Tumgik
primitivemysteries · 7 months
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フィクションに救われる
久しぶりに何かにハマると精神に余裕ができる。ありがとう行こ❗️
ただ、「自分がまさかまた何かにハマるなんて思ってなかった」等と言ったら嘘である。同居人が亡くなったその夜、友人に泣きながら通話してて「どうせわたしはきょうじん(強靭のつもりだったけど狂人かもしれん)だし愚かだから、絶対に今の新鮮なキツい辛さや寂しさも飼い慣らして生きていける。とにかく早く慣れたい。早くこの辛いのから解放されたい」って話していた。死んで数時間で言うことじゃないだろと思う。でも自己分析できているとも思う。
気づいたら今の仕事も1年近くになった。心が脆弱な時期でちゃんと働く自信がなかったので非正規の増員ポジションだけど、年末に上司と面談して雇用延長になった。色々自分の強みが活かせているのが大きい。職場の雰囲気も悪くない。ここを選んで良かった。人生のリハビリは順調と言って良いだろう。リハビリが順調だからこそ、何かにハマることが出来るのである。
で、行こ❗️の中身の話は隔離してやってるのでそれとは別に、自分がこの映画に感情移入した話。作中の映画をみる部ではないが、結局のところ何かを鑑賞する行為は、作品を通して自己を見つめているのだと私は考えている。それでも普段はなるべく作品の話を客観的にするようにしているが、これも一つの経過だから書いておこうと思った。
行こ❗️大前提として、キャストやスタッフの仕事、どちらも素晴らしく丁寧に、細部まで念入りに作られていて、特にコメディで泣かせるのが最も難しいと思うわたしが好きになるのも当然だった。
でも、この映画にハマった瞬間をわたしは自覚している。さとみくんが紅を歌い、サビでキョーージさんとの思い出が流れるところである。あんなに好きだった相手に酷いことを言って、それが最後になってしまった。本当に言いたいことは言えなかったしもう二度と聞いてもらえない。その事実は変えられないので、それを背負って生きていくしかない、という覚悟に感情移入して泣いてしまったのである。ほぼ同じ道を自分が通ったからである。
ただ、わたしは原作を読んでいなかったので、(映画も先にキョーージさん表情を見せて、観客にはネタバラシした上で残りの歌を聞かせるの、上手いなと思う)その後の展開を知らなかった。だからキョーージさんがノコノコ地獄から戻ってきて泣きながら笑ってしまったけど、なんだかめちゃめちゃ安心した。「良かった!さとみくん、わたしみたいな思いで生きていかなくて済むじゃん」って心から思った。
以前『ラビットホール』という舞台を観た。去年の賞をとった方じゃなくてKAATで2年前にやってた方。交通事故で子供を失った家族のお話だが、その中で平行宇宙の話が出てくる。違う宇宙では、その子は生きている。今何をして遊んでいる、と考える。つまりそう考えることで残された側が少し救われる、というエピソードだ。タイトルの「ラビットホール」は、その平行宇宙へ繋がる穴のことだったと思う。似たような話が大江健三郎の『個人的な体験』にも出てくる。
こんなことを書くのは烏滸がましいけど、この物語のラストのさとみくんは、平行宇宙の自分のように思えた。「なんでわたしは、そっちの『宇宙』にいないんだろう」と羨んだり悲しくなったりはしないのが不思議だ。良かった、あっちの宇宙があるから大丈夫、みたいな気持ちになった。多分この映画をこんな受け取り方してる人はそんなにいないと思う。
フィクションは人を救うためにある、という考え方が一番好きだ。10年ぐらい前に観た『ウォルト・ディズニーの約束』は、メリー・ポピンズの作者トラヴァースとウォルト・ディズニーの、映画化をめぐる対立コメディドラマだ。これも基本的に笑える面白い映画なのだが、トラヴァースがついに映画化を承諾する理由が、ウォルトの「現実で救えなかった人を映画で救おう、それがフィクションの役割だ」と言う言葉なのだ。そのセリフで涙が出てしまったことも思い出した(そしてこの映画の原題はSaving Mr.Banks=バンクス氏の救済、である)。
人生、どこで何に救われるかはわからないが、こういう体験をするとやっぱりパンドラの匣に最後まで残っていたのは希望だったのだろう。
お前がさとみくんに感情移入しているなら、じゃあ同居人ちゃんはキョーージさんだったのか?と言われると、うーん……でも、同居人ちゃんは年上で社会的に立場も上で、言うてしまえばわたしよりお金があった。だから出会ってからずっと、イミちゃん何でも好きなもの食べんさいの人だった。亡くなる1ヶ月ほど前まで10年以上行っていた、いきつけの美味しい蕎麦屋さんがあったのだが、初めて行った時からいつも遠慮せず一番高い鴨せいろを頼んでいた。映画の二人を観て、あの頃のわたしは、愛を食べさせてもらっていたんだなと思った。愛の鮭ではなく愛の鴨だった。
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primitivemysteries · 2 years
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もう1ヶ月前の話
1ヶ月経ったことが分からんよ。ずっと時間止まってるもの。
次の日もすごく天気が良くて、やっぱり今日だって予想通りだなと思った。でもテレビつけたらいっぱいミサイル飛んでて笑っちゃった。わたしは大事な人を失おうとしてるのに、世界には何にも関係ないんだぞ。
「今は心臓が頑張ってるけどそのうち疲れちゃうだろうから、午前中はいてあげてください」と言われて10時ぐらいに親族が来るまで待機していた。正直わたしだけいる時に終わってくれた方がいいのかもしれない、と考えないわけにはいかなかった。親族が来たら1人しか病室にいられないわけだし……「帰るときの服」も取りに行かなきゃいけないし、最後に立ち会うならわたしも可愛いお洋服を着て、きれいにしたいと思ってたから一回は帰ろうと思っていた。でも帰って最後に間に合わなかったら、今一緒にいる時間が最後になっちゃうかもしれないと思ってボロボロ泣いてた。
ところでまたこんな日の昼に、実は前々から、同居人の仕事の引き継ぎに関する打ち合わせがあって、迷ったが行くつもりで帰ることにした。この辺り、やはり仕事人間である。でも意識があるうちは自分の仕事のことを最後まで心配してたので、もし意識があったら「行け」と言ったんじゃないかしらと思って。
もう24時間は目が覚めたままだったが全然眠くなかった。電車の中でうとうと帰って、時々ビクッとして携帯を見た。家に着いて、打ち合わせまで2時間あるから慌ててお風呂に入った。病院から電話は来ない。「わたしのために頑張ってくれてありがとう」って呟いた。
「帰るときの服」はわたしが一番好きな青い総花柄のシャツにするって決めていた。いつもそのシャツに合わせてた同系色のカーディガンとジーンズと、よく使ってたベルトを選んだ。帽子が決められず3種類持っていった。先月作ったばかりのウィッグも持った。すごい荷物になった。このコーディネートの写真を撮らなかったのが勿体なかった〜!でもわたしじゃなかったらこの服は決められないし、いつもどんな服をどうやって着こなしていたか私以外分からず、用意できないことにすごく優越感があった。
