soichirokato
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いってきます
110 posts
加藤です。色んな事に触発され、始めてみます。
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soichirokato · 2 years ago
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いつの間にか(2023.4.9)
年とりますよね。
ぼやぼやしてられない、とつくづく思う。
人生的には多分、この数年が今後を左右する気もする。
周りには結婚し、家庭を持つものもあり、
事業を始め社長になるものもあり、
冥土に行ったものもあるけれど、
僕はどうするか。
自分の人生を左右するのは自分。
8年強、一定の条件のもと働けば、私も個人事業主になれることはなれるけど、
それもどうしていくかも自分。
でも、2016年に思った、作家として生きていきたいと思ったのは
変わらずある。
何もしてないじゃないかと思われても仕方ないけれど。
もう一回、スタートラインに立ってみてもいいですよね
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soichirokato · 3 years ago
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新高梨に関するメモ(2022.7.31)
新高
新高(にいたか)は赤梨系の晩生種で、和なし生産の11%を占める生産量第4位の品種である。
菊地秋雄が東京府立園芸学校の玉川果樹園で天の川と長十郎を交配させて作った品種で、1927年に命名された。名前の由来は当時日本で一番高い山であった台湾の新高山(玉山)より。当時の命名基準では国内の地名を用いることになっており、優れた品種であることから、日本で一番高い山の名称を用いたという。収穫時期は、10月中旬から11月中旬。500グラム - 1キログラム程度の大型の品種で、果汁が多く、歯ごたえのある食感で、味は酸味が薄く甘い。洋なしほどではないが芳香もある。比較的日持ちが良い。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%B7
また、天の川に長十郎ではなく今村秋を掛け合わせたと考えられていたのが原因で、それぞれの品種の原産地である新潟県(天の川)と高知県(今村秋)の頭文字を取ったという俗説がある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%B7#cite_note-15
系図
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%B7#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Pear_family_tree.png
玉山(台湾)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E5%B1%B1_(%E5%8F%B0%E6%B9%BE)
真珠湾攻撃
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%8F%A0%E6%B9%BE%E6%94%BB%E6%92%83
戦火の記憶 戦後75年 1945→2020>運命の電報 ニイタカヤマノボレ 一二〇八 開戦告げた無線塔
https://www.tokyo-np.co.jp/article/73022#:~:text=%E9%96%8B%E6%88%A6%E3%82%92%E6%8C%87%E7%A4%BA%E3%81%97%E3%81%9F%E6%AD%B4%E5%8F%B2,%E9%9A%8A%E3%81%AB%E7%99%BA%E4%BF%A1%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%80%82
海軍無線電信所船橋送信所
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E7%84%A1%E7%B7%9A%E9%9B%BB%E4%BF%A1%E6%89%80%E8%88%B9%E6%A9%8B%E9%80%81%E4%BF%A1%E6%89%80
ニイタカヤマノボレが船橋送信所から送信されたのは知っていたが、新高梨の「新高」と同じニイタカとは知らなかった。
(俗説あり)
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soichirokato · 4 years ago
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soichirokato · 5 years ago
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父についての追記(2020.5.23)
先日、父についての投稿をしたのでその後を書いておかねばと思い。
先日の検査入院の後、退院。
最初腹痛を訴えていたが退院後も少し続いたものの改善。
当初、癌か感染症かなんて言われていた。
もし、病状が悪化した場合、
