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ケンウッドハウス
ロンドンの最終日。市内に行こうか郊外に行こうか迷いましたが、秋深まるロンドンの紅葉が見たいと思い、早速グーグルで検索。するとロンドン郊外にあるハイゲートウッドというところが紅葉の名所とあり、早速地下鉄を乗り継いで行ってみました。深い森が続いている公園でしたが紅葉はそれほど進んでいなく、30分ほど散策したあとどこかいいところはないかと、今度はグーグルマップで確認です。するとそこから少し西にあるKenwood House というところに。イギリスの富豪ギネスさん(ギネスビールの創業者)のコレクションが集められている大きな家があり、無料でその庭も含めて見学することができることが判明。アメリカでいうとゲッティミュージアムの��型版のようなところです。絵画もたくさん展示されており、レンブラントやジョバンニの絵もありました。また、広大な庭もよく手入れされていて、木々も色づき、池には水鳥が浮かんでおり、全体が一枚の絵のような美しさで、感激もひとしおです。庭内のカフェで紅茶とコーヒーケーキをいただき、柔らかな日差しの中、ゆったりとした時間を過ごすことができました。(ケーキはそれほど美味しくなかった😩。でも紅茶はバッチグー👍。)そこでかなり時間を過ごしてからバスを乗り継いでホテルに帰って来ました。
今夕は、立山先生宅に夕食にお招きいただき、江尻先生ご一家も来てくださり、本当に体も心も温まる鍋をいただきました。ほんと~においしかった!😂 今回のロンドン滞在では、何から何まで立山先生ご夫妻にお世話になり、感謝でいっぱいです。夜遅くまで、今回の旅行のこと、信仰のこと、それとたわいもないお話など、楽しいお交わりの時が与えられました。明日はいよいよロサンゼルスに帰国です。
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ハンプトンコートパレス
昨晩ベッドに入ったのが2:00amをまわっていたので、今朝は7時過ぎまでぐっすりと休みことができました。ロンドンはもうすっかり秋。外はジャケットがないと震えるくらいです。ゆり子は立山牧師の奥さん千里さんからジャケットを借り、私は、(サ、サイズが、、ということで)借りるわけにもいかず、Tシャツとトレーナーで出発。 2階建てバスの2階の1番前の席に陣取って、ロンドン郊外のハンプトンコートパレスというところへ向かいました。
イギリスの代々の王様が住んだという、総煉瓦造りのお城です。日本語音声ガイドがあったので、それを借りて見学しました。特に17世紀に、この城に住んだヘンリー8世の生涯や生活などのストーリーを聴きながら見ていきました。約3時間ほど見学して(これでも建物だけで、広大なガーデンを見るには至りませんでした。)、列車でロンドン市内へ。
今日の夕食は、立山牧師が牧会されている教会の副牧師、江尻先生が働いておられるラーメン屋さんへ。1ヶ月ぶりの日本の味です。オーナーが九州出身ということで、とんこつラーメンをいただきました。あったかいお茶と、熱々のラーメン。心も体も温まりホテルへ戻りました。しかし、ロンドンの11月は本当に寒い!この寒さ、ロサンゼルス生活ですっかり忘れていました。
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イスラエルともお別れ
イスラエルからロンドンへの移動日。朝早めに宿をチェックアウトし、フライトは19:35と午前中時間があったので、鶏鳴教会にもう一度行くことにしました。先日訪れた時はたくさんの団体客で、イエス様が判決を待つ間入れられていた穴で、祈りと賛美を捧げたいと願っていたのですが、叶えられませんでした。ですので、鶏鳴教会のゲートが開く8:30am前に一番乗りで、もう一度そこに行くことにしたのです。2人で詩篇88��を読み、賛美「十字架のもとに」を歌い、イエス様の十字架を心から感謝して祈りの時を持ちました。その間、途中から入って来た韓国の団体の方々も静かに待っていてくれました。感謝。
何度も言うようですが、聖書の記述をたどって遺跡を歩いてみると、時を超えてまるで自分がその現場にいるような思いが湧き上がって来ます。それがイスラエル旅行の醍醐味なのでしょうね。
それからレンタカーを返して、お昼前のバスで空港へ向かいました。イスラエルのセキュリティチェックはとても厳しいと聞いていたので、早めに行っておいたほうが安心と判断したからです。1時間ほどで空港に着きましたが、私たちは夜の便なのでまだカウンターが空いていません。空港でランチを食べ、ゆっくり待つことにしました。四時過ぎにカウンターが空いてチェックインし、セキュリティへ。厳しい、、、、と思っていたのですが、いや以前私がイスラエル旅行したときは何時間も足止めされたのですが、今回はスルリと通り、あっという間に通過できました! 嬉しいことですが、この後ゲート前でさらに4時間ほど待つことに。そして飛行機が1時間半ほど遅れ、結局テルアビブ空港で9時間ほど過ごしてようやくロンドンのルートン空港へ向けて出発しました。
待ち疲れ、飛行機の中では2人とも爆睡です。日付も変わり11/8の0時過ぎに到着しました。係りの人が言うには、天候不良で、私たちのフライト以降は全部キャンセルになったそうです。あなたたちが最後の到着便だよと言われ、ここにも神様の守りが、、、!
