ritsuko640
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今日は生まれて初めて、正確には2歳くらいのころは結んだ写真が残っているので、記憶がある限り初めて、髪を結んで出かけた。
わたしはアトピーで、小さいころは髪が首につくとすぐかゆくなって真っ赤になった。耳より少し長くなる着く前に切らなくちゃいけなくて、それが当たり前だった。少し伸びてくるとお母さんが散髪ばさみで後ろの髪を切ってくれるんだけど、それがすごい嫌で、いつも切り方にいちゃもんをつけて不機嫌になっていた。まっすぐ横にそろえて切られるのがこけしみたい��嫌だったのだ。女湯で男の子に間違えられたことがあって、自分の男みたいな容姿が大嫌いだった。三つ編みをしたことがないからやり方がわからなくて、小学校の卒業式の日にクラスのみんながすずらんテープで教えてくれた思い出がある。みんなは当たり前に伸ばせて、当たり前に三つ編みできていいな、って思いながらすずらんテープを持って帰った。
大きくなってからは少し伸ばせるようになったけれど、大学生になっても夏は汗で真っ赤に荒れるし、髪が伸びると不思議と手も荒れるので、基本的にベリーショートとショートの間を行ったり来たりしていた。染めることもできないので、金髪にしたりメッシュを入れている友達がうらやましかった。
でも、社会人になって水のいいところに引っ越してからすごく調子がよくて、あごくらいの長さでも大丈夫になって、去年の秋からひょっとして、、、と思い、結べるまで伸ばしてみようと決心した。美容院で 長さは変えないでください と言う自分がうれしかった。たまにかゆくなる日もあるけど、昔みたいに血まみれに荒れることはもうなかった。
昨日はお風呂に入らず寝てしまい、朝シャワーを浴びたら髪が少しうねっていた。思い切って結んでみたら、少し頼りないけどちゃんと一つ結びになった。変に自意識過剰になって自分のうなじ変じゃないかな、、、とか、位置が変じゃないかな、、、とか結んだりほどいたりしていたらぎりぎりの時間になって、思い切って出勤した。
あら珍しい!かわいいねー!と事務さんに言われた瞬間、今までの自分の髪に対するコンプレックスが全部吹き飛んだ。小躍りしたいくらいうれしかった。子ども達も、あー!!って触りにきてくれて、犬のしっぽみたいでかわいい、ふふふって笑ってくれた。出勤前に変におどおどしていた自分がばかばかしい。髪型変えました?ナイスアイディアですよ!って中2の男の子が言ってくれて、なんだよその言い方〜ってつっこみが入ってみんなで笑った。内心はすごくうれしかった。すごくすごーーーーくうれしかった。
春まで、今の職場でみんなといる間は、切らずに伸ばそうと決めた。わたしを嫌いなわたしがまた一つ供養されたみたいで気分がいい。今日はお風呂にちゃんと入ってから眠ります。
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10月がもうすぐ終わる。
1日に試験の結果がでて、ようやく全てから解放された。大学に入る時点できちんと志してストレートで受かった人たちと比べたらプラス5年もかかってしまった。長かった。
夜に一人でベランダでぼーっとしていると、自分に何にもないのが手に取るようにわかって、生きている価値がないなあとずっと思っていた。そういう時に決まって頭に浮かぶのは、森の中でレールの上を必死に歩いているんだけどその先は靄がかっていて、そこまで進んでしまったら絶対に途方にくれてしまうとわかっているのに、今はただこのレールの上を進むしかない、というイメージ。
大学4年から進路を方向転換して、片親になったばかりの時に留年までさせてもらったくせに、このままずっと何にもなれないのがすごく怖かった。あんたはほっといたら低いところ低いところって流されていく、と小さい頃からずっと言われてきて、親の手を離れた今、どんどん自分が淀みの中に沈んでいっているような気がした。リップヴァンウィンクルの七海みたいに、アルバイトをしながら非常勤で働く自分がリアルに想像できて、契約を切られる恐怖を考えてはぞっとした。
合格してなりたかった職業に就けるのはもちろんとってもうれしい。でも一番うれしいのは人生のつじつまがようやくあったことだと思う。大学に5年間もいっておきながら、こんなにつまらない人間になってしまった、とよく思っていたけれど、それは地に足をつけられていなかったからなのかもしれない。働いてから受かるのは難しいといろんな人に言われてきたけど、これで自分を少しだけ認めることができた。ようやく大人になるスタートラインに立っている気持ち。のろまなわたしはいつもみんなより数周遅れ��。
先週、お墓まいりにいって、やっとお父さんに顔向けができた気がした。月曜のおやつどきの墓地は誰もいなくて、秋晴れの中に並ぶそれぞれのお墓に、それぞれの亡くなった家族のために生けられたお花が揺れていた。普段はいかにも仏花らしい花を買って生けるけど、この日は洋花にした。白いカーネーションがきれいだった。花はいい。この1ヶ月、たくさんの友達がお花をくれて嬉しかった。仕事は相変わらず忙しいし恋人もいないけど、不思議と今までで一番「ひとりじゃない」気がする。きっと春からは忙殺されて、今は台風の目みたいな瞬間なのだろうけど、悩みのない、平凡だけど穏やかな毎日をしあわせに生きようと思います。