最悪亡くなった場合のシミュレーションまで母とした。
退院直後は検査結果が判明せず一旦保留となったのだが、
その後CTやらなんやら撮ったらしいのだが、
その疑いのものは綺麗さっぱり無くなっていたようで、
本人も何の症状も無くなり、ほっと。
ただ、要経過観察ということで、
一定期間過ぎた後、再度検査をするらしい。
この件で、「いつまでもあると思うな親と金」を
思い知らされた。
当たり前なんて、あるようで無いのだろう。
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soichirokato · 5 years ago
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父がたおれた
先週のことである。
倒れたと言っても、ばたりと倒れた訳ではなく、不調を訴えて取り敢えずは検査入院であるが、私の生まれる以前に複雑骨折をした自動車事故以来の入院らしい。また、コロナ云々で面会は不可能。荷物のやり取りも職員を通して。日帰りのはずが10日間入院で今は3、4日目。
私自身の仕事と社会の先行き不透明さに加え、父がどうなるか分からない不安。
これを書いたところで、父の状況がぐんぐん良くなる訳ではないし、コロナウイルスがどっかに消えていく訳でもない、可哀想だとか言われたい訳でもない。
ここに私が生き、不安であるということを取り敢えず残しておく。
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soichirokato · 6 years ago
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僕がカレーを好きな理由について(2019.4.20)
僕はことある度にカレーを食べる。何ででしょうか。Google先生も知らないでしょう。
僕が食べた中で一番好きなカレーは、じゃがいも、ニンジン、玉ねぎ、牛肉を市販のカレールウで煮込んでいるやつ。言わば、家の味、お袋の味ってやつかもしれない。カツカレーとかよりは、野菜がゴロゴロ入ってるほうが好き。
一昨年、ネパールへ行ったとき、旅の裏目的として現地のカレーを食べるということがあったけれど、向こうのもそれはそれで美味しかったのだけれど、それはそれであったのだった。
僕にとってのカレーは特別な食べ物であると考える。それは前述のようにカレーの味が特別であった訳ではなく(何かで出汁を取るって言っていたので、他と比べると特別であった可能性はあるが)、家族5人の時間を想起することと、おかわりを容易にできたメニューであったからであると考える。
おかわりと言うことは、非日常をはらむから素敵なのかもしれない。イベント。小学生のとき、給食を残すことはまず無く、余っているものがあると聞きつけると、率先して前へ立ち取り合いに参戦したものだった。中学生でもそれは続き、全クラスごちゃまぜで食堂で食べるようになり、一定の時間になると配膳のレーンの前にできるおかわりの猛者が集まる、おかわりレーンのようなものができ、Aの和食、Bの洋食に別れて、それこそかけっこで並んだものだった。家でもそれは同じで、父と祖母、母は加減するものの兄と取り合いになったように思う。
5人の時間を想起するというのも多少書いたが、カレーは特別だったかも知れない。祖母は精神科の病院に看護師として努めていて、入院患者のために(曜日感覚を保持するために)毎週金曜日はカレーだったと聞いていたので、好きでは無かったように思うが、料理に凝る母は普段の息抜きだったかもしれないし、父も兄も自分も好きだったと思う。僕は家の外でカレーの匂いを嗅ぎつけるとワクワクしたもので、それが自分の家でないときはガッカリしたくらいだった。
やがて兄は高校を卒業すると鉄道会社に就職し夜勤が多くなり居を移し結婚もした。父の定年退職を機に、両親と自分は居を移し、祖母も老人ホームへと居を移した。
家族5人は別々に歩き始めた。
あの時間は16〜17年というものであった。まだ20代半ばの自分としては大半である。
今こうやって書いていると、あの時間は好きであったのだと思う。自分は果たしてこの二人から本当に生まれたのかと疑問に思うこともあれば、兄とはしょっちゅう喧嘩したし、誕生日プレゼントに計算ドリルや板チョコを渡すような祖母とはあまり一緒にいたいと思っていなかった。でも、自分はその中で育った。
カレーは自分が育ったあの環境を想起するのだ。
思い出に縋ってるだけだと言われてしまえばそれだけだとしか言わないが、カレーというものが自分自身というものを保つために定期的に摂取しなければいけない薬なのかもしれない。
好き、と言うか生きていくために必要なのだと思った。これから必要ではなくなっていく時が来るのかもしれないが。
と、帰りながら考えた。
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soichirokato · 6 years ago
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香港でアートをぐるり(2019.4.1)
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29日の深夜に羽田を発ち、1日早朝に羽田へ戻る。
その間、香港でアートを浴びてきた。
ART BASEL HONG KONGと
