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19,3,8
何を為るにもまず、面倒臭いと云う感情が邪魔していたがそもそも「面倒臭い」と云う感情を起こす事が面倒臭いと云う事に気付いた。
それが現実となる前に、行動しなければならない。
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寂しかったから。
どんなに他に好きって言おうと御前だけだった。
は、だから何?でしかねえんだけど俺からしたら
必死に取り繕った言い訳がそれ?醜過ぎて呆れんだけど何奴もこいつも。寂しかった、を凶器にすれば何しても許されると思ってんの?俺が全く同じ真似をすれば殺人犯を見るような顔して怒り狂うに決まってんのな。それを吐き出してぶつけられなかった、俺と御前との2人の問題に出来なかった、その時点で別れを切り出すべきなんじゃねえの
分かってるからこそ此���から切り出した別れも泣き噦って縋って只自己愛を1つに絞れないだけだろ?
そしたら関係何て持たずにフラフラしてる人の方がどれだけ綺麗かも分かんない訳?
それでも愛してるだけは言わなかった、それだけは特別だったから。知らない人に縋ったでも俺を救えるのは御前だけだった
それが理由であろうと悲しみであろうと行動が客観的に悪でしかない時点で言い訳が許される立場ですらねえ癖に口だけは達者だな
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小1の時は100点以外を取った事無かった、幼稚園の頃から悔しいと涙を流す私を見て母親は頭が良くなるだろうと思ったらしい。中学を卒業すれば皆んな自分が住んでいる市の中の高校に行くが(公立の場合)こちらは田舎も田舎で思考が古いため尚更私立より公立、そして頭の良い高校に行けば名前で凄い〜と言われる始末である。三校有名校が並んでおりそのトップの前を通る度に「ほら、〇〇高校だよ!将来行くんだから、お祈りしなさい」と冗談半分だが毎回言われて育った小学生時代。塵も積もれば山となる一種の洗脳である。
中学2年生の頃、お腹の病気となった。レントゲンや体内にカメラを入れたい殆どの外科内科に行ったが悪い所は見当たらない、スレトレスから来るものである。精神外科には行かせてくれなかった、子どもの時から薬を飲むのは強いから、という理由である。それでもどうにかしたかった私は絵に基づいて心理状態を読むお婆さんが個人でしている心理カウンセラーの元へ促されて行った。通わなければならない為月一程定期的に通った中3、ある時私が中学の本気で悩んでいる人間関係について勇気を出して話してみた、こちらはお金を30分程の会話のために出し遠い此処まで通っているしプロの人は目の前にしかいない、他に助けはいない。当たり前である。だが、そのお婆さんはその話を聞いて笑った。その人からすればもう50年以上前の生活環境なんだから分かるはずがない、だがそれで自殺する子だっているその集団体に入る事を生きた時点で国から強いられた10代はソコが全て、ソコしか知らない生死を決める場所なのだ。驚いた。それから行かなくなった私は受験ギリギリで頼み込んで精神外科に連れてって貰った、薬を注意されてた私は逆に想像しか出来ぬ薬に対し、薬を飲めば確実に治ると思い込んでいた。だがこれも失敗しかも長期戦の治療に対してそんなすぐ治るはずもない、その頃には他の病気も重なっていた。
私は市内で3位の公立高校を中学を入学して少し後に受験希望をしていた。だがこのままでは5教科、約5時間のテストに机に座っている事もままならない。人生の分岐点であった中学から得意で小さい頃から憧れていた英語のコースがある私立も視野に入れていたそこは母の母校でもあるカトリックで上品さも兼ね備えている、2年生になればオーストリア留学という公立では体験出来ない事もある。
大きな決定弾は指定校推薦枠を沢山持っているという事、一番の決め手だ。長年の歴史と先輩方のおかげ、また私立だからお金も掛けている。学習院、白百合、早稲田、上智、その他諸々。学習院は従姉妹が行っていた所だ、天皇家御家族が出れば「ほら、〇〇(従姉妹の名前)が行ってる大学と同じ子だよ!」出る度に繰り返される。また、他の従兄弟は東大へ行っていた、偶にというかよく九大や鹿大に従兄弟が行っているんだと自慢される事があったそんなの正直心の中では見下していた、だって私の従兄弟は東大なんだもん。敢えて言うものでも無かったのは態々言って優越性を取る程の事でもないほどちっぽけだと言う事を今迄の周りの喜び具合やその人への尊敬の眼差しで分かっていたから。
理由はそう。将来の夢なんて小さい頃から強く願う物何て無かった周りに合わせて何となく適当に吐いていた、頭の良い、偏差値の良い高校大学に行く目的何て今考えれば何も無い。そこを目指せばそこへ行ければそれが全てだから。だからその2つがある東京、沢山の頭が良い人達が居る東京。そこへ行く事が私の全てを肯定するのである。また中学生から好きになったNEWS、地方組から番協に行く事は出来ない、まっ���ーが大好きな東京ドームへ行く事は出来ない。友達に会う事は出来ない。偶々遭遇するかも、何て微かな期待を胸に街を歩くなんて事は無い。只あの小さな都会で同じ空気を吸えてる人達が羨ましかった。
