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簡単に
あらゆるSNSをやっているけれど、ここでしか吐き出せないようなこともただあるなと。3年以上一緒にいてようやく、何年も先に死なれたとしてもずっとこの人と一緒にいたい、と本心で思うことができた。特に何かあった訳ではないけれど。言葉にすると簡単なようだけれど、''生死''に執着している方だと感じる私にとっては簡単な思いじゃない。まあ、150歳まで生きてもらうんだけどね、もしくはゾンビになってそばにいてもらうけどね、地縛霊になって私の周りに留まってもらうけどね。前文の言葉もそうだけれど、簡単な言葉なんてこの世界に1つもないのだ。
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貪欲に
好きな人をずっと好きでいられている。2年半、ようやくちょっとずつ、相手のことがわかってきた。前より今の方がずっと好きだし、ずっと仲が良いように思う。
好きだという直感に勝る感情はない。気に食わないこともたくさんあるけれど、それら全部をひっくるめて彼であって、その全てが愛おしいと思えるようになった。あなたの良いところも悪いところも、わたしだけが知っていればいいし、あなたのことを理解できているのは世界にわたしだけでいい。
なんやかんやで、2人で住む家が決まって、とんとんとんと気づけばもう一年が経つ。おかえりと言ってくれる人が東京にいることが、自分の家にいることがこの上なく嬉しくて。それだけで日々のあれこれを頑張れちゃうくらいには、自分は単純でホッとする。できること、できないことを補い合ってゆっくり、居心地良く在れたら良い。
そんな幸せを感じる毎日の中ですら、私なんかで良いのかと涙が出たり、少しでも早く会いたい気持ちを胸に走る家路がある。色んな人に出会って、色んな思い出や経験を経て、今の私がいるし、無論彼もそうなのだけど。心が狭い私は、私よりもたくさん生きている彼の過去に思いを巡らせて一人で泣いて、彼に忘れられない人がいませんように、と頭を抱える日がある。こんな平日の夜たちがあることを彼は知らない。
男の人はこの人を幸せにしたいと思って結婚するのだろうか。女の人はその逆で、この人と幸せになりたい、と思って結婚を決めるのだろうか。私は「この人と幸せになりたい」よりも、「この人を幸せにしてあげたい」と、いつも思う。わたしの腕の中で、ぬくぬくと幸せになってほしい。息をするみたいに、これからもずっと隣にいてくれたら、と思う。まあこのご時世、男とか女とか良くないのかもしれないけれど。
私の好きな人は、私の鼻歌を聞くためにお風呂の扉を少し開ける。好きな人の首筋からは、はちみつの匂いがする。とっても寒い日に、「外が寒いから少しだけお酒飲んでいこう」と言って定食屋さんで瓶ビールを頼む。嬉しくても悲しくてもすぐに泣いてしまう私をいつも抱きしめてくれて、情緒の波が激しい私を呆れもせず宥めてくれる。毎週末、広い胸に顔を埋めて大好きな匂いでいっぱいになると、日々の嫌なことなんて一瞬で全て忘れてしまう。わがままを言える相手がすぐ側にいる贅沢な日々は怖いけれど、もうしばらくはこのままでいい。
と、恋人ができてつまらない文章しか書けなくなったなと、山手線に揺られながら思った。昔好きだったバンドのライブに久しぶりに行ったら全然良くなかったり、職場の新しい人とどう頑張っても性格が合わなかったり、この世で1番仲が良いと思ってた友達にいきなりブロックされたり、身近な人が亡くなったり、結構散々な2022年度だった。年が明けて3ヶ月も経っているので、年度で振り返ってみることにしている。良いこともあれば、言わないだけで悪いことや面白くないことも星の数ほど起こっている。みんなきっとそんな感じだろう。
だけれど、メンバーが変わったって挫・人間はすこぶる良いし、みちるさんの書く歌詞に泣ける自分のままだし、大好きな友達が結婚するし、今年は初めて沖縄にも行くし、久ーーーーしぶりに向井康二にも会えそう!今年は去年よりもたくさん遊んで、たくさんライブに行って、たくさん本を読んで、家で映画を見ても寝ないようにする!嫌なことでくよくよするより、自分が悲しくなりそうな予感がすることには目を瞑って、目の前にある幸せには、常に貪欲な自分でいたい。
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好きなひとの話