世界的に扱われるギャラリーの存在を知っていて、
自分の中では近いうちに行かなければならないところであると
感じていたが、アートフェア東京に行った時に、
北さんに「この何倍も出展していて、
アーティスト、ギャラリー、作品のレベルが幾段も高い」
という内容をきき、行かない理由は無いだろうと感じ、
行ってきた。
ここで、自分なりに咀嚼したいと思う。
この滞在に際し、全てと言って良く考慮していただいた北さんと、
お邪魔させていただいた冬青社の皆さんには深く感謝申し上げます。
迷惑となってしまっていた部分がありましたら、
申し訳ありません。今後の糧にさせてください。
(ハルさんのキャップを凝視してしまっていた。
これを買ったのは出発前、空港の自販機。)
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soichirokato · 7 years ago
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人生を消費しているような(2018.6.24)
この土日は本当に何もしなかった。
強いて言えば、先日、購入を決めたプリントの額装を
どうするかということを購入させていただくギャラリーと
メールでやり取りしたくらいだ。
一昨年の今頃に前職を辞め、半年ほどフリーター期間があったが、
この時期は、毎度のこと気分が著しく落ち込む。
この時期を過ぎると、あっという間に年末になっている。
最近、現職も一生やっていくべきことでは無いと悟り、
(同僚のプライドの低さ、仕事における協調性の低さ、危機意識管理)
今すぐ足を洗わないにしろ、これからのことは考える。
小さい頃は考えもしなかったが、生きていくのは、
こう言う事なんだと、やっと思う。
今はただ。
先日、前の大学の後輩から会わないかと誘われ、
どうしたかと聞くと、旧友が自殺し、一人ではいられなくなったらしい。
勿論、知り合いでは無いが、自分の大切な一部を失ったような気がした。
最近、習い事の先生、友人の父、叔父、同級生など、
比較的若く亡くなった人のことが頭に浮かぶ。
きっと、お盆より少しだけ早くこちらにいらっしゃったのだろう。
何を目的にこの文章を書き始めたかよく分からなくなって来ているが、
この一時一時を噛み締めて生きて生きたいと
「ボクの妻と結婚してください。」を観て思った今日この頃。
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soichirokato · 7 years ago
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どう生きていくか(2018.5.22)
ざっくりとしたタイトルを書いてしまった。
私は2016年に商学系大学を退学し、京都造形芸術大学に入学した。
これは、私がアートに��を置くべくして最初に取った行動なのだろうと考える。
それから2年経過し、2018年となった今であるが、
卒業もしていないし、目に見える変化があったかと言われると、
他の人からは見えないかもしれないが、
私は少し実感する。
入学以前は尤も、世間のそれと変わらなかった程度だったと思う。
今は入り口が見える程度の所に立った者ではあるが、
美しい・綺麗・可愛いだけではない部分、
ビジネスとしての部分、
社会に影響を与える部分。
それとなく分かる。
ここ半年は特に、プリントのコレクションを始め、
作品に、少しばかりではあるが関与する悦びを覚えた。
これから、どう生きていくか。
作品を作るのはもちろんのことであるが、
自分自身がアートとどう関わって生きて行くか。
これは、今すぐに出る答えではないが、
自分の中に確固たる決意として持っておかなければならない。
ひとつこれだけは、と思うのは、
生きているうちに評価され、死にたいと思う。
色んな価値観はあれど、死ぬと言うことは死ぬと言うことだから。
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soichirokato · 7 years ago
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創り始める(2018.5.6)
と言いましても、最初は調査からですが。
調べ始めると初っ端、キーになっているものが、
発禁本となり、既に回収されているらしく、
ソースがあまり無いらしい。
こういうことがないと、一生知る由もなかったことだろう。
自分を知ることとなり、日本を知ることとなり、世界を知ることとなる。
私の観点からであるが、自分が創る上、
自分が軸足でおかしくないはずだ。
自分が創る意味が生まれる。
でもその写真がやがて、人の前に立つこともあるわけで、
その時の為にも、自分をしっかりと持ちたいと思う。
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soichirokato · 7 years ago
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ヤング・ポートフォリオ2017(2018.4.29)
28日に山梨県は北杜市にある清里フォトアートミュージアムで行われている、
「2017年度ヤング・ポートフォリオ展」を拝見してきた。
昨年、2016年度展を拝見したので2度目となる。
先日、都写美で行われている収蔵展も拝見した。
