Tumgik
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運命は変化する。一方でひとは自らの幻想によって行動するものだ。自分の心と意思に従って生きるしかない。
ならば、慎重であるより、むしろ果断に進む方がよい。
なぜなら与えられた運命に全てを委ねて自己を見失うひとより、運命に適切な対処を持って行動するひとに人間はついていきたいと思うからだ。
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強い文脈は、カテゴリーに過ぎない。事象の一面でしかない。 それだけでは個人的な思いを託したり、人に伝達するための情報が足りない。 実際には、弱い文脈こそが根源的な動機を構成している。
メディアによる強い文脈は、それだけでは弱い。 そして弱い文脈は本当は強い。でもそのままではやはり弱い。
作者は両方の文脈が受け手に届けられるようなしつらえを用意する必要がある。 コンテクストデザイナーの仕事は、強弱両方の文脈を設計し、世に放つことだ。
強い文脈と弱い文脈は総体となることではじめて人の心に届く。
『コンテクストデザイン』渡邉康太郎
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「心は売っても魂は売らない」ーそれがこの商売の根幹なの。すべての芸能、すべてのコマーシャリズムというのは、心のどこかのパートを売らなければならない。問題はその中でいかに音楽を作る上でのパッションや真実をキープできるか。ただの奴隷(スレーヴ)じゃなくて。モノを作るというのは、常にそういう問いかけがある。
山下達郎による言葉
山口隆 『叱り叱られ』
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あなたがすることのほとんどは無意味であるが、 それでもしなくてはならない。
それをするのは、 世界を変えるためではなく、 世界によって自分が変えられないようにするためである
日々をつくって行かねばね
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考えを行動に移すことは力を要するが、 主題を心に決めることも難儀なものだ。
『コンテクストデザイン』渡邉康太郎
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コンテクストデザインとは、未完成のデザインてあり、またデザイナーとそれ以外の関わりを再定義するものだ。
『コンテクストデザイン』渡邉康太郎
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新しい挑戦は常に何らかの逸脱を含む。よって分類不能になる。分類不能とは、従来の定義から少しはみ出ることだ。これまでにない領域同士を組み合わせることは、「両義的である」ことではなく、「いずれでもない」ことを意味する。
分類不能とは「言い得ない」ものだ。分類不能とは、分類から逃れ続けるものだ。分類不能とは、その分類領域自体を拡張するものだ。
『コンテクストデザイン』渡邉康太郎
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空は、なにかが入り込むことをアフォードしている。
『コンテクストデザイン』渡邉康太郎
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無為の神
古事記には「なにもしない名前だけの神」や、重要な地位にあるのに働かない、実体がない「無為の神」が登場する。それも三神のひとつとして、中央にその無為の神が配置されている。アメノミナカヌシ天之御中主神がそれにあたる。
「天之御中主神」という字からしても、第一子として誕生し文中で最初に名前が挙がる点からしても、もっとも重要な神と思われるが、その実、誕生の記述以降一切登場しない (その他の二神タカミムスヒとカミムスヒは、それぞれ高天の原と出雲神話に関わりがある神としてその後も語られる)。このような三神が『古事記』には複数登場するのだ。 河合は、三神は「日本神話体系のなかで画期的な時点に出現しており、その中心に無為の神をもつという一貫した構造」を持つと指摘する(河合隼雄『中空構造日本の深層』中央公論社、1982年、2-35頁)。
重要な存在が無為であるという矛盾。むしろ中心が虚であること自体が重要な意味を持つのだ。
『コンテクストデザイン』渡邉康太郎
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「白紙ももやうの内なれば心にてふさぐべし」
土佐光起
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サクラ(桜)の「サ」は山の神。
それが春になると山から降りてきて、田の神に転じ、穀神として稲穂に宿る。それが降りてくる様が「サオリ」、その季節が「サツキ(皐月) 」、そ れを宿した稲の苗が「サナエ(早苗)」。
そして、この「サ」の神 が降り来たる途中で、山と里の中間領域でひととき小休止をする座=クラ(鞍)のことを「サクラ」と呼んだ。
(佐藤卓、竹村真一: ディレクション『コメ展』2014年)
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疑問を誘うことで、時間を超えて読み手の心に根を下ろす。短期的な問題解決を行うだけでなく、長期的な問題提起へと誘う。
『コンテクストデザイン』渡邉康太郎
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専門性の高さは歓迎されるべき。ただ、他者を寄せ付けない排他性が自己目的化すると矛盾が生じる。
『コンテクストデザイン』渡邉康太郎
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その作品について真に語りたい欲求があるとき、人は誤読を恐れない。そこでは他者による作品と自身による解釈は一体化する。
『コンテクストデザイン』渡邉康太郎
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形式を問わず、良い創作は心に再訪する、良い創作は人を語り部にさせる。
そのたびに、私達の中で再解釈が起こる。そのたびに、私たちの中で「内なる創作」がおきている
書かれた言葉は書かれなかった言葉の影である。小説は常に書かれなかった言葉とともにある。
『コンテクストデザイン』渡邉康太郎
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"ローマ人は” mos majorum”(モス マイヨールム)と呼んだが、いわゆる「父祖の遺風」が彼らにとっては非常に大事であったのです"
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@philomyu(西内啓 Hiromu Nishiuchi)
学問に限らず何かを学ぶ上で大事な要素の一つに想像力というものがある気がする。学ぶ経路として想像力不要な順に並べると
・体験から
・親しい人との対話から
・映像から
・見知らぬ人の話から
・文章から
とかになってて、後に行くほど情報密度あげて学習に必要なコスト下がりがちなのでは。
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