Tumgik
shouseichan-blog · 6 years
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2018年12月13日
小生、蘇った。 日記に書くべきか書かざるべきなのか、小生の身に訪れた様々な出来事は、誰かに伝えるには難しすぎて、自分で振り返るにはあまりにちっぽけな事象なのである。 よって小生のこの350日ほどは空白の期間とさせていただく。 地球が誕生するに至った経緯や、超新星爆発など、宇宙レベルで考えれば小生の空白の期間など、 ハナクソに等しい。 ハナクソについて語るとすれば、ハナクソの塩分含有量は、海のそれと同じであり、小生たちの母は海であるため、ハナクソは小生たちの母に等しいのかもしれない。 これは今てきとうにでっち上げた事実ーハナクソの塩分含有量ーから始まるため、もちろん詭弁である。 小生はこれからも詭弁を奮い、誰かの記憶に残るような人生を歩み続けたいものだ。
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shouseichan-blog · 7 years
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2018年1月7日
小生、今年の運勢は大吉だった。
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このおみくじに出会うまで、小生は6枚ものおみくじに別れを告げた。
7度目の出会いこそが、大吉だったのだ。
ここに至るまでの遍歴を語ることはしない。最愛の恋人の、思い出になっている過去の恋を暴いたところで、今の恋が好転しないのだから。
2018年を無事に迎えた小生は、年の始めに父親から子供銀行券(いわゆるおもちゃの偽札)を掴まされ「こんな大人になるものか」と先祖の墓へ誓いをたてた。
小生は真面目に生きるのである。
そんなこんなで、2018年はめでたく大吉であり「翌年を見据えて生きよ!」と神からの啓示をうけわけで、勇往邁進、生きていこうと思った次第。
今年も何卒宜しくお願い申し上げます。
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shouseichan-blog · 7 years
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12月28日
小生、仕事を収めた。
2017年はあと72時間で終わる。
今年を振り返れば、良い事も悪い事も数多あり、その全てが小生の網膜に焼き付き、ふとした瞬間に思い返すものばかり。
そういう意味では、今年を通して小生は更に大人になったのかもしれない。
「大人というのは、肉体の使用年数が長いだけの子供である」という、小生が今適当に考えた言葉があるのだが、まさしく大人というものは子供の延長線上にあり、多くの場合、大人は子供とさして変わらないものであろう。
得てして子供の方が大人より多くの大切なことを知っている。
空の青さ、道徳心、雨の日の楽しさ。
大人になれば忘れることが多すぎる。
だからか大人は、忘れた出来事をパズルのように埋めようとする。
小生はたくさんのピースを手に入れた。
小生という、大きな絵をつくるにあたり、どのピースをつかうのか、考えながら新年を迎えたい。
使わなかったピースも、無くさないように、大切にしようと思う。
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shouseichan-blog · 7 years
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2017年12月27日
小生、今年を振り返った。
まず小生の日記が途絶えた理由についてだが、大変やむ終えない事情があったことをさっして頂きたい。
アマゾンの奥地にある遺跡へ向かった小生は、未確認生命体と恐るべき死闘を繰り広げた。血で血を洗う激しい魂のぶつかり合いは、おのれの存在全てをかけた、筆舌に尽くしがたいものだったのだ。
結果、未確認生命体と小生は戦友になり、互いに命を取り留めたものの、しばらく普通の生活に戻れないような怪我を負った。
未確認生命体が、今もアマゾンの奥地で遺跡を守っているかはわからない。だが彼は、たとえ命を失おうとも、そこに居続けている気がするのだ。
まぁそんな感じで、小生はいくつかの手足を失い、這って日本へ帰って藁の家で休んでいた。
ようやく失った手足が再生し、本日の日記と相成った。
2017年は小生の長い人生において、もっとも大切なことを思い出させてくれた出来事が多かった。
たとえば「人生最大の幸福は明日訪れる」ことだったり、
たとえば「結果が同じでも過程が異なる場合、その結果は全く同じとはいえない」ことだったり、
たとえば「未来とは希望ばかりではない」ことだったりした。