ヤング・ポートフォリオ(理念、HPより引用 http://www.kmopa.com/?page_id=251 )
第3の基本理念である「ヤング・ポートフォリオ」は、写真表現に情熱を燃やす青年たちの創造性に富んだユニークな作品を後世に残すために、当館が募集するものです。この募集はコンテストではなく、当館の収蔵作品として優秀な作品を収集する活動の一環です。
毎年35歳以下の若い作家の作品を公募し、選考の後、当館のパーマネント・コレクションとして購入し展示しています。未だ評価の定まらない、完成への途上で闘っている青年たちの作品にこそ、時代を切り拓く力が秘められていると私たちは考えています。完成度は高くないが、独創的で表現意欲の高い作品を美術館が購入することによって、若い作家に勇気を与えたい。今後も写真をめぐるさまざまな変化に柔軟に対応し、作品の収集、展覧会、出版活動などを通して若い作品と作家をバックアップし、広く社会に紹介したいと考えます。
自分が35才以下である以上、気にせねばならない様な気がして、
心の片隅に置いている。
以下気になった作家・作品。
ジーヨン・イ/ Jeeyoung Lee
http://www.opiomgallery.com/en/artistes/oeuvresphotographe/17/jeeyoung-lee
In the midst of each of these sets stands the artist : those self-portraits however are never frontal, since it is never her visual aspect she shows, but rather her quest for an identity, her desires and her frame of mind. Her creations act as a catharsis which allows her to accept social repression and frustrations. The moment required to set the stage gives her time to meditate about the causes of her interior conflicts and hence exorcise them; once experienced, they in turn become portents of hope. (HPより引用)
ソン・テワン / Song Taewan
物質の想像する素材感が現実と乖離している様な感じがとても強い。
ただそれも四角に切り取られた紙の中。
現実とは何だろうと想う。
関根大樹 / Sekine Daiju
http://skenographia.net/works/disorder-traversal/
現実は単に経験された事実ではなく、可能性を背景にして意味を持った他ならぬこの世界として構築される。可能世界といったとき、遊戯のように野放図に、空へ向かって分岐していく多元宇宙を想像してはならない。そうではなく、それはむしろ現実の裏側に張り付き、それを支える地下茎のようにつねに密かに在る。言語が入れ替え可能な要素で構成されながらも、音声として話され文字として書かれる言葉は単線的であるように、写真もまた異なる複数の視点を蔵しながら、わたしたちが手にするのは二次元平面の画像だけだ。それは光学的事象でありながら、���時に形而上学に属している。(HPより引用)
サンヒュク・ユン / Sanghyuk Yoon
http://sanghyukyoon.com/
I would like to raise questions about territories between culture and nature. I have an impression that we human beings dig up the ground, and construct our own world for ourselves, not for animals, plants and Mother Nature. I believe that the earth has been re-imagined and reconstituted based on human desire and needs. But how do animals and plants fit into or accept this situation and space? They may embrace this new world as their environment, but spaces built by humans desire recreate nature and strip it of its true character. This project originated in sympathy towards nature. (HPより引用)
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soichirokato · 7 years ago
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A(2018.4.28)
