この記念すべきクルマをトラストに預けると決めたのだ。 かくしてワンオフの「ジム・クラーク・スペシャルエディション・ロータス エヴォーラ GT410スポーツ」が生まれた。クラークが存命中愛用した1960年製エランからヒントを得て、ロータス エクスクルーシブが手塩に掛けて仕上げた1台だ。 ジム・クラークファンはもちろん、世界中のモータースポーツファンのハートに訴える出来映えだ。内装はスコティッシュ タータンチェック、シフトノブはウッド、リヤクオーターピラーにクラークのサインが描かれる。 ロータスの意向を受けたトラストは「Win a Jim Clark Special Edition Lotus Evora GT410 Sport」と題したウェブサイトを設定した。希望者はこのサイトに入り、エントリーフィーの20ポンドを支払うと簡単なクイズに答える資格を得る。正解者のなかから抽選で選ばれた1名にこのスペシャルエヴォーラが贈与されるのである。つまりクイズのエントリー数が多いほどトラストの収益金が増えることになる。 幸運な1名の名前は、2019年夏に予定されている新装ジム・クラーク ミュージアムのオープニングセレモニーにて発表される。 クイズの受付け開始セレモニーもグッドウッド フェスティバル オブ スピードで賑々しく行われた。ジム・クラーク トラストは会場内に特設パビリオンを開設、故人をしのぶ数々のメモラビアとともに、くだんのワンオフ・エヴォーラを展示して多くの来場者を呼び寄せた。 「ジム・クラーク ミュージアム」の完成は2019年夏。 セレモニーには同トラストの後援者であるマーチ郷、名誉会長を勤めるサー・ジャッキー・スチュワート、グループロータスCEOのフェン・クインフェン、そしてチームロータスの名物メカニック、ボブ・ダンスの4名が列席、揃って写真に収まる場面もあった。席上、FIA会長のジャン・トッドがマーチ郷に代わり、同トラストの後援者に就くことが発表になった。 ジム・クラーク トラストのセクレタリー、ベン・スミスがセレモニーで述べた謝辞がこのプロジェクトのすべてを物語っている。 「本年のグッドウッドフェスティバル オブ スピードの主催者より賜ったサポートと寄付金を寄せてくださった何千という来場者の皆さまに心から感謝申し上げます。会期中、マーチ郷と多くの関係者諸氏およびボランティアの皆さんから資金調達のサポートをいただき、忘れがたい4日間となりました。この計画に皆さまが示してくださった関心と、故人に寄せる愛情に勇気づけられる思いです。来夏、新装なったミュージアムにご来場いただけるのを今から楽しみにしております」 今から半世紀前、足早にこの世を去った不世出のレーシングドライバーの人柄が多くの人々の共感を呼び、温かい好意となって実を結んだ。新設中のジム・クラーク ミュージアム竣工を心待ちにしたい。 天才「ジム・クラーク」ストーリー。 滅多に世に現れない優秀な人物を表すのに「不世出」という言葉がある。ジム・クラークほど、この言葉が相応しいレーシングドライバーはいない。モータースポーツの歴史を通じて、もっとも優れたドライバーのひとりに挙げられるのがジム・クラークだ。 F1では1963年と65年にドライバーズタイトルに輝き、33回のポールポジションを獲得、通算勝利数25勝を数える。すべてロータスで挙げた快挙だ。 しかし、こうしたデータが語る以上にクラークの才能は傑出していた。1963年シーズン、ロータス25を駆って10戦中7回ポールポジションに着き、7勝を挙げる。開幕戦のモナコGP以外すべて3位以内に入賞して、自身初のF1ワールドチャンピオンに輝いた。 1965年も破竹の勢いで勝ちを重ねる。インディアナポリス500出場のため欠場したモナコGPを除き(その代わりインディに優勝)、開幕戦南アフリカGPから第7戦ドイツGPまですべてのレースに優勝、3戦を残した時点で2度目のチャンピオンを決めた。 どちらも圧倒的な強さで獲得したタイトルだった。強いだけではない。自身にもマシンに対しても常にセイフティマージンをキープするレース運びは盤石で、もっともアクシデントから遠いドライバーと言われた。 マシンを速く走らせる能力には天性のものがあり、どれほど出来が悪いマシンでも速いタイムを出すので、どこを修正すればいいのかわからないというメカニック泣かせの「ナチュラルドライバー」でもあった。 迎えた1968年シーズン、名機フォードDFVエンジンを搭載したロータス49に乗るクラークは、優勝候補の筆頭に立つ。そのクラーク、F1レースの合間を縫ってホッケンハイムのF2レースに出場した。当時、F1ドライバーがほかのカテゴリーのレースに出るのは珍しいことではなかった。 悲劇は第1ヒートの5周目に起こる。クラークの乗るロータス48が突然コースから外れ、立木に激突、クラークは落命した。原因は今にいたるも不明。ほぼ即死だったという。 1968年4月7日、モータースポーツ界は傑出したタレントを永遠��失い、世界中のファンが悲嘆に暮れた。 何故アクシデントは起こったのか。 FIAが1967年からヨーロッパF2選手権と銘打ったシリーズタイトルを創設したのを受けて、コーリン・チャプマンは1968年、F1と平行してF2選手権のかかったレースに全戦出場することを決めた。4月7日のホッケンハイムは選手権のかかった初戦だったが、事前にマシンの仕上がり具合を確認するため、その7日前に開催されるバルセロナF2レースに出場することを決める。 予選でポールポジションに着いたのはマートラに乗るジャッキー・スチュワートだった。ロータス48駆るクラークは0.1秒遅れの2位でレースに臨む。オープニングラップ、手堅く2位をキープしたクラークはヘアピンでブレーキを掛ける。ところがその直後にフェラーリ・ディーノ ティーポ166に搭乗するジャッキー・イクスが接近していた。制動を遅らせたイクスはクラークと接触。ロータスはテールを進行方向に向けた状態でコースを横切り、リヤサスペンションのアッパーアームとホイールを破損、クラークはその場でリタイアを余儀なくされた。 これもレーシングアクシデントだとクラークはすぐに頭を切り換えたが、ひとつ懸念材料が残った。マシンを本国に戻してリペアをしたのではホッケンハイムに間に合わない。メカニックはドイツへの移送中に修理をするしかなかった。今となれば、これが不運の兆しの一つであった。 当時のホッケンハイムは1周6.77km。緩やかに右に湾曲する長い2本のストレートを、北側は1つの高速コーナーで、グランドスタンドのある南側は複数のコーナーで結ぶ比較的単純なレイアウトだった。どちらかと言えばクラーク好みのサーキットではない。 クラークにとってコトは予選から巧く運ばなかった。燃料系にトラブルが発生し、1回目の予選ではコースに出ることさえできなかった。ポールポジションに着いたのはマートラのジャン-ピエール・ベルトワーズ、2位はやはりマートラのアンリ・ペスカローロ。そのあとはブラバム勢が続き、クラークはグリッド7位に沈んだ。 悪いことにレース当日は雨に見舞われた。コースは完全なウェットだ。フラッグが振り下ろされた瞬間から2台のマートラが先行する。飛び出しのよかったクラークはクリス・エイモンとデレック・ベルをかわして5位に浮上するも、その後ペースが掴めないまま次第に順位を落としていく。 グランドスタンドの前を通過して5周目に入るクラーク。それが、観客が目撃した最後のクラークの姿だった。右コーナーを抜けてかすかに上り勾配となるストレートに入っていく。樹木が密生した森に左右を挟まれた区間だ。緩やかに右に旋回する区間に立っていたコースマーシャルが、ロータスのリヤが片側にグイッと引っ張られ、次の瞬間反対側に振れたのを目撃している。クラークを乗せたロータスはそのまま斜めにコースを横切り、数本の木に激突した。 最初の衝撃でエンジンとリヤサスペンションがモノコックから引きちぎれた。マシンはカーナンバー1と記されたノーズから真正面にぶつかり、大破。フルハーネスも強固なCFRP製タブもない当時、ジム・クラークが生存できるチャンスは万に一つもなかった。 事故後、子供が二人現場付近にいるのを目撃したと言う人物が現れた。コースを走って横切ろうとした二人をクラークが避けようとしてコースアウトしたのだろうと、確証もないままに述べたのだった。『Jim Clark Remembered』の著者グレアム・ゴールドは、その著書で、子供がコースに紛れ込んだことは、あり得ないとは断言はできないが、蓋然性は極めて低いと述べている。 コース両側の草地は雨で滑りやすくなっていたうえに、コース幅も広い。だれが走っても渡りきるのに10〜12秒は掛かる。しかるに当時、クラークの前後を走っていたドライバーは誰一人としてコースを横切る人影など目撃していないというのが根拠だ。現場を自分で検証したゴールドの主張には十分な説得力があるように思える。 今日、もっとも有力とされている事故原因は右リヤタイヤのスローパンクチャーで、これはチャプマン自身の発言による。 「ジミーのタイヤは4周目になにか鋭いものを踏んだのだろう」とチャプマンは言う。前日の予選で1台のマシンのクランクシャフトがエンジンブロックを突き破り、金属の細かい破片がコース上に散乱した経緯がある。 グランドスタンドを通過したとき、右リヤタイヤの空気圧は正規の15psiから10psiに落ちていた。そのあとに続く曲率のきつい右コーナーを旋回中、荷重が外側の右タイヤにかかった。コーナーを抜けたクラークは直線に入る。車速が増すに連れて遠心力も増える。これがさらなる空気圧の低下に繋がり、ある限界点を超えてサイドウォールが爆発的にリムから外れた。以上がチャプマンの見解である。 事故後のシミュレーションテストでも同様な現象を確認したとチャプマンは言うが、事故の瞬間を捕らえた映像がない以上、あくまでも理論的な推測の域を出ない。 確たる事故原因はおそらく今後も不明のままだろう。ただひとつ確かなのは、「天駆けるスコットランド人」が天賦の才能を活かし切るまえに32歳の若さで帰らぬ人となった、その事実である。 TEXT/相原俊樹(Toshiki AIHARA) (GENROQ Web編集部) あわせて読みたい * 【TOPIC】「クラシック・メルセデス」オーナーに朗報。入手困難だったパーツの一部が復活! * 【イベント報告】「リシャール・ミル 鈴鹿サウンド・オブ・エンジン 2018」は歴史に残る内容で魅了! * 【DEBUT】「8シリーズ クーペ by ACシュニッツァー」デビュー! 850iベースで600psを実現。 * 【NEWS】ポルシェ ジャパン、2019年は「カレラ カップ」の他に「718ケイマンGT4 CS」と「eスポーツ」も展開! * 【NEWS】「ピニンファリーナ」の名を冠した初のロードカー「PF 0」とは。 http://dlvr.it/QsmPgl
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yrkhang · 7 years ago
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「愛めぐるセカイ」について
うーん。たぶん日記的な。
先日の日曜日、品川ステラボウルで開催された中島愛さんの復帰後初ワンマンライブ、「Megumi Nakajima Live 2017 "Love for you"」に縁あって同席させていただいた。
僕が中島さんのワンマンライブに足を運んだことは、実は過去一度しかなくて。1stアルバムリリース時に行われたとーるりーすプレゼンツのツアーの東京公演。ド平日に死に物狂いで仕事を片づけて渋谷に向かった銀座線の景色だけを何故か良く憶えている。調べてみたら2010年のことだった。丸七年間も間が空いてしまっていた。
中島さんの歌がすごく好きで。CDだけは欠かさず買っていたのだけど、なかなか色々都合がつかずライブには行けない日々がずっと続いていて。ほんとうに久しぶりのライブ、結構浮ついている自分を見つけたりもして、ちょっと面白い。
当日色々と立て込んでいて、会場に着いたのは開場直前のホントにギリギリ。会場前は人でいっぱいで、けどどこか穏やかで。こういう空気感もなんだか久しぶり。
中に入るとステージセットはフルバンド。事前に特に調べたりはしてなかったのでちょっとびっくり。前行ったときは確かフルバンドじゃなかった気がする。後で調べて分かったのだけど、この日のバンドメンバーは休止以前から中島さんのステージを支えてきた方たちなんだそうだ。そういうところも何だか嬉しい。
オルスタなんてホントに久々で、開演を待っている間にぐったりしてしまった。歳だよなあ。ただ、入ってからも周りの騒めきは何だか穏やかで、それに随分と助けられた気がする。中島さんが活動をお休みしたのが2014年の3月、丸3年を待っていた人たちの静かな高揚感みたいなものが見て取れた。なので僕もそっとその時を待っていた。
17時を少し回っって。上手からバンドメンバーがひとりずつ登場。そのままリズムを刻みだす。この音色には聴き覚えがある。復帰後初のシングルとなった「ワタシノセカイ」、そのカップリングのひとつ、「最高の瞬間」だ。ステージに影が増える度に音色が厚みを増して、それに応えるように客席の気温があがる。両者が最高潮に達した瞬間、ステージセンターの階段状に駆け入るシルエットがひとつ。それが開演の合図となった。
最初の曲がこの曲というのがすごく嬉しい。この曲は曲調もその歌詞も、どこか『マクロスF』を思い起こさせるような曲で、同時にリリイベではライブで映える曲としてサビのコール&レスポンス「フレー!」をやった曲でもある。 リリース時のインタビュー(via https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1779018.html )によれば、「切り捨てるつもりがない過去の音楽性と地続きになっている何か」と表現されている。そんな歌から始まったステージは、最初からフルスロットルで自由に星々を駆け巡る。その銀河はもちろん客席を彩る様々のペンライトで、そこにこだます声援が、彼女の歌声を更に加速させる。
勢いそのままに2曲目は「そんなこと裏のまた裏話でしょ?」。この曲もコール&レスポンスが楽しい。声を受ける度にステージ上の中島さんの声が弾けて、個人的にはその両方を楽しく聴いていた。僕個人としては以前LisAni!LIVEで聴いた時の光景をちょっと思い出す。この日のペンライトはピンクが多かったように感じた。
ちょっとここで僕の血圧が上がってしまうのだけど、3曲目!これを想像できたひとってどれだけいたのだろうか。「宇宙的DON-DOKO-DON」!!2ndアルバム「Be With You」の曲で、ハイテンポでジャジーで艶めやかで。個人的にだけれど、それまでの中島さんの歌のイメージとは違っていて、「こういう歌を歌えるんだ」とびっくりした曲でもあって。ライブという時間には当然曲数に限られる中、まさか聴けるとは思わなくて本当にびっくりしてしまった。大サビのどこまでもキーの上がっていくところがいいですよね。
ここで最初のMC。色々あって色々なので伏せておきたい。ただ、アレみんな気づいてたよね、という笑い話があって、なんだかそういうところも中島さんらしいなと感じた。