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昨日から何があったかというと、夜帰ってきてふと思い立ち洗濯槽を掃除することにした。本当になんとなく。わたしは肌が激よわなためアタックみたいな普通の洗濯洗剤を使うと一瞬で肌が爆発するので、肌に優しい弱い洗剤を使っている。洗浄力が低いからなおさら洗濯槽は気をつけなくちゃいけないのに、一年近く放置していることを思い出して少し怖くなる。それまで洗濯物をぴかぴかにするもののはずの洗濯機が、急に真っ黒な、カビだらけの、どす黒い塊に見える。よしやるぞと決心し、洗濯槽に水を溜め、クリーナーを注ぎ、一度洗いで回して一晩放置。洗濯槽のイメージのせいか知らないが突然気分がとても下がりtumblrにもあげられないようなめちゃくちゃに暗い文章を書き2時半に就寝。なぜか5時半に目が覚める。再度回して(この時に中を確認しなくてよかった。一生立ち直れなかったかもしれない。)、終了の音楽がするので開けてみたらカビが洗濯槽にばらばらと落ちている。それから2回、水を満杯にして回すがやつらはどんどん現れる。音楽が鳴りふたを開けるたび、やあ とカビがいる。怖い。めちゃくちゃ落ち込む。給水しては蓋を開け、ただようカビをにらみつけるがふわふわと流されてい��気持ちよさそうでむかつく。早くカフェにいって仕事をしようと思っているのに、ものすごく落ち込む。洗濯物だけは、洗った洗濯物だけはぴかぴかだと信じていたのに、こんなどす黒い洗濯槽で洗っていたなんて…わたしが信じていたものとは一体…家族ラインがたまたま動いていたので思わず話の流れをぶったぎってお母さんに泣きつく。一瞬で超強力な洗濯槽クリーナーを注文して送ってくれた。母強し。きちんと生きていくって、大変なことなのだよ、との言葉。にーちゃんは読み流している。にーちゃんにとって超・どうでもいいのだろう。そりゃそうだ。しかし一人暮らし4年目、割ときちんと生きていると思ったけれど、どす黒い洗濯槽と同棲していたことがなぜかものすごく悲しい。落ち込みすぎ、と笑われる。洗濯機をぐるぐるぐるぐる回しているうちに9時半になってしまった。4時間近くずっと洗濯槽のことで落ち込んでいたと思うともはや面白い。たぶん最近買ったワックスのせいで指の先がぼろぼろなことも気分が下がっている一因な気がする。せっかく髪が伸びてきてかわいくできると思ったのに…洗濯槽とワックス、全然別なことなのに頭の中で勝手に結びつき、なおさら元気が出ない。落ち込んでもしょうがない。少しでもぴかぴかな世界で生きるために掃除機をかけゴミを出しに行く。隣のおばあちゃんとあいさつをして少し元気がでた。出かけよう。すれ違うすべての人に、洗濯槽、どのくらいのペースで掃除してますか?と聞きたくなる。たぶん関東で今一番洗濯槽について考えている人間だと思う。おばあちゃんが散歩してるふわふわの柴犬がかわいくて眺めるが、柴犬は洗濯槽のことで落ち込まなくてすむので少し嫉妬する。柴犬に嫉妬させるなんて洗濯槽は末恐ろしい。駅でお母さんとななこちゃんに励まされながら、なぜか少し涙が出て笑ってしまう。どんだけ大事なんだ洗濯槽。水を溜めて出てきたから帰ったらもう一度回そう。文章にしたら全てが滑稽でばかばかしくて元気が出ました。働きます。
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夏休みの最終日はお父さんの七回忌だった。喪服でいくものだと思っていたけれど、もう七回忌だし地味な服でいいんじゃない となり、サンダルに黒いワンピースで行った。そんなに時間が経ったことに驚くような、もうずっとずっと前のことのような気もする。
コロナもあるし家でやろう、という��とで、お坊さんとお母さんとおばさんとわたし、4人だけが実家のリビングに集まるささやかな法事だった。うちは浄土真宗なのだけれど、今回はじめて経典を渡されて、さあご一緒に というので、もじもじしながらみんなで読んだ。あれ、意外と長いぞ、と思っているところでお母さんが残りのページ数をぱらぱらと確認していたので笑ってしまった。親子だ。
面白かったのはお経の下に書き下し文がついていて、意味をぼんやり確認しながら読んだのだけれど、だいたいずっと同じことをいっていた。阿弥陀仏を信じます、阿弥陀仏は尊いものです、阿弥陀仏のために励みます。自然を表す言葉も多かった。雨、川、光。毎日毎日読んでいたら、本当にこんな風に思うようになるのかな。普段生きていて仏様について全然考えないのに、大人4人で一生懸命仏様を讃えるお経を唱えていると、ごっこ遊びをしているような不思議な感覚に陥る。
浄土真宗はあっさりしているところが好きで、お経は15分ほどで終わり、お坊さんの説教が始まる。お父さんのお葬式では、お父さんは亡くなった瞬間に光になりました、と言われて驚いた。光になれるのはちょっと羨ましい。法事はめんどうだけど、毎回この説教だけは楽しみなのだ。今回は、お父さんは常に側にいます、常に励まし、見守ってくれています、という話がメインだった。
ただ、その中で気になったのが、仏様を信じてお経を読むのは、仏様に何か与えてもらおうとか、苦難を払ってもらおうとか、そういう心からではないのです、常に困難を受け入れ、立ち向かうための支えとして、仏様を信じるのです、という言葉だった。思わず まじで?と言いたくなった。頭に浮かんだのは平家物語の那須与一だった。与一は扇の的を射抜く直前、菩薩から大明神までありとあらゆる"えらい何か"にお願いしていた。なにしろ外したら死ぬのだ。お参りにいったらお願いするんじゃなくて決意を述べるべき、みたいな話はよく聞くけれど、ほんとのほんとのほんとのピンチには、もうどうしようもない逃げ出したくなるような困難の前では何にでもすがりたくない?助けてください神様仏様って言いたくない?みんな困難を受け入れられるの?そんなに人間って強いの?綺麗事なのか、本当に浄土真宗の人がそうなのかわからなかった。