感謝感謝。空港には夜遅いにもかかわらず、立山牧師夫妻が迎えに来てくださっており、なんとホテルまで取っていてくださって、至れり尽くせりの出迎えを受けました。ここまで主が守ってくださったこと、そして皆さんの祈りとご愛に心から感謝します。
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べエルシェバ
いよいよイスラエル最終日。朝早く出発して、ベエルシェバの遺跡に行きました。エルサレムから南に100マイルくらいのところにあります。1時間半ほどで到着。チケット売り場が開いたばかりで、入場者は小学生の社会見学組が1組と私たちだけでした。ここはダビデの時代(一部はアブラハムの時代のものもあります)の街の遺跡です。実際にアブラハム・イサク・ヤコブが水を汲んだであろう井戸がそのまま掘り起こされています。当時のユダヤ人たちの生活が、家の構造からも伺い知ることができます。
当時のイスラエル人の家の特徴として、「Four-Room-House」というものがあり、べエルシェバの遺跡にもその特徴が見られます。建物の奥に寝室兼居間があり、その手前の部分が三つの空間に分かれていて、一つの端の空間がストアージ、その反対の端が家畜のスペース、そして真ん中が作業スペースです。少し話は飛びますが、イエス様がお生まれになったときに布に包まれて寝かされた飼い葉桶も、よく言われている家畜小屋ではなくて、家の中の家畜スペースにある飼い葉桶であった可能性が高いと思われます。
また、 食物などの貯蔵庫にしていたという、地下に岩を削って作ったトンネルにも降りて行きました。深くてかなり大きなトンネルの中にはいくつもの貯蔵場所が作られ、地上はかなり暑いのに、トンネルの中はひんやりとして、人々の知恵に感心しました。外に出て高いところに登ると、遠くに現在のベエルシェバのビル群が見え、時の流れを感じました。
1時間ほどで見学が終わり、検索して近くのレストランへ。思った以上の美味しいブランチをいただき、エルサレムに戻りました。2週間前にイスラエル入りしたときは、残暑の厳しい毎日でしたが、ここ2、3日は夕方から少し冷え込んで来ました。いよいよ明日は、イスラエルを離れロンドン、そして金曜日にはLAへ。ここまで守ってくださった主に感謝!皆さんの祈りに感謝です。
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再びエルサレムへ
ガリラヤ湖畔からエルサレム市内へ。約4時間ほどのドライブで、お昼頃には今日から2泊するイスラエル最後の宿へ。チェックインにはまだ時間があるので、車だけ駐車させてもらい、バスとトラムで旧市街へ向かいました。先ずは「嘆きの壁」と呼ばれる神殿の西壁へ。多くのユダヤ人が壁に向かって祈りを捧げていました。壁の向こう側にはイスラム教のモスクが建っており、ユダヤ人は入れません。彼らにとって最も聖なる場所を奪われているという現実はどんなに無念なことでしょう。神殿は長く続いた戦いの度に破壊されていて、ヘロデの神殿の一部として残っているのは、この西壁だけとの事。そこからさらに神殿の南側を通り、キデロンの谷へと向かいました。
通称ゴールデンゲートと呼ばれる東門が見えました。再臨の主が、オリーブ山からこの門を通ってエルサレムに入られる、それまでは閉じたままの門です。いつここが開かれるのでしょうか。いつ主は再臨されるのでしょうか。マラナタ!主よ来てくださいと切に祈ります。最後の晩餐から、イエス様と弟子たちは、Last Pathと呼ばれる道沿いを歩きゲッセマネの園へ。同じ道を今私たちも歩いています。ゲッセマネの園では、何人もの人が静かに聖書を読んでいました。私たちも聖書の一節を読み、祈りました。ここで、イエス様は血の汗を��して祈られたのです。そして、捕らえられ、弟子たち全員は逃げてしまい、カヤパの庭へと引かれていったのです。2人とも感謝と感動で胸がいっぱいになりました。私の罪を贖うために、苦しみの盃を飲んでくださったイエス様。十字架にかかり罪の赦しを与えてくださったイエス様。その十字架の故に、私たちは罪赦されたのです。ゲッセマネの園に立って、イエス様の苦しみと、私たちに与えられた救いの恵みの大きさに心から感謝しました。