昔同居人がプレゼントしてくれたシャツと相手の服の色に合わせたスカートを履いて家を出た。個人的にはシミラールックのつもり。あとで思ったけどお揃いのシャツ着せてもよかったな〜(色違いで同じ柄のものを持ってた)
打ち合わせ相手に、実はこういう状況であること、病院から電話がかかってきたらすぐにでも戻らなきゃいけないことを伝えた。相手も同居人の古い知り合いなので、すぐに理解してくれた。一緒に仕事に関わってたわたしの後輩の男の子もきて、とりあえず仕事の打ち合わせを始めた。
祝日だってことを忘れてて人がいっぱいいて、打ち合わせできそうなところがハーブスしか無かった。で、朝から全然食べてないのとまだまだ試練が続くと思って「すみません、わたしケーキ食べても良いですか……」って言ったら後輩が「俺も食べたい〜」って言い出して、2人して馬鹿でかいケーキを食べた。大事な人が死にそうなのに、わたしたち何でケーキ食べてるんだろうね?って笑った。人が聞いたら「えっ……?」って思われそうだけど、あの人だったら間違いなく笑う。シュールすぎる。しかもケーキがデカい。めちゃくちゃ面白い。伊丹十三みたいだった。
打ち合わせは上手くいった。ちょうど一息ついたところで病院から電話がかかってきた。タクシー乗り場に走ったら後輩が「俺もいく!病院に入れなくても近くにいたい」って言ってついてきてくれた。大荷物も持ってくれた。タクシーの運転手さんに行き場を告げて「なるべく急いで!」って頼んだ。タクシー運転手にとって、行き先が病院で、急いで!って言われるのは、最も緊張する仕事ではないか?などと考えた。でも、無事に間に合った。ついた時に「運転手さんありがとう!間に合った!ありがとう!」って何回も言った。
戻ったらなんと、持ち直してくれていた。再会出来て嬉しかったけど、あっちはわたしがいないと嫌だったのだろう。打ち合わせに行って良かったと思った。「貴方の仕事はダイジョウブだよ、ちゃんと引き継ぎしてきたから安心してね」「後輩くんが来てくれたよ。この着替え、全部あいつが運んでくれたんだよ」って報告してあげることが出来た。
やっぱり病室は1人じゃないといけなくて、どちらが残るか決めてくださいと看護師さんに言われて、わたしは昨夜ゆっくりお別れできたからと思って「お譲りします」と親族に言った。親族は「そうしてください、親族が僕しかいないんで」だって。そこは!!ありがとうございますじゃないのか!?!?!?!?いちいち感謝が足りねえぜ、と思ってラウンジに戻ったらその日の担当看護師さんがやってきた。
看護師「特別に2人いてもいいか師長に相談しますよ、それとも気まずいですか?」
イミ「わたしは気まずくないんですけど、あっちが気まずいんだと思うんですよ、昨日からそんな反応ばかりされてるし」
看護師「でも看護師の間では、●●さん(同居人)が意思を持って立ち会うことを選んでるのはイミクスさんなのに何で……?って話してるんですよ。例えばこの後亡くられたあとはお二人で住んでいた家に帰りたいと思うんです。それも間に立って話してきましょうか?」
イミ「ありがとうございます。ただわたしはあちらの親族と関係が深くないので葬儀の判断が出来ません。それにわたしは昨日ゆっくり出来たけど、ご親族はこれまでの経過を知らないからまだ混乱されてると思うんです、だから静かにご自身と本人と向き合った方が……」
って話していたら看護師さんが「イミクスさんって、看護師みたいなこと言いますね!?」って言ってきたので面白かった。わたしが家族・親族の入院や付き添いに慣れていること(過去日記参照)を話したら「なるほど〜イミクスさんは若いのに何であんなに落ち着いてるんだろうってナースの間でも話題になってましたよ」って言われた。そんなにか……。でもそれは、こういう時でも取り乱したりしないわたしをあの人が期待してると思うから、そうやって振る舞えるんだよね。でも「わたし、あの人の意思を無視してるんですかね……」って口にしたら、急に涙が出てきて、本当は一緒にいたいのにわたしは良い子ちゃんしてるだけなんじゃないかと思った。いや一緒にいたいに決まってるじゃん。どうして物分かりのいい振る舞いしかできないのかな。この3日間で、看護師さんの前で初めて泣いてるところを見せた。そのせいか、その看護師さんがもらい泣きしてくれた。これまでの入院中も、あの人が看護師さんたちに優しかったことを教えてくれた。「わがままばっかり言ってませんでしたか?」「いえ、可愛いわがままでしたよ。あと可愛いTシャツ着てましたよね」「それわたしに電話で話してくれましたよ。看護師さんにTシャツ褒められた〜って」そのTシャツがどれか分かっていたので、後日棺に入れてあげるものに選んだ。
事情を話して、病院の外にいる後輩と一緒に連絡を待つことにした。病室の片付けや遺体の処理は全部こっちでやります、と親族からメッセージが来た。うーん、反論すべきだったかなあ?わかりましたって答えちゃった。もう争う元気なんか本当はない。わたしだって悲しい。
それから1時間ぐらいして病院からもう一回電話がかかってきて、後輩と別れて病室に戻った。時間外なので入る時に名簿に名前と時間を書かなきゃいけなかった。午後5時55分、由緒正しきゾロ目の時間だった。最上階まで急いだ。そこから10分ぐらいで、同居人は旅立った。最後の瞬間には立ち会ったというか、あっちが待ってくれてたんだと思う。結局わたしがいないと嫌なんジャーン。
Twitterには書いたんだけど、わたし「今死んだな」って分かったんですよね。死にそうな顔じゃなくて「いつもの顔」に戻った、と思った瞬間にあの人は一息ついた。今のが終わりなんだ、って良く分かった。あとで修禅寺物語(岡本綺堂)のラストのことを考えた。
もっと取り乱せば良かったのかな、と今でも思うけど、同居人は怖がりだから、死ぬのが怖いって言ってたから、わたしはしっかりしなきゃと思っていて、一切、泣かなかった。何なら臨終の時間を訂正してから泣いた。正直面白くてちょっと笑ってから泣いた。最初に出てきた言葉は「よう頑張りんさったね」だった。2年前にカープの名捕手石原が引退するときに同居人が言っていた言葉だった。死ぬ前は何も言えなかった。親族は「頑張れ」とか言ってたけど、バッカじゃねえの〜〜〜もう今までどれだけ頑張ったか知らないからそんなこと言えるんだろ、と思ってた。死ぬのが怖いって言ってた人に、これ以上何を頑張らせるんだ。心の中で「わたしがついてるよ」って何回も言って体に触ってあげた。一方で、無意識に死ぬ人間をじっと観察してる自分もいたんじゃないかなあと今では思う。
お医者さんに「解剖の希望は?」って言われて、親族が「希望してなかったですよね……?」って確認してきたから「この人は痛いのが大嫌いですよ」って即答した。血管が細くて採血だって痛いからやだ〜って病院行く都度騒いでた人なのだ。そういえば1ヶ月くらい前に延命措置をする/しないの同意書に「しない」でサインしたっけな。本人が「しない」って即答して署名して、わたしが立会人でサインした。あのサインの重みだってこの人は知りようがない。あ〜〜〜ひたすら呑気だなあ。闘病・看病っていうのは厳しい選択の連続なのに、な〜〜〜〜んにもしてない人が馬鹿みたいに泣いてやんの。悲しみは比べられるものじゃないけど、だからこそ「自分が一番悲しい」なんて振る舞いをしてはいけないと思うよ。あかん呪詛になってしまう。