そのあと、こんなご時世だからこそ、あえてアナログな時代を見直しましょううんぬんかんぬん、という話を経て説教は終わった。お茶をみんなで飲んで、お布施を渡してさようなら、と玄関まで送ったところで、どうしても気になって聞いてみた。本当に救いを求めないんですか?たとえばもうすぐ家族が死ぬ、っていう困難においても、仏様どうか助けてくださいとは思わないんですか?と。少しの間のあと、仏様は困難に打ち勝つための支えであって、何かしてもらうための、願いを叶えてもらうための存在ではないのですよ、という答えを貰った。お坊さんはすごい。すごい強い人間だと思った。仏様は強力なサポーターみたいなイメージなのかな、ちゃんと勉強しないと多分一生わからない。わたしはきっとすがってしまう。すがってすがってお経をたくさん唱えて、それでも困難を乗り越えられなかったら、すごくがっかりした気持ちになる気がする。宗教は向いていない。
お坊さんが帰って一息ついて、お寿司をつまみながらなんでもない話をした。早めに解散しようといいながら気づいたらお母さんとおばさんは2時間ほど話していて、2人とも対面で誰かと会うことに飢えていたんだな、と思った。わたしはうとうとしながら、お母さんの水彩画の本をパラパラとみていた。いつか行ったヘルシンキの大聖堂が描かれていて、この青いドームに差す光もお父さんなのかな、なんてことを考えた。
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ここ3カ月ほど、転職のための勉強をずっとしていた。これまで休みは必ず友達と遊んでいたから、自粛期間に誰かと会えないさみしさを勉強で忘れられたのは幸運だった。試験が終わり、久々に友達と会った。電車に長くのるだけでもうれしいのに、大好きな友達とげらげら笑って心が生き返った。多摩川にも行った。お母さんにも会った。窓際に寝そべって、もりもり育った庭の木をぼんやりと眺めた。時間を気にせず誰かと過ごすことができるのは幸せだ。
今週末は予定がなくなったので、久々にひとりで好きなことをしていい時間だった。昨日は家を片付け、美容院に行き、いらない本を売って、面接の準備をして、裾上げをお願いしていたスーツを取りに行った。わたしは就職活動をそんなにしなかったので、はじめてきちんと自己分析なるものをして大学生みたいな気持ちになっている。なんだかわからなくなって友達に連絡すると、よく見てくれているなあ、とつくづく思う返信をもらった。最近、自分が思う自分と、周りが思う自分にギャップを感じることが多かったから、なおさらうれしかった。職場でのわたしはとても気の強い人間に見えているようだし、先週末に別れを告げた恋人には、男をだめにする天才だといわれた。このままだと死んでしまうから確かに別れたほうがいい、というからおかしくて二人でげらげら笑ってしまった。自分のことを割とからっとした人間だと思っていたけれど、好きな人をずぶずぶにしてしまう才能があるらしい。こうなると、「いい人だけれどちょっぴりだめな男」ばかり好きになると自他ともに思っていたはずだけれど、いよいよわたしに問題があることになる。自分のことがさっぱりわからない。また一人だよ、と嘆いたら、まだ若いじゃん20代でしょ大丈夫大丈夫、とななこちゃんに言われたのがおかしかった。友達は最高。
今日は映画を見たり洗濯をしたり大学の先生と面談してもらったりして、一息ついたら17時だった。外はまだ明るくて、今から動いたらゆっくり料理ができるなあ、と思った。試験前は料理をしないと割り切っていたので、自分で作ったごはんを食べられるのがうれしい。家を出たら涼しくて気持ちよかった。自転車のサドルが低すぎたので、思い切って高くしたらすごくこぎやすくて、少し駅前をぐるぐるしてみたらどんどん気持ちよくなって、結局駅前の川沿いをずーっと上って、一時間くらい走った。
駅前を流れている川は、ひとつ橋を越えるといかにも“土手”という感じの舗装されていない道になるので、その先がどうなっているのかずっと気になっていた。あまり人の手が入っておらず、草がぼうぼうなのがとても良い。がたがた砂利道を進んでこいでいくと、スケートパークまである大きな公園があって驚いた。バスケをしている青年たちや、5匹くらいのポメラニアンを連れたおじいさんを横目に進んでいくと、突然どかんと視界が開けて田んぼが広がっていたのでめちゃくちゃテンションがあがってしまった。実家にいたときは、落ち込んだり元気がなかったりする時によく自転車で川沿いを20分ほど走って、長津田の外れの田んぼ地帯に行っていた。一人ではだしになって用水路の中を歩くと心が落ち着いた。ぼーっとして薄暗くなったらお母さんが心配する前に家に帰った。梨か何かを育てている果樹園のライトがきれいだったのと、ひとつすごく怖いかかしがあったのを覚えている。大学生の時には自転車好きの友達と夜に川沿いを走って缶ジュースを飲んだりしていた。懐かしい。その時よりもはるかに広い田んぼが目の前に広がっていた。自分が大人なのか子供なのかわからなくなった。ひとしきりぼんやりした後、がたがたと砂利道を走り、スーパーに寄って帰った。涼しいと思っていたけれど、家についた瞬間汗がふきだしたのが気持ちよかった。
