Tumgik
osadashin · 5 years
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Movement medicine
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Movement medicine 
動く瞑想と言われるこのダンスのクラス。
身体から自然に生まれるムーブメントが、薬や癒しとなるダンス、そして、その創始者2人のクラスということで参加してきた。
最初に出会ったのはシューマッハでの講義だった。
その時は本当にダンスとか習ったこともないし苦手なんだよね。と思いながら、そして、午前中のサティシュクマールの講義があまりにも納得できない、腑に落ちないで少し自分のコンフォートゾーンから神経が尖っている状態だった。
ジョーのダンスのクラスでは、少しずつ自分の心を解放していくこと、フラットな状態、いわゆる瞑想状態にした後一気にトランス状態に持っていくようなクラスで溜まっていた鬱憤が解放されていくのが自分でも驚くほどわかった。
そして、ペアワークで相手の支えられていることを意識と無意識の中で感じながら見た窓の先の木々の木漏れ日の美しさに見た感謝。
あの時の気持ちってすごく美しくて、まあいっかって思えて心が晴れた。
だいぶ前置きが長くなったけど、あの時の感情を忘れられなくてまた参加した。
そして、少し日が空いてからこれを書いているからそれを噛み砕いてまとめながら書いていく。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
歌う、踊る、笑う、食べる、座る
色んな瞑想をしたけど、そのどれもが生きるということだった。
それら全て自分と深くつながること。
自分は一体何を求めているのか?
どんなことをしたいのか?
なぜそれをしたいのか?
深く深く考える、心を感じる。
ヤコブが叩くドラムの音がリードして、彼の言霊が空間に響きわたる。
人生は素晴らしい、そして、人は皆美しい。
そう、思える世界がいいなあと望む。
何事も許可されている空間は美しい。
愛してもいい、優しくしてもいい、抱きしめてもいい、許してもいい、笑ってもいい。
そうやって、あなたはここにいることは安全で安心なんですよと許された空間や場所は美しい。
美しさの中に身を置きなさい。
それはただただ自然の中に自分があるのではなく、自然によっていること、そこに自分が在ることを許されている場所。
そのためにあなた自身が深く自分と繋がり、頭と心と体が同じ思いで動くことによって許された場所でワクワクできるということ。
そんな美しさの中に身を置ける場所と空間を作り出し、シェアしたい。
そうやって許された場所で自分を確かめられること。
歌うこと、踊ること、笑うこと、鳴らすこと、食べること、学ぶこと、気づくこと、座ること、ただここに在る自分を認めるということは生きること。
ドラムが鳴り終わって、パートナーをベストフレンドだと思って、それをシェアする。相手はそれをただ聞いてあげる、受け止めてあげる。
心が動いてから体が動く そうやって行動になったものが無敵だったり
頭が動いて想像したものは身体に追いついていないままに進んでいくからおかしなものになってしまったり、
物事には物事なりの変わるための時間が必要で、それは場所にも人にも空間にも食べ物にも物にも急激な進化や変化は異常をもたらしたり。
ゆっくり行こう、そのペースに合わせて、のんびり、のんびり。
陰と陽で分けられ照らされた空間でシャーマンの音楽と声がリードする。
体を動かして、それが憎悪や辛さが出てきたとしてもその上にですら自分自身が立っていることを、この地面の上にいることを理解して上で感謝すること。
ありがとう。
あなたのエネルギーは誰かのためにしか使えなくて、他の誰かのために使い、またそれを返してもらう。例えそれが返ってこなくても。
空間に集めて集めて放出する。
許された場で自分を見つけて、出してもいいんだよ。
そのためにこんな手段がありますをみんなに提供すること。
学びたい、極めたいは尽きることはなく。
でも、そういう人たちはたくさんいる。
極めている人たちをメジャーにして紹介していく橋渡しの役割も必要。
小さな声を大きくするスピーカーもいれば、メッセンジャーもいれば。
学んで極めること、自分が持っているエネルギーを人のために使えるように。
それが同時に自分にとっても学びになるように。
今まではビジョンの中に生きていて、これからはミッションの中に生きる。
ミッションはそう、心から出てきて、体が動くこと。
ヴィジョンは頭の想像から始まって体が追いつかないこと。
最後に大きなサークルになってペアの一人が自由に踊っていい場で、
ああ、やっぱり愛してるなあ、世界中っと思えたことがゴールだ。
even in shower i will dance thank you water is coming
そんなヤコブの30年が印象的だった。
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osadashin · 5 years
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百聞は一見にしかず
百聞は一見にしかず。
何事もやはり自分の目で見て、感覚で確かめることはとても大切なのだなと実感した日でした。
西粟倉村といえば、
百年の森構想における林業、再生可能エネルギーといったSDGsの環境未来都市だという認識をしていた。
実際に来る前の情報としてgreenzでの記事や知人、友人から聞く話は環境面にしても、社会起業家の面にしても新しい一つの生き方の形としてメディアで見ることが多く、移住企業、就職において限界集落の中でも希望の持てるモデルという印象を持っていた。
結果から言うと、期待しすぎた。
どの面においてもそう言うことを考えてる人もいると言う段階で、基本的にはやはり国のモデルにしていきたいくらいなので判断のスタートがいかにお金を投資し、儲けられるかの財源ありきになっている。
決してそれが悪いわけではない。
お金というエネルギーも手段として必要だ。
ただし、それはあくまで一つのツールでしかない。
でも、この村から感じたのはお金があれば町は幸せになれると思っているということだった。
全員ではないはず、、、少なくとも今回出会った人たちは。
大概の地方、ましてや村になんてものには人も物もお金もない。
この町は合併しないことで、財源をどう確保し運用していくのかを考えるしかなかったがためにその道を進んだのだろう。
お金はあくまで副産物としてのエネルギーであり、お金を得たものを一体何に使うのか?であってゴールではない。
東京のコピーを地方に作っているような印象を受けた。
買い物は投票だ。
これからの十年のテーマが「生きるを楽しむ」であるのに、こんな小さな1500人に満たない人口の村が東京のコピーをしていき、表面的な持続可能社会の模索をしていることが残念でならなかった。
せっかく再生可能エネルギーの分野でも取り組んでいる人もいるのに。
特に印象に残ったのが、
ローカルモーカルという講演会で講演していた株式会社GRAの代表という方が一通りIT×農業のビジネス講習、資本主義におけるお金の儲け方、勝ち方について話をした後、村民の方から出た質問への言葉だった。
質問は、「父からの相続で農地があるが、収支計算を見ると家計が火の車になるほど、農家はこんなに儲からないのかと驚いた、自然と共生する自然栽培ではない、植物園的工業な農業は儲かるという話は今日のことからも良くわかる、ただ既存の畑、相続について、またそのような農業についてどう思われますか」という質問だった。
その答えが農業の方法についてどう考えるかはなんでもいい、立地に合わせて最適なものを選べば良いだけだ、だから、農業の形よりもその地に合っているのかどうか、そしてそれにで採算が合うか、合わないなら辞めてしまったほうがいい。と
ああ、こうやって地元の農家のひとはお金持ちの有名人の話を聞いて諦めていくのかととても辛くなった。
そして、その本人である経営者の方も仕事は辛いと。
そして、同時にこの人たちを救済してあげられるだけの力がない自分が無責任な言葉を投げかけるのが嫌で諦めてしまったことが悲しかった。
これが六本木のビジネスマンも北海道の農家も救う方法を考えるということだったなあと。
だから、やはり、根本的にソーシャルシステムから作り変えなければ本当の意味での持続可能な幸せになんてたどり着けない。
なにわともあれ、
この村が本当の意味で上質な田舎となりますように。
今回出会った人たちがみんな幸せになれますように。
今はまだそんなことしかできない自分が情けない、N V Cちゃんと学ぼう。
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osadashin · 5 years
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久しぶりに訪れたいい時間。
そのおかげで、スーツに短髪っていうのも悪くないなと思えた。
最近どの社会的コミュニティの中にいても、ビジネス的にも、活動的にも、
求められること
できること
やりたいこと
そして、する為の環境、つまりお金のこと
の話になっているんだけど、それら全部はなかなか一致しないし、結局うやむやになってきて、わからなくなっちゃったり。
あれ?何がしたかったんだっけ?って。
僕から見たら、
仕事でも、勉強でも、遊びでも、
最後に残るのは、ただただ穏やかに平和に暮らしたいという気持ちだけ。
だから、これって世界平和の為だよねっていう大きい括りで見たら、どの角度から見ても同じで良いやって思うように心掛けている。
だから、プロジェクト毎に町づくりだったり、ソーシャルシステムデザインだったり、ブランディングだったり、コンサルだったり、PR、etc,etc...