思い返せば、小生はIT企業で(ITとは何の略だろう)マネジメントを本格的に行ったのだが、結果だけみれば、小生は大きな利益をもたらした。
求められたプロジェクトを安定化させ、各所を駆け回り悩める人を助け、助けを求められない人々まで助けた。まるで聖人のような活躍だった。
だか、結果として小生は守りたかった人の「助けてください」に気がつけなかった。
小生はポジティヴな根暗である。
できることなら今すぐにでも死にたいが、死んだときに後悔が残ったら嫌だなぁ、という理由で阿呆みたいに踊り狂って生きている。
当然のことだが、普通の人間が、今の全てが幸福だと思うことなどない。もしそのような状態が続くのであれば、異常事態なのである。
「好きな人と交際できた」「宝くじがあたった」等がもたらす幸福は一過性のものであり、また人の人生全てを補えるほどの幸福ではない。
小生の近くにいた先輩であり同僚であり部下であり、友達になれなかった彼の話をする。
彼はネガティブで、心に病を持ち、自分ができる範囲の生き方を模索していた。
よく愚痴をもらしていたものだ。
ある日から彼はとても前向きなった。
愚痴は聞こえず、語るのは「輝かしい未来の出来事」ばかりになっていた。
たとえば「恋人との結婚を考えている」だとか
たとえば「指輪を父の会社から購入した」だとか
たとえば「結婚式のプランを考えている」だとか
小生は心から祝福し、彼が休暇をとれるように駆け回った。
そして彼は、その休暇中に命を断った。
人間にとって幸福な時間は長く続くことはなく、もし続くのであれば異常事態である。
幸福な時間を続けるには「死を目標に生きる」しかないことを小生は知っているはずだった。
小生と同じ生き方で、小生より明確なゴールを決めたのだ。
そんな簡単なことを小生は忘れていた。
彼は今が辛かったのではなく、未来に訪れる幸福が怖かったのだ。
怖いからこそ、口に出し、自らを奮い立たせ、その日がくるまで精一杯生きていた。
小生はゴールを定めないで、いつか死が寄り添うその日まで、踊り狂って生きるだろう。
踊り狂っている人がいるのであれば、真の阿呆か、それ以外かである。
多くの場合は後者であり、その踊りは魂の叫びである。声に出せない悲鳴なのだ。
人間は大人になるにつれ大事なことを忘れる。
分かっているつもりなのに、忘れてしまうのだ。忘れたことにも気が付かないのだ。
幼稚園のように、気に食わないことがあれば大声で泣けばいいのだ。
全身のエネルギーを使い、命を燃やして叫べば、
そのうち眠りにつき、目覚めれば気に食わないことなど忘れる。
諸君、叫べ。そして生きろ。
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shouseichan-blog · 7 years
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4月13日
 小生、初めてEVEを服用した。  薬局で喉の炎症を抑える薬を所望したところ「これがいいですよ」と勧められたのがEVEだった。頭痛や発熱、生理痛に効くと小生がテレビっ子だった時代に全国のお茶の間へ流れていた薬だ。  実際の所、あまり効果はなかった。たしかにちょっと腫れはひいたのだが、病院でもらう薬のほうが効果がある気がした。たぶんこれがプラシーボであろう。  ただの小麦粉が癌を治すこともありうるように、思い込みの力とは侮れないものである。  この世界も誰かの思い込みで出来ているのかもしれない。  それはそれで面白そうである。
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shouseichan-blog · 7 years
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4月12日
 小生、風邪をひいた。  「馬鹿は風邪をひかない」と何処かの誰かがボヤいた言葉が、まるで真実かのように実しやかに囁かれる。そして小生も馬鹿であり、風邪をひかないはずだった。  馬鹿は風邪をひかないわけではなく、馬鹿は自己の体調に鈍感であり、たとえ風邪をひいたとしても、その事実に気が付かないという意味の言葉なのは、日本人の七割方は理解している。  さて先日、一日前の小生は花粉症で苦しんでいた。実は花粉症ではなく(厳密にいえば小生は花粉症なのだが、今回の不調は花粉症が原因ではない)風邪だったのだ。  小生は熱にうなされ、黄色い鼻水にまみれ、汗という名の体液をありとあらゆる部位から噴出したのだ。  ゆるやかに風邪は快方に向かっているので、このまま元気になりたいものである。
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shouseichan-blog · 7 years
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4月11日
