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2020年、コロナ禍を過ごしてきて、正直ほっとしている部分もある。あまりに過剰な世界に辟易してしまうことも多かったから、それらがほぼ強制ストップしたことはよかった。自分自身の生活と活動についても、自分にとって大切なことは何かをちゃんと確かめることができた時間だった。不自由を工夫することを楽しんで、大袈裟に言えば水を得た魚みたいな。
私の今年を表す1文字は「想」。誰かを想う、想いを届ける/受け取る、こうしていけたらいいなと少し未来を想像する。そんな1年だった。
それから、12月22日に風の時代に入るということを私はとても楽しみにしていた。きっと、世の雰囲気が変わり始めて、もう少し私自身が生きやすくなる気がしている。これまでどことなく世の中が求めていることと自分の本質とがズレていてずっと靴擦れをしている感じだったなと思う。それがきっと素足で駆け回れるような、そんな気がしている(月星座は水瓶座だし)。
これまでずっと大切に想ってきたことを、これからも大切にして軽やかに生きていこう。
なんとなく気分でブログをリニューアルしようと思ったら、前回と同じくちょうど5年区切りだった。新しい投稿は https://stillalive-wewill.tumblr.com/ に。ちなみにブログを始めた最初のページ(2009〜2014年)は http://sakaiyukina.blog62.fc2.com/ 。変わらないようで、少しずつ歳を重ねている。ちゃんと生きているなわたし。
来年は、待ちに待ったイデ���アン・クルーの新作公演『義務』が上演される。出演します。真面目で面白味がないわたしにもちゃんとポジションがあって、わたしのつまらなさが効いてくるはず。楽しみだ。
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安倍首相辞任の速報に、ぐったりした。どうしてこうなってしまったのか、7年8ヶ月を振り返りそのことを考えたら呆然とした。この社会に深く傷となった後遺症を回復していくことができるのだろうか。募集はしているが募ってない、書いてないからないとは言えない、問題ない、記憶にない、残していない、痛感するだけの形骸化された��任。唯一彼自身が垣間見えたのは会見で「総理の職を辞する」と発した時だけだったように思う。
原美術館のアート・スコープ展へ。ハリス・エパミノンダ、久門剛、小泉明郎、各氏の作品からどれも美術館の息づかいを感じる。久門さんの伏せられた蛍光のキャンバスから壁に反射して漏れる色が印象的だった。ハリス氏の扱った吉村弘さんの音の響きにもなんだかほっとした。ここに来ないと触れらないものがあった。小泉さんの作品は、これに何の覚悟もなく出会ってしまう可能性がある美術館の暴力性を改めて感じたけど、でもそれも美術体験であり、それがリテラシーや知性を育むのだとも思った。彼の作品は音声ファイルを街中で聴くというものもあって、わたしは横浜駅の新しくできた駅ビルのコンコースから行き交う人を見下ろしながら体験したのだけど、ロケーションとしては正解だった気がする。そのあとその通路をわたしも通り抜ける時、とても不気味な感じがした。
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母が育てたピーマンと茄子。気持ちよさそうに並んでる。
いやだなとか、キツイな悲しいなということに気を取られることが多くてやになっちゃう。素敵だな、きれいだな嬉しいなという気持ちで過ごしたい。
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紙の上で踊るのも楽しい。