私は火星の地表が青いのが好きだ。灰色と白と青と、ぐにゃりと混ざったなんとも言えない色。地球が暑すぎるから、次は火星の近くに住みたい、なんて歌詞も、青い地表を見れば涼しさが容易に想像できた。でも本当の火星の地表は茶色らしい。写真でクレーターなどを見やすくするために���画像を青くしていただけだったことを知り、最近はショックを���けた。無知は怖い、が無知のままでも良いこともある気がする。
つまらないゾンビ映画も、休日のお昼寝も、余り物で作った鍋も、あなたがいるから全て価値のあるものになる。悲しみは半分に、幸せは2倍に、なんてよく言うけれど、あながち間違ってない。前と印象が変わったのは、私に少しずつ心を許してくれているからで、とっても嬉しいこと、というのに最近気づけてから心が健やかになった。あばたもえくぼとは少し違うけれど、好きな人のことを考える時くらいは常にポジティブでいたいものだ。私が作ったご飯を食べて、「ずーっと前から食べてきたご飯みたいに、びっくりするくらい体にフィットしてるよ」と言ってくれたことがとても嬉しかった。嫌いなかぼちゃの煮付だって、食べたいと言われたら何だって作るのよ。帰り際に寂しくてすぐに、ぐずぐず泣いてしまう私を、またすぐ来るからね。と宥めてくれたり、食べるのが下手な私の口を躊躇なく拭ってくれたり、人混みで具合悪くなっている私を察して手を握ってくれたり、寂しいと伝えると「今はその寂しさを楽しんでください」って言ってくれたり。そういう些細な優しさ1つ1つを、しっかりと溢さずに掬っていきたい。ごめんねを言うのが苦手な人なので、ごめんねの代わりの愛情表現にしっかりと気づける心の余裕を、常に持ち合わせていたい。大人にならなきゃと、会う度に思う。
「俺は年上だからさ、他の男を知りたくなるまでっていう覚悟は常にしているよ、だから実来が一緒にいたいだけ一緒にいてあげるよ」と真剣な顔で言われて、こんなに切ない気持ちがあるのかと、えんえんと声をあげて泣いてしまった。そんなこと思わなくて良いよ、なんて容易く言ってしまうのも何か違くて、ぎゅうぎゅうのシングルベッドで手を繋いで眠った。
好きな人は、「人混みで気持ち悪くなったり、疲れた時は、近くを歩いている、おじいちゃんおばあちゃんを見ながら歩けば良いんだよ。お年寄りにだけは常にゆっくり時間が流れてるから、ホッとするよ。」と、横浜駅でぐったりしている私に教えてくれた。足取りの早い人混みの中を、おじいちゃんを見ながら2人でゆっくり歩いた。急がず、焦らず、気張らず。いつまでも2人、変わらない足取りで歩いていたい。
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すべてのことが起こりますように
上司が言った、「2024年まではコロナ収束しないらしいよ」なんて些細な推測の言葉を、いちいち眠る前に思い出してしまう。読みたいと思って買った本に中々手がつけられず、気づけば部屋の隅で小さな山になっている。インターネットに綴られた他人の日常を覗いて、満員電車の朝でも優しい気持ちになる。ごめんねと、ありがとうを素直に言える人が好きだと気づいた。気持ちの整理がつかないまま2週間が経ち、肝心なことを文にできないでいる。秋。せっかく教えてもらった金木犀の匂いも、とうに感じなくなってしまった。東京の秋はタートルネックだと少し汗ばむのか、と私は去年の秋が思い出せない。きっと札幌の秋の気温が、肌に馴染んだままだから。生まれ育った街の気温も、匂いも、雑踏も、全て馴染んだままの身体でずっといたい、私は死ぬまで札幌のひとだ。
銀杏BOYZの新しいアルバムを聴いた。良い、それ以上の感情を抱くことができなかった。歳を重ねるということは、難しい。夏目さんの言葉を借りれば、「生きてくことは、新しいものを取り入れ、古いものを代謝していくこと。」私は代謝が苦手で、好きなものがどんどんと増えてしまう。その一方で、気付かぬうちに手放してしまったものも多い。そのことにふと気づいた時、歳を重ねたことを実感して、少しだけ悲しくなって寂しくなる。じんわりと色んなことが溢れ出して、懐かしくなる。好きだった頃の気持ちは、その時のパワーは、計り知れない、宝物だ、絶対に忘れてはいけない。そんな気持ちも全部まるっと含めて、このアルバムが好き!と言えるくらい、わたしは銀杏BOYZが、大好き。やっぱり峯田は最高。峯田が歌っている世界に生まれて私は幸せだ。ずっとずっと、優しい歌を歌い続けてほしい。