ゲッセマネの園の近くには、いくつかの教会があるのですが、その中の二つはカトリックの「マリヤ昇天教会」とオーソドックスの「マリヤの墓教会」です。カトリックの教えではマリヤは死なずに生きたまま昇天したことになっており、オーソドックスでは彼女は死んだことになっているので、そのような二つの教会があるわけです。私たちは「マリアの墓教会」の方に立ち寄りました。ここは地下に教会があって、不思議な空間でした。マリアの墓と信じられているところでは、たくさんの信者が祈りを捧げていました。
夕方になって日が落ちるのも速い(日の入りが5時前です)ので、またバスで宿に帰りチェックインを済ませました。アパートメント式の宿で、キッチンもあり快適にイスラエル最後の2泊を過ごせそうです。
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ガリラヤ各地へ
ガリラヤ湖を見下ろす宿で迎えた3日目の朝。この日はまずイエス様が最初に水をぶどう酒に変える奇跡を行われたカナへ向かいました。カトリックが主張しているKafar Kannaという場所に教会が建っているのですが、近年の調べで、そこではなくKhirbat Qianaであると判明しましたので私たちはそちらのカナへ。場所は特定されているのですが、まだ発掘が始まっておらず、手付かずの状態です。グーグルマップが示す道をひたすら進むと、舗装されていない畑道へ。上下左右に揺れながら着いた場所は、草ぼうぼうの丘のような場所。しかし、確かにここがあのカナの婚礼のあった場所なのです。きっと数年後には発掘がされて、それらしい遺跡が出てくるのだと思います。私たちの足の下にその遺跡があるのだと思うとワクワクします。
次にナザレへ向かうため、また畑道を行くと360°畑が広がり、道なき道のようなところに出ました。どうしようと思っていると向こうから一台の車が。運転していたお兄さんに「ナザレに行きたい」と伝えると、ついて来なさいと、大きな道まで案内してくれました。本当に優しい人でした。感謝。無事ナザレに着き、まず、マリアの告知教会へ。人の多さにびっくり。中に入ると「ここでマリアが天使からお告げを受けたらしい」という場所が、祭壇のように飾られ、その場所を皆行列を作って見ていました。私たちはそこを早々に立ち去り、歩いて15分ほどのところにあるナザレ村へ。ここはイエス様が育たれた村です。今はイエス様の時代の村を再現しています。ツアーガイドの方が、1時間ほどかけて、当時の暮らしの様子を説明してくれました。ナザレ村は丘の中腹にあり、私たちは坂道や階段をふうふう言いながら歩きました。ここで育たれたイエス様は、この野山を駆け巡られたのだなあと、目の前に広がる丘を改めて眺めました。
次に西に進み地中海に面したハイファにあるカルメル山に登りました。(もちろん車で) 曲がりくねった山道を登って行くと、またまた舗装されていない道へ、、。その奥に進むと、なんの標識もない平らな場所に着きました。まさにここが、エリヤがバアルの預言者たちと対決した場所です。 目を閉じるとその光景が浮かんで来ます。
そこから海沿いを走りカイザリアへ。パウロがこの港からローマへと護送されて行った港です。しかし今は、その場所に入るのに入場料が必要で、レストラン、ショップが立ち並び、芝生に寝転ぶ人や家族で散歩する人など、あまりにも現代風になっていて、遠くに見える遺跡(その近くに行くには追加料金がいるようです)にも誰も関心を寄せていないようでした。数枚写真を撮っただけで退散し、宿へと戻りました。
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ガリラヤ湖
今朝は2人で早く起きて、歩いて宿の近くの展望台へ。ガリラヤ湖が朝日に光り、周りの山々が少し靄ってなんとも美しい光景です。そこでしばし、2人で祈りの時を持ちました。改めて、主の守りとみなさんの祈りに感謝しました。 部屋に帰って簡単な朝食をとり、早速今日はガリラヤ湖周辺へ。
