#イーヴリン・ウォー
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『回想のブライズヘッド』上下 イーヴリン・ウォー 小野寺健 訳
"Brideshead Revisited" by Evelyn Waugh
1943年に書かれた作品。他の翻訳版やドラマ版での邦題は『ブライズヘッドふたたび』だったりする。イギリスのドラマ、ジェレミー・アイアンズが主人公をしてるバージョンと、ベン・ウィショーがセバスチャン役をしているものの両方を見たことがあったりして、この作品はかねがね読んでみたいと思っていたのだが、ドストエフスキーの悪霊を読んだ後に、全く違ったタイプのものを読みたくなって、とうとう読むことにした。
そしたら著者による序文にこの作品を書いていた当時は「貧困と目前の災難の不安につつまれた、寒々とした時代ーー大豆と、乏しい語彙しかない、まるで語彙を制限した簡易英語 [ベーシックイングリリッシュ] の時代だった。そのために、この小説には食べるものや酒、わずかに前まではあった華やかな生活、凝った美しい言語表現などへに貪婪な欲望が全体に浸透する結果になった(上pp9−10)」とあった。この簡易英語っての、オーウェルの1984をすぐに思い出したのだが、ちと調べてみたら、イギリスの心理学者で言語学者のオグデンという人が提唱したもので、アジアでの英語の初級レベル語彙になってるらしい(ウィキ)。勉強になりました。
戦争前の豊かな時代、階級がガッツリ区別されていて社会に融通性がなかった時代、それでも美しいものが沢山あった時代を懐かしんで書いてたのだろう。上巻は主人公の学生時代で、セバスチャンと出会って贅沢で過剰な生活が描かれている。とても楽しく読んだ。ずっと酔っ払ってる感じ。作中での飲酒は、この美しい昔に陶酔してることを表してるのかも知れない。セバスチャンは飲み続けてアル中になるが、主人公はセバスチャンと出会って1年くらいは放蕩するが、勉強をするために適度な飲酒量にする。セバスチャンは滅びゆく古き良き時代を象徴するキャラクターなんだろうな。主人公(チャールズ・ライダー)がセバスチャンを愛し、その後セバスチャンの姉ジューリアを愛するのだが、チャールズはセバスチャンは forerunner だったとジューリアに言う。二人が恋愛した後ジューリアはチャールズに自分も forerunner だと言う。翻訳では前兆とか先駆とされていたが、これは「原型、前身、祖先」と言う訳語の方がいいんじゃないかと思った。中流階級出身で芸術家の主人公が憧れる美しいものや豊かなものの中で生活する貴族階級の世界。セバスチャンとジューリアの姉弟の世界。主人公が愛したのはこの世界なんだろう。
古き良き時代について
クロ・ド・ベーズの、ブルゴーニュの赤は申し分なかった。それはレックスが知っているよりも古く、よい世界があること、人間が長い情熱の歴史のなかでレックスのとは別の知恵を身につけたことを、教えてくれるように思えた。偶然のことから、今度の戦争が始まった年の秋に、セント・ジェイムズ地区にあるわたしのひいきの酒屋と昼食を共にしたとき、わたしはこの同じワインに出会ったことがあった。すでに年月が経ちすぎてこくがなくなり、味が落ちてはいたが、それでもそのワインは最盛時と同じ、純粋で本物の発音で希望の言葉を語ってくれたのだった。(下 pp57−58)
次に、ジューリアと主人公の愛について。ジューリアが私も前兆に過ぎないんじゃないかと言った後の主人公の言葉。
「あるいは、わたしたちの愛は、すべてただの暗示や象徴でしかないのではないか。わたしたちよりも前にとぼとぼと疲れた足で歩いていった浮浪者たちが、門柱や舗道の医師に書きのこした言葉。あなたもわたしもひとつの類型に過ぎず、時として二人を襲うこの悲し��は、それぞれが相手を通してその向こうにときどきちらと見えてい��、いつも一歩か二歩先に角を曲がってしまうその影を必死に追い求めているのに見つけることができない、その失望に根ざしているのではないか」(下 p301)
ドラマ版のギフを下に。まずジェレミー・アインズの
とってもキュートで繊細なウィショー版セバスチャン