でも、結局、何してる人なの?って言われたら、世界平和って答えられるようになったことが、この一年の自分の心の成長のプレイバック。
それから、Reimagine activismの論文は、
久しぶりに言いたいことをきちんと論理的に言語化してくれてる内容だった。
英語だけど最近のGoogle翻訳すごいから学術的ワードだけ検索すれば読めると思う。
下に1つ抜粋した部分は、
結局、全て単一的に問題を一点集中だけで捉えるから解決の傾向にあるだけだから一元化して考えないとね。
なんて部分は特に僕が上で伝えたいことと同じだ。
“Activism has a long and arguably successful history of focusing on particular problems. Indeed, many fights have been won by focusing on single issues – the history of human rights struggles as well as that of the environmental movement is full of these wins. And even today, a case can be made for focusing on single issues, for example the gay rights movement has had tremendous successes in recent years.
But given the systemic and complex nature of today’s problems, issue- by-issue responses are often inadequate. One consequence of focusing on single issues is that we tend to fix symptoms rather than tackle root causes. Another is that we focus on developing great expertise on issues rather than deepening our understanding of the
systemic connections between issues.
It is often directly the institutional donors or the organisational fundraising departments pushing to focus on narrow short-term issue oriented outputs rather than engaging with
the complex long-term big picture.
To what extent are you focusing on problems and single issues rather than tackling root causes?
What role are your donors and fundraisers playing in this?”
それからこの部分。
僕のしていることややってることを見て、活動家サイドの人たちやビジネス層の人たちの二極化の中にいるどちらの人たちからも笑われることが多いんだけど、そう僕はこれを信じてそのどちらも架け橋になれるように毎日を生きていきたい。
“For some, the vision of such a transition seems utopian and it might well be. Nobody knows if the Great Transition can be achieved, but it is the only possibility we have to truly create a peaceful, just and sustainable world.”
このリンクが巡ってきたご縁に感謝。
ありがとうございます。
これを読んで、ああ、そうそう。
僕は僕ができるレバレッジポイント(社会システムを再構築する為の世界に影響を与えられる場所)を探していたんだねと確認できました。
僕のレバレッジポイントは、
正しいお金の使い方の循環を作る。
本田健さんの新しい本のhappy moneyの考え方は近い、お祝いで誰かから貰ったご祝儀と誰かから騙し取ったお金は同じお金だけど持っているエネルギーの質が違うからそれらをみんな良いものにしていこうっていうこと。
そして、それをどうやってよりエッジに追求していくのかではなくて、もっとマスに伝える為の導入を作っていくのかが多分ちょっと前に書いてた繋げる役割につながっていくんだな。と。
お坊さんの説教で
宗教、お坊さんだから禅の思想は科学的に証明されていないから信じられない。
と問われることがあるという話をしていて。
その時にお坊さんはこう答えるそうです。
科学的という言葉の中には合理的という言葉の意味も含まれると思いますが、
そもそも人間は科学的なのかというと実際には私たちは非科学的である。
なぜなら、例えば、故人に会いたいなあと思ったり、もっと好きな人と話がしたかったなあとか心が感じることがある。
それらは科学的でも合理的でもなく、非科学的な形而上学であり、私たち人間はそもそもが感情のある生き物です。
私たち、現代人は忙しいと言われています。
忙しいとは、心を亡くすと書く。
そして、
忘れるという字もまた、同じように書いて心を亡くすのである。
日々は忙しい中にはありますが、
忘れて、心を亡くしてしまわぬよう。
宗教は、禅に問わず、誰かに感謝をすることであったり、亡くしてしまいがちな心を取り戻す為の行為として現代人にこそ必要なものだと思います。
そうした行為こそ美しいものなのです。
僕はこの人がとても好きになりました。
こうした心のある言葉や行動の一つ一つの美しいを積み重ねていきたい。
色々ありすぎて
今の心境をどう表したら良いのかわからないけど、とりあえずここまでが一昨日。
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osadashin · 5 years
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正しいも楽しい。
「正しいよりも楽しい」
が、今の大多数の欲望中心の社会設計。
それに反発するのが、
「楽しいより正しい」
が、少数派の人間中心、または生物中心、自然中心、全体性の社会設計。
始まりとゴール、目指しているところは同じだよね?の確認する為にまだ少し考えていること。
どちらにしてもなぜか気がつくと至る所で、
少数派VS多数派
の構図になってしまう。
全体性、holisticって難しい。
どうしたら、誰も否定しないでイコールにできるのか、全人類から全生命、地球まで。
それってやっぱり、
「正しいも楽しい」だし、
カテゴライズを取り払うこと。
どうしたら、ヒッピーとビジネスマンは同じだと伝えられて、
どうしたら、渋谷のギャルと巣鴨の老人も同じだとわかるのだろう。
どうしたら、北海道の農家とインドの銀行マンが同じで、、、、、、、
それ同じこと23歳の時に作った歌の歌詞と同じ内容だ。
結局、これが人生の命題の1つなのかもしれない。
if no one gone away if everyone is friend.
