#エアポート2014
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ベタなタイトルで… デカ字幕…デカっ!(笑) #airplanevsvolcano #エアポート2014 #91min #2014
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『エアポート2014』
『エアポート2014』(2014年/アメリカ)
原題:AIRPLANE VS VOLCANO
監督:ジェームズ・コンデリク/ジョン・コンデリク
キャスト:ディーン・ケイン/ロビン・ギブンズ/モーガン・ウェスト/タマラ・グッドウィン/マット・マーサー/ローレンス・ヒルトン=ジェイコブス
ハワイのカウラ島の火山活動を観察をしていた火山学者リサ・ホイットモア博士とジョセフ。しかし、突然火山が噴火しジョセフは犠牲となってしまう。その頃、火山の上空を航路をはずれたジャンボジェットが飛行していたが、火山からの噴石でパイロットが死亡してしまう。小型機の操縦経験のある乗客リックは死亡したパイロットに代わって操縦桿を握るが、装置の故障で自動操縦を解除できず、火山の上空を旋回し始める。リックは乗り合わせた火山学者ランドン、航空保安官ジムらと協力し火山帯からの脱出を試みるが…。
登場人物の描き方が浅いので人間ドラマとしての感動がない。低予算といえども、どこかしら見��がないとなぁ…。
2017年6月28日 VOD(WOWOW)鑑賞
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小林晴夫[blanClassディレクター] 2016.11
本当にはいないけれど、フレームのなかでいきいきする女の子たち 先日、京浜急行井土ヶ谷駅でエアポート急行を待っていたら、電車の到着を知らせるチャイムの音が5分くらい止まないなあと思っていたら、プツンと止まると、隣の駅で人身事故が発生、復旧のめどが立たずとのアナウンスが流れた。ホームにいた人たちは、スマホを片手に待ち人に連絡を取りながら慌ただしく目的地にたど��着く別の方法を探す。私も慌てて、みなと同じ行動をした。
「女の子には内緒」の柳生二千翔に初めて会ったのは、彼が2014年7月5日のblanClassスチューデントナイトvol.10に出演が決まっていて、その打ち合わせ後、お酒を飲みながら、私がblanClassの最寄駅がある京急は、しょっちゅう人身事故があるという話をしたらしい。
その話が、ステューデントナイトで発表した《ささやきの彼方》の元ネタになったのだというのだ。彼は作品が上演される場所を前提に作品にとりかかるのが常だそうで、blanClassの坂の上から臨む、京急と街並みを作品の情景に借景したというわけ。
飲みの席では、自殺に群がる野次馬の話になって、そのアノニマスな群集心理が気持ち悪いという話に転じたらしい。
今回柳生くんと久々にスカイプをしたときに、その話を改めて聞いて、全然覚えていなかったのだが、ちょうど2日前、冒頭に書いた京急の人身事故があって、その偶然に驚いて、本当に京急は人身事故が多いんだなあと再認識した。
《ささやきの彼方》は20分ほどの短い演劇作品だったのだが、その小品の内容も、線路に飛び降りて死んでしまう女性と同時に、間接的に彼女の死に関わっている女性たちの孤独な群像劇になっている。そもそも彼女たち同士の関わりはとてもかすかなもので、自殺という事実だって、それぞれの認識は曖昧なものに過ぎない。彼女たちの同じ瞬間にとっていた行動や選択は相容れないものかもしれないが、実はちょっとした違いに過ぎないのではないかという、作者の問いかけが聞こえてくる。
ところが、当日女優が急病で来られず、女優が居ないまま映像とインスタレーションとナレーションのような声によって再編集されて初演された。女性たちの個々の存在の違いと境界の危うさを描こうとしていたのだろうから、女優の不在は本意ではなかったのだろう。しかしカタカタとブルーのレールを走るおもちゃの電車の音と、窓の外を走る本物の京急のコントラストが、不在感をより強調して、気味の悪い仕上がりになっていた。
