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死ぬということ
2018/03/27
さっきまで母親とご機嫌に草を食んでいた子供のシカは、体に大きな穴を開けて目の前に横たわっている。
その穴からは呼吸をするたびに肺から漏れ出る息吹が、冷たい冬の空気の中をゆるりと白く立ち昇っていた。
しばらくすると、小さな身体から発するリズミカルな生命の音色はゆるやかに途絶えて、黒く澄んだ水晶体から魂の火が消えると、それは白く濁った。
この子鹿はわしが殺した。
この子鹿だけではない。他に4頭のシカも殺した。
鴨も殺した。
去年���50羽の鳥を殺し、ウサギも殺して食べた。
魚なら1日に100匹以上殺すこともある。
人間は勝手なもので、小さな虫がカマキリに喰われ、死ぬ様を見ても可哀想だとは思わない。(思うひともいるだろうけど)
釣ったばかりの釣堀のマスを生きたまま腹を割いて、内臓を取り出し、串刺しにして火で炙っても可哀想だとは思わない。(思うひともいるだろうけど)
鴨はどうだろう。
鴨は可愛い顔をしている。仕草や仲間と戯れる姿も可愛い。
ウサギなんて絵本やキャラクターグッズになるほど愛されている。
シカだってそうだ。
愛らしい生き物は可哀想だと同情される。
いつだって人間の感覚や感情は主観に左右されるから、不公平であったり、理不尽であったりする。
わしも生き物は子供の頃から大好きだし、家族も動物好きだから生まれた頃から犬や猫と離れたことはほとんどない。
動物園やペットショップでは珍しい動物に出会えるけれど、動物好きであればぜひ山奥へ行って欲しい。
野生で出会う生き物は神々しく、シカもイノシシも可愛く美しい。ずっと眺めていたくなる。
鳥ならば断然コガモ(※1)だ。小さくていつも楽しそうに仲間と戯れていて、鳴き声もピーピーと笛ラムネのようで可愛くて最高だ。街中の池なんかにもいるから、渡りの季節なら簡単に見ることができる。
そしてシカもコガモもとても美味である。
猟奇的に聞こえるかもしれない。
でも事実、可愛いものは美味いのだ。
牛も豚も可愛くて美味い。
それを自分で殺して食べろと言われても難しいだろう。
ノウハウもないし、精神的にきつい。
代わりに玄人にお願いしてリブロースとかサーロインとかを食べやすいようにスライスして貰えばそれで良いのかもしれない。
だけどもわしはその工程を自分で負担してみたかった。牛や豚を自分で飼うわけにはいかないから、野生の生き物を獲って、解体して、家に持ち帰り焼いて食べる。
これは本当に重労働だ。食べ物が口に入るまでにはどれだけの労働が欠かせないのか、狩猟を始めてから実感できることだった。
それだけではなく、人間が自然の一部であるということも多少なり感じることができた。
人間は言わずもがな、捕食者だ。
生き物を自分に取り込んで生きている。
そこには必ず被食者の死があり、その死を否定して自らの生を全うすることはできないのだ。
人間は滅多に喰われることがない。
だから自分が自然の一部だということを忘れてしまうのだろう。
生き物はいずれ死ぬ。
そして死から逃げだそうと試みる。
冒頭のシカは撃たれてすぐには死ななかった。
近づくと必死に立ち上がり、逃げようとした。
撃たれた鴨もボートで近づくと、必死で川底へ向かって潜った。
鳩も必死でもがきながら、その眼は近づく人間の姿に恐怖していた。
死は恐ろしい。
他の生き物と人間が違うのは、いずれ死ぬことを知っている、というところだろう。
だから他の生き物以上に死を恐れ、遠ざけようとする。
毎日どこかで誰かが死んでいるし、牛も豚もベルトコンベアー式にじゃんじゃん殺されている。
周りには死が溢れている。
だけどいつしか死は街から見えなくなってしまった。
元気な人はまさか自分が死ぬなんてことは夢にも思わないし、生き物の屍肉を口に運んでいるなんてことも忘れている。
わしも以前は忘れていた。
いつも食ってるハンバーガーや寿司が生き物の屍肉だなんて、すっかりと頭から抜けていたのである。
獲物を殺して腹を割く。
食べ物を運ぶ管は食道から胃につながり、腸へと続いてゆく。
心臓が全身に血液を送り、体を支えるてるのは背骨だ。
世界を覗くのは二つの眼(まなこ)。魂が抜ければ白く濁る。
魚も鳥も獣もみんな同じだった。
きっと人の体もおんなじだ。
腹を開ければ、食べ物を運ぶ管は食道から胃につながり、腸へと続いてゆき、
心臓が全身に血液を送り、体を支えるてるのは背骨で、二つの眼で世界を覗き、魂が抜ければ白く濁る。