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osadashin · 5 years
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イギリスで出会った友人を訪ねて淡路島まできた。
たくさん色んな話をしたので、
忘れたくないからメモがてら書いてる朝。
本当にただ感じてることを書いてるメモ。
人と人をつなぐこと。
そして、一人一人が持っている技術で大きな絵を描く中で全体の指揮をすること。
リンクマンとプレーヤーとコンダクター、オーガナイザー。
みんなそれぞれ役割があるという話。
命が宿り、ありのままでやってきた宿命を、運と努力によって運命を切り開いていって、何かの役割を全うしていくための使命がある。
やっぱり、地球のためとか社会のためとか誰かのためもすごく大切だけど、
ファクトリエの語る
「正しさより楽しさ」 「消費より愛着」
のフレーズが物語るように、山本太郎なんかの正しさは全ての人には伝わらない。
優しさとか正しさを超えた先にある内なる声だったり、それを超えてでも何し得たいこと。
それは問題提起からくるものではなくて、内側から出てくるもの。
そして、それを外の誰かに伝える為には誰にでも伝わるようにパーケッジにしてあげるということもとても大切なヒントなんだね。
J-POPの空想の世界であっても、その見せ方にも何かのメッセージを受け取って、学ぶところがあるような。
アボリジニは世界最古の人類と言われていて、
声はコミニケーションの為に持っているのではなくて、歌う為に持っていて、相手が何を伝えたいのかは表情や雰囲気でわかるんだという話。
うた、いのり、おどり、ささげる。
感覚で生きてること。
エネルギーのやり取りの中で、研ぎ澄まされた感覚の世界にスッと入れることだったり、元々その状態にある感覚を持ってるってすごいことだと思う。
ネイティブインディアンやハワイアン、それからアボリジニだったり、アイヌだったり。
頭でっかちで今僕が考えていることを彼らは感覚の世界でわかってるから整理なんかしなくてもいいんだね。
シューマッハで体感として感じていた
あの洗練された自分の五感の状態はとても素晴らしい体験だった。
でも、それは非日常で日常じゃないからそれを日常にするにはどうしたらいいんだろう。
をもっと考えなくちゃいけないんだね。
あの感覚に戻れるならそれはとても幸福なことだし、またあの心から溢れ出てくるありがとうも愛してるというそれこそ優しさも正しさも超えた先にある無敵の感覚を味わいたいなあと思ってる。
なんだか、一度あっちの世界を知ってしまったらもう戻れないね。
っていうのを昨日は突きつけられた感じで。
ああ、もう一度あの自分になりたい。
今はそれが一番強いかな。
誰かに伝えるではない感覚で生きるということ。
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osadashin · 5 years
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山本太郎と孔子とガンジー
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まえがき
梅雨明けたね。
短い夏を楽しもうー!
早く海行きたくてうずうずしてるんだけど、明日からバタバタと移動の日々で、
淡路島→大阪→千葉→東京→大阪→京丹後
とゆっくりできる時間がなくなりそうだから
その前に、今回の選挙のことを自分の中で整理したくて久しぶりに放置していたBLOGを更新してみた。
いつも通り答えなんて出ない。
自分の中での方向性の再確認をしただけ。
でも、嬉しい気づきが確かにあった。
やっぱりいろんなコミュニティの中に出たり入ったりしているから、多様なエッジの中にいる人もいれば、本当に普通に過ごしている学生からスーパー経営者まで、いろんな友達がいるんだなあと改めて気がついた。
いい意味で偏っているし、いい意味で偏っていない。
自分と違う意見の人が周りにはたくさんいて、その人たちがどんどん新しい見地をくれる。
違う意見を持っている相手にもきちんとリスペクトがあって話し合うってこと。
それってすごい恵まれた機会。
ありがたいよなあ、感謝。
だからこそ、誰と話をしても、え?やっぱり目指すゴール同じだよね。
そうそう、幸せになりたいってことは同じだったよね。と議論は着地していて、
最後にはだいたい分かり合えている。
と、こちらは思っている。笑
だから、やっぱり、この人とこの人を繋げて何か始めたらめちゃくちゃおもしろいだろうなあ。
なんてまだ起こってもいない化学反応はどんなことがはじまるのかワクワクしている自分に気がつく。
僕が一人でできることはとても小さいけど、みんなが思い描いてる部分的なパーツの絵を一つ一つ繋げて大きな絵にしたら、
いわゆるヤバイ絵が出来上がると思うし、
それが自分のこれからの1つの役割だと思ってる。
これからきっと僕はそれをしていくんだろうなあという希望に今とても胸が踊っている。
さあ、みんなでやろう、良い世界作り。
山本太郎と孔子とガンジー
日本に帰ってきてから約3週間というもの、
急に現れた日常と非日常とのギャップになんだかダイエットでリバウンドした後の気持ちってこんな感じなのかなという最近の心の状態。
バックパッカーしていた頃の抜け殻感ってやつを思い出す。
いろんな想いのレイヤーが重なり合ってて、全部同じ自分の感情なんだけど
中々しっくりこないし、まだもやもやしてる。
だから、このもやっとをひたすら書き連ねていくことにした。
言葉まで届かない想いが出てきたらいいなと思って書く。
さて、シューマッハカレッジでのことも自分の中でしっかり言語化して、
きちんと栄養にしていきたかったんだけど。
それよりも日本が今、ああ、もう行き着くとこまできてるよね、諦めようか、外山恒一さん。
なんてまた「少数派の自分」に酔ってしまいそうだったので、
そこから��まってる糸を解いて、少しでも建設的になろうと思う。
まず、現状、あまりにも長い間物質的な豊かさを追い求めて、
はじめからそこに合った美しさだったり、
人と人が作った共同体の持つ思いやりだったり、
そんなことよりもはるかに個人的な欲望を優先する社会が増えてしまった。
人それぞれ豊かさの在り方が違って、その価値観が違うのは多様性だけど、それが露骨にぶつかり合うのが選挙の最たるもの。
お金持ちになりたい人もいるし、自然が好きな人もいるし、たくさんの好きと嫌いがそれぞれにある。
マルクス主義もいれば、資本第一主義の人もいて、かと思えばビートニクスがいたり、ソローがいたり、etc。
みんなバラバラに自分の幸せとか楽しいとか情熱のある方を目指して歩いてる。
そんな状態だとお互いの価値観がぶつかってしまって争ってしまうから、
ある程度の規模で国家というものがそこにルールを敷いて、システムの中で自由にしてくださいね。
というのが三権分立の司法立法行政で今の民主主義の国家の在り方だと僕は思ってる。
でも、今そのたくさんの価値観を持った人がそのルール、システムの中にいる中で、
正確には人だけではなく生物多様性をうまくバランスとって国家が地球規模でも調整していかないといけないんだけど。
中々どうしてうまくいかなくて問題だらけになっている。
特に今は選挙における国政だけで考えても、そのシステムやルールの中にいる国民が怒っている。
それは、
誰かの犠牲の上に成り立つ経済的豊かさで本当にみんなが幸せになれるの��
それ同じこと自分の家族や自分の大切な人にできるの?
というシステムやルールを作ってきたリーダー達への疑問と不信感。
一方で、その既得損益や今まで誇示してきた権力を失いたくない人たちは
どう考えても道徳心に反する、人としての倫理観が箍が外れてしまっている。
え?でも、選挙の投票結果からしたら自民党や公明党に入れる人が多いから政府として支持しているし、成立しているんじゃないの?