お着替えを済ませた姿が本当に綺麗でびっくりした。お姫様かと思った。看護師さんたちなんでこんなに綺麗にできるんだろうって思った。すっっっごく素敵だった。看護師さんに選んだ服を褒められた。華やかで素敵な柄のシャツですねって言ってもらえた。帽子も3つあったのに何故か看護師さんが本人が一番気に入ってた帽子を選び取って枕元に置いていてすごいなーーーって。
そのままそこではお別れしなきゃ行けなくて、あまりにも綺麗だから本当は写真撮りて〜〜〜〜拡大印刷して一生壁に飾りて〜〜〜〜って思ったんだけどそれもできなくて、必死に目に焼き付けた。ああ後悔。やべえ女だと思われていいから(実際そうなんだし)撮れば良かった。て言うかなんでわたしがここで最後やねん葬儀呼ばんつもりか。でももう40時間ぐらい起きっぱなしで数日前から(本当は数週間前から)数々の修羅場と選択に晒され続けてきて、さすがのわたしの判断力もガタ落ちだった。
結局あの人はおうちに帰れず、遠方の親族が来るのに時間がかかるからと冷凍庫直送だった。可哀想だ。寒いのだって大嫌いなのに。駄々こねておうちに連れて帰ってあげれば良かったとたくさん後悔した。葬儀屋が来るから帰るように言われた。その日はひょっとしたら夜中までかかるかもしれないと思って病院のそばのホテルを取っていて、1人でそこに向かわなきゃいけなかった。後輩は泣きながら1人で帰ると言ってた。ホテルについてからやっとわんわん泣いた。何回も口から「ひとりにしないで」って言葉が出た。これは多分この人は死んでしまう、と分かったときからずっと感じていたことなんだけど、本人に言うのはあまりにもワガママだから、絶対に生きてるうちは言えない言葉だったなと今では思う。全部わたしのものだったのに何もかも奪われる、と感じていた。後でそれは大間違いだとわかるのだが。
3時間ぐらい経ってから訃報を聞きつけた恩師から電話がかかってきて、たくさん泣き言を聞いてくれた。その時に最後に言われたことを話したら「それは貴方だけの宝物にしたほうがいい言葉だよ」と言われたけど「でも違うと思う、この言葉はみんなに対する遺言だから、わたしは周りに伝える」と返した。
23時ぐらいに頑張って体を起こして晩御飯を買いに行った。病院の前を通ってまた泣いてしまった。もうここにはいない。何度も何度も一緒に来たのに。コンビニに行ってインスタントの焼きそばを買った。あの人はわたしが作る焼きそばが好きだったから、食べるなら焼きそばだな〜とか思って。多分最後にちゃんと完食してくれた食事も9月のお昼ご飯に作った焼きそばだった。その時は机に「完食した!ありがとう」ってメモを書いてくテーブルに置いといてくれた。大事に取ってある。もう食べさせてあげられないんだなと思ってまた泣いた。
食べながら通話していた友人が「泣きながらご飯を食べたことがある人は生きていけるよ」って某有名なセリフを言っていて、通話してくれているのに本当に申し訳ないけど「その言葉、わたしも好きだど今は何一つ響かないよ」って答えた。こういう時に名言を引用してはなりません。半分ぐらいしか食べられなかった。
とにかく眠るのが怖かった。眠ってあの綺麗な姿や今まであったことを全部忘れてしまうのが怖かった。この状態は10日ぐらい続いた。結局4時ぐらいまで友達に通話を繋いでもらっていて、体力の限界で気絶した。トータル何時間起きてたんだろう。友人曰くわたしは「半分ネコ……」って寝言を言ってたそうだ。もう半分は何なんだ?
これも結局3時間ぐらいで目が覚めちゃった。起きてしばらくしたら朝ドラをやっていて、昨日朝ドラをやっていた時はまだ生きていたのに、と考えてまた泣いた。前日まで、病室で馬鹿みたいに泣けなかったわたし自身がすごく憎らしかった。前に書いた通り、自分のそういうところが好きだけど、やっぱり厄介だと思うし、大嫌いでもある。なんとか身支度をして、病院に挨拶してから帰ろうと思ってホテルを出た。この日も晴れていた。この数日間はずっと晴れっぱなしだった。旅行したかったな。3日に東京に帰ってくるはずだったけど、元気があったら京都に寄って帰ってもいいねえ一泊延ばしてさ、という言葉もわたししか知らなかった。
病院の最上階の理容室にまず挨拶に行った。店主のお兄さんには初めて入院してからずっとお世話になってたし、最近は素敵なウィッグを見繕ってくれたばかりだった。「あの理容室のお兄さんに会うと何故だか明るい気分になるんだよね」と言っていたことも伝えた。
看護相談の看護師さんにも会いに行った。挨拶だけして帰るつもりだったけど、別室に連れていってくれたのでそこで結局号泣した。この看護師さんは本当に優しいけどストロングスタイルの人なので、「残った同居人さんの荷物、親族に渡さなくていいから!貴方が一番頑張ってたのを私は知ってます」「患者さんが亡くなった後も相談にくる人はいっぱいいるからまた来て」と言ってくれた。この人の言葉を聞いて、早く家に帰って必要なものをまとめないと、と考えられた。
でもそのあと、病院のロビーに降りたら一歩も動けなくなってしまった。とにかく現実が受け入れられない状態だった。もういない、ということがわからない。でもわたしは偉かった。友達に助けを求めることが出来た。友達が迎えに来てくれて、わたしは家に帰ることが出来た。
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primitivemysteries · 2 years
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だから中途半端なんだよお前は
翌日はわたしのよくないところが全面的に出た日だった。一言で言えば、わたしは遠慮しいなのだ。自信がないので、相手に選ばれてそこにいるとどうしても信じきれないところがあった。多分今ひとりになって、そこが大きく変わった気がする。遅すぎる。
まず病院にはコロナで面会制限が2人までというルールがあった。一度に2人ではなく、固定の2人しか面会できない。例えば子供が3人いる人なら、2人は病室に来られるけど1人はテレビ電話とか、そういう状況になっているそうな。これを患者家族に納得して貰わなきゃいけない医療関係者の心労いかばかりかと思う。さてこの枠をどうするか……。どう考えても同居人はわたしが一緒にいてほしいだろうと本人はもちろん誰もが思っているのだが、わたしがバカで、前日親族に電話したときに「もしも、遠方に住む彼のお母様がやってくるなら、お母様なら枠を譲ります」と言ってしまっていたのもまずよくなかった。
諸々済ませてお昼前に病院に行った。昨日に比べると格段に死に近づいているのがわかるし、やはり一言も喋らなかった。起きないのは薬が効いてるのもあるけど弱っているから、とも言われた。長時間病室にいると、心拍数や血圧がどれくらい下がってるか聞くことになるので現実を直視するしかない。頭にぼんやり昭和天皇崩御直前のテレビのことが浮かんだ。ずっと血圧や心拍数や体温が表示されてたんだけど、わかる人が見ればこの血圧で生きてられるわけないだろってやつ。流石に覚えてはいないから知識だけだけど。
日中長時間病室にいたはずなのに、特に何かした記憶があまりない。ずっと悩んでいた。他の人に面会枠を譲るかどうか。お母様以外に、同居人にはわたし以外にニコイチと言っていい仕事上のパートナーが別におり、やっぱりその人もすぐに駆けつけたいと言っていた。その方がこの人は喜ぶんじゃないかとか、今考えれば絶対わたしじゃなきゃダメなのに、そんなことで悩んでた。愚かだった。でも看護師さんに「譲らなくていいですよ、病院を理由にしていいから断ってください」って言われて断った。その看護師さんは偶然、彼の仕事上のパートナーと同じ苗字で、わたしの親友と同じ名前だった。