いまも続くコロナ禍を過ごしながら、これまで/これからの自分の活動や表現についてあれこれと考えてきたけれど、自分なりに納得できてきた感じがある。相変わらず仕事の心配はあるけれど、自分の表現として取り組みたいことはこの半年のことも濾過しながら掴めてきた。「ダンス」に対するコンプレックスや違和感も、なんだか解きほぐされたような感じ。何度もダンスが嫌いになりそうになりながら、それでもなんとか自分の機嫌を取りながら続けてきて、ここまでこれしかやってきてないんだから続けるしか能がない。そっぽ向かれても、素直に興味のある表現をしていこうと思う。運動を伴う表現としてのダンスは、技術も感性も素晴らしいダンサーがたくさんいるし、その人たちを活かす器を用意できる振付家もいる。わたしは、ダンサーの身体に帰結しない「ダンス」を振付家として扱うことをしていきたい。線や文字にしていくこと、観客の身体性を引き出すこと、姿を消すこと。「ダンス」というとどうしてもダンサーの身体を求められてしまうけれど、その価値���から外れたところでしばらく遊んでいたいと思っている。
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美術館で絵をみる体験の身体性を再確認した。絵の前に立った時の感覚が自分でも驚くほどピュアだった。画面でも印刷でもない、実物の大きさ・質感による物体感。絵を近づいて/距離をとって眺めることができる豊かさ。自粛期間を経た美術館の復帰戦は神奈川近代美術館鎌倉別館の「日々を象る」展へ。そのタイトルから編まれた展覧会は、神奈川近美のコレクション作品の渋さがいつにもまして鮮やかに飛び込んできた。いつもならすっと通り過ぎてしまいそうな額に入った油絵たちも、画家たちの「日々」としてそこにあることに気づかされ感動してしまった。それは明らかに自粛生活を体験したからこそだったと思う。日々ただ黙々と描く。そういう意味で画家はやはり孤高な時間を生きているのだとも思った。(展覧会のキュレーションは、わたしも出品した昨年葉山館で開催された「みえるもののむこう」展担当の三本松さん。)
メモ:空間に立つ感覚、このことを扱うのも「振付家」としての興味である。
ちなみに写真は、その数日後、緑を求めてドライブした箱根にあるポーラ美術館で展示されていたケリス・ウィン・エヴァンスの野外作品。ポーラ美術館では「モネとマティス」展が開催されていて、どちらも好きな絵があるけれど、どうも額装がわたしにとってノイズになってしまう。絵の保護のために必要でもあると思いつつ、たとえ意味や価値があるものだとしても装飾的な額にいつもうんざりしてしまう。
ところで、必要があって外出することも少しずつ増えているけれど、外出時の服装を選ぶときに変化がある。まずこの数ヶ月、基本家だから必要がないとはいえイヤリング・腕時計をする気にならない。指輪はそれより以前から指先の煩わしさから結婚指輪も含め一切する気にならなくて外していたけど、イヤリングはメイクの一部くらいに思って必ずしていたのにマスクの関係でいまいちする気がしないし、手を洗うときに気になるから腕時計もしていない。それから、着替え環境のリスクを減らすためスタジオへは稽古着のまま出掛けて帰ってくる(だからできるだけ前後に別の予定は入れたくない、、)。神経質になりすぎても…とは思いつつ、できるだけ気になることを減らしたい。会う人のこと、出掛ける場所のことを考えて服を選ぶのは小さい頃から母に教えられてきた楽しみのひとつ。今は衛生面優先にシフトチェンジしながら、着ることの楽しさをまた思いっきり体感したい。
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紫陽花の季節。晴れの日に照らされる姿も美しいな。 あっという間に6月も終わろうとしていて、この半年ってなんだったのだろう。振り返ると現在地の早さに驚くけど、かなり濃密な日々だったと思う。これまでも稼働日にむらがある生活だったから家で過ごすことはシームレスだったけど、それなりにストレスがかかっていたみたいで6月はそれが体調に顕著に出た。ヘルペス、口内炎、珍しく腰痛。7月は清々しく過ごしたい。
1,2月は展覧会や映画などによく出掛けていたけれど、3月からはピタリと出掛けなくなった。仕事もないし、家で片付けをせっせとしながら、これから活動をどうしていけばいいのだろうとちょっとずつ気になってくる。幸いというか、この時期にイベント関係の現場はなかったから開催の判断や負債を大きく被ることはなかったのだけれど、劇場や美術館、ライブハウスなどの状況を憂慮しながらも、3月が終わる頃にはもうしばらく開催は難しいだろう、では個人としてはどうしたらいいのかと思いを巡らせていた。