昨日は北桂樹さんの新作「AA+A」のクロージングパーティーに参加するべく、
ギャラリー冬青に行ってきた。
北さんとは、自分が2016年に京都造形大学に入学した直後、
新入生ガイダンスの時にお話ししたのが最初だったと思う。
その時会話の中で、「写真家(作家)になるために大学へ入った」
と私が言った。
北さんは私のことを紹介する時、必ず「写真家の加藤くんです。」と言ってくださる。
それ以来、浦川さんと出会い展示を見に行くのをご一緒させていただいたり、
感謝この上ない。
入学前、ギャラリーと言うのは無意味に敷居が高い場所という風に思い込み、
殿様の前で切腹するくらいの気持ちでいたが、それも消え去った。
昨日のクロージングパーティーも、
北さんの作品を介して集まった、何とも形容し難い、
とても素敵な空間だった。
僕は元来、人見知りである。
高校3年生の時は、漫画に書いた様なそれだった。
でも、まだ深い素養はないものの、
アートを介する空間は好きであると思う。
僕はまだ、作品のない写真家である。
僕が今死んだら、諸々遺品整理されて倉庫の奥に追いやられるかも知れない。
ただ、まだ死んでいないし、
その何とも形容し難い、とても素敵な空間を自分の手から生み出したい。
最近、具現化したいものが出来た。
まだもやっとしているが薄霧を晴らしていきたい。
(最近、北さんに傾倒しすぎではないかとか、師匠と弟子だからとか、仰られる方がいらっしゃいますが、師弟関係を契約している訳ではありませんし、傾倒している���もしれませんが、私も一成人で一人格ですし、作品の好みも必ずしも一致するとも限らないです。心配は有難く受け止めますが、御無用なので、悪しからず。返答に困ります。)
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soichirokato · 7 years ago
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炭酸を飲むと疲れる(2018.4.12)
11日は冬青社で北さんの回の本棚のイベントに行ってきた。
北さんと浦川さんとご一緒させていただくとき、
本の話になることもあるが、私は必ずしも分かる訳ではないので、
ぽかんとすることもあるが、
その実体を拝見させていただけること、とても幸せである。
私が気になった本は、シャーロット・コットンの「写真は魔術」と
スティーブン・ギルの「Anonymous Origami」だ。
「写真は魔術」は中身を拝見しなかったので話せないが、
「Anonymous Origami」は、
トイレの使用した後のトイレットペーパーの親玉の端くれを
次の人のためにに折ってあるものを写した作品だ。
三角形であるものが多いが、
「これって親切心が働いたのか?」と疑問に思うほど雑なものもあった。
作者は、それを千切って収集していた様だが、
どこで収集したものか分からない状態らしい。
それも何か、作者がある種鑑賞者と
同じ位置に立っている様な気がして面白い。
また、千切ってそこにあるのはトイレットペーパーだが、
その背景にいるもう片割れの共同制作者である名も無きトイレの利用者の
存在を意識させる様な感じがするのも面白いと思った。
(どうでも良いが、私は最近見たニュースで、
折った後の三角部分は、トイレ利用後ということが起因しているが、
細菌が他の場所に比べ、多数繁殖しているらしく、見て以降、
折ることもしないし、折ってあってもすぐに千切って流している。)
本棚のイベントに影響して本を買うこと2回目だが、
帰路に着く中、2冊とも注文した。
P.S.
炭酸飲料の話になったので、帰りに
い・ろ・は・すの炭酸飲料(メロンソーダ味)を購入。
これは色がついていないので、何とももどかしい。
かき氷のシロップのメロン、いちご、ブルーハワイは
色が異なるだけで味は同じであることを思い出す。
そもそもブルーハワイって味が存在していることは不思議だ。
多分、ブルーハワイの名付け親も、知人の体験談を聞いて、
ハワイの素晴らしさに気づき、
ハワイに行かぬ間に名前を付けたくなったのだろうと
考えて眠りにつくことにする。
(が、気になり調べる。
ハワイのカクテル、ブルー・ハワイが元の様。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AF%E3%82%A4 )
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soichirokato · 7 years ago
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3.11(2018.3.14)
7年が経過した。
震災の話になると、大概、あの日は何をしていたか、
というのが真っ先に来るような気がする。
私は当時高校生で、テスト期間中だった。
早めに帰宅し、当時日課としていた
当てもないネットサーフィンをしていた。
鳴り響く緊急地震速報の警報音、
テレビを点けると忙しなく移り変わる中継の画面。
大変なことが起こったのだと肌で感じた。
2018年3月11日、アーツ千代田3331。
午後2時46分、黙祷が行われた。
7年が経過した。
震災直後に思ったこととして、
「福島は東北じゃないの?」ということがあった。
福島県は東北電力管内だが、東京電力の有する
福島第一原子力発電所、福島第二原子力発電所がある。
私たちの為に発電している発電所が被災、事故を起こしたのだった。