足許に横たわる死に果てた子供のシカを見て思う。
生と死の狭間はボロアパートの壁のように薄い。
この子を貫いた鉛玉がわしを貫き、同じ運命を辿ることを想像してみた。
でも現実は、わしが捕食者だからシカは死に、わしはその屍肉を喰って生きながらえる。
そしてこいつは俺になるのだ。
命はつながる。
わしが死ぬとどうなるか。
たぶん、病気で死ぬか、事故で死ぬかだろうが、火葬されて残りカスを小さな瓶に入れられて暗い石の中に閉じ込められるのだろう。
自然に還ることはなく、命もつながることはない。
だから死ぬなら例えば山の中がいい。
獣に喰われ、鳥に喰われ、虫に喰われ、一、二週間すれば、骨と皮だけになる。
残りはバクテリアや菌類などの微生物がゆっくりと分解してゆくだろう。
俺は獣になり、鳥になり、虫となり、微生物となる。
俺の命がつながる。
最高にロマンチックだ。
ただし、まだ数十年は人生を楽しむつもりだけど。
※「コガモ」という種類のカモです。
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stag head
平成30年2月8日
もう結論から言ってしまえば、念願の、かっこよい角を生やしたオスジカを獲った。
なんでそんなものが欲しかったかと言えば、アメリカの西部劇に出てくる農場の入り口に飾られているような、立派な角を持った髑髏を我が家でも飾りたいからだ。
いわゆるトロフィーというやつだが、こう書くとトロフィー欲しさに動物を殺戮する極悪ハンターのように思われそうだが、ちゃんとお肉も食べている。そもそもトロフィーハンター=極悪ハンターだなんてわしは思っていない。念のため。
オスジカはメスジカよりも会う機会がずっと少ない。
山で会うのはメスの群れやお母さんと子どもの小さい群ればかり。
オスジカもオスのみで群れを作るが、なかなか出会わない。
単独でいたり、たくさんのメスを率いるハーレム王にもはたまには会うが、なんとなくメスよりも警戒心が強いように感じる。
だから仮に出会えてもなかなかそれを撃つまでには至らなかった。
しかし経験を積むうちにシカとの出会いも多くなり、猟期の終わりも近づいていたので、ここいらでオスの首(スタッグ・ヘッド)でも狙おうという下心がムズムズと湧き出してきたというわけだ。
いつもの山に入ると、こういう日に限っていきなりおいしそうなメスジカと目が合った。逃げる気配もない。たったの20メートル先だから自信をもって撃てる距離だ。バンビもひょこひょこと可愛らしく母親のそばに寄ってきたが、わしはそれをしばらく眺めてその場を去った。
オスジカしか頭にないから、わしから殺気が出ていなかったのだろう。
山のピークに差し掛かった時、右の斜面にシカの群れを見つけた。
ざっと見た感じ4頭はいる。
先頭は角付き、ハーレムの群れだ!
しかし角付きはこちらに気づき、すぐに走り出してしまった。それに続いてメスどもも走る。
慌てず、ゆっくりと歩いて群れを追った。
大抵のシカの群れは、しばらく走ると立ち止まり、警戒音を発しながら異物の存在を確認する。
異物とはもちろんわしら人間のことだ。
だから奴らは山を越えず、急いで追ってこない人間に対しては警戒を解くと考えた。
しばらく尾根沿いを歩き、よくシカがついている斜面を降りて支尾根をゆっくり越えると、40メートル先に角付きはいた。向こうもこちらに気づいている。しかし、角付きは慌てず堂々とした態度でわしを睨みつけていた。
刺激を与えない動作で銃床を肩に付け、ゆっくりとドットサイトを覗く。まだ角付きは逃げない。用心がねに指を入れ
引き金に人差し指の第一関節が触れる。まだ逃げない。サイトの赤い点を角付きの胸に合わせる。引き金をゆっくりと絞る。親指ほどの鉛の塊が、急速に圧縮されたガスに押し出されて回転せず真っ直ぐに角付きへ向かって飛んで行った。
角付きは一瞬小さく飛び上がり、急斜面を雪崩の如く駆け下りた。角付きに続き群れの仲間も後を追う。
手応えはあった。しかし奴の走りっぷりを見ると自信がなくなる。
急いで角付きがいた場所に向かった。激しい足跡はあるが、血痕は見当たらない。
斜面を下り足跡を追うが、やはり血は無い。
遠く谷の向こうの斜面を、竹の倒木をバキバキと踏みつけながら移動する音が響く。
中っていなければ奴の逃げる音に違いない。
斜面を降りきって沢に出た。が、痕跡を見失ってしまった。
諦めきれずに再び斜面を登り元の場所に向かった。
!!!