そんな3月末に布団で寝返りを打ちながら閃いた、言葉で身体をディレクションするメモをアップすること。誰もが家で誰とも触れずとも自分の存在を感じられるような仕掛け。特別な技術ではなく、生活の中でふとできるような。家にあったクロッキー帳を見つけ、おそらくしばらく続くであろう家での日々を自分が楽しむため��も毎日やってみようと始めた〈存在の味わい方〉。これは手書きすることが大事だと直感、筆跡が温もりになればなと。多分すでにネットをベースにした情報収集や人に会えない状況に疲れていたのだと思う。
4月は、政府の誠実さの感じられない態度に辟易し、夏以降の予定も流れてしまい活動をどうしたらいいのかということにもやもやする日々。徐々にオンラインでの発信が増えてきて、その試みに刺激されつつも、四角い画面に疲れてしまっていて、この状況に対して自分はどう向き合えばいいのだろうと悶々とする。でもオンラインだからこそできることや距離感があることにも、ある種の豊かさへの可能性も感じた。
ただ、過去作の記録映像を公開する、といったことに対しては慎重になったというか、そうじゃなくて、「いま」生み出されるものをやりたいと思っていた。同居する家族以外と接する機会が減り、誰かとたわいもないことを話す機会もなく、どうにもな気持ちになってしまったことも相まって、ふと「誰かを想��て踊る時間」がわたしの身体には必要だという思いが溢れて、いま踊りたい気持ちの置き場所としてオンラインに踊りの映像を投稿する機会を設けた。それが昨年3回ほど開催していた日本語曲で踊るイベント《待ってメロディ》をオンライン企画として始めたきっかけ。生活の中にふと踊りの呼吸が現れる。5月中、いろいろな気持ちとのバランスをとるためにも、わたし自身この広場のような緩い場所を作っておけたことに助けられた。それに、この場にふらりと踊りに来てくれた人たちのそれぞれの踊りにも励まされている。
オンラインだと、遠くの人にも届けることができるし、たくさんの人に届けることができる反面、その反動なのか、一人のために踊りたいという気持ちがより強くなった。これは以前より持っているアイディアで、ある時間ある景色をひとりで味わう時間を作品として提供したいと考えていた。例えばある部屋への鍵を渡すようなこと(これは最近京都のホテルで最果タヒさんの詩の空間に泊まるという企画で実現されていた)。
コロナ禍を体験したことによって書き換えなければならない形式と向き合い、だからこそ活きるアイディアがある。不自由さを工夫していくことが好きなんだなと思う。高校の時、ダンス部で様々なバックグラウンドをもつ身体たちをばらばらのまま一つの作品にまとめていく配置の面白さに気づいた時から、それは始まっていたのだと思う。
正直、収入としての「仕事」の心配はある。「創作」を生活するための収入にすることはとても難しい。これまでと同じようにできないかもしれない。心配ではあるけれど、これまで窮屈に感じていた自分自身の価値観が世界とすり合わせやすくなった気もしていて、これからどうしていけるのかに少しワクワクしている。
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昨晩夜風にあたろうと外に出たら気持ちのよい空気だったので、踊った。外灯がいい感じにライティングされて小気味よい影に出会したので、影と踊った。ミッドサマーイブの真夜中。
踊りたい気持ち。20代の頃とはボキャブラリーがまたちょっと変わってきたことが楽しい。踊りは踊りだなと改めて思う。自分にとって素直な気持ち。呼吸。作品のための身体とは違うフェーズにある身体。剥き出しの。豊かさ。
その一方、振付家として関心があるのは、身体を通して空間や風景に触れる窓口をつくること。例えば言葉でのディレクション。物語や思考を紡ぐための言葉ではなく、身体感覚としての言葉(わたしにとってオノ・ヨーコ氏の作品体験は自分の身体感覚への大変な衝撃だった)。このことと、呼吸として踊ることは見た目には距離があるけれど、そのどちらもわたしにとって「ダンス」なのだ。存在を味わうこと。どうして踊るのか、という問いへの答えかもしれない。
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きっとわたしも 誰かを傷つけている