そんな私は指定校推薦の全ての大学の偏差値を調べ上げた、自分の今の状態からここまで上げれば行ける、だからこの高校に行く。そこまでの決意を持って中学代表推薦枠として受け見事合格。
だが行く事が出来なくなってしまった、その時の私は家に居ることが精一杯だった、出たくない。どうするのこれから先、留年だよ?留年?どうだって良い。そう、何も考えられない思考停止状態。
通信制も勧められたが本当に高校卒業も考えられなくなった、行く価値も無い。そんな時入院し出会った人と関わりながら気付いて焦った。今の時代頭が良いだけじゃないコミュ力だと。やっと今を見れた先生達に会いに行って決めた場所、先生は私の話を聞いて自分の事の様に涙を流した人ってこんな人も居るんだ、何だか新鮮だった。
高2の頃やっと進路に向けても先を見据えて考えられるようになり聞いてみた、「え?東京何て行ける訳ないでしょう」私は何の為にあの高校へと受験をしたのだろうか、ずっと中3から確実に行きたい〜大学と名前は上げていたはずだ。無力さを痛感した。
実際に調べても手の届かない様な金額、奨学金パンフレットを請求すれば通信制は奨学金の対象ですら無いと書かれてあるものもあった。格差だ。
そこからだ、ひたすら飛ぶようになったのはヤケ酒現象なのは分かっている。でも私は四年間学生として行くことが出来ない。せめて関東じゃなくて″大阪の親戚が居る所にして″その頃は大阪住みの友達も居たから頻繁に大阪へ足を運んでいた。自分が行っている高校と提携している留学センターへ話を聞きに行ったり。出来ないなら働こうかじゃないと上京する術がない。そんな高4ギリギリの春の大阪と梅雨の時期の東京で滅多に会わない人達と話を聞いたり早稲田の授業を受けたりし強く大学に行きたいと思った、最後の三者面談では大学受験柄載っている分厚い本を持って泣きながら説明をした、行きたいんだ、と。だが先生達は関西の大学、短大をお勧めした。違う、関西じゃ駄目なのである。
そんな私は悶々としたまま働きながら上京しようか鹿児島の英語学校に行こうか迷いながら卒業した、実際まだ迷っている。入学金200万円の話をする時親は苛々している、どうするのと。200万円かかってるんだから、行きなさい。頑張りなさい。こんな事正直言いたくないだが見た儘であり行きたい理由は?と聞かれたらここを書かざる終えない。
前者をボソっと吐いたところ貴方にそんな生活力があるの?と。それを養ってから行きなさい、と。正直英語学校の作文を書く気になったのはこれを書けばまだ悩める時間を先延ばしに出来るからである。そのまますぐに受験がありふと気付いた今受ければ来年行けば良いという選択肢を潰してしまうと。だが既に時遅し。作文は出してしまった。
合格、家族は喜んだ、ばあちゃん、じいちゃんは喜んだ。知ってる、分かってた引きこもりの私がやっと終わると安心する事を。でも私が東京に行きたい事は消えないんだよ、小学生のあの時から。それなら19歳から家を出るより1ヶ月以内上京生活を楽しみたいと言っている私はまだ可愛い方だと思う。〜の為にとは言わない。でも私は東京に行きたいし東京に行きたい目的を聞かれても長年培ってきたものだから困る為上記述べる。
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瑠空
海と空だ何て皮肉にも残酷さを帯びていた。それを君は空よりも遠い陽と掛け合わせギザな台詞を吐き捨てていたね。太陽はその時海へと堕ちてしまった。太陽が無い世界の人々も太陽もとても暗いトンネルに迷走したかの様な
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此の世界を中身とかじゃなく不特定多数が見える中態々界隈のアカウントでディスるって御前が存在してんのも其の世界を形成してる事に気付かないのかな、見下す事でしか優越性を保てないのは一番醜いって事。あんな人が好きだった過去がある自分がとても憎たらしく感じてしまうよ時間と金の無駄遣いってやつ。
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夏の香り。
きっと己自身知らない儘が良いかもしれない。と思う感情ってあるよね見たくない放っておく方が絶対に良い事。今がそう、きっとこのまま水を与えず少しずつ枯らしてしまった方が楽だろうこういう時何が正しいのか分からないその2つ浮上しているその感情は向き合ったとして一つはきっと実らない、もう一つは相手を消去という道へ導くだけ傷付けるだけ。
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「好きなタイプは?」
匿名の例の箱でよく聞かれる質問でもある言葉。
誤魔化す様に好きになった人が好きと繰り返し吐くけれど自分では濛自覚している感情であって。
其れを答えた事によって言葉に沿うように行動されても面白くないでしょ?目の前に見える相手を手にしたいなら俺仕様に調教為る
雰囲気は問わないけれど自分の直感、惹かれるものに対して言語化為るのは不要。個性を無理矢理捻じ曲げんのは其の人自身が道化してしまう事と同じである訳で
後は自分の中で確かなものが一つとしてあって、
此れから捲るページの答えの残酷さを知ってしまった瞬間でもあった。
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