あ、あと多分ここだったと思うけど何だったかな、話している途中で客席から合いの手が飛んで、それを受けて「それ!ライブって感じがするよねえ」と話されていたのが印象的だった。この後もずっとそうなのだけど、中島さんのステージはなんだか客席との距離が近くって。この後のMCでもお水を飲みに行く中島さんに対して「お水おいしー?」っていう所謂定番の茶々が入ったりしていたのだけれど、どうも中島さんはそういうのがすごく嬉しいらしくて。後で知ったのだけど、リリイベなんかでこれが入らなかったりすると、寂しげに「お水おいしいなあ」とひとりぶつぶつ言われていたりしているらしい。自分が普段居るところではそういうことは在り得ないので、そういう部分に「あ、そういう人もいるんだ」という新鮮な驚きがあった。客席側もそういうことを分かった上で敢えてそういう茶々をいれていて、それが分かるからこそ彼女自身も嬉しそうにしていたよう思う。所謂「テンプレ茶々問題」みたいな話は色んな所で聞くけれど、「こういう関係もある」ということは明記しておきたい。お互いの事を想って為されるやり取りって、それがどういう形であれ不思議と微笑ましさがあっていいなと思う。
冒頭からちょっと昔の曲を交えて、という流れから今日のステージのコンセプトについて。今日のステージは、彼女の歌をその時間を追いながら歌っていくというステージになるらしい。それはこれまでの、休止以前の彼女の歌の集大成となるステージということでもある。それは、冒頭の「最高の瞬間」の中に置かれていたことそのままを形にする時間じゃないのかな。すごいなあ。すごいね。
MC明け1曲目は、彼女自身の言葉を借りれば『二つあるデビュー曲のひとつ』、「天使になりたい」。わあっという歓声は恐らく古くからの彼女のファンの方たちによるものだろう。個人的には昨年末のビーナスフォートの光景を思い出す。あの場所に在ったのもまた大きな想いのやり取りだったと思う。あの日と全く変わらない声を受けて歌う彼女はすごく嬉しげだった。たぶん、一番最初から彼女のステージにあった光景なのだと思う。
ここから「Be MYSELF」、「Sunshine Girl」と懐かしい曲が続く。僕が見た渋谷の景色の中にも確かあった歌たちだ。嬉しかったのは「Sunshine Girl」で。個人的な話になるけれど、中島さんと僕との接点がこの曲で。以前たしか書いたと思うけれど、僕はマクロスFから中島さんを知ったひとではなくて、確かテレ東でやっていたあにそんぷらすだったかな?そこで聴いたこの曲がいいなあと思って、なんかアルバム出ているというので調べたら初回盤にはセルフカバーCDがついているっていうので慌てて買いに行ったのが最初で。アルバム特典にああいう形でアドオンするっていうのは当時としても今としてもなかなか見ない形で面白いと思うし、またやってほしいな。
話がそれた。とにかく、そういう歌だったからすごく個人的には嬉しかった。これから夏に向かう今にぴったりの曲だと思うし、イントロのギターがまたいいんですよね。この曲だったか若干定かじゃないけど、上手のコーラスさんやギターさんに中島さんが寄って行って無言のやり取りをしながら歌うというくだりがあって、そういう姿も嬉しかったな。そういえばこの曲のサビには振り付けがあってですね。渋谷で「みんなでやりたい」と言って振り付け講座やっていたことを昨日の事みたいに思い出す。当時僕はこういう声優さんのライブには殆どいった事が無くて、「あ、こういうのがあるんだ」とちょっとびっくりしつつ見様見真似でやっていた。一方この日の僕はといえばそんなことは完全に忘れていて、周りの方の動きを見て「あっそういえばそんなんだった!」と慌てて真似する有様で、全く成長が見られない。無念なのでアニサマでも歌ってくれないかなと思う。
ここで一度MC。お水のくだりはここだったかな。中島さん的にはSunshine Girlの盛り上がりが意外だったらしくて、びっくりしたというお話をされていた。女子コーナーに触れたのもここだったかな?今回オルスタということもあって女性コーナーを設けるという試みをされたそうで、場所的にはステージ下手側の客席がそこだったみたい。そちらに向かって「女子~」と声をかけると、返ってくる歓声が黄色い黄色い。微笑ましい。僕らは黙っているしかなくて、だもんで中島さん、今度は上手に歩み寄って「男子~?」返ってくる声援が野太い野太い(笑)
改めて観ていると、中島さんはお客さんの楽しませ方がすごくうまい。最初のMCもだったけれど、距離感が不思議と近くて気取らない人柄が見えるというか。お水のくだりもそうだし、それから本編最後の「次の曲が最後です」という話では「そこをなんとかー!」とかいう笑うしかない合いの手が入ったりしていたのだけれど、中島さんったら「それ、いい!」みたいなことを言うんですね。お客さんを楽しませつつ自身も楽しんでいる様子が伝わってきて、そういうやり取りが本当に幸せな光景に自分の目には映った。
客席の在り方って、実はすごく難しいと思っていて、ライブ全体の空気感がここで決まるようなところがある。やりすぎて台無しになってしまうこともあれば、逆に自重しすぎて萎縮してしまっているようなこともあるし。そういう点で中島さんのステージはお客さんとステージ上の中島さんとの気持ちのやり取りが本当に観ていて気持ちが良くて。なんだか見ているとお互いが友達みたいで、思わず笑ってしまうんですね。けれどそれも、先に書いたようなお互いの気持ちを推し量ってそこに応えていく、という姿勢があってこそなのかなあと感じて。しようもないみたいな茶々の応酬の中にも温かさが感じられる瞬間が沢山あって。それはちょっとうらやましくも感じました。ただ、僕が印象的だったのは、確か最初のMCの中で中島さんが言っていた、「私のライブには『こうしなきゃいけない』っていう決まったルールは無いから、自由に(オルスタだからお互いには気を付けつつ)楽しんでほしい」という言葉だったかなと思う。これが客席全体で共有されているからこそ、フランクでありながら気持ちの良い空間が成り立っているんじゃないかなと感じたし、それは以前に観た中島さんのステージにも共通する、彼女とそのファンの方たちが創り上げてきたステージだと思う。
全然話が進まないけれど、MCを挟んで今度は2ndアルバムリリースの頃を中心に。ここまで盛り上がる曲が続いたので今度はしっとりと。冒頭は「メロディ」で、そこから「パンプキンケーキ」を挟んで3曲目、「恋」。ここからが凄かった、と個人的には感じた。
この曲はアルバムで言うと2ndの「Be With You」に収録された曲で、作品としては『セイクリッドセブン』の劇中歌として挿入されていた曲だ。僕はこの作品すごく好きで、この回の事もよく憶えてる。冗談みたいにしながら最後の最後はすごく切なくて、物語全体とし��もすごく大事なエピソードだった。同時に、アルバムに際しては、確かインタビューの中で「アルバムタイトルにもなっている「Be With You」というフレーズを持った歌で、このアルバム全体を象徴するような曲」という話がされていたと記憶している。少し探したのだけれど出てこなかった。たぶん声アニかなあ…。少なくとも、「声優でもあり歌手でもある」という彼女の歩みの中で、とても重要な位置を占めている曲だとは思う。
照明転じて深い青。客席はイントロが流れるにしたがって明度を落とし、そこには先ほどまで在った筈の熱量は感じられない。そこにあるのはただ、動くことさえ忘れたように固唾を飲んで歌声に耳を傾ける石の群れ。セイクリッドセブンは「石」のお話だったということを思い出す。青の中に浮かび上がるようにして歌う中島さんの表情もまた、それまでとは彩りを異にしていて、何と表現したらいいんだろう。すごく遠いものを見る様な。何かが宿るような歌声。こんな歌だっただろうかという驚きが胸の内に沸き起こった。静かな曲ではあるのだけれど、そこに凛と張りつめた空気の静けさと、その静けさの中を震わせる歌声の中に、なにか、中島さん自身の静かな決意みたいなものを感じたような気がした。中島さんは先に書いたように、基本的には気取らない人だと思うのだけれど、うーん。
「私の我儘」で3年間のお休みを頂いて、その中で考えることが全くなかった、とは僕は思わない。そこにあったものがどういうものかは計り知れないけれど、ただ、自らの意志で活動を休止した人が、もう一度歌う事を決めて、再びこの場所に戻ってくる中には、沢山の想いがあったのではないかと想像する。この日のこの歌を聴いていて、僕はその歌の中に、その中で彼女が「決めた」ことへの決意を感じたような気がした。歌い終えた後の大きな拍手はなかなか忘れられるものではないだろう。
そんな歌に続いた歌。僕はこの歌ほんとうにすごかったと思う。「神様のいたずら」『たまゆら〜hitotose〜』のエンディングテーマになっていた曲だ。
拍手がやんで、バンマスのチャッピー先生が立ち上がって。中島さんと一瞬ちらと視線を交わして。先生が手にしていたのはハーモニカ。この日だけ(なのかな?)のアレンジだ。
照明は淡いオレンジ。夕日に照らされるようにして温かなメロディが流れる。けれど僕が感じていたのは、先ほど以上に張りつめた空気だった。客席の誰もが動こうとしない。ただひとりの人の歌声だけを観ようとしているみたいに、その静寂が僕には感じられた。
この曲は、失われた過去を慈しむようにしながら、同時にまだ見ぬ未来を歌っているような曲で。その両方を包み込んでゆくような暖かで穏やかな歌だ。それが作品としての『たまゆら』のひとつの象徴にもなっているようにも思うし。けれど、この日の歌の中に感じたのは、それを歌う中島さんの、自身を歌に重ねてゆくような歌い方だ。
それは例えば、「懐かしい景色もそのままだね」と歌いながら客席を見渡す優しい視線だとか、「そこにあるなにげないことてのひらからこぼれてても」と左手を見つめて、つづく「おそれないで止まらないで きみはきみのままでいて」と歌う声色に感じられた、静かな決意だとか。すごく、この歌を歌う彼女自身が、この歌そのものと自らを重ねてゆくような歌い方だったと思うし、それはまた、『たまゆら』という作品を体現してゆくような歌い方でもあって。同時にそれをただ見守るようにして耳を傾ける客席の在り方も、同じ作品の在り方を体現しているようでもあって。中島さんは以前からすごく「その作品らしさ」を大切に歌ってきた人だと思うのだけれど、その歌が、歌い手と、それを聴く人たちの姿を通して、そこにある作品性を体現してゆくみたいな光景は、なんだか只々眩しくて。
中島さんは歌の上手い方だとは以前から思っていたのだけれど、上手い、以上の何かの歌って、そういう基準じゃないと思うんです。「心が震える」という表現があるけれど、それはちょっと格好つけだと思っていて。この日僕がこの歌を聴いていて感じたのは、自身のつま先からあがってくる、痺れにも似た震え。ただ歌に打たれて茫然としてしまっっていたような気がする。すごい歌って、うまい歌じゃあないと思います。その歌のすごさは、その歌の中に伝えたい気持ちがどれだけ聴き手に伝えられるかという事で、それは、歌い手一人だけでは為し得ないことでもあって。この日僕はその両方をみながら、「すごい人たちだなあ」と思ったし、同時にそれは「幸せな事だなあ」とも感じていたように思う。
歌声に耳を傾ける客席の空気はただ張りつめて、沢山の見えない弦が会場中にめぐらされていたみたいで。そのなかをただ、歌声だけが優しく軽やかに、ふわりふわりと流れてゆく。「特別なことなどどこにもなく」「出会えた全部は偶然じゃない」と歌う中にあった想いはどんなことだったろう。それは分からない。けれど途中、歌う中島さんの歌声が少し涙を帯びたような気がして。けれど、「笑顔だけは忘れないでよ」という歌詞に応えるみたいにして、小さく笑ったその笑顔がすごく優しくて。その笑顔の中にひとつの決意を見たような気もしていて。その後に続く歌の中で、そっと片手を持ち上げたそのうえに、ふわりと浮かぶ綿帽子が本当に見えたように感じたのは、気のせいではないと思う。アウトロのハーモニカまでを終えて、最後の最後までを聴いた拍手を僕は忘れないだろう。
はー書きたかった話は上記で殆ど書いた気がする。長かった―!後は気楽なもんで、茶々入れMC。もう半分が終わってしまったということだったのだけれど、体感ではそんなに時間が経っていないような気がしてびっくり。ここからまた盛り上げていくという事で、選ばれたのは「TRY UNITE!」文字通りの「エモーショナル」の塊と言っても良い曲で大好きです。作曲家でもありプレイヤーでもあるラスマス・フェイバーさんと中島さんとの出会いは本当に喜ばしいものだったと思わずにはいられない。さっきまでが嘘みたいに盛り上がる客席の機微も素敵でした。間に「Wish」を挟んで再び2ndより「Hello! 」幸せに満ちるような歌で、また掛け合いが楽しい曲ですよね。ライブで聴くのは初めてだったので掛け合いの「Hello!」をとちってしまったのは個人的に反省。またここまで通してのことでもあるけれど、中島さんの歌は客席もカラフルで、ペンライト振ったり手拍子したり、みんなで手を振ったり声を掛けあったりと本当に個々の楽曲の彩りが様々で。その個々に応えつつも、客席ひとりひとりを見ていると実は手拍子している人、ペンライト振っている人、声を上げている人、跳んでいる人、色んな姿が見られて。本当に「それぞれ自分なりに楽しんでいる」という様子が感じられて、そういうところもいいなって改めて感じた。恐らくだけど、こういう空気は先に挙げたMCに象徴されるように、中島さんとそのファンの人たちとが長い時間をかけて創り上げてきた中島さんのライブの景色なんじゃないかと思う。
再びのMC。ここからは「これまで歌ったことのない曲を歌いたい」ということで。これはちょっとびっくりした。中島さんは長く音楽活動をされてきた方で、その中に「歌ったことのない曲」なんてそんなに無いんじゃないかと思ったからだ。
歌われたのは「AME」。先に挙げたラスマス・フェイバーさんの曲だ。彼のアルバムに彼女はゲストボーカルとして呼ばれている。そこで歌われたのがこの「AME」だった。彼の一ファンでもある僕としては、まさか、と思っていたのでめっちゃ嬉しかった。超エモくって素晴らしいよね。ラスマスと彼女との端緒は先に挙げた「TRY UNITE!」で、そういうところから自身のアルバムに呼んでくれたという事も嬉しいし、この曲はただ聴いていても超エモくて素晴らしい(二度目)。彼女にはこれ以外にも、歌い手として他のアーティストさんにその歌声を提供する形で作品化された曲がいくつかあって、ここではそれらが歌われた。同じくラスマスの「Flower In Green」、そしてkzlivetuneとの共作である「Transfer」はそのPVの奇抜さでも評判を呼んだことは記憶に新しい。ニュースでも取り上げられたりしていたことがもう5年前というのはちょっと信じられない。彼女の音楽活動はこのように多岐にわたっており、そこに触れてもらえたことは今回とても嬉しかったことのひとつだ。前衛的なこのコーナーは空へ羽ばたくような幸福感に包まれた「マーブル」で幕を閉じた。これまで歌う機会の無かった曲たちもこれから歌っていける、そんな未来にしたい。その言葉が印象的だった。
最後のMC。
ちょうど去年の今頃は、また歌を歌うという事を決めて、周りにも話をし始めた頃で、という話。「聴いてくれる人が居るのかな?」という不安は、あって当然だったろうと思う。それでもこの日、「ライブに来てくれた人」は勿論、「来れなくても個々の場所で応援してくれていた人たち」(こういうところにも触れてくれたことが嬉しかった)、それから身の回りの家族、友人、バンドメンバーやスタッフの人たち。「そういう人達みんなに支えられて、今私は立てている」という言葉の中には、待っていてくれた人たちへのこの上ない感謝が込められていたように思うし、それは逆に、観ている側も多分��うだったんじゃないかなということを個人的には感じた。聴いている人たちも、ずっとずっとこの日を待っていた。そのことは、ステージを見上げるひとりひとりの表情にこの上なく表れていたと思う。ステージの向こうとこちら。お互いがずっとずっとこの瞬間を待っていたからこそ、この日のステージがこんなにも素敵なものになったんじゃないかと僕には思えてならないし、それはアーティストとファンの関係として、この上なく恵まれたものであるようにも思う。