って、そう、ここまでお付き合いして、読んでくれた人は考える人も中にはいると思う。
そこの中には、上であげたみたいな経済的豊かさの利権争いや権力間における忖度があって、
結果として、そのwin-winの関係を続けていくために投票においても、大企業の組織票がある。
松本人志の会長が辞めるなら僕もの言葉の中にある義理堅さにも同じような大企業の関係図が見える。
残念だけど、誰一人傷つけない日曜日よりの使者は、
少し雲の上に行き過ぎて、下界が見えず、少し盲目になってしまったみたい。
急に吉本の話になったけど、政治のことも会社運営のことも、問題はどちらも全体が持っている権利を一部の上層部やその仲間たちが私的な利益の為に利用しているという点では同じだと思っている。
使う言葉が違うけど、意味は一緒で、
政治も会社がお笑いでもメディアでも、問題も答えも全て同じところで交わっている。
選挙でいうと、投票率が50%以下で投票に行かない人がいるのは、
こうした現状がもう投票したところで何が変わるのだろう。
それだったら目の前の仕事や生活を一生懸命取り組んだ方がもっと生産的じゃない?
と思う人が多いんだと思う。
実際、周りで行かない人はそうだった。
そういった話になった時に僕はもう面倒臭いが勝ってしまって話さない自分が嫌だった。
だから、整理して、言語化したかった。
じゃあ、具体的にどうしたら、この多様な人たちの中でみんなが幸せになれるのか。
当たり前に幸せに生きて、おだやかに暮らせる、そんなまともな国になれるのか。
その為には、どんなルールやシステムが必要なのか。
本当はそれをみんなで考えていくべきだし、それをいまの現状でみんなで答え合わせをするのが選挙であり、政治だと思っている。
あくまで1つの方法でしかないし、そもそもそのシステムやルールが多数決によるものだから多様性なんてない。
って突っ込みたくなるところもたくさんあるんだけど。
少数派は多数派の意見にはずっと勝てないからね。
でも、それすらも放棄して、賢い人たちにお任せ、既存のシステムが間違ってるから放棄とか既得損益にぶら下がる人たちに諦めてるではなくて、
これは民主主義をしていく上で国家を運営する上で、最低限みんなが考えなくちゃいけないこと。って僕は思ってる。
だって、みんな幸せになりたいでしょ?自分の子供のこととても大切に思っているでしょ?
そんなこと思ってもいないって言うならちょっともう話は別だし、既存のシステムやルールへの諦めから投票しないっていうのはどちらかというと俺らもうこんな国無理だから出て行くわって言って新しくエコビレッジとかヒッピー、コミューンでよく見かけるような新しい小さな村つくりやコミュニティの形を模索してる人たちなんだと思う、里山資本主義やTTTも近しいものを感じる。
どちらかでこの二極化していく社会で分けるなら僕も現状の国家運営の正しい形が小さくても大きくてもどっちでも難しいと思ってる。
だって、そもそもそれを選抜するシステムやルールがトンチンカンだからさ。
でも、それってすごく人間らしいなあとも思ってる。
欠陥だらけ、それを受け入れるところからはじまるってすごくヨガスートラみたいだよね。
ダメなシステムも受け入れて、じゃあその上でこの生態系の中で僕らは何ができるのだろうか。って。
だから、多数派で支持され政権をとる人たちが本来は、人として正しい道徳心を持っていることはすごく大切だと思っている。
すごく抽象的なんだけど、違う意見を持っている相手に出会った時でも、きちんとリスペクトがあって話し合うって理解しようとする心を持っていることだと思う。
そして、既存のシステムとルールの内側でに小さいビレッジのサークルを作っても、大きいシステムの中では井の中の蛙です。
そんなに言うなら政治家になって解決する為に立候補すればいいのにって言い出す人もいるんだけど。
あくまでもそれはより良い世界を作るための一つの方法だと思っているし、基本的にルーツはアナキズムに回帰するから。
アナキズムっていうと、危険思想みたいに思われるし、
アナキズムは権力反対!アンチキリスト!資本主義ファック!を想像するんだけど、
僕の中でではなくて、無政府主義の概念は国家運営なんてしなくても、本来人が持っている良心があるならば、システムやルールを決めなくても人は争わず協力して幸せに暮らせるのではないのかという性善説を信じているということ。
それってもはやアナキズムでもなんでもないんだけどさ。
特に、暴動したいわけでも、火炎瓶投げ込みたいわけでもない。
今が10代青春ど真ん中だったらわからないけどね。
最後に残っているのは、ただただ、おだやかに暮らしたいという願望。
だからこそ、国に頼るばかりの大きな政府の時代は終わっていて、新しい世界は心あるビジネスなら世界は変わるんじゃないかなと思ってる。
資本主義、通貨という共通の信頼を示すものが必要なのは、仮想通貨でも地域通貨でも円でもドルでも変わらないし、それはギフトエコノミーでも同じだと思う。
つまりは、そのお金という手段の使い方だ。
結局、それらは全て1つの役割でしかないんだけど、その一つ一つのピースの中で今一番欠けているのがビジネスの領域で「今」力がある人とそうでない人の二極化の中で対立する構造になってる価値観を本当はみんなでもっと上手くやれたらいいのにね、という橋渡しをすることが心のあるビジネス、大いなる富の役割なんだと思う。
話がだいぶ選挙という大筋からずれたけど、
まあ、結局、選挙で決めるのは、どの意見が今は多数派なのかを選んで、
その多数派になった集団に決定権を委ねることになる。
そうなると、この政党の政策は支持できないけど、この議員さんの政策は応援したいのに。
なんていう民主主義のシステム上の弊害も出てくる。
最終的に、多数決になると党として力を持っているグループの意見になるから一人一人の議員の顔は見えなくなるシステムがそこにはある。
見るべきなのは党ではなく人だ。
っていう人もいるけど、結果いざ多数決になった時には個人での大変素晴らしい政策も想いこそあれど党の中では消えてしまうのが現状の選挙システムの残念なところだし、そんなに素晴らしい政策があるのに、単純になんでその政党の中で頑張るのか僕には不思議でならない。
長いものに巻かれているうちは、あなたも長いものとして見られてしまっても仕方ないと思う。
さて、これ以上描いても前置きだけで終わりそうなので少し本題へ進む。
今回の選挙において、特に論点として上がっていたのが、
憲法改正、消費増税、年金、エネルギー、原子力発電、沖縄の基地、学費、同性婚など。
個人的には農、食の部分だったり、他にもたくさん話をすべき論点はあるんだけど、それも書き始めたらもうトンデモ法みたいな量になるのでまた改めてにして進める。
まず、最初に気になったのが、多くの人が、周りにいる経営者の人たちですら、消費税0なんてできるわけがない、社会保障やインフラ整備はどうするんだっていうのをよく話したり、見かけた。
その時点で僕から見たら経営者としては結構アウトだと思うんだけど。。
そもそも、消費税が始まったのは高齢化による社会保障不足を解決する為だったのだけど。
それに使うというならば、消費税8%に上がった時に徴収した8兆円の財務の結果を見たらわかるように収入で得た内の16%しか使われてないし、残り84%は使用用途不明。挙句、トランプにアメリカの牛肉と野菜をもっとたくさん輸入することを約束して、戦闘機爆買いして接待三昧。
仮に増税したとしたら、今まで以上に景気、消費動向は衰えて大企業のあなたたちが作っているものだって買う人がいなくなるし、結果的に日本経済は衰退していったら誰が得するのかは簡単に想像できる。
考えてみてよ?
バーベキュー10人でやるから1人会費3000円ねー!って言われていざ行ってみたら、
お肉ワンパック500gと玉ねぎしかないみたいなバーベキューだったらなんで?ってなるでしょ?