このお昼の看護師さんが陽気で面白い人だった。この日は髭剃りを持っていって、一緒に剃ってあげた。最近の髭剃り使い方わからないね!?って言いながら。化学療法の影響で髪の毛も抜けてしばらく髭剃りもしてなかったんだけど、この時は髭も伸びてたし、頭もうっすら髪が生え始めていて、生命というシステムの凄さを感じた。生きて体は前に進んでいるんだな。
そうそう看護師さんってすごい言葉使うな、と思ったのもこの人でした。「今度来るときは、帰るときの服を持ってきてあげてください」って言われたの。すごい言葉だ。すごい言葉としかいえない。「みなさん、オシャレされるんですか?」と聞き返したわたしも大概だが……(この辺りから、病棟のナースの間では「あんなに落ち着いている付き添いの人滅多にいない」などと言われていた模様)
入院してたのが病院の最上階個室で、すごく眺めがよくて景色の写真を撮った。この後夕方、夜、翌日の朝と撮った。本当にこの数日は美しく晴れてたと思う。綺麗な日でよかったなと思った。いつも入院する時はこの階で、今日の部屋は何が見えるよとか、あそこに見えるあれは何かわかる?とか、電話でよく話してくれた。
夕方、看護師さんに今日は泊まった方がいい、と言われて宿泊の申請をした。主治医の先生と話して、その時にまた、わたしの「よくない良心」が働いてしまった。「ご親族をお呼びしたほうがいいですか?」と聞いてしまったのだ。まさかそれが今に続く戦いのゴングを鳴らすことになるとは露知らず。
ここから素直に悲しむのが難しい展開がやってくる。夜遅くに親族が駆けつけたはいいが、その親族が病室に入って同居人の姿を見た途端号泣したのだ。コロナ事情で病室には1人までしか入れないことになっていたので廊下に出たのだが、泣き声を聴きながら人ってこんなドラマみたいに泣くんだな〜と考えつつ、「こんなことで泣くならもっと気にかけてあげればよかったのに……」と思わなかったと言ったら嘘になる。つまり、第一印象から最悪だった。この数ヶ月わたしが苦しかったのは、同居人の病状が芳しくなくても誰にも助けを求められないからだったのに、あんたが少しでも彼を気にかけてくれれば協力して看病できたかもしれないのに……なんて都合のいい悲しみ方だろう。
このように内心冷徹なのだが、わたしは表向き優しいので落ち着くまで待ってあげよ〜とか思ってラウンジでぼーっとしてた。この時点でもう22時ぐらいだった気がするな。夕ご飯食いっぱぐれたな〜とか考えてた。
結局ご親族とは散々なやり取りをした。親「自分も泊まります」イミ「でも宿泊申請、してないですよね?申請22時までだし……」親「してないですけど、貴方は帰りたかったら帰っていいです」と言ってきたり(いやひどい言い方だな今思い返しても)、そのあと「やっぱり泊まりませんやること色々あるので、あ、貴方は帰ってもいいですよ」って言ってきたり(いやひどい、あの人がひとりぼっちになるじゃん)、明日主治医に(今更)病状説明させて!と看護師さんに迫ったり、「面会制限2人までですよね?誰が看取るかあと数日間親族で協議させてください」って言ったり、全然状況が分かってなかった。数日ってお前、この人明日死ぬと思うよ。あんたには分からないろうけど、ずっと一緒だったわたしにはそれが分かるよ。もう一晩で酸素10Lも吸わないと生きてられない人と、ずっとそばにいた人間を前にしてあまりにも呑気だよ。そう思ったけど、言わなかったわたしは大人だった。でもキレてたら違ってたのかな。キレても良かったかもしれない。
とにかく看護師さんはわたしの味方をしてくれて「もうイミクスさんがずっと付き添いされているので、人員の変更はできません!」って言ってくれたりした。看護師さんたちがいなかったらわたしはすごすご引き下がっていたかもしれない。本当に愚か。後で知ったけど、看護相談の担当をしてくれていた看護師さん(入籍推しだった人)が病棟の看護師さんにいっぱい申し送りしてくれていたそう。親族が来たら除け者にされると予想してたんだろうと思う。
(加えて言うとここは最上階個室で、いわゆるお金持ちが入院する階であり、えぐい差額ベッド代と引き換えに「親族ではない微妙な立場の人が立ち会う」ことに看護師さんたちが慣れているという背景があると教えてもらった。なかなか生々しい話で面白いから詳しく聞きたいものです。ちなみに同居人はお金持ちなのか?と言われそうですが、見栄っ張りなだけです)
結局、最後の夜を2人きりでゆっくり過ごせることになったので、親族が呑気でよかった。そしてわたしを守ってくれた看護師さん達に深く感謝した。
この夜は一睡もできなかったんだけど素敵な夜だった。いっぱい名前を呼んで頭を撫でてあげられた。朝にならないでほしかった。相手は飲んだら朝まで喋り倒すタイプの人なので、こんなに静かに2人で過ごすのは出会ってから初めてで、ちょっと面白いねえ、わたししか喋ってないよ、と言ったりした。
とにかくゆっくりお別れできたから、その点は、わたしは幸せだった。でもそれをすごく危ういものに自分でしてしまっていた。自分が愚かすぎて今でも腹が立つ。この人にはわたしがいないといけないんだ、と胸を張って言わなきゃダメだった。今なら言えるのに。
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primitivemysteries · 2 years
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看病する意味
嘘にならないうちに書いておこうと思った。書いたそばから嘘になるかもしれない。喋る言葉と書く言葉は違う。でも書いた言葉は残る。
これは最後に同居人と話した日の記録です。
11月1日の午後に病院に行って、今日から面会OKですと言われた時点で、わたしはもう覚悟を決めていたと思う。いつも病院に来ていたから、この世の中で基本的に面会禁止であること、でも唯一許される場合がありそれがどういうことなのかも、何度も貼り紙を読んで知っていたから、多分動じてはいたんだけど理解は早かったと思う。こういう時でも頭の回転が絶対に止まったりしない自分のことがマジカッコいいと思うし好きだけど、本当に厄介だな〜と感じる。多分この時点で普通は泣くのだろう。
病室に行って、「来たよ〜」って言ったら最初に「来なくていいよ〜」って言われて看護師さん共々���った。あとで、この人はよく仕事の打ち上げで、飲んでるのを聞きつけた知り合いが飛び入りでやってくると「なんで来たんだよお前〜来るなよ〜」って嬉しそうに言ってたのを思い出した。
緩和ケアのお医者さんが来て、「ここ数日夜のせん妄が酷くて、殆ど叫んでいるような状態です。あんまり眠れてないから今日から眠れるお薬を入れます」って言われた時に「多分話せるのは今日が最後だな」って直感する。
こういう考え方に賛成してもらえるかは分からないが、人間は言葉を持つ生き物なので、わたしは意思を持って言葉を発せなくなった時点でもう魂の終わりなんだと思っている。意識がなくなると「きっと苦しくないと思いますよ」とか、忖度して周りが言うことしかできなくなるから、そうするともう想像でしかないわけじゃない?