他の誰かになんて一生なれやしないのだけれど、あの人だったら、と思うことが多々ある。数年前よりもだいぶ生きやすくなって、好きだと言ってくれる人もいて、目にする回数も減って、色んな距離がどんどんと遠くなって、日常からふっと消えてしまう時もあるくらいで。だけれどふとした時に、弱い私はいつまでも、体に増えていくタトゥーを数えながら、あの人が見ている世界に想いを馳せている。どうか、心も体も健やかで、色んな人の愛に包まれて暮らしていますように。幸せで在りますように。
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佇む昨日に
好きな音楽の話だとか、最近見た映画の話とか、そういう話も良いけれど、手の甲を蚊に刺された話とか、気持ちが良かった夜の気温の話とかを、好きな人と私はしたい。
借りたDVDが入っていた紙袋から、甘くないタバコの匂いがして、不覚にもドキドキしてしまった。低くない穏やかで心地の良い声が聴きたくなった。こんな痛い女なので、来世は尾崎世界観か椎木知仁のゴーストライターになろうと思う。
自粛が緩和されて、久しぶりに大好きな友達と大好きな中華屋さんに行った。涙が出そうになるくらい美味しかった搾菜炒飯。好きな古着屋さんでTシャツを買った。晴れの日に冬の布団を洗った。ENGEIグランドスラムの総集編で、ピースの大好きなコントを久しぶりに見た。天気が良い日のカレーを2ヶ月ぶりにした。大事な友達の就職が決まった。会いたいなあって思ってる人に、会いたいよって言われた。平凡だけれど幸せな毎日がいつまでも続いてくれ、と心の底から思った。最近の私の話。
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最近
当たり前の毎日を送れないことが、当たり前になってきている。わたしの頭上を様々な情報が飛び交っていく。わたしの隣をたくさんの人が行き交う。その顔にはマスク、マスク、マスク。マスク不足だなんて嘘のようだ。案外なんとかなってんじゃん、マスクあるじゃん。不必要に不安を煽るメディアが嫌いで、それに惑わされる自分が嫌いだ。こんな時に、情報の取捨選択ができる大人になろうと思ってみたりもして。朝からスーパーやドラッグストアに並ぶ老人、外出自粛を横目に居酒屋に行く若者、電車で咳をする人を睨みつけるサラリーマン、どれもこれも本当に気持ち悪い。知ってる人や、知り合いの友達が感染した、などという話を目にすることも増え、自分にも着実に迫ってきてい��ことなんだと、背筋がしゃんとする。
3月から4月にかけて、楽しみにしていた予定が全てなくなってしまった。中止、延期、経営難、閉店。見たくない文字を目にして落ち込む毎日。学生の頃によく通っていたライブハウスも、4月末に閉店する。たくさんのライブを思い出した。最後に行ったのがいつだったか、考えてみたけれど思い出せなかった。こんなくだらないものに、自分の大切なものが次々と壊されていく。休みの日は、暗いニュースと一緒に、家に閉じ込められ、息が詰まる。switchも出荷停止��暇だと伝えて送ってもらったDSも電源が付かず、絶望の淵に立たされる。心の方が先に病気になりそうだ。今年の誕生日なんて、くだらないニュースと一緒に流れて、忘れ去られてしまうんだろうな。悲しい。普通の毎日が恋しい。
先の見えないこの状況に漠然とした不安が募り、毎日ぼんやりと悲しく、こんな時こそ人に会いたいものだけどそういうわけにもいかずに、冷蔵庫の中の余った野菜を適当に炒めて、ビールと一緒に流し込み、録画したバラエティを見て眠る。テレビの向こうのお笑い芸人たちだけが私の味方で、画面の向こうで、大丈夫ですよ、と歌う小山田壮平だけが唯一の救いだ。東京はもうすっかり春で、桜の木にも青々とした葉がつき始めている。ぽかぽかのお昼には美味しいカレーを食べに行きたくなるし、美味しいコーヒーを飲みに行きたくもなる。こんな些細なことが叶わない毎日は人生で初めてで、ただただ戸惑い、息苦しい。札幌に帰る予定もライブ延期と共に延期、家族にも友達にも会いたい。だけれど、生きてるうちはいつだって会えるから、今は自分はもちろん周りの人を守るためにも、人との接触は極力遮断するべきだ、とアルコール消毒で荒れた手をさすりながら思う。
