#みんなのアマビエ
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【かいわいの時】慶応二年(1866)六月九日:大坂城に怪獣現る!(奈良文化財研究所)
江戸時代には、瓦版と呼ばれたニュースを載せた印刷物が巷に出回っていました。この瓦版、現在の新聞などとは違い、噂や怪異などの出来事についても盛んに取り上げられていました。例えば、昨今の疫病流行によって注目を浴びているアマビエも、もとは瓦版の一種に掲載されていたものです。2020年度に奈文研へ寄贈していただいた資料の中にも、こうした噂を取り上げた瓦版があります。それは、慶応二年(1866年)六月九日に大坂城の南の堀で怪獣が発見されたという噂を載せた摺物です(図略)。この怪獣に関する資料は数多くあることから、怪獣発見の噂は当時かなり有名であったことがうかがえます。
奈文研の所蔵となったこの怪獣に関する資料は、怪獣の姿のイラストを中心に、上部に怪獣の発見日時、怪獣の全長や各部の寸法、体の色を掲載し、末尾にこの怪獣が「せけんのひよばん」(世間の評判)になっていることを記したものになります。怪獣の寸法は、「身のたけ七尺余」と記してあるように、体長は2メートル以上、重さは25貫目とあることから100キロ近くあったことになります。
この怪獣の正体について他の資料を見てみると、大坂町人平野屋武兵衛の日記*では、怪獣が発見される約二十年前にサンショウウオが大坂城の堀に放流されたことがあったことを記し、発見されたのはサンショウウオではないかと推測しています。実際に、昭和十二年(1937年)に大阪城の堀の中から巨大なオオサンショウウオが発見されたという出来事があったことからも、あながちこの推測は間違いではないのかもしれません。ただし、現存している資料に描かれた怪獣のイラストや寸法を見る限り、誇張されているとはいえ、サンショウウオとはいえないものがほとんどです。おそらく噂として聞いた怪獣の寸法や特徴をもとに、各々が想像して描いたため、このようなずれが生じているのではないでしょうか? *(写真)
また、この怪獣は、当時第二次長州征伐のため大坂城に在城していた江戸幕府十四代将軍の徳川家茂にも上覧されたようです。高木在中という京都町人の日記には、得体の知れない怪獣が死体となって大坂城の堀から発見されたのは大変不吉であると噂されていると記されています。怪獣が発見されたのは第二次長州征伐の戦端が開かれた直後であり、そうしたタイミングで将軍のお膝元から発見された怪獣の死体に不吉な予感を感じていた人もいたようです。怪獣発見の噂が盛り上がりをみせたのは、怪獣の死体と江戸幕府の行く末を重ね合わせたからかもしれません。それにしてもこの怪獣の正体はいったい何だったのでしょうか?サンショウウオか、もしくは・・・(文化遺産部アソシエイトフェロー 橘悠太)。なぶんけんブログ「慶応二年(1866年)、大坂城に怪獣現る!」より。
(写真)▼「慶応二丙寅年日記」1866(大阪大学文学部国史研究室蔵)
六月九日、朝五ツ時、御城之堀より左之通之姿之もの死躰浮上り候、昨日夕大雨八ツ比より七ツ時過まて雷鳴有之、御堀江落しと噂有之、因二云、二十ヶ年斗以前小橋八丁目寺町之東側之寺ニサンシヤウ魚ヲ御堀へにがせし事有之候、夫ならん欤、此姿ハ見し人有之よし、一説にハ武家方之内壱人弱死を、魚にとりなセしとも、長サ七尺斗 目方弐拾六貫目(平野屋武兵衛=画も)。脇田修・中川すがね編『幕末維新大阪町人記録』(清文堂史料叢書 第70刊)1994より複写。ママ=溺死
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「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ) 五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒��袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記���を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた) 猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。 この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その���由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。 轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近く��住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したとい���言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下) 家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板に��くられて神田川に流された話、また ���村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね) 長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立��川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲��佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
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白沢が見たかった😝
照古鑒今(しょうこかんこん)
曹洞宗開祖・道元禅師の著した『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』に書かれた言葉で、いにしえを照らし、今を観るという意味です。
温故知新的な📖
☁️👹白沢と象神🐘
ちょっと実在してたら不気味なハクタク様🙏
今で言うアマビエみたいな存在✨
魔除けとして枕元に置いたりされてたらしい
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営業中。毎日飲みたい美味しい紅茶、吉祥寺サトーズティー作のアマビエの下げ飾り。フレッシュというより「干物」
昨年来、気に留める方には「差し上げますよ」と声を掛けるも、誰ももらってくれなかったカワイ子ちゃんなんですが、どなたかお迎えくださるかたいらっしゃったら、お声掛けください。
アマビエも、いつか忘れられて、令和の遺物とか何とか、後の世代にリバイバルで流行ったりする日もあるのでしょうか(笑
#アマビエ #インテリア雑貨 #和雑貨 #江古田 #新桜台 #西武池袋線 #練馬区 #贈り物 #プレゼント #ギフト
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たいやきわらしべ 大垣店
大垣市にある【たいやきわらしべ】さんにお邪魔してきました。木曜日に大垣にお邪魔することが多いのでなかなか来れないなーって思ってこの日は土曜日♡たらふく美味しいもの食べたあとなのにwww
このお店はオーダーしてから作ってくれるのでいつでもアツアツでお渡し。すぐ食べるものは小袋に。持ち帰るのは大きな紙袋にまとめてくださいます。親切。あと自販機駐車場内にあるのでこれもアツアツ食べながら飲み物飲みたい私みたいなやつにはうってつけwww
そしてのペイペイ支払い可能ってすごない??最近多いけど手数料の観点から廃止してるお店続出なのに。この日は本当にありがたかったwwwしらんがなお財布事情。ありがとう。
つぶあん190円 ぷりん190円 あんなし140円 ちょこ200円 焼き芋あん200円(期間限定)ベーコンカマンベール230円(平日限定) わのたいやきタル玉ベーコン320円 わのたいやきクリチーつぶあん250円
わのたいやきクリームチーズつぶあん
こちらは「わのたいやき」と呼ばれるかわいい形のたい焼きです。わのたいやきは小牧のお店でも何年も前から見たことありましたがここのもみればみるほどアマビエさまに見えてきて微笑ましいです。お味は二種類あってタルタルチキンは売り切れており残念ながら今回は買えなかったので、次回は食べれるといいなって思っています。クリチすきなのでチーズの塩味とあんこの甘さがいいです。
定番たいやきプリン
定番でプリンのたい焼きあるとかいい!!絶対に美味しいやん。ってことでプリン購入しました。ここのたい焼きは皮も美味しいから…ってみてたら具なしのたい焼きうってるやん!!購入しました。あーどれたべても美味しいやんか!!やばいですね。
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ユタリビャク☀神話風イラストレーターさんはTwitterを使っています: 「#アマビエ と世界の疫病除け&治癒神たち~Healing gods & creatures~ 健康・医療神はめちゃくちゃ多いので今回は主に瘟疫避け、病気平癒が得意そうな方々を選んでみました。チョイスは独断と偏見と見た目と趣味です。 ※説明はおまけとして見てください。※個人的解釈含。 https://t.co/oyQCq9VF3z」 / Twitter
