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夜になると、日中に潜在的に溜まった後悔に襲われる。そして、夜を抜けて、白くなり始めると、ようやく落ち着くのです。
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「複数性」を。
他者と自己の複数性だけではなく、自己の中にも複数性を。
他者の意見を引き出す。それは「真実」との遭遇。それを絶えず繰り返す。
人間が二人以上存在するなら、政治が起こる。いかに関係を築いていくか。互いに意見を述べ合い、世界を見せ合うことが必要だ。そこには「寛容」が求められる。自己の「世界」を押し付ける態度では、もはや対話は困難である。「普通」「正しさ」を強要してはいないだろうか。そのような普遍的なものを語ることの危険性、要するに自己が自明としてしまっていることを語るときの暴力性、それを常に意識する。
年上相手にそれを理解してもらうことは難しい。プライドがあるから。ぼくも歳を取ればそうなってしまうのかもしれないが、そうはなりたくないなと思う。理詰めで相手を追い込むこともできるが、それでは彼が自己の発言の暴力性を認める契機を損なってしまう。では、どうするか? それは相手以上に相手のことを尊厳を持つ存在として承認する態度を見せることであろう。ひたすら誠実さを持って接する。それが大事。
とはいえ、対話とは難しいものだ。思いの外、互いの差異を確かめ合い、尊重し合う対話というものができない相手は沢山いる。
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穂志さんのお母さま。ご冥福をお祈りします。
穂志さんは最近益々映画やドラマによく出られるようになって、ご活躍されていたときだった。穂志さんやお母様が一番悔しいだろうけど、ファンであるぼくも悔しい。
大学進学を機に関西に出てきて、初めてミニシネマで観た映画が『少女邂逅』だったと思う。あのとき、よくわからないものに出逢った感覚が映画の魅力を教えてくれた。
『街の上で』は、間違いなくぼくが一番繰り返し観ている映画だ。
これからも穂志さんの関わられる作品を楽しみにしている。
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「人間は世界に対する感受性を備えた身体的存在であり、他者と共に存在するものであるが故に、この運命という偶然的出来事に傷つきやすい存在である」
「人柄は世界に開かれ、それ故にそれに屈する。しかし、そうであるからこそ一本の花は脆く、しかし美しいのである」
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二〇二三年です。
早いもので、もうすぐ修士課程一年目が終わる。今年は修士論文提出と次の進路への準備で大忙しだと思う。真剣に取り組みつつも、持ち前の楽観主義を忘れずに、楽しくやっていけたら。
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運命なんてないし偶然の連続なのだろうけど、偶然の出来事に意味付けしていくことにむしろ素晴らしさがあるのだと最近は思えるようになった。
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修論、ようやく動き出した感。エンジンかかるのが遅いのはいつものことだけど…
徐々に方向性が定まってきた。
とりあえず3月までにある程度粗くてもいいので書き終える。で、そこから深掘りしていく。半年かけて。
3月までに終わらせたいものがもう一つ。こちらも少しずつ進めておきたい。
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嫌韓、アンチフェミ、アンチヴィーガン、アンチ環境保護。これらの感情をもつ人は大抵の場合これら全ての価値観を支持している。「アンチフェミだけど、ヴィーガンです」というようなことは殆ど聞いたことない。
自由恋愛市場にやはり問題があるのではないかという話をとある方としていた。劣等感とどう向き合うか。
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