今は良くも悪くもとても便利な時代で、直接会わなくとも、顔が見れるし、声が聞ける。先日は、流行りのオンライン飲み会をした。9%の缶チューハイ2.3本と、乱雑に切ったかぶと味噌マヨネーズがあれば、コスパ良く酔えるし、眠たくなったらそのままベッドに倒れ込めるし、最高この上ない。本当にみんなで居酒屋に行った気がして、"また遊ぼ"と友達にLINEしてしまった。久しぶりに友達と話して心が健康になった。だけれどやっぱり、直接友達と会って、美味しいご飯食べながら、美味しいお酒を飲みたい。何を言いたいかというと、岐阜屋に行きたくて行きたくて気が狂いそうだ、ということ。まあこの気持ちは押さえつけることができるけれど、もしこの状況のせいで、経営難、そして閉店なんてことになったら、いよいよ私は生きていけないし、感染する覚悟でお店に行くだろう。グッズを作ってクラウドファンディングをして、収益を寄付する。誰にだって失くしたくない、守りたい場所が絶対にある。守ろうと動いている人がいる、賛同する人がいる、その一方でそれを批判する人がいる、どうにもならないことがあるのが現実で、所詮私は何もできず、失われていくのをただただ見ているだけだ。全員が心の蟠りがなく、安心して外出自粛できる世の中を作って欲しい。しっかりしてくれよ日本。選挙に行こうよ、若い人たち。
こんな日々でも、しっかり朝も夜もやってくる���けで。会ったこともない人のことを考えて悲しくなる夜もあれば、うっかり太陽の方向に歩いていきそうになる気持ちの良い朝もある。会いたい人に会える愛おしい毎日が、楽しい話をしながら岐阜屋でお酒を飲める日が、1日も早く戻ってくることを祈るばかりだ。郭さん元気かな〜
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挫・人間のこと
好きなものを好きだと思う時、幸せを感じると同時に、わたしは終わりを想起して悲しくなってしまう。自分の周りにあるほとんどの物が、自分よりも先に終わりを迎える。分かりやすいところで言えば、祖父母だとか親だとか。自分に何かない限り、必ず終わりを見届けることになる。このことは、下川くんも2年前のブログに書いていたんだけれど、当時19歳だった私も歳を重ねるにつれて終わりを想起することが増えた。
最近だと、挫・人間の新譜を聴いて、わたしは嬉しい気持ちよりも先になんだか悲しくなってしまった。下川くんが歌うことをやめてしまったら、わたし、どうなるんだろう。想像ができない。想像ができることは現実になるとよく言う。なので一生想像ができないままでいられれば、その逆できっとずっと続いていくはずだから、私はできるだけ想像しないようにしている。けれど、挫・人間のことを考えるとき、それでも多々ぼんやりと悲しくなってしまうことが多い。それとも、いつの日か、わたし自ら離れてしまうのだろうか。すっかり生活の一部になってしまった音楽、物や人は、自分から失くなることを想像できない。
という文章をメモに書き溜めている最中の出来事だった。想像ができない事、想像しないようにしていることが、いとも簡単に現実になってしまった。あまりにもタイムリーな出来事で、面接に行く前の友達とうどんを食べにきていた私は、漫画みたいに頭を抱え込んで、ただぼろぼろと涙を流しながら、しばらく言葉を発することができなかった。目の前が真っ白になった、初めての経験だった。ぼっとする頭で、後先も考えずに行く予定のなかったライブのチケットをいくつかとった。突如目の前に立ちはだかった、iPhoneの画面に表示される脱退の二文字。昨日はいなかったはずなのに、それは当たり前の顔をして、私の前に確かに存在している。憎かった、怖かった。
一通り涙が出切った後、いろいろなことを思い出した。初めて挫・人間を見た日のこと、大好きなブログを読んでいた学校の帰り道のバス、初めて声をかけて写真を撮ってもらった日のこと、あの日のセットリスト、初めて遠征した日のこと、企画のこと、企画の日に本人たちの前でボロボロ泣いてしまったこと、初めて書いた手紙。年に一度のツアーに必ず札幌が含まれていることが嬉しかった。聴けば聴くほど好きになるアルバムが愛おしかった。ライブが始まる前に、終わること���考えて悲しくなってしまうバンドは挫・人間が初めてだった。たくさんのお客さんで埋め尽くされたライブハウスを見て、嬉しくて泣いてしまうバンドは挫・人間が初めてだった。歌を聴いて、救われたと思ったのは挫・人間だけだった。先週まで何度も聴いていたアルバムが、今は気持ちの整理がつかず、怖くて聴くことができない。気持ちの良い朝に、眠れない夜に、わたしの毎日に欠かすことができない酸素のような歌たちを怖くて聴けないなんて、こんなに悲しいことはない。