あ〜夜叫んでるのは怖いからなのかな、それを見ないで済んでるのはまだいいと言われるかもしれないけど、見るのが辛くてもそばにいてあげたかったな、そばにいてあげたら怖くなかったかなあとか。
さすがにそれを考えてたら涙が出てきて、そしたら相手の目がぱちって開いて取り繕って笑ったけど、でも泣いてるのバレちゃってたと思う。手を握ってあげたら「頑張れ」って言われた。なんで死にそうな人に励まされてんだろう。自分がもう死ぬってわかって言ったのかな。わかんない。��の後はずっと手を握ってあげてた。この日は手を握り返す力がまだあった。
うわごとなんだけど色んなこと言われた。突然「行くぞ!」って言うから「どこに?」って聞いたら「地獄!」って言われてまた笑っちゃった。「地獄なんかいかなくていいでしょ?」って答えたら「他に何の楽しみがあるzzz(むにゃむにゃ)」って言われた。地獄行くの楽しみなんだな。確かに天国には怖い神様がいて酒を取り上げるからな(帰ってきたヨッパライ)
それで最後の最後に言われたことは、ここには書かないのでもし機会があったら直接聞いてください。でもあまりにもドラマチックで、わたしが創作したのか?と疑われるほどのことを言われました。
この言葉を彼をちゃんと知っている人に話すと、みんな泣いてくれる。すっごく綺麗に涙を流してくれる。言葉の裏にある情熱を理解してくれてるのがわかって、わたしも泣く。わかってくれる人にしか伝えられないし、伝えたくないと思うので書けません。でもモノを作る人なら分かってくれる言葉だと思うので機会があったら話させてください。
ある人は「貴方のことを信頼して安心してたから出てきた言葉だね」って言ってくれました。わたしもそう思います。わたしだから言えたんだと思うし、わたしだから聞くことができたんです。この言葉に人生が、魂が宿ってると理解できた。看病するイミの意味はここにあったと思っています。
夜遅くなって、もう喋らないかな、と感じた時点で帰ることにした。あと何日続くのか、漠然とあと2日だと感じた。11月3日は、予定していた旅行から帰ってくるはずの日だった。こういう勘は外さないのだ。
この日の夜に親族に電話しなければならなかった。そこからまた別の戦いが始まるんだけど、わたしは素敵な言葉を貰ったからある意味で満足していたし、「頑張れ」と言われたから頑張ることにした。
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primitivemysteries · 2 years
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不真面目に真面目
これは11月1日に書きかけで放置されていた日記です。 この後、状況があっという間に変わってしまったのですが、当時の文章なので残しておきます。
すごく眠たい日もあれば全然眠れない日もあり、やたら食べてしまう日もあれば全然食べられない日もあり、バイオリズムがめちゃくちゃです!こんにちは。
一昨日は久々に書きものをしました。一次の方です。印刷すると折本ができます。良かったらこちら。表紙タイプミスしてるのに4時間ぐらい気づかなかった恥ずかしい。でも今更差し替えられない…。
https://twitter.com/muguet31/status/1587086682792206336
創作できるほどに精神状態が回復したのか、と考えると複雑です。どれだけ相手と暮らしてることがストレスになっていたんだろう。別々に暮らしたまま看病してたら関係も悪化しなかったのにな。言っても仕方ないし、無理だったと思いますけど。
まず入籍しないと決めました。散々悩んだし、やらない後悔よりやって後悔なんて言いますけれども、わたしは自分が納得がいっていないことをやる方が後悔する人間だと思いました。話すならちゃんと話したかった。でも相手もその機会を先延ばしにしてきたんだから両方に責任がありますね。
昨日から面会OKになりました。このご時世に面会OKになると言うことは、そういうことなんですが、でも会えるだけいいです。元から同居人はせっかちで、わたしはのんびり屋なんです。そんなところでせっかちになるんじゃないよ〜。
それはそうといよいよコロナが立ちはだかる。面会は2名まで。都度2名じゃなくて特定の2名です。例えば3人お子さんがいたら2名は会いにきて1人はテレビ電話とか、そんな状況だそうです。憎き病気ですね。
相手の家族(遠方にいる)に電話をかけるけど急なことなので動揺させてしまうし、でも2名は決めなきゃいけないし、そう言う時にやっぱり親族ではないので「どうしてもそちらに2名お会いしたい方がいるなら、お譲りします」と言ってしまう。本音なんだろうか?と思いつつ、同居人はわたしにいてほしいだろうな、と思うし…… (日記はここで終わっている)
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primitivemysteries · 2 years
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ガンバレそれは聞き飽きた
色々、していた、色々……やることが沢山あるけどやらないので終わらない……いや全くやってないわけじゃないんだけど……。
実際に看病していないのに看病周りのいろんなことが降りかかる。
日記書き始めて一週間経ちました。シンプルに書いていてよかったなと感じます。一週間前は、やっぱり動転していたんだなと文章読んでも感じる。日々精神状況が怒濤の変化をする。シンプルに言えば状況は前進はしたと思う。相手の仕事の話を進めたり、病院の話や、親の理解を得られたりとか。ずーっと誰にも言えなかったから、これを期にたくさん話せたことが大きかった。聞いてもらえるだけで励みになるんですね。まだまだやることがあるので頑張る。
本人とはあんまり意思疎通できてないのが辛いというか悩みというか……だから家に戻ってきたときにちゃんと世話できるのかな?と心配になったりとか。だるいだろうし、薬が効いて寝てるんだろう(安心して寝ててほしいね)連絡も来なくなっちゃったから、何事も勝手に進めててごめんねって感じ。もうずいぶん会ってない遠くにいる人みたいな気がしちゃう。たった一週間なのに。この一週間はビクビク過ごしたけど、危なかったら面会させてもらえるんだから会えないってことはまだ大丈夫ってことだ。あ〜戦いはまだ始まったばかりなんだ。負けないぞ。
ところで、わたしが野球観始めた元凶は同居人(生粋カープファン)です。でもわたしがハマってからは熱意が逆転した模様。今年Jスポーツを契約したら「カープが勝った負けたで一喜一憂しているうちは可愛いけど、他球団の誰が何本打ったとかまで気にし始めたら野球狂じゃん!」と言われたりした。でも!わたしは貴方に教えられて野球が好きになったんだからいいじゃない!