あれだったらケンカになるよね。
30000円もあつめたのに1000円くらいしか使ってなくて残りの29000円どこ行ったんだよ!って。
そしたら、プレステ欲しくて買った。って言われたらそいつはどうなる?
たぶん、もうバーベキュー呼ばれないよね。
それが今の政権がやってること。
話を戻すと、
戦闘機を買ってるけど、俺ら戦争したいからお金渡したんだっけ?
それからそのために憲法変えて自衛隊に出動してほしいんだっけ?
中国人と韓国人とは仲良くなれないの?
アメリカの野菜とか牛肉をどうしても輸入してまで食べたいの?
米よりもこれからの主食はパンとマッシュポテトが健康で肥満知らず?
日本の今の問題は、国の経営者たちがみんなからお金集めて約束したことをほとんど守ってないことにある。
もはや、そんな約束すらしなくなって堂々とプレステ欲しいですって言うようになってきたけど。
そして、一部の特権階級の人たちだけがそのみんなから集めたお金をまた自分たちの輪の中でいかに循環させて増やすかだけを考えてる。
だから、大企業みたいにお金を持ってる人たちも団結して行動しないと自分たちも割りに合わないから忖度する。
プレステ買ってもらえる会社やそれに付随するテレビが必要だったり、電力会社も儲かるよね。
SONYが悪いみたいになってるけど、例えなので。
「物を作る苦労を知っている人は失敗を人のせいにはしない」井深大さんのこの言葉好きです。
どんどん脱線するのでもう一度戻すと、
年金だって少子高齢化で社会保障のお金足りないし、お金はあったほうがいいから300億投資しよう!なんて言い出して、それも大企業の株を大量購入してたり、大量に買うから株価上がってるんだけど、本当に良い成長してる企業に投資して増やそうとしている訳じゃないから、結果、投入した資金も大損して今じゃ92億円マイナス。
そんなことだから、年金の元金も足りないねって、少子高齢化とかいう話じゃなくて、もうお金なくなっちゃったからみんな頑張って2000万今から貯めればなんとかなるよって言い出す。
もし、これが会社とか友達の間で同じことされたら発狂してると思う。
もう怒り狂うでしょ?
だから、みんな怒って少し過激な発言をしてしまってる。
もちろん、過激すぎて反政権への二極化に拍車をかける言動や相手を嘲笑う口撃は結果的にやっていることが同じだからやめたほうがいい。
でも、その根底にある怒りにはちゃんと心がある。と僕は思っている。
行き過ぎた現政府の行動が行き過ぎた反体制の行動を生んでいる。
それでは伝わるものも伝わらないよなんて意見もわかるけど、もうそういうフェーズを超えてしまった人たちがあまりに多すぎて行き着くとこまできているんだと思う。
残念だけど金ならあるし、関わらなければいいか���って言ってる人も、他人事じゃない。
このままだと、そのうち行き過ぎた過激派と行き過ぎた政府の内戦だってはじまりかねないと思うし、そんなの時代錯誤だけど、同じ東アジアの近隣国家である香港を見たら他人事じゃないのかもしれないのは想像できる。
そうでなくても東京での毎朝の通勤サラリーマンファイトが盛んになってきて、それに巻き込まれる人だって出てきてしまう。
そんなの全然望んでいない、誰も。
僕タクシーか車だからっていう人もあおり運転とか新しい争いの形は残念だけどあるしね。
だから、消費税が0とか、所得税上限が45パーでとかそんな話もあるんだけど。
それ以上に、財務、会社で言ったら経理、横領したい放題みたいな。そんな会社潰れるよね、でもこの会社というか社長さんや役員たち、自分たちの生活レベルは変えたくないからみんなお金くださいって。
そりゃあ、僕たち気がついてる人たちは怒るよね。そのうちテロとか起きてもおかしくない。起きたら起きたでテロ対策とか言って、自衛のためにはお金がかかるとかなんとか言ってまたいろんな方法で集めたりするのが想像できる。
彼らに被害が及ばない限りは事件や事故は経済を発展させる為の好材料。
吉本の場合は、それがある側面だけだったから逃げられなかっただけだね。
今回の選挙はそれ以上にさらにたくさん問題が絡みあってるからだけど、まあ、つまりお金と権力でコントロールするのが大好きな人たちととそれに抗うその他の闘いの選挙だったってのが大筋の見え方。
単純に見たら、正義と悪の二極化。
だから、ポピュリズムなんて簡単な言葉でカテゴライズされるし、政権の広告はプロパガンダの為のマーケティングなんて言われる。
お金儲けすることやお金を持つことが悪いって言ってるんじゃなくて、お金はあくまで手段で方法だっていうこと。
そのお金であなたは一体何をするの?正しく使えますか?
っていうのがとても大切だと思う。
集めたお金が正しく使われる制度があるなら信頼して預けられるもんね。
もう正しいが抽象的で多様だよ、っていうのは割愛します。
だから、いい加減何がいいたいのかまとめていくと、
少なくとも山本太郎は、3.11で全てを諦めてしまった僕が唯一応援したいと心から思った人だった。
それは前回の選挙でも思っていて、彼に投票したけど、今回は最初の時を超えてきた。
彼の話を聞いたら、政策に対する裏付けが甘いとか指摘するべき点も確かにたくさんあるんだけど、
そんな話のレベルじゃなくて、彼だけは本気でこの国のおかしな構造を普通の状態に戻そうとしてる。
他にもそういう人たちは他の政党の中にも何人かいた。
逆に同じれいわ新選組の中でもこの人は言ってることは筋が通ってるのに人としては信頼できないかもっていう人もいた。
あら、また選挙のシステムがおかしいの話につながってきちゃった。
それでも、やっぱり、
当たり前に生きて、当たり前に暮らせる、まともな国に。そう思って、だから、僕は彼に一票を入れた。
この一票から日本が世界で語られる良い日本の面に戻ることを信じてる。
そして、別に誰かのその同じ一票を投じて欲しくて書いてるわけじゃない。
僕の正義や意味はそこにあっただけ。
中立的にいたいわけではなく、全員に寄り添いたいわけでもない。
できればそんな聖人でありたいと思うけど、なかなかね。
ただ、正確に情報を得て、僕は僕の中にある人として正しいを追求して生きていきたいだけ。もし間違えてるって気がついたら認められる人でありたい。
自分の心に嘘や偽りを持っていて幸せになれるとは思っていないから。
そして、みんながそのスタートラインに立てた時に三権分立が上手くバランスとってくれるのが理想の国家像だと思ってる。
そういう準備ができているんだろうなと感じるのは、ニュージーランドだったり、カナダだったり。
ブータンは?っていう人いるけど、ブータンは元々の立地条件もあるけど、世界的に先進国に見劣りしないインフラの状態で人の幸せの為に国政をしますと明言している国の方が少なくとも僕には魅力的だ。
お金と権力と欲望は人間の歴史だから、それを正義という人もいるし、否定しない。
ただ、歴史というビックデータの通りそういう人たちはいつか必ず衰退していくと思ってる。
自分がそうなりかけてしまったことで、そういう人たちの心は決して豊かではなく、いつも何かに追われて焦燥感を持っていることも知っている。
つまり、何が言いたかったのかというと、
山本太郎はただのアイコンでしかないということ。
本当に世界を良くする為に必要なのは僕ら自身が山本太郎にならなければいけない。
議論することもその論点がずれないようにすること。
そう、僕たちはみんな幸せになりたかったんだよね。という前提はみんな同じ。
だからこそ、自分たちができる範囲でおかしくなってしまった社会を少しでもまともな方向にかえていくように行動しなくちゃいけない。
結果的にそれが社会や文化となり、歴史になって、自分に返ってくるから。
今は見えない小さなことでも、相手が違う意見を持っていても。
信じて進んでいくこと、そして、見えない相手にもリスペクトを持って取り組むこと。
みんなが山本太郎のように本当に心の底から世界を良くしようと考えて行動すること。
みんなでやろうよ、良い世界つくり。
誰かに甘えてるうちは世界は変わらないよ。
タイトルを孔子とガンジーにしたのは、
最後に出てきた言葉がこの2つだったから。
「和をもって尊しとなす��
そして、
「あなたが見たいと思う世界の変化にあなた自身がなりなさい」 
-マハトマ・ガンジー
そういうことだよね〆
BGM
people get ready/the impressions
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osadashin · 5 years
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宗教は何が悪い?