とはいえ、このあたりも中島さんらしいといえばらしいのか、笑ってしまうくだりもあって。どんな流れだったかな、「もう、涙ちょちょぎれそうです!」と真面目に言う彼女に思わず笑ってしまったことはご勘弁いただきたい。もう、ほんと笑っちゃうんだけど、この後「次の曲で最後です」っていう言葉に対して客席から「そこをなんとかー!」とかいう声が挙がって、「そういうのライブっぽくていいね!」とか中島さんも言っちゃうんですよね。これで笑うなというのは難しいことだと思う。ただそれが不思議と温かく感じられるのは、先に挙げたような彼女と彼女のファン達との関係性があってのことだと思う。
最後の曲は、復帰後初シングルとなった「ワタシノセカイ」。この曲もまた『風夏』というひとつの作品のテーマに寄り添う歌であり、同時に今の彼女自身の想いがそこに重ねるようにして表れている曲でもあると思う。格好いい歌なんだなあ。また客席が最新シングルで盛り上がるというのも嬉しい。意外とこれって難しかったりするんですよね。
舞台暗転。客席自重せず即座に声があがる。いいなあ。
声に応えて再び登場した中島さんは白い衣装に衣替え。実は今回ここまでで衣装替えは一度もなくて、これが初の衣装替えだった。本編「ワタシノセカイ」で幕を閉じるというのは恐らく考え得るなかで最高のセットリストで、この後何を歌うのかなというのは僕にはちょっと分からない。ただ、思い当たることはちょっとあって。
ここまで中島さんは、ランカには一度も触れなかった。
歌声が始まった瞬間に客席の体感気圧が一気に膨れ上がって、その色が一面の緑に染まるのを見て、「あっ、これはランカの曲なんだな」と分かった。ここまでの流れで「歌わないのかなー」と思っていたのでちょっとびっくりした。僕は先にも書いたようにマクロスFには明るくなくて、ただ見ていると、お客さんたちは本当に嬉しそうで。なんか、それを見ていて幸せをおすそ分けしてもらったような気がした。星間飛行やアナタノオトなんかは流石に知っていて楽しく聴かせていただいた。ただやっぱりここは周りの方たちの熱量がすごかったなあという印象が強い。彼女にとっては言わずとも知れたデビューの切欠となった彼女。その彼女に対しても「ありがとう」という言葉を口にしていた事が印象的だったかな。
そうして、「私にとってとても大切な曲」と前置いて。
金色。この曲は本当に特別な曲だと思う。作曲は菅野よう子、言うまでもないマクロスFを手掛けた彼女が、彼女の為に起こした歌だ。そして編曲はラスマス・フェイバー。先に散々書いた通り、彼女にとって縁深い作曲家だ。作詞は山田稔明。今回のステージ最初の曲となった「最高の瞬間」でも彼女に言葉を贈った方である。特別な特別な歌。それは、恐らく彼女の歌を聴く人たちにとっても同じだろうと思っている。
この日は山田さんが客席にいらしていたようで、ブログに記事を残されている。過去のもの含め時系列で幾つかをここに置いておきたい。
http://toshiakiyamada.blog.jp/archives/51944414.html http://toshiakiyamada.blog.jp/archives/52179906.html http://toshiakiyamada.blog.jp/archives/52188882.html
やっぱり言葉を生業にされている方のお話はすごい。あの空気感が伝わるだろうか。伝わるはず。マクロスFでも曲を手掛けられていたんですね。そういう点でもやっぱりこの曲は特別なんだなあ。
個人的な話をちょっとだけ書いてしまうと、この曲は僕にとって大きな後悔の曲で。アルバムを聴いた時にすごく「いい曲だな」と感じて。特別な曲だという事は見れば明らかだったし、ライブで聴いたらきっといい歌だろうと思っていて。だけれども、僕はそのとき(色んな事情はあったにせよ)「行かない」という選択をした人間で。
「いつか聴けるかな」と思っていたんですよね。いつか。機会はあるだろうと。そうしたらああいう話があって。
こんなに後悔するって自分でも思ってなかったんです。「無理を押しても行けばよかった」ってこんなに思う事になるなんて。自分がそれを選んでしまったからこそ、その後悔はとんでもなくて。どんなこともそうだけれど、「当たり前に続くなんてことは、無いんだな」と思いました。
だから、以来、ずっと自分の中で決めていて。「次の機会がもし得られるなら、無理してでもその時は必ず行くようにしよう」って。今回本当に偶々友人に声を掛けていただいて、この場に居られたことが本当に嬉しかったです。今回ちょっと色々あって、自分なりにまた選択をすることになったのだけど、そこには後悔は無いだろうと思う。…たぶん。
先の記事の中にも少しお話が有るけれど、当日は有志の方々が黄色のサイリウムを配りながら声掛けをしたりもしていて。その話をちょうど直前に見かけたので、他の数本と一緒に黄色のサイリウムだけは自分で用意して。こういうの買ったの久々かも知れない。
イントロが流れ始めると周りでもパキパキと音が聞こえて。傍から見てても、歌う中島さんの表情が驚きに染まっていく様子がすごくよく分かって。うーん、何といったらいいんだろう。幸せっていう事を形にしたら、ああいう表情になるのかなと思う。見ていても泣きそうになってしまった。幸せっていうのはたぶんひとりでは作れなくて、誰かとしか形に出来ないものなんじゃないかと思う。自身の中の様々な想いを、相手に投げかけて、掛け合わせる中にそういうものがあるんじゃないか、というようなことを、その歌を聴きながらぼんやりと考えた。なんだか笑っちゃうんだけど、それは「愛���という言葉で表してもいいものなんじゃないのかな、と個人的には思う。
ダブルアンコール。嬉しそうな中島さんのMCはやっぱりちょっと笑っちゃうような感じで、それが多分彼女とそのファンの方たちとの距離感なんだろうなと感じた。なんだかMCはずっと笑ってばかりいた気がする。それは中島さんが「そうなってもらおう」としていたようにも感じている。
そうして本当に最後の曲。「愛はめぐる」。これもまた最新シングルから3曲目の歌だ。リリイベでもクラップと掛け合いとのやり取りをしていて、客席も予習は完ぺきという感じ。すごく幸福感に溢れた明るい曲で、その明るさの中に少しの切なさと大きな決意を感じる様な歌でもあるし、何よりこの歌は聴いていてすごく「未来に繋がっている」という感じがする。
ここまでずっとセットリストを書いてきて感じたのは、ひとつひとつの曲の選択の中に中島さん自身の意志みたいなものが感じられるという事で、その意志とは、「過去の全部を抱きしめて、笑顔で自分らしく未来へ進んでゆきたい」というようなものだ。だからこそ、最初の曲も本編最後も、そして一番最後の曲もが最も今に近い歌で、その間に時を追った彼女自身の様々な歌達があって、彼女とは切っても切れないランカの歌があって、その縁全てをひとつにしたような金色があって、そうしてその全部が「愛はめぐる」という、今、再び歩みだそうとする彼女自身の目指す未来絵図へと向かってゆくようなライブになったんじゃないかと思う。同時にそれは、歌い手として様々な入り口を持つ彼女の、そのどこから入ってきた人にとっても楽しんでもらえるような空間が目指されたライブでもあったと思う。多分、この日のライブで聴きたかった歌がひとつも聴けなかった人はひとりも居ないんじゃないだろうか。それってものすごいことだと思うし、そのひとつひとつの歌はまた、且つて以上に今の彼女自身の想いを体現するようにして歌われていたような気がしてならない。振り返ってみて驚いたんですけど、3時間にわたるライブで彼女は(アンコールを除けば)一度も舞台裏に引っ込むことが無かったんですよね。歌とMCとでずっとお客さんの前に立ち続けて。何というのか、歌い手としての覚悟と願いみたいなものをその姿からは感じた。すごいなあ、こんなにすごいひとだったなんて、僕は知らなかった。知れて良かったと思う。また、そこには同時にお客さんたちの暖かな想いがあったことはきちんと書いておきたい。彼女のステージは彼女一人では作れない。それはMCの中で中島さん自身も口にされていた事だと思う。この日のステージがいいライブになったのは、間違いなくひとつには観客ひとりひとりが彼女へと向ける想いと、そこに表れたステージに対する姿勢があってこそだと僕は感じた。お互いの中にある愛が循環して、めぐっているみたいな。そんな時間だったと思う。そのどちらもが、とてもすごいことだと僕は思う。
一度歌うことをやめた人が同じ舞台に戻ってくる事って、すごく勇気がいる事だと思います。この日のライブは、すごく気持ち良く楽しい時間を過ごさせてもらいながら、その奥で静かに流れる、中島愛さんの「歌い手」としての決意みたいなものをとても強く感じました。他で書いている事とも通じるけれど、続ける事ってとても大変な事だと思う。この先も色んなことがあるかも知れないし、それは今はまだ分からないし。ただ、「戻ってくる」と決めて、ちゃんと戻ってこれた中島さんになら、それも乗り越えてゆけると感じたし、何よりそれ以上に、今をすごく楽しんでいる中島さんの存在をステージ上から強く感じる事が出来たので、その未来は明るいんじゃないかなと僕は思う。色んなやりたい事があるそうなので、今はそれを楽しみにしておきたい。僕はライブに足を運ぶことはなかなか難しいかも知れないけれど、なんとかなればまた来たいと思うし、CDが出たらそれも普通に買いたいと思うし(単純にいいものはやっぱり欲しいよね)。機会をつくる努力はしたいと思っている。もし、この訳わかんない文章を読んでちょっとでも中島さんに興味を持ってくれる人が居たなら、是非、曲を聴いてみたりライブに行ってみたりしてほしい。その一助にでもなっていたら幸いです。
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トークイベント
日付:11月17日(金)
会場:東京造形大学mime
パネラー:大野陽生、前田春日美、大石一貫、小林公平
大石:武蔵野美術大学大学院彫刻専攻2年生の大石一貴です。学部まで東京造形大学の彫刻専攻に在籍していて、大学院から武蔵美で彫刻を勉強しています。いまこの会場で行われているのは僕の展示になります。
大野:今年武蔵美の彫刻の大学院を卒業しました、大野陽生です。この連続展の第一回目の出品作家です。
前田:前田春日美です。武蔵美の大学院1年次に在籍しています。大野さんの次の週の第二回目に「短い手」という展示を行いました。
小林:今日このトークのゲストとして参加させていただきました。小林公平です。武蔵美の芸術文化学科4年次に在籍していて、普段は批評や書籍設計を扱うゼミに所属しています。最近の活動としては、所沢で行われた引込線の概要テキストを書いたりしています。出品作家の方について、短い説明テキストとしてマップの裏に書かせていただきました。ただ、僕自身は特に現代アートに長けた専門家というわけではなくて、一介の学部生です。今回この場に呼んででいただいたご縁というのは、武蔵美の彫刻学科で客員教授として教えていらっしゃる岡崎乾二郎先生のゼミに僕が潜っていたということがきっかけだと思います。僕自身は高校時代に美術科の学校で彫刻を専攻していましたが、そこではあまりうまくいかなくて、結局芸術学科を目指すことになりました。でも作品を作ることに対する憧れみたいなものはいまだにあって……今日はそういう話もしてみたいです。今回、三者三様の興味深い展覧会をやっていただきましたが、その話とからめて聞いてみたいと思っています。
大石:ありがとうございます。まず僕たち3人の詳しい自己紹介をしたいのですが、その前に今回の展示に至った経緯をお話しします。僕は学部3年生の時にここで一度個展をやっていたので、このギャラリーの存在も知っていましたし、どういう人たちが見に来てくれるのかも知ってはいました。学部を出た後は武蔵美で修士の2年間を過ごしたんですけど、修了する前にここで展示をする機会を経験して自分の何かを更新したいな、という思いがありました。ちょうどその時に前田さんと展示を企画してみたいという話をしていて、このmimeのことを思い出してここを勧めてみようかなと思いました。そのすぐ後ぐらいに大野さんとも話す機会がありました。僕と前田さんは2人とも大野さんと交流もあったんですが、その時に何か共通点というか……それについてはまた後ほど詳しく話しますが……共通するものを感じました。そういった流れでこの3人が集まってここで展示をやるということになりました。詳しい自己紹介として今回の第一回目からの個展の説明をしたいと思います。第一週目が大野さんの展示でした。では、大野さんお願いします。
大野:僕の今回の展示タイトルは「HOAX」 ですが、日本語に直訳すると「でっちあげ」という意味になります。日本語の意味のとらえ方の広さで、でっちあげる、人とか物を担ぎ上げる、ちょっとヨイショするみたいなそういう意味合いにもとれます。僕は学部に在籍していたときは石彫を専攻していて、大学院に入ってから人間の形を借りて彫刻を作ってきました。その人間の在り方みたいなものは、建築のなかの一部のようなもので……一つひとつは何かモチーフがあってその人柄だったり立場みたいなものが表されています。建築だったら部分が全体を装飾する……そういうものを好んでモチーフにしてきました。モチーフにするというあり方は、「ヨイショする」ではありませんが、場とか物を持ち上げるという意味で 「HOAX」とつけました。制作の素材としては栃木県の宇都宮市で採れる大谷石というものを扱っています。大谷石はかなり脆くて柔らかい石ですが、それを塑像でいうところの心棒にして、その上からパテで埋めていくという技法を用いています。
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展示の様子《Item No.6》2017
小林:宇都宮市にあるカトリック松が峰教会の写真を資料として持ってきましたが、これなんかは大谷石の肌の感じがわかりやすいかなと思います。表面の「ミソ」というボソボソした穴が特徴的な石ですね。
大野:大谷石の採石場はほとんどが閉山してしまって、そこはもう観光地化しているんですが、そこに大谷石のお寺があって、本尊の磨崖仏が石芯塑像でできている。実際に訪れてみてこういう技法があることを知って、自分の制作に使ってみようかなと思いました。
小林:大野さんの過去作品を見てみると、内側に入っていくというよりも外側で触っていくような、柔らかいものの印象があります。(卒制の写真)話にあった磨崖仏もそうかもしれませんが、エジプトにある石彫像のような……。
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《Wicker Man Ⅴ》2017
武蔵野美術大学 修了制作展
大野:そうですね。大学院のときは結構こういう一回彫って磨いて、その上から模様を彫っていくという制作をしていました。
大石:過去の作品がこういったもので、特に今回の個展ではエジプトの彫刻というかスフィンクスやピラミッドとかが思い浮かびました。
大野:もともと自分でゼロから人間を作るということがあんまり現実的に思い浮かばないので、そういう原始的な部分に魅かれるところがあります。エジプトだったり民族彫刻のようなものは意識しているし、それは作っていて選択していきたい形ではありますね。エジプトみたいという捉え方は良いかなと思います。
大石:大野さんの彫刻は人をモチーフにしたものだと思うんですけど、その話は例えば動物をやろうという考えに至らなかったということは関係していますか? また石を心棒にして塑像を作っていますが、塑像するということと心棒は何かつながるのでしょうか?