といいつつ、8月の終わりにおもちゃの小さい野球盤を買ったのでそれで遊んでた時期もあった。面会が出来た時代なら病室に持っていって一緒にやったんだけどなあ。
オリックスおめでとうございます。ヤクルトお疲れ!一緒に日本シリーズ観たかったなあ。来シーズンを一緒に観られるように頑張ってよ。頑張るよ。
頑張ることが減らないね。
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primitivemysteries · 2 years
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他者を巻き込む
昨日の日記です。昨夜は日記書く前に寝ました。別に寝不足じゃなかったのに。なのに今日昼過ぎまで寝ちゃった。
昼過ぎに病院へ行って病状説明してもらう。退院目処立たない。でもあんまりショックじゃない。転院先を選ばないといけない!担当の看護師さんがちょっとだけ本人に会わせてくれた。むにゃむにゃしてて全然、会話にならなかったけど、会えたからよし!あっちも安心してくれてたらいいな。いいなってことしか考えられないな。もう確信や共感は得られないのかな〜と思うしこう言うことに患者家族というのは悩むんだろう。それが終わった後、看護相談に行く。やはり入籍推しの看護師さん。うーん。
この時点で16時前。本人のマイナンバーカードが必要で病棟に戻る。コロナ対応で中には入れない。クラークさんに少しお待ちくださいねと言われて30分。もう一回聞いたら本人が処置中でいないので渡せないと。早く言ってよ〜あと30分したら帰ってくると言うので待つ。40分したところで尋ねると「今帰ってきたのでもう少ししたら」と言われて更に30分経過。やっとマイナンバーカードをゲット。ほぼ2時間近く……外は真っ暗になっている。わたしはだいぶ気が長い方なんですけど、いや今回のは最初のクラークさんがちゃんと確認してくれれば出直したのに……な……。
ただ、ずーーーっと病棟入り口のちっちゃい椅子に座って待ってたので、付き添い(入院初日は付き添いができる)で行き来していた知らない患者家族のおばちゃんが見かねたらしく、パンをくれた。わたし他の家族に何かあげるとか無理だな。会計わかんない車椅子の人に教えてあげたり手伝ったりしたことはあるけどさ。最近同病の本人・家族アカウントもよく読んで、一方的に励まされています。大事に食べよう。
この後、仕事仲間と打ち合わせ約束していたので大遅刻で移動。同居人の仕事の打ち合わせ。今計画している仕事をある程度達成させてあげたいと相談して協力をお願いし、病状も説明した。
本人が今まで説明しなかったんだけど、もっと早くするべきだったかな。一般的には重い話だし、本人の意思に反するかなあと思いつつも、自分のためにも他者を巻き込んでいった方がいいなと考えを改めたので話した。一人で抱え込んで発散できないとよくないからね。帰るときに元・教え子から(わたしと同居人は一時期大学で働いていました)「イミさんも気をつけてね!」って言われて嬉しかった。
帰宅してからもその場にいなかった人にwebで連絡・相談する。久々に以前みたいな働きをした。みんな早く元気になってほしいねって話してたよ。通話を切ったあとは多分同居人と過ごした時間のことを考えながら寝たんだろうな。すまんけど巻き込ませて貰うよ〜こんなこと人生でそうそうないでしょ!糧にしてけれ!
なんか急に寂しくなってクローゼットの服大量に抱きしめて短時間だけわんわん泣いた。わんわん泣いたけど、「ああ、このシーンもしフィクションだったら使えるなあ」って頭の片隅で考えてた。結局一人暮らしが向いてる。皮肉なことだけど、ひとりになって一週間で「元の自分」に戻ってきているのを実感した。こんなんで帰ってきてまた看病、できるんだろうか。でも帰ってきて欲しい。
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primitivemysteries · 2 years
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母の手と父の頭に苦労かけ
タイトルは昔、「おーいお茶」の例のコンテストにわたしの名前で入選したものです。わたしの名前で、というのは、実はわたしじゃなくて母が勝手にわたしの名前で応募したもの、という意味です。ひどい話ですが20年ぐらい前の話なので時効だといいな。中学生がこんな達観してるわけないだろ!当時は入選すると作品集とお茶が一箱を貰えました。
今日は朝イチで、主治医の先生から電話があり、肺炎は良くなってきてるけど在宅医療入れないと退院させられないよ〜と言われる。「もうそんな状態になっちゃったか」というより「ま〜そうだよな」です。とりあえず明日、病状説明してくれるそうな。
今日は今日でお昼に看護相談を入れていたので、病院にいく。やっぱり看護師さんは入籍のことを心配してくれている。というか昨日も今日も「心配なのはイミクスさんの方」と言われて、わたしそんな心配されてるの!?と驚くし、それが分かっていないの!?ということに愕然とした。人の心配を無碍にするのは酷いことなので、わたし、酷い人間じゃないか〜と思う……。
夕方、観念して電話で母に事情を説明する。何言われるかビクビクしていたのですが、「介護するのに大賛成、援助もする」と言ってもらい驚く。
そうだった、母、わたしが生まれる前から成人するまで何回もガンになっては死地から蘇ってきた超人でした。母の異様なテンションというか、世の中と一線を画すところは度重なる試練に裏打ちされたものなんですね。我が家は母の仕事と病気を中心に回っていたので、わたしが未だに必要以上に親に対して気負いがあるのも、そういう環境で育ったのはあるだろうなあ。
「自分が入院した時もイミが看病してくれて助かったから」と言われて、あ〜そんなこともしてましたと、わたしは看病慣れてたじゃないか、忘れていることが本当に多いな。それくらい最近は近眼的になっていたんだなあ。
ちなみに入籍は反対されました!(公正証書作ればいいでしょ・完)
父にも母から話をしてくれて理解をして貰えました。お金も解決。父もすごいよ〜、だって結婚前から病気してた母を一貫して支えてきた訳でしょ。わたしなんかこの数ヶ月で発狂しているのにな。
この歳になってわかる親の偉大さに打ちのめされる。あと、思ったより親はわたしの味方である。ずっと「自立するために離れなきゃいけない」(でも自立って何だろうちゃんと自分で稼いで暮らしてるのに)と思ってた。
わたしの認識している現状とは、世界はかなり違っている様子です。さっきの「心配されているのが分からない」のもそう。たくさん周りの人やフォロワーさんが心配してくれているんだろう。それが分かっていない。愚か〜〜〜!!!