斜面をトラバースする獣道の上に血の塊を見つけた。
やはり中っていたのだ。
必死に血の跡を追う。
しかし段々と出血量は減って行き、最後には血の跡は途切れてしまった。
それでも諦めず、周辺を探すも奴を見つけることはできなかった。
1時間半の捜索も虚しく終わり、とうとう諦めて尾根まで登って寝転がって体の力を抜いた。
空を眺めながらしばらく悔しさを噛みしめた。
気持ちを切り替えるまでに30分はかかっただろう。
それからフラフラと山をさまようこと数時間。
オスジカを探すことを諦め、もうなんでもいいから肉を持ち帰ろうと決めた。
それでもなかなかシカに出会えなかったし、出会えてもすぐに走られてしまう。
こういう時は本当に疲れる。
もう帰ろうかな。
そう考えながらふと斜面の下に目をやると何か黒い塊が見えた。
じーっと眺めるとその黒い塊がゆらりと動いた。
シカだ。
こちらの視線に気がついて、スローモーションのようにゆったりと振り向く。
逃げる風もなく、顔は穏やかに見えた。
しかし、優雅に日向ぼっこをしているように見えるが、余裕をキメて動かないのではない。
動けないのだ。
そしてそいつには角がついていた。
あの角付きは、傷を癒すためにここでやり過ごそうとポカポカと暖かいこの斜面でジッとしていたのだ。
目があったまま、変わらず動こうとしない。
「やれよ」肝のすわった奴の目は呟く。
上下二連式のショットガンが吠えた。
ブリネッキ型のスラッグ弾はバイタルポイントを捉えたはずだが、苦しそうな叫び声をあげて立ち上がってしまった。
すぐにもう1発を首に撃ち込んだ。
その場でバラし、ザックに肉を詰め込んだ。
切り落とした首は顔の部分だけ袋で隠し、ザックに括り付けた。
メスよりも一段と重い。
いつもの沢を歩き、車へと戻った。
家に帰ると、愛犬ハイジはシカの頭に興味津々。
「来期はお前に頑張ってもらうからな」
フガフガと鼻息だけは荒い。
これが今期最後の獲物となった。
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Bambi
平成30年2月1日
ナルゲンボトルの蓋を開けて、自宅から汲んできた井戸水でパサつくソイジョイを喉の奥に流し込んだ。
日の出から山に入り、獲物を追い続けて4時間。
いまだ発砲には至っていない。
何度も訪れたチャンスをものにできなかった。
この日は今までで最もシカと遭遇をしている。
なのにだ。
急勾配の山肌を上に下にと歩き続け、4時間も経てばさすがに疲れる。
残りのソイジョイを口の中へ放り込み、再び水で流し込んだ。
今いるコルから谷に降りる途中はこの山で最もシカと遭遇できる場所だ。
ザック��置いたまま銃を掴んで歩き始めた。
少し斜面を降りると上下二連銃を折ってスラグ弾を2発込めた。
すぐ先の稜線を越えたところはよく鹿の群れが草を食んでいる。
ゆっくりと稜線上から覗いた。
「ピャッ!!」
やっぱりいた。
いつもならシカは次の尾根まで移動してこちらを確認する。
それがこちらとしてはチャンスとなるのだが、この時はいつもと様子が違った。
一頭のシカがなぜだかはわからないが、こちらへ向かって走ってくるではないか。
???
そのシカはわしの15メートル先の斜面下方で止まった。
そして木化けのポーズをとっている。
・・・いやいや、きみ、丸見えだから。。
どうやらまだ子どものようだ。
母親が警戒の鳴き声を発したが不審者の位置がわからなかったのだろう。
むやみに走り出してミスをしてしまった。
わしは胸に照準を合わせて、すばやく引き金を絞る。
崩れ落ちる子鹿。
その瞬間、「ギャーッ!!」という悲鳴が聞こえた。
少なくともわしには悲鳴に聞こえた。
子鹿の後方20メートルに母ジカがいる。
どうやら子を撃たれて動揺したらしい。
叫び声をあげたものの、どうすることも出来ず母ジカは谷底へ向かって走り去った。
子鹿に近づくとそいつはふらふらと立ち上がった。
必死で逃げようとするが、わしにあっという間に追いつかれてしまう。
子鹿の肺の部分には大きな穴が空いていて、呼吸をするたびにその穴からまるで蒸気を吐く汽車のように勢いよく湯気がたった。
とどめを刺そうと子鹿を蹴り倒し、鎖骨の上あたりからバークリバーの刃を少し差し込んだ時だった。
「ピギャー!」
大きく鳴き声をあげられ、不覚にも動揺してしまった。
獲物である以上、牡鹿だろうが子鹿だろうが殺すべきなのに、この時は気力が抜けてしまいそれが出来なかった。
しばらくすると子鹿は死んだ。
木に吊るし、いつものように解体してザックにしまい込む。
子鹿だから内臓と頭以外を詰め込んでも余裕があるし、軽い。
谷底へ降りて沢を歩いて車へと戻る。