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DEEPLY JAPAN
@DTJTakumi
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カトリック聖職者のウスタシャへの関与
DEEPLY JAPAN
@DTJTakumi
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コラード・ゾーリ(イタリア人)やイーヴリン・ウォー(英国人)の著書で証言されている通り、多くのカトリック聖職者が直接的に、或いは間接的にウスタシャの暴力行為に関与していた事は広く知られている[12]。
DEEPLY JAPAN
@DTJTakumi
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最も悪名高い具体例は免職処分を受けたフランシスコ会のミロスラヴ・フィリポヴィッチ(Miroslav Filipović)であり、ヤセノヴァツ強制収容所を運営していたことから「ヤセノヴァツの悪魔」として知られ、そこで4万9600人から60万人が殺害されたと概算されている
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今日の配本(23/01/19)
今日の配本(23/01/19) #無条件降伏 #誉れの剣 #エクス・リブリス・クラシックス #イーヴリン・ウォー #遠きにありてウルは遅れるだろう #エクス・リブリス #ペ・スア
無条件降伏 誉れの剣Ⅲ イーヴリン・ウォー 著/小山太一 訳 主人公に突きつけられる「戦争の名誉」と「男らしさの神話」への痛烈な批判。作家自身の軍隊経験をもとに、戦争の醜悪かつ滑稽な現実と古き理想の崩壊を時に喜劇的に、また辛辣に描いて、最高の第二次大戦小説と称賛されたイーヴリン・ウォー最後の傑作《誉れの剣》三部作完結篇。本邦初訳。 遠きにありて、ウルは遅れるだろう ペ・スア 著/斎藤真理子…
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土岐恒二(1935〜2014)個人著作集 Ⅰ 詩とオルペウス的総合 ワーズワースのオルペウス的言語宇宙─未完成叙事詩をめぐる序章 詩人の出発 W・B・イェイツの円環思考 ウィリアム・ブレイクの想像力 ブレイクと「複合芸術」 ブレイクの秘教神話 甦るアルビオン─ウィリアム・ブレイク素描 Ⅱ 書字と永遠、詩と刹那の神(モメンタリー・ディアティー) 「精神の旅人」の時間構造 〔翻訳〕ホルヘ・ルイス��ボルヘス 「ウォルト・ホイットマン小論」(一九四七年) 目覚めている夢想─バシュラール『蠟燭の焔』 “Sunday Morning” を読むためのノート 『幻想詩篇』傍題 〔翻訳〕アーサー・シモンズ「ジェラール・ド・ネルヴァル」 現代英詩における「時」と「永遠」─エリオットとハーディ 〔翻訳〕ペドロ・サリナス「現実からの逃避─フライ・ルイス・デ・レオンとサン・ファン・デ・ラ・クルス」(一九四〇) ヒーニーからスウィーニーヘ Ⅲ 索引〈ボルヘス〉(ボーヘイス・インデクスト) 「神の書跡」をめぐる夢想 ─ ボルヘス小論 〔翻訳〕ホルヘ・ルイス・ボルヘス「謎を映す鏡」(一九六〇) 明晰な錯綜 ─ ボルヘスの虚構の構造 Palimpsesto としての文学─ ボルヘスのObras Completas について 想像の図書館から ボルヘスにおける言語とフィク���ョン 日本におけるボルヘスの受容 「詠む」と「読む」 Ⅳ 〈現代〉の地図 ou l’invention de la modernité ウォルター・ペイターの印象批評 〔翻訳〕ウォルター・ペイター「現代性」(一八九六年)─『ガストン・ド・ラトゥール』第三章 『ガストン・ド・ラトゥール』への付記 『ガストン・ド・ラトゥール』の「現代性」 オスカー・ワイルドの文体について 世紀末とサンボリスム─シンポジウム『ロマン主義から象徴主義へ』より 〔翻訳〕W・B・イェイツ「悲劇的な世代」(一九二二年) 『アクセルの城』と詩人イェイツ エドマンド・ウィルスンの批評─ In Honour of Edmund