まずはマグダラへ。ご存知マグダラのマリアの出身地です。実際にイエス様もそこのシナゴグで福音を語られたところです。当時、イエス様が立たれたであろう石の床の一部が残されており、百合子もそこに立ち感激ひとしおでした。次にイエス様の時代に実際に使われていたであろうという舟が発掘され展示されているところに行きました。ペテロが魚をとったり、イエス様が嵐を沈めた時に乗っておられた舟は、展示されているものと同じ形の舟だそうです。次に山上の垂訓教会へ。本当にその場所かと問われるなら、私は???ですが、何せこの辺りはイエス様が最も伝道して歩かれた地域ですので、きっとこの山肌でも群衆を前にお話をされたのだろうと思います。最後にカペナウムを訪れました。イエス様が伝道と生活の拠点とされていた町です。当時の家々やシナゴグが遺跡として発掘されています。特にカペナウムのシナゴグは、イエス様が最も多く語られたところです。
2000年以上の時を経て、今私たちが、同じところに立っているということの恵みが、なんと大きなものかと感謝でいっぱいです。満たされた思いを胸に、時計を見るともう午後1時を回っています。お腹が満たされていないことに気づき、テベリヤの町のレストランに。有名なピーターズフッシュを私は注文しました。口コミではあまり美味しくないとかありましたが、イタリア風に料理してあり、とても美味しくペロリと頂きました。今日は金曜日で、日暮れと共にユダヤ教の安息日が始まります。そのため、ユダヤ人のお店はほとんど午後2時か3時で閉まってしまいます。早めに食料をゲットして宿に帰りました。
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イスラエル南端の町からガリラヤへ
エイラートを朝早く出発。ガリラヤ湖を目指して北上しました。途中、死海写本が見つかったクムラン洞窟、また、Hidden springと書いてあったので寄ってみると、緑しげる中に泉が湧いていてたくさんの小さな魚が泳いでいました。また、イエス様がバプテスマのヨハネから洗礼を受けられた場所と言われているヨルダン川岸(たくさんのグループがそこで洗礼式を行なっていました)にもよってみました。車で走っていると、聖書に記されてい���地名がたくさん出てきます。やもめの息子を生き返らせた記事にあるナインの町がありました。しかし、そこの教会はもう荒れ果てていて、使われていないようでした。少し残念でしたが、イエス様が実際に歩まれた場所に立つと感激もひとしおです。今晩から3泊する宿に3時ごろに到着しチェックイン。高台から眼下にガリラヤ湖が一望できる素晴らしいところです。車の運転も守られ感謝!
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マサダと死海
今日はマサダに行ってきました。エイラートから車で2時間あまりのところです。聖書にはこの地名は出てきませんが、ユダヤ戦争の完全終了、すなわちイスラエルの滅亡が決定したところです。元々はイエス様誕生の記事に出てくるヘロデ王の別荘兼要塞でした。ヘロデ王が当時どんなに贅を尽くしていたかがよくわかる遺跡群でした。ローマによって紀元70年にエルサレムが陥落し、逃げ延びた1000人程の人たちが約三年間マサダに立てこもりました。写真でもわかるように、周囲は断崖絶壁の要塞です。しかし、ローマ軍の手に落ちる前に、立てこもっていたユダヤ人全員が自決したという悲しい歴史の場所です。イスラエルの滅亡を預言された神様、イエス様を十字架につける時、ユダヤ人たちが「血の責任は自分たちの子孫に降りかかっても良い」と叫んだその言葉の成就、ここで完全にイスラエルは滅亡し、残りの民は離散して行ったのです。壮大で美しい景色でしたが、神様の言葉の真実を厳粛に受け止める時でもありました。
その後、死海沿岸のマクドナルドで遅いランチを取りました。イタリアでもそうでしたが、イスラエルでもマクドナルドの値段設定はレストラン並みです。結構高かった!
ランチ後、死海の砂浜に降りて、水を指先につけなめてみました。海水の何十倍もの塩辛さ、、というより舌が痺れるくらいの刺激がありました。本当に透き通ったきれいな水なのですが、魚が住めない文字通り「死海」なのですね。そこを出て車で2分ほど行った死海の反対側に、ワディがあり、そこだけ緑の木々が茂っていました。車を止めて少し降りていくと、小さな川が流れていました。乾季には枯れてしまうような川でしたが、死海とは対照的に、木々や小鳥など命を感じる場所でした。今日はここまでにして、一路エイラートへ戻り、午後7時前には宿に到着しました。明日は北上してガリラヤ湖近くまで行きます。
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