いつ消化できるのだろうか。というより、私はいつの日かこのことを、消化できるのだろうか。新しいメンバーを受け入れられるのだろうか。新しい挫・人間を好きでいられるのだろうか。無意味だと思っていながらも、弱い私はいろんな想いを巡らせて、不必要な不安ばかりを募らせてしまう。散々悲しんだ挙句、このことは本人たちが決めたことであって、仲違いだとか不祥事での脱退ではないから、''悲しむ''という行為は失礼にあたるのかもしれないな、とも考えて、色んな感情をぐちゃぐちゃとこねくり回し、まだまだ気持ちの整理をつけられないでいる。部屋の片付けは得意なはずなのに、心の片付けは苦手みたいだ。
北星の制服の衣装が気持ち悪くて好きだった、下川くんの声よりも大きく聴こえるコーラスの声が好きで、えっちなベースラインが大好きで、ストラップの位置が高いのもアベさんだと何か良かった。企画の時、「札幌愛してます、楽しかった、憧れの札幌を思い出した」と言ってくれたことが嬉しくて嬉しくて、未だに抱えることができないでいるんだよ、私。
何はともあれ、ここまでだらだらと文にしてしまったけれど、簡潔に言うならば、「今まで挫・人間でベースを弾いてくれてありがとよ〜本当にお疲れ様〜また絶対会ってくれよな〜ずっと大好きだぞ〜」、というだけの簡単なことなのである。これに付随して色々な気持ちがくっついてきてしまうことは、今は仕方ない。だって大好きなアベさんが、大好きな挫・人間から脱退してしまうんだもの。気持ちの整理がついた頃に、どれもつまらないことだったな、とゆっくり気付いていければいい。死んだわけじゃないし、音楽をやめるとも言ってないし。わたしがごちゃごちゃといろんなことを思ったって、脱退という事実はひっくり返らない。
私にできることは、残りのライブをしっかりと目と心に焼き付けること、悲しい気持ちが感謝の気持ちに負けないようにすること、新しい挫・人間を楽しみに待つこと、彼らのこれからに期待し応援し続けること。特に頑張る必要もないけれど、好きなものを好きなままでいるには、多少気を張らないといけないのかもしれないね。
下川くん、歌うことをやめないでいてくれてありがとう。忘れたくない思い出が、これからもたくさん増えますように。わたしが死ぬまで、挫・人間がずっと続いていきますように。
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友達の話
一緒に神社に行った友達が、参拝の列に一緒に並んだにもかかわらず、お賽銭を入れないどころか、御祈祷の一つもせずに、わたしの隣に立っているだけだった。彼女曰く、神社とか参拝とかがなんとなく怖いらしい。おみくじを引くのもその日が初めてだった。わたしが彼女の立場だったら、周りに合わせてきっと参拝するだろう。でも彼女はしなかった。嫌な気持ちはひとつもしなかった、とても可笑しかった、可愛らしい頑固さが良かった。
チケットの一般発売を頼んだ友達。10時から数分後、チケット取れなかったとLINEが来た。なんの疑いもなく、そりゃあ取れないよなと思って、お礼を言った。その日の夜、突然電話がかかってきて、「本当は、眠くて文字すら打てなくてなにもできなかったんだ。」と言われた。言わなければわからないことなのに、変に素直で可笑しかった、正直で良かった。とても気持ちが良かったし、彼にとって私が、嘘をつけない相手であるのかな、と思うと嬉しかった。
何気ない話だけれど、なかなかできることじゃない。2人ともその頑固さと、素直さをずっと待ち続けていてほしい。彼女らしさと彼らしさが、とても愛おしい出来事だった。可愛らしい頑固さと、気持ちの良い素直さを、わたしも忘れずに生きていきたい。
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ぽつりぽつりと環七沿いを
又吉が11月のライブで、自由律俳句を何千と書いている、と言う話を聞いてから、自由律俳句と言えるほどのものではないけれど、感じたことを短文でノートに書き溜めていくことにしてみた。そのおかげで、ここに拙い文章で、掃き溜めのようなだらしのない文を書くことが減ったので、とても良いなと思った。
2019年の1番大きい出来事といえば上京したことだ。東京で生活してあともう少しで1年。早い。毎年毎年、毎日がどんどん早くなっている気がして怖い。近くなったものが多いけど、大切なものは遠くなった。だけどそれでも東京にいたいな、と思う。
仕事を辞めた。知っていたつもりではあるけれど、続けることの難しさを身をもって知った。自分の心が死んでいく感覚を初めて味わった、心が壊れる音を聞いた。たくさん、たくさん泣いた。でも、東京に来てこの仕事をしたことも、辞めたことも、どちらも後悔していない。この先のことについて考えて、漠然とした不安に駆られることもあるけれど、きっと私ならうまくやれるから大丈夫。周りのみんなもそう言ってくれるし、これは本当に嬉しいことだ。家族、友達、札幌でお世話になったかっこいい大人たち、みんなに助けられた。感謝してもしきれない。私の21年間はこの人たちと出会うためにあったんだ、と思った。これから先もずっと大切にしていかなければいけない。