blanClassでは、もう一つ2015年11月4日〜8日に《手のひらコロニー》作品を「女の子には内緒」の単独公演をしている。この演劇作品はblanClassの立地や建物の構造も利用しているが、設定された架空の町で展開されるSF色の強��作品だった。
経済的、政治的に対立を深め、吸収して一つに収まるかもしれない青色の町と黄色の町の攻防戦を悲壮感と脱線気味のコメディーとが行ったり来たりしながら進んでいくのだが、青いものと黄色いものとがお互いに侵食し合うような、とても曖昧な情景として、2つの町の境界に住む女性と、彼女の部屋が設えられている。この作品でも《ささやきの彼方》同様、美術を担当している金子恵美が、おもちゃ箱のような装置を提供していて、客席も青と黄に分けられて対面する仕掛けだった。同時に窓も開けれていたし、入り口側に張り出しているベランダとそこからアプローチできる小窓なども利用していたから、現実味のある借景としての装置と戯画化された舞台装置が共存して雰囲気をつくり出している。その天然の「よごし」感とプラスティックな「つくりもの」感は、作品の架空の2つの町とその境界線というフィクショナルな設定に実在感を与えていた。
《ささやきの彼方》でもそうだが、コアな独白は女の子が担っていて、作品の一番重要なキーワードを担っているのかと思いきや、《手のひらコロニー》では男性の俳優も出演していて、とっちらかったままではあるが、現実的な問題提起を彼らが投げ出している���うなのだ。では、女の子が担っているのはなんなのだろう?
それは作家柳生が、モヤモヤとわからないものを想像したときに偶然生まれた想像上の人物たちが、なぜか女の子になって現れる。《ささやきの彼方》で言えば、人身事故の話から彼が想像したのは、顔もわからない誰か。そこに群がる、やっぱり顔のわからない人々。そしてその個別な顔のない個人。そうやって凝縮して生まれた女の子たちが一人歩きしてしていく様だという気がする。それは決して理想の女性像でもないのだろう。
フランク・キャプラの映画でパニックする主人公の横で、タフにものごとを整理してしまう女性たちや、山田洋次の映画で大事なことを言葉にできない男たちのそばで、いつでも正しい行動しかしない女性たち、というと例えが古すぎるかもしれない。彼はサブカルにも精通してそうだから、京都アニメーションの作品などに、もっとエスカレートした形で、不思議に実在感を放っている女の子たちはたくさん登場してくるので、そちらを例にあげても良いかもしれない。柳生作品に出てくる女の子たちは、現実には絶対に存在しないだろうけれど、フレームのなかではじめていきいきと発揮する、そうした女の子たちのあり方に良く似ている。
前述の設定や舞台装置にも現れている相容れないものが対峙されて起こるコントラストの上で、パニックしたり、とっちらかったり、言い訳しながらも、2つの町を行き来して、自分の所在に苦しみつつ、現実と格闘する作者の分身でもある男たちが織りなす状況に、絶対的な「境界」に位置し続ける意思という、妄想でしか伝えられないような像の実体化として女の子が居て、やっと完成する世界。と、これまた少し気味の悪い感触が残る作品だった。
小林晴夫プロフィール|blanClassディレクター。1968年神奈川県生まれ。1992年よりBゼミ(現代美術の学習システム)の運営に参加。2001年所長に就任、2004年の休業までBゼミの運営をする。2009年blanClassを創立、芸術を発信する場として活動をはじめる。以来、毎週土曜日の夜に様々なジャンルのアーティストを招いて行っている「Live ART(ワンナイトショー+公開インタビュー)」のほかに、「月イチセッション」、「週イチセッション」などを企画運営している。編著に『market by market 12 – スカイホーク特集』(1997・マーケット発行)、『Bゼミ「新しい表現の学習」の歴史』(2005・BankART1929発行)がある。2004年から2014年まで東京綜合写真専門学校、2012年から現在までに東京造形大学、女子美術大学、多摩美術大学などで非常勤講師としてアートにまつわるレクチャーやゼミを運営している。
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