大野:単純に人だけでも立場だったりキャラだったり、結局、人間をモチーフとするやり方を変えなくてもいろいろできるのかなと。 人間だと棒人間を描いたら出来上がる、みたいなそういうシンプルさがあって、素直に制作しやすいのが人間だと思います。もともと予備校にいたときは実技で水粘土を使っていたのですが、大学に入ってから自分を見つけるという時に、水っ気を含んだ粘土の状態をなかなか捨て切れませんでした。粘土は石膏やブロンズといった別の素材に置き替わってしまって、そこがギクシャクするというか。やはり今ある状態を残せたらいいなという願いがあるのですが、型になって粘土が掻き出されてしまって今手元に残っているのは型の表面だけ。「あの感動はどこへ?」みたいな。塑像からFRPやブロンズへ、という作業は、そういう理由もあって避けていました。
���田:大野さんにとって自分でつくった石彫の形を心棒にして、モデリングとして塑像をするということは、形をプラスにしていくこと?
大野:パテを打って作品が固まればできる。
大石:固まるまでは未完成ってことですか?
大野:心棒を作るという作業をそれほど意識したことがないというのもあります。垂木で十字が入っていれば良いとか、首像だったら粘土がずれ落ちる防止で横木が入っているとか、確立されているものとしてそこに意識が回らなかった。ただ、石を心棒にするということ自体がどうなのかというのは思っていたりして、発泡スチロールで心棒をつくったりしてやってみたりもしました。 そのコーナーにある作品、それから小さい台座に置いたものも発泡スチロールが心棒です。
大石:小林さんは大野さんの今回の展示を見て思うことはありますか?
小林:石の話はもちろん気になったのですが、色を差し引いてもモランディ的な配置だということは思いました。ただ大野さんにそのお話をしたら、どちらかというとシャルダンに近いという。シャルダンのほうがどちらかというとモチーフそのものを描いていくというより、筆で表面を汚していくイメージがありますね。シャルダンのどういったところに影響を受けたのでしょうか?
大野:受験の話に戻ってしまうのですが、素描の課題で石膏像の顔を似せること、静物デッサンで配置をトリミングしたり、自分の座る場所とか距離をチョイスしていくこととか、その自分自身で選び取っていく力を試されている感じの方が、僕は彫刻をしているなとぼんやり思っています。直接的にはこの作法ではないのですが、大学の講義でシャルダンを観たときに考えていたものと一致しています。
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《Still life Ⅳ》2017
武蔵野美術大学 修了制作展
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展示の様子 左から《Item No.5》《Loser》《Victim》2017
大石:シャルダンの絵はモザイクがかかったようで、大野さんの作品は表面を石粉でボソボソになっていてピントが合わない感じですよね。そこがシャルダンにつながるのかなと思います。
大野:設置したときに作品が完成する、ではありませんが、作っている時間よりも設置にかけている時間のほうが彫刻をやっているなという感じがします。シャルダンの絵はしっかりとルールが決まっています。絶対テーブルのふちから何かか飛び出ている、当時なかなか書かれていない物を描いていたりするっていう、特殊さがあります。作品の置き方に影響を受けたのはシャルダンです。
大石:静物で描かれていないようなものをシャルダンが配置したように、大野さんも配置する上で何か違和感を期待していますか?
大野:バランスをとっているというか。一個一個、室内の壁に水平・垂直で整体させるみたいな部分がちょっとなかなか勇気がもてなくて、そういう展示をしてみてもいいのかなと思いました。個々の主張が半減することと半減した分なんか別の今作っていた一個一個のものじゃない状況みたいなものを見たい、ということ。
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展示の様子 《‘Step on me’》2017
小林:やっぱり鋳造や石膏取りは作ったら固まるまで我慢しないといけないじゃないですか。大野さんはシャルダンのモチーフの選択に興味を持っていますよね。描き方というよりバランスや配置だったり、そこにシンパシーを感じたということなんだと思います。
大野:技法や素材は別としても、共感できることはありました。
大石:では、前田さんの展示についてお願いします。
前田:私の制作の根本にあるのは、自分という主観を通して見るということです。現実にあるということと視覚によって知覚することの間にあるズレや、自分が物に対していかにアプローチするかということには興味があって、見えているものを写真に置き換えたりして制作してきました。展示タイトルの「短い手」も、その知覚的ズレのようなものです。物があることと視覚のズレに対して、自分の身体的なものを取り入れたいなという思いが強くなって、この以前に作った作品からそういうことを考えて制作しています。(《短い手》を流す)今回の出展作品の制作プロセスとしては、まず海にこぶし大ぐらいの粘土を持って行き、海に向かって粘土を投げるという映像を記録します。その映像を白壁にプロジェクターで投影して、その海の映像に向かって自分が粘土を投げている映像を見ながら、もう一度その行動を繰り返す。同じタイミングで、同じものを使って壁に向かって投げています。「短い手」という個展名はステートメントにも書かせていただきましたが、たとえばこの机にコップが置いてあるとしたら、その目の前のコップを取る時と同じ感覚で遠くの景色に触れてみたい、という思いが私にはあります。 ただ実際には自分の手はこの長さでしかないので、理想ではもっと長い手が欲しい。実感をもって遠くのものに触れたいという気持ちがあるので「短い手」とタイトルを付けました。自分が行為したこととか、行動したことが具体的に何かになるということよりは、その場で感じたこと、この作品で言えば海に投げたときのこと、その時の感覚の鮮度をいかに落とさないで別の場所で繰り返してやるかが重要だと思います。水平線に触りたいから私は粘土を投げたんですが、そこで現れてきた映像が彫刻的な問題とか別の問題を引き受け得る形になるのかな、と考えています。繰り返された私の行為を、こうして展示空間に大きく映すことで、鑑賞した人が追体験できる場を作ろうとしました。
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展示の様子《短い手》2017
小林:行為を繰り返すと話していましたが、これは三回繰り返されているということですね。海に投げ込まれている映像と、アトリエにきて壁に投射しながら粘土を投げているということ、更に実際に展示をしながらこの壁に大きく映して展示になった時に初めてこれがパッケージになったということですよね。映像を映しながら投げているとき鳥が飛んでいましたが、鳥をめがけて投げているというのはそこに気まぐれがあるということですか?
前田:撮影にあたって実際に自分が行為した映像を目の前にしたとき、最初は映像の中のタイミングに合わせて粘土を投げているんですが、途中から画面に飛んでいる鳥にも意識が向きました。 鳥が横切るんですけども、それに向かって投げていたりもしています。結局自分がプロジェクターで映している映像でしかないので、その場で自分に見合った行動をとったというだけです。それがその時の私のリアルな体験でした。
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《短い手》制作中の様子
小林:面白いのはこの映像を映しながら粘土を投げていることです。粘土というモチーフは半分柔らかくて半分硬い中途半端なモチーフですが、それを選ぶというのは前田さん独特の考え方だと思います。海景が奥に広がっていくにもかかわらず、粘土は投げたら壁面で止まっちゃうわけじゃないですか。止まっていることで粘土が映像という一つの窓ガラスに向かって投げているような気がして、僕は「短い手」に切なさのようなものを感じました。また、これは技術的なことなんですが、プロジェクターが壁面に向かってピラミッドの形で映像を投射している。投射された映像は消失点に向かっていますが、これもピラミッドの形と考えれば白壁を軸にしてピラミッドがと二つ合わさった構造になります。この枠の形を強調するような展示の仕方は面白かったです。
前田:今までは自分が感じたことを立体にしていましたが、それを造形することによって鮮度が落ちていくような気もしていました。知っていた技法に引っ張られていくように感じていて、そういう制作と、自分が感じたものとのズレにも向き合っていかないといけない。たぶん小林さんが今話した視点のピラミッドのことは以前の作品でも自分が意識していたことだし、繋がってくるのかなと思います。
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《Woman Ghost》2015
小林:これ《Woman Ghost》は3年生の時の作品ですよね。卒制の作品もそうですが、物に対する表面をなめるように見るというのはつながるのかなと。
前田:これ(卒制作品)は湖の写真の湖の部分を切り取って立体にしています。
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《Land&Scape Ⅰ,Ⅱ》2017
武蔵野美術大学 卒業制作展
大石:木に服を着せている作品は分かりませんが、実際その場所に行ってそこでの実体験をそれを家に持ち帰っていることは共通していますね。それを頭の中だけで整理するんじゃなくて、写真や映像に出力して、その時の感覚を取り戻そうとしているのかなと。実際にはその時の感覚に戻れないじゃないですか。だから、小林さんが言ったみたいに「短い手」という画面窓にとまって���まって、どうしても思い出せない部分は輪郭だけ���切り取ることになってしまった。その時の実体験を出力しているけど、「短い手」はどうしても届いていない部分、そこの余白を捉えようとしていると思いました。
前田:いや、実体験というと単にその時の気持ちみたいな表現になるんですが、私は気持ちというかその時に感じたことを輪郭線で追っています。目で追った時の視線の流れや形に対しての意識が強くて、その時の心情のようなものは表現しようとは思ったことはありません。
大石:どうしてフィールドワーク的に一度そこに出向くのかな、それは身近なものでもいいはずなのに。何かを外に求めに行っている?
前田:風景が自分の中で触れられない物になっていて、より手の届かない物を求めに外に行っている理由があります。目の前の机にしたところで、自分がつかめてしまう大きさや知っている質感は情報が多い。あまり外に行こうという意識はないんですけど、視界に入りやすいもの見てしまいます。
大石:身近なものより淡泊に受け取れるから、ということもある?
前田:そうですね。だから今回の作品でも撮影しているときは人が通ってほしくなかった。できるだけノイズは排除したいし工夫はしています。
大野:水っていうのモチーフはやっぱり大事なの?池でも写真だったら周りに生い茂っている草のアウトラインがあったり、 容器の形と水が一致している。海に粘土を投げるというのも、そうなんだけど、波とか変わっちゃうアウトライン、電車の中からなぞっている作品も前田さんの作品にはあるけど、変わっていくアウトラインに関してはどう思っている?
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《見たいものだけ見てそれ以外は無視するということ》2017
前田:これ《見たいものだけ見てそれ以外は無視するということ》は前回発表した作品です。プロジェクターで電車の窓から撮った映像を流して自分に映していて、自分の対面に鏡を置いて風景が映った自分を鏡で認識しながら、粘土を山の輪郭に沿って盛っていくという作品を発表していました。アウトラインが変わるものというよりは、風景だと大きすぎて平面的に見えるということが重要だと思います。輪郭とかを意識しているとどうしても立体的に認識しがちです。遠くのものになりすぎると具体的な大きささえも認識できないじゃないですか。だから山とかを選んでいます。水だから湖とか海っていうわけではないんです。風景の一部として利用し ているて自分との距離が重要です。
小林:自分の身体がまわり込めないということが大事なんでしょうか?目の前に物が置いてあると身体が、裏側がどうなっているのかが分かってしまうじゃないですか。でも前田さんがあえて選んでいるモチーフって、自分の眼球の運動でしか認識できない、明らかに裏側にまわり込めないモチーフだから、わざわざ山の裏側に行ってみようとは思わない。その風景というモチーフを選んでいるのは自分の身体を動かさないでいかに物を見るかということで、前田さんの作品がつながっているのかなと思います。前作のタイトルは《見たいものだけ見てそれ以外は無視するということ》ですね。フィールドワーク的に外に出て行き、一回アトリエに戻ってきて制作するじゃないですか。その風景のなかの「見たいものだけを見る」っていうのは、風景全体をアトリエで想起することへの諦めみたいなのがあるのかなと、この作品では思いました。だから大石さんが話していたような切なさとか、感傷的な体験といったところに重心が置かれるのではなくて……僕が思うのは見ることに対する諦めです。「手が短い」ということをもうわかりきって、それでも作っている。触ることができないのは分かっているけどわざわざ作るということは、前田さんの制作につながっているのかなと思いました。次は大石さん、作品紹介お願いします。
大石:僕は今回は架空の人物を設定して、その人を行動させたログというか小説的なものを書いて、それをもとに彫刻を作りました。今回の架空の人物は三人家族のファミリー、夫と妻と3歳の娘を設定しました。小説は、その三人に普段起こる出来事のショートショートです。小説の中では本人たちは全く喋らないので、その行動を記したものと言った方が近い。長さは原稿用紙5枚にも満たないくらいかもっと短いのもありましたが、そういったものを書いて、この話から僕が汲み取って彫刻に置き換えるということをしていました。その小説は僕自身が書いていて、登場人物を設定し、性格や行動といったものを決定するんですが、決定した書き記したもの以外、小説の人物の間合いや、取り巻く環境だったり書き記すには限界があって僕が全く書かなかったことともあります。僕が書いた小説だけれども、それから自分が読み取って汲み取って彫刻にする。だから実際に小説の中の状況が立体に表れてはいなくて、必ずしも一致はしません。全くの一致はしないんですけれども、それはその小説の中の僕の干渉しきれない部分ということと、現実の僕と小説の中の状況をかなりミックスさせて彫刻に置き換えているということなんだと思います。 この三人家族の3歳の娘がいてその関係がどんどん更新していく様子がよく表れるなと思って、そういう小説からくみとることが今回できたらいいなと思いました。 この作品公園の緑は深い》はコントローラーで動かすこともできます。
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展示の様子 《公園の緑は深い》2017
小林:この動かせる彫刻で僕が気になったのは、ジャコメッティの彫刻で《ノウ・モア・プレイ》(1933) という作品で、あれも言ってみれば動かせる彫刻で知られていますね。ゲーム板という土台があって、その上にある駒を動かせるんですけど、終わったら元の場所に戻すんですけれども。もともと細い人体の彫刻をつくっていたということからも分かるように、ジャコメッティはイメージが仮初のものでしかないということに関心があったわけです。それで、大石さんの今回のステートメントを読んでみると「おもちゃがしまわれる」というふうに書いてある。ジャコメッティの駒をお墓みたいに下の棺桶に戻すことができるということと、大石さんのしまうことは重なるんじゃないかと思います この大石さんが言っていたジャコメッティのオマージュ的なもので今回この作品をつくられたのかなと思っていたら話を聞いていたらどうやらそういうことじゃないらしく、ジャコメッティを通過しないでどうやってこの作品が出てきたのかなと、気になりました。
大石:僕の作品も機能を持たせるというか、ビー玉を入れたら下からでてくるとか、あとは後ろにある壁についている作品は蝶番がついていて開くんですけど、彫刻だけではなく何か別の機能を持たせるという点では、確かに近い意味があるのかなと思う。このジャコメッティの作品を詳しく知らなかったというのもあるけど、僕がそうしたのは彫刻がもともと台座の上に乗っていることとか、床に置かれている状態に違和感をもっているからだと思います。
小林:違和感を持っているのにも関わらずこの彫刻はすべて台座に乗ってますよね?しっかりした台があってキャスターはついてますけど、台座に対する疑問があるということですか?