Wilson 〔翻訳〕ハリー・レヴィン「アーネスト・ヘミングウェイの文体に関する考察」(一九五〇) Ⅴ 接続者パウンド 「玄象」と“Genjo” パウンドの詩法 ─ Cathay をめぐって 〔翻訳〕エズラ・パウンド「いかに読むか」(一九二七─三八) エズラ・パウンドのために パウンドの詩法とCathay 〔翻訳〕エズラ・パウンド「ダンテ」(一九一〇─一九二九) パウンドを誘惑するプロヴァンス Ⅵ 伝統と文化のトポグラフィー 「伝統」をめぐる断章 〔翻訳〕E・パノフスキー「われ、また、アルカディアにありき─プッサンと哀歌の伝統」(一九三六年) ウォー『よき旅の時代に』When the Going was Good 〔翻訳〕エドマンド・ウィルソン「イーヴリン・ウォー論」(一九五〇年) コンラッド Joseph Conrad (一八五七─一九二四) 〔翻訳〕W・B・イェイツ「詩と伝統」(一九〇七年) 〔翻訳〕W・H・オーデン「範としてのイェイツ」(一九四八) 寓意と幻視─グレイの猫からブレイクの猫へ 〔翻訳〕クリアンス・ブルックス「歴史と悲劇的要素の意識─『アブサロム、アブサロム!』論」(一九六〇) 〔翻訳〕フランシス・ハスケル「悲しき道化─十九世紀の一神話に関するノート」(一九七二年) 現実の地勢から魂の眺望へ─紀行文学私記 Ⅶ 小説家のラビュリントス、言語錬金術師のアルコーヴ 『ロリータ』へのマルジナリア ルイス・キャロルの言語遊戯・私見 言語遊戯と文学 コルターサル『石蹴り遊び』について 〔翻訳〕フリオ・コルターサル「詩人および短篇作家としてのポー」 言葉の壁・頁の沼─ロートレアモンとコルターサル 〔翻訳〕レナート・ポッジョーリ「イワン・ブーニンの芸術」(一九五七) 『タイピー』論のための短章 マヌエル・ムヒカ=ライネス─ Manuel Mujica Lainez(一九一〇─八四) Ⅷ ふたりの詩人/文学的双数(クープル・リテレール) ジョイスとブレイク 〔翻訳〕ジェイムズ・ジョイス「ウィリアム・ブレイク」(一九二一年) 〔翻訳〕ノースロップ・フライ「ブレイクとジョイス ─二人の「探求」と「循環」を巡って」(一九六三) ジョイスとDavid Jones イェイツとパウンド アッシュベリーの「シリンガ」からカーターの『シリンガ』へ エズラ・パウンドの目に映った詩人ハーディ─世紀末とモダニズム ハーディの詩と小説─ジェラルド・フィンジィの歌曲集『土と大気と雨(Earth and Air and Rain)』にみる ハーディ詩のロマネスク性 パウンドと私 シンポジウム 『ボマルツォ』を旅して(安藤 哲行) 新しさの発見─ナボコフの初期短篇「神々」を読む(若島 正) ジョイスとナボコフ(加藤 光也) ExtraEditorial─ E・A・ポーのメディア詩学(高山 宏) 機械としての名探偵─『四のサイン』とシャーロック・ホームズの非人間性(島 高行) エドマンド・ウィルソンと「ロシア」(岡本 正明) 一九一九年─シュペングラーからイェイツヘ、そして(三宅 昭良) Till / Until の詩学(髙岸 冬詩) 戦争詩人による詩の『形= form』とその意味─ Siegfried Sassoon とWilfred Owen のWWI 戦場経験と詩の形(伊達 直之) 歴史を書く「文人」たち─ヒューム『英国史』を中心に(千葉 康樹) 吉田秀和の批評精神─『ソロモンの歌』をめぐって(富士川 義之) ライフ・ライティングが形成する作者と読者の共同体─M・G・オスル編『ある独り身の女性のノート』と ヴァージニア・ウルフ『自分だけの部屋』(松本 朗) 告白と祈り、あるいはレイモンド・カーヴァーにおける改稿の問題について─「ミスター・コーヒーとミスター修理屋」と「みんなはどこに行った?」、「風呂」と「ささやかだけれど、役にたつこと」を〈あいだ〉から読む(橋本 安央) 「黒い死」の悪夢─『夜はやさし』におけるシェル・ショック、トラウマと歴史認識(和氣 一成) 土岐恒二氏と篠田一士氏(富山 英俊) なぜすべての詩は本質的にコピュラなのか(吉田 朋正) 土岐恒二個人著作集 解説・編集後記
Amazon.co.jp - 照応と総合: 土岐恒二個人著作集+シンポジウム 土岐 恒二 (著) 吉田 朋正(編)