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この五日間は社会人になって一番ひどい五日間だった。緊急事態宣言がだされたら家で過ごすのだとばかり思っていたので、先週のうちに必要な買い物をすませ、ストレッチ器具まで買ってほくほくしていた。これまではカフェで勉強していたから、先週末は部屋を模様替えして、無印のおおきい机を注文して、家で勉強できる環境を整えた。
月曜日に上からはちゃめちゃなお達しが来て、生徒も教師も途方に暮れてしまった。電話が鳴ったら一言目は『大変申し訳ありません』だった。謝罪して謝罪して対応して謝罪して仕事して謝罪して仕事する毎日。会社の方針は完全に見切り発車で、2時間残業して作ったシステムが次の日の朝には取りやめになったりした。ほんとうに全てがはちゃめちゃだった。会社の上部が大嫌いになった。辛すぎてご飯を作って待っててくれた恋人にまで八つ当たりしてしまった。そんな自分がどんどん嫌になった。
昨日電話をとったら、苦情ではなく相談の電話だった。保護者と相談して生徒を呼び、マスクが涙でびしょびしょになったその子と、窓を開け放した部屋で2時間近くおしゃべりをした。人懐っこいのに、授業中じっとわたしを見つめている瞬間がある子で、この子にうそは通じないな、と今の職場にきて最初に思った子だった。吐き出したらすっきりしたようで、他愛もない話をずっとした。ぬいぐるみの話になって、家に15個くらいいると言ったら、ぬいぐるみ好きすぎ(笑)とあしらわれたので、あざらしのぬいぐるみのかわいさをプレゼンした。あざらしを倒立させたり、ふわふわさせたりしてあそんだ。泣いて笑ったら眠たくなっちゃった、というので、赤ちゃんだね、とふたりで笑った。帰り際、抱きしめたいのに抱きしめてはいけないのが悔しかった。 学校がないせいで気持ちのバランスが崩れているのだと、その子自身もわかっていた。窮屈な日々だと思う。ただストレスを感じていたのはわたしも一緒だった。みんなに会えない大人だけの環境の中でバランスが崩れていた。2時間のおしゃべりで、心から救われた。その子のお母さんに電話をして、お礼をいって切った。その日で唯一、謝罪じゃない電話だった。 今日は帰ったら机が届いていた。今まではローテーブルしかなく、ご飯を食べづらい家だった。平日は必ず自炊したご飯を職場で食べているけれど、週末は自分のためにほとんど料理しなかった。ちゃんとした机がないので、ちゃんとしたご飯を作る気が起きなかったのだ。きちんと椅子に座って食べるご飯はやっぱり美味しくてうれしい。今月はずっとはちゃめちゃなんだろうけれど、腐らず、きちんと生活しようと思えた。大事な人をきちんと大事にしなきゃと思った。みんな、全てが落ち着いたら、美味しいお酒を飲みに行こうね。わたしはそれまで頑張ります。
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0218
人の死に慣れてしまう自分が怖い。喪服の自分にもすっかり慣れた。ただ火葬場だけは相変わらず慣れないし大嫌いで、火葬場にいくマイクロバスも大嫌い。あの棺を運ぶ銀ぴかの機械が怖い。あれに乗せられた瞬間、人間が人間じゃなくなって、燃やされるべき有機物として扱われている気がしてしまう。なんで燃やしてしまうんだろう、といつも思う。でもまなみちゃんに、おばあちゃんが亡くなった時、煙になって空に吸い込まれていくのがなんだか嬉しくてずっと見てたよ、と言われて、少し気持ちが軽くなった。
親戚に何かあるたび親戚でもめる。本当にもめるのが好きな一族だ。亡くなった人の話ではなく、今あるもめごとについての電話ばかりでうんざりしてしまった。亡くなったおばあちゃんはそういうもめごとには一切関わらない人で、お父さんのことで家族がぐちゃぐちゃになった時も、誰の悪口も言わず、静かに耐えていた。わたしもそうありたかった。お茶と着物と短歌が好きな、美しいおばあちゃんだった。
そんな話をまなみちゃんにしていたらどんどん落ち込んでしまったけれど、今日は落ち込んで当たり前だよ、と付き合ってくれたのが嬉しかった。たくさんお酒を飲んで、帰って明日からの自分のための料理を作った。今日はその料理をたべて一日働いた。夕方、自分の人生の目的の半分は親を看取ること、と先輩がいうので心から尊敬した。綺麗事じゃなく、ほんとうにそのために生きようとしていた。親を憎んだことはないんですか?と聞きたくなったけれど、やめた。問題が何もない家族なんてたぶんないし、だれだって親が憎くてたまらない時はあるのだろうけれど、それでもその先輩は親のために生きることを決めたのだと思う。美しい人ばかりだ。わたしはぜんぜん美しくない。
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今朝、はじめて降りた町の、はじめて登る給水塔の上で太陽の光を浴びた。知らない町だけど、富士山と多摩川が見えて、全部つながっているんだと思った。ひどい生活をしていたから、朝日なんて久しぶりに浴びた。力がみなぎった。のに、帰り道にお母さんからすごく悲しいラインがきて、だめになってしまった。そんなこと今は聞きたくない、と言いたかったけれど、逃げてしまった。言葉をぶつけるかわりにお花を買った。緑色の紫陽花。
お昼にまなみちゃんの写真展に行って、まだ届かない(わたしのミスで届かないだけでしたごめんなさい)写真集を初めてめくった。昔ひとりで画面越しにみていたまなみちゃんがそこにいて、気持ちがぐわんと揺さぶられて、思わず閉じてしまった。