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先日、奈良県の東大寺を訪れた。
奈良の仏像って言ったら鹿と同じく有名だ。
その大きさを当時作ったことにも驚きだけど、それ以上にその経緯と思いに胸を打たれた。
聖武天皇、マジイイヤツじゃん。って思ったわけです。でも、一般的に日本ではこうした宗教は悪いものだ。って思われている。
そっちの方が頭わいてるじゃん。って思ったわけです。
だって、その心象が強いものは、思考の機会を奪ってしまうし、時に良心さえも破壊してしまう。
信仰心とは良心のひとつのことだと思う。先人の教えで良いものだ、そう思えるものを大切にして生きていくこと。それは強要ではないし、必須ではないし、絶対でもない。
ただ人生の先輩の生きる知恵や教えだ。
だから、宗教が思考を奪うというよりも、思考をやめた人や辞めたい人が宗教に入るんだ。オカルト的な宗教はいらないけど、信仰する心を持つのは人それぞれ大切なことだ。
みんな何かしらは信じて生きていると思うしね。ここまで書くと、ああ、あいつもきっと宗教にハマってその内勧誘の電話をかけてくるのかもしれない。そう思うかもしれない。
でも、むしろ、その考え抜き、自分自身の中の真理を見つけた先、もしくは何か信じてもいいと思えるものに出会った時に本来の人としての能力を発揮できると思う。
目標や夢に夢中になって取り組んでる間は本当にまっすぐ取り組むことができるように。
だから、宗教の思想家が考え抜いた哲学を知り、先輩の教えいいですね!っと自分にとって良い考え方だ、世の中にとって素晴らしい考え方だ、そういうものを生活に取り入れたら良いのだと思う。
たぶん、それって温故知新って言うんだろうなあ。頭悪いから最近まで気がつかなかった。
お金についても同じことが言えると思う。
お金を稼いでる人をみんな羨むのに、抱え込んでる人がいると悪いやつみたいに指差す。
お金はとても便利な道具だ。持っていると自由に使うことができる。
使い方を間違えると確かに悪いやつになる。
そして、大半のお金持ちが私利私欲のために生きてるような人に見えて、人格者とは真逆の悪いイメージがどうしても先行してしまう。
でも、使い道によってはこの道具は沢山の人を助けることができる。
昔は生きてるだけでお金がかかるなんて意味がわからなかったし、なんで頑張って働いたのに、年貢を納めないといけなのか!なんて自分勝手なことを思うことも多々ありましたね。
でも、実際には資本主義の中で生きてる。
そして、形は変わってもずっとお金という信頼と評価の中身は変わらない。
ならば、良いお金の稼ぎ方と良いお金の使い方で良い循環の方法を社会が見つけていくべきだ。
「効果的な利他主義」ってとても難しいけど、
何よりも、思うよりも行動。
学びより実践!
神頼みしてる暇あったら行動しましょう。
南〜無
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osadashin · 5 years
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QUESTION ABOUT JAPAN.
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外国人から日本人への素朴な疑問
先日の寺子屋でこんな用紙をもらい、宿題だと言われた。
一つも正確に答えられるものがなくて、とても恥ずかしくなったと同時に、バックパッカーをしていた18歳の頃も同じように。
ああ、自分は自国のことも知らずに世界を旅するなんてバカみたいだ。そう思っていたのを思い出した。
正しく理解し伝えてほしいというのが、今回の宿題の趣旨なのだろう。
ならば、良い機会なので、英語でも説明できたら大学院でも役立つなあという勝手気ままな備忘録が今回の自分に対する勉強内容のまとめです。
質問の内容は6つ。
1:いつどのようにして日本という国の名前がついたのか?
2:日本の国旗の由来は?
3:天皇とは?
4:天皇はなぜ多くが名前に仁が入っているのか?
5:挨拶時に交わす「こんにちは」と「さようなら」その意味は?
6:食事をする時に言う「いただきます」と「ごちそうさま」その意味は?
1:いつどのように日本という国の名前がついたのか?
諸説あるそうですが、一番主流なものをこちらでは。
元々は、「日本」ではなく「倭」と呼んでおり、
ヒミコについて記載のある、三国時代(220~265年)「三国志」のなかでも、「倭」のことが記述されています。
ではいつから日本と呼ぶようになったのか?
日本という国の名は、日出ずる国として、国号となったのは701年の大宝律令から。初めて律と令を定めたもの、法律や組織体制を定めたものからと国号となったと言われている。
ただ、国際的にはジャパンで、僕らはニホン、ないしはニッポンと呼ぶ。
それを広めたのは、東方見聞録を書いたマルコ・ポーロだと言われている。
彼は実際には日本に来ておらず、中世の中国で呼ばれていた発音がニッポンではなく、ジパングに聞こえたところから派生して、ジャパンとなったそうな。
だから、国際的な時系列で見ると。
ヤマト→ニッポン→ジパング→ジャパン
ちょっと無理があるけど、そのくらい人の言語や記録、記憶って曖昧な伝達ツールでコミュニケーションだったんだろうなあ。
2:日本の国旗の由来は?
いくつかの武家集団が旗手の中に日の丸を象徴として描き始めたのが始まり。江戸時代にも薩摩藩がこのような旗印を用いていたが、1853年のペリー来航の時に日本としての旗が必要だということになり、国旗となった。
ただ、正式に国旗として決定したのは1999年の小渕内閣の時だそう。
だから、今でも旗にもいろんな種類が見られるんですね。
3:天皇とは?
今の天皇は、126代目になります。初代の天皇は天照大神の子孫と言われ、天照大神とは神の中心的存在、特に太陽神と言われています。
元々、日本人は農耕民族で、自然、特に太陽は掛け替えのないものと考えられていました。その太陽信仰の名残で、国旗も太陽が描かれていたり、今でも元旦の初日の出にはみんなで拝みに行ったりと生活に根ざすものでした。
だから、天皇は太陽信仰の象徴として、太陽神を中心とした神々と人間界をつなぐ存在、人間界代表の存在として生まれたのです。
そして、ここでいう神とは自然界全てに対してであり、自然界から生まれたものはみんな神だという多神教、神道のルーツとなっています。
なので、天皇崇拝というと変な先入観を持った聞こえ方をしますが、本来は自然界への偉大さ、重要さ、尊敬などを意味するのです。
4:天皇はなぜ多くが名前に仁が入っているのか?