帰り道、わしは何度も思い返しては自分の行為を悔いた。
何も出来ず突っ立ってたという“行為”をだ。情けなかった。
ハンターでありたければ獲物は殺さなければならない。
殺せないのなら、やめてしまえばいい。向いていないからだ。
それになるべく早く介錯をしてあげなければ、獲物は余計に長く苦しむことになる。
殺し方というのはどれも同じではない。
銃を使うというのは、簡単で、それでいて遠くから離れて殺せるわけだから卑怯とも言える。
ナイフを使うのは少しハードルが高い。より直接的で、命を断つ感触を味わうことになるからだ。
撲殺はどうだろう?バットや木の棒でやるにはコツがありそうだ。
少々物騒だが、そんな「殺し方」について、「次はやるぞ!(殺るぞ!)」と意気込んでいた。
自分で獲った肉を食べる。
そういう生き方がしたい��思ったから始めた狩猟だ。
次はやるしかない。
―後日
この時のバンビちゃんの毛皮をなめした。
月子が自分の毛皮よりゴージャスだからそれをよこせと言う。←以前わしが撃ったバンビちゃんを座布団にしている
だがやらない。
わしの毛皮には大きな穴が空いている。
あの時撃ったスラッグが開けた穴だ。
自分への戒めのために、残したのだ。
この穴を見るたびに思い出すはずだ、
子鹿の死を待つ、恥ずべき自分の未熟な姿と、
動物を獲って喰らうという原点を。
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人間と犬
ご存知のように人間と犬との付き合いは1万年以上にもなる。
人間が家畜化した最も古い動物だ。
人間とともに繁栄し、現在では地球上に4億もの犬がいるらしい。
人間の食べ残しにありつき、代わりに他の動物や敵から人間を守った。
ヒトは頭の良い犬に他の家畜と違い様々な役割を与えた。
番犬や狩猟犬、介助犬に救助犬、軍用犬、愛玩犬、人間の都合に合わせて訓練され、身体を造りかえられた。
中には食料にされる犬もいる。
中国や朝鮮、フィリピンなどのアジアやアフリカ、あまり知られていないがドイツやフランスなどヨーロッパの国々でも以前は食べられていた(ドイツでは86年に法律ができるまで食べていた)。スイスの法律では今でも個人で食す分には犬も猫も食べて良いこととなっている(別に奨励されているわけではない)。
かくいうわが国でも犬は縄文時代から食べられて来た。
戦後の食糧難でも犬は食べられた。
わしの実家で(建築屋)働いていた土方のおじさんも「よく食べたぁ、赤犬がうめぇんだ」なんて言っているのをよく聞いたものだ。
今でも犬肉は国内に輸入されていて、中国系や朝鮮系の店で食べられるらしい。興味のある方はどうぞ。わしは食べません。��味ではないので。
わしが子どもの頃、昭和の時代には街によく野良犬がいた。
逃げ出したり迷い犬だったり、捨てられたのが大きくなったりと。
だから犬に追っかけられたり、噛み付かれたりしてトラウマ体験をする羽目になった子どもたちも大勢いたと思う。
犬に噛まれると、痛い。
さほど鋭くない牙を肉の中に無理やり差し込まれる痛さ。たまりません。
友達の家に向かう途中、ヤバそうなやつがいると道を変えるか、無理であれば刺激を与えないように道路の端をゆっくりと通り抜けた。
だから犬は必ずしも可愛いわけではなく、恐怖の対象であり、時に少年少女の精神的成長に立ちはだかる、乗り越えるべき高い壁でもあったのだ。
犬は買うものではなく、貰うもの、もしくは拾うものだった。
うちの犬も近所で生まれたのを貰ってきて育てた。
親父は犬に自由を与える方針だったから基本、放し飼いだ。
だからいつも外を勝手気ままに歩き回っているうちの犬は、車に撥ねられて片脚をびっこひいていた。
自由な犬なので、朝は小学校までついて来てしまう。
「ダメだよ!」と言って追い払っても数十メートルの間隔を開けてついてくる。
わしが止まればやつも止まり、わしが歩き出せば、やつも歩き出す。
学校に行くには大きい通りの信号も渡らなければならない。
日本で最も大型車の交通量が多い凶���な道路だ。
この信号機にダンプカーが突っ込み、信号機の下敷きになってわしの習字の先生は両足を複雑骨折した。本当に凶悪である。
わしが通りを渡りきって安心して振り返ると道路の向こう側に座ってこちらをじーっと見ている。嫌な予感がしつつも学校へ向かった。
1時間目の時、3階の窓からふと外を見ると、校内を縦横無尽に走り回っているやつがいた。先生の車のタイヤにオシッコもしている。
休み時間になると公衆電話で家に電話をして親父に犬を迎えに来させた。
捕らえられたやつは、自由を満喫しきった最高の顔をしていた。
そんなやつも8歳で死んだ。