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彼の入営が報じられると、名前から女性と勘違いして部隊の将兵全員が髭を剃り、花束を持って兵舎の入り口まで迎えに飛び出して行ったという逸話がある。
イーヴリン・ウォー - Wikipedia
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『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』川本直
ナボコフの『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』から借りた表題からも分かるように、世に知られた著名人の人生をよ���知る語り手が、本当の姿を暴露するというのが主題だ。それでは、ジュリアン・バトラーというのは誰か。アメリカの文学界で、男性の同性愛について初めて書いたのは、ゴア・ヴィダルの『都市と柱』とされているが、ジュリアン・バトラーの『二つの愛』はそれに続く同性愛文学のはしり、とされている。
一九五〇年代のアメリカでは、同性愛について大っぴらに触れることはタブー視されていた。ジュリアン・バトラーのデビュー作も、二十に及ぶアメリカの出版社に拒否され、結局はナボコフの『ロリータ』を出版した、ある種いかがわしい作品を得意にしていたフランスのオリンピア・プレスから出ることになった。アメリカに逆輸入された作品は、批評家たちにポルノグラフィー扱いされ、囂囂たる非難の的となる。
しかし、続いて発表された『空が錯乱する』は、ローマ史に基づいた歴史もので、相変わらず同性愛を扱っているものの、繊細な叙述と実際の見聞によるイタリアの遺跡の描写を評価する向きもあった。ところが、三作目の『ネオサテュリコン』は、ペトロニウスの『サテュリコ���』を現代のニューヨークに置き換えて、二人の同性愛者のご乱行を露骨に描いたことで、またもや顰蹙を買うことになった。
その第一章を、裏技を使って雑誌「エスクァイア」に載せたのは、ジュリアンの友人のジョンだったが、それがもとで彼は解雇され、友人の薦めでパリ・レヴュ―誌に引き抜かれ、ジュリアンとともに渡仏する。『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』は、そのジョンが、晩年になって過去を回顧して自分とジュリアンの創作と生活について、世間に知られていない秘密を余すことなく書き綴ったものである。
作品によって作風が異なるのも当たり前のことで、実はジュリアン・バトラーというのは、名前こそジュリアンの名になっているが、その内実は、エラリー・クイーンや藤子不二雄と同じ、合作者のペン・ネームだったのだ。二人は、アメリカの上流階級の子弟が進むことで有名なボーディング・スクール(全寮制寄宿学校)、フィリップス・エクセター・アカデミーの同窓生で、寮の部屋をともにしていた仲だ。
演劇祭でジュリアンがサロメ、ジョンが預言者ヨカナーンとして共演したことがきっかけで、交際が始まり、結局ジョンは生涯ジュリアン以外とベッドを共にすることがなかった。デビュー作はジュリアンが書いたものにジョンが手を入れた。ジュリアンは発想や会話は抜群だった��文章力は皆無。一方、内向的な性格のジョンは、部屋にこもって文章を読んだり書いたりするのが好きだった。派手好みのジュリアンは湯水のように金を使う。一緒に暮らし始めた二人は、不本意ながら合作に舵を切る。もっとも、書くのはジョン一人だった。
どこへでも女装で出かけてゆくジュリアンは、華奢だったため、まず男と見破られることはなかったが、アメリカでは変装は罪で、逮捕される危険もあり、二人は渡欧。最後はイタリアのアマルフィ近くのラヴェッロに居を構え、ジョンは日がな執筆を、ジュリアンはカフェで酒を飲んでは興に乗って歌を披露するという暮らしを続ける。トルーマン・カポーティ―やゴア・ヴィダルといった友人がヴィラを訪れては、飲めや歌えの大騒ぎを繰り返す、この時期は二人にとっての酒とバラの日々だった。