今上天皇が徳仁、その前、平成では明仁などとても仁という名が付いていることが多い。
それには「仁」という言葉の意味が由来している。
複数の意味があるが、「仁」には、慈しみ、親しみ、愛するなどの意味があり、有徳の人という意味もある。
そして、この「仁」は、東洋思想に大きな影響を与えた孔子の『論語』において、孔子の最高道徳として語られるのが「仁(じん)」です。孔子の言葉の解釈からすれば、「仁」とは、他者の心中を思いやることであり、深い人間愛を基本と���るものといえます。
つまり、天皇としてこの名を授かった以上、国民の自然界の象徴としてはもちろん、ありんこから山も海も川も自然界全てを思いやる心を持ちなさいということなのです。
5:挨拶時に交わす「こんにちは」と「さようなら」その意味は?
元々武家社会の挨拶用語で、出会った時に、一方が「今日は、ご機嫌いかがですか」と言い、これに対し相手が「お陰様で元気にしております」などと応じていた。
そして、別れ際には「左様なら(元気にされていたなら)、(これからも)御機嫌よう」と言っていたのである。
これが明治に入り、「今日は」と「左様なら」のみが残ったのです。
だから、通常「さようなら」というとサヨウナラ=GOODBYEを連想しますが、本来の日本語では左様なら=well,thenなどが正しい解釈ですね。
まあ、言葉の意味や形は時代で変わるということです。
6:食事をする時に言う「いただきます」と「ごちそうさま」その意味は?
食事は他の生き物の命を「頂いて」我々の命を保つことから、そのことに感謝する意味を謙譲語で丁寧さを込めて、「いただきます」と言います。
そして、食事が終わった後は、料理を作ってくれた人が、走り回って(馳走して)作ったり、届けたり、準備してくれたことに対して、感謝を込めて「ご馳走様」と言うようになったのです。
生まれ育ったこの国のこと、まだまだ理解できていないことが多いと今回の寺子屋の宿題を終えてとても感じました。
持続可能な社会の実現や平和な社会の実現も、ひいては目の前にある一歩一歩を一人一人が積み重ねて成し得ていくものです。それは決して一人で実現できるものではない。一人一人が集まって、コミュニティができ、文化ができ、社会ができる。
その中でも社会における一人一人への道徳教育は、世界においても日本の教育制度を取り入れたいと外国のリーダーたちや日本に来た観光客が口を揃えて言います。
そして、それは、学問や学力的教育ではなく、モラルや生き方と言った古き良き教育で、小学校の頃からあった「道徳」や「倫理」の授業からも学んでいたことでした。「助け合う」「勤勉」「社会のために働く」といったモラルや価値観が培われてきたからこそ日本は発展してきました。
「本気になって何が悪い」宿題に書いてあったこの言葉がとても胸に刺さります。今の私にできること。一つ一つ積み重ねて学び伝えていけるように。
日本語で精一杯のため、英語の宿題はまた後日。
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osadashin · 5 years
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行きたくなる場所ってなんだろう
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「世界が訪れたくなる日本」
こんな計画が閣議決定されてから都市部には目に見えて観光客が増えた。
インバウンド消費に経済の発展を託そうと
古く使われていなかった施設もホテルになったり
活用されていなかった観光資源も息を吹き替えして
地域経済である商店も復活して
地方創生のために東京のすごい人がイベントをしに来て
観光客に良い経験をしてもらうために、そこにいる人たちはうんと働いて!
でも、
観光客がたくさん訪れて、うんと働いて僕らはそれで幸せになるのだろうか
色んな人と旅行に出かけなくても知り合えて、交流ができるのはすごく良い。
だけど、それは本当に持続的にみんなが訪れたい日本なのだろうか。
それは一過性のものになってしまわないのだろうか。
日本を訪れたい人たちの行きたい場所は、いつも
「世界最古の国家」としての日本だったり
歴史や文化、そして、それらが作り出した景観だし
文化にも様々な種類と価値観があるからどれが良いものかは人それぞれだけど
実際に僕らが行きたくなるような場所だ
だから、本当に国が発展するためには、良質な文化が必要で
良質な文化のためには、良質なコミュニティが必要で
そのコミュニティは一人一人の人から生まれるものだ。
つまり、本当に日本を訪れたい国にするのであれば
日本の文化を僕ら自身が学び伝えられるようになれなければいけないし
それらを自分たちないしは、共に作り出さないといけない。
昔の商店街にあった活気はそのコミュニティの典型だと思う。
そして、それがなぜ素晴らしいのか心に訴えるものであるか
もしくは、科学的に統計的に論理的に説明できなければならない。
それが本当に訪れたい国、場所だと思う。
行きたくなる場所ってなんだろう?
素直に自分に問うと、人間の想像できる能力を凌駕した圧倒される景観。
だから、自然景観は圧倒的に魅力的だし、ピラミッドやマチュピチュ。
日本でいうと、京都の清水寺なんかはとても魅力的なんだろう。
今日本で行きたくなる場所って都市部にはあまりなくなってしまった。
会いたくなる人がたくさんいるから行くところではあるのだけど。
そこにあるのはコミュニティではなく、単体の人と人。
でも、かといって限定的な地方の一箇所に滞在するのは•••。
なんていうジプシースタイルを変えられる何かを掴むための備忘録。
結局は自分自身が仲間を見つけて文化を作っていくしかないのだね。
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osadashin · 5 years
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夢を見た。 どんな夢だったかなんてそんなことは覚えていない。 妙にリアルで、たまに残酷で、それからドキドキして。 でも、とても暖かい夢だった。 それが今回の北海道だった。 北海道はニュージーランドに似ているなと何度も思った。 脈々と受け継がれてきた風土がなんともまあ。 寒くなかったらとても住みたいと思った。 寒いのはとても苦手だから難しい相談だったけれど。 最初の夜 増毛町の議会議員に当選したお祝いの集いに純さんは居た。 出会って数分後言われたのが、「BBQしよう、美味いもん食わせてやる」だった。 体重は100kgを優に超える巨漢で瓶ビールを何本もラッパ飲みしていた。 絵に描いたような漁師の親父という印象だった。 数日後、本当に電話がかかってきて、たらふく美味いもん食わせてもらった。 生牡蠣、マグロ、ウニなんかの特上の採れたての海産物。 さがり、心臓、ホルモン、それから行者ニンニクに山菜。 全部この辺りで採れるもので、どれもとんでもなく美味しかったのは言うまでもない。 とてつもない量の食材を平らげ、隣にいる肉食女子ならぬ不倫とつまみ食い大好きな奥様方の会話にたまに冷ややかに笑いながら町の未来について僕らは語り合った。 ほとんど初対面のこちらの話を真剣に聞き、融資まで考えてくれるほどの昔気質の俠気と、 たらふく食べた僕らの会計を聞いて酩酊気味な様相に一瞬見せた驚嘆の表情になんともまあ人間臭くて、僕はこの人がとても好きになってしまった。 何かあれば力添えしたいそう心から思わせる人としての魅力があった。 何をしに北海道に行ったのか。 食について、農について知りたかったからだった。 そこには新鮮で美味しい食材がたくさんあった。 なのに、僕らは映画で見ていた世界が現実の消費に直面していた。 至る所でその噛み合わない現実が起こっていた。 そして、最後に出会ったのが北竜町の大将が話してくれたことだった。 本物とはなんだかわかるか? そう聞かれたのが農家のお手伝いを終えて、焼肉屋での最後のレッスンだった。 なんと答えれば良いのか、皆目見当がつかなかった。 「本物とは、後味がよく、いやさぎよく、いやしくないことだ、これは全てに当てはまることだ、食でも、仕事でも、人でも」 ああ、僕はてんで偽物じゃないかと言われているようで急に恥ずかしくなった。 とても自分がダサいやつに思えて嫌になった。 そして、帰る飛行機が欠航したお陰で出来た空き時間で寄った場所はそれを痛感させた。 クラーク博士の銅像にある言葉と六花文庫で手に取ったラビンドラナート・タゴールの詩集だった。 「少年よ。大志を抱け。 ただし、金銭や私欲を求める大志であってはならない。ましてや名声などと呼ばれる泡沫のものを求める大志ではあってはならない。人としてなすべき全ての本分に対して大志を抱くものであれ」 「危険から守り給えと祈るのではなく、危険と勇敢に立ち向かえますように。 痛みが鎮まることを乞うのではなく、痛みに打ち克つ心を乞えますように。 人生という戦場で味方をさがすのではなく、自分自身の力を見いだせますように。 不安と恐れの下で救済を切望するのではなく、自由を勝ち取るために耐える心を願えますように。 成功のなかにのみあなたの恵みを感じるような卑怯者ではなく、失意のときにこそ、あなたの御手に握られていることに気づけますように。」 もう一度ゼロからやり直さないといけないと誓った。 今年は学びの年 そうだったと振り返って思える年にしたい〆 (六花文庫) https://www.instagram.com/p/BxRsTFhnN67/?igshid=1r7wrn4jtf5yr
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osadashin · 5 years