フィラリアが原因だ。
死ぬまでの数日、親父はやつを玄関の中に入れてやっていた。
家族に見守られてその犬は息を引き取った。
頭の良い犬だった。
放し飼いにしているから、近所の犬嫌いのおばさんがよく保健所に通報した。
朝がた、犬は保健所の人に追われて逃げてくる。
親父の部屋を知っていて、その部屋の壁に外から何度も体当たりをして親父を叩き起こした。
すると親父が窓を開け、保健所の人間を怒鳴りつけた。彼らも納得はいかなかったろうが、親父の迫力に押されて帰っていった。
あの犬は親父を信頼していたし、そんな犬を親父も可愛��っていた。
今なら中型犬が8歳で死ぬなんて短すぎるかもしれない。
家の中で飼われている猫なんか、20歳なんてのもいる。
別れた女房は動物病院で働いていたからか、動物の長生きを優先させる。
クソ高いペットフードを買い与えているおかげで、うちで飼われている猫は毛艶も良く、17年も生きている。
犬にとっての幸せとは何か。
よくそんなことを考える。
というか犬好き(もしくは猫好き)の人であればいつも我が家の大事な家族の幸せを考えるのは自然なことだろう。
多くの人は病気をせず、長生きしてもらいたいと考えているはずだ。
でもそう考えているのは人間だけだ。犬は痛いのは嫌だろうが、別に長生きしたいとか思っていない。
そもそも犬には時間の概念もない。今を生きる動物だし(大抵の動物はそう)、犬にとって過去は記憶という名の今を生きるための情報で、ご主人様との思い出を振り返って感慨に耽るなどということはしない。
未来に関しても予測という名の今を生きるためのスキルだ。予測に近いが、「餌をくれるかもしれない」「散歩に行けるかもしれない」と期待をすることはあるだろう。
だが犬にとって長生きイコール幸せとは思わない。
犬(狼)には社会性があり、群れで狩をして生きてゆく。
ある動画で、3匹の狼が狩をしている様子をトレイルカメラで捕らえた映像を見た。
2匹の狼が殺したイノシシを片方が首の部分を、もう片方が後ろ足部分をそれぞれ咥えて運搬していた。
そしてもう1匹は周りを警戒しながら運搬している2匹を警護しているようだ。
おそらく群の他の仲間の元に獲物を持っていって皆で食べるのだろう。
仲間を大切にする生き物だというのが良くわかる映像だし、何よりも強い社会性を感じさせるものだった。
だから犬には仕事を与えるのがいい。
救助犬、介助犬、警察犬、牧羊犬、盲導犬、猟犬、様々な探知犬、
これだけの職業を持つ動物は犬しかいない。中にはガンを発見する犬もいるというから驚く。
犬は人間という群の中で役割を与えられ、仕事をこなすことに喜びを感じている。
それは間違いない。
普段うちの中でさほど言うことをきかないうちの犬も、猟場や自然の中で行動しているとすごく言うことをきく。
心なしか顔つきもキリッと男らしい(メスだけど)。
それに心が読めるんじゃないかと思うくらい予測のスキルが高く、行って欲しい方向にスッと走る。
ただしリードを付ける普段の散歩ではこうはならないものだ。
人間の幸せについて研究した結果、自分の期待を上回れば幸��、下回れば不幸と感じるそうだ。
犬にもそれが当てはまるかはわからないが、期待に応えてあげられるとき、犬は喜び、それを見たわしも喜びを感じるものだ。
幸せという概念も人間だけのものだろう。
少なくとも犬は、群の中の信頼関係の元、ともに行動する喜びを知っている。
だから今期のシカ猟では留守番となっていたうちの犬も、来季は一緒に山へ連れて行こうと思う。
うまくいけば一緒にシカを狩りたい。
共に喜びを感じたい。
それが犬にとっての幸せにもつながるのだろうから。
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Reaper
平成30年1月24日
「プギィー!!」
ほんの数メートル先でシシが叫んだと思ったら、5頭の獣は忍者のような速さで蜘蛛の子よろしく四方へ走り去り、わしはその場にポツンと取り残された。
完全に油断をしていた。ミロク7000SPは背中に張り付いたまんま眠っている。もちろん弾も装填されていない。
今日の山は風が荒れ狂っている。
この風のおかげでわしの気配は消され、獣に気(け)取られずに済むわけだが、わしからも獣の気配を取りにくい。とりあえずいつもの山の中層を獣道に沿って反時計回りに歩くことにした。
しかし一向に獣と出会えず、半周したところで考えを変えた。
谷を越えた先の山を攻める寸法だ。
しかし以前登ったときはシカには一頭も出会えなかった。それでもヌタ場や寝屋はいくつも見つけていたから、もしかしたらもしかするのではと踏んでいたのだ。