十代後半から八十歳代に至るまでの回顧録で、当時のアメリカの作家やアーティストが繰り広げる乱痴気騒ぎを、楽屋話よろしく本編に織り交ぜて語られるので、文学好きにはたまらない。人気者としてちやほやされ皆に愛されるのが大好きなジュリアンは本のことなどそっちのけでひたすら飲んでいるばかり。一方、締め切りに追われるジョンの方は書くことに夢中。相手に対する葛藤もあるが、ヨーロッパ各地を巡っては、料理や酒に舌鼓を打ち、名所旧跡を訪れては、感慨に耽る。この膝栗毛は読んでいて愉しい。
まるで、外国文学の翻訳のような体裁なので、ついうかうかとその気で読んでしまうが、実は根っからのフィクション。ジュリアン・バトラーという作家は存在しない。ジュリアンとジョンの二人は、イーヴリン・ウォーの『ブライヅヘッドふたたび』のチャールスとセヴァスチャンがモデル。二人が楡の木陰で蟠桃を口に含んで白ワインを飲むところに仄めかされている。『ブライヅヘッドふたたび』では、それが栗の花と苺だった。また、ジョンとジュリアンの略歴は作中にも何度も登場するゴア・ヴィダルのそれから採られているようだ。政治家の父を持ち、晩年はラヴェッロでパートナーと暮らすところまで。
しかけはその他にも用意されている。実作者と思わせる日本人がジョンにインタビューしにくるのだが、そのインタビュアーである川本直による「ジュリアン・バトラーを求めて――あとがきに代えて」という文章が末尾に付されていたり、『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』を書いたアンソニー・アンダーソンが、自分で小説を書くのをやめたジョンの変名で、いわば、ひとり芝居だったという詐欺まがいの行為まで含めて、この小説の作品世界は成り立っている。
これが初の小説だというが、実に達者なものだ。引かれ合いながらも全く異なる資質を持つ二人の男が、長い人生を共に暮らす。なにかと窮屈なアメリカを離れ、祖父の資産と小説の印税や、映画化による契約金で、潤沢な生活を送る二人。放蕩生活を楽しむジュリアンが酒に溺れ身を持ち崩してゆくのに比べ、他人との接触を避け、執筆一筋できたジョンが、ジュリアンの死を契機として、人と生きることに目覚めてゆくところなど、翻訳小説風であるからこそ読めるところで、日本の小説だったら嘘臭くなるにちがいない。次はどんな世界を見せてくれるのか楽しみな作家の登場である。
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●イーヴリン・ウォー『ご遺体』(小林章夫訳・光文社古典新訳文庫)が面白かった。葬送業界を舞台にした中編小説である。ハリウッドで働いていたイギリス人の詩人デニス・バーロウはペット専用の葬儀会社〈幸福の谷〉へ転職する。ちょうど年長の同僚であり同居人でもあるサー・フランシスが映画会社から解雇されて自殺したので、界隈で評判の葬儀社〈囁きの園〉へ視察がてら葬儀を依頼し、自分のペット葬の仕事の参考にもしようとする。・・・・・・という導入部はしかしどうでもいい。実際この導入部を丸ごと省略して「デニス・バーロウという若者は涙もろいというよりは、むしろ多感な人間だった。」で始まる章から読み始めたほうが躓きがないのではないかという気がしてならない。実際私は導入部のイギリス人同士の鼻につく異邦の地にあっての保身の会話に乗れなくて(英文学の話はいいのだが)永いあいだ読むのを中断していたのを、久し振りに手に取ってこの章から読み始めたら面白すぎて一晩で読んでしまった。英国風のどぎついユーモアが最高である。
●『ホテル・ニューハンプシャー』のトニー・リチャードソン監督で1965年に映画化されている。クリストファー・イシャーウッド脚本、DVDはリージョンフリーだ。これは見ねばなるまい。日本語字幕はないだろうが原作に忠実ならだいたいわかるだろう。・・・・・・などと考えつつネットをザッピングしていたらこの映画はウォーの原作だけでなく公民権運動家で作家・ジャーナリストのジェシカ・ミットフォードの葬送業界暴露もの(?)The American Way of Death にも依拠しているという記述をみつけた。それからそれへと辿ると、脚本はイシャーウッドにばかり目が行っていたが、共同執筆者のテリー・サザーンという人は『博士の異常な愛情』の脚本家か!