そう思っていなくても、受け取られ方によって暴力になることもある。わたしにとっては嬉しい言葉でも、人によっては不快なこともあると思う。逆に気づけなかったことが、相手の傷になることもあるかもしれない。
そして「知らない」ことが、差別でもあるのだと気付かされた。
ジョージ・フロイド氏の死をきっかけに知った「Black Lives Matter」を追うことで、なぜ「All Lives Matter」では駄目なのかということを理解した。最初はビリー・アイリッシュの投稿した怒りの内容がはっきりとはわからなかったし、すべての命が大事だし暴力はよくないと感じつつ、いくつかの記事にあたることでそもそもの前提が違うということを理解しなければならない問題なのだと知った。差別はいけない、ということを言葉だけでわかっているようで形骸化していた。
問題はこれだけではないし、完璧ではないとしても、知ることで賛同の意を表すことはしたいと思った。こんなときだけ、大きな声に紛れたエゴだと思いながらも、生活者として「無関心」ではないということを自分のためにも示しておきたかった。(あと、自身の活動について以外はSNSでの情報共有は受信だけで申し訳ないと思いつつ、それが現状SNSでのわたしの距離のとり方でもある。)
ただ反面、SNSやオンライン上で意思を示さないこと=沈黙は裏切り、という見方はよくないなと思っている。それくらい強い言葉で声をあげないといけないことなのだと理解しつつも、SNSで語ることがすべてではない。静かに考える人、家族や友人とソファで語り合う時間だってある。正直共感できないことだってあるだろうし、情報過多や不快な言葉を目にしてしまい疲れてしまうこともある。身を守るために逃げたり隠れたりすることをわたしは否定できない。それぞれの距離感と作法で、知り、考えることを手放さないこと。そのことを尊重したい。
「自分と違う」ということは、ときに恐怖や不快でもある。けれど、この違いを非難することは健全ではないと思っている。受け入れられなくても、それを認めること。理解し合えないことを許容する。前向きに諦めることも大事なんじゃないかと思う。
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日本でも外出自粛をという呼びかけが強まってきた3月末から毎日の日課として始めた〈存在の味わい方〉というノート。今日そのノートが思いがけずちょうど最後のページだった。基本的にはわたしが家で過ごす中でふと感じ取ったささやかな瞬間をメモするのだけれど、しばらく続くであろう家で過ごす時間をちょこっと楽しむ工夫にと思い、ひとりで/誰でも/家の中で(でも限定的にならないように)できることを意識して書いてきた。人との接触も控えるべきときに、唯一触れることのできる自分の肌を通して、「存在」を感じられる瞬間を持てたらと。少しでも心身の健やかさを保つことに役立てていたらと願って。
ごろんと転がった布団の上でひらめいた、わたしらしいアイディアだなと改めて思う。日々の暮らしにある所作や気配を観察することに興味があって惹かれているわたしにとって、そのことを「振付け」として改めて観察し発信することは楽しく手応えもあった。ダンサーが特別に踊ることとは別のベクトルにある「振付け」への興味、つまり観客自身の体や存在を喚起させる仕掛けが機能していて、これまでの手探りだった試みのなかでは実現性が高いように思う(ただし、この状況だから機能した面もあるかもしれない)。
TwitterのモーメントとInstagramのハイライトにまとめてあります。
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5月29日 9時20分、横浜大空襲から75年。 今住んでいる家は祖母の生家があった土地で、空襲で祖母のお母さんと妹はここで折り重なるように焼け死んだという。疎開していた祖母は戦争が終わって横浜に帰ってきた時、仕事に出ていたため空襲を逃れた父親がその土地に建てたという即席のトタンの家を見て「マッチ箱のようだった」と言う。
そんな今日はその祖母と祖父の結婚記念日でもあって、なんと65周年!コロナ禍で集って祝うことはできないけれど、ビデオ電話でお祝いを伝える。「顔見ながら電話できるなんてすごいね〜」とスマホが欲しそうなので、ものすごいキャンペーンをしている楽天モバイルを申し込んで贈ろうと思う。