写真集をしっかりみないまま写真展にいくのは新鮮で、頭の中がまっさらな状態で大きなサイズで額に入った写真をみるのはいいものだと思った。予告編をみないで映画館にいく感じ。まなみちゃんは美しかった。宗教画だという人の気持ちがちょっとわかる。肉体というものはこんなに美しいんだなあ、と惚れ惚れした。視覚的にだけじゃなくて、もっと心を揺さぶるような美しさ。きれいな身体はこの世にたくさんあるんだろうけれど、まなみちゃんはそれだけじゃない。ほんとうに美しい。
サインを待っている間、緑の髪がきれいな女の子がいて、すごく照れて緊張しながらも目がキラキラしてて、話してみたいな、と思った。帰り際にその女の子が長いコメントを書いているのを見つけて、出口で話しかけて、そのまま2時間くらいしゃべった。ものを作り出すために自分を削って削って削って頑張っている、危うさすら感じさせる子だった。生きていく中での感情の浮き沈みを大切にしていた。わたしもそうありたい。その子の名前を聞いた時、だから目が輝いていたんだな、と納得した。朝の太陽とつながって嬉しくなった。帰り際に抱きしめた。
ご飯を食べてまなみちゃんとお茶をして、せっかくのおめでたい場なのに朝の話をしてすこし泣いてしまった。最近まなみちゃんの前では落ち込んでばかりいる。まなみちゃんの前だから落ち込��るのかもしれない。大切な話も、くだらない話もたくさんして、電車を乗り過ごして笑って、ばいばいする頃にはすっかり元気になっていた。すごいなあ、ありがとう。
トークショーの中で笠井さんが、『正解かはわからないけれど、正解だと思ってやっている』といっていた。救われた。仕事がひと段落して、結果が全部わかって、たくさんの涙をみて、自分がここ数ヶ月やっていたことは間違っていたのかもしれない、というもやもやにヒントをもらえた気がした。なにが正解かなんて誰にもわからないんだから、その時々で一生懸命やるしかないし、頑張った自分を否定したら、一緒に頑張った人たちまで否定することになる。中途半端が一番かっこ悪い。気づけてよかった。笠井さん、ありがとうございます。
帰ってさっそく写真集を本棚においてみた。大きくてかっこいい。お風呂に入ってぴかぴかになったら、もう一度ゆっくりページをめくろう。また一つお守りが増えました。おめでとう兎丸愛美ちゃん。ずっと応援しています。
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振り返る暇もないまま年末を駆け抜け、年明け早々インフルエンザになり、正月ぼけした頭で復帰したらふたたび忙殺され、時差ぼけを騙すように働いた。入試まであと一ヶ月。突然ぐんぐん伸びだす生徒がいてほんとうにおもしろい。点数爆上げして伝説になろうぜ、とこの前話したら、この得点って伝説になれますか?となにかと聞きに来る生徒がいて笑ってしまう。土曜日に同じクラスで4時間授業したら、もう先生の顔見飽きちゃったよ、といわれたときもおかしかった。ほんとうに遠慮がない。夢でも会えるかもね、とみんなで笑った。伸びる一方で、気がついたらしくしくと泣き出す生徒も増えてきた。頭をなでると、大して身長が変わらないか、むしろ自分より大きいことに気がつく。負けるなという思いをこめてなでる。合格発表の日に抱きしめる日を夢見て、ひとまずバレンタインまで駆け抜ける。がんばれ受験生!
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文章をすらすらと読めないから、ずっと補習している生徒がいる。知らない言葉をスルーできなくてそこで止まってしまい、時間内に読み終えることができない。前に読み方を教えていたとき、先生の脳みそ羨ましいです、と言われた。ぼくの脳みそ一度体験してみてほしい、最悪だから、とも。いつからそう思うようになったの?ときくと、受験勉強をするようになってからだという。それまではずっとふつうに生きてきたけれど、勉強し始めてからみんなと違うってわかって嫌になったと。自分のことを最悪だと思わせてしまう受験勉強は最悪だと思った。わたしは文章読めるけど、時計と地図が読めないよ、受験勉強は向いてたけど、できないことたくさんあるよ、というと、顔がきらっと輝いて、そうなの?!と嬉しそうにしたのを覚えている。偏差値というたった一つの物差ししかないこの退屈な冬を、なんとかうまく乗り切ってほしい。
彼は彼なりに努力を続けていて、毎日のように知らない言葉を調べている、この前は『バラン』だった。かわいい。今日も廊下で、新しい言葉覚えました!使い方あってるかわかんないけど!!と言うので、じゃんじゃん使ってみよう!!と言ったら、
『ぼくはみんなを博愛している。』
というので、めちゃくちゃ感動してしまった。あまりにも唐突だった。あってるよ、めちゃくちゃあってる、というと、みんな博愛ならいいのに、とぽつりというから愛おしかった。子どもは希望だ。さいきんの悶々とした何かが全部洗い流された。少し前に、読むべきではないものを読んでしまい、文章を書く気がしばらく起きなかった。自分がここに書くことが全部きれいごとで、もっと自分は酷い人間で、毎日の上澄みの部分だけをきれいに並べているだけのような気がしてしまった。でも今は、そんなことはないとちゃんと思える。いつでも真剣に書いていたことを思い出せた。なんだかすっきりした。またこつこつ書こうと思う。言葉は希望だ。