わたしが他人の心配しかしてないので、わたしに向けられている同種の感覚が分からないのかもしれない。暇になって一週間経たず、これだけ自分を見つめられるなら、もっと早くこの時間が欲しかった。言うても仕方あるめえけど。
そういうことがあったので何だか安心してたけど、夜になると寂しくて泣いちゃうな。
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primitivemysteries · 2 years
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半分ぐらいセーラームーンの話
実は週末に旅行を計画していたので、キャンセル作業。食事の約束をしていた同居人のお母様に電話して事情を伝える。初めて話した。何だこの女って思われたかしら。心配です。なるべく丁寧にお話ししたけど。
夕方、唐突にセーラ���ムーンが観たい。セーラームーンが人生初のメインジャンルだった世代なので、実家のような安心感がある。安心したいんだと思う。寝ていても怖い夢ばかり見るし起きてるとぼんやりしてるし良いことがない。
セーラームーンで誰が好きでしたか?わたしは亜美ちゃんです。頭良くなりたかったから、憧れてたんですね。大人になってみると美奈子ちゃんがカワイイと感じる。そういえば22日は美奈子ちゃんの誕生日だったな、と思い出す。好きなアニメのキャラクターの誕生日ってなかなか忘れないものです。一方で、大人向けセラムン商品(大概高額で同世代をターゲットとしている)を買ったことがない。今キューティームーンロッドが手に入っても、子供の頃のわたし以上に価値はないと思う。それを特に寂しいとかは思わないな。ああ〜セーラームーン観たいな。なかよしも買ってました。応募者全員サービスに応募していました。
夜は最近の事情を知ってる友人とご飯を食べに行きました。夜に人とご飯を食べに行く、というのも最近全然できなくなっていたことですが、あまり元気にとはいかず……でもチーズは美味しかったです。https://cheese-stand.com/
とりあえず短期でバイトしたら?と助言いただく。しかし、なかなか見つからなしです。あと印象的だった会話。 友「映画観に行ったら? 短時間だけど、他のことに没頭できるじゃない」 わたし「でも今は電話がすぐに取れないのに抵抗がある」 友「どうしても気になるならマナーモードにして観なよ」 わたし「電源切らないで観るぐらいなら行かなくていい!」
ああ、わたしは筋金入りの何かを観るときには電源切るマン。よく映画館のスマホ問題になると、スマホ容認派が「急な連絡が来たらどうするのか」と言うイメージがあるのですが、そんな状態で映画を優先するんか!?と思うわけで、今はその状態です。よって難しいのです。せめて退院の日が決まるとか、何か一区切りないとな。でもRRRが観たいです。
だから家でセーラームーンを観てるぐらいが丁度良いのかもしれない。
友人には、色んな人と遊んだ方がいいよ、と言われました。人と関わらないと双子座は病むからね、って。そういう友人も双子座です。それはそう。現状を面白おかしく喋り倒して相対化するのが双子座だからな。
同居人がぼんやり気味になってから、どーでもいい会話をする機会が減ってしまいました。実はその前からわたしのメンタルの不調もあり、お互い上手く会話できていませんでした。本当は一番お喋りしたい人は、同居人なんだろうなと思います。Twitterも好きじゃない相手なので、わたしがこんなこと書いてると知ったら怒るだろうな。言わないけど。
でもわたしが何とかやっていけるのは、Twitterの向こうにいる人の生活に取り組む姿だったり、今日付き合ってくれた友人のお陰だと感じます。広義のお喋りといえば、お喋りです。
わたしは自分の交友感覚を以前「遊星のような生き方」と言ったことがあります。接近したり離れたりしながら同じ太陽系を回っている関係、というイメージです。Twitterとの親和性高いです。連絡全然取らなかったり、取ったら取ったで朝まで飲んだり、極端です。そ���いえばセーラームーンのうさぎちゃんの特技は「誰とでも友達になれること」でした。尊敬します。それはわたしには無理だけど、わたしはわたしの太陽系を大事にして過ごしてこ。
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primitivemysteries · 2 years
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待てば海路の日和あって欲しい
3ヶ月ひとりの生活も3日目。何というか、恐る恐る過ごしているな〜と感じつつ、少し慣れてきたような。しかし落ち着かない。いわゆるレスパイト入院だと考えて過ごしたいところだけれど、身の置き所がない感じがずっとしてる。心配性なので、こういう時何も考えずに仕事をしてたらよかったのになと思う。そういえば最初の入院のときは、2020年コロナ真っ盛りで仕事が大変だったんだった。
「少しでいいから自分の時間が欲しいなあ」と思っていたんだから、この時間をプラスに使うべきなんだけど、全然それができていない。強いて言えば洗い物してなかったりご飯のメニューに悩んだりしてないぐらい。でもこれは良くないなあ。元の生活に少しずつ戻していこう。
「貴方は優しいし頑張ってるんだよ」と他の人に言われても全然実感がない。「もし自分の友達が同じことをしていたら頑張ってるよって声をかけない?」と言われて、確かにな?!と思って面白かった。でもこれに限らず何事も、現実の感覚が現実と乖離してるんだよな。なので共感がとても苦手だし、後になって思い出し悩みしたりする。そもそも自分の感情を把握できないのが問題といえる。結局不安になるのも自分が見えていないからである。そういう人間が、誰かを安心させたいと考えているのだから滑稽だなあ。
明日は夜、一番愚痴を聞いてくれている友達とご飯だ。あまりベタベタした関係ではないものの、自分の仲間内と呼べる人は何人もいたはずなのに、ここ最近の怒濤ですっかりご無沙汰になっている。おそらく多くの知人たちからしたら今わたしは行方と消息の不明な人だと思う。 同居人、寝てるのかな、何してるのかな、と気になる。昨日「入院中ずっと通話してた」って書いたが前述の最初の入院の時はそんなにしてなくて、あっちが退屈になってから始まったんだった。辛い思いしてませんように、と願うぐらいしか出来ないね。
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primitivemysteries · 2 years
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イミちゃんvs日本の家族制度
コロナじゃなかったらしい!それはそれとして、しばらく入院だそうだ。あまり喋れてないので詳細は分からない。前は入院したら寝るまで(寝ても)通話繋げてたのに、今回は思い出したように用件を電話してくるだけである。相手も疲れてるのか、気を遣ってるのか。
色々用事を片付けた後、午後はとびとびで夕方まで昼寝してしまった。確かに最近寝不足だったけどさあ、「思い切り何も気にしないで眠る自由」に気分が悪くなりました。晩御飯食べて、ボーッとしてたらもう23時を過ぎていました。
ところで最近の悩みはズバリ「入籍」です。ま〜結婚するつもりなんてなかったし今も実際ないんですが、やっぱり病院関係になるとあらゆることがそこに掛かってくるらしく……法律の問題で……日本の法律め!おのれー
生々しい話ですが「入籍」するとその後、残った相手の貯金や大量の仕事道具がストレートに自分のものにはなります。特にこの点、「一番頑張ってるあなたが何も残らない」などと、本人や看護相談の看護師さんにも言われるのです。 (看護師さんお節介では?と思われるかもしれませんが、手続き上、看取りができない可能性や実例をご存知なので、当然です) でも別にお金は欲しくないしな〜どのくらい残るか分からないし、もし余って貰えたらそのお金で海外逃亡できるかな……とか、形見に仕事道具はもらえたらいいな、とか、それぐらいのことは考えたりするけど。
しかし、わたしの親が面倒です。Twitterをご覧になってると分かると思いますが、一人娘なこともあり、わたしの親、超過保護なんです。まあそれをいいことに頼って甘えている部分も、わたしにはあります。
