Text
推しに手紙が書きたくて、 いつもの便箋を買おうと思ったら いつの間にか廃業してて ストックを慌てて買った。 推しが便箋綺麗っていってくれたし あの便箋で推しに手紙を出すのは私くらいだと思ってるから。
0 notes
Text
あと二日で、東京に帰る。 東京に住んで2年しか経っていないのに、帰るという表現を使うのが不思議だ。 祖母にあった。 もう90にもなる祖母はわたしにこちらに帰って着て、父や母と住めば良いのに、というような事を言った。そうしたら父や母も安心なのに、というような事を。 わたしは驚いた。祖母にそうした思いがあるとは思わなかったし、私がいれば父や母も安心なのだろうか。そんなに私はおとなにみえるのか、と。 若く見えることは確かだが、もう成人した女には見えるだろう。 だからといって、祖母が、昔父や母がそうしたように私にも地元で結婚して、父や母と住んで欲しいと思っているとは思わなかった。 それは別に、地元から出たい!というような思いがあるわけではなく、なんなら私はずっと実家に篭って母の手伝いをして、父の手伝いをして生きていきたい。私は三女だし甘えるだけ甘えて生きていきたい、と思う。 でも、まあ一応いっぱしに働こうとして東京にいるわけだ。 未だによくわかんない。お母さんがいないと不安なことも多いし、どうしたいのか自分でもよくわからないし。 でも東京で私に会いたいって言ってくれる人とか、待っててくれる人がいるなら、一応そういう事を信じて見なきゃって感じだ。 まだよくわからない。あおいよる。あおいよるが、私はとても好きなのに。
1 note
·
View note
Text
私がいないとかいるとかではなく 健康でいてほしいし、発作の時誰も水を運んでくれないし、だからタバコは減らして欲しい。 お酒もすぐ発作になるので控えてほしい。 健康で、長生きして、おじさんになっても綺麗な肌で、デザインに関わる仕事をしていてほしい。 隣に女の人が居ても居なくても、 健康には自分で気をつけなきゃいけないんだよ。 私がずっと昔の彼女になっても、健康で長生きしてね。
0 notes
Text
昨日から、アイドルマスターシンデレラガールズで、私の推しのイベントが始まっていて、毎年のことながら、AKBの総選挙の投票も始まっていて、胃が痛いです。 SKE48の大矢真那ちゃんに、今年もモバイル票を。 そしてCDはこれから、です。 たったの2票、と思われても真那ちゃんへの感謝を込めて、ありがとうって思って入れます(モバイル票は入れた) なんて言っていいかわからないんだけど、大矢真那という人は、例えば顔は綺麗ですがものすごく好みとかそういうのじゃなくて、真那ちゃんの在り方や、所作の美しさ、公演の素晴らしさ、そんな要素を愛しています。 まさに、私のアイドル。崇拝の対象です。 もしも、遠い未来、真那ちゃんが人生の中でAKBGを離れたら、私はずっとアイドルのこと好きだったけど、でも今は真那ちゃんしか見れないから、オタ卒しようと思ってます。 こういう時、ゲームにハマってると浮気したような気持ちが辛いなあと、やっぱり思うけど、好きな人が多い、と思うことにしました。 真那ちゃんが今年、選抜に入れますように。 もうほんとに、私のブログ見てるなら真那ちゃんに投票して欲しい。頼む。
0 notes
Text
それは私のいちばん星。 普通、をわたしはずっと探してる。 普通のことが本当にあるのなら、 それはみてみたいって思ってたから。
0 notes
Text
例えば祖父、祖父、祖母、死んだ人を思い出す時、記憶は固く、お湯をかけてゆっくりとふやかしていかねばならない。 ふわり、ようやく広がる、故人の思い出。 祖父の葬式に出ないで、尊敬している教授の授業を選んだこと、6年経って、後悔してるのかしてないのかわからなくなった。それまでは後悔してなかったし、当時はもちろん後悔はなかった。 あの時は授業が1番楽しくて、幸せだった。 私自身は葬式をしてほしいという願望もなかったので、別に必要ないだろうと思っていた。 でも、こうやって祖父のことを思い返す時に、チラッと過らないように、父母が亡くなって、葬式を望めば、出席しようと思うのです。
0 notes
Text
私は何が怖いのかな。 怯えていることを考えてる。 上手くいかない事など、沢山あるし、なんでこんなに慎重に上手くいくことを探してるのかな。 心臓が痛いくらいだ。
0 notes
Text
わたしの心が難しくってさ、人と関わる仕事とか向いてない気がするし、バイトじゃなくて正社員に拘ってるのも、意味わかんないし、なんだろ。
0 notes
Photo

桜の花びらたち というのはAKBの卒業ソングの定番。 たくさんの卒業していった女の子たちに支えられ 今もアイドルが咲いている、といったイメージ。 思い出に彩られ、自分の花びらが散るまで、 今、アイドルでいる貴女にありがとう。 誰かが卒業するたびに、 推しがまだ居てくれる喜びを噛み締めます。 大矢真那さん、アイドルしててくれて、 いつもいつもありがとう。
0 notes
Text