「よし、さっさと登ろう。時間はあまりないぞ」
そのとき、シカが叫ぶ声がした。
振り返って山の稜線を見上げると1頭のシカがこちらを見ている。
逆光で影になっていたが、あれは1週間前に孤児にしたバンビだ。間違いない。この山で小さいシカが1頭でいるはずがないからだ。
しかし半人前のハンターはあのバンビを撃つ気にはなれなかった。
バンビは反対側の谷へ向かって走り去った。
山を登り始めて20分ほどで最初のシカに遭った。
やはり風のせいか相手は人間に気づくのが遅い。
ゆっくりと追ってゆく。
しばらく尾根を登ると、右手の斜面に2頭見つけた。
彼らもゆっくりと尾根を登り始め、よく見ると右手に見える主尾根下の斜面に4頭貼り付いている。
「ピャッ」と声を出して先の2頭を呼んでいるようだ。
「死神がきたぞ!早くこっちへ逃げてこい!追いつかれるぞ!」
しかし2頭は逃げるタイミングをつかめず、尾根をピークへ向けて歩き続ける。
わしはゆっくりと歩きながらチャンスを窺っていた。
間を詰め、射程内に2頭を収めた。
しかし引き金を引く直前に2頭は突然走り出した。
遠くにいる4頭も走り出し、皆、主尾根を越えて行ってしまった。
仕方がないので主尾根を北へ向かった。
途中立派な角を持った牡鹿や体格の良い牝鹿にも出会ったが、距離やタイミングが合わず撃つことはできなかった。
そろそろ時間いっぱい。
解体したり運搬することを考えると13時半には終えたい。
もうその時間だ。
尾根の東側をなんとなく覗いたら2頭のシカが北へ向かって斜面を走って行った。
これまたボケっと油断をして見逃してしまった。今日はなんかギラつきが足りないんじゃないか?自問しつつその群れを追おうとしたその時だった。
「ビャーッ」
聞いたこともない悲痛な呼び声が南側から聞こえてきた。
ゆっくりとその方向を覗くと、あちらもそ~っと覗いてきて目が合った。
どうやら彼女だけ逃げ遅れてしまったらしい。その表情は不安そのものだ。
30メートル先の彼女の胸に照準を合わせて引き金を引いた。
ノックダウン。
大きな体は急斜面をゴロンゴロンと転がり落ちてゆく。
60メートルほど落ちたところで止まった。
山の頂上付近にデポしたザックを取りに戻り、再び獲物のところへ向かう。
その途中、解体場所と手順を頭の中でシミュレートする。
グーグルマップを開くと、このまま谷底へ落とせば前回解体した場所からほど近く、回収ルートを想像するに容易かった。
獲物の胸にナイフを滑り込ませて血を抜く。
しかし心臓が止まった身体からはほとんど血は流れず、気休め程度だ。
予定通り解体場所へ運ぶため、獲物を谷底へ向けて転がし始めた。
するとすぐに沢が現れ、そこを利用して獲物を下ろせるのではないか?
そう考えたのが間違いだった。
獲物を沢へ落とす。
しばらく引きずると滝が現れた。
落差は3メートルほどだが、このまま獲物を滝下へ落とそうとするとかなり危険だ。
足を滑らせる可能性もあるし、落ちる獲物に巻き込まれるかもしれない。
ザックから30メートルの補助ロープとハーネス、エイト環など懸垂下降セットを取り出す。
木にロープをセットして、自分の体をビレイしながら獲物を落とし、自分もそのまま垂直に下降する。
足元が悪いので、ロープをつけたまま獲物を引きずる。
また滝にあたる。
獲物をその場に置いて来た道を登り返し、ザックなど荷物を取りに帰る。
再び登り返してロープを回収した。
ロープをセットし、獲物を滝下へ落とす。
これを3回は繰り返した。
最後の8メートルの滝を越えて、谷底へ着いた時は15時になろうとしていた。
急いでバラさねば。
近くに獲物を吊るし上げる適当な木が見つからない。
仕方ないので寝かせたまま解体を始めた。
泥などに気をつけながら腹を開き、内臓を引き出す。
腰が痛い。
腹も減った。
休みたい。
どの訴えも自分自身で却下だ。早くしなければここはいずれ暗闇に覆い尽くされるだろう。
闇の中数十キロの荷物を背負って軽トラまで戻る自信ははっきり言って、ない。
そうなれば山中ご一泊となってしまう。
それはそれで少しワクワクもするが、明日は仕事だし家では犬のハイジも待っている。
とにかく急いだ。
解体を終え、各部をザックに収納し、残滓を埋設し終わった頃には日の入りまで残り時間20分を切っていた。
通常なら軽トラまで1時間かかるが、とにかく帰ろう。
ザックを背負って沢筋を歩き始めてすぐに絶望した。
「なんじゃこりゃ?」
沢を大木が塞いでいる。
数十本の倒木が斜面を滑り落ちて、行く手を阻んでいるのだ。
このまま進むのは不可能。
もはやこの荷物を背負って急斜面を登るしかない。
しかもあまり時間をかけられない。
直登だ。