そんな親に現状を話し、先の短い相手の最期を看取りたいから入籍する、なんて言った日にゃあ大反対でしょうし、そこを説得するだけのリソースが今正直ありません。それさえなければ「入籍」なんて大したことじゃないな。 大体こういう時に親を無視できない時点で親離れもできていないバカ娘ですし、バカ娘からそんな話聞かされる親も可哀想ですね。ああ〜こうして「相手が可哀想」と「親が可哀想」に挟まれているわたしはなんなのか。
ですが、予想外に相手の病状がグンと進んでしまったので簡単に働きに出られないのもあり、近いうちにある程度事情は話して少し金銭的に援助してくれ〜と頼まないと、わたしが生活できません。つくづく親が経済的に困っていないこと、仲が良好なことを感謝せざるを得ません。この点は親ガチャSSSRと信じてるので、思春期が過干渉だったことなどには目をつぶれます。
とにかく2日間ボーッとしてしまったので少しずつ動かなければ。明後日は、友人と食事の約束もしました。せっかくだから出来ないことをするべきです。
ここ最近は相手が欲するので、毎日のようにりんごのコンポートを作っていました。それを自分で食べたら美味しかった。頑張ってるジャンと思いました。
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primitivemysteries · 2 years
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ピーターパンの境地
看病の日記を書こう、と山本文緒さんの「無人島のふたり」を読んで思いました。
わたしは少し前から同居人の看病をしています、それが介護になりつつあります。
当事者じゃないので当事者の病状は詳しく書きません。でもそう遠くない未来に旅立つことが決まっている病気です。
同居人とはプライベートでも仕事でも色々関係性の変化がありましたが、今は他人にいうときは「パートナー」という言葉を使っています。公私共に関係が深い人です。最近まで再放送していた「芋たこなんきん」の町子と健次郎さんみたいな感じが当たらずとも遠からず。
昨日、本来の病気とは関係ない肺炎で(コロナかもしれない!わかんないけど)同居人が救急搬送され、急遽入院となりました。一週間ほど、ひとりになります。
最近まで完全に看病疲れで参ってしまい、「一人の時間が欲しい」と考えていました。実際には全くない訳ではないのですが、読書のためにお茶を飲みに行ったり、好きな時間に映画を観に行ったり、という同居前の生活はなくなってしまいました。そういった時間を取り戻すことは相手の病状が芳しくなくなった時であることは分かっていたので、複雑でしたし、わたしは優しくない、と感じていました。
いざそうなってみると実際もっと複雑で、今日はただぼんやりと過ごしてしまいました。家の外にはいますが、それは一人ぼっちの家に帰りたくないからで、今までと矛盾しています。電車を使う距離の駅を歩いたり、異常に食欲があって見かけた店に入っては軽食を食べてお茶を飲んだり(お腹が痛いです)。
そんな中、立ち寄った本屋で山本文緒さんの「無人島のふたり」を見つけました。一気に読んで、わたしも気持ちを文章化した方がいいかもしれない、と思いました。
やっぱり書いた方がいいんです。わたしはちゃんとしてないかもしれないけど、自分のことを作家だと思います。パートナーは、わたしが書くものを初めて「面白い」と言ってくれた他人です。
わたしは先ほど「旅立つ」という言葉を使いました。多分これからも使うと思います。これはパートナーの主治医の先生が使っていて、印象に残りました。「死ぬ」というと兎に角「死ぬのが怖い」と考えるのだけど、「旅立つ」だと不思議な現実との乖離があって、少しだけ使いやすい言葉だと感じました。
自分の恐怖を麻痺させるために、此の期に及んで死をフィクション化して受け止めようとしていることを弱いなあ、とも思うし、人間はやっぱりフィクションを必要とする生き物だな、という自分の考えとも一致しているなとも思います。
でもわたしが恐怖の対象をずらせるのは、当事者じゃないからです。当事者はもっと怖いだろうし、もっと諦めているだろうし、もっと絶望的な気持ちだと思うのに、それを分かってあげられていないのが悩みです。でもそれを「分かる」って不可能じゃないか?他の人はどんな風に慰めの言葉をかけているんでしょう。納得しているんでしょう。
わたしが好きな「死」を表した言葉ってなんだろう、と思った時、すぐにピーターパンの台詞を思い出しました。ピーターパンがフック船長との戦いの中で死を意識した次の瞬間に「死ぬってのはすごい冒険だろうな」と心の中で言うシーンです。英語で調べたらTo die would be an awfully big adventure だそうです。あ〜そう思えたらいいだろうな。理想です。
もう一つは河野裕子さんの絶筆になった「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」です。河野さんの歌にはなんというか生きている主体みたいなもの、身体性のようなものがあり、そこが好きです。そういえばパートナーと出会った頃に彼女は亡くなったのでした。この歌を教えてくれたのもパートナーだったことを忘れていました。永田和宏さんの本も読んでみようかな。
相手の恐怖を解決したくて、理解できない事象に真剣に取り組むと自分が怖くなります。相手は少し前の治療でせん妄っぽくなってから少しぼんやりしてしまったところがあり、かなり苦労させられてるのですが、そういう「ぼんやり」が何かの助けになっていることを祈るばかりです。
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primitivemysteries · 4 years
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Glass Pieces / Jerome Robbins 2018年の11月にパリを旅行したとき、オペラ座で観たのがジェローム・ロビンス作品集だった 1幕は、ファンシーフリー/無伴奏チェロ組曲(男性ダンサーと女性チェリスト)/牧神の午後への前奏曲 2幕が丸々Glass Pieces 盛りだくさんバラエティパックのような舞台 ジェローム・ロビンスと言えば華やかで交響詩的なWest Side Storyなので、Glass Piecesを観たときは1作品目のただひたすらに「歩く」と言う身体的行為をアレンジしていく振付が衝撃でした
弘法筆を選ばず、シンプル/ミニマリズムを扱ってもロビンスはロビンス
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primitivemysteries · 4 years
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primitivemysteries · 4 years
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縦書きの国に生まれて雨降りは物語だと存じています
飯田和馬
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primitivemysteries · 4 years
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s3-14 ブルースが「殺さない」ってアルフレッドに繰り返したのが印象に残った
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primitivemysteries · 4 years
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植物学者がTVで、ある実験を紹介していた。アサガオを愛情こめて撫でながら育てるとどうなるか。声がけしながら週に一回、チョンチョンと触るだけでも元気がなくなる。あまりにも人間的な〈愛情〉は、非人間にとって〈迷惑〉になる、という話。これは植物にかぎらない。傾聴しなければ、愛は失敗する。
https://twitter.com/nakashima001/status/1256479378961133570
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