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【みんなでアマビエ展】 140年の時を経て現代によみがえった妖怪アマビエ。 扶桑社刊行『みんなのアマビエ』に掲載されたイラストや彫刻など、参加作家による作品約90点を展示いたします。 ■10/3(土)〜10/20(火) ■梅田ロフト 4階 イベントスペース
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Forest of Rousseau ルソーの森のアマビエ おなじ空の下 おなじように笑い おなじように泣いて おなじように無事を祈っている 今も戦っている人達へ リクエスト頂き アマビエ2作目描かせて頂きました http://tearmonster.jp/ #movingforest #アマビエ #みんなのアマビエ #rousseau #ルソー #stayinghome #家にいよう #ClapForOurCarers #ClapForCarers #clapfornhsworkers #医療従事者 #医療従事者に感謝 #illustration #art #artinspires #artislife #contemporaryart https://www.instagram.com/p/CS35DzWFB_2/?utm_medium=tumblr
#movingforest#アマビエ#みんなのアマビエ#rousseau#ルソー#stayinghome#家にいよう#clapforourcarers#clapforcarers#clapfornhsworkers#医療従事者#医療従事者に感謝#illustration#art#artinspires#artislife#contemporaryart
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♪アマビエの声が聴けます♪ 奇祭ハンターMacさんに「全国のアマビエチャレンジ7選と、アマビエの声を聞いてみた件」という記事にてプロの声優 #佐倉翔太 さん、#立花さくら さんによるアマビエの声が聞けます! https://omatsurijapan.com/blog/amabie02/ 記事の中で「アマビエまつり」も取り上げていただきました♡ https://www.instagram.com/amabie.matsuri/ Macさんありがとうございます!!. 「アマビエまつり」開催! ~エア・アマビエまつり概要~ 江戸時代、熊本の海に現れ「疫病が流行ったら私の写し絵を早々に人々に見せよ」と言って海中に姿を消した妖怪、というより神に近いアマビエ。 資料の少ないアマビエで新しく神事や祭を行い、日本を盛り上げようという企画です。 おうちから「得意分野で疫病退散」! . ①エア絵画奉納・リアル・アマビエ写真 自宅でアマビエ コスプレしませんか?!宅コスして「おうちじかん」を楽しみましょう! ネイル、人形、お菓子などのアマビエ写真も同時募集! 1.インスタグラム「アマビエまつり」をフォロー @amabie.matsuri https://www.instagram.com/amabie.matsuri/ 2.「#アマビエまつり」で投稿 . ②京都市を中心に「アマビエまつり」開催可能なお寺・神社募集!~お寺・神社でのアマビエによる絵の奉納とご祈祷~ . 嶋原太夫の葵太夫をはじめ、日本舞踊の講師など、美しいアマビエがお伺いいたします。 ※最少人数で関係者のみでのご祈祷の撮影です . 受け入れが難しい施設につきましては、ご祈祷の様子を携帯動画をご提供いただければ、「アマビエまつり」のインスタでご紹介させていただきます! . ④疫病退散の御祈祷のお寺や神社、お祭りの情報を募集! . 1)お寺、神社 ・疫病退散のお祭り情報、写真、動画 ・疫病退散のご祈祷の様子の写真や動画 ・アマビエの絵やアマビエ御朱印を書いてる写真、動画 . 2)神楽、雅楽、奉納舞、獅子舞など ・疫病退散のご利益がある舞などの情報、写真、動画 ・舞の練習風景やアマビエにコスプレした写真、動画 ・アマビエの絵を書いてる写真、動画 . 3)アマビエの仲間 アマビエと同様のアマビ��、神社姫、ヨゲンノトリ、件(くだん)、クダべ、神虫、なども幅広く募集しております! . 一緒におうちじかんをたのしみましょう! . オマツリジャパン公式フォトライターの佐々木美佳により、ご祈祷の様子を記事にて公開いたします! https://omatsurijapan.com/user/u/546/article 企画書はこちらです。 