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現像した写真が届いた。いつも、発注してから毎日ポストを開けたり閉めたりしてしまう。今日は130人分のカレーを作って、わあわあ言いながら子どもたちとたべて、くたくたで帰ったらご褒美みたいにポストに大きな封筒が入っていた。うれしくて、すぐにパソコンを起動して写真をみた。4本フィルムを送ったうちの、半分はまなみちゃんの写真で笑ってしまった。好きすぎる。あれこれ思い出しながらぽちぽちデータを保存してたら、いっっちばん最後の写真はお母さんだった。ピンボケしていたけれど、わたしの大好きなお母さんがそこにいた。ため息が出た。今年の一月から、家族のあれこれで本当に辛かったけれど、もう終わったんだとわかった。いい一年だったと12月に思えるようにがんばろう、とここに書いたけれど、あの一枚で、今年がいい一年だったんだと確信できた。たった一枚で。写真はすごい。ほんとうにすごい。写真を撮ろうと思わせてくれたまなみちゃんに心から感謝している。がんばってよかった。残り一ヶ月、悔いなく生きる。2019年��ほんとうにいい一年だった。
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はじめて、誰かのためにちゃんと仕事ができたんだな、と今日思えた。中学生みたいな見た目のわたしよりずっと年上の綺麗な綺麗な母さんが、本当にありがとうございましたと目の前で泣き出してしまったので、なんて言葉をかけたらいいかわからなくて、一瞬ためらったけど、触れてみた。さすればさするほど、どんどんお母さんの目から涙があふれてきて、触れてよかったと思った。もっと年をとって、中学生の子どもがいるくらいの年齢になったら、こういう時、目の前の人を抱きしめてもいいんだろうな。年をとるのが、少しだけ楽しみになった。
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K'sシネマで外山文治監督の『海辺の途中』を観た。ノックの音がしたとき、まなみちゃんが入ってくるんだな、とわかった。デリヘル嬢の役だと知っていたから。でも入ってきたのはまなみちゃんじゃなくて舞子だった。あんなにのびのびと、自然に演じているまなみちゃんをはじめてみた。映画に長さなんて関係ないんだとはじめて知った。海で泣く舞子を観て、この夏自分がずうっと海をながめて過ごしたことを思い出した。わたしはその時、どこで生きればいいか、わからなかった。ひとりぼっちだった。今はわかる。前に進める気がした。エンドロールの舞子の笑い声が心地よかった。長さなんて関係ない。短編とか、長編とか、どうでもいい。音楽もいらない。音楽やめろよ。素晴らしい映画だった。観終わって初めて、タイトルについて考える。まだまだ途中なんだ。もっとよくなっていくよねわたしたち。あらためて、素晴らしかったと声を大にしていいたい。少しでも多くの人に届きますように。祈りをこめて、今日は眠ります。おやすみなさい。
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この間、また一つ歳をとった。わたしは正直、この11月後半から年末までがすごくすごく苦手だ。世の中的には恋人がいたほうがたのしい時期なのかもしれないけれど、恋人がいるほうがわたしは怖い。誕生日やクリスマスにろくな思い出がないからだ。思い返してみれば、誕生日直前に振られたり(二股をかけられていた)、クリスマス直前から無視され、プレゼントのマフラーをかばんにいれたまま一人で帰ったり(しかも帰りの新宿駅でお気に入りのマフラーをなくした)、一緒に過ごしたのに誕生日を忘れられたり(彼氏は鬱病だった)、忘れられていたわけでもないのに祝ってもらえなかったり(理由は理解できなかった)。
残念すぎる。しかも全部違う男性との思い出だ。もはや世の中のカップルはみんなこんなものなのか?いや違うか。基本的に付き合った��全員とこんな風になるのだ。ここまでくると、どう考えてもわたしに非がある。なぜか祝われないことに対して、というよりも、"そうなってしまう"男性を好きになる自分に非がある。きっと、そういうものをうまくこなせないタイプの男の人が好きなのだ。しょうがない。イベントに対して不器用でも、日常を大切にできる人もいる。朗らかに諦めましょう。
今年は恋人がいないので、いつもより穏やかな気持ちで過ごせた。誕生日当日は、お昼においしいものを食べ、いつも通り働いた。子供たちはなぜか覚えていてくれて、祝ってくれた。グミをたくさんもらった。今週末は休み返上で働いたけれど、いまだに子どもにおめでとうといわれて照れた。じゅうぶん幸せだ。みんなありがとう。
先週お母さんに会ったとき、最近のあれこれを話したら、あんたは結婚は30歳くらいよ、と言われてしまった。それよりもやることあるんじゃないの、と久々に説教をされた。しょんぼりしつつ、あれだけ弱っていたお母さんがわたしに説教するくらい元気になっていて嬉しかった。最近、恋のあれこれにかまかけて、一番自分がやるべきことから逃げている。25歳はふらふらとしてしまった。ぶれぶれの、迷走の一年。26歳の目標はどっしりと、しっかりと生きることです。地に足がつくように、この町で生きていけるように、がんばる。ここに朗らかに宣言。がんばれわたし。