覚悟を決めて登り始める。
この地は「地滑り防止区域」崩壊する可能性もある区域だ。
あらゆる岩や石は呪いがかかったようにボロボロと崩れ落ちる。
だから岩肌に取り付いてはいけない。
木の根を探し、腐っていない気の幹を探し、それらをつかまえて、獲物を背負った100キロ近い身体を頂上へ向けて徐々に引き上げる。
ふくらはぎはパンパンに張って悲鳴を上げている。
山の中は平地よりも早く闇に覆われ始めた。
斜面に落ちているちょうど良い太さと長さの枝を拾い上げ、杖にする。
杖があるのとないのとでは、疲労度が全く違う。当然ある方が良い。
尾根に身体を引き上げた時、すでに日の入り時刻を過ぎていた。
ザックを降ろし、地面に転がり大の字になった。
地面には沢山のシカのフンが転がっていただろうが、関係ない。
「少し休ませてくれ」
自分自身で了解した。
2分休んで、ザックからヘッデンを出し頭に取り付けた。
ザックを背負うと再び歩き出す。
結論から言うと、直登したのは正解だった。
バンビがいるこの山はすでに勝手を知っていて、多少暗くても道迷いはしない自信があるからだ。
軽トラに着いた頃、周りは闇に覆われていた。
単独猟では、誰の助けも借りられないし、当然ながらすべての責任を背負って山に入る。自己完結型の狩猟スタイルである。「肉を持って帰る」ことが���変なことだと、簡単ではないと、しみじみと感じていた。
空を見上げると半分になった月が南の空に登っている。それは疲れ果てた死神をぼんやりと照らしていた。
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Break through
平成30年1月17日
今年度(2017年度)から齢45にして大物猟に挑戦しようと房総の山を訪れてから5度目の出猟。
シカはまだ獲れていない。
いつもの場所から山へと入る。
山道の斜面を下るとすぐに持ち主がいなくなった、今にも崩れ落ちそうな古い山村の廃屋が見えてくる。
その横の土塁を越えたところには竹林の中に小さなヌタ場があり、大小様々なシカのフンやシシのフンがあちこちに落ちている。
竹林には大きな獣道が出来ていて、いつ来ても新鮮な足跡が山へと向かって続いているのだ。
足跡を辿って山へと向かう。
ここは山の6合目。房総の山はどれも低いから、この場所からすでに頂上が見える。
先日訪れた時は親子のシカ2頭を見かけ、照準を合わせたが、走られてしまった。
悔しい思いをしたのだが、もしかしたらまた会えるかもしれないと思いつつも、まさかそんな上手くいかんだろうと半ば諦めていた。
ザックを下ろし、スラグ弾をミロクに詰める。
ふと顔を上げるとシカと目があった。
わしは瞬間的に身体を凍らせたように動きを止めた。非常に不自然な格好ではあるけど、動けばシカの不信が確信に変わってしまう。
じーっと見つめるシカ。わしも目を逸らさない。
しかし歩いている途中でフリーズ状態となったので、右足なんか踵が浮いていて、つらい。
こういう時間が止まってしまった人のパフォーマンスっていうのを若い頃バンクーバーで見たことがある。初めて大道芸人にお金をあげたのもその時が初めてだった。
どれくらい経っただろう?
シカはようやく「気のせいか・・」とその場で草を食み始めた。
すると木の陰からシカの子ども(バンビちゃん)が母親にすり寄って来た。
お母さんの隣で仲良く草を食むバンビちゃん。
その隙に中途半端に木化けしていた自分の体をそぉーっと動かして膝射の姿勢をとった。
銃口を母親へ向ける。
母親も子どもも少し移動して木の陰に入ってしまった。
少し経つと顔が覗いた。母親のシカだ。
レッドドットの赤い点を彼女の頭に合わせる。
とは言���わしの銃は上下二連のスポーティング銃。命中精度は50メートルで30センチにまとまるくらいだ。
母親の体が見えるまでその姿勢で待った。
草を食みながら前進する母ジカ。
バイタルポイント(急所)に照準を合わせて引き金を引いた。
一瞬驚いた様子でシカは走り去った。
続いて子ジカも母の後を追った。
しかし思ったよりもリアクションが少なく、去る姿は、そんな訳ないのだがスキップしているようにも見えた。
急いで現場へ走り、血痕を探した。
なかなか見つからなかったが、小さいのを一つ見つけた。
「中ったんだ・・」
すぐに親子の後を追ったが、見つからない。
焦ってキョロキョロと360度見回していると、尾根の反対側から「ピャッ」とシカが鳴いた。割と近い。
足早に声のした方へと向かう。また「ピャッ」と鳴いた。かなり近い。
足を止め、じっと声のした方を見るとすぐ近くにシカがいた。こちらを見ている。バンビちゃんだ。