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怒ったり憎んだりすることはエネルギーを消耗する。むしろ不毛だと思っていて、30歳になった頃それらを手放せるようになってからのびのびできるようになった。悲しんだり嫉妬したりすることも同様に自分自身を疲弊させるから、自分なりの幸せや豊かさを自ら肯定することが大切だと気づいてからはとても生きやすくなった。ハードルを低くすること(この尺度自体も変なんだけど)は決して悪いことではない。強さだけが善ではない。傷つかないように/傷つけないように、隠れたり逃げたりすることは重要だ。
それから、生きている人に「ありがとう」を伝えることはとても大切だと思っている。「いつか」はこないかもしれないから、いまあなたとしたいこと/行きたいところをできるだけ実現すること(いまは叶わないことも多いけれど、できるだけ心を伝える方法を試して)。伝えたい気持ちを伝えられないままなのは後悔に変換されるだけだから(時が経つことで癒してくれることもあるけれど)。
それでも悲しかったり、悔しかったり、嬉しかったりする。それを人と比べない。自分の苦しみや幸福は誰かと比べて軽い/重いはない。どんなに辛くても、そして幸せも、わたしにとってそれが絶対値なんだから。何かの記事で読んだ末期ガン患者からのメッセージで、苦しむ人への励ましとして「あなたより恵まれていない人がいる、苦しんでいる人がいる。だから悲しまないで、前を向いていこう」といった旨だったが、わたしはとてもそれに賛成できなかった。もちろんその患者さんの辛さや気持ちに100%立てる訳ではないけれど、わたしはその言葉は暴力的だと感じた。辛い時は辛いと嘆いていい。
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頭が煮えくり返りそう。今日に限ってNHKで国会中継をしないから、ネット中継で視聴しているけれど、大臣側ははぐらかしのペーパーを読むだけで答えになっていない。大臣ってその専門分野のエキスパートがなるんじゃないの?!大臣としての意志がみえてこない(みえるのは何かに配慮している姿勢だけ)。質問側も追求するためとはいえ対立的で(まぁあんな答弁されたんじゃそうなるだろうけれど)、見ているのがしんどい。。とにかく強行採決は暴力だから反対する。「時代も代わり新しい解釈が必要」という文句はもっともなようで、ただのご都合主義とも思えるし、「解釈」は角度があるからいつでも曖昧なもの。それを検察に関わる法律の余白として適用していいのだろうか。しかもそんな大事なことが口頭でのやりとりで決まったとか。なぜ文書に残さない。どうして、いつもそうやって証拠や根拠をなかったことにするの?隠したりもみ消すの?納税者には何年も領収書やら資料を残しておけとかいうのに?判子文化なのに?もう本当におかしいし、悲しい。
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Twitterデモに初めて参加した。いままでSNS上で表立って声をあげることはしないようにしてきたけれど、こういったご時世となった今、ネットで声をあげていくことは必要だと感じたし、しないでいることは自分に対しても苦しくなった。選挙に行くのと同じことだなとも感じたから。
意志を示すにあたって「#検察庁法改正案に抗議します」のハッシュタグを使ったけれど、「抗議します」という点が大事だと思った。「反対」ではなく「抗議」する。ただ反対するのではなく「ちょっと待って、違うんじゃないか」と相手に問うニュアンスに共感した。 もうひとつ「#検察庁法改正の強行採決に反対します」のハッシュタグにも賛同した。これは「反対します」じゃないとダメだと思った。だって、強行採決って暴力だもん。絶対ダメでしょ。2015年の安保法のときに強行採決を目の当たりにし、あんな暴力的な(実際に殴るとかあった)ことが国会で許されるのかと心底驚いたし悪い意味で価値観が覆された。「あ、何を言っても勝手に決めちゃうんだ」と怒りで頭がバグったのを覚えている。今回も然り。
いくら声を積み重ねたって聞こえないふりされるのだろうと無力感が片隅にあるけれど、それでも意思を示しておかないとなかったことになる。かの内閣は、すぐ忘れたりなくしたり、なかったことにしてとぼけたりするけれど、そんな記憶能力・管理能力の低い人たちに国を預けられないよ。