 小生、花粉症で苦しんだ。
 口の中が痒く、鼻の穴にアリでも巣くっているかのような感覚に襲われ、小生は苦しんでいた。鼻毛を刈り、何度も歯磨きをしたのだが、アレルギー反応には効果がなかった。
 舌を回して口内を刺激しても何の意味もなく、無力を痛感するばかりの一日だった。
 本日、飲食店にてチキン南蛮定食を頼んだのだが、出てきたものは小生が知るチキン南蛮では無かった。甘酢というか、あまじょっぱいタレではなくタルタルソースが乗っかった唐揚げのような何かだった。
 それなりに美味しく、それなりにお腹を満たしたので良しとする。
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shouseichan-blog · 7 years
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4月10日
 小生、チョコレートを大人買いした。
 小生は作業の合間に何かを食べるようになった。
 以前は黙々と作業をしていたのだが、身体は正直なもので、嫌々言っていてもお腹は減るのだ。
 ブラックサンダーという「若い女性に大人気(自称)」なチョコレートをまとめて購入し、集中力が切れたら食べる、という行為を繰り返した。
 おかげでゴミ箱には大量の包装紙があり、小生の胃にはチョコレートとココアパウダーとナッツが満ちた。
 健康的ではないことを自覚はしているのだが、辞められないものは辞められないのである。��煙という行為も、似たようなものなのだろうか。
 小生はタバコを吸わないが、タバコを吸う大人をかっこいいと思う。
 とはいえ小生は小心者なので、思うだけで実行には移さないのである。
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shouseichan-blog · 7 years
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4月9日
 小生、映画を見た。
 小生の好きな小説「夜は短し歩けよ乙女」の映画を見に行った。
 都内の映画館はほとんど満席で、お一人様だというのに小生の居場所は無かった。それでも諦めずに色々な映画館のスケジュールを確認し、無事に席を確保。小生は映画を見に行ったのである。
 カップルや、原作読者であろう流れ者、きっと高等遊民も居ただろう。スクリーンには森見ワールドの京都が映し出されていた。
 心がポカポカするような物語だった。小生も誰かに恋をしたときは、まずは外堀を埋めることにしようと思った。
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shouseichan-blog · 7 years
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4月8日
 小生、ダイエットに挑戦した。
 小生のおしりはプリケツである。やせ形で、体脂肪率も決して高くはないのだが、人体の中に存在するわずかな脂肪が小生のお尻に居座っているのだ。
 お尻の頂点から太ももにかけての、いわゆる下尻と呼ばれる部分(呼ばれないかもしれない)がプリっとした脂肪で構成されているのだ。
 これはマズいと考えた。小生は筋トレメニューを、下尻を中心的に行うメニューに変更した。
 そのかいあってか小生は全身筋肉痛になった。下半身は鍛えるのが難しい部位のようなので、怠ることなく肉体強化に臨む予定である。
 本日付けで小生は五十九キログラム。体脂肪率は九・六パーセントであった。
 目標は六十数キロで、体脂肪率を今より減らすことである。
 裸を見せる予定はないのだが、小生、夏に向けて頑張る所存。
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shouseichan-blog · 7 years
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4月7日
 小生、桜祭りを堪能した。
 品川区にある川沿いが、いわゆる桜の名所の一つとして品川の住民やその他の区民に親しまれている。
 桜並木がずーっと続き、近くの店ではお花見にちなんだ催しや、全くちなまない催しが開かれている。
 小生はセブンイレブンでホットスナックを大量に購入し、桜を見ながら食べた。辺りには桜を写真に収める人々や、デートコースとして選んだ人々、それぞれが皆、赤い提灯の光に照らされる。
 赤い光はどこか妖しく、見ている人が皆愉しくなってくるような、縁日を連想させるからだろうか、小生はずっと気分が高揚していたのだ。
 赤い光にそんな効果があるのかどうかは定かでは無いのだが、自宅に提灯を設置すれば毎日が愉快になるのではないかと、小生は考える。
 気が向いた時に、名入れの提灯を購入し設置してみたいと思う。
 小生の今年度の野望が一つ、できたのである。