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理由なんてなかったのかもしれない。 作る人たちの気持ちを知らないまま想いを伝える仕事をするのはおかしいと思っていただけなんだけど。 どっちが幸せで正解かなんて今もまだわからないままだし、答えなんてすぐに変わる。 これからも何が本当なのかは自分で目で見て、学んで、感じて、探すしかない。 だけど、働く男の手はかっこよかった。 それから、この日食べたジャガイモはとても美味しかった。 何にも難しくない。 それでいいんだなあ。 (朱鞠内道立自然公園) https://www.instagram.com/p/BxCiarCHqQT/?igshid=1je2azoyfwb5z
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osadashin · 6 years
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ただいま日本。 1ヶ月ちょいの生活も終わりました。 初日から聞いてた話と違いすぎて嫌になったりもしたけど、 NzがLaosを超えて私的世界一位になった瞬間。 やっぱり世界遺産てすごい。 帰ってきて今夢のような時間を過ごしてたんだなあと実感しました。 ありがたや〜、ありがたや〜。 しばらく東京大阪行ったり来たりの生活です。 遊びましょ〜😇 My nz days fin. these days were like a gift especially last 12 days. I still have a list in south island will be back soon!thanks for keep nz beautiful and for your help. cheers mate. cheers Doc. #homesweethome (Lake Tekapo, New Zealand) https://www.instagram.com/p/BupW5GuHscE/?igshid=fb9wextaopa1
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osadashin · 6 years
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sometimes we need more life. when the time to run we have to be a braver. but Free byrd knows where’s the good place to stay for chillin. these kind of happen conscious again that i’m still hungry for life i’m still have words you gave to me i’m still in love with awareness of the world. I LOVE MY LIFE AND I’M STILL ALIVE. この歳になると知ってることの方が多くて、心がゆれることはとても少ない。 それでも、今日みたいにまだまだ世界には未知の領域がたくさんあって。 ああ、まだ君は人生に飢えてるんだよって教えてくれる。 生きててよかった! #sundayfunday (Hooker Valley Track) https://www.instagram.com/p/Buk7C9sHu41/?igshid=1mpeqdmisfy07
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osadashin · 6 years
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English below. どの国にも問題は少なからずある。 それでも、この美しい景色を次の世代の為に残そうと努力している人たちを心から尊敬します。 thankful and respectful. Every country has some problems. But i respect Doc,helen clark and people who decide to walk on the way to be a what New Zealander is. #nzmustdo (Queen Charlotte Sound) https://www.instagram.com/p/Bt70y7Zgo6a/?igshid=qairaozf8vre
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osadashin · 6 years
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🦏 とてもシンプルだって改めて気づく。 とてもこの国が好きだ。 #mamanature #keeptheearthbeautiful (Wellington, New Zealand) https://www.instagram.com/p/Btu9YvXHN3H/?igshid=g0t3xi9nye0j
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osadashin · 6 years
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English below. 小さい頃は裏山で遊ぼうなんて当たり前で田園風景ばかりだったけど。かつての裏山は新興住宅地になって、秘密基地はどうなったんだろう。 今のウェリントンの家は歩いて20分で山遊びができて、こんなに綺麗な滝が見られるし、これは、彼らにとっては犬の散歩道。熊もいないし、そしてここは首都だってことに東京やニューヨークじゃ考えられない。衣食住すべて良いところはオールミックスした都市開発やらせてくれないかい?安倍さん。 でも、とにかく日本食は恋しい、そんな今日は祝日です。 You know when we were a child playing a hill behind of my house such conduct quite usual for everyone live in pastoral landscape. erstwhile that hill or mountains were to be instead of new residential area. where is our favorite secret base. Now i can enjoy mountaineer from my house to 20 min walk and the waterfall where the road for them is favorite dog walking trail. there is no grizzly bear and here is the the capital. could i handle urban and rural development that all mix up take in good part for living life prime ministers? Anyway Japanese food is the best in this world🌾😂 (Wellington, New Zealand) https://www.instagram.com/p/BthICYLHMo8/?igshid=sosliib2lnaz
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osadashin · 6 years
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Japanese Below. One of my list has done on this weekend. it was amazing experience in my new life. I came here for a while was stressful in a new environment. but i decided backpack travel to go by myself as well as 10 years ago it noticed again good travel that it is not a place that it is by the people. Everything is karma what you’ve done is what you want. and i got a lots of new learning in garden international session about sustainability,earth warming,the wall and brain... From now on rethink it for next generation that all the things even a people should back in the place to be. Anyway thanks for this opportunity especially hiking mates! Luckily girl and wise man! いい旅は場所じゃない、人だ。 久しぶりの海外生活とニュージーランドの英語訛りが呪文みたいに聞こえてものすごいストレスだったけど、山に行って釣りしたらとてもスッキリしました。 和をもって尊しとなす。そんなゲストハウスでの青空教室がとても刺激的で考え直すことばかり。 明日からまた月曜日、残りの期間、自分にできることをしっかりと。 🇩🇰🇩🇪🇩🇪🇫🇷🇳🇿🇯🇵 (Tongariro Alpine Crossing) https://www.instagram.com/p/BtbSI-BHNAl/?igshid=18tbhkw0g0prn
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