ちなみに、SNSでは自分なりにチャンネルを使い分けてて、Twitterでは自分の活動告知や創作に関わることとプライベートの趣味とを同じところにつぶやくと自分が混乱するから2つアカウントを持っている。今回の検察庁法改正案については、一般市民の生活感覚からの個人の意見だから、プライベートなアカウント(@sakaiyukina_day)から投稿した。このあたりは自分なりの感覚が整理されていればいいことなのですが。このブログは、「生きながら感じたこと」を備忘録として残しておける場所としているから、長めに文字で書き出しておきたいことを書いておく。
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気持ちの良い季節。
元気なんだけど、疲れている。世の流れと必要性も感じ情報へのア���セスの間口を久しぶりに開いたからかなと思う。もともと情報疲れしやすく、とくにSNS系での情報の触れ方は苦手だ。思いがけず有益な情報を得ることもあるけど、人の世界線がいきなり飛び込んでくるのに対応しきれなくなるため、そっと閉じていた。そのことのマイナスもあるかもしれないけれど、人間としての健やかさはある程度保てていると感じる。だから久しぶりに受け身の情報も入れ出したら、やっぱりしんどさがある。
とはいえ、自分は主にTwitterで活動告知やプライベート用投稿アカウントで日々の好きなものをアップしたりしてオンラインに投げてはいるのだけど。たまたま誰かの目に触れて、それがきっかけに楽しみや発見に繋がったら嬉しいなと思いつつ。
いまは配信コンテンツも充実してきたけど、ライブ配信は逃すと残念さがあるし、だからといって大量のアーカイブを追いきれないし、そもそも家の環境で画面の中を見続けるには限界がある。やっぱり劇場に、ライブハウスに、美術館に、その場所に出掛けていくことを含めた場の身体感覚が恋しい。資料としては貴重だし、遠くても参加することができる恩恵はハッピーな側面もあると思う。オンラインだからこその試みもあるし。
このtumblrのブログは、140字ではまとめられない気持ちを吐き出しておく場所としてこっそり活用している。未来に見返した時に、そこにちゃんと自分がいる感じがしていい。未来の自分へのメッセージ。これは残しておきたいと思っていて。いまはnoteなんだと思うけれど、シェアして広げたいわけじゃない。でも、わたし自身が誰かが明かしてくれている気持ちをこっそり覗いたときに救われたり気づくことがあるように、もしこっそり覗きにきてくれた人にとって「こんな気持ちの人もいるんだ」という側面があったらとも思っている。受け身の情報から広がることもあるけれど、情報を取りにいく(あるいは避ける)感性を大事にしたい。
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先日久しぶりに離れた土地で暮らす親友と電話した。タフで聡明な彼女が「わたしでも怒れるんだということがわかった。」と言っていて、そう、わたしも自分がこんなに怒るんだと気がついた。この国に驚き呆れることばかりで怒っている。政治について詳しいわけでも、常に監視できるほどの知識も持ち合わせていないけれど、少なくともさまざまに納めた税金は政治家のためのものではなく、わたしたちのものであるということはより強く自覚した。与党野党の揚げ足取り合戦を期待しているのではなく、現状の問題に対して考えうるベターなアイディアを出し合って素早く協力してほしいと願っている。反対や批判ばかりしてないで、何が問題でどういう懸念があるか、それに対してどういうケアが必要か、各所からの意見をすくいとっていくリーダーシップを求めている。指摘されたことに耳を傾け、嘘や隠し事、どさくさに紛れることはやめてほしい。もしかしたらすでに多様な角度からのアイディアを吸い上げてのことだとしても、全世帯マスク2枚配布の素早い決断に自信満々にくつろいでうちで踊ることが国民の求めていることではない。うちでくつろぎ踊るのは構わない。というか、首相がではなく、この国の政治が、さまざまな利害関係のしがらみによって(あるいは一方向性のみによって)立ち行かなくなっている現状に怒っている。そしてこの国だけが何も変われないかもしれないという危機感を憂いている。