今は、なんの生産性も成長もない仕事をしているけど、友達も増えて、良くしてくれる人もたくさんいて、今は仕事に行くのが楽しい。朝、渋谷駅で吐いていたのが遠い昔のことに感じる。何事も続けるためには、自分の頑張りがもちろん大切だけど、周りの環境や人が何よりも大切だということを、今の職場で学んだ。不慣れな日本語で話かけてくれるベトナムの人たちも可愛い。''く''が発音しづらいので、''みき''と呼ばれるけれど、それにも慣れた。ベトナム料理を食べてみたいと話したら、みんな犬の肉の写真をこぞって見せてくれるのも良い。ここで働いて初めて海外に興味が湧いた。ベトナム語の本を買おう。
あと2019年は、まさみちゃんという友達に出会ったのも大きな出来事だった。厳密に言うと、出会い自体はもっと前なのだけど、仲良くなったのは去年で、上京してできた、ちゃんと胸を張って友達と言える人、2人で遊んでもしっかり楽しい人、これからも仲良くしていたいなと思う人だ。もともとはお笑いが好きで仲良くなったけれど、趣味だけじゃなくて普通に遊びに行く仲になれたことが嬉しい。今月も川越に行く約束をしている。就職しても、ふらっとライブに行ったり遊べたりできたらいいな。今年もこんな良い出会いを作れるように頑張りたい。
今年は月に一度、祖父母に手紙を書くことに決め、早速一月分の返事が昨日祖父から届いた。私が書いた文章は葉書の裏面半分、届いた返事は便箋3枚分だった。祖父の達筆の文字たちを見ると、懐かしくて温かくてわっと涙がこぼれてしま��た。筆ペンで書かれた文字が滲んだ。手紙はやっぱり、それぞれの形や匂いがあって、情景が浮かんで、人間味があって良い。
ラジオでOAされた挫・人間の新曲を聴いた。「君を喜ばすためなら僕はどこまでもふざけよう」。この歌詞は、椎木(普通に好き)や井口さん(嫌い)が歌っても意味がない。うまく言えないけれど、下川くんが歌うからこそグッとくるのだ。本当に明るくなったな、こんな言葉で片付けるのきっとよくないのだけれど、私はすごく嬉しいよ。
私はメンヘラ女なので、今までは好きな男の話ばっかりここに書いていたけれど、これからは、みんなに見られても恥ずかしくない文章を書いていけたらいいなと思う。美味しかったカレーの話だとか、泣いた映画の話とか。最近は、ずっと食べようと思っていた、渋谷駅の中にある、豆乳のおやき屋さんがなくなっていて悲しかった。こんな調子なのでここ最近は���ても元気である。上手な表現だとか、難しい言葉は使えないけれど、背伸びをしない自分の言葉で、深く考えずに書けたらいい。書きたい時に、自分らしく。色々な人が書いた文章(これを読んでいるあなたのも見てるよ)をよく見るけれど、うまくないけどなんかすっと入ってきて好きだなっていう文章と、言い回しとかすごいけどなんか苦手だなという文章と、色々ある。私は誰かの前者になれたら嬉しい。いくつか非公開にした文章も、笑って見せられる日が来れば良いな、そんなところです。
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頼りない時計が欲しい
ミツメが好きだ。小説の一節のような歌詞が好��だ。イヤホンから流れる歌にふと目を瞑ると、瞼の裏に景色がひたひたとくっついてくる。津軽の雪景色が、夏の暑い日のラムネの瓶が、霧の中に浮かぶ車の灯りが。時には知らない人の生活までもを知った気分になって、思わず胸が高鳴る。高音を苦しそうに歌うところが好きで、曖昧に感じるぼやっとした音程も好きだ。全てが穏やかで、緩やかで、優しくて、心地良い。ミツメの歌は自分の体の中を、血液と一緒にトクトクと巡っている。海じゃなくて湖、太陽じゃなくてお日様。決して派手ではなく、目立つわけでもない。毎日の中に確かに在る小さな幸せ、ミツメの歌はそんな感じ。それをしっかりとすくい上げて、ぎゅっと抱きしめていたい、ずっと。
去年良いと思ってたものが、今年は当たり前に良くないと思っていたりするけれど、好きなものを好きだと言える強さだけは、ずっと持ち続けていたい。わたしの好きな人は、好きなもの好きだと言えることは勇気のいることだ、とよく言う。肝心なところで勇気はないのだけれど、せめてそれ以外��大声で好きだと言える自分でいたい。強く在りたい。