大石:台座に対する疑問も、台座ではなくて室内空間にある食卓だったりテーブルのような機能をもったもの……それが台座と言えるのか、言えないのかはちょっと分かりませんが、そういった要素を彫刻に取り入れたいと思っています。だから壁にあるものも家具の猫足のように使ったり、椅子やラジコンを使ったりと、そういうものによって別の見方で自分の彫刻を見たいということがあります。
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展示の様子 《卓上のエナメル質のクロス》2017
小林:この作品はベッドですか?
大石:これは机ですね。
小林:でも人が寝てるじゃないですか
大石:これは寝てますね。
小林:誰なんでしょうか?
大石:これは女性、小説の中のストーリーになってしまうんですけれども、これは机で夫が職場の先輩に女体盛のお店に連れて行かれて、机の上に横たわる女性の上のご飯を食べるんです。そういったシーンを考えてしまって。
小林:ストリップショー的な?
大石:ストリップショー的な……女体盛のお店みたいなものもあるじゃないですか。
小林:いや、知らないけれども……あるんでしょうかね。
大石:かなり儀式的な部分があると思うんですが、そういうシーンを思い浮かべました。だから机で……カウチソファも考えていたんですけれども話が思いつかなくて。
小林:もう、小説を一回公開したほうが良いんじゃないですか?
大石:そうなんですよ、そんな意見ももらって。
小林:大石さんは小説をこの展示で見せたくない。30話ぐらいあるんでしたっけ?
大石:十何話。
小林:十何話ある中で、この彫刻の物語に関係するところだけでも展示したほうがよかったのかなと思います。やっぱりラジコンとかは正直生活空間に関係あるのだろうかと疑問に思うんですよね。テーブルとか化粧台とかドアとか椅子に見立てるにせよ、それとラジコンは、明らかにラジコンの機能だけが浮いてしまっているように感じます。それがどういう意識の中で出てきたのかっていうのは、小説を読んでみないと分からないのでは?
大野:ラジコンはキャスターの延長って感じかな。
大石:そうですね。もともとキャスターをよく使っていて前まで制作をしていて。パーソナルスペースといって人が持っている自分の心地いい空間や距離など、そういったものをテーマにして制作していました。パーソナルスペースというものが人それぞれあるように、自分の彫刻にもパーソナルスペースがあるんじゃないかなと。彫刻のまわりに人が集まることによって、作品それぞれのパーソナルスペース、人のパーソナルスペースも移り変わっていくかなと思っていて、じゃあ彫刻も動かせる仕組みを作ろうと。
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《positioning》2017 Photo by KenKato
彫刻と対話法Ⅲ-思い通りにする、をするか- 府中市美術館 
前田:以前の作品にしても、建築の基礎材みたいなものにキャスターが付いていて、建築的な要素とキャスターの組み合わせによって、作品に移動するっていう要素があるというのは気になる。大石さんの彫刻は私には人体に見えるんですけれども、大石さんが作り出したい、そのコンクリートでつくった人体のイメージみたいなものとキャスターとの関係性が重要だと思っていました。ストーリーが入ってきたのは今回の展示が初めてですよね?
大石:いや、初めてではない。ここの前の個展もストーリーを使っていて、これが二回目です。
前田:それとは別としてコンクリートとキャスターという建築的な作品を作っていて、そこにストーリーが入ってきたことは気になります。個人的な意見としては、建築的要素と上物の関係性が薄れたというか、ストーリーをいれることによって大石さんの作りたい形を理由づけしているようにも見えて。
小林:見えなかった形づくりの強い動機みたいなものが小説によって希釈されてしまう、というような?
前田:建築的な要素とか移動とか大切な要素だったものが、単なる素材になってしまう。私にはそういう風にみえていて、それは本人はどう思っているのかなって。
小林:もう、小説を一回公開したほうがいい気がしますね。
大石:今回公開しなかったのにも訳があって。自分が小説家ではないというのもあって。
小林:それは関係ないでしょう。
大石:自分は小説の内容とかストーリーはあまり重要ではないと思っています。誰がどう行動するかが重要で、府中美術館で発表した、キャスターがついていた作品《positioning》も人が関わっていたんですよね。キャスターという動かせるが機能を付いていて、作品が移動するじゃないですか。移動したことによって別の人が別の印象をそれに対して持つと思うんですよね。もし動かさなかったら、別の印象を持っていたかもしれません。これはステートメントにも書きましたが、前の人、その前の人が、次の人の行動を決定づけているということです。自分の出生の過去が遠い先祖にあるのは確かで、おそらく風が吹いて桶屋が儲かり、私が生まれるにいたった。遠い昔の先祖が出会っていい関係になり、脈々とそういうことがあって自分が生まれたというのは事実なんですけども、ただ言いたかったのは、じゃあその先祖が違う一瞬を過ごしてしまった場合には僕はどこに行くんだろうということです。かなり極端な話をしましたが、人の行動が誰かの行動を決定づけている。小説の中では三人の人物が登場するんですけれども、その三人の中で誰かが行動したことで誰かを決定づけるシーンがあるわけではありません。ただ、行動してるのは確かで、それを僕はメインに記しています。ではその行動が何を生むのかということを、僕は作品を通して考えることができたんです。自分が書いた都合のいい他人として見ることができて、それを書くことが楽だなと思った。小説の中身を見せる必要はなくて、赤の他人を見せるようなものでもあってそれは違うなと。「小説をつくったんです」というとかなり言葉が強い。小説見ないとわからないという部分もあるけど、本当に僕がやりたいといったら大衆的になってしまう。だから小説を書いた自分の行動で他人をつくって、その他人によって僕が彫刻を作ることを決定づけられているというのが一番必要な要素です。
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《Furniture : lamp》2017
前田:今の話を聞いていると、小説を書いた後に立体を作ったように聞こえる。
大石:それもまた逆の場合もあって、彫刻が曲で小説が歌詞とした場合、曲先か詞先かというような違い。矛盾しているかもしれませんが、自分がつくった形がなんでこういう形になるのかなというのが疑問です。赤の他人がこういうことをしたから、こういう形に決定づけられたんだと思うこともできる。分からないこともあるから、じゃあこれが多分自分がこの彫刻を作った事実に当てはまるんだ、と後付けもしやすかったのが小説でした。自分のつくった彫刻の形が自分のピントにあっているのは、それができた所以をさかのぼってその解像度を上げて、奥の方にピントをあわせられるようになってきたということです。そのことを考えると、そういう裏があったのだと決定づけることができた。
小林:いや、やっぱり小説をやりたいっていう感じは、申し訳ないのですが僕には分からない。ただ思ったのは府中で出した二つの作品があるじゃないですか。 もともと大石さんが学部時代に作っていたような、有機的な線で内臓みたいな形のもの《脳ミソにない意識》をつくっていて、下にすごくカッチリした構造物を据えている。
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《脳ミソにない意識》2016
東京造形大学 卒業制作展
大石:一般的にいうと台座。
小林:そう、台座でもいいんですが、この二つの彫刻を繋げるものとして両者の高さが同じっていうルールを決めていましたよね。上下の素材それぞれが違う二つの彫刻を一つの空間の中で自分の作品として置くときに、同じ自分の作品として共通する言語を持たせるための構造物がある。それはと��もコンセプチュアルで面白いなと思いました。だから今回のトークの打ち合わせで話していたことを踏まえると、台座を使うっていうのはこれから引き継いでいく問題なのかなと思ったんですけれども。そこからつながっているのと同時に、小説を作るということを知ってちょっと面食らって、今日そのお話を聞いてみました。あとは今使っている台座ってすごく不安定ですよね。ラジコンとかはリモコンで動かせるし、廃材を使っている。台座として意図するものが頼りなく見えているというのは、それより以前にまた別の展示の姿があったということを想像させる。ラジコンが倒れてきて大石さんがわざわざ起こしたとか、台の脚が一本取れていて形が傾いているとか、そういう頼りない状態であっても想像させます。大石さんが話していた自分が生まれてきた因果法則っていうのは、それ以前にありえたかもしれない世界の在り方を、空間で見せているのかなという気がします。
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展示の様子 左から《注文確定》《公園の緑は深い》《口の中にアメさんコロコロ》2017
大石:それはその三人という登場人物の世界の空間になっています。介入しきれない部分、その中でできあがっている因果法則っていうのが現れるような展示を目指しました。実際一つひとつが別のシチュエーションだとしてそれがなぜ動き回るのかというと、たぶんどこかで因果がつながっているということになるのだと思うし、この因果の存在は僕の中でかなり大きかったです。
小林:やっぱり小説読みたいですね。気になります。小説を書かないから、小説家ではないから発表しない、というのは全然関係なくて、僕は単に読みたいのでまたいつか見せてください。
大石:はい。三人の作品解説が終わりました。展示をする前に何か共通するものがあるなと思ってこの三人が集まったのは確かです。ただ三人でこうやって連続で個展をやって、どういう関係があったのかなということは考えたいなと思います。
大野:もともと僕はあまり関係性がなくても構わなくて、「発表する場所を欲している三人」くらいに考えていました。タイトルについては、美術的な用語で作品を解説するのはもちろん大切なんですけれども、そうではなくて何かに置き換える、何かに例えるっていう部分、語る上での例えるという態度自体を三人は持ち合わせているなと思います。今出ているフライヤーも、もともと連続個展という風に考えていました。フライヤーの中でグループ展をしてしまおうと。だから展示は計四回という意識でした。
小林:これだけ見ると、フライヤーの写真は一人の作家の展示に見えてしまう、三人はこうしてみると似てるよね、みたいなことをいろいろなところから聞くんです。しかも三人とも粘土塑像をやっていて、前田さんにしても粘土を扱っていたわけじゃないですか。三人ともわざわざ粘土を使ったというのは、意図せず似てしまったということなのかと思います。
大野:最終的なメディウムを選ぶのが似てしまっただけで、そこで無理矢理三人は塑像をやってます、みたいに打ち出すのはダサいと僕は思います。そういうのはちょっと浅い気がしたんです。フライヤーと一目でわかるビジュアルを考えると、よくあるのはグリッドで分けて三人分の写真が出ているだけというものです。それだとつまらないなと思って……だったらここでグループ展をしてしまおうと。
前田:つまらないというのもあるし、メンバーが誰でも良かったという風にもしたくはなかった。
大野:むりくりバランスをとる、じゃないですけれども、やるとなったからには手持ちのコマで頑張る、ということをやりたかった。
大石:僕は今回三人でやって思ったのは、共通点がないという意味だった。それぞ作品を作る上での距離の取り方をそれぞれ持っている。
前田:作品の作り方っていうよりは、素材に対しての疑問みたいなのがあるってことだよね。
大石:やはり三人とも粘土を使っていたけど、粘土を使うにあたってどういう距離感を粘土ととるかということに共通点があるのかなと思う。僕は小説ないしは別のことを何かにフィルターをかけて、粘土を使うに至った。その粘土に対する何かは自分でも分からないけれど、なぜそこに至ったのかという疑問はありますし。前田さんは粘土というものを持って表れているし、大野さんは塑像ですが、粘土ではないし距離感の取り方をそれぞれ持っている。
小林:素材に対する距離感をもっているというのは、どこかでつながっていたと。その距離感を「むしろ例えてしまう」という、たとえ話ですよね。
大石:作品というのは、こういう考え方をどう置き換えるか、というたとえ話だと思うんです。このフライヤーを見たときに自分たちは思っていなかったけれども「三人ともすごく彫刻しているね」という意見があって、びっくりしましたね。自分たちがバリバリ彫刻やってるという……。
前田:やっている意識はない三人ではあった。
大野:クラフトっぽいね、映像だけでものがないね、とかそういう言われ方に単純にカチンときた、みたいな。アンチじゃないけど、そういうことはあるのかなと個人的に思っていた。
小林:三人はこれからどうするんですか?どう発表していくか、とか。大石さんはもうすぐ修了だから瀬戸際ですよね。作家としての制作は続けていく?
大石:作家を続けたいです。修了は控えてはいるんですけれども、卒制で振り切れようというところはあって、それから収めていきたいなというのはありました。また少し考えながらいろいろな方向で作品を作っていけたらと思います。 彫刻好きなんだなと。改めて彫刻に向き合うことができました。
小林:前田さんは?
前田:今回映像一本と写真を出したんですが、自分としては映像だけだとは思っていなくて、空間を含めての展示にしたかったので、それが殺風景だと感じる人はいるかもしれません。投げる距離とかそういうものを意識した見解で配置したというのもあって、映像作品というのも自分では言いたくはなくて、今まで作ってきました。 でも、そこを彫刻として言い切るのも怖いなと思っています。今回に関しては、展示に来た人には「彫刻として出しています」と言っていましたが。そういう意味で向き合うものが増えたと思います。
大野:強いね。いいね、映像を「彫刻ですけど」って。
小林:終わりに向かってますけど、大野さんはこれからどうするんですか?
大野:僕は特に何も決まってないんですけれども、どこでも、どこでも展示します。
前田:今日はフライヤーのデザインをしてくれた方が澤登さんも来ています。
最後になりましたが、皆さま今日はお越し頂きありがとうございました。
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スチール、web編集:大石一貴 
文字編集:前田春日美 小林公平
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makita148 · 7 years ago
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埼玉県に行ったときのこと
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8/10(木): 2230 新橋着 2300 ホテルチェックイン
8/11(金): 0345 起床.新橋から有楽町まで歩いて新木場→国際展示場. 0530 待機開始 0808 トイレに発つ 1000 開幕 1020 1冊目ゲット 1115 企業へ.バカンスセットゲット. 1200 艦これ島再突入 1205 撤退 1537 秋葉原で買い物.友人と飯.なんか黒いカレー食う. 1922 ホテルチェックイン 2100 就寝
8/12(土): 0530 起床 0615 チェックアウト 0720 会場入り 1300 物販完了 1630 本人確認して入場 1730 開演 2200 終演 2235 板橋駅着.東口で一服. 2300 打ち上げ
8/13(日): 0200 解散 0330 池袋のゲラゲラ.6時間パック. 0800 起床 0918 品川発 1131 京都着 1200 帰宅 1630 起床 1730 MOVIX京都にて2日目LV 2155 終演
会場のこと
Nゲート入場の408.