日本のメディアも、批判ばかりを煽っているだけでうんざりする。そんななか、先日放送されたNHKのETV特集『パンデミックが変える世界〜海外の知性が語る展望〜』を視聴して、久しぶりにやっと脳みそが少しまともになれた気がした。彼らの言うことを正しいと信じたいのではなく、こういう冷静な、知性と品格ある人間が話す言葉を聞きたかったのだと気がついた。
救世主を望���たいけれど、それはそれで独裁的になりうる危険もあって、いまはとにかく声をそれぞれがもち、各所リーダーシップを取れる人に立ってもらいながら自主性をもって、アメーバのように協力していくことが大切だと思う。みんなが積極的に動けるわけではない。頼っていいし、待ってもいいし、逃げてもいいと思う。磯野貴理子さんが役者の石倉三郎さんの言葉でねと引用していた「我慢じゃなくて、辛抱は辛さを抱きしめるって書くから、ぎゅっと抱きしめることならできそうな気がするよね」ということのように、それぞれが自分を抱きしめることができたらと願う。想像力と寛容。心身が柔らかくあること。
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今朝、眼鏡が折れた。寝ぼけて踏んでしまったのだと思うのだけど、寝起きにかけようとしたらすごい曲がってて、戻そうとしたらものすごい勢いで折れた。
ものごとのタイミングに不思議を感じることは多い。何かを手放すことで、新しい風が舞い込んでくる。
以前、買ったばかりの洋服をその帰りの電車で網棚に忘れて結局見つからなかったことがある。落ち込んでるわたしに夫が「まだ1回も着てない新しい服でよかったじゃん。」と言ってくれて、本当にそうだなと気持ちよくひっ��り返された。逆に愛用していた大切なものをなくした時には「身代わりになってくれたんだよ」と妹が励ましてくれる。
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ひとつ前の投稿で言いたかったことは、わたし自身の実感としてポジティブにばかりいられないし、沈んだ気持ちを無理に鼓舞したり投げかけと繋がることを無理にしなくてもいいということ。たしかに励まし合って助け合い声を掛け合うことは大事で、おせっかいでもそれをしないと助けられるものも失うかもしれないし、それに救われる人もいる。でも、そういう投げかけを見ているだけでも疲弊し逆に追い込まれる人もいる。とくに真面目なタイプは、責任感もあってNOを示せず、もしくは期待に応えられない罪悪感が生まれさらに気持ちが悪循環する気がする。「何かしなければいけない・することが善」ということが呪いのようになってくる。
大変な事態だからこそ「絆」を筆頭に、明るく前向きにというメッセージは溢れる。それを否定はしないけれど、共感できないときもある。そんな自分にがっかりすることもあるかもしれない。わたしは311の震災のときにそうだった。前を向くことを強要されているように感じる初めての嫌悪感に、正直自分自身びっくりした。大変な時に無力な自分にがっかりしてうなだれていたてはダメなの?絆に共感できない自分って人間としてダメなの?何か声をあげなくちゃいけないの?何もできないわたしって無意味なんじゃない?そんな気持ちを必死に上書きしようと、何か行動しなきゃと追い込まれていたように思う。
何か自分が発することで誰も傷つけ��くないけど、誰ひとりも傷つけない意見なんてない、だったら何も言わない方がいいなんじゃないか、という考えに至った。これは今でも癖になっていて、でもこの思考自体を否定する自分もいて苦しむときもある。
今の世のムードは震災のときとはまた違うけれど、それでも「こんなときだからこそポジティブに、日々を前向きに楽しもう」みたいな流れに、昔の自分みたいに苦しい気持ちに囚われてこじらせちゃう人もいるかもと思ってしまって。そんなジレンマを抱えながら9年経って、情報との距離の取り方や「何かしなきゃ」と思ってしまう気持ちの落とし所がわたしなりにあることは、当時苦しい思いをした自分から学んだこと。ふぅ、、そんな気持ちを書き出しておきたかった。
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