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君
心を許して全部話してくれることが、すごく嬉しいことであって、それと同時にちょっとだけ寂しくて切なくて悲しい。好きとは違うのに。
色んなことを考えて、怖くなって、いつもより優しくなってしまう。君がいることは素敵なことなのだけれど。開かない自分の瞼が愛おしい朝だった。
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生活
下着姿で1人せっせとお風呂を洗ってる時、私もしっかりと生活をこなしているんだな、と実感する、気持ち悪い、私は海に行ったり公園を歩いたり星空を見たりしたいんだ
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すこやかさ
東京に来てもうすぐ1ヶ月が立つ。東京は思ったよりも良くない。仕事があるので行きたいライブも土日じゃないと行けない。会いたい人にも会えない。苦しくなるくらい会いたい人は東京にいない。元気ですか。私はあなたと地続きじゃなくなったので元気じゃないです。会えるかな〜って思いながら、街中を歩くのも許されない日々の中で、私の前に突如として現れてくれた粗品は、細くてでかくて最高だったのだけど。わたしは単純なので、こんなことでしばらく健やかに生きていけるようになるし、東京来てよかったー!って思えたりするので、きっとみんなが思ってるよりは、楽しく楽観的に生きています。
東京の朝の満員電車は、イヤホンから流れてくる音楽全てが戦歌に聞こえる。札幌は全て子守唄だったのに。YUKIは何を聞いても明るい気持ちになって良い。最近はめっきりYUKIばかり聞いている、春っぽくて良いじゃんねえYUKI。そんな満員電車にもちょっとだけ慣れた、毎日更新されるようになった下川くんのブログを、人に押しつぶされながら朝の満員電車で読むのが日課になった。人との電話も回数が減った、寂しさよりも疲労が勝るようになった、ベッドで毛布に包まれる瞬間が世界で1番幸せ。こうやって段々と1人で生きていける女になっていくのかと思うと少し怖い。いつだって人に寄りかかって、寄りかかられて生きていたいものよ。
絶対に変わったはずの君が、私の前では何も変わらなくて、嬉しいようで悲しくなった。おやすみって眠りについて、朝目が覚めて隣に人がいる幸せが当たり前じゃないことを知った。毎日誰かしらと生活を共にしたいなあ、好きな人と付き合えたらすぐ同棲してすぐに結婚したいねえ。私はこんなキャラでこんな見た目なのに、めちゃくちゃ寂しがりやで、年中半袖短パンで過ごしてそうなのに、めちゃ病弱だ。似合わない可愛いスペックは無駄でしかない、ただただ迷惑なだけ。私は肌が強い。''乾燥肌の女の子''に憧れて、ニベアの特大缶を常備していたりする。身長が小さいのに、全てが台無しである。色白でそばかすのある、笑った顔が可愛い、華奢な女の子に生まれたかったなあ。
こんな私だからいつまでたっても、大好きな人とは一緒にいられないらしい。これって私だけなのかな、なんでそんな簡単に、ってことが最近は多くて気持ち悪かったのだけど、それはきっとそこまで相手に大切にされてないからだよな、と思ったりした。まあ私は大切にされるされない以前の話だし、そもそも大切にされなくたって一緒にいれるなら満足なんだけどな、なんていつも考えている。私は運も持ち合わせていないので、せっかくのチャンスも、ものにできない。ぽかぽかの春の渋谷、2人で並んで歩きたかったなあ、きっと息が詰まってうまく喋れないだろうけれど。まあ、この夢みたいな状況が、私のタイミング次第では叶っていた、という事実だけで私は幸せで、生活の中で私の顔が浮かぶ瞬間があったということが涙が出るくらい尊くて、ずっと抱きしめていたいのだ。こんな感じなので、いざ本人を目の前にするとうまく喋れないし、目を見れないどころか顔すら見れなくて、数ヶ月ぶりに声を聞いてふっとカラダの力が抜けてしまって、右手に持ってたビールをすとんと落としてしまった。私の好きな人は、その落としたカップを、よっしゃー!と言いながら拾って、ビールの余りを飲み干して、自分が飲んでいたコーヒーのカップに重ねて捨てた。飲んでるものが逆になりましたね、なんて言えるわけもなかった。飲みたくもないのに飲まされていたお酒を私は進んで飲む様になって、私の好きな人は会えばいつも酔っていたのに、気づけばいつもコンビニのコーヒーを持つようになって、私もあなたも歳を重ねたんだなあと、少し寂しくなった。次は私もあなたと同じ、コンビニのアイスコーヒーにしようと思った。ビールのカップを落とすのはあなたで、それを拾って捨てるのは私がいいと思った。そんな東京です。