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前に職場で、最後に泣いたのはいつ?という話になぜかなった。わたしはたまたま前日に柴田聡子の「涙」を聞きながら、現像されて送られてきたにーちゃんの結婚式の写真をコンビニの前で眺めていたら、それはもう泣けて泣けて、思わず出勤前に泣いてしまったところだった。ほかの先生たちが、「何年前だろう~」というなかで、「昨日です」というと、驚かれたり笑われたり、先生はピュアだからね…と言われたりした。その場はあははと笑って終わったのだけれど、びっくりした。みんな泣かないのか。わたし泣いてばっかだ。わたしって弱いのかな。大人って泣かないのかな。
さっき、ともだちからかかってきた電話に出たら、号泣していた。号泣してわたしの名前を呼ぶので、びっくりしてどうしたのと聞いたら、うれし涙だった。電車がくるまでの短い会話だったけれど、わたしは、完全に救われてしまった。魂がふるえた。最近もうだめだと思って、自分に自信がどんどんなくなって、つまんない毎日をしょうもないやり方で楽しくしよう��して、うまくいかなくて、結局またへこんで、もう、疲れた、と思っていた。こんな毎日に何の意味があるんだろうと思っていた。そんなわたしを、ぐいっと引っ張り上げてくれた。それは、電話の向こう側の魂が生きていたからだと思う。すごい力だった。どんなにおいしいご飯も、どんなに楽しい飲み会も、あの10分間の電話には何も敵わない。たったの10分。ほんとうに、すごい。泣くのは、弱いからじゃないんだね。大人じゃなくても何でもいい。泣けばいい。たくさん感情が揺さぶられて、ぐちゃぐちゃでも、収拾がつかなくても、それでいい。それがあなただから。ともだちの幸せを祈って今日は眠ります。おやすみなさい。明日からまたがんばろう。
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ヒッキーのTwitterをみて、それまでスルーしていたNetflixのクィアアイを見始めた。人がどんどん自信を持って変わっていく。すごいパワーだ。その中で、ゲイの日本男性が一番住みやすかったのはバンクーバーと言っていたので、わかっていながらも、やっぱり驚いた。お母さんを思い出したのだ。
うちのお母さんは、いわゆる"女は家事、勉強なんかしなくていい"という日本の昭和ゴリゴリの価値観のもと生かされて、大学も短大までしかいかせてもらえなかった。女が勉強なんかしてどないすんの、とおばあちゃんは言った。女は20代前半で結婚するのが当たり前だと思ったお母さんは大手商社で一般職として働き、お父さんと出会った。お母さんいわく、"あの時のパン職はお見合い要員で、ほとんど顔採用"だったそう。晴れて寿退社したお母さんは、駐在妻としてお父さんとバンクーバーに移住した。そこでにーちゃんとわたしが生まれた。バブル崩壊真っ盛りのころ。あのときの女の価値は、若いこと、可愛らしいこと、それだけよ、とお母さんは言い放った。
バンクーバーに行ってすぐ、お母さんはそれまでの価値観が崩壊したらしい。ほんとうにどんな町なんだバンクーバー、、、お母さんはずっと自分が勉強したかったことに気付き、駐在妻の毎日開催されるお茶会コミュニティとは一切関わらず、移民向けの英語教室に通い、毎日yesとnoの使い分けができなくて怒られていたそう。二年間で英語のジョークがわかるレベルまで習得して、日本では在宅で翻訳の仕事を始めた。家にはいつも青鉛筆で書き込みのされたニューヨークタイムズがあった。青はわたしにとって知性の色だ。翻訳の仕事はファックスで送られてきた。数メートルあるそれを、お母さんは30センチ定規できれいに切り分ける。そして、くるくると丸まる紙の束を持って部屋にこもった。ぴしゃりとドアが閉められた瞬間、お母さんの部屋は絶対に邪魔をしてはいけない神聖な場所になった。お母さんが出てくるまで、いつもにーちゃんと静かに遊んでいた。
お母さんがもっとすごいのは、わたしが高校生になってからモーレツに勉強をはじめ、そこから何年かチャレンジを続けて、英検一級を取ったこと。帰るとお母さんはいつも勉強していた。お母さんの辞書はどのページにも青鉛筆の書き込みがあった。いつも一次は通るのよ、、、と何度も二次試験にチャレンジして、ようやく受かったとき、家族三人で号泣したのを覚えている。
不運だったのはお父さんだ。お父さんはいわゆる、良妻賢母、内助の功、夫の帰りを待つ女的存在としてお母さんを好きになり、結婚した。当然家事はしないし、お母さんが社会にでて自己実現したがる可能性など考えたこともない。バンクーバーを経て、お母さんは180度違う人間になった。印象的だったのは、バンクーバーから帰ってきて、お父さんが背広を脱ごうとお母さんに背を向けたが、お母さんが無視したこと(これはお母さんから聞いた)。二人がうまくいかなくなるのは当たり前で、記憶の中の二人はいつも喧嘩をしていた。わたしたちが自立したら離婚するだろうな、と思っていた矢先にお父さんがガンになって亡くなった。不運だ。価値観が一緒に変わらなかったことが。
お母さんを見ていると、自分を育ててきた親の価値観と、自分が正しいと思いたい価値観の狭間で戦っているなあ、と思う。わたしは大学に5年間も行ったし、お母さんが結婚した年を過ぎても働いている。あんたみたいに生きたかった、と言われる時がある。でも、とお母さんはいつも言う。
『でも、お母さんの周りにもそうやって働いてる女の人がいるわけで、それはお母さんが気付けなくて弱かっただけなんだよね。あそこで一歩価値観の外に踏み出す勇気がなかっただけなの。だからこれは言い訳なの。』