https://docs.google.com/document/d/1xggYJFrpTFyrfmWmLk-bZVXqdDR_jAG0k1NdQs_gVws/edit?usp=sharing . Amabie is Japanese legendary mermaid. Amabie is a japanese monster reputed to have the power of driving away the god of plague. Amabie is a mermaid-like Japanese yokai that anti infectious disease. . 「アマビエまつり」 https://note.com/amabie_matsuri https://www.facebook.com/amabie.matsuri/ https://www.instagram.com/amabie.matsuri/ https://twitter.com/amabie_matsuri . #アマビエまんじゅう #アマビエねぷた #アマビエAR #アマビエビール #みんなのアマビエ #temple #アマビエ御朱印 #御朱印 #疫病退散バトン #アマビエ #アマビエまつり #アマビエ祭 #アマビエチャレンジ #妖怪 #人魚 #神 #amabie #amabiechallenge #mermaid #monster #god #疫病退散 #厄除け #stayhome #stopcovid19 #オマツリジャパン https://www.instagram.com/p/B_pPdqUAS6t/?igshid=1m5kfqmvi0s7e
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編みアマビエ 2020 <特別オーダー編み制作・へんなあみもの・編み物>
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アマビエさんが実は2人? #ビューティープロコンテスト @beautypro_contest #ビューティープロ #みんなのおうち時間 #すていほーむ #ステイホーム #アマビエ #tomo #amechanmama #徒然猫屋 #ポンポン帽子 #坂口マリー #いぬすたねこすたグランプリ @inunekome #catstagram_japan #rakutenpet #アンチノールおうち時間 @vetzpetzjapan #アンチノール #ねこくら #我が家のキャティーマン https://www.instagram.com/p/CAP8A-6pKVH/?igshid=1sk488aaabj2a
#ビューティープロコンテスト#ビューティープロ#みんなのおうち時間#すていほーむ#ステイホーム#アマビエ#tomo#amechanmama#徒然猫屋#ポンポン帽子#坂口マリー#いぬすたねこすたグランプリ#catstagram_japan#rakutenpet#アンチノールおうち時間#アンチノール#ねこくら#我が家のキャティーマン
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#ゆうかりちゃんねる さんのアマビエ様を編んでみました!…が、綿が全然なくって鱗部分の段数をおもいっきり減らす羽目に🤣 ずんぐりむっくり!でもこれはこれで可愛い!😍 早くコロナいなくなれ~👹 #ゆうかりちゃんねる作品 #アマビエ様 #疫病退散 #かぎ針編み #編み物 #暇すぎて編み物しかやることない #ゴールデンウィークとはなんなのか #はよ実家に帰りたい https://www.instagram.com/p/B_y_yJAp1d0/?igshid=120aky3ilhluh
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ひとりオペラ『ナイチンゲール』無事に終演いたしました。
観にきてくださった方、応援してくださった方、本当にありがとうございました!
大好きな歌と工作に頭を支配され、本当に幸せで充実した日々でした。
まずは、1番はじめに思いついたイーゼル。
ナイチンゲールは、絶対にイーゼルの上で歌うんだと最初に決めたので、頑張って作りました。
人が乗ってもびくともしない強度を得るために、北野先輩に知��をたくさんもらいながら作りました。
イーゼル真ん中の縦の木と、横の木が十字に重なるところでは、ビスを使わずに、木に溝を作ってそれ同士を組み合わせる「継木」にも挑戦。かなりうまくいきました。
大工である父に写真をみせたら、「すごいねー」と言ってくれてうれしかったです。自信作。
3つの椅子(?)。
汚れた木のハリークラークの工房から、平面的な白色の、ハリーの描く絵となり、
組み合わせをいろいろ変えて、皇帝の玉座や宮殿の階段、ハリーの父のお墓、そして皇帝のベッド、色んな物に見せられたら良いなと思って作りました。
大翼さんと一緒に作りました。
木の色と、白色を私が塗った後、『汚し』を、全信頼を寄せる大翼さんにお願いしてしまいました。
