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うわあああおおおおわあああ
きららMAX12月号のぬるめたと青騎士第16B号クロシオカレントの話
えっちさと萌えとかわいいって全然違うし、それらが形容できない種類のかわいさがある
大きくなったくるみにはギュンとなる感じです
こっちが受け止めきれなくなる感じ
これはかなり極大のかわいいを喰らってるような気がします
クロシオカレントのウロはえっちです
身体的な介入があるせいかもしれません
関係ないですけど、背景がめちゃくちゃ凝ってて感動しました
というか出てくるものが全部えっちだと気づきました
えっちなのは神社でした
今月のぬるめたやクロシオカレントのシチュエーションで「うおっ」となるのは事実です
「うおっ」ってなるということはほとんど読んでる人全員が、こういったシチュエーションで「うおっ」ってなると認識しているわけです
ぬるめたやクロシオカレントでは、一度、誰かの脳をかすめたが、いつしか埋もれてしまったものを拾い上げてくれるということが多々あります
自分はそういったものを幼少期の思い出や風景に限定して考えていました
しかし、アニメとか見てて、文脈とは関係なしに「なんかいまのえっちじゃなかったか」とか思うあの瞬間もそこに含まれるのかと思い、新しい宇宙を見た気がします
自分は今まで萌えについて、それを初めて深夜アニメを見たときの異質さや神秘性のことだと思っていました
しかし、その視点は何かより個人的かつミクロな面白さを落としてしまっているともいえます
ウロボロスのしっぽを艶かしく舐める漫画って人類が生まれて去っていく間に描かれるものなのでしょうか
あとこかむも先生は最初のでかくるみを絶対えっちだと思ってる
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クロシオカレント2
分厚い!!!!!
かわいい!!!!!
ミニゲームがたくさんありつつそれぞれメインシナリオがあるかなりオープンワールドな狭い世界
ゲームではゲーム性がある限り自由度の高い日常を過ごして何かを知るってことはできないんじゃないか
東堂院マナお嬢様のライブシーンジュディマリのblue tearsすぎる
田舎のゲーセン鉄拳とかなんかいっぱい入ってるやつしかねえ
格ゲーって内輪でわいわいやるのがいちばん楽しいっていうかそういう遊び方しか知らない
今月のぬるめたしかりアーキタイプの崩撃雲身双虎掌しかり
ひとりで崩撃雲身双虎掌出せてもどうしろっていうんだ
京騒のコト、明恵、稲荷
特に稲荷の最後
ゲームの中で巨人とかミュータントとかゾンビとかいたとしても、その世界でその存在に疑問を持つ者はいるのだろうか
殺すだけかもしれないし、仲良くなりたいと思うかもしれない
メインの3人はその世界でそういう人間だからそういう人間として存在してる(存在しようとしている)
対して魔神様やモコはその世界を異質だと認識しているし、県の自己存在は歴史性に強く依存してるし(そもそも県は地形だったり文化によって県の独自性を入手するので県が規定しようとするのはおかしい=バグ)、ゾンビはゾンビ的でないし、岡林さんは朱砂が自分のものになってる世界であってほしいし
それぞれ見てる世界が違う
で��魔神様が体返しても受け入れるだろうし、モコはモコでいるしかないし、でもお嬢様という存在には憧れ続ける
その世界が異質だと認識した後で、どのように自分がそこに在れば良いのか
そんなんただいればいいと思うかもしれない
だけどそのなかで物語を作るかもしれない
それって普通の世界でも普通の在り方じゃないのか
いまいる世界で自分の見えるもの
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ぬるめたの感想
ぬるめたの43話:試験期間がとても良かったので、ぬるめたに対して今まで抱いていた感想を書きます。長いです。
今回、篠原こごめさんの持つ意外な繋がりが、くるみさんたちの外にある関係性を広げてくれることで、素晴らしい気持ちになりました。 かつてぬるめたはメタ的な会話や構造を明らかな形で持っていました。ここではメタ的という言葉を、自分たちのいる世界を虚構と認識しているという意味で使用しています。そして、現在、それらは、関係性の中の会話のパターンや雰囲気というものに包摂されたのではないかと考えています。以下の文章で、関係性について説明します。
日常系(と一般的に呼ばれるもの)の個性として、スポットライトの当たっていない人物に焦点を当てるというものがあります。これは今までスポットライトの当たっていたメンバーに変化や意外性を引き起こす展開の1つです。一方で、ぬるめたでは、焦点の移動が意識的に行われています。すなわち、くるみさんたち4人で完結する話もあれば、そのなかの誰かが他のクラスメイトと絡むといったこともあります。例えば、この話でも、ちあきさんとかがりさんに焦点が当てられており、しゆきさんは登場しません。以上のことから、関係性とは、メインとなるメンバーを軸として焦点を当てるのではなく、個々の人物に繋がりを持たせ、焦点を当てることを指します。
ぬるめたは、くるみさんたち4人の世界で始まり、4人の世界であるがゆえにメタ的な視点を持つことができました。しかし、関係性の構築とともに世界の範囲が拡張され、世界の一部を切り取るようになったと言えます。これはまさしく、Slice of Lifeです。ぬるめたの1巻は、4人で完結する話が多いです。というより、くるみさん、ちあきさん、さきなさんの3人に対するしゆきさんの介入という形式で話が進んでいます。(ぬるめた DOVSTORAGE APOCALYPSE p88を参照してください。)特に9話:もつ鍋が好きで、それを食べるくるみさんはとても可愛いとわかります。また、2巻ではクラスメイトとの会話が増え始める一方、宋円家内で完結する話(26話:お正月)もあります。21話:メメント・モリは、外との繋がりを感じさせません。海には誰もいません。(カニはいました。)3巻になると、クラスメイトとの関係性が深くなり、特に32話:犯人では、さきなさんとクラスメイト、あるいはくるみさんたちとの関係性が端的に示されています。
ここで最も言いたいことは、こごめさんが、くるみさんたち4人と関係が深いにも関わらず、学校の外側、または4人の世界の外側に存在する人物だということです。 学校は様々な背景を持った人々の属する小さな社会であり、学校が舞台であればクラスメイトとの関係性が構築されるのは必然ともいえます。(クラスメイトが刺客である場合、それは難しいです。) しかし、こごめさんは特殊な人物です。しゆきさんとの関係性の構築はお互いの顔が見えないまま行われました。また、くるみさん、ちあきさん、さきなさんとの関係の構築も、断片的にしか知り得ない過去に行われたものです。彼女は通信を介して登場することが多いです。外側に居ながら内側に介入する手段を彼女は持っていますし、すでに介入しています。 こごめさんは場という概念を破壊したように見えます。学校へ行っていないのにもかかわらず、多くの人物との関係性を持っています。こごめさんは、過去において直接的に関わり、現在では通信によって間接的に関わっています。もちろん、現在でも直接的な関わりはありますが、これは学校の外であることが常です。こごめさんは内と外との境界を行き来する人物です。学校の外の存在を示す共時性、過去の存在を示す通時性を表しています。ぬるめたに奥行きを感じるとすれば、それはこごめさんによるものでしょう。(かつて4人の世界で完結していたとき、それは未定世界によるものだったかもしれません。)
4巻に収録されるであろう話の中に、こごめさんが多く登場することを本当に嬉しく思います。 できることなら、彩さんもたくさん見たいです。彩さんとちあきのお母さんとの授業参観回はありますでしょうか。彩さんもまた違った外部の者のような気がします。
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