いつものことながらねれない。 この日はねれない、決まっているのだ。 何も考えたくないのに、頭の中は文字で埋まる。 息苦しくて、指先は震える。 書き出すと少し楽。 最近元彼のことを度々思い出す。 それは未練とか付き合いたいとかポジティブな気持ちじゃなくて、 なんかよくわからないけど、申し訳ないなぁ、という漠然とした気持ち。 あれから、長い月日が経っているし、 申し訳ないと思うことがそもそも彼の現状を知らない私には、とても烏滸がましいのだと思うが、 あの時は申し訳なかったなあ、と思うのだ。 5年くらい前だったと思う。 私にとって、彼が通り過ぎた人になった、と感じて2ヶ月くらいして、別れた。 1年と少し、付き合ったと思う。 物をくれるのが好きで、私のことが好きで、私をすごくかわいいと思っていて、筋肉のつき方が綺麗で、歳上で日々��生活は満遍なくこなすのに、最後には私がいないと人生どうしていいかわからない、と言われて泣かれたことが印象に残ってる。 私よりかわいい人はいないとか、私と結婚したいとか、そんなことを20の小娘の私に言っちゃう人だった。 だから、何というわけではないし、 未練はカケラもなく、むしろ、付き合って無用に傷つけたことはやや、申し訳ないと思っている。 あの時私を取り巻く男性の環境って全然良好じゃなかったなあ、と今更思うのだ。 告白を断ったら、ストーカー化してしまった同級生、私がいないと生きていけないという彼氏、私は男性について、あの頃からぼんやり考えていた。 欲しい人しかやっぱり欲しくない。 私がずっと欲しかったのは、私が入学当初から遠恋の彼女がいた、一つ年上の先輩だった。 いろんなことと同じだと思うのだけど、自分の欲に気づかないと、他人を傷付けてしまうのだな、と思った。 その頃から、欲望を明確にするように意識しだしたと思う。 いま、それを思い出すということは私は欲望が明確になっていないのかな、それを示唆してるのかもなあ。
0 notes
Text
母の還暦のお祝いで、帰省していた。 帰省すると、もう東京に戻りたくなくなるから嫌だ。 私は末の娘なので、両親の死と1番近しい場所にいる。 みんな、私より昔の記憶を持っていて、先に死んで行く。私にとって家族ってそういうものだ。 それでいて、年の離れた末の娘なので、愛らしさも相まり甘やかされて育った。 そうした環境を、失うのは怖い。 だから、東京に帰りたくない。 でも、ここはみんな私より老いていて、私より先に死ぬ人しかいない。 結局生きていこうと思うなら、私は東京に帰らなければならない。 ここで緩やかに穏やかに母と死ねたら、というのが私の実家への執着なのだろう。 飼っていた猫も、もう死んでしまった。 私は末の娘なので、両親の死は昔からそこにあるものだった。 私は母のいない世界で生きて行くのが嫌だったので、昔は母より先に死ねるよう願っていた。 いまは、ただここにあるもの、だ。 私は薄情だし、自己都合が激しいし、体力もない。 だから、他人や身内の死と向き合うのは嫌だった。 全くもって傍若無人な振る舞いだけれど、 祖父の葬式にも出なかったし、祖母の葬式にも出なかった。 出たくない、という事が通る娘だった。 冠婚葬祭どれも、私は苦手だった。(でも私は喪服が似合う) 60を過ぎた父と母だけが住む家。 私の実家。とても穏やかな時間��ゆったりと流れる。ここから、出たいのか出たくないのか、私にはまだわからない。 以前はいつでも帰ってこれる、という気持ちでいたけれど、もう、ここにいつでも帰れる気がしない。
0 notes
Text
今の時代、死ぬことが稀すぎて、生の呪いだよなあと思う。 生きることを強要されて、なんとか生きてる、みたいな。 例えばファンタジーの世界で、例えば戦場で、命をいつ失うかわからないまま生きていたら、もっと生に対しての執着が持てると思う。 例えば交通事故とか、そういう事故を想像してもやっぱり私は生きることに対して執着が持てないんだ。 生きてると、良いこともあるし悪いこともあるけど、そのどちらも生きていないと起きない為に、私の頭では想定外のことになり、些細なことでとても嬉しくなり些細なことでとても悲しくなる。 そうすると、あーー生きてるっぽいなあ、って思う。 あー、生きてるっぽいなあ。というのが現状の私の生に対する考え方、思いを表すに適切だと思う。 以前は、生きてるのかな、って感じであった。 どっちでも良いと思っていた。生きてるのかもしれないし、死んでるのかもしれない。文字と言葉に対する興味さえあれば、肉体はどちらでも構わない。 美少女である事を随分楽しんだし、美少女として生きているうちはポリシーなどもあるけれど、私の生に対しる本質としては、生きてるのか、死んでるのか。みたいな感じだった。だから(多分)生きてるだろう人にそこまで興味もなく、大学も高校も中学も、友人はとても少ない。 勉強する場を卒業して、ようやく、少し友達ができた気がする、やっぱりとてもすこし、ではあるけれど。 みんな、生きてるってわかれば、まあいいや。くらいの興味だ。死んでると困るのかって聞かれるとわからないけど、なんとなくその他大勢よりは死んでほしくない気もする。 それがなんでなのかもよくわからない、友人ではあるけれど友人は私の生活に干渉しない非日常的な要素だから、まあどちらでも大差ないのかもしれないとも思うし、しかし少ないながらもやっぱり友人がいる方がずっと良い、という気もする。 友人がいる事に慣れていないので、難しいな。
0 notes