・美術室の古い椅子と机の感じ
・ハリーの工房の生活感が出るように
こんな感じのことをお願いした気がします。
本当に汚しは、奥が深いです。深すぎて私にできる気がしないのでお願いしてしまったのかもしれません。
ハリーがどんな風にイーゼルに手をかけたか。どんな色を厚く塗ろうとしたか。絵の具をこぼした時、拭き取ったところと、気付かず固まったところ。
汚れのひとつひとつに、ハリーの生活と物語が詰まっていました。汚れとは愛です。
劇中にでてくる「つくりもののナイチンゲール」
実際にハリーの描いたナイチンゲールの挿絵の模写です。模写というほど厳密じゃないです。
深夜の稽古場Bスタジオで、藤井風を聴きながら描きました。アクリル絵の具を買いに行く時間がもったいなくて、水彩絵の具で描いたので、水をかけられると死にます。
いろんな方に、「あれはアマビエだったの?」と聞かれたんですが、そう言われるまで気付きませんでした。確かに似てる。
ステンドグラス。
これも実際にハリークラークの作ったものの模写です。
アイルランド、ダブリンの聖ジョセフ協会にある窓の『受胎告知』の上半分の部分です。
ハリーのステンドグラスはとんでもなく絵が細かいので、ギリギリ模写できそうな図柄の部分を選んだところ、鳥が印象的に描かれている部分だったことに出来上がってから気付きました。
アクリル版に、UVレジンをポンポン塗って凹凸をつけました。
厚めのコンパネを切り抜き、枠を作りました。
油性ペンで、絵を描きました。
木工ボンドと、黒のアクリル絵の具を2:1ぐらい(だったかな?)で混ぜたものを搾り出して塗り、黒い線をプクッとさせました。
力作です。
そしてうるおさんの芸術がたくさん詰まった照明に染められて、とっても綺麗な世界が出来上がりました。
楽しかったです。
ありがとうございました!!!
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アマビエが注目されていますが、福島県会津には「赤べこ」がいます。赤べこの由来に「平安時代に蔓延した疫病を払った赤い牛の伝説」があり無病息災の縁起物として愛されています。新型コロナウイルスの終息を願って護符を作りました。ご自由にDLください。みなさんの不安が少しでも和らぎますように。
土津神社さん公式です。年賀状にと頂いたのですが、うまくデザインを活かせなかったのでポストw 第三波を迎えている折、厄除けに。
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#おでかけ #ロック・ガーデンひちそう
同僚と山の中のカフェを目指して、国道41号を北上ドライブ中です。
途中七宗の道の駅があったので、休憩がてら寄ることにしたのですが……なんとこの日は定休日だったようで、売店も何もかも閉まっているではありませんか。
道の駅って定休日あるんだ……と驚いている同僚(街中の住民)。あー……山間部の小さいところだと定休日もあるし、閉まるのも早いんだよねぇ、と私(田舎の住民)。とは言っても、目的地のカフェの定休日は調べても、道中の道の駅の定休日までは調べてこなかったからなぁ。
ドライブがてらその土地のお土産物を見て歩くのが好きなので、定休日にぶち当たってしまったのは残念です……。
仕方がないので、展望台から飛騨川を眺めるだけの休憩になりました。
ちなみに何故道の駅の名前が「ロックガーデン」なのかというと、道の駅の隣に「日本最古の石博物館」があるのです。今から50数年前に、この七宗町内の飛騨川の川岸で20億年前の岩が見つかったことがきっかけなんだそうです。
で、その岩が長年日本最古の岩だったのですが、2019年に島根県の津和野町で25億年前の岩が見つかり、七宗の岩は日本最古の岩ではなくなってしまいました。
危うくその岩が展示されている「日本最古の石博物館」も「日本で何番目かに古い石博物館」にでもなってしまうところでしたが、その後津和野町から日本最古の石が寄贈されて、ちゃんと日本最古の石が展示されている博物館に戻ったとのことです。
道の駅の前にいたアマビエ。妙な存在感を放っています。
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丹波 高山寺さんはTwitterを使っています 「本山の後輩から、大覚寺の安井堂(旧蓮華光院門跡御影堂)にある天井絵を見た観光客から、「アマビエみたいなものが描かれている」と言われたと電話がありました 添付画像を見たところ、確かに見ようによってはアマビエのようですが、おそらくは何か宝物の図と思われます https://t.co/oxxnZFjuMu」 / Twitter
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