そんなことないよ、と思う。わたしだってお母さんの時代に生まれたら、短大をでて、20代前半で結婚して、30までに子供を二人産んで、専業主婦をしていたかもしれないよ。でもそれはただのたられば論で、何の意味もない。大学に行けなかったというコンプレックスは、お母さんの中で一生なくならない。
そんなお母さんは病気も経て、どんどんそれまでの価値観から脱却している。この間なんか、好きな人ができた、といったら、それって男?女?と聞かれた。イギリス王族で同性婚があったから、わたしもそのぐらいの大らかさを持とうかな、とのこと。おもしろい。
子供と接していると、性に対する価値観が全く変わっていないので驚く。男なのに、女なのに、おかまじゃん、ブス、などの言葉が日常的に飛び交う。大人が変わっていないからだ。親が変わらない限り、子どもが変わるわけがない。男の子がスカート履いていいんだよ、とこの前言うと、きんもー!!と言われた。きもいと思う子どもにも罪はない。周りがそうさせたから。根底の価値観が変わるには、あと二世代は死なないとなあ、と思ってしまう。せめて自分が、そういう大人にならないようにするしかない。祈りもこめて、生徒の丸つけは青いボールペンを使っている。少しずつ、世の中の当たり前が変わっていきますように。
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起きたら14時前だった。
寝すぎた。昨日は朝から散々授業をして、お酒を飲んで終電で帰ったのだった。さらには完全に心折れる出来事を自ら引き起こし(しかし必要な作業だった)もうだめだ…とめずらしく自分からまなみちゃんに電話した。まなみちゃんのしゃべることには、うそがない。わたしの考えを はあー?!と否定してくれるときもあって、それがわたしには心地いい。ただこの日はわたしが何か言うと、まなみちゃんはそーだそーだー!とひたすら合いの手を打ってくれて、おかしかったし、うれしかった。眠そうなまなみちゃんに、あした飲んで…と泣きつき、ぼんやり夜更かしをして寝たのだった。
今週はいそがしく、六連勤だった。今日一日休んだらまた明日から仕事だ。洗濯と掃除、ご飯の作り置きもできたらしたい。いつもより念入りに掃除をして、洗濯機を回した。うちは西日が入るので、お昼すぎから干しても乾く。ぐうたらな人間に優しい。冷蔵庫に何もなく、季節外れのそうめんを食べた。まなみちゃんの仕事終わりに待ち合わせなのだけれど、まだ家を出るまで2時間ほど時間がある。洗濯が仕上がるまであと数分。ふと部屋をみると、二本の光がベッドに差し込んでいた。きれい、と思い光に重なるように横になる。この前きちんと冬仕様にしたベッドは、光に温められていっそう温かい。あれだけ寝たのに、あくびがでた。洗濯機が終わった音が聞こえたが、あと少し…と思わず目を閉じてしまう。
目を開けると、西日は沈んでいた。部屋は真っ暗だった。18時。待ち合わせの時間をとうにすぎている。まなみちゃんに連絡をすると、たまにはゆっくりしな、といってくれた。おいしいものたべなね、とも。ごめんねとありがとうをいい、たまには一人で過ごそうと思った。10月の後半から動きっぱなしだった。洗濯物を放置していることに気づき、この時間からだと浴室に干すことになるので、先にお風呂に入ることにした。鏡にうつった顔にはうっすら隈ができていたが、これが���きすぎなのか、眠りすぎによるものなのかはわからない。ぴかぴかになった身体でこんがらがった洗濯物をきれいに干し、一息つくと、ひどくお腹が空いていた。おいしいものたべなね、というまなみちゃんの言葉を思い出す。本を読みながらコーヒーを飲みたい気分だった。いつもなら電車にのってカフェに行くけれど、今日はもうそんな元気はなかったし、行ったら行ったで結局閉店までいてしまい、また夜遅くに帰ってくることになる。調べると、家の近くにあるレストランだと思ってたお店が、どうやら喫茶店のようなこともやっているらしい。おばあちゃん一人でやっているそうで、居心地もよさそうだった。ただ閉店まであと40分もない。一瞬めんどうになったが、様子だけでも見てみようと思いでかける。何よりお腹が空いていた。だめだったら適当に食べて帰ってくればいい。昼間はあんなにぽかぽかしていたのに、外は風も吹いていて寒かった。
お店は歩いてすぐのところにあり、暗い住宅街の中でキーコーヒーの看板が回っていた。ドアを開けるとお客さんは誰もいなく、穏やかそうなおばあちゃんが出てきた。時間大丈夫ですか?と聞くと、どうぞどうぞ、と通してくれた。片付けもあるから1時間くらいいていいですよ、と。お店は広く、いかにも昔ながらの喫茶レストランだった。旅先の田舎にあるような。もっと早く気付けばよかった。オムライスを頼み、あれこれ話しをする。まな板の音が心地いい。おばあちゃん家にいるきもちになった。出てきたオムライスは、図鑑に乗せてもいいような、まさにこれぞオムライスというオムライスだった。おいしい。コーヒーを頼んで本を読んでいたら、みかんをもらった。最近の学生さんはこういうところこなくてね、と言われておどろいた。大学生のころ、よくこういうお店にひとりで行っていた。ひとりで過ごしたいけれど、ひとりじゃないようなお店。コーヒーにはおせんべいがついてきた。しばらく本を読んで、また来ますと約束して、お会計をした。ドアまで送ってくれて、寒いから気をつけてくださいね、ふふ、また来てね、と笑うおばあちゃんにごちそうさまを言って、ひとりでお家に帰った。
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