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手が震えるのは、良心ではなく神経のなせる業だ。自分は恥というものをよく知っているが、この手の震えを引き起こしている破滅の感覚は恥とはまったく別であり、いずれは過ぎ去って後に残らないものだ。
イーヴリン・ウォー『つわものども』
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【立教大学文学部書店】小山太一教授トークイベント「腹が減ってはいくさができぬ――イギリス小説におけるユーモア、恋愛、そして経済」
【ジュンク堂 池袋本店】 私はイギリスの小説を研究していますが、もっぱら扱ってきたのは、ジェイン・オースティン、イーヴリン・ウォー、アントニー・ポウエルといったドライな喜劇小説の系統です。 まずは私がイギリス小説に関心を持つきっかけとなったサッカリーの『虚栄の市』から説き起こし、食べてゆくためなら何でもするアンチ・ヒロインの人物像を分析。 そして時代をさかのぼり、オースティンの名作『自負と偏見』は恋愛小説なのか、経済小説なのかという問題を、最近の研究動向も紹介しつつ考えてみようと思います。
【講師紹介】 立教大学文学部文学科英米文学専修 小山 太一 教授 1974年京都生まれ。東京大学で修士 (文学) 取得後、イギリスのケント大学に留学、博士 (文学) 取得。 和洋女子大学、専修大学を経て2017年度より立教大学文学部教授。専門は19世紀から現代のイギリス小説。 著書に The Novels of Anthony Powell: A Critical Study (北星堂)、翻訳はジェイン・オースティン『自負と偏見』(新潮文庫)、イアン・マキューアン『贖罪』(同)、P・G・ウッドハウス『ジーヴズの事件簿』(2冊、文春文庫) など多数。
開催日時:2019年07月24日(水) 19:30~
★入場料は無料です。 ※事前のご予約が必要です。1階サービスコーナーもしくはお電話にてご予約承ります。 ※トークは特には整理券、ご予約のお控え等をお渡ししておりません。 ※ご予約をキャンセルされる場合、ご連絡をお願い致します。(電話:03-5956-6111) 立教大学文学部書店 特設ページはこちらから
■イベントに関するお問い合わせ、ご予約は下記へお願いいたします。 ジュンク堂書店池袋本店 TEL 03-5956-6111 東京都豊島区南池袋2-15-5
イベント情報の詳細はこちら
from honyade.com http://bit.ly/2RoG5v7
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第二次世界大戦時はユーゴスラビアへ赴任しており、彼の入営が報じられると、名前から女性と勘違いして部隊の将兵全員が髭を剃り、花束を持って兵舎の入り口まで迎えに飛び出して行ったという逸話がある。
イーヴリン・ウォー (wiki) Evelyn Waugh
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今日の配本(21/10/28)
今日の配本(21/10/28) #ローベルト・ヴァルザーとの散策 #カール・ゼーリヒ #新本史斉 #トクヴィルと明治思想史 #柳愛林 #FCバイエルンの軌跡 #ディートリヒ・シュルツェ=マルメリング #中村修 #士官たちと紳士たち #誉れの剣 #イーヴリン・ウォー #小山太一 #夜の声 #スティーヴン・ミルハウザー #柴田元幸
ローベルト・ヴァルザーとの散策 カール・ゼーリヒ 著/ルカス・グローア、レト・ゾルク、ペーター・ウッツ 編/新本史斉…