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くだらない話と、甘いもの
好きな人の好きなものは、忘れた頃に私の体に馴染んできて、苦しくなる。好きな人が好きだと言っていたジャズを聞きながら、好きな人が感動したと言っていた本を読む。そうやって、私の毎日は誰かの何かで、出来上がっていくのだ。好きな人の好きなものは、段々と、私の生活に溶け込んで、一部になっていく。あ��、これが、''あなたがわたしの生活になる前に''ってことなのかなあ、と思ったりもして、怖くなって、本も音楽も映画も投げ捨ててしまいたくなる時もある。なんとも私は、健気だなあ。
だけどまあ、自分の好きな人が自分の嫌いなバンドを好きだと言っていたとして、私もそのバンドのライブに行くかといったらそうではなくて、はたまた、女子高生が見るような学園ラブコメディを見に行こうと誘われたところで、きっと見に行くだろうけれど、Filmarksでつける評価は、高くて2.8が関の山だろう。まあこういうことを言うような人は好きにならないだろうし、大抵は私が背伸びをしないと好きになれないような、かっけえことをたくさん知ってる人を好きになるのだけど。何が言いたいかって、好きな人の好きなもの、だから何でも好きってわけじゃないよ、というごく当たり前のことだ。
慣れようと、好きになろうと、たくさん背伸びをして、本当に好きになれたものは、自分の中でとても大切になるから、見栄を張ることもたまには良いと思う。嘘は良くないけどね。
だから、自分の引越し祝いには、Chet Baker SingsのLPと、関口良雄の銀杏子句集を買うんだ。暫くしてお金が貯まったら、飾るだけじゃなくて、ちゃんと聞けるように、良いレコードプレイヤーも買おう。キイチビールのレコードも、持ってるばっかりで聴けてないのは、とても寂しい。あと数カ月で、私は、今いる場所を離れる、はずだ。現実味がなく、想像すらできないから、怖くも寂しくもない。最近は同じ顔の友人とばかり会っているから尚更、ずっとここにいる気がしてしまって、なんなら小学生に戻った気分で居心地が良いのだ。
早く、居心地の悪い場所に行きたいなあ。
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薔薇だって書けない
私は弱い人間なので、昨日や一昨日や1年前のあの日を見ながら、後ろ向きで毎日を歩んでいる。欲張りだから、全部忘れたくないし、全部抱きしめていたい。何か一つを落としてしまったら、しっかりと気づいて、自分の手で拾い上げられるように。前を向いていたら、落としたとき気づかないでしょう。私は周りの人よりも、1日に過去のことを思い出す量が多い気がして、寝る前に考え込んで、げんなりする。大切も、抱えきれなくなったら、欲張らずに、少しずつ気づかぬふりをして、落としていかなきゃいけないのかもしれないね。
最近は、ずっと読みたかった��堂園昌彦の歌集を読んだ。偶然、大好きなバンドの人も読んでいて、心が弾んだ。第二版が最近発行されたから、そう珍しいことでもないんだけど。装丁が美しい本は、抱きしめていたくなる。売野機子の漫画は、音が鳴っていて、空に色があって、切なくなって泣いてしまって、心が豊かになる。
知識に富んで、愛に溢れた大人になりたい。
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生きることに君がおびえぬように
「ぼく、14歳当時「頭をよくしてあげよう」って、それこそが自分がいつか出来るかもしれない彼女にあげられる最大限の愛情だって思ってて、いや今でもちょっとまだそう思ってるんだけど。弱虫は恋愛がスタートしたとき、同時にその終わりの光景も頭の中に芽生えてしまうのね。だから、弱虫の恋愛というのは、最初から恋の終わりを想起しながら進んでいくの。でも何か彼女を愛しく想うとき、1人で生きていけないような彼女が、この恋が終わったあとも、1人で生きていけるように、ぼくが頭をよくしてあげよう!と、言うわけです。」
https://lineblog.me/zaningen/archives/9298814.html
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