#アンヌ・ヴィアゼムスキ
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映画『テオレマ』
U-Nextでパゾリーニ監督の映画『テオレマ』(1968)を見ました。
パゾリーニは非常に有名な監督ですが、私はほとんど見たことがありません。留学中にパリで『ソドムの市』を見たくらいかな。
『テオレマ』は非常に不思議な映画です。この時代のこの種の映画にはよくあることですが、説明というものをほとんどしません。
映画の冒頭、工場(会社)を従業員たちに譲り渡した資本家の話が出てきます。労働者たちにインタビューしているジャーナリストは「英雄的な行為かもしれないが、むしろ革命を遅らせることになるのではないか」、「これによって君たち労働者はぶるじょわになってしまうのではないか」と言います。
そこから話変わって、ある資本家一家の物語が始まります。
一家の構成は両親と息子と娘ーー娘役はジャン=リュック・ゴダールと結婚していたアンヌ・ヴィアゼムスキーが演じています(声は吹き替えかな?)。私はヴィアゼムスキーの本 Une Année studieuseを原書で読んだことがあるので、妙な感慨がありました。
この家にテレンス・スタンプ演じる男がやってきて一緒に暮らすことになります。
この男はなにものか、なぜ一家と一緒に暮らすことになるのかはわかりません。説明がないのです。
一家はみなーー家政婦も含めてーーこの男の魅力に夢中になり、男と性的な関係を持ちます。
テレンス・スタンプは確かにハンサムですが、それにしてもちょっと極端ではないかと思わないではありません(息子や父親とも関係を持つので男はバイセクシュアルということなんでしょう)。でも、そういう設定なのだから仕方ありません。
ある日、一通の手紙が届き、テレンス・スタンプは家を出て行きます(どんな手紙だったのか、もちろん説明はありません)。
テレンス・スタンプが去ってしまうと、一家の人間はみんなおかしくなります。
一番わかりやすいのは娘かなーー彼女は全身が硬直してしまい入院する羽目になります。
息子は突然、前衛絵画を描き始めます。
母親は車で家を出て男漁りを始めます。
「なせそうなるのか」と聞かないでください。そういう設定なのだから仕方ありません。
傑作なのは家政婦です。彼女はどこから村の家々に囲まれた広場のようなところへ行き、そこのベンチ(なのか?)に座り込み何日もそのまま動きません。
やがて村人たちが彼女を取り囲み、彼女は信仰の対象となります。彼女は村人が提供する食事を拒み、道端に生えている��を食べ、顔にあばたのある少年のあばたをなくします。
さらに彼女は空中浮揚するようになり、最終的には村の老婆を伴って工事現場のようなところへ行き、穴を掘って老婆に自分を埋めさせます。
ここ……笑うとこですよね。まあ、私は笑いましたけど。
一方、父親は……車で工場(会社)へ向かう途中、「すべてを労働者に渡してしまったらどうだろう」と言います。
なるほど、ここで冒頭のシーンと繋がるわけですね……と思っていたらそうはならず、父親は大きな駅で突然、服を脱いで全裸になります。
彼はそのまま歩いて砂丘(なのか?)のようなところへ行き大声で叫んで Fine。
テレンス・スタンプは、エミール・ゾラの小説『ナナ』のヒロインのように、資本家一家を内側から崩壊させて結果的に革命の到来を早める「革命の天使」だというわけなんでしょうか。実際そういう時代(1968年の映画です)の映画ですし。
嫌いじゃないよ。決して嫌いな映画ではありません。
でもかえすがえすも不思議な映画です。
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