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兵隊には三つの顔があった。不動の姿勢で立っているときの、非人間的でいささか敵意を帯びた仮面。非番や休憩で自分たちだけのとき、あるいは酒保や食堂に行くとき、中隊の宿舎テントで何か言い争っているときの、たいていはふざけているが怒りに満ちていることもしょんぼりしていることもある、生き生きとして変化に富んだ表情。そしてまた、非番や休憩の最中に士官に話しかけられたときの、気は許していないが概して愛想のよい笑顔。当時、イギリスの紳士階級の男たちのほとんどは、階級が下の人間と親しくなる才能が自分には特別に備わっていると思い込んでいた。
イーヴリン・ウォー『つわものども』
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ガイが考えていたのは、軍隊というものが自らの秩序を取り戻す不思議な力を持っているということだった。蟻の巣をかき乱すと、数分間は完全な混乱状態に見える。みんな目的もなく狂ったように動き回っているが、しばらくすると本能が主張しはじめる。蟻たちは正しい持ち場に戻り、正しい役割を再開する。蟻も兵士も同じことだ。[...]妻や家族からやむをえず引き離された男たちは、即座に家族の代替品を作りはじめる。ペンキを塗り、家具を入れ、花壇を作って白塗りの石で囲い、孤独な銃座のクッションカバーに縫い取りをしはじめる。
イーヴリン・ウォー『つわものども 誉れの剣Ⅰ』小山太一訳
https://www.hakusuisha.co.jp/smp/book/b512644.html
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最近の寝床読書
最近の寝床読書 #星月夜 #李琴峰 #魯肉飯のさえずり #温又柔 #百年と一日 #柴崎友香 #つわものども #エクス・リブリス・クラシックス #イーヴリン・ウォー #三体
就寝前の寝床読書、この先もまだ道のりは長いので、キリのよいところまで読んだ『つわものども』はいったんお休み。いまは以下の三冊を併読しています。
���
李琴峰さんの『星月夜』、温又柔さんの『魯肉飯のさえずり』、そして柴崎友香さんの『百年と一日』です。いずれも似たような分量なので、それぞれをちょっとずつ読んでいくと、同じタイミングで読み終わるのではないかと思っていますが、果たしてどうなりますことやら……
話題の『三体』の第二巻も上巻は読み終わっているのですが、下巻は未読。これも枕元で読まれるのを待っています。
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今日の配本(20/07/30)
今日の配本(20/07/30) #ホッキョクグマ #北極の象徴の文化誌 #マイケル・エンゲルハード #山川純子 #〈中国の時代〉の越え方 #一九六〇年の世界革命から二〇二〇の米中衝突へ #矢吹晋 #女の答えはピッチにある #女子サッカーが私に教えてくれたこと #キム・ホンビ #小山内園子 #つわものども #誉れの剣 #エクス・リブリス・クラシックス #イーヴリン・ウl- #小山太一
ホッキョクグマ 北極の象徴の文化史
マイケル・エンゲルハード 著/山川純子 訳
絶滅危惧種として、地球温暖化に警鐘を鳴らす象徴としてこよなく愛される種の数奇な歴史。その真の姿に迫る「ホッキョクグマ大全」!
〈中国の時代〉の越え方 一九六〇年の世界革命から二〇二〇年の米中衝突へ
矢吹晋 著
樺美智子、西部邁、石橋湛山、大内力、東畑精一……六〇年安保から二〇二〇年の米中衝突まで、戦後中国はいかに捉えられたか?
女の答えはピッチにある 女子サッカーが私に教えてくれたこと
キム・ホンビ 著/小山内園子 訳
サッカー初心者の著者が地元の女子チ���ムに入団し、男女の偏見を乗り越え、連帯する大切さを学んで成長していく、抱腹絶倒の体験記。
つわものども 誉れの剣1 エクス・リブリス・クラシックス
イーヴリン・ウォー 著/小山太一 訳
第二次大戦の勃発に名家出身のガイは大義に身を捧げようと軍に志願する…
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