「舞台ちっさ」って最初思ったのだけど,最前列の人の小ささに気づいて.まあああああああデカかったです.30人全員が1列に並べたしね.
あと「上下の滝がない!滝がない!」って騒いでたら同行者にあるよ言われて実際にはあった.なんなの,滝厨なの俺.
逆に同行者さんは「中央がない!」って騒いでたので「中央だと全方向から見られることを意識しないとだから演者さん的には無い方が集中できるんですよ」みたいな,何かよくわからない上から方向の慰めをしてた.
良い会場ですよ大丈夫ですよとは聴いてましたが,遠いなー遠いなーって思ってました.正直上述のとおり遠近感とれんくなるほど遠かったけど,その分高さ確保されてるから一覧性もあるわけで,良い会場だなぁと思いました.2階席以降の人死に出るんじゃないかってくらいの急勾配,好きです.というか近くに関係者席があったというのもあって「俺は身内!」みたいな気分に切り替えていくスタイルでした.面白かったです.
西部講堂で比較したら失礼なほど広いし,当然暗幕も吊られてるわけなくて,あぁこれが本気か,って思った.皆が「SSA」っていう謎の3文字を連呼してて意味分かんなかった頃の俺よ,今そこに居るぞ,って震えてしきりでした.5thはLVだけ参加することにして,もっとスローライフファンタジー的にやってこうと思ってたんだけどなぁ.
オペラグラスのこと
初めての大箱だし何かあってからじゃ遅いと思って,前日にアキヨドでオペラグラス買いました.
コミケ初日帰りの臭気であったり佐藤担当P臭であったりを感じとられたんだと思うんですけど,望遠鏡・双眼鏡コーナーで「オペラグラスありますか?」と聴いたらノータイムで「SSAですと明るさが大事になってきますので~」と完全に会場×観る対象合わせのモデルを薦めてきて「あぁファーストセレンデピティ頂きました」って思いました.
Vixenのやつ.昔レンタルで借りたUSBカメラ型の顕微鏡のとこと一緒だったけどこれはそんなにセレンディピティじゃないな,と思ったり.
素人的には倍率重視なんかと思ってたら,明るさと画角のが大事なんだそうです.確かに2日目しょっぱなの茜ちんくらい走る場合,倍率でかいと逆に手ブレとかで追いにくいのだそうだ.なるほどなぁ.ただまぁ劇団あいくるしいくらいなら10倍でも良いのかなぁとは思いましたけど.
持ってて良かったか,で言うと持ってて良かったです.歌ってる間は元々両手塞がってるし使えないなぁとは思ってたので,開演中はMCのときだけしか使わなかったですけど,MC中も両手塞がるのでずっと見てられはしなかったですけど.ただ大写しのモニタと違ってカメラが抜いてる人の周辺も自由に見られるのでライブであることを十分に楽しめたと思います.隣をちょっと確認して色変え準備して,とかもできたしね.私の位置からでも演者さんの表情はしっかり見られましたし,離れた2人の掛け合いとかは無理でしたけど近い距離ならオペラグラス最��解だったんじゃなかろか.というかしゅがみんのアレ見られただけで減価償却終わってんだよバーカバーカ!バーカ!大好き!
上下の大型モニタをオペラグラスで見るとよりしっかり見られたんですけど負けた気がしたのでやりませんでした.
あ,人を見るが第一だったのですけど,舞台をしっかり見られたのも良かったです.ロスコ焚かれてるとこを凝視したり,手すりの意匠が意外と凝ってるのに驚いたり,出ハケ口の幕処理に萠えたり.階段状のステージの縁の電飾がおすすめでした.
全体的な感想
え!?ちひろさんってリアルタイムだったの!?
以前よりも積み重ねは増えましたし,幾つかの公演情報のアーカイブサイトを見たり参加しても無いのに4thのPVに涙したりしたので,知識というか因縁というかそこらへんとの付き合い方は石川のときよりも上手くできました.まぁ知恵熱を予防できた分を興奮に熱を割きましたので,結局今回もあんまり覚えてないですけど.でもエヴリデイドリームだったのが今回からはマイスイートハネムーンになったりしたのを味わったりはちゃんとできました.イルカも「演るとは思わなかったでしょ」に対してしっかり予習済みの真北でしたしね.
席に着いて早々にお隣から急にUO(ウルティマオンライン)を10本ほど貰いました.会場盛り上げて行きましょうってことで,なんか現地組のノブレスオブリージュを感じました.ただ使い処が難しいとの噂のブツ,「古参に迷惑かけない」が目標だったのでどうしようか悩んだのですけど,使うと喜んでくれる人が初日には居たわけで,彼女を忖度するという選択肢があったので良かったです.というかメドレー途中で使い切りました.Romantic Nowのために温存しておこうって思ってたけど無理でした.すげー面白かったです.ただ自分で使ってみて,改めて1色に染めるところを阻害することのアレな感じを考えたりしたので,気をつけなって思いました.ありがとうございました.
フルメンバーから1-2人足りない場合にモニターにキャラ映すのは周りが湧かせる歓声ほどクるものはなかったのだけど,「次こそは!」みたいな祈りなのだろうかと思うと胸が熱くなりました.参加者が多くて揃いやすい分,逆に特別な対応をしているなぁ,って.
やっぱり中の人×外の人の組み合わせって改めていいなぁ,っていう.なんか五十嵐さんが妙に今回やる気勢だったり,ラジオでは予想以上におばちゃんに片足つっこんでる松嵜さんが相変わらずちょいちょい100点のサポート飛ばしてたり.素敵なものってそれが逆方向に振れてもそれはそれで面白かったりするわけだけれども,それが演者×役のそれぞれで遊べるから減価償却も捗るって話ですよ.「よしのと違ったパッション味をお楽しみください!」って言い放った高田さんとかね.
あとそこらへん関連で言うと,最後の挨拶でまきのんさんがこの仕事が好きっていう理由で「自分だけだったら絶対やれないこと~」っていう言い方しててそれが妙にしっくりきて,中の人的にもこの距離感は特殊なんだなぁ,って思った次第です.
前回現地では演劇だなって思ってたけど,今回一歩進んじゃって宗教だなって思ってしまったのでいかんいかんって思った.ほんと変なイベントだよ.
局所的な感想
開幕Shine!!!よりはYes! Party time!!かなと予想,というか期待してたので嬉しかった.モニタに名前出てこなくて「なるほど!SSAともなると顔と名前は一致させておいて当たり前か!」って思ったのだけど,曲終わりで全員分の自己紹介が始まってびっくりしました.これがSSAか!って思いました.
なんか最近やたら可愛い乙倉ちゃんがTLに流れてくることもあり,というか静岡のラブデスでエロかったというのもあり(ラブデスは全員だいたいエロいんですけど),追い風Running楽しかったです.ほんとなんというか素朴.おはよー.かわいー.
Kawaii make MY day!.デレステ実装曲で恋色エナジーが好きで,前回ほぼ全日投票したくらいには好きで,その流れで好きです.ガールズポップなら基本なんでも美味しくいただく側の人間ですし,イベント当初はドナキチ可愛いってことばっか考えて走ってましたけど(今回のメドレーでキチどころか「ドーナツ」として紹介されてて衝撃でした),改めて生で観て,それぞれがそれぞれのKawaiiをmakeしている,良いユニットなのだなぁ,と思いました.FLIP FLOPでうっhy9おーってなって,Kawaiiでうっっひょーってなって,スローライフファンタジーで完成された可愛さに 無事 ( ˘ω˘)スヤァってなってました.
セトリ見直すとその後が桜の頃→甘魔女で,当時はなんて流れるような配曲だと感動してましたけど,今思うと結構冒険してますね.その後トロッコ(馬車!)曲につながるわけで,これをすんなりとぼんぼここなせるライブってすげーや.
Bloody FestaやNeo Beautiful Painのクールな重低音がちゃんと響いてて良かったです.これなら石川で会った奏Pも明日はご満悦かな,って思いました,演られなかったですけど.
しかし松井さんは奈緒の乗っけ方が上手いなぁ,って.ソロ曲演ったっていうのもあるのでしょうけど,曲以外でも松井←→奈緒間がすげーシームレスでした.ほんとすげー.
ちょこたんとかは他人のMCのカメラに見切れて入ってたり超かわいい野次を入れてたり,そういったパーツに小梅味を感じてしきりです.他人と違うタイミングで笑っちゃうので俺キモいなぁって素に戻るのでほんと困る(困らない).
世直しギルティは3人揃うのが楽しみです.必殺技のバリエーションはどんどん増やしてって欲しい.楽しそう.大好きな曲だったのですが,こっそりここらへんで同行者から借りてた佐藤のコンサートライトを床に落っことして見失ってて気が気ではなかったです.も~!って怒られてるのに「ごめんなさい!ごめんなさい!」って思ってました.見つかってほんと良かったです.
メドレーは楽しかった!!っていうのもあるのですけど,公式の相棒認定受けて菜々パイセンの曲歌ってるの聴けたっていうお祭り的な部分も嬉しかったのですけど,ソロ1曲目が聴けたっていうのが個人的に収穫でした.こういうのいいっすねぇ.良いっす.あとラブランコ!!!あとクールなアタポン!あとメロウイエローのHappy*2 Days!!
あんきら!?は前回初お目見えで今回完成したのだな,って思いました.茶番パートの超絶テンポに俺がついていけるようになった,だけかもしれんねっすけど.コールアンドレスポンスのアーイマスで若干すっぽ抜けたのも含めて尊かったです.
後半オブ後半!クールな曲調の中,一見雑味ともとれるキュートやパッションを混ぜることにより最高の化学反応を産むことで有名なNothing but youとヴァルキュリア.まぁクールちゅても僕の根拠はMVの背景色ですが.実際全タイプ曲だし.ただ実際引っ張るのは先陣切るアーニャと奈緒だったり,ミナミィとふみふみだったりするわけで,それに押忍にゃんや相葉ちゃんがいー感じに入ってくるのが良い.良いのです.みくにゃんも割と喧嘩する方だと思うのだけどNothing~だと妙に違和感ないですしね.星くん成分が恋しかったですけど2日目で摂取できたので我慢します.あ!ヴァルキュリアの乙倉ちゃんがVo/Da/Viで大活躍でたまらんかったです.俺中島さん好きなんかもしれん.
ん���↑に引き続いてのハイファイ☆デイズ!!! 別に全曲に対してそうなんですけど…聴けて良かったぁ…
佐藤とのこと
石川のときより担当曲も2倍になったわけで,クソ耳のチューニングも大分進みました.もうどんな複雑な歌割りされても同時発話認識ばっちりです.完全に余談すけど,ゼロ書とか別の引き出しも聴くことで精度上がりますよね.色んなパターンの声を聴きたいって意味では幸子の腹パンも同じようなもんなんかもしれませんね.
流石に30人も居ると個人個人はこれまでの公演と同じ時間は持てないすね.そこはちょっと残念でしたけど,でもでもその分約束された勝利のTake me☆Take youよ!!!謎のダイマがきつかった命燃やして~も大事なのだけど!けど!
デレステのイベントで佐藤のいい奴っぷりは十二分に伝わったと思いますし,次回こそは中間からのフェードアウトみたいなことはないと思いますけど.それよりもイベントとSSA×佐藤とで切り離せなかったのが「当たり前のようにステージに立てているけど,ほんとは当たり前なんかじゃないんだってこと.」って台詞でした.今回の色紙の,ついにはぁとがSSAにきたー!!,とか,最後の挨拶の「感慨深い」とか,シンプルな言葉選びにいくらでもバックグラウンドを感じられてしまって,こっちは感慨深いどころじゃなかったです.すげー感慨深かったです.
Take me☆Take youはM@GIC☆やおねシンみたいな具体的な言葉はないけどアイドルがアイドルのことを歌う歌なわけで,もーなんのてらいも面白みもなくただただ好きな曲です.元気なときにより元気になるし,元気じゃないときに元気にしてくれる.最近は「コール覚えなきゃ」って日々を過ごしてますけど,これだけは「うるせぇ!黙って拝聴しろ!」って思ってたんですけど(我儘),全Pがだいたい同じこと思ってたようで,それも嬉しかったです.惜しむらくはギルティと同じく佐藤のコンサートライトが見つからなくて心の2割くらい気が気じゃなかったことですがー.まぁ完全に完璧な状態なんてそうそうないわけで「これもまたセレンディピティ」って思いながら涙腺緩ませてました.
ちなみに菜々パイセンとともに,命燃やして~/Let's Go Happyで深く絡んでた三船さんも大好きで大好きです.やたら似てるっすよね二人.心臓強いタイプの花守さんに比べて(もうそう決めた),さやさやは幕張のときとかキャラ由来にしてもちょっと心配だったのだけど,今回は前向きに流されやすさをアピールしてて,キミのそばでずっとも素敵で,今後が楽しみになりました.
今回怖気づいて着なかったですけどフルグラTを買いました.白地なので汚れるのが怖いよ.(ファンじゃないけど)精神的に結婚できたと思えたら着ます.初日彼女出てないのにフレちゃん法被着てきた同行者と同じくらいの意気込みで以て着ます.
CoCo夏夏夏Holidayはやるだろうって勝手に思ってたので,物販の待機列の間ずっとYes! Yes! I'm HappyやらVery Happyやらオーケイやらオーライやら口ずさんでたのですけど,まぁ来年の西武ドームまでお預けっすね.
打ち上げ
板橋で焼肉でした.
オセヨ 2号店 - 板橋/焼肉 [食べログ] https://tabelog.com/tokyo/A1322/A132201/13127840/
石川みたいなことも特になく,でもグラブルで同じ団の人3人での飯で,超楽しかったです.こないだより完全に長っ尻してしまった.翌日帰るだけの私と違って2日目現地やコミケ3日目があった二人は寝坊したらしく,申し訳ないことをした.ごめんなさい.
料理自体も3000円のコースで満腹の,いい塩梅のお店でした.お店の人もいい人でした.チヂミとかトッポギとかサイドメニューもこれでもかってくらい出てきました.普段こんな店が近くにあったらよさそう.ごちそうさまでした.