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shouseichan-blog · 7 years
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4月6日
 小生、夜桜を見た。
 小生の暮らす藁の家の近くには桜並木がある。
 毎年この季節だけ、薄桃色の花びらが視界を埋め尽くす。
 桜に包まれてゆっくり眠っていたら、気がつけば空は黒くなっていた。
 花粉症なのか風邪なのか、よくわからないのだが小生は鼻水まみれになっている。
 アリが身体を這っていたのが、どこかおかしく感じられた。
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shouseichan-blog · 7 years
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4月5日
 小生、抜け毛が治った。
 春といえば季節の変わり目。季節の変わり目と言えば、生え替わりである。
 それとはまったく別なのだが、小生は近年稀に見かける抜け毛に悩まされていた。俗に言うM字ハゲである。おでこの両脇がじんわりと鋭角になるアレである。
 小生はシャンプーを色々試したり、生活習慣を変えてみたりしたのだが、なかなか治らなかった。これが天命なのか、と神を仰いだこともあった。
 お百度参りのおかげか、神に願いが届いたのか、小生の鋭角になったアレからほんわりと産毛が生えた。
 真っ裸で生まれてきた赤ちゃんの頭にのっかるふんわりとした毛と同レベルであるが、毛は毛。
 小生、M字ハゲの危機を脱したのだ。遺伝子レベルで宿命づけられたハゲに勝利した瞬間である。小生を褒め称えてほしい。
 しかし油断は禁物。遺伝子とは、小生が死ぬまで小生と共に居るものだ。
 またM字ハゲが現れたときにも勝利できるように日頃から警戒を怠らないようにしたい。
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shouseichan-blog · 7 years
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4月4日
 小生、大乱闘スマッシュブラザーズを見た。
 東京という街について考えたことがある。
 人口の局所的な集中によって巨大化した街、それが東京である。
 日本は島国である。それ故か国土は狭く思われがちだが、大陸の諸外国は日本よりさらに狭い。
 そして島国故の海産物、四季が産み出す風景、未開拓のまま残された大自然。世界で唯一ホタルイカの身投げを見ることができる海岸。
 様々な利点があり、それが人口増加に拍車をかける。
 小生が幼きころには地球の人口は六十億と言われていたが、気がつけば七十億まで増えている。
 それだけ多くの人がいるということは、それだけ多くの世界があるということでもある。
 小生は誰かに優しい人間でありたい。しかし、誰かを傷つけることを厭わない者もいる。
 小生はそんな大人げない大人を二人見ることになった。
 何の変哲もない路上で、である。
 これが滑稽なもので、同じような言い分で同じように掴みかかる大人は、まるでドラマか映画の撮影かのような身動きで暴れ、警察に捕まっていた。
 小生は一部始終を見ていたわけではないのだが、春を感じた。
 冬は終わり、桜が舞う春がやってきたのである。
 冬眠から多くの動物が目覚めたように、自らの中に閉じ込めたはずの獣を解き放つ者も、それなりにいるのである。
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shouseichan-blog · 7 years
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4月3日
 小生、大好きな人へプロポーズをした。
 これは今朝見た夢の話である。登場人物は小生と武見妙。
※武見妙とはペルソナ5に登場する女医である。小生は武見妙が大好きなのだ。
 さて、小生が日記を始めたのは1月9日の出来事である
 あの時の小生はこう綴っている。
『 tumblrで日記というものをはじめてみました。僕が死ぬかtumblrのサービスが先に終わるか。レースの開幕です。 』
 そして小生の日記の更新は2月20日で一度途絶えた。
 そう、お察しの通り、小生は一度死んだ。
 一ヶ月と十数日で小生は蘇った。まるでキリストである。
※キリストは一度死んだ後に生き返った逸話がある。小生はキリスト教ではない為あまり詳しくはない。申し訳ない。
 これからは何度も蘇ることは無いだろう。
 しかし「猫に九生あり」というように、小生の残機は思ったより多いのかもしれない。
 この命を使って多くの人を救いながら生きていきたいものである。
 めざせ救世主! がんばれ小生! また明日!