再び「ピャ」と鳴いて走り出し、山を駆け下りてあっという間に谷を越えて行った。
バンビちゃんを追おうと思ったが、少し考えてやめた。
バンビちゃんはここでなかなかやって来ない母親を呼んでいたのだ。
先ほどの場所に戻り、隈なく探すと血糊を見つけた。
血の跡を辿ると次第に血痕が大きくなっている。出血が増えているようだ。
すると山の斜面をズルズルとゆっくり転がっていくシカをみつけた。母ジカだ。
母ジカは懸命にわしから逃げようともがき、やがて沢筋へと転がり落ちて行った。
わしが追いついたときには彼女は絶命し、瞳の奥からは魂の火が消えていた。
シカを解体するために谷底へと引きずっていった。
そこで腹を割き、内臓を引きずり出した。
ものすごい臭いがする。「これがシカの匂いなんだな」と実感する。
「ピ~ヒョロロ~」
見上げると上空には5羽のスカベンジャーが旋回している。
トンビもカラスも驚くほど死の匂いを嗅ぎつけるのが早い。
シカの身体はハラワタを抜いても結構な重さがある。
木に吊るすため、ズルズルと引きずり、後ろ足に丈夫な木の棒を括り付けた。
小型のプーリーを木の枝にかけて、木の棒に繋いだロープを引いて獲物を吊るし上げた。
バークリバーのナイフを取り出して皮を剥ぎ、頭を落とし、関節を外してバラバラにした。
ほとんどの部位を持ち帰ろうと、ザックに詰めてみる。
「どう考えても頭は入らないなぁ・・」
しかたがないので、タンだけをあごの下から切り出して、あとは埋めることに。
内臓と頭を埋設して、ザックを背負おうとするが持ち上がらない。ドスンと尻餅をついた。
お尻を地面につけたまま、背中にザックをあててショルダーストラップに腕を通す。
一度前かがみに四つん這いになってから気合いを入れてグイと持ち上げた。
ジムでは96キロのバーベルスクワットをやっていた。それでもこいつは半端なく重く感じる。
さらに4キロの銃を背負って移動しようとした時だった。
山のすぐそばから「ピャッ」とシカのなく声がした。バンビちゃんだ。
ポツリポツリと予報通りの雨��降り始める。
わしは歩き始めた。
背中から何度も何度もバンビのなき声がこだまする。
雨はいつしか激しさを増し、
沢沿いを歩いていたが、そろそろ山を登らなければならない。軽トラックを停めてある場所は尾根を走る林道だからだ。
しかしどこも急斜面で手がかりがない。
じっと探すと唯一登れそうな獣道がある。
普段ならなんてことない斜面だが、この重量を背負っているので足が泥に取られてズルズルと滑る。
獣道というのは、当然シカや猪の足のサイズでできている。斜面のものは踏み固まっているわけではないから雨が流れればぐちゃぐちゃだ。
自分の体重を合わせれば優に100キロを超えているだろうから、そこを簡単には登れない。
木の根や幹につかまり、少しずつ登る。ここで滑り落ちれば岩場に真っ逆さまだ。
しかしその木の根や幹も信用できない。いくら太くてしっかりとした佇まいでも実は腐っていたりする。それに全体重かけて体を持ち上げようとすれば、真後ろへとさようならだ。
やっとの思いで平らな場所に出るもそこは倒木した竹が行く手を阻む竹林の墓場だった。
ドロドロの地面に座って休憩できるわけもなく、数十キロの荷物を担いで倒れた竹の下をしゃがんでくぐったり、立ち上がってまたいだり、トレーニングであればこれもまた良しだが、もう勘弁してくれと口に出して呟いた。
竹林を抜け再び急斜面を登りきると、知った場所に出た。
そうなると不思議と力が湧いてくるもので、ずんずんと進み始めて普段と同じわずか10分で林道へと出た。
軽トラックへ到着すると荷物を積み込んで、ショットガンと弾薬を鍵付きの荷台トランクへとしまい込む。
そして血と汗と雨でぐっしょり濡れた服を着替え、車のエンジンをかけた。
しかし「狩」というものはこれでは終わらない。
渋滞にはまり3時間の道のりを4時間かけてうちに帰ってきた。
1階のベランダから荷物を入れる。
帰りを待っていた月子は手早く肉を洗い、水分を拭ってラッピングする。
わしは銃が錆びないように分解してガンオイルを吹き付け、スネークボアを銃身内に潜らせる。
1時間後、やっと落ち着いて風呂に入ることができた。
この日初めて大物を獲ったわけだが、正直素直に「獲ったどー!!」とは喜べなかった。
帰りの道中も孤児にしたバンビのことなんかを考えていた。おセンチになっているわけである。
つまりは、わしはまだハンターにすらなれていない。
「どうぶつ」が「獲物」に変わったとき、今日足を踏み入れたハンティングワールドのプレデターとなれるのだ。
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