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abe-mochi-part2-blog · 8 years ago
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三好ちゃん♀とオダサク先輩のバレンタイン(おだみよ)
#ぼっちワンライ一週間チャレンジ 六日目、七日目
現パロ学パロ女体化の三重苦(※朔ちゃんも女体化している)
 (三好)
 本屋の文房具売り場にある、ラッピング用品のコーナーが広くなって、1月下旬にはとうとうそのコーナーに、バレンタインフェアの薄いピンク色のポップが飾られるようになった。おそらく同級生の女子が、ちらほらそのコーナーに立ち止まって、サテンのリボンやらメッセージカードやら紙袋やらをどこか華やいだ声で話しながら見たり時にはレジに持っていくのを、そのちょうど裏側で文庫本を立ち読みしながら、三好はどこか他人事のように見ていた。  そもそも、三好は甘いものがそこまで好きではなかった。宝石のようなチョコレートやかわいいパッケージに心は躍るが、いざ口にすると、やっぱり辛いもののほうが美味しいし、女子は甘いものが好きだと決めつけられているようなあの雰囲気が、どうにも納得がいかない。さすがに女子としてバレンタインに無縁の学校生活を送っているわけではなかったけれど、毎年ごく親しい友人や先輩と小さな手作り菓子交換するだけだった。今のところ、渡したい男子も、わざわざ三好からのチョコを欲しがる男子もいない。きっと今年も、数人の友人に気取らない手作りの、三好が唯一作れるトリュフを渡して、朔ちゃん先輩にはちょっとだけ気合の入った別の手作りを渡して、そうして朔ちゃん先輩からもお菓子を貰うだけで終わるだろう。三好にとってバレンタインデーは、友人とお菓子を交換する、ちょっとだけ楽しいイベントの日になってしまってる。  いつか自分にも、渡したくなる相手もできるのだろうか。思いを伝えたくて、感情があふれて、どうしようもなくなる相手が。ちょっとだけ、考えてはみるものの、いざ相手の姿を想像してみても、脳内の光景は霧がかかったようになって、どうしてもその先へは進まなかった。淡い恋も、激しい恋も、三好にとってすべては未だ本の中の出来事だった。クラスメイトが密やかに語る恋愛の話に、興味がないわけではなかった。ただ、ぼんやりとした憧れと、ほんやりとした恐怖が、友人の恋の話に耳に傾けつつ心の底にたまっている。  気になった文庫本の値段をめくると、お小遣いをやりくりするには厳しい金額だった。せっかく面白そうだったのに。小さくため息をついて本棚に戻した。今月は、チョコ代やらラッピングのリボン代やらに結構かかるのだ。相手にチョコを渡した時の嬉しそうな表情を見ることと、完成した菓子の箱にそっとリボンをかけることは嫌いじゃないけれど、本かチョコかと言われたら本を選びたかった。  でも、憧れの朔ちゃん先輩に堂々と何かをプレゼントできる日はそうそうあるわけではないから、毎年一冊か二冊買いたい本を我慢して、三好はバレンタインを迎えるのだった。あ、そうだ、今年は朔ちゃん先輩に何を渡そうか。ずっと憧れている、一つ上の女の先輩の顔が頭に浮かんで、足は自然にお菓子本のコーナーに向かった。平置きにされたチョコレートのお菓子の本を手に取って、さっきの文庫本ほどは熱中せずに、ぱらぱらとめくった。見た目がどうかはわかるが、美味しそうかどうかはいまいちわからない。普段料理をしているわけでもないから、並んだ材料欄のカタカナを理解するのが精いっぱいだ。前にアーモンドプードルを犬の種類の名前かと思って、お菓子作りの友人に聞いてみたら恥をかいたことがあった。  これは難しそうだし、これは簡単そうだけど一人分には量が多そうだし。そもそも朔ちゃん先輩は、どんな菓子が好きだったっけ。  ページをめくりながら首を傾げたりひねったりしていると、ふいに背後から声がした。 ��おっワシにくれるチョコか~?」  ぎょっとして本を閉じて振り返ると、見慣れたへらへらした顔の男が、三好を見下ろしていた。ひとつ年上の、織田作之助だった。 「オダサク先輩!なんなんですか!急に声かけんといてください!」  通称オダサク先輩。学校でも指折りの不真面目だが成績はかなりいいらしく、そのせいで先生も彼には強く言えないらしい。それがひょんなことからクラスでも真面目な三好と顔見知りになって以来、彼は廊下やら登下校中に会うたびに、なんやかんやと三好に声をかけてくるようになった。三好が語気を強めても、嫌がって見せても、どこ吹く風で、東京に来ても訛りを気にすることなく、三好と同じ故郷のアクセントで「三好ちゃん」と呼んだ。悔しいことながら、彼についつられて、三好も友人の間では忘れてしまう故郷の言葉が口について出た。不真面目なところが、好きではない。つっぱねても巻き込んでくるようなところが、好きではない。やたらと朔ちゃん先輩にちょっかいをかけようとするところも、好きではない。総合すると、ちょっと嫌いだ。 「え~つれないな~。なんや珍しいとこおるから声かけただけやん。で、これに載っとるやつワシにくれるん?」 これ、と指さされたのは三好が手に持っているレシピ本だ。ただの顔見知りの後輩に、いきなりチョコレートを要求するとは。なんてふてぶてしい奴だろうと思いながら、三好は頬をふくらました。 「朔ちゃん先輩にっす! オダサク先輩にはあげないっす!」 「朔ちゃん先輩? そうか、女子はええなあ。ワシも朔ちゃん先輩の手作りチョコ欲しいなあ」  そう言っておきながら、彼が相当モテるのも三好は知っていた。きっと朔ちゃん先輩に貰わないにしても、織田は大量の義理チョコに紛れ込んだそれなりの数の本命チョコを受け取ることだろう。オダサク先輩って、背が高くてかっこいいね、とクラスメイトが話しているのも、何度か聞いたことがある。彼女の存在の有無は知らないし知りたくもないが、きっと過去にはいたことがあるに違いない。そんな男が三好のチョコを欲しがるなんて、せいぜい単なる好奇心かからかいに過ぎない。まったく馬鹿馬鹿しい。頭一つぶん背が高い、織田をにらんだ。 「朔ちゃん先輩がオダサク先輩にあげるわけがないっす」 「自分ひどいこと言うなあ」 「そもそも朔ちゃん先輩に近寄らんといてくださいっす。朔ちゃん先輩が不良になってまうんで」 「はいはい、相変わらず三好ちゃんは手厳しいなあ」  手をあげて肩をすくめ、織田は三好の隣に立って、平置きのところから、三好の持っている本を手に取った。 「どれどれどんなんあんねん。……あ、ワシこれがええな」  ぱらぱらめくって不意にページをとめて、わざわざ三好に見せてくる。箱の中に敷き詰められた生チョコの写真のページだった。ちょうどこれならできるかな、と思って読んでいたところだったので、余計にいらっとした。 「オダサク先輩の趣味とかどうでもええです。とりあえずあげないっす」 「ええー、三好ちゃん意志強ない? このイケメンの顔見てたらチョコあげたくならへん?」 「あげないものはあげないっす」 「いけずやなあ」 「男の人にいけずや言われても気持ち悪いだけなんでやめてください」  覗き込んでくる顔にそっぽを向いた。学ラン姿なのにどこか煙草臭いし、そもそも学ランのボタンは開けすぎだし、まったくなんでこんな不良と知り合いなのか。やれイケメンだ美少年だ美男子だと自称しているが、それも怪しいものだと三好は思う。 「ま、ええか。とりあえずワシ待っとるから」 「待たんでいいです!だからあげへんって言うてるでしょ!」 「三好ちゃん、声大きない?」  あっと口元を抑えたら、そのすきにさっと織田は持っていた本を戻して、振り向きざまにしてやったりと言いたげににっと口角をあげて笑った。要はまたからかわれて、三好が本気になっただけにすぎないのだ。またやってしまったという後悔と羞恥が襲ってきて、三好はうつむき気味に顔を赤くした。オダサク先輩のあほ、と口の中でちいさく毒づいた。 「手作り頑張りや、ほな、また」 軽く三好の肩をたたいて、織田がひらりと手を振った。今まで気づかなかったが、空いたほうの手に、織田は文庫本を持っていた。表紙の色合いに、目を見張った。三好が今日気になって結局買うのをやめた、あの文庫本だった。それだけのことなのに、不思議と気になった。あの不良が、自分と同じ本を気にするとは。レジに向かって飄々と歩いていく背中を、触れられた肩をおさえながら複雑な気持ちで見つめた。本棚の影で織田が見えなくなると、三好はようやく手に持っていた本を開きなおした。再びぱらぱらとめくると、さっき織田が見せてきたページが目に留まり、数十分悩んだ挙句、結局三好はその本をレジに持って行った。  ネットでレシピ見るより信頼できるし。朔ちゃん先輩にまずいもの渡せないし。心の中で何回も自分に言い訳をしながらも、夜になってその本をめくると、織田に肩をたたかれた感覚が不思議と蘇った。
(織田)
 幸いにも美男子なもので、幼いころからバレンタインデーその他諸々の異性からの人気を意識させられるイベントに苦労した試しがなかった。母親以外からせめて一個でも貰いたいとかそんな同世代の男子の切実な願いも特に女子にねだらずとも降ってくるこちらとしては実感しがたかったし、バレンタインが近づくとやたら髪型を整えだすクラスメイト達の涙ぐましい努力に対しても普段からやっときゃええのにとどこか滑稽に思えた。毎年山のようにもらう義理チョコも、その山の一角にひっそり潜んでいる本命チョコも、もちろん嬉しくはあったが、織田の少々ねじくれた自尊心を一瞬満たしただけで、大きく心を動かされたことはなかった。異性にチヤホヤされるのは楽しい。同世代の女子から、恋に恋している感情を向けられるのも悪くない。けれどもこの歳で既にそれなりに恋愛めいたものを遊びで楽しみ、大人の階段を数段飛ばしで駆け上ってしまった身とすると、甘酸っぱい気持ちからは遠のいてしまっている。  友人の太宰から、バレンタインチョコの数で勝負を挑まれたのは、年相応な感性を持ったクラスメイトがどことなくそわそわし始めた1月下旬になった時だった。自分だってそれなりに遊んでいるくせに、他人の評価に人一倍敏感な太宰は他のクラスメイトと同じようにいつも以上に髪の毛を神経質に整えながら今年はチョコの数を大台に乗せてやると息巻いていた。軽い気持ちで「まあどうせワシの方が貰えるやろうけどな」と返したのだが、太宰の闘争心に火をつけてしまったらしい。ムキになって勝負を突き付ける太宰の言葉にそのまま売り言葉に買い言葉で乗ってしまったのだった。  とは言え織田が、勝負のために格段行動をしたわけでもなかった。おそらく太宰とてそうだっただろう。直前になってその辺の女子にチョコをくれと言ったところでくれる聖人のような女子の憐れみに近い感情はいらない。ようは皆、義理でもなんでも普通よりは強い感情を異性に向けてほしいのだ。好きな女の子に貰えたら、と恋心を温めている男子もきっと存在するのだろうが、大抵は自分や太宰も自尊心を満たしたいだけなような気がする。それにこういうのは日頃の関係が重要なのであって、普段から女子に優しくしていれば、美男子であろうとなかろうと義理チョコのひとつやふたつは貰えるものではないか、と恋愛に対してはいつも上位の立場であった織田は思っていた。とりあえず、一律に返すお返しは何にしようかとか、本命を今年も貰ったならどうやって傷つけずに断ろうかとか、勝負に勝ったら太宰には何をおごってもらおうかとか、モテない男子からすれば腹立たしいことこの上ないことを考えながら、1月は慌ただしく過ぎた。  一度だけ、最近よく話すようになった後輩にチョコをねだった。織田が普段通りに過ごしているならばまず知り合いになることもなかった、お堅そうな優等生の女の子だった。ひょんなことがきっかけだったが、同郷であることを知って、勝手に親しみのようなものは抱いて、下心はなしに自分からよくちょっかいをかけにいった。  顔はまあ、子どもっぽかったし色気もなかったが、丸いかわいらしい額をしていて、たまごみたいな白い肌が綺麗だった。あの潔癖じみたお堅さが和らげば、彼女に思いを寄せる男子もきっとそれなりにいることだろう。織田の普段の言動に眉をひそめる女子でも、織田が整った顔で笑顔を向ければ、大抵の場合はきまり悪そうに頬を染めて視線を背けるのだが、彼女は織田がそうしてみせたところでまるで効果がなかった。  美的感覚が人から外れているのか。はたまたまだ男子に興味がないのか。自分が女子に好かれない可能性をまるで考えにいれず傲慢にも織田は思ったのだが、よく帰り道の本屋で見かける彼女は、年相応の見た目よりは大人びた本をよく手に取っていた。それが意外にも織田の趣味にも合うものだったので、異性にまるで興味がない、という推理は外れのようだった。打てば響くような反応の良さが失礼ながら犬と接しているようで面白かったので、織田は話すたびに彼女をからかって遊んでいたのだが、結局一度も本について話したことがない。  そういう本、好きなん?不審がられずに話しかけるには格好の話題であるはずなのに、どうにも言う機会を逃してしまった。彼女と本の趣味が似ていることでどうにかなるとも思えなかった。代わりによく、ふざけた調子で名前を呼んだ。三好ちゃん。その後はいつも不機嫌そうな、懐かしい故郷の訛りを帯びた声が返ってきた。  もとよりチョコは冗談半分で言っただけなので貰えることを期待はしていなかった。たまに故郷のアクセントを聞かせてもらえるだけで、それなりに織田は満足していた。たとえ、彼女の表情が織田を好きではないと告げていたとしても。  当日、通学路で太宰に会うと、彼はいきなり大きな手提げ袋を織田に手渡した。どうやら貰ったチョコをここにいれろということらしい。毎年それなりの数を貰っているが、毎年手提げ袋なんかわざわざ用意したことはない。去年はどうやってチョコを持って帰ったのか、それすらも忘れてしまっている。誰かから袋を貰ったのか、それとも数日に分けて持って帰ったのか。 「マメやなあ太宰クン、おおきに」  純粋に感謝の気持ちで織田は言ったのだったが、威勢よく手提げ袋をつきつけてきた太宰としては期待の答えではなかったらしい。頭を軽くかきながら、唇を尖らせる。 「俺、お前と話してると調子狂うわ……」 「そうなん? なんで?」 「……まあいいや。おいオダサク、勝負、忘れんなよ」  わざわざ腰に片手を当てて、太宰が織田に向かって指を差した。勝負。こんなにやる気だったとは思わなかった。そんなんこだわらんでも太宰クンならそれなりに貰うやろうにな、とは思うが単に勝負を放棄するのも面白くない。太宰の指先を見ながら頷いた。 「ああアレな、勝負な。まあそんなんせんでもワシが勝つしええけど」  織田の飄々とした態度に太宰はいらだったらしい、放課後に結果発表するから俺んちこいよ、と一方的に約束を取り付けて、勇み足でずんずん先に行ってしまった。しかし通学路の途中で女子に声をかけられると急に気障な足取りに変わって、後ろから見ていた織田はその滑稽さに笑いを必死でかみ殺し、まだ空の手提げ袋をぶらぶらと振って学校までだらだら歩いた。  手提げ袋は、昼休みには一杯になった。手提げ袋からはみ出たラッピングを見ながら、あまり話さない男子のクラスメートですら「織田、すげえなあ」と感心半分羨ましさ半分の調子で言った。織田の机の周辺には甘ったるい匂いがたちこめた。授業中に教室をうろつく教師が、普段うっすら煙草を香らせている織田の周囲の甘い匂いに、驚いた顔をしていた。しかしそこまで厳しい学校でもないので、チョコに関しては何も言わなかった。煙草よりはマシと判断したのかもしれない。大半が義理とか、うっすらとした好意の皮を被った男友達へのチョコだったが、昼休みの終わりごろに、後輩の女子に呼び出された。