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shouseichan-blog · 8 years
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2月20日
 小生、先輩たちと飲み明かした。  先輩の仕事が早めに終わったので池袋にて、早い時間からバーでお酒を嗜んだ。小生、お気に入りのフレアバーがあり、今日も賑わっていた。グラタンやフィッシュ&チップスをつまみながら小生はカクテルを、先輩はビールを飲んでいた。店内の照明が落ち、他の席を囲んでいたお客さんの誕生日が祝われた。どうやら某番組の合コン企画のために南国の島へ行くらしい。合コンなぞしなくてもモテモテであろう容姿をした女性たちであったので、世の男性が恋に消極的だと言われる現代を信じざるを得ない。  宙を舞うボトルや鮮やかなグラデーションを為すカクテルが振る舞われ、当事者ではない小生も楽しい時間を過ごせた。  二軒目に食事をしながらお酒を飲む。日付をまたいだのでタクシーで新宿へ。三軒目は水族館のようなバーで魚を見ながらお酒を飲む。  小生たちが飲み明かしていることを聞きつけた先輩がおり、大勢で四軒目に突入した。  小生はタバコを吸わないのだが、朝日が新宿を照らし通勤姿のサラリーマンを後目に帰路につく小生はタバコ臭かった。  誰かと共に過ごした時間の証のような気がしてタバコ臭いコートを大事にハンガーにかけ、タバコの匂いを消すためにファブリーズをぶっかけた。
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shouseichan-blog · 8 years
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2月19日
 小生、朝から晩まで遊び倒した。  小生と数人の友人は、川崎に住む友人の部屋に泊まった。家主のベッドで安眠する者、大きめのコタツで暖をとる者、車で遠征してきた友人が持参した毛布に包まる者と、人口密集地さながらの二酸化炭素の排出量で夜を明かした。  気がつけば日付を跨いで時計の針は午前四時を指し示す。小生は「腹が減った」と深夜にわめき、塩カルビ丼を食べる。そして就寝。  午前九時に小生は目覚め、コタツで寝ていた同士を起こす。ちなみに小生はコタツと毛布のハイブリッドで寝ていた。暖かくフワフワの毛布が心地よく、小生熟睡していた模様。  なんだかんだで皆、誰かが起きるのを待っていたらしい。順番にシャワーを浴び、歯を磨き、全員の準備が整った後に浅草観光へ出発した。  雷門、浅草寺、周辺の名物を食べ歩きながらスカイツリーへ。音と光と香りに満たされるプラネタリウムで数人が熟睡。小生はずっと起きてプラネタリウムを楽しんだ。今度は一人で行くつもりである。  東京駅の一番街でラーメンを頂き、新幹線で帰る友人を見送り解散。  空き地に戻ってきて、小生は藁の家のボロ布団に寝転がって今に至る。なんと楽しい一日だったことか。  気心知れた仲でも、互いを尊重しあう関係というものはとても居心地が良いものである。お互いが譲歩することで生まれる無償の信頼は、誰とでも育めるものではないことを小生は理解している。取りこぼす事の無いように、この幸せを大切に生きていきたいものだ。
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