しかし、莫大な被害があるのは福島なのだ。
その文脈を思い起こさせたのが
Kanakawanishi Galleryの安瀬英雄さんの「Stripe (50Hz) 」だ。
北さんのポストで知ったが、
近くでみると、自分を引き寄せ手放さなかった。
その直前にAFT2018でAndy Warholの
「Big Electric Chair」も見てある種の共通性も感じた。
気がつけば小一時間会場内をうろつき、
閉場となる17:00の直前に河西さんに
「お願いします」
と言い残し、帰路へついた。
とてもワクワクしている。
7年が経過した。
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soichirokato · 7 years ago
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アートフェア東京と3331アートフェア(2018.3.11)
3月11日まで開催の東京国際フォーラムで行われたアートフェア東京2018と
同じく11日までのアーツ千代田3331���行われた
3331アートフェアに行ってきた。
KUADに入ってからアートフェアは代官山フォトフェアや
ART in PARK HOTEL TOKYOなどへ行ったが、
アートフェア東京は特に大きいマーケットなのだろうなあと感じる。(主観)
大きいと感じた理由の一つは多分、
他のアートフェアでは見た気がしない器のブースが多かったからだと思う。
あとは、縄文土器の販売とかもあって、お目当てがないと
時間は延々と過ぎそうだった。
(あとは、箱自体が大きい。)
一番印象に残ったのは、至峰堂画廊の山本雄教さんの作品、
「A bit coin of 1605 yen」。
(プロフィールを見ると、成安造形大学卒業後、京都造形芸術大学大学院修士課程修了とのこと)
”ビットコインをはじめとする仮想通貨は、物質的な貨幣がないため”仮想”という言葉が用いられ強調される。しかし現代の紙幣や効果はその価値が物質とは異なり、ある種では仮想ともいえる。物質的には存在しないビットコインを、一円硬貨のフロッタージュにより表している。そして作品の神とパネルの間には硬貨が入った状態であり、現実を仮装が覆い隠しているともいえるだろう。”(紹介より抜粋)
https://yukyo-yamamoto.jimdo.com/works/ (作家HP)
その後、アーツ千代田に移動しようと思い、出口へ向かうと、
待ち構えていたかのように男性に声を掛けられる。
PLETHORA MAGAZINEというアート誌のブースの方だった。
http://www.plethoramag.com/ (HP)
インドのヒンドゥー教の僧侶がデンマークのコペンハーゲンで
高度な印刷技術を用いて制作しているらしい。
何か、昨日寝違えたかな、と思いながら話を聞いていると、
とても面白そうだった。
今は年刊で一部18000円とのこと。
サイズは新聞大の大きさで、主に粗目の紙を使用しているが、
作品に合わせ、僧侶による配慮で用紙を変更しているらしい。
話の終盤には学生だということを伝えたら値引きまでしてくれるらしく、
中でもとても拘っているという話を聞いた4号を注文した。
その後、足は、アーツ千代田へ。
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soichirokato · 7 years ago
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ネパールを想う(2018.3.7)
私は昨年、友人とネパールへ向かった。
今思えば、あれほどの無計画が即時計画化し、
��週間という制約の中、時間と資金を鑑みた上楽しめたのは
良かったと思う。
が、それ以上にネパールへ行った事実が
この日本の地で私の口から声となり、
無意識的に私の血肉となっていることが面白い。
私は故郷という感覚が今まで薄かったような気がするが、
その存在を補い得るものになっているのかも知れない。
今度はいつ行けるだろうか。
今もまだ、向こうの友人と連絡を取り合っている。
Dear Nepali friends
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soichirokato · 7 years ago
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記号(2018.2.26)
人を外郭だけで記号化されるのは御免だ。
私が流行りの音楽をいつの日からか好きではなくなったのは
そうだったからかも知れない。
デカいのに
若いのに
今やっている仕事もその流れで選んだのかも知れない。
年齢という記号も、
その人を忖度する材料になり得るから嫌いになったのかも知れない。
今、私はこの時間に存在している。
それだけじゃない時も稀にあるけど、
それだけでいいじゃないか。
肌の色だって、性別だって。
やっぱり世の中、抽象的であることも必要だと思う。
今日、TBSラジオでカンニング竹山氏が
「オリンピックとパラリンピックの中間的な競技があってもいいよね」
っておっしゃていて、なるほどそうだよなと思った今日この頃。
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