数回戯れで図書館の本を取ってあげたことのある、織田からすれば「けっこうかわいい」女の子だった。それでも丁重に告白はお断りして、気持ちだけでもという彼女の意志を尊重してチョコレートは受け取った。振られたというのにやけにいい笑顔をしていた。罪悪感は少ない方がいい。だから今回は助かった、と思った。  白いリボンのかけられたひときわ綺麗な箱を片手に持って教室に戻る最中、廊下で三好を見かけた。ちょうど彼女の憧れている朔ちゃん先輩にまるで男子に渡すような調子でもじもじして、両手でそっと薄い水色の箱を手渡しているところであった。朔ちゃん先輩はその場で彼女にチョコレートを渡していた。それを見ていた男子が「いいなあ」とつぶやいているのを聞いた。いつもならばきっと学年でも美少女の朔ちゃん先輩にチョコを貰えるなんて女子は羨ましいな、と思うに違いなかった。しかし今回は、どちらが羨ましいのか織田にはわからなかった。  三好が踵を返したとき、一瞬目があった。三好ちゃん、と手をあげて声をかけようと思ったが、手にした白い箱をわざわざ持ち替えるのも、白い箱を持ったまま手を振るのもどうにも憚られて、結局やめた。三好は、織田の顔を確認すると一瞬ぎょっとしたような顔をしたが、元来は礼儀正しい性質である。織田に小さく会釈をして、朔ちゃん先輩から貰ったお返しをまるで木から落ちた雛でも拾ったかのように両手で包んで、一年の校舎へ戻っていった。他に箱やら袋やらは持っていなかったから、やはり朔ちゃん先輩のためだけにここに来たのだろう。三好が自分にくれるわけがない。やっぱりな。とひとりごちて織田は教室に戻った。授業中、朔ちゃん先輩に渡していた、三好の薄い水色の箱を思い出した。そしてふと、当たり前のことを思った。自分は冗談半分でねだっただけだったが、三好からチョコレートを、できたら本命を、朔ちゃん先輩のようにもじもじしながら渡されたいと思っている男子はおそらく自分以外にも存在するのだろう。  いいなあ。名前も知らない男子の、純粋な羨望の言葉を、織田は反芻していた。もしかするとあの男子も、三好ではなく朔ちゃん先輩が羨ましいと思ったのかもしれない。午後の数学の授業は輪をかけてつまらない。鉛筆をくるくると回していたら、机周りから漂うチョコレートの甘い香りが、やけに煩わしくなった。やっぱり、自分は煙草の匂いぐらいがちょうどいい。  放課後にチョコを渡してくる女子もそれなりにおり、愛想よく受け取っていたら織田の手提げ袋からはとうとうチョコが入りきらなくなって、結局ほとんど物が入っていない通学用のバッグに詰めた。放課後俺んち、とは言われたものの太宰と特定の時間を決めたわけでもなかったので、ホームルームの後、織田は屋上に煙草を吸いに行った。掃除場所になっていないので埃っぽくなった踊り場は、手すりに手をかけただけで鼠色のほこりが指先にこびりついた。その代わり、チョコレートの甘い匂いもしなかった。鍵の壊れた屋上に続くドアを開ける。キイキイと嫌な音を立てたかと思うと、冬の乾いた風がびゅうびゅうと入り込み、上着も着ずに学ラン一枚だった織田はぶるりと身を震わせた。 「おお寒い寒い」  つぶやきながら、ポケットの中の煙草を探る。煙草を吸うときの定位置になっている給水タンクの裏側に回り込もうとしたら、そこにはすでに先客がいた。強い風でセーラー服の裾がぱたぱたはためいている。珍しい、こんなところに女子が。あれ、と間抜けな声をだしたらセーラー服を着た背中がぱっと振り返った。丸いおでこが見えた。三好だった。 「オダサク先輩」 「あれ、三好ちゃん。どないしたん、こんなとこで」 「……オダサク先輩こそ、どないしたんですか」 「ワシ?ワシはまあ、これ吸いに。……ってそんな怖い顔せんと」 「まだ学校で吸っとるんですか」 「いや、まあ。今回が特別やって」 「嘘でしょ。ここではやめてくださいっす」  眉根を寄せて睨まれたので、手にしていた煙草をポケットにつっこんで両手をあげ、ため息をついた。 「……言うても無駄かもしれないっすけど、そんなに吸ってたら体悪しますよ」  言いつける、とかバレたら停学になりますよ、とかそういう注意ではなく、彼女はいつも織田の体を気遣う注意の仕方をする。こういうところやんなあ、とそのたびに織田は思う。お堅いし、潔癖の気があるし、口うるさいのに、そういう織田自身への心配が見えてしまうから、織田は彼女をうっとうしいとは感じないのだった。 「せやかて、体がええわけでもないしなあ」 「またそういう事言う」 「ま、ワシのことはええやん。三好ちゃんどないしたん、こんなところで。コートも着んと。そっちこそ風邪ひくで」  話題を変えると、三好は急に口ごもった。俯いて、二度、三度まばたきをした。案外目じりのまつげが長いなあと場違いなことを思ってから、ようやく三好の手元に目がいった。薄い、水色の箱。先ほど朔ちゃん先輩に渡していたものと、同じだった。つまり、彼女が持っているのは三好がおそらく手作りをしたチョコレートらしかった。 「……余ったんで、食べようと思って」 「これ、三好ちゃんが作ったやつ?」 「そうですけど。ほんまに、余ったんで」  そう言って、三好は箱を開けた。再び織田の鼻先に、ココアの甘ったるい匂いがした。箱の中には、茶色の石畳かタイルのように、四角いチョコレートが敷き詰められていた。数週間前に、織田が冗談交じりでこれがええな、と言ったものだった。 「ええん? これ、誰かにあげるつもりやったんちゃうんか?」  余ったのが確かにしても、自分で食べるつもりならば、わざわざこんな箱に入れてラッピングするわけがない。しかも、あの朔ちゃん先輩と同じ箱だ。それなりに大切な相手に、渡そうとしたのではないのか。 「ええんです、もう」  うつむいたまま、三好が言った。初めて見る表情に、織田は目をしばたかせた。 「ええってことはないやろ。せっかくこう綺麗にして持ってきてんのに」  もしかしたら、自分が思っているよりもずっと、彼女は大人になりかけていて、好きな相手に、渡そうとして、渡せなかったのかもしれない。それか、断られたのかもしれない。三好のことは、まるで男の後輩をからかうのと同じような視線で見ていた。けれども、目の前の唇をかんでうつむいている三好は、昼休みに、織田にチョコを渡してきた女の子と、同じように見えた。どんな男に、どんな気持ちで、彼女はチョコを持ってきたのか。わかりやすいと思っていた彼女の心向きが、急に靄でもかかったように見えなくなった。女の子というものは、男と違って、すぐに女性になってしまう。そうやってバカみたいな織田の男のふくれあがった自尊心を、すぐに崩してしまうのだった。  しばらく、三好のうつむきがちに伏せられた睫毛を見ていた。冬の風が容赦なく吹き付けて、二人の髪をぱらぱらと乱した。鼻の奥がむずむずしてきて、織田は沈黙を破るように小さくくしゃみをした。 「寒いなあ。なあ三好ちゃん、とりあえず校舎戻らへん?」 こんな寒い場所にいてはよりいっそう落ち込むと考えて、織田が声をかけると、三好ははじかれたように顔をあげて、それからじいっと真顔で織田を見つめた。この美男子が気になるか、という冗談は出てこなかった。 「なに、どないしたん」   しかし三好は問いかけに答えず、視線を再び落とすと開けた箱を閉めなおして、同じく手に持っていたリボンを、宙で予想以上に手慣れた様子で箱にかけた。ラッピングは元通りになって、昼休みで廊下で見た、朔ちゃん先輩に渡していたものと、そっくりになった。  突然、バシンと胸元を叩かれた。ぎょっとし��胸元を見ると、さっきの水色の箱で叩かれたようだった。それをそのまま、押し付けられた。 「……あげるっす」 「え?」 「これ、オダサク先輩に、あげるっす」  三好は依然としてうつむいたままで、表情は見えなかった。白い耳の端だけが、寒さなのか別の理由なのかわからないままにうっすら赤かった。  もしかして、冗談半分にちょうだいと言っていたことを思い出したのか。それとも、覚えていたけれど朔ちゃん先輩とあげる予定だった男子にいっぱいいっぱいで、単に渡す選択肢がなかっただけだったのか。予想だにしない行動にぽかんとしながら、織田はすっかり冷えてしまった手で、箱を受け取った。 「……ワシでええの?」  すると三好が一瞬だけ顔を上げた。白い頬からじわじわ血が染み出したようにほんのり赤かった。ばら色の頬、とはこれかと、この前よんだばかりの、本の表現を思い出した。そうして、薄い唇をもごもごと動かして、強い風の中聞き取るのがやっとの声で言った。 「オダサク先輩に、持ってきた、やつなんで」  織田がその言葉に目を見張ったのもつかの間、三好は先ほどまで固まっていたのが嘘のような機敏な動作で踵を返し、すたすたと歩いていこうとした。 「え、ちょっと待ち、三好ちゃん」 「待たないっす、そもそもなんなんすか、オダサク先輩が欲しいって言うたんでしょ。……余っただけなんで、ほんまに!」  それじゃあ、と今度は顔も見ずに、三好はぱたぱたと走り去っていった。間抜けにも織田は追いかけることもできず、箱を両手に包むように持ちながら、屋上に、ひとり取り残された。力任せにしめたのか、屋上のドアが大きくきしむ音が、給水タンクの裏側からも聞こえた。風はいつのまにか先ほどより強くなっており、織田のうっとうしいぐらい長い髪の毛をばさばさに乱した。箱を見つめながら、織田はもう一度だけ、くしゃみをした。
 結局、三好のチョコは太宰との勝負の数にいれなかった。彼との勝負の結果は置いておくとして、三月になって織田は、いつか本屋で三好が立ち読みしていた本を、お返しに渡した。値段はおそらく、三倍返しではすまなかっただろう。
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oriori-ki · 8 years ago
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第25回 『いしかわ動物園』②
トキの歴史といしかわ動物園
江戸時代まで日本国内に広く分布していたトキは、明治以降、乱獲や開発により減少を続けた。1981年に生き残った野生のトキが保護され、佐渡トキ保護センターで人工飼育されてきた。日本産トキは2003年に絶滅してしまったが、中国からもらい受けたトキとの人工繁殖は成功し、現在では毎年数十羽の元気なヒナが育っている。
いしかわ動物園では、クロトキ、シロトキ、ホオアカトキなどの近縁種の飼育、繁殖をしており、その実績が評価されて、東京都の多摩動物公園に続いて国内で2つ目の分散飼育地に選ばれている。分散飼育は、佐渡で飼育されているトキが感染症などで再び絶滅するのを防ぐために行われる。
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クロトキなどが棲むケージはウォークインとなっており、中に入ることができる。水辺があり広々としたケージの正面に、滝まであるのには驚いた。滝の裏側から鳥たちを見ることもできて、工夫を凝らしたつくりとなっている。餌付けタイムになると飼育員さんが数種類のエサを用意して地面に置く。しばらくすると、木の上や茂みの奥にいた鳥たちが出てきて、魚やペレット(鳥用のドッグフードのようなもの)をついばむ。
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トキ里山館オープン
これまで非公開でトキの繁殖を行ってきたいしかわ動物園に、2016年秋、満を持してオープンしたのが、「トキ里山館」である。訪れた時は工事中であったため、残念ながら中に入ることはできなかったが、担当飼育員の竹田さんにお話を聞くことができた。竹田さんはトキの一般公開に向けて準備を進めてこられた方で、月に2回は多摩動物園に行ってトキの情報交換を行うなど、トキの保護に精力的に取り組んでおられる方である。
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トキ里山館オープンの様子
トキ里山館とは?
これまで非公開で飼育・繁殖されてきたトキは、当然ながら人に慣れていない。今回初めて一般公開されるにあたり、希少なトキがストレスなどでダメージを受けないように、トキ舎には様々な工夫がなされている。
① 広い空間でトキが飛翔する姿を観察
トキ舎は六角形の形をしており、最長部は27メートルもある。中に柱を立てず、開放的な作りとなっており、トキが自由に飛べるよう樹木は少なめにしてある。冬場は1.5メートルの積雪がある地域だけに、周りを取り囲む柱は荷重に耐えられるようがっしりとした作りとなっている。
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六角形のトキ舎の中は広々とした空間
② のぞき窓からトキを間近に観察
トキ里山館には4つの観覧ポイントがあり、泥の中のエサをうまく探り当てる様子や、止まり木で休むトキを観察できる。トキを刺激しないように、のぞき窓の一部にはマジックミラーも取り入れられている。
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のぞき窓
③ 棚田風の湿地や樹木で、トキの暮らす風景を再現。
能登半島の白米千枚田は「日本の原風景」と呼ばれ、日本の棚田百選、国指定文化財名勝に指定されている。石川県を代表する棚田の風景を取り入れることで、かつてのトキの暮らしを垣間見ることができる。
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再現された棚田の風景
④ 古民家風の学習コーナー
トキ舎に隣接する学習コーナーでは、トキのクチバシや足などを他の動物と比較したり、トキの羽を触ったりすることができる。学習センターの建物は古民家風となっており、棚田と合わせて里山の原風景を演出している。また、トキの繁殖の様子は、別の場所にある「動物学習センター」でライブ映像が公開されていて、モニターで観察することができる。
最終目標は野生のトキの復活
トキの人工繁殖成功というステップの次は、野生復帰である。2008年、佐渡で10羽が試験放鳥されて以降、毎年十数羽ずつ放鳥されている。放鳥されたトキには個体識別番号が付けられており、羽の一部や脚のカラーリング、金属脚環などで個体を識別できる。GPS発信器が付けられた個体もある。2012年には、放鳥された個体同士による野生下での繁殖も確認された。
佐渡の地元住民の多くはトキの野生復帰に肯定的であるが、課題も残る。高齢化が進む農村では、農作業に必要な除草剤・殺虫剤の使用が制限されることや、水田が荒らされることなどは、地元住民にとって大きな負担だ。トキとの共存は、人間の譲歩なしでは成り立たない。かつて乱獲や開発で絶滅に追い込んでしまったトキを、長い年月をかけて人間の手で再び日本の空へ帰すことができた。この努力と苦労を誰もが共有して、同じ過ちを繰り返さないようにしなければならない。
いしかわ動物園の「トキ里山館」でトキを間近に見てその生態を知ることは、来園者にとって非常に有意義なことだと思う。モニター越しではなく目の前で動くトキの姿は、日本の空に舞うトキを私たちにリアルに想像させてくれるからだ。これから先、人間とトキがどのように折り合いをつけていくか、まだ課題は残るが、今回の一般公開は大きな一歩である。
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(moto)
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